January 30, 2016, 6:41 am
↑猪名の笹原の上の風景は、以前に紹介したことがある。この表示板の背後は東洋リノリューム(東リ)の工場で、その中に笹原が保存されている。
案内板には、
有馬山 ゐなの笹原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする
小倉百人一首 大貳三位
しなが鳥 猪名野を来れば有馬山
夕霧たちぬ 宿りはなくて
万葉集 巻七
の2首が記されている。
その場所からはやや離れてているが↓は伊丹市の笹原公園
かなり広い近隣公園である。尼崎市塚口町6丁目と接している。
柳生街道笹原ふかくおとし角 中村翠湖
笹原に笹子の声のみちさだか 皆吉爽雨
秋立つやいなの笹原うつり来る 青蘿
熊笹原音絶えてより雪はげし 岡田日郎
銀塊の夕月熊笹原照らす 岡田日郎
花ぐもり笹原くだる山女釣 滝井孝作 浮寝鳥
しぐるゝや笹原もどる兎狩 寺田寅彦
妹許や露の笹原踏み分けて 寺田寅彦
笹原や何にすがりて藤の花 会津八一
笹原や笹の匂も日の盛(八年) 芥川龍之介 我鬼句抄
笹原に光陰流れ青あらし 伊藤敬子
笹原に硫黄匂へり夏鴬 横山白虹
東風に暮れて笹原を村に下りけり 臼田亞浪 定本亜浪句集
秋たつやいなの笹原うつり来る 松岡青蘿
この公園の部分を含み、東側の豪華かつ広大なマンション群全体がかつては「三井グランド」と呼ばれていた。バブル崩壊後の1990年代に姿を変えた。
この公園の目玉は、私にとっては河津桜
染井吉野より早咲き。
今は
付近で目立つもの。
柑橘類
蝋梅
黐
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January 31, 2016, 5:34 am
大阪中之島の栴檀の木橋の名前の元になったと思われる栴檀の木は剪定されて実は貧弱になってしまった。
阪急電車の隣の駅、武庫之荘駅の南に立派な地区公園大井戸公園がある。
そこで沢山の実をつけた栴檀の木を見た。
栴檀の木そのものは川岸などでよくみかける。
これだけ多くの実をつけるので、あちらこちらで実生がそだっても不思議ではない。
栴檀の実をうたった句も多い。
城址去る栴檀の実の坂下りて 星野立子
栴檀の万の実揺るる戦没碑 大立しづ
栴檀のありあまる花こぼさざる 鷹羽狩行
栴檀の実に青空のあるばかり 田上 路子
栴檀の実に巡りたる札所かな 浜 秋邨
京都御所清所門前栴檀微果実 夏石番矢
橋白く栴檀に実の多きところ 中村草田男
海鳩の群れて栴檀実生る頃 山口誓子
栴檀の実に風聞くや石だたみ 芥川龍之介
栴檀の花散る島のバス乗場 高橋悦男
栴檀の咲き溢るれば亡き子見ゆ 飯田龍太
栴檀の花散る那覇に入学す 杉田久女
栴檀の花や二階へ声届く 椎名書子
栴檀の梢ゆたかや夕の風 樋口津ぐ
栴檀のほろ~落る二月かな 正岡子規
栴檀の実を碧空に冬休 森田峡生
栴檀の実のばらつきのすがすがし 都築せつや
栴檀の実がよごしたる石畳 石橋秀野
栴檀の実落ちし樹下に寄りて足る 石田波郷
橋白く栴檀の実の多きところ 中村草田男
栴檀の実を喰いこぼす鴉かな 河東碧梧桐
栴檀の咲き溢るれば亡き子見ゆ 飯田龍太
栴檀の実を拾はむと矩を踰ゆ 後藤比奈夫
栴檀の花散る那覇に入学す 杉田久女
栴檀の大き木蔭や神無月 田中裕明 花間一壺
栴檀の大樹見あぐるたびに秋 尾林朝太
栴檀の緑陰に風立ち易し 市野沢弘子
栴檀の嫩葉のゆふべ星ともる 山口誓子
栴檀の花ちりかけて雲津川 北枝
いろ鳥や黄檗栴檀林の中 龍岡晋
栴檀の花散る那覇に入学す 杉田久女(1890-1946)
灰汁桶に栴檀の実のこぼれたる 寺田寅彦
揚泥に栴檀の実のこぼれたる 寺田寅彦
栴檀の花散るや桶の心太 寺田寅彦
栴檀は佛師か宿の蚊遣かな 森鴎外
栴檀の花散る那覇に入学す 杉田久女
栴檀の実色つきぬ胡蝶隊 横光利一
栴檀の実を拾はむと矩を踰ゆ 後藤比奈夫 花びら柚子
栴檀の紫人を選り好み 後藤比奈夫 花匂ひ
赤栴檀木性の仏生れたり 昌夏 選集「板東太郎」
栴檀の花ちりかけて雲津川 立花北枝
武庫川の河岸にも栴檀の木は、アキニレと並んで多い。
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↧
February 1, 2016, 5:38 am
庄下川の川岸
↑右下にイヌホウヅキ、左上はノゲシ、イネ科植物はススキの芽か?
