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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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オーブリエチア

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7日~9日に見た(写した)草花

 

やさしい花図鑑より

オーブリエチア

アブラナ科の植物で、草丈15センチ程度と低い。地中海沿岸からイランでは毎年花が咲く多年草・宿根草ですが、日本では夏の暑さで姿を消すことがほとんどで、一年草扱いです。 

満開になると花の絨毯(ジュウタン)のよう。 

 


オーブリエチアと言う名前はフランスの植物画家クロード・オーブリエから。しかしこのオーブリエさんは本当に有名な画家さんなんだろうか……推測が多いですが、おそらく……17世紀から19世紀にヨーロッパで起きたガーデニングブームの中で園芸植物を集める貴族に対していくつかの「植物雑誌」が発刊されていました。当時は写真なんていうものがありませんでしたから、植物の挿絵が入っていました。これがカラーの挿絵で、今見ても精密、美しいものです。この挿絵を描いていた一人がクロード・オーブリエさん。ちなみに日本に来たペリーの黒船にも挿絵を描く絵師が乗船していました。

 

 

リュウキンカ

平福の佐用川沿いの畑の中

↓東粟倉 道路沿いの石垣

 

 

西粟倉村 岩倉寺境内 福寿草

通常の花期は2~3月

4月になって咲き始めたようなので、少し遅れている。↑

きろろガーデンとちひろガーデンの間

↓れんげ

アカンサス 鶏糞を優先的に吸収できる場所に

確か、離れを独立家屋に立て直すときに発生した古瓦が利用されている。クリロー

表庭 「美作の風」にしばしば登場

キロロガーデンへの順路。木陰にいろいろ生えている。

 

キツネノカミソリ

花期は7月と聞いているがまだ見たことがない。

去年その季節に、雨の中をここへ来たが、草刈りがされていないので、たどり着けなかった。

ウィキペディア:

キツネノカミソリ(狐の剃刀、学名Lycoris sanguinea)はヒガンバナ科多年生草本球根植物である。クロンキスト体系ではユリ科

Kitsunenokamisori 06c6701svp.jpg

明るい林床や林縁などに自生する。早春のまだ他の草が生えていないうちに、狭長の葉を球根から直接出して球根を太らせ、多くの草が生い茂る夏頃には一旦葉を落とす。

(8月なかば)前後になると花茎を 30〜50cm ほど伸ばし、先端で枝分かれした先にいくつかの花を咲かせる。雌雄同花で花弁は橙色が 6枚。

本種には、結実するものと、しないもの(三倍体、2n=32)がある。

葉の形、花と葉を別々に出すところ、および有毒植物である点などではヒガンバナと共通するが、花の形、および葉と花を出す時季は異なる。

 

葉を紹介したHPがない。

「松江の花図鑑」は概ねその花の生涯を紹介してくれる。↓「松江の花図鑑」から借用。

キツネノカミソリ葉

 

葉が茂っている画像を探したがない。

 

連翹もよく見かけるが、最適期に遭遇することはまれである。

 

ナズナ。レンゲも

 

自信はないが、芳香園さんの観光農園で、(オオイヌフグリではない)イヌフグリを見たような気がする。

あまり目立たないので、名がなかったのであろうか?牧野さんが「犬ふぐり」と命名したという解説を読んだ。田中修著『雑草の話』(中公新書 2007)では、イヌフグリとママコノシリヌグイが併記されて嫌な名前として昔からあるように記述されている。

 

 

今日あたりアカバナ常盤満作が満開。少し落花も。

 

雨が降り出してレンズに水滴が

 

白花の方は数日前から

 

 

雨降ってトキワマンサクよじれ咲き


文久2年

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文久という年号じたい、寺社訪問時にもあまり馴染みがない。

 

元年
2年
元年の3つの事件、いずれも初耳のような気がする。
文久2年の上記年表の4つの「事件」についてはいずれも初耳ではない。
 
特に皇女和宮の件は、「降嫁」という今では使われない用語(「建武の中興」「大化の改新」なみ)とともに良く知っている。
 
何故なら、「皇女」待遇に格上げされた和宮が、あずまへ出向いた時に出発した際の家(跡)が京都御所内の蛤御門から近いところにあるからである。
その家がショウちゃんと同姓を名乗っている。
 
文久2年の年号がはっきり読める。
この石碑をこの角度から見たのは初めて。
「えびす橋」という名の橋名を記す石碑である。
道を挟んだ植え込みのなかにもう一つの石碑を見つけたので入り込んだ。
この記念碑はなんとなくこの角度からは見ていたと思うが、尼崎市内も
この付近にはこの種のものが多数存在するので何の記念碑か確認していなかった。
裏側の記述を眺めて、表側に回り、「記念碑」の上に記された文字が判読できた。
「河川改修 記念碑」で大正年間に建てられたものである。
 
この記念碑のある場所で、庄下川は左右二つの川に分かれる。
西へ流れる、この記念碑の背後の流れが旧左門殿川で、
東へ流れるのが庄下川の本流である。庄下川は松島ポンプ場を経て新)左門殿川に(汲み上げ)放出される。その左門殿川はすぐ北の地点で、神崎川から分かれる川である。
 
↓橋を渡れば築地
庄下川の排水を受け入れた左門殿川は、すぐに、神崎川の本流と合流するが、その二つの川に挟まれた地が(佃煮で名を遺す)東京の佃島に住む人々の故郷である佃島である。
 
合流した川は中島川と名を変え、神崎川や淀川と共に大阪湾へ流れ込む。
 
apedia(尼崎市史ネット事典)
の庄下川の項。部分
 

大物川が古くから東西方向に流れていたのに対し、庄下川は常に南北方向をとってきた。これは尼崎デルタを形成してきた武庫川の一分流であることを物語る。弥生時代の遺跡が、当時の河口と思われる庄下川中流地域にあり、古墳時代への移行も考えられる。また奈良時代の条里遺構も部分的に残っており、古代における武庫郡河辺郡の郡界も、部分的には庄下川の流路に沿っている。中世には生島荘が上流に位置しており、庄下川の名称も同荘の下流であったことに由来するという説がある。

 

近世尼崎城と城下町は河口両岸に位置しており、城の外堀の役割も果たした。

↑まもなくこのあたりにこの形の城が復元される。 

エディオンに統合されたミドリ電化の創業者の寄付と聞いている。

 

 

 

近代には、大正期の大阪板紙の悪水問題などを端緒に水質が極度に悪化した。このため、1988年(昭和63)には建設省による「ふるさとの川モデル河川」の指定を受け、整備工事を進めるなか水質の改善を見た。

  現在は富松川・東富松川・西富松排水路の合流する南塚口町8丁目から左門殿川に合流する松島ポンプ場まで5,954mを庄下川と呼び、2級河川であったが、1972年4月に1級河川となった。

 

  1995年4月には1級河川の指定を変更、東富松川を含んで伊丹市との市境まで上流端を移動し、7,296mとなった。

 
上記引用文中、緑色の部分と河川改修は関係があるようである。
 
「大坂板紙の悪水問題」とは、
 
同じくapediaより:
 
  1915年(大正4)東難波庄下川右岸で操業を開始した大阪板紙(のち西成製紙・聯合紙器)では、多量の用水を確保するため深井戸を掘ったところ付近の井戸水がかれるということが起こった。
 
さらに同工場の排水のために付近の稲が枯死することになった。そればかりでなく庄下川水をボイラーに使用していた阪神電鉄の発電所でもボイラーのさびや機械の故障が続出した。それまで清澄で水泳もできた庄下川の汚濁がここにはじまったのである。
 
そこで板紙では明礬〔みょうばん〕を用いて有害物質を沈殿して排水することにしたが、採算上の理由でまもなく中止した。阪神電鉄の発電所は1919年廃止となったが農地の悪水による被害は解消せず、農民は工場の休業を命ずるよう陳情をくり返した。
 
1922年には尼崎市会も工場移転促進の意見書を議決したし、市当局は1929年(昭和4)、つづいて1932年と同社にたいして浄化設備の改善を要望したが未解決に終った。
 
その後重化学工業の発展にともなって大気汚染も重大化したので、ついに市会は1936年8月煤煙防止河川浄化委員会を設置し対策にとりくむことになった。翌年汚水を放流する工場の付近で水質検査を行ない、さらに19391940両年には庄下川の最大の汚水放流源として聨合紙器(旧大阪板紙)・旭染料両工場の排水口付近の水質検査を実施した。その結果は一般に公表することもできないほど深刻な状態であったので、市と市会の委員は両社にたいして再三交渉をくりかえし、旭染料はフィルター・プレスを設置し、聨合紙器では沈殿槽を設置しコンベア・ポンプで沈殿物回収作業を改善することになって、ようやく悪水問題は一応の解決をみることになった。
 
