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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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苺狩り

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美作市民なら下の画像の出所はすぐわかる

↓我が家のソバ畑

すでに蒔いた数ほどの実が生っている。

蕎麦の花ミサの鐘鳴るところまで 奥野桐花

ちらちらと蝶 ちりちりと蕎麦の花 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 夢見沙羅

三日月に地は朧なり蕎麦の花 三日月の地はおぼろ也蕎麦の花 松尾芭蕉

山雲の高さに蕎麦の花だたみ 松本透水

仏より人たそがるる蕎麦の花 三田きえ子

この村の深息に似て蕎麦の花 中嶋秀子

蕎麦の花北指す汽車に肱汚し 朔多 恭

歩きゐし月夜の蕎麦の花の径 川村 千英

蕎麦の花蟹田の墓のほろほろと 堺 信子

蕎麦の花繃帯引っ張って干す 岩間愛子

風かるき一と日のをはる蕎麦の花 鷲谷七菜子

山小屋の道に鍋干す蕎麦の花 阿部寿雄

その上にまた一つ家蕎麦の花 矢島渚男

浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花 杉田久女

月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花 古賀まり子

道のべや手よりこぼれて蕎麦の花 蕪 村

遠山の奥の山見ゆ蕎麦の花 水原秋桜子

秩父路や天につらなる蕎麦の花 加藤楸邨

旅先に針糸愛でる蕎麦の花 小平 湖

淋しさに奥行きありぬ蕎麦の花 木村晶子

蕎麦の花人影のなき一揆村 桑原かず子

分け入りて胸乳に揺らす蕎麦の花 斎藤千恵子

峡の村ぐいと拡げて蕎麦の花 林 友次郎

蕎麦の花干割れし土のしんからかん 諸角せつ子

水ナ底のまつりも美しき蕎麦の花 松田 進

民宿のうらも民宿蕎麦の花 橋本榮治 逆旅

墓山も楢山も雲に蕎麦の花 橋本榮治 麦生

月さして沼かと見しは蕎麦の花 北垣芳園

山村といふも四五戸や蕎麦の花 長沢青樹

癩の村ちかき月明蕎麦の花 石原舟月

蕎麦の花下北半島なほ北あり 加藤楸邨

蕎麦の花こころ遠くへ行きたがる 村上方子

山の日の薄きにひろげ蕎麦の花 吉年虹二

夕空の紺より藍へ蕎麦の花 石嶌岳

遠山の奥の山見ゆ蕎麦の花 水原秋櫻子

外竃ぼうぼう蕎麦の花ざかり 山口草堂

山川は日を小刻みに蕎麦の花 成田千空

すみやかに月は高みへ蕎麦の花 中田剛 珠樹以後

馬の背の高きに上り蕎麦の花 移竹

蕎麦の花丈を同じに雲も平ら 大野林火

蕎麦の花終りて山に雲のこす 大串章

蕎麦の花大和島根のくもりかな 才麿

柿の木は家の名残よ蕎麦の花 浜田波静

端山越す兎見ゆるや蕎麦の花 三輪未央

城跡の一段高し蕎麦の花 雅因

山里は豆もつくらず蕎麦の花 悟空

落人の低き墓標や蕎麦の花 西村牽牛

畑番に狐ちよろつく蕎麦の花 大田洛川

蕎麦の花に月あり藁屋暮れんとす 高浜虚子

旅人に遠山見せて蕎麦の花 毛塚静枝

いわし雲と白を競ひて蕎麦の花 羽部洞然

蕎麦の花終りて山に雲のこす 大串章

癩の村月あきらかに蕎麦の花 石原舟月

百姓の儲話や蕎麦の花 龍岡晋

月光のおよぶかぎりの蕎麦の花 柴田白葉女(1906-84)

道のべや手よりこぼれて蕎麦の花 蕪村

山腹の赤い華表や蕎麦の花 寺田寅彦

犬曳た女通るや蕎麦の花 寺田寅彦

上方の芝居下りぬ蕎麦の花 寺田寅彦

汽車道の広告札や蕎麦の花 寺田寅彦

暮れて入る古駅の路や蕎麦の花 会津八一

浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花 杉田久女

この村の深息に似て蕎麦の花 中嶋秀子

遠吠えの牙の白光蕎麦の花 和田悟朗

あっけなく死ぬ年寄りに蕎麦の花 宇多喜代子

蕎麦の花丘つづきなる夕明り 中川宋淵 遍界録 古雲抄

大根も葱もそこらや蕎麦の花 炭 太祇 太祇句選

いかめしき門を這入れば蕎麦の花 夏目漱石 明治三十二年

まれまれに蝶の動くや蕎麦の花 蓑立 俳諧撰集「藤の実」

名月は蕎麦の花にて明けにけり 李由 八 月 月別句集「韻塞」

狐火のしらけて過ぐや蕎麦の花 荒雀 俳諧撰集「有磯海」

城跡の一段高し蕎麦の花 雅因 五車反古

蕎麦の花大和島根の曇かな 椎本才麿

痩山にぱっと咲けり蕎麦の花 一茶

蕎麦の花ぴくんぴくんと雨受けて ぱらりとせ

三日月に地は朧なり蕎麦の花 松尾芭蕉

前の年に花を育てた土なら肥料を加える必要なしと書いてあったので、それに従った。
過湿を嫌うとあったので、水やりは控えめにしている。

バラク帰った南天の花盛り

南天の花のこぼるるお鷹道 勝又一透

南天の花のこぼるる庭の日々 若山 良子

南天の花の白さの夕べかな 岡本 尚枝

南天の花にとびこむ雨やどり 飴山實 『辛酉小雪』

南天の花にかくれて人嫌ひ 鷹羽狩行

南天の花の向うの庭木かな 草間時彦

南天の花の重さに枝しなる 宇佐美ふく

引越の荷が南天の花こぼす 加藤水虹

目を病みて南天の花いとほしむ 菅沼正子

南天の花の薄日に水見舞 中村汀女

南天の花きたなけれ蜘蛛の囲に 八木林之介 青霞集

南天の花のひそかに盛りなり 藤松遊子


まだ花は開いていないのかも。






火事跡

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阪急電車 十三駅前
道幅4メートルを確保。

左側も焼けたが、先に「復興」。ただし道幅4メートルを確保するために
各店の面積は減少している。
右側、阪急電車線路側はまだ覆われている。こちら側は椅子席10席ほどの店が並んでいたので、減積交渉が難航したようである。
ここは大阪市なので、新聞の阪神版読者には途中経過はあまり伝わってこなかった。

工事中である。火事跡。

再開した店は以前よりかなり上品になっている。

「十三」をじゅうそうと読まないで、トミータウンと称している。
小便横丁という名も健在である。

小便小僧がマスコットである。

霜の夜や横丁曲る迷子鉦 小林一茶

福藁はみ出た「団結横丁」踏み基地へ 原子公平

霜の夜や横丁曲る迷子鉦 一茶

水路にも横丁ありて水馬 瀧 春一

火事跡に横丁の跡鶏あゆむ 秋元不死男

水路にも横丁あつて水馬 滝春一

霜の夜や横丁曲る迷子鉦 一茶

横丁をふさいで来るよ外套着て 藤後左右

本郷は横丁ばかり雁帰る 上田日差子

法善寺横丁秋の簾押す 田中裕明 櫻姫譚

横丁に碩学隠れ墨とんぼ 加藤郁乎

蚊柱の立ちたる狸横丁かな 中山稲青

横丁の踏切鳴つて夕ざくら 岸田稚魚

霜の夜や横丁曲る迷子鉦 一茶 ■文政五年壬午(六十歳)

法善寺横丁をゆく足袋白く 後藤比奈夫 初心

削除することなく例句紹介。

一茶の句に登場の迷子鉦が分からない。

ネット検索したら、鉦を叩きながら家々を回る念仏僧がいたとか。
どうやら道に迷った乞食僧のことを詠ったものらしい。

トミータウンの一角で、夏、灼けたマンホールの上に
裸足で立って上半身裸で喜捨を求める真言僧が現れる。
権少僧都の鑑札?を置いている。警察対策か?


