Quantcast
Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
Viewing all 2577 articles
Browse latest View live

秋晴れ

$
0
0

3階の部分も屋根用の鉄骨が組みあがった。

右手の家も空き家である。

 

庭は3か月に一度くらい夫婦共働きの造園店が、剪定や草抜きをしているが

たちまちに蔓ニチニチソウが茂る。萩や芙蓉も。

その家の金木犀

 

ご主人が亡くなり、独身の息子さんと2人で住んでおられたが、

息子さんが先に亡くなり、間をおかず奥方も亡くなられた。

娘さんが離れてお住いのようだが、最近は窓や戸を開けての空気の入れ替えなどにも

あまり姿をお見せでない。(あまり丁寧に観察しているわけではないが・・)

 

この家の桜の木は、我が家の子供の入学や卒業の時の記念写真の背景に何度も利用させてもらった。街路へでっぱた枝や屋根の懸かる枝などを切り取ってるうちに

勢いがなくなっている。

 

秋日和なかなか売れぬ樒かな 飯田蛇笏
 
簗に立つ脛の白さや秋日和 廣瀬ひろし
 
畳屋の肘が働く秋日和 草間時彦
 
薔薇園に海の気とどく秋日和 槫沼けい一
 
秋日和鯔待ちやぐら浪に浮く 寺島初巳
 
八重垣の雲のほぐれし秋日和 原裕 『出雲』
 
秋日和屋上へ行く母の試歩 山根きぬえ
 
刈株の後ろの水や秋日和 一茶
 
縁側に母の居さうな秋日和 高石敏子
 
石あれば石に憩ひぬ秋日和 中村秋晴
 
僧となり母を訪ふべき秋日和 中川宋淵
 
仏像は金の冷たさ秋日和 山口波津女
 
岩群の皆仏界や秋日和 内藤吐天
 
一歩出てわが影を得し秋日和 草城
 
酒焼けの頬をつまぐる秋日和 八束
 
秋日和こころの乱れ榛にあり 龍太
 
みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 不器男
 
浪白う干潟に消ゆる秋日和 乙字
 
もとの婢の子を連れてくる秋日和 逍遥
 
籾臼の廻りも早し秋日和 乙由
 
山川草木悉有仏性秋日和 佐竹伸一
 
日あたりに下すすだれや秋日和 阿波野青畝
 
塵すこし掃き落したる秋日和 後藤夜半
 
秋日和みづくさ水の意に添ひぬ 小澤實
 
人の手がしづかに肩に秋日和 鷲谷七菜子
 
砂に寝て砂の軋むや秋日和 山口誓子
 
橋くぐる艪音こまかに秋日和 星野立子
 
屑籠と空き缶空き壜秋日和 二村典子
 
くちばしがふと欲しくなり秋日和 皆吉司
 
汁の実の一口茄子や秋日和 堺利彦 豊多摩と巣鴨
 
浪白う干潟に消ゆる秋日和 大須賀乙字
 
山寺の天井までも秋日和 星野立子
 
秋日和鉈豆干しぬ詩仙堂 水落露石
 
苅り残す藍の実赤く秋日和 渡辺香墨
 
川音の空よりひびく秋日和 村山たか女
 
老の身のくづほれ寝たり秋日和 山口誓子
 
寿福寺に瓦屋のゐる秋日和 下田稔
26日年男忌 ワイフは寿福寺へ。私は長女と、鎌倉でデート。品川泊り。
画像は帰宅後にup。
 
藁の香のむせんばかりの秋日和 遠藤梧逸
 
五山おのおの亭をのせたる秋日和 遠藤梧逸
 
秋日和散歩唱歌も忘れゐし 相生垣瓜人
 
嵐峡を出て芋圃の秋日和 久米正雄 返り花
 
寒地農頬鳶色の秋日和 久米正雄 返り花
 
雲あれど無きが如くに秋日和 高濱虚子
 
秋日和畳いよ~黄ばむかな 吉屋信子
 
一夜明け師のふるさとの秋日和 深見けん二
 
足垂らし飛ぶ蜂のあり秋日和 深見けん二
 
峙てる高炉の下の秋日和 深見けん二
 
河馬になる老人が好き秋日和 坪内稔典
 
河馬たちが口あけている秋日和 坪内稔典
 
親指のことに汚れて秋日和 坪内稔典
 
秋日和碁盤目の街あるくなり 瀧井孝作
 
秋日和の母の白髪の虱とる、ふるさとに来て 橋本夢道 無礼なる妻
 
玄関の衝立隔て秋日和
 
素十居を訪ひ秋日和安心す
 
雲あれど無きが如くに秋日和
 
椀ほどの竹生島見え秋日和
 
手をかざし祇園詣や秋日和
 
上記5句は高濱虚子作品」
 
山口の天花(てんげ)町なる秋日和 石原八束 操守
 
八重垣の雲のほぐれし秋日和 原裕 正午
 
二三子と子規庵に在り秋日和 深川正一郎
 
薪積みしあとのひそ音や秋日和 芝不器男
 
みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 芝不器男
 
昼の夢をはりてもなほ秋日和 日野草城
 
ただ生きてゐるといふだけ秋日和 日野草城
 
峙てる高炉の下の秋日和 深見けん二
 
足垂らし飛ぶ蜂のあり秋日和 深見けん二
 
一夜明け師のふるさとの秋日和 深見けん二
 
秋日和鳥さしなんど通りけり 加舎白雄

25日朝

3階部分も外壁や窓はすべて収まった。

一部内装工事も始まったよう。

 


ロベリア

$
0
0

ロベリアの種を蒔いた。

15度~20度で発芽、20度以上では発芽しないと書いてあった。

夜間気温が15度になるのを待って、蒔いたが、

鉢底から水を吸い上げさせろとも、鉢の上に新聞紙をかぶせろとも。

 

芽があまり混み合うと徒長させてしまうので、プランター2つに撒いて、

上からジョロで水やりをしている。種が細かいので、流れて発芽できないかもしれないので、

1鉢だけ種袋の裏の指示どおりに、鉢受けから水を吸わせた。新聞紙までの世話は省略。

 

蒔いた日から2日ほどしてまた気温が上昇したが、

なんとか発芽

 

鉢の土をじ~と眺めていると、20株位発芽している。幼葉2枚でも1ミリ弱の感じ

↑接写の上に、10倍くらいズーム。5株位写っている。

 

ウィキペディア:

ルリミゾカクシ(瑠璃溝隠、学名:Lobelia erinus)とは、キキョウ科ミゾカクシ属多年草。別名ルリチョウソウ(瑠璃蝶草)、ルリチョウチョウ(瑠璃蝶々)、ロベリア(属の学名から)。

原産地は南部アフリカマラウィナミビアから南アフリカにかけて。亜熱帯では多年草だが、温帯では秋蒔き一年草として扱うことが多い。開花期は春。暑さにも寒さにもあまり強くない。

草丈は8〜15cm。茎の下部につく葉は長さ10mm幅4〜8mmの楕円形で鋸歯がある。上部につく葉は細く、鋸歯がないこともある。野生種は幅8〜20 mmの花をつける。花弁は5つで、色は青や紫。花序は間隔の開いた円錐花序である。果実は5〜8mmの蒴果で、内部に無数の細かい種子を生じる。

「瑠璃」で検索したが、例句はない。

俳句作家はまだこの草を詠っていないような気がする。

 

 

もう1つ、ノースポールを蒔いた。こちらは種が、ロベリアよりかなり大きいので、

ごく普通の水やり。

こちらも50株位は芽吹いているが、移植以後の管理が、秋まきの場合は特に面倒。

 

我が家の塀沿いに定着したポリゴナム

ウィキペディア:

 

ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)とは、タデ科の植物の1種。学名はPersicaria capitata(シノニムはCephalophilon capitatumPolygonum capitatum) 。別名はカンイタドリポリゴナムヒマラヤ原産。

 

日本にはロックガーデン用として明治時代に導入された多年草。 花は集合花で小さい花が球状に集まった金平糖のような形をしている。開花直後はピンク色をしているが、徐々に色が抜けて白へと変化する。 花期は5月頃から秋にかけてであるが、真夏には花が途絶える。冬季には降すると地上部が枯死するが、地面が凍結しない限り翌年には新芽が成長する。花は小花が球形にまとまっており、内部には種子が成熟する。葉にはV字形の斑紋があり、秋には紅葉する。

 

 

は匍匐(ほふく)性。1株でおよそ直径50cmほどに広がる。

性質が丈夫であるためグラウンドカバーとしても用いられる。種子株分け挿し木などで容易に繁殖が可能なほとんど手のかからない植物であるため、空き地や道端などで雑草化もしている。

 

一筆

地下鉄淀屋橋駅前、御堂筋沿いの植栽

矮性さるすべり

 

撮影は14日

 

我が家のオーシャンブルー 最後の栄華

 

 

明月院

$
0
0

10月26日 朝、

鎌倉の寿福寺へ急ぐワイフと品川駅で別れ、

保土ヶ谷に住む長女と二人で、北鎌倉駅から鎌倉駅までを歩いた。

私の希望は歩くことだけでリクエストはなし。

 

昼食場所、散策コース、入場見学場所、お茶の場所

以外に、

夕食用素材の購入場所もあらかじめ予定をたてていてくれたみたい。

 

唯一の誤算は、13歳児の下校時間で、

横須賀線鎌倉駅から乗車した電車に、大船駅で13歳児が乗り込んでくるのが理想だったが、

電話を入れた時点では、13歳児は保土ヶ谷駅を下車していた。

 

円覚寺

円覚寺(えんがくじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある寺院。山号を瑞鹿山(ずいろくさん)と称し、正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)と号する。臨済宗円覚寺派大本山であり、鎌倉五山第二位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元である。なお、寺名は「えんくじ」と濁音で読むのが正式である。

 

 

 

昼食

隠れ家風

玄米ご飯

↑でかい掻き揚げ

 

 

葉 祥明(よう しょうめい、1946年7月7日 - )は、熊本県熊本市出身の日本の絵本作家。本名、葉山祥明九州学院高等学校[1]立教大学経済学部、セツ・モードセミナー卒業後、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに留学、油絵を学ぶ。

祖父の代に日本へ渡来した中国人の家系に出自を持つ。自身は30代で日本国籍となった。実兄の葉祥栄は建築家。実弟の葉山祥鼎は作家・写真家。

明月院通り


「鎌倉」 例句多し

 
片陰を出でて鎌倉夫人かな 行方克己 昆虫記
 
ちやつきらこお伊勢・鎌倉ほめ唄に 荒井正隆
 
鎌倉の万歳谷戸で昏れにけり 藤田美代子
 
眉張りて鎌倉夫人御慶かな 久米三汀
 
臘八や鎌倉禅の末に参じ 松根東洋城
 
鎌倉へはや夏帽子かぶりそめ 吉屋信子
 
からたちの花の鎌倉西御門 皆川白陀
 
鎌倉右大臣実朝の忌なりけり 尾崎迷堂
 
鳶の舞ふ鎌倉山や実朝忌 石井桐陰
 
鎌倉に京の末寺の甘茶寺 松原地蔵尊
 
鳶鳴いて鎌倉山の梅見頃 武原はん
 
鎌倉に九代栄ゆる接木かな 正岡子規
 
春潮や逗子鎌倉の間に村 永井東門居
 
鎌倉に大きすぎたる春の月 星野麥丘人
 
鎌倉にかたむく春の日差かな 川崎展宏
 
鎌倉を驚かしたる余寒あり 高浜虚子
 
鎌倉に遠き夫婦に虚子忌くる 高野 素十
 
藁屋根を歩く鎌倉雀かな 高柳重信
 
鎌倉の余白で遊び疲れたり 遠藤 煌
 
鎌倉や松の手入を谷戸の音 草間時彦
 
黄梅ゃ鎌倉山に風出でぬ 嶋田麻紀
 
鎌倉は大き仏のいなびかり 細川加賀 『玉虫』
 
石蹴つて鎌倉の冬起しけり 原裕 『出雲』
 
鎌倉や雪塊と浮き錦鯉 原裕 『葦牙』
 
殊に濃き鎌倉もみぢ終の日に(相沢綾女さまを悼む二句) 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
麦南亡き鎌倉に来し夕ざくら 柴田白葉女 『月の笛』
 
