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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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入り待ち

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入り待ちの母子を見ている花の下

 

ファンクラブを持たない子の通勤姿

↑当番かどうかしらないが、この☆は、最低一人の子が楽屋入り口まで荷物を持ってくれる。

娘の解説によると、☆たちは宝塚駅を利用しないで、一つ手前の宝塚南口を利用するらしい。ファンは余所者からの防御役であり、荷物の運搬の間は横並びして話すことができる。

とりわけ入り待ちのその他大勢ファンが蝟集している場所(「花の道」の終着点)での荷物運びは、この人物のファンクラブでの位置が高いことを示している。

 これは娘の解説を敷衍して私が勝手に解釈推理。

 

この子のように自分で終始荷物を運ぶ姿の方が圧倒的に多い。

この☆には数歩遅れて荷物持ちが、そのまた後ろにぞろぞろ20人くらい

さすが、東京でも入り待ち経験豊富な母子。名前を知っていた。

雪組の男役トップスター早霧せいな。さっき訊いたが、書く段になってまた確認にでかけた。

 

今日は星組の公演。娘は開演を(東京と同じく)午後1時半と思い、3時間前の10時半を目指して花の道を辿ったが、(塚口駅10時4分発の電車に乗車)、本場宝塚は午後1時開演、

その場合は、トップスターの楽屋入りは午前10時だそうで、星組トップスターは見逃したよう。この時間帯は、来月公演組の雪組の練習のための出勤らしい。

画像検索結果

振り向て、バッグ類を受け取り、会釈して楽屋入り

それを整列しゃがみこみで見送るファン。ここに並ぶためには数年の後援会費の払い込み必要かなどとまた邪推。

その後も決起集会続行。練習中にケガ、セクハラ、パワハラなどないように共同祈願かも。

こちらは一人の出勤。早霧さん故障の場合の代役か?

人通りが絶えた瞬間、スターやその卵たちが歩く道に立って入り待ち母子の方へカメラを向けた。

 

ところでこの大樟の立つあたり寒い。

私はもっぱら日の当たる桜の元にいて、人に動きが目立つと大急ぎで母子の元へ移動。

「花の道」の彫像

さくらは3分咲きだが、今日の高温がつづけば明日は5分、あさっては8分咲きになりそう。

TDLの入場料より高いS席予約で、ヴァイオリンの会を口実に、8歳児は母親と別行動。

観劇の終わる頃また待ち合わせて我が家へ。

S席など当日券はないし、私も別行動。宝塚駅構内でラーメン食って帰宅。

ラーメン屋でも松岡修造の子が宝塚音楽学校合格の噂が耳に入った。

修造君のおじいさんが宝塚歌劇を創設した。

この噂を聞く前に、一三さんの銅像があったので、写したはずが見つからない

午後は私一人の留守番。

 

ちんたらと歩けぬ暑さ宝塚 上島清子

「宝塚」では例句1句。

 

水白き歌劇の町の帰り花 六車井耳
 
菫咲く頃君も不順の歌劇団 仁平勝 花盗人
 
歌劇観て来て夜長星燦々 上田日差子
 
歌劇見てヒーロー気分聖五月 泉田秋硯

 

 

 


朝桜 夜桜

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入り待ちに出待ちまで付き合ってお疲れの母親を誘って夜桜見物

昨夜

 

今夜は、母子は横浜へお帰りなので、一人で。

ただし現場は照明まで持ち込んだ団体客などで人多し。

これ以上離れるとカメラのフラッシュが届かない。

今日一日セーターもジャンパーも必要のない陽気だったので、

一気に5分咲き以上になった感じ

驚いたことに、この母子明日は4時半起で銀座へ出かけるとか。

東京宝塚劇場での宙組スターの引退公演の予約抽選に洩れたので、

40数枚残っている当日券を入手するためとか。

これが買えれば、入り待ち迄たっぷり時間がある。

買えなかった場合の行動予定は聞き洩らした。

 

夢覚めて今日の予定や花菜摘 田中 起美恵
 
寒卵今日の予定の何もなし 嶋澤喜八郎
 
黒板にあしたの予定虹二重 藺草慶子
 
木の芽雨今日の予定の街に来て 稲畑汀子
 
御幣紛れる 伐採予定の 風の林 伊丹公子
 
日曜の予定なきセーター被りたる 蓬田紀枝子
 
春の風邪予定がたがたくづれけり 宇都木水晶子

朝は、14歳児と

その傍にへばりついている7歳児を連れて

朝桜見物

↑江戸彼岸

↓コヒガン

冬桜は

さびしい

↑有明

楊貴妃やフケンゾウなどはまだまだ。

関山も

↑の大きな介護マンションが建って、桜がの見栄えが大きく変化。

 

近所の公園の朝桜状況↓

 

 

散歩から戻るとすぐに大阪駅へ。

駅ビル(ルクア)内で食事。ピッツア2枚とパスタ2皿。ミネラルウォーターはベスビオ産

新大阪駅へ

↑お別れ、20分前。

指定席も満席。自由席には立つ人もいたとか。

 

そういえば、7歳児の演奏に立ち会ったのは毎晩ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

序の舞

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東京宝塚劇場の入場券は、ゲット成功とか。

14番目に並んで、2階席の最奥の席(実質4階席)。もちろんB席。その後ろは立見席とか。

 

