クリスマス
クリスマスに欲しいもの
重要文化財
今出川
同窓会2日目。
宿泊しなかったので、早起きして「今出川」へ。
朝9時半開始の行事に間に合うか微妙だが、
地下鉄の駅南出口を出た会場のホテルまでの道筋撮影。
↑和装品を主に扱う会社のよう。
通りの向う(東側)は京都御所。
蛤御門前のホテルに着く前に、2つ門がある。
9:27
乾門↑
花屋。
9:30
しかし予定通りは始まらぬであろうと高をくくっている。
虎屋。京都一条店 本店茶寮 まだ開店していない。
開いていれば、帰りにはこの道を通らないので羊羹を買うつもりであったが。
金剛能楽堂
さすが京都
その横は
御所の方は、中立売門
歳末の雨の日ゆえに
ナザレンとはナザレの人という意味で、ナザレの人イエスを指しています。つまり、イエスのあとに従い、イエスがされた「宣教」「教え」「癒し(救い)」のわざを継承し、神の国を求め働く教会です。
上京教会は、1920年、いまある地に建てられ、御所の前の教会としてほぼ90年以上伝道しています。プロテスタント教会の一つとしてメソジスト(生真面目派と呼ばれる)の流れを汲んでいます。
牧師は同志社出身。この地点からは200mはない。
平安会館 立派な庭がある。なんどか利用したことがある。
KBS京都 放送局
その隣、蛤御門前が目的地。5分遅刻なれど、会計などやっていて会はまだ始まっていなかった。
今出川駅から会場まで、撮影などしなければ3分で到着可能なことを確認。
午後の行動は、明日。ネタが他になければ。
虎屋、乾門、中立売・・・いずれも例句なし。
- 林泉のやがて淙々と水羊羹 川端茅舎
- かげ口に淋しきものや水羊羹 長谷川春草
- 竹筒の水羊羹をすゝり食べ 金井 清子
- 正眼に楊枝をかまへ水羊羹 川崎展宏
- 水羊羹風生夫人聴き上手 松本澄江
- 口中の唱名消えず水羊羹 長谷川 櫂
- 笹の葉を敷き自家製の水羊羹 杉山三知子
- 水羊羹行儀正しき夫婦かな 大場白水郎
- 林泉のやがて淙々と水羊羹 川端茅舎
- 負ひ目ある妻に付き合ふ水羊羹 阿部寿雄
- 綺麗好きの父にてありし水羊羹 渡辺水巴
- 母いつも正座してをり水羊羹 花田由子
- 一しきり旅の話や水羊羹 野村蝶子
- 水羊羹行儀正しき夫婦かな 大場白水郎
- 饒舌の足りて真昼の水羊羹 渡辺耀子
- 入院のさらりと決まり水羊羹 宮川和巳
- 水羊羹話せば近きことなりし 服部嵐翠
- 鳴りのよき明治の時計水羊羹 菅裸馬
- 綺麗好きの父にてありし水羊羹 渡辺水巴
- かげ口は寂しきものや水羊羹 長谷川春草
- 凍つる夜の地震しづまりし黒羊羹 和田耕三郎
- まだ奥に部屋ありそうな水羊羹 五島高資
- されど死は水羊羹の向かう側 櫂未知子 蒙古斑以後
- 柿羊羹煮るや伊吹颪吹く 塩谷鵜平
- 言ひにくきことさりげなく水羊羹 樋口久子
- 虎鶫練羊羹を糸で切る 北中富士子
- 夏深きもの果敢なしや水羊羹 道芝 久保田万太郎
- 水羊羹舌にくづるる甘さあり 藤松遊子
- しぐるゝや羊羹切つて茶を淹れる 吉屋信子
- 羊羹の三色五色秋しぐれ 久保田万太郎 流寓抄
- 水羊羹喜劇も淡き筋ぞよき 水原秋櫻子
御所
現在では、一般向けには、「京都御苑」と「京都御所」で区別にしているよう。
御苑の門(蛤門など)と御所の門とはどう区別するのか?
外門と内門?しかし外門内部には、内門で囲われた場所が、御所以外にも多数ある。
その内門内部にもまた門囲いされた場所がある。
↑内塀沿い 栴檀の実
昨日は清所門から京都御所へ入った。御所への門は6つあるよう。
( 南側の「建礼門(けんれいもん)」から時計回りに、西側には「宜秋門(ぎしゅうもん)」、「清所門(せいしょもん)」、「皇后門(こうごうもん)」、北側に「朔平門(せっぺいもん)」、東側には「建春門(けんしゅんもん)」の順)
建礼門が「正門」であるが、開門している時に立ち寄ったことは、一度もない。
開かずの門でもないし、いつ開いているかは事前に予想できるが、
そんな日は、門前周辺に近寄ることは出来ないであろう。
しかしこの「御所」は14世紀に、仮御所から「昇格」したものであり、
清少納言や紫式部が勤務していたところではない。
↑建礼門
車とめ
控えの間 二条城などと似ている 二条城の方が幕府側接待場として真似たのであろう。
雅というものを全く感じない。
紫宸殿
さぞあらむ紫宸殿上の此暑さ 会津八一
私は冬の寒さを心配。
定子ちゃんも霜焼けしてたらしいし。
このあたりは平安神宮である。
- 霜焼の黒曜石の瞳が二つ 高野ムツオ 蟲の王
- 父祖の血を承けけり頬の霜焼も 不破 博
- 高野僧耳の霜焼まぬかれず 森田 峠
- じゃんけんのぐうは霜焼にぎりしめ 草間時彦
- 霜焼に手ふれつおもひまとまらず 馬場移公子
- 霜焼のゆるさぬ指輪蔵ひあり 福永耕二
- 霜焼の耳ばかり見て聴き役に 上野章子
- 霜焼をこすり歩きぬ古畳 長谷川かな女
- 客のあと妻霜焼の足を出す 下村ひろし
- 霜焼の小さき手より見舞ひ花 石田あき子
- 霜焼に手ふれつおもひまとまらず 馬場移公子
- 叱るべき児の霜焼をふと庇ふ 富永小谷
- 霜焼の小指が過去を覚ましけり 丸田余志子
- 大き手の霜焼の指愛しめり 仙田洋子 雲は王冠
- 客のあと妻霜焼の足を出す 下村ひろし
- 信濃より藷さげてきし手の霜焼 加藤楸邨
- 母の夢見て霜焼の耳がかゆい 木下十三
- 霜焼に角ばみ小さき片の耳 篠原梵
- 霜焼の耳美しき燈下かな 中西正史
- 大聲の霜焼の子や川つぷち 田中裕明 花間一壺
- 信濃より藷さげてきし手の霜焼 加藤楸邨
- 霜焼もせず臈たけしいつのまに 久米正雄 返り花
- 少し耳かゆし霜焼とも思わず 高浜年尾
- 神にかしづく霜焼の修道尼 品川鈴子
- 霜焼の手を子は告ぐる婢は告げで 中村汀女
霜焼けを思い起こさす清涼殿
夏は案外涼しかったかも。かなり天井が高い。
道標
目下、尼崎市を越えて道標確認を行う予定なし。
ネットで見る限り、伊丹市でも西宮市でも大阪でも道標保存には力を入れているようだし
それらを紹介するブログもかなりある。
昨日も伊丹シティホテルへ行く機会があった。
🎍らしい雰囲気。
↑これはブライダルコーナーへの案内物
墨染寺の前へ立つと、ひょっとして道標ではないかと思う。
「鬼貫碑アリ」では道標にならない。「スグソコ」なら道標になる。
薬師堂前の燈籠
元禄7年と建立年が彫られている。17世紀の年号をみるのは初めてかも。
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)の関ヶ原の戦いに毛利藩士として参戦した
わがご先祖は、傷を負い、翌日旧暦9月16日に逝去。
(1か月ほど前の新聞の文化欄で、関が原の戦いを、1600年9月15日と記すのはけしからんという歴史家の文章を読んだ)
その遺族はどのように生き延びたのか、7代を経て(期間的には代数が多いのが疑問だが)、
元禄2年に、美作の現世代が居住する地に転居してくる。
その頃の墓石に記された年号はほとんど読めない。
昨日は昼中華、夜フレンチ(バル)
阪急十三駅から徒歩数分のところに神津神社がある。
摂社を撮っていたら道標「発見」。3基。
丁寧な説明あり。
3面の道案内の読みと、元あった場所の地図付き案内があった。
3基ならぶ道標の右端が道標Bで、「往来安全」と東面に記されており、それが現在は正面を向いている。正面は現在でも東側である。
西面には嘉永4年と建立年。1851年である。
といった具合に。
詳細は、「大阪 道標」などと検索すれば、私的ブログでもいろいろな情報を入手できる。
これからは神社を覗くと、摂社、末社とならび、建立年号の分かるものを画像に撮るつもり。
妻さん、お誕生日
↓長女より。12:30
今日あたり、孫が一人は来ているから、一緒に花束を作りに出かけるが、例年より豪華なので、これだけで十分な感じ。
↓16:00息子夫婦から
包みの中身は
夜は夫婦2人だけなので、駅前へ。
すごい、すごい、どの店も満員1時間待ち。
