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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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蕎麦

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↑蕎麦の花
朝顔に似た葉をだす。一面真っ白になるソバ畑は信州方面だけでなく、美作でもよく目にする。
にも拘わらずどんな葉をしていたかをまったく記憶していなかった。
よって種を蒔いて、幼葉が出てきたときには、オシロイバナと見間違えて、せっせと引っこ抜いていた。
プランター4つほどで育てているが、引っこ抜いたおかげで、「空き地」が目立つ。
これくらいでもいいのであろうが、念のために空き地部分には、追加で種を蒔いた。
それも芽吹いてきている。↓

↓綿

周りで芽吹いているのは鶏頭である。昨年育てた子規庵で採取されたケイトウの子孫である。
採種したものは、小袋に入れてかなりの数を俳句仲間に配ったが、実際に蒔いてくれた人は何人いるだろうか?

蕎麦の花ミサの鐘鳴るところまで 奥野桐花

ちらちらと蝶 ちりちりと蕎麦の花 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 夢見沙羅

三日月に地は朧なり蕎麦の花  松尾芭蕉

蕎麦の花引き抜きて測量す 広瀬恵美

山雲の高さに蕎麦の花だたみ 松本透水

仏より人たそがるる蕎麦の花 三田きえ子

この村の深息に似て蕎麦の花 中嶋秀子

蕎麦の花北指す汽車に肱汚し 朔多 恭

歩きゐし月夜の蕎麦の花の径 川村 千英

蕎麦の花蟹田の墓のほろほろと 堺 信子

蕎麦の花繃帯引っ張って干す 岩間愛子

風かるき一と日のをはる蕎麦の花 鷲谷七菜子

山小屋の道に鍋干す蕎麦の花 阿部寿雄

その上にまた一つ家蕎麦の花 矢島渚男

浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花 杉田久女

月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花 古賀まり子

道のべや手よりこぼれて蕎麦の花 蕪 村

遠山の奥の山見ゆ蕎麦の花 水原秋桜子

秩父路や天につらなる蕎麦の花 加藤楸邨

いえづとの溝蕎麦の花こぼるるよ 中村わさび

旅先に針糸愛でる蕎麦の花 小平 湖

淋しさに奥行きありぬ蕎麦の花 木村晶子

蕎麦の花人影のなき一揆村 桑原かず子

分け入りて胸乳に揺らす蕎麦の花 斎藤千恵子

峡の村ぐいと拡げて蕎麦の花 林 友次郎

蕎麦の花干割れし土のしんからかん 諸角せつ子

水ナ底のまつりも美しき蕎麦の花 松田 進

民宿のうらも民宿蕎麦の花 橋本榮治 逆旅

墓山も楢山も雲に蕎麦の花 橋本榮治 麦生

月さして沼かと見しは蕎麦の花 北垣芳園

月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花 古賀まり子

山村といふも四五戸や蕎麦の花 長沢青樹

癩の村ちかき月明蕎麦の花 石原舟月

蕎麦の花下北半島なほ北あり 加藤楸邨

浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花 杉田久女

蕎麦の花こころ遠くへ行きたがる 村上方子

山の日の薄きにひろげ蕎麦の花 吉年虹二

夕空の紺より藍へ蕎麦の花 石嶌岳

秩父路や天につらなる蕎麦の花 加藤楸邨

遠山の奥の山見ゆ蕎麦の花 水原秋櫻子

外竃ぼうぼう蕎麦の花ざかり 山口草堂

月光の満ちゆくかぎり蕎麦の花 古賀まり子

山川は日を小刻みに蕎麦の花 成田千空

すみやかに月は高みへ蕎麦の花 中田剛 珠樹以後

馬の背の高きに上り蕎麦の花 移竹

蕎麦の花丈を同じに雲も平ら 大野林火

蕎麦の花終りて山に雲のこす 大串章

蕎麦の花大和島根のくもりかな 才麿

柿の木は家の名残よ蕎麦の花 浜田波静

端山越す兎見ゆるや蕎麦の花 三輪未央

城跡の一段高し蕎麦の花 雅因

山里は豆もつくらず蕎麦の花 悟空

落人の低き墓標や蕎麦の花 西村牽牛

畑番に狐ちよろつく蕎麦の花 大田洛川

蕎麦の花に月あり藁屋暮れんとす 高浜虚子

旅人に遠山見せて蕎麦の花 毛塚静枝

いわし雲と白を競ひて蕎麦の花 羽部洞然

蕎麦の花終りて山に雲のこす 大串章

癩の村月あきらかに蕎麦の花 石原舟月

百姓の儲話や蕎麦の花 龍岡晋

月光のおよぶかぎりの蕎麦の花 柴田白葉女(1906-84)

道のべや手よりこぼれて蕎麦の花 蕪村

山腹の赤い華表や蕎麦の花 寺田寅彦

犬曳た女通るや蕎麦の花 寺田寅彦

上方の芝居下りぬ蕎麦の花 寺田寅彦

汽車道の広告札や蕎麦の花 寺田寅彦


暮れて入る古駅の路や蕎麦の花 会津八一

浅間曇れば小諸は雨よ蕎麦の花 杉田久女

この村の深息に似て蕎麦の花 中嶋秀子

遠吠えの牙の白光蕎麦の花 和田悟朗

あっけなく死ぬ年寄りに蕎麦の花 宇多喜代子

蕎麦の花丘つづきなる夕明り 中川宋淵 遍界録 古雲抄

大根も葱もそこらや蕎麦の花 炭 太祇 太祇句選

いかめしき門を這入れば蕎麦の花 夏目漱石 明治三十二年

まれまれに蝶の動くや蕎麦の花 蓑立 俳諧撰集「藤の実」

名月は蕎麦の花にて明けにけり 李由 八 月 月別句集「韻塞」

狐火のしらけて過ぐや蕎麦の花 荒雀 俳諧撰集「有磯海」

城跡の一段高し蕎麦の花 雅因 五車反古

蕎麦の花大和島根の曇かな 椎本才麿

痩山にぱっと咲けり蕎麦の花 一茶

蕎麦の花ぴくんぴくんと雨受けて ぱらりとせ



忍冬

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忍冬の籬の家に老いにけむ 田中冬二 俳句拾遺

柵越えて忍冬の花盛りかな 市ノ瀬 翔子

蚊の声す忍冬の花の散るたびに 与謝蕪村

忍冬乙女ら森を恋ひ来り 堀口星眠

忍冬の花のこぼせる言葉かな 後藤比奈夫

忍冬や猫の飲食われが握る 山崎愛子

忍冬忌時雨めけるを口の端に 岸田稚魚 『雪涅槃』

忍冬の花折りもちてほの暗し 後藤夜半

忍冬咲く故蜂にさされたる 高野素十

蚊の声す忍冬の花の散るたびに 蕪 村

忍冬のこの色欲しや唇に 三橋鷹女

忍冬神の噴井を司る 阿波野青畝

忍冬の花折りもちてほの暗し 後藤夜半

忍冬咲く故蜂にさされたる 高野素十

春蘭を今朝の新聞紙に包む 内山忍冬

忍冬乙女ら森を恋ひ来り 堀口星眠

忍冬のこの色ほしや唇に 三橋鷹女

忍冬の花うちからむくまでかな 白雄

忍冬の花折りもちてほの暗し 後藤夜半

鵜つかひや忍冬咲いて昼の宿 河東碧梧桐

忍冬の花のこぼせる言葉かな 後藤比奈夫 花匂ひ

山になずむ春や日かげの忍冬 芥川龍之介

我が植物園には、忍冬は見当たらない。ないとは断定できないが。
代りに、目立つのがツラヌキニンドウ(突貫忍冬)