朝さくら 近隣公園

↑夜桜はたいていこの木を写している。街灯の傍にあるので光を得やすいから。

昼さくら  蓬川公園

 

蓬川公園の中で句碑を見つけた。

ともかく尼崎市は、お隣の伊丹市と比較しても有名俳人がいないせいか、

(伊丹三樹彦は、尼崎での生活が一番長いが、俳号が、生地伊丹市からとられているので

伊丹生まれ、三木育ちで、かつ尼崎市内には句碑がない)

句碑を見る機会が極めて少ない。

 

 

「序の舞のまこと静けし」までは読めたがそのあとの漢字が読めない。

二文字の作者名も読めない。

私の義母さんの句集の題名が「序の舞ばかり」なので、「序の舞」で検索したら、

義母さんの句と共に、この句が出て来るのではないかと思ったが、いずれも出現せず。

 

じょ‐の‐まい〔‐まひ〕【序の舞】

 舞事(まいごと)の一。初めにの部分がある静かで典雅な舞。また、その囃子(はやし)。笛地に大鼓・小鼓および太鼓ではやす。三番目物シテの優美な女性などが舞う。
 歌舞伎下座音楽の一。時代物の貴人の邸の場などで、人物の出入りせりふの間に用いる静かな鳴り物。大鼓・小鼓・太鼓ではやす。

 

「序の舞でまこと静けし」で検索したら、

 

この句を引用するエッセイがPDFで登場。

 

つ れ づ れ中国ちゅうごく 其之弐拾弐 

 

序の舞の・・・         はらだ おさむ 

 

序の舞の まこと静けし 足袋きしむ (地朗) 

尼崎の芭蕉さんともいわれた大叔父のこの句碑は、いまも蓬川公園のたもと にたたずんでいる。百余歳で還らぬ人となってすでに20余年になるが、白寿 の祝宴で見た舞扇の数々が上海のあの店の思い出につながる。

 

↑がその「序」の部分。

 

地朗がこの句の作者名。下5は足袋きしむ。

 

尼崎の芭蕉なんて表現も初めて目にした。

 

私はこの時点でも、地朗さんの名前は初耳。よって上の姓さえ思いつかない。

 

はらだおさむさんの大叔父さんらしい。

 

大叔父とは、祖父(二人いる)の弟。原田地朗さんである可能性はある。

 

この文章は2009年に書かれている。それから20年遡ると1989年。20余年前の死去だから

1985年前後に、100余歳で地朗さんは亡くなっている。1880年に近い年にお生まれ。

明治10年代にお生まれの人である。

 

いろいろ検索してみたが全然分からない。俳句検索にもこの作者の句は収められていないよう。

 

「はらだおさむ」さんは実業の世界で活躍なさった方のようだが、

これも良くわからない。「原田治」さんは有名なイラストレーターらしく最近亡くなられたので情報は多いが、この方ではないよう。

 

 

蓬川沿いの公園・緑地には1000本の桜が植えられていて、尼崎随一の桜の名所であるが、

まだ3分~5分咲きで、圧巻の景ではなかった。

介護施設の職員は赤い服を着ている。

 

尼崎センタープール側から蓬川へ歩き、左右両岸を少し歩いて、阪神出屋敷駅へ抜けた。

↑の標識は一度以上紹介済。

 

 

夕桜  夙川公園

 

 

 

 

 

 

満開

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桜満開ではないが、今日が昼過ぎまでが花見最適期であったようだ。

夕方前から雨。

花は8分か。

芝生も砂場も人でいっぱい。100人超えている。

でも会社の団体でないので総じて静か。

老夫婦ふたりだけのシートもある。

多くは幼稚園か小学校低学年の母親たちのグル―プ。小学校高学年の仲間だけのシートも。

 

子が駆けて8分桜が満開に

雨が降っているので、夜桜見物はなし。

毎年、ここで同じ男性二人連れに声をかけられるが、今日は木曜日、しかも昼下がり故

知人には会わない。

 

明日明後日が満開であろうが、天気は悪そう。

今日も背景が真っ青な空だともっと豪華に見えるのだが。

金魚買つて病むメーデーを豪華にす 赤城さかえ
 
菜飯食ふ吉野は杉の箸豪華 浦野芳南
 
樹氷林白を豪華な彩と知る 福田小夜
 
鳥たちに木の実の豪華冬はじまる 八幡城太郎
 
紫陽花の毬の豪華や数ふべし 田村木国
 
川開豪華の中の大雨かな 岡本癖三酔
 
豪華なる今日の眺めの撒水車 福永耕二
 
豪華な愚かさ夏富士のいただきまで 飯田龍太
 
抜けてゆく風邪に豪華なシクラメン 安藤恵子
 
北海の雲丹の豪華な棘千本 櫂未知子 貴族
 
ギヤマンの如く豪華に陽炎へる 川端茅舎
 
テレビだけが豪華炉塞ぎし夜のこと 猿橋統流子
 
鵜の海の一月の風豪華なり 原田喬
 
病窓をかくも豪華に鰯雲 朝倉和江
 
雪光の中に風呂焚く豪華な音 飯田龍太
 
木綿着て豪華はすてぬ牡丹哉 松瀬青々
 
蜜豆は豪華に豆の数少な 川崎展宏

 