いで征くと鎌倉山の花おそし(清水崑応召二句) 『定本石橋秀野句文集』
 
梅雨あけの鎌倉くらき旋風かな 『定本石橋秀野句文集』
 
菊盗ると鎌倉寒の来りけり 大木あまり 山の夢
 
鎌倉や水打つて即弓の道 大木あまり 山の夢
 
鎌倉や松の手入を谷戸の音 草間時彦
 
雨乞や鎌倉道を草とざし 肥田野勝美
 
銀杏の花や鎌倉右大臣 内藤鳴雪
 
鎌倉の見える山なり蕨とる 一茶
 
鎌倉の古き土より牡丹の芽 高浜虚子
 
鎌倉に実朝忌あり美しき 高浜虚子
 
鎌倉や冬草青く松緑 高浜虚子
 
鎌倉は日蔭日向の藪柑子 川崎展宏
 
鎌倉の古き宿屋の松飾 高浜虚子
 
鎌倉は春の如しや初詣 池内たけし
 
鎌倉を知り尽くしたるインバネス 吉本和子
 
鎌倉の十橋十井しぐれけり 原 礼子
 
曼珠沙華鎌倉古道細りけり 水島つる子
 
鎌倉をぬけて海ある初秋かな 飯田龍太
 
鎌倉のてくてくマップ青葉風 竹田一郎
 
紫陽花や文だけの友鎌倉に 来住野臥丘
 
黒揚羽鎌倉古道横ぎれり 橋本美智代
 
鎌倉へ来て田疲れの貼り薬 中島畦雨
 
鎌倉の香のしみ入る初扇 小林喜一郎
 
すかんぽや鎌倉街道庭よぎり 白岩てい子

長年住んでいる町は、句にできないものだが、虚子は鎌倉をなんども詠っている。

 

そぞろ歩きの人ちらほら

明月院

明月院(めいげついん)は、神奈川県鎌倉市にある臨済宗建長寺派の寺院。山号を福源山と称する。本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)である。アジサイの名所として知られ、「あじさい寺」の通称がある。

 

 

 

長女は初めてではないようで、アジサイの頃にも、紅葉の頃にも来ているらしい。

 

ふじばかま

山内上杉家の祖、関東管領・上杉憲方は密室守厳を開山として、明月院を開創した。憲方の没年は応永元年(1394年)で、それ以前の開創である。

なお、寺伝では、平治の乱で没した首藤俊通(しゅどうとしみち)の菩提のため、永暦元年(1160年)、その子の経俊が「明月庵」を建立したのが草創とされ、憲方は中興者とされているが、実際の開基は憲方とみるのが通説である。

明月院は、禅興寺という寺の塔頭であったが、本体の禅興寺は明治初年頃に廃絶し、明月院のみが残っている。

禅興寺の起源は鎌倉幕府5代執権北条時頼にまで遡る。時頼は別邸に持仏堂を造営し、最明寺と名付けたが、時頼の死後は廃絶していた。時頼の息子の北条時宗蘭渓道隆を開山としてこれを再興し、禅興寺と改名した。

現在は、「あじさい寺」として有名で、花のシーズンにはたいへんな混雑をみせる。この寺でアジサイを植えたのはさほど古い事ではなく、第二次世界大戦後に、物資や人手が不足して参道を整備する杭が足らず、杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」という理由で、アジサイを植えたものが次第に有名になったという。アジサイの他にも1年中花が絶えず、紅葉でも知られる。他に冬は蝋梅、春はが咲く。

 

↑アジサイはここが一番の見どころらしい

紅葉はここ↓

やぐら

 

釈迦か?

 

お茶は↓

 

この店の口コミは、評価高い。

 

夕食素材 

鶴岡八幡宮の参道で買ったものは、↑と↓

手作りは、

ワイフの方は鎌倉のホテルで宴会とかで、パパもまだ帰宅途中で、夕食は、長女と13歳児と私の3人。

ダイニングの窓からはランドマークタワーが見える。観覧車も。

午後7時半に車で保土ヶ谷駅迄、送ってもらって、品川のホテルへ帰還。

さらに遅れて戻ったワイフは、

 

芦屋夫人鎌倉夫人年尾の忌

が評判良かったとご機嫌。

 

 

 

芦ノ湖

$
0
0

西武プリンスの領地を巡るバスに乗った。

池袋プリンスホテル→品川プリンスホテル→芦ノ湖プリンスホテルというルートである。

乗客は2組、4人のみ。

帰りも同じバス、同じコースで、途中乗車組みを含め4組8人。

夜のタワーの方がきれいであったが画像がない。

箱根もまだ薄紅葉

樹齢100年以上

関所跡は車内から見たのみ。

湖畔の蔦紅葉

 

箱根のプリンスに部屋を取ったわけではないので、ロビーと庭だけの利用。

昼食 なだ万利用。


湖畔の散歩

遊覧船は3艇のみ確認

 

くわりん砂糖漬けて雪待つ湖畔村 野見山朱鳥
 
猫柳湖畔の春はととのはず 五十嵐播水
 
春来ると湖畔に馬を曳き出だす 岸 風三楼
 
湖畔馬車鬼の捨子が窓に見え 河野南畦 『硝子の船』
 
夕暮の稲穂匂へる湖畔径 太田常子
 
えぞにうの花錆はじむ阿寒湖畔 中嶋秀子
 
湖畔にて車前草の露滂沱たり 富安風生
 
湖北路やすぐろの芒湖畔まで 武田白雨
 
からまつ黄葉くつ音若くゆく湖畔 福永みち子
 
波音の高き湖畔を鍋の渡御 廣瀬凡石
 
飴色の蝿とりリボン湖畔亭 海老原真琴
 
猫柳湖畔の春はととのはず 五十嵐播水
 
春宵やおのず歩の合ふ湖畔みち 乃万美奈子
 
スケートの靴が木椅子に夜の湖畔 根岸 善雄
 
からまつ黄葉くつ音若くゆく湖畔 福永みち子
 
啄木鳥や遅きあゆみの湖畔馬車 白岩 三郎
 
露けさによぎる懸巣や湖畔馬車 斎藤 道子
 
暮れそめし湖畔ほのめく花さびた 米勢珊瑚子
 
湖見えて湖畔の遠さ金鳳華 佐野まもる
 
秋の虹うすしぽこぽこ湖畔馬車 森総彦
 
湖畔にて車前草の露滂沱たり 富安風生
 
萍生ふ湖畔さらなみ夜を濃くす 高橋静葩
 
湖見えて湖畔は遠し金鳳華 及川貞
 
元日や湖畔の焚火むらさきに 青陽人
 
あやめ生ふ湖畔の馬頭観世音 青畝
 
秋の燈を湖畔に配り富士暮るる 高木石子
 
京時雨虹滋賀時雨虹湖畔 稲畑汀子
 
猫柳湖畔の春はととのはず 五十嵐播水
 
秋郊の湖畔ゆるりと駆けゆけり 稲畑廣太郎
 
湖畔にて車前草の露滂沱たり 富安風生
 
あやめ生ふ湖畔の馬頭観世音 阿波野青畝
 
神楽奏す湖畔の巫女にささめ雪 杉本寛
 
穂草風歩む湖畔をたのしくす 及川貞
 
湖畔ゆく寒林こぼれ出ては人 亀井糸游
 
鴨翔んで黒人多き湖畔都市 北野民夫
 
湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ 西東三鬼(1900-62)
 
バス来るや虹の立ちたる湖畔村 高浜虚子(1874-1959)
 
新緑の肺に溶け入る湖畔荘 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄
 
おくれゆく湖畔はたのし常山木折る 杉田久女
 
湖畔より掛る電話の秋めける 星野椿
 
夕霜や湖畔の焚火金色に 泉鏡花
 
白鳥の湖畔に泊てて羽根蒲団 品川鈴子
 
醒める有加利の対聯湖畔 加藤郁乎
 
蚊のつばさひろし湖畔のドアもひろし 永田耕衣 傲霜
 
晩夏湖畔咲く花なべて供華とせん 福田蓼汀

東京は快晴であったが、箱根は曇り、雨混じり、寒い。

よってロープウエイにも乘らず。

 

 

 

 

13歳児の家族は家が横浜故に、年に何度かは箱根へ行っている、何処へ行っているのか確認したら、小涌園周辺らしい。

 

帰りのバスは

海老名で休憩

名店街になっている。

昼間、精力的に箱根観光に精を出していた(観覧船を下車するとすぐにロープウエイへ移動)ブラジル人の観光団にここでも出会った。

中に一人ノースリーブのシャツ一枚の男性がいたのですぐ気づいた。

箱根から品川に戻り、そのまま帰宅するつもりであったが、

それではワイフは娘の新居を見ないままになるので、夜になってから、保土ヶ谷区から西区へ移ったものの、最寄駅は同じ保土ヶ谷駅のままの娘夫婦宅へ。

海老名で買った総菜も含め歓待してくれた。

27日夜は雨だったが、例により無理やり付近を散歩。

13歳児も付き合ってくれた。

冬用ジャケットやジャンパーも持参したが大いに役立った。

 

 

 

ランドマークタワー

$
0
0

  10月28日、直線距離では2㌔もないような、ランドマークタワー

13歳児もそのパパも登校、出勤後起き出してきて

ダイニングルーム(というよりはLDKルームの食事用テーブル(実は13歳児の学習机兼用。家族3人だから13歳児も階下に1部屋ベッドルームを与えられ、学習机もおいているが、

勉強はもっぱら母親の見える2階の部屋でやっているよう。じじばばがやってくるので、文房具類は急きょ、階下の部屋へ差し戻されたとか)横の窓から見た風景。 

どういうわけか前の借家の家も、今度の新築家も、LDKやバスルームは2階にある。

これが関東の家の一般的なタイプかどうかは知らない。

隣家と3方で接していると、眺めのいいのは2階になるからという説が近くで聞こえるが、

100㎡内外の土地に建てた家なら、隣家も2階建て(あるはそれ以上)だから眺めは突然よくなるとも思えないが。

家の周りは、坂と階段

ともかく13歳児の家は、丘の上に建っており東の方が海に向かい開けているので、

桜木町方面の見晴らしはいい。

 

家の近くで、外に出ておられた高齢主婦に話しかけたら、

ランドマークタワー方面での花火大会が丸見えできれいですよと自慢げであった。

↓26日夜の風景 再掲。

29日朝の風景

高さ 296mで、それを抜くためにあべのハルカスは300mに設計されたことを先週知ったところ。(ランドマークタワー最上階展望台は69階だそうである)。

朝のテレビで、高層マンションの高層階住人と低層階住民との羨望感と差別感が、

固定資産税に差をつけることと関連していろいろ紹介されていた。

 

