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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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夙川

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夙川公園(しゅくがわこうえん)は、兵庫県西宮市にある公園である。夙川河川敷緑地とも呼ばれる。

西宮市の夙川の河川敷沿いに、南は香枦園浜の海岸部から北は銀水橋までの約4km、20.8haにわたって整備された都市公園である。

 

なお、公園へ続く川沿いの道路は夙川オアシスロードと呼ばれている。

 

オアシスロードの南の終点↓

 

1990年(平成2年)、「日本さくら名所100選」に選定された。

 

京阪神地区を代表する桜の名所とは思っていたが、

日本を代表するものに格上げされている!!

 

桜が1300本ということは桜紅葉も見ごたえあるが

阪神香露園付近は松もなかなか

↓遠くに見えるのは貝類博物館?

 

桜紅葉

桜紅葉鱗剥がれていくごとし 高野ムツオ 蟲の王
 
一本の桜紅葉や魯迅の碑 佐治英子
 
風師山の桜紅葉の道長し 龍 康夫
 
室生口桜紅葉の下にバス 星野恒彦
 
桜紅葉蹤きゆくことの寧からず 永方裕子
 
淡墨の桜紅葉の雨雫 茨木和生
 
なほ残る桜紅葉は血のいろに 原 裕
 
上り行く桜紅葉の並木道 中村 志ま
 
神苑の桜紅葉を拾ひ来し 並松 玉哉
 
下枝はみくじの占めて桜紅葉 田中芙美
 
母病みて桜紅葉の遠き嶺 原 裕
 
桜紅葉しばらく照りて海暮れぬ 角川源義
 
八月の桜紅葉を掃けるかな 富安風生
 
桜紅葉車寄せなる金モール 立川京子
 
なほ残る桜紅葉は血のいろに 原 裕
 
あたらしき桜紅葉で涙拭く 仙田洋子 雲は王冠
 
眼鏡ふかく日の射し桜紅葉かな 河合照子
 
桜紅葉しばらく照りて海暮れぬ 角川源義
 
あたらしき桜紅葉で涙拭く 仙田洋子
 
好きな道桜紅葉の頃なれば 稲畑汀子
 
牧場の桜紅葉に沿うて径 高浜年尾
 
人の世の桜紅葉を僧の掃く 櫛原希伊子
 
宿おの~橋あり桜紅葉かな 久米正雄 返り花
 
雨に濡れし桜紅葉を詠みしひと 田中冬二 俳句拾遺
 
死はかねて桜紅葉のうしろより 手塚美佐

 

 

好きな道桜紅葉の頃なれば 稲畑汀子  

芦屋川沿いも桜紅葉がきれいな場所はいくつもある。

平成28年11月号の裏表紙掲載の句日記は、前年の11月の活動を示すものだが

14日開催の関西ホトトギス同人会

で、

 

散るための桜紅葉の色尽くす

 

と詠っている。

 

桜の頃も、あまりこの辺りまでは来ない。

阪急電車夙川駅とJRさくら夙川駅(新駅ができた折、阪急と同じ駅名になることを避けた)

の間を徘徊することが多い。

 

 


夜の街

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昨日の夕べ、民放局で、塚口の夜の街・・美女が集まる・・

などという見出しで10分ほどの放映があった。

何気なくテレビを見ていて、地元トピック故、視聴。

話題の店を確認に出かけた。

 

現役時代には、最終電車寸前に塚口駅を下車することは何度もあるが、

下車後、深夜の街を徘徊した経験はない。

しかし最近は昼間駅周辺を徘徊することは多いので、

どのあたりの店が取材対象になっていたかはすぐわかった。

駅の東側の踏切を南に越えたあたりに、やらせ風に、今から飲みに出かける女性を集めて

まずは焼鳥屋へ

それから美人店員がいるという店へ。

この店は、梅田界隈、三宮界隈でも見かけることのない

アメリカ国旗を表に出しているので、私も撮影したことがある。

その後、もっと駅に近い、母娘とも、利酒師の資格を持つという店へ

なぜかフレンチを看板に

レポート役の小柄な芸人のしゃべくりがもうひとつという感じ(やはり鶴瓶はうまい)で

あまり盛り上がらない内容だった。

 

大阪梅田駅裏通り

barumiche  と表示して、バルミチェと読ませ、イタリアンパスタのメニューを書き上げている。

 

イタリア語ならbaru  の表記は、bar となるはず。それは「バール」と読むべき。

「バル」はスペイン語読みであろう。

そのあとのmiche は単独でどんな意味をもっているのかしらないが、イタリア語読みなら、

ミチェでなく「ミケ」である。cheをチェと発音するのは、

 

自販機のタバコの図柄からみて、スペイン語である。

しかしよく見るとチェと読む場合は、hの下に下付きバーのようなものが見える。

この店チェーン店らしく大阪市内に何軒か店を出している。

 

これも気になる。

ビールをビアとドイツ語的に(英語でもビーアと読まないことはないが)ビアと読むなら

ブルグは「ブルク」と表記したい。

 

小学校時代の国語の授業、何も覚えていない。

漢字の筆順を一画ずつ加えていく薄字を上塗りしていたのをかすかに思い出す程度。

教科書では、港の燃料タンクかなにかの前で

「なむのこばた」の意味が分からない子供が挿絵と共に描かれていたのを覚えている。

 

現役時代、何かの折に、居酒屋などで、このことを話題にしたが、

そうそうそんな話が載っていたと共鳴してくれた者はいなかった。

 

中学になって国語の時間、俳句の解説があったが、他の句については詳しい句意解説があったのに、最後に載っていた去来の句は、わざわざ「解説しない」と教師が宣告したので、

句と共に記憶に残っている。1分もあれば解説可能に見えたが、敢えて解説しないのは、

①教師用虎の巻に解説がなかったからか、「②載っていた解説が不満だったか

③中学生には教えたくない内容を含むものかなどと疑い、

きっと第3の理由に因るのであろう。この門は娼婦宿にちがいないと思ったまま、

放置していたので、記憶に残った。

「雪の門」で検索したら、その去来の句が何度も登場。

嶺の雪の照り合ふ高山祭かな 金尾梅の門
 
応々といへどたたくや雪の門 去 来
 
嶺の雪の照り合ふ高山祭かな 金尾梅の門
 
応々といへど敲くや雪の門 去来
 
応々といへどたゝくや雪の門 向井去来(1651-1704)
 
訪ひ来るや雪の門より人つゞき
 
十四屋は海手に寒し雪の門 許六 霜 月 月別句集「韻塞」
 
応々といへどたたくや雪の門 去来 選集古今句集
 
応々といへど敲くや雪の門 去来
 
なんの実ぞたまたま見だす雪の門 立花北枝
 
応々といへどたゝくや雪の門 向井去来

ネットでこの句を検索。解説を読んでみたが、ごくごく平凡なものであった。

 

 

 

 

 

オオイチョウ

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尼崎市のHPから

 

自然の少ない本市において、現存する貴重な古木や大木を基準に基づいて保護樹木、保護樹林として指定しています。 
平成26年3月末現在で、65本の保護樹木(主にクスノキ、イチョウ、ケヤキ)、41箇所、77,423平方メートルの保護樹林(主にムクノキ、モチノキ)が指定されています。

 

指定基準

保護樹木  1.5メートルの高さで幹周囲1メートル以上、樹高10メートル以上 など
保護樹林  保護樹木等の集団で面積が300平方メートル以上

 

指定基準は、各市ともおおむね同じであろう。

ただし美作市や西粟倉村では保護樹林の面積基準はもっと広いかも。

(美作市のHPにはそれに関する事項がなかった)

 

尼崎市の保護樹、保護樹林についてはPDFで一覧表も添付されている。

それを見ると、樹木、樹林のほとんどは寺社境内にあり、

そのまた大部分は私が訪問済みのものであった。

 

正玄寺(旧の塚口御坊)境内のイチョウとクスノキもその中に含まれる

寺塀の外から見た保護樹木イチョウ

鐘楼の脇のブロック塀は追加されたもので、寺の境内の一部を駐車場経営に利用している。

よってその部分は固定資産税課税対象地である。

寺塀

長命寺塀ぞひの花吹雪かな(谷原椿祭の折) 岸田稚魚 『雪涅槃』
 
寺塀に沿うてどんたく流しかな 永末喜代治

「合掌」は意外に多い例句

暁紅に露の藁屋根合掌す 能村登四郎 合掌部落
 
合掌の家霊冴えをり家郷捨つ 石原八束
 
どぶろくに合掌一棟ごと匂ふ 岡井省二
 
合掌して花野の僧となりゆけり 永作火童
 
合掌の屋根裏見ゆる大夏炉 原田青児
 
二十六聖人大夕焼に合掌す 能村登四郎
 
燕や合掌を解く地蔵岩 田川飛旅子
 
和布刈海女海に合掌して去りぬ 樋笠 文
 
合掌の一集落の萱を干す 杉浦 東雲
 
遍路杖小脇にあづけ合掌す 山本 天留女
 
合掌をしてお福茶をいただきぬ 宮本 静代
 
耳の寺院に/吊るされて/頭上の/合掌 高柳重信
重信は多行形式で句を書いた。
 
 
 
夏やせてわが合掌のそらぞらし 鷲谷七菜子
 
合掌しては歩く涼しさ高野杉 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
月光菩薩秋芽のごとき合掌を 野澤節子 『花季』
 
