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夏祭

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俳句では「祭」は夏の季語である。

 

夏祭りについて、ウィキペッディアは、「日本においてに行われる祭りの総称である。なかでも7月上旬から8月下旬頃のものを指すことが多い。逆に9月以降の祭りは旧暦7月に行われる場合は夏祭りに準じて扱われることが多い」

 

と解説。

 

しかし俳句の季語である祭は、5月開催の葵祭を指す。

 

「京都 葵祭 画像」の画像検索結果

 

葵祭の行列

フリー画像から↑

 

 

新暦5月の葵祭が、祭の代表で、「祭」が夏の季語に指定された。

それ以降数多くの祭が制度化された。

今日夏祭りといえば、近在の神社で行われるものを指すので、

俳句でも「夏祭」という使用を認めるべきであろう。

 

祝辞みな未来のことや植樹 田川飛旅子 『植樹
 
の村支度の村にも鵙 茂里正治
 
立読や神田の陰 斉藤夏風
 
空馬が走りに走り野馬 行方克己 昆虫記
 
しやくり上げしやくり上げてはの子 行方克己 昆虫記
 
妹のそののち知らず獺忌 行方克己 知音
 
文庫本竹の里歌獺忌 行方克己 知音
 
笛吹いて神を寝かさぬ雪 稲垣陶石
 
玉取済みし参道ずぶ濡れに 鮫島春潮子
 
荒御魂さながらに走せ繞道 佐野美智
 
繞道火屑を蹴つて禰宜走る 民井とほる
 
御神火の火屑掃き寄す繞道 村上冬燕
 
いよ~に左義長夜に入りぬ 高田風人子
 
八方の嶺吹雪きをり成人 福田甲子雄
 
花舗の燈や聖誕の人通る 大野林火
 
年越影あつまりて人となる 滝 南窓
 
飾られて脚太き馬おん 斉藤敏子
 
救護所の人も裃おん 茨木和生
 
おん馬行列をはみだして 塩川雄三
 
演能にとゞまる渡御やおん 大橋敦子
 
おん春日乙女が神馬曳き 本多炬生
 
お出ましもお還りも夜やおん 右城暮石
 
藤色を貴び春日おん 塚田青女
 
の桟敷に火桶配らるる 立木塔児
 
桑枯れて秩父夜来りけり 岡田水雲
 
秩父夜とは聞くだにもあな寒や 富安風生
 
鎌とりて神農の巫女の舞 廣瀬ひろし
 
神殿も御簾巻きあげる踏鞴 村上冬燕
 
するめ焼くにほひも恵比須かな 瓜生和子
 
鉄の山に塩を撒く 藤井艸眉子
 
一門の鞴のあとの酒 三木朱城
 
燧石にて火を創り 平野照子
 
朝鵙や神在の列につく 角川源義
 
神在十九社開かずの扉を開けて 村瀬水螢
 
奉納の繭も慈姑も新嘗 三谷いちろ
 
神の田ののごとし初霰 永方裕子
 
稲の花こぼれて島の火の 本谷久邇彦
 
斑鳩の穂田に雨ふるあと 民井とほる
 
鬼灯の熟れて袋のなか 檜 紀代
 
椋の実の梢噴きあげて火の 三嶋隆英
 
くる木曽の晴夜の白芙蓉 福田甲子雄
 
韓神のにささぐ青秋刀魚 佐野美智
 
秋鯖をしめての一品に 小泉美保子
 
かりがねや湖北は多き村 青柳志解樹
 
忌漁火ひとつ明るくて 千田一路
 
柿二つ一つは渋き獺忌 中谷孝雄
 
寺を出て寺に戻れり牛 三島晩蝉
 
子供らにねむき呪文や牛 岸風三楼
 
牛迎ふ提灯ひとつ牛 太田穂酔
 
大牛を恐るゝ児あり牛 五十嵐播水
 
ねぎらひてぬぐふ涎や牛 三嶋隆英
 
時代手持無沙汰の龍馬ゆく 中井眸子
 
疲れたる時代の禿かな 松村花舟
 
時代ほたほたかなし馬の糞 きくちつねこ
 
茶道具の一荷も時代かな 岸風三楼
 
惜しみなく地擦る束帯時代 西本一都
 
御所の木々粧ひそめし時代 畑 紫星
 
時代華か毛槍投ぐるとき 高浜年尾
 
白雲に時代の毛槍飛ぶ 辻本斐山
 
火伏の一の火つきし鳥居前 肥田埜勝美
 
浅間天下御免の火を燃やす 阿部朝子
 
火の富士の夜空をこがしけり 角川源義
 
中仙道秋のの山車一つ 大澤ひろし
 
辻ごとに樽酒そなへ秋 野村多賀子
 
島の名を氏とし住めり秋 村上杏史
 
外股におかめが舞ふよ在 槫沼清子
 
極まりは神主も馳す浦 田川飛旅子
 
すみ麹室開け放つ 佐々木経子
 
提灯を木深くさげぬ秋 富田木歩
 
豆腐屋が寄附を集めに秋 阿部みどり女
 
希ふこと少なくなれり星 品川鈴子
 
峡の温泉はひそやかなれど星 加藤楸邨
 
西陣や裂に歌書く星 薄木千代子
 
鰯舟具浄むる波に着く 米沢吾亦紅
 
廻廊に秋の汐満つ献茶 木村里風子
 
秋風や石に香焚く古墳 小原啄葉
 
射干の花大阪は月 後藤夜半
 
紅花の最中の出羽に入る 石川幸子
 
大阪のつぎ~鱧の味 青木月斗
 
早鉦の執念き天満かな 西村和子
 
みちのくは雲湧きやすし野馬 古賀まり子
 
気負ふなき百姓馬や野馬 篠田悌二郎
 
くらやみの船紅や天神 金子 晉
 
武者の馬酒吹き浄めけり 勝又一透
 
舟べりに酔ひ寝の漁夫や管絃 林 徹
 
満潮のここぞと管絃さかる きくちつねこ
 
厳島管絃に月の波 皆川盤水
 
田草取る仕草も舞ふて田植 三井日月夫
 
や草木を渡るあゆの風 前田普羅
 
大団扇三社を煽ぎたつ 長谷川かな女
 
神遊ぶ三船の水ゆたか 太田由紀
 
葵懸け遊びつつくる馬 加藤三七子
 
荷風なし万太郎なし三社 宇田零雨
 
地下鉄を出るより三社かな 倉田春名
 
御車はうしろさがりや賀茂 後藤夜半
 
三社露地の稲荷も灯りけり 岩井愁子
 
一と日のびし葵や若葉雨 高橋淡路女
 
神輿太鼓雨に跳ね打つ鍋 三木蒼生
 
鍋雫雨の筑摩の稚児 伊藤柏翠
 
路地に生れ路地に育ちし髪 菖蒲あや

 

祭の例句、俳句検索には1800句以上収録されている。

まさに葵祭を指すもの、むしろ希少である。

有名な祭でない場合は、他の季語と重ね使いしているのが一般的。

 

「夏祭」の例句もけっこうある。いまさら夏祭という使い方を認めろと叫ぶ必要もないみたい。

 
梢より雲のおりきし夏祭 原裕 『新治』
 
鴨居より木槍をはづす夏祭 長谷川双魚 『ひとつとや』以後
 
夜と昼といづれが故郷夏祭 長谷川双魚 『ひとつとや』
 
読まず書かぬ月日俄に夏祭 野澤節子 『未明音』
 
夏祭戊辰の役の兵揃ふ 荒井英子
 
読まず書かぬ月日俄に夏祭 野沢節子
 
雨をよぶ山車を出しけり夏祭 長谷川かな女
 
好きな子のそばには行けず夏祭 村松壽幸
 
川あれば町ありて夏祭あり 佐土原岳陽
 
すぐ途切れ山国に会ふ夏祭 加藤瑠璃子
 
刺青の牡丹のさわぐ夏祭 水原春郎
 
繭買のはりこむ寄附や夏祭 藤原如水
 
夏祭水田水田を笛ころび 石川桂郎
 
夏祭まへや大工ののみ光り 百合山羽公
 
真円き月と思へば夏祭 中村汀女
 
山麓の遠ちの一村夏祭 欣一
 
浦の子のこんなにゐしや夏祭 上崎暮潮
 
叱られし子の眼に紅き夏祭 齋藤愼爾
 
まはだかの男がよけれ夏祭 筑紫磐井 婆伽梵
 
夏祭噴煙街に倒れくる 米谷静二
 
花だしに跨る人や夏祭 芦田秋窓
 
いもうとの魚締めにくる夏祭 下田稔
 
赤きものまた一つ減る夏祭 宇多喜代子 象
 
万太郎あらず浅草夏祭 吉屋信子
 
開けはなつ閾の艶の夏祭 鷲谷七菜子
 
わが部屋は四階地には夏祭 斉藤夏風
 
茶問屋に茶壷茶唐櫃夏祭 辻田克巳
 
眼帯の方の目でみる夏祭 宇多喜代子
 
いくさなき人生が来て夏祭 橋本夢道 無礼なる妻
 
町の上に残間が青し夏祭 相馬遷子 山國
 
どぜうやの大きな猪口や夏祭 久保田万太郎 流寓抄以後
 
梢より雲のおりきし夏祭 原裕 新治
 
 

神津神社の夏祭りは、22日、23日

ここも布団太鼓が主役のよう

 

予定表では運び込まれたところだが、辺りには人影なし

宵宮のために屋台が数軒準備中。昨日の午後。

 

 

 

 


鶏頭

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ケイトウ (鶏頭学名:Celosia argentea) はヒユ科の一年生植物。狭義にはC. argentea f. cristataシノニムC. argenteavar. cristata)をいうが、本記事では特に断らない限りC. argentea をケイトウということにする。学名は燃焼という意味のギリシャ語に由来する[1]。ケイトウの花が燃え盛る炎を彷彿とさせるのが根拠と思われる。

 

からにかけ、赤・桃色・黄色などの花穂ができる。その形状がニワトリ鶏冠(とさか)に似ていることからこの名がついた。花期は6月から9月頃。

 

 

原産地はアジアアフリカ熱帯地方と推定され、日本には奈良時代に中国を経由して渡来した。かつては韓藍(カラアイ)と呼ばれていた。花の色は赤や黄色を基調とするが、橙、紫、ピンクなどさまざまな色の園芸品種がある。栽培にあたっては移植を嫌うので直蒔きする。種は嫌光性で、日光の当る場所では発芽しない。アルカリ性の土壌を好み、栽培は簡単である。花穂の形状の異なる羽毛ケイトウ、久留米ケイトウ、トサカケイトウなどの系統がある。

 

 

花と葉はアフリカと東南アジアで食用とされている[2]。日本でも食用植物として栽培されていた時期がある。朝鮮では穂粒を豚の餌にしている。根や茎は干した後にいぶしてネズミ除けに用いられる。

 

 

日本では江戸時代狩野派の画家狩野永徳が鶏頭を描いている。

 

ワイフが子規庵で譲り受けた種を数年前から育てている。

 

 

昨日だったか、子規庵のヘチマがテレビ画面に登場していた。

主役はヘチマなので、ヘチマの姿ばかりが映し出されていたが、

片隅に鶏頭も映っていた。

 