おなじ18階に住む住民が招かれて家を覗くと、同じ階に住みながらも

招待した人の家の窓からは東京タワーが目の前に見えてショックを受けたとか、

天気を話題にしたら、50階に住む住民から、うちは雲の上にあるから下界の天気はよくわからないといわれたとか・・・。

 

雨が降っていたので、タクシーを呼んで、ビルの元へ。

タクシーを呼んだのは初めての経験だったらしく、

長女は、帰りのタクシーで、どう説明したら運転手に行先を理解してもらえるか乗ったタクシーの運転手に尋ねていた。

 

今は無き上海楼かなにかそれに近い名の中華料理店が有名(だった)らしく、

そこから「へび坂」を登って云々で分かるらしい。

 

帰りのタクシーでそう告げると、そこから先は案内できるのならどうぞということになった。

 

↑タクシーの下車地点からのながめ

 

目の前は波止場である。

1階はホテルのエントランスとロビーになっている。

ロビーの売りは、

ロビーの窓越しに。

ホテルのロビーを抜けて、ランドマークタワープラザへ

何処へ行っても成城石井

 

 

横浜ランドマークタワーで検索したら

横浜ランドマークタワーに入居していると名乗る業者
「スターツアーバンドリーム」について

「スターツアーバンドリーム」は横浜ランドマークタワーに
入居しておりませんので、ご注意ください。 」

という注意書きが目についた。

 

プラザの5階、海の見えるレストラン。窓際の席ではなかったが、景色は良く見えた。

ズームで目立つ建物を撮り、尋ねたら、長女はけっこうよく知っていた。

ここもまた初めてではないようだった。

夜もなかなか豪華な食事であった。

13歳児のピアノのレッスン日(母親の送迎車付)だったので、夕食は8時過ぎから。

 

最近家庭内で見ないもの:

キッチン・ダイニング周りでは、

醤油(日本酒)の一升壜、塩壺、大丸の砂糖缶、味の素の小瓶、大瓶ビール

ウスターソース、蠅、炭、練炭、石炭、たどん

 

居間、寝室では、

電気こたつ、堀こたつ、蚊帳(よって蚊帳吊具)、掛け時計、床の間、

うちわ、蚊取り線香、火鉢

 

もちろん代わりに新しい必需品もかなり増えている。

 

「蚊取り線香」は音数が多いためか、例句みつからず。

 

.「線香」では、

 

練炭もて点す線香自刃の山 井桁白陶
 
線香やますほのすゝき二三本 蕪 村
 
線香の燃えてをりたる閻魔かな 若林 北窗
 
義士の日の火の線香を山と積み 檜 紀代
 
線香の函美しき冬の朝 宇佐美魚目
 
風の来て花火線香の玉落ちた 高木晴子
 
年の市線香買ひに出でばやな 芭 蕉
 
地蔵会や線香燃ゆる草の中 高浜虚子
 
線香の灰やこぼれて松の花 蕪 村
 
手に持ちて線香売りぬ彼岸道 高浜虚子
 
露けしや寺に線香販売機 渋谷光枝
 
線香の煙野に立つ帰雁かな 大村てつお
 
手に持ちて線香売りぬ彼岸道 高濱虚子
 
線香の煙の迫る木の芽山 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
 
地蔵会や線香燃ゆる草の中 高浜虚子
 
線香の一本高く露けしや 星野立子
 
蝿がゐて線香匂ふ部屋に通る 槐太
 
森の中蚊やり線香までみどり 広中一荷
 
雪に挿す線香へ火を移しけり 藺草慶子
 
蜩や線香の火を横たへて 成澤たけし
 
夏逝くや線香立ての灰ほぐし 藤田あけ烏 赤松
 
秋風の手に線香をひとつづつ 車谷弘 佗助
 
山霧に線香曲り阿闍梨墓 佐藤夫雨子
 
線香の折るる音あり木下闇 蝶夢
 
海山に線香そびえ夏の盛り 三橋敏雄
 
山茶花に太く泥めく線香立つ 久米正雄 返り花
 
手に持ちて線香賣りぬ彼岸道 高濱虚子
 
筆立に線香立てたり水仙花 寺田寅彦
 
線香を干した所へ桐一葉 芥川龍之介 蕩々帖〔その二〕
 
現身の春や線香千本立ち 柿本多映
 
下京に買ふ線香や松の内 山本洋子
 
手向くべき線香もなくて暮の秋 夏目漱石 明治三十五年
 
仮位牌焚く線香に黒むまで 夏目漱石 明治二十四年
 
仮位牌焚く線香に黒むまで 夏目漱石 明治二十四年
 
線香や壁にうつして聖霊棚 沾葉 選集「板東太郎」
 
年の市線香買ひに出でばやな 松尾芭蕉
 
 

 

久保町

$
0
0

29日朝食

パンは前日ホテルで買ったもの。

 

 

「久保町の歴史」で、クリックしたら登場した地図

土曜日の朝13歳児と散歩したコースは、

東久保町の東端で、久保町が南に細く伸びている境界線上。

確か境界線は境の谷といった坂名が記されてたように思う。

↑この公園の画面左横に久保郵便局があったので、この公園は久保町の公園のはず。

 

もともと保土ヶ谷宿の一部であった地区のようである。

 

ここに詳しい人が、質問者にこたえている。

 

1889(明治22)年4月に横浜市が誕生した時点では久保町はまだなかった。
それから10年以上経った1901(明治34)年4月、市の第1次拡張が行われ、橘樹郡(たちばなぐん)保土ケ谷町大字岩間の一部も新たに横浜市の仲間入りを果たすこととなる。
これこそが久保町となった場所なのである。

つまり、久保町は20世紀に入ってからできた町名で、かつ当時は元久保町も東久保町も西久保町も存在せず、久保町というひとつの大きな町だったのだ。

 

そして、1927(昭和2)年を迎える。
区制が始まり、久保町は当初から存在していた中区の一部となるが、このときもまだひとつの久保町のまま。
この久保町が現在のような“久保4兄弟”となるのは1935(昭和10)年に町界町名整理が行われたときのこと。
久保町の町域を4つに分け、久保町、元久保町、東久保町、そして西久保町を作り、町名としては現在と同じ格好になったわけだ。・・・・。

 

 

西久保町は保土ヶ谷区、他の3つは、西区である。

区制が取られたとき、西久保町は、目の前にある保土ヶ谷区役所で手続きができなかった

不便さを解消するために、警察管轄区域ともども西区から移動したようである。

 

同じサイトに、「どうして久保町の西に、東久保町があるのか」といった疑問も出されていた。

藤棚商店街。確かに藤棚が多かった。

横断歩道が藤色の染められている。

もときた道を辿らなくても、商店街のとある十字路を左折したら、

あっという間に、26日の夕刻、13歳児と歩いた記憶のある石段の下に出た。

それに気付いたのは、私ではなく、方向音痴を自認する13歳児であった。

 

昼食は

↓このパン屋も保土ヶ谷周辺でよく見かける。

新幹線は品川から「ひかり」利用。空いていた。

秋空がきれいだった。

帰宅後土曜日に現代俳句協会の句会があったことに気付いた。

句会開催日は日曜日と勘違いしていた。

顔舐めて横浜の猫夏祓 大木あまり 火のいろに
 
傘差さず横浜の雨粒林火の忌 松田ひろむ
 
父となりし二月礼者の肩に雪 横浜慎太郎
 
パンジーが咲き横浜は好きな町 西村和子 窓
 
マッチ擦る横浜の坂冬日満つ 皆吉司
 
横浜にすみなれ夜ごとの夜霧かな 中村汀女
 
横浜や無人のぶらんこを愛す 永島靖子
 
冷房車横浜を過ぎ眼鏡拭く 猿橋統流子
 
青ぐらい野毛横浜の坂道の修羅を下る流転者方代 山崎方代 方代
 
パンジーが咲き横浜は好きな町 西村和子
 
初燕横浜は坂多きかな 古賀まり子
 
サーカスの子等横浜の雲となる 攝津幸彦
 
かの秋の横浜沖を真悲しむ 三橋敏雄 長濤

 

鹿

$
0
0

鹿狩り、鹿占、鹿声、鹿の角切、鹿鳴く・・・は秋の季語だが、「鹿」だけでも秋の季語となる。

10月31日まで有効の入場券なので、昼食後二人で正倉院展を見に、奈良へ。

バスを利用して阪神電車の尼崎駅へ。20分間隔で、奈良行の快速急行に乗車。

阪神と近鉄の相互乗り入れにより、阪神尼崎駅の駅表示に、名古屋、伊勢志摩までが書き加えられている。

東花園行と言われても、阪神間で育った者には何市にある地名(駅名)か分からない。

近鉄電車では、阪急の「西宮北口」並みの駅名で、普通電車の行先表示でよくみかける。

 

電車の窓から薄野が見える。その向こうに平城京の南大門が見える。

まだそこへは行ったことがない。

近鉄奈良駅を出て、商店街へ入り、途中で興福寺境内へ入る坂道を利用。

北円堂の前に出る。秘仏公開中。

↑南円堂

↓建物の礎石が残る高台から猿沢の池を望む。

興福寺緑の週の樹を伐れり 大島民郎
 
阿修羅あり雲雀あがれる興福寺 森澄雄

私が高校時代には、五重塔は開放されており、自由に登ることもできた。

やがて100円位の入場料が設定されたが、間もなく崩壊の危険があるというので立ち入り禁止になった。

薬師寺や唐招提寺からは遅れたが興福寺は目下大々的な再建工事が進められている。

正倉院展は読売が後援しているので、毎年その季節になると販売店店員が購読料集金の際に入場券を2枚届けてくれる。

出口付近の生け花

フォックスフェイスを利用している。

出口を出たところの庭園

夕食時までに時間があったので、いつものごとく東大寺の参道付近を散歩

この時間になると、秋には、近くに宿を取っている修学旅行生くらいしか出入りしていない。

外国人も歩いているが、団体客は見当たらない。

鹿はまだねぐらへもどっていない。

150円の鹿せんべいを買った観光客を見つけるとひつこくつきまとう。

しんがりは東大寺かや除夜の鐘 高岡智照尼
 
東大寺裏なる小田の早稲の花 北澤瑞史
 
大湯屋の裏のみのり田東大寺 山口みちこ
 
東大寺と染め抜く法被松手入 小池和子
 
押すな押すなの人東大寺孕み鹿 田北 ぎどう
 
東大寺うらの木の芽を見て歩く 飴山實 『辛酉小雪』
 
東大寺かたちの影に綿虫か 杉山岳陽
 
東大寺寺領の端の稲架を組む 橋本榮治 逆旅
 
東大寺大仏殿裏穴惑 橋本榮治 麦生
 
笹鳴や雪に灯ともす東大寺 中川宋淵
 
東大寺方より火の手お山焼 岩崎三栄
 
東大寺湯屋の空ゆく落花かな 魚目
 
焼藷の湯気見てとほる東大寺 岸本尚毅 舜
 
薪能僧の提灯東大寺 岡本松浜
 
茶を摘むや煙霞の中の東大寺 野本淡月
 
東大寺湯屋の空ゆく落花かな 宇佐美魚目
 
春雪のにぎやかなりし東大寺 牧野多加子
 
蟻穴を出て地歩くや東大寺 松瀬青々(1869-1937)
 
