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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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ムギワラギク

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ムギワラギクと思うが、元農家とおぼしき家の庭で

鉢植え用矮性種がないのか、町中ではムギワラギクをみないように思う。

 

 

しかしこんなにでかくなるとは思っていなかった。

昔蒔いた記憶があるが成功しなかったはずだ。

 

麦藁菊では例句なし

「夏菊」では

白菊き菊そのほかに夏菊の紫 泉鏡花
 
夏菊や行院に湧く僧のこゑ 足立まき
 
墓もおどろくほど夏菊を抱へ来し 安住 敦
 
夏菊の雨の明るき黄色かな 大山 清治郎
 
夏菊に亡母けろけろと在すらん 今井竜蝦
 
師の遺影横むきの眼を夏菊に 上村占魚
 
夏菊病児の友の鄭重語 佐藤鬼房
 
夏菊の黄のしまりしは夕なる 細見綾子
 
夏菊の活けあり村の大師堂 皿井節子
 
夏菊や雨かがやかに砂しめす 金尾梅の門
 
夏菊のありたけ入れる柩の中 福本天心
 
夏菊に病む子全く癒えにけり 杉田久女
 
夏菊の小しゃんとしたる月夜かな 一茶
 
夏菊のなにか哀しき話かな 久保田万太郎
 
夏菊や渦潮までの海平ら 鈴木桜子
 
夏菊の黄のしまりしは夕なる 細見綾子
 
夏菊の蜘蛛のさみどり掌に移す 村尾優子
 
夏菊やうかうかと齢重ねたり 時国鶴枝
 
夏菊や嶺あきらかに雨のひま 島村元
 
夏菊や病み臥す若き貌ばかり 加畑吉男
 
夏菊のさびしき駅が来ては去る 中島斌雄
 
夏菊の黄はかたくなに美しき 富安風生
 
夏菊のなにか哀しき話かな 久保田万太郎
 
世に残ることの淋しき夏菊や 久米正雄
 
夏菊の墓跫音を吸ふごとし 高草矢江
 
夏菊に桑かたむきて家陰かな 飯田蛇笏
 
夏菊に露をうつたる家居かな 鬼貫
 
夏菊の黄のしまれるは夕なる 細見綾子
 
夏菊の赤ともつかずたゞれたる 西山泊雲
 
夏菊の黄はかたくなに美しき 富安風生
 
世に残ることの淋しき夏菊や 久米正雄 返り花
 
夏菊や人衰へてたたずみぬ 横光利一
 
夏菊や山からのぼる土佐の雲 大峯あきら
 
夏菊のなにか哀しき話かな 久保田万太郎 草の丈
 
夏菊のほぐれかけたる莟かな 久保田万太郎 草の丈
 
夏菊や薬とならん床の上 智月 俳諧撰集玉藻集
 
墓もおどろくほど夏菊を抱へ来し 安住敦
 
夏菊や陶淵明が朝機嫌 井上井月
 
夏菊に露を打ちたる家ゐかな 上島鬼貫
 
夏菊に馴染初めたる大野かな 上島鬼貫

 

江戸期における夏菊とはどんな菊をいうのか。

今は電照調整で、年中菊は出回っているが。

 

マツヨイグサ

コマツヨイグサよりは大きい。

 

マツヨイグサ(待宵草)は、アカバナ科マツヨイグサ属一年生または多年生草本植物で、この語は主にマツヨイグサ属に含まれる植物について種を特定しないで呼ぶ場合に使用される。標準和名マツヨイグサは学名 Oenothera odorata で呼ばれるを指すが、こうした用法では滅多に使用されない。

 

葉が全然姿なし

↑では葉が見える。

オオバナコマツヨイグサであろうか?

 

マツヨイグサ属にはおよそ125の種が含まれており、14節が構成される。どの種も南北アメリカ大陸原産であり他地域には産しない。日本も例外ではなく、野生のものは帰化植物か、逸出した園芸植物のいずれかである。

 

原産地では種により海辺や平野から高山に至るまで幅広く分布するが、パイオニア植物なので、自然状態では平地では河原砂浜砂漠ではガレ場や、山火事の跡などの荒地痩せ地に、人為的にかく乱された環境下では鉄道路線沿いや路肩耕作放棄された休耕田のような場所に生え、他の植物が成長してくると姿を消す。日本では造成中の土地や未舗装駐車場でもよく見かける。

 

本属植物は、メキシコ北東部からアメリカ合衆国テキサス州にかけての地域が発祥の地と考えられている。氷河期にこの地域は結氷から取り残され、そこに本属植物が生き残った。間氷期にはそこから再び大陸全土に分布し、氷河期に入ると再び分布を縮小した。更新世には都合四度のこうした分布の縮小と拡大が繰り返され、それが今日見られる多様な種分化を促したと考えられている。また本属植物は野生下においても容易に種間で交雑し、そうして生じた雑種や、人為的に交配して得られた品種が固定され、新種に分化することがあるため、種数が非常に多い。

 

 

 

 


ハボタン

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今年は葉ボタンをやろうと思っていたが、秋に望みの種と出会わなかった。

高性種が欲しかった。

 

 

 

 

 

 

久々に出会ったイチビの今日の様子

 

それを見てから数日で、少し離れた更地でまたイチビに出会った。

それぞれ1株づつだが、更地に現れるのが共通している。

種は20年時を待つことが出来るとか。

 

夏の更地に現れるもの

 

イチビ以外ではエノコログサ、ヨウシュヤマゴボウ、イヌホウヅキ

チチコグサ、ノゲシ、オオアレチノギク

夏薔薇

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薔薇は新暦5月に盛りを迎えるが、春夏秋冬いずれの時期でも咲いている。あるいは四季咲きと言われるものもある。

 

でも、薔薇園を訪れるのは5月初旬が普通。

 

よって俳句では夏の季語として扱われる。八重咲き、大輪、多花性のものは5月がもっとも見ごたえのあるものが多い。

 

よってもって「夏薔薇」(なつそうび)なる表現は俳句ではあり得ない。

 

現代俳句協会編集の歳時記は、新暦の6,7,8月を夏とみなしている。

 

それに準拠すれば薔薇は春の季語で、「夏薔薇」なる語は存在可能となる。

 

 

しかしさすがの現代俳句協会も薔薇は夏の季語としている。

 

長崎忌も広島忌も夏の季語としている勇気をここでは発揮できなかったようだ。

 

ホトトギス系は原爆忌を主季語として、広島、長崎ともに秋の季語としている。

「俳諧歳時記」にはもちろん記載はない。

 

俳諧歳時記が紹介する薔薇の説明を読むと、平安時代以降の「そうび」(しやうび)は

白花が主流であったようで、「茨」に近いものであったように感じる。多分一重咲きであったとも思う。

蓬川(よもがわ)公園の薔薇

 

7月の薔薇のはにかみ濁り川

 

 

 

バス1駅乗って買物夏薔薇

 

 

近頃は散歩と言っても、バスで拠点駅まで乗車、そこから歩いて別の停留所から

別の路線に乗って、家の近くまで戻り、また途中下車して、川沿いに家に戻ることが多い。

そんな折に、電鉄の駅前でバスに乗って、一駅で下車する老婦人の姿を目にする機会が多い、

 

 

 

 

 

 

 

夏の池

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タラノキであろうか。楤の芽を自分で採取したことはない。

アカツメクサが蔓延っている。昨日

今日は刈り取られていた。

なにせ、ヤブカラシと葛が蔓延って

「俳句のサロン」より

 

この人の歳時記編集の方が、新しい。

作者名の後は、掲載誌名、発行年月

薮からし  32句
罪ふかき墓かもしれず藪からし  高島茂   鯨座

作品 作者 掲載誌 掲載年月 前書その他 
藪からし父のふぐりを垣間見し 嵯峨根鈴子 火星 199907   
藪からしも灸花もや植物園 大橋敦子 雨月 199910   
焼跡に住みつく親猫藪からし 上原勝子 海程 200012   
カミソリを春に捨てたる藪からし 佐藤喜孝 あを 200108   
成るように成ってしまへと薮からし 竹川美佐子 いろり 200110   
藪からし軍国の父小さきかな 木曽岳風子 六花 200111   
少年の墓地に遊べる藪からし 加瀬美代子 朝 200210   
藪からし思ひのままに絡みをり 多田節子 雨月 200211   
共に来し師はすでに亡し藪からし 大串章 百鳥 200212   
政この世の不思議藪からし 芝宮須磨子 あを 200410   
馬小屋にもう馬をらず藪からし 長沼紫紅 朝 200411   
山頂に山城一つ藪からし 長沼紫紅 朝 200411   
報復チェチェンという罪絡みゆく藪からし 松井和恵 八千草 200503   
藪からし方向変へる兆しあり 大塚民枝 酸漿 200512   
薪小屋を雁字がらめの藪からし 滝沢伊代次 万象 200709   
藪からし垣を被ひてしまひけり 醍醐季世女 槐 200711   
山暮れて闇をひつぱる藪からし 外川玲子 風土 200811   
藪からし短冊の文字ととのはず 天野正子 鴫 200812   
黄菖蒲にのしかかりきしやぶからし 佐藤喜孝 あを 200908   
藪からし昆虫博士は一年生 林いづみ 風土 201001   
藪からしの花は市松人形なり 加藤みき 槐 201011   
破れ垣に色をおき初め藪からし 村上すみ子 鴫 201012   
薮からし引けば生垣まで動く 岡崎伸 沖 201201   
己が蔓もからめをりけり藪からし 岡崎伸 遠眼鏡 201203   
藪からし鉄路の土手のある限り 松本三千夫 末黒野 201211   
藪からし縞の財布をポンと出す 竹内悦子 槐 201301   
気散じの遊びたけなは藪からし 佐藤弘香 ろんど 201301   
藪からし束縛といふ愛ありし 江島照美 槐 201412   
眼鏡磨いて原子炉を売る藪からし 鴨下昭 峰 201502   
思惑の違ふ互恵や藪からし 小松誠一 沖 201512   
藪からし電波は空に繁茂して 峰崎成規 沖 201512   
道場は校舎の裏に藪からし 根橋宏次 やぶれ傘 201601  

 

この例句の場合は、昨年の1月号収録の句までが拾われている。

トップページないし前書きを見ていないので、集録の範囲などについて知らない。

 

池は、余り展望でいない

隠れ沼のよう

 

 

我が家の家の前

舗道の割れ目から

スベリヒユ、コニシキソウ、ポリゴナム

 

リサーチコア

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武庫川行のバスが閑散時間帯には、「リサーチコア前」止めとなる。

この停留場で初めて下車。起業家に便宜を図る施設なのかどうか。

貸事務所などもあるよう。

 

市中では珍しいキョウチクトウの大木。

新しい植樹が目立つ。国道43号線より南だから元は流通センター的な倉庫群であったのかも。

セイヨウニンジンボク

こんな学校の存在を知らなかった。

正門を見る限り10年以上まえから存在する施設のよう。

 

ほとんど人をみかけない。会社の門の外にかならず自販機があって、

休憩時間であろう作業員が腰を下ろして一服。

それも一人二人。

ナンキンハゼの花時である。樟と欅を別にすれば、市内ではナンキンハゼとメタセコイアの樹が多い。トウネズミモチ、ナンキンハゼ、センダンは野草のごとく川沿いで芽を吹き、果敢に成長している。

樹高6 m。

三角状広卵形で先端は尾状で、紅葉する。

雌雄同株であり、5-6月開花する。雄花総状花序で、その葉腋雌花をつける。

果実は秋、少し三角のかかった球形の蒴果(さくか)を黒熟させ、3個の種子を出す。種皮黒色であるが、その表面は脂肪に富んだ白色状物質で覆われる。蒴果が裂開しても、種子は果皮から自然に離脱することはなく、紅葉期から落葉後まで長く樹上に留まり、白いを散らしたようで非常に目立つ。ムクドリなどの鳥類がこの種子を摂食し、蝋状物質を消化吸収して種子を排泄することで、種子分散が起こる。

 

俳誌のサロン

 

