美作市民なら下の画像の出所はすぐわかる
すでに蒔いた数ほどの実が生っている。
前の年に花を育てた土なら肥料を加える必要なしと書いてあったので、それに従った。
過湿を嫌うとあったので、水やりは控えめにしている。
美作市民なら下の画像の出所はすぐわかる
前の年に花を育てた土なら肥料を加える必要なしと書いてあったので、それに従った。
過湿を嫌うとあったので、水やりは控えめにしている。
阪急電車 十三駅前
道幅4メートルを確保。
アメーバのライフで「ダマスクローズ」の酒場イベントというのが始まった。
上の一文が理解できる人はアメーバピグファンに違いない。
緑化植物園へ、なんじゃもんじゃの花を見に行ったが、まだ咲いていなかった。
代りに、ダマスク・ローズなるものを見つけた。
一日を有馬に過す女正月 千原草之
鹿垣を見つつもぞ行く有馬かな 阿波野青畝
有馬で検索したら、有馬さんの句がえんえん。
いつもは全句コピーペーストして、作者名に検索事項が含まれるものを削除するのだが、今回は句中に有馬を含むものだけコピー。
有馬さんは、文部大臣経験者以外にも5人以上おられる。
有馬街道(ありまかいどう)は、大阪や神戸から有馬温泉に至る街道の名称である。現在では兵庫県道15号神戸三田線の別称として使用される。有馬道(ありまどう、ありまみち)ともいわれる。
「有馬街道」「有馬道」と呼ばれた道は歴史的に以下の四つのルートがあった。
現在、「有馬街道」と言えば4.のルートで、国道28号と国道428号が分岐する神戸市兵庫区の有馬道交差点から国道176号と合流する神戸市北区の日下部交差点までの区間を指すのが一般的である。地図によっては、有馬口交差点を右折して有馬温泉を通り、1.のルートである旧・湯山街道の兵庫県道51号宝塚唐櫃線が国道176号と合流する西宮市の大多田橋交差点までを「有馬街道」としているものもある。また、1.や2.や3.の街道沿いであった地域では、現在でも一部を「有馬街道」もしくは「有馬道」と呼んでいる場合もある。2.3.のルートは、現在主としてハイキングコースとなっている。
7歳児と13歳児の二人の孫がいる。しかし
7歳児の有利な点は6歳上の従姉がいたこと。
かなり背伸びをして13歳児の真似をしている。
しかしこの7歳児も4キロ以上歩くと駄々をこね始める。
人里離れた山の中を一人で5キロ以上も歩き、
建物を見つけ、
6日間水だけで生きのびた7歳児がいる。
世界的なニュースになっているよう。
ペチュニアの新品種
午前中は日が当たらない門の前↑と、南向きの軒下↓で、1株ずつ茄子を育てている。
↑は接ぎ木苗であったので、1果すでに収穫・消化。つぎつぎに花が咲き実が生っている。
4つも花が開いていると満開といった感じ。
一誌病み知らぬ茄子の花盛り
数日前に来たときはまだ咲いていなかった。
アメリカデイゴ(亜米利加梯梧、学名:Erythrina crista-galli)とはマメ科の落葉低木。和名はカイコウズ(海紅豆)。カイコウズの名はあまり使われず、アメリカデイゴと呼ばれることが多い。また、「アメリカデイコ」と「コ」が濁らないこともある。
ベンチに座って自販機で買ったお茶を呑んでいて気付いた。
私は伊藤園の「お~い お茶」が元祖と思っていた。
サンガリア(株式会社 日本サンガリア ベバレッジカンパニー、Japan Sangaria Beverage Co., Ltd.)は、大阪府大阪市東住吉区に本社を置く清涼飲料水・アルコール飲料メーカーである。
創業者の石山正二が、1951年(昭和26年)、大阪にて「石山食品工業社」を設立[1][2]。創業当初より瓶入り清涼飲料・乳酸菌飲料・乳飲料の製造及び販売を専業とする中で、日本万国博覧会が開催された1969年(昭和44年)にUCC上島珈琲が発売し、評判となった「UCCコーヒー」に続くカタチで、1971年(昭和46年)に発売した「サンガリア缶コーヒー」を発売。これが売れたことで、一躍その名を知られることとなる。