夫婦2人だけの誕生日は、初めての経験。
- 夫婦して万歳の顔かなしけれ 岩田蒼穹
- 頷きて年初の礼や病夫婦 石田あき子
- 初富士の鳥居ともなる夫婦岩 山口誓子
- 蒟蒻掘る夫婦に吉野山幾重 橋本多佳子
- 冬濤や痩せしとおぼゆ夫婦岩 宇咲冬男
- 筑波嶺は夫婦ながらに眠りけり 細川加賀
- つまらなく夫婦の膝の柿二つ 石川桂郎
- 夫婦老い泪見せ合ふ終戦日 殿村菟絲子
- 鎌やせて杣の夫婦の冬仕度 渥美文窓
- 秋灯や夫婦互に無き如く 高浜虚子
- 夕顔の一つの花に夫婦かな 富安風生
- 夫婦舟妻が棹さす搗布採り 阿部啓史
- 晩年の夫婦なづなの花白し 篠崎圭介
- 鷹かへる夫婦尺土を耕して 細谷源二
- 春の夜のいつまで残す夫婦の灯 石塚友二
- 老農の夫婦暮しやむかご飯 都甲 康枝
- 苗床の淀の夫婦の苗くれし 山内 二三子
- 鎌倉に遠き夫婦に虚子忌くる 高野 素十
- 勝鶏に手をあましをる夫婦かな 鈴木 灰山子
- 騎初や夫婦乗りして里帰り 石川 かほる
- 夫婦杉拝み来てより福沸 安部 てい
- 花びらのごとく翳もち夫婦岩 和田悟朗
- 共稼ぎ夫婦で ハブラシがキスしてて 川嶋靖代
- 勤労感謝の日の池の底夫婦鯉 隈 治人
- 夫婦の距離埋まるかやけに噛む沢庵 鷹島牧二
- 夜店の荷夫婦で曳いてきておろし 成瀬櫻桃子
- 物言わぬ夫婦となりし溝浚へ 石田由美子
- 御手討の夫婦なりしを更衣 与謝蕪村
- 花楓空気のような夫婦にて 小林鱒一
- 七草や夫婦の丈夫な飯茶碗 池田澄子
- 風邪夫婦笑つてをれずなりにけり 細川加賀 『玉虫』
- 夫婦に荷一つづつ山笑ひけり 細川加賀 『生身魂』
- おどろきて銀婚夫婦着膨れぬ 細川加賀 『生身魂』
- 夫婦して恋ひ来し墓を洗ふなり 細川加賀 『傷痕』
- 春雷下夫婦瞬き合ひて逢ふ 細川加賀 『傷痕』
- 日のあたる柚子を見てゐる夫婦かな 長谷川双魚 『ひとつとや』
- 丁字咲き夫婦が一つづつ咳す 長谷川双魚 『風形』
- 一夜干し夫婦の水着寄り合へり 殿村菟絲子 『旅雁』
- 湖施餓鬼火山灰に喰入る夫婦の座 殿村菟絲子 『路傍』
- 青饅や夫婦無韻の箸づかひ 柴田白葉女 『月の笛』
- 一切空夫婦にしらしら暖炉燃ゆ 柴田白葉女 『朝の木』
- 鉄瓶鳴りひとつ秋灯に夫婦読む 柴田白葉女 『冬椿』『遠い橋』『岬の日』
- 梅雨地獄何に恃むとて病夫婦(妻と前後して胸を患い、病臥早や一年) 河野南畦 『焼灼後』
- 木の暗にすつぽり入りし夫婦かな 岸田稚魚 『雪涅槃』
- 斑猫に先をあけられ夫婦旅(佐渡行) 岸田稚魚 『雪涅槃』
- 森を行く夫婦に猟銃音一つ 加倉井秋を 『隠愛』
- 夫婦して主に汗捧げ甘藷挿す(肥前長崎十字架山) 上村占魚 『萩山』
- 春炬燵あすのもの食ふ夫婦かな 『定本石橋秀野句文集』
- 吊橋に夫婦が揺れている旱り 飴山實 『おりいぶ』
- 鍬揃ふことなく夫婦暖かし 『定本阿部みどり女句集』
- 子の縁薄き夫婦や一茶の忌 榎本栄子
- 湯ざめして夫婦老後を計りをり 高橋悦男
- 牡蛎食って漫才夫婦相黙す 安住 敦
- 葛湯煮て寝そびれ夫婦あそびをり 草間時彦
- 鮟鱇鍋息子夫婦とつつき合ふ 長村雄作
- 夫婦鴨芦の中より現はるる 白井良治
- 夫婦鴨さみしくなれば光り合ふ 松本 旭
- 蒟蒻掘る夫婦に吉野山幾重 橋本多佳子
- 新藁の注連張つてある夫婦岩 道川虹洋
- 色変へぬ松のみどりや夫婦鶴 小俣由とり
- 秋澄むや音を一つに夫婦滝 高橋悦男
- 貝割菜出窓に育て新夫婦 田島蔦子
- 秋の蛇銀婚の夫婦おどろかす 山口青邨
- 夜のいとど夫婦が交す言短か 石田あき子
- 夫婦老い涙見せ合ふ終戦日 殿村菟絲子
- 茄子汁やいつとはなしに夫婦老い 勝又一透
- 夕顔の一つの花に夫婦かな 富安風生
- 夫婦てふ歳月刻む梅焼酎 三木節子
- 松葉牡丹咲かせて夫婦すこし老ゆ 満田玲子
- 過敏なる風鈴ありて夫婦の夜 鷹羽狩行
- もち古りし夫婦の箸や冷奴 久保田万太郎
- 話題なき夫婦の卓の心太 田中照子
- 水羊羹行儀正しき夫婦かな 大場白水郎
- 夜店の荷夫婦で曳いてきておろし 成瀬桜桃子
- 夫婦らし酸漿市の戻りらし 高浜虚子
- ガーベラや夫婦で開く小児歯科 八幡より子
- 瓜の花夫婦かたみに俸待つも 草間時彦
- 野ら猫に餌やる夫婦花蜜柑 森 啓子
- 歳月や傷の夫婦にさつき咲く 角川源義
- 豆飯や娘夫婦を客として 安住 敦
- いつよりか夫婦二人に子供の日 白鳥順子
- 御手打の夫婦なりしを更衣 蕪 村
- 夫婦してラーメンすする労働祭 坂本登美子
- 吹かるるもの孕雀と我等夫婦 加藤楸邨
- エリカ咲くリタイヤ夫婦の喫茶店 初村迪子
- 花青木夫婦で病みて灯しがち 岡本 眸
- 慶弔に夫婦分かれて鳥曇 石丸泰子
- 夫婦鶴凍鶴となり相寄らず 大串 章
- 寒蜆夫婦ぐらしに合はせ買ふ 金子邦子
- 雪衣(ヤッケ)着し夫婦夫は嬰児抱く 滝 春一
- 雪兎つくる夫婦に二人の子 木村蕪城
- 夫婦滝つららとなりて輝けり 高橋光江
- 七草籠子なき夫婦の声は似て 瀬戸内寂聴
- 喰積にさびしき夫婦箸とりぬ 松本たかし
- 越前の雪の匂ひの夫婦蟹 猿山木魂
- 冬耕の夫婦離れてまた寄つて 柏岡恵子
- 埋火や夫婦異なる習い事 有山城麓
- 夫婦ひややか新しき縄稲に垂れ 飯田龍太
- 帽深く被る夫婦の精霊会 古川塔子
午後10時のコーヒタイムもがり笛
という句を作ってネット句会に投稿
参加者のお一人が、ブログ内でこの句を批評。
10時の「時」と「タイム」が重なっているという指摘。
いや~、まったくその通り。
夜半のコーヒが慣習になっていることを伝えたかったが、
午後10時のもがり笛もおかしいとは作者自身自覚してました。
時とタイムの意味の重なりもきがかりであった。
で、今夜のコーヒのあては、
ワイフはマンゴーを、私は、ikariマークが入ったチョコレート。
ゴディヴァのそれと食べ比べ。
価格の差ほどの味の差は感じなかった。
まさかゴディヴァのケーキにお目にかかれるとは思っていなかったワイフが
朝のうちに買っていたもの。
明日になれば、ワイフの母親と、三女と、息子がやってくる予定になっていたので、
接待用に買ったようである。
セティゲラ
コノスティリス・セティゲラ(ジョーイ キャッツボー)
オーストラリアのネイティブフラワー
ハエモドルム科
半耐寒性
夜7時過ぎに家の外へ出た。
タクシーが行き交っている。
家の前のワンルームマンション建設現場では、
作業員がまだ働いている。
生協の車が止まっていて荷物の整理をしている。
近くのコンビニを覗くと(葉書を一枚投函のため)
アダルトコーナーで雑誌を読んでいる者がいる。
その前の日は駅前へ出たが、チェーン店の前では行列、
出来上がって割り勘の清算をしている者や、
はやらないカラオケの勧誘ガールなどで人だらけ。
チラシやポケットティッシュなどの受け取り拒否はしないことにしているので、
カバンの中にはいつもティッシュが3つ以上入っている。
私もワイフと別々に家を出て、買い物をしたいというワイフの指定でダイソーで待ち合わせ。
店に入ったところは正月用品コーナー↑
このダイソーは色彩豊か。
昼過ぎの公園
澄んだ青空
無人ではない。
枇杷の花は萎んでいるものが多い。
樟が剪定されている。大きくなりすぎるのを防いでいるのかも。
樟で検索。507句。ただし名前の一部に樟を持つ人の句が大部分。
最初の100句から桂樟蹊子などの姓名中の樟を削除すると
21句のみ残った。
- 樟若葉樟一木のほとけかな 安東次男
- 樟の木に樟の香のあり寒明くる 上野さち子
- 樟山にゐて樟くさき稲びかり 福永耕二
- いつまでも樟落葉掃く音つづく 山口青邨
- 詩の話などせよ樟の土用芽に 榎本好宏
- 満天の波羅蜜の世の樟若葉 鈴木太郎
- 樟若葉樹齢隠れてゐたりけり 稲垣晩童
- 大雨が洗ふ札所の樟若葉 新田祐久
- 永き日の樟がよく鳴る木の葉笛 斉藤美規
- 陸橋のらせん階段樟若葉 森田 たえ