垣仕立てだが、垣にはなっていない。

すいかずら科スイカズラ属の常緑蔓性低木である。学名は「Lonicera sempervirens」であるが、属性の「Lonicera(ロニセラ)」は、16世紀のドイツの数学者、かつ植物採集家である「Lonitzer博士」の名前をラテン語化した「Lonicerus」にちなんでいる。 種名の「empervirens」は「常緑の」を意味している。

引用は、「花のよもやま話」というタイトルのブログから

同じ時期が百合の木の花期でもあるようだ。

堂々としたいでたち。

私の出没地ではお目にかかることが多い。
近くでは阪急電車西宮北口駅の南広場。
阪神大震災以後の再開発地に10本以上植樹されている。

久し振りに画像を持って、事務棟へ。
チリあやめの名を教わった。

野草仕立てである。匍匐性である。

チリアヤメは、芝生の中などで散らばるように点々と可憐な花を咲かせ、小さいながらも鮮やかな濃いブルーの色がよく目立ちます。花は朝開いて夕方にはしぼむ一日花ですが、次々と咲き続けます。草姿が小さいわりに花は大きく、花径は3cmくらい、3枚の丸みのある花弁(外花被)が広がり、プロペラのように見えます。中心部には濃淡の模様が入り、3枚の小さな花弁(内花被)があります。夏の間は休眠していて、秋にひだのある針状の葉が四方に数枚出ます。球根は小さな紡錐形で下方に伸長肥大し、さらにけん引根で引っ張られて地中深くにもぐっていきます。
日本へは大正4~5年に入ったといわれ、関東地方以西の平野部では野生化している場所もあり、条件がよいとこぼれダネで自然にふえます。・・NHK「趣味の園芸」から。

事務棟の展示部分では、街角ガーデニングのコンテストの結果報告が掲示されていた。

一般住宅門前部門の最優秀賞。

↓ボランティアグループによる街角植栽部門


トビカズラ

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栴檀の花の季節がやってきたよう。

↑↓昨日の緑化植物園の栴檀 まだ咲きはじめ。雨中撮影

栴檀も桐も大木は一杯実をつけるが、実生苗について言えば、少なくとも関西地区では栴檀が圧倒的に優位で、あちらこちら、とりわけ川沿いで野草(野木)化している。
↓ 今日の中之島 栴檀の木橋のたもとの栴檀。

かなり強剪定されたが、後遺症を感じさせない立ち直りである。
花はまだこれからといった感じで、わずかしか開花していない。

栴檀の花散る島のバス乗場 高橋悦男

栴檀の花散る那覇に入学す 杉田久女(1890-1946)

栴檀の花散るや桶の心太 寺田寅彦

栴檀の花ちりかけて雲津川 立花北枝


栴檀の実を詠んだ句は多いが、花は少ない。
久女の句が何度も登場するが、久女の経歴を知らないので
句意が分からない。栴檀と那覇の組み合わせも。
栴檀は関西地区でもかなりありふれた木なので。

↓トビカズラ
10年前に相良の天然記念物の実生を移植したらしいが、
今年初めて開花したらしい。

↑3年前にこのかたちに誘引したとか。

ブッシュの下に入って撮影

飛葛の例句はなかった。

憶良ら

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句会参加

陸蓮根らを今や蒔かなん子と母に

一人だけが選。
1点句。
「蒔かなん」なんてなぜ文語表記にするのかなどと疑問符も。
「陸蓮根」と書いて「オクラ」と読ませることも、句会途中に質問が出て
私が答えている。
最後に本歌取りであることを説明するも
驚いたことにその本歌をだれもご存じなかった。

manapediaからの引用

憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむ それその母も我を待つらむそ 
 私の暗唱しているものは「その子の母も我を待つらむ」だった。

現代語訳

この憶良はもうおいとましましょう。家では子が泣いているでしょうし、その母も私をまっているでしょうから。 

解説・鑑賞のしかた

この句は、山上憶良(やまのうえ の おくら)が詠んだものです。宴会で盛り上がって、そろそろ帰ろうとなったときに詠まれたものです。 

このとき山上憶良は60~70歳でした。60~70歳の老人が、「家で子が泣いている」、「そしてその子の母親が私の帰りを待っている」というのは現実的には考えられません。この歌は、宴会から先に帰ってしまうとみんな気を悪くしてしまうだろうからということで、とっさに思い浮かんだジョークなんですね。その点にこの歌のおもしろさがあります。

上記の歌は万葉集中、私が暗唱できる数少ない歌の一つ。
「憶良らは」の「ら」の解説をしてくれた国語の教師の名前や声音を今も鮮明に覚えている。
但し表記に自信がなかったので、「憶良」で検索。
「憶良ら」のタイトルがあったのでクリック。これに行きついた。

ヤクルト・レディからオクラの種を貰い、それを蒔いたのは事実。5粒ほどが紙包装されおり、
包装のまま鉢に蒔く(置く?)けと書いてあったので、それに従った。
8号鉢に1株だけ育てるつもりだがまだ芽吹いていない。

その他の句は

水源を守護するつもり弱草藤
楠の花咲き満ち村の滅びゆく
鍬形草早や実となりて弱気なる (「早」が兼題)

雨の公園 10日

↑この公園のランドマークといえる2本のメタセコイヤ

↑ちいさな薔薇園が見える。
↓トビカズラの牽引が見える


↓薔薇園の片隅で

雨が降ってきたので、新たにはベンチに座れない。
この人はベンチに座り続けている。
パン屑か何かを小出しにして雀にやっている。
私にとっては「大発見」だった。

その昔、まだ東の国が存在したころだから、1990年より前の事である。
西ベルリンからビザを取って、地下鉄に乗って東ベルリンへ行った。
東ベルリンの公園で雀に餌をやったら、雀がわんさとやってきてまとわりついてきた。
パンをちぎる指先にまで食いついてくるのである。
日本では経験したことがないことであった。
日本の雀は警戒心が強く、人の傍には決して近づかなかった。
(東は貧しく、雀にやるパンなどだれも用意できなかったからか)

最近では、庄下川沿いの鳩はいやに馴れ馴れしい(ずうずうしい)と思うようになったが、
それでも手で触れようとするとすばやく逃げてゆく。

雀はさらに警戒心が強い。

しかし公園のこの人とはなじみなのか、
雀は指先からまだ離れないパンを取りに群がっているのである。

もう焼き鳥にされる心配はないと親から教わったのであろうか。
雀の習性も何世代かの間に変化するのを確認した。


今日見た薔薇

↑門の横の柵に絡まる薔薇。
広い庭をお持ちであったが、1階を自宅にして、2階以上をマンションとして貸し出して居られる。その分庭は狭くなったと思うが、それでも丁寧に管理なさっている。
一度声をかけて庭にいれてもらったことがある。

門扉の上へカメラを上げて中を撮影

夜中に鋏持って薔薇を刈りに来る人もいるとか。

雀と違って、夜は門扉を閉じる必要があるようだ。
人心も進化していると思うので、最近はそんな人(夜中に薔薇を盗みにくる人)もいなくなっていると思うが。

家から駅までの間で、薔薇を本格的に栽培なさっているのはこの家のみである。


キンポウジュ

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キンポウジュ(金宝樹)よりは、最近ではブラシノキと呼ぶのが一般的である。

ウィキさん曰く「オーストラリア原産で、観賞用に栽培される。5-6月頃に開花し、花弁は緑で小さくて目立たないが、赤(ときに白)の長い花糸が目立つ。穂状花序をなし、花序全体がブラシのように見える。花序の先から枝が伸びるという珍しい特徴を持つ。

果実は朔果で、見た目には枝全体を取り巻く昆虫の卵のように見える(前記の特徴から、2,3年前の果実が順に枝に付く)。果実には粉状の種子が入っており、オーストラリアでよく起こる森林火災が起こると割れて種子を放出する。」