櫨紅葉     140句

櫨紅葉見てゐるうちに紅を増す   山口誓子

紅葉 もみぢ 薄紅葉 濃紅葉 初紅葉 紅葉狩 紅葉且つ散る 蔦紅葉 散紅葉

 紅葉山 紅葉川 照紅葉 櫨紅葉 蔦紅葉 草紅葉 照葉 柿紅葉 冬紅葉 冬もみぢ

作品

作者

掲載誌

掲載年月

前書その他

櫨紅葉ホームページの桃尻語安西篤海程199902 
窯ならば火止めに近き櫨紅葉高崎武義199910 
櫨紅葉リフトの膝の両拳城孝子火星199912 
落ちかかる岩を支へて櫨紅葉中村祭生ぐろっけ200001 
常磐木と枝を交はして櫨紅葉庄中健吉200003 
降り立ちし火の国に燃ゆ櫨紅葉松崎鉄之介200003高千穂神楽他
好かるるも嫌はるもよし櫨紅葉三輪慶子ぐろっけ200003 
鍵束に笑うカギあり櫨紅葉廣嶋美恵子船団200008 
櫨紅葉晶子曼陀羅ろくでなし原しょう子二十五時200010 
櫨紅葉ゆれて新築分譲中中原幸子遠くの山200010 
婚のあるらしき教会櫨紅葉朝妻力俳句通信200011 
櫨紅葉靄の底より瀬の音が中川晴美俳句通信200101 
酒倉の甘き香りや櫨紅葉寺田きよし酸漿200102 
櫨紅葉生真面目すぎるほどの赤木村公子200102 
櫨紅葉華僑の屋根と色競ふ品川鈴子船出200104 
かつ散れり奈良に南京櫨紅葉小林優子酸漿200106 
遠めがねもて引き寄せて櫨紅葉多田鬼堂200108 
リフトゆく月山すでに櫨紅葉岸のふ馬醉木200112 
媛の陵簪として櫨紅葉品川鈴子ぐろっけ200112 
櫨紅葉素焼にかへし砂糖壺栗山よし子馬醉木200201 
降る雨にゆたけき須磨の櫨紅葉志水干代子雲の峰200201 
櫨紅葉鉱泉跡に崩れ仏春田淳子雲の峰200201 
チェロ肩に提げる乙女や櫨紅葉玉川悠遠嶺200201 
櫨紅葉五足の靴の越えし坂松崎鉄之介200202 
漣の光寄せ来る櫨紅葉加藤あけみ円虹200202 
落柿舎に去來を訪へば櫨紅葉林友次郎遠嶺200202 
負けん気の赤に徹して櫨紅葉稲森柏郎200203 
長生きも大へんらしき櫨紅葉波田美智子をりをりに200208 
曇天の海や一樹の櫨紅葉阿部文子酸漿200301 
隠沼の明るきところ櫨紅葉今里満子火星200302 
櫨紅葉吹き上げられし新聞紙植木戴子200302 
櫨紅葉山中で腹立ててゐる西村葉子京鹿子200303 
松島の松の中なる櫨紅葉畠山譲二200307 
櫨紅葉濃し鐘楼の袴腰上田功昭雲の峰200311 
築山に日の燦燦と櫨紅葉辰巳陽子雲の峰200311 
大内氏の町の山口櫨紅葉松崎鉄之介200312 
峰入のをみな行者よ櫨紅葉岸のふ馬醉木200401 
櫨紅葉竹刀を背負ひゆく少女筏愛子200401 
櫨紅葉祖父となれずに逝きし人白井墨絵遠嶺200401 
はぜ紅葉日々に彩増す万歩計松山正江河鹿200401 
切り岸に日差しを返す櫨紅葉堀博子火星200402 
目の覚むるばかり出会し黄櫨紅葉大内恵酸漿200402 
朝の日に輝きそめし櫨紅葉清水和子酸漿200402 
櫨紅葉雲一つなき浅間なり清水和子酸漿200402 
トロッコの列車降りれば櫨紅葉藤田京子ぐろっけ200403 
寄せ植えの一山なせり櫨紅葉藤原りくを八千草200404 
渓谷の釣人を絵に櫨紅葉小石秀子酸漿200406 
伊那の牧ありし原野の櫨紅葉松崎鉄之介200411 
落日のしづけさにあり櫨紅葉平山風鳥河鹿200501 
砂浜や波が置き去る櫨紅葉平山風鳥河鹿200501 
二上山を動かぬ雲や櫨紅葉窪田粧子馬醉木200501 
櫨紅葉林道に入る小型バス丹後美紀帆船200501 
午後四時をゆらしてゐたり櫨紅葉信崎和葉六花200502 
観音の厨子の扉ひらく櫨紅葉大坪景章万象200503 
尾花刈るひかりの中に櫨紅葉瀧春一菜園200509 
櫨紅葉一と枝に耕馬つながるる瀧春一菜園200509 
櫨紅葉その横顔のつめたかり五十嵐暢子対岸200601 
常盤木の中にひとむら櫨紅葉御橋忠一200601 
櫨紅葉林の奥に人の声山川好美春潮200602 
落つる日の色を重ねて櫨紅葉渡邉英子馬醉木200602 
まんまるな石の門柱櫨紅葉伊藤佳代対岸200602 
櫨紅葉澄みし梓川の右左伊藤稔代200603 
櫨紅葉犬もボールをヘッディング高橋大三ぐろっけ200603 
櫨紅葉しだるる影に寄る緋鯉瀧春一常念200606小石川後樂園
櫨紅葉名を変へて川奔りだす水原春郎馬醉木200701 
櫨紅葉河童の淵に至りけり山田禮子遠嶺200701 
櫨紅葉朝日に映ゆる夜の雨長崎桂子あを200701 
風の息深くして散る櫨紅葉長崎桂子あを200701 
登校兒踏みしだき行く櫨紅葉長崎桂子あを200701 
はぜ紅葉執着曼陀羅薄れけり鈴木榮子春燈200701 
お薄享く宿は雨雨櫨紅葉真木早苗八千草200704 
萱山に日當れば見ゆ櫨紅葉瀧春一200706 
斧入れぬ鎮守の杜の櫨紅葉谷村幸子200712 
乾く血に似たり傷ある櫨紅葉林翔200712 
櫨紅葉盆栽展を照らしをり吉沢陽子200801 
御霊水は煮沸すべしと櫨紅葉河崎尚子火星200801 
磔像へ更なる火攻め櫨紅葉塩路隆子200802 
櫨紅葉のみの遠出の一日なりふじの茜200805 
櫨紅葉あはれ魁の一葉なり阿部ひろし酸漿200810 
鉢の櫨すでに紅葉をはじめたり東芳子酸漿200812 
久に訪ふ西行庵の櫨紅葉小林成子200901 
櫨紅葉水が水押す疎水かな門伝史会風土200901 
紅葉して南京黄櫨の散敷けり土屋喜美代酸漿200901 
紅葉して櫨もう隠れなき一樹 湯川雅ホトトギス200902 
エスカレーター南京櫨の紅葉まで林成子火星200902 
就中櫨の紅葉のきはまれる前川千恵子雨月200902 
聳り立つ磐に寄り添ひ櫨紅葉林美智ぐろっけ200902 
櫨紅葉際やか料金所ゲートとり去られ品川鈴子ぐろっけ200910 
あざむかぬ色に染まりぬ櫨紅葉黒澤登美枝200912 
海鳴りを通す林道黄櫨紅葉前川明子200912 
櫨紅葉風の如くに修業僧石田邦子遠嶺201001 
いと古りて絵のなき絵馬や櫨紅葉山村修酸漿201001 
神廟の燈のけはしや櫨紅葉岡田史女末黒野201002 
ゆきあひの谷燦然と櫨紅葉野口光江遠嶺201002 
黄櫨紅葉モンゴロイドと絵ろうそく中島陽華201002 
櫨のほか紅葉を急ぐこともなく片山由美子201010 
遠いにしへ火を噴きし山櫨紅葉福田雅子万象201010 
学生の自転車なかま櫨紅葉長崎桂子あを201012 
櫨紅葉クレヨンに無き色となり宮入河童201101 
生前の一句顕ち来る櫨紅葉山﨑靖子201101 
櫨紅葉万葉秀歌上下巻三谷道子万象201101 
さきがけを誇らかに山は櫨紅葉山田をがたま京鹿子201101 
櫨紅葉鬼女の化身と想ひけり白髭美佐子201102 
路地に鉢並ぶ下町櫨紅葉永塚尚代ぐろっけ201102 
霊峰に赤き点々櫨紅葉福島松子ぐろっけ201102 
老猿を追ふて行きけり櫨紅葉瀬川公馨201103 
幸いくつのがして今や櫨紅葉德田千鶴子花の翼201111 
太陽の傾きそめし櫨紅葉稲畑汀子ホトトギス201112 
雲ひとつなき空染めて櫨紅葉上原重一201112 
渓谷を逸る瀬音や櫨紅葉片岡久美子201201 
配分の逆転へ急く櫨紅葉湯川雅ホトトギス201202 
教会の白堊にもゆる櫨紅葉平野伸子馬醉木201202 
ゆかりなき袖すり合はせ櫨紅葉藤兼静子201202 
櫨紅葉光を曳いて翁の碑佐藤喜仙かさね201202 
ぬくもりに一歩手前の櫨紅葉柴田朱美京鹿子201202 
櫨紅葉小さき庭先彩りぬ宮島ムツ末黒野201202 
今生の彩を尽して櫨紅葉鈴木一三末黒野201203 
瀑十一つづる岨道櫨もみぢ德田千鶴子馬醉木201212 
カメラ提げ一期一会櫨紅葉溝渕弘志六花201212 
櫨紅葉庭色どりて老夫婦田島昭久かさね201301 
櫨紅葉自転車旅の弾む息三橋早苗ぐろっけ201302 
点描の所どころの櫨紅葉高田令子201302 
木洩れ日や櫨紅葉濃き一ところ鈴木一三末黒野201303 
櫨紅葉ひとひら鯉の吸ひ込めり江見悦子朴の青空201307 
一山を盆栽となす櫨紅葉四條進201312 
断崖や鷹巣掛の櫨紅葉山田六甲六花201312 
鬼の郷山燃ゆるかに櫨紅葉橋本靖子201401 
櫨紅葉重なり合うて昏かりき笹村政子六花201401 
鬼の郷山燃ゆるかに櫨紅葉橋本靖子201401 
遠目にもわかる人あり櫨紅葉大野芳久やぶれ傘201402 
裏山にひともと燃ゆる櫨紅葉杉本綾201403 
櫨紅葉の色をすき込む流れかな菅野日出子末黒野201403 
湖に渡す浮橋櫨紅葉森清信子末黒野201502 
日面の池へ彩映ゆ櫨紅葉岡野里子末黒野201503 
悼みかな風に火花す櫨紅葉鈴鹿仁京鹿子201512系露忌
たおやかな女の髪に櫨紅葉秋川泉あを201512 
地図だけが頼りの道や櫨紅葉秋月祐一船団201512 
櫨紅葉そこから海が見えるかい上原重一201601 
今朝の窓絵画めきたり櫨紅葉長崎桂子あを201601 
櫨紅葉白犬いよよ白きかな近藤紀子201603 

句集ではなく定期観光俳誌から集めている。多分季語中心であろうが、現在も鋭意更新中なのがありがたい。

 

 

 

 

 

今では櫨紅葉の多くが南京櫨紅葉なのだが、「ナンキンハゼ」の例句は少ない。

 

御物展南京櫨のいろづけば 大島民郎
 
長崎の南京櫨の木燃えつきぬ 穴井太 原郷樹林
 
さそひ出す南京櫨のうす紅葉 中尾杏子
 
南京櫨の花を詠ったものはみつからない。
ナンキンハゼの実も詠ってみたい。
 
支持率の低下気にな櫨の花
 
 
 
 
 
 
 

合歓の花

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木曜日・金曜日、そして今日

例により、月三回の神戸市北区の施設への送迎や会合出席、

7月はこの3日に集中。

 

今日初めて

隠れ池の縁で、

合歓の花が咲いているのを確認。

↑の画像にも合歓の木は写っているが花は確認できない。

日照雨ぽっぽぽっぽと合歓の花

誰の句か忘れたが所属誌に載っていた。10年以上前の句で、うろ覚え。

 

俳誌のsalon  より (罫線を削除)