ダマスク ローズ

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アメーバのライフで「ダマスクローズ」の酒場イベントというのが始まった。

上の一文が理解できる人はアメーバピグファンに違いない。

緑化植物園へ、なんじゃもんじゃの花を見に行ったが、まだ咲いていなかった。
代りに、ダマスク・ローズなるものを見つけた。

ダマスカスの薔薇という意味だろう。よってもちろん中東原産の薔薇。

薔薇という字も清記や出句で手書きする必要に迫られ、なんとかかけるようになったが
薔の字の正確な書き順はいまだよくわからない。


↑の名札は新しい。最近植えこまれたのか。これが植わっている箇所は植え替えがよく
行われるので、この薔薇が以前からここにあったかどうか知らない。


こんな行事をやっていた。

投票所へ行って5番に投票。↓5番ではない。


アジサイの季節となった。

カシワバアジサイはアジサイの中でも早咲きである。

一般的なアジサイはまだ蕾のものも多い。

↓まだ色があらわれていないものもある。

名のあるガクアジサイなのだろう。


まだ虫にやられていないクチナシ。

クチナシという字も読めるが書けない。

梔子のやつるる刻の愛痛し 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

梔子の一花なれどもひたむきに 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

淀殿の墓山梔子の白似合ふ 池田とみ子

秘めし忌や花梔子は雨ごもり 古賀まり子

今朝咲きし山梔子の又白きこと 星野立子

八重梔子書くために読む本の嵩 鍵和田[のり]子





今朝咲きし山梔子の又白きこと 星野立子

梔子の実のみ華ぐ坊の垣 貞弘 衛

錆びてより梔子の花長らへる 棚山波朗

梔子の香のうかがへる天守閣 進藤一考

あさきゆめ梔子の香が濃かりけり 平井照敏

口閉ぢて梔子の実の赤らみし 高場 ナツノ

梔子やできぬ約束してゐたり 浦川聡子

梔子の実のつややかに妻の空 庄司圭吾

あさきゆめ梔子の香が濃かりけり 平井照敏

梔子経消壺のあをあをと 柚木紀子

梔子の賤しからざる旧居かな 清崎敏郎

梔子の褪せどき老いの労りどき 加倉井秋を 『武蔵野抄』

梔子や吹雪とこもる一顆あり 『定本石橋秀野句文集』

梔子の実のみ華やぐ坊の垣 貞弘 衛

梔子の実より始まる立ち話 乙武佳子

梔子の実やをみならの小さき旅 宮地 淳

梔子の実のつややかに妻の空 庄司圭吾

梔子や築地の崩れ咲きかくし 麦 水



梔子の火が晴天をまねきけり 平井照敏

梔子の実にかかげ干す洗いもの 森田ひでよ

梔子の実のつややかに妻の空 庄司圭吾

梔子に提灯燃ゆる農奴葬 飯田蛇笏


梔子のねばりつくごと闇匂ふ 森島幸子

梔子に横顔かたき修道女 三宅一鳴

梔子の実にある朱や霙降る 龍男

花山梔子おのが匂ひに傷みけり 佐藤美恵子

梔子の匂ひをくぐる静けさよ 岩田由美



梔子の匂ひをくぐる静けさよ 岩田由美

顎剃る至近山梔子はありぬ 中田剛 珠樹

梔子や家をはなるること二日 中田剛 珠樹

城ちかき山梔子の花凋みたり 中田剛 珠樹



錆びてより山梔子の花長らへる 棚山波朗



膵病めば梔子色に春の月 土岐錬太郎



梔子を一輪浅井忠の墓 岡田史乃

梔子の実にある朱や霙降る 永井龍男

梔子の実の色にある日の詰り 永井龍男

梔子の香に眠り落ち女どきなる 山田弘子

プールサイドに梔子の花載せ泳ぐ 能村登四郎 枯野の沖

我宿の山梔子しろし杜宇 松岡青蘿

俳号が山梔子という人の句をかなり削除した。

新緑ないし若葉がきれいな時期でもある。

なかんずくヌマスギ(ラクウショウ)

アメリカスズカケ

プラタナスは日米の雑種だとか。

↑アキニレ




アメリカキササゲ

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高木である。花は下から見る限り葉の上に咲いているので、花がそこにあるはずと思って見上げない限り判別しにくい。
幸い一枝だけ低いところからのびて写しやすいところで花を咲かせている。
6~7月が花期なので、まだ何回かは見る機会がありそう。

となりでサンゴジュも満開。

名前の通り見事な珊瑚となる頃には葉は虫害でひどい状態なっている場合が多い。

珊瑚樹の朱き実房や長崎忌 斎藤朗笛

珊瑚樹のいただきくらきまで熟す 古舘曹人

海青く珊瑚樹は実を滝なして 村沢夏風

珊瑚樹のうちに鳥ごゑさき彼岸 岸田稚魚

珊瑚樹は熱風の吹き入りしまま 岡田史乃

尼寺の珊瑚樹鵯に実をこぼす 大島民郎

珊瑚樹の梢はづれの露地の月 京極杞陽

スモークツリー

6月は木の花の季節かも。

公園ではニワセキショウに交じって雛桔梗草が咲いている



有馬街道

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一日を有馬に過す女正月 千原草之
鹿垣を見つつもぞ行く有馬かな 阿波野青畝

有馬で検索したら、有馬さんの句がえんえん。
いつもは全句コピーペーストして、作者名に検索事項が含まれるものを削除するのだが、今回は句中に有馬を含むものだけコピー。
有馬さんは、文部大臣経験者以外にも5人以上おられる。


有馬街道
(ありまかいどう)は、大阪や神戸から有馬温泉に至る街道の名称である。現在では兵庫県道15号神戸三田線の別称として使用される。有馬道(ありまどう、ありまみち)ともいわれる。