- 芽ぐむもの秘めつつ日ざす樟大樹 柴田白葉女 『月の笛』
- 大樟に鴉きてゐる朝曇り 上野澄江
- 玉虫舞ふ樫と樟との間にて 石田波郷
- 人待てばおろかに嵩む樟落葉 福永耕二
- 樟若葉押し照る中の一伽藍 下村ひろし
- 手繩干す鵜匠の庭や樟若葉 園島十雨
- 大樟の風にあふられ初鴉 小島 健
- 御降りの大樟に降るひびきかな 坂部尚子
- なやらひのこゑ樫の木へ樟の木へ 清水伊都子
- 大仏のゆるがぬ樟の茂りかな 浅井一志
- 大樟の走り根こがす追儺の火 下村ひろし
ながらえば
↑世界で一番大きな豆永(なが)らへば またこの頃(ごろ)や しのばれむ 憂(う)しと見し世ぞ 今は恋(こひ)しき 藤原清輔朝臣(84番) 『新古今集』雑・1843
かなり楽天家の歌。父も有名な歌人だが、勅選歌集選集中に父と対立、そのために殿上人にまではなれなかった。40代後半に正4位下までにはなった。藤原北家の流れ。
ブログ仲間の人の、今日大晦日に公表の句
ながらへば憂きこと多し鶴凍つる
この句は、上記の歌の本歌取りだが、作者はかなり悲観派である。
上の歌は、新古今集収録だが、万葉集の匂いがする。
さすがに今日は閉店の店が多いが、駅前のダイエー(まだ名前を変えていない。カードはイオンカードになったが)は、今日も明日も営業。
コーヒメーカー急遽買い足す大晦日
迎春を貼り終え洗う鍋の数
昨日突然ミルのモーターが奇声を発する。
今朝もその音が大きく、途中でスイッチを離し、ために今朝は淡いアメリカンとなった。
ミルで豆を砕くのも楽しい作業故、全自動の購入はやめ。
全自動なら、レギュラー以外もつくれるものをと思っていたが、その種の機種は幸い置いていなかった。
使っていた機種はパナソニック。かなり長期間、10年以上使った。
今度買ったのは、象印。
お節到着
祝箸への名前記入。例年の半分
歳晩の自転車置き場に空き多し
ジャノメギク
起床6時。
6時半に出勤の息子が昨夜から宿泊。
ワイフも久し振りに弁当作り。
↑オートバイ出勤の息子。日の出前。
ともかくも天地に鶴の溢れいて
鶴4羽空の仕切りを知らぬげに
万を越す鶴の羽数のかぞえかた
↑↓画像はいずれも2013年12月撮影
2014年の元旦にこのブログに載せている。
その前の年の12月に南九州、出水へ鶴を見に行った。
中国が、「勝手に」防空識別圏を設定したのも13年のことであったよう。
鶴の夫婦は、真ん中に子鶴2羽を挟んで飛ぶ。
ウィキペディア:
南極大陸と南アメリカ大陸を除く4大陸に、2亜科・4属・15種類が分布する。
どの種類もくちばし、首、足が長く、体長1m前後に達する大型の鳥類である。羽毛は黒、白、赤などで彩られ、体も大きいのでよく目立つ。また、顔に皮膚が裸出した部分があるのも特徴である。
田、湖沼、川、湿地、草原などに生息する。食性は雑食性で、小動物から植物の果実まで、いろいろなものを食べる。
巣は地上に作る。種類にもよるが卵は1個-4個で、30日前後抱卵する。卵から生まれたヒナは飛ぶことはできないが、すぐに歩けるようになり、親鳥について餌を探し回ることができる。
ツルが生きるためには多くの餌、ひいては豊かな生態系が必要である。有史以来の人間の活動、または狩猟によって、世界各地のツルの生息地は大きく狭められ、21世紀初頭の段階では絶滅が危惧される種類も多い。しかし同時に生息域各地での保護活動も盛んになっている。
日本では北海道の釧路湿原とその周辺に留鳥として生息するタンチョウのほか、山口県周南市や鹿児島県出水市などに冬鳥として渡来するナベヅル、マナヅルがよく知られ、いずれも天然記念物に指定されている。この他、クロヅル、アネハヅル、ソデグロヅル、カナダヅルなどがごく稀に飛来する。
出水では、世界の渡り鶴の半数以上が集まるとか。
エサ代もさることながら、
トリインフルなどが怖いので、
渡り地を広げる画策が進み、一定の成果をあげているとか。
今年の賀状句
創刊号のインクの匂い去年今年
ただ今製作句
ながらえば快挙となるか福寿草
永(なが)らへば またこの頃(ごろ)や しのばれむ憂(う)しと見し世ぞ 今は恋(こひ)しきの「ながらえば」は、「この先も長き生き延びていったなら」(未来完了形) の意。
ながらへば憂きこと多し鶴凍つる
この「ながらえば」は、現在完了進行形 。「これまで長く生き延びてきてみれば」の意。
私の句の「ながらえば」は、もしも今後も続刊が継続して出るならばの意。
未来仮定形
↑ダイヤモンド富士 テレビ画像
↓銅か鉛か
ベランダから
大阪の初日の出は7:05
ベランダからは家が建てこんでいて初日は、7:22まだ見えない。
富松神社から年賀状が届いた。修復募金1口応募の効果か。神社へ行く途中の辻地蔵。
止め鍵を外して撮影。
旧の東富松村の札場の辻。 豆地蔵あたりに道標があったように思う。
ならばそこが札場の辻。
新調の赤い前掛け初日の出
3方を川で囲まれた造園業主の門前
富松神社
やや閑散
でも鳥居前では例年の如く政党の宣伝隊。
面掛け式は中止。
主役は超高齢故やむを得ない。2013年も中止だった。
でも「販売」担当巫女さんは見た限りで5人がそれなりに忙しく業務遂行中
2か所の「販売所」の業務分担は? 破魔矢と御御籤その他?
いつも8歳児が車を停める有料駐車場。
7台で満杯。画像の左端が宮崎ナンバーで右端が鹿児島ナンバー、
間の2台は、なにわ、大阪ナンバー。
神戸ナンバーは2台。もう一台は練馬ナンバーだった。
ここからなら、我が家まで徒歩1分。
手前の道を右へ行けば、近隣公園まで徒歩2分。
サンビタリア 和名ジャノメギク 中米原産
- 孔雀草吹かれて蛇の目うちみだす 木田素子
- 野の草となりはて蛇の目草萌ゆる 青邨
- 海老様に蛇の目さしかく白雨かな 筑紫磐井 婆伽梵
- ジャノメギクそのものの例句はなかった。
鏡餅
- 年越えの皇帝ダリア孫を呼び
- ↑我が家の玄関横、やや淋しい。
- お年賀名目でまたゴディヴァ到着。
- 夜、8歳児に見せたら、ゴディバ食べ飽きた・・・。高級な生活をなさっているよう。
- 老妻の今年も割りぬ鏡餅 小沢碧童
- 傍観す女手に鏡餅割るを 西東三鬼
- 鏡餅ひらくや潮の満ちきたり 林 徹
- 蛇神の祠はみ出し鏡餅 藤原孝子
- 襖絵の一瀑緊る鏡餅 関森勝夫
- 雪明りして井戸神の鏡餅 赤石明子
- 鏡餅うしろの正面畏けれ 三橋敏雄
- 瞑らねばみえぬもの在り鏡餅 河原枇杷男
- 鏡餅前山の風しづまれり 菅原鬨也
- 神占のごと罅はしる鏡餅 津田清子
- 鏡餅わけても西の遥かかな 飯田龍太
- 鏡餅霰まじりの音となり 深見けん二
- 鏡餅の内なる声を聴かむとす 山田みづえ
- 鏡餅据ゑても暗き納戸神 下村ひろし
- 鏡餅にレモンを据ゑて中年なり 沢木欣一
- 鏡餅岩にのせあり貴船道 五十嵐播水
- 一臼は船霊さまの鏡餅 山 信夫
- 種籾の俵の上の鏡餅 蒲原 ひろし
- 美しの宮は姫神鏡餅 石崎 晋象
- 罅に刃を合せて鏡餅ひらく 橋本美代子
- 鏡餅こころの海の光るなり 鍵和田[ゆう]子
- 閨へ行くことわりを云う鏡餅 増山美島
- 鏡餅暗闇を牛通りけり 掛 修子
- 鏡餅置き処なし本の山 田川飛旅子 『使徒の眼』
- 悔ばかり本の谷間に鏡餅 田川飛旅子 『植樹祭』
- 軍神の古びるままに鏡餅 仁平勝 東京物語
- 大ぶりの鏡餅来る宅急便 斉藤葉子
- 罅に刃を合せて鏡餅ひらく 橋本美代子
- 傍観す女手に鏡餅割るを 西東三鬼
- 鏡餅こころの海の光るなり 鍵和田[のり]子
- 仮住みの書棚に飾る鏡餅 小俣由とり
- 舵を守る人のうしろに鏡餅 五十嵐播水
- 鏡餅暗きところに割れて坐す 西東三鬼
- つぎつぎに子等家を去り鏡餅 加藤楸邨
- 鏡餅にレモンを据ゑて中年なり 沢木欣一
- 鏡餅荒山風に任せあり 石田波郷
- 橙の据りがよくて鏡餅 高浜虚子
- 掛軸に静の一文字鏡餅 中村嘉風
- 二タ灘の音重なれり鏡餅 栗栖恵通子
- 生きてゐしかばしろたへの鏡餅 田中鬼骨
- 鏡餅わけても西の遥かかな 飯田龍太