鐘の昔や霞にしづむ東大寺 中勘助
 
真裸の百日紅が東大寺 原田喬
 
ほのと幼子ひぐらしの東大寺 原田喬
 
東大寺銀の皿にも鹿彫られ 大島民郎
 
挿木せる学寮もあり東大寺 山本洋子
 
東大寺大平面図秋袷 斉藤夏風
 
笹鳴や雪に灯ともす東大寺 中川宋淵 詩龕
 
名月や杉に更けたる東大寺 夏目漱石 明治三十七年
 
蟲干や甥の僧訪ふ東大寺 蕪村 夏之部 ■ 花頂山に會して探題
 
 

駅前でウナギを食って帰宅。

 

 

ジニア

$
0
0

横浜久保町ローズマリーの匂う道

薄紅葉関東弁の孫連れて

 

 

百日草は、都会では見なくなった。

俳諧歳時記編集のころ(昭和初期)、ヒャクニチソウはペチュニアの和名としても

用いられていた。

その頃、ペチュニアの一般名称は、衝羽根朝顔、衝羽根日日、日日朝顔であったらしい。

 

昭和中期、晩期には、春の金盞花とならんでヒャクニチソウは夏の仏花であった。

だから農家の庭では必ずと言っていいほどヒャクニチソウが植えられていた。

昭和晩期に何年かヒャクニチソウに挑戦したが、鉢植えでは農家の庭のようには咲かない。

風通しや夜間気温の高さなども影響しているかもしれないが、1株が要求する土の量と湿気が関係しているように思う。7号鉢でも、真夏では水分不足で害虫への抵抗力を失うのかも。

 

それゆえに鉢植え園芸用に開発されたのがジニアであり、キンセンカに対する冬知らずだと思う。ウィキペディア学習を経ていない「意見」なので間違っているかも。

↑↓ジニア 今が盛りという感じ。ならばヒャクニチソウは夏の季語だが、ジニアは秋の季語となる。

サルビアも鉢植えでは難しい。これは都会では夜間が明るすぎるからだという説明を読んÐ記憶がある。

赤い花はいまでも「サルビア」だが、紫になると紫サルビアではなく「(ヴァイオレットor パープル)セージ」と呼ばれるよう。

 

本日収穫祭に参加。会場は神戸フルーツ・フラワーパーク(の駐車場)。

もっとホテルに近い舞台もある会場で開催していたが、そこから追い払われたようである。

この施設、神戸市が手放し、中国資本に買い取られたという噂をだいぶ前に耳にした。

(よって閑散としていたホテルは中国人爆買客で満杯という噂も)

ウィキペディアにはその関係の記述はない。

100haの敷地内に、ホテル「フルーツ・フラワー」、有馬温泉と同じ泉質の天然温泉「茜の湯」をはじめ、9種類の湯が楽しめるバーデハウス、国産黒毛和牛の本格的なバーベキューを1500名が一度に楽しめるバーベキュー場、果樹園 (8月 - 11月に果樹のもぎ取りが可能) 、プール (夏季のみ) 、600名のキャパシティを誇る神戸モンキーズ劇場、遊園地ゴーカート場、パターゴルフ場などが設けられている。

冬期は夜間に「神戸イルミナージュ」というイルミネーションが行われ、プロジェクションマッピングを使用した演出のほか、神戸モンキーズ劇場での夜間公演「ヒカリのモンキーショー」や、大道芸などで賑わう。

運営については、神戸市の委託を受け「株式会社神戸ワイン」が行っていたが、2014年4月からは「一般財団法人神戸みのりの公社」が担当することとなった。なお、株式会社神戸ワインについては債務超過により、2014年7月1日から特別清算が開始されている。

 

神戸イルミナージュ

午前中はもちろん点灯されていないが、午後の早い時間に点灯された。

雪とクリスマスがテーマか

昼間見ても楽しめる

フラミンゴ(王子動物園)もイルカ(須磨水族館)も神戸名物といえないこともない。

すべてのものに配線されている。

↑↓点灯後    きらきら光る豆球を写し撮ったつもりだったが。

チャペルがあって、

1分後には記念写真

20分後に園内でまた出会った。

 

メインゲートをくぐるとメタセコイアの林。

初めて見たころに比べるとかなり成長した。

メインゲートから収穫祭会場を「遠望」

フラワーパークの位置

 

 

フラワーパークの全体図

北の端の駐車場が会場。参加団体は5つ。

我が団体の出し物は、たこ焼きとフリーマーケット

前回参加した時には、昼食用弁当が配られたが、弁当配布時点では、自店での試食と他店での買い食いで、お腹ぱんぱんだったので、弁当無用論を述べたが、それが実行されたのかどうかは知らないが、今回は硬貨6枚が配布され、各自他店で好みのものを買って食べることになっていた。

 

もちろん焼きそばを一番先に食べ、ぜんざい、大学芋、ポップコーンなどなど。

たこ焼きもいっぱい食べた。

 

どの店も3時までには完売状態。

 

野菜も多品種買い込んだ。

 

 


ミゾソバ

$
0
0

 

マリーゴールドにとまっているいる蝶。最近珍しくなくなってきた。

豹紋蝶。目下生息域を北に拡張中とか。館長さんから聞いたように思う。

 

ただし、ウィキペディアの解説によると、ヒョウモンチョウは、夏の終わりには姿を消すよう。

 

標準的な和名をあてられているが、本種は日本国内ではそれほど一般的な種ではなく、他のヒョウモンチョウ族の蝶との区別のために「ナミヒョウモン」と呼ばれることもある。日本国内で繁栄しているヒョウモンチョウ族のチョウ、ミドリヒョウモンツマグロヒョウモンなどは本種より大きく、趣味者には「大型ヒョウモン」と呼ばれ、こちらはそれと区別して「中型ヒョウモン」と呼ばれる。

 

大型ヒョウモンよりもゆるやかに飛翔し、前翅先端は丸く、出現時期もより早い。また大型ヒョウモンの成虫は秋まで見られるものが多いが、本種は夏の終わりとともにいなくなる。

幼虫の食草はヒョウモン類で一般的なスミレ類ではなく、バラ科ワレモコウオニシモツケなど。越冬態は卵内1齢幼虫。

 

近縁種にコヒョウモンB. ino)がいる。生態や形態は似るが、本種が山地のやや乾燥した草原に生息するのに対し、コヒョウモンは渓谷や湿原などに多い。

 

庄下川沿岸では、目下、ミゾソバの最盛期である。

おっと↑はポリゴナムだ。これは空溝などで繁殖している。

ついでにポリゴナムについてのウィキさんの解説。

ただし、ウィキさんでは「姫蔓蕎麦」で登場。やはりソバなのだ、

 

ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)とは、タデ科の植物の1種。学名はPersicaria capitata(シノニムはCephalophilon capitatumPolygonum capitatum) 。別名はカンイタドリポリゴナムヒマラヤ原産。

日本にはロックガーデン用として明治時代に導入された多年草。 花は集合花で小さい花が球状に集まった金平糖のような形をしている。開花直後はピンク色をしているが、徐々に色が抜けて白へと変化する。 花期は5月頃から秋にかけてであるが、真夏には花が途絶える。冬季には降すると地上部が枯死するが、地面が凍結しない限り翌年には新芽が成長する。花は小花が球形にまとまっており、内部には種子が成熟する。葉にはV字形の斑紋があり、秋には紅葉する。

は匍匐(ほふく)性。1株でおよそ直径50cmほどに広がる。

性質が丈夫であるためグラウンドカバーとしても用いられる。種子株分け挿し木などで容易に繁殖が可能なほとんど手のかからない植物であるため、空き地や道端などで雑草化もしている。

近縁に白い花のツルソバ(蔓蕎麦)がある。花も葉もソバ(蕎麦)に似ていることからの命名。

↑↓はまちがいなくミゾソバ

ミゾソバ(溝蕎麦、学名 Polygonum thunbergii または Persicaria thunbergii )は、タデ科タデ属 (Polygonum) またはイヌタデ属 (Persicaria) に分類される一年生草本植物である。

ミゾソバも学名はポリゴナム! イヌタデと同属である。

アジア日本朝鮮半島中国)に分布する。

日本では北海道本州四国九州の小川沿いや沼沢地、湖岸などに分布する。 特に稲作地帯などでコンクリート護岸化されていない用水路脇など、水が豊かで栄養価が高めの場所に群生していることが多い。

今でこそ護岸をコンクリートで固められてしまった場合が多いが、かつて日本各地で水田が見られた頃は、土盛りされていた用水路、小川などの縁に普通に生えており、その見た目が蕎麦に似ていることが和名の由来になっている。

 

俳諧歳時記では、夏の季語として扱っている。

例句は1句のみ掲載

 

溝蕎麦の中にささ蟹かくれけり  涼舟

 

(続)「俳句検索」を検索

町中に溝蕎麦の堰く流あり 高浜年尾
 
溝蕎麦に狭められたり飛鳥川 国枝洋子
 
はじめに飢ありき溝蕎麦赤のまま 橋爪幸行
 
溝蕎麦やたたらの村の水の音 宮本よしえ
 
溝蕎麦や板を打ちては鯉を呼ぶ 宮坂静生 青胡桃
 
溝蕎麦や小舟の底によべの雨 加瀬美代子

庄下川にかかる橋からだっと北摂の山が見える。

川の両岸にはミゾソバがびっしり。

 

ミゾソバとほぼ同じ花を咲かすものに、ママコノシリヌグイという過酷な名前を持つ草がある。

これは近寄ると、思わず手を引きたくなるような棘がある。

継母がこれを前妻の子のトイレットペーパーとして与えたという、まあぁ~言えば、継母いじめの発想である。

 

 

 

 

サンタさん

$
0
0

隔月刊の俳句誌を創刊することになった。

そのための会合があり、昨日梅田へ出かけたが、

会合開始時間を1時間間違ったので、まだ摂っていなかった昼食。中華丼。

なお時間が余ったので、例により阪急百貨店のショーウィンドー「見学」。

 

JR西日本大阪駅の御堂筋口から見た阪急百貨店。高層階が伸びている部分が百貨店で、

その左側は百貨店と阪急電鉄の接続部分と駅舎部分。

阪急のビル越に見える高層ビルは? 富国生命ビル?阪急32番街ビル?