1974年(昭和49年)に、唐代の詩人・杜甫の代表作『春望』の冒頭「国破れて、山河あり」[3]をヒントに現社名に改名[4][2]。また、この時期に同社の代表商品ともなる「サンガリアラムネ」を発売し、缶入りラムネとしてロングセラー商品にすると共に、現在までラムネを製造販売する事業者内としては、日本最大の企業として知られる。
淹出した緑茶に少量のアスコルビン酸(ビタミンC、酸化防止剤)を添加し、容器に窒素を無菌充填する事で鮮度を維持し、長期保存しても変色させない技術を開発し製法特許を取得。これを基に缶入り緑茶を発売し、コーヒー、紅茶等他の飲料にも順次適用を拡大、追従する同業他社から莫大な特許料収入を得た。また、加温ができるペットボトル容器の開発や、凍らせても大丈夫なペットボトル容器の開発を日本初で行った。
・・・
サンガリアという名前さえ今日初めて知ったような気がする。
100円自販機に製品を供給する小企業と思っていた。
zutto city
ここには市バス(阪神バス尼崎市内線)の停留場が出来た。
ひょっとしたらJR塚口駅前の停留場がここへ移転したのかも。
駅に最も近いマンションの入り口は駅から徒歩2分と表示されている。
エントランスを出て数歩で道を渡れば改札口へ通じる階段がある。
それを利用せずともエスカレーターで改札口がある2階へ移動することもできるようである。
3LDK3500万~、4LDK、4000万~
今は白アジサイが目立つ
珍しい色の鉄砲百合
三股の桜に登りし人の有り
芭蕉の句が一句見つかったとか。
理由は知らないが、わが市の草花(市の花があって、市の樹花もある)はベゴニアである。
そのためかどうか、市の緑化植物園の温室(目下は無加温で窓もドアも開け放している)では毎年ベゴニア展が開催。
家の窓辺、ドイツ・スイスではゼラニュームだった。
夏のベランダ、戸外では日本製ではないかと思うペチュニアが目立った。
ベゴニアが目立つ異郷とはどこだろう。
今年は、
一枚の葉を葉脈に沿って切って何株も挿せるようである。
葉が大きい木立性ベゴニアでも可能かとも思う。
私も今年は少し時間を使って、ベゴニア・センパ(フローレンス)紫葉と、木立性ベゴニア天の川
の茎挿しをやった。4月以降に挿せば、まず失敗はない。
ほぼすべてが活着したのはいいが、プランターに3株、4株程度植えていたのでは置き場所がないのが悩み。
円虹(えんこう)は造語と思っていた。
擬宝珠
5号鉢植えとして亡き従兄から貰ったギボウシ。
株が大きくなってきたので、10年前にプランターに植え替えたが、
それも蔓延ってしまい、花穂が育つ隙間もなくなっていた。
昨年久しぶりにプランターをひっくり返し、
株分けをした。
その時に土を足してやったためか今年は沢山、花穂が立ち上がった。
ギボウシ(擬宝珠)は、キジカクシ科リュウゼツラン亜科ギボウシ属(学名: Hosta)の総称である。山間の湿地などに自生する多年草。食用となり、花が美しく、日陰でもよく育つため、栽培される。
新エングラー体系及びクロンキスト体系ではギボウシ属はユリ科 Liliaceae に含められていた。
↑↓分けた方の鉢でも花穂が立ち、総数20本以上葉は幅広く根元から出る。
夏に総状花序に青色(白色の品種もある)の細長い花をつけ、マルハナバチなど大型のハナバチの訪花によって受粉される。
日本にはオオバギボウシ(Hosta montana または Hosta sieboldiana var. gigantea)など20種ほどが野生し、いずれも東北地方から中部地方の一部で[2]ウルイと呼び、西日本でもギボウシ、タキナなどの名で山菜として若芽、若葉などが利用される。ただし、若葉が毒草のバイケイソウに似ており、誤食事故が多いので注意を要する。スジギボウシ(Hosta undulata)やその他雑種などが栽培される。栽培品の主な産地は山形県で、薄い黄緑色の若芽を出荷し、サラダ、浅漬け、油炒め、味噌和え、酢味噌和え、味噌汁、混ぜご飯、巻き寿司などに利用する[2]。食味に癖はなく、噛むと少しぬめりがある。
