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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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セイロンライティア

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セイロンライティアとは

副花冠
副花冠

スリランカの標高600m付近に自生する植物で、日本にはタイ経由で花木として導入されました。高さ2mほどになる低木でよく枝分かれして、高温期(日本では夏)に直径3cm前後の純白の花を咲かせます。花びらは5枚で付け根の部分にも細かい花びらのようなものが見られますが、これは副花冠が発達したものです。

キョウチクトウ科の植物はつぼみの状態のとき、花びらの巻き方が上から見て右巻きのものが多いのですが、本種は逆の左巻きなのだそうです。一般的にはライティア属に分類されますがその形状の違いからワリダ属という別属に分類されることもあります。

純白の花は清楚で美しく、日本でも今後、夏向きの花木としてもっと普及するかもしれません。


以上はやさしい園芸からの引用。

駅前からシャトルバスに乗って、「つかしん」へ。
朝のうち、水鉄砲で散々遊んだ後なので、二人とも羨ましそうでもなかった。



ハイビスカスでは例句なし。

仏桑華航跡海をまつぷたつ 橋本榮治

仏桑華汗の眼窩に朱狂ふ 脇野素粒

坊津に黒潮やすむ仏桑華 矢島渚男

蘂つたひ露の玉落つ仏桑華 沢木欣一 沖縄吟遊集


食後サーティンワンにありつく。

夜は花火


確か去年までは、花火持つのを嫌がっていた、





新居

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横浜に住む13歳児は7月に新居を購入した。
に~にも古家を購入したので7歳児ともども見学に。


家の前

付近の風景 むくげ

さるすべりは今の季節の代表

オーシャンブルー

川 夾竹桃

.店 郊外駐車場付き大型店が多い。

晩秋のいまだなじめぬ新居かな 森田 たえ

藺草干す今も昔の新居宿 後藤比奈夫

月光や新居に婚の荷まだ解かず 菊地美智子

移り来て藺草の香り立つ新居 乙武佳子

父の日や灰皿のなき子の新居 満田玲子

風そよぐ田島ヶ原の桜草 新居さくを

風殊に薫るか君が新居の辺 憲吉

燕や川を越えれば子の新居 大久保白村

あたりまだ梨畑にしてわが新居 松尾緑富

蝿叩一閃したる新居かな 岸本尚毅 舜

迷路めく階段冬の夜の新居 皆吉司

鏡台を捨てて新居にくる晩夏 対馬康子 吾亦紅

子の新居父の来てをり松手入れ 樹生まさゆき

五月富士出窓の多き子の新居 南俊郎

汝が新居古潭の鷹と空頒つ 西本一都

机据て新居の春も暮れにけり 会津八一

やや寒きことも親しや新居訪ふ 深見けん二

秋風も里春さんも訪ふ新居 山田弘子

白梅の影壁にある新居かな・・・福岡の竹下しづの女、新築祝

まえにうしろに百の窓冴え新居とす 赤城さかえ

やや寒きことも親しや新居訪ふ 深見けん二

秋雨の新居はじめて電話鳴る 皆吉 司

.

夾竹桃

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中国名の直輸入、日本読みであろうか?
昭和生まれだが、「夾」という文字の語感が分からない。

ウィキペディアから:

キョウチクトウ(夾竹桃、学名Nerium oleander var. indicum)は、キョウチクトウ科キョウチクトウ属常緑低木もしくは常緑小高木和名は、タケに似ていること、モモに似ていることから。

長楕円形で、両端がとがった形。やや薄くて固い。葉の裏面には細かいくぼみがあり、気孔はその内側に開く。

は、およそ6月より残暑の頃である9月まで開花する。花弁は基部が状、その先端で平らに開いて五弁に分かれ、それぞれがややプロペラ状に曲がる。ピンク黄色など多数の園芸品種があり、八重咲き種もある。

日本では適切な花粉媒介者がいなかったり、挿し木で繁殖したクローンばかりということもあって、受粉に成功して果実が実ることはあまりないが、ごくまれに果実が実る。果実は細長いツノ状で、熟すると縦に割れ、中からは長い褐色の綿毛を持った種子が出てくる。