「子規 鶏頭」で検索

同郷の波郷鶏頭子規鶏頭 百合山羽公
 
鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規
 
鶏頭のとうとう枯れてしまひけり 正岡子規
 
鶏頭を切るにものうし初時雨 正岡子規
 
鯊釣の日和になりぬ葉鶏頭 正岡子規
 
こけもせで二百十日の鶏頭かな 正岡子規
 
鶏頭を机辺に子規忌ごころかな 岩川みえ女
 
鶏頭の赤きこころを子規忌かな 吉田冬葉
 
鶏頭ノマダイトケナキ野分カナ 子規
 
鶏頭の赤きこころを子規忌かな 吉田冬葉
 
鶏頭の皆倒れたる野分かな 正岡子規
 
鶏頭の黒きにそゝぐ時雨かな 正岡子規
 
しぐるゝや鶏頭黒く菊白し 正岡子規
 
鶏頭の皆倒れたる野分かな 正岡子規
 
鶏頭の黒きにそそぐ時雨かな 正岡子規(1867-1903)
 
鶏頭子規の行きたる方は知らず 原田喬
 
 

 

 

まちがいなく我が家で育てている明治の鶏頭であった。

 

花期は6月~9月とあるが、早いものは5月末から赤い花をのぞかせていた。

この種の鶏頭の種は一般の園芸店では売っていないと思う。

5月6月が花期のロベリアが8月まで生き残る感じ。

家の前に小マンションが建ち、直射日光があたる時間が減ったこと、

暴れ梅雨が、近畿中部では少雨であったことが原因と思う

 

 

 

中央公園

 

キバナコスモスが咲き始めている。

向日葵は植え付け間隔からみて、それほど高性のものではなさそう。

 

ヒャクニチソウ属(ヒャクニチソウぞく、学名Zinnia)は、キク科。学名よりジニアとも呼ばれる[1][2]

 

ヒャクニチソウは今や園芸種としてこの種の↑↓「ジニア」が主流。

分布の中心はメキシコカシミール・ゴメス・デ・オルテゴマドリードビュート侯爵夫人に送ったのがヨーロッパでの最初の紹介であった[3]。この時には淡紫の一重咲きの花がついた。

 

その後1829年に赤が、1832年に白が開花した。八重咲きはフランスで作り出された。一代交配種が作られたのは1963年にアメリカで作られた品種「ファイアー・クラッカー」が最初。

 

属の学名はドイツ・ゲッティンゲン大学の医学、植物学教授だったヨハン・ゴットフリート・ジンJohann Gottfried Xinn、1727 - 1759)に因んだものである[3]。同属植物は20種近くあり、一年草多年草亜灌木のものがあるが、日本で作られているものは総て一年草である。

 

草丈はヒャクニチソウでは60cmから1mくらいになるが、ホソバヒャクニチソウでは30cm足らずである。茎は直立し、葉は紡錘形で対生する。頭花は単生し、花色は非常に豊富で、赤・オレンジ・黄色・白・ピンク・藤色などがあり、複色花もある。

 

墓や仏前用に田舎の家の庭で育てられてイタヒャクニチソウは、かなり大株になり枝を張っていた。

 

街の百日紅が満開状態になっている。

 

 

中央公園の2階部分(バスセンター屋上)は阪神電車の駅舎の並行している。

 

 

 

 

 

 

 

だんじり祭

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ケーブルテレビで連日のように放映されている尼崎貴布祢神社のだんじり祭。

 

 

 

 

今年も8月1日に行われる。

 

今年は覗いてみたいと思っている。

 

尼崎市のHPでの説明

例年8月1日と2日のそれぞれ夕方ごろから行われています。

 初日は阪神尼崎駅南口から始まるパレードや貴布禰神社での暴れ太鼓、

 翌日は「山合わせ」という、向かい合った二基のだんじりが差し合う、勇壮なお祭りです。

 

他の情報(あまたび)

■場所 貴布禰神社および周辺

■開催日 2017年8月1日(火)~2017年8月2日(水)

■開催時間

8月 1日(火) 16:00~22:00 17:30パレード出発、20:00宮入
8月 2日(水) 17:30~22:00 18:00~山合わせ

※確定情報では有りません。あくまで予定となりますのでご了承下さい。

■屋台  有

かなりの数の屋台が出店されており、まさに祭りって感じです。

 

句会参加

 

不如帰八千枚の棚田消え

季題など捜しておれぬ冷奴 (席題「題」。 早く題を考えろと急かされて)

分家との境を隔つ虎尾草

事故現場の証人探し凌霄花

竹簾針山の針錆びている

 

2度目の満開が終わり、枯れ花もつくして

 

薪能

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開会あいさつ

小学生の舞

500人くらいか

 

日没時間になって

撮影禁止幕

狂言 鞍馬参

 

火入酒いち日雪の信濃かな 曽野 綾
 
道のべや柞の宿におく火入 松瀬青々
 
つめたさに火を吹きおこす土火入 上島鬼貫

 

火入れ式

 

 

 

火入れ式と市長挨拶が一番の楽しみ

市長というより保育園の先生という感じ

 

 

 

 

 

檜扇 

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ヒオウギ

ヒオウギ(檜扇、学名:Iris domestica)はアヤメ科アヤメ属多年草である。

従来はヒオウギ属(Belamcanda)に属するとされ、B. chinensisの学名を与えられていたが、2005年になって分子生物学によるDNA解析の結果からアヤメ属に編入され、現在の学名となった。

花が美しいためしばしば栽培され、生花店でも販売される。関西地方中心に名古屋から広島にかけて、生け花の7月初旬の代表的な花材である[5]。特に京都の祇園祭や大阪の天神祭では、商家の床の間や軒先に飾る花として愛好される[6]

 

黒い種子は俗に射干玉(ぬばたま・むばたま・ぬぼたま)と呼ばれ、和歌では「黒」や「夜」にかかる枕詞としても知られる。烏羽玉、野干玉、夜干玉などとも書く[3]。和菓子の烏羽玉(うばたま)はヒオウギの実を模したもので、丸めた餡を求肥で包んで砂糖をかけたものや黒砂糖の漉し餡に寒天をかけたものなどがある[7][8][9]

 

生花はほとんどが徳島県神山町産のものである[10]。神山では1955年からヒオウギの生産が始まり[11]、1976年にウイルス病により全滅の危機に襲われたが品質向上技術の開発により[12]、1970年代前半には70軒が栽培して最盛期となり、徳島県の特産品にもなった[11]。その後価格低迷や生産者の高齢化などにより2016年には10軒のみの生産に減少した[11]

俳句では射干と表記されることが多い。

射干や医師に出す舌やゝ巻きて 今村俊三
 
射干の花大阪は祭月 後藤夜半
 
射干に娘浴衣の雫かな 松藤夏山
 
射干にその花色の蝶の来る 橋爪 靖人
 
射干の最後の花と思ひ見る 若山 良子
 
射干や山の雨きて寺濡らす 舘岡沙緻
 
射干を活けて一軸風に浮き 村沢夏風
 
射干に煉瓦造りの天主堂 清崎敏郎
 
射干の花や高野をこころざす 森 澄雄
 
射干に煉瓦造りの天主堂 清崎敏郎
 
射干や住み捨てられし関所跡 高橋悦男
 
射干や肩より吊りし女の服 横山白虹
 
射干の花や高野をこころざす 森 澄雄
 
射干に雨の雫のかがやけり 曽我部多美子
 
射干の花大阪は祭月 後藤夜半
 
鉄漿の甕よりい出て射干へ 久米惠子
 
射干や刻を忘れて読む少女 新井英子
 
射干にオホーツクを来し風のあり 野上裕
 
射干や明通寺みち雨来つつ 小沢満佐子
 
射干や医師に出す舌やゝ巻きて 今村俊三
 
射干に母となりても母を恋ふ 北原みち子
 
射干の炎々燃ゆる芝の中 石塚友二
 
射干や肩より吊りし女の服 横山白虹
 
射干の花大阪は祭月 後藤夜半
 
射干も一期一会の花たらむ 石田波郷
 
射干の花より砂をうち払ひ 岸本尚毅 舜
 
射干の花大阪は祭月 後藤夜半
 
射干に娘浴衣の雫かな 松藤夏山
 
射干の炎々燃ゆる芝の中 石塚友二
 
射干の紅一花を蝋干し場 冨田みのる
 
射干玉もて装ふ鴉松三日 櫛原希伊子
 
射干のまはりびっしょり水打つて 波多野爽波

 

最近は家庭園芸で栽培されているのをあまり見ないが、改良種はよくみかける。

 

↓も最近あまり野でも見かけない。

 

子供の頃は、これをチョウセンダリアと呼んでいた。

 

花笠菊という名があるよう。ルドベキアの仲間らしい。

 

庄下川でカルガモの親子連れがいっぱいだと息子が報告してきたので、

出かけてみたが、私は過去を含めて一度もそんな風景をみたことがない。

 

 

 

さるすべり

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↑大株のメヒシバ

 

 

さるすべり。近づいてよく見るに、まだ蕾をいっぱい持っている。盛りはこれから。

 

 

生嶋荘園の北部地域が、上之島、それより南が、中之島。

私は陸地化する以前の島の跡かと思っていた。

大阪の、福島や堂島のように。

 

 

↓中之島公園のメタセコイア

その荘園の下を流れるから庄下川

タカサブロウは水際を支配。

その奥は、イヌタデ

 

 

庄下川の土溜りにはタカサブロウが繁茂。白い花を咲かせている。

↓イヌタデも大株になっている。

 