上の記念碑がある場所に、中在家のポンプ場がある。そのポンプ場に添って緑地と公園がもうけられている。
 
サトザクラが満開。
 
八重桜であるが、牡丹桜とよびたい白色がかったものもある。
 
ソメイヨシノは落花も終わりといった状態
↑中在家公園
 
駅前広場のチューリップは花びらが散り出す寸前
かなしからずやチューリップ影もチューリップ 川口重美
 
チューリップ母の視線はまぶしくて 行方克己 知音
 
チューリップ一人あそびの二人かな 行方克己 知音
 
チューリップぶらんこ止りきつて揺れ 行方克己 知音
 
だまさるることの楽しきチューリップ 行方克己 無言劇
 
白もまた一と色をなすチューリップ 塗師康廣
 
散居村つなぐ明るさチューリップ 黒田桜の園
 
咲き誇りたる北大のチューリップ 秋沢 猛
 
遠山に雪のまだありチューリップ 高田風人子
 
チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
 
遠目には彩揺れてゐずチューリップ 大橋鼠洞
 
花閉づる力の失せてチューリップ 曽我 鈴子
 
黄の音符赤の音符やチューリップ 佐藤 多太子
 
こんなに晴れて団地やチューリップや爆笑 前川弘明
 
チューリップ抱いてゆく青い垣根の鱒二の家 橋田サカエ
 
チューリップ原色はみな孤独なる 中村正幸
 
チューリップ砕く朝敵の風が吹く 菊川貞夫
 
チューリップ花びら外れかけてをり 波多野爽波 『一筆』以後
 
花茎をたてて風待つチューリップ(杉浦百合子居) 上村占魚 『石の犬』
 
空に向き雨受けてをりチューリップ 高木晴子
 
八方へ開く新種のチューリップ 金子佳子
 
チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
 
チューリップ水替へてよりひらきけり 山根きぬえ
 
チューリップの色溶け入りてねむき眼よ 草間時彦
 
鉛筆で書く音静かチューリップ 星野立子
 
チューリップ畑の中の一軒家 三村純也
 
チューリップこみあげてくる色新鮮 三宅未夏
 
昏睡へ開き切ったるチューリップ 椎名康之
 
チューリップみんな開いて青い空 小島阿具里
 
チューリップ黄は黄に閉ぢて明日を待つ 横山房子
 
投函は封書の旅出チューリップ 原 ふじ広
 
チューリップ揺れてをらぬはよそよそし 成川雅夫
 
もう駄目といふほど聞くチューリップ 玉村潤子
 
チューリップ受胎告知の眩しくて 谷口とし子
 
チューリップの花は悪食虫を吐く 岩谷精一
 
知らぬ児とまじり遊ぶよチューリップ 竹内秋暮
 
チューリップ被災明るくしてしまふ 高橋さだ子
 
一角獣に逢ひたくなつてチューリップ 長谷川秋子
 
チューリップ花には侏儒が棲むと思ふ 松本たかし
 
赤し赤し陽を喰べ飽きてチューリップ 長谷川秋子
 
チューリップ青天へ温室の窓ひらく 黒木 野雨
 
散居村つなぐ明るさチューリップ 黒田櫻の園
 
花市の夜明賑ふチューリップ 佐藤 瑠璃
 
開港祭色整列のチューリップ 市川 玲子
 
砂丘四方にチューリップ村の写生展 桂 樟蹊子
 
首のばし揺れゐる黒きチューリップ 仙田洋子 橋のあなたに
 
葉桜のかぶさつて来るチューリップ 中村汀女
 
吾子の絵の家より大きチューリップ 佐藤半三
 
歩く子の手に父母の手やチューリップ 嶋田一歩
 
それぞれにうかぶ宙ありチューリップ 皆吉爽雨
 
ものの芽の全きチューリップとなりぬ 星野立子
 
チューリップの色溶け入りてねむき眼よ 草間時彦
 
チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
 
チューリップの花には侏儒が棲むと思ふ 松本たかし
 
チューリップ影もつくらず開きけり 長谷川かな女
 
ベルギーは山なき国やチューリップ 高浜虚子
 
ゆく春の片羽のこすチューリップ 川辺きぬ子
 
チューリップ月に傾き眠る街 山田弘子
 
缺席の詫チューリップ十二本 後藤比奈夫
 
父の血を享けて青き瞳チューリップ 西村和子 窓
 
チューリップ芽の正直に出揃ひぬ 西村和子 夏帽子
 
空港で鞄にすわるチューリップ 田中裕明 先生から手紙
 
チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
 
チューリップ影もつくらず開きけり 長谷川かな女
 
遠国よ地に大輪のチューリップ 対馬康子 吾亦紅
 
チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
 
園丁は髭ぴんとたてチューリップ 嶋田摩耶子
 
透明の傘に雨つぶチューリップ 福永鳴風
 
重量もつしずかさよチューリップ 秋山牧車
 
子の夢のふた葉となりぬチューリップ 稲畑汀子
 
チューリップゆらゆらものを思ふ朝 石原八束
 
春燈の卓にチューリップの赤き口唇 冨田みのる
 
鉛筆で書く音静チューリップ 星野立子
 
チューリップさして間借りや三ヶ日 鈴木真砂女
 
チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
 
にんげんが柵チューリップ伸びられぬ 栗林千津
 
チューリップ深夜にもう一人の私 橋本美代子
 
チューリップ黄は黄に閉ぢて明日を待つ 横山房子
 
チューリップ母の視線はまぶしくて 行方克巳
 
チューリップぶらんこ止りきつて揺れ 行方克巳
 
だまさるることの楽しきチューリップ 行方克巳
 
にんげんが柵チューリップ伸びられぬ 栗林千津
 
零の地のくちびる赤いチューリップ 栗林千津
 
チューリップ飛び出してゐる花氷 深見けん二
 
ひと言でひとを笑はすチューリップ 辻田克巳
 
母親に閑チューリップ昼ひらく 中村汀女
 
チューリップ飛び出してゐる花氷 深見けん二
 
ぽかり真っ黄ぽかりと真っ赤チューリップ 松本たかし
 
チューリップ散って一茎天を指す 貞弘 衛
 
一列にちゃんと並べりチューリップ さざなみやつこ
 
大如雨露ぐうるりぐるりチューリップ さざなみやつこ
 
 
 
数日前に来た時にはまだ咲いていなかったハナビシソウが盛りを迎えた。
ベニジウムは終わり
↓の石碑の裏側に廻ってみた。
 
尼崎市と四国銀行の関係については未調査。公害問題が激しいころに建てられた。
GNP至上主義からくたばれGNPに流れが変わるのは1970年。昭和45年である。
 
 
 
 
 
 

花蘇芳

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季節がどんどんと進んでいる。去年のペースよりは遅れているように思うが。

 

↓ハナズオウ(花蘇芳)

 

ハナズオウ(花蘇芳、Cercis chinensis)は中国原産のマメ科ジャケツイバラ亜科[1]落葉低木で、に咲くが美しいためよく栽培される。

 

高さは2-3mになり、はハート形でつやがあり、葉柄の両端は少し膨らむ。早春に花芽を多数つけ、3-4月頃に先立って開花する。花には花柄がなく、枝から直接に花がついている。は紅色から赤紫(白花品種もある)で長さ1cmほどの蝶形花。開花後、長さ数cmの豆果をつけ、からに黒褐色に熟す。花蘇芳の名は、花弁の色がスオウ(蘇芳)で染めた色に似ているため。

 

半生の狂ひしときの花蘇芳 山田みづえ

筆文字の艶に色増す花蘇芳 河野多希女

形見には帯こそよけれ花蘇芳 神尾久美子
愚直なる色香の蘇芳咲きにけり 草間時彦

紅梅の空は蘇芳や実朝忌 久米三汀

 

ラクウショウ(ヌマスギ)の新芽(若葉)

 

