Quantcast
Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
Viewing all 2577 articles
Browse latest View live

サーキット

$
0
0
サーキット (Circuit) とは、モータースポーツを行うための競技施設であり、周回走路と付随施設の総称である。
 
尼崎市の北西部に大井戸公園という名の公園がある。
古墳を一つ含んでいる。
ともかく公園、神社の一部に古墳があるのは、尼崎では珍しいことではない。
 
この公園の北側にサーキットがある??。
 
大きな体育館のような建物だが、中を覗いたことはない。
この内部がサーキットになっているとは思えない。
 
HPでは「WOODYは駅近で便利もよく、なんといっても公園の中にあるので、自然が豊かです。公園の緑にかこまれたいやしの空間で快適にフィットネスが行えます。
ジムやプール、スタジオ以外にも充実したリラクゼーション施設があります。ぜひWOODYで素敵な時間をお過ごしください。」となっている。
 
あれ!、表の看板、「女性専用サーキット」とはこの場所を指すのではないらしい。
 
私の勘違いで、
 
効率よく脂肪を燃焼させるには、無酸素運動有酸素運動交互に行うこと
 
これをサーキットトレーニングと呼び、その女性参加者を勧誘する看板だったよう。
 
その建物の外回り
 
 

都市公園の種類

種類種別内容
住区基幹公園街区公園もっぱら街区に居住する者の利用に供することを目的とする公園で誘致距離250mの範囲内で1箇所当たり面積0.25haを標準として配置する。
近隣公園主として近隣に居住する者の利用に供することを目的とする公園で近隣住区当たり1箇所を誘致距離500mの範囲内で1箇所当たり面積2haを標準として配置する。
地区公園

 

主として徒歩圏内に居住する者の利用に供することを目的とする公園で誘致距離1kmの範囲内で1箇所当たり面積4haを標準として配置する。都市計画区域外の一定の町村における特定地区公園(カントリ-パ-ク)は、面積4ha以上を標準とする。
都市基幹公園

 

総合公園都市住民全般の休息、観賞、散歩、遊戯、運動等総合的な利用に供することを目的とする公園で都市規模に応じ1箇所当たり面積10~50haを標準として配置する。
運動公園都市住民全般の主として運動の用に供することを目的とする公園で都市規模に応じ1箇所当たり面積15~75haを標準として配置する。
大規模公園広域公園主として一の市町村の区域を超える広域のレクリエ-ション需要を充足することを目的とする公園で、地方生活圏等広域的なブロック単位ごとに1箇所当たり面積50ha以上を標準として配置する。
レクリエーション都市大都市その他の都市圏域から発生する多様かつ選択性に富んだ広域レクリエ-ション需要を充足することを目的とし、総合的な都市計画に基づき、自然環境の良好な地域を主体に、大規模な公園を核として各種のレクリエ-ション施設が配置される一団の地域であり、大都市圏その他の都市圏域から容易に到達可能な場所に、全体規模1000haを標準として配置する。
国営公園主として一の都府県の区域を超えるような広域的な利用に供することを目的として国が設置する大規模な公園にあっては、1箇所当たり面積おおむね300ha以上を標準として配置する。国家的な記念事業等として設置するものにあっては、その設置目的にふさわしい内容を有するように配置する。
緩衝緑地等

 

特殊公園風致公園、動植物公園、歴史公園、墓園等特殊な公園で、その目的に則し配置する。
緩衝緑地大気汚染、騒音、振動、悪臭等の公害防止、緩和若しくはコンビナ-ト地帯等の災害の防止を図ることを目的とする緑地で、公害、災害発生源地域と住居地域、商業地域等とを分離遮断することが必要な位置について公害、災害の状況に応じ配置する。
都市緑地主として都市の自然的環境の保全並びに改善、都市の景観の向上を図るために設けられている緑地であり、1箇所あたり面積0.1ha以上を標準として配置する。但し、既成市街地等において良好な樹林地等がある場合あるいは植樹により都市に緑を増加又は回復させ都市環境の改善を図るために緑地を設ける場合にあってはその規模を0.05ha以上とする。(都市計画決定を行わずに借地により整備し都市公園として配置するものを含む)
緑道災害時における避難路の確保、都市生活の安全性及び快適性の確保等を図ることを目的として、近隣住区又は近隣住区相互を連絡するように設けられる植樹帯及び歩行者路又は自転車路を主体とする緑地で幅員10~20mを標準として、公園、学校、ショッピングセンタ-、駅前広場等を相互に結ぶよう配置する。
注) 近隣住区=幹線街路等に囲まれたおおむね1km四方(面積100ha)の居住単位
 
尼崎市は6つの地区に分割されるが、6つの地区に7つの地区公園がある。
私の家から100メートルのところにある公園は近隣公園である
 
私の住む地区にある地区公園は「偽物」である。
強いてあげれば都市緑化植物園に指定されている上坂部西公園が立花地区の地区公園である。しかしこれは東隣りの園田地区の地区公園である。
 
現在の園田地区に住む人にとっては、猪名川や藻川沿いの緑地や農業公園の方が馴染みある公園であろう。
 
反対に西隣りの地区(武庫地区)には地区公園が二つある。
 
大井戸公園と武庫西公園である。武庫西は、県立の交通公園の市への移管の結果である
(と思っている。市政にそれほど関心があったわけではないので、今でも市会議員選挙の時には困ってしまう)。
 
大井戸公園は薔薇公園である。それ故に今はひときわ冬枯れ状態
 
 
 
しかし林程度の木立は楽しめる
 
 
冬の薔薇
 
「冬薔薇」の例句は多いと思う。「冬の薔薇」で検索
予想以上に多い。しかし枯れ木状態の薔薇を詠うものはない。
冬の薔薇たくさん活けて誕生日 合原 泉
 
他所の家にしか冬の薔薇咲かず 加倉井秋を 『午後の窓』
 
かりそめの旅の間に咲き冬の薔薇 加倉井秋を 『胡桃』
 
剛き詩が欲しや鉄器に冬の薔薇 飴山實 『おりいぶ』
 
三面鏡ひらきてふやす冬の薔薇 朝倉和江
 
四季咲きの薔薇の小さき冬の色 今井千鶴子
 
冬の薔薇日々事なきはつまらなく 鈴木真砂女
 
冬の薔薇放物線の先に咲く 浜田扇風
 
冬の薔薇深紅なるジヨン・レノンの忌 坂口緑志
 
指で読む書は白かりし冬の薔薇 平井 葵
 
心臓の至近に大き冬の薔薇 星野明世
 
尼僧剪る冬の薔薇をただ一輪 山口青邨
 
いづくより落つるひかりや冬の薔薇 神保作
 
冬の薔薇すさまじきまで向うむき 加藤楸邨
 
文芸は具象抽象冬の薔薇 阿波野青畝
 
Aという役名冬の薔薇を持ち 対馬康子 純情
 
加湿器のごぼと気を吐く冬の薔薇 坂本好子
 
戴いてその日咲ききる冬の薔薇 池田澄子
 
破垣に冬の薔薇咲き鷦鷯 窪田桂堂
 
戴いてその日咲ききる冬の薔薇 池田澄子
 
わすれゐし旋律うかぶ冬の薔薇 大島民郎
 
痛がりて青年が選る冬の薔薇 小檜山繁子
 
 
 
 
 
 
 

節分巻

$
0
0

↑うまく写っていないが、ホソバヒイラギナンテンの青い実が輝いていた。
排水溝の石垣の間で育つ野草2種。
↑↓どうも私の未だ知らないもののよう
 
昨日は新開店のイタリアンを下見。近くに住む人を招待しようと思って。
シェフは女性で、ウェイターが旦那さん。
 
今日は、
ワイフは壬生狂言を見に、早朝からおでかけ。
↑の節分巻きは、北北西へ向けて撮影。
同伴の女性は、ワイフよりはるかに年長だが、今夜の為に巻き寿司を6本巻いて出かけてきたとか。
須賀多餅美味なり。
「壬生」の例句多い。壬生狂言も俳人の必修科目のひとつかも。
壬生の鉦きこえて壬生は染屋町 小原菁々子
 