ブラシノキでも金宝樹でも例句なし。

花槙という異名もあるが例句なし。

「槙」の例句なら少々

雪吊をこの細枝にも高野 山本健吉

高野ふかく雨月の真闇かな 西村公鳳

梅雨のおのれ支ふることに耐ふ 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

元旦のをめぐりて何の鳥 中村祐子

白き布たためばに冬の靄 鈴木鷹夫

仲秋の松に並びての影 織田敦子

郭公のこゑ柏の高みより 平賀扶人

栂の尾のしぐれの尾しぐれざる 池内たけし

に風のあつまる小正月 肇

の木に日の暈かかる夏花摘 藤田あけ烏 赤松

の空秋押移りゐたりけり 石田波郷(1913-69)

又寝するや明ての戸水鶏じゃ物 才丸 選集「板東太郎」

冬黝き電線をふりかぶり 石田波郷




オーストラリアに居た友人が、種を持ち帰り、大津に地所を買って、
家の周りをこの木で囲ったらおおいに珍しがられたらしい。
若木を貰って
我が家で育てたが、あんまり花を付けず、その割に大きくなりすぎて伐ってしまった。

それから数年して近所でもよく見かけるようになった。

オーストラリア原産の植物は、キダチダチュラもそうだが、温度さえあれば周年さいている。夏の花というより3シーズンの花である。

その点、季語になりにくい。

ずらり並ぶカップから好きなものを選べと言われ、

コーヒをいただく。
どうやら1客10万の代物のよう。

ビター

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夏ロンドン3パイント呑んでもまだ暮れぬ

厳密にいえば、ないし日本基準でいえばロンドンにも、ベルリンにも
夏はない。
今日の尼崎みたいに昼間は半そでシャツでちょうどいいが、夕刻になると
ちょっと半そででは涼しすぎるそんな感じが6月と7月のロンドンである。
恥ずかしながら私はイギリスでは5月はまだセーターを離せなかった。

イギリスの一般家庭には冷房装置がない。
かわりに8月でもスチーム暖房が入っている。

今は制度が変わっているかも知れないが、ロンドンのパブには
駐車場があった。ロンドンと言ってもハムステッド周辺のことであるが。
夕刻、7時くらいにでかけて鱈のフライやポテトサラダをあてに
2時間ほどかけてビターを呑む。

店を出ても車のライトを点けずに我が家(賃貸フラット)へ戻る。
週末だと集合住宅の駐車場はがらがら。駐車スペースは1950年代のアメ車でも悠々と収まるほどの広さ。前向きだろうがバックだろうが
好きなかたちで駐車できる。

私専用のスペースの背後にはハマナスの茂みがあって、沢山の花を咲かせていた。一度咲けば散ることを知らないみたいだった。歩いて行ける公園には6月いっぱいはシャクナゲが群れ咲いていた。

誰かに教えてもらったわけではない。

カウンターの近くに立っていて他の客の注文用語と、客が手にするグラスを観察。なるほど、注文の度に金を払うシステムのよう。濃い色のビールはビターと呼ぶよう。ハーフパイントが小瓶で、ア パイント、あるいはワンパイントという単位が中ジョッキーに相当するよう、

ドイツのビアホールで供されるような大ジョッキー(今や日本の大ジョッキーは、かつての中ジョッキーなみである)はないようなどと学ぶ。

以上は前書き。

コストコへ行った。
補聴器の電池を買った。
次の買い物は、ビター。ただしイギリス産はない。アメリカ産。

このコーナーでは

撮り易いように位置を変えて
7歳児宅へライン送信。
お気に召さないようで購入せず。

↑このコーナーでも買い物、明日着てゆく。



S邸

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某で検索 18句と記されていたが、
前書き中の某やダブリを削ると

新入社員は鮒の顔率て来 五十嵐研三

は案山子にて候雀どの 漱石

夏芝居監物出てすぐ死 小澤實

嬢に二本線引く去年今年 櫂未知子 蒙古斑

帰らばや、エキセントリック・ローズ・ 増田まさみ

夢に来て怨む春日の彼よ 高柳重信

2人の作家は、私と同じ結社「青玄」に所属していたので、
この種の句を作ることに違和感がない。
小澤さんは、某大手新聞の俳句欄の選者をなさっているので、
俳句は余技以上のものなのでだろう。
この手の俳句がお好きなようである。

驚いたのは漱石。こんな洒脱な句を作っていたとは。

「某邸」は、自分と某氏との関係を隠しておきたいからか?
相手のプライバシーを侵したくないからか
特にこんなところで名前を紹介して思わぬ迷惑をかけたくないが、
知っている人なら想像がつく範囲で名前を出したいので
S邸とした。

S邸

ご自分の地所(農地)の中に建てられたのかどうかは聞いていないが
家の前のマンションや駐車場は所有物のようである。

散歩の途上この家の前を通ることもあるが、Sさんはワイフの友人で
あり、私の友人というわけではない。

Sという名は、この地区では旧家に数えられる名であるが、
神社の玉垣に記されている同名者との関係は知らない。
ご主人はパナソニックに勤務されていたらしく、電化製品は「自社」製品ばかりである。

S邸の薔薇

白薔薇がお好きなようである。

赤いバラも植えられているが真紅のものはない。

同じ場所に新しく家を新築なさったが、以前の庭の主であるけやきのの木は強剪定され新しい庭に移植された。

Sさんは刺繍も趣味だとか?

↑↓テーブルクロス

製作中のもの。カーテンらしい





北浜

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↑なにわ橋
この橋の東側に薔薇園がある。
しかし西側(中之島公会堂側にも主に堂島川沿いに薔薇園は続いている。

5月11日は雨だった。

しかし花は見ごろ


薔薇と言えばこの句と言われるほどの名句があるのかどうか知らない。
多くのカメラマンは1箇所に長くとどまり、光と影を案分なさっているようだが
私は各コーナーで名札入りの画像と、一輪ないし数輪をアップしたものを次々に撮りだめ。

全コーナーはなかなか短時間では回り切れない、天神橋のそのまた向こうまで薔薇園は続く

薔薇園に海の気とどく秋日和 槫沼けい一

薔薇園の色失なえる白夜かな 寺澤慶信

薔薇園のまんなか誰も知らない樹 山崎愛子

薔薇園の全景海へ傾けり 山崎ひさを

迎春やわが薔薇園に海を容れ 原田青児

薔薇園の時雨の松を愛づるかな 大木あまり 火球

薔薇園の美しすぎる寒さかな 大木あまり 火球

薔薇園やアーチの下の小休止 和久津フミヱ

薔薇園に異国のモデルポーズとる 高見孝子

迎春やわが薔薇園に海を容れ 原田青児

航海図冬薔薇園に向き貼らる 石崎多寿子

薔薇園の渦より男抜けていく 森 玲子

薔薇園一夫多妻の場をおもふ 飯田蛇笏

五年後の我等さながら薔薇園 西村和子 夏帽子

薔薇園にすれ違ふとき人若し 原田青児

薔薇園を出でて市井の浅蜊買ふ 岸風三樓

薔薇園一夫多妻の場を思ふ 飯田蛇笏(1885-1962)