 

池の端

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踊子草ジャケット脱ぎ捨て太公望

さくらまだテロ報届かぬ池の端

光年は長さの単位つくし摘む 酒井和子

つくしは20本ほど採集。監査人へのお土産

決算の監査、予算書の作成のため、昨日の午前は、神戸市北区の施設へ出張。

予算は算へず数(よ)まず遍路宿 佐々木六戈 百韻反故 初學
 

 

 

 

オオキバナカタバミ

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時に巨大な群落を形成する。しかし↓は例外的。

色も鮮やかなため、嫌われてはいない

 

マーガレット

マーガレット東京の空よごれたり 阿波野青畝
 
マーガレット何処にも咲いて蝦夷も奥 高浜年尾
 
陶乾くマーガレットの風たえず 江口竹亭
 
風眩しマーガレットの果は海 水田むつみ
 
フアウストのマーガレットに又会ひし 星野椿
 
マーガレットそれより白き産着干す 対馬康子 愛国
 
子の瞳マーガレットに囲まれて 山下亜紀
 
蝦夷に咲くマーガレットは野の花よ 稲畑汀子
 
 

 

アリッサム

これらは野生化しているとは言えない。

 

平福

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7日、佐用インターで降りた。

シャクナゲ園へ寄るつもりが、開業は来週からということで、

平福巡り。

 

 

旧宿場町の雰囲気にあわせた駅舎

 

利神城(リカンジョウ)の麓

 

竹田城(中世城)ブームに便乗予定

 

産経ウェストより:

国宝・姫路城の支城として整備された兵庫県佐用町の山城「利神(りかん)城」を国史跡にしようと、同町は今年度から本格的な調査に乗り出した。

 

 

城跡は長年放置されてきたため、遺構の石垣が崩れるなどしており、対策は急務。専門家は、「天空の城」として人気を集める国史跡の山城「竹田城跡」(朝来市)にも劣らぬ城跡と評価しており、史跡指定で整備が進めば少子高齢化や過疎化に悩む町の観光の起爆剤としても期待されている。

 

 

 利神城は14世紀前半に利神山(373メートル)に築かれ、関ヶ原合戦(1600年)後に姫路城に入った池田輝政が、おいの由之(よしゆき)に命じ本格的に整備させた。

 

 

 山頂の本丸を中心とした主要部には南北400メートル、東西200メートルにわたって曲輪(くるわ)が広がり、総延長740メートルの石垣が巡らされている。石垣は最高で10メートルの高さがあり、整備当時は3層の豪壮な天守閣が建っていたと伝わる。朝霧を付いて山頂にそびえる天守の威容から「雲突(くもつき)城」とも呼ばれた。山の麓には城主や重臣らの御殿屋敷跡も残る。

 

 

 町では、昭和58年に山頂の一部を町文化財に指定したが、その後はほぼ放置された状態が続いてきた。長年、手入れがされていないため、石垣の一部は崩落の危険があり、同町や警察は登山をしないよう呼びかけている。整備しようにも、石垣の修復だけでも億単位の予算が必要で、同町単独では整備は困難なため、国史跡の指定を受けることで、国からの補助を受けて整備を進めたい考えだ。

 

 

 町は、今年度から本格的に国史跡に向けた申請の準備を進めている。しかし、史跡指定に向けては約100人に上る山の所有者の同意が必要で、史跡指定は早くても3年後。その間、さらに遺構の崩落が進む恐れもある。

 

城跡と言へど炎暑の石ひとつ 大木あまり 火のいろに
 
常夏の城跡に咲く花デイゴ 川村甚七
 
城跡へ狭田を重ねてうつぼ草 富安風生
 
城跡を廻りて出会ふおいらん草 山根きぬえ
 
城跡や大根花咲く山の上 正岡子規
 
城跡の後段に黍の穂立かな 広田寒山
 
城跡に住む人々に月今宵 高浜年尾
 
城跡の一段高し蕎麦の花 雅因
 
城跡に誰住む人や紙幟 塔間釣月
 
城跡やそこここ暗き蝉の穴 羽部洞然
 
城跡の阿騎の埴踏み青き踏む 大橋敦子
 
城跡の荒れ果てゝ虫の名所かな 寺田寅彦
 
城跡の岡に上るや夏の月 寺田寅彦
 
城跡に児童館ありチユーリツプ 吉屋信子
 
萩こぼつ千松うどん城跡に食う 橋本夢道 無類の妻
 
城跡の一段高し蕎麦の花 雅因 五車反古
 
城跡や古井の清水まづ訪はん 松尾芭蕉
 
城跡や古井の清水先(まず)問はむ 松尾芭蕉

芭蕉の句の城跡は、稲葉山城

平成21年、佐用・美作水害の被害を受ける。

 

元禄の文字が読める

 

武蔵13歳時の決闘跡地でもある。

 

 

 

 

 

三椏の花

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「三椏の花」で検索したら、汀子さんの句しか出てこないかと思ったら、そうでもない。

 

 