合歓の花他人ごとならぬ山姿 丸山海道 京鹿子 199808   
花合歓や風鐸の音の古色とも 中林京子 雨月 199808   
嵯峨野路に風ほぐるるや合歓の花 北村照子 遠嶺 199810   
合歓の花「不夜城」と云う映画かな 桐木榮子 船団 199812   
幽霊の眼に射抜かれて合歓の花 藤田守啓 船団 199902   
象潟や海境合歓の花の上 神蔵器 沖 199905   
近道を登り合歓咲く山の茶屋 岡田暿太雄 雨月 199908   
放浪とだけしか書けぬ合歓の花 保坂加津夫 いろり 199908   
合歓の花むかし覚えし昼の夢 保坂加津夫 いろり 199908   
昏れなずむ合歓の花あり幸にゐて 松沢久子 いろり 199908   
合歓の花もとは父から頂いて 松沢久子 いろり 199908   
花合歓の風をすべらす山上湖 環順子 遠嶺 199909   
同居してつかずはなれず合歓の花 永井みどり 狩 199909   
沼明けてくる花合歓のひとゆらぎ 村岡悠 槐 199909   
みちのくや途中の雨の合歓の花 石脇みはる 槐 199909   
谷ふかし夢のせて咲く合歓のころ 阿部ひろし 酸漿 199909   
濃き淡き合歓たづねつつ峡ゆけり 阿部ひろし 酸漿 199909   
月夜野へ行くバスに会ふ合歓の花 阿部ひろし 酸漿 199909   
あてどなき旅に出でみむ合歓の花 西正子 酸漿 199909   
合歓の花やさし過ぎるを怖れけり 頓所友枝 沖 199909   
古墳群はづれの墳に合歓の花 宮津昭彦 濱 199909 西都原 
疎開の荷と越え来し峠合歓の花 高田幸枝 濱 199909   
風間完画く人ゆく合歓の花 笹家栄子 澪 199909   
グウばかり出す子とじゃんけん合歓の花 辻享子 六花 199909   
合歓の花我が晩節の詩心 斉藤利雄 遠嶺 199910   
ふるさとの山並低く合歓咲けり 平田美紀子 風土 199910   
合歓咲いて渓流にある喜悦かな 緒方敬 槐 199910   
胸元に入り来る風よ合歓の花 川上美穂子 酸漿 199910   
花合歓の濃しと聞く野の遙かなる 柏井幸子 円虹 199910   
観音の御胸の高さ合歓の花 江原正子 春耕 199910   
合歓の花般若の面割られあり 中島陽華 槐 199911   
ひげ濃ゆき毘沙門天や合歓の花 小倉行子 風土 199911   
逝きてより近しきひとや合歓の花 関根洋子 風土 199911   
囀りは合歓の花かも空透けて 小枝恵美子 ポケット 199911   
おもひみなひとりに還るねむの花 島谷征良 風土 199911   
ねむの花私のための絵本かふ 花島陽子 遠嶺 199911   
合歓の花江辺無聊とは誰が子ぞ 金子兜太 海程 199912   
起き抜けの水のさやけし合歓の花 三神あすか 船団 199912   
漢字より仮名のさらりと合歓の花 柿原金米 船団 199912   
花合歓のこれがわたくしの天井 津田このみ 船団 199912   
病む鶴と別れて合歓の花の下 鳥居真里子 船団 199912   
合歓の花旅の鞄が口を開け 中林明美 ヒッポ千番地 200003   
魂の行きつく先はねむの花 わたなべじゅんこ 鳥になる 200003   
背景は虚子記念館合歓の花 稲畑汀子 ホトトギス 200007   
咲きそめし合歓にふえゆく旅予定 稲畑汀子 ホトトギス 200007   
旅多くなりし合歓咲きそめし頃 稲畑汀子 ホトトギス 200007   
渓深し見下す視野に合歓の花 稲畑汀子 ホトトギス 200007   
渡る風花合歓見せていきにけり 稲畑汀子 ホトトギス 200007   
見下せるときのもつとも合歓の花 稲畑汀子 ホトトギス 200007   
合歓の花見逃す距離のありにけり 稲畑汀子 ホトトギス 200007   
花合歓の車窓となりし速度かな 稲畑廣太郎 ホトトギス 200007   
翠黛の上にも咲いて合歓の花 鷹羽狩行 狩 200007   
大日や蛇踏んで合歓咲けるなり 岡井省二 槐 200007   
合歓咲けり天上の母灯るごと 高橋邦夫 風土 200008   
川の辺に潮上りくる合歓の花 能村研三 沖 200008   
ゆるゆると癒え確かなる合歓の花 小野島淳 沖 200008   
主婦の座をゆづりて久し合歓の花 久保田一豊 いろり 200008   
合歓の花もう寝たのかよ独り言 松沢久子 いろり 200008   
合歓の花友突として天国へ 長谷川通子 俳句通信 200008   
糠雨の浮島合歓の花明り 大和田鏡子 俳句通信 200008   
合歓咲くや妻に戻りし爪のいろ 関根初男 馬醉木 200009   
合歓咲くや水車も土橋も今はなく 沖倉好秋 酸漿 200009   
空魚籠の半分沈む合歓の下 宮本道子 酸漿 200009   
碑ばかりの本陣跡や合歓咲ける 山口秀子 酸漿 200009   
遺りゐる木造校舎合歓の花 武政礼子 雨月 200009   
箒にてはきだす紅絹や合歓の花 大関靖博 沖 200009   
天寿待つ一日は重し合歓の花 久保田一豊 いろり 200009   
合歓の花記者会見の空ぞらし 熊谷みどり いろり 200009   
合歓咲いてけふ落日のいと遅き 金子浩子 馬醉木 200010   
合歓咲いて白えびにあるさくらいろ 杉浦典子 火星 200010   
合歓の花言葉残さず夫逝けり 田宮勝代 酸漿 200010   
夕暮や湖の風吹く合歓の花 冨田志げ子 酸漿 200010   
濯ぎ場や夕ベ傾く合歓の花 宮崎山景 俳句通信 200010   
雲運び合歓の花吹き風飽きず 宮津昭彦 濱 200010   
花合歓の鳴海絞の如きかな 椙山正彦 濱 200010   
合歓の花石の産地を通りけり 中原幸子 遠くの山 200010   
合歓の花理学部付属植物園 中原幸子 遠くの山 200010   
合歓の花うだつあがらぬ高みにて 鉄山幸子 銀化 200010   
合歓の花多情多恨の汚名着て 保坂加津夫 いろり 200010   
合歓の花一山越せば阿波の国 中村祭生 ぐろっけ 200010   
合歓の花打ち重なりて人造湖 中村祭生 ぐろっけ 200010   
合歓の花会えぬ友達ふえてゆく 伊藤和 海程 200011   
芦の湖の風渡りくる合歓の花 菅原庄山子 春耕 200011   
合歓さかり鵯越の墓山に 鈴水浩子 ぐろっけ 200012   
日は玉のごと中天に合歓の花 岩岡中正 ホトトギス 200101   
合歓の花仰ぐ山形曇なり 大塚洋子 酸漿 200101   
合歓咲きぬ東へ夫と亡き父母と 金子皆子 海程 200102   
国境へ向くしづけさを合歓咲けり 内田美紗 船団 200102   
外れたる期待といふも合歓の花 稲畑汀子 ホトトギス 200107   
旅三日夜は夢合はす合歓の花 神蔵器 風土 200108   
合歓若葉白秋塚に枝を延べて 石井邦子 酸漿 200108   
花合歓の醒むる刻さへ妻醒めず 能村登四郎 沖 200108   
合歓咲ける里を会津へ向ひけり 中西道子 百鳥 200108   
アンバランスがあなたの魅力合歓の花 村山和子 海程 200108   
ながしめの山ふところの合歓の花 石脇みはる 槐 200108   
墓が見え棚田が見えて合歓の花 保坂加津夫 いろり 200108   
合歓の花声のかかればいそいそと 大平保子 いろり 200108   
合歓咲いて一枚の湖真平ら 長尾康子 風土 200109   
合歓の花南瓜の花と呼び交す 大串章 百鳥 200109

 

我が家の庭

 

今年2回目の満開へ↑ ブルグマンシア

 

 

8年以上育成した蒟蒻の親玉は木陰の地植えで小さくなって、子玉をいくつか育成中↑

 

 

 

さびしくなってきたロベリア

 

一株小さな穂から育ってきたポリグナム。あまり花付きはよくない。

 

これから2か月の主役

 

 

 

 

薪能

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例年、曜日に関係なく、7月26日に開催される富松神社の薪能、

今年はまだ案内状(招待状)が届かない。

家から徒歩2分以内のところにある富松川の屈曲地点にある広報板見に行った。

昨年は市政100周年記念ということもあって、3種類も作成されていた薪能の開催予告掲示はない。

 

↓昨年の富松薪能のポスター

(尼崎薪能という名で、もう一か所でも開催される)

招待状の巻頭にワイフの句が掲載されることもあり、ワイフが市の文化センターに確認電話。

 

掲示用ポスターの作成が遅れているとのこと。

 

↓その地点から見た富松川の流れ。昨日はかなりの水量であったが、今日は平常時の水準

 

「薪能」を「俳諧歳時記」で調べると、かつては春の季語(興福寺の陰暦2月の行事)。

寒いので暖を取るために、法会を準備する作業員たちが焚火をして、余興にパントマイムをやっていたのが始まりのよう。しかしその後この行事は途絶して、変わって春日大社の12月の行事(若宮祭)を指すようになり、今では薪能は冬の季語となっているとか。

私にとっては薪能は夏の行事である。しかし8月8日に開催される尼崎薪能は秋の行事になる。

 

薪能の例句は多い。 冬の季語として扱われている。

 

薪能めらめら古き闇燃ゆる 大串 章
 
薪能死を想うわが頃となり 鈴木六林男
 
暮れおちし塔こそ迫り薪能 浦野芳南
 
薪能少う舞うていたりけり 和田悟朗
 
はたはたと面動きぬ薪能 森 澄雄
 
舞ふ我に新樹の風や薪能 金井 綺羅
 この句は春の行事としているよう。
 
薪能篝なだめの役ありて 有働 亨
 最初は焚火であったが、いつしか篝火になったとか。
 
地の闇へきざはし垂らす薪能 鈴木六林男
 
夕風の立ち来し火の粉薪能 稲畑汀子
 
薪能どっと燃え落つときの影 金子青銅
 
笛吹けば闇の寄りくる薪能 石原八束
 
薪能火蛾金粉となりにけり(新宿御苑) 細川加賀 『傷痕』
 
新宿御苑の薪能は近年、10月開催のようである。
 
 
笛吹けば闇の寄りくる薪能 石原八束 『風霜記』
 
薪能待つ間の闇の虫時雨 村上辰良
 
古びたる鬼の面なり薪能 高浜虚子
 
闇を裂く笛の高音や薪能 遠藤芳郎
 
薪能万の木の芽の焦がさるる 藤田湘子
 
鼓うてば闇のしりぞく薪能 石原八束
 
笛方のかくれ貌なり薪能 河東碧梧桐
 
夜風また炎立たせて薪能 浅賀魚木
 
きつね雨なかりしごとく薪能 森田桃村
 
怨霊の風のつのりし薪能 高橋ツトミ
 
薪能ふるさと深き闇を持ち 生田政春
 
室町の闇を闇呼ぶ薪能 長谷川史郊
これは京都開催かも。
 
薪能闇に火守の控えをり 池田ちや子
 
薪能万の木の芽の焦がさるる 藤田湘子
 
笛方のかくれ貌なり薪能 河東碧梧桐
 
薪能篝なだめの役ありて 有働 亨
 
笛方の灯に遠き座や薪能 福井まつえ
 
篝火に闇ちぎれとぶ薪能 矢野聖峰
 
うつし世へ戻る一笛薪能 長谷川翠
 
一歩出て千里ゆきけり薪能 西川織子
 
紀の沖の霧流れくる薪能 綿谷ただ志
 
横笛のこゑの尾赭し薪能 ほんだゆき
 
摺足に齢を見せず薪能 東尾子
 
海鳴や蜑が火を守る薪能 島田まつ子
 
古都の闇打つ小鼓や薪能 山下佳子
 
序の舞の月に踏み出す薪能 長谷川祥子
 
夕づきし竹生島浮く薪能 西澤耕山
 
松籟をさそふ笛の音薪能 吉田節子
 
火が恋し薪能見て来たる夜は 古屋秀雄
 
薪能めらめら古き闇燃ゆる 大串章
 
鬼女たちまち闇に消えけり薪能 矢田挿雲
 
薪能大和の空は星満ちて 田代遊子
 
薪能小面映る片明り 河東碧梧桐
 
薪能入日の中に焔燃ゆ 橋本多佳子
 
闇に凝る瞳の数や薪能 田中拾夢
 
暮れおちし塔こそ迫り薪能 浦野芳南
 
薪能火の粉ついつい火を離る 山口誓子
 
観る人の闇に沈みぬ薪能 梅田実三郎
 
薪能鬼女に月光憑きにけり 松本圭二
 
羽衣の吹かれ立ちつつ薪能 坂井建
 
情念に今昔はなし薪能 川口咲子
 
衆徒の先ずもの申しけり薪能 稲岡長
 
唐衣小雨に濡るる薪能 佐土井智津子
 
業平をうつつにすなる薪能 千原草之
 
松に倚る旅人我や薪能 藤松遊子
 
薪能万の木の芽の焦がさるる 藤田湘子
 
一歩出て千里ゆきけり薪能 西川織子
 
序の舞の月に踏み出す薪能 長谷川祥子
 
紅梅を瞼の花に薪能 平畑静塔
 
狩衣の露けき袂薪能 武川明子
 
薪能めらめら古き闇燃ゆる 大串章
 
薪能しじまをも火が司どる 天野莫秋子
 
薪能暗きを川と見て泣くも 肥田埜勝美
 
影法師わなゝきこぞる薪能 阿波野青畝
 
曳くやうに笛吹き出せり薪能 茨木和生
 
火と風と暮れを誘う薪能 橋本多佳子
 
火を守るひとも泛かびて薪能 濱田俊輔
 
薪能僧の提灯東大寺 岡本松浜
 
薪能薪の火の粉上に昇る 西東三鬼
 
落花にも序・破・急のあり薪能 冨田みのる
 これは春の薪能
 
対岸の秋燈を入れ薪能 関森勝夫
 
すだく虫一鼓に制す薪能 荒井正隆
 
八日月星一つ伴れ薪能 吉野義子
 
薪能めらめら古き闇燃ゆる 大串章
 
月かくす雲の遊びぬ薪能 岸田稚魚
 
薪能もつとも老いし脇師かな 高濱虚子
 
火と風と暮れを誘ふ薪能 橋本多佳子
 
薪能鬼女の金欄火に染まる 品川鈴子
 
薪能鉄の篝も火となれり 品川鈴子
 
鵜の川を焦がしてやまぬ薪能 伊藤敬子
 
薪能観世に嫁せし人侍り 山田弘子
 
薪能まで松にほふ夜道かな 藤田湘子 去来の花
 
薪能万の木の芽の焦がさるる 藤田湘子 雲の流域
 
薪能死を想うわが頃となり 鈴木六林男 国境
 
入相の鐘なほ暮れず薪能 稲畑汀子 ホトトギス汀子句帖
 
夜風出て火の粉舞ひ立つ薪能 稲畑汀子 ホトトギス汀子句帖
 
鼓うてば闇のしりぞく薪能 石原八束 風霜記
 
笛吹けば闇の寄りくる薪能 石原八束 風霜記
 
大山祇(やまつみ)の放つ金の蛾薪能 野沢節子 八朶集以後
 
脇僧の寒げに暗し薪能 河東碧梧桐
 
笛方のかくれ貌なり薪能 河東碧梧桐
 
薪能の果てるや薪尽きる頃 河東碧梧桐
 
薪能小面映る片明り 河東碧梧桐

 