薔薇園の瘤白鳥に木蔭なし 大島民郎

薔薇園に来てシナリオの読合せ 大島民郎

カーブして薔薇園またぐ高速路 大島民郎

薔薇園に落ちたる生死定まらず 和田悟朗

薔薇園の小屋の中なる電話鳴り 深見けん二

薔薇園の薔薇よりも濃き夕茜 深見けん二

薔薇園一夫多妻の場をおもふ 飯田蛇笏

丘の薔薇園街からは単なる丘 加倉井秋を

薔薇園の小屋の中なる電話鳴り 深見けん二

薔薇園の薔薇よりも濃き夕茜 深見けん二

薔薇園一夫多妻の場を思ふ 飯田蛇笏

大島民郎という俳人は、名前しか知らないが、関西の人なら
上に出てくる句は北浜の薔薇園を詠ったものだろう。





エゴの花

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15日中国道 加西SAでエゴノキを見つけた。

ワイフは気付かなかった。

まあ、美作へ行って見つけたら教えてあげるといって発車

鳥取道へ入り西粟倉で降りて、あわくらんどに車を止め、
地の人にエゴノキを見たいが近くにないかと尋ねたら、
ずいぶん遠くの地名をあげてくれた。
お礼を言って、行動予定上そこには行けないので、

智頭線の次の駅、あわくら温泉駅方面に行ってみたが、ナナカマド並木が花盛りである以外
エゴにはお目にかからなかった。

16日は朝から雨模様だったが
宮本武蔵像(例のふるさと創生資金で建立されたもの)近くで
小さなエゴの木を見つけた。

20人ほどの団体行動だったのでワイフを見つけるのに手間取ったが、
ワイフは他の人の誘導で、ドウダンつつじと教えられて近づいてきた。

たしかに遠目ならドウダンツツジと見える、かなりこぶりな木であった。

この日はこのエゴの木しか見なかった。
エゴノキの花を見て
エゴの花百を灯して雨の里


17日はクラウン・ロイヤルサルーン・ハイブリッドに乗車の2人を背後にオオデマリを見ることにしてファーマーズ・マーケット・ノース・ヴィレッジへ。
そこならひょっとしたらエゴノキにお目にかかれるかと思っていた。
残念! 火曜日は定休日で、入り口にはシャッターが降りていた。

同行者(車)があるので、今回は墓参りを省略するつもりだったが、
作東バレンタインホテルで昼食を予定したので、
午前午後予定があるというMRs K宅へ土産物だけ置いていこうと思い路上停車。後続車に断って紙袋を置くために玄関をガラリ。

一応声をかけたが案の定留守。
袋をおいて車に戻ろうとすると、
留守なら留守でこっそり裏ガーデンのウラカフェを2人の友人に見せたいと思って
後から来たワイフが応答を聞きつける。

Mrs K登場。
いつもは到着直前に電話を入れるのだが、今回はそれもしなかったのでウラカフェのみ見せてもらうことにした。

午前の行事が終わって午後の行事へ出かけるわずかな時間の間に割り込んだよう。
今帰宅したところということであった。
午後の行事は家の前にある公民館であることも後から知った。

そのウラカフェの入り口の横でエゴノキを発見。

エゴノキは尼崎市内にもあった。その花数の多いのに驚いて、ブログにアップ。
どなたかに名前を教えてもらった。しかし次の年には、この木は伐採されていた。
他でも花が咲いていないエゴノキをこれがエゴノキだと教えてもらったことはある。
1本は福井県の朝倉遺跡であった。

今年は幸運にも花が咲いているエゴノキを3本みることができた。

きろろガーデンという名は今なお通用するのかどうか、庭を徘徊しているうちに、
イナカッフェも急きょ開店していただいたようで
ごちそうになる。
ワイフの俳句仲間お二人も大感激

さっき、玄関を開けて紙袋を置いた時に覗いたイナカッフェのメインテーブルには花などなかったのに

営業用かとおもう大きな透明ポット

イナカッフェが繁盛している証左のよう。

「裏」で検索 1007
改めて「裏 庭」で検索
一気に3句に減少

美術館冷え鴉かな すずきりつこ

夏めくや素足のの土 渋亭

せまき酒屋のの瓢哉 鈴木杏村



句碑披き

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道の駅あわくらんどの園芸コーナーで見つけた。15日。

いつも名札がついていれば、それも撮影しておくが、「パボニ」までしか読めない。
「パボニ」で検索すると
パボニアの画像が出てきた。名札には品種名も書かれていたが、春先から咲く品種なのであろう。

5日の夜は作東バレンタインに宿泊。昼間には結婚式があったようだが、
よく空いていた。大浴場はいつも独り占めが多い。

私はいかなるところで泊まろうが、いつも夕食後、朝食後ホテルの周辺を散歩する。
歌舞伎町に泊まった時にも、ハンブルクに泊まった時にもこの習慣は維持。
ハンブルクの飾り窓見学も貴重な体験である。

北海道で泊まった時は、ワイフが真駒内のホテルを予約してくれた。
当日は姪の結婚式があった日で、私の予定が変更になり、東京での式に出席できなかったが真駒内の広大な風景を楽しませてもらった。
ある時はホテルが北大のすぐ傍だったの、朝夕これまた広大な北大を歩きまわった。
早朝からジョギングを楽しむ人など構内には多くの人がいた。

年中夜は点灯される。上手く撮れた方。

朝食後も夕食後もまずはここへ行く。タワーの横である。
東屋があるが手入れされていない、。そこから谷の方へ道が2本伸びている。最低限の草刈りは行われているが
最近は『怖い」ので、入り込まない。

↓は西粟倉の岩倉寺でみたもの


澤の部分にはヒノキが植林されている。枝切りはされていない。
高くなりすぎて、見えていた眼下の集落が全く見えない。
ヒノキ林に行きつく斜面は日当たりがいい。羊歯がびっしり生えている。
つくしも沢山出ただろうが、ここで山菜を取っている人の姿は見たことがない。
のあざみが可憐。


たいていは無人のロビー。津山朝日新聞を読むことが出来る。

ペイネの版画がかかっている。今は5まいだけである。
爆買客の逗留先にはなっていないので、まずは無くならないであろう。


ホテルを朝9時前に出発。
列車利用の参会者が9時25分にスーパー白兎で到着予定。
集合知は駅に近くのやたら広い駐車場を持つスーパー

1時間武蔵生家周辺を吟行、句碑建立者の家がある西粟倉長尾の引谷で式典神事の予定。

この地区には先月も来たが、今回はガイド付き。時間を計って予行演習をやったとか。

生家の上に、たけぞうの姉が嫁いだ家が残っている。
ここへも先月足を運んだ。保護樹木しか見なかった。
戸口の前に





ギンパイソウが咲いている。


保護樹木。延焼を防ぐ効果を期待していた。

句碑の除幕式開始頃から雨、風が強くなる。

記念句会出句作品(ホトトギス系句会ゆえ出句時は歴史的仮名遣い
直したが直しきれなかったものもあった

吹っ飛びそうな斎主の合羽谷若葉

遂には紅白幕まで倒す勢いの寒い風

植田風とは言えぬ寒さの句碑披き

句碑の句は
万緑を楯とし暮れる神の谷

花束は事前にワイフがバレンタインの馴染みのフロント係に依頼していたもの。
代金は宿泊代に含まれていたので、帰宅後回収。

食事は、西粟倉の道の駅のマスターと交渉してメニューを決めたとか。

引き出物のティッシュ入れは西粟倉の女性木工師の手作りで、
設計は主がじきじきに描いたそうである。


散会のころは土砂降り。
ポピーに泊まる2人の乗った車を背後に従えて、湯郷温泉へ。


夜は4階のバンケットルームで部屋を独占の宴会。




ナナカマド

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西粟倉村の句碑披きはあいにくの雨模様であった。
神事の最中も、あらかじめ祭服の上に合羽をまとっていた神職さん
雇われ神職だったらしく定年退職後、遠縁ということで引っ張り出されたようだが、
久し振りの「制服」着用ということでかなり張り切っておられた。
その合羽を吹き飛ばしそうな風が吹いていた。