三椏の花に光陰流れ出す 森澄雄 花眼
 
三椏の花に瀬音の遠からず 行方克己 知音
 
三椏の花に寒さのとどまりし 今井千鶴子
 
曇天に三椏の花ふさぎ虫 高桑弘夫
 
三椏の花に光陰流れ出す 森 澄雄
 
三椏の花雪片の飛べる中 山口青邨
 
三椏の花あと先に人気なし 伊藤和美
 
三椏の花の光陰流れ出す 森 澄雄
 
三椏の花は小人のシャンデリア 加藤高秋
 
三椏の花のきいろや父母はなし 菖蒲あや
 
三椏の花のうす黄のなかも雪 大野林火
 
三椏の花雪片の飛べる中 山口青邨
 
三椏の花に秩父の軽雨過ぐ 有働 亨
 
三椏の花はじめから和紙の味 瀧 春一
 
三椏の花に降り来る塵もなし 吉良蘇月
 
三椏の花仰向けよ空碧し 堤 京子
 
三椏の花鈴ふるふ夕疾風 根岸善雄
 
三椏の花に残れる由布の霧 松村越子
 
三椏の花の放さぬ水の音 浅沼艸月
 
三椏の花雪片の飛べる中 山口青邨
 
三椏の花のうす黄のなかも雪 大野林火
 
三椏の花三三が九三三が九 稲畑汀子
 
三椏の花の咲くともしまひとも 上田日差子
 
三椏の花三三が九三三が九 稲畑汀子
 
三椏の花に光勝流れだす 森澄雄
 
三椏の花三三が九三三が九 稲畑汀子
 
往きも帰りも三椏の花明かり 島谷征良
 
三椏の花の白さの幾朝か 中村汀女
 
三椏の花のうす黄のなかも雪 大野林火
 
三椏の花の隙間に紙祖の神 佐野美智
 
ふと昃る三椏の花誰が忌日ぞ 千代田葛彦
 
利休忌の三椏の花了りけり 龍岡晋
 
三椏の花軽々とまはりけり 八木林之介 青霞集
 
三椏の花をみにゆく板の橋 辻田克巳
 
三椏の花軽々とまはりけり 八木林之助
 
三椏の花三三が九三三が九 稲畑汀子

重複を厭わず採録。

 

三椏の枝、三椏の花の一輪、三椏の咲く山肌、どれを詠っているのかよくわかる。

 

汀子さんの句は汀子さんの代表作といっていいものだが、

よくよく読むに、この句は、三椏の花を詠ったというよりは、三椏の木の枝ぶりを詠ったものである。

 

毎年この季節に美作へやってくる。1995年が最初だから(それ以前も夏の盆時期を中心に年に1回は「郷帰り」していたので、1995年がまったくの最初というわけではない)もう20年以上、(ふるさと創生基金を利用して建てられた)作東バレンタインホテルを拠点として、多い年には年に6回以上美作詣でを繰り返している。

 

 

4月13日(旧暦)が赤松円心の命日になっている。

 

その日を目途に故郷の二つの村で、同姓の者が集まって若宮さんという名の先祖祭をやっている。その一つの村の名は「平福」であるが、昨日紹介した佐用の平福ではなく、二つの旧村が合併してできた美作の平福である。

 

(ウィキペディア:町村制で楢原村になった4村の内、平福村は古くは平野村と下福原村であり、下福原村は江見村の大字上福原の元になる上福原村と対になる地名であった。)

 

姓は異なるが、私の母親の里でも同じような名で、同じく赤松円心を祖とする祀りごとをおこなっている。

 

そちらの方は、参加資格を男性に限り、川渕の畑の真ん中に石碑を建て、畑の端っこに小さな祠を設けて、行っていたが、数年前に一族の墓地がある山手の中を整備して祠を新調した。

 

さてその場所で「盛大に」若宮祀りを開催しようとしたら、主催者の私の従兄が脳梗塞で倒れ、分家の有力な長老も亡くなり、他の参加者も老齢で山へ登ってゆくことが出来なくなり、

集いがついに整備した新会場では一度も開催されないまま3年を経ている。

 

7日に感動したのは、三椏の花

8日は、カタクリの花 堅香子の花とも呼ぶ

9日は、水仙の花

 

 

美作の三椏の花は、平成20年頃から目立ち始めた。

その前に、暴風雨で山の斜面の木々が倒壊した。

倒壊した木の整理には数年を要したと思う。

その倒木が片づけられ始めたころから全山三椏の花という風景が東粟倉の辛夷山あたりで

目立ち始めた。

小雨、霧雨状態だったので黄色の色がうまく出ない。

 

 

 

 

 


木五倍子

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滅多にお目にかからないキブシの花

 

日陰好みの花(樹花)のようだが、一瞬周囲を華やかにする。

 

あまり熊のことは気にならない西粟倉村の林道沿いでお目にかかった。

 

4月7日の午後。

 

 

サンシュユや三椏などと同じ場所に「棲息」。

 

1回のブログ画面に10枚画像を取り込むと、「公開」をクリックしても反応しなくなった。

よって今日(4月10日)のブログは2回分に小分け。このブログの方が新しいが、本命は

三椏の花の方なので、次のものも覗いてやってください。

花の咲いている付近には残雪あり。

↓今日見たキブシ。ご近所の庭。正門の壁には消費税撤廃などのポスターが貼ってある。

先代(祖母?)にそっくりの容貌になられた方が孫を連れて散歩なさっているのとよく擦れ違うがが、表札を見ているはずなのに、姓が思いつかない。

 