ヒラドツツジは咲きはじめ

モッコウバラも

日当りのいい場所のアカバナ トキワマンサク 2,3日で満開のはず

万作と常盤万作とでは印象が全く異なる。

どちらも満作として詠われているのであろう。

掃き集め常盤木落葉ばかりなる 高浜年尾
 
常盤木の堅木を頼め鬼打木 中村泰山
 
白きもの又常盤なりふじの雪 雪 正岡子規
 
常盤木や冬されまさる城の跡 冬ざれ 正岡子規
 
常盤木にまじりて遲き紅葉哉 紅葉 正岡子規
 
常盤木の落葉に鳥の声凄し 常磐木落葉 正岡子規
 
常盤津の会ある寺の桜哉 桜 正岡子規
 
常盤木の林の中や赤椿 椿 正岡子規
 
雪折れの枝落つ常盤御前の墓 山口耕堂
 
滑木割る常盤御前の墓の前 森 靖子
 
常盤木の闇そだてをり十三夜 本宮鋭太郎

以下の句には常盤満作を詠ったものはない。

万作は微風を糧として漫ろ 高澤良一 石鏡
 
万作黄葉亡母天空にありとせり 金子皆子
 
鶏乗り童子山駆けて万作が咲く 金子皆子
 
万作や万葉仮名の八一の書 田部みどり
 
万作まんず咲いて妻の大きな欠伸 山鹿精一
 
万作の花の貧しき黄色かな 倉田紘文

高澤さんの句はみな面白い

谷間谷間に満作が咲く荒凡夫 金子兜太
 
満作の鉤十字(ハーケンクロイッ)靡かせて 高澤良一 素抱
 
ヒトラーの雄辯満作前にして 高澤良一 素抱
 
満作はお天道様のおかげ咲き 高澤良一 素抱
 
満作植う根方を強く足固め 高澤良一 寒暑
 
満作の小出しに咲ける臆病花 高澤良一 寒暑
 
満作の昼臈たげな気息かな 高澤良一 寒暑
 
満作の昼素通りの郵便夫 高澤良一 寒暑
 
満作の綻び初めぬ空鳴る日 高澤良一 寒暑
 
桃・満作咲きてとんとん拍子の春 高澤良一 寒暑
 
満作を前に餃子のげっぷかな 高澤良一 寒暑

 

 

 

 

哀悼

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花蘇芳訃報はいつも唐突に

 

19日には岡山県で3件3人の交通事故死があったらしい。

山陽新聞デジタルの見出し

「横断中はねられ、89歳女性死亡 美作の国道179号」

 

 

我が墓地にならぶ墓石の中にひとつだけ朱文字が30年近く消えずに残るものがある。

子供は3人、孫は6人、曽孫8人の従姉、4月8日に元気そうな姿に接したばかりなのに、

家の前の国道を横断中の事故。

 

 

これが最後の出会いとは思っていなかったし、5月にも、6月にも美作へやってくるつもりであったので、片隅に写る画像しか残せなかった。

今年の正月には、卒寿の祝も済ませていた。1週間ほどは、都会に住む長男とも一緒に過ごせた。

私は家の門前で、草花の他に何か野菜を育てるのが趣味。ゴーヤは大成功だった。

去年はなすび。蒟蒻や蕎麦もご近所さんの評判が良かった。

今年は胡麻に挑戦するつもりで、美作へ出かけた。種がないかと問うたら、みな煎ってしもうたということであった。手に入れていれば、従姉からの、貴重な遺産分けを受けたことになるところであった。そういえば、従兄の一人から受け継いだ擬宝珠が芽吹いたので、つい先日門前に並べたところである。

 

司法解剖が終わるのが来週月曜日になるとか。

火曜日の句会は休んで、でかけるつもり。

 

 

 

 

ジェーン台風

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尼崎には、市の花、市の樹花、市の草花が制定されている。

市の花はキョウチクトウである。

1952年に制定された。

ジェーン台風で市の南部が海水に浸かった時も夾竹桃は生き残った。

 

検索式にマッチする 88 個の項目が見つかりました。

台風の眼のぽつちりとくつきりと 行方克己 昆虫記
 
一樹にこもる雀台風去りし後 加藤憲曠
 
台風の落し子遊ぶ芋畠 清水基吉
 
台風来屋根石に死石はなし 平畑静塔
 
台風圏飛ばさぬ葉書飛ばさぬ帽 磯貝碧蹄館
 
台風のちかづく窯火混沌たり 坂巻純子
 
台風一過小鳥屋の檻彩とび交ふ 大串 章
 
放課後の暗さ台風来つつあり 森田 峠
 
台風のなきまっすぐな胡麻を刈る 足立 晩生
 
台風の前の静けさ梨を採る 檜田 慧星
 
台風の動きの遅々と夜に入りぬ 佐野 五水
 
台風の目の中天道虫を掌の平に 前田秀子
 
台風の後くるひなき杉の列 今瀬剛一
 
遠き台風洗ひても~コップ曇る 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
台風過療者は胸に手を遣し 齋藤玄 『玄』
 
綾取りをして台風の行くを待つ 鈴木三和子
 
台風の報聞く帰国のエアポート 八巻絹子
 
台風の駅を出てゆく豚の貨車 林 民子
 
台風や四肢いきいきと雨合羽 草間時彦
 
ビヤ樽に台風前の雨ぎつしり 秋元不死男
 
台風に唸り返してポプラの樹 斉藤和夫
 
落ちし巣に蜂飛びかひて台風禍 堀井美奈子
 
蒙古塚かの日の如き台風来 大島きんや
 
台風過神も仏も手薄なり 新井智恵子
 
台風の前ぶれに涌く海つばめ 福永みち子
 
台風の大き夕日を残しけり 塚原静枝
 
台風禍女人高野に及びけり 田中年枝
 
台風の生るゝ眼下を渡る旅 池田太恒
 
台風の被害大木もてあそぶ 辻内代美子
 
井戸水を濁し台風去りにけり 藤本安騎生
 
台風の街に自販機点しけり 高橋桃衣
 
肉眼で見ることの無き台風眼 福田万紗子
 
台風や無口なる人動き出す 笹本カホル
 
台風に一喜一憂林檎園 荻原達昭
 
台風の来るたび鼠太りけり 真山 尹
 
台風の水禍ここまで壁の線 田中康雄
 
梅酒わくや台風速度増しにつつ 吉野義子
 
唐辛子台風すぎし天を指す 水谷晴光
 
やはらかき陽をまぶたにす台風禍 石川 桂郎
 
疼く歯や台風洋を来つつあり 相馬 遷子
 
ひとりの起居台風の燭かばひつつ 馬場移公子
 
台風過往診蹴りし悔のこる 下村ひろし
 
台風の前ぶれに涌く海つばめ 福永みち子
 
妻の手のやはらかすぎし台風過 橋本榮治 越在
 
台風はきぞに朝顔の種収む 臼田亜浪
 
台風に迷走といふ語ありけり 久永雁水荘
 
台風の報刻々と産気づく 大場思草花
 
台風の蜂の巣おもて蜂の満つ 新津香芽代
 
洋傘ひろげ台風の尖すでに感ず 近藤馬込子
 
台風が木犀の香を払拭す 相生垣瓜人
 
台風の去つて玄海灘の月 中村吉右衛門
 
台風の過ぎたる見れば荒川が太りていたる月を浴びつつ 沖ななも
 
圧力鍋音して台風圏に入る 辻美奈子
 
ひとりぶんの米研いでゐる台風裡 辻美奈子
 
台風来高原の闇うねり来る 柴田奈美
 
台風が尾骨に迫る星夜かな 五島高資
 
台風の目に入る自動販売機 五島高資
 
台風のあとの空気を食べにけり 五島高資
 
ゆつくりと台風の来る山容ち 藤田あけ烏 赤松
 
台風を迎え討つ気の豚舎なり 加藤あきと
 
台風圏水は輝くこと忘れ 中川いさを
 
台風に瓦浮きたり日吉館 志賀松声
 
台風と闘ひし傘携へて 木暮陶句郎
 
大落暉呑めり台風兆す海 米田双葉子
 
台風裡浅蜊に砂を吐かせをり 大串章
 
台風の生れたる地図日本小さし 右城暮石
 
土平らし居り台風の来るまでは 右城暮石
 
望以後の月かつうばひ台風来 亀井糸游
 
堀割に台風避くるマストふゆ 亀井糸游
 
人生の台風圏に今入りし 高浜虚子(1874-1959)
 
美食して戻る台風の目は遥か 鈴木真砂女
 
蓼ほそくのびて台風圏に入る 藤木清子
 
台風に寝てマンションは玻璃一重 品川鈴子
 
手が見えて台風前の火造場 原田喬
 
姨捨山上台風を見送りぬ 原田喬
 
台風を告ぐる港の拡声器 大島民郎
 
マネキン反り指ぬれる北上台風 和田悟朗
 
台風去り松に戻りし松林 辻田克巳
 
台風は過ぎ茄子の木に茄子の花 今瀬剛一
 
台風あと別な白さの萩咲ける 細見綾子 存問
 
フェニックス必死の翼台風裡 森田峠 避暑散歩
 
燦々と台風一過カレー煮よ 松澤昭 面白
 
台風のそとにでてゐるえとらんぜ 松澤昭 麓入
 
台風やひとり娘に灯が鮮た 飯田龍太
 
燦々と台風一過カレー煮よ 松澤昭
 
台風の余波はろはろにくるからに一湾の魚今宵透くらし 佐々木幸綱第十歌集 呑牛
 
足裏のざらざらとして台風圏 原國郁子
 
人生の台風圏に今入りし 高浜虚子

 

 

 

 

阪神電車尼崎駅の南側に残る記念ポール。

時計台の右手奥。↑

↑の画像には写っていない海水面↓表示。

このポールが立っている地面は、海水面より低い、海抜0m(以下地点である。

 