石段を下りて壬生へやをけらの火 松根東洋城
 
独楽きそふ子がゐて壬生の袋路地 茂里正治
 
壬生の鉦打てるはいつも向うむき 後藤比奈夫
 
鬼女の出に昼の月あり壬生狂言 山尾玉藻
 
行き行くに李や桃や壬生念仏 森 澄雄
 
春惜しむ鉦とこそ聞け壬生念仏 安住 敦
 
壬生狂言をはる口上なかりけり 高橋克郎
 
壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸 風三楼
 
うらうらと屋根に日あそぶ壬生念仏 猿橋統流子
 
炮烙を割るにも壬生の笛・太鼓 橋本美代子
 
双手あげ一睡さめし壬生舞台 矢津 羨魚
 
なかなかに役者出てこぬ壬生の鉦 経谷 一二三
 
壬生狂言嘆きの肩をゆすりけり 成瀬櫻桃子
 
鬼女の出に昼の月あり壬生狂言 山尾玉藻
 
願ぎ事はみな打消しぬ壬生の鉦 山田みづえ
 
永き日を云はでくるゝや壬生念仏 与謝蕪村
 
壬生狂言に笛が加はり眠くなる 菖蒲あや
 
をととひもきのふも壬生の花曇り 古舘曹人
 
壬生狂言淫らなことをちとしたり 細川加賀 『生身魂』
 
壬生の鉦クリーニング屋励むなり 波多野爽波 『一筆』
 
壬生菜採る朝の愛宕の晴れを見て 茨木和生
 
母とほく姉なつかしき壬生菜かな 大石悦子
 
前ぶれもなく壬生踊はじまりし 田中久子
 
早鉦となりて鵺出る壬生狂言 右城暮石
 
壬生鉦や一ト走りして狐雨 椎名書子
 
炮烙の放り出されて壬生念仏 岡村光代
 
壬生狂言こどもが先に笑ひけり 中谷五秋
 
壬生の面したたか泣きて汚れけり 関戸靖子
 
うららかに妻のあくびや壬生狂言 日野草城
 
壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸 風三楼
 
御影供や人に埋もるる壬生朱雀 太祇
 
糸車見えぬ糸繰る壬生狂言 長谷川佐和
 
壬生狂言笑うてあはれのこりけり 成瀬桜桃子
 
壬生狂言亡者抜かるる布の舌 川井玉枝
 
青鬼の皺だるむ腹壬生狂言 山田みづえ
 
壬生狂言老婆くつくと笑ひけり 八木林之助
 
身振りをば手振りで返し壬生踊 奥野曼荼羅
 
鬼が出て泣く子笑ふ子壬生念仏 中田余瓶
 
壬生念仏美しき子を肩車 高浜虚子
 
壬生狂言淫らなことをちとしたり 細川加賀
 
面の下咽喉笛太し壬生念仏 鈴鹿野風呂
 
壬生念仏女に太きのどぼとけ 中井大夢
 
舞台暫し空しくありぬ壬生念仏 高浜虚子
 
あをあをと壬生菜一畝白毫寺 丹野富佐子
 
綱渡る鵺に早打ち壬生の鉦 松本圭二
 
壬生の鉦雨雲つひに雨こぼす 山田ひろむ
 
目つむれば鉦と鼓のみや壬生念仏 橋本多佳子
 
壬生念仏舞台を風の通りけり 西村和子 かりそめならず
 
さう言へば壬生寺下ル椿餅 藤田あけ烏 赤松
 
壬生念仏身振りの手足語りづめ 橋本多佳子
 
すぐ乾くあくび泪や壬生念仏 阿波野青畝
 
壬生念仏抜かれし舌の風にとび 大橋桜坡子
 
蝶入りて劇中を飛ぶ壬生狂言 古屋秀雉
 
うらゝかに妻のあくびや壬生念仏 日野草城
 
人形を子として抱く壬生狂言 古屋秀雉
 
幕引に代へて壬生鉦連打せり 山崎佳世子
 
壬生狂言舞台と席のこの空間 古屋秀雄
 
壬生狂言廂より雨瀧なせり 茨木和生
 
壬生の鉦雨呼ぶ鉦となりにけり 向笠和子
 
壬生狂言炮烙すべて割られけり 丸山哲郎
 
壬生の蝶炮烙割りに驚かず 冨田みのる
 
壬生狂言鬼の出に打つ戸板かな 田中英子
 
独楽競ふ子がゐて壬生の袋路地 茂里正治
 
盗人をとらへ縄なふ壬生狂言 八牧美喜子
 
商人面平あやまりよ壬生狂言 八牧美喜子
 
うらうらと屋根に日あそぶ壬生念仏 猿橋統流子
 
壬生狂言鬼女に食はれて歩き消ゆ 右城暮石
 
起ち上りまこと泣きけり壬生の鬼 小原菁々子
 
壬生念仏桟敷の谷崎潤一郎 小原菁々子
 
壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸風三樓
 
出る月や壬生狂言の指の先 小林一茶 (1763-1827)
 
黒染のうしろすがたや壬生念仏 太祇
 
炮烙を割るにも壬生の笛・太鼓 橋本美代子
 
悪玉が出ねば退屈壬生狂言 品川鈴子
 
壬生念佛くらしくらしと酒買ひに 関戸靖子
 
壬生念仏その夜は月に膝立てて 関戸靖子
 
壬生の面したたか泣きて汚れけり 関戸靖子
 
壬生狂言日向雀に囃されて 山田弘子
 
壬生の舞小袖が蝶を放ちけり 山田弘子
 
狂言は南無ともいはず壬生念仏 炭 太祇 太祇句選後篇
 
墨染のうしろすがたや壬生念仏 炭 太祇 太祇句選
 
出る月や壬生狂言の指の先 一茶 ■文政元年戊寅(五十六歳)
 
暮れかぬる一町ほどや壬生の鉦 山田みづえ 木語
 
世に疎きさまにも打てる壬生の鉦 後藤比奈夫 祇園守
 
壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸風三樓
 
壬生念仏大原の春を現じけり 安住敦
 
壬生念仏の笛休む間も鉦は打つ 安住敦
 
壬生狂言老婆くつくと笑ひけり 八木林之助
 
永き日を云ハでくるゝや壬生念仏 蕪村遺稿 春
 
春雨や鼻うちくぼむ壬生の面 高井几董
 
壬生狂言老婆くっくとわらひけり 八木林之助
 
壬生狂言淫らなことをちとしたり 細川加賀
 
出る月や壬生狂言の指の先 小林一茶
当方はインフルエンザ恐怖症で外出中止。
 
今年も大覚寺へでかけるつもりだったが行けなかった。↑は昨年の2月3日
これも壬生狂言である。
2014年、15年、16年と3年つづけて大覚寺へ出向いている。
舞台右端の女性は市長さんである。
面とりて追儺の鬼も豆を撒く 大橋宵火
 
青竹で屋根押へたる追儺寺 細見綾子
 
八方へ射る芦の矢や追儺式 五十嵐播水
 
行僧の荒び声なる追儺経 能村登四郎
 
末社とて追儺神楽もなかりけり 下村ひろし
 
山国の闇おそろしき追儺かな 原 石鼎
 
荒海の北国に泊つ追儺かな 斎藤梅子
 
一筋の深雪の径の追儺寺 梧桐 青吾
 
月光を容れ何せぬ追儺の夜 佐藤鬼房
 
匂ふほどの雪となりたる追儺かな 小林康治 『玄霜』
 
いわし焼く匂ひ流れて追儺の夜 横田和子
 
鬼逐はれ狐栖みつく追儺寺 清水晴子
 
面取つて鬼拾ひ出す追儺豆 荒井英子
 
追儺豆帽子をぬぎて受くるあり 細見綾子
 
山国の闇恐ろしき追儺かな 原 石鼎
 
追儺寺骨董市も加はりて 妻藤玲子
 
魚糶りし闇に追儺の豆を撒く 鈴木夢亭
 
追儺鬼逃れし方へ山動く 岩崎憲二
 
山国の闇恐ろしき追儺かな 原 石鼎
 
大樟の走り根こがす追儺の火 下村ひろし
 
追儺果て月隈なきを畏れけり 山岸 治子
 
光るまで渡殿みがく追儺まへ 村上 光子
 
追儺の夜餓鬼の如くに出て歩く 福永 耕二
 
真闇にも濃淡ありし追儺の灯 根岸善雄
 
追儺豆肱触れて妻やはらかき 石田勝彦
 
書架に棲む鬼何々ぞ追儺豆 肥田埜勝美
 
戸をあけてしりぞく闇へ追儺豆 岡村浩村
 
病床やよべの追儺の豆さびし 中尾白雨
 
匂ふほどの雪となりたる追儺かな 小林康治
 
山国の闇恐しき追儺かな 原石鼎
 
馬にやる蕎麦湯さめたる追儺かな 萩原麦草
 
追儺豆あびて歓ぶめしひかな 斎藤雨意
 
追儺の夜餓鬼の如くに出て歩く 福永耕二
 
山国の闇恐ろしき追儺かな 原石鼎
 
出番待つ追儺の鬼が髪を梳く 北川素月
 
追儺豆帽子をぬいで受けるあり 細見綾子
 
鬼外れし追儺の豆に打たれけり 茂里正治
 
追儺狂言鬼の出となりざわめけり 茂里正治
 
破魔矢あり追儺豆買ひ忘れても 及川貞
 
豆用意忘る追儺は今宵なり 及川貞
 
以前以後追儺の豆の皮剥がれ 加倉井秋を
 
追儺豆母のしとねにあめふらす 赤松[ケイ]子
 
山国の闇恐ろしき追儺かな 原石鼎(1886-1951)
 
わがために撒く影もある追儺かな 中勘助
 
病む父に打ちてしまひぬ追儺豆 大石悦子
 
打連れて追儺の闇はあたたかし 山田みづえ
 
老いぬれば鬼も内なる追儺かな 野見山ひふみ
 
打連れて追儺の闇はあたたかし 山田みづえ 忘
 
追儺うらの町にも聞えけり 黒柳召波 春泥句集
 
追儺豆闇をたばしり失せにけり 篠原鳳作
降ろしたシャッター雨戸を開けて、ワイフはやっていた、例年通り。「鬼は外」
2013年は雪の長浜盆梅展へ出かけている。
盆梅の漂ふ香り人の来し 梅林 清
 
盆梅に隣りて項剃らせをり 中原道夫
 
愛の巣が丸焼け盆梅残りたる 中原道夫
 
盆梅のさかりの白き夕かな 安藤 立詩
 
盆梅のそばにカチリと指輪置く 波多野爽波 『骰子』
 
盆梅や甲冑いつも死の匂ひす 田川飛旅子 『邯鄲』
 
盆梅の咲きそめて気の弛みたる 柴田白葉女 『朝の木』
 
盆梅を戸口に並べ理髪店 石丸泰子
 
盆梅にお礼の肥料たつぷりと 小川ユキ子
 
盆梅をほめて切出す婚の使者 大口蘇峰
 
盆梅の花の香を置く亡母の部屋 安斉君子
 
盆梅のしだれし枝の数へられ 松本たかし
 
点眼のしみて盆梅紅うるむ 福本天心
 
盆梅が満開となり酒買ひに 皆川盤水
 
盆梅を新刊におく書店かな 吉崎礫川
 
盆梅の真青き枝の四方にたれ 広田青陽
 
盆梅の咲きそむ室に朝日満つ 伊藤智代
 
盆梅のとぼしき花を日にあてぬ 中尾白雨
 
盆梅の影現れし障子かな 高浜虚子
 
盆梅の枝垂れし枝の数へられ 松本たかし
 
盆梅や八重も一重も緋も白も きくちつねこ
 
盆梅を置くや彼方に在るごとく 依光陽子
 
盆梅の枝垂れし枝の数へられ 松本たかし
 
盆梅に雪玉吸はせ炉辺の春 西本一都
 
盆梅の花の大きさ目に立ちて 高濱年尾
 

$
0
0

立春とくれば、梅。

須磨離宮公園内の梅林を覗いてみた。
 
山陽電車の「東須磨」駅で下車、東門(植物園)から入り、帰りは正門へ出て「月見山」駅から
阪神梅田行の特急に乗車、新開地駅で阪急梅田行の特急に乗り換え。
 
筑紫紅という品種らしい。伊丹の梅園では見かけなかった。
(伊丹の梅園は全木伐採された。)
早咲き種なのか? 紅梅にしては地味な感じ。
梅園は全体としてはちらほら段階。ただし桜と違って梅園は多品種が混植されているので、5分咲きになっているものもある。
 