奈良開催の薪能を示す修辞がない限り、薪能は今や無季語として扱うべきであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トベラ

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太陽の遺失物なり海桐の実 高野ムツオ 蟲の王
 
*えいを干す崖の日向に海桐の木 宇佐美魚目
 
海桐咲く闇に沖航く船まぶし(山下公園) 河野南畦 『焼灼後』
 
海桐の実熟れて野猿の人見知り 椎橋清翠
 
黒潮の寄せる白波海桐の実 青木起美子
 
埋立ての島に育ちて海桐の実 穂坂日出子
 
磯日和はじけて赤き海桐の実 渡辺和子
 
 
 
海桐赤し姫鶏海鶏とわたり来て きくちつねこ
 
海桐の実吊橋架かる荒磯海 塩川祐子
 
蜑が家は路より低し海桐咲く 道川源治郎
 
海桐咲けり双手に架橋完成図 横山白虹
 
海桐咲き沖曇りくる水族館 柴田白葉女
 
風たえず海より吹けり花海桐 満田玲子
 
海桐咲く闇に沖航く船まぶし 河野南畦
 
海桐の香夜を走りづく波白し 岡田貞峰
 
教会と別な白さの花海桐 伊丹三樹彦
 
海桐の香夜を走りつぐ波白し 岡田 貞峰
 
海の鳥来て巌穢す花海桐 米澤吾亦紅
 
海鳴をレクイエムとし花海桐 水原 春郎
 
海桐咲き磯の吊橋潮さして 水原秋櫻子
 
燈台に懈怠ただよふ海桐の香 橋本 榮治
 
海へむく墓の日月海桐咲く 望月たかし
 
潮騒や能登路はじめの花海桐 高橋佳子
 
海桐咲く空濡らすかに礁波 師 照子
 
十まりの蛸壷さらす花海桐 福島小蕾
 
海桐咲く闇に沖航く船まぶし 河野南畦
 
海の鳥来て巌穢す花海桐 米沢吾亦紅
 
二枚浪一枚白し花海桐 近藤一鴻
 
海桐の実蝙蝠安の墓の上 町田しげき
 
海桐咲き吹抜小屋に舟大工 北野民夫
 
吹きつくる風にはじきて海桐の實 八木林之介 青霞集

 

海桐の花、実が詠われている。

 

トベラ(扉、Pittosporum tobira)はトベラ科トベラ属の常緑低木。東北地方南部以南、韓国台湾中国南部までの海岸に自生する。

 

主に枝の先にが集まって着く。葉は倒卵形、互生、主脈は白っぽく、葉全体はつやのある緑色で、周辺部がやや内に巻くように、葉全体が反っている。5月頃芳香のある白い5弁のをつける。果実は熟すと3裂し、赤い粘液が付着した種子を多数露出し、これが鳥のくちばしなどに粘着して運ばれるといわれる。

 

海岸では海浜植物などの草本につづく海岸性森林の最前線に位置し、低くて密な群集を形成する他、海岸林の中では高木層を形成する場合もある。また、潮風や乾燥に強く、つやのある葉を密生することなどから観賞用あるいは街路樹として道路の分離帯などに栽培される。雌雄異株

 

 

野生状態ではあまりトベラを食樹とする昆虫は大量発生しないが、都市に植樹されたトベラには、新芽に虫えいをつくるトベラキジラミというキジラミ科の昆虫がしばしば大量発生して、排泄物の甘露すす病菌が発生しているのを見ることが多い。

 

 

枝葉は切ると悪臭を発するため、節分イワシの頭などとともに魔よけとして戸口に掲げられた。そのため扉の木と呼ばれ、これがなまってトベラとなった(学名もこれによる)[1]。属名のピットスポルムはPitta(樹脂)とSporos(種子)に由来し、これは上記のように熟した果実から粘液が付着した種子が露出するのが特徴的なことから付けられたものである[1]

「トベラ」の画像検索結果

 

5月が花期で、今は実の時期への移行期間。

 

 

まだ青い実もあれば、色づいていたものもある。

海桐の花(花海桐)は5月の季語で、実は7月の季語であろう。

よって夏の季語である。

この海桐は、3川合流する庄下川の起点近くの家の庭のもの。

3つの川をまたぐ橋は、ブログ上ではエックス(X)橋と呼ばれているが、正式の名はないよう。

その橋上に立つ標識では、3川の一つである東富松川の名は消され、庄下川の本流扱いになった。東側からこの地点で合流する川は富松川

西側からのものは正規には、西富松排水路と呼ばれてる。

 

本流となった庄下川の旧東富松川にかかる橋は、いくつもあるが、いずれも流れている地区名(休村名)にちなんで東富松橋とか新富松橋などと橋名が記されているので、川沿いに住む人は今でも東富松川と呼んでいると思うが、この川は伊丹市市境を越えると金岡川であり、

金岡川は伊丹市での扱いは排水路である。

 

庄下川に合流する西富松排水路↑。

 

 

この場所には、白鷺が一羽じっと流れを監視している。魚を捕った瞬間を目撃したことはないが、今日もカメラを構えたら飛び立っていったので撮れなかった。

X橋上から見た旧の東富松川。高低差がないので、水が澱んでいる。

富松川や西富松川の合流水の勢いに負けて押し戻されている。

 

 

同じくX橋から南(下流)を見ている。かつての庄下川の起点である。西富松排水路は、

武庫川の水を樋で受け入れ、用水路として尼崎の北西部の田畑の間を流れここへ達する。

東富松川は猪名川の水を受け入れている。その水の一部は富松川へも流れ込む。

よって関連する小河川はなべて1級河川である。

 

タカサブローは少しだけ咲いてる。ミゾソバはまったく。

北から南へ流れていた庄下川はここでは東から西へ。

左岸の建物は女子大。

 

茶道教室、ピアノ教室、書道教室などの看板を目にする。

↑↓この辺りの桜は夙川、芦屋川に負けない。

布団屋や畳屋は先代からここで営業していたようにみえる。

フーとかメタセコイアの木が目立つ。 中之島という公園名は、この辺りが島であった名残りであろうか。

↓生嶋荘園であった時代の名残

ここより北の地区には上之島という名がある。生嶋の上手である。鬼貫の出身地と言われている。

↑孫とよく遊んだ。中之島公園内の湧き水を利用している(処理している?)。

 

橋は高松橋。高松は上之島内の地名である。


莫山

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奈良県立美術館へ行くのに、駅前集合時間午前10時

 

 

近鉄奈良駅前  行基像 待ち合わせスポット。

勤務を始めた托鉢僧(外国人だあった)の鉢へ500円玉入れたら

お礼を貰った。

 

雨除けアーケードが出来ていた。今日あたり保温効果抜群

 

莫山の笑顔懐かし 夏館

 

寒山拾得 ↑

 

フラッシュ撮影禁止 ゆえ、作品をかなりノンフラッシュ撮影

 

 

 

猿沢の池

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市の文芸芸能関係機関誌『芸文あまがさき』への俳句とエッセイの提出期限が迫ってきたので、数日前から句の整理。

 

俳句は15句

 

ポピュリズム寄って集って大寒波

花ミモザある忖度の擦れ違い

街角の行き来を乱すイペの花

縁側に蕺草を干す三逮夜

針山に蜂を集めてピンクッション

分家との墓域を分ける靱草

梅雨兆すダイエーのロゴ解体中

喜寿傘寿集う煙の木の下に

立葵あの娘今日はけーへんな

南京櫨咲けば支持率急降下

七月の薔薇の含羞蓬川縁

火蟻とや真っ先に尼崎の名

ブルペンに牛迷い込む大夕立

別れてよりひっつき虫を剥がしおり

菊人形の何処かに知的財産権

 

昨日の奈良の風景

 

外国人が激増しているのを確認。

私の奈良駅前到着に遅れて、行基像前で喜捨活動を始めた僧に、話しかけたら東欧人であった。16人が集合して写真班員である私が、シャッター押しを頼んだ女性は、日本人ではなかった。替って登場した子供を抱いていた亭主は、チーズとはいわず、ワンツースリーと掛け声をかけてシャッターを押してくれた。香港か台湾からの来訪者だろう。

 

僧が立っている場所が、好都合なので、僧にも加わってもらった。

 

↑は、↓の風景のズーム

寺塀沿いの裏通りを歩いているのも

鹿と遊んでいるのもヨーロッパ人。

ヨーロッパの大学は7,8,9月は夏休暇である。

 

文化会館や県立美術館のある通りからみた若草山

 

 

猿沢の池  池畔をゆく采女姿

日陰なさぬ柳の若木猿沢の

 

采女神社前

 

 

今日は神戸の句会参加。神戸俳句会の名に変わっている。

隣りの部屋は短歌会。

 

昨日の吟行会の句会会場は市or 県の女性センターであったが、隣の部屋は他の結社の句会であった。

 

 

貴布祢神社

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京都の貴船神社も、貴布祢神社と表記することもある。

 

木屋町の川床とは基本的に違う。まさに流れる川の真上に床を敷いたものである。

その床を濡らすほどに増水した場合は利用不可能。

 

京都の貴船神社と尼崎の貴布祢神社の関係は?

 

ウィキペディア(貴船神社のHPの記述は部分的切り取りが難しいので):

 

貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることかららず「きふね」という。

 

水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

 

古来より、晴れを願うときには白馬が、を願うときには黒馬が奉納されたが、実際のに代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。

 

また、縁結びの神としての信仰もあり、小説漫画陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社にに参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる[1]

付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。

 

祭神は、

創建の年代は不詳であるが、社伝では反正天皇の時代の創建としている。社伝によれば、神武天皇である玉依姫命が、黄色に乗って淀川鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小に覆われたものと伝える。「の産まれる根源」が転じて「気生根」になったともいう。

 

 

この由緒の部分 今の私には理解がむつかしい。

 

神武東遷前に、母親の方が先に、それも紀伊や大和ではなく、山城の山奥に来ている。

玉依姫命はそれからまた朝鮮半島に戻って子を産み、その子が南九州にやってきたのか?