その地点でジェーン台風の折の浸水面は

1950年のジェーン台風時、私は尼崎の住民ではなかった。よって尼崎市の悲惨さを実感・実聞はしていない。がポールの傍らで、はるか上を眺めて、当時の被害者の困窮を思うことしきり。

 

図説「尼崎の歴史」より:

 

ジェーン台風の襲来

 昭和25年(1950)8月28日に硫黄島〔いおうじま〕付近に発生したジェーン台風は、9月3日午前10時頃高知県室戸岬の東方を通過し、紀伊水道を北上して午後1時頃神戸市内に上陸。その後兵庫県東部から若狭湾に抜け、日本海を通過して北海道を横断しました。神戸市内で記録された最低気圧は、午後1時10分の964.3ヘクトパスカルでした。

 


 尼崎市域が暴風雨圏内に入ったのは午前11時頃のことで、12時前後には最大瞬間風速44mを記録します。午後には風向が東から南西にかわり、O・P(大阪湾最低潮位)3.6mの高潮による浸水被害が発生。午後3時頃にはおおむね阪神国道以南が浸水し、小田地区では東海道線にまで浸水線が及びました。南部の初島地区では、家屋の2階なかほどまで水につかるというありさまでした。 

 


 この台風による市域の被害は、下の表のとおり甚大〔じんだい〕でした。避難所42か所への避難住民はのべ10万2,410人に達し、本庁地区では避難所の閉鎖まで73日間、大庄〔おおしょう〕地区では59日間を要しました。市内経済への影響も大きく、尼崎商工会議所は被害総額143億9,920万円と試算しました。

・・・
 

ジェーン台風による尼崎市域の被害

【人的被害】
死者22人 行方不明者6人 負傷者228人 罹災(りさい)者24万1,933人
【物的被害】
家屋被害 全壊389戸/半壊7,578戸/流失112戸/床上浸水1万8,679戸/床下浸水6,951戸
農地被害 823ha(冠水(かんすい)・流失・埋没)
堤防被害 決壊32か所/崩壊39か所/破壊52か所
橋梁(きようりよう)流失 破損6か所/決壊8か所
道路被害 決壊8か所/路面上荒94か所
工場被害 被災358工場/被害額32億7,940万円
「尼崎市事務報告書」昭和25年版より

 

現在では、7mの高潮、津波には対応できる措置がなされているようであるが、

それ以上の高さの波が押し寄せると、尼崎市北端で、武庫川からも猪名川からも

尼崎市内では可能な限り遠距離に位置する我が家周辺でも40センチ以上、海水による冠水

の可能性はある。

 

図説尼崎のf歴史はつづけて

二人の回想を掲載している。

キョウチクトウの写真 ネット上の図説からコピー☚

『甦る夾竹桃』掲載、当時高校1年生だった伊藤時子さんの回想

 その日は朝から風雨がきつかったが、わたしは西宮の図書館へ行きレポートの資料を整理していました。ますます風雨がきつくなったので、昼前に帰宅しました。我が家のバラックの屋根や壁、ガラスに風雨がぶち当たり、家がつぶれないかとても不安でした。何時ごろだったでしょうか。「堤防がキレタゾー。水が来るから二階に上がれ」と見回りをしていた近所のおじさんがどなりました。(中略)路地のあっちこっちから水がすごい勢いで我が家めがけて押し寄せて来ました。でも荷物も大事なので夢中で運んでいるうちに、水はみるみる増えて来てアッという間に膝まで来ました。さらに太ももまで水につかりながら荷物運びをしていましたが、もう無理だと思って残った荷物が気になりながらも止めました。二階から水のおそろしい流れを見ていると、クジラ屋さんの大きな肉のかたまりが、ながれの中にプカプカと浮いていました。そのほかいろんな物が、トイレの汚物なども路地めがけて流れて来ました。

 

当時37歳だった岡田竹蔵さんの回想

 
 

 (築地の製釘工場から東本町〔ほんまち〕の家に)帰るとき東からま横の風が吹いていたが、急にパっと南の風に変わった。海からの風で高潮が押し寄せ、家の中にもアッという間もなく水が入っていた。そこで急いで天井裏の中二階に家族全員避難した。その時すでに背が立たんほど水が入っていた。タンスの上10cmほど残してみな浸水していた。いまもその時の跡がタンスに残っている。何も避難させる余裕はなく、人間が天井裏に上がるのがせいいっぱいだった。天井裏の中二階というのは、昔からこの辺はよく水に浸かるから、すぐ逃げられるようになっていた。(中略)あくる朝、父たちはどうなったか心配で、少し水の引いた中を築地へ行った。倒れた工場の中を探していると一本の手が見えた。それが父の手だった。父は大きなフロ桶の中で死んでいた。高潮が来た時、父はとっさに直ぐ近くにあったフロ桶に飛び込んだらしい。水に浮いたフロ桶は大きく揺れる。そこでフロ桶の上の方を両手で必死につかまえていたようだ。ところが高潮で工場全体が浮き上がり、フロ桶の上に木材が落ちてきて窒息死したらしい。もう1人の親戚の子は屋根をやぶって逃げて助かった。
(卜部建〔うらべけん〕・横山澄男両氏による平成11年の聞き取り記録より)

 

 

そういう状況の中を夾竹桃は生き残った。

 

市の花に制定された頃に植えられたと思うキョウチクトウの大木が、今でも武庫川東岸にはたくさん残っている。

 

しかし24年前(平成5年)に、新たに、市民アンケートなどを経て、ハナミズキが市の木に、ベゴニアが市の草花(「市の草花」という指定は尼崎だけではないだろうか。すでにあった「市の花」夾竹桃を廃止することはなかったからである。)と決められた。

 

尼崎市の中央公園の植栽を見る限り、市の草花はベゴニア以外の感もある。

しかし花水木の方は現在の尼崎市内各所で「名所」的な並木をみることが出来る。

いつも紹介しているんは農業公園へいたる並木道である。

今年はまだ出かけていない。

 

 

 

市報

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画像を取り込めなくなる事故発生。

 

昨日は花水木の画像を取り込むつもりが、その段になって、

画像取り込みが困難になり、急きょ、タイトル変更。

 

市報みまさか5月号が今日届いた。

市議会選挙 速報が織り込まれていた。

トップ当選は、公明党候補の山本さん。得票数、1,234.810!

120万票? 有権者総数24,385で、百万票?

よくみると、1,234,810ではなく、1,234.810.

0.810票は、ブービー当選した山本さんがいて、多分、「山本」としか書いていない票を按分した結果

 

 

 

箱眼鏡干されて選挙事務所かな 清崎敏郎
 
餅を搗く町長選挙投票後 山本照雪
 
選挙ビラ漁村にあまり羽抜鶏 中本柑風
 
花に選挙花に争議のこれやこの 久保田万太郎 流寓抄以後
 
髯ありしと舟虫に佇ち選挙すむ 赤城さかえ

追記:またまたカメラの設定がずれていて、auto 設定が3MB以上になっていたよう。

↑5.6MB→611K

 

Zeppなんば

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昼食は木津卸売市場で。

 

ここにも祠がある。

 

しかし御堂筋沿いには大国主神社がある。木津の大国さんというらしい。

食べた店は「洋食屋」を名乗る店。市場の東側を通っている阪神高速1号線の高架下にある。

座席はオープンスペース

 

そこからパークス通りという名の道路を隔てて長い長い行列が見える

 

建物はZeppなんばという名前

建物を完全に1周以上している。↑時刻は12時半頃。

入り口は道路の反対側(建物の裏側)

家に戻ってから検索するとテラシマタクマという人物のliveで、開場は午後4時半、開演は同5時半とあった。10代後半の女性が圧倒的に多い。

 

開演のベルにをさめる秋扇 佐々木静子
 
餅花に開演ベルのひびきけり 佐久間慧子
 
開演を待つざわめきや夕薄暑 細梅 数生

 

「ライブ」では例句なし。並んでいる人の中に俳句に関心ある人は極少なのであろう。

 

 

 

楊貴妃

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八重桜の中では楊貴妃は、遅咲きのよう。

 

 

 

 

冬桜はほとんだ葉桜であるが、枝先ではまだ咲いている。

ソメイヨシノより1か月以上前から咲きだし、ソメイヨシノが咲き終わってもまだ残っている。

 

我が家のノースポール。風が強いので少し偏っているが、これからが満開時期である。

 

 

ギボウシ

 