紅梅紅梅として灯るころ 阿部みどり女 『微風』
 
紅梅も絵空事なり平次の碑 行方克己 知音
 
紅梅や仏の額に縦のひび 伊藤通明
 
鯉水をうつて寂たり紅梅花 三好達治
 
白梅になき仏心を紅梅に 森 澄雄
 
紅梅の紅の通へる幹ならん 高浜虚子
 
夕ぐれの紅梅を見に戻りゆく 鈴木六林男
 
般若寺の紅梅簷を深うしぬ 山口草堂
 
厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
 
紅梅の空は蘇芳や実朝忌 久米三汀
 
紅梅の寺金色の仏ます 本宮 鬼首
 
紅梅やいましばらくは夕景色 ながさく清江
 
墓ばかり見て紅梅のさかりかな(吉良) 細川加賀 『生身魂』
 
紅梅やきらきらと声とほりぬけ 細川加賀 『生身魂』
 
紅梅や子をおもひつつ粥に塩 細川加賀 『傷痕』
 
紅梅も白梅も金ふちどりぬ 原裕 『王城句帖』
 
紅梅や母の文箱に父の文 原裕 『出雲』
 
紅梅のあと白梅の散る軽さ 原裕 『青垣』
 
紅梅の咲き白梅をはるけくす 野澤節子 『存身』
 
壽の字は紅梅の蕊のさま 野澤節子 『鳳蝶』
 
剪りて置く紅梅一枝片袖めく 野澤節子 『鳳蝶』
 
紅梅や研がれて刃物火の匂ひ 殿村菟絲子 『菟絲』
 
紅梅は尼白梅は老文士(北鎌倉) 殿村菟絲子 『菟絲』
 
紅梅や泣くまえの朱を顔に溜め 田川飛旅子 『植樹祭』
 
紅梅やすさまじき老手鏡に 田川飛旅子 『外套』
 
紅梅の幹に通ふは神の血か 田川飛旅子 『外套』
 
紅梅や空濃くなりし昼の坂 柴田白葉女 『月の笛』
 
紅梅は執をたのみの花ざかり 齋藤玄 『無畔』
 
薄氷より紅梅までの髪靡き 齋藤玄 『玄』
 
紅梅にかの日かのことよみがへる 上村占魚 『萩山』
 
紅梅の*しもとを箸や宮大工 飴山實 『次の花』
 
紅梅やをちこちに波たかぶれる 飴山實 『辛酉小雪』
 
紅梅の小窓にたてば見ゆるといふ 阿部みどり女 『石蕗』
 
紅梅や晴曇交々暇な身に 阿部みどり女 『石蕗』
 
釜のふた紅梅は枝張りにけり 大木あまり 火球
 
紅梅や土の埃の立つところ 大木あまり 火球
 
薪割りの終りは激す紅梅に 大木あまり 火のいろに
 
紅梅や病臥に果つる二十代 古賀まり子
 
紅梅に牛つながれて泪ぐむ 森 澄雄
 
紅梅の夢白梅のこころざし 大串 章
 
紅梅や枝々は空奪ひあひ 鷹羽狩行
 
紅梅と故人のごとく対しけり 富安風生
 
紅梅の紅の通へる幹ならん 高浜虚子
 
ぱつぱつと紅梅老樹花咲けり 飯田蛇笏
 
紅梅にはつきりと雨あがりたる 星野立子
 
紅梅や古き都の土の色 蕪 村
 
紅梅や見ぬ恋つくる玉すだれ 芭 蕉
 
紅梅のたそがれ星座ととのはず 渡辺水巴
 
梅の中に紅梅咲くや上根岸 正岡子規
 
芯高く紅梅の花ひとつひらく 橋本多佳子
 
伊豆の海や紅梅の上に波ながれ 水原秋桜子
 
紅梅を近江に見たり義仲忌 森 澄雄
 
紅梅や誰となく先うながして 晏梛みや子
 
紅梅の上目づかひに咲いてをり 今本まり
 
収骨の刀自の温みや淡紅梅 鈴木フミ子
 
紅梅の盛り過ぎしと言へど艶 井上喬風
 
紅梅や撫で牛にある日のぬくみ 児島ひろ子
 
紅梅や二人連れとは老いること 荒井民子
 
紅梅の一枝に憑かれ来し歩み 福永みち子
 
紅梅の花の数ほど恋をせし 平間真木子
 
紅梅へ舞ひつつ消えむ幕もがな 岩坂満寿枝
 
紅梅の枝垂るる母の生家かな 花田由子
 
固まりて咲く紅梅の恐ろしき 松下道臣
 
紅梅を男坂から眺めたる 古屋 勇
 
蕾見てをり紅梅か白梅か 鈴木須美生
 
紅梅や声の出てくる恋みくじ 藤田 昭
 
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
 
紅梅へ顔寄す この世捨てきれず 守田梛子夫
私が主任選者を継承した句会の前任者であるが、
この句は記憶していなかった。椰子夫スタイルが出ている句である。
 
紅梅や病臥に果つる二十代 古賀まり子
 
雀来て紅梅はまだこどもの木 成田千空
 
紅梅に佇む己が背は見えず 窪田久美
 
紅梅にはつきりと雨あがりたる 星野立子
 
伊豆の海や紅梅の上に波ながれ 水原秋櫻子
 
夕ぐれの紅梅を見に戻りゆく 鈴木六林男
 
白梅の中紅梅に近づきぬ 森 澄雄
 
母好みし紅梅昏れて忌日暮る 大野林火
 
ぱつぱつと紅梅老樹花咲けり 飯田蛇笏
 
紅梅の莟は固し言はず 高濱虚子
 
紅梅と白梅咲いてすぐに川 高橋謙次郎
 
紅梅を近江に見たり義仲忌 森 澄雄
 
伊豆の海や紅梅の上に波ながれ 水原秋櫻子
 
紅梅を濃しと思へりわが息も 林 翔
 
咲き満ちて紅梅こぼる粗朶の上 渡邊千枝子
 
紅梅の吐きたる息をふかく吸ふ 朝倉 和江
なるほど!まだ全体としては2,3分ではあっても、あるいは孤立して咲いていても、
傍へ寄ると香りを放っている。
 
 
紅梅や沖より変る潮の色 渡邊千枝秋

 
紅梅を仰ぐ目がしら熱きまで 岡田 和子
 
紅梅のしんじつ紅き紙漉村 馬場移公子
 
紅梅の一枝に憑かれ来し歩み 福永みち子
 
紅梅の中より遍路来る日和 綿谷ただ志
 
紅梅の見ゆる部屋より母の声 中嶌 陽子
 
紅梅の蘂の精しくゆれうごく 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
 
白梅も紅梅も雨遍路かな 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
 
紅梅の天死際はひとりがよし 古賀まり子
 
厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
 
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
 
紅梅の紅のただよふ中に入る 吉野義子
 
紅梅や一人娘にして凜と 上野泰
 
一本の紅梅を愛で年を経たり 山口青邨
 
伊豆の海や紅梅の上に波ながれ 水原秋桜子
素人目には枝垂れ梅が艶やかであるがまだ枯れ木状態。
 
白梅の紅梅の白梅の雨 岡田史乃
 
安達太良山系暮れ白梅が恥毛ほど 高野ムツオ 陽炎の家
 
魁しその白梅の匂ひなき 行方克己 知音
 
白梅になき仏心を紅梅に 森 澄雄
 
白梅や老子無心の旅に住む 金子兜太
 
白梅の花に蕾に枝走る 倉田 紘文
 
一本の庭の白梅大石忌 若林 北窗
 
紅梅も白梅も金ふちどりぬ 原裕 『王城句帖』
 
紅梅のあと白梅の散る軽さ 原裕 『青垣』
 
紅梅の咲き白梅をはるけくす 野澤節子 『存身』
 
紅梅は尼白梅は老文士(北鎌倉) 殿村菟絲子 『菟絲』
 
白梅に立てばをとこの息も澄む 柴田白葉女 『朝の木』
 
色として白梅の白なかりけり 齋藤玄 『雁道』
 
白梅や室千軒の点りそむ 石原八束 『高野谿』
 
白梅や泥あげし子ととぼけ合ふ 『定本石橋秀野句文集』
 
白梅や仏を入るゝ経の声 飴山實 『次の花』
 
紅梅の夢白梅のこころざし 大串 章
 
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
 
白梅の一枝の折れて風変る 工藤たみ江
 
蕾見てをり紅梅か白梅か 鈴木須美生
 
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
 
白梅の中紅梅に近づきぬ 森 澄雄
 
白梅に真言といふ明りかな 太田保子
 
白梅や子よりはげしき恋したき 田代キミ子
 
白梅に吸はれてしまふ身の光り 峰尾保治
 
晩年に入る弾倉も白梅も 鈴木慶子
 
白梅の下に月夜の日向灘 本村 蛮
 
紅梅と白梅咲いてすぐに川 高橋謙次郎
 
白梅の白きに堪へず鳴雪忌 佐藤紅緑
 
白梅の仄か色めく夕日ざし 林 翔
 
咲き満ちて白梅の日にとけるかに 師 照子
 
白梅や潮待ち浦の廓あと 大町莞子
 
白梅や呵呵大笑のごと夕陽 仙田洋子 雲は王冠以後
 
龍の髭より白梅のひらきけり 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺
 
仄暗くして白梅のひらきかけ 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
 
白梅も紅梅も雨遍路かな 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
 
白梅や旅装でもどる通夜の家 橋本榮治 越在
 
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
 
てのひらを添え白梅の蕾検る 大野林火
 
妓の部屋の繭玉のこし飾取る 佐賀白梅
 
白梅のあと紅梅の深空あり 龍太
 
紅梅の白梅となる夢の底 不死男
 
白梅や蕊の黄解けて真盛り 花蓑
 
白梅に憂ひをわかつ起居かな 碧童
 
灰捨てて白梅うるむ垣根かな 凡兆
 
白梅のひともとゆゑに崖の家 川崎展宏
 
白梅は外へ外へと開く花 岡田史乃
 
白梅のひかりの中に枝の影 長谷川素逝
 
はろけさや白梅は雲人は鳥 松浦加古
 
日輪に入り白梅の燃え上り 上野泰
 
白梅や蕊の黄解けて真つ盛り 鈴木花蓑
 
白梅の苗てふ鞭のごときもの 飴山實
 
黄昏の白梅過去となつてゐし 角谷昌子
 
白梅を影と見てをり西行忌 佐藤麻績
 
亡き父が来る白梅の虚空蔵 齋藤愼爾
 
白梅の待針ほどにふふみたる 西村和子 かりそめならず
 
白梅の盛りの枝の飛沫くごと 西村和子 夏帽子
 
白梅の水に映らぬところなし 岩田由美
 
白梅の蘂に光つてゐたる蝿 岩田由美
 
白梅の夕べほつほつ歩きかな 石嶌岳
 
白梅や鯉の水面のうすぼこり 石嶌岳
 
白梅は坂なりにして別れけり 田中裕明 花間一壺
 
いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅 玉城徹
 
白梅の青きまで咲きみちにけり 小坂順子
 
白梅のどこか幽くて水明り 鷲谷七菜子
 
白梅の薄紅梅の暮色かな 片山由美子
 
白梅をはなれてありぬ昼の月 飴山實
 
乳房は常世の闇か白梅か 栗林千津
 
いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅 玉城徹
 
晩年に入る弾創も白梅も 鈴木慶子
 
白梅の咲きつくしたる暗さかな 岩井久美恵
 
白梅や日光高きところより 日野草城
 
白梅のあと紅梅の深空あり 飯田龍太
 
弟に白梅わたす夢の中 清水径子
 
白梅や天没地没虚空没 永田耕衣
 
白梅や生れきて乳を強く吸ひ 名取里美
 
萼紅き白梅にふれ柩発つ 竹原典子
 
白梅や父に未完の日暮あり 櫂未知子
 
語彙ふやす子は白梅の香りさせ 対馬康子 吾亦紅
 
白梅や父に未完の日暮あり 櫂未知子 蒙古斑
 
舂くと目を細めてや白梅に 中田剛 珠樹以後
 
一枝はや白梅はだけ日はうつろ 中田剛 珠樹以後
 
白梅や淵よりあがりきたる泡 中田剛 珠樹
 
紅梅へ日ざし白梅より翳る 中田剛 珠樹
 
白梅や到る処の闇したし 中田剛 珠樹
 
白梅を紅梅をすぎ岸に出づ 中田剛 珠樹
 
白梅に情またこはし小夜千鳥 原石鼎
 
白梅の白きに堪へず鳴雪忌 佐藤紅緑
 
白梅や誰が昔より垣の外 蕪村
 
白梅の真中はいまも父の椅子 波多江敦子
 
鑑真の海押しひらき白梅は 国武十六夜
 
白梅の老大樹こそ佳かりける 保坂知加子
 
白梅や雪の中にも教へ道 嫩草
 
白梅のさかりの花片まへるあり 飯田蛇笏
 
白梅や天没地没虚空没 永田耕衣
 
白梅の老木のほこり今ぞ知る 高浜虚子
 
白梅に憂ひをわかつ起居かな 小澤碧童
 
灰捨て白梅うるむ垣ねかな 凡兆
 
白梅乏く鴉飛び交ふ翔び違ふ 高島征夫
 
白梅や墨芳しき鴻臚館 蕪村
 
セルリアの花を久し振りに見た。
やや株が貧弱な感じだった。
育て方がむつかしいよう。加湿きらい。リン酸きらい。
 
 
 