飛びそうな斎主の合羽谷若葉


靑嵐はらひすつくと句碑生るる  Kさん
この句は当日主客選者の特選句で、「最優秀賞」で楯獲得

靑嵐長き祝詞を千切りさう  Tさん

ワイフも準主客選者の特選になり、楯を貰っていた。
私は俳句で賞を得たことは一度もない。ワイフは楯や賞状や色紙をわんさとため込んでいる。「お~いお茶」の空ボトルを保管しているかどうかは知らない。


紅卯つぎやまのかなたにある未来  ワイフ

私はワイフの運転手役ということで、急きょ招待客名簿の中に入れた貰った。

その前の日、西粟倉村でななかまどの花を見た。


実は何の木か分からなかった。

葉には見覚えがあった。

並木になっていた。

車を降りて、人が通りかかるのを待った。
軽トラが目の前の駐車場に入って男性が降りて来たので、声をかけた。
ななかまどであった。

ナナカマドの木は初めて見るものではない。
かつて週一で通っていたテニスコート(箕面市の浄水場)にこの木が植わっていた。
それより前、真っ赤な実をつけたナナカモド並木を通って青森空港へ向かった記憶もある。

空港のまわりには、実のなる樹は植えないということを聞いたことがあるので、ナナカモドの実を見て、
鳥はナナカモドの実には手を(口を)出さないのだろうかと思った。


ななかまどの木を教えてくれた人物は、会った場所がご自宅であった。
岩倉寺の檀家総代を勤められたこともあるそうで、たちまち自分一人で手間暇かけて
造成された広い庭を見学することになった。

↑各種のドウダンツツジを植えられていた。

しゃくなげも。

石も自分で集め、運び、配置したそうである。

ななかまどの木を知らなかった割には、他の草樹に詳しいとほめてもらった。
クチナシはなぜクチナシというかご存じかと聞かれ、
種が割れて外へ出ない(出るクチがナイ)からだと教わった。返礼に、
「満作」はなぜマンサクというかご存知かと問い返して
そのわけをお教えした。




遠景 内景

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ポピースプリングス遠景


↓吉野川の岸辺から。
吉野川は周匝(すさい)で、梶並川と合流、吉井川と名を変えて瀬戸内海へ流れ込む。
周匝地区が備前と美作の境界となる。

↓湯郷観光ホテルの2階ロビーから。


ホテルの例句をUPしたら、
やたらホテルの固有名詞が多く登場する。
もう一つは、伊丹公子さんの海外詠が多く登場する。

花火席設へてをり山ホテル 坊城 中子

志摩ホテル白き毛布の目ざめかな 車谷弘

階少し軋むも月の奈良ホテル 水田むつみ

消せる灯は消して白夜の山ホテル 竹中碧水史

大家族ホテルに集ひ年迎ふ 行田多栄子

初読はホテルの聖書かもめどり 鈴木鷹夫 春の門

凍る日の雑巾にあるホテルの名 鈴木鷹夫 春の門

ホテルに傘忘れ日が過ぐ巴里祭 鈴木鷹夫 渚通り

蛇穴に入り探偵はホテル街へ 九堂夜想

馬車の上に垂るゝホテルの桜哉 桜 正岡子規

かなぶんの叩くホテルの非常口 露口美穂子

海のポスター山のポスター避暑ホテル 堀 磯路

もみづれる高雄ホテルの絨緞も 高澤良一 宿好

元旦の目覚めホテルに聖書あり 品川鈴子

時差刻むホテルの地図や去年今年 小路智壽子

定山渓雪の階下り湯のホテル 渡辺しおり

樹氷林ホテルのけぶり纒きて澄む 橋本多佳子

数へ日のホテルに何のゼミナール 村手圭子

こんなにもホテルに近く甘蔗刈る 恩智景子

炉火赤し山のホテルに入りたれば 高浜虚子

阿寒湖のホテルの軒の燕の巣 荒巻大愚

天井低き明治のホテル室の花 鈴木康世

香水や富士屋ホテルの昼下り 星野椿「マーガレット」

湖に落すホテルの灯あり夜の秋 山口白甫(雨月)

消せる灯は消して白夜の山ホテル 竹中碧水史「自転」

わが泊つる森のホテルの白夜なる 山口青邨「雪国」

さがしている眉間のあたりの古いホテル 阿部完市 絵本の空

商人と雲をあつめる海のホテル 阿部完市 絵本の空

星屑 岩屑 まばたく 氷河ホテルの夜 伊丹公子 アーギライト

山麓ホテルの 黄金時間 角笛は 伊丹公子 アーギライト

狸すぐ隠れ 前世紀ホテルの鍵 伊丹公子 アーギライト

古風ホテルの 油彩の王女 すこし伏目 伊丹公子 アーギライト

ゆうぐれホテルに 花の溜息 トランク着く 伊丹公子 アーギライト

除夜の宴すすむ ホテルの濃い電流 伊丹公子 機内楽

僧院ホテルの 点るワインは 祈祷の灯 伊丹公子 パースの秋

峇峇(ばば)言葉 失せゆく宙に ホテルの燦 伊丹公子 パースの秋

ガムランは 呪術のその端 古都ホテル 伊丹公子 ガルーダ

混沌の夜涼 ホテルに多国語満ち 伊丹公子 ドリアンの棘

こは サマセット・モームの木椅子 椰子ホテル 伊丹公子 ドリアンの棘

虫聞きに出て振返るホテルの灯 山田弘子 こぶし坂

消せる灯は消して白夜の山ホテル 竹中碧水史

船で着く湖畔のホテル雨の*しめ 瀬戸豊子

2部屋続きのスイートルームであったのであろうが
利用客があまりないので
会議用、小パーティ用に衣替えして
それでも空き時間が多いので、
共用ルームに模様替え
それでも利用がないので、
コーヒやウィスキーをフリーにしていると推測。
夜の屋外娯楽施設が少ないので(熱海なら夜の散策先に困らないが)
特に雨の日などは多いに利用価値あり。
ただしイチゲンだと、エレべータの内壁の案内ポスターだけでは気付きにくい。
温泉そのものにはさほど魅力を感じないワイフは大いにお気に入り。

この句碑建立行事にさいして、温泉好きで、気の合うTさん、Kさんを誘ったようである

吉野川

キンケイギク

ゆ~らき橋の噴水は故障のまま。

尼崎でまた事件が発生したようである。
町並みの映像をみるかぎり、踏み込んだ経験はないよう。
上坂部地区は縦横に歩いているが、下坂部地区はあまり詳しくない。
それ以前に起きた凄惨な事件現場は、まだ見ていない。大阪府との境界地区だが、最寄駅からのルートさえ分からない。

河原

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十三駅沿いの淀川右岸を1時間ほど歩いた。
未央柳が咲き始めた。初夏より真夏へ一歩前進。



対岸のビルの名がかなり判別できるようになった。

囲はれて桜草咲く河川敷 伊阪美袮子

秋暑し廃車ころがる河川敷 杉山青風

野球グランドが見える範囲で10を超える。


デージと思っていた花

ご近所の方の「庭」?  ブラキカム





タカラヅカ

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宝塚の名が付く植物の品種はこれ一つではないようだが、

デュランタ・タカラヅカ

今年初めてみかけた。

シモツケ
これは10階建て48戸のマンションの植え込みの中で。

年中が花が途絶えないように植栽されている気配。
3月はアセビと山つつじ、4月はトキワマンサク、5月は皐月や平戸つつじ、そして今は
下野と紫花のアベリアが咲いている
まもなくアジサイが咲きだす。




オオデマリ

 美作平野部?では既に花は終わっていたが西粟倉ではまだ咲いていた。



タチアオイ

淀川の河川敷では

ところが久しぶりなので、↑名前を忘れた。
昨年の同じ時期のわがブログを見ればいいのだが・・・。
いやに人なつこい鳥。鳥を紹介しているHPを覗いたが名前を特定化できなかった。