我が町尼崎市の市の花であるが、新たに植え付けている気配はない。

私の参加している句会で夾竹桃の句が登場した記憶はない。
公害発生源と認定される前からも、それほど人気のある花卉ではないのかも。

しかし例句は意外に多かった。
夾竹桃われにひとりの少女棲み 行方克己 知音

夾竹桃火屑の如く掃き寄せて 行方克己 知音

踏絵見る夾竹桃を背の窓に 多田裕計

夾竹桃しんかんたるに人をにくむ 加藤楸邨

夾竹桃造船の音ぶつかり来 矢島渚男

夾竹桃日暮は街のよごれどき 福永耕二

灘五郷夾竹桃の花盛り 塩川雄三

夾竹桃白きは夕べ待つごとし 米谷静二

父母にあふ夾竹桃のまた盛り 森 澄雄

ひろしまの弔花夾竹桃の白 居升白炎

わが妻に過ぎたる目鼻ところ天 寺島夾竹桃

街路樹の夾竹桃の雨を来し 児玉 寿美女

夾竹桃咲きてここまで佃島 関谷 又三郎

老人の白昼夢見る夾竹桃 斉藤 節

夾竹桃いずくに咲くも被爆の花 安田くにえ

夾竹桃河は疲れを溜めて流れ 有働 亨

夾竹桃炎ゆ広島も長崎も 関口比良男

夾竹桃咲き憔悴が昏れのこる 石原八束

夾竹桃羅馬に残るネロの鞭 田川飛旅子 『外套』

夾竹桃のたそがれながし予後の旅 角川源義 『西行の日』

夾竹桃まぼろしの湖よぎり来て(万葉の布勢水海今はほろぶ) 角川源義 『西行の日』

夾竹桃のような女と寝てきたよ 仁平勝 東京物語

夾竹桃咲きて墓標に陰作る 斉藤シゲ子

夾竹桃しんかんたるに人をにくむ 加藤楸邨

夾竹桃かかる真昼もひと生まる 篠田悌二郎

被爆地に夾竹桃の花咲けり 中野美智子

夾竹桃運河一本鉄のごと 永方裕子

激動の世を咲き継ぎて夾竹桃 生田経子

二階より見えて夜明けの夾竹桃 菖蒲あや

夾竹桃火の如く咲く爆心地 寺田順子

夾竹桃花なき墓を洗ひをり 石田波郷

病人に夾竹桃の赤きこと 高浜虚子

巷間や夾竹桃は白に出て 菅家瑞正

古き町運河に沿へり夾竹桃 水野爽径

玉音を聞きしこの駅夾竹桃 榊原麦子

夾竹桃黙祷一人ひとりかな 菱田久恵

夾竹桃日暮は街のよごれどき 福永耕二

夾竹桃さかなさみしき貌をして 宮坂静生

夾竹桃花無き墓を洗ふなり 石田 波郷

夾竹桃河は疲れを溜めて流れ 有働 亨

夾竹桃夢二の甃(いし)の坂いまも 千代田葛彦

怒濤もて満ち来る潮や夾竹桃 岡田 貞峰

夾竹桃東京砂漠灼けはじむ 千代田葛彦

夾竹桃砂に這ふ如人住みて 望月たかし

夾竹桃旅は南へばかりかな 福永耕二

夾竹桃日暮は街のよごれどき 福永耕二

夾竹桃おなじ忌日の墓ならぶ 朝倉和江

悲報の空夾竹桃の紅きはむ 仙田洋子 雲は王冠

怒濤もて満ち来る潮や夾竹桃 岡田貞峰

昼は夾竹桃夜は夜の女 浜井武之助

夾竹桃垣に潮の香があげて来る 道部臥牛

火を焚くや夾竹桃の花の裏 波多野爽波

しどけなく月下夾竹桃みだる 篠田悌二郎

夾竹桃戦車は青き油こぼす 中村草田男

夾竹桃しんかんたるに人をにくむ 加藤楸邨

病人に夾竹桃の赤きこと 高浜虚子

水着ほす夾竹桃の夕日中 西島麦南

夾竹桃父殺したるごと昏し 岩月通子

夾竹桃咲けば華やぎ沙漠町 吉良比呂武

夾竹桃二階の窓に人老いて 藺草慶子

夾竹桃遊び尽くして帰りけり 藺草慶子

夾竹桃の花の明るさ狂ひたる時計が狂ひし時きざみゐて 真鍋美恵子

夾竹桃しんかんたるに人にくむ 加藤楸邨

病人に夾竹桃の赤きこと 高浜虚子

怒濤もて満ち来る潮や夾竹桃 岡田貞峰

夾竹桃父殺したるごと昏し 岩月通子

夾竹桃戦車は青き油こぼす 中村草田男

夾竹桃のつぼみ勉強部屋の前 瀧井孝作

夾竹桃ガイドのホセに気鬱なし 筒井カヨコ

夾竹桃南蛮墓標朽ちにけり 小林康治

夾竹桃しんかんたるに人をにくむ 加藤楸邨

原爆ドーム夾竹桃を透かし見ゆ 四十九院科峰

戦中派戦後派夾竹桃咲けり 梅田実三郎

病人に夾竹桃の赤きこと 高浜虚子

画廊出て夾竹桃に磁榻ぬる 飯田蛇笏

夾竹桃遺品に妻のものあらず 吉野義子

夾竹桃咲きの盛りの翳もたず 岸風三樓

かたはらに屋根波打つて夾竹桃 八木林之介 青霞集

尻上り言葉を浴びつ夾竹桃 八木林之介 青霞集

病人に夾竹桃の赤きこと 高濱虚子

広島の町はずれにてまっしろい夾竹桃の下に休めり 山崎方代 迦葉

親のことかつておもはず夾竹桃 鈴木しづ子

甘へるよりほかにすべなし夾竹桃 鈴木しづ子

夾竹桃白のたぎるは雨の前 蓬田紀枝子

わが日を返せ夾竹桃のその色の 津沢マサ子

夾竹桃われにひとりの少女棲み 行方克巳

夾竹桃火屑の如く掃き寄せて 行方克巳

美少年かくまふ村の夾竹桃 柿本多映

うつつなる夾竹桃の空に兄 柿本多映

夾竹桃おなじ忌日の墓ならぶ 朝倉和江

夾竹桃雲と会ふ陽のきらめきて 中拓夫

非なれば非凡なれば凡夾竹桃 小檜山繁子

夾竹桃しろきは波の亡びたり 宇多喜代子

夾竹桃羅馬に残るネロの鞭 田川飛旅子

夾竹桃ほのほの色の見えぬ昼 福永耕二

夾竹桃日暮は街のよごれどき 福永耕二

夾竹桃のつぼみ勉強部屋の前 瀧井孝作

税関吏わかく夾竹桃あかし 木下夕爾

夾竹桃しんかんたるに人をにくむ 加藤秋邨 野哭

夾竹桃から 湧く風 信じ 神父昼寝 伊丹三樹彦 樹冠


今日も暑い日だったが木陰ではいい風が吹いていた。
7歳児はコンクール参加一日前ゆえ、13歳児と二人だけで、9500歩の散歩。

フーの木が5本ほど、メタセコイアが数本ほどで木陰を作っている。
庄下川沿いの公園

ベンチは藤棚の下にあるので、藤の葉も見える。






北の幟

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北の幟と言う名のビルがある。
かつては「同和火災」という文字が書かれたビルであった。

今やこのビルには損害保険会社が入っている。
低層階にホールがある。



7歳児の参加するコンクール会場。

1階ロビーは着飾った子と母と父と祖父母らしき人でいっぱい。
朝から夕方まで何部にも分かれてコンテストがあるよう。

7歳児の出場する部分だけ見て昼食へ。
7歳児のパパが案内してくれたのは北新地の一角。


コンクール、コンテスト、競争、競技  いずれも例句なし。
俳人の利用する「現代用語」は限定される。
「串カツ」も例句なし。


2度漬けを楽しむ幼児街残暑

高校生の創造性あふれるビジネスプラン大募集-政府広報: PR

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「創造力、無限大∞ 高校生ビジネスプラン・グランプリ」エントリー受付中

学期初め

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8月31日まで小中学校の夏休みというパターンは、数年前に無くなっているようである。

川沿いを最後の散歩

昼顔

最後のアイス

8歳児は京都行のため、見送りに参加できず。

.
同じ番線に、新大阪始発ののぞみが短い間隔で入線する時間を狙って24番線ホーム。

短い行列は、母親に任せて

意外に空いているホームのベンチで休憩。

乗車すれば、2時間で横浜に着く。

帰郷して蜜柑山でもやりたまへ 藤後左右

雪卸すための帰郷にあらねども 箱崎一好

藁屋根に帰郷の睡り茶立虫 桜井柳城

帰郷して小さき運動会を見る 桜井幹郎

看護婦となりて帰郷やシクラメン 工藤 芳久

突然の息子の帰郷目刺焼く 南 冨美子

帰郷する日までチケット壁に留め 外崎紅馬

甘夏の袋種透く帰郷かな 橋本 薫

道をしへ帰郷の吾と知りて飛ぶ 大串 章

振り向けば帰郷なり遠青嶺 尾田明子

月の出に添う帰郷なり春の鮒 川田由美子

ギター持ち帰郷バス待つ大晦日 近藤勇夫

大鰤を手土産にして子の帰郷 山田紀子

帰郷した鼻でさまよう茸山 伊丹三樹彦

帰郷の夜たちまち更けぬ夜光虫 福永みち子

帰郷して冬三つ星の粒揃ふ 福永耕二

伊吹嶺の鹿の声聞く帰郷かな 野原 春醪

立待の月や帰郷の道すがら 千原草之

帰郷すでに見馴れし山や酢茎売 村山古郷

帰郷後を鮑の殻の照り合えり 五島高資

茶の花を心に灯し帰郷せり 村越化石

帰郷すだに見馴れし山や酢茎売 村山古郷

帰郷する妻に夏山雲を育て 大井雅人

帰郷者に古き山河と初蛙 近藤一鴻

凌霄に雨のこまかき帰郷かな 伊藤京子

帰郷女工ら胼の手叩き合唱す 羽部洞然

春著縫ひ帰郷のほかは旅しらず 赤松[ケイ]子

貝寄風に乗りて帰郷の船迅し 中村草田男(1901-83)

帰郷われに拳をあづけ芋掘る父 栗林千津

帰郷とはりょうぶの花の白房にあり 金子皆子

風と競ふ帰郷のこころ青稲田 福永耕二



芙蓉

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8泊9日の間、猛暑日がつづいたこともあり、
13歳児はかなりの宿題を抱え込んでいたこともあり、
8歳児はコンクール参加のための練習もあり、
他の長老者・保護者の反対もあって、
六甲山の散策や高校野球の観戦はならず、
じ~じは若干欲求不満状態で、8月前半終了。

門前の舗道の端に根付いた「ど根性芙蓉」。↑


↑川べりの柳、この辺りでは珍しい。

我が住居の周辺では古株、若株、幼株の栴檀の木はめずらしくないが、若葉は今がきれい。↑

↑家から500メートルの範囲には、バス停がかなりある。
電鉄の最寄り駅の北と南をターミナルとするバス路線の途中駅が東西南北に点在しているから。↑の駅には待ち人用のベンチがある。