 

ゴディバ

$
0
0

一月(いちげつ)往(い)ぬる二月(にげつ)逃(に)げる三月(さんげつ)去(さ)る 

 

高校の国語の教師が毎年3学期の初めに呪文のように唱えていた。

 

月捲り暦切り取る春が来る

新鮮な大統領と大寒波

 

 

(インク文字付き文は)ウィキさんの解説

ゴディバGodiva Chocolatier, ゴディバ・ショコラティエ) は、トルコの食品企業・ウルケル英語版)の子会社である、ベルギーチョコレートメーカーである。

ベルギーで創業し、ベルギー王室御用達とされているが[1]、現在はウルケル・グループの傘下にあり、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなどにおいて、チョコレートや関連商品の販売を行っている。

 

1926年、ジョセフ・ドラップスが「ショコラトリー・ドラップス」をブリュッセルにて設立した。1956年、社名を「ゴディバ」に変更し、販売店をグランプラス広場に開業、1958年にはパリのサントノーレ通りに販売店を開いて国外進出を果たした。

1966年にはキャンベル・スープ・カンパニーの支援を受けてアメリカにも進出した。アメリカ最初の店舗はフィラデルフィアの百貨店Wanamaker's内のショップだった。ニューヨーク5番街に進出したのと同じ1972年にキャンベル社が買収し、その傘下に入る。

 

アジアでは、1972年に東京日本橋三越に第1号店をオープン、1998年には香港、2009年に台湾、シンガポール、中国に、2010年にトルコに進出している。

 

2007年12月、経営戦略の違いなどからキャンベル社は売却を決め[2]トルコの企業であるユルドゥス・ホールディングス(同国最大の食品企業「ウルケル・グループ」の親会社)が買収するにいたった[3]

 

2014年現在、世界80カ国以上に進出し、450か所の直営店とさらに多くの販売店をもつほか、ロンドンのカフェ・ゴディバの経営や、インターネットを通じた通信販売事業も手掛けている。

ワイフがゴディバのチョコをお見舞い品にしたいというので付き合った。

私への分を早めにキープしたのではないよう。

 

チョコレートをメインとして扱っているが、チョコレート以外の菓子コーヒーココアアイスクリームリキュールなども販売している。期間限定の商品も多い。

 

高級チョコレートとして高価格で販売されているが、より高級で少量生産を行っているチョコレートメーカーと比べてもさらに割高であるとの指摘もある。

 

最後の一文は、阪急百貨店のショーウィンドゥを覗いたので、いやいや上には上がと思うが確証・確信はない。

 

ともかく脳下垂体腫瘍というワイフと同じ病名の術後養生中の若い女性へ

チョコを持参するよう。

 

この店までくれば昼食は中華街でということになる。

今年は春節祭の時に来ることが出来なかった。

逆さ福ランプはまだそのまま。

豚まんを目指す(老祥記への)列の向きが変化している。↓

「中国は天津地方の、天津包子(テンチンパオツー)と呼ばれる饅頭を、味・名称ともに日本人に馴染む物にしようと考え『豚饅頭(ぶたまんじゅう)』を生み出したのが”元祖豚饅頭の店”、老祥記だ。
『神戸のぶたまんじゅ屋』と呼び親しまれてきた老詳記。『老祥記』という名で広く知られるようになったのは最近のこと。」(店のHPより) 現在は4代目が店主。

 

前にも一度利用した店で飲茶。

 

南京町の東側の門を出れば、道を挟んで大丸

爆買客むけの垂れ幕がいじらしい。

 

飲茶で例句なし。

 

冷し中華妊るころの紅強く 小高沙羅
 
相席の冷し中華を注文す 宮澤せい子
 
ヘルメット冷し中華の酢に噎せる 後藤千秋
 
さびしきは冷し中華の紅生姜 望月秀子
 
七彩の冷し中華やひとりの夜 加瀬美代子
 
冷し中華少年の機嫌むづかしき 岡本富士枝
 
冷し中華運ぶ笑顔でぞんざいで 星川佐保子
 
冷やし中華失業保険受けとりて 大矢章朔
 
学生食堂冷し中華は売り切れて 平木智恵子
 
冷やし中華富士の形を崩しかね 武藤勝代
 
冷し中華時刻表なき旅に出て 新海あぐり
 
いよよ年金冷し中華の辛子効く 奈良比佐子
 
初空や旧居に中華民国旗 下村梅子

 

冷やしを加えて季語扱いしている。

 

冷し中華運ぶ笑顔でぞんざいで 星川佐保子

確かに日本人の実感。

しかし飲茶いただいた店のウェイトレスは笑顔絶やさず、

食器類の扱いも丁寧であった。

表通りの店で、運ばれてきた水のカップを卓上に置く時、しぶきが飛び散るのではないかと

思ったことがあるが、今は昔になったのであろう。

 

 

 

白加賀

$
0
0

梅林で聴覚失う午前午後


 
ズーム ↓  白加賀が標本木か城の梅
咲いているものもある。
淋しさを補うものに白水仙
 
 
早春の小籠包で火傷する  
ズームしてまだ浅い春確かめる
↓鵯ではないよう。羽根が茶色
 
目白もいたが撮りそこなった。
 
 
 

巾着

$
0
0

カルセオラリアCalceolaria)はチリメキシコペルーニュージーランドなどを原産とするゴマノハグサ科の多年草または低木で、200種ほどあり、花を観賞するために栽培される。

キンチャクソウ(巾着草)ともいい、これは花弁の下側が袋状になっているのを巾着に例えたもの。カルセオラリアという名前はラテン語で小さな靴(スリッパ)を意味する「カルセオルス」という言葉に由来する。

 
カルセオラリア巾着の中兵器かも
 
私にとって、ドイツでの生活の思い出はルピナスである。
ルピナス、逆さ藤では例句なし。
現代俳句協会のデータベースでも見つからない。
 
それ以外には、木瓜。
名前を問われて答えられなかった。
日本原産扱いだった。
ドイツ語では「日本の桜」だった。
 
 
ハーデンベルギア
同じようにイギリス生活の思い出は
フォーシア。露地花壇に高性、矮性各種大量に植え付けられていた。
 
徒歩圏内の園芸店ではあまり見ない。よって日本では家庭園芸では珍しい。
半日蔭の玄関前に鉢植えで大事に育てておられる家があるが、日本の露地では栽培しにくいと思う。
 
私も一度小さな鉢植えを買ったが管理しきれなかった。
 
神戸の花鳥園ではメインの花である。
 
しかし種類は限定的な感じがする。
 
 
 
 
 
 
 
 

リュウキンカ

$
0
0

P1a_r

写真散歩 Photoing in neighborhood

と題するブログから借用。上が雄で、下が雌とのこと。
他の画像も沢山紹介されている。
 
庄下川で今日見たカルガモ
私は上が雄で、下が雌だと?付きながらも判断していた。
 
頭が赤っぽいのは若者鳥かも。
 
他にも、
 
コサギや
鴎も撮れたが川鵜は撮りそこなった。
鵯も撮りにくい。
 
庄下川岸辺の早春の華はリュウキンカ。
 
 
1か所だけだが群生地がある。盛ではないが早春の晴れた日には、かえって
「新生感」を感じる。
 
葉も輝いている
X橋 ↓(かつての庄下川の源) 右奥に見えるのは海桐。
我が町家から半径600m内ではもっとも大きい。
 
筆記体のXの形がしているので、ここを根城にしているブローガーが名づけた橋名である。
ここから数百メートルは両岸に土溜りが出来ていて、季節の野の草が繁茂するが、
それぞれにテリトリーがある。
 
左岸ではしばらくはスイバの領地。

スイバ(蓚・酸い葉、学名:Rumex acetosa)はタデ科の多年草。ギシギシという地方名もある。また、スカンポスカンボなどの別名でも呼ばれることもあるが、これらはイタドリの方言名としても用いられることが多い。英名からソレルとも呼ばれる。北半球温帯に広く分布し、田畑や道端によく見られる。

は長く、付け根は矢尻型になる。雌雄異株で、から初夏にかけて咲く。を噛むと酸味があり、スイバ(酸い葉)などの語源となっている。

巨大な株になるものもある。
花を付け始めているものもある。
こうなるとギシギシとの区別がつかない。私は。
ギシギシ(羊蹄、Rumex japonicus)はタデ科多年草。やや湿った道ばたや水辺、湿地、田のあぜなどに生え、日本全国に分布する。
 
学名からするとギシギシは日本原産かも。有史前渡来か。
この、ウィキさんの解説なら、私が見ているのは、スイバではなく、ギシギシではないかとも思う。
 
高さは、40-100cmになる。根もとに生える葉は、長さ10-25cmの長楕円形で長い柄があり、基部がハート形になるが、上部の葉は柄が無く幅も狭くなる[2]。葉の縁は大きく波打つ。茎の上部で分枝し多数の花序を出す。緑色で小さい花を輪生させる。花は花弁をもたず、6片のからなる。花期は、6-8月。[1] 花が終わると内側の3つのが発達し、翼となって3稜のある痩果を包む。この翼の縁に微細な鋸歯があり、背面には楕円状の瘤がある。
 
↑のような解説を正確に読み抜く能力が欠如。
ネット上で、ギシギシの名で紹介されている画像
 
「ギシギシ」の画像検索結果
 
↓↑葉の根元がやや細い軸になっているように見える。その点が私がスイバとして紹介した
ものと異なる。
ともかく出会う人はスイバで納得してくれる。
「ギシギシ」の画像検索結果
その多くは健康維持のために日課のように川の両岸を往復している人であって、
野草に関心を示す人に出会ったことがない。
 
スイバのテリトリーを過ぎると
その後に、わずかながら芦原があり、
その後立金花の楽園。
 
 
 