 

同じくウィキペディアの「タマヨリヒメ」の解説:

 

記紀風土記などに見える女性の名で、固有名詞ではない[1]。従って、豊玉姫海神)や、賀茂別雷神などとして数多く登場する。

  1. 神霊を宿す女性巫女
    1. 日本書紀第七の一書に、「一に云はく」として高皇産霊神の子の児萬幡姫の子として玉依姫命が見える。ここでいう児萬幡姫は栲幡千千姫命の別名で、天火明命瓊瓊杵尊の母である。
    2. 日本神話で、海の神の娘。ウガヤフキアエズノミコト(鸕鷀草葺不合尊)の妃となり、四子を産んだ。末子は神武天皇(カンヤマトイワレビコノミコト、神日本磐余彦尊)。
    3. 賀茂伝説で、タケツヌミノミコト(建角身命)の娘。丹塗矢(本性は火雷神)と結婚し、ワケイカズチノカミ(別雷神)を産んだ[2]
尼崎 貴布祢神社
 
明後日に夏越祭がある。神灯も屋台の枠組みなども準備完了
阪神高速のさらに南に見える煙突のある地区一帯は旭硝子の工場である。
ウィキペディアの、尼崎貴船神社解説:
 

貴布禰神社(きふねじんじゃ・きぶねじんじゃ)は兵庫県尼崎市西本町六丁目にある神社京都貴船神社を総本宮とする、旧尼崎町の惣氏神。いわゆる尼崎のだんじり祭は同社が有名である。

なお、同名の神社が市内の長洲中通三丁目にも存在する。発祥の地は長洲(ながす)の貴布禰神社とされ、中世の発展と共に分祀されたものと考えられる[1]

 

創建の由縁については、平安遷都の際に運搬船を仕立てた紀氏紀船(きふね)を祀った逸話や、丹生川上神社貴船神社との関連等諸説ある[2]

 
タマヨリヒメは瀬戸内から長洲を経て淀川を遡り、賀茂川、貴船川を経て京都の貴船へ到達したという諸説の一つが由緒に紹介されている:
 
「尼崎に上陸され・・」が引用符でくくられているが、京都の貴船神社の由緒では、そこまで詳しくはない。「淀川・・を(経て)」だから。神武誕生以前には、淀川の河口は長洲よりまだ北であったはず。もちろん尼崎(海士崎)という地区も地名も存在しなかった。
 
 尼崎という地ないし地名が現れるのは12世紀末のよう。
 
 
 
↓裏門
鏡餅岩にのせあり貴船道 五十嵐播水
 
冬苺摘み来貴船の道すがら 新井悠二
 
川浚ひしたる貴船の年用意 土山紫牛
 
水引の鋭きくれなゐを貴船みち 藤本和子
 
目さむれば貴船の芒生けてありぬ 高浜虚子
 
貴船茶屋十日の菊をならべけり 岩崎照子
 
去来忌やふふみそめたる貴船菊 大島民郎
 
水に手をつけて貴船の秋はじめ 山上樹実雄
 
鞍馬より貴船に降りて立葵 庄中健吉
 
鞍馬より貴船へ下る朴の花 大橋越央子
 
落し文拾ひて入る貴船茶屋 西居 浩
 
老鶯や貴船鞍馬の幾つ谷 松根東洋城
 
昏れぎはのぼんぼり灯る貴船川床 加治 勇
 
絵団扇や貴船は今も山の中 波多野爽波
 
貴船茶屋屋根も屏風もみな葭簀 岩崎三栄
 
花楓貴船の神の水ひゞく 土田祈久男
 
春浅き鞍馬街道貴船かな 草間時彦
 
淋しさよ貴船祭の提灯は 波多野爽波 『鋪道の花』
 
新緑や人の少なき貴船村 波多野爽波 『鋪道の花』
 
長雨の皆下向きに貴船菊 寺田順子
 
観音の影のさまなる貴船菊 阿部みどり女
 
菊の香や垣の裾にも貴船菊 水原秋桜子
 
尚のこる峰の桜や貴船村 松尾いはほ
 
初寅の護符をかざして貴船へも 中田余瓶
 
門松を水に打ちたて貴船川 荻野杏子
 
干大根貴船鞍馬に道岐れ 吉田松籟
 
奥宮へ川床段々に貴船川 峰山 清
 
石積みて畑さゝへあり貴船菊 甲賀 山村
 
谷底と見えて青葉の貴船径 北元多加
 
絹うちは措けば貴船の夜の深み 長沼 恒子
 
水占や貴船の神の滴りに 石野冬青
 
火祭の火の粉にこげし貴船菊 恒川ひさを
 
橡の花貴船といへばこぼれけり 後藤夜半
 
木芽漬貴船の禰宜が句をそへて 藤井紫影
 
初寅の護符をかざして貴船へも 中田余瓶
 
初寅や貴船へ下る小提灯 前田青雲
 
冬ざれや貴船の宮の手水鉢 洛山人
 
貴船路は雨もあをしや初河鹿 たつ
 
ほととぎす貴船へ通ふ禰宜ひとり 来山
 
老鶯や貴船鞍馬の幾つ谷 東洋城
 
藤垂れて貴船路の春逡巡と 風生
 
尚のこる峰の桜や貴船村 いはほ
 
猪血垂り貴船奥社のほとりまで 鈴鹿野風呂
 
鞍馬嶺を出でたる月の貴船みち 高浜年尾
 
祭髪してゐる貴船女かな 長谷川素逝
 
エアコンの型が古くて貴船かな 岸本尚毅 舜
 
冬日入る二階に酒や貴船川 小川軽舟
 
山ざくら貴船にひとの漾うて 中田剛 珠樹
 
貴船菊水車に力呼びし雨 大岳水一路
 
老鴬や貴船鞍馬の幾つ谷 松根東洋城
 
ほととぎす貴船へ通ふ禰宜ひとり 来山
 
貴船川遡るにつれて遅桜 田畑比古
 
斧の音杉の貴船の秋天透き 北野民夫
 
女童に餅つかせゐる貴船かな 安東次男 昨
 
貴船川蝶々高くとぶばかり 星野立子
 
暑に耐へる貴船の人ら顔見せず 原コウ子
 
川音に貴船の蝶の透くばかり 奥坂まや
 
まんさくの貴船の奥へ下校の子 山本洋子
 
貴船道日傘たゝめばよきものを 森田峠 三角屋根
 
霧雨や貴船の神子と一咄し 曲翠 俳諧撰集「藤の実」
 
貴船川流るるかぎり納涼せり 阿波野青畝

 

尼崎の祭と言えば、この神社のだんじり祭りである。

「あにあん倶楽部」HPから

尼崎だんじり祭

8月1日(土)2日(日)に、「平成27年度貴布禰神社(きふねじんじゃ)夏季大祭 尼崎だんじり祭り」が開催されます!

「尼のきふねさん」で親しまれる貴布禰神社は、尼崎屈指のお宮です。
かつて尼崎城主のご祈願所を務め、たびたび雨乞いの神事が行われてきた市内唯一の元縣社で、
戦後は工都・尼崎の守護神として信仰されており、約300年続くだんじり祭りは尼崎名物となっています。

各町から8基のだんじりが曳き出されており、
8月1日(土)は太鼓を先頭に地車8台が商店街や氏子地域をパレードし、
その後の「宮入」では「暴れ太皷演技」が披露されます。
2日(日)は、だんじり同士が正面からぶつかり合う「地車山あわせ」。迫力満点のクライマックスを迎えます。

近隣の商店街ではたくさんの露店や夜店が並び、賑やかなお祭りムードでまち全体が盛り上がります!!

 

 

 

ケーブルテレビでは年中その様子を流している。

 

 

 

紫舟

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サラダふた皿 同齢女流書家とです 伊丹公子
 
女流書家みどりの外套着て華奢に 柴田白葉女 『冬泉』
 
松蝉や書家に丈余の紙しづか 友岡子郷
 
向日葵がすきで狂ひて死にし書家 高濱虚子

 

 

 

ウィキペディア

日本人女性 書家とある。

プロフィール不明の人物のよう。

 

それでもかなりの事績は紹介されている。

 

6歳より書道を始め[1]小学生の頃には8段になる。大学卒業後は神戸アパレルメーカーでOLとして働いていたが3年目に退職し[2]書家に転身[1]京都府奈良県で書の研鑽を積み、2001年7月に初めての個展を開く。2003年、奈良にアトリエを構えると、2005年には東京[3]2006年には都内の別の場所へ再移転している。

 

 

書の作品展の他、テレビ番組や書籍、映画などの題字、新聞・雑誌の連載などでも活躍している。2007年にはショートショートフィルムフェスティバルの審査員も務めた[4]。 2011年には東日本大震災復興支援で行われたロックユニットComplexのライブテーマ「日本一心」の書を手掛ける。

 

 

2004年11月から2年半の間、朝日新聞で「いい名」を連載していた。内容は、0歳から109歳まで112人の名前の由来やエピソードを元に、その人の名前を書で書き表すというものであった。同年11月、東大寺にある東大寺整肢園の壁画を手がけた。2009年11月には外務省の文化事業でアルゼンチンウルグアイチリを訪れた[2]。朝日新聞で「一語一会」[5][6]読売新聞で「言葉のアルバム」も連載している[2]

 

 

 

2010年4月より放送されたNHK大河ドラマ「龍馬伝」題字を担当、6月、「吉野・高野・熊野の国」の象徴となる[7]。10月、パシフィコ横浜で開催された「APEC Japan 2010」の会議ロゴを手がけ、メイン会議場ではチームラボと共同制作した映像が放映される[8]

2012年2月、内閣官房からの依頼でスイスダボス会議「JAPAN」ロゴを担当。8月、伊勢神宮第62回「式年遷宮」(2013年10月2日/5日)にあたり、「祝御遷宮」を揮毫・奉納。10月、経済産業省「Cool JAPAN」ロゴを担当。

 

 

2013年1月、東大寺に年始書初め奉納。5月、雑誌「AERA」にて連載「心書」スタート。9月、海上自衛隊から米軍第七艦隊70周年のお祝いとして、紫舟の書画「七鷲炯炯」が贈られる。NHK中央放送番組審議委員(2009年-)。2014年1月、サンフレッチェ広島チームスローガン「全力」を担当。

 

 

2014年12月、ルーブル美術館Carrousel Du Louvreで開催されたフランス国民美術協会(ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール)サロン展、「S.N.B.A金賞」およびオルセー美術館などフランスを代表する美術館や博物館の審査員による最高賞「審査員賞金賞」受賞 2015年ミラノ国際博覧会日本館クリエイターとして、プロローグを担当。「相生(あいおい)」をテーマに、書、大鼓、義太夫といった日本の伝統文化だけで構成された映像、約3mのキャンバス画「雨の一生」8点、ガラスと鉄の書の彫刻で構成された空間をプロデュース。巨大スクリーンに「命」の文字を書いた。

受賞

  • 2005年 - 第31回AU国際芸術選抜展ディ・マウロ賞。
  • 2007年7月 - 第35回AU現代芸術国際展嶋本昭三賞。
  • 2010年3月 - 第5回手島右卿[9]
  • 2010年 - DDAデザイン賞2011「優秀賞」受賞。受賞作「龍馬のことば展」東京ミッドタウン
  • 2012年 - フランスLaval Virtual 2012「設計芸術文化賞」受賞
  • 2013年2月 - 第5回G1新世代リーダーアワード【社会・文化の部】受賞
  • 2014年12月 - フランス国民美術協会 (S.N.B.A) サロン展(於ルーブル美術館Carrousel Du Louvre)「S.N.B.A金賞」および最高賞「審査員賞金賞」受賞

 

受賞歴などから判断すると、世界を代表する書家(書芸家・・・私の(主観的)造語)のよう。

 

 

 

 

 

奈良県立美術館の展示。かなり長期間。

 

榊莫山の作品は、三重県立美術館からの借りだし。

紫舟作品はもっぱら紫舟私蔵品。

 

 

 

 

暴れ梅雨なにねの紫舟の浮かび文字

吟行会句会では、莫山を詠った句が多数で、紫舟を詠った句は、私の上掲1句だけだった。

「なにぬの」については後掲の書を参照。

 

 

 

 

 

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長刀鉾

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宵山へ。着いたとたんに大夕立。

 

 

 

 

宵山の灯の入りはなの灯が迎ふ 宮津昭彦
 
限りなく娘との語らひ春の宵 山下孝子
 
宵山ややうやく暮るる路地の空 浅沼 艸月
 
宵山や行燈暗き川座敷 梶山千鶴子
 
桔梗枯れし宵山山とょもし村雨けり 日夏耿之介 婆羅門俳諧

 

 

画像が入らない。

 

 

北堀運河 道意町

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朝食を抜くことはまずない。

朝7時前に家を出なければならない時でも、1時間以上前に起きてコーヒとパンは食べる。

 

15日は、12時半集合の会議であり、各自自由に昼食を摂ることになっていた。

朝5時頃に就寝したこともあり、ワイフは別用で早くに家を出ていたこともあり、

目が覚めたら11時であった。

 

コーヒを少し飲んだだけで、急いで花の水遣りだけして大阪梅田の会場へ駆け込み。

キンキの煮付け定食注文。4時前に家に戻って朝食を摂った。

よってこの日も朝食抜きといえるかどうか怪しいが、この日以前に朝食を抜いた日は思い出せない。

(現役時代、朝食抜きで定期健診を受けても終了後はすぐに近くの喫茶店に飛び込んで

モーニングを注文していた。)

 

↓この日はキンキ煮付けを注文する人が多かった。隣席の人も。

 

 

朝食抜きは健康に悪いという観念がトラウマのごとく身に沁みわたっている。

 

25歳で結婚したが、その頃から朝食抜きはしなかった。しかし食は細く、

食パン一枚の耳の部分を切り取って胃に収めるのがやっと。

もちろんコーヒなんてまったく胃が受け付けなかった。牛乳も苦手であった。

(そんな折、勤務先の業務でホテルに宿泊。朝、若い男性は、皿からこぼれ落ちそうなくらい

茹で卵を乗せて席に戻ってゆくのを見て驚いたことがある。私はその頃は固ゆでの卵を一つ取ったらもう他の物を食べることが出来なかった)