江戸時代の日本で変異個体が多数園芸品種として固定され、さらにこれがシーボルトらによってヨーロッパに紹介されてヨーロッパでも多くの品種が育成された。
花言葉は「落ち着き」「沈静」「静かな人」。
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実生苗もようやく一番果が姿を現した。
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オシロイバナが咲いていた。
その横でホウセンカも咲いていた。
鳳仙花、白粉花、朝顔・・・俳句では秋の季語である。ホトトギス歳時記では8月の季語
6月初めに咲いてはならないのである。
苺やパンジーは、巷では冬の風物である。
その他、歳時記には登場しない昭和末期から平成にかけて路傍に登場した花の多くは、3シーズンないし年中咲いている。
今日の駅前火事跡
何が変わったか?土地の真ん中を流れていた排水溝がふさがれたようだ。
この前、ここの画像を撮ったのは、6月1日
整地が済んでからかなり日が経ち、
よみがえった草は、まずは葦。
以前は排水溝の水気があったと思われる地帯でのみテリトリーを確保していたが
今や火事跡の隅々にまでランナーを伸ばしている。(のばしていた)。
その前は、5月20日
そろそろ葦が伸び始めている。
阪神電車「尼崎」駅前
駅ビルを北側へ出れば、駅前広場ではなく、中央公園である。
謡曲芦刈(山)記念碑↑
↑ジェーン台風、室戸台風時の水没水位を示している。
同じものが、駅の南側広場にもある。
沼杉の気根隆々梅雨に入る
蛍追う老々介護の合間には
俳句大会出句作品
案外こういった平凡な句が高点になる。
元の句は
幼な妻のごとく燥いで蛍の夜
実は明日の夜の先取り。大谷川の蛍はまだ飛んでいるか?
水馬雲の筏を乗りまわし とめ香
最高点になる資格をいくつか備えている。句意が平明であること。俳句的省略があるが、多くの人がその省略を埋めることができること。作者の新発見ないし創意(この句の場合だと、水面に映る雲を筏に見立てる)も無理なく納得できること。
尼崎俳句協会の会長、前田野生子さんが所属の「かつらぎ」を青畝から継承した森田峠は、逆瀬川辺りで、「水馬マリヤの姿乱れざる」と詠っている。
「行く雲のひとひらに乗り水馬」という句を 深沢暁子という人が作っているが、とめ香さんの句はさらに一ひねりして「雲の筏」と表現した。
打水やこれぞ地球の香りなり 栄子
打水と言えば、私はすぐに中村汀女の「俳句打水論」を思い浮かべる。「台所俳句」を何故咎めるのか、俳句で天下国家を論じるな、が汀女の主張である。栄子さんの句は天下国家を超えて、大胆に宇宙船地球号の特性を詠って見せた。幕末・維新前後に日本を訪れた多くの欧米人が打水に感嘆の語を綴っている。(環境・資源にやさしい)打水は「クールジャパン」の走りなのかも。類想句はまずないであろう。
ネット上で「打水の空に触るるよ星生る 吉沢けり男」という句を見つけたが、大胆な断定こそ俳句の本領とすれば、栄子さんの句に軍配をあげたい。
夏井先生いかがでしょう?
なお栄子さんは六月一日付けで中澤幸子に替って理事に就任、第八回大会からは賞品辞退組へ「昇格」。
画像は野草展から
5点句、4点句あたりの多くが、上位入賞者の2句目以後の作品か役員の作品であるために例年3点句作品にも受賞の機会が回ってくる。
近辺でも尼崎だけではないだろうが、昭和30年代まで
中学を卒業後集団就職でこの町にやってきて住む見込んだ人が多い。
最近では煙の木と呼ぶ代わりに、スモークツリーと呼ぶようである。
数日で学んだこと。
1.