「有馬街道」「有馬道」と呼ばれた道は歴史的に以下の四つのルートがあった。

  1. 神崎尼崎市) - 伊丹伊丹市) - 小浜宝塚市) - 生瀬西宮市) - 有馬温泉
    別名「湯山湯乃山街道(ゆのやまかいどう)」。
    このルートは最も歴史が古く、有馬温泉へ行く天皇や貴族、武家が往来したとされる道。大阪の難波宮が起点だとする説もある。兵庫県道41号大阪伊丹線のごく一部(園田支所前交差点から猪名寺交差点まで)は旧街道がほぼそのまま舗装された区間である。京都からの道筋である西国街道から池田で分岐し小浜でこのルートに合流する道も有馬街道(有馬道)と呼ばれていたようである。また、羽柴秀吉三木城を攻める(三木合戦)折に、この街道を有馬温泉から三木まで延長整備したことにより、姫路から京都への最短ルートとして利用されるようになり、姫路 - 有馬温泉間も「有馬街道」もしくは「湯山街道」と呼ばれていた。なお、「湯山(ゆのやま)」とは有馬温泉の別名で、有馬温泉の場所が摂津国有馬郡湯山村であったことに由来する。
  2. 深江(神戸市東灘区) - 雨ヶ峠六甲山) - 本庄橋六甲山・廃橋) - 有馬温泉
    別名「魚屋道(ととやみち)」。
    魚問屋が有馬温泉の宿に魚を卸す際に1.の湯山街道を経由して運搬すると、時間がかかるのと継立による運搬費用がかさむため、六甲山を越えるルートで魚を運ぶようになり、道が出来たとされる。阪神電車深江駅の南側にある大日神社から西国浜街道と分岐している。
  3. 住吉(神戸市東灘区) - 住吉道六甲山) - 本庄橋六甲山・廃橋) - 魚屋道六甲山) - 有馬温泉
    現在の神戸市道有馬住吉線で、別名「住吉道・魚屋道(ととやみち)」。
    本住吉神社境内東隣の南北に走る道の東南に「有馬道」の石碑があり、本住吉神社境内南東の交差点で本住吉神社境内の南に接し東西に走る西国街道本街道(現国道2号)と交差し、すぐ南方で本住吉神社参道と合流、南方の西国街道浜街道(現国道43号)に突き当たる。北側は住吉谷沿いの住吉道を六甲山頂方向に遡り、本庄橋(廃橋)付近で魚屋道に合流する。
  4. 平野(神戸市兵庫区) - 天王谷 - 山田(神戸市北区) - 唐櫃(有馬口) - 道場(神戸市北区) - 三田三田市)。
    現在の兵庫県道15号神戸三田線。(神戸市兵庫区~神戸市北区皆森交差点間は国道428号と重複)
    明治7年(1874年)に、「天王谷越え」と呼ばれていた山道を、有馬郡役所があった三田まで整備した道。

現在、「有馬街道」と言えば4.のルートで、国道28号と国道428号が分岐する神戸市兵庫区の有馬道交差点から国道176号と合流する神戸市北区の日下部交差点までの区間を指すのが一般的である。地図によっては、有馬口交差点を右折して有馬温泉を通り、1.のルートである旧・湯山街道の兵庫県道51号宝塚唐櫃線が国道176号と合流する西宮市の大多田橋交差点までを「有馬街道」としているものもある。また、1.や2.や3.の街道沿いであった地域では、現在でも一部を「有馬街道」もしくは「有馬道」と呼んでいる場合もある。2.3.のルートは、現在主としてハイキングコースとなっている。


以上はウィキペディアの解説

①の「有馬道」は神崎を始点とし、我が町をも通過しているので何度も画像紹介している。
尼崎市内に残る石の道標の多くもこの街道沿いに残っている。

でも私の印象では、①は有馬道と呼び、有馬街道と言えば、④の神戸電鉄沿いを指す場合が多いように思う。

今日は初めて中国道から阪神高速へ折れて、からと台で一般道へ降りて、
有馬街道をのぞき見した。このルートは初めて通る道であったが、有馬街道自体は昔からなじみがある。

中学高校の時はこの道を通って60キロ競歩大会が毎年1月にあった。
それ以降も雪の降る夜にこの道を、谷上まで車で抜けたことが何度かある。

山間の道だから広いとは言えないが、今では見違えるほどに整備された幹線道路である。
↑神戸電鉄の花山という名の駅から近い場所が目的地。
↓花山駅

こんな場所にもニュータウンが建設中である。

鉄線を活けて有馬の筆作り 大坪景章

有馬筆水と睦めば遠霞 塘 柊風

海鼠突く有馬王子の碑の下に 香月 梅邨

身に入むや馬も洗ひし有馬の湯 赤松子

いぬつげの黄葉の下の有馬径 前田普羅

以上7句、最初の100句のなかから句中の「有馬」を見つけた。

目的地の入り口

干し草

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7歳児と13歳児の二人の孫がいる。しかし
7歳児の有利な点は6歳上の従姉がいたこと。
かなり背伸びをして13歳児の真似をしている。
しかしこの7歳児も4キロ以上歩くと駄々をこね始める。


人里離れた山の中を一人で5キロ以上も歩き、
建物を見つけ、
6日間水だけで生きのびた7歳児がいる。

世界的なニュースになっているよう。

ペチュニアの新品種

ニチニチソウの新品種


7日前の公園

近々、刈りこみ隊が送り込まれるはずだと書いたが、

今日の公園
ヒメジョオンもクローバーもヒナキキョウグサもヘラオオバコもカラス麦も姿を消した。爪草は生き延びている。もっともすべての草は1週間後には息を吹き返すはず。

午前中の作業結果のようである。

いつもと違って、刈った草をビニール袋に詰めるのではなく、
ブルーシートを敷いて乾かしていた。

干草に蠅取草のまだ枯れず 斎藤俳小星

干草に馭者寝て鞭を鳴らしけり 日野草城

干草のトラックも乗り渡舟かな 嶋田摩耶子

牛方の宿干草の匂ひけり 辻本雨声

干草を踏んで一言主拝む 前田野生子

干草の夜も匂へり牧泊り 有働 清一郎

高原の干草日和つづきをり 井上 たか女

子を上げて干草を積みをはりけり 太田土男

干草の山黒馬と動きだす 林 翔

干草を焚けば蟇出ぬ哀しき貌 野澤節子 『鳳蝶』

病人に干草のいきれ迫りけり 杉田久女

干草の山が静まるかくれんぼ 高浜虚子

天の川野積み干草香をはなち 佐野五百子

永世中立国から干草来 田口彌生

干草に寝て胎内に在るごとし 栗原稜歩

干草の中へ入つてしまひけり 佐々木六戈 百韻反故 初學

干草にかくれし径のみちをしへ 軽部烏頭子

干草の敷きのみどりに牧犬(コリー)の仔 軽部烏頭子

干草にのしかゝりては束ねけり 星野立子

子等に帰りて干草にさす長柄鎌 加藤楸邨

干草の山が静まるかくれんぼ 高浜虚子

干草の山うごきくる対馬馬 阿波野青畝

月明となる干草の激しき香 山崎一枝

干草の転がるかたちにて止まる 日原傳

干草に北国の雲みな浮けり 大峯あきら

干草の牛車は星に繋ぐべし 黒田杏子

押し返しくる干草を納屋に積む 久保田重之

病人に干草のいきれ迫りけり 杉田久女

こぼしつゝ干草運ぶ女かな 星野立子

干草の香に乗りて鷹加速せり 太田土男

夕焼けて干草ぐるま道一筋 太田土男

十五夜の干草の香の母屋まで 太田土男

月の夜も経て干草の仕上がれり 太田土男

子を上げて干草を積みをはりけり 太田土男

干草をひろげ山脈高くせり 毛塚静枝

干草を積みて牛糶る但馬かな 杉本寛

干草の山すれすれに船通ふ 遠藤梧逸

こぼしつつ干草運ぶ女かな 星野立子

干草の月夜草履の緒がゆるむ 中拓夫

尼崎市で干し草を必要とする人がいるのだろうか。
20年以上前なら、直ぐ近くにも乳牛業者がいて牧舎なるものを構えていたが。

イギリスの公園では、毎週月曜日に大きな車が来て芝を刈っていた。
私も月曜日には公園の隅を歩き回っていた。
刈り草の匂いを楽しむのが半分の目的で、あとの半分は小銭探し。
土曜日、日曜日に公園に寝そべっていたジーンズ姿の若者は、特に二人ずれは、かなりの確率で小銭を落としてゆく。
小銭の代わりに、使用済みコンドームを見つけることもあった。

