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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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イナカッフェ

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Mrs K宅には、田舎ッフェと裏カッフェ、2つの接待所がある。
ほぼ毎日営業している気配である。
15日に訪問。本年3回目。

この前とはおしぼりの組み立て方が変わっているように思う。

10人くらいはゆうに収容可能。常住家族だけでも、6人から7人に増加。
Mrs Kの次男夫婦も、ジョギングの途中で寄れる程度の距離に居住していてここも人口が、私が帰った翌日に一人増加で5人。これで12人。団子3兄弟を含む5人が加わると17人。
市報みまさかの次号以降で紹介されるのが楽しみ。

花は造花ではなく生花。アレンジメントもプロ級の腕前。
新生児は、私が祖父とする人物を5世の祖とする。私の伯父を高祖父とし、私の従兄姉を曽祖父母とする。

飲物も食べ物もほぼ自家製。


周りに並ぶガラス製品もほぼ美作産。というよりご近所で作られたもの。

美作の空を横切る火事の雲 赤尾兜子

美作や田の面をのぼる冬の霧 大谷あさ子

実柘榴や因幡美作国境 和田しずえ

美作の茶屋の麦飯三鬼の忌 大岩節子

美作は法然の国かすみ立つ 今川凍光

花木槿美作に来て汗白し 森澄雄


「美作」で検索したら、但馬美作という人の句が10句くらい登場。
私の俳句の師匠は伊丹三樹彦
三木で生まれて伊丹で育ったからこの俳号を選んだ。
但馬美作もそういう事情で生まれた俳号かも。


権大僧正

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岡山県西粟倉村は、そこに私からみて「はとこ」の子が住職をしている岩倉寺があるというだけでしばしば訪れるところである。

私の母方の曽祖父母が住職さんと同じという関係である。母方祖母と前の住職がいとこであったという関係である。

西粟倉村の清流。


吉野川の源流のひとつである。西粟倉村の鳥取県境若杉渓谷に源流がある上梅里川の流れが吉野川に名を変えたばかりの流れである。

↓右手は無料の鳥取道。峠を越えれば鳥取県である。西粟倉インターの次のインターは智頭南である。
どういうわけか「いかりスーパー」が智頭にもできたようで、
このあたりでもスーパーいかりは有名である。

水量が圧倒的というほどではないが、あちらこちらから谷水が暗渠を通じて迸るように合流してくる。


岩倉寺で前の住職さんのお墓を初めて見た。
たまたまなくなった日にお寺にお邪魔した。7年前のことであることを確認。


権大僧正となっている。近くでみる墓所等では、住職さんの墓は一般の墓よりかなり豪華になっている。僧の階級はたいてい権小僧正など「小」が一般的なのに大僧正なのに驚く。
前の住職は敗戦の年になくなっているから、60年以上この寺を守られたことになる。


↑奥の院
墓地は奥の院と講堂との間にあるが、かなりの高低差がある。よってワイフと一緒の場合は、講堂へは車で移動する。
その道がまた怖い。


西粟倉村観光ガイド:
南北朝時代、正平年間(1346年~1370年)に赤松氏と山名氏との争いによって焼失したと言われ、一度再建された。元亀年間(1570年~1573年)に再び焼失し、現在のものは、天正年間(1573年~1592年)に再建されたものと言われている。 2月の第2土曜日には岡山県でも今は珍しくなった裸祭があり、そんな以外の男たちが神木を奪い合う様子は圧巻で西粟倉の冬の名物となっています。


現在300有余年ぶりに、鋭意再建中である。あとは本堂のみとなった。「そんな以外」はもちろん「村内外」の誤植である。

一番下に本堂。建築中。


僧正切株僧正日永かな 龍岡晋

くわりんあり鳥羽僧正の絵巻あり 後藤夜半

紅葉かつ散る鳥羽僧正の縁に座し 小林康治 『叢林』

萩供養僧正さまは顔煤け 岸田稚魚 『萩供養』

柿吊るや鳥羽僧正の結界に(栂尾) 飴山實 『次の花』

長き夜を鳥羽僧正とあそびけり 白岩 三郎

緋ごろもの何僧正や歌かるた 静雲

その後の鳥獣に鳥羽僧正忌 鈴木栄子

階段に雨くる鳥羽の僧正忌 夏井いつき

僧正が鮎の姿を賞味せり 筑紫磐井 婆伽梵

萩供養僧正さまは顔煤け 岸田稚魚

鳥羽僧正秋草好みたまひける 文挟夫佐恵

はらからに僧正二人さくら咲く 柿本多映

僧正に艾の燃ゆる花の昼 柿本多映

王、僧正、騎士、この雄々しさを落としつ 加藤郁乎

僧正が野糞遊ばす日傘哉 一茶 ■文化元年甲子(四十二歳)

鳥羽僧正忌なる風船かづらかな 有馬朗人 耳順

僧正が谷をすべれば余寒なり 野童 芭蕉庵小文庫

僧正の青きひとへや若楓 榎本其角

↑高野槙

庭園

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(いつもながらの)にわか勉強で、安土桃山時代の庭園様式や、代表庭園を検索してみたが、
岡山県の東端にある蓮花寺を挙げるHP等には出会わなかった。

土居の宿場跡を出て、佐用インターに向かう途中で、蓮花寺の案内表示を見て、杉坂峠へ向かう道に乗り入れた。

本堂正面から入る門はなく、鐘楼を兼ねる門が「正門」のようである。
本堂前は意外に狭隘である。


本堂横の回廊をくぐるようなかたちで庭が設営されている。

池泉回遊式と枯山水併用とか。

ガイドも予習もないので何処を見たらいいかわからない。

豪快な石組みが枯山水につながるのか?

かなり狭苦しい空間である。池泉あれど、回遊はできない。

池泉めぐる老松の影苔の花 田口一穂

芝焼くや池泉の水を醒ましつつ 宇咲冬男

天台の一庭園の敷松葉 掘 みのる

庭園に人工孵化の蛍飛ぶ 穂坂日出子

苔にして万両の朱の四粒沁む 三樹彦 (西芳寺庭園)

冬髪刈るや庭園論の父いずこ 寺山修司

庭園や草の離々たる藜の轟々たる 柳川春葉


こういった高台へはワイフは付き合わない。
車中待機。








美作土居

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JR美作土居駅に関するウィキさんの解説:

作土居駅(みまさかどいえき)は、岡山県美作市土居にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)姫新線である。

当駅から津山方面は岡山支社の管轄となる(隣の上月駅より姫路方面は神戸支社姫路鉄道部が管轄しており、県境をまたぐ万ノ峠トンネルの姫路方出入口付近に境界標が立っている。しかし、津山方面から来る大半の列車は上月駅から一つ先の佐用駅まで運行される)。




一日の乗客は1999年で70人、2014年で30人。(乗降客数はこの2倍)15年間に6割減少した。

1936年営業開始とのこと。私の母は隣の駅美作江見駅から徒歩圏内で生まれ、12歳で大阪へ修行に出た。和服専門学校で7年修行し、通常より早く「免許皆伝」、三越の仕事をやっていた。
(縁は異なもの! 当時「専門学校」なる制度があったかどうかは別にして、私の就職先の、同一部署の一年先輩の同僚の母が、私の母と同級生であったことが分かった。)

ということは、母が里から大阪へ出た時に利用した交通機関はJR姫新線ではなかったらしい。

亡くなった父方従兄の話では、私の父方祖母は遠出の時は、近所の同姓の人を雇って、山陽本線の上郡駅まで人力車で行っていたとか、その時の支払いが50銭、帰りも迎えを頼み往復1円支払っていたとか。(どうやって迎えを頼むのであろう。行きの下輪時に、帰りは明日の何時何分着の汽車を利用すると言っておくのであろうか)

卒業証書だったか資格認定証書だったか、探してみたが見つからなかった。
代りに見つけた写真

↑日付は写真を写真に撮った日(今日)であって、この人々が集った日ではない。
私の従姉・従兄たちとその配偶者の子や孫が写っている。
撮影場所は紛れもない。背後の金木犀は今も健在。