庖丁の怯む筍合掌す 殿村菟絲子 『樹下』
 
春寒き合掌の指隙きに隙く(句集「牡丹」に記さゞりし旧作) 殿村菟絲子 『旅雁』
 
雪暮れぬ合掌をこそ心の灯 石原八束 『白夜の旅人』
 
汗と涙こも~こぼし合掌す(松江なる宍道夫人に) 『定本石橋秀野句文集』
 
合掌の梁黒々と根深汁 初川トミ子
 
子を遠く大夕焼に合掌す 中村汀女
 
驟雨下の合掌部落三時打つ 加藤楸邨
 
合掌を解けば我あり竹落葉 木内彰志
 
座禅草合掌しつつ開きけり 田村恵子
 
いづくともなき合掌や初御空 中村汀女
 
あかぎれの子のみ仏に合掌す 佐藤和子
 
未婚一生洗ひし足袋が合掌す 寺田京子
 
野仏の合掌に雪舞ふばかり 前川 実
 
合掌すガンジス河の大夕焼 永井敬子
 
合掌の家の涼しき畳かな 土永竜仙子
 
残雪や合掌民家に蚕臭消ゆ 岡部六弥太
 
合掌の棟の残雪弾け落つ 伊藤紫都子
 
合掌建つなぐ乏しき冬菜畑 加藤岳雄
 
雲水の雪卸すにも合掌す 矢野聖峰
 
島びとの暁の合掌紫苑立つ 加藤春彦
 
岩魚焼く合掌梁へ煤あげて 小林千草
 
栃の芽の合掌久し日雀鳴く 望月たかし
 
凍蝶の傷みなき翅合掌す 佐野まもる
 
大文字畦の合掌に映えゐたり 米沢吾亦紅
 
麦飯に頂きますと合掌する 橋本寅男
 
金輪際此合掌を滝打てり 川端茅舎
 
喜捨人も寒念仏も合掌す 田中王城
 
寒垢離の合掌を解き宙掴み 成田風太郎
 
雪の夜の天地合掌はてしなし 照敏
 
冬ごもる合掌造むき~に 素逝
 
金輪際此合掌を滝打てり 茅舎
 
初蝶に合掌のみてほぐるるばかり 橋本多佳子
 
金輪際此合掌を滝打てり 川端茅舎
 
島の稲架合掌に組み風に耐へ 高浜年尾
 
金輪際此合掌を滝打てり 川端茅舎
 
冬の蝶羽の合掌解きて死す 柴田奈美
 
山祗へ灯をともしたる合掌家 佐藤美恵子
 
暁光に露の藁屋根合掌す 能村登四郎
 
合掌をして放屁虫わかれけり 阿波野青畝
 
観音に西瓜供へて合掌す 細見綾子
 
島の稲架合掌に組み風に耐へ 高浜年尾
 
合掌の屋根の鋭角雲の峰 小田中雄子
 
合掌を解きて十夜の粥すする 近藤一鴻
 
合掌に僧と別るる山桜 毛塚静枝
 
合掌して更に涼しくなりにけり 毛塚静枝
 
合掌家を覗くためらひ蚊に刺さる 伊藤京子
 
合掌もせず寒き墓とゐしのみか 猿橋統流子
 
女人合掌解くごと朴の花ひらく 猿橋統流子
 
冬隣合掌村は味噌の匂ひ 杉本寛
 
合掌村高空を截る秋燕 大橋敦子
 
合掌部落百花を抽きて一辛夷 岸田稚魚
 
合掌す緑窓傘雨大居士に 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄
 
冬衣合掌のとき繭臭し 澁谷道
 
ウランを平和へ河鹿死んでも合掌する 八木三日女
 
未婚一生洗ひし足袋が合掌す 寺田京子
 
春立つや合掌の指ひた反らす 井上雪
 
ふはふはと襟巻の師よ合掌す 松村蒼石 雁
 
合掌の像(すがた)をうつす秋灯かな 松村蒼石 寒鶯抄
 
合掌の手のかたちして遠*えり簀 関戸靖子
 
今も住む合掌建てや萩の風 朝倉和江
 
合掌のごと凍蝶は翅立てて 朝倉和江
 
冬衣合掌のとき繭臭し 渋谷道
 
生きてゐることに合掌柏餅 村越化石
 
汗と涙こも~こぼし合掌す 石橋秀野

蘇鉄の合掌葉と詠えるかも。

 

幹回り2,31メートル。市内の保護樹といては細い方。

ちなみに

岡山奈義町菩提寺の天然記念物のイチョウの幹回りは12メートル。

3年前に訪問したら、樹の周りはイチョウの葉の海原であった。

暮れて着く銀杏落葉の大海に

本堂に向かって右手に保護樹のクスノキ

傍らの樹下に集められたギンナン↓

 

 

オオイチョウ

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尼崎市のHPから

 

自然の少ない本市において、現存する貴重な古木や大木を基準に基づいて保護樹木、保護樹林として指定しています。 
平成26年3月末現在で、65本の保護樹木(主にクスノキ、イチョウ、ケヤキ)、41箇所、77,423平方メートルの保護樹林(主にムクノキ、モチノキ)が指定されています。

 

指定基準

保護樹木  1.5メートルの高さで幹周囲1メートル以上、樹高10メートル以上 など
保護樹林  保護樹木等の集団で面積が300平方メートル以上

 

指定基準は、各市ともおおむね同じであろう。

ただし美作市や西粟倉村では保護樹林の面積基準はもっと広いかも。

(美作市のHPにはそれに関する事項がなかった)

 

尼崎市の保護樹、保護樹林についてはPDFで一覧表も添付されている。

それを見ると、樹木、樹林のほとんどは寺社境内にあり、

そのまた大部分は私が訪問済みのものであった。

 

正玄寺(旧の塚口御坊)境内のイチョウとクスノキもその中に含まれる

寺塀の外から見た保護樹木イチョウ

鐘楼の脇のブロック塀は追加されたもので、寺の境内の一部を駐車場経営に利用している。

よってその部分は固定資産税課税対象地である。

寺塀

長命寺塀ぞひの花吹雪かな(谷原椿祭の折) 岸田稚魚 『雪涅槃』
 
寺塀に沿うてどんたく流しかな 永末喜代治

「合掌」は意外に多い例句

暁紅に露の藁屋根合掌す 能村登四郎 合掌部落
 
合掌の家霊冴えをり家郷捨つ 石原八束
 
どぶろくに合掌一棟ごと匂ふ 岡井省二
 
合掌して花野の僧となりゆけり 永作火童
 
合掌の屋根裏見ゆる大夏炉 原田青児
 
二十六聖人大夕焼に合掌す 能村登四郎
 
燕や合掌を解く地蔵岩 田川飛旅子
 
和布刈海女海に合掌して去りぬ 樋笠 文
 
合掌の一集落の萱を干す 杉浦 東雲
 
遍路杖小脇にあづけ合掌す 山本 天留女
 
合掌をしてお福茶をいただきぬ 宮本 静代
 
耳の寺院に/吊るされて/頭上の/合掌 高柳重信
重信は多行形式で句を書いた。
 
 
 
夏やせてわが合掌のそらぞらし 鷲谷七菜子
 
合掌しては歩く涼しさ高野杉 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
月光菩薩秋芽のごとき合掌を 野澤節子 『花季』
 
庖丁の怯む筍合掌す 殿村菟絲子 『樹下』
 
春寒き合掌の指隙きに隙く(句集「牡丹」に記さゞりし旧作) 殿村菟絲子 『旅雁』
 
雪暮れぬ合掌をこそ心の灯 石原八束 『白夜の旅人』
 
汗と涙こも~こぼし合掌す(松江なる宍道夫人に) 『定本石橋秀野句文集』
 
合掌の梁黒々と根深汁 初川トミ子
 
子を遠く大夕焼に合掌す 中村汀女
 
驟雨下の合掌部落三時打つ 加藤楸邨
 
合掌を解けば我あり竹落葉 木内彰志
 
座禅草合掌しつつ開きけり 田村恵子
 
いづくともなき合掌や初御空 中村汀女
 
あかぎれの子のみ仏に合掌す 佐藤和子
 
未婚一生洗ひし足袋が合掌す 寺田京子
 
野仏の合掌に雪舞ふばかり 前川 実
 
合掌すガンジス河の大夕焼 永井敬子
 
合掌の家の涼しき畳かな 土永竜仙子
 
残雪や合掌民家に蚕臭消ゆ 岡部六弥太
 
合掌の棟の残雪弾け落つ 伊藤紫都子
 
合掌建つなぐ乏しき冬菜畑 加藤岳雄
 
雲水の雪卸すにも合掌す 矢野聖峰
 
島びとの暁の合掌紫苑立つ 加藤春彦
 
岩魚焼く合掌梁へ煤あげて 小林千草
 
栃の芽の合掌久し日雀鳴く 望月たかし
 
凍蝶の傷みなき翅合掌す 佐野まもる
 
大文字畦の合掌に映えゐたり 米沢吾亦紅
 
麦飯に頂きますと合掌する 橋本寅男
 
金輪際此合掌を滝打てり 川端茅舎
 
喜捨人も寒念仏も合掌す 田中王城
 
寒垢離の合掌を解き宙掴み 成田風太郎
 
雪の夜の天地合掌はてしなし 照敏
 
冬ごもる合掌造むき~に 素逝
 
金輪際此合掌を滝打てり 茅舎
 
初蝶に合掌のみてほぐるるばかり 橋本多佳子
 
金輪際此合掌を滝打てり 川端茅舎
 
島の稲架合掌に組み風に耐へ 高浜年尾
 
金輪際此合掌を滝打てり 川端茅舎
 
冬の蝶羽の合掌解きて死す 柴田奈美
 
山祗へ灯をともしたる合掌家 佐藤美恵子
 
暁光に露の藁屋根合掌す 能村登四郎
 
合掌をして放屁虫わかれけり 阿波野青畝
 
観音に西瓜供へて合掌す 細見綾子
 
島の稲架合掌に組み風に耐へ 高浜年尾
 
合掌の屋根の鋭角雲の峰 小田中雄子
 
合掌を解きて十夜の粥すする 近藤一鴻
 
合掌に僧と別るる山桜 毛塚静枝
 
合掌して更に涼しくなりにけり 毛塚静枝
 
合掌家を覗くためらひ蚊に刺さる 伊藤京子
 
合掌もせず寒き墓とゐしのみか 猿橋統流子
 
女人合掌解くごと朴の花ひらく 猿橋統流子
 
冬隣合掌村は味噌の匂ひ 杉本寛
 
合掌村高空を截る秋燕 大橋敦子
 
合掌部落百花を抽きて一辛夷 岸田稚魚
 
合掌す緑窓傘雨大居士に 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄
 
冬衣合掌のとき繭臭し 澁谷道
 
ウランを平和へ河鹿死んでも合掌する 八木三日女
 
未婚一生洗ひし足袋が合掌す 寺田京子
 
春立つや合掌の指ひた反らす 井上雪
 
ふはふはと襟巻の師よ合掌す 松村蒼石 雁
 
合掌の像(すがた)をうつす秋灯かな 松村蒼石 寒鶯抄
 
合掌の手のかたちして遠*えり簀 関戸靖子
 
今も住む合掌建てや萩の風 朝倉和江
 
合掌のごと凍蝶は翅立てて 朝倉和江
 
冬衣合掌のとき繭臭し 渋谷道
 
生きてゐることに合掌柏餅 村越化石
 
汗と涙こも~こぼし合掌す 石橋秀野

蘇鉄の合掌葉と詠えるかも。

 

幹回り2,31メートル。市内の保護樹といては細い方。

ちなみに

岡山奈義町菩提寺の天然記念物のイチョウの幹回りは12メートル。

3年前に訪問したら、樹の周りはイチョウの葉の海原であった。

暮れて着く銀杏黄葉の大海に

本堂に向かって右手に保護樹のクスノキ

傍らの樹下に集められたギンナン↓

 

 

皇帝ダリア

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皇帝ダリアが一気に咲きだした。

 

女子高校の近くの貸農園みたいな場所

キダチダリア(木立ダリア、学名 Dahlia imperialis)は、高さ8-10メートルになるダリア属の種で、メキシコ中米コロンビアの原産。日本では学名を訳した「皇帝ダリア」等の別名でも呼ばれる。

 

皇帝ダリアも近年(この10年)俄かに栽培が始まったような気がする。

(19世紀後半には南米からチェコ人が持ち帰っているようだが)

よって一般の歳時記には未登載であろう。

 

手作りの皇帝 俄か作りの菊 仁平勝 花盗人
 
皇帝のマントくれなゐ冬さうび 坂井建
 
金魚には皇帝の名を付けてやる 櫂未知子 貴族
 
青天や皇帝いつも蝶臭し 攝津幸彦
 
散る牡丹羅馬皇帝(カエサル)はかく人を殺む 有馬朗人 天為
 
 

野性的で豪放な感じがするが、花は図体のわりに小さく、気品がある。

 

女子(中)高門前

 

↓のような掲示が出ていたので、見えている学舎を解体するのかと思ったが、

どうやら校舎裏の道を挟んだ広い運動場に6階建てのものを新築するよう。

もうだいぶできあがっている

 