 
 
 
 
 

ネメシア

$
0
0

ノースポール 苗

奥のプランターの苗はロベリア
同じ時期に種を蒔いたが成長は全く違う。
ノースポールは我が家のものでも2,3蕾を持っている。
育苗場で育てた公園のノースポールはすでに花開いているものも多い。なにより株が大きくなっている。
 
ネメシア ご近所の家の前のプランター
 
 
句会参加
 
春節祭小籠包で火傷する
指繊き人より受ける懸想文
淋しさを補うものに白水仙
梅林で聴覚失くす夕明り
 
ショウちゃん選
 
ストーブ消すヘブライ語浮かぶ司祭館
間伐の遠音笹鳴きの応え合う
ポケットの中のポケット冴え帰る
眠る山のふところ分ける宅配便
雪女今夜寝てましょ明日出ましょ
 
最高点句
寒雷のやがて一人になるふたり
 
 
 
 

懸想文

$
0
0

ネット上の「懸想」の解説:
 
  1. けそうびと【懸想人】
    • 思いをかけている人。恋をしている人。
      「我等をば―の数にも入れざなるこそからけれ」〈宇津保・嵯峨院〉
  1. けそうぶみ【懸想文】
    •  懸想の気持ちをつづった手紙。恋文。艶書(えんしょ)。
    •  江戸時代、正月に、京都などで懸想文売りが売り歩いたお札。恋文に似せて縁起を祝う文が書いてある。これを買うと良縁が得られるとされた。
  1. けそうぶみうり【懸想文売り】
 
 
節分の日にワイフは壬生寺へ壬生狂言を見に行ったが、
途中、須賀神社へ寄り、
懸想文を入手してきた。(今ではここでだけ、この日-2月2日と3日ーに限り売り出されるとか)
 
ネットで、「懸想文」を検索したら、Wikipediaの「恋文」の解説が現れた。
 

恋文(こいぶみ)とは、を告白する手紙のこと。ラブレター(love letter)とも呼ばれ、この語がもっとも現代の日本では一般的である。ほかに付(け)文(つけぶみ)・艶書(えんしょ)・艶文(えんぶん)の語もあるが、これらの3つの語彙は現代の日本では一般的ではない。

 

相手に対する愛を面と向かって直接相手に言えない場合、文章を綴って相手に手紙を渡して愛情を表現する。恋文を送ることによって相手が自分の愛情に気づくこともある。直接手渡しする他、郵便で郵送する、人づてに渡すなどもある。また相手の机の引き出しや、ロッカー等に入れておくこともある。

 

恋愛をテーマにした文学では恋文が出てくる話も多い。

 

古くは懸想文(けそうぶみ)といい、相手に対する恋心を和歌に詠んで紙にしたため、それに関連する草木を添えて、人づてに渡しあった。ここから派生した文化として、「懸想文売り」が存在し、国宝上杉本洛中洛外図屏風(米沢市上杉博物館蔵)にも描かれている。この懸想文売りとは、厳密には恋文に似せて縁起を祝う文を書いたもので、この文を買うと良縁が得られるとされた(屏風の左隻第3扇に売り手が見られる)。

 

↑に登場する装束で「販売」したよう。この人物ないし装束を「水干」と呼ぶらしい。

何故覆面していたか?江戸時代の貧乏公家のアルバイトだったらしい。

 

独特の折り方がなされている。

読みやすい楷書体で書かれている。

 

 

↓ウィキさんの解説の続き。

 

「代筆恋文」というのも文化的にはあり、例として、高師直が美人と評判の塩谷高貞の妻の話を聞き、夢中になってあらゆる手を用いて口説こうとするも、なびかなかったため、吉田兼好に恋文の代筆を依頼する。文は送られたが、高貞の妻は文を開きもせず、庭に捨ててしまう。この逸話のように、古くは文筆の才ある者に代筆をしてもらう例もあった(この場合、武家が随筆家に頼った語りである)。他にも当人が文盲である場合、意思を伝えるために代筆を依頼する例はある。

 

物事を調べるために偽の恋文を利用する場合もみられ、例として、密偵をおびた忍者が建物の見回り番に怪しまれた際の言い訳として、「邸宅の娘に恋文を送ろうとして周囲をうろついていた」と理由を述べるためにあらかじめ恋文を書いて懐に入れていた。いわば、恋文を渡そうとする行為は建物の周囲をうろついていても疑われない心理状態であり、スパイ行為のために嘘の恋文を利用した例である。

 
落し文懸想は白をつくしけり 河野多希女
 
星月夜神に懸想をしてゐたり 仙田洋子 雲は王冠以後
 
家鼠懸想ばみたる雛かな 小澤實
 
萩・露にまみれてをかし懸想(けさう)びと 筑紫磐井 野干
 
文楽の頭に懸想水草生ふ 小澤實(1956-)
 
落し文大病懸想相似たり 斉藤夏風
 
「懸想文」そのものでは例句なし。
 
懸想文誰に送るか2通買う
 
その1通を受けとった(らしき)人の紹介画像
 
 
 
 
 

ユーチャリス

$
0
0
裸祭の最中にクール宅急便  旧作
 
またまた大雪の岡山県西粟倉村(北に峠を越えれば鳥取県智頭)の親戚寺へ雪見舞いの電話をワイフに依頼。
雪はすでに1m越えのようだが、
まさに
裸祭の最中の雪見舞いとなった。
住職の姉なる人とつながったが、祭が終わったらしく、
今(21時43分)住職から電話が入った。
私と現住職とは、私→母→祖母→曽父母→大大伯父→その息子→そのまた息子の関係だから6親等。母系でのつながりで、かつ養子関係が入るから姓は、母の原姓とも祖母の原姓とも異なる。
 
Wikipediaで「裸祭」を検索。全国でやっているようだが、
中国地方の日程。

中国地方

確かに今日は第2土曜。
同じく今日、祭の美作市所在の寺も親戚寺であるが、
こちらの親等を数えるのは資料なしでは不可能。しかし父系でつながっているので
住職は私と同姓である。
 
ユーチャリス:ギボウシスズランと呼ばれているとか。
葉がギボウシに似ているというが、私にはハランに似ているように見える。

やさしい園芸から:

 

中央~南アメリカに約10種類が分布する球根植物です。その中でもよく栽培されているのはアマゾンユリの和名をもつグランディフローラ種〔E. grandiflora〕です。

 

日本には明治時代の中頃に入ってきたと言われています。ギボウシズイセンの別名もありますが、草姿をギボウシ、花をスイセンになぞらえて名付けたのでしょう。ユーチャリスはギリシア語で「とても目を惹く」という意味で、美しい花姿に由来します。切り花向きに生産もされており、コサージュなどに利用されます。アマゾンユリと言っても植物学的にはユリの仲間ではありません。花色と姿からの形容でしょう。

葉は長い軸をもち、地際から出てきます。長い花茎を伸ばしてその先端に3~6輪の花をうつむきかげんに咲かせます。花は径5cm~6cm、色は純白で芳香をもち、姿はスイセンに似ています。つけ根は長い筒状で、先端が6枚の花びらに分かれます。正面から見ると籠目紋(六芒星)のような整った形をしています。

 
家庭園芸では珍しくなった。金盞花。
矮性種のよう。駅前の農協前のプランター花壇。
もっと矮性の冬知らず、去年の暮れから新年にかけてあまり見かけない。
一時は大流行りだったが。
鶯とは色が少し違う。コジュケイ。
 
 
 
寒さには弱いらしい。温室の中で見た。
 
 
 
寒咲きあやめ
今日は、尼崎市、雪はもちろんないが、かなり冷え込んだ。
遠目にはまだ枯れ木だったが、念のために近づくと、
やはり咲いていた。満作マンサク
万作は微風を糧として漫ろ 高澤良一 石鏡
 
万作黄葉亡母天空にありとせり 金子皆子
 
鶏乗り童子山駆けて万作が咲く 金子皆子
 
万作や万葉仮名の八一の書 田部みどり
 
谷間谷間に満作が咲く荒凡夫 金子兜太
 
満作の鉤十字(ハーケンクロイッ)靡かせて 高澤良一 素抱
 
ヒトラーの雄辯満作前にして 高澤良一 素抱
 
満作はお天道様のおかげ咲き 高澤良一 素抱
 
満作植う根方を強く足固め 高澤良一 寒暑
 
満作の小出しに咲ける臆病花 高澤良一 寒暑
 
満作の昼臈たげな気息かな 高澤良一 寒暑
 
満作の昼素通りの郵便夫 高澤良一 寒暑
 
満作の綻び初めぬ空鳴る日 高澤良一 寒暑
 
桃・満作咲きてとんとん拍子の春 高澤良一 寒暑
 
満作を前に餃子のげっぷかな 高澤良一 寒暑
 
万作まんず咲いて妻の大きな欠伸 山鹿精一
 
万作の花の貧しき黄色かな 倉田紘文
相変わらず高澤さんの句は面白い。
 
 
 

米朝

$
0
0

 
兵庫県立の施設。
我が娘の発表会を見に行ったこともあるが、
俳句結社の全国大会をここで開催したこともある。
米朝の独演会や、一門の寄席もここで開かれたよう。
というより尼崎市内のあらゆる公演可能な場所では落語が演目にあがっている。
 
 
米朝さんの俳句
晩年は武庫之荘住まいだった。
尼崎市の名誉市民になったという話は耳にしない。
 
米朝さんは旧満州生まれで、実家は姫路の神社。
よって米朝さんも神職資格を得て禰宜を勤めたこともあるよう。
ワイフはバイオリンの発表会へ、。お土産はじ~じ宛てバレンタインチョコ代運。
私は神戸市北区往復62㌔。雪なし。
 
今夜もいい月
美作は昨日が満月であった由。
 
 
 
 
 

$
0
0

 
山形在住のワイフの従弟来訪。
我が家で相続管理している祖父の作品を見てもらい、
美術館への管理移転の仲介を依頼。
 
祖父の作品
額の裏側から写真を発見  ↑画像は、昭和9年の制作であることも判明
 
 
この写真は、平凡社が美術全集を刊行した時に借りに来たとか。
前列中央が祖父だそう。
祖父の作品が所収されたのかどうか
多分写っている青木繁などの作品解説の中で利用されたのだろう。
 
まだこのブログで紹介していなかった作品いくつか
あきらかに厳島神社
完成作品ではなく準備作品であろう。
 
近所に住む、ワイフのもう一人の従兄を加え、歓談。
遠来の客は、ワィフの父の弟の子、もう一人は父の妹の子。
 
セイロンベンケイ
この花姿から燈籠草という和名がある。
辺戸岬狼煙の跡の弁慶草 山田春生
 
辺戸岬狼煙の跡の弁慶草 山田春生
 
すれ違ふ故郷訛り弁慶草 大沢知々夫
 
弁慶草鋸山を目の前に 丸 千總子
 
弁慶草沸々の日は立ち上がる 松田ひろむ
 
雨つよし弁慶草も土に伏し 杉田久女
 
辺土岬狼煙の跡の弁慶草 山田春生
 
妻子とほし弁慶草に夕せまり 鳥居露子
 
種牛の横振り来る貌弁慶草 池上樵人
 
雨つよし弁慶草も土に伏し 杉田久女
 
雨つよし弁慶草も土に伏し 杉田久女
 
弁慶草のもみぢふはふはの朝日 金田咲子
 
がむしゃらの弁慶草も枯にけり 一茶
我が家のカランコエ
一茶が詠っているベンケイソウとは違うと思うが、
カランコエもまた弁慶草と呼ばれる
 
 
 
