所属誌の連続シリーズ「前号掲載句鑑賞」欄を担当。
2句の部分のみを紹介。
文中の画像は、このブログで挿入したもの。
作東バレンタインパーク内にある、「王道の庭」
人はみな火宅にありて曼珠沙華
この号に掲載の句はおおむね前年の十月十一月に作句されたものである、それゆえ曼珠沙華とコスモスはいろいろの表記で何度も登場する。
掲出句は曼珠沙華と「火宅」という言葉の配置が絶妙。火宅とは法華経の譬喩品第三に登場する言葉である。よって日本人には古くから知られている言葉である。「火宅の人」とて、檀一雄の造語とは言えない。一茶は「時鳥火宅の人を笑らん」と詠んでいる。
「火宅」とは字義通りには、「燃えている家」であるが、家が火事になっているのに、それを知らずにどんちゃん騒ぎをやっている状態を意味する。
津波と原発事故、相次ぐ大地震で日本人のほとんどすべてが被害者体験をしている。まさに「人は皆火宅に」生活している。曼珠沙華の乱舞は、次に襲う火事の、目に見える不吉な警告であるかもしれない、しかもその火宅を離れるわけにはいかない。柵が人々を、私を、この世、この家に縛り付けている。
平明に詠み、かつ正解のない問題を提起する俳句テクニックからは学ぶべきことが多々ある。
世之介の船は遭難曼珠沙華
曼珠沙華の句をもう一句。
世之介とは、満六歳の時に年上の腰元に恋の手ほどきをして、その後の五十四年(源氏物語五十四帖に合わせている)の間に四、四六七人と性交渉を持った好色の人物の名前である。乗った船の名も「好色丸(よしいろまる)」。
この船は目的地(女護島)に着かなかった。モスリムの天国に向きを変えたのか、アマゾン国へ拉致されたか。作者は遭難と推測する。船出したのは神無月の末、辺り一面曼珠沙華が咲き誇っていたはず。それは遭難を暗示するものであったかも。曼珠沙華は多分、世界一、異名を多く持つ植物である。千以上の異名を一覧にした表をみたことがある。多くは避けるべきことを指し示している。死人花などはその代表である。
作者が秋の夜長に浮世草子を耽読したとも思わないが、誰もが知っている架空の人物(モデルは西鶴自身であったという噂もある)の名を上五に持ってきて「船は遭難」と強引な展開を述べれば、これはもう完全に川柳の世界である。ところが曼珠沙華を最後に配置することにより、世之介のような人物まで俳句に仕立てることが出来ることを作者は余裕しゃくしゃくと示した。
この作者の空想俳句は空々しさがまったくない。その創作力にはただただ脱帽。
本日句会出席
5句出句 席題「走る」
誤って4句のみ出句
吾子預け熟睡子のごと竹の秋
女子大生走れば紫華鬘草
三人姉妹の一人は自害銀盃草
分裂は人の世の常軍配草
本日の最高点句
私も特選でとった。
心経に無の字のいくつ青葉風
今月は句会出席2回のみ。
1つの句会が閉鎖
1つの句会には出席しないことにしたので。