 

運動場を囲うメタセコイアはまだ黄葉していなかった。

 

 

 

スペアミント

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この季節に活き活きとしているもの

スペアミント

スペアミント、ミントでは例句なし。

ハーブでは、

爽やかや朝の食卓ハーブの香 平野和子
 
バラ園は派手ハーブ園地味なりし 古谷多賀子
 
ハーブ湯に旅の匂ひの十三夜 影島智子

ハーブは無季語扱いであるが、日本もハーブマニアが増えているので、

総称のハーブでは具体性欠如と言われる時代になっている。

フレンチラベンダー園なら地味とも言えない。

花も咲いている

ツルニチニチソウ

空き家の庭の外へはみ出している

根つめて歳月逝かず日日草 大牧 広
 
日日草窓一枚の蜑の家 池上樵人
 
日日草旅のネクタイ二本持ち 池田秀水
 
健康といふ宝物日日草 高橋妙子
 
日日草なほざりにせし病日記 角川源義
 
紅さしてはぢらふ花の日日草 渡辺桂子
 
根つめて歳月逝かす日日草 大牧 広
 
花の名の日日草の凋みけり 後藤夜半
 
根つめて歳月逝かず日日草 大牧 広
 
日輪を隠す日光日日草 池田澄子
 
出勤の靴結ふ日ざし日日草 鶴間まさし
 
些事多し日日草の咲けるさへ 増島野花
 
嫁せば嫁して仕ふ母あり日日草 白川京子
 
日日草バタ屋はバタ屋どち睦び 小池一覚
 
紅さしてはぢらふ花の日日草 渡辺桂子
 
母子年金受く日日草の中を来て 紀芳子

さすがに花は咲いていない。

ニチニチソウは花が一日花であるからそう呼ばれる。

マダガスカル原産。園芸店では、最近は、ビンカという名で売られている。

よってツルニチニチソウも蔓ビンカと呼ばれる。

強健な植物で、放置された空き地では他の植物のテリトリーを奪って広がる。

これまた強健な花。

.色は各種ある。

白や紫はむしろ珍しい。画像の種は、コバノランタナと呼ばれる。

ランタナは歳時記未登載か?例句なし。

シチヘンゲとも呼ばれるが、七変化は、俳句の世界では紫陽花の別名である。

 

七曜の雨なきは憂し七変化 西川良子
 
野路の名の七変化とや若菜摘む 山田弘子
 
飽くほどの平和おそろし 七変化 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 花仙人

山田弘子の句、七曲りといった地名は耳にするが、七変化などという野路は知らない。

福知山辺りにはそんな野路があるかも。

 

 

・・

一誌を創刊することになった。

「創刊の辞」を書けと言われ、引き受けたがなかなか起筆できない。

締め切りが迫ってきた。

 

 

 

アオギリ

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駅前のビルの表示

 

秋入日終活塾へ通おうか

 

その内に、そんな塾も開店するとおもう。

 

近所のminiコーポ

また間違っている。

イタリア語ならチェルカだと思って、家に戻って検索。

スペイン語のよう。「近くの家」

 

スペインの山奥のばあちゃんと、イタリアの僻地のじいさんが

ある日出会ったら会話が可能と聞いたことがある。

 

遠目に紅葉葉。何の木かと思って接近。

何度か写している、超長年月空き家の庭

庭はアオギリだらけであった。青桐の林になっている。

10本以上育っている。

街中の実り

柑橘類は特定化がむつかしい。大粒の温州ミカンに見えるが

柚子

花梨

我が家にもレモンを植えているが今年も実らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

落葉

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30本ほどの桜がメインの公園。桜紅葉、桜落葉の見ごろだが、

いつ覗いても同好の士はいない。

 

山紅葉は数本のみ

今年は殊の外色づきがいい。

句会参加

エースよりジョーカー不機嫌秋の変  (席題「不」)

照り紅葉就活塾の広告板

 

再掲

秋は別れのジャーマンローストの香   最高点句

平成の翔ちゃん夜逃げ近松忌

 正ちゃんはほぼ絶滅

 昭ちゃんは絶滅寸前

 平成の世では、平ちゃん 成ちゃんは余りいなくて翔ちゃんの人気絶大。

家督などあるのかどうか赤のまま

 

私が特選にいただいた句2句

少年の翼を癒す黄落期

誇らしく語る墓守落葉掃く

信長の墓を見ての句だとか。


ヤマモミジ

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↑数日前のテレビ画像  豊岡の安国寺だと思う、ドウダンツツジの紅葉。

↓緑化植物園

 

緑化植物園のヤマモミジ

ブログに20枚近く画像を転写したのに、クリック間違いで皆消えた。

復元機能も利用できず、UP画像は残っているので手作業復元

↑これはけやき

↑ヌマスギ

 

事務棟前

天鵞や吾が唇を欲る楽器 阿部娘子
 
氷柱もて楽器ケースを敲きつつ 波多野爽波 『一筆』以後
 
楽器函ほど早春の水車小屋 鷹羽狩行
 
青嵐森は楽器として鳴れり 仁平よしあき
 
大寒や楽器のごときあばら骨 仙田洋子 雲は王冠
 
枯野ゆく鳴りを鎮めし楽器箱 静塔
 
男肥えて何春愁ぞ楽器弾く 清一郎
 
大寒や楽器のごときあばら骨 仙田洋子
 
月白の楽器の坂と思ふべし 山西雅子
 
凍港や楽器売場のごと光り 櫂未知子 貴族
 
利休忌のけさ網棚の楽器箱 中田剛 珠樹以後
 
降る雪に楽器沈黙楽器店 大橋敦子
 
蜥蜴出づべろんべろんと絃楽器 三橋鷹女
 
落葉となる髪アポロンのまぶしい楽器 八木三日女
 
わが楽器一鼓一琴鳥雲に 後藤綾子
 
地下鉄は楽器みどりの席長く 和田悟朗
 
避寒して楽器は誰が触るるとも 山本洋子
 
楽器になる板は幸福花は過ぎつ 田川飛旅子
 
かたまつて楽器映れり冬鏡 木下夕爾
 
曳かれくる鯨笑つて楽器となる 三橋敏雄 まぼろしの鱶
 
長き夜の楽器かたまりゐて鳴らず 伊丹三樹彦 仏恋

最後の、三樹彦の句は、若き時代の代表作の1つ。

この公園にもいつも一人が練習中。同じ人物かどうか知らないが、多分同一人物。

曲芸の練習。この人もいつもいる。

休日故パパ連れも多い。

 

 

 

ユリノキ黄葉

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ユリノキもみじ

 

ユリノキ並木

かなりの高木である

阪神間ではユリノキは珍しくなくなってきた。

 

美作のイチョウ、今年は見る機会がなかった。

 

画像はすべて昨日のもの。

今日は終日原稿に手を入れていた。夕刻に送信。

 

パセリで検索。思った以上に多かった。

もっとも有名なのは高橋行夫(鷹羽狩行 名付け親は山口誓子)の句。

 

音楽堂に消えた青年パセリに近い 加川憲一
 
巻貝など漂流の空パセリ摘む 小長井和子
 
岩礁にパセリ一片若者去る 桂 信子
 
健やかなパセリのための白き皿 鳥居おさむ
 
パセリ噛む蓬髪の眼は充血し 佐藤鬼房
 
今朝摘みしパセリの透ける硝子鉢 青木起美子
 
哀しみをきざむパセリを青く刻む 小坂順子
 
三年の任期の官舎パセリ蒔く 井水貞子
 
私は3ヵ月契約の下宿で二十日大根を蒔いた。
下宿主のばあさんが近くの牧場から牛糞を大量に取り寄せてくれた。
 
教材の牛乳パセリ夏料理 大西ヒロコ
 
たべのこすパセリのあをき祭かな 木下夕爾
 
雲の峰壜にパセリを挿したるよ 岸本尚毅 舜
 
パセリ噛みつつ絶叫をかみ殺す 鎌倉佐弓
 
妻も詩の友パセリぽつりと旅の皿に 伊丹三樹彦
 
パセリかんでこの女とも別るるか 龍岡晋
 
摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行(1930-)
 
たべのこすパセリのあをき祭りかな 木下夕爾(1914-65)
 
一片のパセリ掃かるる暖炉かな 芝不器男(1903-30)
 
パセリ水揚げて歳暮の波となる 蓬田紀枝子
 
音立てて運命夜のパセリ畑 栗林千津
 
パセリ畑夜はいきものの声発す 栗林千津
 
雨の朝のたましいにパセリを添えよ 池田澄子
 
降誕祭あまたのパセリ捨てられる 池田澄子
 
たべのこすパセリのあをき祭かな 木下夕爾
 
 
 

インパチエンスはまだ元気に咲いているが、急激に気温が下がったので

もうダメかも

↑下の川は上坂部川。 酒部氏の地である。

緑化植物園西門

 

 

同姓同名同市住

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家の固定電話とワイフの携帯は、今日も鳴りづめ。

 

朝一の電話で、ワイフと同姓同名かつ名前の後の居住地(居住市)も同じ人のエッセイか投書が毎日新聞に載っているとのこと。電話をくれる人は、最近では、毎日新聞掲載のものは

俳句もワイフとは別人のものであることを知っている。

 

ネット検索で毎日新聞の記事は半分読める。(残りは有料会員か毎日新聞購読者限定)

 

「中学時代の恩師からはがきが届き、「あなたの俳句が新聞に掲載されているのを見て感動しました」とあった。評も添えられている。「まただ」

 10年ほど前には、神戸の同級生から「俳句、上手だね」と。滋賀に住む友の去年の年賀状にも「俳句、お見事です」とあった。その度に同じ市に住む同姓同名の方の句で、私ではないことを説明しなくてはならない。



ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20161124/ddn/013/070/028000c#csidx1c09df7af268d3eb1e6f5c5d8895485 
Copyright 毎日新聞」

 

岡山(倉敷在住)の方からは、文の最後には、その人に一度お目にかかりたいとも書かれている、と。切り取って郵送するとのやさしい伝言。その人毎日新聞の購読者ではなく、コンビニでの立ち読みで、名前を見つけたので急きょ買ったとか。

 

一連に4つ

一連1000円!