 
 

ドドナエア

$
0
0

最近の花壇では、オーストラリア(ニュージーランド)原産のものが目立つ。
ドドナエア・ウィスコサ プルプレア
冬も落葉しない。
平成末期仕立ての新築の家の門前には、落葉せず、かつ大木にならない木が好まれる。
やがてこの木なども普通に見られるようになるかも。
 
ブラシノキのように。
 
花と緑の図鑑より(ウィキさんにこの項目がないので):
 
ドドナエアにはいくつか種類がありますが、店頭で普通に見られるのはビスコーサです。冬に美しく紅葉する‘プルプレア’がよく出回ります。緑の葉色を保つ品種もありますがあまり出回りません。紅葉は赤銅色になります。耐寒性があり南関東以西の暖地では庭植えも可能ですが、寒風にさらされたり冷え込みが厳しいと葉を落とします。花は目立たず、雌木は花後に莢ができますがこちらも目立ちません。株は別名の通りブッシュ状に自然にまとまります。冬越し以外は丈夫で手間がかからず、大きくなりにくいため近年人気が出てきています
 
 
「富松一寸豆」と呼んでいたのに、武庫一寸豆に改名か?
 
土塊の翳ふかき朝を空豆蒔く 一之瀬王路
 
空豆の花に追れて更衣 一茶 ■文化七年庚午(四十八歳)
 
その他の尼崎特産は藷と綿。
 
綿はここ10年以上毎年数株育てている。
虫がついて育てにくい。
 
 

フィリフェラ

$
0
0

ギョリュウバイ

寒暖の差が激しい砂漠的な所で育っているのであろう。
葉の表面積が小さく、とげとげしいが、
日本の、関西平野部なら2月から咲きだす




砂漠ではこんなに早く成長しないであろうと思う。
(砂漠が原生地であるかどうか、実のところ調べていない)。

ナデシコ オリビア


地表すれすれの高さで茂っている。散歩帰りに理髪店に寄り、その店を出たところの園芸好きの家で
見かけた。
フジ園芸が示している開花イメージ
花苗 コンパクトナデシコ オリビア スカーレット 48ポット
「撫子」なら重複もあるが例句100句
撫子の老撫子を撫でながら 永田耕衣 人生
 
吹かれゐる浜撫子にあそび海女 木村蕪城
 
海霧うすれきて撫子の吹かれどほし 清崎敏郎
 
撫子や狂へば老も聖童女 福田蓼汀
 
撫子恋知り頃の海女にして 臼田亜浪
同工異曲の句がある。
 
大阿蘇の撫子なべて傾ぎ咲く 岡井省二
 
やさしい色に河原撫子馬が佇つ 和知喜八
 
岬に咲く撫子は風強ひられて 秋元不死男
 
撫子の受け流し立つ阿蘇の風 日高 義治
 
撫子のひとひら欠けて迷子の記憶 平井久美子
 
撫子の花にそひくる雨明り 澤村昭代
 
昭和すでに撫子はみな何処へ行きし 中村苑子
 
撫子のまなじりを裂きそめしかな 関口比良男
 
石垣に撫子旅の妙な時間 加倉井秋を 『真名井』
 
撫子や吾子にちいさき友だち出来 加倉井秋を 『胡桃』
 
竹筒に撫子をさす豪雨かな 大木あまり 火球
 
撫子や狂へば老も聖童女 福田蓼汀
 
岬に咲く撫子は風強ひられて 秋元不死男
 
撫子や島に一つの放牧場 高橋悦男
 
撫子も草の庵も富士のもの 高浜虚子
 
撫子の花野浄土となりにけり 沢木欣一
 
撫子をゆりて因幡へゆく列車 山崎一枝
 
口紅は母に貰ひし撫子や 木野愛子
 
撫子や吾子にちいさい友達出来 加倉井秋を
 
撫子を束ねし土の湿りかな ほんだゆき
 
河原撫子僧に忘却問はるるも 伊丹さち子
 
撫子や河原によどむ真昼の日 墓田まさこ
 
撫子や恋知りそめし稽古海女 野中亮介
 
撫子の咲き澄む泉汲みにけり 中村 四峰
 
撫子の径を下りきて海女となる 森本蒲城
 
撫子や雌伏のさまの日本海 池上樵人
 
岬に咲く撫子は風強ひられて 秋元不死男
 
壺に挿して河原撫子かすかなり 田村木国
 
撫子や吾子にちいさき友達出来 加倉井秋を
 
撫子やただ滾々と川流る 山口青邨
 
摺えゐる撫子に水太く打つ 日野草城
 
撫子や海の夜明の草の原 河東碧梧桐
 
霜の後撫子咲ける火桶かな 芭蕉
 
茎ながき撫子折りて霧に待つ 悌二郎
 
撫子や波出直してやや強く 照雄
 
撫子や堤ともなく草の原 虚子
 
撫子や濡れて小さき墓の膝 草田男
 
朝風や撫子ふせる雨の後 吟江
 
撫子の節々にさす夕日かな 成美
 
撫子の露折れしたる河原かな 士朗
 
撫子やそのかしこきに美しき 惟然
 
撫子のやうな彼女と思ひしが 稲畑廣太郎
 
撫子の脇を思へば河ばかり 永田耕衣
 
撫子の紅もかなしき捨扇 山口青邨
 
撫子や夏野の原の落し種 守武
 
酔うて寝ん撫子咲ける石の上 芭蕉
 
撫子や高野の道の地蔵堂 河東碧梧桐
 
撫子に風を入るるや雲雀鷹 冶天
 
伊勢撫子さにづらふ初陣のサッカー 塚本邦雄 甘露
 
撫子に草丈のみなすぐれけり 石田勝彦 秋興
 
撫子のふしぶしにさすゆふ日かな 夏目成美 (1749-1816)
 
かさねとは八重撫子の名成るべし 河合曾良 (1649-1710)
 
水灌ぐ撫子畑の手桶かな 会津八一
 
畫き得て八重撫子の胡粉かな 会津八一
 
撫子の八重は一重は緋は白は 会津八一
 
撫子の根に寄る水や夕河原 泉鏡花
 
撫子は七草のうち紅き花 永井龍男
 
撫子にはじまる句碑の秋の草 深見けん二
 
撫子を摘みし束の間富士を見し 山田弘子
 
分校の子に撫子のひるの雨 大峯あきら
 
仰ぎみる高さや子規の撫子図 辻桃子
 
撫子の花野浄土となりにけり 沢木欣一 往還以後
 
撫子や我が跡空の動くらん 永田耕衣 葱室
 
撫子や我が跡空の動くらん 永田耕衣 葱室
 
撫子の老夏くねりを皆愛す 永田耕衣 物質
 
撫子や死なで空しき人のむれ 永田耕衣 冷位
 
撫子にふんどし干すや川あがり 亡-嵐蘭 芭蕉庵小文庫
 
動きなき岩撫子や星の床 曽良 七 月 月別句集「韻塞」
 
撫子の池は落さじ麻地酒 史邦 六 月 月別句集「韻塞」
 
撫子の泄(も)れは落さじ麻地酒 中村史邦
 
撫子や海の夜明の草の原 河東碧梧桐
 
撫子や父に仕へて画を学ぶ 深川正一郎
 
撫子やぬれて小さき墓の膝 中村草田男
 
撫子にはじまる句碑の秋の草 深見けん二
 
撫子の暑さ忘るる野菊かな 松尾芭蕉
 
霜の後撫子咲ける火桶哉 松尾芭蕉
 
酔うて寝ん撫子咲ける石の上 松尾芭蕉
 
撫子にかかる涙や楠の露 松尾芭蕉
 
暑き日や撫子つまむ山のかげ 松岡青蘿
 
撫子に霜見むまでの暑かな 高井几董
 
よろよろと撫子残る枯野かな 尚白
 
たらちねやかくなでしこ(撫子)の草枕 立花北枝
 
撫子やそのかしこさにうつくしき 広瀬惟然
 
かるがると荷も撫子の大井川 広瀬惟然
 
撫子のふしぶしにさすゆふ日かな 夏目成美
 
家から徒歩3分のところに建った10階建てマンションの道路面(西側)

オタフクナンテンの見ごろ。
このナンテンと組み合わされる矮性の黄色葉のヒノキ
区 分スイリュウヒバ(垂柳檜葉)ヒヨクヒバ(比翼檜葉)
分 類ヒノキ科ヒノキ属ヒノキ科ヒノキ属
Chamaecyparis obutusa Endl. var.pendula Mast
Chamaecyparis obutusa‘Suiryuhiba’
Chamaecyparis pisifera var. Filifera
注:学名では変種としている場合と園芸品種としている場合がある。注:学名では変種としている場合と園芸品種としている場合がある。
別 名イトヒバシダレヒバ 等イトヒバシダレヒバ 等
特 徴ヒノキの変種(園芸品種)で、葉は葉先がとがらず鈍頭で、光沢があり、ひも状に分岐して垂れる。結実はまれ。
 
サワラの変種(園芸品種)で、小枝・細枝は伸長・下垂して長く、葉先は鋭先頭で先端が外反し、下面は白色。まれに結実し、球果はサワラと同じ。
類似種1 - サワラの園芸品種のフィリフェラオーレア Chamaecyparis pisifera ‘Filifera Aurea’は通年黄金色。
類似種2
 スイリュウヒバ、ヒヨクヒバと類似するものとして、ヒノキ科コノテガシワ属の変種であるイトヒバ Biota orientalis Endl. var. pendula Parl.が知られていて、枝は下垂して丸紐状を呈し、葉の多くは鋭頭、球果で識別できるという。個性的なコノテガシワの球果の形状を承知していれば、これもクリアできそうである。
名前を知りたかったが、この種の園芸用ヒノキを多数育てている緑化植物園の似たような木の
名札をメモってネット検索してもズバリのものがない。
↑の画像は、家の西側に新築なったワンルームマンションの境界花壇。
造園担当者らしき人に訊ねて、
フィリフェラという名を教えてもらった。

直ぐ家に戻りネット検索。
もう一度外へ出て、
「フィリフェラ オーレアか?」と声かけると、「それそれ」と応答あり。
 
参考資料樹木大図説
ウィキペディア:
フィリフェラオーレア(Chamaecyparis pisifera"Felifera Aurea")は、ヒノキ科ヒノキ属サワラの園芸品種。オウゴンヒヨクヒバオウゴンワイセイスイリュウヒバとも呼ばれる。黄色の細長く垂れた葉が特徴[1][2][3]。「オーレア」とは「黄色」という意味。
オウゴンは黄金であろう。ヒバは檜葉。ヒヨクは比翼か?
黄金矮性垂柳檜葉はこの表記で正しいよう。
 