土居宿は、佐用の平福や美作の大原宿ほど知られていない。よって観光客も来ない。


しかし宿場の東と西に惣門を持つ関所だった。

街道に面して山側と川側との間に人家が展開している。管理しやすい区域であったよう。

今は標識だけがある。

↓ここは、今でも警察の駐在所である。

持統街道くぐつの道と伝へたる 後藤綾子

獅子舞や大和に古りし長谷街道 鈴鹿野風呂

枯萱に塩の色あり浜街道 高橋圭爾

街道に孤松艶立つ冬雲雀 桂樟蹊子

よろよろと出て街道の布子婆 谷野予志

狐火や鯖街道は京を指す 加藤三七子

初時雨姫街道の石紅し 有馬朗人

街道にくだけし瓜や奈良格子 桂 信子

うど咲いて例幣使街道の古家かな 村上鬼城

例幣使街道麦笛も横切らず 平畑静塔

日光街道走り代馬逞しき 臼田亜浪

街道のうどん屋にゐる端午の日 小宮山政子

春浅き鞍馬街道貴船かな 草間時彦

遁走する菜の花 舗装の無頼街道 仁平勝 花盗人

柳生街道とかげは尾つぽ置き忘れ 大木あまり 雲の塔

街道に障子を閉めて紙一重 山口誓子

桑枯れて秩父街道晴れわたる 武田光子

街道や時雨いづかたよりとなく 中村草田男

街道をせばめて峡の出初式 砥上白峰

野水仙浜街道の風匂ふ 勝見玲子

棉の実や秩父街道土埃 新間絢子

すかんぽや鎌倉街道庭よぎり 白岩てい子

柳生街道笹原ふかくおとし角 中村翠湖

ただ一戸浦街道の鳥総松 石川[テキ]子

義経の落ちし街道しぐれけり 猪俣 壽水

秋しぐれ鯖街道をひた濡らす 木下ふみ子

街道ほたる袋に雨残り 内山亜川

街道朴散つてその北さびし 岡田 貞峰

街道い行けば雪に火の椿 橋本榮治

街道を外れ梅が香の谷戸の寺 濱田登季子

水音より明くる街道燕来る 加藤安希子

みちのくの街道細し春祭 田中由喜子

街道い行けば雪に火の椿 橋本榮治 麦生

街道に大根洗ふ大盥 富安風生

狐火にたゞ街道のあるばかり 阿波野青畝

街道や大樫垣の北おろし 村上鬼城

道赤く奥州街道秋立つも 阿部冬樹

戸明くれば東街道や冬籠り 几董

街道は奈良へ篁落葉いま 旭

町に入る飛弾街道や小六月 松本たかし

高稲架に鯖街道のうち晴るる 西村和子 かりそめならず

かきつばた鎌倉街道雨上がる 二村典子

鯛網や浜街道は山に入り 内田百間 百鬼園俳句帖

白樺街道雪の香を呼ぶ白ばんば 鳥居おさむ

渋柿や街道中に枝をたれ 蟻夢

街道の灯の明るきは秋蚕飼ふ 吉村ひさ志

蜩や杉街道を急ぐ人 岡田鱶洲

足音も鯖街道の夜長かな 榎本好宏

松に蔦街道古き羽州かな 佐藤肋骨

街道にダリヤとわれと濃くゐたり 金田咲子

柳生街道とかげは尾つぽ置き忘れ 大木あまり

街道を出でてお遍路一列に 白山晴好

標には「浪漫街道」春立てり 渡辺真映

ダム底となる街道の夕焼けたり 冨田みのる

茶の花の京街道を下校路に 宮津昭彦

余り江に麦たくましき脇街道 佐野美智

街道や磧つゞきに春深く 道芝 久保田万太郎

猪を街道松に吊し撮る 猪俣北洞

街道を遠乗つづく小春かな 会津八一

街道を桑売ひとり野蒜の花 田中冬二 行人

街道を西へ歩けば蕪引き 山本洋子

街道に咲く痩カンナ痩老婆 三橋鷹女

葉ざくら街道老婆らここに行き逢へり 三橋鷹女

街道の門火にこどもひとりいる 澁谷道

街道外れしところに花の闇 小泉八重子

街道にダリヤとわれと濃くゐたり 金田咲子

狐火や鯖街道は京を指す 加藤三七子

街道を西へ歩けば蕪引き 山本洋子

こほろぎや出羽街道に桜榾 斉藤夏風

善光寺街道の民山桜 斉藤夏風

秋風の西国街道歯ブラシ立つ 坪内稔典

手花火は鯖街道を照らすなり 大峯あきら

街道を花火の煙這ひゆけり 辻桃子

母屋より街道みえて日永かな 辻桃子

茶の花の京街道を下校路に 宮津昭彦

鯛網や濱街道は山に入り 内田百間

清明や街道の松高く立つ 桂信子 草樹

海上に街道のあり鳥賊火點け 山口誓子 不動

街道に障子を閉めて紙一重 山口誓子 一隅

駄馬つづく阿蘇街道の若葉かな 夏目漱石 明治二十九年

駄馬つづく阿蘇街道の若葉かな 夏目漱石 明治二十九年

町に入る飛騨街道や小六月 松本たかし

小鳥小屋飛騨街道も一目なり 松本たかし

早乙女や街道の砂利いたがりつつ 中村草田男

日昃るやねむる山よリ街道へ 芝不器男

代掻くと小栗街道はしり来る 阿波野青畝

街道に障子を閉めて紙一重 山口誓子

「出雲街道」の例句はないよう。

錆鮎やことばをつくす出雲びと 原裕 『出雲

はつゆめの半ばを過ぎて出雲かな 原裕 『出雲

ちちははへ出雲より出す初便り 小島花枝

仰ぎ見る大〆飾出雲さび 杉田久女

蕭々と出雲の雨や松飾 山本洋子

出雲へも来よと手紙や松の内 藤田湘子

出雲なる風土記の丘の冬雲雀 小野淳子

ぬばたまの出雲の闇を除夜詣 福田蓼汀

神集ふ出雲の詩友みな酒友 森山夕樹

神集ふ出雲七浦凪げりけり 由木みのる

神迎ふ出雲は日和つづきかな 岡本春人

麦蒔や出雲にたかき築地松 長谷川史郊

出雲路の神在月となりしかな 村山古郷

露草に出雲神楽のとどろけり 梶山千鶴子

出雲路の雲紡ぐかな曼珠沙華 吉田鴻司

高稲架を八重垣に組み出雲かな 山田幸夫

田が刈られ畔豆黄ばむ出雲崎 森田公司

稲架かけて出雲の国は湖水晴れ 竹下しづの女

出雲には佳き菓子のあり紫陽花忌 長谷川史郊

八雲立つ出雲は雷のおびたたし 角川源義

出雲への峠晴れたり初蕨 鷲谷七菜子

出雲より嫁しし日向の雲丹採女 山崎正人

鱈干していよいよ古りぬ出雲崎 小松沙陀夫

出雲崎へは抗真菌剤携えて 沙羅冬笛





本陣跡の標識以外植田風


しいさんとやまぐちさん以外の顔をあまりみない兵庫8区の住民に、
ひらぬまさんはそこが岡山であることを教えてくれる。


アガパンサス

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アガパンサスが咲き揃ってきた。

原産地を調べていないが、ポルトガル、リスボンの街路で5月には並木状態になっていたのを記憶している。
そういえば、台北近郊ではクロトンやサンセベリアが街路樹扱いを受けていたことも思い出す。


アガパンサスの背伸びの揃い川の風

アガパンサスと名が似ているが、アカンサスという花がある。ギリシャの国花である。
でかい株なので、我が家の庭では育成不可能。

↑Mrs K 's  のURACAFEに何株も育っている。

衆愚制に勝るものなしアカンサス

とはいえ、Kは嫌い、しかしTはもっと嫌い。Tは好きではないが、Kも好きにはなれないという中での2者択一を迫られる国民や、

仲間外れも嫌だが、仲間でいるのもつらいなかで、リーブかリメインかの意思表示を明後日に示さなければならない国民は、つくづく衆愚制の維持に困惑しているであろう。

そんな場合は、どこかの情報管理社会の現況を思うべし。
アガパンサスの例句みつからず、
アカンサスでは、

アカンサス穂に出づ吾子よ職に慣れよ 藤浦道代

の一句。

近くの川のほとりに梅の木と桃の木が育って、川面に枝を伸ばしている。

ハタンキョウの感じになっている。うまそうだ。

今年は梅が不作ということだが、この木はよく実っている。

でもここまで熟すと梅干しには出来ないかも。





七夕

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飛行士となりて宇宙へ七夕に

宇宙ステーションへラーメン食いに星祭
地元テレビも日本人飛行士が、30年前に七夕の短冊に宇宙飛行士になりたいと書いたことを伝えたとか。

↓この子はリオへ行くのだろうか?それともオリンピック出場か?