午前中は日が当たらない門の前↑と、南向きの軒下↓で、1株ずつ茄子を育てている。

↑は接ぎ木苗であったので、1果すでに収穫・消化。つぎつぎに花が咲き実が生っている。
4つも花が開いていると満開といった感じ。

一誌病み知らぬ茄子の花盛り

高層マンション

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平成30年基準では、10階建てマンションは高層とは言わないのかも。
俳句では高層マンションのことを、あるいはそれ以外の高層ビルを含めて
「高階」などと表現する。

小春日や高階は背中合せ 玖保律子

高階の三日の松に水を遣る 寺井谷子

高階の木箱に育つ花糸瓜 房川喜三男

谺せずビル高階のつくり滝 船坂ちか子

高階の歯科に子が泣く花曇 秋元不死男

高階に花びらとどく西行忌 坂本登美子

新年会降る雪を見て高階に 川畑火川

どこかに死高階今日も蒲団干す 西川 織子

多佳子忌の高階に泛くエレベーター 桂信子

高階に硯を洗う鈴の空 鈴木六林男

高階にメロンすすれば海光る 田邊香代子

高階の窓に星入れハロウィーン 伊藤京子

高階にハンカチひとつもとめたり 藤木清子

水無月や弱りし者を高階に 森田智子

高階に素足を拭ふ夏は来ぬ 沼尻巳津子

例句のほとんどは、高層ビルではなく、高層マンションを詠っている。


我が家からもっとも近いところにある新築マンション。2000㎡の土地に建つ48戸のマンションで西側の幹線道路に面した部分は10階建てである。
3月末から入居が始まったようだが、依然モデルルーム公開中で、夜、傍を通ってもまだ半分が空き室のように見える。

建物の南側の道路は、私にとっては重要な(駅前へ向かう)生活道路である。
右手前方にも幕で覆われたマンションが見えるが目下壁の塗装と修繕をやっている。
この道を通る時に、圧迫感があるのではないかと思っっていたが、幅6メートル、歩道なしであるがそれほどの圧迫感はない。
以前ここは銀行の社員寮で2階建ての建物が二棟建っていたが、その時は高いコンクリート塀で囲われていて殺風景な感じであったが、今は植栽が施されて、私などはむしろ季節の変化を楽しむことが出来る。


今はシモツケからアジサイへ花が移っているところである。

一階のマンション住民のための目隠しと風通し確保のための措置であるが、少しは通行人のことも考慮されているように思う。

季節ごとに、この花をみるにはあそこと決めている場所がある。
今では、桜は庄下川沿い、
薔薇は伊丹の荒牧薔薇園
梅は伊丹の緑ヶ丘梅園あるいは大阪城公園
(実は荒牧へは今年は行かなかった。緑ヶ丘の梅園は存在しなくなった。梅ウィルス発生の為
全て伐採された)
牡丹、菖蒲、八重桜、花水木・・・


ところがアジサイには、毎年出かけるところはない。

六甲山は近くの名所の一つであるが、五年に一度くらいしか訪れる機会がない。

「高層」でも例句はあるが、高層マンションを指す場合は少ない。
高層ビル札束のように完成す 峠谷清広

高層は花にもありしジギタリス 河野美奇

無関心な春日の交差 高層窓 森須 蘭

高層に夜廻りひびく年の暮 小林はる子

鰡飛べり高層ビルに囲まれて 満田春日

音もなく高層ビルの造り滝 金堂豊子

ビル高層友ら耳立て内部の滝 仲上隆夫

雷神の喝に高層ビル竦む 稲畑廣太郎

梟を飼ふ高層を生きるため 櫂未知子 貴族

木の葉散り高層ビルは灯の柱 大島民郎

磨かれて高層にありヒロシマ忌 徳弘純

春の宵高層ビルに迷い犬 伊藤真理

高層より街見る帰る鳥のごとく 佐野美智

木の葉散り高層ビルは灯の柱 大島民郎

アメリカデイゴ

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数日前に来たときはまだ咲いていなかった。

あをあをと後の彼岸の梯梧の木 森田公司

海の紺梯梧は花の火焔立(沖縄本島) 上村占魚 『自門』

山よりも海が大好き梯梧咲く 田島蔦子

一島に灯台二つ梯梧咲く 菅原文子

梯梧咲き潮入川を曳くヨット 前田 白雨

梯梧燃ゆ 無告の民の戦時 戦後 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 花仙人

アメリカデイゴである。

アメリカデイゴ(亜米利加梯梧、学名:Erythrina crista-galli)とはマメ科落葉低木。和名はカイコウズ(海紅豆)。カイコウズの名はあまり使われず、アメリカデイゴと呼ばれることが多い。また、「アメリカデイ」と「」が濁らないこともある。

デイゴは別種で沖縄県県花

南アメリカ原産の落葉低木。日本では庭木として使われる。寒さに弱いため関東以南で栽培可能。花期は6~9月頃で赤い花を咲かせる。また、鹿児島県の県木であり、アルゼンチンウルグアイ国花である。


ベンチに座って自販機で買ったお茶を呑んでいて気付いた。

私は伊藤園の「お~い お茶」が元祖と思っていた。

サンガリア(株式会社 日本サンガリア ベバレッジカンパニー、Japan Sangaria Beverage Co., Ltd.)は、大阪府大阪市東住吉区に本社を置く清涼飲料水アルコール飲料メーカーである。

創業者の石山正二が、1951年(昭和26年)、大阪にて「石山食品工業社」を設立[1][2]。創業当初より瓶入り清涼飲料・乳酸菌飲料・乳飲料の製造及び販売を専業とする中で、日本万国博覧会が開催された1969年(昭和44年)にUCC上島珈琲が発売し、評判となった「UCCコーヒー」に続くカタチで、1971年(昭和46年)に発売した「サンガリア缶コーヒー」を発売。これが売れたことで、一躍その名を知られることとなる。

1974年(昭和49年)に、唐代の詩人・杜甫の代表作『春望』の冒頭「国破れて、山河あり」[3]をヒントに現社名に改名[4][2]。また、この時期に同社の代表商品ともなる「サンガリアラムネ」を発売し、缶入りラムネとしてロングセラー商品にすると共に、現在までラムネを製造販売する事業者内としては、日本最大の企業として知られる。