類似種がいっぱいあるよう。
  • ゴールデンモップ - フィリフェラオーレアの分離種[2]
  • フィリフェラオーレア・ナナ - 矮性種。高さ1-1.5m[2]
  • コラリフォルミス・オーレア - 別名サンゴヒバ。赤黄色の短い枝が密生。高さ1.5-2.0m[2]
  • ゴールド・スパングル - 狭い円錐形。高さ6-8mに育つ[2]
  • ゴールデン・チャーム
ワイフが芦屋の虚子記念館へ調べもので出かけるというので、
駅前で昼を一緒に
 
 
 
 

十三

$
0
0

 大坂から神崎(現尼崎市)を経て西国街道へと至る道筋には、中津川にひとつの渡しがあった。「十三の渡し」がそれである。江戸時代には右岸の成小路村字十三と左岸の堀村を結んでいた。(大阪市HPの「北区」の案内

 
 
今は十三大橋がかかっている
案内碑
 
橋のたもとに交通安全祈願地蔵
 
 
屈みこまないと地蔵さんの顔は見えない
 
橋付近からの風景。南を向いている。
 
ツインビルは外国人観光客でひしめいているらしい。
 
淀川や舟みちよけて上り簗 田中王城
 
淀川に姿おもたや水車 上島鬼貫
こういった標識でも4か国語表記になっている。
十三と言えば焼餅らしいが、私、十三の焼餅を食った記憶がない。
いつも買うのは、
今や大阪周辺に10店舗以上を展開しているらしいが、渡しがあった時代に創業したのではないよう。創業は済2次大戦以降。
私はここのでかいおはぎが好物。
 
 
 

回遊

$
0
0

市の緑化植物園には南北に2つの川が流れている。

植物園には2つの入り口がある。正門は北向き、西側に西門があるが、
公園の西側を流れている上坂部川の川の端に西門があるので、
道路から西門に至る、上坂部川の右岸までは夜間も出入り自由である。
 
園内の西側の部分を回遊した水は、最後に、上坂部川へ流れ込む。ここで上坂部川の水量は一気に増え、かつ水質も改善される。
園内の川は、事務所裏でポンプで汲み上げられ噴水となり浅い川となって園内を巡る。
 
他方、園内の東半分を回遊する川の水は、東端でポンプで地下水をくみ上げている。
 
↓は公園の東側を貫流する昆陽川。行基が建立した昆陽寺あたりにも源泉があるので
この名がある。コヤと読む。
↑正門を入って左へ歩むと太鼓橋があるが、それが昆陽川にかかる橋である。
石造りのなかなか立派な橋である。
この川の東に子供も遊べる小川や池があるがその水は地下水の汲み上げによる。
↓左端に太鼓橋。流れは昆陽川。
園の辰巳の地点、滅多に人が踏み込まない地点にポンプ施設があるよう。
 
東側の園内小川の湧き出し口↓
 
他にも濾過口がある(よう)。排水溝?
東側の回遊水はこの辺りで昆陽川へ排水される。
前方が太鼓橋
西岸には山桜が植えられているが株はかなり弱っている。
かつてほどの艶やかな満開は楽しめない。
 
 
園内のビオラ
花のビオラを詠った句なし
秋高し無精髭濃きビオラ弾き 仙田洋子 雲は王冠
 
水澄みてビオラの低き響きかな 高崎公久
 
雪の夜はホルンとビオラ睦むかに 鈴木六林男 桜島
パンジーも10年ほど前までは圧倒的にありふれた家庭花壇、公園花壇の主役であったために却って詠われなくなった。例句は多分昭和50年代までのものが多いのではないか
パンジーの吹かるる余韻なかりけり 行方克己 知音
 
パンジーの小さき花束わたす役 行方克己 無言劇
 
女教師の日記パンジー咲くことも 石谷秀子
 
パンジーの花びらめくれ風のまゝ 安藤 寿胡
 
パンジーの顔上げて咲く風の中 満田春日
 
パンジーの畑蝶を呼び人を呼ぶ 松本たかし
 
パンジーの仔熊の顔に似たりけり 森田 峠
 
パンジーが日を七色に振り分つ 本杉桃林
 
パンジーの黒き瞳にある嘘すこし 田川信子
 
パンジーの風のとりこになりゐたり 高岡周子
 
パンジーの群れて一つの強き黄に 吉村玲子
 
パンジーがこちら向くから涙拭く 近藤三知子
 
パンジーの瞳を前にきしむ椅子 岡本まち子
 
パンジーに光あつまる花時計 中島みちこ
 
大部屋の箱のパンジー犇ける 百合山羽公
 
パンジーやここの家の子知つてをり 今井千鶴子
 
つきささるやうな照明パンジーに 岸本尚毅 舜
 
パンジーの中に光るは箒の柄 岸本尚毅 舜
 
パンジーのくすくす笑ひ止まらずよ 西村和子 かりそめならず
 
パンジーが咲き横浜は好きな町 西村和子 窓
 
パンジーのつむり寄せあふ木絶かな 西村和子 夏帽子
 
パンジーや大きな犬の首を抱く 依光陽子
 
パンジーの花弁拡げつ陽にま向き 小川濤美子
 
パンジーのほとりの帽子掛暮るる 飯田晴
 
パンジーを植ゑて俄に風殖やす 冨田みのる
 
パンジーの紫ばかり金の芯 平野桑陰
 
パンジーを貌と見てゐる西東忌 辻田克巳
 
パンジーに妻が放てる水曲がる 攝津幸彦
 
むつまじき吾が老父母にパンジーなど 赤城さかえ
「三色菫」となると作者も故人が多くなる。
昭和30年代か?
三色菫勤勉をただ誇とし 藤田湘子
 
わが肺も三色菫の鉢も寧し 石田波郷
 
三色菫厚き一瓣少女噛み 能村登四郎
 
卵置く三色菫の花の中 高野素十
 
三色菫黄ばかりが咲き憔悴す 福永耕二
 
弁厚き三色菫進級す 水谷 晴光
 
三色菫買はしめおのれやさしむも 森澄雄
 
鉢に乱れし三色菫地にかへす 軽部烏頭子
 
三色菫は治癒の日の花子より享く 石田波郷
私が園芸を始めたころには、「三色すみれ」という語はまだ死語になっていなかった。
最近では、三色のパンジーは見かけない。
一枚の花弁が虹色のものはみかける。
 
春浅しLOLのTシャツ10万円
 
ネット上ではLOL lolは、(笑)  爆  笑の意味らしい。
誰かが早くもLOLマークのTシャツを売り出し、10万の値がついているとか。
 

太公望

$
0
0

いつもの池

春一番が吹く頃。
(関西地区のみまだ吹いていない)
よく見ると太公望健在
なにかを釣りあげることが目的でない人を(多分)太公望と呼ぶ。
 
ウィキペディア:

呂尚(りょ しょう)は、紀元前11世紀ごろの古代中国・軍師、後にの始祖。

 

なんとなんと太公望さんは、神武天皇より古い時代の人である。

日本ならそれより1300年後の人でも卑弥呼などといういやらしき中国(発音)名でしかl固有名詞は残っていない。

 

 

 

は子牙[2]もしくは牙[3]、諱は尚とされる[4]。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれる[3][注 1]

 

は太公。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。一般には太公望(たいこうぼう)という呼び名で知られ、釣りをしていた逸話から、日本ではしばしば釣り師の代名詞として使われる[5]

 
経歴:
 

歴史上重要な人物にも拘らず、出自と経歴は数々の伝説に包まれて実態がつかめない存在である[4]代の甲骨文に呂尚の領国である斉の名前は存在するものの、周初期の史料に呂尚に相当する人物の名前を記録したものは確認されていない[6]

 

史記』斉太公世家では、東海のほとりの出身であり、祖先は四嶽の官職に就いて治水事業を補佐したとされている[4][7]。一族の本姓は姜氏だったが、支族は呂(現在の河南省南陽市西部)や申(現在の陝西省山西省の境)の地に移住し、土地名にちなんだ呂姓を称したという[4][3]。元は屠殺人だった、あるいは飲食業で生計を立てていたとする伝承が存在する[2][3]

 

 

また周に仕える以前は帝辛 (紂王) に仕えるも帝辛は無道であるため立ち去り、諸侯を説いて遊説したが認められることがなく、最後は西方の周の西伯昌 (後の文王) のもとに身を寄せたと伝わる[8]。周の軍師として昌の子の発 (後の武王) を補佐し、殷の諸侯である方の進攻を防いだ[9]。殷を牧野の戦いで打ち破り、軍功によって営丘(現在の山東省淄博市臨淄区)を中心とする斉の地に封ぜられる[10]

 

 

営丘に赴任後、呂尚は隣接する莱の族長の攻撃を防いだ。『史記』によれば、呂尚は営丘の住民の習俗に従い、儀礼を簡素にしたという[7]。営丘が位置する山東は農業に不適な立地だったが、漁業と製塩によって斉は国力を増した[4]。また、斉は成王から黄河、穆稜(現在の湖北省)、無棣(現在の河北省)に至る地域の諸侯が反乱を起こした時、反乱者を討つ権限を与えられた[11]。死後、丁公が跡を継いだ。呂尚は非常に長生きをし、没時に100歳を超えていたという[11]

 

しばしば呂尚は部族集団の長とみなされ、周と連合して殷を滅ぼした[12]、もしくは周軍の指揮官として殷を攻撃したと解される[4]。呂尚が属する姜氏は周と婚姻関係があったと推定する意見もある[4][13]

 

春秋初期に強国となった斉は、自国の権威を高めるために始祖である呂尚の神格化を行った[14]。呂尚の著書とされる『六韜』と『三略』は代に重要視され、731年玄宗によって呂尚と前漢張良を祀る太公廟が各地に建立された[15]760年粛宗から武成王を追贈され、太公廟は武成王廟と呼ばれるようになり[15]、文宣王孔子とともに文武廟に祭祀された。の時代に入ると、洪武帝は周の臣下である呂尚を王として祀るのは不適当であるとして、武成王廟の祭祀を中止させた[15]

 

 

ここまで読んでも「太公望」の望の意味が分からない。

 

池の傍の叢

 