母たちの痩身願望星祭

2人目を孕みて七夕笹飾る

清らかな願いが泳ぐ笹祭

代筆の願いも混じる笹祭

祖母が病む子も加わりて星祭



ワイフは昨日、初蝉を聞いたという。息子はそれより3日以上前に聞いたとか。
わたしはまだ。
昨日、我が家の門脇のコノテカシワの枝で、初空蝉を見た。

この1週は梅雨明け10日の暑い日がつづいた。
明日は大阪周辺は雨のよう。




ナンキンハゼ

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奈良公園の紅葉は主にナンキンハゼである。
でも俳人は「櫨紅葉」として詠っているはず。
奈良公園のナンキンハゼ紅葉を詠った句を1句だけ見つけた。

御物展南京櫨のいろづけば 大島民郎

ナンキンハゼ(南京櫨・南京黄櫨、学名Triadica sebifera)は、トウダイグサ科ナンキンハゼ属落葉高木である。以前はシラキ属英語版に分類され、Sapium sebiferum の学名で呼ばれていた。種小名の sebifera は「脂肪のある」の意[2]。別名、トウハゼカンテラギ中国烏桕木偏〕、烏臼烏臼木[3]

和名は、ハゼノキの代わりにをとる材料として使われるようになった、中国原産のの意味である。

ウィキペディアは花期を5~6月としている。
公園のナンキンハゼは今が満開である。
他のHPを見ると、花期は6~7月となっていたので少し安心。

南京櫨の実は冬場の鵯の餌であるが、
花盛りを意識して見るのは初めてのような気がする。

初蝉を聞きに近隣公園へ出かけて撮影。
他の画像も紹介したいが、
カメラの設定を初期化したら、画像がすべて5MB以上のサイズとなり、
リサイズするのに時間がかかり、UP制限時間に間に合わない。




岡田邸

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↑家からの徒歩圏内ではこのナンキンハゼが一番目立つ。場所も人目につくところにあり、
幹ぶり、枝ぶりも立派で秋冬の実成りも見事。

小雨の中を伊丹郷町の柿衛文庫の芭蕉展を鑑賞。
文庫の庭↓

常緑樹を植えているので、枯山水とは言えないが。

文庫と、旧岡田邸はつながっている。というより岡田邸の中に文庫が作られたのであろう。

手前は石橋邸で、奥が岡田邸
岡田邸は国指定、石橋邸は県指定の文化財。


↑旅館もおおむねこんな感じである。
大奥にお泊りのお殿様がトイレだというと、
次々に襖をくって下々の布団の間を練っていったか、
あるいは障子を開けて廊下へ出られたのであろうか?