俳誌の句(歳時記)2015年より

赤のまま(あかのまま・赤まんま・あかのまんま・犬蓼)     232句

赤のまま天平雲は天のもの    阿波野青畝

作品

作者

掲載誌

掲載年月

前書その他

赤のまま猪垣粗き御師の村岸恒雄春耕199811 
子供だけ知る抜け道や赤のまま岸恒雄春耕199811 
赤のまま九九の九の段早口に松井洋子ぐろっけ199812 
自転車の寄りつ別れつ赤まんま中原忽湖船団199903 
妻病みて嫁のやさしさ赤まんま末益冬青俳句通信199910 
道祖神子らの声する赤のまま西川よし子春耕199911 
水引草の紅欲しからむ犬蓼は林翔199911 
薬屋のその名はポパイ赤まんま須山つとむ船団199912 
戦経しあとの疎遠や赤のまま嶋田一歩ホトトギス200002 
赤のまま最も小さき石仏宮倉浅子遠嶺200002 
赤のままかたまつて赤ぼやけかな鳥羽夕摩京鹿子200003 
軒深き家は分限者赤のまま今城知子船団200006 
流人井の暗きにこぼす赤のまま塩路隆子精鋭選集200008 
踏み込めば踏んでしまひし赤のまま稲畑汀子ホトトギス200009 
輿入の日やぐつたりと赤のまま中原道夫銀化200010 
藤壷をまとふとび石赤のまま山田六甲六花200011 
寄り合うて野麦峠の赤のまま城孝子火星200101 
赤まんまひとり離れて男の子内藤悦子あを200101 
犬蓼や産みの苦しみそれぞれに赤木真理ぐろっけ200103 
駅まではいつもこの道赤のまま石山惠子遠嶺200105 
三輪山を望む陵赤のまま谷野由紀子俳句通信200110 
コンクリートで仕切る水田や赤のまま前阪洋子俳句通信200110 
獣出ると捨てし果樹園赤まんま酒井多加子俳句通信200110 
赤のまま可愛ゆく空へ袖を振り河合笑子あを200111 
負けん気も弱気もなくて赤のまま水谷芳子雨月200111 
赤まんま泣き虫のまた仲間入り中村立身百鳥200111 
一本を一心に見る赤のまま大串章百鳥200112 
定点を広げふうわり赤のまま葉月ひさ子船団200112 
赤のまま一穂を添へ見舞籠斉木永久馬醉木200201 
逆上り練習する子赤のまま鎌倉ひろし百鳥200201 
もう村に遊ぶ子を見ず赤のまま朝井きよ子200201 
枯畦に残りて赤しあかのまま阿部ひろし酸漿200201 
雨なれば雨の花なり赤まんま平子公一馬醉木200201 
犬蓼や授乳に馴れぬ母の牛高橋たか子馬醉木200201 
高原の風の切れ味赤のまま芦田実200202 
争ひの無縁なるかな赤のまま祐森彌香遠嶺200202 
今もある虚子散歩道赤のまま中島真沙円虹200202 
乗り遅れしバスの轍やあかまんま藏本博美ぐろっけ200202 
赤のまま数多醜草従へて稲畑廣太郎ホトトギス200208 
赤のまま星に囁く夕間暮れ稲畑廣太郎ホトトギス200208 
七十を始まりとせり赤まんま堀内一郎あを200209 
赤まんま湖北は風を生むところ槐布由子銀化200210 
赤まんま噛んで含めて子を諭し津村美和200211 
赤のまま歩みの下手になりにけり熊丸淑子馬醉木200212 
一枚の板の橋なり赤のまま田中英子火星200212 
赤のまま老いたる右翼闘志かな須佐薫子帆船200212 
会話にも起承転結赤のまま須佐薫子帆船200212 
妻介護荒れし厨や赤のまま永田延治帆船200212 
幼な名で呼ばれてをりぬ赤のまま谷上佳那百鳥200212 
腕塚の供華ともなりて赤のまま馬越幸子ぐろっけ200212 
そそり立つ神岩拝し赤のまま坂本ひさ子遠嶺200212 
飼主は犬にそつくり赤まんま安田青葉対岸200212 
青ばかり続く信号赤のまま大東由美子火星200302 
拝殿や子の指長し赤のまま植木戴子200302 
畦枯れて水辺明りのあかのまま大山妙子酸漿200302 
案内に平服とありあかのまま伊藤白潮200309 
赤のまま週六回の介護の日斎藤和江帆船200310 
つゆくさも赤のまんまも塀のかげ吉弘恭子築地吟行200310 
膝揃へ小貝に盛るやあかまんま関口ゆきあを200310 
四時間を国境に居り赤のまま河村高天200311 
花つけられしまま刈られをり赤のまま中村洋子風土200311 
側溝に豊けき水や赤のまま大柳篤子雲の峰200311 
赤まんま鼻輪つかまれ牛曳かる木下節子雲の峰200311 
窯の辺に素焼の壼と赤のまま加賀富美江遠嶺200312 
路地裏の鎮守一碗赤のまま金子慶子遠嶺200312 
赤のまま姫塚古墳にごつぽり摘む松崎鉄之介200312 
四橋の四つの橋に赤のまま永川絢子築港200312 
猫の墓らしき板きれ赤のまま浅川正雲の峰200312 
守られて愚かに育ちぬ赤のまま木村美猫ぐろっけ200312 
本流に劣らぬ支流赤のまま柴田久子風土200401 
赤のまま平和観音肩細し長志げを遠嶺200401 
踊り子の小袖こぼれた赤のまま直江裕子京鹿子200402 
修験者の足音も無し赤のまま渡辺玄子酸漿200402 
難病の人に煮てやろ赤まんま佐藤喜孝あを200402 
赤のまま上等兵の墓のそば栢森定男風よ200407 
きのふよりひとりつ子なり赤のまま佐藤喜孝あを200409 
赤のまま扱いて歩き子をもたず竹内弘子あを200409 
歩幅まだ合はぬふたりや赤のまま亀ヶ谷照子遠嶺200411 
それぞれに名を持つ木橋赤のまま藤岡紫水京鹿子200411 
壜に挿す子規庵よりの赤のまま神蔵器風土200411 
自転車の籠に待つ犬赤のまま落合絹代風土200411 
赤まんま泣いては駄目よ女でしょ須賀敏子あを200411 
露座仏の捩れし輪袈裟赤のまま安部康子万象200412 
駄菓子屋の跡の青空赤のまま石山惠子遠嶺200412 
一水に雲のほぐれて赤のまま環順子遠嶺200412 
飯事も故郷も遠し赤のまま青木民子酸漿200412 
恭仁京のどでかい礎石赤のまま池尻足穂春耕200412 
爆心地のあたりは赤のまんまかな鳥羽三郎200412 
赤まんま摘む子夕日に耳朶透かす荻野千枝京鹿子200412 
馬遊ぶ大学農場赤のまま池田加代子風土200501 
赤のまま出来る限りは側離れず田原陽子200501 
赤のまま母いとけなく老いゆけり吉村征子雲の峰200501 
病室に赤のまんまを持ち帰る大空純子ぐろっけ200502 
赤まんま険しき山を遊び場に近藤貞子六花200508 
赤のまま句碑の歳月語るかに稲畑廣太郎ホトトギス200509 
墓の径ことしも会ひ得し赤のまま豊田都峰京鹿子200510 
鯖負ひて越えし山坂赤のまま大西八洲雄万象200511 
のんべえの父さんの役あかのまま吉田明子200511 
母子像の草履の小さし赤のまま上薗シヅ子河鹿200512 
逆らはず從はず生き赤のまま塩路峰200512 
乳母車の園児似通ふ赤のまま松下セツ子200512 
勾玉を出土の墳の赤のまま岸本久栄雨月200512 
あかのまま園児にもらふ園児役西山美枝子酸漿200512 
空瓶にひげのメビウス赤のまま竹内悦子200601 
表札の外されてをり赤のまま細川房代百鳥200601 
一生はこんなものかと赤のまま松田都青京鹿子200601 
まだ秋よ秋よと揺れてあかのまま林翔200601 
介護するされる親と子赤まんま佐野つたえ風土200601 
野稗・犬蓼死ぬ死ぬとまだ言うか小形さとる200602 
犬蓼や歩調の合はぬ者同志前川明子200602 
相模野にあるままを活け赤のまま鷹羽狩行200609 
小流れに咲きうづみたり赤のまま福盛悦子雨月200610 
菩提寺にはぐれ鴉や赤のまま塩由造万象200611 
茣蓙敷いて「いらつしやいませ」赤のまま林翔200611席題による幼時回想
刃毀れや飯盛山の赤まんま吉弘恭子あを200611 
公園のちんちん電車赤のまま岡本敬子万象200612 
山なりのボールとどかず赤のまま生方義紹春燈200612 
大方は素顔のくらし赤のまま横松しげる遠嶺200612 
毎日が修行修養赤まんま斉藤裕子あを200612 
苔を被し並び地蔵や赤のまま木暮剛平万象200701 
ちちははに夫を返す日赤まんま奥田茶々風土200701 
師の教へ照顧脚下や赤のまま川畑はるか遠嶺200702 
朝食のあとのひととき赤のまま瀧澤白絣遠嶺200702 
山荘のボート日ざらし赤のまま町田洋子200702 
赤のまま子等の目線といふ丈に稲畑廣太郎ホトトギス200708 
赤まんまパパ役は君ママは僕稲畑廣太郎ホトトギス200708 
人の手の入らぬ空地の赤のまま稲畑汀子ホトトギス200708 
水音の隠し果せぬ赤のまま稲畑汀子ホトトギス200708 
暁光を小粒に受けて赤のまま林翔200710 
犬小屋に犬の表札赤まんま塩田博久風土200711 
廃駅に褪せし伝言赤まんま落合絹代風土200711幸福駅
万葉記念館出でて大和の赤まんま安永圭子風土200711 
誰がためとなく摘み活けてあかのまま小松惠子200712 
赤のまま川渡り賃筒に入れしばかやこ風土200712 
見知らぬ子声を嗄らして赤まんま大久保寛子遠嶺200712 
赤のまま郵便局へ急ぎをり岡和絵火星200712 
赤のまま時効にしたきことあまた飛鳥由紀200801 
ポケットに子等の夢あり赤のまま稲畑廣太郎ホトトギス200802 
案内図の社は荒れて赤のまま四葉允子ぐろっけ200802 
すぐもどる幼き頃よ赤のまま谷合青洋酸漿200802 
大阪をすこし離れて赤まんま坪内稔典坪内稔典句集Ⅱ200804 
法隆寺までのこの道赤まんま坪内稔典坪内稔典句集Ⅱ200804 
日の雫赤のまんまとなりにけり稲畑廣太郎ホトトギス200808 
風あれば凌ぎ易き日赤のまま稲畑汀子ホトトギス200809 
赤まんまもう戻れない帰れない吉田空音炎環200811 
赤のまま母子の暮しつつましく高橋照子雨月200811 
赤のまま綾取りの糸すぐ解け櫻木道代ぐろっけ200811 
赤のままてつぽう水を怖れけり神蔵器風土200811 
海女小屋に昼の風呂沸く赤のまま荒井書子馬醉木200812 
犬蓼や子に叱られる齢となり小城綾子200812 
堰を越す水の白さや赤のまま門伝史会風土200812 
ふるさとへ税金納め赤のまま及川澄江風土200812 
二つ子の眠るこぶしに赤まんま江本路代酸漿200812 
故里に赤子披露や赤のまま井上幸子酸漿200812 
骨片に熱き楔や赤のまま島田麻衣炎環200901 
赤まんまみぞそば肝煎刑死の碑工藤ミネ子風土200901 
遠き日の飢の記憶や赤のまま生方義紹春燈200901 
業平の越えし峠や赤のまま山田春生万象200901 
草のなか色冴え冴えと赤のまま久保田ヤスエ酸漿200901 
田を近く墓のありけり赤のままきくちきみえやぶれ傘200901 
赤まんま別の子細はなかりけり小形さとる200902 
ままごとの母はおとうと赤のまま栗下廣子万象200902 
霜晴の堰霜濡れの赤のまま河崎尚子火星200902 
束の濃くなるまで摘みぬ赤まんま嶋田摩耶子ホトトギス200903 
赤まんま里に廃れぬ小道あり宮嵜亀船団200903 
二人ゐて一人遊びや赤のまま荒井千佐代200101 
まだ訛る夫と同郷赤のまま松井志津子200101 
里の名と同じ苗字や赤のまま能村研三200909 
膝入れて子規の机に赤のまま神蔵器風土200910 
これやこの勿来の関の赤のまま小林共代風土200911 
病室の永き一日赤のまま竪山道助風土200911 
ふるさとに遺る山河や赤のまま福田周草風土200911 
近道の無番踏切赤のまま東野鈴子雨月200911 
故里の校舎の後地赤のまま奥村眞人雨月200912 
猿石のあつけらかんや赤まんま有本倍美ろんど200912 
子ら遊ぶインクラインや赤まんま坂根宏子201001 
あかのまま新薬師寺に行きそびれ木野本加寿江火星201001 
吹かれては舟に舟寄る赤のまま根橋宏次やぶれ傘201001 
七十路の影ふんでゆき赤のまま中野京子201002 
犬蓼を駐車のバイク踏んでをり瀬島洒望やぶれ傘201003 
赤のまま摘みてちひろの絵の世界宮田香201011 
眠たげにせせらぎの音赤のまま松本三千夫末黒野201011 
赤のまま野道を淡くかざりをり池田光子201011 
廃れたる赤のまんまのままごとも栗城光雄201011 
母郷に母亡きに母恋ふ赤のまま村上悦子雨月201011 
男から女にかはり赤のまま佐藤喜孝あを201011 
母許へ燧道一つ赤のまま中川すみ子201012 
なほざりの棚田彩る赤のまま西川みほ末黒野201012 
雲と峰写す池塘や赤のまま城戸緑末黒野201012 
気負はずに歩いて行かう赤のまま箕輪カオル201012 
葬列の短かき村や赤のまま大木清美子201012 
訪ふ里の鯖鮨旨し赤のまま宮崎左智子201101 
明史なき舞鶴遠し赤のまま鈴木とおる風土201101 
赤のまま遺跡を飾るものはなし上坂渥子雨月201101 
赤のまま伏したる野辺や昼の月白石正躬やぶれ傘201101 
用水に橋の架けられ赤のまま渡邉孝彦やぶれ傘201101 
ままごとのご主人きざむ赤まんま小堀寛京鹿子201102 
赤のまま碓氷の関の門小さし渡辺玄子酸漿201103 
赤のまま母の行年四十九神蔵器風土201109 
窯跡の陶片捨場赤のまま小泉三枝春燈201111 
跨線橋の小さき祠赤のまま高橋泰子201111 
廃校にダンプカー来し赤のまま涼野海音火星201111 
赤まんま群るる辺りに転轍機小川滋やぶれ傘201111 
もう会へぬ幼馴染や赤のまま堀田こう雨月201111 
獺祭書屋主人の墓や赤のまま神蔵器風土201111 
口論の中に割り込み赤のまま西村雪園風土201111 
人住まぬ妻の生家や赤のまま生田作風土201111 
古稀過ぎてなほうたひをり赤まんま中原俊之201112 
愛犬の立ち寄る先に赤まんま東秋茄子京鹿子201112 
骨太の指は母似よあかのまま高野春子京鹿子201112 
仏龕の如来三尊赤のまま雨宮桂子風土201112 
赤のままをんなゆるゆる老いにけり栗栖恵通子201112 
天と地の融け合ふ牧や赤のまま渡辺崖花末黒野201201 
高塚の太古のままに赤のまま有本南陵ろんど201201 
縁みなふとした出会ひ赤のまま田所節子201201 
赤のまま彼岸の供華に加へけり松橋利雄光陰201203 
疎開せし記憶の径赤のまま稲畑汀子ホトトギス201208 
歌麿の墓に影おく赤のまま神蔵器風土201209 
おさなごの飯事遊び赤のまま安藤虎酔かさね201210 
帰らざる時赤のまま両の手に和田政子201210 
老いてこそ見ゆるものあり赤のまま神蔵器風土201210 
遠き子をいつも思へり赤のまま田中藤穂あを201210 
詫び言はぬ子にも理り赤のまま米山のり子馬醉木201211 
物足りぬ想ひあれこれ赤のまま鈴木藤子ろんど201211 
我が師系硬骨漢あり赤のまま杉本薬王子風土201212 
音信不通のゑのころ草と赤のまま瀬川公馨201301 
屈み見る去來の墓や赤のまま西本育子ろんど201301 
不器用も人の良さなり赤のまま覚本秀子ろんど201301 
二噸まで通す小橋や赤のまま根橋宏次やぶれ傘201301 
初めての道となりけり赤のまま大島英昭やぶれ傘201301 
一本め丸太の橋や赤のまま廣瀬雅男やぶれ傘201301 
戦地よりのはがき五行や赤まんま中村ふく子201301 
赤まんま御仏の笑みこぼれゐて宮川みね子風土201301 
子規庵の二タ間の掃かれ赤まんま宮川みね子風土201301 
掘り出しのマリア地蔵や赤のまま吉岡孝子末黒野201303 
名を付けて絞められぬ鶏赤のまま栗原京子201303 
耶蘇墓に父は眠りぬ赤のまま高橋龍201304 
慰めにも器用不器用赤まんま斉藤裕子あを201311 
石積んで田の神送る赤まんま荒木稔ぐろっけ201312 
絵手紙のはしより零れ赤のまま市板橋昭子201312 
生れてより死へと踏み出す赤のままあさなが捷201312 
近道が寄り道となる赤のまま常田希望201312 
張板の寝かされしまま赤のまま甲州千草201312 
どん底でも笑へてゐるよ赤まんま斉藤裕子あを201312 
野地蔵の胸に根付きし赤のまま光岡れい子万象201401 
陽のあたる径の湿りや赤のまま大島英昭やぶれ傘201401 
衰へを知らず咲きつぐ赤のまま三輪慶子ぐろっけ201401 
扇屋の午後の退屈赤のまま山田佳乃ホトトギス201401 
校庭にロープの張られ赤のまま渡邊孝彦やぶれ傘201402 
道に沿ふ流れのありて赤のまま稲畑汀子ホトトギス201408 
かたまりて近づいてみて赤のまま稲畑汀子ホトトギス201408あかのまま →2