その間にハコベラが繁茂。左下にはリュウキンカの葉もみえる。
↓ヒメオドリコソウ↓スイバと(アメリカ)センダングサ フォーカスをかけたので周囲がぼけている。
武庫川は2級河川だが、1級河川庄下川『愛好者』の目からすれば、これぞ大河という感じがする。
以下ウィキさん丸写し。
支流の田松川と真南条川(さらに上流での呼称は龍蔵寺川)が、JR福知山線南矢代駅南方、天台宗松尾山高仙寺よりやや北側で合流した地点(兵庫県篠山市真南条地区付近)を源としており、現地には武庫川源流の碑が建っている。田松川は明治8年(1875年)に加古川水系と武庫川水系をつなぐために開削された運河であり、篠山口駅東付近に両水系の分水界がある。
蛇行を繰り返しながらも次第に南行し、三田盆地を潤したのち再び山峡に入り、武庫川渓谷を形成する。宝塚市街西方で大阪平野の北西端へ出て南流、下流域では尼崎市と西宮市の境界を成しつつ瀬戸内海に注ぐ。
最終氷河期までの武庫川は篠山川の下流であった。これは川代渓谷の標高が176 mであることと篠山盆地の堆積物を除いた基盤の丹波層群の基盤の標高が160 mであることから判明している。
最終氷河期までの篠山川は傾斜の緩やかなことから排水が悪く、当野付近の基盤岩が武庫川に堆積し、さらに流れを堰き止めた。川代渓谷の誕生とともに排水は改善し、盆地に堆積されていた堆積土の侵食が始まる。武庫川の水は篠山川に奪われた結果、分水嶺は盆地南部に移動する。篠山川の流れは速くなり、盆地を侵食していった[1]。
源流部では武庫川は小川だが、谷筋の田圃の間を流れながら周辺の山から流れ出る水を集めて次第に大きくなり、山間を湾曲しながら三田盆地に入る。広やかな三田盆地の田圃の間をゆっくり流れる間にも、支流からの水を集め川幅を広げる。三田市内の武庫川沿いの田圃では毎春レンゲの花が見られる。三田周辺の武庫川東岸側は人口の少ない地域で、上流側の支流には青野ダム、下流側の支流には千刈ダムの2箇所の上水道用貯水ダムがある。西側は最近特に住宅地として開発されてきた地帯で、武庫川にもかなりの下水が流れ込む。
三田盆地を抜けると急に山間部に入り、武庫川渓谷となる。渓谷入口で合流する支流の船坂川流域には鎌倉峡のような峡谷があり、百丈岩などの巨岩が聳える。羽束川と合流する地点には神戸市の千苅浄水場があり、千苅ダムから上水道用浄水をしているが、過去の水不足の際には緊急給水をこの武庫川の水から実施したこともある。武庫川は山間を蛇行しながら下ってゆくが、途中しぶきを上げるような急流も各所に見られる。途中の川岸には秘湯、武田尾温泉がある。このあたりに治水を主眼とした巨大なダム(武庫川ダム)を作る計画が持ち上がり、流域の住民との間で話し合いが行われていたが、2010年9月になって「ダム建設には合意形成や完成までに時間を要する」として、事実上計画は消滅した。なお、JR西日本福知山線の武田尾駅から生瀬駅方面の武庫川渓谷沿いには福知山線旧線跡が残り、現役当時の姿のトンネルや鉄橋が多く、ハイカーらに人気が高いが、旧線廃止から30年以上が経過し老朽化が著しいので管理するJR西日本は宝塚市や西宮市に対しこのルートの閉鎖の打診をしている。 なお、渓谷中にある武庫川左岸に鎮座する渓谷で最も大きな岩石とされる「高座岩」及びその上流にある「溝瀧」では明治時代頃まで現在の伊丹市や尼崎市で農耕を営んできた農民らによる村々での雨乞いの風習が存在し、降雨がない干ばつが続いた年には「此の岩は近郷の信仰ある岩にして、旱魃にならば雨乞を執行する場所たり」「其の儀式は動物の生血を塗るにあり」「然らば天其の汚を厭ひ、洗い去らんが為めに雨を降らすといふ」「其の血は、武庫、川辺両郡は純白色の馬の血を塗るを例とす」と降雨を祈る特異な雨乞い儀礼が実在した。
渓谷を抜けると、宝塚市内で大阪平野に出る。この大阪平野への注ぎ口は扇状地のようになっている。宝塚歌劇団の本拠地である宝塚大劇場は、市街地の武庫川沿いから見ることができて、観光ダムの中央には宝塚観光噴水(ビッグ・フェニックス)が設置されるなど、いかにも行楽地といった趣である。なお、阪急電鉄宝塚駅と宝塚大劇場を結ぶ花のみちは、かつての武庫川の堤防跡を利用している。夏には河川敷で宝塚観光花火大会が開催されて、多くの人が訪れる。ここから河口までは河川敷の大部分が整備されており、休日には球技やジョギングなどを楽しむ人の姿が見られる。以前は宝塚観光ダムにより深度が確保されて、ボート遊びを楽しむ人々の姿も見られた。