例句を見ても分かる通り、障子だけで季語となる。
例句多し。

障子貼る障子の家に死にたくて 大越 晶

不器用に乾く障子を叱るなり 中原道夫

吾を容れぬ障子のうちのはかりごと 行方克己 昆虫記

日の障子太鼓の如し福寿草 松本たかし

障子に峠の日あり七日粥 木村蕪城

去年今年障子明りに襲はれし 平畑静塔

みそさざい雪見障子にあらはれし 小路智壽子

白々と障子しめあり冬安居 前沢落葉女

あかあかと月の障子や亥の子餅 服部嵐翠

牡蠣船の障子や波をひからせて 角 光雄

長良川雪待つ舟の白障子 殿村菟絲子

障子閉ざすはこころ放つなり 正木ゆう子

一亭の障子ましろく池に向く 村上冬燕

うしろ手に閉めし障子の内と外 中村苑子

九枚の白障子しめ九体仏 岩崎照子

みづうみを眠らせておく白障子 西村和子

破れたる障子のままやつむぎ機 磯貝碧蹄館

午後といふ不思議なときの白障子 鷹羽狩行

箸割れば響く障子や納豆汁 石塚友二

湯豆腐や障子の外の隅田川 庄司瓦全

寒雷に日のさしかげる船障子 石原舟月

地吹雪のやがて鳴りだす寺障子 古舘曹人

明け放つ障子の蔭や芙蓉咲く 高浜虚子

東京に山見ゆる日の障子貼る 東野礼子

本山の障子門徒が来て貼れり 富永晃翠

洗ひをる障子のしたも藻のなびき 大野林火

みづうみに四五枚洗ふ障子かな 大峯あきら

障子洗ふ四五戸が谷戸の流れ堰き 皆川白陀

町川に鴨のふえたり障子貼る 石黒哲夫

障子貼ること怠りし仏間かな 角川照子

浸け障子押しやりすすむどんこ舟 下村ひろし

永平寺一山あげて障子貼る 佐々木和子

関の址障子を洗ふ音ばかり 加藤楸邨

障子うす日さし来て菊膾 藤原照子

三階の藁屋の障子山は秋 皆吉爽雨

秋の夜の猫のあけたる障子かな 細川加賀

蚕飼ふ障子が匂ふ柿若葉 稲垣陶石

蚕屋障子透くはるかなり谷若葉 長谷川かな女

障子かさなり見ゆる間数かな 轡田 進

先代のうはさも少し葭障子 木村蕪城

夜の秋の雲をへだつる障子かな 飯田蛇笏

蘆の芽や浪明りする船障子 村上鬼城

沈丁や障子閉せる中宮寺 大久保橙青

季節いま雪見障子に花の保津 後藤比奈夫

ある寺の障子ほそめに花御堂 高野素十

衆僧にしらむ障子や常楽会 三星山彦

雛納めして美しき障子かな 山崎冨美子

蚕屋障子狐色にぞともりける 田村了咲

みづうみの松風ばかり苗障子 石田勝彦

この辺り耳成村や苗障子 野中丈義

赤甘藷は赤き芽に出て苗障子 邊見京子

畑打に切貼障子とざしけり 石橋秀野

腰高の障子に春の御所火鉢 後藤夜半

暁や障子に近き春の山 松根東洋城

尼寺の留守と思ひし障子開く 魚井 苔石

重なりしところの暗き障子かな 山田 静雄

節分の鬼の破りし障子貼る 吉田 立冬子

日脚やゝ伸びしと思ふ障子かな 是木 二楽

寝そびれてをりし障子に茶立虫 山崎 朝日子

坑内水の流れに障子洗ひけり 河原 好枝

障子貼るうしろ暮れ来し思ひかな 澤村 芳翠

湖に障子を洗ふ人数かな 佐藤 梧林

貼り替し障子の中の母小さし 山下 尭

障子開け放ちあり秋彼岸 秋月 城峰

僧の声障子の内に杜若 有川 淳子

船虫の障子を這ふも島の宿 中井 ユキ子

彩色は女の仕事葭障子 新山 武子

文机と硯箱のみ葭障子 経谷 一二三

障子はづして裏見通しの植田かな 田北 ぎどう

五月晴の障子を開けし御堂かな 宮本 旅川

海苔障子より蝶々と女の子 岡本 武三

ある寺の障子ほそめに花御堂 高野 素十

あけたての障子の内外凍ゆるむ 梅島 婦美

爪たてた猫のぬけ道 障子穴 西田美智子

日本的な白で 人影すぎる障子 伊丹公子

母在りて米寿や凜と白障子 森 武司

離れ家の障子灯さる敷松葉 山田節子

初霜や障子にこもる陽の翅音 篠田悦子

下り簗守る一枚の障子かな 清崎敏郎

応へなき人影ばかり障子貼る 老川敏彦

障子貼る妻の返事は横向きに 藤陵紫泡

障子貼る後姿がふりかへる 高本時子

声かけて障子洗ふうしろ過ぐ 廣瀬直人

縁に日のさし来る障子貼りにけり 鈴木真砂女

川痩せて点々と石葭障子 長谷川 櫂

ものゝの影長くかゝりし葭障子 川崎展宏

水音の近づいてくる葭障子 野澤節子

上簇の夜やあざやかに障子の桟 鷹羽狩行

松の間の障子真白く御歌会 澤木欣一

へなへなと洗ひ障子を立てかけぬ 細川加賀 『玉虫』

ひとりぼちの妻がゐたりき春障子 細川加賀 『傷痕』

見るからに重き障子に手をかけず 波多野爽波 『一筆』以後

障子貼るお狐さまの風通ひ 波多野爽波 『一筆』

次なる子はやも宿して障子貼る 波多野爽波 『一筆』

障子洗ひ仕舞はれ月の蔵 波多野爽波 『骰子』

山吹の黄を挟みゐる障子かな 波多野爽波 『湯呑』

見上げれば吉野は障子破れをり 波多野爽波 『湯呑』

水の夢みてするすると障子あく 長谷川双魚 『ひとつとや』

寝る僧の月の障子にふと影す 野澤節子 『花季』

月明の障子ひろらに二夜寝ぬ 殿村菟絲子 『繪硝子』







ホテル

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雪が雪追ふ犬ホテルホテル 大木あまり 火のいろに

ホテルみな白しホテルは何充つ城 楠本憲吉

志摩ホテル白き毛布の目ざめかな 車谷 弘

小鳥来るSLホテル窓開き 神蔵 器

クレソンを積む流れあり避暑ホテル 岩崎照子

阿寒湖のホテルの軒の燕の巣 荒巻 大愚

十指どの指もて射つやホテルのシャンデリヤ 寺田京子

火山ホテル暖炉に土語も親しうす(ハワイ) 河野南畦 『湖の森』

秋霖やホテルに傘の販売機 金元喜代子

打水のホテルに残る屋号の名 村本畔秀

初読はホテルの聖書かもめどり 鈴木鷹夫

十指どの指もて射つやホテルのシャンデリヤ 寺田京子

里心つましホテルの薺粥 今関幸代

雪に睡り 真夜 野兎の来るホテル 伊丹公子

山若葉昼を点せる旧ホテル 塚田順子

蟇鳴いて木隠れ灯す奈良ホテル 松岡 英士

雲海やホテルの地下にバスの駅 澤田 緑生

沢庵を漬ける宿屋をホテルといふ 渋谷鉄郎

睡蓮の今も変らぬホテルかな 京極杞陽

階少し軋むも月の奈良ホテル 水田むつみ

残る灯の霧の灯となる山ホテル 岩垣子鹿

ホテルあり木槿づたひにグリルあり 京極杞陽

開かざるホテルの窓よ夏嵐 対馬康子 吾亦紅

菊正宗の一升瓶沢山ホテルかな 山崎斌 竹青柿紅

死にも触れ晩夏のホテルの夕食会 関森勝夫

ホテル卓上ナフキン尖り秋日澄み 及川貞

ホテル氷河明りに壁炉燃え 小原菁々子

軽井沢万平ホテル、グランドホテルもヒヤシンス 田中冬二 俳句拾遺

逢引のホテルのロビー春の雷 田中冬二 若葉雨

ホテルその窓々の春灯 田中冬二 麦ほこり

灯のホテル弥生は月を上げながら 桂信子

ホテルはともす鳴くかなかなに似合ふ灯を 桂信子

星屑 岩屑 まばたく 氷河ホテルの夜 伊丹公子

山麓ホテルの 黄金時間 角笛は 伊丹公子

峇峇(ばば)言葉 失せゆく宙に ホテルの燦 伊丹公子

こは サマセット・モームの木椅子 椰子ホテル 伊丹公子

湖風の山頂ホテル灯を派手に 柴田白葉女

裂傷もつホテルの硝子冬怒濤 寺田京子

暖冬が慮外なホテル生みつづく 寺井谷子

枯山のホテルにポーの黒猫飼ふ 横山房子

いちじゆくのホテルに熟す閑吟集 加藤郁乎

水仙やホテル住ひに隣なく 久保田万太郎 草の丈

大連の梅雨のホテルの不親切 久保田万太郎 草の丈

ホテル滝に向つて応接間

ホテルはともす鳴くかなかなに似合ふ灯を 桂信子 晩春

花冷も雨もホテルの窓の外 稲畑汀子 汀子句集

氷雨東京 ひとりで寝ろと ホテルの鍵 伊丹三樹彦 樹冠

火蛾去れり岬ホテルの午前二時 久保田万太郎 流寓抄

このあたりホテルばかりの白夜かな 久保田万太郎 流寓抄

二夜はや馴染むホテルの秋灯 中村汀女

鯛網の海を控へし島ホテル 高濱年尾

深海のホテルの壁を蛾が叩く 横山白虹




阪急三田ホテルという名のホテルがあることは知ってたが、出かけたのは初めて。

我が家からは中国道神戸三田インター経由で行くのが一番早いよう。34キロ。

↓のアプローチは、梅田阪急ホテルとそっくり。あるいは千里阪急ホテルとも似ている。

今は、経営主体は阪急ではなく、オリックスのよう。

その分、野暮化が進んでいたというとお叱りを受けるかも。

目の前はイオンなどの郊外型大型店が並ぶが、背後からは緑豊かな田園都市が近望できる。

例によって料理が出ている間は食べるのに熱中。デザートに至り、慌てて一枚。

昨日、いつもよりやや遅れて薪能の案内が届いた。ワイフに。

句はワイフの作品。



カンナ

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カンナが一般個人住宅の庭から消えた理由:
広い場所を取る。
切り花にならない。
色・形の変化に乏しい。
他に育てたい花がいっぱい増えた。
水やりの心配もなく虫もつかないから管理の腕を振るいようがない。

立葵や芙蓉なども同じ特性を持っているかも。

庭にカンナ心にカンナ相対す 加藤秋邨 怒濤

カンナ一列中学校は今無人 高野ムツオ 蟲の王

吹き揉まれカンナを濫りがましとぞ 行方克己 知音

熊本や朝鮮飴と花カンナ 才記翔子

カンナ咲き畳古りたる天主堂 大島民郎

カンナ朱に神の愛憎いづれなる 岡本 眸

浪乗りの塩からき目にカンナの黄 久保田月鈴子

カンナ燃え異人眺めし海輝やく 清水基吉

火の山へカンナの赤き道つゞく 穴井 梨影女

喪の旅の岬に赤きカンナ咲く 近藤 紀代女

カンナ燃えいよいよ海は寂しい画布 鈴木修一

あらあらとカンナの真昼逢ひに行く 野木桃花

幽霊のよく出た庭よりカンナ咲く 五島高資

カンナ黄にはじまりは饒舌です 白石司子

滑走路尽きてすぐ海花カンナ 池田秀水

煩悩のかくも鮮やかなるカンナ(浦和吉祥寺) 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

耳の如くカンナの花は楽に向く 田川飛旅子 『花文字』

カンナ炎えビゼーの曲が早瀬なす 河野南畦 『焼灼後』

カンナ枯れ風に鳴ることだけ残る 加倉井秋を 『真名井』

カンナ咲きたのしきことの絶えてなし 加倉井秋を 『午後の窓』

カンナ燃ゆ生涯学習といふ講座 高尾まもる

カンナ咲く海の遠のく埋立地 田山諷子

ホスピスの静まりかへりカンナ咲く 原島悦子

カンナ燃えさかれど避暑期はや峠 久保田万太郎

鉄を打つ一瞬カンナ黄に眩み 三橋鷹女

女の口十も集めてカンナの花 山口青邨

眼帯のうちにて燃ゆるカンナあり 桂 信子

荒磯の風に燃え立つカンナの緋 西村美枝

天辺の花開くまでカンナ燃ゆ 乙武佳子

子の胸のあたりに発火してカンナ 金子 敏

カンナ燃ゆ女は小さき嘘をつき 田村登喜子

大学祭カンナ青年の丈に燃ゆ 宮坂静生

水郷は隅なく晴れてカンナの緋 末永悦代

あらあらとカンナの真昼逢ひに行く 野木桃花

老いしと思ふ老いじと思ふ陽のカンナ 三橋鷹女

鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ 渡辺白泉

女の唇十も集めてカンナの花 山口青邨

峡の町にカンナを見たり旅つづく 川崎展宏

黄のカンナ盲目のごとく花終ふ 石塚まさを

一頁のこしカンナの駅に着く 山田桂三

カンナ燃えつきて夕風素通りす 鬼塚梵丹

ことに海青き日カンナ紅き日よ 河原白朝

老いしとおもふ老いじと思ふ陽のカンナ 三橋鷹女

カンナ燃ゆ乳房にふせる双手ぐせ 大沼よし子

風のごときひかり走れりカンナの緋に 山崎為人

女の唇十も集めてカンナの花 山口青邨

骨太に生きんと思ふカンナ咲く 滝青佳

しとしととカンナに雨の降る日なり 岸本尚毅 鶏頭

久々に来たればカンナ枯れてあり 岸本尚毅 鶏頭

右の耳ばかりが熱きカンナかな 夏井いつき

厚化粧する緋のカンナ咲きにけり 谷口桂子

鶏たちにカンナは見えぬかも知れぬ 渡辺白泉

老いぬれば我が丈低しカンナより 三橋鷹女

逢ひにゆくカンナの緋途切れざる 高浦銘子

医師達の非常階段カンナ咲く 対馬康子 吾亦紅

不惑とはカンナの群れてゐるあたり 櫂未知子 蒙古斑以後

吹きしぼるカンナの揚羽何駅ぞ 石田波郷

鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ 渡辺白泉

鶏食ひしわれカンナより高く立つ 久保田慶子

空梅雨のカンナや迷ふこともなし 加藤楸邨

あらあらとカンナの真昼逢ひに行く 野木桃花

カンナひらひら運河逆流してゐたり 山田真砂年

潮風にちぎれんばかりカンナ紅 田中英子

耳の如くカンナの花は楽に向く 田川飛旅子(1914-99)