紅葉山荼毘にふされしは何奴か

 

まさか。

↑を撮った瞬間に「充電せよ」でバイバイ。

ならばとスマホ取り出すもこれも一枚でバッテリー切れ

 

箕面の紅葉はおおむねおしまい。11月25日だから不思議ではないが、

去年の見ごろは12月にはいてからだった。

 

テレビでも新聞でも好んで取り上げる場面も豪華とは言えない

 

しかし平日とはいえ、人は多い。外国人とりわけ東洋人が増えたのが特徴

散紅葉時に触れ合う自撮り棒

見るよりも話していたいもみじ谷

流れゆく紅葉見定め自撮り棒

及び腰水面紅葉の浮き沈み

ネリネ

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一合炊き五勺の残飯秋の雨

 

さすがに5勺までは余らないが、夫婦2人で、一日1合が多すぎる日々である。

幸い私はチャーハンが好きなので、週1.2度は、昼にチャーハンを食べる。

(昨日は外出先で「半ちゃんラーメン」を食った。

ラーメンと半人前のチャーハンのセットをこう呼ぶ。関西特有か、全国版か分からないが。)

 

冷蔵庫に余っている野菜を微塵に切ってまぜる。そのために厚切りベーコンを常備。

それもなければ、ウィンナーをいれたり、ちくわがあれば、それを細かく適当に切ってまぜる。

 

今年、この季節に嫌に目立つ彼岸花に似た花。葉も一緒に出ているところが彼岸花とは違う

ネリネ。ヨーロッパではダイヤモンドリリーと呼ばれているとか。

南アフリカ原産。主にイギリスで品種改良されたと解説にある。

近くの、歩道脇の植え込み↑

↓同じく、近くのお家の玄関前。

庄下川沿いの家の前

少し枯れかけているが、花の形が少し違う。秋植えのものと春植えのもの2種あるようで、

多分これは春植えのもの。

皇帝ダリアよりは早く咲き始めていた。

町内でみかけるのはこのピンクのものしか知らないが、白や赤紫のものも出回っているよう。

 

 

緑化植物園の事務棟前に置かれた菊。

 

 

 

我が家のキチジョウソウ(吉祥草)

実のところ、葉を掻きわけないと、花が見えない。

ウィキペディアの解説:

キチジョウソウ(吉祥草、学名:Reineckea carnea)はスズラン亜科常緑多年草日本国内では関東から九州、また中国の林内に自生し、栽培されることもある。

地下茎が長くのびて広がり、細長い葉が根元から出る。は秋に咲く。ヤブランにやや似た穂状花序で茎は紫色、花は白い花被が基部で合生し筒状となっている。果実は赤紫色の液果。

家に植えておいて花が咲くと縁起がよいといわれるので、吉祥草の名がある。

「栽培されることもある」、となっているので、一般の園芸店にはでていないのであろう。

例句もなかったが、国語辞典には秋の季語と記すものもある。

「俳諧歳時記」でも秋の部に配置されているが、菊葉の夏解草の異名のような扱いである。

夏解草は解説を読む限り夏の草である。扱いが奇妙である。

どちらについても例句は示していない。

 

花期は11~12月となっているので、花の姿はもう少し変化するかも。

 

デモの声届かぬ隅の花八手

八手の花のシーズン

花八手未だ人住まぬ貸家札 浅見まき子
 
外灯の一つ消えをり花八手 高橋秀夫
 
朝市に臨時宅配花八手 砥上白峰
 
宇宙ステーシヨン組む繭色の花八手 三嶋 隆英
 
日のぬくみふところにあり花八手 藤木 竹志

「八手」なら例句もっと多いか?

 

八手咲きゆくさきざきのこの寒さ 加藤かけい


この1句のみで。後は↑の「花八手」の句。

 

イヌタデ

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街川のほとりで見つけた

 

シソ科であろうか?

名前を知っている草かどうか?

カワミドリに似てるが、花は白い

アップルミントにも見える。

トウバナの花はもう少し色がついている(と思う)。

ハナトラノオの葉は細葉だし・・

川の北端から海までず~と市街地を流れているので、両岸の家の庭からいろいろの

種が飛んでくる。球根も増水時に流れ込んでくる。

大根の葉にしてはでかすぎる。スイバでもない。アカンサスであろうか。

アカンサスの葉はもう少し切込みが多いように思う。但し成葉と幼葉の形態は多くの植物で違う。アカンサス・モリスはどうだろ?

イヌタデにもいろいろ変種があるよう。

これなど白のまま。白イヌタデというのがあるのかどうか。

ウィキペディア:

イヌタデ(犬蓼、学名Persicaria longiseta)は、タデ科イヌタデ属一年草道端に普通に見られる雑草である。

和名ヤナギタデに対し、辛味がなくて役に立たないという意味で「イヌタデ」と名付けられた[2]。赤い小さな果実赤飯に見立て、別名アカノマンマともよばれる[3]

 

ただし

つづけて

 

からまでの4月 - 11月にかけて、茎の先端から長さ1 - 5cmの花穂を出し、紅紫色をした小さな花を密につけ、まれに白い花が見られることもある[2][3]

 

庄下川沿いでは白花イヌタデはまれではない。

 

 

ハゼラン

 

典型的なアメリカセンダングサ。庄下川沿いではこの種のセンダングサしかみられない。

イヌタデとミゾソバの密集地。ごく普通にみられる。

 

 

そんな中で、イヌホウヅキも四季咲き

カルガモが岸辺に登ってきて、ミゾソバかなにかを食べている

↑はタカサブロウ。

 

スイセンが咲き始めている

.↑ジュズダマ

菊人形旅銀の出所不明なり

↓ムラサキケマンだと思う。

山粧う

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「山粧う」に合った画像がない

 

一つのネット句会に参加している。

11月句会の結果が報告されたところである。

今回は「山粧ふ」が主テーマ(兼題にちかい位置づけ)で、紅葉関連3句が条件だった。

「山粧ふ」がテーマであったが、私は現代片名使い派だから「山粧う」で、句を提出。

 

山粧う寡婦を麓に迎え入れ

 この句は、私自身の判定基準でいえば、(100点満点で)65点句。

 

「未亡人」という単語には「早く亡くなれ」といった語感があるので、私は使わないが

「寡婦」にも、夫唱婦随(が美風であり女性の義務でもある)で、夫が亡くなれば自活能力がなく困惑している女性のような語感がある。

「麓」も、この句には季語に山が明示されているので、重複感がある。

自己採点で60点以下なら出句しないが、敢えて(やむなく締め切りに迫られて)出句したのは

類句はないだろうという自信があったから。

 

選句集計の後、出句者のお一人がご自分のブログで、

出句紹介と自解と自戒を公表なさっていた。

 そこで「山粧う(ふ)」について研究。数時間。

 

その方の出句は以下の3句

 

山装ふ城崩れしも威の存り来 

蔦紅葉白壁に揺る影も朱

紅葉山配しダム湖の静かさよ

 

山装ふ城崩れしも威の存り来 

を取り上げる。

 

一読、熊本城を思い浮かべる。同じく一読「存り来」の「来」の意味が分からなかった。

「存り」と書いて「あり」と読ませるのは、まあ~アリといえる範囲だろう。「在」よりは「存続」

の意味合いが出るかも。

私は一度しか熊本城を覗いていないが、作者は何度も訪問・見学なさっているようで、

今回も地震でキャンセルしなければならなかったが訪問を予定なさっていたよう。瓦などが吹っ飛んでしまい、櫓の石垣なども崩壊寸前なれども、全体としての城の威厳は保たれている。そして城の背後の山は今年も色鮮やかに「秋の山」となった。

 

「山粧ふ(う)」の例句は、多くはない。

 

楢くぬぎ枝染め分けて山粧ふ 荒 久子
 

滝になる水湛へたり山粧ふ 菅 裸馬
 

芭蕉像置去りにして山粧ふ 斎藤 都

 

水靄の奥に色あり山粧ふ 手島靖一

 

山粧う八瀬童子が謀りごと 仁平勝 東京物語

「清月歳時記」(野田よたか編)の記述がコピーしやすいので、引用。

中国の林泉高致の画論に次のような言葉があり春夏秋冬の各俳句季語が生まれている。


  春山淡冶にして笑うが如く→山笑う(春)


  夏山蒼翠として滴たるが如し→山滴る(夏)


  秋山明浄にして粧うが如く山粧う()


  冬山惨淡として睡(ねむ)るが如し→山眠る(冬)

野田さんは、「山笑う」、「山粧う」と現代仮名遣いで表記。

山粧(よそお)う の解説(三省堂大辞林) 

俳句で,紅葉美しく彩られた山の形容。 [季] 秋。 《 搾乳朝な夕なを- /波多野爽波 》

 

 

水牛歳時記(水牛という名の人の編じたネット歳時記)での解説:

 

秋の山の景物は一に紅葉である。夏の間盛大に茂った落葉樹

は秋の訪れと共に頂上の方から次第に色づいて来る。黄色、紅

色が杉や松の緑の中に縞模様や斑点模様を描いて際立つ。この

頃のあたかも山が化粧したような景色を「山粧ふ」(やまよそ

う)あるいは「山粧ほふ」(やまよそおう)と言う。

・・・・(この・・・の部分は後に引用)

 

挙げている例句は、

 

谷底の朴より山の粧ふらし   皆吉爽雨

滝になる水湛へたり山粧ふ   菅裸馬

搾乳の朝な夕なを山粧ふ   波多野爽波

粧へる山に働き石を切る   加藤三七子

三山のことに羽黒の粧へり   角川照子

粧へる山ふところの深さかな   成田昭男

芭蕉像置き去りにして山粧ふ   斉藤郁

 

ここで、「山粧う」と「山粧ふ」で別個に検索した「俳句検索」(清水哲男編)を

再度検索 (「山」 & 「粧」で) 。粧へる山といった句を検索対象とするために。

検索対象を「俳句検索」2000年から「続 俳句検索」2007年に変更

 

ひ香搗き水車音高む 高橋六一
 
搾乳の朝な夕なをふ 波多野爽波
 
寂寞と滝かけてへり 永作火童
 
ふ箱根八里を遠巻きに 吉田克己
 
むかし女人禁制のへり 伊藤トキノ
 
ひしにしづもる百の罠 吉田英子
 
ひしのどこかに忍釘 直江裕子
 
へるへもの焚くうすけむり 中村代詩子
 
ふパン工房四方ガラス張 高橋美智子
 
ふいつよりの火の記憶かな 石田阿畏子
 
ふ銀河鉄道始発駅 土居夏枝
 
大佛の夢のお告げに 高澤良一 鳩信
 
う地道な術(すべ)といふべかり 高澤良一 寒暑
 
はず俵藤田の唐沢 高澤良一 ぱらりとせ
 
奈良ひそめし直哉の忌 足立行子
 
女体よりひの始まれり 本桂仙
 
百羅漢抱きて室根のふ 畑中次郎
 
田が海へぐいと迫り出しふ 猪又秀子
 
ぐいと曲る赤べこの角う 吉田トヨ
 
へるに傷みし磨崖仏 原口英二
 
狩くらと聞えしへり 武藤和子
 
ふ一灯で足る露天の湯 菅崎磨もる
 
水晶をもはや産まざるふ 藤田湘子
 
最澄のふことをせり 鷲谷七菜子
 
湖覚めぬに囲まれて 畠譲二
 
お出ましの少なき貫主ふ 竹中碧水史
 
大由布に従ふへる 五十嵐播水
 
水晶をもはや産まざるふ 藤田湘子 てんてん
 
国果つるここの岬ふに 田元北史
 
ひて古里の高からず 土不鳴

例句採録の多さを誇る角川『俳句大歳時記』(2006)の「山粧ふ」より圧倒的に多い句が登場。

水原秋櫻子・加藤秋邨・山本健吉監修『カラー図説日本大歳時記』 (講談社 1981 参照したのは1991年発行の第12刷) 「山粧う」は「秋の山」の次に別季語として登場。

「やまよそう」 「やまよそふ」と新旧仮名遣いで左右にルビが振られ、

関連季語の中に「やまよそおう」とルビ打ちされた「山粧う」が登場。

(講談社版は現代表記法を優先)

 

解説は飯田龍太が書いている。

龍太は、「山粧う」という季語に対しやや低い評価を与えている。

「山笑う」は「卓抜」で、「山粧う」は「妙味に欠ける」そうである。

 
カラー大歳時記の「秋の山」の画像

角川版大歳時記では、「山粧ふ」と旧かなで表記して、右横に、「やまよそおう」、左側に

「やまよそほ」と旧かなでルビを振っている。その上で、関連季語の中で、「山粧う」と現代表記のうえ、「やまよそ」とルビ打ちしている。

 

角川版の「山粧ふ」の解説は長谷川櫂が書いている。言葉は違うが、山眠る、山笑うに比較して「闊達さに欠ける」と否定的評価だが、龍太の2番煎じといった感もある。

(どちらにしても、私は龍太、櫂の山粧うの低評価に与しない。)

 

私は、春の山の風情を「山笑う」と表現して「砕けた雰囲気」があるとは思えないし、

「山粧う」をかしこまりすぎたとも思わない。「笑う」「眠る」より「粧う」の方が、リアリズム、リリシズムの点でよほど素直で、率直な感がする。

 

『俳諧歳時記』1933 (1947年発行のものを利用)では「山粧ふ(やまよそほふ)」 は「秋の山」の傍題扱い。古書校訂欄で、北宋の人の詩は、「年浪草」からとして引用されている。しかし

例句は挙げられていない。

 

山粧うを軽視するなら、こういった扱いも考えられるところであろう。

 

「年浪草」とは?