 

232句とあるが、これ以下は上記→2をクリック。

この一覧は、ダブリの心配がないので、季語検索なら「俳句検索」より使いやすい。

 

 

 

北御堂

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関西現代俳句協会の句会に参加。大阪安土町のホテルへ。

開会1時間前に到着。

参加者は46名。 60名収容の部屋を借りたらしい。

次回は9月。第5土曜日がある月に開催。

 

帰りに北御堂を覗いた。

 

 

 

御堂筋という道路は(現在南行き一方通行6車線)、沿線に北御堂、南御堂二つの真宗寺があったから。

 

正面階段

 

ビアガーデンが中庭に。

土曜日は御堂筋界隈のビルへの勤務者は休みのため、休業

 

親鸞にとっては妻帯も酒もOKだった。多分肉も。差別されていた人々も。

 

塚口御坊とは真宗の修養所の意味だから、当然ながら我が町塚口のみならず尼崎全体でも

浄土真宗寺が圧倒的に多い。

神社は66社あるが、真宗寺は多分それ以上あると思う。

一つの神社を訪ねると、神社の周囲に、少なくとも3~4寺があるがその4寺のうち1か寺は真宗である。次に多いのが浄土宗。なれば、神社の数だけ真宗寺はあるが、

真宗寺は神社の周りでは無いところにも散在する。

あるHPでは尼崎市内の仏教寺院約110、内真宗約60となっている。

 

神社本庁管下の神社66社には届かないようである。

真宗でも本願寺派が半数以上。

 

夕刻の御堂筋

 

御堂筋を挟んで西側からみた大阪市役所

堂島川沿いの中之島遊歩道。

京阪電車の中之島線の新駅の入り口↑ その左手は日銀大阪支店

 

御堂筋完成80周年の年らしい。

 

御堂筋その一筋を翁忌へ 阿波野青畝
 
御堂筋北ゆくほどに銀杏の黄 宮本藻屑
 
芭蕉忌の選して御堂筋が見ゆ 山口誓子
 
新緑のレース綴れり御堂筋 西村和子 かりそめならず
 
駒下駄が御堂筋ゆく祭かな 山田弘子
 
芭蕉忌を罷るも同じ御堂筋 阿波野青畝

 

芭蕉忌の行事は南御堂で開催されるのであろう。

 

 

 

 

 

 

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夏の行事いっぱい。

 

 

 

 

 

 

 

目標を定めないで(汗かいて体重減らす目標はあるが)、散歩へ出かけることが多い。

 

狭い道もたいていは何度も通っている。

 

↑かなり広いが道ではない。川の跡か用水路の後か。

↑の先を右に曲がると、その前の画像のところへでてゆく。

突き当りの金網の向うにも人が何とか通れる道がある。

↓も細道

こんなところを通る人はそこを通らねば我が家に付かない人だけだろう。

↑の突き当りに見える場所↓

↑ここからは更に狭くなる。少し体を斜めにしないと歩けない。

隘路巡りをしようと思って歩き出したわけではない。

我が家から可能限り北へ向かうと、すぐに伊丹市との市境に達する。

横僧公園は市境にある公園。

道にいがぐりが落ちていたので、栗の木があるのに気付いた。

 

直進できないので迂回したり、横道へ入り込んだりしている内に川へ

金岡川 伊丹市から尼崎市へ入ると東富松川に名を変えるが、今ではそこが庄下川の

源。金岡川は排水路扱いである。藻川から取り入れた灌漑用水路であるが、藻川の増水時には排水路の役割も果たしていたのであろう。

 

 藻川は、市の東部を流れる川だが(、地理学の知識はほとんどないが、)猪名川から分流する(尼崎市の最南部で再合流し神崎川となり、兵庫県と大阪府の市境を形成するが、大阪湾へ入る前に中島川と分かれ、中島川は尼崎市域を流れている。

 

庄下川は旧の東富松川の部分が金岡排水路を源とするために、猪名川水系に分類され。

猪名川が淀川水系とされているので、(どこでつながっているのか知らないが)、淀川水系とされる。

 

それどころか尼崎市と西宮市を分ける武庫川もまた淀川水系とされている。

 

「水系」の定義を知らないので奇妙に思える。

 

庄下川も、藻川も猪名川も1級河川で、武庫川が2級河川なのも分かりにくい。

 

川の1級、2級は河川法で管轄大臣(国交省大臣)が決めることになっているので、

人為的判断が入り込む可能性はある。

 

 

 

 

 


66社

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尼崎市内に神社本庁管下の神社が66社ある。

市内散歩の折に偶然その横を通りかかると、ある時から必ずその神社の画像を集めるようになった。

 

46、7社までは訪問した神社を数え上げていたが、中断。

未訪問社が正確に何社残っているのか分からないが、

おおよそ後15社残っていることにしてカウントを再開。

道意神社を1/15 と表記。

 

 

今日は道意神社へ足を延ばした。最初の訪問である。投げ銭も拝礼もしないから参拝とは言えないので、訪問。

 

 

何故かくも素戔嗚神社暴れ梅雨

 

 

↑神社の外、東側、南側から見た風景

 

 

偉く大きく立派な社務所↑

 

 

一段高く盛り土されたところへ石階を登って本殿へ向かうのも珍しい

 

阪神淡路地震には持ちこたえたらしいが、古い建物ではない。築60年ほど。

 

主祭神 素盞鳴尊(すさのおのみこと)

 

例祭日 10月第2日曜日

鎮座地 道意町5丁目17(TEL 06-6416-5617)

>>> 道意神社ホームページ(外部リンク)

 

 

≪お社の説明・御由緒≫

阪神尼崎センタープール前下車、線路に沿って西へ徒歩五分ほどのところに建つ。阪神尼崎センタープール前駅というと、どうしても駅の北側に広々と展開している競艇場に眼が向いてしまう。しかし、駅の南側の線路に沿った民家が、なかなか重厚な造りで並んでおり、尼崎の時代的な層の重さを物語っている。神社は、こうした重厚な造りの民家に沿って、西に歩いたところに建っている。このあたりは高架になっているので、電車に乗りながら尼崎南部地帯の工場群が展望できるようになっている。今日、多くの会社や工場に祀られている神社や神棚は、企業共同体の守護神である。祭祀を行っているところも多い。ただ単なる工場地帯と思って眺めているのと、毎月清められている会社・工場と思って見るのと印象がまた異なるのではなかろうか。世界をリードする日本の産業界には、こんな隠れたカミゴトがなされているのである。