椋鳥くらいの大きさだが、くちばしの色がちがう。群れていない。単独行動派。
いやに痩せている。

どなたか名前教えて

句碑建立記念句会の句会報が届いた。

それによって私の出句5句が「判明」(2句がどうしても思い出せなかった)。

植田風とは言へぬ寒さや句碑開き
エゴの花百を灯して雨の里
飛びさうな斎主の合羽谷若葉
栗の花武蔵の里の今日の雨
過疎村に句碑一つ増え花空木



栗の花 の句は、武蔵の姉の家の傍に、吉川英治の句碑が立っていて

さみだれや武蔵の里の栗の花


とあったので、その句の添削句のつもり。

一人選者があったが添削句であることを承知なさっていたかどうか。
個々の句についての感想・批評がまったくなされない句会は
面白くない。
高点を集めて賞品貰った人以外は。

楯は3つ用意されていて、一つは句会後の1日を共にしたクラウンの所有者kさん
一つはわがワイフが、もう一つは当日の招待選者が最高点句賞として貰っていた。


ぎしぎし

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ギシギシとスイバの区別が未だに不可能。
良く知っている人に、現物を目の前に教えてもらいたいと思っている。
↓はギシギシだと思うのだが・・・。


葉がスイバより細い(と思う)。

もっとも、スイバの異名をぎしぎしとすることもあるようだ。
料理に使われるよう。
ウィキさん:

日本では野生のものの新芽を山菜として先にイタドリ同様に食べるが、ヨーロッパでは古くから葉菜として利用され、野菜としての栽培品種もあった。利用法は主にスープの実、サラダ、肉料理の副菜や付け合わせで、スイバを単体で調理するだけでなく、ホウレンソウやその他の葉菜類と混ぜて用いることもある。例えばフランス料理ではポタージュオムレツベニエピュレ、料理に添えるソースアイルランド料理ではスイバのパイギリシア料理では煮込み料理やピタ(ブレク風のパイ)、ブルガリア料理ではチョルバルーマニア料理ではサルマーレウクライナ料理ではスイバのボルシチロシア料理では緑のシチーの素材として好んで用いられる。

阪急電車は、梅田・十三間は3複線である。

↓は京都線

梅田から十三へ北上してきた阪急電車は、十三駅で、3方へ分かれてゆく。
京都、宝塚、神戸がそれぞれの終着駅である。
よって阪急の広報誌は「TOKK」と名付けられている。

↓神戸線の南側(下流)、十三大橋

13歳児の理科の課題のお手伝い
茄子の観察。野菜なら何でもよかったらしいが、私がなすびを推奨。
30年ぶりにナスを栽培。2株。

5月18日

5月21日

5月23日

正岡子規の茄子作品
南瓜の賦茄子の篇や村夫子 南瓜 正岡子規

南瓜や絲瓜の從弟茄子の叔父 南瓜 正岡子規

南瓜や茄子の從兄弟瓜の叔父 南瓜 正岡子規

うら廣し秋の茄子も植ゑてあらん 秋茄子 正岡子規

さびたりな茄子の紫鮎の腹 錆鮎 正岡子規

籠の虫茄子の露を吸ひにけり 虫 正岡子規

うまさうに見れば彼岸の燒茄子 後の彼岸 正岡子規

四足の瓜も茄子も草の市 草市 正岡子規

我背戸に二百十日の茄子哉 二百十日 正岡子規

秋立つや瓜も茄子も老の數 立秋 正岡子規

南瓜より茄子むつかしき写生哉 茄子 正岡子規

茄子臭き南瓜くさき契哉 茄子 正岡子規

しなびたる茄子まづしき八百屋哉 茄子 正岡子規

糠味噌に瓜と茄子の契かな 茄子 正岡子規

茄子の籃の上荷に蕗の長き哉 茄子 正岡子規

茄子の籃に蕗の葉長き上荷哉 茄子 正岡子規

蕗長く茄子の籠の上荷かな 茄子 正岡子規

僧吝し本堂脇の茄子畠 茄子 正岡子規

尼寺や尼がつくりし茄子畠 茄子 正岡子規

茄子汁に村の者よる忌日哉 茄子 正岡子規

糠漬の茄子紫に明け易き 茄子 正岡子規

出迎へや旗ひるがへる茄子畑 茄子 正岡子規

糠味噌の茄子紫に明け易き 茄子 正岡子規

糸つけて茄子ひきづるかと思へば 茄子 正岡子規

恙なく帰るや茄子も一年目 茄子 正岡子規

浪人の畠にやせる茄子かな 茄子 正岡子規

どれもこれもうれし小茄子茄子 茄子 正岡子規

どれ見てもうれし小茄子茄子 茄子 正岡子規

富士山は毎日見えつ初茄子 茄子 正岡子規

一籠でいくらがものそ初茄子 茄子 正岡子規

婆様の大事の茄子もふとりけり 茄子 正岡子規

婆様のうらの茄子もふとりけり 茄子 正岡子規

茄子南瓜小道小道の別れ哉 茄子 正岡子規

これ程の物も都そ初茄子 茄子 正岡子規

からぐろの黒からず茄子の濃紫 茄子 正岡子規

胡瓜より茄子むつかしき写生かな 胡瓜 正岡子規

此村は帝国党や瓜茄子 瓜 正岡子規

瓜の籠茄子の籠や市の雨 瓜 正岡子規

兄弟が瓜と茄子の訴訟哉 瓜 正岡子規

茄子命があらば三年目 瓜 正岡子規

茄子どこを関屋の名残とも 瓜 正岡子規

茄子にも麦にもつかず郭公 時鳥 正岡子規

茄子にも瓜にもつかず時鳥 時鳥 正岡子規

真黒に茄子ひかるや夏の月 夏の月 正岡子規

紫のさむる茄子のあつさ哉 暑 正岡子規

瓜の苗茄子の苗のくるゝ春 春の暮 正岡子規


秀句

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所属誌の連続シリーズ「前号掲載句鑑賞」欄を担当。
2句の部分のみを紹介。

文中の画像は、このブログで挿入したもの。
作東バレンタインパーク内にある、「王道の庭」

人はみな火宅にありて曼珠沙華   


 この号に掲載の句はおおむね前年の十月十一月に作句されたものである、それゆえ曼珠沙華とコスモスはいろいろの表記で何度も登場する。

掲出句は曼珠沙華と「火宅」という言葉の配置が絶妙。火宅とは法華経の譬喩品第三に登場する言葉である。よって日本人には古くから知られている言葉である。「火宅の人」とて、檀一雄の造語とは言えない。一茶は「時鳥火宅の人を笑らん」と詠んでいる。

「火宅」とは字義通りには、「燃えている家」であるが、家が火事になっているのに、それを知らずにどんちゃん騒ぎをやっている状態を意味する。

津波と原発事故、相次ぐ大地震で日本人のほとんどすべてが被害者体験をしている。まさに「人は皆火宅に」生活している。曼珠沙華の乱舞は、次に襲う火事の、目に見える不吉な警告であるかもしれない、しかもその火宅を離れるわけにはいかない。柵が人々を、私を、この世、この家に縛り付けている。

平明に詠み、かつ正解のない問題を提起する俳句テクニックからは学ぶべきことが多々ある。


  世之介の船は遭難曼珠沙華    


 曼珠沙華の句をもう一句。

世之介とは、満六歳の時に年上の腰元に恋の手ほどきをして、その後の五十四年(源氏物語五十四帖に合わせている)の間に四、四六七人と性交渉を持った好色の人物の名前である。乗った船の名も「好色丸(よしいろまる)」。