 

御堂筋口の前は新しくなった市バスのバスステーション。

左側に見える高層ビルは府警曽根崎署、正面は高層化工事が始まった阪神百貨店のビル。

クレーンが見える部分は、新阪神百貨店と一体化されるビル建設部分だと思う。

↑画に阪急百貨店のビルを視野に加えると

ビル内通路。ショーウィンドーの向い側

 

7つあるブースの南側から北側阪急電車の入り口方向を見ると↓

阪急32番街のエレベーター構内を抜けると少しばかりのグリーンコーナーがある。

アカンサス↑

 

 

阪急百貨店の地階は食料品売り場であるので、こういう機会にはチーズ買うために立ち寄ることもあるが、翌日、コストコへ行く予定があったので、百貨店の中へは入らず。

ブースはサンタさんがテーマ。ということは年末まではこのまま展示されるのであろう。

歳末には新年バージョンになるのであろう。

7つあるブースを電鉄側から順次2まいづつ

向かって右横側と、左側からと

多分7ブースで100人以上悪魔風サンタさんはいたはず。

 

 

 

すべてのサンタさんはじっとしていない、絶えず、上下、左右に動いている。

一つの場面にいろいろの舞台があり、何処に目を合わせたらいいか迷う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑の画像撮影時間が13:23分となっている。

会合開始時間は午後2時。まだ時間があっるので、もう一度部分撮影。

 

街角にサンタ来てゐる神の留守 大塚とめ子
 
クリスマス二人の吾子のサンタなり 小林好美
 
水洟をかめばサンタの声がする 仙田洋子 橋のあなたに
 
いる、いない、本当に来る?サンタの謎 吉原文音
 
地球儀の自転急がせサンタ待つ 吉原文音
 
枕許サンタにB鉛筆ねがふ 平畑静塔
 
朧夜を流すギターやサンタ・ルチア 寺田寅彦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細葉柊南天

$
0
0

ウィキさんの解説は短い。

ホソバヒイラギナンテン(細葉柊南天、学名Berberis fortunei)は、メギ科メギ属常緑低木

小葉ヒイラギナンテンよりも細長く、にも色づかない[2]

黄色で、に咲く(ヒイラギナンテンは冬に咲く)[2]

果実は、黒色に熟す[2]

 

中国原産らしい。

 

もう少し説明が欲しい。

ヒイラギネンテンにはヤポニカの種名があるが、やはり中国原産で17世紀前半に日本に入ってきたらしい。細葉柊南天は明治になってから日本に入ってきたらしい。

 

細葉柊南天も、柊南天も例句なし。

柊、最初の100句をコピー、作者名の一部である柊を削除すると以下。

雌伏何時までの花こぼす 藤田
 
月読の宮の匂ひけり 高繁泰治郎
 
宇佐八幡出づるに匂ふ花 松崎鉄之介
 
野良着に小さき身八つ口 川島千枝
 
稚児行列の花こぼしゆく 甲斐ゆき子
 
の花のこぼるる幾夜かな 稲垣晩童
 
古萩見る匂ふ蔵の窓 福田蓼汀
 
挿す若狭の水の通ふ井戸 沢木欣一
 
を挿して寒天小屋閉ざす 野崎ゆり香
 
挿し夜は国栖舞を習ひをり 石川幸子
 
をさして堅田のまくらがり 大峯あきら
 
古りし宿挿すをわすれざり 水原秋櫻子
 
鬼も蛇も来よと挿さでけり 後藤綾子
 
の花の富ならず貧ならず 赤羽 岳王
 
の花一本の香りかな 高野 素十
 
を挿したる門を開けくれし 本田 洋子
 
徒食のあかりまた灯す 鳥居おさむ
 
ささ濁る風ウェディングベル 尾田明子
 
軟膏たっぷり花の黄昏や 中北綾子
 
ドイツ髭文字教わりし 林 壮俊
 
は銀河の砂の花こぼす 大木石子
 
楽屋口挿してありにけり 中岡毅雄
 
や罰生誕の刻にあり 斎藤愼爾
 
を挿して蒲団の中にをり 神尾季羊
 
の挿せるを取らず水車小屋 森田 峠
 
父なくてを挿す母の背よ 草間時彦
 
に春の雪降り一樹の音 野澤節子 『鳳蝶』
 
父とありし日の短さよ花 野澤節子 『花季』
 
先生ひとり病ましめて(清瀬) 岸田稚魚 『筍流し』
 
母がりや花の現はれて 岸田稚魚 『筍流し』
 
嘆息のびつしり白き咲く 加倉井秋を 『武蔵野抄』
 
烈風の戸にのさしてあり 『定本石橋秀野句文集』
 
ひとり居の暗きに慣れてさす 『定本石橋秀野句文集』
 
の花にかぶせて茶巾干す 阿部みどり女 『笹鳴』
 
農四代の香を放つ 平田マサ子
 
の花から白くこぼれ落つ 中村草田男
 
の花と思へど夕まぐれ 富安風生
 
朝に残れる雨少し 松崎鉄之介
 
の花散りをりぬ咲きをりぬ 青柳志解樹
 
の花や掃かれし土の匂ひ 大野林火
 
の指さされたる香かな 石田波郷
 
心ひまあれば花こぼす 高浜虚子
 
父とありし日の短かさよ花 野沢節子
 
の花は絲引き落つるもの 伊藤柏翠
 
母がりや花の現はれて 岸田稚魚
 
の花のともしき深みどり 松本たかし
 
を挿したるままに這入りけり 後藤夜半
 
を挿すひびも古り軒柱 山口青邨
 
父なくてを挿す母の背よ 草間時彦
 
凍雪を踏んで挿しにけり 高野素十
 
に夕日零るる四日かな 福島 勲
 
を大切に日の匂ひけり 久米 敦
 
艮(うしとら)に香る小家かな 吉波泡生
 
思惟きらきらとの花こぼつ 伊丹さち子
 
の花にはいからさんとやら 松田貞男
 
の花やおのれに遠くゐて 森 澄雄
 
の花と思えど夕まぐれ 富安風生
 
挿す娘は嫁にゆくものか 樋口ただし
 
を挿して早寝の母なりけり 藤谷令子
 
を挿すや築地の崩れまで 蝶 夢
 
に鬼の子のゐる日和かな 中村 剛
 
大き日がの花染めて落つ 和田祥子
 
咲き妻にも小さき詩ごゝろ 那須 乙郎
 
の花の香に闇深みたる 平賀扶人
 
が咲く秒針のかそけさに 吉本 昴
 
思惟きらきらとの花こぼつ 伊丹さち子
 
黙の庭花は香をこぼし 中岡利子
 
は鳥の声にも花こぼす 松村越子
 
の花や間遠に機の音 兼久ちわき
 
の花に落暉のとどまらず 吉岡 宏
 
を挿す釘父の世が匂ふ 米澤吾亦紅
 
を挿す手燭かも家めぐり 白岩 三郎
 
挿す薬師寺見ゆる農具小屋 礒江沙知子

花柊(柊の花)、柊挿すで冬の季語になる。

 

まだ咲いているオシロイバナ

オシロイバナ(白粉花、白粧花、学名Mirabilis jalapa)とはオシロイバナ科多年草または一年草である。南アメリカ原産で江戸時代始めごろに渡来。花が美しいため観賞用に栽培されるが、広く野生化もしている。

我が家の庭にもさいているがこれほど元気ではない。

近くのアカシアの街路樹の下のもの↑↓

茎はよく枝分かれして灌木状となるが節がはっきりしていて、木質化はしない。全体にみずみずしい緑。は赤、黄色、白や絞り模様(同じ株で複数の色のものもある)などで、内、白と黄の絞りは少ない。花は夕方開き、芳香がある。このため和名としてはユウゲショウ(夕化粧)とも呼ばれるが、この名はアカバナ科のものにも使われているので注意を要する。英語ではFour o'clock、中国語では洗澡花(風呂に入る時間から)、煮飯花(夕飯の時間から)などと呼ばれる。夜間に開き花筒が長いので口吻の長い大型の夜行性鱗翅目でなければ吸蜜は困難である。日本のオシロイバナでは主にスズメガが吸蜜し、送粉に関わっている。オシロイバナは網状脈である。

 

花弁はなく、花弁に見えるのはがくで基部は緑色でふくらんでいる。また花の根元にある緑色のがくのようなものは総苞である。花が咲き終わった後、がくは基部を残して脱落し果実種子を1つ含む)ががくの基部に包まれたまま熟して全体が黒い種子のようになる。種子には粉状の胚乳があり、これからオシロイバナの名がついた。いも状になり、暖地では冬に地上部が枯れてもこの地下部が生き残り次の年に根から芽を出す。

 

根や種子に窒素化合物のトリゴネリンを含み、誤食すると嘔吐、腹痛、激しい下痢を起こす[1]

 

(続)「俳句検索」より。

一嵐おしろいの花倒れけり 白粉花 正岡子規
 
おしろいは妹のものよ俗な花 白粉花 正岡子規
 
花ならば爪くれなゐやおしろいや 白粉花 正岡子規
 
賤が家に花白粉の赤かりき 白粉花 正岡子規
 
一つ木におしろいの花の黄と赤と 白粉花 正岡子規
 
白粉花散りぬ浪費といふ風情 高澤良一 暮津
 
夜遊びをせよと白粉花が言ふ 山尾玉藻
 
恋死にし母よ白粉花ひとつ 籏こと
 
下町や白粉花を捨て蒔きに 角川 照子
 
白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波
 
本郷に残る下宿屋白粉花 瀧春一
 
白粉花妻が好みて子も好む 宮津昭彦
 
白粉花の匂へる袋小路かな 吉田ひろし
 
すつきりと晴れ白粉花の咲きはじむ 武井規子
 
道端に白粉花咲ぬ須磨の里 白粉花 正岡子規
 
雲行きの怪しくなれば白粉花悄気(しょげ) 高澤良一 素抱
 
地蔵盆白粉花を蒐む子に 高澤良一 寒暑
 
白粉花侏儒の喇叭を吹きにけり 高澤良一 燕音
 
白粉花の勝手気ままに路地に殖ゆ 高澤良一 さざなみやつこ
 
法衣ふと白粉花にふれにけり 阿部田鶴子
 
白粉花 犬も一緒に老いる町 右近絢子
 
白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波
 
白粉花の闇の匂ひのたちこめし 深見けん二
 
本郷に残る下宿屋白粉花 瀧春一
 
白粉花平家都を落ち果てぬ 川崎展宏
 
咲きついでこぼれて白粉花の反り 川崎展宏
 
白粉花の匂ひか月の匂ひかと 深見けん二 日月

 

 高見沢さんの句は、私好みのものが多い。

しかし、わたしはそこまで露骨に言い切らないように気を付けているが。

 

 

きょうあたり我が家のオーシャンブルーは、枝切り、蔓切りをしたせいもあるが、

弱っていいるが、数日前までは、

ケイトウもまだ残っている。

 

 

 

マンション

$
0
0

他に適当な「テーマ」が登録されていない(登録していない)ので、「調査」

3月に入居開始となった全48戸のマンション。

 

北側は通路(廊下)側なので、入居の実態は分からない。

南側から見ると2階部分など全く明かりはついていない。

この時間帯だと画像にとっても暗くて写らない。

昨日の画像

建築基準上、すべてを10階建てにすることは許されないのであろう。

↑は東側から

西側(幹線道路側)から↑

南側1階部分の目隠し兼用植栽は順調に育ち、2階部分にまで届きそう。

70㎡で3500万。

 

今夜のローカルニュースで、尼崎市では空き家が激増中とか。

 

相続人が不明で、強制取り壊し第1号邸の代執行開始セレモニー(宣告)風景が紹介されていた。

 

マンション建築が実現しなかったように思われる駅前の市場跡。ここは火事があって焼け跡整備が終わってから5年近くになる。ここなら駅から1分未満と表示できるが、車の進入路が確保できない。

見えている線路沿いの道路は4メートル未満。

しかし西は私道であり、東側はすぐに踏切だが、一般車は踏切へ右折できない。

一般車は踏切へ進入できないし、左折もできない。一般車進入禁止道路なのである。

 

北側へも狭い通路があるが車は通れない。孤立地帯なのである。

 

 

かつて生えていた草が復活中。

↑はセンダングサ。

イヌタデ

他にこの地独特のものは葦。

 

昨日今日の夜のコーヒのあて

まあまあの味。

2日ほどで、計21句の俳句を新誌創刊号用に用意しなければならない。

「創刊」で検索したが、句中に創刊が用いられた句はなかった。

運われにあり玉虫にけふも逢ふ(初蝶創刊) 細川加賀 『玉虫』
 
秋深し父の影踏む思ひして(「鹿火屋」創刊六百号) 原裕 『青垣』
 
月育つ夜々胎動の如きもの(「万蕾」創刊近づく) 殿村菟絲子 『樹下』
 
人も亦蟻の甘きにつく如く・・・菓子雑誌創刊祝句

「雑誌」

夜長かな蛍雪時代といふ雑誌 天槻和木
 
雑誌投げて焚火ゆたかや寮を去る 金子 潮
 
雑誌はや二月号なる蔵開き 石塚友二
 
避暑楽し読まぬ雑誌を借りもする 岩田由美
 
三月の雑誌の上の日影かな 前田普羅
 
人も亦蟻の甘きにつく如く・・・菓子雑誌創刊祝句
 
薄い雑誌が靴箆がわり雪降り出す 鈴木六林男 第三突堤
 
春近し丸めし雑誌に肩たゝかれ 川口重美
 
流れ浮く週間雑誌梅雨の川 京極杞陽
 
姉妹椎の実たべて東京の雑誌よんでる 尾崎放哉

 