 

 

当社は、承応2年(1653年)、当地の開拓事業に着手した大阪海老江(現在の大阪市福島区)の医師、中野道意翁が郷里の八坂神社を勧請したのがはじまり。


 寛文9年頃は牛頭天王社とも称されており、30余軒の宮座を組織し、毎年3人を選出して宮守を行っていた。また3段余の土地にてその収穫をもって毎月、旧暦1月26日春祭、8月1日湯上祭、9月26日秋祭を斎行し、氏子衆を招きて饗応し、若衆は寺子屋中丁稚中が集まって参道に数百の献灯を奉納。また奉納相撲を行い大いに賑わったという。


明治6年(1873年)に村社に列格し素盞鳴神社となる。昭和27年(1952年)、宗教法人法による登録切り替えの際に現在の「道意神社」に改称された。

 

 

(大阪)海老江村の歴史より

江戸時代の初期、海老江は鷹狩りの拠点であり、尼崎の殿様「青山大膳」  

  がしばしば家来を連れて鷹狩をしたところ。当時は高台で大きな木が茂っ 

                    ど い            どうい    ていたといわれている。現在の尼崎道意町(新田)は、海老江の道意翁が            *注          ど い    殿様から依頼を受け開墾したと言われ、道意神社が建っている。(「道意    神社由緒」より)      *注 尼崎の道意新田は、海老江の中野道意(姓は西村)と子、中兵      衛、次郎兵衛他数名で開発した。(「道意神社由緒」、『尼崎市90      周年記念誌』、羽間市右衛門文書等記す)

道意神社から武庫川まで歩いた。後はバスと阪神電車利用

 

海に近いから川幅は広い。

対岸は西宮市

将棋盤や麻雀台は持ち帰ってくださいという注意書き。

河岸では麻雀大会も開かれているよう。

猛暑故、木陰でも将棋盤はあまり出ていない。

川渕で魚釣りをするひとが何組みか。

 

 

宵宮

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阪神尼崎駅南口に集合して、(貴布祢)神社までだんじりが更新するのは夕刻5時すぎてから。

 

御園町は、駅前の地区なので、「本部」は駅の南口、庄下川沿いにある。

何の変哲もない平屋の建物で、前を通るためにいつ「開店」しているのかと思っていた。

 

塚口地区でも人の出入りの少ない福祉会館とか、地区会館があって祭りの時には

法被姿の老人が登場するので、それからの連想ができたはずだができなかった。

 

 

行進開始前にも、時間を決めて駅前をくるりとまわったりするのかどうか?

いまは休憩中。

 

予行演習か、駅前を1周後、また貴船神社の方へ姿を消した山車

「東桜木」の提灯には見覚えがある。ケーブルテレビで放映しているダンジリ合わせ(喧嘩?)

で何度も見かけた。

 

1月、尼崎戎神社の十日えびす、2月 大覚寺の追儺会(狂言付豆まき)、7月富松神社薪能、そして8月の貴布祢神社のだんじり祭り 尼崎の主要な祭である。(残念ながら塚口祭を含めて5大祭といった表現は存在しない)。

 

駅前に集合する前の他の地区のだんじりの姿を追って炎天下をうろついているうちに

熱中症的症状が出たので、明日の本番に備えて、5時からの行進を見ずに帰宅。

 

尼崎城復興以前に、

 

↑のデザインの消火栓を普通に見るようになった。

 

藁のしてみちのくの濁酒 山口青邨
 
藁のしてみちのくの濁酒 山口青邨
 
室咲やパリの香水かたく 鏡山不由
 
新酒の息噴く如く抜かれけり 長野多禰子
 
シャンパンのの飛びたる夕桜 後藤比奈夫
 
締むるごとく止みたる蝉時雨 辰巳奈優美
 
しめて水とぢ込めぬ夜の秋 猿橋統流子
 
抜のどこにもかかり涼み船 石田勝彦 秋興
 
ひねり水爽やかに迸り
 
豊国やよるの椿の落る音 京-良 元禄百人一句
 
夏痩詩人ワインのも抜き兼ねし 安住敦

作者名の無い句の作者は虚子だと思う。

 

 

 

 

貴布禰神社だんじり祭

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この種の動画は、

特設櫓か、道の向い側のビルのアプローチ屋根かfら撮っている。

 

赤はケーブルテレビの制服のよう。

 

まだ規制縄が引かれる前に道路の反対側から。

警官はかなりの数動員されている。

 

一番は北出 北出という地区があるのかと思ったが法被の襟に省略形でなく書かれていた。

「北出屋敷」の略のよう。

 

グーグルの地図で確認したが、阪神電車の駅名で「出屋敷」の名は残っているが

現在では町名としては残っていないよう。

 

ダンジリ合わせが行われる地点では、道路の西側と東側(神社側)では町名が異なるようだが西側の標識は玄番北之町。 これまた由緒ありそうな名

 

↑の8つの町から山車が出る。開会あいさつは連綿と長かったが、関係者はみな「ジグルマ」と発音していた。

↓は特設櫓のもの

特設櫓に登った人は、道路に向かって立ち、挨拶する。一般の見物客からは声しか聞こえない。(姿も良く見えない)。ところがマイクが電池切れ状態で声が途中で消えてしまう。

私などは市長挨拶だけを期待しているが、

来賓が揃って長い挨拶が始まってから市長さん駆け付け。

氏子代表などの挨拶が続いても市長さんの出番が回ってこない。

気分害したかどうか、市長さん早々に退場。

薪能などでは最後まで鑑能なさっているが・・。

 

籤改めがあるのかどうか、今年最初の登場は「北出」

勢いよくはいってくる。

つづいて中在家

 

やぐらがあるために一般客は櫓前での二つのだんじりの山合わせを正面から見ることは出来ない。

櫓の左右に4つづつだんじりが揃うのに30分以上。だらだら挨拶が30分。マイクの調子が悪いので一般観客はもちろん耳を傾ける人はいない。

 

 

 

山合わせ

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山合わせについてQ&A

 

気になってたけど聞けなかった山合わせのルール。知っていると100倍楽しい、勝敗秘密や裏事情をご紹介。

勝敗はどう決まるの?

 向き合った2基のだんじりが、ウイリーのように後ろのコマだけで立ち上がり、そのまま正面からぶつかり合う。前方にツノのように突き出した肩背(かたせ)と呼ばれる棒を上に載せた方が勝ちというルールは「指相撲みたいなもの」と言うのが分かりやすい。各対戦は15分の制限時間があり、だいたい3~4回ぶつけ合って上を取った回数が多い方が勝ち、となる。勝敗の行方は傍目には分かりにくく、「えらいやっちゃ」と喜んでいる方が勝ち、と覚えておくとよい。

 

驚愕の新事実!
勝敗表を誰一人として記録していなかった!

 事前にくじで選んだ対戦表に沿って、各町4回ずつ山合わせをおこなう。昨年の雪辱に燃える町や、宿命のライバル対決に盛り上がる町などその心中は様々。しかし、この勝負に審判はおらず、「○○町の勝ち」というようなジャッジを下すことはない。多くの観客が見守る中、勝敗を決するのは、その場が持つ独特の空気。対戦結果を誰かが記録するわけでもないが、街の記憶が山合わせの大一番を語り継いでいるのだ。

一番強い町は?

 「そんなもん、うちに決まってるやないか」と叱られそうだが、そこは勝負事、過去の対戦成績を知るだんじり通に聞いてみた。「そら中在家ですわ。だんじり自体のバランスがええし、昔から上手い」と本命に推す声。「いや、最近は御園ちゃうかな。若くて勢いがある。ここ数年でえらい強なった」と次世代を予感させる声も。ここでは全8町それぞれの特徴を紹介しよう。

中在家
尼崎城主から曳き出しを言い渡された最古参のだんじり町。どの町もこことの対戦は身が引き締まるのだとか。
北出
2番目に古いだんじり町で注目すべきは彫物。彫刻界の名門・相野一門の仕事は、平成21年に金剛組によって改修。
西櫻木
近年会員数の減少が続いていたが、ここ数年で新加入も増え、古豪復活にかける意気込みに注目。
東櫻木
城下の雰囲気を今も伝える寺町にある町は、現在40才代がトップを務め、中堅と若手が融合した機動力に期待。
新三和青年團
ベテランから若手まで世代を超えたスクラム力が魅力。昨年新調されたばかりのだんじりで、今年の当番町を務める。
西町
昨年大改修を終えて今回がお披露目の舞台に。50才前後のベテランが未だ現役で山合わせに挑む円熟の技に注目。
御園町
30才前後の気力・体力ともに充実したメンバーによる勢いは「最強」の呼び声も。型破りな戦法で度肝を抜く。
南出
8町の中では保存会への加入が最も新しい。平成12年に西町から譲り受けただんじりで復活を果たした期待の新星。
注目の一戦
【取組1回目】新三和青年團×西町 新調だんじり対決
【取組4回目】中在家×御園町 新旧実力派対決
 
 
西町のだんじり。新調らしい。

人気の花形ポジションはあるの?

 2トンを超える巨体を自在に操るために求められるのは、各町のチームワーク。山合わせのメンバーは30人から40人くらいと言われる。今回本誌はそれぞれの配置についての取材を試みた。より親しみを持って山合わせを観てもらえるよう、主要なポジションに注目して、その仕事ぶりを解説しよう。

 

↓新三和

驚愕の新事実!


昔は山合わせでも屋根に人が乗っていた!

 

 今回だんじり男子たちに「憧れのポジション」を聞いたところ、その多くが「屋根の上」と答えた。かつて事故があり、現在は山合わせで屋根の上に人を載せるのは御法度となっているが、「前と後ろの情報をそれぞれに伝える伝達役で、山合わせの鍵を握る役割だった」のだとか。サッカーならMF、といったところか。

 

中在家 と御園町  御園の後ろは新三和

 

予行演習か挨拶か

肩脊と呼ばれる担ぎ棒は100年物の芯材である。山車は担ぐのではなく押したっり引いたりするものだが、仁王立ちするためにはかなりの力の合成が必要。

二つの山車がぶつかると肩脊が押され一瞬制御を失う。

 

あぶない! やめろ! ガードレールに持たれないで。押すな押すな。

審判者か指導者かしらないが、警察・消防から指導を受け、事故が起こったら

開催中止だと脅かされているのか喚き散らしてる。

 

その上進行がいいかげん。

時間あるから、やり直し。やり直し。

そこまで、やめて。

やる? それならもう一回。

はいそこまで。

どちらが勝ったかなどの判定は下さない。

はいやめてやめて。

まだやる?