この船は目的地(女護島)に着かなかった。モスリムの天国に向きを変えたのか、アマゾン国へ拉致されたか。作者は遭難と推測する。船出したのは神無月の末、辺り一面曼珠沙華が咲き誇っていたはず。それは遭難を暗示するものであったかも。曼珠沙華は多分、世界一、異名を多く持つ植物である。千以上の異名を一覧にした表をみたことがある。多くは避けるべきことを指し示している。死人花などはその代表である。

作者が秋の夜長に浮世草子を耽読したとも思わないが、誰もが知っている架空の人物(モデルは西鶴自身であったという噂もある)の名を上五に持ってきて「船は遭難」と強引な展開を述べれば、これはもう完全に川柳の世界である。ところが曼珠沙華を最後に配置することにより、世之介のような人物まで俳句に仕立てることが出来ることを作者は余裕しゃくしゃくと示した。

この作者の空想俳句は空々しさがまったくない。その創作力にはただただ脱帽。

本日句会出席
5句出句  席題「走る」

誤って4句のみ出句

吾子預け熟睡子のごと竹の秋
女子大生走れば紫華鬘草
三人姉妹の一人は自害銀盃草
分裂は人の世の常軍配草

本日の最高点句
私も特選でとった。

心経に無の字のいくつ青葉風

今月は句会出席2回のみ。
1つの句会が閉鎖
1つの句会には出席しないことにしたので。

タカサブロウ

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高三郎やってりゃよかった公文式

「やってりゃよかった公文式」は、CM動画では田中寅彦のセリフである。
損な役割を引き受けたのは、「やっててよかった公文式」と言う羽生善治に好意を持っていたためであろう。

出演料にこころ動いたわけではないと思う。

羽生ファンである私は、そんな役割を引き受けてくれた田中寅彦も好きである。

「序盤のエジソン」を誇っていた寅さんが、他の何人かの9段と同様、
目立たぬ存在になっているのは寂しい。


秋、美作の田園地帯を巡っていると、取り入れ前の田に大きな差があるのが、時速50㌔程度で走っていてもよくわかる。人出の足らない田は、イヌビエがのさばっている。
垂れた稲より背の高いイヌビエが目立つ田は、多分耕作者が超高齢か遠隔地居住者なのであろうと思う。

あるいは都会へ出て行った弟たちを羨む業農家であるかも。

アメリカ高三郎もイヌビエと同じような指標になる。

川べりのタカサブロウはまだ花期ではないが、ミゾソバと覇を争っている。あるいは共生している。

↑↓花の色で見分けがつくが、葉の形がちがう。↑タカサブロウ
↓ピンクの色がよく写っていないがミゾソバ。

↑ここではタカサウロウとトキワツユクサが同居。
トキワツユクサは最近知ったばかりの名。
↓遠目だが、葉からしてタカサブロウが覇権をにぎっている。

出水後のようで、スイバとギシギシの違いを記したHPを5ページ分プリントアウトして庄下川へでかけたが、多くはなぎ倒され、ごみをかぶり
近づく気がしなかった。

スイバと思っているが目下全然自信なし。

↑スイバの下には、ミゾソバが見える。

↑みたいなのもいて草むらからは数歩距離を置いて歩く。
全然動かない。咀嚼中、消化中であるためか?

根生葉と上部の葉は違う形をしているようだが、これなどスイバと思いたいのだが。

庄下川の他の植物  

マロウは野草なのか?

水に浸かったようだが、立ち直っている。

すすき原があって芦原も

「葦」で検索。堀葦男など作者名の葦と「葦牙」などの句集名中の葦を排除
最初の百句はかなり目減り

切りがの向うで鳴いて居り 児嶌すぐろ野

夕焼けて考へるそよぐ 和田祥子

刈のほのぼのと隠れかな 八木林之助

月の輪が豊原のを吹く 加藤郁乎

月光やの繁りの中も 沼尻巳津子

月の輪が豊原のを吹く 加藤郁乎

風鈴に青に青あをき穂を孕む 竹下しづの女句文集 昭和十一年

牙に立つ日入る日や故レ原ノ中国 高柳重信

瘡の子を抱き陸前のであり 高野ムツオ 鳥柱

に舫ひありしは海の船 行方克己 知音

よんどころなく枯となりゐたり 行方克己 無言劇

鳥の目をして枯を透かし見る 茨木晶子

ひしひしと冬浪寄せて枯なり 村上しゆら

月夜のが折れとる 尾崎放哉

焼く火日の没る湖を烟らせる 津田清子

刈りしあとの西方明りかな 木内彰志

や湖に沈める古き径 中 拓夫

原日の光濾し風を漉し 津田清子

や落暉の方へ潮迅し 兒玉南草

のひま鳰の浮巣を匿しけり 石川桂郎

汐さして青沈みゆく晩夏 大井雅人

比良かけて僅かの虹やの角 飴山 實

の水真澄みに杉菜涵りけり 飯田蛇笏

風にゆれ水にゆれつゝ枯るゝ 久留島 広子

舟みちのの絮とぶ日和かな 古賀 秀女

対岸の大原や行々子 田宮 良子

城沼の角ぐむの中の道 大澤 三世木

原のどこかに叛旗初しぐれ 岩間民子

ハンドルのあそびを遊ぶ 青原 沙羅冬笛

意志あれば風あり青は旅す 隈 治人

原吹かれ通しにどんな夢 篠田悦子

簾水戸街道をへだてけり 岩井久美恵

牙の水は緊張解きはじむ 松田秀一

芽の径おのづから人佇てる 原 裕

毬ひとつ流れてきたるの角 藺草慶子

タンカーに豊原の菜種梅雨 岡 あきら

塔遠し没日にひかる末黒 高橋克郎

ちりぢりに漣照るや末黒 能村登四郎

牙(あしかび)の径おのづから人佇てる 原裕 『青垣』



カラス麦が嫌にきれいだった。

紅花夕化粧↑↓ 花はこれからだと思う。




タチアオイ

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庄下川沿いにあるポンプ場の施設。
集まってきた下水の量が多くて処理しきれない場合は、
この施設を使って塵芥を取り除いた下水を川へ流すのだと思う。
その川までが満水状態になったらどうするのか?
中継ポンプ場だから本来の役割は、深くなりすぎた下水管の水を
ここで汲み上げてより浅い下水管へ中継することだと思う。
高低差がない市域の宿命のような施設である。


フクシマ以前の想定基準で設置されたものであるが、
計算のやり直しはなされたかどうか?
主任クラスの技術者の計算結果は公表されたかどうか?

庄下川沿いの散歩はいつもはこのあたりまで。
この排水施設の南側を幹線道路が通っているが、
その向こう側は行くには道をよぎらなければならない。
しかし左岸を通っても右岸を通っても4車線道路を渡る横断歩道がない。


以下引用文はウィキさん。

タチアオイ(立葵、学名:Althaea rosea、シノニム:Alcea rosea)は、アオイ科多年草。属名Althaeaはギリシア語由来の古典ラテン語に由来し、語源たるギリシア語「althaia」は「althaino」(治療)と関連している。古来、タチアオイは薬草として用いられた。

中継ポンプ場の周りには緑地帯が設けられている。
その川沿いの部分にタチアオイが群植されている。
と言っても、大株が20株程。
今が見ごろ。花期は6-8月だからまだまだ咲いているが

真夏のタチアオイは暑苦しい感じがするが、今なら爽やか。

以前、中国原産と考えられていたが、現在はビロードアオイ属(Althaea)のトルコ原産種と東ヨーロッパ原産種との雑種(Althaea setosa×Althaea pallida)とする説が有力である。