宝塚市以南では武庫川本流から農業用の灌漑用水が無数に引かれ、宝塚、伊丹、尼崎、西宮各市内に縦横無尽に用水路が張り巡らされている。
尼崎市と西宮市の間を流れる下流部では、両岸は松並木の茂る高い堤防となり、川底が周辺の地面より高い天井川である。
↑土手の上を道路が走っている。両岸とも日曜と祝日は車は通行禁止の遊歩道となっている。その道を横切って一般道へ降りるにはかなりきつい坂か階段を下りってゆかなければならない。その道は川底よりも低い。そのために庄下川に倍するほどの遊水地を確保しなければならない。
よって少年野球場が、ジョギングの邪魔にならない形でいくつも設置されている。
ゴルフ禁止の札は立っているがゴルフの練習風景も珍しくない。
第一阪神国道武庫大橋の西宮側ではかつて関西を代表する高級ホテルだった旧甲子園ホテルがその優美な姿を見せている。尼崎市西大島(当時は武庫郡大庄村)の堤防上では、明治期に旗振り通信が行われ、尼崎市金楽寺の電報電話局別館と西宮市六湛寺の市役所前とを中継した。阪神電鉄本線より南の最下流部は汽水域となり、ハゼ釣りの名所となっている。
旧甲子園ホテルは、所属結社の3月の定例吟行会の探訪地である。
終刊した元の所属結社では「探訪会」と呼んでいたが、新しい結社になってから俳句界ではより一般的な呼称「吟行会」と呼び名を変えた。
私が探訪会と言ったら、あるとき、上の事情を聞かされた。
武庫川流域に住む同人に、現在の所有者、武庫川女子大からの許可を得てっもらい実現。
河口まであと3キロ余の地点あたりの風景。
今のミスの流れは痩せ川なみだが、遊水地の水深が7メートルを越えたこともある。
桜のシーズンには無数のテントが張られる。
門松やうしろに笑ふ武庫の山 鬼貫
尋ね行く武庫の山路や靭艸 素丸
初雷や片帆にうけて武庫颪 河東碧梧桐
鬼貫は伊丹を代表する俳人。
「鬼貫」で検索。
鬼貫の句と鬼貫(忌)を詠った句914と出てきた。
最初の200句の中には、「門松」の句は未登場。
酒倉の靄に明けゆく鬼貫忌 奥田節子
朝の茶に酢漬け茗荷を鬼貫忌 森田公司
摂津より奥の栗酒鬼貫忌 森 澄雄
鬼貫忌風がくすぐる耳の裏 伊藤白潮
そよりともせいで秋たつ事かいの 鬼 貫
水鳥のおもたく見えて浮きにけり 鬼 貫
秋風の吹渡りけり人の顔 鬼 貫
行水の捨て所なき虫の声 鬼 貫
秋立や富士をうしろに旅帰り 鬼 貫
やれ壷に澤瀉細く咲きにけり 鬼 貫
春の日や庭に雀の砂あびて 鬼 貫
あけぼのや麦の葉末の春の霜 鬼 貫
ひうひうと風は空行く冬牡丹 鬼 貫
朝日かげさすや氷柱の水車 鬼 貫
歯がために二人の翁食ひにけり 鬼貫
ひうひうと風は空ゆく冬牡丹 鬼 貫
鬼貫の町 木槿から木犀へ 伊丹公子
摂津より奥の栗酒鬼貫忌 森 澄雄
大いなる唐辛子あり鬼貫忌 松根東洋城
去るほどにうちひらきたる刈田かな 鬼 貫
やれ壺に沢瀉細く咲きにけり 鬼 貫
飛ぶ鮎の底に雲ゆく流かな 鬼 貫
つつじ桜南朝の跡見にいらむ 鬼 貫
何迷ふ彼岸の入り日人だかり 鬼貫
鬼貫忌橡の目玉の飛ぶ日哉 戸沢撲天鵬
鬼灯は裾濃に染まり鬼貫忌 石田波郷
ひたと好む鬼貫の忌を修しけり 野村喜舟
鬼貫忌蕉風俗に堕ちにけり 島田五空
大いなる唐辛子あり鬼貫忌 松根東洋城
鬼貫忌心ひそかに面白し 河東碧梧桐
我が宿の春は来にけり具足餅 鬼貫
門松やうしろに笑ふ武庫の山 鬼貫
小雨降るとんども例の火影かな 鬼貫
うちはれて障子も白し初日影 鬼貫
雲横に去年の今年の花や空 鬼貫
朝日かげさすや氷柱の水車 鬼貫
水よりも氷の月はうるみけり 鬼貫
行としのそらの隙さへいそがしき 鬼貫
茶の花や春によう似た朝日山 鬼貫
物すこやあらおもしろの帰り花 鬼貫
ささ栗の柴に刈らるる小春かな 鬼貫
昔おもふしぐれ降る夜の鍋の音 鬼貫
木がらしの音も似ぬ夜のおもひ哉 鬼貫
鰒喰うて其の後雪の降りにけり 鬼貫
枯蘆や難波入江のさゞら波 鬼貫
汐汲や千鳥残して帰る海人 鬼貫
うね~と船に筋違ふ鴨の声 鬼貫
水鳥のおもたく見えて浮きにけり 鬼貫
物種よ菊もこちらも枯残り 鬼貫 (悠川に再会して)
青雲やたかの羽せゝる峯の松 鬼貫
いつも見るものとは違ふ冬の月 鬼貫
膝頭つめたい木曾の寝覚哉 鬼貫 (旅泊)
天照や梅に椿に冬日和 鬼貫 (大神宮の御祓を備へ花の色々とり添て)
重ね著に寒さも知らぬ姿哉 鬼貫 (遊興の地に行ける時)
心から栗に味ある節句かな 鬼貫 (重陽)
楽々と姥が屋根葺くや今年藁 鬼貫
落穂拾ひ鶉の糞は捨にけり 鬼貫