 

↑西粟倉村 岩倉寺境内のサンシュウ

 

 

 

 

 

桜・櫻

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4月11日 第1報  (4月10日も2回に分けてUP)

 

10日の近所の桜

近隣公園 朝

 

7日の朝ほぼ満開であることを確認後、美作へ出発。

帰宅は9日夕。もう葉桜かと思っていたが、冷え込んだようで満開維持。

朝7時すでに3組みのシート

庄下川も葉桜どころか、落花も始まっていない。

 

 

ムラサキケマン

11日も3回くらいに分けて分載予定。

 

 

 

作州武蔵

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11日付け 第2報

作州武蔵も10回位利用している。

朝の散歩でゴルフ場内を歩くのが楽しみである。

今回はそのゴルフ場が見える部屋であった。

ゴルフはやらないので、プレイしている人をみても羨ましいとは思わない。

7日のまだ撮影可能な時間帯に部屋のベランダから撮影。

↑見える道路がCCとホテルへ通じる私道である。植えられている桜はまだ若い。

うそ寒くゴルフ談議の辺に侍すも 草間時彦
 
一葉落つ山を拓きてゴルフ場 長崎小夜子
 
菊植ゑてゴルフ寡婦なる日曜日 岩城のり子
 
山の霧池の霧降るゴルフ場 永川絢子
 
遠くよりゴルフ見てゐる日傘かな 大場白水郎
 
風なき日芝焼き尽すゴルフ場 平田想白
 
畑打の畑ゴルフ場傾ぎ合ふ 津田清子
 
昏き家と青芝にあるゴルフ球 永井龍男
 
ゴルフ場雪食む犬とゐて眩し 堀口星眠 火山灰の道
 
ゴルフ場星合の夜の草匂ふ 堀口星眠 火山灰の道
 
鳥帰るゴルフ帰りの男女らに 飯田龍太

 

ホテルの部屋はほとんどすべて同じ構造である。

かなりゆったりと設計されている。

 

8日の朝

 

いぜんとして霧雨状態。

 

一時、コック長と親しくなった。単身赴任で、その後妻子を呼び寄せ、奥方もホテルで働いていたが、数年後、誘いがあったとかで、また都会へ戻ったという噂を聞いた。

 

9時になると、土曜日ということもあり、ゴルフ場の駐車場は満杯である。

カラオケ好きの宗匠、酒好きの宗匠の話は耳にするが、

女弟子を口説く俳句宗匠はごく稀で、ゴルフ狂いの宗匠の噂は全く聞かない。

 

 

 

 

 

先祖祭

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4月11日付け 第3報

 

今年のショウちゃん一族の先祖祭は4月8日に開催。

あいにくの雨模様のため裏山の祠の前ではなく、

屋内での挙行。

祠にもっとも近い家はMrs K宅故、Mrs K宅に11時前に到着。

もっとも一族の講であれなんであれ、今や当番家を巡回することはなく、

もっぱらK宅が利用されているよう。

↑会が終わってから、若宮の木碑などを戻す作業を覗きに、祠のある場所に登った折に撮影。写っているのは昨年からこの祀りに参加し始めた新入り。居住地は奈良。

尼崎に住む私、備前市からの参加者以外は、地の人々(祠は見えないが安置場所を視野に入れることができるところに居住)

↓庭に4台

 

集落用の共同集会室も(今は利用されなくなったが)半鐘台もなにもかも

K宅前にあり、どうやら巡回のコープの移動販売店(トラック)もK宅の庭で営業されているよう。

 

 

ご先祖さんは、1689年にこの地へ移住してきた。320年以上前。その前は、今では高速道路の美作インターを降りて湯郷温泉へ向かう市内屈指の幹線沿いに(地名の特定はできても

場所は分からない。)住んでいたようである。

 

なぜ引っ越したのかが分からない。引っ越すまでの数代(7代?)が引っ越しを繰り返していたのかどうかも分からないが、その数代(7代?)の前に政行(衛門)なる人物がいて、

この人は(私から数えると15代くらい前の人物だが)毛利藩に仕えていたようである。

 

秀吉の命で、毛利藩が朝鮮へ出兵した折には、撤退途中功績があったらしく感状と

太刀一振りを貰っている。

 

この毛利藩士は、関が原の戦いに参加。もちろん負け組。翌日あたりに傷病死している。

小早川さんの必死の嘆願で

大将の処刑は免れるものの、江戸への幽閉生活を強いられ、領地は半減以下となって、

政行の子供の処遇はどうなったのであろうか。

 

親族が播磨か美作にいてそこで蟄居したかどうか?生活の資は?