 

華実年浪草

歳時記。曲亭馬琴著。1803年(享和3)刊。内容は,〈発端三論〉で,俳諧の字義,連歌権輿(はじめ)の論,俗談平語の弁を記し,季語を四季別に,各月と三春(夏,秋,冬)を兼ねる詞に分けて解説し,後に,俳諧の式や恋の詞,付合の論,点取の論などを付している。収録の季題は2600余にのぼり,従来の歳時記の京都中心の記述と異なり,江戸中心の解説が施されている点に特色がある。1851年(嘉永4),藍亭青藍により本書が増補されて,《増補俳諧歳時記栞(しおり)草》が刊行された。

 

 馬琴とは?

滝沢馬琴

江戸後期の戯作者。江戸深川生。幼名は倉蔵、本名は興邦のち解、字は吉甫、別号に曲亭馬琴・著作堂主人・蓑笠漁隠等。亀田鵬斎に入門し、黄表紙を出す。『椿説弓張月『南総里見八犬伝』等読本に力を入れ第一人者の地位を占める。嘉永元年(1848)歿、82才

 

 

ついでに1933年の俳諧歳時記の位置づけにも関連して

 

wikipedia の解説

歳時記(さいじき)は、「歳事記」とも書き、もともと四季の事物や年中行事などをまとめた書物のことであったが、江戸時代以降の日本では主として俳諧俳句季語を集めて分類し、季語ごとに解説と例句を加えた書物のことを指す。現存する最古の歳時記は6世紀中国荊楚地方の年中行事を月ごとにまとめた『荊楚歳時記』であり、これが奈良時代に日本に伝来し「歳時記」という呼称が知られるようになった。日本独自の歳時記としては貝原益軒による『日本歳時記』(1688年)が始まりとされる。

一方、季語を収集した「季寄せ」や四季別の類題集句集は連歌のころから存在していたが、両者の要素を組み合わせたものとしては北村季吟の『山の井』(1647年)が最初であった。この種の書物で「歳時記」の名を最初に使ったのは曲亭馬琴の『俳諧歳時記』(1803年)で、明治になっても増補版が翻刻されていた。

1872年12月より日本に太陽暦が導入され、歳時記の内容に大きな混乱をもたらした。1874年の『俳諧貝合』(香夢)が陽暦による最初の歳時記であり、同年序の『ねぶりのひま』(四睡庵壺公編)では四季とは別に新年の部を立て、立春を2月において陰暦から1か月遅れで調整しており、現在の歳時記の多くがこの方法を引き継いでいる。その後改造社の『俳諧歳時記』(1933年、全5巻)が出て近代の歳時記の体裁が整えられた。

 

ここまで書いて(コピー・ペーストを重ね、制限字数が心配。一度upしてまだ書けることを確認。

 

「山装ふ」の句に戻ろう。

 

ワープロ打ちするかぎり「やまよそおう」と打てば「山装う」の字がでてくる。「う」を「ふ」に直すと「山装ふ」になる。

ところで題は、「山粧ふ」で、これは多分明治以降ひょっとすると宝井馬琴以後、漢詩の一節から新たに作られた「季語」ということもあり「山粧ふ」と表記されている。

それを「山装ふ(う)」と表記するにはそれなりの「覚悟」「構え」が必要。

 

そういったことが大好きな私の句、

 

 花粉症が一面記事に山恥じる
 

この場合は花粉症という新季語が配置されているが、

笑う山は恥じる山であるという貞門的俳諧味を・・・ まあ自賛はやめにして・・・

 

どの歳時記も公認していないが、いまでは山装うも受け入れるべきというのが私の立場。

 

さて威をもって崩れた城が尚装う山に立ち向かっているという姿勢をもう少し前面に出してはいかがというのが私の評。

 

威という以上は、雄大な自然に対して城と言えど脆いものというのが句意ではないと

思う。

 

字数制限が怖いので後の句はまた別の機会に。

 

 

ツワブキ

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↑チロリアン・ランプ

川の土溜りや路傍には、残り花か早咲きか分からぬものが目立たぬ花を付けている

 

↑この草の名を知らない

↓ブッドレア

ツルニチニチソウ↓ これは残り花。帰り花ではない。

これはこれからの花。早咲きとも言えない。↓

野草とは言えない。ツワブキ

ツワブキ(の花)は俳人好みの冬の花である。

石蕗の黄に心せかるる何やかや 阿部みどり女 『石蕗
 
咲き揃ひ金の盃石蕗の花 阿部みどり女 『石蕗
 
一句得るまでは動かじ石蕗の花 阿部みどり女 『石蕗
 
北枕あらば日當る石蕗枕 中原道夫
 
ありたけのひかりあつめて石蕗黄なり 細木芒角星
 
夕闇に石蕗の明りのまだ昏れず 星野 椿
 
石蕗の黄に十一月はしづかな月 後藤比奈夫
 
石蕗の花島の電話のよく聞え 細川加賀
 
石蕗や果なる沖の薄明かり 板谷芳浄
 
石庭の石の間なる石蕗の花 酒井 京
 
ところ得し石の静けさ石蕗の花 中川いさを
 
石蕗咲くや火音ひそめる登り窯 佐藤一九八
 
母の目の裡にわが居り石蕗の花 石田波郷
 
地軸より咲きし色なり石蕗の花 原 石鼎
 
青邨忌近づく石蕗の花あかり 古舘みつ子
 
蝶一つ石蕗の化身となりて舞ふ 伊予田 六洋
 
日の暈の中に咲きゐし石蕗の花 増田 雅久
 
肺は小さくなりぬと石蕗の花へいう 中北綾子
 
石蕗の花あしたはきっと透き通る 大竹広樹
 
山国や誕生石の石蕗咲けり 安西 篤
 
人住むを大地といへり石蕗の花 神尾久美子
 
時化てくる暗がり石蕗の花に熱 鳥居おさむ
 
門前の石蕗に声掛く十二月 原裕 『青垣』
 
鶏の上の夕風石蕗の花 長谷川双魚 『ひとつとや』
 
喪の服も華やかなりし石蕗の黄に 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
石蕗の花胎蔵界の蝶飛び来 野澤節子 『駿河蘭』
 
死は永久や老は暫く石蕗の花(伊能忠敬庭にて) 殿村菟絲子 『菟絲』
 
*ろうかんをくだく白波石蕗の崖 石原八束 『藍微塵』
 
石蕗のなだれ打つ如入日かな 『定本石橋秀野句文集』
 
江の奥にふかき江澄めり石蕗の花 水原秋桜子
 
石蕗の花突き出してをる日向かな 清崎敏郎
 
石蕗咲いて密航の島人住まず 高橋悦男
 
山門の茅葺厚し石蕗の花 森本五郎
 
釣り人の片手あそばせ石蕗日和 金子佳子
 
日が射して蜂を待つかの石蕗の花 阿部みどり女
 
石蕗の花照り昃りして刻移る 五十嵐播水
 
落つ雨にすぐ掃きやめぬ石蕗の花 中村汀女
 
石蕗の花ここに帰りて靴鳴らす 加藤楸邨
 
忙中の閑に日当る石蕗の花 鈴木鷹夫
 
地軸より咲きし色なり石蕗の花 原 石鼎
 
茎高くほうけし石蕗にたもとほり 杉田久女
 
静かなる月日の庭や石蕗の花 高浜虚子

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ネズミモチ

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ネズミモチ(鼠黐、Ligustrum japonicum)はモクセイ科イボタノキ属樹木和名は、果実ネズミの糞に、モチノキに似ていることから付いた。暖地に自生するとともに、公園などに植えられている。「タマツバキ」の別称も用いられる。

 

ネズミもモチも読めるが漢字で書けと言われるとお手上げ。

「リンカーンはアメリカンコーヒ3杯飲む」

を覚えてという字は書けるようになった。

 

林(リン)の間に「缶」という字

その下にワ冠  これで「リンカーンは」

アメリカ=※ カタカナのコを90度回転、その下にヒ 右側斜め棒を3本。

 

 

葉が黐に似て、実が鼠の糞みたい

 

目につくと、実の多いのに驚くが、気が付かない人も多い。私もかつては。

ただし、幼木は野の草なみによく見るトウネズミモチの成木かもわからない。

葉を透かしてみて、葉脈が見えればトウネズミモチらしい。

 

 

「玉椿」で検索

ふるさとは墓のみとなる玉椿 武田忠男
 
玉椿海の日の出は靄ふかし 水原秋櫻子
 
初御空念者いろなる玉椿 龍太
 
海上を驟雨きらきら玉椿 岸本尚毅 鶏頭
 
金網に羽毛はりつく玉椿 日原傳
 
志功描く釈迦十弟子図玉椿 杣田敬子
 
玉椿落て浮けり水の上 諷竹 古句を観る(柴田宵曲)
 
海上を驟雨きらきら玉椿 岸本尚毅(1961-)
 
大空にうかめる如き玉椿 高浜虚子(1874-1959)
 
あの姫この姫脳薄ければ玉椿 八木三日女
 
九人目の孫も女や玉椿・・・晴子安産女児分娩とのことを渡仏途上西ノ宮にて聞く。
 
大空にうかめる如き玉椿
 
瓶青し自玉椿挿はさむ
 
玉椿八十八の母の息 桂信子 新緑
 
玉椿親仁さけすばかゝらじを 服部嵐雪
 
口紅の初花ゆかし玉椿 上島鬼貫
 
玉椿落て浮けり水の上 諷竹
 
大空にうかめる如き玉椿 高浜虚子

どうもネズミモチの花や実を詠っているようには思えない。

「玉椿」「玉椿の花」で検索したら、やたら姫路の銘菓ばかりが出て来る。

画像では椿の品種が出て来る。

 

 

木瓜が咲きだした

続 俳句検索で、木瓜を検索。

木瓜菫かゞとの豆になやみけり 木瓜の花 正岡子規
 
妻をつれ娘をつれて木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
草むらや一寸程の木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
妻一人娘一人や木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
むく犬のくゞり出けり木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
よく見れば木瓜の莟や草の中 木瓜の花 正岡子規
 