淹出した緑茶に少量のアスコルビン酸ビタミンC酸化防止剤)を添加し、容器に窒素を無菌充填する事で鮮度を維持し、長期保存しても変色させない技術を開発し製法特許を取得。これを基に缶入り緑茶を発売し、コーヒー、紅茶等他の飲料にも順次適用を拡大、追従する同業他社から莫大な特許料収入を得た。また、加温ができるペットボトル容器の開発や、凍らせても大丈夫なペットボトル容器の開発を日本初で行った。

・・・
サンガリアという名前さえ今日初めて知ったような気がする。
100円自販機に製品を供給する小企業と思っていた。

zutto city

ここには市バス(阪神バス尼崎市内線)の停留場が出来た。
ひょっとしたらJR塚口駅前の停留場がここへ移転したのかも。

駅に最も近いマンションの入り口は駅から徒歩2分と表示されている。

エントランスを出て数歩で道を渡れば改札口へ通じる階段がある。
それを利用せずともエスカレーターで改札口がある2階へ移動することもできるようである。
3LDK3500万~、4LDK、4000万~

今は白アジサイが目立つ

珍しい色の鉄砲百合

三股の桜に登りし人の有り

芭蕉の句が一句見つかったとか。


ベゴニア

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理由は知らないが、わが市の草花(市の花があって、市の樹花もある)はベゴニアである。
そのためかどうか、市の緑化植物園の温室(目下は無加温で窓もドアも開け放している)では毎年ベゴニア展が開催。

温室にベゴニアわれら遅々として 山崎聰

どの家もベゴニアゆるる異郷かな 重政民子

家の窓辺、ドイツ・スイスではゼラニュームだった。
夏のベランダ、戸外では日本製ではないかと思うペチュニアが目立った。

ベゴニアが目立つ異郷とはどこだろう。

今年は、

球根ベゴニアも普通には家の門前ではみることができないが、
根茎性ベゴニアもあまり目にしない。

もっとも今年は、市内で開催される恒例事業も押しなべて、「100周年行事」と銘打っている。

葉挿しができるようである。

一枚の葉を葉脈に沿って切って何株も挿せるようである。
葉が大きい木立性ベゴニアでも可能かとも思う。


品種の名称も画像記録しているが、覚える気はしない。

丁寧に育てられているのがよく分かる。

私も今年は少し時間を使って、ベゴニア・センパ(フローレンス)紫葉と、木立性ベゴニア天の川
の茎挿しをやった。4月以降に挿せば、まず失敗はない。
ほぼすべてが活着したのはいいが、プランターに3株、4株程度植えていたのでは置き場所がないのが悩み。

株分けの洋蘭咲かす女正月 秋川ハルミ










天空の薔薇

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夜になると狐が庭に来るといううことはない。今までなかったし、これからもないであろう。
(↑の画像は子狐の来訪を報告なさっている方が借りられた画像を無断、再利用)
でも家から西へ10キロも行けば、夜な夜な狸の家族が庭に来る家がある。
これは同僚だった人から聞いた。

しかし10キロ西行しなくても5キロ行けば、川沿いをイノシシが歩く町がある。
庄下川の川床遊歩道では、鳩、雀、鴉、鶺鴒といった鳥類以外では、時折、蛇に出会うくらい。

我が庭に来るもの。まずは猫である。
種の蒔き時に来訪されるとプランターの苗床を荒らされる。
今年は週1でやや濃度の高い木酢液を家の周りに撒いた。プランターにももちろん撒いた。というより庭中に撒いた。そのせいか夜2階のベランダから覗いていても猫の来訪は見かけなくなった

西側のお隣の屋根に、イタチの夫婦が住み込んでいたが最近見かけなくなった。壁に守宮が張り付いていたがこれも見ない。
空き家となったお隣の家は、まもなく取り壊され、1LDK6戸の賃貸住宅に変貌するようである。先日、息子さんの奥方が旭化成の担当者ともども挨拶に来られた。

昨日、レックスベゴニアはあまり見かけないと書いたが、
今日、近所で見つけた。
知らないと見えない好例。

天空の薔薇

よく見ると、確かに夾竹桃の花に似ている。

薔薇ではない

何度見ても、読んでも記憶できない

ペトロポリス、ギリシャかトルコ辺りにありそうな地名。原語か日本語かどちらかが間違っている。
原語にtが落ちているのか。

花が見事。ネット検索したら
Portea petrpolitana

ペトロなら有馬さんが一句位作っておられると思ったがみつからず。
代りに「パウロ」
浦上のパウロの墓のすひかづら 内堀としを

地図にて辿るパウロの行路秋薊 宮脇白夜

冬草やパウロと記す父の墓 山下喜代子


円紅

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円虹(えんこう)は造語と思っていた。
調べたらマルニジと呼んで、季語にもなっているよう。
ワイフに俳句仲間から電話がかかってきて、今円虹が見えるから見ろとのこと。
私も付き合う。
日の傘だが確かに虹色をして太陽を囲んでいる。

但しマルニジとは、日の出後1時間ないし日の入り前1時間に
太陽とは反対側にできる現象らしい。
上の画像は午前11時のもの。
「円虹」の画像集には、↑のような虹も何枚か紹介されているはいる。

円虹にはしゃぐ妻らの長電話

電話が各所につながって、「円虹がみられるよ」と伝えたら「何チャンネル?」と応答した人もいたとか。それがまた各所に伝えられている。
その名の誌名を持つ俳句仲間たちである。

円虹や眼下に峯の影のびて 本多 勝彦

円虹の中に吾が影手振れば振る 福田蓼汀

海原の円虹神のはかりごと 桑田青虎

円虹の名残ともなほ幽かなる 桑田青虎

円虹や離島への旅弾みたる 桑田青虎


円虹神は、マルニジカミと読むのだろうか?


当方は朝から、切羽詰まって市の俳句協会の会報編集中。

夕刻、点けっぱなしになっているテレビで京都太田神社のカキツバタが咲かないという報道に、慌てて見入る。

シカの食害らしい。

太田神社は、友人M君と何度も訪れた。
傍に、魯山人の旧居跡かなにかがあった。
魯山人では例句なし。
関係ありそうな語句で検索

百合の花子供居らねば着道楽 岩田由美

それとなく二月礼者の着道楽 後藤夜半

年々や花に背かぬ着道楽 尾崎紅葉

句会

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神戸市の勤労会館の案内板には「神戸句会」となっていた。
句会の指導者も幹事も所属結社を離れたために、結社名が句会名から無くなった。
4句出句

投下国から折り鶴届く五月晴
枝折れてたん瘤作った柿若葉
蛍の夜村に一女が誕生す
一誌病み知らぬ茄子の花盛り


コスツス・バルバーツス


メガスケパスマ・エリトロギラミス













ギボウシ

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擬宝珠
5号鉢植えとして亡き従兄から貰ったギボウシ。
株が大きくなってきたので、10年前にプランターに植え替えたが、
それも蔓延ってしまい、花穂が育つ隙間もなくなっていた。
昨年久しぶりにプランターをひっくり返し、
株分けをした。
その時に土を足してやったためか今年は沢山、花穂が立ち上がった。

ギボウシ(擬宝珠)は、キジカクシ科リュウゼツラン亜科ギボウシ属学名Hosta)の総称である。山間の湿地などに自生する多年草。食用となり、が美しく、日陰でもよく育つため、栽培される。