ワイフが明日参加の句会の兼題は「桐一葉」だとか。

桐一葉下総に水ゆきわたり 黛 執

桐一葉水中の日のゆらめきぬ 豊長みのる

頓首と書き雅兄と書けば桐一葉 高柳重信

桐一葉門川は夕兆しつつ 斎藤梅子

とし~や井桁の上に桐一葉 鈴木花蓑

桐一葉大阪城の石垣に 芦川 巣洲

着替えれば嵩高に落つ桐一葉 平井久美子

桐一葉影よりも音残しけり 鷲谷七菜子

桐一葉遥かの父でありしかな 坂井三輪

桐一葉落ちて天地液状なり 大口元通

指揮棒の真綿ぐるみや桐一葉 波多野爽波 『一筆』以後

桐一葉電柱きはやかに夜空 波多野爽波 『湯呑』

夜の湖の暗きを流れ桐一葉 波多野爽波 『湯呑』

しばらくはこらへてゐしが桐一葉 長谷川双魚 『ひとつとや』

桐一葉雨の洗ひし石の上 藤本朋子

桐一葉ひとつのいのちらしきもの 中島敏之

心にも落つる音して桐一葉 佐々木早月

静かなる午前を了へぬ桐一葉 加藤楸邨

桐一葉空みれば空はるかなり 久保田万太郎

桐一葉うちはの如く拾ひあぐ 赤松子

我宿の淋しさおもへ桐一葉 芭 蕉

桐一葉穴ぶつぶつとあいてをり 菱科光順

傘の柄のあまりに細し桐一葉 篠原俊博

桐一葉大坂城を想ひ出す 村野秋果

別離とは刻かけ癒えむ桐一葉 高橋良子

桐一葉麹の匂う蔵屋敷 下沢とも子

桐一葉馬屋あり馬顔だせり 片岡紫々夫

桐一葉看とり帰りの足に舞ふ 増田 富子

桐一葉源氏ゆかりの薬医門 的場敏子

夜の湖の暗きを流れ桐一葉 波多野爽波

静かなる午前を了へぬ桐一葉 加藤楸邨

人ごゑにかたちくだけて桐一葉 魚目

夜の湖の暗きを流れ桐一葉 爽波

夏痩の骨にひゞくや桐一葉 子規

音すなり筧の口の桐一葉 白雄

我宿の淋しさおもへ桐一葉 芭蕉

桐一葉落ちて黄土に還りけり 稲畑廣太郎

桐一葉谷の静寂を深めけり 稲畑汀子

旅にゐし昨日ははるか桐一葉 上田日差子

非常ベル寺にもありて桐一葉 皆吉司

桐一葉入江かはらず寺はなく 田中裕明 花間一壺

桐一葉月光噎ぶごとくなり 飯田蛇笏

幼児の持つておもたき桐一葉 川崎展宏

月明や落ちてひさしき桐一葉 金尾梅の門

何もかも見ゆる月夜や桐一葉 岸本尚毅

ひびきけり彼の人の持つ桐一葉 小檜山繁子

桐一葉晶子殺すに刃物はいらぬ 高澤晶子

水底の影も流れて桐一葉 小原啄葉

尾を曳きし鐘の音と散る桐一葉 源鬼彦

桐一葉月光むせぶごとくなり 飯田蛇笏

桐一葉猿も夕日を惜しみけり 村山古郷

幼児の持つておもたき桐一葉 川崎展宏

晩節と言ふ語重たし桐一葉 冨田みのる

桐一葉言ひ足らざるに兄逝けり 影島智子

桐一葉遠くのものの見えはじむ 八牧美喜子

桐一葉白痴が牛をひいてゆく 大串章

月明や落ちてひさしき桐一葉 金尾梅の門(1900-80)

三日月の鎌や触れけん桐一葉 高田蝶衣(1886-1930)

桐一葉落ちて心に横たはる 渡辺白泉(1913-69)

桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜虚子(1874-1959)

檻房や格子に落る桐一葉 寺田寅彦

西向の解剖室や桐一葉 寺田寅彦

白塗の門番小屋や桐一葉 寺田寅彦

そぎ竹のしのび返しや桐一葉 寺田寅彦

普請場や足場の上に桐一葉 寺田寅彦

檻房の窓に落ちけり桐一葉 寺田寅彦

普請場や竹の矢来に桐一葉 寺田寅彦

線香を干した所へ桐一葉 芥川龍之介 蕩々帖〔その二〕

客人として濡縁の桐一葉 手塚美佐

桐一葉太平洋を真近にす 佐川広治

桐一葉薬の量を増やす日に 朝倉和江

廓跡ありし入江や桐一葉 山本洋子

薬師湯と名のみのこりし桐一葉 山本洋子

桐一葉落ちたり名物男の死 久保田万太郎 流寓抄以後

人去て行灯きえて桐一葉 一茶 ■享和三年癸亥(四十一歳)

静かなる午前を了へぬ桐一葉 加藤秋邨 雪後の天

桐一葉空みれば空はるかなり 久保田万太郎 流寓抄

着流しでふらりと来たり桐一葉 久保田万太郎 流寓抄

褌の竿を落ちけり桐一葉 黒柳召波 春泥句集

桐一葉われに向つて影投げつ 中村汀女

桐一葉板の間住みに拾ひ来て 中村草田男

地を打つに革の音して桐一葉 松瀬青々

桐一葉あたかも落つる虚子山廬 山口青邨

桐一葉すとんと落ちてこちら向く 中戸川朝人

桐一葉落ちて心に横たはる 渡辺白泉



送り火

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空き家となったお隣の勝手口にあった鉢に、断りなく植えこんだ鶏頭。↑
いよいよ解体工事が始まりそうなので、今朝カッティング。



送り火代わりに2つの花瓶に。

↓残った鉢

我が家は目下解体予定ないので鶏頭は温存

塀の上は、意図的には育てていないオーシャンブルーに覆われている。

午後、ワイフが大阪地下鉄本町へ行くというので、
一緒に家を出て、私は一つ南の心斎橋駅まで行き、鶴見緑地線に乗り換え、鶴見緑地へ。

そこで、もっと派手なヒモケイトウを見た。

鶴見緑地の風景

猛暑日ゆえ、噴水広場は大賑わい

サボテンの花

仙人掌の花や倒るる浪の前 桂樟蹊子

仙人掌の棘ににつかぬ花赤し 渡辺 寿栄子

金鯱と云ふ仙人掌の花おそし 荒谷 来城

沖ありて大仙人掌を咲かすもの 柚木紀子

仙人掌の花に日暮や海の駅 広瀬一朗

スコールに仙人掌の花すぐ乾き 嶋田一歩

仙人掌売りしやがみて使ふ隠し酒 田川飛旅子 『山法師』

スコールに仙人掌の花すぐ乾き 嶋田一歩

仙人掌に跼まれば老ぐんぐんと 三橋鷹女

仙人掌の花の中より大遺跡 天岡宇津彦

仙人掌の針の中なる蕾かな 吉田巨蕪

仙人掌の花や倒るる浪の前 桂樟蹊子

蝦蛄葉仙人掌撩乱と咲く出窓かな 西山冨美子

日本海へ巌の仙人掌花弾き 奥村直女

病変の夜や仙人掌の一夜花 石田あき子

仙人掌や畳敷なる天主堂 石原千代

仙人掌の針の中なる蕾かな 吉田巨蕪

仙人掌の花のねむたさ海うごく 甲田鐘一路

仙人掌の夜花や病焦げつくか 石田波郷

うづくまる仙人掌の愚は学ぶべし 富安風生

仙人掌の奇峰を愛す座右かな 村上鬼城

仙人掌のだれを脅かすにもあらず 佐々木六戈

仙人掌の花の孤独を持ち帰る 上田日差子

仙人掌の花のねむたさ海うごく 甲田鐘一路

秋ざむや膚に粉ふく仙人掌樹 那須辰造 天窓

暁や仙人掌上の秋の水 内藤鳴雪

門を出て仙人掌の花見にゆける 高野素十

好色のてのひら夏の夜の仙人掌 櫛原希伊子

仙人掌の花や倒るる浪の前 桂樟蹊子


緑地

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大阪府には4大緑地があるらしい。その一つが鶴見緑地(大阪花博跡地)である。

「大泉緑地」の解説(ウィキペディア)