- 神灯の色に染りて鏡餅 浅野京子
- 鏡餅割る手力を妻に見せ 野中春艸
- 生家すなはち終の栖家や鏡餅 下村ひろし
- 鏡餅疎外のひびを拡げたる 有働 亨
- 鏡餅荒山風に任せあり 石田波郷
- 鏡餅海図の端をおさへけり 福永耕二
- 水垢離の水にほとびし鏡餅 塩谷はつ枝
- 置きてすぐまろき影添ふ鏡餅 岡本まち子
- 風雨つき担ぐ寄進の鏡餅 新家豊子
- 診療の机狭めし鏡餅 山下 公三
- 鏡餅つくる粉の手もみぢの手 山田 渓舟
- 傍観す女手に鏡餅割るを 西東三鬼
- 罅に刃を合せて鏡餅ひらく 橋本美代子
- 漉槽の四隅四隅に鏡餅 金丸鉄蕉
- 罅に刃を合せて鏡餅ひらく 橋本美代子
- いと小さき歳神さまの鏡餅 戸塚茅亭
- 鏡餅据ゑても暗き納戸神 下村ひろし
- 紙漉の舟の上なる鏡餅 市川三三
- 鏡餅裂目するどくなりにけり 宮本千恵子
- 師に献ず鏡餅とて母が撫す 田子水鴨
- 露坐仏の大悲の御手の鏡餅 森桂樹楼
- つぎつぎに子等家を去り鏡餅 加藤楸邨
- 鏡餅弁天池の石となれ 阿波野青畝
- 親ひとり子ひとりに夜の鏡餅 飯田龍太
- 水甕の底にまづ置く鏡餅 下村かよ子
- 門弟の名札そろふや鏡餅 中村吉右衛門
- 青黴の春色ふかし鏡餅 佐々木有風
- 鏡餅暗きところに割れて坐す 西東三鬼
- 澱みなく一日終る鏡餅 直人
- 火種なき父の間夜の鏡餅 雅人
- 一茶の像ちひさしこれに鏡餅 蕪城
- 野の宮のあをきたそがれ鏡餅 南部憲吉
- 罅にびくともせぬ鏡餅多子家系 狩行
- 鏡餅にレモンを据ゑて中年なり 欣一
- 鏡餅疎外のひびを拡げたる 亨
- 鏡餅寒気憑きては離れては 龍太
- 鏡餅岩にのせあり貴船道 播水
- つぎつぎに子等家を去り鏡餅 楸邨
- 神託をうべなふ鏡餅の罅 静塔
- 鏡餅暗きところに割れて坐す 三鬼
- 寝所の埃蒙むらん鏡餅 孝作
- 庭の松一朶は這へり鏡餅 青邨
- 舟に据ゑ海へ供へし鏡餅 誓子
- 門弟の名札そろふや鏡餅 吉右衛門
- 青黴の春色ふかし鏡餅 有風
- 小舟して島の祠へ鏡餅 泊月
- 風年や笑み割れそむる鏡餅 鬼城
- 伊予柑のよきを選びぬ鏡餅 三幹竹
- 老妻の今年も割りぬ鏡餅 碧童
- 湖のほとりの玉や鏡餅 才麿
- 思ひ出づる赤人にまで鏡餅 言水
- 鏡餅わけても西の遥かかな 飯田龍太
- 鏡餅暗きところに割れて坐す 西東三鬼
- わが闇の何処に据ゑむ鏡餅 飯島晴子
- 東京に渇き始めた鏡餅 櫂未知子 貴族
- 玄関の一隅に書架鏡餅 関森勝夫
- 鏡餅わけても西の遥かかな 飯田龍太(1920-)
- 寝所の埃蒙むらん鏡餅 滝井孝作 浮寝鳥
- 鏡餅母在して猶乳恋し 曉臺
結婚以来、新所帯では一度も鏡餅を飾ったことはない。
今年の我が家の餠の購入量を尋ねたら、5キロである。
ただし年間を通じて、1キロか2キロの個包装された餅を購入している。
私はあまり食べないが、一時は、息子の朝飯であった。
ワイフはぜんざいが好物なようで、ときおり昼飯代わりに餅を一個入れた
ぜんざいを食っている。私も、居合わせればご相伴に与ることがある。
毎年1月後半には、焼いたモチにバター醤油つけて海苔巻いて食べるが
これは好物である。
本日は休日の息子の朝帰り。
昼過ぎには義母は、介護付きマンションへ、介護タクシーでお帰り。
替って、8歳児親子3人が来訪。
途端に家の中が明るくなる。
持ち込みのおせち
夕餉
「ただの炭酸水」大流行。我が家で。
本日、投げ銭好調
冬薔薇
ワードだと、「ふゆそうび」と打ち込んでも「冬薔薇」が出て来る。
いつも5月にはお邪魔している野中の1軒家。↑
とはいえ、付近はかなり建てこんできた。
「とまつじんじゃ」と打ち込んでも「富松神社」は出てこない。
キックボードが小学校で流行中
アメリカキカシグサ健在
尼崎市にも田んぼが60haある。
|
市尼高の構内には公道が通っている。だから子連れの人間の通り抜けをとがめることができない。
画像では見えないが、6つの文字の一つとして「翔」の字が彫られている。
靑学の翔ちゃん走る箱根路を
正ちゃん、昭ちゃんいじけてる。というより正ちゃんは激減。
紅白でも翔ちゃんは歌手にも、審査委員にも
昼食後もう一度散歩。
午前のコースにはアイスクリーム屋がなかったので。
絵日記
絵もうまい
今日も好調。
10万円札まで。
エリーゼのためにや(第9の)合唱くらいなら独習。
勧請縄
8歳児が選ぶ定席で、アイス食べながら、変わり映えしない外の風景を眺めていた。
冬も緑を提供のクスノキ。
で、ふと気付いた。
ダイエーマークが無くなっている。
三宮駅前のダイエーは完全にイオンに変貌しているが、
ここはまだ
しかしこのドアを入るとすぐ、イオンカード作成コーナーがある。
今日の冬桜
8歳児は学校生活の様子を面白、可笑しく報告してくれる。
廊下は静かに歩きましょうと書いてあるのに、先生はいつもその廊下を走っているとか。
だいぶ咲いてきたがまだまだこれから
道行く人もたまには冬桜の下で立ち止まる。
今宵もかなり投げ銭強請された。
「強請」では例句なし。
- 勧請縄真下に風の冬菜畑 関戸靖子
- 冬たんぽぽ勧請縄のゆるみたる 中村能子
- 一月や谷を渡せる勧請綱 藤田あけ烏 赤松
- 寒菊や坪に日のさす南請 浜田酒堂
- 窓の火や山を請込む虫の声 内藤丈草
勧請綱(縄)という言葉を知らなかった。
奈良や京都、滋賀の村々にはかつて悪霊が村に入ってこないようにするために、村の入り口に結界「勧請縄」を張る風習があったそうである。
見た記憶はない。
シベリアの都市のはずれで先住民たちが白い旗をやたら沢山、結界かわりに
利用していたのを思い出した。イルクーツク郊外や、バイカル湖周辺で。
バイカル湖の湖畔では、そんな儀式に使ったワインボトルの欠片が波で磨かれ
丸い宝石のようになって散らばっていた。
猪
猪の例句、意外に多い。
最初の100句(ダブリ等削除)には、上の句登場しない。
「いのしし」「しし」「い」などいろいろの読みがある。
コストコ新春風景
- 撃たれたる猪の猪首のはつきりす 坪井洋司
- 猪村に猪食べて秋爽かに 原コウ子
- 猪もともに吹かるる野分かな/猪のともに吹かるる野分哉 松尾芭蕉
- 猪のとどめの傷と思はるる 行方克己 昆虫記
- 雷の上にもんどり打ちし猪ならめ 行方克己 昆虫記
- 半眼に彼の世が見えて猪撃たる 行方克己 昆虫記
- 猪垣といふ変哲もなき囲ひ 行方克己 昆虫記
- 茶が咲いて猪垣へゆく背負籠 綾部仁喜
- 猪の肝食つて舞ふ榊鬼 辻恵美子
- 猪打ちの粉雪を蹴つてゆくなりし 細見綾子
- 凍豆腐月の猪垣遠巻きに 大竹きみ江
- 星仰ぐ皆猪食ひし息吐きて 茨木和生
- 猪垣の月光年を越えむとす 千代田葛彦
- 実茨や猪の通りし跡ありて 菊山九園
- 猪吊つて深熊野闇を濃くしたり 藤野智弘
- 銃口や猪一茎の草による 原 石鼎
- 村中に見える火を焚き猪を割く 宮下白泉
- 猪吊られ関節になほ温みあり 三好潤子
- 狩宿の猪さばき場といふ流れ 村上杏史
- 猪のあはれ飼はれて老ゆるとよ 西嶋あさ子
- 猪垣の根まで均らして大根蒔く 宮田正和
- 猪垣の袖重ねたり出入口 舘野翔鶴
- 石の島石積み上げて猪垣に 塚田正子
- 栗むいて食べたる跡や猪の垣 細見綾子
- 猪垣のひとところ切れ人通す 岡田日郎
- 猪の抜毛かたまり草いきれ 吉本伊智朗
- 猪食つて山中忘る余寒かな 秋元不死男
- 猪焼いて旧正の島けぶらする 小熊一人
- 猪撃ちの第一発のこだませる 金井 綺羅
- をとゝひの猪に未練の男かな 岩崎 すゞ
- 猪に負けし離村と話さるゝ 海老沢 貞子
- 猪の糞ありと言ひつつところ掘る 山下 輝畝
- 猪の背骨と平行な棒は淋しい 四ッ谷 龍
- 猪の山佛頭なども飛んで来る 伊藤白潮
- 昨夜の猪峠に現れて二つ 森下草城子
- 猪の跡人工林を素通りに 赤座閑山
- 初寄席の池田の猪の雪景色 飴山實 『花浴び』
- 猪垣をことに手厚く水の秋 飴山實 『次の花』
- 襟巻や猪首うづめて大和尚 村上鬼城