御所柿のさもあか~と木の空に 鬼貫 (猿猴の絵に)
破芭蕉破れぬ時も芭蕉かな 鬼貫
うら声といふにもあらで雁の声 鬼貫
朝寒の今日の日南や鳥の声 鬼貫
痩臑に漸く寒し大井川 鬼貫
しみ~と立ちて見にけりけふの月 鬼貫
心にて顔に向ふや魂祭 鬼貫
こぼるゝにつけてわりなし萩の露 鬼貫
友とする夜も文車の荻の声 鬼貫 (路通移徙)
犬連れて稲見に出れば露の玉 鬼貫
風の間に鱸の鱠させにけり 鬼貫
一とせの*あゆもさびけり鈴鹿川 鬼貫
我祖師も舟橋おがむ秋の水 鬼貫 (天龍を渡る御上洛の御時は此川舟橋になりぬと)
吹からに芒の露のこぼるゝよ 鬼貫
行水の捨どころなき虫の声 鬼貫
伏見には町屋の裏に鳴く鶉 鬼貫
宇治川や朝霧立ちて伏見山 鬼貫
椴の木のすんと立ちたる月夜かな 鬼貫
秋風の吹きわたりけり人の顔 鬼貫
箔のない釈迦に深しや秋の色 鬼貫 (元政旧庵)
罪ふかき女めでたし土用干 鬼貫
菅原やみこし太鼓の夜の音 鬼貫
さは~とはちすをゆする池の亀 鬼貫
ゆく水や竹に蝉なく相国寺 鬼貫
のり懸や橘匂ふ塀の内 鬼貫 (旅行の里)
壁一重雨をへだてつ花あやめ 鬼貫
菅原やみこし太鼓の夜の音 鬼貫
飛ぶ鮎の底に雲ゆく流かな 鬼貫
嵐にも崩れぬものよ雲の峰 鬼貫
軒裏に去年の蚊動く桃の花 鬼貫
雨だれや暁がたに帰る雁 鬼貫
何迷ふ彼岸の入り日人だかり 鬼貫
春立つや誰も人よりさきへ起き 鬼貫
春の水ところどころに見ゆるかな 鬼貫
青麦や雲雀があがるありやさがる 鬼貫
春の野に蹲踞てゐるわかなつむ 鬼貫
春風や三保の松原清見寺 鬼貫
遠里の麦や菜種や朝がすみ 鬼貫
永き日を遊び暮れたり大津馬 鬼貫
猫の目のまだ昼過ぬ春日かな 鬼貫
鬼灯は裾濃に染まり鬼貫忌 石田波郷
つくづくと物の始まる火燵哉 鬼貫
冬枯や平等院の庭の面 鬼貫
↧
February 2, 2016, 6:49 am
京都、大阪の寺町は有名だが、尼崎のそれはどうか?
今日は明日の節分祭の下調べのつもりで、11寺のうちの半分ほどを
大覚寺を中心に覗いてみたが、
観光客どころか寺の修復に従事している人以外は見かけなかった。
もちろん大覚寺は例外。豆まきと大覚寺狂言の準備をする人が大勢いたが、観光客はいなかった。
狂言の例句となれば、壬生狂言の句が多い。狂言の物腰そろと成木責 赤松薫子
桶食ひし鬼の狂言螻蛄笑ふ 成瀬櫻桃子
鬼女の出に昼の月あり壬生狂言 山尾玉藻
壬生狂言をはる口上なかりけり 高橋克郎
壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸 風三楼
ぶきっちよな霞ヶ関の狂言師 山本敏倖
薬根掘るむかし伯耆の狂言師 中村苑子
壬生狂言嘆きの肩をゆすりけり 成瀬櫻桃子
鬼女の出に昼の月あり壬生狂言 山尾玉藻
壬生狂言に笛が加はり眠くなる 菖蒲あや
壬生狂言淫らなことをちとしたり 細川加賀 『生身魂』
狂言や帷子に皺ふやしつつ 大木あまり 火球
狂言や扇ひとつを鋸として 大木あまり 火球
年の夜の狐にかへる狂言師 深谷雄大
水狂言殺しは深川祭の夜 池田ちや子
水狂言役者の髪の艶めいて 斎藤由美
早鉦となりて鵺出る壬生狂言 右城暮石
壬生狂言こどもが先に笑ひけり 中谷五秋
うららかに妻のあくびや壬生狂言 日野草城
壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸 風三楼
狂言師ぼろ市のなか通りけり 橋本榮治
鍵つ子と呼ばれしことも秋狂言 佐々木六戈 百韻反故 初學
殺しもす彌生狂言死なれもす 佐々木六戈 百韻反故 初學
狂言師ぼろ市のなか通りけり 橋本榮治 逆旅
白上布似合ふ二枚目盆狂言 渋沢渋亭
漁夫たちの人気をかしや盆狂言 楠目橙黄子
舞台暗し水狂言の灯は青に 黒川かもめ
糸車見えぬ糸繰る壬生狂言 長谷川佐和
壬生狂言笑うてあはれのこりけり 成瀬桜桃子
壬生狂言亡者抜かるる布の舌 川井玉枝
青鬼の皺だるむ腹壬生狂言 山田みづえ
壬生狂言淫らなことをちとしたり 細川加賀
惜春の座に一人の狂言師 高野素十
狂言の世に梅雨の幕垂れたるよ 照敏
狂言の笑ひは止まず村紅葉 塚田フサ子
はや咲かす三月狂言紙ざくら 菊川千代子
御聽(おゆるし)が出て刃傷(にんじやう)の水狂言 筑紫磐井 婆伽梵
春寒き眉や狂言を叱る声 野上豊一郎 能百句
狂言師ぼろ市のなか通りけり 橋本榮治
古寺に狂言会や九月尽 雁宕
狂言の声も眠たし閻魔堂 藤田子角
座頭に芝雀淋し水狂言 大場白水郎