女人のみ泊める坊舎や花擬宝珠 奥 令子
 
日ざし恋ふ擬宝珠の丈や大樹海 大津希水
 
絵島の地擬宝珠は花を納めたる 井桁白陶
 
青嵐瀬田の擬宝珠を吹めぐる 巌谷小波
 
擬宝珠に夕べの雨の雫かな 田村 秀子
 
草刈も影もさやけし花擬宝珠 藤田湘子
 
仏間よりとどくまなざし花擬宝珠 鈴木蚊都夫
 
擬宝珠のむらさき汚れ悲別鉱 堺 信子
 
花売りの擬宝珠ばかり信濃をとめ 橋本多佳子
 
擬宝珠またかざせる花に白絣 中村汀女
 
雨音の高まりて来し花擬宝珠 田中芙美
 
絶壁に擬宝珠咲きむれ岩襖 杉田久女
 
石叩き叩く擬宝珠をきめてをり 中村天詩
 
わが胸は小さくなりぬ花擬宝珠 石田波郷
 
花もろとも擬宝珠を刻む岩魚汁 小林黒石礁
 
煽られて影をふりまく花擬宝珠 仙田洋子 橋のあなたに
 
野蒜つむ擬宝珠つむただ生きむため 加藤楸邨
 
睡き子のかたむきかゝる花擬宝珠 石田いづみ
 
登り来て擬宝珠花叢霧ふかし 村沢夏風
 
擬宝珠咲きたわみて風にゆれやすし 八幡城太郎
 
旅ゆけば我招くかに擬宝珠咲く 角川源義
 
湖張つて一襞もなし花擬宝珠 秋元不死男
 
這入りたる虻にふくるる花擬宝珠 高浜虚子
 
野蒜つむ擬宝珠つむただ生きむため 加藤楸邨
 
花売りの擬宝珠ばかり信濃処女 橋本多佳子
 
雨だれにこちたくゆるゝ擬宝珠かな 野村泊月
 
野蒜つむ擬宝珠つむたゞ生きむため 加藤楸邨
 
這入りたる虻にふくるる花擬宝珠 高浜虚子
 
つくばねや擬宝珠をとぶ牛若子 井原西鶴
 
擬宝珠の葉を擦りて鳴る添水かな 京極杞陽

関山はすでに葉桜。

14日の大阪造幣局通り抜け

 

 

まあ、東京上野に比較すれば、人はちらほら。

 


野辺送り

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鉄砲の茂る野辺行く霊柩車

北朝鮮の暴発が懸念される日であった。

故郷はこの画像の背景の山々の麓。

 

この種の車は市街地では通行禁止になっているという噂である。

出発地も野の中

 

 

野辺送りは建物の前で、乗車前に、棺が3回小回り。

出棺予定時刻が11時だったが、定刻通り。

年長の曽孫は高校生である。↑の画像に写っている。母親に抱かれているのも曽孫である。

私は、父方祖父の葬儀の日は3歳と数か月であったが、わずかな記憶がある。

 

 

改めて哀悼

 

 「哀 or 悼」で検索

 
まくなぎを払ひつつ聴く史かな 轡田 進
 
葉桜や大き喪の空垂れにけり(山本健吉先生) 野澤節子 『駿河蘭』
 
八月のこの真盛りの竹のこゑ(中村俊定先生) 野澤節子 『駿河蘭』
 
霜月や素通りのごと逝き給ふ(横山白虹先生) 殿村菟絲子 『菟絲』
 
涼しいねと通夜の遺影のおん眼もと(大野林火先生) 殿村菟絲子 『菟絲』
 
僧走り桜もつとも散る日なり(石沢善十郎翁) 殿村菟絲子 『菟絲』
 
悲しみを重ね沈丁丸くなりぬ(、鈴鹿野風呂翁) 殿村菟絲子 『樹下』
 
憎しめば中秋の月逃ぐるなり(長谷川かな女様) 殿村菟絲子 『旅雁』
 
暁寒く枯るゝ命をめぐり坐す(菅沼氏) 『定本石橋秀野句文集』

 
茨の実を食うて遊ぶ子なり 村上鬼城
(牛の糞から穀物を選りだして洗って食う子がいるという話を最近聞いた)
 

 
夜々むすぶ夢の艶きくまくら 飯田蛇笏
 
女人にも戦の史天の川 石井道子
 
青葉木菟峠に女工史あり 松本千冬
 
月に聴く平家史の琵琶の音 岩田つねゑ
 
かの蛍黄泉を往き来の舞ひぐあひ(矢嶋あきら) 橋本榮治 越在
 
魂魄を身近かにしたる朧かな(佐藤鬼房) 橋本榮治 越在
 
袋角熱あるごとくなり 中田みづほ
 
山茶花や難波へ向てつかみざし 一雀(芭蕉翁)
 
帰り花菊をむかしの翁哉 闇指 (蕉翁)
 
蓮の葉のかれてかひなき泪哉 支幽 (翁)
 
枯蘆や名をかき寄る潮頭 東潮 (芭蕉)
 
なき骸を笠に隠すや枯尾花 其角 (芭蕉翁)
 
腰折て木葉をつかむ別れ哉 正秀 (翁)
 
かろき身のはてや木葉の吹とまり 猿雖(翁)
 
落葉見し人や落葉の底の人 沾徳 (芭蕉)
 
耳の底に水鶏なく也冬の雨 露川 (翁)
 
芭蕉葉の寒しと答ふ声もなし 角上 (翁)
 
無き跡や鼠も寒きともちから 木節 (芭蕉)
 
どことなく地にはふ蔦の也 越水
 
行秋や四方のの有磯海 樗良
 
土に這ふ朝顔は猶なり 闌更
 
朝顔や夕の人のなき便り 支考 (野童)
 
白萩のあるじなくとも盛りかな 稚魚 (後藤夜半先生)
 
其時を一葉の船の暇乞 乙由 (一日我を招かれしを思ひ出て)
 
橘やきのふの人のはや昔 也有 (廬元坊)
 
世に薫る花橘やちる跡も 羽紅女 (也有)
 
橘のかをり顔見ぬ許り也 荷兮 (亡)
 
不産女の雛かしづくぞなる 嵐雪
 
夜の桃あたたかなればなり 素檗
 
死を知らずよべ望月を海の中 魚目 (香月泰男先生)
 
陽炎や日本の土に殯(かりもがり) 子規(蘇山人)
 
袋角熱あるごとくなり 中田みづほ
 
の電車待つこゝろ夏天の松 石田波郷
 
出戻りの姉なり雛の客 中村楽天
 
うまず女の雛かしづくぞ(あはれ)なる 嵐雪
 
松虫や祇王の史説ける尼 小原菁々子
 
落第の秀才なり小夜すがら蛾を撲つ 尾崎紅葉
 
ひこばえにをいひてわかれけり 室生犀星 犀星發句集
 
梅花飛び尽せば風を見ざりけり(先考亡) 芥川龍之介 我鬼窟句抄
 
あめつちに歌いくばく柿の邑 和田悟朗
 
しぐるゝや筏ののさし急ぎ 炭 太祇 太祇句選
 
雁よりはも低しわたり鳥 横井也有 蘿葉集
 
春雷の美しく鳴り移りたる・・・『心』より斎藤茂吉の句を徴されて
 
梅を供す親よろ背より子ぞ(かな)し 竹下しづの女句文集 昭和二十三年
 
留守もたずと思へ山桜 西望 選集「板東太郎」
 
茄子焼秋のもしられけり 昌夏 選集「板東太郎」
 
色の山やと憂さを弥時雨(いやしぐれ) 翁言子 選集「板東太郎」
 
我形のに見ゆる枯野かな 智月 十 月 月別句集「韻塞」
 
添へて置かぬ船あり社若 京-助叟 元禄百人一句
 
不産女の雛かしづくぞなる 服部嵐雪
 
夜寒さぞ壁つけぬきりぎりす 椎本才麿
 
鉢たゝきめおと出ぬも也 榎本其角
 
文霞 白炭の骨にひらくや後夜の鐘 蕪村遺稿 冬
 
夜の鶴鴛鴦の中よりもなり 加舎白雄
 
まてぐしには馬刀のちから哉 加舎白雄
 
秋といひしをすまの山ざくら 高井几董
 
げもまだほめく夜の秋の風 上島鬼貫
 
蓮の骨は美女の屍哉 服部嵐雪
 
不産女の雛かしづくぞなる 服部嵐雪
 
花皆枯れてをこぼす草の種 松尾芭蕉

 

 

八重桜

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24日は朝からきれいな靑空だった。↑↓加西SA

昼食を作東バレンタインホテルでと思いでかけたら、バイキングランチは2部制で、どちらも

予約満席であった。

ここも快晴。

役場の2階にあるペイネに廻ってみるとここは月曜定休日。

 

八重桜が目に入ったが、そこは花嫁さんの記念写真撮影現場になっていた。

昼時だが、母方従兄の家へ。従兄が風呂からあがれないまま、救急車で運ばれ、入院したが、退院したという報に接したので、お見舞い。庭に何本か花蘇芳があり、満開。

 

↓狭い道を隔てた隣家。ここには家はなかったので、どなたがどんな経緯で住まわれるようになったかはまったく知らない。右手奥の瓦屋根の家は良く知っている。

ここに住んでいた女性(若死なさったようだが)とはコンビとなって伯父の再婚の折の三々九度のお神酒運搬役をやった記憶がある。まだ小学生であった。

奥方の方も歩行困難だが、退院してまた風呂に入り、また上がれずに、また入院したとのこと。

門口で近況だけ聞いてお見舞い言って退去。この家へ来る道は極めて狭いのでいつも

車は、集落の入り口のバス停(この時間帯にはバスは数時間やってこない)の前に止める。岡山県警の小型車が不審車として様子をうかがっていた様子。別段駐停車禁止マークなどないが、恐る恐る発車。

 

ローソンに寄って、おにぎりなどを確保。

天気がいいので、水道公園行きを思いつく。

広い駐車場に、それでも2台ほど先着あり。

こんな風景が見える枝垂れ桜の下にベンチを発見

私はおにぎり2つ、稲荷2つ、巻き1個。ペロペロ。野外食はいい。!