1941年防空緑地計画に由来する大阪四大緑地(服部鶴見久宝寺・大泉)のひとつ。年間来園者数は約250万人。

広大な敷地に約200種32万本もの樹木が植えられた大森林公園で、巨大な滑り台が目玉となっている。名称の由来となった大泉池や、花壇、大芝生広場などの憩いのゾーンと、スポーツゾーンなどからなる。15品種約1万株を集めた「かきつばた園」でも知られる。

「だいせん」とも読めることから、近隣の大仙公園(だいせんこうえん)との混同を避けるために「おおいずみ緑地」と仮名で表記されることもある。

芝生・グラウンド部分が多い広大な敷地であることや幹線道路沿いの立地などから、防災計画上は約17万人の広域避難場所となっているだけでなく後方支援活動拠点の位置づけもされており[1]、防災啓発イベント「フィールドワークキャラバン」(主催は大阪府鳳土木事務所)が定期的に開催されている。

服部緑地、大泉緑地、鶴見緑地は、120haを超える広さである。

尼崎の都市緑化植物園が2.7ha、岡山県のドイツの森が50ha
サウスビレッジが10.7ha、ノースビレッジ20ha,

勝央町の黒大豆栽培面積が170ha。

画像は


咲くやこの花館(温室)には、
熱中症注意の貼り紙があった。


初伊勢や五つの色の生姜糖 倉本幹子

土佐人のことば飾らず生姜掘る 岩城鹿水

生姜や雲起る祖のわが筑紫 今村俊三

生姜の香りをこぼす引売女 岡野富枝

浮世絵の女の絵馬や生姜市 加藤三七子

花街の昼湯が開いて生姜市 菖蒲あや

ゆっくりと胸暖めて生姜酒 山本 邦子

湯疲れに生姜酒して湯治かな 溝口 直

大いなる生姜の束を出品す 稗田 時子

境内も宮居も小さき生姜市 小林 たか子

染付の皿鮎鮓の紅生姜 河野 伸子

天竺へ波は立つらむ生姜酒 磯貝碧蹄館

生姜市わたしに花眼のきざしあり 本田ひとみ

ひなびたる言葉の残る生姜市 細見綾子

生姜のそろへ拳の売られけり 大木あまり 火球

生姜湯や生きて五十の咽喉仏 石塚友二

圭角をもつて聞えぬ生姜酒 高田蝶衣

生姜酒貧土の農と交はりて 堀井春一郎

この里に老いて悔なき生姜酒 加藤あき江

酢につけて生姜紅さす夕時雨 鈴木真砂女

生姜や山うごかして水を汲む 宇佐美魚目

置所変る厨の生姜かな 高浜虚子

命惜しむ如葉生姜を買ひて提ぐ 石田波郷

薄紅き酢漬けの生姜秋桜子忌 秋川ハルミ

ふるづけに刻む生姜や朝ぐもり 鈴木真砂女

鰺鮓の生姜の匂ふふたりの夜 田村恵子

生姜や山うごかして水を汲む 宇佐美魚目

雨降つてをり掘りかけの生姜畑 多田薙石

恩愛やことに生姜の薄くれなゐ 栗栖浩誉

まだ日傘さしてとほるや生姜市 加藤覚範

花街の昼湯が開いて生姜市 菖蒲あや

さびしきは冷し中華の紅生姜 望月秀子

命惜しむ如葉生姜を買ひて提ぐ 石田 波郷

ゆきかはす車生姜の香をのこす 立花豊子

掘り上げて夜風匂へり生姜畑 斎藤道子

行商の婆と乗り来る生姜の香 溝口 昭二

生姜酒うつる世相になじまざる 阿部鴻二

生姜酒貧土の農と交はりて 堀井春一郎

老残の咽喉にひりりと生姜酒 宮下翠舟

町の用終へての安堵生姜酒 大谷繞石

月旦を草する燈下生姜酒 高田蝶衣

圭角を以て聞えぬ生姜酒 高田蝶衣

極月や紅き生姜の水の中 平井照敏

恩愛やことに生姜の薄くれなゐ 栗栖浩誉

命惜しむ如葉生姜を買ひて提ぐ 石田波郷

我古りぬ硬き生姜を歯にあてて 佐藤惣之助

生姜やかりゝかりゝと露の玉 川端茅舎

たづさへし雨具用なき生姜市 阿部ひろし

水打つて昼しづかなり生姜市 加藤松薫

ミサに来て生姜市にもまはりけり 戸塚千代乃

人波に夕餉時あり生姜市 栗原米作

生姜市小銭ありたけ並べ買ふ 甲賀山村

朝うちは野菜もならぶ生姜市 甲賀山村

瓦斯の灯の風に噴きつつ生姜市 土方秋湖

まだ日傘さしてとほるや生姜市 加藤覚範

千木箱も昔ながらに生姜市 岡田日朗子

秋まつり赤き生姜をきざみこぼす 加藤かけい

梅雨深し煮返すものに生姜の香 時彦

しろがねのどろめのれそれ生姜擦れ 小澤實

羅の如母佇ちぬ生姜畑 川田由美子

生姜透けゆく如し母老いぬ 吉田正

再婚の気のなくなりて生姜酒 藤田あけ烏 赤松

生姜湯や生きて五十の咽喉仏 石塚友二

生姜湯に顔しかめけり風邪の神 高浜虚子

生姜やかりゝかりゝと露の玉 川端茅舎

千木箱も昔ながらに生姜市 岡田日朗子

ひとりふたりと死ぬ間や生姜きざまるる 中村苑子

生姜市千早振着の店迄も 晩得

もとより父たる覚悟あるなし生姜糖 塚本邦雄 甘露

提げとほる菊の匂ひや生姜市 石田勝彦 秋興

他界より来てまた帰る生姜売り 藤原月彦(1952-)

置所変る厨の生姜かな 高濱虚子

芝浦の海より昏るる生姜市 鈴木真砂女

生姜をゆさぶつてゐる雨少女 熊谷愛子

生姜摺りおろすさびしさ縷のごとし 奥坂まや

生姜を置けば灯火をはみ出せり 原田喬

包みたる神明生姜よく匂ひ 深見けん二

花冷えの指を染めたる紅生姜 小檜山繁子

春寒や生姜湯かぶる風邪籠 臼田亞浪 定本亜浪句集

石に針生姜も入らず清水かな 秋色 俳諧撰集玉藻集

生姜の匂ひや添へて菊の露 中村史邦

なべ炭の燃ゆる霜夜や生姜酒 水田正秀

命惜しむ如葉生姜を買ひて提ぐ 石田波郷

包みたる神明生姜よく匂ひ 深見けん二







サンリオ

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咲くやこの花館で見た。
ツタバウンランではない名札が添えてあった。

帰宅後ネットで検索。
ツタガラクサとも呼ばれるようである。今や九州地域以外に「侵略」している。
我が家周辺では、用水路(排水路)の石垣を覆いつくしている場所がある。
庄下川の川岸の石垣の隙間からも幼芽がいっぱい出て、所によってはかなりテリトリーを広げているところもある。


ベランダに干されているタオルケット

2枚セットになっているが、記されている製造年に2年のずれがある。
目下は、孫二人が滞在中のベッドの敷布として利用されている。
製造年を見て気付いた。
この2枚は、孫の母たち、私の長女と次女の誕生に合わせて購入したもののようである。