鶏(とり)たちにカンナは見えぬかもしれぬ 渡辺白泉(1913-69)

夕凪の濃さに息づくカンナかな 久米正雄 返り花

學校と見えてカンナを土手の内 寺田寅彦

カンナ燃え合せ鏡に挟み撃ち 小檜山繁子

街道に咲く痩カンナ痩老婆 三橋鷹女

葉ばかりのカンナとなりぬ祷りつつ 三橋鷹女

本屋の前自転車降りるカンナの黄 鈴木しづ子

貧血のカンナの朝を尾行せよ 増田まさみ

耳の如くカンナの花は楽に向く 田川飛旅子

応えるはカンナの赤の夜の向う 鈴木六林男 王国

陽あたりのカンナの広葉危機は午後に 鈴木六林男 谷間の旗

火のカンナ火のシベリウス断続す 加藤楸邨

またたきをせし間の生死カンナ燃ゆ 野見山朱鳥

カンナ燃ゆ孫の毬などかくしながら 楠本憲吉




三橋鷹女がカンナの句を多く作っている。
私も黄のカンナを詠った記憶がある。休み窯の傍らのカンナを詠ったが思い出せない。

矮性、多花性のものが門前花壇の主流である。

↑7月9日の近隣公園。
その前の日に覗いたら塵一つなく、箒目が残っていた。
蝉が煩くなるころは、散歩する人も減る。

公衆トイレの屋上がボランティア花壇になっている。世話する人もあまり近寄らないような気がする。


何気なく傍を通り過ぎていたが、立派な実である。

林檎に見える。

公園の北側に余り大きくない株が10ほど植えられている。

茗荷の子

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昼食を一人で自宅で摂る機会が増えた。
今日はワイフが冷蔵庫に手作りのソーメン出汁を冷やしているという情報を残して外出したので、二束茹でた。
ソーメンを食べ終わってから、そろそろ茗荷が出来るころではないかと何気なく、窓の外を見たら、茗荷の子が花になってゆくのが目に入った。

急いで庭に出て夢中で採集。サクランボの木の下ゆえに、毛虫の被害に遭う。
ムヒ塗った。
1週間ほど前に茗荷林の中を覗いた時にはまだ芽を出していなかったのに、数日前が収穫適期であったよう。

ついでに茄子も収穫。6本。茄子はこのあたりで限界のよう。
16本収穫したが、苗札に描かれていたような立派な濃紺の中長茄子は一本も採れなかった。

子規庵で入手した鶏頭。昨年は種子の数がすくなかったので、
まさに14,5本しか育たなかったが、今年は
小袋に入れて周囲に配りまくってもまだかなりの量の種が残り、
おおきめのプランターに撒いたらこれまた大量の苗が芽吹き

1プランター4,5株植では処理しきれず、
いまだにビニールポットのままのものも多数残っている。


昨年より背が高くなったように思う。

子規庵で育った鶏頭だから、明治鶏頭である。

鶏冠になっているものもあるが、おおむね槍状である。

「子規 鶏頭」で検索。
同じ句が何度も登場するが省略せずに紹介。

.    同郷の波郷鶏頭子規鶏頭 百合山羽公

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡 子規

鶏頭のとうとう枯れてしまひけり 正岡子規

鶏頭を切るにものうし初時雨 正岡子規

鯊釣の日和になりぬ葉鶏頭 正岡子規

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規

こけもせで二百十日の鶏頭かな 正岡子規

鶏頭を机辺に子規忌ごころかな 岩川みえ女

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規

鶏頭の赤きこころを子規忌かな 吉田冬葉

鶏頭ノマダイトケナキ野分カナ 子規

鯊釣の日和になりぬ葉鶏頭 子規

鶏頭の十四五本の昃りぬ 素十 (子規を憶ふ)

鶏頭の十四五本もありぬべし 子規

鶏頭の赤きこころを子規忌かな 吉田冬葉

鶏頭の皆倒れたる野分かな 正岡子規

鶏頭の黒きにそゝぐ時雨かな 正岡子規

鶏頭ノマダイトケナキ野分カナ 正岡子規

鶏頭ノマダイトケナキ野分カナ 正岡子規

しぐるゝや鶏頭黒く菊白し 正岡子規

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規

鶏頭の皆倒れたる野分かな 正岡子規

鶏頭ノマダイトケナキ野分カナ 正岡子規(1867-1903)

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規(1867-1903)

鶏頭の黒きにそそぐ時雨かな 正岡子規(1867-1903)

鶏頭子規の行きたる方は知らず 原田喬

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規

鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡子規

鶏頭ノマダイトケナキ野分カナ 正岡子規

鶏頭の黒きにそそぐ時雨かな 正岡子規








ムギワラトンボ

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市の郷土史研究会の会長さんから留守電あり。
また新しい調査資料が出来上がったよう。
こつこつと地道に成果を上げていかれるよう。敬服。
明日は電話して、こちらから贈呈分を頂戴に伺う予定。

我が家の混然たる裏庭。収穫用に束ねて植えこんでいる蕎麦から種(実)が落ちて幼芽が出ている。
幹を切ったキダチダチュラから新しい芽が出て大きな葉を増やしている。
こぼれ種のフウセンカズラが芽吹いて蔓を伸ばしている。
木の鉢に植えこんだ鶏頭がひょろひょろと伸びている。
そのまた横では、吉祥草の鉢からこんにゃくが伸びている。

その鶏頭の穂先

トンボが止まっている。幼いころに、シオカラトンボの雌と覚えた。

網で追っても、シオカラトンボの雄は動きが敏捷で、なかなか採ることが出来なかった。
トンボを見つけて、急いでカメラを持ちだし、焦点を合わせる。
その間、ムギワラトンボとも呼ばれるこちらの雌は待っていてくれる。