蝶入りて劇中を飛ぶ壬生狂言 古屋秀雉
人形を子として抱く壬生狂言 古屋秀雉
壬生狂言舞台と席のこの空間 古屋秀雄
壬生狂言廂より雨瀧なせり 茨木和生
壬生狂言炮烙すべて割られけり 丸山哲郎
壬生狂言鬼の出に打つ戸板かな 田中英子
追儺狂言鬼の出となりざわめけり 茂里正治
盗人をとらへ縄なふ壬生狂言 八牧美喜子
商人面平あやまりよ壬生狂言 八牧美喜子
狂言に鹿おどろきし後宴能 右城暮石
壬生狂言鬼女に食はれて歩き消ゆ 右城暮石
出る月や壬生狂言の指の先 小林一茶 (1763-1827)
悪玉が出ねば退屈壬生狂言 品川鈴子
壬生狂言日向雀に囃されて 山田弘子
狂言は南無ともいはず壬生念仏 炭 太祇 太祇句選後篇
菊活けて学校がまねく狂言師 能村登四郎 咀嚼音
古寺に狂言会や九月尽 雁宕 五車反古
壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸風三樓
壬生狂言老婆くつくと笑ひけり 八木林之助
壬生狂言淫らなことをちとしたり 細川加賀
寺町の中でみごとな紅梅に出会った。
↧
February 3, 2016, 5:45 am
上の建物の上部がからくり人形館で下部は芦刈の夫婦像が配置されているが、年中そうではないようである。人形の衣類などは別に管理保存され、人形はスケルトンになっているみたい。
からくり人形の紹介、豆まき(2回目。1回目は子供対象に10時から。去年見た3回目には市長も登場)、壬生狂言(大覚寺狂言)「橋弁慶」上演を見学。
橋弁慶は明日「上映」
人の世のからくり白玉紅白に 鈴木真砂女
水からくり和尚が水を足してをり 脇本千鶴子
どこまでが後方支援水からくり 鈴木淑生
水からくり群鳥天を暗うせり 五味一枝
春一番からくり時計踊りだす 長谷 英夫
あさましき顔して水からくりを見る 小川双々子
水からくり己れの音に昼深まる 長岐靖朗
水からくり燈下に鳴るを見て通る 西村公鳳
婦人科の晩夏からくり時計かな 津波古江津子
臥竜梅からくり人形展開図 高本紅女
水からくり人の欠伸のうつりけり 龍岡晋
水からくり猫が三味線ひきにけり 龍岡晋
水からくり人生おもに取の役 後藤綾子
暮れてより水たけなわの水からくり 永末恵子
嫁ぐ子と水からくりを見てゐたり 関戸靖子
豆のゲット数、私、0。ワイフ3袋。
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February 4, 2016, 3:52 am
高知県産の文旦が8個届いた。
マーマレードを作るとワイフは大張り切り。
先月末に極めて珍しく、血縁のない宿泊客があった。
現在は葉山町居住だが、ワイフとともに大阪カト学連の同窓会に出席するために、姉が住む実家で1泊、もう1泊を我が家で過ごした。
(同窓会の会場は大阪ではなく、神戸で、かつ実家は奈良であったので。)
極めて扱いの楽な客であった。
ごくごくat home な挙措であり、共通の話題も多く、
コーヒが好きで、チーズが好きというのでますます好感度UP。
今日その人から上の文旦が届いた。
以下昨日の画像
正式には大覚寺身振り狂言というらしい。
廃れていたものを壬生寺の指導を受けて復興させたとか。
義経さんは、小学生のような感じだった。
義経弁慶は尼ゆかりの人物である。
辺戸岬狼煙の跡の弁慶草 山田春生
弁慶の墓の小さき松の花 鈴木貞二
辺戸岬狼煙の跡の弁慶草 山田春生
弁慶草鋸山を目の前に 丸 千總子
すれ違ふ故郷訛り弁慶草 大沢知々夫
萩咲くや主従の鎧いづれとも(相模寿福寺の寺宝に弁慶義経のものと伝ふ鎧ありいづれも古びはてゝよしあしの形わきまへず) 『定本 石橋秀野句文集』
茶立虫弁慶水はここと啼く 高浜虚子
羽子板の弁慶値切り倒されし 遠山陽子
雨つよし弁慶草も土に伏し 杉田久女
辺土岬狼煙の跡の弁慶草 山田春生
弁慶草沸々の日は立ち上がる 松田ひろむ
弁慶に刺せるは諸子ばかりかな 結城美津女
妻子とほし弁慶草に夕せまり 鳥居露子
種牛の横振り来る貌弁慶草 池上樵人
雨つよし弁慶草も土に伏し 杉田久女
ぎしぎしや弁慶蟹の栖処 籾山梓月
竹伐や弁慶頭巾白妙に 鈴鹿野風呂
雨つよし弁慶草も土に伏し 杉田久女
竹伐や弁慶頭巾白妙に 鈴鹿野風呂
ぎしぎしや弁慶蟹の栖処 籾山梓月
草刈鎌手挟み弁慶気取りかな 川村紫陽
弁慶に櫻の事は問ひもせず 会津八一
弁慶草のもみぢふはふはの朝日 金田咲子
桜鯛持て来弁慶顔をして 辻桃子
弁慶は花見るまでも具足かな 京-重徳 元禄百人一句