日本には、古くから薬用として渡来したといわれている。

花がきれいなので、園芸用に様々な品種改良がなされた。草丈は1~3mで茎は直立する。花期は6~8月で、花は垂直に伸びた花茎の下から上に咲き上っていく。ちょうど梅雨入りの頃に咲き始め、梅雨明けと共に花期が終わる(花茎の頭頂部まで開花が進む)ことになぞらえて、「ツユアオイ(梅雨葵)」という別名も冠されている。花は一重や八重のもあり、色は赤、ピンク、白、紫、黄色など多彩である。花の直径は品種によるが大きなものでは10cmくらいである。本来は宿根性の多年草であるが、品種によっては一年草でもある。 アオイの名から静岡市と会津若松市が市花に制定している。

花弁の根元が粘着質であり、引き抜いた花弁を顔などに付けてニワトリを真似て遊ぶことができるため、北海道の一部ではコケコッコ花コケコッコー花などと呼ばれる。

花弁や根を、薬用として利用する。


↓ポンプ場の排水施設のすぐ手前である。

赤とピンクと白

ホリホックホリーホック)ともいうが、英名 hollyhock は必ずしも本種を指すとは限らず、旧属名・タチアオイ属(Alcea)の各種をはじめ、ときには他属の種をも指す言葉である[1]。 俗説として holly- は holy に通じ、この花が十字軍によってシリア(キリスト教聖地)からヨーロッパにもたらされたことに因み、「聖地の花」の意味が込められている、などとも言われる[]

日本語では「花あおい」(花葵)とも呼ぶ。ただし学術的には、同科別属であるハナアオイ属、または同属下の Lavatera trimestris を指して「ハナアオイ」と呼んでいるので、注意が必要である。

どこへ馳けても立葵立葵 上田日差子

立葵そろそろ影を辭すころか 中原道夫

門に待つ母立葵より小さし 岸風三楼

鞍馬より貴船に降りて立葵 庄中健吉

立葵天香久山隠しけり 八木林之助

七尾線どこの駅にも立葵 佐藤和夫

立葵ゆらぎ峠をはしる水 水原秋櫻子

テニスの娘水飲みに来る立葵 榊原 弘子

湯をつかふ音が裏手に立葵 鷲谷七菜子

呼ぶ子帰る子十二時の立葵 廣瀬直人

辞書を引く少年のゆび立葵 前田秀子

兄弟の競ひて伸びる立葵 藤田郁子

なかほどに花先んじぬ立葵 落合水尾

立葵戸毎に咲かせ海女部落 青木起美子

立葵七彩に咲く婚の朝 藤本朋子

石を置く屋根も荒磯や立葵 古舘曹人

立葵人影のなき村の昼 西島美代子

立葵いざや山雨を私しす 諸角和彦

立葵いよよ素知らぬ暮天かな 金井徳夫

悪相の猫が居座る立葵 秋武つよし

爛るると燃ゆと近江の立葵 松村幸一

童らに空の花なる立葵 石塚友二

三方に蝶のわかれし立葵 中村汀女

立葵咲き終りたる高さかな 高野素十

死の迎へ地よりあるべし立葵 宮入聖

立葵洪水は我が死後に来よ 齋藤愼爾

立葵水につめたく日のさして 岸本尚毅 選集「氷」

水汲んでつめたき手なり立葵 岸本尚毅 鶏頭

雨降りてあたりしづかや立葵 岸本尚毅 鶏頭

貧乏に匂ひありけり立葵 小澤實

立葵バケツリレーの音もなく 二村典子

三人称の風が吹きゆく立葵 佐藤美恵子

立葵雨粒しろき晝の窓 田中裕明 先生から手紙

ひつそりと犬捕りが行く立葵 有馬朗人

いきいきと胎児脈うつ立葵 和田悟朗

門に待つ母立葵より小さし 岸風三楼

三方に蝶のわかれし立葵 中村汀女

立葵影を媼として立てる 宇多喜代子

咲き上げて紅勝ちぬ立葵 前田普羅

立葵洪水はわが死後に来よ 斎藤慎爾

にごりそむ港の空や立葵 小原菁々子

部落に入る蹄鉄工場立葵 遠藤梧逸

郵便局前庭を持ち立葵 遠藤梧逸

昼蚊帳に雨ふる背戸の立葵 石原舟月

ふるひ居る小さき蜘蛛や立葵 高濱虚子

影をかしすい~月の立葵 尾崎紅葉

湯をつかふ音が裏手に立葵 鷲谷七菜子

貨幣ころがる夕べ立葵よりしずか 永末恵子

うしろ姿を白と決めたる立葵 柿本多映

かの腕地に還りては立葵 和田悟朗

天心の魚が唾垂れ立葵 坪内稔典

立葵病廊落暉火のやうに 大峯あきら

立葵影を媼として立てる 宇多喜代子

ふるひ居る小さき蜘蛛や立葵

立葵よぎる尾長の黒帽子 堀口星眠 営巣期

立葵のぞき棚経僧来たる 石原八束 雁の目隠し

湯をつかふ音が裏手に立葵 鷲谷七菜子 游影

三方に蝶の分かれし立葵 中村汀女

その近くで

トウカエデの花


あかまんま=イヌタデ
河原では、ミゾソバやタカサブロウと並んで個体数が多いが、
花はまだ咲いていない。

ミゾソバやタカサブロウの花が姿を消すころにはびっしりと咲くが、余り可憐な感じはない。

栴檀の木もよくみかける。
水際の石垣の間からのびている。


↓桜が咲いている頃には、ムラサキケマンソウが群落を形成していた。

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今日の世界的イベント

大統領何かほしがり口ひらき 鈴木六林男

ひらひらと大統領がふりきたる 渡辺白泉

被爆国に大統領よ座りなさい 谷山花猿

ヘリコプター愛用避暑の大統領 保田白帆子

いわし雲大統領の掌のぬくみ 佐川広治

現職大統領の初訪問

我が家の初

もう一日、二日待ちたかったが、周囲がヤイノヤイノで

大統領が帰った後

ワタシゴトでは、

テレビ見ていて松本人志という字幕と共に現れたのは、
浜ちゃん。
そう今日まで私は、浜ちゃんを松本人志と思っていた。
いつも主役やってるのは人志だと思っていた。
ボケ役的存在が人志だということを初めて知った。

尼崎市民としてははなはだ失礼。ご免。

私、スイバとぎしぎしの区別が分からない。
同じく、ハルジオンとヒメジョオンの差もあいまい。

ヒメジョオンとばかり思っていたが

ハルジオンなのかも

近隣公園にびっしり咲いていた。
まもなくシルバーセンターから草刈人が派遣されるであろう。

今年初めて見た石榴の花。富松神社の境内で。

いつもは二階のベランダから見えるところに咲いていたが、
それは伐採に近く切り詰められてしまった。


建築計画

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すでに時期が過ぎたと思っていたが、きれいに仕立てておられる家があった。

近くの神社の南に残っているたんぼ。
2反以上3反近くあると見積もった↑↓

ここにもマンションが建つよう。

「計画」なんて用語は俳句に使いにくいと思ったら、
なんと伝統俳句の大御所が利用なさっていた。

立子は虚子の娘、汀子は孫。

計画の出来て間もなく春休 稲畑汀子

新しき展示計画夏に入る 稲畑汀子

計画の再び変はり子供の日 稲畑汀子

涼風によき計画の又生れ 星野立子

「建築」の方は、二人とも「青玄」(私の俳句入門先)に籍を置いたことのある現代俳句作家のもの。

金属の建築まっかな雲曳いて 松本恭子

建築の釘と睦みて鶏啼けり 攝津幸彦

真宗大谷派の寺に接する部分は寺が買ったようである。大きな駐車場になっている。

富松神社の参道

この程度であれ、参道が残っている神社は、尼崎市では少ない。

境内の広さも他の65社に引けを取らない。

札場の辻という地名は残っていないと思う。





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