ホバリング。
このあたりのやぶ蚊を大食してくれることを期待。

蜻蛉来て庭の蜻蛉を連れ去りし 大石暁座

蜻蛉釣りの放す尻切り蜻蛉かな 中山柳家

蜻蛉の空蜻蛉の空の上 後藤比奈夫 花びら柚子

止まり切つたれば剛直糸蜻蛉 行方克己 昆虫記

蜻蛉ふゆる死後にもかかる空 行方克己 知音

蜻蛉の光ばかりの触れ合へる 行方克己 知音

アスファルト切れて熔岩道赤蜻蛉 行方克己 無言劇

蜻蛉三十路ふりむくこと多し 行方克己 無言劇

蜻蛉殺生石より湧く如し 広瀬一朗

高原の蜻蛉は空を従へり 角川春樹

牛飼ひが草束ねをり夕蜻蛉 笠原古畦

夕月も蜻蛉も天にとどまれり 岡田日郎

蜻蛉や蓼科に雲いつもある 大橋越央子

大仏にとまらんとする蜻蛉かな 河野南畦

蜻蛉の通り抜けたる大広間 岡安仁義

交みたる蜻蛉まぶしや泥炭地 高木良多

とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村汀女

蜻蛉万座の空に染まりけり 小出文子

緑眼もて生るる蜻蛉法の山 岡部六弥太

香久山へとぶ糸蜻蛉失せやすし 向山隆峰

山の空青し生れたる蜻蛉にも 村沢夏風

流水にとうしみ蜻蛉甲斐の国 森 澄雄

蜻蛉の空となりゆく古墳群 稲田 眸子

蜻蛉の一日長しと思はるゝ 森 ひろゑ

蜻蛉の哀しきうす翅広げたる 玉置 節子

蜻蛉生る翅をたゝみて風に耐へ 成瀬 千代

草の露抱いて蜻蛉生れをり 羽野 蕗村

蜻蛉巻葉の先にひとやすみ 小島 菜美

蜻蛉砂丘は音も影も消す 石原 透

石を病む女人の裾や赤蜻蛉 夏石番矢

眉引くは蜻蛉の尾を伸すかに 鈴木栄子

蜻蛉の羽化に呼吸を合せたり 高見岳子

生れたる蜻蛉すぐに日表へ 村沢夏風

蜻蛉深き水のいそぎをり 能村登四郎

たがひ似てつねに向き合ふ川蜻蛉 丸山佳子

三人は友となるかも糸蜻蛉 落合よう子

蜻蛉飛ぶ石の夢石のうた 樋口昌夫

蜻蛉弓なりといふ愛しかた 中原道夫

湯の町の橋ばかりなる蜻蛉かな(銀山温泉) 細川加賀 『玉虫』

蜻蛉のつるみ天道わたりつつ 齋藤玄 『無畔』

父祖の地や蜻蛉は赤き身をたるる 角川源義 『口ダンの首』

俳諧の海に蜻蛉あそびけり 阿部みどり女 『月下美人』

蜻蛉の影には翅の光なし 阿部みどり女 『月下美人』

小春日や石を噛みゐる赤蜻蛉 村上鬼城

ヴィーナスに蜻蛉止まる露天風呂 村井信子

子を抱けば浜の蜻蛉につつまるる 加藤三七子

蜻蛉行くうしろ姿の大きさよ 中村草田男

つがひ蜻蛉翔ちし羽音も峡の音 石田波郷

蜻蛉や村なつかしき壁の色 蕪 村

夕空にひとときの色蜻蛉湧く 青木重行

指立てて蜻蛉を誘ふ児の真顔 菊地万里

高流れしても山影夕蜻蛉 鷲谷七菜子

蜻蛉やとりつきかねし草の上 芭 蕉

とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな 中村汀女

蜻蛉のさらさら流れ止まらず 高浜虚子

から松は淋しき木なり赤蜻蛉 河東碧梧桐

甲斐駒の雲の高さに赤蜻蛉 堀口星眠

挙げる杖の先ついと来る赤蜻蛉 高浜虚子

蜻蛉まなかひに来て浮び澄む 日野草城

肩に来て人懐かしや赤蜻蛉 夏目漱石

蜻蛉翔び交ふ山の露天風呂 土屋保夫

蜻蛉筑波に雲もなかりけり 正岡子規

蜻蛉分けて農夫の胸進む 西東三鬼

赤もさびしからむしの茎赤蜻蛉 福田蓼汀

夕凪や浜蜻蛉につつまれて 臼田亜浪

蜻蛉の高く飛びをり夕立晴 星野立子

蜻蛉生れ水草水になびきけり 久保田万太郎

蜻蛉生る羽根に透けたる湖の色 田村恵子

蜻蛉生れ覚めざる脚を動かしぬ 中村汀女

体曲げて浮葉に休む川蜻蛉 金元喜代子

この池に生れて交む蜻蛉かな 高浜虚子

蜻蛉暗き水辺に来て止まる 五十島典子

蜻蛉木深き水のいそぎをり 能村登四郎

蜻蛉水灌ぎても墓熱し 岸田稚魚

蜻蛉を翅ごと呑めり燕の子 沢木欣一

蜻蛉光に変りひかり殖ゆ 栗原加美

蜻蛉止まりなほして神の前 藤井寿江子

蜻蛉むれて炎となりにけり 滝口照影

かわされていなされてなお赤蜻蛉 秋尾 敏

生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉 夏目漱石

風に出て蜻蛉風に紛れざる 服部くらら

気まぐれと気ままは違ふ蜻蛉飛ぶ 塗師康廣

蜻蛉日にみな向きて羽根を伏せ 大野多美三

舐めてみたらと思ふ塩辛蜻蛉かな 永瀬千枝子

極上の空より殖ゆる蜻蛉かな 挟土美紗

数へゐて俄か蜻蛉の空となる 高橋良子

蜻蛉の咥へて来たる風の帯 宮澤さくら

聖時鐘蜻蛉ら露を啣へ飛ぶ 林 翔

蜻蛉行くうしろ姿の大きさよ 中村草田男

おはぐろ蜻蛉連れて保津川下りかな 水原春郎

おはぐろ蜻蛉無声映画の齣落し 湧井信雄

蜻蛉ふつと止りし草細し 小林律子

蜻蛉木深き水のいそぎをり 能村登四郎

蜻蛉あとじさりてはとどまれる 大竹朝子

棟上げの写る水田の糸蜻蛉 高田里江


赤とんぼ、川蜻蛉、塩辛蜻蛉、糸蜻蛉は登場、麦わらトンボの例句なし。


ホバリング

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朝、市の郷土史研究会の会長さん宅へ電話。
すぐに来られて、かつて頂いた「市内の道しるべ」に私が記した
誤記、脱字等の書入れメモを写して帰られた。
その時に、「新刊の」「市内」『小田地域の石造物』Ⅱ、Ⅲをいただいた。

主なものは、このブログでも紹介したが、
悉皆的であろうとするものである。

午後、
神戸句会参加

雨上がり麦藁蜻蛉のホバリング

他の3句は

若い母の痩身願望星祭

鉄瓶のような漢と蛍狩る
鶺鴒の寄ってくるほど固い意志



他にも
塩辛蜻蛉を舐めた奴が居るという
豊年海老の水を入れ替え宿場町

といった句を用意していたが出さなかった。

選句した句の中では

梅雨寒のとくに燐寸をする匂い

がいいと思ったが、帰宅後ワイフに見せると、よくある句材だと一蹴された。

同じ作者の

黒南風やペンキの匂いすれ違う

もいただいた。

句会場(勤労会館3階)からの風景

中央区役所のビルとツインになっている。

最寄り駅に戻ってから、帰路、また新しい建築計画板を「発見」

奇妙な計画である↓

地下11階(日本に他に存在するか?!)



巴里祭

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毎日のように世界のどこかでテロが発生している。
昨日は、巴里祭当日のニースで。

速報を見て、BBCにテレビ画面を切り替えるとNiceという地名が出ていた。
ニースである。並んで、バスチューユ(綴りを再現できない)dayという文字も。

今日の日本語放送ではフランス革命記念日という字幕が出ていた。

昨日の夕刻、句会の後で最近は「巴里祭」という表現は使わなくなったということが話題になった。


トルコ政府から抗議があった「トルコ風呂」のような事例ではないようだ。

巴里祭で検索したら、昨日公表されたばかりの例句集http://www.haisi.com/saijiki/parisai.htmが登場した。

一覧の表がエクセル表示えあったためかどうか、4万字の制限をこえたためにUPできず、削除した。
ために以下の文との続きが悪いが、そのまま残した。


この例句集が、対象をどのように選んでいるかなどは知らないが、
ホトトギスから船団まで幅広い結社句会で、「巴里祭」は詠われ続けているようである。
放送倫理などには抵触しないのであろう。
ブログ倫理上、下段にあった送信欄でその旨断りを書いて「送信」を押したが機能しなかった。

汝が胸の谷間の汗や巴里祭

1960年代の句である。私が暗唱できるただ一つの巴里祭の句である。作者は楠本憲吉。
季語重なりという人がいるかも。
「巴里祭」が季語として定着する以前の句とみたいし、
私は、汗やハンカチや「花」などは、
他により強い季語がない場合のみ、季語となるものと思っている。
上の一覧に廣太郎の句があるが、
ホトトギスは巴里祭を季語としていないので、
廣太郎の句の季語は「鵜飼」である。

一覧を削除したので、廣太郎の句も消えてしまった。

句は、

巴里祭や鵜飼の余韻持ち寄りて

2011年7月号のホトトギスに掲載のもの。

いつも利用している「俳句検索」は2003年までに公表されたものしか
採録していない。


昨日の句会では、

首のないマネカン華やぐ巴里祭
という句が出ていた。

テロ続く茄子を二株切りもどし

17個目、18個目を収穫後、「茄子 切り戻し」で検索学習後

↑画像に撮った後、さらに切り込んだ。

↑門前へだそうかどうか迷っているオクラ。

玄関の戸口前へ侵出の鉢物。置く場所がない。
日があまり当たらないので、ベゴニアにはいいと思っている。


川床

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日前宵宵宵山の日の午後にワイフは9人連れでここへやってきたらしい。
昼間だったので、川床の席には着けなかったらしい。
7月半ば、晴れの午後1時過ぎの京都三条の川べりも川床にも人はいないはず。
しかし今日は川床も屋上ガーデンも満席。

虫売の先斗町へと曲りけり 小林青壷

先斗町歌舞練場も秋簾 伊藤柏翠

先斗町春灯洩るも洩らさぬも 西村和子 かりそめならず

格子より七夕竹や先斗町 野村泊月

朝風呂や松の内なる先斗町 田中冬二 俳句拾遺

菜種梅雨あかるく暗く先斗町 田中冬二 俳句拾遺


先斗町にも外国人経営のイタリアンの店ができている。
歩いている人も白人やラテン系の若者が目立つ。

例句はそうなる前の先斗町を詠っている。

先斗町の中を、川床席を持っている店を順次覗くも、何処も満席。

何軒目かに川床のしかも賀茂川べりの一等席が空いている店をみつける。かなり予算オーバーのメニューだったが靴を脱ぐ。

川べりに屯してる外国人が結構増えている。

上階はべんがら壁 いい雰囲気である。

前菜はごま豆腐。残った、わさびとトビッコらしい調味料とだし汁も椀ごと飲み干していると次の膳が来て「ありがとうございます」と礼を言われる。
2の膳


だんだん暗くなっていって、隣の空いていた席に外国人夫婦と1歳未満の赤子が着席。
はいはいでワイフのところへやってきた子がワイフから離れなくなった・

まだ髪も生えそろっていないが、きれいな金髪である。

松江の方を回って今日で日本滞在6日目のスウェーデン人親子であった。
そのスエーデン人夫婦がこのブログに到達できる可能性は多分0.