弁慶が笈をも飾れ紙幟 松尾芭蕉
がむしゃらの弁慶草も枯にけり 一茶
嵯峨念仏牛若丸は強かりし 高浜年尾
藤の実や義経わたせし河といふ 角川源義
義経記のはしばしを踏み盲ひたり 高橋 龍
ゆらと鯉ゆらと義経燃焼す 阿部完市
時満ちて義経太鼓祭笛 大西岩夫
義経の落ちし街道しぐれけり 猪俣 壽水
菊あつく着太り義経菊人形 山口青邨
義経堂木の根に溜まる秋の雨 展宏
海道は緋牡丹明り義経忌 小枝秀穂女
紅顔の義経つよし飾り凧 長谷川かな女
呼びあつて義経の地の田植衆 佐川広治
義経末路の束稲山かけ野分雲 橋本夢道 無類の妻大物浦の義経弁慶静を詠った句はなかった。
↧
February 5, 2016, 5:59 am
よく喋るエスカレータ梅日和これは本日の作品だが、同工異曲の句を過去に作っている。
「右側にお立ちください」 (走って上るな)
「足元は黄色の線の手前に」(足指を巻き込まれた事件があった)
「お子様連れの方は手をつないで」(子供の転倒事故もあった)
「雨の日はすべりやすいので注意」
エスカレータに乗っている間中、お小言を聞いているような感じである。夏の駅こちら側とはどちら側
旧作である。
これは駅の構内エレベータを詠ったものである。
普通エレベータに乗ると、乗り込んだドアの方に向きを変える。
乗車用ドアの向きでは、下車通路を確保できない駅用に、別のドアが用意されている。
駅構内のエレベータが普及し始めたころになんどかとまどった。
「こちら側」のドアの上では点滅灯が瞬いていても、乗車用出口に向かって立っている者にはそれがみえない。
設置者に直に文句を言ったことはないが、この件についてはなんどか意見を「公表」した。
それが設置者の目に触れたわけではないであろう。多くの人が声を挙げたのでだろう。
あるいは社長がじきじきに実乗してみて気付いたのかも。
最近のエレベータは、「改札階では反対側のドアが開きます」
「ホーム階では奥のドアが開きます」などと案内アナウンスを変更している。
それだけでなく「電光メッセージ」も併用、乗車したドアに向かっている人にはドアの上の表示板で「後ろのドアが開きます」などと電光掲示している。
さらにドアの側面には赤い大きな➡が点灯するものもある。
新幹線新大阪駅構内には、3面にドアがあるエレベータがある。
九州新幹線向けの番線を増やした結果であるが、途中階でエレベータを乗換えなければならない。
ホテルや研究機関では、エレベータ乗車後身分証や部屋カードを差し込まないと押しても反応しない階がある。
30階建てホテルの特別スイートルームがある29階と30階にはそれぞれにカードの差し込み口が用意されているような場面になんどか出くわしたことがある。
朝刊で、大阪城公園の梅が例年より早く咲き始めたという記事を読んで、大阪城梅林へ散歩に出かけた。
↑若木は華やかだが、この梅林は古木、老木が多く、梅花が総じて地味に映る。
2月下旬には毎年伊丹市の梅林(緑ヶ丘公園)へ2・3度出かけていたが、昨年、ウメウィルス発生で、伊丹中のすべての梅が伐採処分された。
梅林へ梅林へ私は裏山へ 『定本阿部みどり女句集』
梅林に懶惰の風の棲みつける 中原道夫
炭を焼く煙いちにち梅林へ 宮田正和
梅林に寒肥了へし土乱れ 加藤風信子
梅林に干大根の痩せてをり 高木晴子
月ひかりだすまでゐたり梅林 飴山 實
立派なる厠を持てる梅林よ 波多野爽波 『一筆』以後
梅林の真中ほどと思ひつつ 波多野爽波 『湯呑』
梅林の内にて遠き櫂光る 齋藤玄 『玄』
火の山も妙義も指呼の梅林(上州秋間) 上村占魚 『天上の宴』
遊ばんと来て梅林の寒さかな 大木あまり 火球
如月の梅林といふ停留所 清崎敏郎
また空の青さを言って梅林 小池万里子
逢へるはずなき梅林の影をふむ 中村久美子
空問は梅林を容れなお余る 和田悟朗
梅林の花のはじめは花の声 阿部千代子
梅林の光りて落つる雨雫 山内年日子
梅林や丸太の柵の真新し 浅野京子
咲きみちて梅林の空紺深し 植田廣子
傘さして行く梅林の遠からず 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
梅林に雪積む彼岸詣でかな 浦野栄一
暮れそめてにはかに暮れぬ梅林 草城
亡き妻のさきに来てゐる梅林 藤崎久を
遠景の鉄橋の音梅林に 杉本零
梅林の真昼間の香となりにけり 三村純也
正午とは梅林表裏入替はる 後藤立夫
そゞろ来て夜の梅林を抜けんとす 高浜年尾
梅林をかかへこみたる蜜柑山 西村和子 夏帽子