新エングラー体系及びクロンキスト体系ではギボウシ属はユリ科 Liliaceae に含められていた。

↑↓分けた方の鉢でも花穂が立ち、総数20本以上

「ギボウシ」は擬宝珠(ぎぼうしゅ)の転訛であるが[1]、これはこの植物のつぼみ、または包葉に包まれた若い花序が擬宝珠に似ることに由来する。ギンボ青森県)、タキナ高知県)などの地方名がある。英語名 plantain lily は「オオバコユリ」という意味であるが、これはギボウシのオオバコに似ているためである。

葉は幅広く根元から出る。

総状花序青色白色品種もある)の細長い花をつけ、マルハナバチなど大型のハナバチの訪花によって受粉される。

果実は朔果で3裂するが、栽培品種には結実しないものもある。

日本にはオオバギボウシHosta montana または Hosta sieboldiana var. gigantea)など20種ほどが野生し、いずれも東北地方から中部地方の一部で[2]ウルイと呼び、西日本でもギボウシ、タキナなどの名で山菜として若芽、若葉などが利用される。ただし、若葉が毒草バイケイソウに似ており、誤食事故が多いので注意を要する。スジギボウシHosta undulata)やその他雑種などが栽培される。栽培品の主な産地は山形県で、薄い黄緑色の若芽を出荷し、サラダ浅漬け油炒め、味噌和え、酢味噌和え味噌汁混ぜご飯巻き寿司などに利用する[2]。食味に癖はなく、噛むと少しぬめりがある。

園芸

江戸時代の日本で変異個体が多数園芸品種として固定され、さらにこれがシーボルトらによってヨーロッパに紹介されてヨーロッパでも多くの品種が育成された。

花言葉は「落ち着き」「沈静」「静かな人」。

/

さすが接ぎ木苗、実生苗の4倍の価格がしただけある。

2番、3番、4番、5番、6番果が実り始めた。


実生苗もようやく一番果が姿を現した。

.

オシロイバナ

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オシロイバナが咲いていた。

その横でホウセンカも咲いていた。
鳳仙花、白粉花、朝顔・・・俳句では秋の季語である。ホトトギス歳時記では8月の季語
6月初めに咲いてはならないのである。

苺やパンジーは、巷では冬の風物である。

その他、歳時記には登場しない昭和末期から平成にかけて路傍に登場した花の多くは、3シーズンないし年中咲いている。


朝夕の白粉花も終りかな 山下 尭

手になじむ道具いくつか白粉花 掘之内長一

白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波 『湯呑』

アパートの皆共稼ぎ白粉花 七田千代子

白粉花過去に妻の日ありしかな きくちつねこ

白粉花妻が好みて子も好む 宮津昭彦

白粉花の風のおちつく縄電車 河野南畦

道の端の白粉花に薄埃 船坂ちか子

本郷に残る下宿屋白粉花 瀧 春一

白粉花の夕咲く香なり二日月 遠藤 はつ

虚空の穴いつみえそめし白粉花 齋藤愼爾

誰が家の白粉花と云ふでなく 依光陽子

白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波

白粉花に咳して漁夫の深まなこ 原田喬

白粉花の闇の匂ひのたちこめし 深見けん二

白粉花妻が好みて子も好む 宮津昭彦


今日の駅前火事跡

何が変わったか?土地の真ん中を流れていた排水溝がふさがれたようだ。

この前、ここの画像を撮ったのは、6月1日

整地が済んでからかなり日が経ち、
よみがえった草は、まずは葦。

以前は排水溝の水気があったと思われる地帯でのみテリトリーを確保していたが
今や火事跡の隅々にまでランナーを伸ばしている。(のばしていた)。


その前は、5月20日

そろそろ葦が伸び始めている。





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ギボウシ展

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6月第2日曜日は、市の俳句協会の年次総会兼俳句大会。

大会と言っても大きな俳句結社の本部例会に及ばぬ参会者数だが、
結社を越えた句会である。

例年同じ日に永良部百合祭りを市の中央公園で開催しているので
それを楽しみにでかけたが、残念、祭は先週の日曜日であった。

かわりに観光センターで

を見学。

野草としてのギボウシを紹介。


本日の最高点句は

反骨の骨を外して昼寝かな

ダントツの15点句であった。





モニュメント

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今年、市制100周年を迎えます

阪神電車「尼崎」駅前
駅ビルを北側へ出れば、駅前広場ではなく、中央公園である。

この名からして一時期は、ここが尼崎市の中心部分であったのであろう。
どこにあったのか知らないが、市役所も駅の近くにあったはずである。

現在の市役所は橘通りに面して立っており、最寄り駅はJR立花駅であるが徒歩10分以上かかるのではないか。

というより市役所の現在地は、1916年に市になった時には、まだ隣接する立花村であったはず。

復習;

立花村:
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、塚口村・東富松村・七松村・尾浜村・三反田村・水堂村・大西村・栗山村・上ノ島村・東難波村・西難波村(飛地を除く)・竹谷新田(飛地)の区域をもって発足。
  • 1916年大正6年)4月1日 - 大字東難波・西難波が尼崎町と合併して尼崎市が発足。
  • 1942年昭和17年)2月11日 - 尼崎市に編入。同日立花村廃止。

現在の市役所は、上記の中の、七松村に位置するはず。

現在町名は東七松町

かつての尼崎の中心部分らしく、
中央公園内には各種モニュメントがあり、
今では多くくなった木立に隠れてよく見えないものもある。

尼崎市がかって鉄鋼の町であった名残り。↑の奥。↓

見ようと思わない限り、通行人からは見えない。異様な鉄像である。

日本赤十字社の前身、博愛社が尼崎藩から起こったことを示すもの

駅前の噴水のタワーは、代表的な待ち合わせスポットである。

謡曲芦刈(山)記念碑↑

↑ジェーン台風、室戸台風時の水没水位を示している。
同じものが、駅の南側広場にもある。

沼杉の気根隆々梅雨に入る

蛍追う老々介護の合間には
俳句大会出句作品
案外こういった平凡な句が高点になる。

元の句は
幼な妻のごとく燥いで蛍の夜

実は明日の夜の先取り。大谷川の蛍はまだ飛んでいるか?



水馬

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市の俳句協会の機関誌の編集を引き受けて8年。
毎年1回発行・配布する「会報」の編集を、配布する日の3日前から開始してなんとか間に合わせた。