長期間利用しているにしては、ややくたびれてはいるが、まだまだ使用可能なようである。


秋の昼道後は赤きタオル貸す 神尾季羊

タオルの紺泳ぎし体固く閉づ 中嶋秀子

新しいタオルよふっと鼓膜に音 伊藤淳子

春分の湯にすぐ沈む白タオル 飯田龍太

十六夜の手摺に旅のタオル掛け 阿部みどり女 『微風』

冬館タオルみどりの水蒸気 近藤一鴻

鳥渡る病者に熱き蒸しタオル 水野すみ子

ゆるゆるの蒸しタオルなり建国日 加藤冬人

初風呂にひろげて花のタオルかな 千手 和子

霧ぬれし肩にタオルを投げかけよ 仙田洋子 橋のあなたに

春分の湯にすぐ沈む白タオル 飯田龍太

流氷期湯浴児くるむ白タオル 大平照子

老人の首にタオルや鶏合 小澤實

びしよ濡れのタオルが穴に子供の日 大石雄鬼

幾枚のタオルをたたむ蝉時雨 対馬康子 吾亦紅

老人の首にタオルや鶏合 小澤實

暖かや宿のタオルも荷のひとつ 前田草眠子

冬館タオルみどりの水蒸気 近藤一鴻

泳ぎ来し身の素直なり白タオル 櫛原希伊子

きりりしぼりにタオル渡さる朝吹雪く 村越化石

工場はタオル靴下曼珠沙華 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄

夏の月赤児の嵩にタオルのせ 蓬田紀枝子

好きなタオルで顔をふき万愚節 金田咲子

原爆忌乾けば棘をもつタオル 横山房子

タオル乾き切つたる雪解かな 行方克巳

屈強のタオルを運ぶ潜水艦 攝津幸彦

タオル越しの空気の夜の秋 中戸川朝人

子よ湯上りのタオル着れば王様になる 伊藤みどり

硬きまで乾きしタオル夏日にほふ 篠原梵 雨

春分の湯にすぐ沈む白タオル 飯田龍太


arena

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犬歯見せ寒中水泳よりもどる 大石雄鬼

勝者なく寒中水泳終りけり 伊藤通明

寒中水泳観る寒泳の貌をして 河野南畦 『試走車』

犬歯見せ寒中水泳より戻る 大石雄鬼

水泳に太郎二郎を誘ひけり 寺田寅彦

紙漉くや水泳選手出でし家 大島民郎

若き妻水泳焼けの火の躰 辻田克巳

水泳に灼けて女の産毛消ゆ 辻田克巳

裸体なる先生胡坐す水泳所 夏目漱石 明治三十年



競泳種目を見ているとやたら「arena」の水中帽が目についた。
知らなかったブランド名なのでお勉強。


arena(アリーナ)は、世界的な水着ブランド及びその商品展開を行うイタリアの企業。日本のビジネスパートナーであるデサントがアジア太平洋地域での事業展開権を与えられており、国際水泳連盟における水着承認では両社は別個に扱われている。



1973年ドイツに本拠を構えるアディダス社の創始者の息子でフランス現地法人社長(当時)ホルスト・ダスラー英語版により設立された。前年のミュンヘンオリンピックマーク・スピッツが7個の金メダルを全て世界新記録で取った現場を見て衝撃を受け、レース用水着のメーカーを立ち上げようと決意したとされる[1]。会社スタート後初となるモントリオールオリンピックやその2年後のベルリン世界水泳ではそのスピッツらを擁した“チーム・アリーナ”で多くのメダルを獲得し、世界的に注目を集めることになった。

1980年代以降、「フライバック」「ストリーナ」「パワースキン」など、その時代における国際水連のルール改正に対応しながら、革新的な技術を次々と生み出していった。しかし後年になり、アディダス社自体が経営再建の過程において世界展開をより積極的に行うようになる中で水着に手を出すようになったことから、現在はアディダスグループから離れている[2]

デサントとの関係は、当時の親会社であったアディダスの日本におけるブランド使用権を取得していたことによるものであったが、1990年代後半になり、アディダス社が前述の世界展開の一環として自社の日本法人を立ち上げたことにより、デサントがブランド使用権を失った見返りとしてアジア太平洋11か国における事業展開権を与えられ、今日に至っている。デサントが企画・製造・販売している商品についてはブランド表記が「arena BY DESCENTE」と表記されることにより区別される。


アディダスも頑張っている。一時陸上競技のウエアはナイキ一色であったが、リオ2016を見ている限りアディダスマークも健闘。

パク大統領が始球式に登場、アシックスの靴を履いていたので、
大ブーイングが発生したそうだが、日本ブランドのアシックスも外国人選手に結構愛されているようだ。

この文を書きながら見ていたテレビ画面には、男子フリースタイルレスリングで、日本人選手、フランス人選手ともにアシックスのウエアを着用していた。

テニスラケットではヨネックスはマイナーだが、バドミントンとなると
市場占拠率70%といった印象だった。

水やりをしていて、葉陰に隠れて見えなかったナスを「発見」
今までで一番立派な茄子!夜にフライにしていただき。
秋ナスとは思えぬ美味であった。

ついでに収穫した5本目のオクラと。


ミゾハギ

タベブイア・ロセア

中国街道

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山裾に旧街道や桐の花 吉田 伝治

接骨木の花にはじまる旧街道 長谷川せつ子

枸杞の芽や旧街道の機の音 火村卓造

旧街道峠の茶店の長火鉢 蕪木啓子

猪の注意札立つ旧街道 斉藤葉子

芋水車門川流る旧街道 中村しげ子

旧街道草津の宿の蝿叩 橋本榮治 越在

風死して旧街道の半旗かな 中田朗子

旧街道藁屋根残り桐の花 吉屋信子


この標識が立っている辺りは、町並みが一新されている。

阪神淡路大震災の折、液状化で大きな被害があったところであると思う。


淀川を渡し船で渡って西岸に着くとそこが神崎。
そこから西進すればこの地点にたどり着く。
道はすぐに北進して庄下川を渡って北進してまた西へ(西宮市)向かうが、具体的にどの道かは(私は)分かっていない。

中国街道(ちゅうごく かいどう)は、近畿地方に存在した街道である。別名は中国路(ちゅうごくじ)、浜街道(はまかいどう)。大坂西宮を結び、西国街道と合流している。

↑大正時代の、このあたりの風景である。

さるすべりは、赤(紫)もピンクも白も今が一番きれい。



記録を遡れるのは、中世までであるが、近世になると、大坂と西国との物資の流通の要となる。往時の街道沿線には、要所要所に道標が設置されていた。現在では、区画整理の結果、その街道筋を忠実に辿ることは困難になっている。しかし今でも、それら道標のうち幾つかが土中から発掘されるなどして、往時の姿を偲ばせている。大名行列が通ることもあった。

中国街道を大坂(高麗橋)から西宮までを歩き、画像紹介しているブログはいくつかあるが、
このブログもその一つである。

「この」とは私のブログと言う意味ではなく、インク文字クリックで登場するものを指す。

神崎と言えば、遊女塚。
遊女で検索。意外に例句多い。



遊女塚あらはに萩の枯れてゐし 竹中弘明

近松忌重い遊女の木偶頭 浜垣和子

細雪遊女の墓のまへうしろ 福島せいぎ

欠け欠けて遊女の墓や夏蕨 柏 禎

蛞蝓の跡あきらかに遊女墓 相川やす志

遊女の墓おがみ来てより汗疹ふゆ 中村明子

蔦若葉がんじ搦めに遊女の墓 渡辺風来子

松過ぎの泊船へ漕ぐ遊女かな 矢津 羨魚

奥羽を遊女下りけり長い草の葉 安井浩司

山里の星にいるなりあの遊女 阿部完市

かぞえきれない遊女の影のなかにいる 児玉怡子

はまなすや星近付けて遊女塚 堺 信子

芍薬や雨の遊女を思いおり 遠藤秀子

大津絵の遊女と出合ふ手毬花 高橋克郎

春寒や吹き寄せられて遊女墓 増田 守

蓑虫や美しき名の女墓(遊女夕霧の墓) 角川源義 『冬の虹』

捨団扇遊女の顔のあはれなり 正岡子規

夏果ての瀬戸の岬や遊女の碑 木村速子

鏡見てゐるや遊女の秋近き 正岡子規

遊女の帯の細しも青き踏む 橋本多佳子

忌日なき遊女の墓や虎落笛 正岡照世

遊女その墓のよすがの稲の花 諸角せつ子

千両や日陰をつねの遊女塚 中村翠湖

皹や遊女の恋を琴に弾き 熊丸淑子

蓼咲くや墓石となりし遊女たち 大島民郎

太夫待つ遊女ばかりの一桟敷 久保晴

その街に遊女の墓も初閻魔 黒田杏子

名の高き遊女聞へず御代の春 栄阿

我袖の蔦や浮世のむら時雨 遊女薄雲

遊女屋のあな高座敷星まつり 汀女

一つ家に遊女も寝たり萩と月 芭蕉 (越後一振の関にて)