- 猪食ひしあとのくらがり見つめをり 岸田稚魚
- 猪の注意札立つ旧街道 斉藤葉子
- 猪吊れば夜風川風吹きさらし 石田波郷
- 猪の寝に行かたや明の月 去 来
- 刃を入れて滴る血なし猪の肉 山口誓子
- 大猪逆さに吊られ店先に 伊藤一子
- 猪垣のとつぷり暮れし土瓶蒸 森 澄雄
- 過疎の里猪垣続く人家まで 国方佳根子
- 猪垣にぬけ道のあり犬通る 飯島正人
- 猪垣の杭束ね置く村の口 島田刀根夫
- 猪垣を結びしといふ山便り 松田義朗
- 大寒や釘付けに干す猪の皮 木内彰志
- 猪の肝食つて舞ふ榊鬼 辻恵美子
- 猪撃のうたげ弾帯つけしまま 手島靖一
- 猪喰ひに校長山へ戻りけり 勝井良雄
- 猪垣の用なさぬほど荒れてをり 五十嵐 櫻
- 猟犬の屋号を背負ひ猪を逐ふ 北條 力
- しゆこう君猪食ひいのち存へよ 細見しゆこう
- 一族の墓に猪垣して住めり 出羽智香子
- 勢子はみな男熊野の猪撃女 中 裕
- 猪担ぐ一団に会ふ秋葉道 小林静村
- 撃ちし猪さばく鈴鹿の一水に 尾亀清四郎
- 猪食つて丹田ぬくき奥吉野 海老根筑川
- 猪の荒肝を抜く風の音 宇多喜代子
- をかしさはからんと鵙りし猪威し 原 石鼎
- 買ひ過ぎし秋蒔の種子羅須地人 菊地乙猪子
- 夜なべ村猪の寝息の間近かな 久保厚夫
- 猪垣の一ケ所に向け投光器 林 周作
- 猪威し烽(とぶひ)の山に響きけり 栗原稜歩
- 夕薄暑江戸の資料に猪牙舟も 斉藤淑子
- 葱坊主猪首鶴首ありにけり 向久保貞文
- 疾走の猪乗せて賀状来る 池森昭子
- 猪撃のうたげ弾帯つけしまま 手島靖一
- 落石をともなひ落つる猪のあり 土方 秋湖
- 猪垣を組む老若の影重ね 渡邊千枝子
- 夜桑摘む音にそれたる猪のあり 藤原 如水
- 猪出づと寄合の座のくづれけり 藤原 如水
- 猪垣にはやき灯をいれ山まつり 小山 寒子
- 猪垣に神酒なみなみと注ぎけり 白岩てい子
- 風やみし入日の尾根を猪の列 土方 秋湖
- 深谿へ勢子追ひ詰めし手負猪 伊東白楊
- 魁けて猪に垣結ふ宇陀の神 岩間英一
- 深熊野の星にまぎるる猪除灯 藤谷 紫映
- 猪追ひのあきらめ酒を酌みゐたり 内山 亜川
- 猪番のまどろみてより明け初めぬ 竹森登美恵
- 分校に猪の来し跡さだかなり 安藤 照子
- 銃先に猪出て暗し十三夜 内山亜川
- 夜光虫燃ゆる底より抜錨す 猪島蘇風
- 羅漢みな猪首に在し陽炎へる 尾関 華陽
- その猟夫猪に間違へられやすし 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
- 落葉あびて山くだりゆく猪に逢ふ 加藤楸邨
- 玄猪餅牛の口ヘも二つ三つ 西山泊雲
- 狐罠はじきとばして猪逃ぐる 古川芋蔓
- 猪食うて悪食話尽きるなし 島村茂雄
- 猪食べて北の畳に日が廻る 清水経子
昼前であったが、出足はいつもより悪く、駐車場は空いていたが、
帰る頃には、満杯近くになっていた。
いつもは店内、押すな押すな状態なので、カメラを構えるのがむつかしい。
夜は、久し振りに
鯛のアラを食った。
昭和通
尼崎城が復元されるよう。ミドリ電化(エディオンに統合)の社長さんが自費を投じて再建、
それを尼崎市が譲り受けるかたちをとるよう。
下水蓋(マンホール)ではなく、消火栓だが↑のようなものを街中で見た。
00244とナンバーが振られている。すでに200か所以上に設置されているようだが、
北尼崎(尼崎北部)では見たことがない。
玉江橋から入江橋までの国道2号を歩いた。
玉江橋は庄下川にかかる橋、入江橋は蓬川にかかる橋である。
2号線のこの部分を昭和通と呼ぶ。
国道2号の4車線化で、橋とは言えない状態だが、入江橋の欄干は大正時代のものである。
↑玉江橋交差点
玉江橋を東へ越すと、アルカイックホール。今では、命名権を尼崎信用金庫が買っている。
ふるさと貢献であろう。
手前、戎神社の10日戎の幟。
入江橋の手前にある道標
玉江橋側のすぐ北に、
今は何の変哲もない工場風景
- 馬車道に瓦斯燈ともる蔦紅葉 古賀まり子
- 瓦斯燈にかたよつて吹く柳かな 正岡子規
- 猥談と帰る分解瓦斯放出塔の明り 鈴木六林男
- 背後より愛されている瓦斯タンク 武馬久仁裕
- 瓦斯に火をつけ身近な責めから受ける 鈴木六林男
- 秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな 中村汀女
- 玻璃皿の梨蒼くなり瓦斯ともる 長谷川かな女
- 福鍋や田舎に住めば瓦斯恋し 高浜虚子
- 瓦斯灯に吹雪かがやく街を見たり 北原白秋
- 瓦斯灯にかたよつて吹く柳かな 正岡子規
- 蒸しものの細めの瓦斯や隙間風 宍戸富美子
- 瓦斯煖炉黙せばひとのうち黙す 加藤楸邨
- 病人の頬染めて瓦斯ストーブ燃ゆ 籾山柑子
- 瓦斯の灯の風に噴きつつ生姜市 土方秋湖
- 秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな 中村汀女
- 油虫瓦斯の焔が美しく 嶋田みつ子
- 瓦斯の灯は青簾越しなる夏の虫 北原白秋
- 瓦斯の火を消し藤の夜のまた深む 千代田葛彦
- 一聯の目刺に瓦斯の炎かな 川端茅舎
- ぴよつと瓦斯点火この年を忘るゝ会 誓子
- 瓦斯つける袂の燐寸冬籠 宵曲
- 東京に瓦斯火は赤し秋刀魚焼く 桂郎
- 秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな 中村汀女
- 瓦斯燈に吹雪かがやく街を見たり 北原白秋 竹林清興
- ふと耳に瓦斯ストーブの音なりし 高浜年尾
- 瓦斯の灯にバナナを買ふや漁夫親子 加藤楸邨
- 夏雲や球体二基の瓦斯タンク 秋山未踏
- 残る虫瓦斯の元栓締め忘れし 北野民夫
- 春暁や水ほとばしり瓦斯燃ゆる 中村汀女(1900-88)
- 秋雨の瓦斯がとびつく燐寸かな 中村汀女(1900-88)
- 瓦斯燈に吹雪かがやく街を見たり 北原白秋
- 瓦斯の灯は青簾越し也夏の虫 北原白秋
- 瓦斯燈の光の翼枯枝に 京極杞陽
瓦斯と表記した句には、文明の香りがする。
- ガスの焔のきれいに揃ひ春の雪 行方克己 無言劇
- 小樽運河ガス燈黄なる雨月かな 細井みち
- ガス室を出るとき君は愛される 中烏健二
- 六畳ガス水道完備哀愁列車のあいつ 仲上隆夫
- 短日やまだ発語なくガス燃える 五島高資
- がらんどう浮き草走りガス裸体 富岡和秀
- 花ぐもりガスの青焔透きとほる 柴田白葉女 『月の笛』
- 春愁やガスの炎の丈ちがふ 岡本 眸
- 大年や働きづめのガス焜炉 田守としを
- 裏口に菖蒲紫ガス屋です 柴崎左田男
- ガスの穂を手風で立たす霙かな 不死男
- ガス工事星を集めぬ熱き夜も 対馬康子 吾亦紅
- 紙風船のガス抜きせねばならぬかな 櫂未知子 蒙古斑
- こおろぎが鳴くからガスの火を止めた 松本恭子
- 毒ガス島砲台跡より雉飛べり 成宮弥栄子
- 月見草ガスは焔となりにけり 安東次男 裏山
- 暑に耐ふる煮炊のガスの炎の揃ふ 岡本眸
- 勢いたつガスの炎や朝の職場 森田智子
- ガス展の火の美しく火恋し 古賀まり子
- ガス灯透き初冬へのびる握手の手 和田悟朗
ガスには生活の匂いがする。
.我が家、8歳児親子朝ご帰宅。
替って、一人滞在中。
冬景色
6日午前10時
↑↓谷水がここに溜り(溜め)、周りの田圃に水を供給していたのであろう。
カルガモが一羽浮いていた。
↑谷際 ↓
何度も見ている(月に2,3度)風景だが、いまだに見落としている(見えていない)ものがあるはず。
駐車場の拡張(田圃の埋め立て)、谷からため池へ通じる水路の埋設のため
木が伐られたが、生き残った杉の木。
辺りは、私の重要な野の草観察地。
7日午後3時
去年は七種を買ってきたが、今年はその時間がなく、薺粥ではなく、水菜粥。
その後、昨日と同じコースを往復。
曇りがちだが気温は高い。
↑草の名がどうしても思い出せない。
↑これはセイタカアワダチソウ。帰り花というべきか?はたまた早咲きか?