笹やカラスノエンドウの葉に、何匹もテントウムシ。

天道虫だましの中の天道虫 高野素十
 
まづとまりゆつくり天道虫となる 廣瀬ひろし
 
高原の青より知らず天道虫 梶山千鶴子
 
天道虫けふは寝墓に来てねむる 大島民郎
 
石かかへ天道虫の動かざる 稲田 眸子
 
翅わって天道虫の飛びいづる 高野 素十
 
台風の目の中天道虫を掌の平に 前田秀子
 
星を点じ天道虫は印象派 北澤瑞史
 
拳(て)ひらくとき天道虫に飛ぶチヤンス 津田清子
 
掌より翔ち美濃のどこ指す天道虫 加倉井秋を 『風祝』
 
天道虫生れまだ翅を思ひ出せず 加倉井秋を 『欸乃』
 
愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を 『真名井』
 
飛んでまたその葉にもどる天道虫 金堂豊子
天道虫登りきつたる草の先 則武知子
 
愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を
 
天道虫母に土産と差し出す子 岡本一代
 
のぼりゆく草細りゆく天道虫 中村草田男
 
背の星割りて飛び翔つ天道虫 畠山節子
 
天道虫ふるれば飛ばず落ちにけり 五十嵐播水
 
天道虫人の歩みにうづくまる 渡辺桂子
 
宿命の星を背負ひて天道虫 佐藤信子
 
天道虫だまし悪気のなかりけり 大竹朝子
 
天道虫北の星座を背負いくる 冬館子音
 
天道虫その星数のゆふまぐれ 福永耕二
 
天道虫剪み切りしを夜も悔ゆ 軽部烏頭子
 
あはれこの廃墟にはやも天道虫 有働 亨
 
子の指を発つ天道虫梅雨晴れむ 岡田 貞峰
 
飛ぶ構へ見せては風の天道虫 黒岩 五月
 
草引きて天道虫をさまよはす 立花豊子
 
天道虫その星数のゆふまぐれ 福永 耕二
 
天道虫玻璃を登れり裏より見る 津村貝刀
 
天道虫バイブルに来て珠となりぬ 酒井鱒吉
 
天道虫羽をひらけばすでに無し 立木いち子
 
砂こぼし砂こぼし天道虫生る 小林恵子
 
愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を
 
老松の下に天道虫と在り 川端茅舎
 
天道虫天の密書を翅裏に 三橋鷹女
 
菅笠を拾へば紐に天道虫 藺草慶子
 
玩具より玩具らしくて天道虫 和田耕三郎
 
黄金週間天道虫の自転せり 日原傳
 
天道虫防弾ガラス下りてくる 大石雄鬼
 
僧俗のへだたりにあり天道虫 石嶌岳
 
天道虫天の密書を翅裏に 三橋鷹女
 
かがやかに擬死ほどきけり天道虫 島谷征良
 
天道虫牧羊神の忘れもの 諸岡直子
 
翅たたむ天道虫の紋合ひて 富安風生
 
天道虫雫のごとく手渡しぬ 野見山朱鳥
 
天道虫間一髪を飛びにけり 奥坂まや
 
天道虫その星数のゆふまぐれ 福永耕二
 
背の星割りて飛び翔つ天道虫 畠山節子
 
老松の下に天道虫と在り 川端茅舎
 
天道虫間一髪を飛びにけり 奥坂まや
 
天道虫翅をたたまず石舞台 小島千架子
 
帽子新調天道虫にけふ会へり 村越化石
 
愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を
 
羽出すと思へば飛びぬ天道虫 高濱虚子
 
並木にまぎれた 記憶の末端 天道虫 伊丹公子
 
手から手へ天道虫を渡しけり 岡田史乃
 
天道虫南大門の空に消ゆ 原田喬
 
天道虫その星数のゆふまぐれ 福永耕二
 
帽子新調天道虫にけふ会へり 村越化石
 
天道虫星負うて神ほろぶなし 井沢正江 以後
 
愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ 加倉井秋を
 
翅すこし割りてとざしぬ天道虫 京極杞陽
 
天道虫は妻にも見せし後放つ 富安風生

 

↑オオアレチノギクの根生葉と思う。
各種の野草の根生葉(ロゼット)は左横のインク文字クリックで一覧図をみることができる。
 
↑姫踊子草
 
春鮒を釣る太公望小公望 杉 良介
 
以下は太公望と呼ばれる所以:
 

呂尚が文王に仕えた経緯については、『史記』に3つの逸話が紹介されている。しかし、いずれの逸話も信憑性に疑問がもたれている[16]

  • 文王は猟に出る前に占いをしたところ、獣ではなく人材を得ると出た。狩猟に出ると、落魄して渭水で釣りをしていた呂尚に出会った。二人は語り合い、文王は「吾が太公[注 2]が待ち望んでいた人物である」と喜んだ。そして呂尚は文王に軍師として迎えられ、太公望と号した。3つの逸話の中で一般に知られているのは、この説である[17]陝西省宝鶏には太公望が釣りをしたという釣魚台があり、観光地となっている。
ここまで読むと太公望の意味が判明。
 
春一番隙間の増える広報版
 
 
 

青空

$
0
0

外気温10°を示す車内は、窓を開けたくなるほど暖か。
春の綿雲
田園の中を散歩
鑑賞用でも食用でもない梅林
 
かつては耕運機などが通っていた道
2反ほどの耕作放棄地。
まもなく建物が立つ予定。高齢者介護施設。
 
太公望はお昼寝の時間か?姿なし。
午睡そして雲雀野の石の一つ 高野ムツオ 陽炎の家
 
林間学校午睡の鐘の鳴りにけり 吉澤一葎
 
郵便夫ら草に鞣さる午睡流域 稲岡巳一郎
 
罌粟の盛り午睡の王子紅潮す 仁平勝 花盗人
 
未草神父午睡の刻過ぎて 下村ひろし
 
大日本帝国その後午睡中 橋本榮治 逆旅
 
午睡たのしげ乳ぽつちりと釦はづし 中山純子
 
ピノキオの鼻長くなる午睡覚め 対馬康子 純情
 
半ば死し半ば午睡の枢密院 筑紫磐井 婆伽梵
 
午睡覚めて水辺の風薫る也 山本洒石
 
午睡魔に清臥を以て従へり 徳永山冬子
 
昼顔の午睡の夢に窓がある 鳴戸奈菜
 
午睡後を水母が浮上しつつあり 柿本多映
 
午睡するときロザリオを握りゐる 品川鈴子
 
耳までの涙痕手術後の午睡 品川鈴子
 
横文字のごとき午睡のお姉さん 宇多喜代子
 
郭公啼く修士午睡のトラピスト 石原八束 空の渚
 
干ふどしへんぽんとして午睡かな 篠原鳳作
 
午睡して妻の背ひろびろとありぬ さざなみやつこ
 
 
 
 
 
 
 
 

新築

$
0
0

 

2月末完工と聞いているが、どうやら予定通り入居できる状態になってきた。

数日前には電話線の引き込み工事も終了・

 

一階西側に自転車6台の駐輪場。

今日は朝から点灯。今覗いたら終夜点灯しているよう。

我が家の門燈が全く必要ないほど明るい。

 

2階、3階からは下の階へ避難できる非常梯子が出せるようになっている。

ごくわずかな植え込みには、オタフクナンテンとフィリフェラ(檜)が植えられた。

この種の、新文化住宅が街のあちこちに出現中。

 

今日は天候悪く、一人で終日留守番

 

いろいろ届く。

 

コーヒー豆。毎月1回2キログラム。受け取り。

 

これは俳句、夫婦で各5句ずつ某誌への掲載お礼として届く。

 

これは、葬儀参列への参加返礼(満中陰)。Leroy 2011 白ワイン。

↑の画像にちらりと写ったのは「古鏡」 山形からの客人からのもらい物。

 

他にも☎多数。奥様御在宅でしょうか?いいえ。では失礼。

 

れんげワインどくだみワイン秋深まりぬ 栗林千津
 
冬薔薇傾けて置くワインの壜 伊藤いと子
 
ワイン飲む上甲板に白夜光 宇野直治
 
忘年やワインにゆるる海のいろ 山崎悦子
 
かりがねや古城にねむるワイン樽 木下ローズ
 
ワイン新酒ひとはきらきら才こぼす 紅露ゆき子
 
黴大事大事に地下のワイン樽 藤田輝枝
 
みごとな梅月夜妻には赤ワイン 益田 清
 
ワイン瓶抱きて扉を出づ聖夜弥撒 澤田 緑生
 
をみな等の奢りのワイン年忘 坪井のぶ子
 
星冴ゆる窓やワインの杯重ね 吉村容子
 
こほろぎや小さき灯点すワイン倉 白井 新一
 
箸置のワインのコルク星流れ 江頭 信子
 
郭公や深き眠りのワイン蔵 根本花子
 
喉越しに残るワインや星朧 安藤マチ子
 
朧夜やにごりワインのコルク抜く 吉原文音
 
地下蔵にワインの眠る良夜かな 後藤浩子
 
青葉木菟夜を密々とワインの香 荻原華専
 
大酒樽巡りて味はふ新ワイン 関森勝夫
 
ワイン樽ねかせて秋を煤けし灯 伊藤京子
 
ワインこぼれ 耳濡らされたコリーの昼 伊丹公子
 
鳥に尾があるワインこぼしてしまったわ 松本恭子
 
雪窓にはりつき我等ワイン酌む 深見けん二
 
ビールなら頂くワイン駄目だけど 山田弘子
 
ワインなめらか胸にりんかくだけの雛 渋谷道
 
夏痩詩人ワインの栓も抜き兼ねし 安住敦
 
 

 

ごっこ

$
0
0

シンデレラごっこ

 

 

 

他にも人魚姫、白雪姫など

 

 

↓人魚姫

 

↑白雪姫

眠れる森の美女↓

 

半分濡れ落葉で、半分financial supporter。

 

 

伊、仏、西避けて

春一番国旗嫌いのレストラン

 

駅を降りて遠目に赤い花

近づいてみると

 

エリカのよう。

エリカ咲く崎ふところの鰤場かな 杉山葱子
 
卓上のエリカに憩ふレストラン 塙 きく
 
エリカ母国の違ふ墓並び 松本澄江
 
エリカ咲くリタイヤ夫婦の喫茶店 初村迪子
 
船乗りの毛深き腕やエリカ咲く 磯貝碧蹄館
 
鴎啼くエリカや折ればこぼるるも 小池文子
 
エリカ雪後のごとくさびしけれ 角川源義
 
エリカ咲くひとかたまりのこむらさき 草間時彦
 
声交はすとエリカ散りさうそれを買ふ 加藤知世子
 
エリカ咲き干網つづく奥浜名 衣川 砂生
 
エリカ咲き鉄扉をひらく異人墓地 渡辺 立男
 
鴎啼くエリカや折ればこぼるるも 小池 文子
 
風の道は海鳴りの道エリカ咲く 伊丹さち子
 
エリカ咲き入江けぶれる朝の雨 山本 莎草
 
花温室のつづれる丘にエリカ咲く 広沢 道代
 
エリカ咲く岬に白き美術館 桑野秀子
 
海の照りあまねく返しエリカ咲く 原田 早苗
 
エリカといふさびしき花や年の暮 山口青邨
 
エリカ風待ち港情厚し 田中英子
 
嬰児にもあるためいきや花エリカ 岡田史乃

 

寒い寒い夏、ムアの岩陰にエリカが咲いていた。

 

 

 

 

 

Viewing all 2577 articles
Browse latest View live