ならあと一回などとかなりいいかげん。

見物客は、きゃきゃっか騒いでる方が勝ったものと思う。

その町の者でないかぎり、どちらが勝っても負けても関係なし。

集まった人間の半分近くは(私も)ぶつかり合いに注目しているが

勝負がついたのかどうかはまたtく分からない。

 

何回でもやり直しの掛け声ともうやめろという指導と、やるのかそんならあと一回だけ

という声。

この状態なら御園の勝であろうが、

見物用の場所は正確な判定がしにくい場所。

新三和と御園のただ今の勝負、正確には4回ぶつかり、3回御園が勝ったので、御園の勝。

次、北出と南出準備開始などといった経過報告はいっさいなし。

 

神事ゆえそのような報告はするなということになっているのか。

長々しい開会あいさつの中にその種の説明があってもいいはずだがそれもなし。

 

 

8つの山車が、戦い不成立をためのやり直しを含め、総当たりで、5回も6回もぶつかり合いを

繰り返すので、初めての者でもたちまち退屈してくる。
毎年この祭に来ている人は屋台での飲み食いの方に関心があるみたい。
見物客の半分以上は、屋台の周りを歩いている。
 
 
一人旅水上スキーの転覆待つ  旧作 40年以上前の作
 
 
山車に灯が入る頃には見物場所を変えてうろうろ。
そういえばかき氷を食べたけでお腹も減ってきた。
焼きそばでもと思ったが、バック入りが積み上げれれていると買う気がしない。
神社から阪神尼崎駅までは商店街を抜けてゆくと1キロ近くある。
クライマックスまでにまだ3時間くらいあるので、
道は、帰る人とこれから神社に向かう人で大混雑。
メイン会場からかなり離れて休憩中の山車。
所狭しと屋台の数。商店街の中もシャッター降ろした店の前にずらり。
かき氷は、私が買った300円が最高値で200円のものが多い。
 
ただし私が買った店は、蜜類何種でもかけ放題だった。
私は、ブルーハワイとみぞれと練乳を氷の山が半分になる位かけた。
 
↑阪神タイガース、マジック53だそうである。
夕食はいらないと言って家を出たので、コンビニでペペロンチーノ・ソースを買って家に戻ったが、ペペロンチーノは結局今日の昼食。焼きそばは今日の夕食だった。
 
今日は一日一膳ならず。
 
孫がやってくるので、この鉄板の出番も増える。
 
 
 
 

アキノタムラソウ

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アキノタムラソウ (Salvia japonica) は、野原に普通な多年草。細長い穂を伸ばして、薄紫色の花を付ける。

 

「野原に普通な多年草」とも思えないが・・・・・

 

 

神戸市の北の山影の平地に群生していた。

 

今日の池。沼状態。

 

手前の土手にはキクイモが繁茂。

池の視野を狭めているのはヌルデなど。

カズラの類は数種。ヤブカラシ、ヘクソカズラ、クズ・・・・・。

ノウゼンカズラは見当たらない。いまだ園芸種なのであろう。野の草にはなっていない。

 

夏の沼狭めるものに白膠木など

 

写生句だが、今時、ホトトギス誌上でもみかけない駄句の気配

 

池の周りは耕作放棄地

 

そんな一画

 

森林の林縁部から明るい草原、あるいは道ばたにも見られ、日本産のこの属のものではもっとも人里に出る。雑草的な性質が強く、草刈りなどにあっても、再び根元や茎の半ばから枝を出して花をつける。そのため、本来の姿とは大きく異なった形で咲いているのを見ることも多い。

 

草丈は20cmから80cmにもなる[1]。茎は角張って四角形、まっすぐに立ち上がる[2]。根元で分枝して、数本の束を作る事もある。葉は対生で、その形は単葉のものから複葉に分かれるもの、それも三出複葉から一-二回羽状複葉にまでなるが、とにかく変異が多い。葉の長さは葉柄を合わせて3-15cmと変異の幅が大きい。葉身はおおよそ卵形、深緑で表面はつやがなくて草質、まばらに毛がでることもあるが、無毛のこともある。縁には粗くて丸い鋸歯が出る。

花期は7月から11月にわたる。茎の先端が分枝し、長く伸びて穂状に花を着け、花序の長さは10-25cmにもなる。花は長さ10-13mm、青紫色で唇形、やや斜め上を向いて咲き、花冠の内側の基部近くに毛環がある。雄蘂は2本で、はじめ花冠の上唇に沿って上に伸びて前方に突き出すが、葯が開いてしまうと下向きに曲がる[3]

 

和名は秋の田村草だろうが、意味は不明とのこと[4]。なお、タムラソウの名は、キク科にそれを標準和名に持つ種 Serratula coronata ssp. insularisタムラソウ属)がある。こちらもその由来は不明[5]。漢名は紫参で、鼠尾草は誤りであると、牧野は記している[6]

例句はないと思う。

 

ヌルデには紅葉の句ばかり。

 

粧へる白膠木紅葉や甲斐も奥 矢頭萩花
 
塗師の町ここにも白膠木紅葉かな 坂本 明子
 
夕日さす峠の白膠木紅葉かな 山本順子
 
もみぢして松にゆれそふ白膠木かな 飯田蛇笏
 
幕間に白膠木紅葉を活けもして 竹田小時
 
狐舎の径白膠木の紅葉赫と燃ゆ 水原秋桜子
 
もみぢして松にゆれそふ白膠木かな 飯田蛇笏
 
沙庭にはあんくうどでで白膠木るゝ 加藤郁乎

 

 

夏のヌルデも誰か詠うべき。

 

 

 

花火

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阪急電車の構内表示では、

今日は大阪淀川花火大会と、神戸港での花火大会が同時開催のため

臨時列車を出しているらしい。

 

 

十三駅の臨時改札口は避けた。かなりの遠回りをさせられるので。

いつも利用する西改札口を出ると当然ながら大混雑。

 

駅から最も近い淀川土手への入り口は既に封鎖されていると知っていたので、商店街を抜けてかなり西へ向かって、「花火会場」への標識を見て南へ(左、梅田方面)へ向かう。

どの辻にも警備員が動員されている。

 

↑信号待ち

川に近づくといき惑う人々の群れ。

西側の河川敷の入り口となる階段は進入禁止。

いくら待っても花火始まる前に規制解除になることはありません。

東側入口へ向かえという案内。

東側入口は十三駅を越して南方駅の方向。

その道をゆくと、通りの植え込みの石垣に座ってそこで土手の外から花火をみようという

人でびっしり。

↑はやっと東側入口に近づいて土手の上へ向かう階段から

土手の下は屋台と人で埋め尽くされてる。階段を降りて右へ向かうと花火会場だが、

警備員の案内は右へ向かわず、左へ向かえという指示。

屋台と屋台の間の空間をかき分けて西へ向かいもう一度阪急電車の高架を

くぐることは不可能と判断。

 

ここに出る屋台の数は全国一ではないかと思う。

ちょっと調査。

埼玉 氷川神社 十日市(12月10日)…約1300店
http://www.scvb.or.jp/event/event.shtml#Anchor-35882

が全国一だとか。

 

土手下の道路脇から花火鑑賞。

 

適当にシャッター押したもの↓

 

 

 

塀越しに花火を見る人の影が映っている。

 

よって水上でのクライマックスの大瀑布などは全く見えない

去年の様子↓

 

 

 

 

 

 

ぎの花火誘ふ音して花火消ゆ 河野南畦 『風の岬』
 
川舟や花火の夜も花火売 一茶
 
ひらきたる花火に開きゆく花火 岩垣子鹿
 
花火消ゆる子花火咲かせつつ 亀井糸游
 
消えやらぬ仕掛花火や揚花火 会津八一
 
花火遠し花火見にゆく馬車の窓 会津八一
 
大輪の花火の中の遠花火 野澤節子
 
花火待つ花火の闇に脚突き挿し 三橋鷹女
 
花火に飽くこともなき病かな 中原道夫
 
花火の手と手の間こそ真闇 高野ムツオ 蟲の王
 
花火や赤光の喉だれも持つ 高野ムツオ 鳥柱
 
花火見るよこがほつひに我を見ず 行方克己 昆虫記
 
花火の路地のでこぼこしてをりぬ 行方克己 昆虫記
 
花火が昼間は見えぬもの照す 行方克己 知音
 
花火に跼めば路地の匂ひある 行方克己 知音
 
花火が路地といふこの世を照らす 行方克己 無言劇
 
彼岸花火山灰降る村は昼灯し 大津希水
 
蕎麦の花火山灰の山畑暮れ残る 羽田岳水
 
遠空を染むる花火や盆芝居 水原秋櫻子
 
夕飯や花火聞ゆる川開 正岡子規
 
花火をみなの声のいろいろな 川崎展宏
 
人と逢ふ胸の高さに遠花火 藤木倶子
 
花火屑おしろい花に掃き寄せて 細見綾子
 
花火を命継ぐ如燃やすなり 石田波郷
 
花火遠のきてゆく海の空 石原八束
 
わが好む紫陽花いろの花火かな 西本一都
 
当直医遅き餉をとり花火の夜 馬場駿吉
 
暗く暑く大群集と花火待つ 西東三鬼
 
温泉の村に弘法様の花火かな 夏目漱石
 
葛飾の闇へと靡く花火かな 菅 裸馬
 
あきらかに谷川の夜や花火焚く 長谷川秋子
 
羅や花火見に立つ裾さばき 吉屋信子
 
花火の孫に口数多き夫 桐山 ミヨ
 
花火一人見てゐて母の病む 吉田 慶子
 
むらさきに暮れゆく島や花火待つ 本多 勝彦
 
毒消売旅出の花火打ち上げて 前山 百年
 
どこかで花火どこかで赤子笑う闇 原子公平
 
皆が花火の煙を追っている農民祭 福富健男
 
街への投網のやうな花火が返事です 夏石番矢
 
風の来て花火線香の玉落ちた 高木晴子
 
つぎつぎと花火つぎつぎと新たに闇 上井正司
 
妻子病む冬木の空の昼花火 細川加賀 『傷痕』
 
花火爆ぜ天体繭のごときもの 原裕 『王城句帖』
 
花火に二人子の影しなひをり 原裕 『葦牙』
 
青天のざらつく花火買ひにけり 波多野爽波 『湯呑』
 
花火のしとしと急がずに生きむ 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
撫で肩の湿りやすくて花火の夜 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
宿下駄の片減りて踏む花火屑 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
あきらかに谷川の夜や花火焚く 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
花火一つの椅子を呑みをはる 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
爛れたる花火の闇を闇癒やす 野澤節子 『駿河蘭』
 