葦ではなく、笹である。
- 一本が一本としてきわだてる雑木林の夕映えのとき 沖ななも
- 一本の赤一本の青冷し麦 田村了咲
- 列車徐行麦の一本一本鋭し 澁谷道
- 列車徐行麦の一本一本鋭し 渋谷道
- 香の離る梅一本の大事かな 中原道夫
- 一本は狼のため夕桜 高野ムツオ 蟲の王
- 眠りたる吾一本の遅日の木 高野ムツオ 蟲の王
- みどりの夜子は一本の眠れる矢 高野ムツオ 鳥柱
- 首塚に一本ざしの曼珠沙華 行方克己 昆虫記
- 輪飾の一本の藁のこと想う 鈴木六林男
- 一本が枯れて浮足立ちし芦 長田 等
- 鮭といふ一本の朱乾びけり 長谷川櫂
- 一本の松しぐれけり聞香す 大石悦子
- 一本の川より三河初しぐれ 宇佐美魚目
- 一本立ちあとはたふれてをみなへし 川崎展宏
- 一本の桜紅葉や魯迅の碑 佐治英子
- 蓑虫の糸一本に安住す 関森勝夫
- 騒ぐ竹この一本を伐らんとす 鈴木六林男
- 一本の竹を伐る音竹の中 榎本冬一郎
- わが伏屋若竹一本貫けり 沢木欣一
- 渡し場の一本杭や川とんぼ 山谷ひろ子
- 地酒一本雨の湖北に行々子 近藤一鴻
- 一本のラムネの甘露峠茶屋 中山純子
- 甘酒に いま存命の一本箸 伊丹三樹彦
- 泉の底に一本の匙夏了る 飯島晴子
- 激流に棹一本の若布刈舟 山口誓子
- 一本の楊貴妃桜遠出して 中西舗土
- 合い性の筆は一本 白椿 伊丹三樹彦
- 一本の茶杓に所思や利休の忌 阿波野青畝
- 青き踏む背骨一本たてとほし 加藤耕子
- 畠焼くや一本の梅に凝る煙 高田蝶衣
- 一本の冬木に遠く冬木立 倉田 紘文
- 枯蔓の一本垂れて吹かれゐし 伊谷 詢子
- 柊の花一本の香りかな 高野 素十
- 雪吊の一本切れて吹かれをり 高月 ポプラ
- 杉の実を採る一本の命綱 近澤 杉車
- 一本を抛り足したる初鰹 串上 青蓑
- 一本の竹麻一夏の花として 池田 歌子
- 一本の薄紅梅により添ひし 森岡 恵女
- 一本の庭の白梅大石忌 若林 北窗
- 一本のはなれし畦木春夕べ 二階堂 英子
- 吊橋に突立つ一本のガラス棒 宮川としを
- 兄弟に黒き柱を一本ずつ 宇多喜代子
- 山国の祖母竹輪一本食べました 松本勇二
- 燈台の裏窓一本の葱吊す 古舘曹人
- 冬晴や一本の樹が倒される 安田くにえ
- 昃りて紅葉一本づつになる 後藤比奈夫
- 秋彼岸ただ一本の銀杏も 廣瀬直人
- うつぼ草一本摘みて勿来裏 和田耕三郎
- 捩花の一本に風旅の僧 加藤三七子
- 一本の道を微笑の金魚売 平畑静塔
- 一本の紐あればよし花衣 黒田杏子
- 韮一本われの眼を扇ぐなり 飯島晴子
- 鉛筆一本田川に流れ春休み 森 澄雄
- 寒菊の一本の香に置手紙 細川加賀 『傷痕』
- 樹より下がる縄一本の暑き庭 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
- 身を隠す棒一本や夏木立 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
- 炎天に電柱一本づつ退屈 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
- 草の絮一本足を立てて降る 田川飛旅子 『使徒の眼』
- 落人村春来て電柱一本増ゆ 加倉井秋を 『隠愛』
- 筆一本箸は二本のとろろ汁(緑雨居士に倣ふ) 石原八束 『黒凍みの道』
- 水影も一本きりの曼珠沙華 石原八束 『黒凍みの道』
- 一本の藁しべ軒に雀の子 『定本石橋秀野句文集』
- 道距て一本桜風強し 阿部みどり女 『石蕗』
- 一本の縄つかひをる夏の暮 大木あまり 火球
- 伸び悩むらし一本の今年竹 大木あまり 火球
- 枯芦の一本づつの日暮かな 岸田稚魚
- 一本の白髪おそろし冬の鵙 桂 信子
- 学童の一本づつの大根引 中條りつ子
- 崩れ簗杭一本残りけり 正岡子規
- 一本の竹空へ立て崩れ簗 今瀬剛一
- 身より抜く一本の紐冬近し 清水衣子
- 一本の塀のきんかん数しらず 阿波野青畝
- 破芭蕉伐り一本の棒とせり 沢木欣一
- 初猟や一本蘆に澄みわたり 高野素十
- 秋海棠一本ありて雨を愛す 山口青邨
- 一本の竹さわがせて伐りにけり 加藤三七子
- 秋鯖の一本棒のどこ掴む 坂巻純子
- 約束のごと一本の曼珠沙華 細見綾子
- 水影も一本きりの曼珠沙華 石原八束
- 峠まで一本の道雁渡し 草間時彦
- 一本立ちあとはたふれてをみなへし 川崎展宏
- 甘酒は箸が一本あたたかし 大橋敦子
- わだなかに一本釣の日覆舟 清崎敏郎
- 夾竹桃運河一本鉄のごと 永方裕子
- 鰹一本井戸無き不自由な巷居 長谷川かな女
- 麦刈りへ一本の道食運ぶ 沢木欣一
- 噴きあげる一本の紺茄子の苗 有馬朗人
- うららかや一本指のピアノ音 足立悦子
- つくづくし筆一本の遅筆の父 中村草田男
- 一本の枝垂桜に墓のかず 飯田龍太
- 一本の薄紅梅に冴え返る 高浜虚子
- 新年会一本締をきめて果つ 本橋美和
- 大服や一本長き父の眉 高橋悦男
- 一本の襞初富士を支へたる 皆吉爽雨
- 闘う男に泥からのびる蔓一本 四ッ谷龍
- 鈍鳥や藁一本を抱き寝して 中村苑子
- 初稽古面ン一本で終りけり 佐藤火星
- 一本六百万円の大まぐろなり糶始 尾村馬人
- 鱈一本北方の空の縞持てり 新谷ひろし
- 今時600万円では驚かないが。
少し角度を変えて一本杉を撮っている。
宇治
朝5時半起床
宇治市の
宇治市を流れる宇治川の
宇治橋のほとり
平等院表参道の始まるところ
宇治川という料亭の
宇治橋という名の部屋で葬後会席に参加
宇治市斎場 斎場で葬儀を行うので、霊柩車の出番がない。
雪連れて宇治に現る木曽の僧
- 宇治十帖いづくも碑文薫らせぬ(宇治付近) 河野南畦 『風の岬』
- 川霧の宇治に来てをり若井汲む 上野一孝
- 水はやき宇治の瀬波や都鳥 鳥羽とほる
- 河岸にも灯連ねて宇治の月見舟 竹中碧水史
- そこここに新茶の幟宇治の町 田中 としこ
- 鮎落てたき火ゆかしき宇治の里 与謝蕪村
- 宇治山に残る紅葉や網代守る 高浜虚子
- 髪置や白粉つけし艀の子 宇治五岳
- 河鹿鳴く夕宇治橋に水匂ひ 皆吉爽雨
- 宇治山に残る紅葉や網代守る 高濱虚子
- 冷え冷えと宇治の荒瀬の生みし風 関 木瓜
- 新茶買う宇治十帖をめぐり来て 谷本淳子
- 宇治十帖行間に聴く秋のこゑ ほんだゆき
- 水音を深めし宇治の祭あと 石田厚子
- 闇汁の窓に比叡の灯宇治の灯と 藪内柴火
- 何といふ淋しきところ宇治の冬 星野立子
- なかなかどうして、雨とはいえ、日曜日の冬の宇治。平等院参道はかなりの人出。
- 若水や車つくりは宇治の者 涼莵
- 宇治橋の神や茶の花さくや姫 宗因
- 宇治山に残る紅葉や網代もる 虚子
- 網代守宇治の駕籠舁きと成にけり 許六
- 宇治寒ししまひ渡舟に乗れといふ 年尾
- 嵯峨の柴折焚宇治の新茶哉 蓼太
- 宇治に似て山なつかしき新茶かな 支考
- 卯の花や茶俵作る宇治の里 召波
- 宇治十帖よめる六日の夜の雨 佐藤輝城
- 今年は8日の雨
- 緑蔭に語りはじめし宇治拾遺 筑紫磐井 野干
- 暑をこもる宇治のゐなかに戀もなし 筑紫磐井 野干
- 風に送られ宇治の青田を勅使(つかひ)かな 筑紫磐井 野干
- 宇治発つと雪空にごりきたりけり 中田剛 珠樹
- 宇治に立て掛け洗ひ障子かな 関戸靖子
- 宇治山に残る灯はあり蓮見舟 野村泊月
- 宇治に似て山なつかしき新茶かな 支考
- 根切虫今に宇治山荒法師 波多野爽波
- 卯の花や茶俵作る宇治の里 召波
- 摘み急ぐ明日なき宇治の茶山かな 佐藤滴泉
- 風花や宇治浮舟のいしぶみに 杉本寛
- 鶉なく宇治に落語の興りけり 龍岡晋
- 秋晴や宇治の大橋横たはり 富安風生(1885-1979)
- 宇治に似て山なつかしき新茶かな 支考
- 春惜しむ宇治十帖をひらきしまま 長谷川かな女
- 昼寝して宇治と思ひし我家かな 長谷川かな女
- 世を宇治の門にも寝るや茶つみ共 炭 太祇 太祇句選
- 連翹や焼杭を打つ宇治の院 沢木欣一 雪白
- 古杭のつけ木や宇治に飛ぶ蛍 露言 選集「板東太郎」
- 宇治橋の夜の契や駆出しの峯 調和 選集「板東太郎」
- 大ぶく(服)や宇治の橋守もの問はう 心棘 選集「板東太郎」
- 桃さくや宇治の糞船通ふ時 程己 三 月 月別句集「韻塞」
- 網代守宇治の駕籠舁きと成にけり 許六 霜 月 月別句集「韻塞」
- 宇治木幡(こばた)京へしぐれてかかる雲 曲翠 俳諧撰集「有磯海」
- 夏木立宇治は名所の多かりき 井上井月
- 河鹿鳴く夕宇治橋に水匂ふ 皆吉爽雨
- 山吹や宇治の焙炉の匂ふ時 松尾芭蕉
- 鮎落てたき火ゆかしき宇治の里 蕪村遺稿 秋
- たる事や世を宇治茶にも冬籠 松岡青蘿
- 宇治に来て屏風に似たる茶つみかな 上島鬼貫