 

バターは好きだったので、冷やしたバターをチーズ切りして食っていた。

 

よってもって若い時から中性脂肪値は一人前以上で、

最近は控えめにしているが、マーガリンに替えたことはことは一度もない。

 

年に10回以上ホテルの朝食バイキングを利用するが

バターではなくマーガリンしか置いていないところが多く不満であった。

客の要望が多いためか、最近はマーガリンしか置いていなかったホテルの多くで

バター(小容器)が復活しているように思う。マーガリンの弊害が云々されたためかも。

オリーブオイルに浸けてパンを食べるのは、(多分)イタリアからの導入であろうが、

悪くはないがやはりバターが欲しい。

 

もう一つの不満は、朝食にはトーストが欲しいが、小さなクロワッサンがレーズンパンしか置いていないホテルが多かった。これは最近10年ほどは様替りで、トースターを置いているホテルが増えた。しかし食パンは、半分か4分の1切りされている。「自動移動装置付き」(オーブン)トースターも私の好みではない。

 

朝食会場へ行くとすぐパンを一枚(半分)トースターへ入れるが、サラダなどを取っている間にもう一度トースターのところへ戻り、出てきたパンをもう一度トースターへ放り込む。

それでもなかなかこんがりとはならない。ほんの少し焦げ目が付く程度である。

 

バター以外の、チーズやハム類、一流ホテルでも、ミモレットやボンデスハムにはありつけない。

 

ホテル朝食の良いところは、コーヒが何杯でも飲めるところ。

 

結社誌にスベリヒユについて書いたところ、スベリヒユを見たことがないという人のために

スベリヒユを採取して試食した人がいる。その人が、ねじり花を栽培していて株数が増えたのでと句会開催時に一鉢私に下さった。花が終わりに近づいているのでと、家の近くで開催されえる以前に神戸の句会(他結社の人も参加できるようにと、「神戸俳句会」と改名)開催時に渡された。↑

 

阪神電車「尼崎センタープール」駅前のバス停。標高はー0.5メーター。

そこから800メーター南下すると北堀運河。

国道43号線とその上の阪神高速を北から南へ渡る。

道意線という南北道が、北は伊丹市まで走っている。

このあたりはプラタナスの古木並木。

道意 尼崎郷土史事典より

 

 17世紀ころの人、姓は中野。道意新田開発の端緒となった、西成郡海老江村(現大阪市福島区)の人。尼崎藩主青山幸利の針医として伺候するうち幸利に新田開発を勧められ、縁者の大坂玉造鍵屋九郎兵衛と相談。東新田村の地先、太布脇〔たぶわき〕の地を見立て、1653年(承応2)開発の願いを出した。1669年(寛文9)、開発地は検地を受け、そのときから道意新田と改められた。

 

 

道意新田:

大庄地区の大字。1653年(承応2)西成郡海老江(現大阪市福島区)の医師中野道意の係累の者3名が東・西新田地先の太布脇〔たぶわき〕開発を願い出て開発された。当初は太布脇新田と呼ばれ、1669年(寛文9)の最初の検地の際に道意新田と改名した。尼崎藩領で、天和貞享年間(1681~1688)「尼崎領内高・家数・人数・船数等覚」(『地域史研究』第10巻第3号)には村高643.548石、家数31軒、人数193人、1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)には村高643.569石、44軒、234人とある。郷帳に村名が独立して記載されることはなく、天保郷帳では同村の村高は西新田に含まれている。

 

 

開発後もたびたび高潮被害にあったが、18世紀ころには土地も安定し綿作が発展していった。このころには地先に中浜新田が開発され、1782年(天明2)高入れされた。氏神は道意神社(近世には牛頭天王社、明治以降は素盞嗚神社1951年(昭和26)成立の宗教法人法による登録切替の際に改称)。

 

 

  1889年(明治22)以降は大庄村の大字、1942年(昭和17)以降は尼崎市の大字道意となった。大正期以降古河電気工業大阪伸銅所などの工場が建設され、臨海工業地帯の一部となっていった。1949年の土地区画整理により道意町となったほか、一部が武庫川町・中浜町となった。

 

古河電気の工場。 広大である。

古河電工の鋼管はもっぱらここで生産されているよう。

その南側

むくげ

月今宵木槿木槿出づるなく 齋藤玄 『雁道』
 
木槿咲く寺で木槿を食べにけり 仙田洋子 橋のあなたに
 
木槿垣とぼしき花となりゆくも 島谷征良
 
木槿家並の低き漁のまち 石工冬青
 
西国の山々ゆるぶ花木槿 村沢夏風
 
北国の日の衰へし花木槿 青柳志解樹
 
道しるべして木曽路とや花木槿 濱坂みち子
 
木槿の花がおしまひになつて風吹く 尾崎放哉
 
木槿鉱山は廃れて雨に冷ゆ 塩田藪柑子
 
曲家の籬木槿の咲きみちて 山口青邨
 
草の戸の起き臥し自在木槿咲く 水谷静眉
 
その頃も今も木槿の垣結ひて 池邊 美保子
 
蝶去りて風ばかりなる花木槿 安倍 希佐恵
 
一夜なり野は木槿咲く絵蝋燭 川田由美子
 
道のべの木槿は馬にくはれけり 松尾芭蕉
 
鯉移すしぶき木槿をぬらしけり 大島民郎
 
歩をゆるめ木槿の花の白感ず 村越化石
 
たましひの七分去りたる木槿たち 齋藤玄 『無畔』
 
木槿垣曲るところを得てまがる 加倉井秋を 『午後の窓』
 
旅情とは雨の木槿の咲くばかり 加倉井秋を 『午後の窓』
 
馬に喰はれぬ芭蕉の木槿咲きにけり 阿部みどり女 『石蕗』
 
路地ほそく細くなりきし木槿かな 大木あまり 火球
 
寺の出の黒子の多し花木槿 大木あまり 火のいろに
 
此処らはや犬も見知らぬ花木槿 中村汀女
 
子だくさん今は昔に木槿咲く 中村しげ子
 
残酷に少年老ゆる花木槿 稲野博明
 
木槿咲く籬の上の南部富士 山口青邨
 
宵の星かたみに灯し木槿咲く 角川源義
 
園丁の得たりと話す木槿垣 武田忠男
 
いつ迄も吠えゐる犬や木槿垣 高浜虚子
 
湯あがりのみどりご重し夕木槿 羽部佐代子
 
木槿咲く窓辺に紅茶飲んでをり 菅井たみよ
 
いつよりかひとりを好む花木槿 小林松風
 
鬼貫の町 木槿から木犀へ 伊丹公子
 
一生といえど一日 花木槿 三田村弘子
 
道すがらうかぶ木槿や徒労ばかり 石田 波郷
 
針置くや夕日残れる木槿垣 千手和子
 
俯きて木槿にもある日の疲れ 織野 健一
 
見上ぐれば雨一粒や花木槿 石田あき子
 
しみじみと母あらぬ日の花木槿 白井 爽風
 
老犬の小屋より出でず花木槿 林 久子
 
てのひらにのりさうな子や花木槿 風間 圭
 
秋来ぬと散華の木槿ましろなり 水原秋櫻子
 
木槿白し悪夢にからめられし夜も 仙田洋子 雲は王冠
 
涙かと思ふ木槿の雫かな 仙田洋子 雲は王冠
 
木槿咲くトランペットの破調音 遠山弘子
 
けさ秋の木槿くさむらより咲けり 及川貞
 
日本の虫喰ひ木槿祭司館 加藤かけい
 
木槿咲かせて木曾人の無愛想 森澄雄
 
墓地越しに街裏見ゆる花木槿 富田木歩
 
藪入や皆見覚えの木槿垣 正岡子規
 
小包は木槿の挿木枝ばかり 飴山実
 
二日咲く木槿となりて朝寒し 暁台
 
四五人の讃美歌木槿咲きそめし 湘子
 
木槿咲く本家と分家との間 志解樹
 
尻ながき客に木槿の露けさよ 間石
 
掃きながら木槿に人のかくれけり 爽波
 
木槿たる証拠の花よ月日長し 耕衣
 
朝井汲む妻も木槿も露の中 麦南
 
道すがらうかぶ木槿や徒労ばかり 波郷
 
木槿まひるすみくる鉦の音 梅の門
 
他人の母の八重歯や木槿も若々し 草田男
 
木槿咲く籬の上の南部富士 青邨
 
此処らはや犬も見知らぬ花木槿 汀女
 
墓地越しに街裏見ゆる花木槿 木歩
 
いつ迄も吠えゐる犬や木槿垣 虚子
 
木槿垣本所区を野へ出る処 子規
 
盲児の端居淋しき木槿哉 白雄
 
修理寮の雨にくれゆく木槿哉 蕪村
 
秋あつき日を追うて咲く木槿かな 几董
 
手を懸けて折らで過行く木槿かな 杉風
 
川音や木槿咲く戸はまだ起きず 北枝
 
秋来ぬと散華の木槿ましろなり 秋櫻子(京都、法然院)
 
木槿美作に来て汗白し 森澄雄
 
移り来し一家に子等や木槿垣 安原葉
 
今日は妻来ぬ日木槿の咲き替る 井上哲王
 
ホテルあり木槿づたひにグリルあり 京極杞陽
 
本あけて文字の少なき木槿かな 岸本尚毅 舜
 
木槿咲く頃はいつもの旅心 西村和子 夏帽子
 
本あけて文字の少なき木槿かな 岸本尚毅
 
一日のまた夕暮や花木槿 山西雅子
 
落ちてゐる木槿の花の包むもの 山西雅子
 
夕暮の一本道の木槿かな 小川軽舟
 
旅立の花は木槿と決めてをり 田中裕明 櫻姫譚
 
薄墨の祖母と木槿の道に遭ふ 有住洋子
 
月光の降りぬけてゐる木槿かな 中田剛 珠樹以後
 
ひとつだにこゑなく木槿ちかき厨子 中田剛 珠樹
 
木槿にも松にも露の一夜哉 米園
 
木槿垣只の親父の住む家かな 松瀬青々
 
発心の人見送るや木槿垣 路曳
 
家問へば木槿の垣の三軒目 中村楽天
 
木槿咲いて祭も過ぎぬ野の小家 河東碧梧桐
 
生垣にはさまれてさく木槿哉 正白
 
よく眠れて木槿の白さ讃へをり 長谷川倫子

 

出会い橋から蓬川方面を見ている。蓬川と合流して尼ドックへつながる。

 

 

対岸の花はムクゲではなさそう。

合流地点。尼ドックがわずかに見える。

 

北側の一般道へ戻るためには、工場内の道を通る。

 

 

道路へ出たところで来た道を見ている。↑

 


浴衣

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連携しているのかどうか。

 

 

「大阪」では一度も検索したことがなかったらしい。

意外に多い例句

うごく大阪うごく大阪文化の日 阿波野青畝
 
大阪の寒さこれより初戎 西村和子
 
出初式また大阪に橋失せて 大島民郎
 
大阪に出て得心すクリスマス 右城暮石
 
大阪の冬の灯ともる頃へ出る 後藤夜半
 
射干の花大阪は祭月 後藤夜半
 
大阪の煤によごれて芦茂る 富安風生
 
大阪の船場の庭の牡丹かな 日野草城
 
大阪を離るる気なし鱧料理 下村非文
 
大阪の祭つぎ~鱧の味 青木月斗
 
大阪の芸人長屋吊忍 斎藤朗笛
 
大阪の夕凪に馴れ簾捲く 大橋越央子
 
心太大阪暮らしややに慣れ 西村和子
 
大阪や埃の中の油照 青木月斗
 
炎天を来て大阪に紛れ込む 右城暮石
 
大阪の落花落日モツを焼く 坪内稔典
 
大阪や煙の中を鳥帰る 青木月斗
 
ながらえては大阪の水濁るばかり 田仲了司
 
月へ離陸 大阪の人を愛すなり 松本恭子
 
大阪やぷくんぷくんと布袋草 坪内稔典
 
大阪のキタの朝の夏至の風 藤平寂信
 
出初式また大阪に橋失せて 大島民郎
 
「食ひ倒れ」てふ大阪の重詰は 河本 和
 
蛙に目貸してゐる間に大阪に 細川加賀 『玉虫』
 
大阪は月の濁りのひやし飴 細川加賀 『傷痕』
 
異母妹の大阪跳びを盗みけり 仁平勝 東京物語
 
大阪に曳き来し影も秋めきぬ 加藤楸邨
 
射干の花大阪は祭月 後藤夜半
 
大阪の屋根に入る日や金魚玉 大橋桜坡子
 
大阪を離るる気なし鱧料理 下村非文
 
大阪の祭つぎつぎ鱧の味 青木月斗
 
大阪の煙おそろし和布売 阿波野青畝
 
大阪の冬の灯ともる頃へ出る 後藤夜半
 
大阪の寒さこれより初戎 西村和子
 
寡婦に馴れ大阪に馴れ寒夕焼 久松久子
 
大阪の夜景ななめにラムネ飲む 小西明彦
 
春の雷大阪の灯を昏くせり 松村富雄
 
大阪にまたなき雪や牡蠣船へ 大橋桜坡子
 
牡蠣船に居て大阪に来てゐたり 池内たけし
 
大阪やけふよく晴れてうめもどき 森澄雄
 
銀杏黄葉大阪馴染なく歩む 宮本幸二
 
大阪に曳き来し影も秋めきぬ 加藤楸邨
 
射干の花大阪は祭月 後藤夜半
 
大阪の祭つぎ~鱧の味 青木月斗
 
大阪の屋根に入る日や金魚玉 大橋桜坡子
 
大阪に暗き町あり竹床几 光山是無
 
足もとに大阪眠る露台かな 日野草城
 
働きにゆく大阪の酷暑の壁 黒沢一太
 
大阪の煙おそろし和布売 阿波野青畝
 
海の上まで大阪の花曇 辻田克巳
 
大阪を好きも嫌ひも宵戎 吉田すばる
 
枯芦に大阪沈む煙かな 橙黄子 (淀川)
 