吉祥草

$
0
0

創刊に加わる深秋終刊報

 

↑の文中にあるように、

降る雪や明治は遠くなりにけり

萬緑の中や吾子の歯生え初むる

は、俳句をたしなむ人でなくとも知っている。

 

最近の句会では、「明治」の代わりに「昭和」を使った句がよく登場する。

すべて草田男の句に影響を受けているといって過言ではない。

 

しかし私は、

 

校庭に鳩多き日や卒業す

 

をあと一句足せる程度で草田男の他の句を思い出せない。

 

「中村草田男」で「俳句検索」を検索。1300句以上登場。

何冊かの句集所載の句がすべて収録されているのであろう。

最初の100句。

 

七夕や男の髪も漆黒に 中村草田男
 
起し絵の男をころす女かな 中村草田男
 
秋霖のドアを閉し出る男 中村草田男
 
起し絵の男をころす女かな 中村草田男(1901-83)
 
炬燵さめて我家に男の世界一つ 中村草田男
 
母のそば仔馬は男秋炉燃ゆ 中村草田男
 
起し絵の男をころす女かな 中村草田男
 
楪や町筋上下ただ寄りあふ 中村草田男
 
左義長へ行く子行き交ふ藁の音 中村草田男
 
焼跡に遺る三和土や手毬つく 中村草田男
 
日光月光面輪通ひて初日中 中村草田男
 
蛇の髯に実のなつて居し子供かな 中村草田男
 
絹機を織るやかゞよふ白兎 中村草田男
 
木の葉髪文芸永く欺きぬ 中村草田男
 
綿衣の母君探し出しては朝の礼 中村草田男
 
冬浜を一川の紺裁ち裂ける 中村草田男
 
冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男
 
雪女郎おそろし父の恋恐ろし 中村草田男
 
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
 
あたゝかき十一月もすみにけり 中村草田男
 
冬すでに路標にまがふ墓一基 中村草田男
 
曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり 中村草田男
 
末枯に下ろされ立てる子供かな 中村草田男
 
甘橿の柑子や笥に盛る旅の飯 中村草田男
 
空は太初の青さ妻より林檎うく 中村草田男
 
一ト跳びにいとゞは闇へ皈りけり 中村草田男
 
鴨渡る鍵も小さき旅カバン 中村草田男
 
夜長し四十路かすかなすはりだこ 中村草田男
 
秋の航一大紺円盤の中 中村草田男
 
麦の道今も坂なす駈け下りる 中村草田男
 
*はまなすや今も沖には未来あり 中村草田男
 
万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
 
父母既になくて頼みし椎夏木 中村草田男
 
桜の実紅へてむらさき吾子生る 中村草田男
 
夜の蟻迷へるものは弧を描く 中村草田男
 
月に飛び月の色なり草かげろふ 中村草田男
 
妻のみ恋し紅き蟹など歎かめや 中村草田男
 
蟾蜍長子家去る由もなし 中村草田男
 
母の日や大きな星がやや下位に 中村草田男
 
旅人は汗も涙も独り拭きぬ 中村草田男
 
田を植ゑるしづかな音へ出でにけり 中村草田男
 
家ふかく昼の一燭柏餅 中村草田男
 
寺清水もつれ流れて末濁らず 中村草田男
 
火の島は夏オリオンを暁の星 中村草田男
 
をみな等も涼しきときは遠を見る 中村草田男
 
毒消し飲むやわが詩多産の夏来る 中村草田男
 
そら豆の花の黒き目数知れず 中村草田男
 
黄楊の花ふたつ寄りそひ流れくる 中村草田男
 
勇気こそ地の塩なれや梅真白 中村草田男
 
つばくらめ斯くまで並ぶことのあり 中村草田男
 
種蒔ける者の足あと洽しや 中村草田男
 
校塔に鳩多き日や卒業す 中村草田男
 
入学試験幼き頸の溝ふかく 中村草田男
 
貝寄風に乗りて帰郷の船迅し 中村草田男
 
春の闇幼きおそれふと復る 中村草田男
 
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 中村草田男
 
水甕に水も充てけり除夜の鐘 中村草田男
 
大年の日落ち流水尚見ゆる 中村草田男
 
歳晩や火の粉豊かの汽車煙 中村草田男
 
餅焼く火さまざまの恩にそだちたり 中村草田男
 
餅をつく湯気がつつむよ日がくるめく 中村草田男
 
寒星や神の算盤ただひそか 中村草田男
 
冬の水一枝の影も欺かず 中村草田男
 
青空に寒風おのれはためけり 中村草田男
 
日向ぼこ父の血母の血ここに睦め 中村草田男
 
勁き拇指蝸牛のごとく覗く足袋 中村草田男
 
黒き肩掛年経し指環ゆるやかに 中村草田男
 
寝よと父母毛布に子等をつつむ時 中村草田男
 
冬蒲団妻のかほりは子のかほり 中村草田男
 
横顔を炬燵にのせて日本の母 中村草田男
 
聖母像高し煖炉の火を裾に 中村草田男
 
焚火火の粉吾の青春永きかな 中村草田男
 
炭を焼く長き煙の元にあり 中村草田男
 
冬座敷首根めぐらし面談なす 中村草田男
 
冬館訪ふ近道や廃虚の中 中村草田男
 
文字の上意味の上をば冬の蝿 中村草田男
 
衆目を蹴つて脱兎や枯野弾む 中村草田男
 
前へ進む眼して鯛焼三尾並ぶ 中村草田男
 
教師二人牛鍋欲りて熄むことあり 中村草田男
 
もの言へば雑炊焦げの舌にがし 中村草田男
 
鴎さへひそめて風の枯葎 中村草田男
 
毛髪条々端までかなし冬柳 中村草田男
 
息の白さ豊かさ子等に及ばざる 中村草田男
 
白鳥といふ一巨花を水に置く 中村草田男
 
鴛鴦の深淵に得し妻なるか 中村草田男
 
冬雲雀石切場ふかく深くなる 中村草田男
 
冬空をいま青く塗る画家羨し 中村草田男
 
卵黄を掻き解き掻き解く冬夕焼 中村草田男
 
冬の雷に醒めし眠を継がんとす 中村草田男
 
行く馬の背の冬日差はこばるる 中村草田男
 
絣地の一枚北窓塞ぎ足す 中村草田男
 
街道や時雨いづかたよりとなく 中村草田男
 
木葉髪文芸ながく欺きぬ 中村草田男
 
銀杏落葉相似衆人の生活如何に 中村草田男
 
返り花三年教へし書にはさむ 中村草田男
 
鷹消えぬはるばると眼を戻すかな 中村草田男
 
鼬の路伸し切りの首伸しながら 中村草田男
 
芽寒竹黒芽ばかりの早熟児 中村草田男
 
愚かなる「無」の扁額や七五三 中村草田男
 
芭蕉忌や遥かなる顔が吾を目守る 中村草田男

 

 

「校庭」ではなく、「校塔」だった。

「校塔」は草田男の造語であろう。

木造学舎が無くなったためか、最近はめったにお目にかからない。

ああそういえばこの句も草田男の句だったと思うものは、上掲の100句の中には他になかった。

 

近くにお住いの「館長」さん。(館長名でブログを開設されている)

その館長さんが花付きの分け株を句会に持参されて紹介なさった吉祥草(キチジョウソウ)

 

句会終了後その株をいただいたので、鉢植えした。

しかし1年後、まったく花が付かなかった。

一年苗は花を持たないかと思っていたら、

ある日、通りかかった館長さんが、

我が家のものも今年は花を付けていないとのことであった。

 

 

今年は、と久し振りに覗き込むと、赤い花芽をいっぱい持っている。

慌てて、玄関先に運び出した。

 

しかしその花芽をなかなか写せない。

 

月2・3度訪れる施設へ左折する角地に、白い花が咲いていた。運転席から見る限り

ハキダメギクに見えた。

車を駐車場にとめてから、確認にでかけた。

 

センダングサと同居しているように見えたが、よくみるとセンダングサの花であった。

白花センダングサであった、。

普通のセンダングサは、花弁は黄色である。花弁の部分が緑色の笠(咢)ならアメリカセンダグサ

、他に、花弁の無いものもある。

 

トランプ

$
0
0

トランプさんそっくりの感じ。バロン君。

聡明そうな眼付き。

 

大勝である。以下の解説の中では「接戦」とあるが、選挙人獲得数では圧勝といえる。

 

ウィキペディアのドナルド・トランプの項は、すでに書き換えられている。

 

ドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump、1946年6月14日 - )は、アメリカの著名な実業家であり、政治家である。2016年5月に共和党の推定候補となり[4]、2016年7月の2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙で正式に大統領候補に指名された。2016年11月8日執行のアメリカ合衆国大統領選挙で、民主党候補のヒラリー・クリントンを相手に接戦の末に勝利を果たし、第45代アメリカ合衆国大統領当選者となった[5]

不動産会社トランプ・オーガナイゼーションの会長兼社長で、カジノ・ホテル運営会社トランプ・エンターテイメント・リゾーツの設立者である。アメリカのビジネスシーンでの有名人であり、メディアへの露出機会も際立って多い。その経歴、ブランディングの努力、私生活、豊かな財産、歯に衣着せぬコメントによって、セレブリティとして知られる。

 

 

注5 [5]などの注記はそのまま引用しているが、その中身は無視して紹介していた。今回は特別。

  1. ^ “「私は全ての国民の大統領になる」トランプ氏が勝利宣言「歴史的な勝利だ」…共和党、8年ぶり政権奪還 米主要メディア報じる”産経ニュース. 産業経済新聞社. (2016年11月9日) 2016年11月9日閲覧。

解説は長文であるが、今日書き換えられたようだ。

かなり以前から準備していたようで。クリントンさんの項も同じような加筆がなされているだろう。

 

トランプさんの家族:

 

父のフレッド・トランプは、ニューヨークを中心に事業を展開していた不動産開発者。 トランプが自ら語るところによれば、父の手伝いは5歳からしていたという。

姉のマリアン・トランプ・バリーは、連邦高等裁判所の裁判官

フレッド・トランプについては、21歳の頃、KKKに加名していた可能性があると報じられた。それによれば、1927年のニューヨーク・タイムズの記事に、クイーンズ地区KKKが約1000人で騒々しいデモ行進を行い、取り締まり中の約100人の警官と乱闘に発展したという記事があり、警官が負傷し、7名の逮捕者が出た。7人の内の一人が、ドナルド・トランプの父親のフレッドと同姓同名だった。 当時の記事によれば、フレッド・トランプという21歳の男性は起訴されずに釈放された。この男性の住所は、クイーンズ区ジャマイカ・エステートと記載されていた。ジャマイカ・エステートはドナルド・トランプの父が住んでいた地区である。

 

 

当時KKKは合法の結社で、若き日のハリー・トルーマン(後に第33代大統領になる)も、選挙での支援を得るために一時加入したことがあるほど党勢が強く、600万人の党員がおり、州知事も輩出していた。