- 山吹や宇治の焙炉(ほいろ)の匂ふ時 松尾芭蕉
阪急1月ヴァージョン
平安の初め、嵯峨天皇が大覚寺の大沢池で、菊ガ島に咲く可憐な菊を手折り殿上の花瓶に挿されました。
その姿が「天、地、人」三才の美しさを備えていたことに感動され、「後世花を生くるものは宜しく之を以って範とすべし」とおっしゃいました。これがいけばな嵯峨御流の始まりであると伝えられています。嵯峨天皇の自然や草木に対する慈しみの心が、嵯峨御流の礎になっています。
- 嵯峨豆腐さげて見てをり嵯峨念仏 福田恵二
- 軒ひくき嵯峨絵店なり露の嵯峨 岩木躑躅
- 嵯峨=記このかた嵯峨は夜の長き 阿波野青畝
- 嵯峨へ行き御室へ戻り若菜かな 正岡子規
- 初冬の音ともならず嵯峨の雨 石塚友二
- 嵯峨菊も十日の菊となりしかな 加藤三七子
- 初雁や嵯峨清涼寺灯をひくく 川端青踏
- 嵯峨ははや時雨ぐせなる十三夜 鈴鹿野風呂
- 嵯峨御所の橘薫る泊りかな 阿波野青畝
- 嵯峨豆腐買ふ客ならび薄暑かな 村山古郷
- 土蜘蛛の吐く糸無尽嵯峨念仏 岡本春人
- 智恵詣嵯峨へまはりて疲れけり 日野草城
- はじめての嵯峨に十三参りかな 松瀬青々
- 野遊や筍早き嵯峨の寺 松根東洋城
- 落葉掻く嵯峨の女に道をきく 山内 年日子
- 去来忌の幟の立ちし嵯峨路かな 安藤 徳太郎
- 顔見世の噂も遠し嵯峨ずまひ 大島民郎
- 植ゑてみて嵯峨菊の苗育ちさう 稲畑汀子
- 初霜に胸埋め嵯峨の石仏は 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
- 恋ひ狂ひ餓ゑ死にし石秋の虹(嵯峨念仏寺) 野澤節子 『花季』
- はなびらをのせて水くる嵯峨の藪 飴山實 『花浴び』
- 北嵯峨の水美しき冷奴 鈴鹿野風呂
- 嵯峨御所の橘かをる泊りかな 阿波野青畝
- 嵯峨竹の色をとどめて春の闇 江国 滋
- 嵯峨菊も十日の菊となりにけり 加藤三七子
- 嵯峨御所の橘薫る泊りかな 阿波野青畝
- 嵯峨菊の一糸一糸の翳りかな 西村博子
- 嵯峨豆腐掬ふ水より秋立てり 石田 厚子
- 大藪の横たふ嵯峨の雪見かな 市の瀬尺水
- 嵯峨絵図を乞へば障子の開きにけり 五十嵐播水
- 嵯峨なれや道すがらなる藤袴 宮本すま子
- 京といへば嵯峨と思ほゆ竹の春 角田竹冷
- 筍に嵯峨の山辺は曇りけり 臼田亜浪
- 嵯峨御所の橘かをる泊りかな 阿波野青畝
- 花の間に嵯峨念仏の舞台見え 福井圭児
- 見てゐるは里人ばかり嵯峨念仏 五十嵐播水
- 嵯峨念仏また日が射して終りけり 松本旭
- 嵯峨に出て霜解けそむる初筏 大谷句仏
- 獅子舞も濡れて行くなり嵯峨の雨 河北斜陽
- きのふ見し万歳に逢ふや嵯峨の町 蕪村
- 竹伐つて嵯峨は初荷の牛車 句仏
- 山茶花や嵯峨には古き家づくり 春夫
- 立よれば入相聞ゆ嵯峨の柿 成美
- 嵯峨中の淋しさくゝる芒かな 嵐雪 (野の宮に詣でて)
- 北嵯峨や町を打越す鹿の声 丈草
- 嵯峨御所の勅使門とて月あかり 野風呂
- 嵯峨の柴折焚宇治の新茶哉 蓼太
- 筍や嵯峨しろがねの雨ふりて 月笠
- 落る葉やあやに月洩る竹の嵯峨 都貢
- 寝てくらす麓の嵯峨ぞ雲の峰 来山
- 大雨の降りかくす嵯峨や仏生会 水巴
- 露しげき嵯峨に住み侘ぶ一比丘尼 高岡智照
- 北嵯峨の天や白露落つるかと 岩木躑躅
- 嵯峨念仏鬼の荒息怺ふなし 西村和子 かりそめならず
- 早鉦に鬼踊り出づ嵯峨念仏 西村和子 かりそめならず
- 山茶花や嵯峨には古き家づくり 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄
- 蕎麦刈に道問ふ嵯峨の天竜寺 仙波花叟
- 嵯峨行の揚屋出でけり今朝の秋 一音
- 嵯峨菊や文字美しき道しるべ 齊藤獏
- むしむしと*まくなぎ多き頃の嵯峨 高野素十
- 人はまた嵯峨に遊ばず梅きゞす 千行
- うららかや女つれだつ嵯峨御室 正岡子規
- 夜桃林を出てあかつき嵯峨の桜人 蕪村
- 嵯峨念仏牛若丸は強かりし 高浜年尾
- 花の香や嵯峨の燈火きゆる時 蕪村
- 篁の嵯峨はしぐるる墓どころ 石原舟月
- いざのぼれ嵯峨の鮎食ひに都鳥 安原貞室 (1610-1673)
- 北嵯峨の水美しき冷奴 鈴鹿野風呂(1887-1971)
- 嵯峨国民学校とあり山茶花に 久米正雄 返り花
- 言霊のしづもる嵯峨の花嵐 山岡正嗣
- 山茶花や嵯峨には古き家づくり 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄
- 嵯峨の時雨に待ちゐて肩を濡らせしよ 大石悦子
- 嵯峨菊も十日の菊となりしかな 加藤三七子
- 顔見世の噂も遠し嵯峨ずまひ 大島民郎
- 二条より嵯峨にかかりし扇かな 深見けん二
- 白酒やひよどり多き嵯峨住ひ 大峯あきら
- 年の暮嵯峨の近道習ひけり 炭 太祇 太祇句選
- ねはむ会に来てもめでたし嵯峨の釈迦 炭 太祇 太祇句選
- 明易し嵯峨竹霊を枕辺に 堀口星眠 樹の雫
- 筍に嵯峨の山辺は曇りけり 臼田亞浪 定本亜浪句集
- 花ちりて二日おられぬ野原かな 嵯峨農十二才-市 俳諧撰集「有磯海」
- 嵯峨中の淋しさくゞる薄かな 服部嵐雪
- 鬱として嵯峨は竹あり梅の花 椎本才麿
- ふまるるも嘸おほからん嵯峨の虫 浜田酒堂
- 秋風や嵯峨をさまよふ蝶一つ 芥川龍之介
- 初冬の音ともならず嵯峨の雨 石塚友二
- 虫鳴くや嵯峨に宿借るよしもなき 井上井月
- 嵯峨菊の暮光も天にのぼりけり 水原秋櫻子
- 春の花秋の月見に嵯峨もよし 井原西鶴
- 二条より嵯峨にかかりし扇かな 深見けん二
- 永き日をたっぷりあそび嵯峨豆腐 細川加賀
- 涼しさを絵にうつしけり嵯峨の竹 松尾芭蕉
- 嵯峨の雅困が閑を訪て 曠野行身にちかづくや雲の峰 蕪村遺稿 夏
- 短夜や吾妻の人の嵯峨泊り 蕪村遺稿 夏
- 梅をしたふ其夜の夢や嵯峨のあたり 松岡青蘿
作品は新年をイメージした嵯峨御流、若い集団の力作。
宵戎
やっと2人だけの正月になったと思ったら、
1人は初句会でお出掛け。
駅前で別れて、私は尼のえべっさんへ。
阪神電車尼崎駅北口からだと、↑の商店街を抜けるのが分かりやすい道。
後ろ手に持っているのは昨年のものだろう。
2つ目か3つ目の角曲がると
利益率が高いのか、生産法が簡単なのか、需要が多いのか、
ベビーカステラの屋台が目立つ。
駐輪お断り札の前
「看板熊手」とは?3800円
狭い境内
ミモザ。 今にも咲きだしそう。
神社のHPから:
「尼崎ゑびす神社」は醍醐天皇時代以前の創建であると伝承されています。古代からえびす様は海の神様、漁業航海を守る神様として漁業人から崇拝されてきました。
海の市・尼崎でも「えべっさん」の愛称でお祭りされ、深いご神徳を受けたことにより漁業人たちの生活が栄えたといわれます。
その繁栄ぶりが現在の商業、工業の発展へとつながり、尼崎の躍進と共に当神社も商売繁盛の神様「尼のえべっさん」として知られるようになりました。
左横が本殿前だが、縦一列の行列が大鳥居を越え↓、公園を越え、神社の外周へ出て、
↑のすぐ後ろを、阪神電車の高架下に添って、西へ伸びている。さすがに本殿の背後には至らない状態。午後1時。
尼っ子もさすがに割り込みはしないよう。ここでは。
巫女さんのブログを見つけた。 昨日は雨で屋内作業を中心に準備したことなどが記されている。
- 留守居して風呂の湯を張る宵戎 岡本差知子
- 鳩時計鳴るや早寝の宵戎 赤尾兜子
- 智恵熱かすぐ引きにけり宵戎 宇佐美魚目
- 堀川の水の暗さや宵戎 青木月斗
- 小火騒ぎありて今宮宵戎 後藤鬼橋
- 大阪を好きも嫌ひも宵戎 吉田すばる
- 宵戎手相見の灯は別にあり 山田弘子
↑ここで屈折し、公園へ入る。公園が参道をなっていて、大鳥居へ向かう。
この列に加わる気は初めからない。
列を割って、うろうろ。本殿前の脇で寄付箱を首から提げた人を見つけ
一番安い福笹なら買えるかもしれない金額を寄付。
えべっさんを出て、尼崎城建設現場へ
叢の中にマンテマを見つけた。
ナデシコ科マンテナ属シロバナマンテナ
久し振りに見る草であるが、名前を憶えていた。
どの画像もピントが合っていない。画像集から一枚借用。
古池や
櫻井松平氏の第12代忠重が遠州掛川から摂津尼崎へ配置換えとなり、以来幕末まで
尼崎藩主は松平氏であったが、維新政府の意向を受け、櫻井氏に改名した。
第14代藩主は忠告(1742年(寛保2)5月26日 - 1805年(文化2)12月10日)は俳句を作った。俳号は一桜井亀文(イチオウセイキブン);
忠告は若くして、大坂鰻谷の商家に生まれ、のち江戸談林七世となった谷素外に師事して俳諧を学んだ。18世紀後半ころから俳諧に嗜みをもつ大名も少なからず出ている。
本多清秋(伊勢神戸藩主)その子其香、松平不昧(出雲松江藩主)その子露滴斎、不昧の弟雪川、酒井忠仰(播磨姫路藩主)の子抱一、真田菊貫(信濃松代藩主)、酒井凡兆(出羽庄内藩主)などがその例である。