吾妹子が門忘れめや木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
木瓜菫中を車のわだち哉 木瓜の花 正岡子規
 
野を行くや木瓜の細道幾曲り 木瓜の花 正岡子規
 
道ばたや踏まれて痩せる木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
木瓜咲くや土手の上下道二つ 木瓜の花 正岡子規
 
溝ありて背戸は垣なし木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
初旅や木瓜もうれしき物の数 木瓜の花 正岡子規
 
草むらや菫まじりに木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
江戸を出て木瓜の花垣珍らしき 木瓜の花 正岡子規
 
江戸を出て木瓜の花垣めづらしや 木瓜の花 正岡子規
 
近江路や茶店茶店の木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
愛らしきものゝにくらし木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
にくらしきものゝ愛らし木瓜の花 木瓜の花 正岡子規
 
禅林に木瓜の青実の大知識 高澤良一 暮津
 
木瓜は雨にまみれて猶赤く 高澤良一 暮津
 
木瓜挿して壷中の闇をつらぬけり 中嶋秀子
 
旭が木瓜に紅贈るごと誕生日 野澤節子
 
木瓜咲いて軍艦マーチ歌いだす 岸本マチ子
 
大津絵の筆のつづきに寒の木瓜 伊藤 敬子
 
凍る夜の木瓜に来る朱や夫癒えよ 加藤知世子
 
ひらく寒木瓜浮気な自分におどろく 鈴木しづ子
 
木瓜こぼし活けて夕べの雪催 重松沙代 『糸桜』
 
木瓜咲けり外つ国の娘の白封書 佐久間俊子 『むさし野』
 
木瓜やことば少なに父見舞ひ 持田石映 『まぼろし』
 
木瓜の咲きつぐ花もなかりけり 安住敦
 
木瓜のほとりにつもる月日かな 加藤楸邨
 
木瓜や日のあるうちは雀来て 永作火童
 
木瓜や先きの蕾に花移る 及川貞
 
木瓜に予報たがへずいつか雨 村田脩
 
木瓜白し老い母老いし父を守り 有働亨
 
母を訪ふひととき明し更紗木瓜 山田みづえ
 
土近くまでひしひしと木瓜の花 高浜虚子
 
木瓜咲いて天日近き山家あり 大峯あきら
 
紬着る人見送るや木瓜の花 許六
 
口ごたへすまじと思ふ木瓜の花 星野立子
 
木瓜の芯に旦の自戒あり 小川双々子
 
落日のふと寒木瓜の朱を点ず 加藤楸邨
 
木瓜の実を離さぬ枝のか細さよ 後藤夜半
 
病院の夕餉は早し木瓜は実に 柳沢健一郎
 
木瓜の紋なつかしき蒲團哉 蒲団 正岡子規
 
山吹に木瓜のまじりし垣根哉 山吹 正岡子規
 
地についた様にはえたりぼけの花 木瓜の花 正岡子規
 
地についた様ナリ土手のぼけの花 木瓜の花 正岡子規
 
濯ぎもの枝にひつかけ三尺寝 関木 瓜
 
旭が木瓜に紅贈るごと誕生日 野澤節子
 
木瓜咲くや柩は白木なればこそ 永島靖子
 
かなしめば風も哀しき木瓜の花 神原教江
 
鎌倉小路木瓜の平穏乱すまじ 内田恒道
 
雨の木瓜彼の世の燠となつている 高野ムツオ
 
家づとの和菓子重しよ木瓜の花 石川桂郎
 
木瓜の朱へ這ひつつ寄れば家人泣く 西東三鬼
 
木瓜咲きぬ歯と飯茶碗欠けもせで 秋元不死男
 
木瓜の朱は匂ひ石棺の朱は失せぬ 水原秋櫻子
 
夕暮れし山門木瓜の噴きこぼる 横光利一
 
木瓜紅く田舎の午後のつづくなる 橋本多佳子
 
老妻のせちに水やる更紗木瓜 山口青邨
 
花よりも水くれなゐに洫の木瓜 飯田蛇笏
 
膝くみし十八将よ木瓜すみれ 蝶夢
 
初旅や木瓜もうれしき物の数 正岡子規
 
紬着る人見送るや木瓜の花 許六
 
順礼の子や煩ひて木瓜の花 樗堂
 
木瓜の花こぼれし如く低う咲く 大谷句仏
 
木瓜咲くや漱石拙を守るべく 夏目漱石
 
土近くまでひしひしと木瓜の花 高浜虚子
 
背のひくき木瓜に身を置く雉子かな 召波
 
木瓜の陰に貌類ひ住むきぎすかな 蕪村
 
木瓜咲く窯元の裏相似たり 高澤良一 鳩信
 
木瓜の実の一つとてつもなく大き 高澤良一 素抱
 
郵便受鳴る音のして木瓜の昼 高澤良一 素抱
 
木瓜の花もってまはらぬ俳句好し 高澤良一 素抱
 
木瓜の実の一目瞭然垣根越し 高澤良一 随笑
 
木瓜の実の道楽息子よく肥えて 高澤良一 随笑
 
木瓜の実の一つひっそり指物屋 高澤良一 随笑
 
木瓜は独語のポーズ句作に似 高澤良一 燕音
 
木瓜の実に小馬鹿にされてゐるごとし 高澤良一 燕音
 
木瓜の一輪発句を吐くごとし 高澤良一 燕音
 
巴塚寒木瓜弾け一二輪 高澤良一 燕音
 
鮮しき切り口一つ寒木瓜に 高澤良一 ぱらりとせ
 
てうちてうちあはゝと緋木瓜咲きにけり 高澤良一 さざなみやつこ
 
木瓜みんな咲いてしまへり馬鹿陽気 高澤良一 ももすずめ
 
木瓜の枝のこんがらかつて年越せり 高澤良一 ももすずめ
 
飛びつ切り上等の旭が花木瓜に 高澤良一 ねずみのこまくら
 
木瓜の花愛でてそして平凡に生きる 中村青鈞
 
木瓜の花赫く溢れよ命惜し 関 ただお
 
木瓜の花まかり通りし嘘もあり 荒田勝代
 
木瓜の花咲くやなにやら物足らず 新井 薫
 
気の向かぬことは見送り更紗木瓜 藤井 紀
 
大寺に猫まるまると木瓜の花 堀口忠子
 
木瓜の花垣に仕立てて宮址に住む 松本 旭
 
木瓜あかし小雨の底の市原野 飯田蛇笏
 
木瓜の蕾に色や明通寺 森田公司
 
九品寺や大き木瓜の実転がりて 松尾一紅
 
尺鮒の魚拓かかげて木瓜の鉢 滝 春一
 
木瓜紅く田舎の午後のつづくなる 橋本多佳子

ボトルフラワーは残り花

というより四季をしらない地域からやってきたから温度さえあれば周年咲いている。

 

細葉柊南天の花は、日当りのいいところでは盛りを過ぎたものもあるが、

↑の花はまだ蕾も持っている。

まだまだ咲いてるむらさきかたばみ。

 

画像はなべて庄下川沿い。

 

桜紅葉

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庄下川、いかなる文学作品にも登場しない川。(多分)

すぐそばに永年住んでいる人もその名を知らないような川。

年上の孫はこの11月で満14歳。

よって14年前までは私もその存在を知らなかった。

 

家から徒歩2分以内のところを流れている川が富松川という名をもっていること、

その川が他の2つの川と合流して、その合流点が庄下川の起点(源流)であった。

このこともこのブログを開設した時点(6年目)では知らなかった。

 

そのことを知った前後に、3川の一つ、富松川より西から流れて来る東富松川を行政上庄下川とする措置が取られたようで、今では3川合流地を庄下川の起点とされず、

その地点で庄下川へ富松川(1級河川!!)と西富松排水路(武庫川の水を受け入れ田畑に給水し他方給水が終わった水を受け入れ、雨水等を受け入れて流れて来る)が合流すると表現することになる。

 

その庄下川の桜の季節には、この数年は毎日の如く出かけている。

 

当然ながら秋には桜紅葉がそれなりにきれいだが、

今年は盛りを逸したようである。

近くのある近隣公園、徒歩20分ほどの地にある緑化植物園、そして庄下川沿岸が

私の主な散歩先である。近松門左衛門の墓地に隣接した近松公園へ行くには片道1万歩を越えるので、歩いてゆくのは年に1,2度。それ以外はバスを利用している。

そういえば今日、散歩用靴を買い替えた。店主が古い靴の裏を見て、よく歩いておられますなあ、と。

↑このあたりの桜が一番元気。多分背後に見える女子大の生物関係の先生が

植樹当時からから特別に面倒を見てきたためだと思う。

落葉は川沿いの遊歩道にたまっている。

 

 

俳句検索2003の句は紹介した記憶があるので、2006の続俳句検索を検索

 

明るさは桜紅葉に優る君 高澤良一 石鏡
 
これはこれでと云ひつゝ桜紅葉みる 高澤良一 石鏡
 
桜紅葉蹤きゆくことの寧からず 永方裕子
 
桜紅葉妻を見返りがちに行く 中山砂光子 『納沙布』
 
桜紅葉まぬがれ難き寺の荒れ 村田脩
 
嬰児に左近の桜紅葉かな 秦泉寺洋子
 
桜紅葉鎧直垂妙義山 片倉正博
 
水の面に桜紅葉の心ばえ 高澤良一 鳩信
 
前の世も桜紅葉も昏れなづむ 秦夕美
 
桜紅葉まぬがれ難き寺の荒れ 村田脩
 
汝なき桜紅葉に還りける 加藤楸邨
 
面倒臭さうなる桜紅葉かな 川崎展宏
 
朽つるまで桜紅葉は燃ゆるべし 成瀬櫻桃子 風色
 
燃えたらぬ桜紅葉よ波郷の忌 白澤良子
 
桜紅葉肩の凝らない話がいい 相原左義長
 
桜紅葉拾ひ妹が名灸り出す 田中水桜
 
神鏡に桜紅葉の揺れどほし 上田日差子
 
桜紅葉そのまま風に燃えにけり 林誠司
 
婚整ふ桜紅葉の明り取り 森岡正作
 
影を濃く桜紅葉と川燈台 野木桃花
 
桜紅葉蹤きゆくことの寧からず 永方裕子
 
噴水の根もと煙れり桜紅葉 星野恒彦
 
面倒臭さうなる桜紅葉かな 川崎展宏
 
はせを塚取り巻く桜紅葉かな 松本澄江
 
なほ残る桜紅葉は血のいろに 原裕
 
桜紅葉なるべし峰に社見ゆ 河東碧梧桐
 
桜紅葉しばらく照りて海暮れぬ 角川源義

 

現代俳句協会のデータベース

7句

さくらもみぢ二夫にまみえずとは愚か月森遊子
仰臥して空に嵌めこむ桜紅葉谷岡武城
安土桃山遅れて桜紅葉かな松井国央
愛するは櫻紅葉のベンチかな磯田みどり
指反らす仏に桜紅葉かな花房八重子
桜紅葉してくきくきと猫の膝前田美智子
水飲めば桜紅葉の母国あり久保田慶子