遊女屋の使はぬ部屋の秋の暮 たかし (品川土蔵相模にて)

鏡見てゐる遊女の秋近き 子規

五月雨や船路に近き遊女町 几董

遊女屋のあな高座敷星まつり 中村汀女

山里の星にいるなりあの遊女 阿部完市

一家に遊女もねたり萩と月 芭蕉

愛宕火の燃えて遊女の閑な晩 後藤比奈夫

遊女屋(のすかい)の在りしはここら涼み舟 手塚美佐

若竹や橋本の遊女ありやなし 蕪村

暁の遊女か吐血ほとゝぎす 召波

遊女の墓馬の白息地を這へり 加倉井秋を

木がらしや廿四文の遊女小屋 小林一茶 (1763-1827)

恋ひ死なば我が塚で鳴け郭公(ほととぎす) 奥州 (未詳。元禄頃の遊女)

遊女屋の使はぬ部屋の秋の暮 松本たかし(1906-56)

若竹や橋本の遊女ありやなし 蕪村

一つ家に遊女も寝たり萩と月 芭蕉

陽炎にいらか並ぶや遊女町 寺田寅彦

春風や遊女屋並ぶ向ふ河岸 寺田寅彦

陽炎や遊女の嘘はたくみにて 尾崎紅葉

文殻の手鞠はづまぬ遊女哉 尾崎紅葉

しぐるゝや潮来は古き遊女町 幸田露伴 拾遺

水鳥や港に近き遊女町 会津八一

遊女屋の草履つめたし花菖蒲 田中冬二 行人

白玉や遊女屋の昼閉ざしつつ 田中冬二 行人

遊女屋の厠の灯暗し遠蛙 田中冬二 行人

遊女屋の渡り廊下の朧かな 田中冬二 行人

遊女の昼流るでもなきトマトの帯 八木三日女

葦火とろとろ西行も遊女も 後藤綾子

いなづまや僧と契りし遊女の碑 後藤綾子

ひらきゆく屏風に遊女現はるる 下村梅子

ゆく春の江口の遊女即菩薩 下村梅子

野の中の遊女屋ばかり櫻見し 横光利一

長き夜の更けて遊女の目井・乙前 辻桃子

初鴈や遊女にあぶらさゝせけり 炭 太祇 太祇句選後篇

幟たつ母なん遊女なりけらし 炭 太祇 太祇句選後篇

膳の時はづす遊女や納豆汁 炭 太祇 太祇句選

愛宕火の燃えて遊女の閑な晩 後藤比奈夫 初心

柳まけ去年の男のとつた髪 遊女-唐土 俳諧撰集玉藻集

恋死なば我が塚でなけ郭公 遊女-奥州 俳諧撰集玉藻集

朝顔やのいたる人もなつかしく 遊女-花崎 俳諧撰集玉藻集

石竹や誰が花ごまを捨たらん 遊女-かう 俳諧撰集玉藻集

爪はづれ華奢に育つや若楓 遊女-好女 俳諧撰集玉藻集

猪も抱れて萩のひと夜かな 遊女-高尾 俳諧撰集玉藻集

男なき寝覚はこはい蚊帳かな 遊女-花崎 俳諧撰集玉藻集

虫干や具足櫃から転(まろ)び出る 遊女-小原 俳諧撰集玉藻集

千鳥啼き出づれば雌か雄かいの 遊女-いくよ 俳諧撰集玉藻集

色紙や色好みの家に筆はじめ 遊女-利生 俳諧撰集玉藻集

我が袖の蔦や浮世の叢しぐれ 遊女-薄雲 俳諧撰集玉藻集

蹴あぐれど裳(もすそ)にたまる霰かな 遊女-ときは 俳諧撰集玉藻集

児の親の手笠いとはぬしぐれかな 遊女-夕霧 俳諧撰集玉藻集

我のせて廓を出でよいかのぼり 遊女-たま 俳諧撰集玉藻集

櫛さすに力なきこそ薄なれ 遊女-長門 俳諧撰集玉藻集

月はのう淋しいでこそ哀れなる 京遊女-九重 俳諧撰集玉藻集

かきつばたいつ見んことぞ沢ながら 遊女-奥州 俳諧撰集玉藻集

おもふこと伏籠にかけて朧月 遊女-のざと 俳諧撰集玉藻集

タ立やいとしい時と憎い時 遊女-しづか 俳諧撰集玉藻集

暁の遊女が吐血ほととぎす 召波 五車反古

遊女屋の使はぬ部屋の秋の暮 松本たかし

遊女等もたむろしてをり月の浜 篠原鳳作

うちかけを着たる遊女や螢狩 篠原鳳作

遊女なりし母が勵ます夜學かな 松瀬青々

一家に遊女も寝たり萩と月 松尾芭蕉

梅咲て帯買ふ室の遊女かな 蕪村 春之部 ■ 摺子木で重箱を洗ふがくせよとは、政の嚴刻なるをいましめ給ふ、賢き御代の春にあふて

若竹や橘本の遊女ありやなし 蕪村 夏之部 ■ 諸子此枝の僧房に會す、余はいたづきのために此行にもれぬ

住吉の雪にぬかづく遊女かな 蕪村遺稿 冬

大坂の遊女かしらずさくら狩 高井几董




ミゾハギ

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外気温表示38℃の中、神戸市北区へ。
空は秋

ミゾハギが秋っぽい感じで咲いていた。

溝萩の盆の過ぎたる頃に咲き 平山 愛子

溝萩の花を束ねて商へり 中川 みさえ

溝萩を朝刈りて来ぬ一束ね 星野麥丘人

溝萩の日に抱かれたる花やさし 木内さい

溝萩やバケツで洗ふ登山靴 皆川盤水


溝萩を朝刈りて来ぬ一束ね 星野麦丘人

溝萩やかがむになれし農婦の腰 能村登四郎

溝萩をつくづく見ても定年来る 嶋田洋一

ながき穂の溝萩いつも濡るる役 能村登四郎

溝萩やかがむになれし農婦の腰 能村登四郎

わが四十溝萩咲くと見て過ぎぬ 岸風三樓

ながき穂の溝萩いつも濡るる役 能村登四郎 有為の山



この土手には我が家近辺では見かけない花がつぎつぎと姿を見せる

藤田湘子で検索したら、640句(ダブリあり)と表示された。
最初のページ掲載分


椋鳥や牛飼人も子を連れて 藤田湘子

篠の子は雲にも巻かれて育つらし 藤田湘子

秋祭金髪の子を捧げ行く 藤田湘子

蝉声を追ひ子のために生きる顔 藤田湘子

椋鳥や牛飼人も子を連れて 藤田湘子

篠(すず)の子は雲に巻かれて育つらし 藤田湘子(1926-)

宮城野のどの子に触るる風花ぞ 藤田湘子(1926-)