梅林の径しばらく二人のもの 西村和子 夏帽子
傘さして行く梅林の遠からず 佐々木六戈
梅林といふ密々の花のこゑ 上田日差子
梅林の奥へ奥へと導かれ 石田郷子
雪吊のむかう梅林うすあかく 田中裕明 櫻姫譚
梅林の入口この世にひらき 宗田安正
梅林やさざなみに似し人のこゑ 横山美代子
眠りをるときの暗さを梅林 大石雄鬼
梅林を来てうなぎ屋の障子文字 高橋青塢
梅林やさざなみに似し人のこゑ 横山美代子
梅林の声なき方へ手繰らるる 的野雄
亡き妻のさきに来てゐる梅林 藤崎久を
弱法師めく梅林に杖曳けば 冨田みのる
梅林の真中はここと決めて坐す 茂里正治
梅林の中の一枚田を打てり 茂里正治
月ケ瀬の梅林風が手にひびく 右城暮石
梅林の青天井に飛行雲 右城暮石
梅林のむら北向きに山の形 滝井孝作 浮寝鳥
梅林渺と父と遊びしはゆふべ 大石悦子
梅林にじめじめと酌み次男坊 八木三日女
咲き籠めて鳥影うつす梅林 永井龍男
尾が見え隠れ梅林の夕まぐれ 柿本多映
うつそりと寺男をりけり梅林 関戸靖子
梅林のまんなかにゐて水の音 関戸靖子
梅林にまじり撫然と桜の樹 大島民郎
日は走り梅林隙間ばかりなり 和田悟朗
梅林を上りてきたる海鼠捕 斉藤夏風
梅林を尋常卒の父母歩む 坪内稔典
散り果てむとする梅林や死の匂ひ 斎藤玄 クルーケンベルヒ氏腫瘍と妻
梅林を額明るく過ぎゆけり 桂信子 月光抄
梅林に白き夜が来る雉子のこゑ 堀口星眠 青葉木菟
夢死するもよし 梅林のこの日溜り 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 夢見沙羅
茶屋ひくし梅林とほくなだれつつ 竹下しづの女句文集 昭和十四年
梅林にいくさを勝ち来妻を具し来 竹下しづの女句文集 昭和十四年
暮れそめてにはかに暮れぬ梅林 日野草城
梅林をざっと見て来ぬ鼻っ風邪 ももすずめ
また出会う梅林傍の鷹遣い
鷹止まる辺り遠巻き梅の客
自撮り棒提げてモスリム梅林へ
↑私の見立てではマレーシア人である。
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February 6, 2016, 6:59 am
明治6年の東京の人口は596,905人、第2位の大坂は271,992人だった。
その年、ごく狭い町域(7キロ平米)しかなかったが、尼崎の人口は12,404人。
全国順位では86位。佐渡の相川の方が上位であった。
備前の岡山は32,372、美作の津山は15,411。
その時尼崎は現在の市域に拡大しても3万なかったと思う。(小田村が6000であった)。
3万の人口しかなかったところに66の神社があった。
66の数字は現在の数字だから実際はもっと多かったかも。
100所帯以下で1つの神社を支えていたことになる。だから廃藩になって一時は荒れ果てた神社も多くあったであろう。事実、昭和になってから復興した神社もいくつかある。
さらに驚くべきは寺の数である。
どうみても神社の3倍、200寺は今もあるような気がする。
ちょっと大きい神社を訪ねると、その神社を取り囲むように3寺位が位置している。
尼崎の寺町だけで11寺あるが、その周辺にもまた寺が建っている。
丈六の卒塔婆みちを彼岸婆 原 裕
夏足袋の先があまりて卒塔婆殖え 長谷川双魚 『ひとつとや』
卒塔婆のみなぱたぱたと夏の海 小澤克己
炎天に抱く卒塔婆の木の香かな 中里 篠
新盆の卒塔婆抱へられて過ぐ 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
花火こぼれて卒塔婆林立するくらがり 紀音夫
徂く春の卒塔婆小町を観し疲れ たかし
卒塔婆はかの世へ倒れ草いきれ 神山冬崖
卒塔婆より身におよびたる朧 齋藤愼爾
秋風や白き卒塔婆の夢に入る 星布尼
かたかたと卒塔婆遊ぶ涅槃西 平野正彦
振袖に卒塔婆抱き来る桜かげ 川端茅舎
行秋の波にたゞよふ卒塔婆かな 寺田寅彦
四句の偈の卒塔婆を三句時雨けり 幸田露伴 谷中集
よろと卒塔婆小町の萩の託言も失せてけり 文挟夫佐恵
いつしんに卒塔婆ゆらぐ五月晴 柿本多映
卒塔婆の生みたる茸凍みにけり 中戸川朝人
瓶かたむけたウイスキー瞼の卒塔婆 林田紀音夫
夏足袋の先があまりて卒塔婆殖え 長谷川双魚
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February 7, 2016, 6:45 am