昨年の俳句大会の最高点句は

水馬雲の筏を乗りまわし

という句であった。昨年の大会作品の鑑賞文を書こうと思って、まずはこの句に注目。

水馬が浮いている水に映る何かを、実態とみなす句はないかと、いつもの「俳句検索」にあたってみた。


力溜めをりしがついと水馬 嶋田一歩

水馬鳳凰堂をゆるがせる 飴山 實

水馬水に跳ねて水鉄の如し 村上鬼城

水馬流され水輪流されし 倉田 紘文

匕首を研ぐ一日雨や水馬 小島ノブヨシ

水馬怠けて流れゐたりけり 細川加賀 『玉虫』

暮がての光りに増えし水馬 阿部みどり女 『陽炎』

打ちあけしあとの淋しさ水馬 阿部みどり女 『笹鳴』

流れなきところをながれ水馬 大木あまり 雲の塔

湧き水にぶつかりあひて水馬 金元喜代子

水馬流るゝ黄楊の花を追ふ 高野素十

水馬とんで離れて爭はず 村上辰良

針金の脚ふんばつて水馬 土生重次

水馬はじきとばして水堅し 橋本鶏二

うち水にはねて幽かや水馬 飯田蛇笏

行く雲のひとひらに乗り水馬 深沢暁子

水馬の影水底にありにけり 吉江八千代

水馬思ひ思ひの輪を重ね 関 弥生

影たえず流されてゐる水馬 稲井優樹

光の輪いくつも生れて水馬 門居米子

一族にしては多過ぎ水馬 田中佳嵩枝

水馬を見にゆくと言へば笑はるる 山田みづえ

水馬松の花粉にゆきなやむ 軽部烏頭子

水馬遠ざからんとするばかり 木津柳芽

水路にも横丁ありて水馬 瀧 春一

水馬吹かれあつまる水の窪 隈元いさむ

足枷の己が影曳く水馬 嶋田一葉詩

五月雨に一つ淋しや水馬 水原秋櫻子

水玉の光の強き水馬 八木林之助

水馬ダムの放流はじまるぞ 山口速

水馬休めばすぐに流さるる 三島晩蝉

松風や道の溜りに水馬 森澄雄

水馬松の花粉にゆきなやむ 軽部烏頭子

水馬交み河骨知らん顔 松本たかし

秋風や吹き戻さるる水馬 淡路女

力溜めをりしがついと水馬 嶋田一歩

畦を塗る泥水に蝌蚪水馬 青葉三角草

啓蟄の背ナ新しき水馬 青葉三角草

花屑を渡る時あり水馬 青葉三角草

水馬大法輪を転じけり 川端茅舎

雨粒のたち来し池や水馬 岩木躑躅

論点のずれてゆくなり水馬 柴田奈美

自ら倦みあし踏み替ふる水馬 山口誓子

水馬絹より細き四肢持てる 保坂リエ

かろやかなはらわたならん水馬 亀田虎童子

ツイと飛んで見えずなりけり水馬 渋川玄耳 渋川玄耳句集

水馬そは定型に泳ぐのみ 宇多喜代子

水馬雷後の水をわたるかな 水原秋桜子

水馬目高の目玉ふまへたり 巌谷小波

滝壷に生れ死すまで水馬 鷹羽狩行

水馬踏んばつて影無くすなり 星川木葛子

夕暮や蓮の葉に飛ぶ水馬 瀾水

松風にはらはらととぶ水馬 高浜虚子

よき風を得て水馬のひと走り 岡澤康司

洗ひ場を戯れだまり水馬 荒井正隆

禅寺にかろき生得し水馬 宮津昭彦

いつからの一匹なるや水馬 右城暮石

いかにしても水を破れず水馬 西本一都

しろがねの水くろがねの水馬 西本一都

水馬よく遡る一つかな 徳永山冬子

水踏める脚の小高き水馬 八木林之介 青霞集

水馬水ひつぱつて歩きけり 上田五千石(1933-97)

水馬日に失せ水輪すすみけり 嶋田一歩

あふれ行く池の水かさや水馬 会津八一

水馬や月冷かに三の簗 会津八一

水馬浮きて静かや今朝の秋 柴田白葉女

暮がての光りに増えし水馬 阿部みどり女

打ちあけしあとの淋しさ水馬 阿部みどり女

十月の頭小さく水馬 原田喬

柱ばかりの家や身弱き水馬 栗林千津

水馬幾にはたづみ棲み捨てし 小檜山繁子

禅寺にかろき生得し水馬 宮津昭彦


滝壺に生れ死ぬまで水馬 鷹羽狩行 遠岸


水馬あとを亡父の渉り行き 鈴木六林男 国境

流れ来しものの中より水馬 稲畑汀子 汀子句集

水馬マリヤの姿乱れざる 森田峠 逆瀬川以後

水馬決して水に濡れてゐず 後藤比奈夫 花びら柚子

水馬底藻に深さはかられず 臼田亞浪 定本亜浪句集

秋風やからみかはりし水馬 永田耕衣 加古

簀の中のゆるき流れや水馬 河東碧梧桐

水馬流るゝ黄楊の花を追ふ 高野素十

水馬水に生れて花曇 高野素十

水馬走りしときの秋の風 高野素十

水あるを知らぬが如し水馬 松瀬青々

水馬青天井をりんりんと 川端茅舎

次のような文章(ごく一部のみペースト)に仕立てて、金曜日の午後完成、その他の原稿は打ち終わっていたので、すぐにコンビニでモノクロコピー印刷60部。
A4版4ページ仕立て。


水馬雲の筏を乗りまわし   とめ香

最高点になる資格をいくつか備えている。句意が平明であること。俳句的省略があるが、多くの人がその省略を埋めることができること。作者の新発見ないし創意(この句の場合だと、水面に映る雲を筏に見立てる)も無理なく納得できること。

尼崎俳句協会の会長、前田野生子さんが所属の「かつらぎ」を青畝から継承した森田峠は、逆瀬川辺りで、「水馬マリヤの姿乱れざる」と詠っている。

「行く雲のひとひらに乗り水馬」という句を 深沢暁子という人が作っているが、とめ香さんの句はさらに一ひねりして「雲の筏」と表現した。

 打水やこれぞ地球の香りなり   栄子

 打水と言えば、私はすぐに中村汀女の「俳句打水論」を思い浮かべる。「台所俳句」を何故咎めるのか、俳句で天下国家を論じるな、が汀女の主張である。栄子さんの句は天下国家を超えて、大胆に宇宙船地球号の特性を詠って見せた。幕末・維新前後に日本を訪れた多くの欧米人が打水に感嘆の語を綴っている。(環境・資源にやさしい)打水は「クールジャパン」の走りなのかも。類想句はまずないであろう。

ネット上で「打水の空に触るるよ星生る 吉沢けり男」という句を見つけたが、大胆な断定こそ俳句の本領とすれば、栄子さんの句に軍配をあげたい。

夏井先生いかがでしょう?

なお栄子さんは六月一日付けで中澤幸子に替って理事に就任、第八回大会からは賞品辞退組へ「昇格」。

 画像は野草展から







反骨

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↑開会13時。出句締切13時半。↑開会までまだ30分ある。
すでに出句を済ませて、私が編集した「会報」を読まれている方もいる。

6月の第2日曜日に開催の市の俳句協会主催の俳句大会は無事終了。
今年はワイフも所属誌の仲間を5人誘って参加してくれた。
内二人が高点賞の図書カードゲット。

↑賞品を受け取るワイフの俳句仲間。

私の選は、

この国の掴みどころに蜘蛛の糸
ウェディングドレスのごとき瀑布かな
南部鉄風鈴男盛なる
反骨の骨を外して昼寝かな
ほころびの多き地球や苔の花


の5句。

出句3句

沼杉の気根隆々梅雨に入る
蛍追う老老介護の合間には
KOBANの手配書覗くサングラス


最高点句は

反骨の骨を外して昼寝かな

15点という異常な点数を集めた。私も点を入れた。

第2位は7点句で、2句

青葉風市制百寿の街路かな

この辺りの者でござると蟇

つづいて6点句3句

折鶴の飛びたつやうに花菖蒲
梅雨籠ルーペ遊ばす地図旅行
ほろこびの多き地球や苔の花


私の句には、5点、4点、2点の支持があった。

一人1句のみ受賞、理事役員は賞品辞退ゆえ、3点句作家までが受賞対象となった。

5点句、4点句あたりの多くが、上位入賞者の2句目以後の作品か役員の作品であるために例年3点句作品にも受賞の機会が回ってくる。

近辺でも尼崎だけではないだろうが、昭和30年代まで
中学を卒業後集団就職でこの町にやってきて住む見込んだ人が多い。

煙の木

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最近では煙の木と呼ぶ代わりに、スモークツリーと呼ぶようである。
数日で学んだこと。

1.