天上に触れし花火の散るほかなし 野澤節子 『駿河蘭』
 
遠き闇終の花火と知らで待つ 野澤節子 『未明音』
 
花火といへど激しきいろばかり 殿村菟絲子 『繪硝子』
 
花火散りさすらひ人の如くあり 齋藤玄 『無畔』
 
花火誰かいくさのまなざしす 齋藤玄 『玄』
 
花火の爆ぜて情をつくしけり 小林康治 『虚實』
 
花火開く地図になき島また見せて 河野南畦 『元禄の夢』
 
海に花火哀歓すでに些事をなす(熱海、来の宮) 河野南畦 『焼灼後』
 
花火の今宵ひとしほ師に侍べる(冬葉先生北支慰問行前夜) 河野南畦 『花と流氷』以前
 
あびこ屋の二階にひそと花火客(取手) 岸田稚魚 『萩供養』
 
花火下に新六本舗あり 岸田稚魚 『萩供養』
 
花火見の人現はれし葎かな 岸田稚魚 『萩供養』
 
ご赦免花火の島六島従へて(伊豆半島・七島、蘇鉄の花の咲くころ、赦免船島へ行きしゆゑ、ご赦免花といふ) 角川源義 『西行の日』
 
蚕まつりや冬木の裂く夜の花火 角川源義 『西行の日』
 
花火燦すなはち別辞かはしけり 石原八束 『雪稜線』
 
火のやうな月の出花火打ち終る 『定本石橋秀野句文集』
 
しまひ花火窓流行歌ぶちまけて 『定本石橋秀野句文集』
 
花火とりすがれるは冬布団(七月六日夜三句) 『定本石橋秀野句文集』
 
おとうとの吃音つづく遠花火 仁平勝 東京物語
 
花火船ただならぬ波きたりけり 大木あまり 火球
 
波さきだてて疾走の花火船 大木あまり 火球
 
花火乳房を打つて終りけり 大木あまり 雲の塔
 
暁紅に花火うちあげ猟解禁 富安風生
 
花火待つ子等に夕暮永かりし 池辺治子
 
歓声を吸ひこみ開く大花火 阪尻勢津子
 
迷ひ子の放送はさむ大花火 中井啓子
 
波の音聞ゆる浜に花火待つ 長田一男
 
黒き川花火の夜を流れずに 平畑静塔
 
花火揚がり川面の沸き返る 荒井英子
 
花火あがる母ゐる天に谺して 大西一冬
 
花火待つ空に夕日のプロローグ 加藤芳子
 
花火この町にまだ住み慣れず 大串 章
 
花火上るはじめの音は静かなり 星野立子
 
花火見る別れの刻を計りつつ 西村和子
 
海女の鶏波止にあそべり昼花火 福永耕二
 
なかなかに暮れぬ人出や花火待つ 高野素十
 
空に延ぶ花火の途の曲りつつ 高浜虚子
 
暗く暑く大群衆と花火待つ 西東三鬼
 
花火済み向ふ岸も人歩き出す 西村公鳳
 
空に月のこして花火了りけり 久保田万太郎
 
ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火
 
音もなし松の梢の遠花火 正岡子規
 
花火を命継ぐ如燃やすなり 石田波郷
 
花火や少女とまどふ己が胸 矢口由起枝
 
花火にうかぶさみしき顔ばかり 岡本 眸
 
花火に妹がかひなの照さるる 山口誓子
 
ねずみ花火逃足早き吾子を追ふ 神山幸子
 
王氏歌ふ招魂祭の花火鳴れば 西東三鬼
 
初漁の船送り出す花火音 満田玲子

 

 

 

 

 

40℃

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車で外出。神戸市北区へ。外気温40度。

西宮北ICで降りてしばらく行くと34度までに下降。

それでも車を降りると灼けるような暑さ。

木陰のアキノタムラソウにかわりなし。

↑ブドウの葉っぱのように見えるが正体不明

 

↑↓ヌスビトハギ

キキョウも伸びている。

杉だが印象派の絵にもでてきそう。

池 右手の土手に白膠木が数本

手前の草は、オオアレチノギクかセイタカアワダチソウと思っていたが、月見草のよう。

その向こうは昨年まではセイタカアワダチソウの一大群落であったが、

今は大株の薄野になっている。

アトピー性皮膚炎のわが月見草 高野ムツオ 雲雀の血
 
月見草見てゐて声の潤みけり 藤木倶子
 
帆はいつも遠きところや月見草 下鉢清子
 
急湍を抜けゆく船や月見草 日原大彦
 
月見草夢二生家と知られけり 文挾夫佐恵
 
繋がるる鵜舟細身よ月見草 冨田みのる
 
月見草沼よりの風あつめをり 村上しゅら
 
月見草黒部の水をやさしくす 宇咲冬男
 
昼のこともう過去となる月見草 星野 椿
 
月見草川の流れの合ふところ 是木 朱夏
 
佐渡のはや暮れてをりたる月見草 大山 清治郎
 
月見草ゆれつつ宵を待つてをり 上野 泰
 
羽化はじまる月見草横の男も 森下草城子
 
星は夜空をおよぐ子のかず月見草 日美清史
 
私の前を私が歩く月見草 原子公平
 
対岸が灯れば滲む月見草 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
月見草めざめて黒き貨車流し(八幡市(車中)) 殿村菟絲子 『繪硝子』
 
月見草夜が遠まきにそそのかす 柴田白葉女 『夕浪』
 
月見草富士は不思議な雲聚め 河野南畦 『試走車』
 
床頭台暗し月見草が欲し 岸田稚魚 『紅葉山』
 
乳牛に乳みち月見草ひらく 加倉井秋を 『真名井』
 
雨粒のそれかあらぬか月見草 飴山實 『次の花』
 
馬市の跡は荒地の月見草 大木あまり 火のいろに
 
月見草萎れし門に帰省せり 前田普羅
 
月見草客車一輛夜の駅に 桜井博道
 
月見草牛は四肢より暮れそめて 藤田湘子
 
月見草月より翳を貰ひけり 藤本朋子
 
月見草煤煙朝の海に降る 水原秋桜子
 
月見草ランプのごとし夜明け前 川端茅舎
 
汽車煙熱きがかかる月見草 鷹羽狩行
 
月見草夕月よりも濃くひらき 安住 敦
 
開くとき蕋の淋しき月見草 高浜虚子
 
月見草はなればなれに夜明けたり 渡辺水巴
 
月見草さつきの手紙読みかへす 丸山比呂
 
まづ揺れて開く気配の月見草 岩間光景
 
吊ランプもたらす女月見草 大木格次郎
 
月見草夕べ誰かの来る予感 栗本秀子
 
月見草夕べを過去としてしぼむ 甘田正翠
 
魚籠の中しづかになりぬ月見草 今井 聖
 
月見草は身の丈の花吾子嗅ぐよ 林 桂
 
紅さしてきし真夜中の月見草 青柳志解樹
 
月見草神の鳥居は草の中 水原秋櫻子
 
一つ蛾に浜の月見草みなひらく 林 翔
 
月見草原初のいろに海昏るゝ 望月たかし
 
月見草歩み入るべく波やさし 渡邊千枝子
 
波を踏むさまに海女ゆく月見草 米澤吾亦紅
 
みちのくの海ひかりなし月見草 村上 光子
 
鰡はねて波まだ暮れず月見草 岡本まち子
 
月見草汐ざゐ闇とふくれ来る 増田 富子
 
沖さらに沖を蔵せり月見草 伊丹さち子
 
釣人の魚籠の重さや月見草 林 久子
 
無人駅ホームの端の月見草 石定まさ子
 
遥かなる村のあかりや月見草 朝木 芳子
 
月見草重ねて薄き旅衣 西村雅苑
 
耶蘇島の夕波しづむ月見草 正林白牛
 
月見草野外映画のはじまれる 西村三穂子
 
窓開き遅き夫待つ月見草 岩波千代美
 
陽炎や砂より萌ゆる月見草 水原秋櫻子
 
月見草馬も沖見ておとなしく 橋本風車
 
月見草ぽあんと開き何か失す 文挟夫佐恵
 
月見草怒濤憂しとも親しとも 広崎喜子
 
月見草夜気ともなひて少女佇つ 松本青石
 
月見草歩み入るべく波やさし 渡辺千枝子
 
月見草河童のにほひして咲けり 湯浅乙瓶
 
月見草鵜が敏感になりにけり 近藤一鴻
 
月見草はらりと地球うらがへる 三橋鷹女
 
月見草咲き満ち潮騒高くなりぬ 道部臥牛
 
開くより大蛾の来たる月見草 高橋淡路女
 
月見草夕月より濃くひらく 安住敦
 
項(うなじ)一つ目よりもかなし月見草 中村草田男
 
月見草ランプのごとし夜明け前 川端茅舎
 
月見草蛾の口づけて開くなり 松本たかし
 
月あらぬ空の澄みやう月見草 臼田亜浪
 
乳色の空気の中の月見草 高浜虚子
 
陽炎や砂より萌ゆる月見草 秋櫻子
 
かの母子の子は寝つらんか月見草 中村草田男
 
機関車のひびきの残り月見草 木内怜子
 
わが心海より昏し月見草 福田蓼汀
 
八ケ岳まなかひにあり月見草 町春草
 
月見草今宵は女同士かな 黒川悦子
 
月見草音なき音に咲き増ゆる 水田むつみ
 
さゆらぎは開く力よ月見草 稲畑汀子
 
汝と我の間の月見草ひらく 上野泰
 
人の世に月見草あり夜明あり 星野立子
 
美しき蝶の顎や月見草 齋藤愼爾
 
目覚めたるばかりの色に月見草 西村和子 かりそめならず
 
月見草胸の高さにひらきけり 西村和子 夏帽子
 
風に舌出して子供や月見草 山西雅子
 
機関車のひびきの残り月見草 木内怜子
 
魚籠の中しづかになりぬ月見草 今井聖
 
人の世に月見草あり夜明けあり 星野立子
 
母の臍さみしかるべし月見草 宗田安正
 
水音の中を歩いて月見草 末光令子
 
月見草はらりと地球うらがへる 三橋鷹女
 
月見草夕月よりも濃くひらく 安住敦
 
月見草にはとどかぬ体温計一本 永末恵子
 
月見草灯よりも白し蛾をさそふ 竹下しづの女
 
月見草未完の家に闇つまる 横山房子
 
月見草蕊さやさやと更けにけり 川端茅舎
 
かはたれの生身つめたし月見草 文挟夫佐恵

 

 

 

 


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季刊誌に「俳句徘徊」と題して俳句に関するエッセイを連載している。

次号の締め切りが近づいたので、テーマを「猫」に決めて書きだした。

きっかけは、

 

こんな本を貰ったからである。

貰ったのはワイフ。私も最近お付き合いを始めた人だが、著者の一人に著者直送を依頼されたものである。

執筆のために、ネット検索をする中で、竹久夢二の「黒船屋」に登場する黒猫が、ヴァン・ドンゲンの絵の構図から影響を受けていること、女性の方のモデルが彦乃かお葉であること、

黒猫の絵と言えば、↓のスタンランのものの方がはるかに有名なこと、

 

黒猫はスタンランSteinleinです。芸術家が集まったキャバレー『シャ・ノワール(黒猫)』用に描いたんです。...

 

この絵が、「黒猫」という名のキャバレーの宣伝のために書かれたことなどを知った。

 

猫についての例句などを探しているうちに、漱石の門下生 松根東洋城が、

漱石さんちの猫の死亡通知を受けて、猫の追悼句を漱石に書き送っていることも知った。

 

それを知った数日後に、

読売新聞に

門下生4人に宛てた漱石の猫の死亡通知のうち、東洋城にあてたものだけが所在不明であったが、来月(9月)に漱石が晩年を過ごした東京都新宿区へ寄贈されることになったという記事を目にした。

 

寄贈者は松根東洋城が創刊した俳句誌「渋柿」の前主宰の松岡潔という人。

 

例によってウィキペディアから

 

松根 東洋城(まつね とうようじょう、1878年2月25日 - 1964年10月28日)は俳人。本名は豊次郎で俳号はこれをもじったもの。夏目漱石の門下生。

 

松根権六宇和島藩城代家老松根図書の長男)の次男として東京築地に生まれた。母は宇和島藩主伊達宗城の三女敏子。弟に「電力界のフィクサー」とも呼ばれた実業家の松根宗一(1897 - 1987)がいる。

 

愛媛県尋常中学校(現松山東高等学校)時代に同校に教員として赴任していた夏目金之助(漱石)に英語を学んだことから、卒業後も交流を持ち続け俳句の教えを受けて終生の師と仰いだ。旧制一高東京帝国大学から転じて京都帝国大学仏法科卒業1906年明治39年)宮内省に入り式部官、書記官、会計審査官等を歴任、1919年大正8年)退官

 

漱石に紹介されて正岡子規の知遇を受けるようになり、子規らが創刊した『ホトトギス』に加わった。1910年(明治43年)には、自身が公務で長期逗留する伊豆・修善寺へ、漱石を胃潰瘍の療養に誘っている(なお、このとき漱石は「修善寺の大患」と呼ばれる大吐血を起こす)。