サトザクラ各種の盛りは先週であったようだが、種類によってはまだ花を残しているものもある。

 

一番の場所は、配水棟の麓だが、この道を登ってUターンするのに困ったことがあり、

同乗者の許可が下りない。

よってズーム撮影のみ。

そこここにベンチが置かれて入り、↑の場所でも家族連れの姿が見える。

すでに3台駐車。

公園のすぐ下は、湯郷ベルのホームグランド。

只見用のベンチまで用意されている。

 

空がきれいなので、空が見える景色を主に撮影

せせらぎのたたきだしたる里桜 松澤昭 宅居
 
幹ずんと押し出しのよき里桜 ぱらりとせ

 

金くさき人の往来や八重桜 八重桜 正岡子規
 
吉原や雪洞多き八重桜 八重桜 正岡子規
 
古寺や心強くも八重桜 八重桜 正岡子規
 
料理屋の厠うつくし八重桜 八重桜 正岡子規
 
一重づゝ一重つゝ散れ八重桜 八重桜 正岡子規
 
八重桜綻ばす日のぽっかぽか 高澤良一 暮津
 
嘶きの悲鳴に似たり八重桜 岩淵喜代子
 
八重桜飲食に昏れ若水忌 殿村 莵絲子
 
八重桜思ふところに亡夫置き 殿村 莵絲子
 
八重桜南より来し雨大粒 土田祈久男 『素心』
 
山に出て山に入る日や八重桜 成瀬櫻桃子
 
八重桜人間われら鬱といて 山崎 聰
 
泣けぬ爺ばかりのベンチ八重桜 熊谷愛子
 
八重さくら蒔絵書手のなとやらん 八重桜 正岡子規
 
八重桜咲きけり芋に蜆汁 蜆 正岡子規
 
八重桜いろに綿菓子生れけり 神原栄二
 
八重桜わんわんと散る古戦場 谷内 茂
 
とろけるまで鶏煮つつ八重桜かな 草間時彦
 
八重桜日輪すこしあつきかな 山口誓子
 
起居憂し咲きただれたる八重桜 福田蓼汀
 
掌にのせて産衣のかろさ八重桜 吉永寿美子
 
名園に女こゑ透く八重桜 加藤三陽
 
奈良七重七堂伽藍八重桜 芭蕉
 
いにしへは奈良酒で見ん八重桜 重頼
 
八重桜湯へ行く人の既に潔し 中村草田男
 
八重桜瞼重たくなりにけり 高澤良一 随笑
 
八重桜大社の巫女の往き交へる 高澤良一 随笑
 
大木の伽藍のごとき八重桜 高澤良一 寒暑
 
優しさを重ねて匂ふ八重桜 松井多美子
 
はなれ観てさらに存在八重桜 河合禮穂
 
八重桜鳩にも鳩の派閥あり 井上代志千
 
八重桜ぽつてり午後のメランコリー 白根順子
 
重たげに風の中なる八重桜 白石時子
 
時間外勤務のやうに八重桜 矢島渚男 延年
 
八重桜さみしきものに革鞄 宮坂静生 春の鹿
 
八重桜日差が胸にひえびえと 川崎展宏
 
八重桜になりゆく光このごろの 川崎展宏
 
八重桜ルース・リーフの罫の上 川崎展宏
 
夕風のぞつと冷えたる八重桜 川崎展宏
 
八重桜学校裏は風ばかり 川崎展宏
 
八重桜日差重しと咲きにけり 山田弘子 懐
 
八重桜ひとひらに散る八重に散る 山田弘子 こぶし坂
 
記念日をひとつ加へし八重桜 山田弘子 こぶし坂
 
水音の家々つなぐ八重桜 ながさく清江
 
発電所ところどころに八重桜 皆川盤水
 
死後も日が海からのぼり八重桜 和知喜八
 
父ははのめでたく老いぬ八重桜 柴田佐知子
 
おぼろにて木兎移りゆく八重桜 水原秋櫻子

 

 

 

品種名を記した木札の多くは失われている。

 

土と環境があって育ちのいいものもあるが(松月など)、そうでないものも多い。

 

若木の周りには獣除けの柵なども設けられているが機能していないほどに壊されている。

 

杣道というほどでもないが。舗装されている。

熊出ると言ふ杣道を独活掘りに 小西須麻
 
杣道の登りとなりて鶉鳴く 永由頼寿

 

 

 

 

 

オオデマリ

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オオデマリも例年より遅れている感じ。 岡山 ノースビレッジ

「ファーマーズ・マーケット」は看板に偽りありか。

でも今ある美作のFMは大好きだ。

日本中央とあり大手鞠小手鞠 金子兜太

 

これは植物かどうか?名古屋岐阜辺りに手毬造りの産地があるのか?

検索したら、この日本中央は、青森県東北町であった。句碑の傍に植えられている木は、

断言できないが、大手鞠のようだ。

 

20株ほどだが、真っ白な花を咲かせると圧巻である。

ウィキペディア:

オオデマリ (大手毬, 学名:Viburnum plicatum var. plicatum f. plicatum) はスイカズラ科の植物の一種。別名テマリバナ

 

日本原産のヤブデマリV. plicatum var.tomentosum)の園芸品種である(ただし学名上はこちらが基本種扱いで、原種のヤブデマリは変種扱い。これはViburnum plicatumという種がオオデマリを基準標本として記載されたため)。花期は5月頃で、アジサイのような白い装飾花(近年はピンクのものもある)を多数咲かせる。

原種は花序の周辺にだけ装飾花をつけるものだが、品種改良によって花序の花すべてが装飾花となったものである。このような変化は、アジサイと並行的である。

 

 

 

真面な宿を取った時には、4時までにチェックイン。サウナを含めて1時間は温泉に浸かって、

1時間ほど夕寝。夕食。食後のぶらぶら歩き。ポピーなら夜のコーヒも楽しめる。

今回はラウンジのある同じ4階に部屋があったので、何かと便利だった。

吉野川

吉井川に名を変えるのはもう少し南の周匝あたりからだと思うが、

管理省の施設名には、この辺りでも吉井川の名が使われている。

何流れゆく元朝の吉野川 岡本高明
 
寒の水あをあをとして吉野川 日野草城
 
吉野川こゝにして鮎の瀬とたぎつ 日野草城
 
桑を解くうしろかがやく吉野川 光永峡関
 
茅花流し水満々と吉野川 松崎鉄之介
 
吉野川洗ひ障子の赤はだか 平畑静塔
 
葛水や鼻の下行く吉野川 宗 因
 
青淵のほかは雪満つ吉野川 松岡英士
 
紙干すや雪掃き落す吉野川 影山翠濤
 
吉野川鮎落ちつくし楮干す 小川枸杞子
 
吉野川八十瀬の隈に鮎を掛く 野風呂
 
吉野川青き流れの花樗 細見綾子
 
吉野川火の帯となる夕焼かな 上崎暮潮
 
山々や枯を離るヽ吉野川 藤田あけ烏 赤松
 
吉野川翳なすは秋拡がれり 千代田葛彦
 
春めきて水嵩ましぬ吉野川 一春
 
雛過ぎの白波顕つて吉野川 鷲谷七菜子 天鼓
 
花の雪まぐろ登らん吉野川 洞雨 選集「板東太郎」
 
吉野川や水の出ばなはおもしろ簗 井原西鶴
 
菜摘近し白魚を吉野川に放いて見う 榎本其角
 
山吹の莟も青し吉野川 野澤凡兆

詠われている「吉野川」は、

 

奈良県紀伊山地の経ヶ峰付近水源とする川。和歌山県入り紀 ノ川となり紀淡海峡に注ぐ。長さ81キロメートル。⦅歌枕⦆ 「 -岩波高く行く水のはやくぞ人を思ひそめてし/古今 恋一」