 

トランプはこの報道について、英紙デーリー・メールのインタビューで「くだらない」と否定。「父に逮捕歴はないし、その事件とも無関係だ。そんなことはまったくなかった。ばかげている」と語っている[203]

なおフォーク歌手のウディ・ガスリーは、フレッドに家を借りていた事があり、ガスリーによるとフレッドは人種差別的な行動を取っていたとし、賃貸エージェントによると、黒人に家を貸さないように指示していたと言う[204]

 

イヴァンカ

娘のイヴァンカは、二児の母。主婦業、母親業、モデル業をこなす傍ら、相続人としてトランプ・オーガナイゼーションの副社長も務め、父ドナルドの選挙活動にも出馬会見や集会で前座を務めるなど活発に参加している。産経新聞によると「クールで最高に行儀がよい」ことから米メディアから「秘密兵器」と呼ばれているという[205]。夫と同じユダヤ教に改宗して[206][207]16年2月現在、第三子を妊娠中[208]

 

ドナルドは3度結婚しており、1977年チェコスロバキア出身のイヴァナ・ゼルチコヴァ(イヴァナ・トランプ)と結婚し、1992年に離婚。夫妻の間には、二男一女(ドナルド・トランプJrイヴァンカエリック)。

 

1993年に、女優のマーラ・メープルズと再婚。マーラとの間にティファニー・トランプが生まれる。マーラとは、1999年6月8日に離婚する。

3度めの結婚は、2005年1月22日で、相手は24歳年下のスロベニア出身のモデル、メラニア・クナウス。翌2006年3月20日メラニアとの間に男児バロンが生まれる・

 

 

新大統領のすぐ横に立っていたのはバロン君のよう。バロン君は長身に見えた。

満10歳である。

 

本人はドイツ系であり、母はスコットランド系

自身の子供には、東欧系、南欧系の血が入り込んでいる。

 

昼間に見た野の草 いずれも神戸市北区淡河町神戸にて

↓イヌホウヅキ

 

アカツメクサ

シャゼンソウの穂と思う。

大統領何かほしがり口ひらき 鈴木六林男
 
ひらひらと大統領がふりきたる 渡辺白泉
 
被爆国に大統領よ座りなさい 谷山花猿
 
ヘリコプター愛用避暑の大統領 保田白帆子
 
いわし雲大統領の掌のぬくみ 佐川広治

2003年に更新されたものなので、被爆国・・・の句はオバマさんではないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

白鳳

$
0
0

生田神社

201年神功皇后三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”におりたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせてほしい)。」との神託があったと日本書紀に記されている。

 

当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山(いさごやま))に祀られていた。799年延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれている。

 

平城天皇806年大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった。

神階859年貞観元年)に従一位に昇進した。延喜式神名帳では「摂津国八部郡 生田神社」と記載され、名神大社に列し、月次・相甞・新甞の幣帛に預ると記されている。

近代社格制度のもとで1871年明治4年)に県社に列格し、その後1885年(明治18年)に明治天皇の西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、1896年(明治29年)には官幣中社に昇格した。

社殿は、1938年(昭和13年)の神戸大水害・1945年(昭和20年)の神戸大空襲・1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災など何度も災害などの被害にあい、そのつど復興されてきたことから、「蘇る神」としての崇敬も受けるようになっている。

 

 

 

神戸句会参加。

トランプ旋風だけではない。イギリスの難民拒否とEU脱退、フィリッピン新大統領の嫌米発言、韓国朴槿恵さん絡みの内紛など、IS紛争や北朝鮮問題の複雑化を放置せざるを得ない時代を詠ってみたかった。

 

4句出句

冬の時代へおっと孫の誕生日    11月10日は、私の初孫の誕生日。

同じ病院で次に生まれた児の札には、11月11日11時11分誕生と記されていた。

その子は近所に住んでいて母親は園芸好きである。

 

オールマイティより強いジョーカー立冬以後

改作

エースより強いジョーカ―立冬以後

 

別れてよりひっつき虫を剥がしいる

薄紅葉見慣れぬ国の旗翳し

 

句会開始前に生田神社(生田の森)散策。

 

白鳳という名の人の和歌があちらこちらにあるのを知って、

帰宅後検索。

なかなかフルネームを探り出せなかったが、「白鳳 生田神社」の検索で判明

 

加藤 隆久(かとう たかひさ、1934年8月28日 - )は、神職、神道学者、神戸女子大学名誉教授。

岡山県生まれ。号・白鳳。父錂次郎が生田神社宮司になり神戸に移住[1]甲南大学文学部国文科卒、國學院大學大学院神道学科博士課程満期退学。1986年「神道津和野教学の研究」で國學院大學文学博士。1961年生田神社神職。神社本庁常務理事を経て86年生田神社宮司。神社本庁長老。神戸女子大学文学部教授、家政学部教授、名誉教授。1997年神戸市文化賞受賞。2000年兵庫県文化賞受賞。2013年兵庫県県勢高揚功労賞受賞。神戸史談会会長。神戸芸術文化会議議長。神戸ビエンナーレ組織委員会会長。日本民俗芸能団長として数多くの海外公演をおこなう[2]筒井康隆とは友人[3]


↓道標である。

 

その他の歌碑・句碑

背面

 

新しい句碑である。

小路紫峡さんは今年4月に、89歳で亡くなられた。

ねのひあん いっそう と読む。

子日庵一草の句碑
碑面に「神垣や又とをらせぬ梅の花」とあり、裏面に「文化元甲子春 子日庵一草」とある。
子日庵一草は文化文政の俳人で、岩手県和賀郡黒沢尻の人である。
諸国の神社仏閣名所旧跡を遍歴行脚し、終焉の地を摂津兵庫に求めて、文政2年、11月18日、兵庫の津、鶴路亭において89歳で歿した。
この句は源平合戦の際に、源氏の若武者梶原源太景季が咲きほこる梅の一枝を手に折って箙にさし、獅子奮迅の働きをした故事をふまえ、この生田の森は神聖な境内であるから二度と箙の梅は折らせないと詠んでいる。

 

江戸後期の俳人。奥羽生。号は子日菴壮年の頃兵庫に移住し、明石の俳人らと蛸壷社を結んだ。俳諧は仏仙門。著に『須磨明石』『佃集』『芦間小屋』等がある。文政2年(1819)歿、88才。

 

歌碑というより書碑↓↑

 

総じて古いものは、震災等で損壊したのか?

 

 

園児でも年長組さんは、見ごたえのある絵を描いている。

 

 


 爆買い

$
0
0

空澄んで11・11(ダブルイレブン)爆買い日

 

いい日ならどら焼き2つ買い足すか

 

中国では今日は「独身の日」で、それを無断輸入して日本では「いい買い物の日」だとか。

 

秋空の下のジニア

大鉢植え

花壇植え

 

「めばえ」像

 

マリーゴールドも

インパチエンスも

向日葵も

サルビアも

コキアはこれから

桜紅葉

 

 

苺の木

皇帝ダリアはまだまだ

 

 

雲の上

$
0
0

先週、欠礼挨拶が一枚届いた。

ここ10年ほどは、12月初旬までに、夫婦あわせて30枚以上受け取っていたが、

今年は、まだ5枚にもなっていない(と思う)。

受け取ったはがきに住所が記載されていた。

これまでの住所と違う。

東京晴海からで丁目、番地、号の後が450Xとなっていた。

 

ウム!45階居住者になったかと思った。(雲の上の人だ!)

 

中学高校のテニス部の仲間である。

中学の頃、最寄り駅が阪急岡本駅の家を数人の友人と訪問したことがある。

大邸宅であったが、最近改築したらしい2階へ通された。

2階が30畳あったか40畳あったかしらないが、ともかく広いカーぺット敷き

ワンルーム仕立てになっていた。

その部屋でテニスができるのではないかと思うほど広かった。

 

われわれは暖炉前の一角でおしゃべりをした。

帰りにはタクシーが呼ばれ、タクシーチケットが運転手に渡された。

タクシーチケットなるものを使ったのは、この時が最初であった。

 

 

父親はN毛織会社の重役ということであった。カーペットが同社製だったかどうか?

 

それから数日して、同窓会から校友名簿が届いた。

いつもよりかなり薄くなっている。

中を覗くと、会員の住所等の記載がすべて省かれている。

 

各期ごとの名前だけが記され、住所不明者一覧と、逝去者一覧が付いている。

 

用紙見本が入っていて、住所等を知りたければ、申請書に記入してFAXかメールで

事務局に問いあわせるようになっている。

 

私の期の住所不明欄に、晴海へ転居した友人の名があったので、

事務局に新住所を知らせてやろうと思った。

 

そのついでに、住所を打ち込んで、グーグルの地図検索を利用。

出てきたのは、案の定超高層マンション。

手がけているのは、近所で10階建てマンションを売り出しているのと同じ会社。

 

ついでにマンションの現在価格も調査。

同じ階ではなかったが一つ上の階の120㎡には、2億寸前の値がついていた。

ついでに画像もコピー紹介と思ったが、事前了承なしの画像利用禁止となっていたので断念。

 

西隣りのワンルームマンション

外壁の目地張りや内装工事を朝早くから暗くなるまでやっている。騒音はもうあまりない。

ミキサー車やクレーン車などがレンタル会社の名前を付して止まっていた時は、車の出し入れに不自由したが、今は、小型トラックからミキサーを降ろしてなんとか半分敷地内に置いて作業している。昨日・今日はそれもない。

 

オーストラリア・ニュージーランドあたりが原産らしい。ブラキスコメ。

ブラキカムの名で出回っている。

ともかく近年、オーストラリア原産のものが多く日本に定着している。

ギョリュウバイやブラシの木、木立性ダチュラ(エンジェルトランペット)などなど。

オーストラリアの国の花、ワトルにはまだお目にかかった記憶がない。

 

 

↑道路を隔てた北側の園芸好きの方が栽培。昨年より花がやや小さくなった感があるが

これは日本原産(有史前は不問)の山野草に分類されている。ダルマギク

秋の風景

市の緑化植物園内を流れる川。上坂部川へかなりの勢いでなだれ落ちている。

↓植物園の西側の門を入るとすぐに上坂部川の橋を渡ることになる。

その橋上から南側をみると、園内の西側を流れる人工川が、上坂部川へ合流しているのが良く見える。

苑の東側にも水の吹き出し口があって、東側の浅い川となって子供も遊べるようになっている。この水も、かなりの落差で昆陽川へ流れこむ。

 

俳句では高層マンションという言葉の代わりに、

せいぜい7,8階で驚いていた時代に、

「高階」という用語が用いられだした(ようだ)。

小春日や高階は背中合せ 玖保律子
 
高階の三日の松に水を遣る 寺井谷子
 
高階の木箱に育つ花糸瓜 房川喜三男
 
谺せずビル高階のつくり滝 船坂ちか子
 
多佳子忌の高階に泛くエレベーター 桂 信子
 
高階の歯科に子が泣く花曇 秋元不死男
 
高階に花びらとどく西行忌 坂本登美子
 
新年会降る雪を見て高階に 川畑火川
 
多佳子忌の高階に泛くエレベーター 桂 信子
 
どこかに死高階今日も蒲団干す 西川 織子
 
多佳子忌の高階に泛くエレベーター 桂信子
 
高階に硯を洗う鈴の空 鈴木六林男
 
高階にメロンすすれば海光る 田邊香代子
 
高階の窓に星入れハロウィーン 伊藤京子
 
高階にハンカチひとつもとめたり 藤木清子
 
水無月や弱りし者を高階に 森田智子
 
高階に素足を拭ふ夏は来ぬ 沼尻巳津子

一般会話用語、文章用語ではないように思う。

 