煙は花ではなく花後の花穂であること。

花は目立たないつぶつぶであること。
2.緑葉と赤紫葉があること。
3.きろろガーデンにはスモークツリーが複数そだっていること。

玄関はいったとこにある畳部屋。ニッチ飾り棚などがある場所、左右奥にドア・襖で来客を振り分けるところ、名称は何と呼ぶのか、取次の間?。今時こういうスペースを設けている家に入ったことはない。ここだけである。右のドアを開けると田舎ッフェである。

そこに飾ってあった花がスモークツリーだとは気づかなかった。



郭公や押しあげて 大木あまり 雲の塔

吐く御用納の出し 山口青邨

吐く御用納めの出し 山口青邨

出てやつぱりこれは茸 藤田あけ烏 赤松

田仕舞のしあはせのかな 加藤覚範

出しより出て秋の暮 片山由美子

出づ冬木空なる出 中村汀女

薇や呪文と人をに巻く 中原道夫

地は秋ののごとく祖母座る 高野ムツオ 陽炎の家

をすくつて胎に初大師 田川飛旅子

七草や風呂のの木の匂ひ 兒玉南草

初浅間しなやかにひろげをり 皆川盤水

松過ぎの前山に上りゐる 青柳志解樹

が這ふ元日の溝明り 原 裕

寒釣の来ているらしき立つ 田原せいじ

牡蠣船の這ふ水や流れをる 瀧井孝作

すが漏りや土間にこもりし榾 ながさく清江

先行す石焼芋の車 加倉井秋を

長薯の蔓焚く千曲川 滝沢秀誉

竹の春物焼くはじめの濃く 北野民夫

実棗やハリス館に出し 堀江君子

のさすらふさまに秋遍路 阿波野青畝

初秋や杉の谷より青 沢木欣一

を洩さぬ祖谷の茂りかな 館 容子

一事果たす新樹にからむ汽車 鈴木六林男

花蜜柑吐かざる汽車通る 嶋杏林子

ところてんのごとく沈みをり 日野草城

蓴菜ののごとく岸に生ふ 柳 楚城

大阪やの中を鳥帰る 青木月斗

義士祭のしみたる群動く 福島 胖

畠焼くや一本の梅に凝る 高田蝶衣

浜焼きのが軒に花曇 堀 古蝶

展覧の備長炭を焼く 坂本 丘川

お火焚の一炎一かな 高野 素十

盧火焚くに透けて五六人 岡野 やす子

麦藁を焼くやにむせびつゝ 柴山 長子

菜殻火のの土手にぶつかりし 古賀 紀子

草刈の細きのぶといぶし 山中 真智子

麦秋の暮れるの二つ三つ 小野 茂川

鮑海女らしき舟炉の一と 児玉 菊比呂

燃え悪き汐木の磯菜摘む 荒木 千句子

磧より一炊や上り簗 野中 穂浪

大由布の若菜野つゞく湯の 宿理 菊香

降る雪の中の香初大師 今川 青風

人焼くもあっちむいておじぎしはる 井上秋魚

父恋ひの母やバターの焦げ 金子 晉

日が落つる突のみな太くなる 荻原井泉水

遠いが白瓜抱いて昇るらん 安井浩司

鼻紅葉終にしほ木の夕 与謝蕪村

猫窃かにを分娩して居りぬ 河原枇杷男

のような言葉タバスコ強くふる 野木桃花

百姓はで天の鷹を落とし 安井浩司

かなしきかな性病院の出 鈴木六林男

死火山になく不思議なき入浴 金子兜太

芥焼くのなかの冬の蝶 澤木欣一

牛祭月歪むほど護摩 上島清子

籾を焼くのなかをプロペラ機 中村雅樹

大根蒔くたちこめたる盆地 細見綾子

皆が花火のを追っている農民祭 福富健男

万歳の顔に紐垂る霧都市 小川双々子

注連焼けば祝詞は山のなり 吉田さかえ

畦焼のの中のうけこたへ 細川加賀 『玉虫』

に蝿あそぶのみその羽音 細川加賀 『傷痕』

冬山中の束の炎の初め 野澤節子 『鳳蝶』

寒鰤の一切のみの上ぐ 殿村菟絲子 『樹下』

春立つと剥製屋より太い 田川飛旅子 『植樹祭』

麦焼く空で合せて不作部落 加倉井秋を 『真名井』

芝を焼くのあがる産着縫ふ 加倉井秋を 『胡桃』

秋刀魚焼くの中で和服となる 加倉井秋を 『胡桃』

伊原野の砲に似て濃かげろふ(沖縄にて) 石原八束 『藍微塵』

三日はや達治を偲ぶ霞癖 石原八束 『高野谿』

や祖かくありし昼の虫(大仏殿にて) 『定本石橋秀野句文集』

かな~や母よりのぼる灸の 飴山實 『少長集』

動物園春のをあげにけり 大木あまり 火球

歳晩や火の粉豊かの汽車 中村草田男

突の棒のごと冬の雨 高浜虚子

もう~と霜夜に烟る出し 村上鬼城

県境を真近に楮蒸す 高原甲山

炭焼夫消えての定まれり 田中照子

炭を焼く長きの元にあり 中村草田男

芥焼くのなかの冬の蝶 沢木欣一

冬山中の束の炎の初め 野沢節子

やがてわが炊も出て冬霞 山口誓子

凍雲に父焼くとどかざる 下村梅子

木枯に浅間の吹き散るか 高浜虚子

なき牡丹焚火の焔かな 原 石鼎

杣山や鶲にながれたる 飯田蛇笏

家ありやの傅ふ鳴子縄 蕪 村

秋水へ真赤な火から来る 中村草田男

また味の一つや初秋刀魚 鷹羽狩行

秋刀魚焼くの中の妻を見に 山口誓子

大根蒔くたちこめたる盆地 細見綾子

藤豆の咲きのぼりゆく出し 高野素十

花サビタ十勝の国にたつ 加藤楸邨

*はまなすやの汽車を知らない子 古賀祥予

心太のごとく沈みをり 日野草城

汽車熱きがかかる月見草 鷹羽狩行

青桐の向ふの家の出し 高野素十

蒼朮の賑はし梅雨の宿 杉田久女

屋根石に炊洩るる豆の花 杉田久女

14日の夜と、15日の夜、湯郷温泉郊外の大谷川岸辺と、
旧作東町の中国道の高架下を流れる、同名の大谷川周辺で
蛍を鑑賞。併せて50匹程度は見たように思う。

案の定、暗いところが怖いワイフがどんどん前を行き、はしゃいでいた。
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