青竹を登りかねたる蜥蜴の子 藤田湘子 黒

子を得たりうつゝに遠く辛夷揺れ 藤田湘子 雲の流域

手ぶらにて十日戎の人と会ふ 藤田湘子

鳥総松歩けば島の路地固し 藤田湘子

野づかさの多摩の櫟へ斧始 藤田湘子

蛸薬師にて初旅の夜が来ぬ 藤田湘子

初富士にふるさとの山なべて侍す 藤田湘子

出雲へも来よと手紙や松の内 藤田湘子

冬萌や湖国の畦木みな低き 藤田湘子

閻王が斎の白菜ひた白し 藤田湘子

水仙や青柳町に日の斜め 藤田湘子

洛中は物日の音ぞゆりかもめ 藤田湘子

三日月に狐出て見よオホーツク 藤田湘子

しぐれ忌の日矢を遠見の志賀にあり 藤田湘子

大滝は力ゆるめず神の留守 藤田湘子

湯ざめして遥かなるものはるかなり 藤田湘子

而して鰭酒の酔発しけり 藤田湘子

まつすぐに日射すジャケツの妻の胸 藤田湘子

蒲団より落ちたる文庫本スリラー 藤田湘子

枯野行刻々沈む日が標 藤田湘子

年の瀬や奈良日吉館灯を洩らさず 藤田湘子

蛍光灯唄ふごと点き冬浅し 藤田湘子

日暮とも雨けむるとも白桔梗 藤田湘子

藤袴にもひとこゑや山鴉 藤田湘子

酔さめて芋の鶴川村遠し 藤田湘子

街路樹の裾の白粉花江東区 藤田湘子

雁列や飛騨の高嶺の日のありど 藤田湘子

橿鳥や朴は梢の苞を捨つ 藤田湘子

盆の衣青蘆に栄え隠るるよ 藤田湘子

天皇は那須に座しぬ震災忌 藤田湘子

あしたより水欲るからだ紅葉狩 藤田湘子

籾殻の山なすここが関の跡 藤田湘子

秋の野をはろばろと行き木隠れぬ 藤田湘子

十六夜の空となりたり首里の丘 藤田湘子

そらまめにあはれを問へば飛び出せり 藤田湘子

指さして樗の花ぞ土佐一宮 藤田湘子

呼の塔と応の堂宇と青葉闇 藤田湘子

山国のけじめの色の青葡萄 藤田湘子

仏桑花被弾残壁かくれなし 藤田湘子

薔薇の雨本門寺裏へ坂をなす 藤田湘子

松蝉や奈良に食ひたる麦の飯 藤田湘子

舟虫を走らす雨に海女の声 藤田湘子

葭切に空瓶流れつく故郷 藤田湘子

郭公や山毛欅せめぐ霧音もなし 藤田湘子

蝉丸忌半日鈍く京にをり 藤田湘子

きんつばの薄皮淡し川開 藤田湘子

何か言へり生きて汗噴く己が顔 藤田湘子

深山草挿してありけり床涼み 藤田湘子

日傘して汽笛の音の次を待つ 藤田湘子

泥鰌鍋褒貶いまも定まらず 藤田湘子

燈台は美少女を容れ卯浪立つ 藤田湘子

鯉の口朝から強し半夏生 藤田湘子

薄暑かく殺生石を匂はしむ 藤田湘子

午後の日の雪嶺づたひや山葵採 藤田湘子

花林檎牛生れし日に行きあはす 藤田湘子

藤夕べ手囲ひの灯をみほとけへ 藤田湘子

春鮒に虹をかけたる近江かな 藤田湘子

暗き湖より獲し公魚の夢無数 藤田湘子

空谿の何の谺ぞ鴨かへる 藤田湘子

人麿忌末黒古蘆刈られけり 藤田湘子

峰入や月夜鴉のひとしきり 藤田湘子

春の炉におもひて美しきことならず 藤田湘子

白山の雪解うながす夜の太鼓 藤田湘子

牛を摶てり薬師寺の杜かすむ道に 藤田湘子

去りゆきし春を種火のごと思ふ 藤田湘子

沸々の湯を得て葛は透きとほる 藤田湘子

夢に朱欒を抱き重りしが創痛す 藤田湘子

絮の中蒲の秘めたるもの知らず 藤田湘子

椎の実が降るはればれと愛されよ 藤田湘子

秋の野をはろばろと行き木隠りぬ 藤田湘子

十月やみづの青菜の夕靄も 藤田湘子

櫛拭いて秋海棠の花を見て 藤田湘子

秋の蝿一茶にしたるごとくせり 藤田湘子

ひと雨に更待の気のくづほれし 藤田湘子

十六夜や品川に海ありしころ 藤田湘子

八朔やわが真乙女の湯浴ごゑ 藤田湘子

母見舞ふ心となりぬ蓼の花 藤田湘子

いつの世も青嶺ぞ立てる盆支度 藤田湘子

不知火を想ふ研師の暇かな 藤田湘子

物音は一個にひとつ秋はじめ 藤田湘子

吊鐘は音のかたまり帚草 藤田湘子

花葵雨中に夢の像見て 藤田湘子

玉虫に虚空ひびかずなりにけり 藤田湘子

みづむしの足ほろほろと祭かな 藤田湘子

日覆や働きし顔飯を食ふ 藤田湘子

世を以て黄昏となす胡瓜揉 藤田湘子

風知草故人はゆめに前のまま 藤田湘子

小鰺らが寄る道の辺の恋の漁夫 藤田湘子

慈悲心鳥ほつほつの花馬鈴薯に 藤田湘子

昼さみしければ*いもりの泥もぐり 藤田湘子

時の日の正刻に入る厠かな 藤田湘子

蝿叩此処になければ何処にもなし 藤田湘子

草刈も影もさやけし花擬宝珠 藤田湘子


藤田湘子門の方がブログ句会を再開したいということなので、参加してみようかと思っている。





7th days

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かなり若いころ、指圧院へ出かけたことがある。
誰かの紹介だったか、看板か何かを見ての飛び込みであったか思い出せない。

指圧は初体験だった。めちゃくちゃに痛かった。
二人の指圧師は、患者を痛めつけながら盛んに神学論争をやっているのである。

聖書のある個所の解釈を巡っていろいろな可能性を論じている。

哲学論争ではなく神学論争だからどうしても公理的信仰箇条が前提となる。
その部分に口をはさみたかったが、これも我慢。

こちらもキリスト教徒、しかもローマンカトリックであると分かると、患者を前にした
論争に悪影響を与えると思ったから。

そのおりにセブン・デーズ・アドベンティストなる宗派が存在することを知った。

ごくごく小
さな宗派であろうと思った。

その会が経営する病院を覗いた。有馬温泉に近いところに立地する。

病院の待合室に聖画が一枚飾ってある以外、宗教集団の経営を示すものはない


しかし病院の正面入り口とその前の駐車場を挟んで聖堂があるのに気づき覗いてみた。

通常のプロテスタント系聖堂と大きな差異はないが、
かなりカトリック系聖堂に近い広いスペースである。
自由に出入りできる入り口の構造もカトリックに近い。

山際ではあるが、あいかわらず関西は暑く、空は青い

兵庫県内には5つの教会があるよう。
↑有野台教会
病院はここの他東京にも有している。世界には20位あるのだろう。


脱ぐ白地聖画の前に嵩もなし 久保 武


チャボリンドウ

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初めて見るような気がする。
京都北山でも見ているかもしれないが、記憶にない。

ちょうど、花時だった。

8月句会参加。第462回例会

解体の埃へ水遣り夏果てる
ハゼランの火花の実り孫去んだ
眼鏡店のウィンドゥ光り夏果てる
三科みな徒歩圏内の残暑かな
無念の銀快挙の銀とユーフォルビア



席題は「眼鏡」

当日配布の茶菓





登高

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「登高」は季語か?