大阪はこのへん柳散るところ 夜半
 
天渺々笑ひたくなりし花野かな 水巴 (大震直後より半歳大阪郊外豊中村の延寿荘に仮寓す(のうち))
 
大阪やけぶりの上にいわし雲 青畝
 
大阪のある道の果秋日落つ 年尾
 
大阪の人とし老ゆる鱧の皮 木国
 
京にこころを大阪に身を花くもり 城太郎
 
大阪の外には住まず釣荵 下村非文
 
川よりの大阪の秋ありにけり 塙告冬
 
大阪は売らんかの町年の暮 吉年虹二
 
大阪の煙おそろし和布売 阿波野青畝
 
大阪に来て夕月夜近松忌 大峯あきら
 
大阪に慣れて淋しき冬帽子 西村和子 かりそめならず
 
大阪の暑に試さるる思ひかな 西村和子 かりそめならず
 
上げ潮の香や大阪の夏が来る 西村和子 かりそめならず
 
大阪の灯の生き生きと春シヨール 西村和子 かりそめならず
 
大阪の水の上なる残暑かな 小川軽舟
 
大阪に雨の降りけり初暦 藤田あけ烏 赤松
 
大阪の空へ吊りたる金魚玉 藤田あけ烏 赤松
 
大阪に人となりけり蛭子講 柴浅茅
 
顔見世や大阪に来て眼千両 吉田笠雨
 
牡蠣船に大阪一の艶話かな 河東碧梧桐
 
大阪のある道の果秋日落つ 高浜年尾
 
大阪はこのへん柳散るところ 後藤夜半
 
大阪やけぶりの上にいわし雲 阿波野青畝
 
大阪の川の天神祭かな 雪木月斗
 
大阪の巷に旅愁蚊喰鳥 高浜年尾
 
大阪の雨ざうざうと鱧の皮 茨木和生
 
射干の花大阪は祭月 後藤夜半
 
足もとに大阪眠る露台かな 日野草城
 
大阪の赤き月出づ船料理 村山古郷
 
大阪の屋根に入る日や金魚玉 大橋桜坡子
 
海の日の大阪にゐる相撲取 中村房枝
 
水ぬるみつゝ大阪は大都会 高浜年尾
 
大阪の土を巻きあげ春疾風 宇多喜代子
 
大阪の煙おそろし若布売 阿波野青畝
 
大阪の地図をひろげて草芳し 山本洋子
 
大阪の灯の生き生きと春ショール 西村和子
 
大阪に赤だし啜る雁渡し 冨田みのる
 
燕一閃大阪は橋多きかな 田中英子
 
鰯雲大阪おほふ日ありけり 茂里正治
 
炎天を来て大阪に紛れ込む 右城暮石
 
かはほりや大阪にあるよき夕べ 遠藤梧逸
 
大阪の冬日やビルにひつかかり 京極杞陽(きよう)(1908-81)
 
春風の大阪湾に足垂らす 坪内稔典(1944-)
 
大阪はこのへん柳散るところ 後藤夜半(1895-1976)
 
大阪の煙おそろし和布売 阿波野青畝(1899-1992)

 

 

 

 

 

俯瞰

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31階のレストランで和食。かつては押すな押すなであったが、

ステーション・シティやグランフロントなどのビルが続々誕生のため

並んでいる店はなかった。

 

 

 

 

眺めはいい。

 

グランフロントの3つのビル。左手奥は、新梅田シテイ。

真下は大阪駅の銀傘。

石の窓雪合戦を俯瞰せり 加藤かけい
 
初景色一目百町俯瞰して 登 七曜子
 
引鴨の俯瞰の谷間光りをり 坂本山秀朗
 
紀の川を一秋水と見る俯瞰 稲岡長
 
白鳥の俯瞰の景の城にわれ 中戸川朝人
 
俯瞰に北風の港契約がんじがらみ 中戸川朝人
 
今日は御座見えて俯瞰の志摩の春 稲畑汀子 汀子第三句集

 

淀川を渡る阪急電車の高架橋も見える。

対岸は私の散歩道の一つ。月1は来ない。年5,6回であろうか。

新しいビルはなべて空中庭園を持っている。

 

皇帝ダリア  近所

 

この背後は駐車場だったが、またミニアパートが建つよう。

梅雨明け。真夏になったが、通りを隔てた西側にミニ6戸が建ったため、

午後の日が門前に届かなくなった。いいようなわるいような。

 

直射日光が射さないので、ロベリアがまだもっている。

 

 

 

 

火事跡

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あの火事はいつのことであったか、ネット検索で、火事跡を地図で表示しているブログに出会った。↓ 火事は2011年2月18日未明に発生。火事跡の様子を示す画像も何枚かそのブログで見ることが出来る。

 

イメージ 1

 

火事は6年(半)前に発生している。発生場所が阪急電車神戸線の線路際であったため、

当日のダイヤは大幅に乱れたようだ。

イメージ 9

私のこのブログは2011年の11月に開設したので、火事の様子は書き込んでいないが、

火事跡の様子は年に数回はブログテーマに取り上げている。

 

かなりいい加減に書き込んでいる「テーマ」欄を覗いても、「火事跡」というテーマは作成していないので、この場所を、この前、いつ画像アップしたかは確認しづらいし、記憶にもないが、

週に数回はこの火事跡の線路際の道路を通るので、その度に数枚画像ストックを増やしている。

 

火事跡へ入っていける道は現在2本ある。

一つは狭い私道

↑敷地の北側の道路も狭い一方通行道路だが、そこから敷地へ行こうとすると体を斜めにしないと進めない私道。

↑火事跡側から見ると

もう一つは私道とも言えない、隙間。

 

↑手前は南北どちらへも車通行が禁止されている道路。

ただしタクシーに限り、南行きができる。すぐに踏切があり、知らずにバイクが踏切を南へ渡ると交通警察が待ち構えている。

 

草の多くはオオアレチノギク。

 

大小のマツヨイグサ

↑これはコマツヨイグサよりは大きいのではないかと思う。

 

これは相当大株だが、やはりマツヨイグサだと思う。

これは植え付けられたヒペリカム。この夏は水遣りもなく干からびている。

 

車が通るとすれば、今は金網で綴じられている、線路側であるが、かなりのスペースを道路として提供しない限り、工事用車両は通れない道幅。

線路側の道は、西側はすぐに未舗装の私道で、その私道の利用許可得られても、大型車両は何処へも抜け道がない。

東側はすぐ踏切で、常に人で溢れている。そこから北への通行が許可されても、

とてもではないが大型車両が通れる道にはつながっていない。

 

 

しかし解決策が得られたのかマンション建設を告げる看板が出た。

可能性は、踏切の北側、西側にあるたこ焼き屋チェーン店をまるまる撤去することである。

その上で、朝夕のラッシュ時を除いて、工事車両の南下、北上を許可すれば、

駅の北側改札口から、北向き一方通行のみちへ出られる。

しかし工事現場へ進入する南向き車両をどうするか?

 

一方通行だらけの道の何処かを規制解除しなければならないが、どう考えても私の想像力を越える工夫が必要。

この火事跡がブッシュとなった頃、青桐やナンキンハゼが、日当りが良くて、林になっていたころ、中へ立ち入っていると、通行人が話しかけてきてまもなく15階建てのマンションが建つと話してくれた。

 

3年も前のことである。

 

その15階建てビルはここではなく、一筋北の718㎡の土地に建ちつつある。

その計画話が、間違ってこの火事跡の跡地利用として周辺住民に伝わったのか、

それともここでも15階建てを計画したが、上に紹介したような事情で建設許可が下りなかったのか詳細は知らない。

718㎡の土地には、江戸時代に創業した建設会社の本社ビルがあったが、東急不動産に売られたよう。

 

駅から徒歩2分が売りだが、徒歩2分どころか、1分と書いても咎められないであろう。

2分になっているのは、出入り口が南側ではなく(南側は東行一方通行で、大型車両は通れない)、北側だからであろう。

 

その道は6メートル幅はあるが、バス道になっていて目下は同じく東側一方通行である。

 

火事跡の建設計画が公表されたら、上のような条件をどうクリアしたか紹介できるであろう。

そのために周辺環境の画像撮りに励んでいる。

 

 

 

 