 

1914年(大正3年)、宮内省式部官のとき、大正天皇から俳句について聞かれ「渋柿のごときものにては候へど」と答えたことが有名となった。1915年(大正4年)に俳誌『渋柿』を創刊主宰。

 

 

エッセイ中に私の句も紹介

 

 

雄日芝の枯れて一発猫騙し

 

これは白鵬が「猫騙し」という手を使ったことがテーマ。

 

今思うに、雄日芝は、安倍晋三でもいい感じ。

彼が使った猫騙しは内閣改造。

 

早くも答弁は官僚が書いた文章を朗読するだけと発言した大臣が現れた。

 

白鵬と安倍の共通点:どちらも1強と呼ばれたことがある。

 

3000字のエッセイの前に、400字の短文の締め切りがくる。

 

 

 

 

 

ポリゴナム

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Wikipediaでは、ポリゴナムではなく、ヒメツルソバで登録されている。

 

ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)とは、タデ科の植物の1種。学名はPersicaria capitata(シノニムはCephalophilon capitatumPolygonum capitatum) 。別名はカンイタドリポリゴナム

ヒマラヤ原産。

 

日本にはロックガーデン用として明治時代に導入された多年草。 

 

花は集合花で小さい花が球状に集まった金平糖のような形をしている。開花直後はピンク色をしているが、徐々に色が抜けて白へと変化する。 花期は5月頃から秋にかけてであるが、真夏には花が途絶える。冬季には降すると地上部が枯死するが、地面が凍結しない限り翌年には新芽が成長する。花は小花が球形にまとまっており、内部には種子が成熟する。葉にはV字形の斑紋があり、秋には紅葉する。

 

 

は匍匐(ほふく)性。1株でおよそ直径50cmほどに広がる。

 

性質が丈夫であるためグラウンドカバーとしても用いられる。種子株分け挿し木などで容易に繁殖が可能なほとんど手のかからない植物であるため、空き地や道端などで雑草化もしている。

 

近縁に白い花のツルソバ(蔓蕎麦)がある。花も葉もソバ(蕎麦)に似ていることからの命名。

 

 

我が家の門前。どの季節にどの草が優勢であるかを確認するために抜かずに観察。

7月末から目立って成長速度が速まるのが、コニシキソウとスベリヒユ。

その中に交じって、ポリゴナムもどんどん成長するが、花数は増えない。

 

↑スベリヒユ2株の間で育っているもの。放置すると木立性となる。ネズミモチではないかと思っている。いたるところから生えて来る。

 

ガス管工事などで舗道を切って作業をし、もう一度アスファルトで埋めると隙間ができる。

そういうところから生えてくるのは爪草。しかし真夏ともなると、他の草が割り込んできて

見分けがむつかしい。スズメノカタビラと区別がつかない。他にはメヒシバやコニシキソウが

目立つ。

 

↑我が家では舗道の端っこでは、ハナニラ、オシロイバナ、ジャスミン。

チジミザサも良く生えていたが姿を消した。

 

ヒメツルソバをしきりに俳句のネタにしているブログ(俳句ブログ:犬の散歩道)に出会った。

 

コピーしたらその方の撮影の画像をへばりついてきた。

 

 冬川に紅を指しけり姫蔓蕎麦 

    

 

イメージ 1
① 秋の野に姫蔓蕎麦の褥かな

② 踏み石に毛布の如く姫蔓蕎麦
③ 姫蔓蕎麦冬の疏水を彩りぬ

 

 

ポリゴナムを引き抜いて、春先にプランターに植え込んだら、プランターから溢れるようになった。隣に並べているプランターへ侵略を始めている。

葉はあまり綺麗ではないし、今は花もほとんど咲いていない。

まだ苗が小さいころに、捨て植えした鶏頭の葉が見える。

こんなHPもあった。↓

爆発物…恐ろしい繁殖力でひたすら増殖
┃A:竹&笹、ワルナスビ
┃B:ミント、 ドクダミ、オキザリス
┃C:ナガミヒナゲシ、ツルニチニチソウ、カンナ、トケイソウ
┃   アイビー&ヘデラ、菊類、宿根朝顔、シャガ、ツユクサ
┃   ケナフ、シソ、キバナコスモス、ラズベリー
┃D:藤、キウィ、ノウゼンカズラ、イチジク、ビワ、フサスグリ
Aランク:悪魔の破壊兵器。厳重な管理下でも制御不能。
Bランク:堅牢な施設内(鉢植え)でのみ取り扱い可能。施設外持ち出し厳禁。
Cランク:ここから制御可能。しかし地域内汚染を招く可能性が高く油断大敵。
Dランク:危険物であるという認識さえあれば問題ない。むしろ管理が容易。

 

ポリゴナム、オシロイバナ、ツタバウンラン、ホトトギス、芙蓉、ランタナ、ハナニラなども

BないしCランクに入りそう。

 

 

淀川

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淀川右岸 渡し場のあったあたりの風景↑ 右岸東側

 

野草の花は全く見当たらない  ↓右岸西(河口)側 河口まであと7キロ

薄明の岸辺卵を立ててみる 水野真由美
 
橙の実る岸辺に舟洗ふ 椙本千代子
 
驟雨来る岸辺の杭を踊らせて 小澤克己
 
総立ちに走る花びら岸辺まで 遠山陽子
 
流燈の岸辺の草を擦ることも 藺草慶子
 
海月寄る夢の岸辺を埋めんと 対馬康子 純情
 
桜川の岸辺鬼女とも花明り 岩下斜径
 
北上の岸辺に立てば山焼くる 遠藤梧逸
 
病葉散る心にも岸辺あるごとし 北原志満子
 
とある日の岸辺消えたる桜かな 柿本多映
 
流れ星岸辺の牛を思慕しつゝ 攝津幸彦
 
果ては物々交換の岸辺を出よう叫春! 加藤郁乎
 
一様に岸辺の柳吹き靡き

右岸から南側梅田方面を見ている。

凱旋門風のビルが新梅田シテイ。その左側の大きな2棟がグラン大阪

その間に見えるのがJR大阪駅ビル。

 

花火大会の夜はこの風景を見ることが出来なかった。右岸河川敷を覗き見することもできなかった。

 

 

十三の渡し跡の石碑が立っている場所からの眺め。

まだテントなどの後片付けが終わっていない。

 

ここから花火会場へ入るためには夕刻5時以前にここへ到達していなければならない。

 

夕刻5時に、阪急十三駅に着いて、この場所を目指せば、途中で前進不可能になり、

まったく違う場所へ誘導される。

 

阪急電車の高架橋 一番手前は神戸線。

5日の夜6時半に家を出て十三駅に着き、臨時改札口を避けて、かなり西側から川へ向かったが、誘導先は結局、この阪急の高架よりもかなり上流に地点であった。

 

このあたり屋台が2重、3重に並んでいて、花火会場はここより100mほど下流だが、

階段の上から見る限り、人々の流れはこの高架を潜っていけないほどの動きであったので、

河川敷へ降りるのを諦めた。

 

右手にもう一つの高架橋が見える。

これはNTTのケーブルである。よって人も車も通れない。今は太いケーブル束が何本も走っているわけではない。

この中を一度案内してもらったことがある。その時はファイバー・グラスになっていたので

空き空きであった。

 

 

ケーブル線の行きつく先にNTTの支店ビルがある。

このビルの最上階の部屋から花火を見たことが一度だけある。

 

部屋のガラスの目の前で花火が花開く。特等席であった。

 

その手前は高層の公営住宅だと思う。

花火の夜は高層階の家には知人・友人がどっと押し寄せるのであろう。

 

ずいぶん前のことだが、1887年のロンドンタイムズを図書館で調べていたことがある。

当時のタイムズは、一面は広告・通信欄で、

ビクトリア女王の即位50周年記念パレード

の順路に面したアパートの窓側の席を貸したいという個人の3行広告がびっしり並んでいたのを思い出した。かなり高額の値がついていた。

 

 

この高層の窓の方が、右側のNTTのビルより、打ち上げ場所に近い。

 

この場所の土手道に上がることはもちろんできなかった。

 

 

↑塀が作られ、途中から土手上へ移動するのを防いでいる。ポール撤去の途中であった。

 

↑淀川大橋

 

いよいよ明日から孫接待の10日。

 

孫来る

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禿と禿げ出合がしらの盆栽展

市長さんの遅参早退山合わせ

 

提出用句稿を整理していてついでに↑の句ができた。

 

原稿一本完成。

メール送信できる仲間に未定稿として配信。

 

0歳児の時から付き合ってきた孫も14歳。風邪気味で熱が出たとか。

でもご機嫌で到着。午後6時に我が家へ。

イヤリングなどしてお嬢さんぶっている。

 

私が推奨した鰯の煮付け。意外に好評で、食べ跡など私より綺麗なほど。

 

 

母親の方は、切符が取れず、23:15新大阪駅着予定。

 

私が迎えに行く予定であったが、孫の風邪がうつったらしく頭痛気味。

JR尼崎駅前迎えに変更。

 

孫におとりになってもらって午後11時半のJR尼崎駅改札口風景撮影

 

暑いので、何度か、営業中の駅ナカコンビニ内を巡回。

文芸春秋 芥川賞受賞作掲載号を購入。

中学3年生。マニキュアは休み中だけであろう。

午前1時過ぎ のお茶

 

 

宝塚歌劇

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小学校時代に何度か歌劇場内へ入った記憶があるが、

その記憶だけでそれ以外は何も覚えていない。

その頃の宝塚駅前と今の違いもよく分からない。

花の径というのがあって、

その途中で、小鳥が御御籤を引いてくる屋台店があり、

小鳥の動きが面白くて、

母親に御籤を引かせたか、他の人が支払ったのを見ていたか

はっきりしないが、

次にここへ来た時もその神籤屋の前で見物していたのをかすかに覚えている

今日は月組の公演で、間もなくフィナーレで

8月半ばからは他の組の公演が開始されるので、

今回はその公演チケットも確保して来阪(正確には来尼)。

2回ともS席(春の時はSS席)とは豪勢。

あるいはそのチケット代のために14歳児の母親は働き始めたのかも。

 

「花のみち」に沿って曲線的なマンションが建っている。

1,2階部分には各種の店が並んでいる。

    ちんたらと歩けぬ暑さ宝塚 上島清子

梅雨傘を挿してぞ宝塚へ行く 後藤比奈夫
 
誘はれて来て花の雨宝塚 高浜年尾
 
宝塚劇場マフの忘れ物 茨木和生 倭

買物があるというので、今回初めて2階部分を覗き見

 

各国の国旗を見る機会は増えたが、

イギリス国旗にはあまりお目にかからない。

スコーンでも売っているのかと思った。レストランはあり得ない。

アンティークを扱う店だった。  納得。

この店が探していた店のよう。

夕食パーティーに登場

 

夕食後

撮影用と断って、豪華に投げ銭

演奏が終わりそうなので、万円札から回収

思わず苦笑の演奏者

演奏が終わってしまい千円札は一枚回収できなかった。

 

歌劇場周辺

花のみちも今は花切れ。

デュランタを植えればいいのに見当たらない。

 

 

宝塚音楽学校

 

↓ここから劇場前のフロアーへ

開場前だが多くの人が集まっている。

 

そこから正規の出入り口へ向かう頃には通路はごったがえし

 

 

 

 

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