このデータベースの収録句数は4万句弱

 

新しい俳句という句がある誌「すずかぜ」の代表の

句の中に、(目下校正中)

深更の四肢張る蜘蛛のもの言わぬ

という句がある。

 

全肢か八肢でないとおかしいが、

入れ替えを提案すべきかどうか思案中。

 

蜘蛛の囲になほ蜘蛛がをり廃坑区 安田杜峰 『蛍草』
 
蜘蛛の子を散らすなかれと伏魔殿 蜘蛛 正岡子規
 
蜘蛛の囲に蜘蛛さかさまに天動説 橋口 等
 
蜘蛛の囲の揺籃蜘蛛の母が押す 有馬ひろこ
 
蜘蛛の囲の清く正しく蜘蛛の留守 池田澄子 たましいの話
 
足掻くほど陥る蜘蛛の術中に 高澤良一 暮津
 
蜘蛛の囲を掛けたきところに掛け待機 高澤良一 暮津
 
月下の蜘蛛昔京都に天誅組 高澤良一 暮津
 
蜘蛛料る羽根を一枚残せしのみ 高澤良一 暮津
 
妖怪の親玉何故か女郎蜘蛛 高澤良一 暮津
 
曉斎の蜘蛛出づ月の怪しき夜(河鍋曉斎) 高澤良一 暮津
 
蜘蛛の囲を作る御祓の最中も 高澤良一 暮津
 
女郎蜘蛛網繕ひを怠らず 高澤良一 暮津
 
蜘蛛の囲の修繕念には念を入れ 高澤良一 暮津
 
「さうはどっこい」身ひねりかわす蜘蛛の糸 高澤良一 暮津
 
ぞんざいに網張る奴も女郎蜘蛛 高澤良一 暮津
 
蜘蛛の囲に蝉の片翅夏畢る 高澤良一 暮津
 
忍び寄る巨大台風蜘蛛知るや 高澤良一 暮津
 
鉛筆で叩いて蜘蛛の糸の端 高澤良一 石鏡
 
突っかけてしまふ蜘蛛の囲又ここに 高澤良一 暮津
 
蜘蛛の糸ここら辺りとたたっ切る 高澤良一 暮津
 
蜘蛛の囲の獲物にこれといふもの無く 高澤良一 石鏡
 
家の間高さ違へて女郎蜘蛛 高澤良一 石鏡
 
蜘蛛の囲にさうさう獲物なかりけり 高澤良一 石鏡
 
江ノ電の踏切女郎蜘蛛見上げ 高澤良一 石鏡
 
女郎蜘蛛屋敷と云ふに躊躇せず 高澤良一 石鏡
 
蜘蛛の囲に一つの攻防見たりけり 高澤良一 石鏡
 
身に余る袋を負ひて袋蜘蛛 檜紀代
 
御髪神社に昼低くいる春の蜘蛛 豊口陽子
 
武蔵野や真青な蜘蛛降りてくる 辻桃子
 
三人の晩餐蜘蛛に見られけり 大木あまり
 
蜘蛛の囲にはるかを保つ磨崖仏 河野多希女
 
われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず 野澤節子
 
栗甘くわれら土蜘蛛族の裔 津田清子
 
幽霊蜘蛛影のごとくに脚つかふ 大橋敦子
 
蜘蛛餓ゑて樹と磔像を往来せる 津田清子
 
歓喜天眉間を蜘蛛の下りきたる 斎藤 梅子
 
蜘蛛の囲の向う団地の正午なり 永島靖子
 
米磨いで夜の大蜘蛛の下を去る 小檜山繁子
 
蜘蛛の囲の下半分がなかりけり 高木 晴子
 
蜘蛛の貌のくまどり黄なるかな 下村 梅子
 
依然そこに蜘蛛をり夕立雲去りぬ 岡本差知子
 
蜘蛛の囲にかかりし吾れの先見えず 三浦勲 『生きる』
 
夜の蜘蛛動かねば吾も動かずに 神長裕子 『苦楽園』
 
夫逝きて蜘蛛の窺ふ夜の網戸 浜田みずき 『石蕗の花』
 
蜘蛛の囲も端居の母も夕それぞれ 茂里正治 『春日』
 
我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮 富田木歩
 
蜘蛛の子のはじめたのしき風の中 長谷川久々子
 
蜘蛛の子のみな足もちて散りにけり 富安風生
 
能の出の笛のごとくに蜘蛛の糸 宇佐美魚目
 
山雨過ぎ網を繕ふ女郎蜘蛛 大久保白村
 
蜘蛛の囲や朝日射しきて大輪に 中村汀女
 
魂抜けしごとき破れや蜘蛛の網 鷹羽狩行
 
蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな 高浜虚子
 
怒濤いま蜘蛛の視界の中にあり 保坂敏子
 
影抱へ蜘蛛とどまれり夜の畳 松本たかし
 
われ病めり今宵一匹の蜘蛛も宥さず 野澤節子
 
脚ひらきつくして蜘蛛のさがりくる 京極杞陽
 
蜘蛛の虚空を渡る木の間かな 村上鬼城
 
蜘蛛の子はみなちりぢりの身すぎかな 一茶
 
寸鉄の土蜘蛛の瞳の野焼かな 永田耕衣
 
雲の峰より一本の蜘蛛の糸 松本陽平
 
蜘蛛夕は妻とバツハ聞く 四ッ谷 龍
 
蜘蛛一匹宥さぬ若き日の師なり 松村多美
 
蜘蛛の囲の向う団地の正午なり 永島靖子
 
秋風やはがねとなりし蜘蛛の糸 大峯あきら
 
さだかには見えねど蜘蛛の囲にかかる いのうえかつこ
 
河童忌にそっと逃しぬ昼の蜘蛛 豊田美根子
 
土間を掃くほこりの中や冬の蜘蛛 大谷千恵子
 
ミステリーめく夜の窓や冬の蜘蛛 飯田嘯子
 
山茶花に蜘蛛ゐてうつらうつらかな 鈴木鷹夫 千年
 
月光の蜘蛛愉しいか淋しいか 鈴木鷹夫 春の門
 
秋の蜘枕刀にかくれけり 秋の蜘蛛 正岡子規
 
古家の槍長刀や孕蜘 蜘蛛 正岡子規
 
人ばらばら蜘の子を散らすごとくなり 蜘蛛 正岡子規
 
古壁の隅に動かずはらみ蜘 蜘蛛 正岡子規
 
蜘の子やそも人間の始りは 蜘蛛 正岡子規
 
蜘蛛の囲に不動明王囮われし 西川明美
 
何となく蜘蛛の囲似合ふ乱歩の碑 久保田珠生
 
蜘蛛の囲の隣家の庇つながりぬ 安食多津子
 
蜘蛛の糸張られ立方体の夜 有住洋子
 
手の蜘蛛の軽さに愛の言葉出づ 森 久
 
招霊木にて囲を張る女郎蜘蛛 福嶋 保
 
蜘蛛の囲の抱へ込みたる海の風 高木胡桃
 
少年の蜘蛛怒らせて遊びをり 飛高隆夫
 
蜘蛛の糸捕へきれざるもの妬む 野田禎男
 
蜘蛛の囲の夕日掴まむばかりなり 是川淑子
 
蜘蛛は囲を営み苔は家継がず 小林樹巴
 
命綱曳いて蜘蛛とぶ渓の空 小林雷魚洞
 
巣作りの蜘蛛のサーカス始まれり 橋本正幸
 
夏一気糸流し蜘蛛飛んで来し 紺野佐智子
 
囲の蜘蛛に撓む重さのありにけり 野末たく二
 
河童忌の指で追ひ立て朝の蜘蛛 小林四川
 
感触も無く蜘蛛の子の潰れたり 栗 生
 
蜘蛛の囲にかかる失態いたしけり 上原敬子
 
脳に脚はえたる蜘蛛の歩きだす 薄氷 彰
 
蜘蛛の囲の軸糸のよく弾むかな 真角多賀子
 
蜘蛛の糸結び目ひとつなかりけり 久保知音

四肢の例句

 

数え日の銭湯に四肢伸ばしけり 高澤良一 暮津
 
四肢通すときに水着の開花せり 櫂未知子
 
昼の虫リリと啼き澄み四肢あつく 藤木清子
 
芽柳や鉄棒の子の四肢自在 仲田志げ子 『埋火』
 
梅雨月夜点滴に四肢冷えにけり 菅田静歩 『大花野』
 
寛げと豹の毛皮の四肢を張る 山口誓子
 
いなびかりひとと逢ひきし四肢てらす 桂信子
 
春昼の盥に満ちて嬰児の四肢 山崎ひさを
 
四肢五体ありて虚心の大旦 香川国夫
 
秋澄むや縞馬の縞四肢に分かれ 野口桐花
 
落蝉の四肢まだ動く動かせよ 三輪閑蛙
 
小満や草の匂ひに四肢伸ばし 矢野絹子
 
春眠や金の柩に四肢氷らせ 三橋鷹女
 
競漕やはがねの四肢が屈伸す 伊東 肇
 
シンクロナイズドスィミング咲かす四肢の花 高澤良一 宿好
 
竜淵に潜む秘湯に四肢伸ばし 高澤良一 寒暑
 
埋葬や恋猫の四肢やわらかく 岡村知昭
 
伸ばしたる四肢の彼方や風光る 小林 響
 
春暁の水飲んで四肢覚ましけり 山谷綾子
 
初不動滝へ下れば四肢緊まる 田中水桜
 
花茣蓙に四肢泳がせて遠き海 岡本富子
 
馬立ちて枯野の人を四肢の内 原子公平
 
湯ぼてりの四肢より眠る冬の宿 尾花 園
 
秋の夜の延べて四肢ある熊の皮 廣瀬直人
 
亀の子の四肢ひらひらと親を追ふ 内藤英子「雉俳句集」
 
猫の子の四肢ばらばらの眠りかな 片山由美子 風待月
 
四肢欠けし神将露の世におはす 宮坂静生 雹
 
春みぞれ土偶は四肢を張りづめに 鍵和田[ゆう]子 飛鳥
 
麦熟れて子よ少年の四肢もてる 大石悦子 群萌
 
負け凧を手操るわが子よ四肢張つて 大石悦子 群萌
 
四肢投げて足裏で涼むめをと獅子 平井さち子 鷹日和
 
ゆらぎ起ちて四肢嵌まるさま朝の仔馬 平井さち子 完流
 
寒明くとみがく床板四肢ついて 平井さち子 完流
 
ががんぼの左右相称四肢と二肢 川崎展宏
 
泳ぐ子の四肢ひらひらと甘えけり 小島健 木の実
 
鳴く亀も鳴かぬも必死四肢を掻く 田中水桜
 
四肢よりも胴の動きて蜥蜴去る 中村襄介
 
白桃を啜ふや海女の四肢ゆるび 高橋伸張子
 
鉄塔の四肢ふんばつて青田中 久田岩魚

 

 

 

 

 

 

 

 

東富松

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尼崎市内に神社本庁公認の神社66社 他に閻魔大王を祀るような神社を2社知っているが、

66社からは外れた扱いを受けている。神道系教会なども他にあるようだが、目下は知識不十分。

 