宵山

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「川床」の読みについて:
昨夜のブログタイトルは意識しないまま「ゆか」という音のつもりで
「川床」と書いている。

俳諧歳時記では、
「川床」に、「かはゆか」とルビが振られ、四条河原の涼み台という解説がついている。
関連季語として 「床」(ゆか)と「床涼み」が採録されている。

川床に憎き法師の立居かな 蕪村

などは明らかに「かわゆか」と読ませている。

「実作 注意」があり、「京にては必ず「ゆか」と称するなり」とある。

現在のホトトギス歳時記では、

「川床」に「ゆか」というルビが振られ、関連季語として、「床涼み」と「川床」((かわどこ)というルビ付き)が出ている。

広辞苑では「かわゆか」で「川床」が登場。「ゆか」では、京都の涼み台の意味での「川床」は登場しない。

現在の俳句界では、「川床料理」はゆかりょうり以外の読みは許されない(ハズ)

しかし以上のような記述を元に、俳句実作で「川床」を
かわどこと読め、かわゆかと読め、あるいは2音でゆかと読んでくれ
といってもどれもダメとはいえないよう。

今日が山鉾巡行前半の本番


画像は今朝のテレビ(京都テレビ)画面

この画面を見てから家を出ても、四条河原町での辻回しの大半みることができる。去年はそうだった。

鬮あらため むつかしい漢字だ!

ワイフは今年は、宵宵宵山と宵山に出かけたので、今年は
テレビ桟敷。蘊蓄を聞かせられる。

昨日は土曜日 3連休の初日でしかも晴れとあって32万人の人出であったらしい。

夕刻5時過ぎから、歩行者天国へ転換する6時過ぎまで
長刀鉾から月鉾のあたりまでの最も混雑地域を歩いていた。

↑長刀鉾

当然ながらワイフを何度も見失う。
その度にラインで所在確認。
暴走トラックとて、入り込む隙間はない。

最終便の市バスが四条通りを何とか6時までに抜けようと必死ののろのろ。




↑歩行者天国になる前の雑踏。15分前。
↓歩行者天国になった後。

京阪4条の方から大群衆が押し寄せる



小田会

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尼崎市内にはいくつもの地下道がある。
阪急電車、JR,阪神電車の線路を潜るものだから、南北道が多いが、
直線でないものも多い。

地上に踏切道がない場合だと、毎日ここを朝夕潜らなければならない人も多いが、
昼間は余り人が通らない。

↑のように地下道の名称板が貼られている。
この地下道は、JR尼崎駅の東側500メートルほどのところに設置されている。
長洲線と言う幹線道路がJR線の下を潜って南へ通じているがこのあたりから南は工場地帯である。

かつては平面交差していたのかもしれない。

JR尼崎駅の東側は、1916年に尼崎市が誕生したときは、まだ隣村であった。
小田村。

1917年に制定された尼崎市の市章 と 小田村が尼崎市に編入された後の市章


右側の黒丸が小田村を示している。(左側は同時に編入された大庄村)

↑地下道の南側にはヤンマーが見える。
尼崎のサッカーの聖地であるサッカー場を併設している。
ヤンマーの工場の横が、確かグリコの本社工場である。

北側はクボタ。
どちらも大工場である。
こちらは大学生の時に工場見学をした思い出がある。
オートメーションで製作された耕運機がベルト状をゆっくり前進してくる。
それが木枠に収まると、上から覆い蓋が降ろされる。

待ち構えていた作業員が、口に釘を含んで、ものすごいスピードで、
覆い蓋の4隅に釘を打ち付けてゆく。

今ではその様な作業もすべてロボットがやるのだろう。


松下の電池工場では、同じように2列縦隊で出てくる電池を中学を出たばかりと見える女の子が小さな手で6本ずつ12本を箱詰めにしていた。

その横の作業員が、箱に一枚説明書を入れて箱を封印してゆく。


まさにチャップリンの映画の世界だった。

地下道の両側の壁は、多くの場合付近の学校の生徒の作品が並ぶ。

作品を持ち込むのではなく、直接壁に描いてゆくのである。

小田地区石造品調査報告書に小田村役場(現小田支所)敷地内に設置のものが3点記載されている。

小田支所は、この地下道をくぐって、JR尼崎駅の南出口を目指せばそう遠くない。

自由ありけふは憲法記念の日 原山 英士

手毬咲きぬ山村憲法記念の日 水原秋桜子

菜の花や三十五回の婚記念 菊地美智子

なまはげと旅の記念の写真とる 安斉君子

雉子畦に出て鳴き憲法記念の日 辻村勅代

修正ペン滲む憲法記念の日 大森理恵

日出づる山河憲法記念の日 堀 政尋

枡に入らぬわが字よ憲法記念の日 渡邊千枝子

大仏を仰ぐ憲法記念の日 藤井寿江子

真白なる卓布や憲法記念の日 斉木永久

パン食に倦みて憲法記念の日 市ヶ谷洋子

木を植ゑるならひ憲法記念の日 崎田一志

虚子記念文字館に帰省かな 稲畑廣太郎

まさにその通りである。彼しかそうは詠えない。

法学徒たりて憲法記念の日 坂井建

獨立の大記念塔炎天下 保田白帆子

海を見をり建国記念の日の雪に 篠田悌二郎

この国は何処行く憲法記念の日 稲畑廣太郎

戦傷の記念教会風薫る 関森勝夫


記念植樹白樺新樹五十本 高濱年尾


JR尼崎駅の北側、東側は遊歩道になっている。報告書には記載されていないが、
この緑地帯の中に小田会が寄贈した作品が設置されている。



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ロベリア・スペキオサ

京都北山植物園の北口を入ったところの池の端。

ベニバスモモ


蓮は残花

萼は登録されていない漢字ゆえ、例句を探せなかった。

蓮だけなら例句多い。
蓮の実で検索

蓮の実の飛んで鼬の目となるか 前田吐実男

蓮の実の飛びし音など母の家 佐伯尚子

鑑真の寺の蓮の実飛びにけり 塩谷 孝

蓮の実の飛んで御陵の衛士の閑 吉川康子

蓮の実のあをあを八雲旧居かな 篠永妙子

蓮の実のしらしらと旅ひとつ了ふ 山田みづえ

大前に蓮の実の飛ぶめでたさよ 大隈 伊津子

蓮の実の萍の中にとぶ 丹羽 玄子

蓮の実が飛ぶ狂院の真昼時 八木三日女

蓮の実の飛ぶや日月棒立ちに 中村苑子

蓮の実のとんで都のはづれかな 桂 信子

蓮の実大音声に晴れわたり 原裕 『新治』

蓮の実のしきりに飛ぶや見舞籠 大木あまり 火球

蓮の実の飛んでイエスの臍くらし 大木あまり 火球

蓮の実のはじけ飛んだる空の色 満田玲子

蓮の実や食ひちらかして盆の上 村上鬼城

蓮の実のこぼれつくして何もなし 正岡子規

蓮の実が飛べり隣もすぐ飛べり 袖尾季羊

蓮の実のとんでしまひし寺の昼 鷲谷七菜子

蓮の実のとんでみづうみ日和かな 根岸善雄

蓮の実のぬけつくしたる蓮のみか 越 人

蓮の実飛ぶ失ひし吾が過去のごと 山田佐人

ほつほつと蓮の実を噛む微酔かな 村上鬼城

蓮の実のしづかに見ればまのあたり 岸本尚毅 舜

蓮の実跳ぶや少年反抗期 柴田奈美

虚言癖昂じて跳びぬ蓮の実 柴田奈美

蓮の実が飛ぶ狂院の真昼時 八木三日女

蓮の実の飛ぶや出離の一大事 正岡子規

蓮の実の飛ばず仕舞ひに枯るるあり 金久美智子

蓮の実が飛ぶ女から夢が飛ぶ 布施伊夜子

蓮の実大音声に晴れわたり 原裕

静けさや蓮の実の飛ぶあまたたび 堀麦水 (1718-1783)

静さや蓮の実の飛ぶあまたたび 麥水

蓮の実の飛びそこなうてしなびけり 寺田寅彦

水盤の小き蓮の実も飛びにけり 寺田寅彦

此夕蓮の実みなになりけらし 寺田寅彦

蓮の実の一つ魁け空に風 原コウ子

蓮の実のその深緑物語り 金子皆子

蓮の実の幼なくあまし米寿前 松村蒼石 雁

蓮の実の飛びしかにまだ飛ばぬかに 石井とし夫

蓮の実の幼なくあまし米寿前 松村蒼石 雁

蓮の実のしらしらと旅ひとつ了ふ 山田みづえ 手甲

蓮の実大音声に晴れわたり 原裕 新治

涼風に蓮の飯喰ふ別れかな 史邦 俳諧撰集「藤の実」

蓮の実有効経て古き亀もあり 山口素堂

蓮の実を袖に疑ふ霰哉 井原西鶴

静けさや蓮の実の飛ぶあまたたび 堀麦水


みかん畑より見下ろせし池の端 飯沼衣代

爽やかに黄楊の櫛買ふ池の端 下山田禮子

池の端に店を開きて氷菓売 御林めぐみ

ぐりはまやおほぢがふぐり池の端 加藤郁乎


昨日紹介した地下道の表示

地下道の標示は分かるとして、その上の「尼崎ーM 兵庫県ー312」は何を意味するのか?

