文久という年号じたい、寺社訪問時にもあまり馴染みがない。
- 元年
- 2年
元年の3つの事件、いずれも初耳のような気がする。
文久2年の上記年表の4つの「事件」についてはいずれも初耳ではない。
特に皇女和宮の件は、「降嫁」という今では使われない用語(「建武の中興」「大化の改新」なみ)とともに良く知っている。
何故なら、「皇女」待遇に格上げされた和宮が、あずまへ出向いた時に出発した際の家(跡)が京都御所内の蛤御門から近いところにあるからである。
その家がショウちゃんと同姓を名乗っている。
文久2年の年号がはっきり読める。
この石碑をこの角度から見たのは初めて。
「えびす橋」という名の橋名を記す石碑である。
道を挟んだ植え込みのなかにもう一つの石碑を見つけたので入り込んだ。
この記念碑はなんとなくこの角度からは見ていたと思うが、尼崎市内も
この付近にはこの種のものが多数存在するので何の記念碑か確認していなかった。
裏側の記述を眺めて、表側に回り、「記念碑」の上に記された文字が判読できた。
「河川改修 記念碑」で大正年間に建てられたものである。
この記念碑のある場所で、庄下川は左右二つの川に分かれる。
西へ流れる、この記念碑の背後の流れが旧左門殿川で、
東へ流れるのが庄下川の本流である。庄下川は松島ポンプ場を経て新)左門殿川に(汲み上げ)放出される。その左門殿川はすぐ北の地点で、神崎川から分かれる川である。
↓橋を渡れば築地
庄下川の排水を受け入れた左門殿川は、すぐに、神崎川の本流と合流するが、その二つの川に挟まれた地が(佃煮で名を遺す)東京の佃島に住む人々の故郷である佃島である。
合流した川は中島川と名を変え、神崎川や淀川と共に大阪湾へ流れ込む。
apedia(尼崎市史ネット事典)
の庄下川の項。部分
大物川が古くから東西方向に流れていたのに対し、庄下川は常に南北方向をとってきた。これは尼崎デルタを形成してきた武庫川の一分流であることを物語る。弥生時代の遺跡が、当時の河口と思われる庄下川中流地域にあり、古墳時代への移行も考えられる。また奈良時代の条里遺構も部分的に残っており、古代における武庫郡と河辺郡の郡界も、部分的には庄下川の流路に沿っている。中世には生島荘が上流に位置しており、庄下川の名称も同荘の下流であったことに由来するという説がある。
近世尼崎城と城下町は河口両岸に位置しており、城の外堀の役割も果たした。
↑まもなくこのあたりにこの形の城が復元される。
エディオンに統合されたミドリ電化の創業者の寄付と聞いている。
近代には、大正期の大阪板紙の悪水問題などを端緒に水質が極度に悪化した。このため、1988年(昭和63)には建設省による「ふるさとの川モデル河川」の指定を受け、整備工事を進めるなか水質の改善を見た。
現在は富松川・東富松川・西富松排水路の合流する南塚口町8丁目から左門殿川に合流する松島ポンプ場まで5,954mを庄下川と呼び、2級河川であったが、1972年4月に1級河川となった。
1995年4月には1級河川の指定を変更、東富松川を含んで伊丹市との市境まで上流端を移動し、7,296mとなった。
上記引用文中、緑色の部分と河川改修は関係があるようである。
「大坂板紙の悪水問題」とは、
同じくapediaより:
1915年(大正4)
東難波の
庄下川右岸で操業を開始した大阪板紙(のち西成製紙・聯合紙器)では、多量の用水を確保するため深井戸を掘ったところ付近の井戸水がかれるということが起こった。
さらに同工場の排水のために付近の稲が枯死することになった。そればかりでなく庄下川水をボイラーに使用していた
阪神電鉄の発電所でもボイラーのさびや機械の故障が続出した。それまで清澄で水泳もできた庄下川の汚濁がここにはじまったのである。
そこで板紙では明礬〔みょうばん〕を用いて有害物質を沈殿して排水することにしたが、採算上の理由でまもなく中止した。阪神電鉄の発電所は
1919年廃止となったが農地の悪水による被害は解消せず、農民は工場の休業を命ずるよう陳情をくり返した。
その後重化学工業の発展にともなって
大気汚染も重大化したので、ついに市会は
1936年8月煤煙防止河川浄化委員会を設置し対策にとりくむことになった。翌年汚水を放流する工場の付近で水質検査を行ない、さらに
1939・
1940両年には庄下川の最大の汚水放流源として聨合紙器(旧大阪板紙)・旭染料両工場の排水口付近の水質検査を実施した。その結果は一般に公表することもできないほど深刻な状態であったので、市と市会の委員は両社にたいして再三交渉をくりかえし、旭染料はフィルター・プレスを設置し、聨合紙器では沈殿槽を設置しコンベア・ポンプで沈殿物回収作業を改善することになって、ようやく悪水問題は一応の解決をみることになった。
上の記念碑がある場所に、中在家のポンプ場がある。そのポンプ場に添って緑地と公園がもうけられている。
サトザクラが満開。
八重桜であるが、牡丹桜とよびたい白色がかったものもある。
ソメイヨシノは落花も終わりといった状態
↑中在家公園
駅前広場のチューリップは花びらが散り出す寸前
- かなしからずやチューリップ影もチューリップ 川口重美
- チューリップ母の視線はまぶしくて 行方克己 知音
- チューリップ一人あそびの二人かな 行方克己 知音
- チューリップぶらんこ止りきつて揺れ 行方克己 知音
- だまさるることの楽しきチューリップ 行方克己 無言劇
- 白もまた一と色をなすチューリップ 塗師康廣
- 散居村つなぐ明るさチューリップ 黒田桜の園
- 咲き誇りたる北大のチューリップ 秋沢 猛
- 遠山に雪のまだありチューリップ 高田風人子
- チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
- 遠目には彩揺れてゐずチューリップ 大橋鼠洞
- 花閉づる力の失せてチューリップ 曽我 鈴子
- 黄の音符赤の音符やチューリップ 佐藤 多太子
- こんなに晴れて団地やチューリップや爆笑 前川弘明
- チューリップ抱いてゆく青い垣根の鱒二の家 橋田サカエ
- チューリップ原色はみな孤独なる 中村正幸
- チューリップ砕く朝敵の風が吹く 菊川貞夫
- チューリップ花びら外れかけてをり 波多野爽波 『一筆』以後
- 花茎をたてて風待つチューリップ(杉浦百合子居) 上村占魚 『石の犬』
- 空に向き雨受けてをりチューリップ 高木晴子
- 八方へ開く新種のチューリップ 金子佳子
- チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
- チューリップ水替へてよりひらきけり 山根きぬえ
- チューリップの色溶け入りてねむき眼よ 草間時彦
- 鉛筆で書く音静かチューリップ 星野立子
- チューリップ畑の中の一軒家 三村純也
- チューリップこみあげてくる色新鮮 三宅未夏
- 昏睡へ開き切ったるチューリップ 椎名康之
- チューリップみんな開いて青い空 小島阿具里
- チューリップ黄は黄に閉ぢて明日を待つ 横山房子
- 投函は封書の旅出チューリップ 原 ふじ広
- チューリップ揺れてをらぬはよそよそし 成川雅夫
- もう駄目といふほど聞くチューリップ 玉村潤子
- チューリップ受胎告知の眩しくて 谷口とし子
- チューリップの花は悪食虫を吐く 岩谷精一
- 知らぬ児とまじり遊ぶよチューリップ 竹内秋暮
- チューリップ被災明るくしてしまふ 高橋さだ子
- 一角獣に逢ひたくなつてチューリップ 長谷川秋子
- チューリップ花には侏儒が棲むと思ふ 松本たかし
- 赤し赤し陽を喰べ飽きてチューリップ 長谷川秋子
- チューリップ青天へ温室の窓ひらく 黒木 野雨
- 散居村つなぐ明るさチューリップ 黒田櫻の園
- 花市の夜明賑ふチューリップ 佐藤 瑠璃
- 開港祭色整列のチューリップ 市川 玲子
- 砂丘四方にチューリップ村の写生展 桂 樟蹊子
- 首のばし揺れゐる黒きチューリップ 仙田洋子 橋のあなたに
- 葉桜のかぶさつて来るチューリップ 中村汀女
- 吾子の絵の家より大きチューリップ 佐藤半三
- 歩く子の手に父母の手やチューリップ 嶋田一歩
- それぞれにうかぶ宙ありチューリップ 皆吉爽雨
- ものの芽の全きチューリップとなりぬ 星野立子
- チューリップの色溶け入りてねむき眼よ 草間時彦
- チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
- チューリップの花には侏儒が棲むと思ふ 松本たかし
- チューリップ影もつくらず開きけり 長谷川かな女
- ベルギーは山なき国やチューリップ 高浜虚子
- ゆく春の片羽のこすチューリップ 川辺きぬ子
- チューリップ月に傾き眠る街 山田弘子
- 缺席の詫チューリップ十二本 後藤比奈夫
- 父の血を享けて青き瞳チューリップ 西村和子 窓
- チューリップ芽の正直に出揃ひぬ 西村和子 夏帽子
- 空港で鞄にすわるチューリップ 田中裕明 先生から手紙
- チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
- チューリップ影もつくらず開きけり 長谷川かな女
- 遠国よ地に大輪のチューリップ 対馬康子 吾亦紅
- チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
- 園丁は髭ぴんとたてチューリップ 嶋田摩耶子
- 透明の傘に雨つぶチューリップ 福永鳴風
- 重量もつしずかさよチューリップ 秋山牧車
- 子の夢のふた葉となりぬチューリップ 稲畑汀子
- チューリップゆらゆらものを思ふ朝 石原八束
- 春燈の卓にチューリップの赤き口唇 冨田みのる
- 鉛筆で書く音静チューリップ 星野立子
- チューリップさして間借りや三ヶ日 鈴木真砂女
- チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
- にんげんが柵チューリップ伸びられぬ 栗林千津
- チューリップ深夜にもう一人の私 橋本美代子
- チューリップ黄は黄に閉ぢて明日を待つ 横山房子
- チューリップ母の視線はまぶしくて 行方克巳
- チューリップぶらんこ止りきつて揺れ 行方克巳
- だまさるることの楽しきチューリップ 行方克巳
- にんげんが柵チューリップ伸びられぬ 栗林千津
- 零の地のくちびる赤いチューリップ 栗林千津
- チューリップ飛び出してゐる花氷 深見けん二
- ひと言でひとを笑はすチューリップ 辻田克巳
- 母親に閑チューリップ昼ひらく 中村汀女
- チューリップ飛び出してゐる花氷 深見けん二
- ぽかり真っ黄ぽかりと真っ赤チューリップ 松本たかし
- チューリップ散って一茎天を指す 貞弘 衛
- 一列にちゃんと並べりチューリップ さざなみやつこ
- 大如雨露ぐうるりぐるりチューリップ さざなみやつこ
数日前に来た時にはまだ咲いていなかったハナビシソウが盛りを迎えた。
ベニジウムは終わり
↓の石碑の裏側に廻ってみた。
尼崎市と四国銀行の関係については未調査。公害問題が激しいころに建てられた。
GNP至上主義からくたばれGNPに流れが変わるのは1970年。昭和45年である。