穭田

$
0
0

先週もふれあい祭、今日もふれあい交流祭。

もちろん開催場所や主催団体は異なる。

本日の担当は焼き鳥

焼かなくても食べられる状態のものを電気プレートに乗せて、焦げ目を少しつけるだけ。

モモとツクネを一本ずつ紙コップに入れて渡すだけ。

仕事熱心なボランタリー団体の人の手助けがあり、

私は例により、カメラぶら下げてぶらぶら。

 

カードの裏

利用した店でチェックを入れる。一応一人1回だけ利用可。

1時間ほどの間に、7品中唐揚げを除く6品を食べた。

唐揚げも好きだが、お腹いっぱいになり全品制覇をあきらめた。

イカ焼きにいつもの焼きそば用鉄板を利用したので、

今回は焼きそば、たこ焼きはなし。

 

冬スミレを路傍(というよりは道の真ん中)で見つけた。もう咲きだしている。

↓一般にはまったく耳にしないが、ヒツジ田という。

この場合のヒツジは羊ではない。櫓という字のキヘンをノギヘンに代えてヒツジと読む。

ウィキペディアの解説:

 

稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)は、稲刈りをした後の株に再生したである。いわば、稲の(ひこばえ)である。二番穂とも呼ばれる。稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出る。穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。

穂の中身は、入っていないものも多いため二十一世紀の日本においては、稲刈りはせず田に鋤きこまれるが[1]、過去においては農民の貴重な食糧源になっていた時代がある。

俳句においては秋の季語である。[2]

 

 

*ひつじの風ひろびろと立山剱 石工冬青
 
*ひつじの瘠せて傾く海の際 中瀬喜陽
 
一寺一塔*ひつじこれを囲繞せり 安住 敦
 
*ひつじを踏めば能因塚はすぐ 西上禎子
 
出揃ふといふは美し*ひつじも 川圖静枝
 
*ひつじに大社の雀来て遊ぶ 村山古郷
 
*ひつじを打てばとつぜん鉄格子 松 進
 
*ひつじに深酔いの誰かいる未明 児玉悦子
 
嚥み下す*ひつじに身を置いてより 久保純夫
 
*ひつじの水漬きて神に近くあり 波多野爽波 『湯呑』
 
*ひつじに溢れて沼の水暗し 石塚友二
 
花嫁が行く*ひつじの晴れし日に 村山古郷
 
*ひつじの黄みどりの黄にただよふ日 上村占魚
 
*ひつじに鶉出でたる初景色 森 澄雄
 
*ひつじの枯れ見せ始む耳鳴りす 斎史子
 
*ひつじのあをあを上総日和かな 三上紗恵子
 
*ひつじの持ち堪えたる十坪ほど 小平 湖
 
*ひつじの涯まで枯れて鷺一羽 小川玉泉
 
*ひつじに今浦島の一人かな 湯沢千代子
 
*ひつじに二本のレール小浜線 高野素十
 
*ひつじへ紅葉降りつぐ上の茶屋 水原秋櫻子
 
*ひつじの果てもり上る日本海 福原ふじこ
 
*ひつじとなりて海鳴る千枚 高橋淑子
 
*ひつじや間遠になりし駅と駅 鶴岡容子
 
秋篠の*ひつじ四方に寺低し 松島利夫
 
*ひつじに鴨の声あり夕まぐれ 遠藤孝作
 
*ひつじのあかるさに干す杉丸太 玉垣 咲良
 
*ひつじを牛帰り来る平等寺 竹内一笑
 
*ひつじのしぐるるときの音もなし 長谷川浪々子
 
*ひつじの風伸びゐたり鶏の胸 進藤一考
 
*ひつじの青む幾枚こころ弱し 赤西愛二
 
*ひつじの水の太陽げに円し 西東三鬼
 
*ひつじに溢れて沼の水暗し 石塚友二
 
*ひつじは人通らねば泣きに来し 高野素十
 
*ひつじに我家の鶏の遠きかな 高浜虚子
 
ひつじにことしの鴨のきて散れり 春光
 
*ひつじの畦の際より日本海 高橋優子
 
日がさしてまだ*ひつじの水びたし 岸本尚毅 選集「氷」
 
*ひつじに花を咲かせて北の国 二村典子
 
*ひつじにしぐるるときの音もなし 長谷川浪々子
 
*ひつじに入り少年の頃思ふ 森公司
 
*ひつじや痩せて慈姑の花一つ 正岡子規
 
*ひつじや白きは雁の糞ならん 夏目漱石
 
*ひつじの水の太陽げに円し 西東三鬼
 
一人遍路に土佐の*ひつじ青々と 中英子
 
*ひつじに放り込まるる刈芒 石勝彦 秋興
 
*ひつじの枯るるすがすがしき月夜 松村蒼石 雪
 
*ひつじのまさをなる果て瞽女の墓 佐川広治
 
*ひつじに一羽下りたる雀かな 内百間
 

少し小高いところからまつりの会場である建物を写している。

なぜ「ひつじ」と呼ぶのかについての説明がない。

穭田をいつまでも残すことは最近では禁止事項である。

鹿が寄ってくるから。

 

2毛作をやらないため、土に肥料分が残っていて、最近の穭は実入りがいいらしい。

 

 

 

 

$
0
0

 

多摩丘陵の植物と里山研究室のHPから

タラノ木

■特徴・分布・生育環境 
有名な山菜です。春の新芽に特有な香りがあり、昔から山菜の王者として親しまれてきています。里山から低山の斜面や崩壊地に多く生育します。 
落葉の低木で高さ2~3mほど、時に高さ6~10mにもなります。樹皮は灰褐色で、多くのトゲがあります。 
葉は互生(互い違いにつく)で、長さ50cm~1mほどの大型の2回羽状複葉(葉軸が分枝して各軸の左右に小葉が並ぶ)です。葉軸に上向きのトゲがつくのが特徴です。小葉といえども大きくて、葉先が鋭三角形状の卵型で長さ10cm前後もあります。 
花は、初秋に咲き、径3mmほどのとても小さな黄緑白色の花を、径60cm~1mにもなる大型の放射状の傘型(複散形花序)の花序の花柄に、小花柄を出して放射状につけます。 
果実は、径3mmほどの球形で、秋に黒色に熟します。 
時にトゲがないものがあり、タラノキの品種としてメダラと呼びます。    
日本各地から北東アジアに分布します。 
多摩丘陵では、時々若い個体が見られますが、保護植栽されているもの以外は成木にはほとんど出会いません。これは、里山ではトゲのある植物は作業の邪魔になるので除伐されてしまうからのようです。

■名前の由来 
平安時代の本草書に既に和名「多良(たら)」の名が現れていて、古い時代から「タラ」と呼ばれていたようです。その語源は、よくわかっていないようです。 

■文化的背景・利用 
ウコギ科には山菜として著名なものが多く、仲間(同属)のウドやコシアブラが有名です。また、薬用としてトチバニンジンや仲間(同属)のチョウセンニンジンがよく知られています。 
昔から「タラの2番芽は採るな」と言われています。これは、1番最初の芽の後に出る芽まで採取すると枯死してしまうからです。近年では、山菜採りが流行っていて2番芽まで採取してしまう人が多く、各地で枯死した個体をよく見かけます 
なお、万葉集を始めその後の歌集や文芸等には詠われていません。 
平安時代の「倭名類聚抄」や「本草和名」に「和名 多良(たら)」などとして現れています。 
江戸時代の「本草綱目啓蒙」や貝原益軒による「大和本草」などにその名が現れています。 

■食・毒・薬 
寒い時期の根皮を採取して刻み天日乾燥したものが生薬「タラ根皮(たらこんぴ)」で、健胃、整腸や強壮などに効能があるとされています。糖尿病などにも効能があるとされます。 
春に芽吹いたばかりの新芽が「たらのめ」で、山菜の王様としてテンプラなどにします。独特の香りと風味があり、山菜の王様とされます。また、多くの脂質やタンパク質を含み、栄養価も高いようです。 

■似たのものとの区別・見分け方 
多摩丘陵には似たものはありません。春の芽生えの時期にはハリギリに姿形が似ていますが、ハリギリの葉はカエデのような掌状です。 
また、仲間(同属)のウドも山菜としてよく知られていますが、大型になる草本で、若い茎や新葉などは香りがよくテンプラなどにして賞味します。芽生えの頃は、全く別種のセリ科のシシウドに似ていますが、ウドでは茎に軟毛が密生しているので区別できます。    

 

楤紅葉という言葉はないと思う・

 

秋の裏六甲の里

 

 

 

 

楤が環境依存文字ゆえ、

「たら」で検索

スター印が付いているのが「楤」の句

*たら芽かく唐松林騒がせて 小島花枝
 
たまのをの花を消したら湖のいろ 森 澄雄
 
簗を跳ねたらウロコが落ちる文月 林 恒子
 
水音にも山國の張り*たら芽あへ 鍵和田[ゆう]子
 
*たら芽ぐむ真白き雲の光りとび 岸風三楼
 
*たら芽吹く坂より父の生家見え 西島教子
 
*たら芽ぐむ真白き雲の光りとび 岸 風三楼
 
たら~と日が真赤ぞよ大根引 川端茅舎
 
纜をたら~おちぬ夜光虫 井上烏三公
 
たら~と母につぐ屠蘇こぼれけり 青陽人
 
たら~と老のふり出す新茶かな 鬼城
 
*たら芽吹く鬼の栖を尋ねんか 原 裕
 
たら~と星流れたる網戸かな 高野素十
 
主婦たゝら踏むメーデーやヒロシマに 沢木欣一
 
口笛もて小鳥に応へ*たら芽摘 太田土男
 
祠の辺教師の通ひ路*たら芽吹く 木村蕪城
 
あの山も買うたら何うじや春の富士 尾崎紅葉
 
この橋を駈けたら逢える 冬の雲 松本恭子

 

ふれあい祭終わって楤の薄紅葉

 

 

 

秋の実

$
0
0

こんな標識があって

橋の真ん中から北を見ると甲山が真正面に見える地点あたり

 

秋の実各種  棗

栴檀の実

 

ナンキンハゼの実

海桐の実

 

その先にある砲台

阿波水軍砲台跡の返り花 福島せいぎ
 
ねこじゃらし砲台跡に吹かれをり 塩川雄三
 
上げ潮に旧砲台の土筆たち 伊藤壽文
 
砲台の眼窩乾けり秋の風 西村和子 かりそめならず
 
夏来たる砲台の中空つぽで 加藤絹子
 
毒ガス島砲台跡より雉飛べり 成宮弥栄子

 

修復されたらしい

 

松の杭1000本を打ち込んで基礎とした。砂地だったから適切な処置であろう。ヴェネツィアでは何の木が利用されたのだろう。500年以上、石の建築を支えている。

大正12年に建立されたもの↓

 

30年ぶりの再会?前に一度訪れたことがあるが、いつか思い出せない。

まだ30歳になっていなかったかも。

この周辺に酒蔵が並んでいるので、そのあたりは何度も来ている。

 

膝関節の手術で入院中の句友を見舞う。

新館は先月開館(開院)したばかりで、

訪れた210号室の最初の受け入れ患者である。

左奥に見える旧館は、火垂るの墓の中に登場する病院のモデルとなった。

 

火垂るの夜昔日本は暗かった  旧作

 

 

Viewing all 2577 articles
Browse latest View live