そのあたりのことが全然わからないので従兄から託された家系譜の作成は、

ワープロで100ページほどのものを50部ほど作成した段階で止まったまま20年。

 

床の間に向かって正座したのは10分ほど。

その時、祠の中の書入れに明治10年のものがあるというので、

先祖祭も100年以上続いていることになる。

越してきて320余年だから明治以前からやっていたかも。

 

きろろガーデン

ムスカリが最盛期↑

アカンサス  都会の家の庭には植え付け不可能。↓

 

URACafe は多肉ルーム、ないし多肉容器製作場ないし多肉整形場に変わっている。

 

あたらしく気付いたのは、UraCafeのあるきろろガーデン以外に、Tihiro ガーデンができていたこと。

 

 

堅香子

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4月11日 第4報

堅香子の有り処教える地の人に

会う人はみな、今年はカタクリはダメだという。鹿やイノシシが食い荒らしているらしい。

それでも全滅ではないだろうと思い、曽井川沿いのカタクリ公園へ向かった。

ワイフを車に残し、先遣隊役を勤める。

例年のこの時期より、レンギョウも遅れている。

雨模様ゆえ、俯き加減だが咲いていた。

 

スイセン葉は狐のカミソリ。2輪草の葉も見える。

この時期にはカタクリの花は最盛期を過ぎ、変わってニリンソウが咲き始めているが今年は、

ニリンソウの花はまだ蕾もない。

ところどころに黒い穴ぼこが出来ている、イノシシや鹿が掘った跡に見えたが、よく見ると

大雨で土砂崩れを起こしたと思われる場所がある。

斜面の傾斜がきついので、鹿などが足で土を掘るのがむつかしいのかも。

 

これくらいを見た段階で、ワイフへライン。今は2人間、孫家族間の連絡はもっぱら

ライン利用。画像を直に送信できるので便利。

 

1000株を超えるカタクリは健在であった。

 

いつもは道路沿いにカタクリ祭の旗が何本も立っているのに、今回はそれがなく、

やっぱりここもダメかと思ったが、旅の一つの目的を無事達成。

私達がカタクリを見ている間に、2,3組の見学者が見物に参加。

あいにくの天候故、明日以降に来訪を延ばした人も多いのではないかと思う。

「もののふの(=枕詞(まくらことば))八十少女(やそをとめ)らが汲(く)み紛(まが)ふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花」

 

 

出典万葉集 四一四三・大伴家持(おほとものやかもち)

 

 

[訳] たくさんの少女たちが入り乱れて水を汲み合っている、寺の井戸のほとりに咲いているかたくりの花よ。

 

鑑賞

可憐(かれん)なかたくりの花に少女たちを配して、うららかな山野の春を描いた歌。

 

 

堅香子では例句4句

堅香子の花に額田の王を戀ふ 上村占魚 『方眼』
 
稿起すべし堅香子も萌え出でぬ 藤木倶子
 
堅香子の花の揺るるは萬葉へ 新部烈人
 
堅香子の花守りて聾ひにけり 上野さち子

 

潮騒や片栗の花うすれゆき 村上しゆら
 
片栗の花ある限り登るなり 八木沢高原
 
片栗の花に夕影ひろがりし 倉田 紘文
 
片栗の一つの花の花盛り 高野素十
 
片栗の花の山より駅が見ゆ 今井真寿美
 
片栗の花裏山を淋しくす 村上しゆら
 
雪淡し片栗の花なほ淡し 古賀まり子
 
片栗の花とは知らず見つゝ来し 高橋秀亭
 
足のべて休む片栗の花あれば 細見綾子
 
片栗の花の終りは知らざりし 河野美奇
 
スタートを待つ片栗の花一列 野中亮介
 
片栗の花の素直に身を反らし 白井風人
 
片栗の花に離れて牛繋ぐ 太田土男
 
片栗の花に膝付く東人 太田土男
 
片栗の花の紫うすかりき 高濱虚子
 
冷えさびといふ片栗の花あかり 手塚美佐
 
 

再会の堅香子の花俯いて

 

万葉のカタクリの花項垂れる

 

美作の人に教える堅香子を

 

美作の人でもこの地を知らない人が多い。ワイフは西粟倉の家に明日戻るという人に

在り処とルートを問われ困っていたようだ。

在り処は美作市ではなく勝央町である。

岩倉寺

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4月12日  その1

 

4月8日のこと

 

 

経堂完成 辺りに檜の香りを放っている。

鐘楼の横からの眺め。

この下に三門があるが、そこから境内へ入ったことはない。

急坂だから

 

この種の標石は他の寺であまり見ない。

 

ようやく芽吹き、咲いた福寿草。

1,2mの積雪だったらしい。

 

 

 

 

バレンタイン公園

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4月12日 その2

バレンタインのタワーが見える公園は、ちょうど満開

 

桜祭りは先週だったらしく、夜になってもぼんぼりに灯が入らなかった。

 

 

背景に青空がはいるといいんだが、天気は曇り時々雨

 

 

 

 

 

 

 

 

 


作東タワー

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4月12日 その3

 

今回の美作行の

日程・ルート

 

7日 朝出発→赤松PA→佐用インター→平福宿場町(武蔵関連散歩)→愛の村パーク

(霧が出てきたので館内見学・買い物中断)→あわくらんど(道の駅)前  途中何度も停駐車して三椏撮影)→岩倉寺→作州武蔵CC兼営ホテル

 

8日 ホテル→ ホテルの近く(大町)の母方祖母の出生地訪ねるつもりが、大町の中で迷ってしまう→下香山の母方従兄邸(留守)→Mrs K宅での先祖祭参加→墓参り→カタクリ公園→作東バレンタインホテル 100泊を越えているはず。

 