亀文とこれら大名との交流については詳しくは知られない。亀文は書画も巧みであったと伝えるが、俳人としての亀文の作品は1774年(安永3)師素外が編んだ『俳諧名所方角集』に早くみえる。
松平氏の江戸下屋敷(本所深川新大橋東)内の池は芭蕉の名句「古池や蛙とびこむ水の音」ゆかりの古池とされ、『俳諧名所方角集』には素外の「古池や蛙若やく庭の艸」などこの古池にちなんで作った句のなかに「古池の昔語となく蛙」という亀文の一句ものせている。
亀文の作品をのちに集めて編んだ句集『一桜井発句集』がある。『一桜井発句集』は二世桜井亀幸を号した忠告の嗣子忠宝が、亀文生前の句のなかから159句をえらび、四季に類別して編み、91歳の素外の跋を付して1822年(文政5)に刊行したものである。(apediaより)
櫻井氏16代を祀る神社が櫻井神社である。神社は、今、旧の西三の丸の地にある。
亀文の句、
上の記述内の
古池の昔語となく蛙
先づ(まず)霞む竈々(かまどかまど)や民の春 ↓
この句碑は、尼崎城の外堀の橋の石杭を利用しているようだ。
↑代数の数え方が違っている気配。櫻井神社発行の「櫻井神社由緒」では、
忠告を第12代藩主としている。
櫻井松平氏についてのウィキペディアの解説:
桜井松平家(さくらいまつだいらけ)は、松平宗家5代・松平長親の次男(三男とも)信定を祖とする松平氏の庶流。三河国碧海郡桜井(現在の愛知県安城市)を領したことから桜井松平家と称する。十八松平の一つ。
父の偏愛を受けた信定は、松平宗家の座に執着するあまり、宗家の7代目であった甥・松平清康を疎ましく思っていた。
森山崩れ(守山崩れ)における清康の横死を絶好の機ととらえると、義兄・織田信秀の後ろ盾を受けて岡崎城を占拠、清康の嫡男・松平広忠を放逐する。だが、広忠を正統なる跡目と認める阿部定吉や大久保忠俊などの多数派に対し、信定を推戴する者は皆無に等しい状態であった。その上、今川氏からの後ろ盾を得た多数派に対抗する手段もなく、岡崎城を手放すまでに追い込まれ、宗家簒奪に失敗した。この時、信定を圧迫したのは今川軍中陣左翼大将の山田景隆だった。
これで信定が宗家に服従したわけではなく、信定の孫・松平忠正の代に至っても、宗家に対する敵対的姿勢を変えなかった。
今川義元の死後、今川氏からの独立を志す松平元康(後の徳川家康)が三河一向一揆と対立すると、吉良氏など松平宗家に敵対する勢力と結んで、再び宗家転覆を企てたが、一揆は鎮圧され、またも敗北する。
以後、宗家に従属した。
初期には武蔵松山藩・遠江浜松藩に封じられるが、短命の当主が多く、一時改易されたが、後に上総佐貫藩主家として復活した。以後、駿河田中藩・遠江掛川藩・信濃飯山藩・遠江掛川藩(再封)を経て摂津尼崎藩にて明治維新を迎えた。明治維新後、明治政府の命令により桜井氏(さくらいし)と改めて、後に子爵となった。
この他、松平忠頼の三男の忠勝は親族の久松松平定勝の養子となり、後に徳川頼宣の家臣となり、その家統は紀州藩の高家となる。この家は徳川家茂の生母である実成院の生家である。
江戸藩邸は、
東京府芝区三田二丁目(現、東京都港区三田2丁目)に存在した邸は、第二次大戦の戦災を免れ、戦後香川県に売却され、現在、東京さぬき倶楽部となっている。敷地内には当時の土蔵、木造建築が現存する。
松平忠告の伝記 これもウィキペディアより
寛保2年(1742年)(異説として寛保3年(1743年)5月26日)、第2代藩主・松平忠名の三男として生まれる。長兄は早世し、次兄の加藤明堯(後の近江水口藩主)は庶子で他家に養子に出されたため、世子に指名され、明和3年(1766年)12月の父の死去により、明和4年(1767年)2月20日に家督を継いだ。
明和6年(1769年)、幕命により領地替えが行なわれたが、このときに藩財政の大きな利権となっていた地域を幕府によって奪われ、代わって利権の少ない地域を与えられたために藩財政の悪化が始まった。また、江戸城桜田門番に任じられたことも少なからず負担となった。
このため、忠告は俳諧の道に進み、談林派七世谷素外に師事して俳名を亀文、または一桜井と号した。寛政11年(1799年)には大坂天満宮に談林派の祖西山宗因の句碑を建設している。また、「一桜井発句集」という句集を残している(この句集は子の忠宝によって文政5年(1822年)に完成する)。
文化2年(1805年)12月10日に死去した。享年64。跡を次男の忠宝が継いだ。
最後の尼崎藩主、桜井忠興は、西南戦争時、「博愛社」を結成、戦傷者を看護、
日本赤十字社へと発展
神社を出て↓の表示をポールを見て、確認のために舞い戻った。
一瞬「停年禁止」と読めたので。定年世代の悲しい性か?
停年の年は、年ではなく、🚘の簡略文字であった。
契沖
↑尼崎の中央図書館の東側である。工事塀で囲まれているこの地点の風景が大きく変わるはず。2年後に。ここに尼崎城が姿を現すはず。
元の本丸はもう少し東側にあった。
ところで、この場所に道標が一基あったが姿を消している。
処分されたはずはない。
もともとここへ移設されるまえにあった場所に、より近いところへ引っ越ししたのであろう。
このあたりも西三の丸の地点である。
契沖さんはこのあたりで誕生。
歴史的仮名遣いで作句なさるかたは、この方が整備なさった仮名遣いを利用していることになる。
ウィキペディア:
契沖(けいちゅう、寛永17年(1640年) - 元禄14年1月25日(1701年3月4日))は、江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者(国学者)。
摂津国川辺郡尼崎(現在の兵庫県尼崎市北城内)で生まれた。釈契沖とも。俗姓は下川氏、字は空心。祖父・下川元宜は加藤清正の家臣であったが、父・元全(もとたけ)は尼崎藩士から牢人(浪人)となったため、8人の子は長男を除いて出家したり養子として家を離れざるを得なかった。
契沖は、幼くして摂津国東成郡大今里村(現在の大阪市東成区大今里)の妙法寺の丯定(かいじょう)に学んだ後、高野山で阿闍梨の位を得る。ついで摂津国西成郡西高津村(現在の大阪市天王寺区生玉町)の曼陀羅院の住持となり、その間に下河辺長流と交流し学問的な示唆を受けるが、俗務を嫌い畿内を遍歴して高野山に戻る。室生寺では命を捨てようとしたこともある。
その後、和泉国和泉郡久井村(現在の和泉市久井町)の辻森吉行や同郡万町村(現在の和泉市万町)の伏屋重賢のもとで、仏典、漢籍や日本の古典を数多く読み、悉曇研究も行った。延宝6年(1678年)、妙法寺住持分となった後、晩年は摂津国東成郡東高津村(現在の大阪市天王寺区空清町)の円珠庵で過ごした。没後の明治24年(1891年)、正四位を追贈された[1]。
『万葉集』の正しい解釈を求める内に、当時主流となっていた定家仮名遣の矛盾に気づき、歴史的に正しい仮名遣いの例を『万葉集』、『日本書紀』、『古事記』、『源氏物語』などの古典から拾い、分類した『和字正濫抄』を著した。これに準拠した表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えた。
徳川光圀から委嘱を受けた『万葉代匠記』(『万葉集』注釈書。1690年)をはじめ、『厚顔抄』、『古今余材抄』、『勢語臆断』、『源註拾遺』、『百人一首改観抄』、『和字正濫鈔』など数多く、その学績は実証的学問法を確立して国学の発展に寄与し古典研究史上、時代を画するものであった。
尼崎が生んだ偉人の一人であろう。
- 歌留多会散らばる仮名と戦へり 小西宏子
- 仮名散らすかにひらひらと竹落葉 岡崎鶴子
- 囀りのリズムに仮名の散らしがき 大林清子
- ひら仮名でもの言う母や夕雲雀 高橋富久江
- 書初の仮名万葉の歌となる 安田晃子
- 夜店にて仮名書論語妻買ひし 池上浩山人
- なにはやと仮名で書きたり花の雨 久保田万太郎
- 東をどりをどりと仮名で書きにけり 久保田万太郎
- 日本の仮名美しき歌留多かな 比奈夫
- 大和仮名いの字を児の筆始め 蕪村
- 仮名拾ふ子の声寒し根深汁 龍男
- 旧仮名遣は本仮名遣清水の音 草田男
- 露万朶じやがたら文は仮名ばかり 向笠和子
- 万葉の世は仮名づくし落し文 堀米秋良
- 仮名かきうみし子にそらまめをむかせけり 杉田久女
- かなぶん~仮名書魯文徹夜かな 久米正雄 返り花
- 仮名かきうみし子にそらまめをむかせけり 杉田久女
- 仮名拾ふ子の声寒し根深汁 永井龍男
- 苗床やいろ~の仮名氾濫す 森田峠 避暑散歩
- 東をどりをどりと仮名で書きにけり 久保田万太郎 流寓抄
- ひら仮名の雀のお墓霜ざれぬ 臼田亞浪 定本亜浪句集
↑こんな人も普通に見かける。
タイガー、タイガースでは例句なし。
「虎」で検索したら、虎杖や虎落笛の句が沢山。