毎日のように利用する地下道

完全な地下道とはいえない。見ようと思えば空が見える。

ここは水没したことがあるので、水深を示す表が付け加わった。その後に、標識が統一されたよう。

アルストロメリア

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アルストロメリア属
 (Alstroemeria) は、単子葉植物の一つ。別名ユリズイセン属

分類体系により所属する科は異なり、新エングラー体系ではヒガンバナ科クロンキスト体系ではユリ科APG分類体系ではユリズイセン科(アルストロメリア科)に分類される。

本属は南アメリカ原産で約50が知られる。いずれもアンデス山脈の寒冷地に自生する。1753年、南米を旅行中だったカール・フォン・リンネ自らが種を採集した。リンネは親友のスウェーデンの男爵クラース・アルストレーマーの名にちなんで花に名を残した。

1926年(大正15年)に、日本に渡来した。

4-7月にかけて花が咲く。花持ちが長い。


分類体系の違いなどは、まだ勉強しようとも思っていない。

1920年代半ばに日本に到来したわりには、一般には知られていない(と思う)。
もちろん歳時記には載っていない。
俳諧歳時記編集時には未だ日本に導入されていない。

しかしここ数年、家庭花壇でもみかけるようになった。

今日見たアルストロメリア

富松神社へ薪能の案内パンフを貰いに行った。

ついでに本堂修復基金(社殿造営50周年記念事業)に1口参加。
神社仏閣への寄進はしない方針だが、文化財保護へ協力したつもり。


↑の道が津門中道(北の西国街道、南の中国街道の間で、京、大坂方面から西宮・神戸へつながる街道)だと私は思っている。
燈籠は安政年間の建立である。

そこから西へ富松神社の参道が伸びている。
この辺りまで昆陽寺の領地であったらしい。


燈籠みなきへて梢の燈籠かな 加舎白雄

けもの等のひそめし息や万燈籠 細見綾子

沖の舟いつきに燈籠流しけり 長谷川湖代

燈籠の一つにはかにさかのぼる 飯田蛇笏

燈籠のわかれては寄る消えつつも 臼田亜浪

ながあめのあがりし燈籠流しかな 久保田万太郎

山墓や燈籠ひくゝ賑かに 原 石鼎

消さむとしおのが息の香盆燈籠 加倉井秋を

青北風や堅田にのこる高燈籠 山口草堂

燈籠のくらがり出来し畳かな 塩月 能子

二つある白朮燈籠と云ふを見し 小松 虹路

あまた賜ぶ盆燈籠のかなしけれ 角川源義 『冬の虹』

灯を入れて湖の匂ひに絵燈籠 加倉井秋を 『武蔵野抄』

柿紅葉マリア燈籠苔寂びぬ 水原秋桜子

燈籠の消ぬべきいのち流しけり 久保田万太郎

水に置けば浪たたみくる燈籠かな 高浜虚子

父へ買ふ色やはらかき花燈籠 矢口由起枝

燈籠ともす一事に生き残る 角川照子

家のうちのあはれあらはに盆燈籠 富安風生

燈籠ずらりと島の雑貨店 清崎敏郎

遺されし母子みづいろ盆燈籠 中嶋秀子

初恋や燈籠に寄する顔と顔 太 祗
後では、この句、蕪村の句として登場!

見る人も廻り燈籠に廻りけり 其 角

舷に流れつまづく燈籠かな 軽部烏頭子

流れけり燈籠闇に押されては 坂本山秀朗

燈籠のひとりまはるを隣の間 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅

燈籠ひとときは死を遠ざけて 橋本榮治 越在

燈籠踊うぶすなの闇揺らし合ひ 橋本榮治 逆旅

柿紅葉マリア燈籠苔寂びぬ 水原秋桜子

燈籠の消ぬべきいのち流しけり 久保田万太郎

燈籠の点れば霧の匂ひもつ 林原耒井

燈籠や美しかりし母とのみ 河原白朝

燈籠にしばらくのこる匂ひかな 大野林火

秋草の一つは消えし燈籠かな 長谷川かな女

燈籠にざら~霧がながれけり 萩原麦草

うつくしき燈籠の猶哀れなり 正岡子規

生涯にまはり燈籠の句一つ 高野素十

柿紅葉マリア燈籠苔寂びぬ 秋櫻子

遠ければ瀬はただの白絵燈籠 魚目

あまた賜ぶ盆燈籠のかなしけれ 源義

燈籠にしばらくのこる匂ひかな 林火

燈籠にざら~霧がながれけり 麦草

燈籠やくらき道来し子の哀れ 木歩

燈籠の燈かげの雨のもつれけり 枴童

家のうちのあはれあらはに盆燈籠 風生

燈籠の仔細にうつる水に置く 夜半

燈籠へ立つ影に寄る影のあり 亜浪

燈籠や灯せし心暫しあり 迷堂

燈籠の海となりたる墓淋し 夏山

かりそめに燈籠おくや草の中 蛇笏

丁字落ちて暫く暗き燈籠かな 虚子

この海の供養にともす燈籠かな 碧梧桐

うつくしき燈籠の猶哀れなり 子規

燈籠見まじとすれば目にかゝる 成美

行くほどに上京淋し高燈籠 召波

露けしや高燈籠のひかへ綱 白雄

遠里や稲葉の末の高燈籠 蝶夢

燈籠消なんとするあまたゝび 蕪村

漁火に通ひて峯の燈籠かな 支考 (長崎にて)

燈籠暫くあつて嶺の月 北枝

沖にゆく盆燈籠の長き影くやしき生を人は流るる 武川忠一

燈籠にしばらくのこる匂ひかな 大野林火

燈籠に大地ゆつくりとまるかな 松澤昭

幾千の墓燈籠の消えし闇 安原葉

木影なくあらはに燈籠流しけり 原月舟

去る人は止めず燈籠に向ひけり 西山泊雲

燈籠の消ぬべきいのち流しけり 久保田万太郎

廻りそめたる燈籠を地に並ベ 西村和子 夏帽子

燈籠船餓鬼の仕業か覆す 柴田奈美

燈籠をもつ子に道をたづねけり 田中裕明 先生から手紙

泳ぎながら見る燈籠を焼く焔 田中裕明 山信

いと高き揚燈籠や山の前 松瀬青々

暮れぬよと灯ともす妻や揚燈籠 星野麦人

あまた賜ぶ盆燈籠のかなしけれ 角川源義

遺されし母子みづいろ盆燈籠 中嶋秀子

初恋や燈籠に寄する顔と顔 蕪村

蕪村の時代にはすでに「初恋」という言葉があった!

燈籠にしばらくのこる匂ひかな 大野林火

燈籠吊れば秋なり武蔵野は 林原耒井

ざれ絵ざつと書いてある燈籠かな 田村桃陽

燈籠の流るゝ果や秋の風 太茂津

燈籠に夜更けて霧の逼るなり 芦田秋窓

燈籠の仔細にうつる水に置く 後藤夜半

燈籠や愁を語る酒の上 松瀬青々

草市や柳の下の燈籠店 正岡子規

切子燈籠うしろが明しまはりて見る 橋本多佳子

松原や黒津の里の高燈籠 草間天葩

夕暮になりにけるかな高燈籠 酒葉月人

燈籠消えなんとするあまたたび 蕪村

燈籠しばらくあつて嶺の月 北枝

門前の榎に高き燈籠かな 寺野竹湍

松に杉に燈籠高し山の寺 小林臍斎

遠里や稲葉の末の高燈籠 蝶夢

秋の哀れ廻り燈籠をかけて見る 赤木格堂

風鈴は鳴りぬ燈籠は廻りけり 青木月兎


















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