ホテルの部屋のベランダから母の出生地を見下ろす。

実家は木の影で見えない

 

 

 

 

 

水仙郷

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みえきち(小林芳香園)さんのブログで、水仙が盛りになったことを知ってい

たので、久し振りに海田(岡山県の茶の産地)へ行くために、吉野川の橋を南へ渡った。

 

車を停めて最初に撮った画像によれば、9日、10:28。満開の桜

 

画像4枚入れて「全員に公開」クリック。すでにかなり怪しい。

見学客はわれわれのみ。早速に男性がお茶の接待の用意。

おいしくいただく。

みえきちさんはおられますか?と問うと、呼びましょうか?お名前は?でショウちゃんですと応答。

百姓一揆で荒らされ、刀傷が残るという旧の本宅を案内してもらう。

いろいろの揮毫物が残っている。かつてここは向陽堂と名乗っていたのだろうか。

菊を栽培していた時期もあるのだろうか?瑞菊満園と読める。

えらく部屋数の多い家である。

水仙郷の道をさらに南へ行くと芳香園の本社工場がある。

そこでも一度みえきちさんにお会いしたことがあるので、

現在のご自宅はそちらの方にあると思っていたが、

どうやら旧宅の横に建てた家にお住いのようである。

となると茶の接待をしてくれた人は社長さんかも。

観光バスの運転手休憩場から顔を出されたので、従業員のおじさんかと思っていた。

イノシシ、鹿の被害に遭われているよう。

 

 

 

 

 

 

 

造幣局

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入り口までのアプローチが長い。当然ながらその通路に屋台が並ぶ。

一方通行なので、入り口方面へ戻りたければ、造幣局の外の大川沿いを戻ることになるが

川沿いに3列に屋台が並ぶ。およそ一キロ。

 

大阪地下鉄谷町線で天満橋まで乗車。

この場合は阪急電車梅田駅から地下鉄の東梅田駅まで1キロ近く歩くことになる。

天満橋から造幣局まで徒歩(行列)15分(公称)

 

警備員の案内は日本語だが、場内放送は、英、日、中の3か国語。

今では電車の車内案内表示や街中の観光案内図は韓を加えて4か国語表示。

時に、台湾文字と簡体文字が並ぶ場合は5か国語となる。

 

 

投句場へ急ぐ妻置き通り抜け

 

 

一本、一本の桜について、品種名や謂われなど丁寧に撮影。

7,8,9日の美作行で450枚(回)シャッターを押したが今日は一日で300枚越え。

 

「今年の桜」は鬱金

 

ウィキペディア:

ウコン鬱金)は、サクラ栽培品種である。開花時期はソメイヨシノより遅めの4月中旬頃(東京)[2]

 

花弁に葉緑体をもつなど性質はギョイコウ(御衣黄)に似ているが、色は緑色が弱く淡黄色である。数百品種あるサクラのうちで唯一、黄色の花を咲かせるサクラである。花弁数が15~20枚程度の大輪の八重咲きである。また、ギョイコウのように花弁は厚くなく、気孔もない。

名前は、ショウガ科ウコンの根を染料に用いた鬱金色に由来し、それらと混同されないよう「鬱金桜」あるいは「鬱金の桜」と呼ばれることもある。また、別名として「黄桜」「浅葱桜(浅黄桜)」などがあるが、これらの別称はギョイコウを指すこともあり、また、ウコンやギョイコウとは別の一品種とされることもある[要出典]。ウコンの花は日本国外でも人気が高い[3]

 

私の散歩道の一つ、桜通りにもウコンは何本かあるが、まだほとんど開花していない。

関山も。楊貴妃などはまったく。

造幣局も同じ。御衣黄↑、鬱金、関山、楊貴妃を今年の桜にするには、

2017年の春は都合悪かった。通り抜けの日を、もう1週間遅らす必要があったよう。

 

満開時期を越えたものはほとんどなく、5分咲き、7分咲きがほとんど。

 

↑はバスである。

屋形船といえるかどうか。

大川沿いのソメイヨシノはまだ満開。花吹雪にはなっていない。

 

園内は一方通行のため、出口を出ると大川沿いに入り口方面に戻らなけれならない。

屋台が3列に1キロ。

 

 

 

 

王道の庭

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美作市に合併する前の作東町にバレンタイン公園なるものがある。

ウィキペディア:

 

バレンタインパーク作東(バレンタインパークさくとう)は、岡山県美作市にある多目的公園である。

 

1988年4月6日に、旧作東町フランスのセント・バレンタイン市が姉妹都市提携したことにより名付けられた、「愛」をテーマにした公園である。18年の歳月をかけて1998年に完成した。2007年10月には恋人の聖地に認定されている。

 

構成施設は、(以下もウィキペディア)

 

  • 作東バレンタインプラザ - 当公園の中核施設であり文化交流の拠点。施設内のラウンジにある「いのちの泉」から流れ出る水は途中で増幅されて「愛の泉」に到達する。平成4年度国土交通省・手づくり郷土賞受賞。
 
ここもここ10年,
.水が流れていない。遺跡的存在である。
  • 美作市作東文化芸術センター
    • 美作市立作東美術館 - レイモン・ペイネの水彩画、油絵、版画など約140点を所蔵。
    • 美作市立作東図書館
 