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霜月や軒にかさねし笊 安住敦
 
腰の辺に浮く丸桶や掻 竹下竹人
 
杖のごとき永良部の黒焼よ 高木良多
 
荒涼と荒川裂いて貰ふ 細見綾子
 
宗右衛門町の裏見て食ふ 浦野芳南
 
簗木曽の夜汽車の照らし過ぐ 大野林火
 
土用息子を呼んで食はせけり 草間時彦
 
土用劉寒吉の歌と待つ 八木林之助
 
黍青く生簀に土用あり 瀧 春一
 
田に及べる遠き霜くすべ 能村登四郎
 
宮川の簗にかゝりし落 竹内 一芝
 
湖の霧に現れ舟 今川 青風
 
簀のがんじがらみに育ちをり 中 裕
 
暁の灯に土用の荷をつくる 中野 貴美子
 
この竹瓮の入る筈なりし 後藤比奈夫
 
池に藁ういてゐる朝ぐもり 桂 信子
 
持ちたくて必ず落とすかな 竹本仁王山
 
芦間より夕日を見遣る掻 佐野美智
 
あかつきの湯町を帰る捕り 飯田龍太
 
焼く春一番の白波に 岸本尚毅
 
霜月や軒にかさねし笊 安住 敦
 
魚籠のぞく夕日明りに落 秋元不死男
 
簗木曽の夜汽車の照らし過ぐ 大野林火
 
周防灘青しの落ちそめて 大島民郎
 
虫絶えて簗に雨ふる落 水原秋桜子
 
土用今日受難日と思ふべし 法本フミ女
 
ルンペンの土用香風まかせ 平畑静塔
 
店長の売り声もして土用 中沢菊絵
 
土用うの字大きく紺暖簾 蕪木啓子
 
黍青く生簀に土用あり 滝 春一
 
家長われ土用の折提げて 山崎ひさを
 
土用店ぢゅう水を流しをり 阿波野青畝
 
遣り過す土用といふものも 石塚友二
 
食ふ会社勤めを諾ひつ 清水基吉
 
裂くを一心に見ていぶかしむ 細見綾子
 
産み月の娘に天然の買ふ 土井朝子
 
掻くや顔ひろやかに水の面 飯田蛇笏
 
竜巻に野蒜飛ぶなり池 水原秋桜子
 
食ふための行列ひん曲る 尾関乱舌
 
あかつきの湯町を帰る捕り 飯田龍太
 
入りパスタ何しろ思ひつき 泉田秋硯
 
まだ逃げるつもりの土用かな 伊藤伊那男
 
芽柳の触れゐる供養の碑 花田由子
 
丁字屋に食べゐる暮春かな 小宮山政子
 
田に闇うづくまる虎落笛 児玉 寛幸
 
土用焼いて古利根けぶらせり 瀧 春一
 
裂く情け容赦もなかりけり 渡辺 笑子
 
夜の突くとておろす蔓梯子 藤原 如水
 
やりすごす土用といふものも 石塚 友二
 
川風やを焼いて三代目 大木かず子
 
平成の茂吉顔して食ふ 細梅数生
 
夕づくや杉菜をさなき塚 小澤満佐子
 
霜月や軒にかさねし笊 安住敦
 
簗の簀の光琳波に落 新村寒花
 
瀬音に追はれ安からず 鈴木左右
 
川甚の古き暖簾や落 多田香澄
 
魚籠のぞく夕日明りに落 秋元不死男
 
砂川やありあり見ゆる落 籾山梓月
 
簗まろぶ胡桃の中の落 水原秋桜子
 
より穴子を裂くは滑らざる 尾崎木星
 
荒涼と荒川裂いて貰ふ 細見綾子
 
まないたの疵曼陀羅や割く 百合山羽公
 
畦の子ら声つつぬけに捕る 向井いさむ
 
突く人あり湖の日の落ちて 鳥越三狼
 
土用店ぢゆう水を流しをり 阿波野青畝
 
食うカラーの固さもてあます 皆川盤水
 
簗木曾の夜汽車の照らし過ぐ 大野林火
 
家長われ土用の折提げて 山崎ひさを
 
魚籠のまま土用の到来す 亀井糸游
 
命けふ肝食べ虔めり 籏こと
 
黍青く生簀に土用あり 滝春一
 
ひと切れの啖へり土用丑 石塚友二
 
土用店ぢゆう水を流しをり 阿波野青畝
 
にもならぬ野老の味を知れ 高木蒼梧
 
夜長し家号の絵の添ひて 昭彦
 
夜の目にものかたち釣れて来る 青葉三角草
 
少年の汗もかかずに裂く 岸本尚毅 舜
 
ひつそりと裂きをり稲の花 岸本尚毅 舜
 
焼く春一番の白波に 岸本尚毅 鶏頭
 
焼く春一番の白波に 岸本尚毅
 
牡丹をかたはらにして食ふ 和田耕三郎
 
僧となるも滅入る大暑かな 筑紫磐井 花鳥諷詠
 
周防灘青しの落ちそめて 大島民郎
 
食ふ藍ひといろに山迫り 広瀬直人
 
荒涼と荒川裂いて貰ふ 細見綾子
 
羅のそもそも嫌ひなる 藤田あけ烏 赤松
 
砂川やありあり見ゆる落 籾山梓月
 
虫絶えて簗に雨降る落 水原秋桜子
 
の首持ち上げし落とし水 西谷剛周
 
土用店ぢゆう水を流しをり 阿波野青畝
 
深草にぽつちりと灯や捕り 田村木国
 
の日なりし見知らぬ出前持 後藤夜半
 
食ふ役者を捨てし鼻赤く 下田稔
 
売物のへちまに似たる筌 関森勝夫
 
蘭亭の細き田川に掻く 関森勝夫
 
食ひあくまでも二兎追ふ話 川村紫陽
 
三島の宿雨にをやく匂ひ 杉本寛
 
夜長し家号の絵の添ひて 宮津昭彦
 
白魚にまじりの仔も透ける 大橋敦子
 
放生のは桶の円に沿ふ 大橋敦子

 

 

 

ダイエーの食品売り場はよく覗く。

地下売り場が生鮮食料品で、地上1階がパンやバター、調味料などの売り場になっている。

 

地下でよく買うのは、目刺し、明太子、納豆、もずくなど

1階ではバター、パン、オリーブオイル、濃縮カルピス、各種パスタソース、ワインビネガー

     焼きそば・たこ焼き・お好み焼き用ソースと粉

 

数日前にパンコーナーで↑のような鰻形のパンを見つけたので、一つ買った。

その後で、夕刊の中に、この種のパンが「流行っている」という記事を見つけた。

 

鰻が希少で、高価になったため、鰻以外の代用かば焼き(なまずなど)とともに、

鰻の形をしたパンも出回っているらしい。

 

この鰻パンは、ダイエーの遊び心ではなく、

切実なる庶民の願望の代用物らしい。

 

3月に完成した(一部)10階建てマンションの裏側(南側)の植え込み。

1階の部屋の目隠しと街の景観確保の二つのもくてきがあるよう。

今咲いているのはシモツケと百日紅。百日紅は若木ほど早く花が咲くように思う。

 

その近くの公共植え込みは、ボランティアによって維持管理されているが、同種の他の施設に比して豊かでも繊細でもない。人手不足なのであろう。

 

手伝いたい気も少しはあるが、長続きしないであろうから連絡先などの確認はしていない。

 

イチビも水不足でやや悲鳴をあげているよう。

暴れ梅雨であちこちで被害を発生させてはいても、全国的には水不足のよう。

 

梅雨らしい雨は、我が家周辺は一度も降らなかったように思う。

ごく短時間の豪雨は数回あったが。

 

 

 

 

 

池田市

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池田へでかけて、学生時代の友人と回顧・談笑

 

駅から徒歩5分でラーメン記念館がある。インスタントラーメン誕生の街である。

 

ウィキペディア:

池田城(いけだじょう)は、大阪府池田市にあった日本の城建武元年(1334年)前後に現在の池田市にある五月山南麓の丘陵地に、豊島の土着豪族池田教依が築き、代々池田氏が城主を務めた。現在は「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として池田城跡公園が整備されている。

 

築城当初は、主郭部分(本丸に相当する部分)と小さな曲輪が取り付けた小規模な城であった。主郭の中には、枯山水風の庭園が築かれており、戦闘防御施設の中に文化施設が設けられ、この時代から城は生活の場所でもあったとうかがわせる。その後、池田城は多くの落城の憂き目にあい、その都度防御機能や縄張りを強化していく。

池田城が最初に落城したのは、応仁の乱で東軍について、文明元年(1469年)に西軍の大内政弘の軍に攻められた時である。この時はすぐに奪回したので被害も少なく大規模な改修はなかったと思われる。

土塁跡

次いで永正の錯乱に端を発した細川氏の内紛で細川澄元派に属していた池田貞正は、永正5年(1508年)に反対勢力であった細川高国の攻撃を受けて落城、貞正は自殺して子の信正は逃亡した。発掘調査で炭層、焼土が厚く堆積していることが確認されており、池田城は甚大な被害をうけたと見受けられている。その後、享禄4年(1531年)の大物崩れでも高国の攻撃を受け、この戦いの後に城の復興で主郭の堀を広げ周りに土塁を設け、南側にも連郭状の曲輪を設け防御陣地を広げていった。天文2年(1533年)、享禄・天文の乱で2月に一向一揆に敗れてから淡路へ逃れていた細川晴元が4月にこの城に入城、畿内へ戻った。

永禄11年(1568年)、池田勝正織田信長に抵抗したが織田軍の攻撃を受け落城した。しかし勝正は抵抗したお咎めを受けなかった上に逆に評価され、信長から6万石を賜って家臣となった。池田城は信長の持つ「虎口」などの城郭のノウハウを取り入れてもっとも拡張した。池田城の虎口は城内に二度曲げ、それ以外に東側に横堀を二条掘削し、大規模な曲輪を設け城域を拡張した。

 

落語ミュージアム

文枝がこの町の出身である。

牛褒め という落語のあらすじ。池田が舞台。

 

池田で猪を買うというテーマの落語も有名とか。

 

「池田」で検索したら、池田澄子の句が500句以上登場。

 

初寄席の池田の猪の雪景色 飴山實 『花浴び』

 

池田より炭くれし春の寒かな 蕪村遺稿 春

 

「猪買」で検索   0

 

「猪」で検索

 

撃たれたる首のはつきりす 坪井洋司
 
村に食べて秋爽かに 原コウ子
 
もともに吹かるる野分かな/のともに吹かるる野分哉 松尾芭蕉
 
のとどめの傷と思はるる 行方克己 昆虫記
 
雷の上にもんどり打ちしならめ 行方克己 昆虫記
 
半眼に彼の世が見えて撃たる 行方克己 昆虫記
 
垣といふ変哲もなき囲ひ 行方克己 昆虫記
 
茶が咲いて垣へゆく背負籠 綾部仁喜
 
の肝食つて舞ふ榊鬼 辻恵美子
 
打ちの粉雪を蹴つてゆくなりし 細見綾子
 
凍豆腐月の垣遠巻きに 大竹きみ江
 
星仰ぐ皆食ひし息吐きて 茨木和生
 
垣の月光年を越えむとす 千代田葛彦
 
実茨やの通りし跡ありて 菊山九園
 
吊つて深熊野闇を濃くしたり 藤野智弘
 
銃口や一茎の草による 原 石鼎
 
村中に見える火を焚きを割く 宮下白泉
 
吊られ関節になほ温みあり 三好潤子
 
狩宿のさばき場といふ流れ 村上杏史
 
のあはれ飼はれて老ゆるとよ 西嶋あさ子
 
垣の根まで均らして大根蒔く 宮田正和
 
垣の袖重ねたり出入口 舘野翔鶴
 
石の島石積み上げて垣に 塚田正子
 
栗むいて食べたる跡やの垣 細見綾子
 
垣のひとところ切れ人通す 岡田日郎
 
の抜毛かたまり草いきれ 吉本伊智朗
 
食つて山中忘る余寒かな 秋元不死男
 
焼いて旧正の島けぶらする 小熊一人
 
撃ちの第一発のこだませる 金井 綺羅
 
雲ゆくや十一月の大鳥居 頭 星荘
 
一荘の一老幹の櫨紅葉 頭 星荘
 
をとゝひのに未練の男かな 岩崎 すゞ
 
に負けし離村と話さるゝ 海老沢 貞子
 
の糞ありと言ひつつところ掘る 山下 輝畝
 
の背骨と平行な棒は淋しい 四ッ谷 龍
 
の山佛頭なども飛んで来る 伊藤白潮
 
昨夜の峠に現れて二つ 森下草城子
 
の跡人工林を素通りに 赤座閑山
 
初寄席の池田のの雪景色 飴山實 『花浴び』
 
垣をことに手厚く水の秋 飴山實 『次の花』
 
襟巻や首うづめて大和尚 村上鬼城
 
食ひしあとのくらがり見つめをり 岸田稚魚
 
の注意札立つ旧街道 斉藤葉子
 
吊れば夜風川風吹きさらし 石田波郷
 
の寝に行かたや明の月 去 来
 
刃を入れて滴る血なしの肉 山口誓子
 
逆さに吊られ店先に 伊藤一子
 
垣のとつぷり暮れし土瓶蒸 森 澄雄
 
過疎の里垣続く人家まで 国方佳根子
 
垣にぬけ道のあり犬通る 飯島正人
 
垣の杭束ね置く村の口 島田刀根夫
 
垣を結びしといふ山便り 松田義朗
 
もともに吹かるる野分かな 芭 蕉
 
大寒や釘付けに干すの皮 木内彰志
 
の肝食つて舞ふ榊鬼 辻恵美子
 
撃のうたげ弾帯つけしまま 手島靖一
 
喰ひに校長山へ戻りけり 勝井良雄
 
垣の用なさぬほど荒れてをり 五十嵐 櫻
 
猟犬の屋号を背負ひを逐ふ 北條 力
 
しゆこう君食ひいのち存へよ 細見しゆこう
 
一族の墓に垣して住めり 出羽智香子
 
勢子はみな男熊野の撃女 中 裕
 
担ぐ一団に会ふ秋葉道 小林静村
 
撃ちしさばく鈴鹿の一水に 尾亀清四郎
 
食つて丹田ぬくき奥吉野 海老根筑川
 
の荒肝を抜く風の音 宇多喜代子
 
をかしさはからんと鵙りし威し 原 石鼎
 
夜なべ村の寝息の間近かな 久保厚夫
 
垣の一ケ所に向け投光器 林 周作
 
威し烽(とぶひ)の山に響きけり 栗原稜歩
 
夕薄暑江戸の資料に牙舟も 斉藤淑子
 
葱坊主首鶴首ありにけり 向久保貞文
 
疾走の乗せて賀状来る 池森昭子
 
撃のうたげ弾帯つけしまま 手島靖一
 
落石をともなひ落つるのあり 土方 秋湖
 
垣を組む老若の影重ね 渡邊千枝子
 
夜桑摘む音にそれたるのあり 藤原 如水
 
出づと寄合の座のくづれけり 藤原 如水
 
垣にはやき灯をいれ山まつり 小山 寒子
 
垣に神酒なみなみと注ぎけり 白岩てい子
 
風やみし入日の尾根をの列 土方 秋湖
 
深谿へ勢子追ひ詰めし手負 伊東白楊
 
魁けてに垣結ふ宇陀の神 岩間英一
 
深熊野の星にまぎるる除灯 藤谷 紫映
 
追ひのあきらめ酒を酌みゐたり 内山 亜川
 
番のまどろみてより明け初めぬ 竹森登美恵
 
分校にの来し跡さだかなり 安藤 照子
 
銃先に出て暗し十三夜 内山亜川
 
羅漢みな首に在し陽炎へる 尾関 華陽
 
その猟夫に間違へられやすし 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
 
落葉あびて山くだりゆくに逢ふ 加藤楸邨
 
餅牛の口ヘも二つ三つ 西山泊雲
 
狐罠はじきとばして逃ぐる 古川芋蔓
 
食うて悪食話尽きるなし 島村茂雄
 
食べて北の畳に日が廻る 清水経子

 

 

手前が池田市、川の西側は川西市。 川は猪名川。

右手が五月山。

 

 

 

 

 

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