四国中央部東西流れ大河長さ194キロメートル四国山地瓶ヶ森に発し,上流部に大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)の峡谷をつくり,徳島平野形成して紀伊水道に注ぐ。農業電力工業用水利用される。四国三郎

 

のうちの、①であろうが、

私の吉野川は、西粟倉に源流を持つ美作の川である。

 

全国に吉野川は20川ほどあるようだ。

 

 

イペ

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ワイフが自分が兼題として出題した「春の宵」で難渋しているのにひかれて、

 

門前で夕刊立ち読み春の宵

むらさきに身を染めている春の宵

ロベリアが咲き始めたので、2句目ができた。

株全体が紫にならないとロベリアではないが、目下は1株に1,2輪。

イペが咲いたという報に触れたので、飲茶を餌にワイフと神戸元町へ。

鯉川筋に計10本ほど植栽されている。ブラジル領事館があるためとか。

 

イペの国に桜を咲かせ移民の碑    湯田南山子

 

第70回の芭蕉顕彰記念俳句大会で、有馬朗人選の入選句

さすが世界人、朗人さん。

 

ウィキペディア

イペ(ipe)は、ノウゼンカズラ科の広葉樹。別名パオロペとも呼ばれる。学名Tabebuia spp[1]

 

ブラジル・アルゼンチン・パラグアイなどに分布する。樹高が45m、幹が1mを超える高木となる。紫イペ(Handroanthus impetiginosus)にはラバコールと呼ばれる成分が含まれており、防腐効果や防虫効果を発揮するとされている。南米の原住民は、紫イペの樹皮の内側の層を削って煎じてラパチョと呼ばれる民間煎じ飲料として使用する。解熱・消炎・妊娠中絶・健胃効果があるとされる。

樹高45mになるとか。画像のものはほんの若木である。

確かに花の形はノウゼンに似ている。色は、黄色である。

ブラジル国旗の黄色

「ブラジル国旗の意味」の画像検索結果

ひょっとして国花であるイペの黄色かと思ったが、そうではなかった。

黄色は金などの鉱物資源を意味するらしい。

 

イペの花ブラジル国旗の黄の色で

 

 

我が家のノースポール

 

 

アカシア通りのナガミヒナゲシ

 

 

ウィキペディアによれば、ナガミヒナゲシは、

日本では帰化植物として自生している。輸入穀物などに紛れて渡来したと推測され、1961年東京都世田谷区で初めて確認された[4]。以後群馬県福岡県などにも分布が広がり、2007年には青森県沖縄県を除く日本全国で繁殖が確認されている[3]。発生場所は初期には幹線道路沿いに限られていたが、2011年には農地への繁殖も認められる[4]。2017年には埼玉県新座市飯能市のように住民に対してナガミヒナゲシの危険性を周知するとともに駆除の協力を呼びかける自治体も現れている[7][8]

アルカリ性土壌を好むと考えられ[3]コンクリートによってアルカリ化した路傍や植え込みなどに大繁殖しているのがよく見られる。農業環境技術研究所の藤井義晴は道路沿いにできた種子が雨で濡れた車のタイヤに付着することによって運ばれることにより、分布を拡大していると推測している[4]

 

 

日本では年度変わり以降の5月ごろに役所や企業の予算が付いて、路肩中央分離帯、空き地などの除草作業が行われるが、この頃には既にほとんどの株が結実を終え枯死しているためなかなか減らない。むしろ除草機の振動により種子を周囲に撒き散らすなどするので、除草の意図とは逆に翌春になると前年より増えていることの方が多い。

 

ナガミヒナゲシの蔓延を防ぐには花が咲く前のロゼット状態の時期に駆除することが肝要である[4]

↑の風景は1995年の震災以後に突然一般的になった。

しかし最近は、半年以上放置された更地でもこの風景にはならない。

ナガミヒナゲシが日本にやってきたのが1960年とすれば、ノースポールは1970年、

イペは?2000年?

ちょい、検索では、沖縄にはブラジル移民の帰国の際に持ち込まれ、街路樹として普通にみfられるとか。だから、2000年よりはるか以前に日本本土にも上陸しているはず。

名所は?浜松?

 

黒糖

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中華街の近くで、

石垣島の黒糖だけを扱う店の前を通った。

冷やかしに声を掛け、味見したら買う羽目に。

100グラム200円の表示。

 

家に戻って計ってみたら700グラムほどあった。

1000円であった。齧ってみるとなかなかうまい。

「黒糖」の例句なし。「黒 or 唐」なら1000句越え。「糖」だと生姜糖、薄荷糖などの例句が少し。

 

同じく中華街の外で、トルコ・アイスクリーム屋。

トルコアイスは、友人の娘さんがアルバイト先だったことがあり、十分味わった経験あり。

 

 

こんな格好をした小学生風、中学生風の団体が目についた

 

連休開始前だが

修学旅行?遠足?

老祥記前はこの日も行列

 

西門↑ 東門↓

南門もあるが、北門はない。

 

 

 

花菱草

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ハナビシソウ(花菱草、学名:Eschscholzia californica)は、ケシ科ハナビシソウ属耐寒性一年草である。別名、カリフォルニアポピーカリフォルニア州州花

 

かなり早い時期に日本に入ってきたのであろう。和名がある。

↑阪神尼崎駅前中央公園内の花菱草↓

 

Wikipedia:

 

明治時代に渡来し、家紋の花菱に似ているために、この名がある。同属植物は8-10種あり、いずれもアメリカ合衆国西部に分布している。

 

ハナビシソウは、草丈60cmくらい、は根元からよく出て株立ちになり、は掌状に3裂する。4月から5月にかけて、花径7-10cmくらいの4弁花を開く。花色は、濃い黄色が基本だが、淡黄色・オレンジ色・朱色・サーモンピンクなどのものもあり、八重咲きもある。

花壇や切り花用に用いられている。属名は、ロシア系ドイツ人の医師、博物学者のヨハン・フリードリッヒ・エッショルツ(Johann Friedrich Eschscholz 1793 - 1831)に由来する。ロシア語のщをドイツ語でschschと綴るため、非常に読みにくい名前になっている。

同属の植物に、ヒメハナビシソウ E. caespicata があり、草丈30cmくらい、花も4cmくらいと小柄で、鉢植えやプランター植えに栽培されている。

 

ベニジウムやチューリップはおしまい。

この場所で5月20日からサツキ展が開催される。

それまでにチューリップ畑は片づけられるのであろう。

チューリップの植え込みをあまり見なくなった理由:

 

花期が短い。

上のような植え込みを見れば、数株植えでは映えない。

意外と管理が面倒。(地上に芽も出ていないのに、プランター植えでは、秋・冬の水やりを欠かせない。)

出来た球根の利用不可能

 

夫婦で園芸一筋のご近所のムギセンノウ

この花はここ以外で見たことがない。

 

モッコウバラ

ミニバラ

我が家も種だけは沢山蒔いている。

スイートバジル、パセリ、鶏頭、綿、センニチコウ

ホトトギス

ロベリア

今日のノースポール

チョウジソウ

高校生

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家の前は、やや変則の4つ角である。

朝8時半。

 

昭和初期までは一帯は田んぼと野と池であったと思う。

旧の地区名は「野合」である。

住居表示に関する法律が成立したのが昭和37年。

尼崎では昭和40年から尼崎市塚口字野合1234といった地番表示から

塚口町1丁目2 番地3号、略して塚口町1-2-3といった住居表示に変わった。

現の塚口町1丁目あたりは野合ではなかったが。

 

家の付近にある橋の名が柳縁橋だったり梅の木橋だったりするが、それが旧の字名であるのを知ったのは、恥ずかしながらここに半世紀以上住みながら、昨年のことである。

 

↑平日の朝8時半とは思えぬ森閑さである。

一瞬、通行人、自転車、バイク、自動車の流れが途絶えた時に、シャッターを押した。

偶然であってもそんな瞬間が生じたのは、世間一般では今日が大連休の一部になっているからであろう。

 

 

↑8時14分 (殿の自転車は生徒ではなく、先生かも)

北上する自転車  行先はこの先にある県立高校。学校は1925年に現在地に5000坪の土地の寄進、小林一三の25,000円の寄付で私立学校移転。その後市立となり、1951年に市立から県立へ移管。

いつも何気なくこの風景を2階のベランダから眺めてるが、今日は、自転車の進む方向に歩いてみた。

 

 実は朝、門の横のジャスミンが咲き始めたのに気付き、

↑真弓の木にまとわりついてジャスミンが伸びている。

 

この付近でジャスミンを塀に添わせている家の様子をうかがいに行った。

そのジャスミンは↓

もう数日で真っ白になるだろう。

 

 