  • 美作市役所作東総合支所(旧・作東町役場)
  • 作東タワー - 高さ30メートル。1階部分はトワホールとなっており、2階部分にある展望バルコニーからは旧江見町市街地を望める。さらにその上階部分には12個のベルと1つのスイングベルからなるカリヨンが設置されている。
  • 作東バレンタインホテル - 挙式等が可能なホテル
  • 美作市作東歴史民俗資料館
ここも半ば閉鎖状態である。9時開館となっているが、朝食後いつ覗いても施錠されたままである。
  • 冒険の森 - アスレチック施設(閉鎖)
ここは覗いたことがない。1,2年しか「営業」していなかったと思う。
 
利用されているのは、多目的グランドと作東バレンタインホテル位。
ホテルは結婚式、各種同窓会、町内会などでよく利用されている。
今回利用した時は、英田町にあるサーキット場で催しがあったらしく、
レーシングで活躍の背の高い女性たちが大挙宿泊したよう。
残念ながら、彼女たちが到着したのは午後7時以降であり、朝8時に朝食会場へ出かけると
すでにご出発の後で、朝食会場はガラン。
わが夫婦の貸し切り状態。
いたるところにペイネの絵が飾られている。
 
上掲の地図の中には記載されているが、ウィキペディアの施設一覧にはない施設が王道の庭
 
王道の「王」とは?
島流しになるためにこの地を通過した後醍醐さんである。西暦1332年のことである。
この地の王の宿泊地は
礎石が一つのこるだけの廃寺
 
ウィキペディア:後醍醐天皇 部分
 
幕府は後醍醐天皇が京都から逃亡するとただちに廃位し、皇太子量仁親王(光厳天皇)を即位させた。
 
捕虜となった後醍醐は、承久の乱の先例に従って謀反人とされ、翌元弘2年 / 正慶元年(1332年隠岐島に流された。
 
この時期、後醍醐天皇の皇子護良親王河内楠木正成播磨赤松則村(円心)ら反幕勢力(悪党)が各地で活動していた。
 
このような情勢の中、後醍醐は元弘3年 / 正慶2年(1333年)、名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から脱出し、伯耆船上山(現鳥取県東伯郡琴浦町内)で挙兵する。これを追討するため幕府から派遣された足利高氏(尊氏)が後醍醐方に味方して六波羅探題を攻略。その直後に東国で挙兵した新田義貞は鎌倉を陥落させて北条氏を滅亡させる。
 
閻武寺は7世紀末の創建であるから、築後700年以上は存在していたことになる。
下の標識の横は、従兄の畑であった。サフランを植えていた。
 
 
今は利用されない道沿いにある。
その昔、JR姫新線の江見の駅から母の実家へ行くときはこの道しかなかった。
途中に清水が湧き出る場所があり、欠け湯呑茶碗が置かれていて、
夏休み帰省の折にはそこで休憩下のを覚えている。
 
王道は罅割れてをり旱草 中原道夫
 
王道は多分このへん日のさかり 櫂未知子 貴族
 
この木のあたりには大きな水車小屋があった。
木には大きな彫り傷があった。今思うにそれは女陰であったよう。
 
道標のような石が残っている。彫られている文字は判読できない。
 
王道の庭
一本一本の木の寄贈者名を彫った石碑がある。
 
ただ同じ種類の木が複数あり、寄贈者が複数いるので(桜やこぶし)
↑のこぶしがだれの寄贈かは分からない。
以下は、今日、尼崎市の中央公園(阪神電車「尼崎」駅前の広場)でみたチューリップ
昼前から晴れて暑いほどの日であった。夕刻また微雨。
 

 
 
 
 
 

枝垂れ桜

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13日、句会参加。

 

兼題「水」 兼題がある句会に慣れていない。結社誌にも事前公開はない。

句会開催の折、次回句会の兼題が発表される。

指名された人がその場で決める。

 

この日も、兼題が何であったか忘れていて会場で、「水」を確認

 

水音の高く堅香子の咲く辺り

 

披講者は、堅香子の読み方を知らなかった。

 

花の昼甲と称して捺印す

 

美作行から戻って早くも1週間。

まだ紹介したいものが残っている。

ファーマーズ・マーケット ノース・ビレッジ

岡山県独特の施設名称かどうかしらない

 

ウィキペディア:

ファーマーズマーケット (Farmer's Market) とは、主にその地域の生産者農家が複数軒集まって、自分の農場でつくった農産物を持ち寄り、消費者に直接販売するスタイルの市場である。本来ならば「生産者自らが店先で販売する」という形態をもってファーマーズマーケットと称されるが、直売所に過ぎないものであるに関わらず、ファーマーズマーケットと銘打っている場合も見受けられる。

 

岡山県のものに触れていない。

 

 

この季節だと園内に入った瞬間、ヤマツツジと枝垂れ桜のピンクに圧倒されるが

やはりここでも遅れている。染井吉野が満開。

 

 

 

美作のソメイヨシノは、8日、9日あたりが満開であった。

 

厩舎のある方に歩いてみた。

 

 

ごくわずかに山つつじが咲いていた場所があった。

 

会長に再任仏滅のイースター

 

復活祭のミサにはワイフだけでかけ、私は神戸市北区の施設へ。

 

 

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