例句

登高やみな紺の羽に谷鴉 皆吉爽雨

登高や一曲見せて千曲川 鷹羽狩行

登高といひて万里の一里ほど 上田日差子

登高や秋虹たちて草木濡れ 飯田蛇笏

登高や鶴を招けば雲来る 島田五空

登高や光れる言葉はじけ合ひ 徳永山冬子

登高やはろか平に陸稲刈 芝不器男


鷹羽狩行や皆吉爽雨の句では季語扱いである。
蛇笏の句では無季語扱いである。


「高きに登る」とすれば、明らかに季語扱いとなる。


試に下駄の高きに上りけり 鉄僧

天下茶屋の雲の高きに登りけり 上田五千石

中学生も蹤きぬ高きに登るとて 星野麦丘人

行く道のままに高きに登りけり 富安風生

存命を謝して高きに登りけり 和田春雷

高きに登り有らぬ声して吼えてみる 大口公恵

砂利山を高きに登るこころかな 草間時彦

高きに登る卑弥呼色白なりと思ふ 成瀬桜桃子

行く道のままに高きに登りけり 富安風生

一足の石の高きに登りけり 高浜虚子

高きに登る日月星晨皆西へ 高浜虚子

一家皆高きに上る和楽かな 佐々木北涯

山墓の高きに登り濤の白 近藤一鴻

石の鳥居くぐり高きに登るべく 田村了咲

蛤を提げて高きに登りけり 辻桃子(1945-)

かく縁の高きに上り下りにけん

お天守へ高きに登る心もて 高濱年尾

小百姓ひそと高きに上りけり 芝不器男

裏戸より高きに上るうから哉 芝不器男

仏母の名呼びて高きに登るべし 阿波野青畝

一念三千憶ひ高きに登りけり 阿波野青畝




浦の初嶋

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本殿に琴運び込む菜種御供 椹木啓子

おぼろ夜の妙見社殿朱塗りにて 松本陽平

涼しさや湖風ぬける空社殿 幸田露伴 谷中集


街に来る神宮の鳩春隣 村田 脩

時の日や近江神宮御造営 青木月斗


本殿、社殿、神宮いずれも例句に乏しい。
宮とか社なら多いだっろうが。

築地大神宮

広さは富松神社並みだが、大地震以後愛再建整備されたためか
はるかに立派に見える・

尼崎市築地地区へ入って、庄下川は、東西に分流する。
西へ向かう流れは旧左門殿川と名を変え、
東への流れは名を変えず、ポンプ場を経て中島川へ排水されるが
処理能力の関係か、水はほとんど流れていないように見える。

 魚卸商の団体

旧左門殿川仁かかるのが戎橋。
橋名標石は文久年間の年号が読める

手前に見えるのは、道標を兼ねている。昭和25年講和記念に設置されたよう。

浦の初島と呼ばれる

庄下川の流れ





解体

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8月20日

   

21日は日曜日で作業なし
8月22日

  



8月23日朝 まだ2階は残っている。

 

2階が解体されると六甲山が見えた。
このあと3階建てのワンルームマンションが建つので、すぐにまた見えなくなる。
8月24日

  

8月25日 ↓玄関先の門柱と裏口のドアが残っている。

  

そういえば観音竹が流行った時期があった。

  

8月26日 午前

  

26日夕刻

  

完璧に更地になった。

事実上は5日間、5人の作業。

荒梅雨や肉屋が肉を解体し 大木あまり 火のいろに

解体の屋敷見てゐる冬帽子 斉藤美知子

解体のほこりに追はる秋の蝶 松沢満里子

飴色の陽が解体の藁塚に 山口速

かげろふに消防車解体中も赤 西東三鬼

笛のこゑ鉾を解体せし後も 山口誓子

解体ビル死屍のごときを吊る暑し 上井正司

いにしえを解体すれば時崩れ 和田悟朗

花八ツ手ビル解体をにぎやかに 斉藤夏風

アンゲロニア

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アンゲロニア:最近よくみかける。

高温多湿で、花が減る季節でもよく咲いている。

メキシコ~ブラジル、西インド諸島に30種類が分布する植物です。その中でもアンゲロニア・サリカリフォリア(A.salicariifolia)やアングスティフォリア(A.angustifolia)、それらの園芸品種が流通しています。毎年花を咲かせる多年草で、常緑性の草花です。

茎を直立させる立性と横にはうように広がっていく這性があります。もともと草丈は1m近くに達するやや大型の植物ですが、花苗として出回るのは50cm程度に収まる園芸品種が多いです。株元からたくさんの茎を伸ばして茂ります。

開花時期は主に夏を中心として初夏~秋、茎の上部、葉の付け根に次々とつぼみを付けます。花色は白、紫、ピンク、紫がかったブルーなどで、白と紫のツートンカラーになるものなどもあります。エンジェルラベンダーの商品名で流通しているものもありますが、アンゲロニアはラベンダーの仲間ではありません(ラベンダーはシソ科の植物です)。

やさしい園芸より。


↑西武庫公園内で。

家の近所にいくつかバス停がある。
これまであまりバスを利用しなかったので、
そのバス停はどこが始発で、何処まで行くのか関心がなかった。

午後の散歩に、市バスを利用し始めてから、
そうか、このバス停は、この路線のものかと思うことが増えた。

徒歩7,8分の阪急電鉄の駅前を始発駅(終着駅)とする尼崎市バスの路線は、ほぼ全線利用実績ができたところである。

その市バスは、今年の3月末に阪神バスに管理主体が移動。

ほぼ1週間以内に、バス停のポールもすべて阪神バスのものに変わった。

息子の新居が尼崎市から離れ、伊丹市に入り込んだところに決まり、
そこへ出かける機会が増えた。
それとともに伊丹市営バスを利用するようになった。

といってもそのことのために伊丹市営バスを利用したのは、1昨日が初めてである。

息子の家を出て、通りがかった人に、阪急伊丹駅へ向かう(伊丹)市バスの停留所のある所を
尋ね、「昆陽里」という名のバス停で待っていると5分ほどでバスが来た。
行き先表示を見ると「阪急塚口」となっていた。

阪急伊丹から阪急電車神戸線の支線(伊丹線)を
利用するつもりだったが、最寄り駅前から息子の家へ一本のバスで行けるのを「発見」。

今日もまた息子の家へ行く用件があり、出かけようと思って、昨夜、
ネットで、阪急塚口始発で昆陽の里へ向かうバスの時刻表を調べると
土曜日だったので、午前8時台に一本、次のバスは9時58分発であり、
到着しなければならない10時には間に合わない。

改めて阪神バスの阪神尼崎ー宝塚の時刻表と停留場を「調査」。
この路線は10分間隔で運行されている。武庫之荘駅西口というバス停があるので、隣の駅まで電車に乗って、このバスを利用することにした。

武庫之荘駅西口は、駅よりはるかに西の尼宝線と呼ばれる道路上にあった。駅から徒歩10分はあったが、10時前に家にたどり着いた。

バス停の椅子新しく年のくれ 萩原まさえ

バス停に取りあってゐる草虱 矢嶋淳子

バス停の墓苑案内秋めきぬ 佐々木平一

誰も居ぬバス停に鳴く油蝉 小須田利子

バス停の人それぞれに緑蔭に 城木タネ女

バス停をひとつ乗り越す目借時 佐藤のぶ女

バス停のゴスペルソング初比叡 宮澤せい子

バス停のいらだち撫ずる冬柳 指方幸子

歳晩といふ待ち時間バス停に 住谷不未夫

バス停の先頭に待つ捕虫網 城台洋子

祭まへバス停かげに鉋屑 北野平八

夾竹桃

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市花である夾竹桃を市内ではほとんどみない。
よって夾竹桃の垣根などは尼崎市内ではまず見ない。

尼崎市の北境を抜けたところにある息子の新居(ただし古家)の前は、
街川をふさぐように夾竹桃が植えこまれている。



眼の高さに花が咲いている。

公害因認定はただしかったのかどうか知らないが、近くで見る限り可憐な花である。

昨日武庫川の河川敷を歩いていると、諸所に大株の夾竹桃の植え込みが健在であった。

華々しく、市の花に認定された頃に植えられたものであろうか。
あるいは市の南部の工場地帯や河川敷に多くの夾竹桃が目立ったので、市の花に制定されたのか?

何本かの夾竹桃が、少年用の野球グランドの境界を形成していて、
いくつものグループが練習に励んでいた。

囲はれて桜草咲く河川敷 伊阪美袮子

秋暑し廃車ころがる河川敷 杉山青風

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