66社の中には禰宜、宮司の「官舎」が付設されていながら無住ないし、老人憩いの家などに転用されているものがかなりあるが、それらを含み、重要文化財保護のためか立ち入り不可能なものは1社のみだが、

 

寺は違う。部外者立ち入り不可能なものが圧倒的。私の推計では、寺院は江戸時代には成立していた宗派のものだけでも、神社の3倍は市内にあると思う。

 

1つの神社の周辺に真宗寺がかならず一つ以上、浄土宗系のものが1つある。

我が家は親の時代までは真言宗であった。親の里美作へ行けば真言宗系が多いが

尼崎市市内にはそれほど多くはない。

 

尼崎も城周辺では禅宗系があるが、数多いというほどでもない。

寺町のように観光対象になっている地域でも立ち入り禁止状態の寺が数少ないがある。

 

他の地域では勝手には庭にも入りにくい寺がほとんど。

その中では、珍しく、立ち入り自由で、塚口御坊跡の正玄寺と同じく、何度も拝見させてもらっている寺が近所にある。

 

真宗大谷派(東本願寺)天徳山円受寺 東富松地区にある。富松神社までは徒歩2分、お隣さんと言っていいところである。

 

寺に沿って流れる川は清流だが、西に向かって流れている。

東富松川に合流するためには、この地点では東に向かってながれていなければならない。

寺の東面は田んぼであったが、マンション建設用地になった。そのため急きょであろうか

↑の画像に見える部分のみ、寺の駐車場となって囲われた。

寺の山門へ向かう道路へ入る手前の十字路に道標が立っている。

もともとここに在ったものではなく、東に50メートルほど行ったところにあったらしい。

赤いコーンが見えるが、その角地にたっていたのであろう。

痕跡らしいものが見える。↑

ここに見える小川は手前、東の方に流れ東富松川へ流れ込む。これは確認済み。

「止まれ」は見える道を行くと、富松神社の参道の前を通る。

これが「津門の中道」と呼ばれる旧の街道跡(と私は思っている)で、昆陽寺を経て宝塚の小浜・有馬方面へ通じている。(道標に見える行基山は昆陽寺のことである)

 この辺りが高札掲示場所でもあったのであろう。札場の辻(跡)の地名が残っているよう。

「隣」で検索、冬隣等の季語の一部の隣を省いた。

蝶高く飛ぶやより 会津八一
 
門礼や草の庵にもあり 正岡子規
 
兎狩の国も山ばかり 大峯あきら
 
喪の家にし今年の米を磨ぐ 寺井谷子
 
野分してに遠き山家かな 会津八一
 
秋深きは何をする人ぞ 芭 蕉
 
餅搗を見にきてをりしの子 長谷川 茂子
 
ひるからはの家へ煤籠 永松 西瓜
 
の瓦飛びくる鎌鼬 佐藤 重子
 
虫の闇へだてゝ灯るかな 森 花恵
 
まめにせしの嫁の吊柿 下城 宇良
 
出しぬけに砧打ち出す哉 正岡 子規
 
より祝電の来し敬老の日 佐藤 重子
 
向日葵の下に現れの子 林 博子
 
より越え来て烏瓜の花 若林 かつ子
 
水鉄砲の筒先きわれにの子 足立 刀水
 
霊山のの山も風光る 亀田 俊美
 
揺れながらで笑う堕天使ジヨー 大西淳二
 
鼠の穴からがある 山本蒼天
 
さざなみの色を四に目白鳴く 永島転石
 
行水に飛び込むの紙ヒコーキ 大木石子
 
極道のに食べる夏料理 三浦北曲
 
梅雨ふかしの猫が鳴きに来て 奥野桐花
 
春鮒を煮てより灯が遅れ 能村登四郎
 
幼くて鬼やらひをる壁 鷹羽狩行
 
凍鶴にの檻のさわがしく 鈴木真砂女
 
なきがらのに息す暮春かな 岸田稚魚 『萩供養』
 
われの凭る壁には雛かざる 飴山實 『少長集』
 
ブティックのの老舗年守る 和田郁子
 
ポケットベルで鳴り出す暖房車 寺岡棲子
 
も一つはの分ぞゆみそ釜 一 茶
 
より種火貰ひて芋煮会 篠田悦子
 
榎の実散る此の頃うとしの子 正岡子規
 
補助椅子やも胸に愛の羽根 水原秋桜子
 
より蔓返されて糸瓜垂る 佐野たけ子
より蔓返されて花南瓜  林 民子
 
「蔓返されて」はユニークな表現で、何方かが真似句だと文句おっしゃっているかも。
 
底紅の咲くにもまなむすめ 後藤夜半
 
バンガローといふも葛がくれ 鳥居ひろし
 
風吹けば来るやの鯉幟 高浜虚子
 
霊園のにぎはふ牡丹園 相沢真智子
 
喇叭水仙咲き揃ふ 熊倉 猷
 
尼寺のの春田打たれけり 星野麦丘人
 
蕗の薹ふみてゆききや善き 杉田久女
 
幼くて鬼やらひをる壁 鷹羽狩行
 
り家に釘打つひびき春 沢木欣一
 
初売や暗きより来るの子 平畑静塔
 
読初の主人見ゆ庭つづき 林 翔
 
こんにゃくに背鰭つけよう春 田村みどり
 

右 行基  中山 

   小濱  有馬      の文字が見える。

左 尼崎  神崎

   大坂

 

今は180度回転して配置されているので、左(北)へ行けば有馬方面で、どこかで有馬街道間道と合流、さらに西国街道(今でも国道171号線は西国街道と呼ばれている)と交差する。

 

 

 

住職がいて、副住職が居て、若院主がいるよう。

円受寺報が発行されていて、本堂前で自由に取り出すことが出来る。そこにお3方の肩書のある記事がある。

 

 

 

 

 

堺町御門

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京都御所内へ足を踏み入れるのはおおむね蛤御門から。

ず~と閉鎖されていたのが、火事になって開門された。

よって蛤御門という異名がついた。

 

ウィキペディア:

 

蛤御門(はまぐりごもん)は、現在の京都御苑の外郭九門の一つ。本来の正式名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」。門の形状は高麗門型の筋鉄門である。

 

御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」という俗称が付けられたとされる。

 

 

いずれの火災時期とするかについては、宝永の大火1708年)後とする説と、天明の大火1788年)後とする説が挙げられている[1]。近年では寛文13年(1673年)年の火災後まで遡るとする説や、「開かずの門」は本来は現在の下立売御門であったとする説も挙げられている[1]

 

 

元治元年7月19日1864年8月20日)の蛤御門の変では門の周辺が長州藩との激戦地となった。現在でも門柱に命中した弾痕を確認することができる。

なお現在の蛤御門は、明治10年(1877年)から明治16年(1883年)にかけて行われた大内保存および京都御苑整備事業によって移設されたもので、それ以前は現在よりも30メートルほど東の位置に、南を向いて建てられていた。

今日は堺町御門から「侵入」。

朝寒の桂離宮の御門かな 成瀬正俊
 
からたちの花の鎌倉西御門 皆川白陀
 
田螺鳴く二条御門の裏手かな 河東碧梧桐
 
観桜の蛤御門開けてあり 後藤比奈夫
 
元朝の御門あきたり二重橋 松根東洋城
 
からたちの花の鎌倉西御門 皆川白陀
 
講書始め御門の松は雪に侍す 鳥野信夫
 
行きすぎて橘かをる御門かな 泊月
 
遠水鶏小菅の御門しまりけり 一茶
 
前駆(さき)ふれて柑子たわわに土御門 筑紫磐井 野干
 
遠水鶏小菅の御門しまりけり 一茶
 
ゆるやかに田植用意の御門内 山本洋子
 
野ゝ中に土御門家や冬至の日 炭 太祇 太祇句選
 
遠水鶏小菅の御門しまりけり 一茶 ■文化七年庚午(四十八歳)
 
御門徒寺の相撲つぶるる 史邦 芭蕉庵小文庫

 

↑丸太町通り

 

 

Wikipedia「堺町通」

 

堺町通(さかいまちどおり)は京都市内の南北の通りの一つ。北は丸太町通から南は五条通まで。途中仏光寺通高辻通の間で分断されている。

平安京には存在せず、豊臣秀吉による天正の地割で新設された通りである。 通り名の由来は、戦国時代に京都の町が衰退していたころには、このあたりが京の街と田畑との境界であったこととされる。

通りの北端に京都御苑の堺町御門がある。

 

 

江戸時代には通り沿いに多くの材木商があり、今も「杉屋町」・「丸木材木町」などの町名が残っている。

 

 

1時間ほど御所の南部地区で、九条邸跡、閑院宮邸、花山院邸跡(宗像神社)内を散策。

見学可能な屋敷内には入らなかった。

午後2時から小さな会合が、薩摩藩邸跡であったので、早めに家を出たが、

1時間では南の一角さえ見つくせない。

 

御所南部の紅葉

閑院宮邸

 

建物は明日紹介

  九条家 江戸初期には若木だったか

 

 

 

櫨紅葉

↑平成の木だろう。

 

 

 

 

 

閑院宮

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九条家  ウィキペディア

 

藤原北家嫡流藤原忠通の三男である九条兼実を祖とする。藤原基経創建といわれる京都九条にあった九条殿に住んだ事が家名の由来。また、兼実の同母弟兼房の子孫も「九条家」に含める事もあるが、こちらは早い段階で断絶している。

兼実の孫にあたる道家の子、教実良実実経が摂関となり、それぞれ、九条家、二条家一条家を立てて、五摂家が成立した。

兼実は異母姉である藤原聖子の皇嘉門院領を伝領し、九条家領の基礎となった。平氏政権後白河法皇には批判的で、源頼朝の推挙で摂政、次いで関白となり、以後摂関職は近衛流と九条流から出る。兼実の孫・道家は、子の頼経とその息子頼嗣が相次いで鎌倉幕府摂家将軍となった事により、朝廷内で権勢を振るった。

中世に九条家領は広がり、江戸時代には家禄2044石を領し、のち3052石(松殿家の所領含む)に加増され、明治に至った。

明治維新後、九条道孝が公爵に叙せられ、その四女・節子は大正天皇皇后となった(貞明皇后)。

 

当主は1933年生まれだから、その子、その孫へと九条姓は続くのであろう。

当主は、現天皇と又いとこの関係にあるが、生前退位を相談したかどうか。

茶室的離れは残っている 拾翠亭

 

句会会場としても利用可能。所属結社の吟行会で利用したことがある。

この5年以内ならこのブログで紹介しているはず。

6年前であったかも。

池の前の庭から見た拾翠亭

裏木戸

池にかかる橋から見た拾翠亭

春の夜や連哥満たる九条殿 高井几董

 

これはこの場所を詠ったものかどうか? 多分違うよう。

 

閑院宮邸

正門の上

脇門(たぶん)

屋敷

閑院宮(かんいんのみや)は、四世襲親王家の一つで、江戸時代中期に東山天皇の皇子、直仁親王が創設した宮家

閑院宮の宮号平安時代清和天皇の皇子である貞元親王が閑院を号したことに由来するといわれているが、明確ではない。2代直仁親王の王子祐宮後桃園天皇崩御に伴い践祚して以来、閑院宮系の血統が現在の皇統となっている。

 

江戸期のものの復元であろう。

 

閑院宮邸の池面を狙っている。

 

 

 

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