カバンではなく、リュックが流行のよう。

学ランやブレザーが標準服のようだが、日常的には服装は自由。リュックも色や形に制約はなさそう。靴も髪型も・・。

ただし8時半に近い時間帯になれば、東西の道から、我が家の前で北へ直角に曲がる自転車の屈折角度や速度もまた自由奔放、無制約。

 

↑の変則十字路を北へ曲がった後も学校までに2つの十字路があるが、信号機はないので

車も自転車優先の気配。

 

掌に夏蚕透きとほり就職か進学か 宮坂静生
 
進学生襟足青く上京す 篠宮信子
 
愚母妻よ入社パスの吾娘の進学「二足のわらじ」 橋本夢道 良妻愚母

 

↑この地点では学校の自転車置き場まであと10秒。

正門はこの道より一筋西の道路のつきあたりにある。

よってこの道路では徒歩登校者の姿をまったくみない。

 

ウィキペディアを覗いてみると、学生紛争以来、行動規範や生徒手帳などはなく、生徒会が自主的に決める伝統がある、市内随一の自由な校風が定着しているらしい。

 

直近の進路結果は、学校のHPによれば、近辺(大阪・兵庫)の国立大学への進学者は、4名

それを含む全国の国公立大学への現役合格者22名、関関同立合格者81名となっている。

Wikipediaによれば、尼崎市内の高校としての進学率は、稲園高校、小田南高校に次ぐ地位にあるよう。

近くにある東進予備校の看板では、今年、その稲園高校から開校以来初めての東大合格者がこの予備校から輩出したらしい。

 

この時間帯は、この通りにある保育所の登園時間でもあるよう。

我が家門前ノースポール3プラに加えて、ロベリアも3プランター並べてみた。

花はまだわずか

咲きそろうならば、あと3プラ並べることが出来る。

 

高校の近くで見たfランタナ。コバナランタナ。

歩道にはみ出している。

 

 

 

 

 

 


クローバー

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ジャスミン茶匂ひ濃くあり梅雨曇 高部純子

 

 


 

牡丹

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 追手来ず衰弱激しい牡丹園

廃店の名物おでん牡丹園

テント張りのなかでおでんを炊き、タケノコ飯を売っていたが、

近隣農家のボランティア的商いが高齢化の故に、昨年、閉店、廃店の予告を出していた。

去年のブログで、予告を画像紹介したかも。

 

 

農業公園の牡丹園の衰弱は歴然。株数も減っているし、なにより株が劣化している。

我が家のボタンの鉢のように、年々株が痩せてゆく。

菖蒲園はもっと顕著。

菖蒲園が、ホトケノザ園、雀の鉄砲園、薺園になっている。

 

 

 

 

それでもと急きょおにぎり作ってもらいおでかけ

 

 

 

ここでもテント張る家族連れが。

近場でテント張るのが流行っているのかも。

 

 

画像はいいとこ撮りだが、衰えは隠しようがない。

 

 

ナンジャモンジャ

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ヒトツバタゴが花盛り。

アメリカナンジャモンジャ

道路を隔てて緑化植物園のアメリカナンジャモンジャが花盛りと分かる

道路を渡って

かなりの高木だが、花枝は人の目の高さにまで垂れている。

 

ウィキペディアはかなり冷ややかに解説:

ナンジャモンジャとは、見慣れない立派な植物、怪木や珍木に対して地元の人々が付けた愛称。すなわち、特定の植物の名ではない。ヒトツバタゴを指すことが多いが他の樹種の場合もある。あんにゃもんにゃとも。

具体例を挙げているのが特徴か?

 

 

東京では神宮外苑のナンジャモンジャが有名だとか。

多くのブロッガーが画像を投稿なさっている。ついでに俳句も1句という方も多い。

 

その俳句をいくつか紹介

 

お社で なんじゃもんじゃも 神さぶる 

京都御所にもこの木があるよう。

ゆく末をなんじやもんじやの花に問ふ 須賀智子

幸あらんなんじやもんじやの花咲けば
 

 

 

 

 

公園の西門への道は、この木から離れているので、ここにナンジャモンジャの木があると知っていないと気が付かないが、今日あたりは、樹花に注意を向けている人なら気付かずにはおれない。かすかな香も届く。

 

なんじゃもんじゃ芽ぶきてなんだかんだかな 細井啓司
 

 

↑はアメリカヒトツバタゴ

↓日本のヒトツバタゴ

 

まだ若木だが、2本、緑化植物園の園内にある。

Wikipediaの「ヒトツバタゴ」の解説:

 

ヒトツバタゴ (一つ葉タゴ[1]、一つ葉田子、Chionanthus retusus) とはモクセイ科ヒトツバタゴ属の一種。 同じモクセイ科トネリコ(別名「タゴ」)に似ており、トネリコが複葉であるのに対し、本種は小葉を持たない単葉であることから「一つ葉タゴ」の和名がある[2]

なお、別名はナンジャモンジャノキであるが、「ナンジャモンジャ」と名付けられる植物の樹種には、ヒトツバタゴのほかにクスノキ(樟)、ニレ(楡)、イヌザクラ(犬桜)、ボダイジュ(菩提樹)などがあり注意を要する[3]

 

中国台湾朝鮮半島および日本では対馬岐阜県東濃地方の木曽川周辺、愛知県隔離分布する珍しい分布形態をとる(但しこれらの地域以外でも植栽の樹木の実の種が野鳥に運ばれて着床して自生している自生の樹木を山林の中で観察することができる。)。成木で樹高は20mを超える大型の落葉高木。幹は灰褐色で縦に切れ目が入る。 葉は長楕円形で4cm-10cm程度となり、長い葉柄を持ち対生する。花期は5月頃で、新枝の枝先に10cm程度円錐形に集散花序をつける。花冠は深く4裂する。雌雄異株であるが、雌花のみをつける株は存在せず、雄花をつける株と、両性花をつける株がある雄株・両性花異株である。秋に、直径1cm程度の楕円形の果実をつけ、黒く熟す。

 

俳句検索では、タゴ、田子、トネリコ、梣では例句探し出すことができなかった。

 

この公園の今一つの目玉は、飛葛

 

今がちょうど花時。

 

緑の葉裏に、100花位房状に咲いている。

こんなに数多く咲いたのは今年が初めてではないか?

 

生え際では花房が地面に転がっている。

 

 

 

レゴ

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JR大阪駅時空(とき)の広場

7階へ上がるエスカレーターから

手前に金時計が、奥の方に銀時計が見える。

ベンチで休む人の多くは外国人観光団である。

 

街頭アンケートやインタビューに利用される大歩道橋は目下改築・修築中

 

幅が狭くなっている。

阪神百貨店も高層化建築中。

この(阪急電車梅田駅とJR駅をつなぐ)横断歩道もなんとかせねばならない状況。

 

駅中水族館であった場所はレゴ広場に変身

知らなかったが1週間ほど前に開設お披露目がニュースになっていたとか。

一人の人が750時間かけて作成したらしい。

組み立て有資格者は世界に5人しかいないとか。

 

 

 

 

ここが水族館であったことの記念

静脈の一脈冬の水族館 高野ムツオ 鳥柱
 
美女病みて水族館の鱶に笑む 西東三鬼
 
水族館に鈍きは海蛇傷つくとも 金子兜太
 
海桐咲き沖曇りくる水族館 柴田白葉女
 
あをあをと水族館の春灯 西村和子 夏帽子
 
二の腕に虹のかかりし水族館 大石雄鬼
 
国灯す水族館の水灯す 対馬康子 吾亦紅
 
鯨鳴く水族館を出て小雪 対馬康子 愛国
 
秋ははて酸素ぶくぶく水族館 櫂未知子 蒙古斑
 
漆喰に潮噴く酷暑水族館 茨木和生
 
初日うつる水族館の金魚かな 会津八一
 
水族館やや寒人の声こもる 深見けん二

草藤

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中国道上り、西北から宝塚利用。

山陽道との合流地点で車の横転事故があり、大停滞。

そうでなくとも帰省から戻る🚘で渋滞地区。見た限り一番遠いのは、岩手ナンバー。

停滞のおかげで、高速道沿いの山藤撮影可能。

 

その前にヨナクサフジの群落を車を停めて観察・撮影。

 

4日の日にもこの場所を通り、画像を数十枚確保したが、まだ「満開」ではなかったので、

6日の今日、改めて撮影。

まだ↑のような状態の場所もあり、最盛期ではない。

大群落地であるのは確か。

葉はカラスノエンドウに似ている。そういえば、一重にすれば花もそれに似ている。

 

花の付き方はキケマンに似ている。

 

 

 

神戸市北区淡河町神田の県道との交差地点。弓の木という名の交差点。

緑化植物園でも数株鉢で育てているが、ここでは数千株がびっしり畑を取り囲んでいる。

 

 

我が家のサクランボ、今日あたりが最盛期。

枝切りしてかなり採集した。

 

 

 

 

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