熊本や朝鮮飴と花カンナ 才記翔子
荒行の朝鮮朝顔昏れしまま 佐々木六戈 百韻反故 初學
ララララと朝鮮唄や夏柳 高浜虚子
萩刈るや朝鮮へ海真平ら 今井聖
朝鮮も満州もなく山眠る 遠藤梧逸
朝鮮へ書く梅雨の降り激ぎちけり 鈴木しづ子
朝鮮の霞つめたき喉ぼとけ 中川宋淵 遍界録 古雲抄
朝鮮は初めてならず古簾
朝鮮の妹や摘むらん葉人参 其角 選集「板東太郎」作者名の無い句が時折登場するが、多くは、虚子作品である。
「朝鮮は初めてならず古簾」を検索にかけたら、
昭和16年~20年の句を集めた虚子の句集『600句』(絶えず「俳誌」ホトトギス」の号数に合わせた記念出版物)に登場。
16年5月末に「満鮮」旅行に出発。前の日に北陵に着き、翌10日「お牧の茶屋」で公表したよう。間違いなく、高濱虚子の作品
ところで上の句を検索にかけたら最初に登場する2つの記事は、2013年12月の「ショウちゃんのブログ」であった。「朝鮮」の例句を紹介していて、今日引用したのとまったく同じものを紹介している。本人は全く忘れている。その折は、「朝鮮朝顔」を取り上げていて、キダチチョウセンアサガオはブルグマンシアと呼ぼうではないかと「提案」している。
あしかけ3年、ブルグマンシアは、我が結社句会でも一般化したとは言えない。
珍しさも消え、この花を取り上げる句を最近見たことはない。
今日取り上げたのは、北朝鮮の弾道ミサイルの発射があったから。この件は、朝刊には間に合わず(今朝9時半の出来事ゆえ)、代わりに
台湾の地震の報道が目立った。亡き友M君は、阪神淡路大地震などが起きる前に、所属の教会の建て替え工事を毎日観察記録していた。
これからコンクリートを埋める土台の穴に、工事の作業員などがタバコの吸い殻やペットボトルや缶を投げ捨てていたのを心配していた。
これ以前に港の埋め立て工事などでは、用土に、木片や金属片が含まれないような注意喚起が徹底され始めていたが、大きな災害があるたびに人災の側面が指摘されるものの人災は永遠に人間行為について回るようである。
だから絶対安心な原発なんていわれても誰も信じないのでだろう。、
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February 8, 2016, 6:26 am
「春節」では例句1句のみ
人垣に春節の龍起ち上がる 小路紫峡
「続 俳句検索」では
春節の赤から赤を泳ぎゆく 川崎美知子
春節の人ごみどこか魚臭あり 中尾杏子
春節や空を鳩翔け地には獅子 岩崎照子
豚饅頭(ぶたまん)を山積み春節セールなり 高澤良一 素抱
魚団子スープの湯気に春節来 高澤良一 素抱
春節の布袋呼び込む點心舗 高澤良一 素抱
春節の関羽煙たげ支那線香 高澤良一 素抱
春節や銅鑼の巨濤に呑まる路地 高澤良一 素抱
春節の円卓ぐるりぐるりかな 高澤良一 素抱
春節の飯店気前よき盛り付け 高澤良一 素抱
春節や人波の上の朝陽門 高澤良一 素抱
春節や玉に翻弄される獅子 橋本恭子
春節の竜を遠くに見て帰る 谷川季誌子
いつもと違って西安門から入って、長安門(東門)へ抜ける。
オープンセレモニーを垣間見る
普段でも長い行列ができる豚まん店。狭い広場の大混雑緩和のため、
春節祭期間中は販売箇所を変更している。
駅前まで倒福ランプ春浅し
倒福ランプそれ自体が季語の資格を持つが。
ホトトギスは「春節」さえ季語と認めていない。旧正にふくらむ神戸なりしかな 汀子
ウィンドーショッピング
私一人だとぜったいにやらないが。
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February 9, 2016, 6:38 am
今や全国各地に廃校(舎)は珍しくない。
大学の廃校もこれからは各地にみられるようになると思う。
廃校舎月下の海と響きあう 大西健司
分校の廃校となる初時雨 河村昌子
廃校は村の避難所震災忌 名高栄美子
かなかなや廃校跡に朝礼台 高橋悦男
廃校に束ねし書冊緑立つ 木村蕪城
百千鳥廃校式は歌で終ふ 土橋いさむ
今日限り廃校となる卒業歌 佐藤信子
初凪や廃校いまも図画を貼り 山田紀代
廃校と決まりしよりの荻の風 蓮實淳夫
廃校の真昼の暗さ馬肥ゆる 飯塚久美子
廃校式次に控へて卒業す 藤田美智子
廃校に残す巣箱や柿若葉 富田くにを
廃校に灯せし千の小かまくら 橋本榮治 逆旅
夏灯しおく廃校にいるうさぎ 対馬康子 純情
蒟蒻の花廃校後十五年 茨木和生
廃校をコテージとなし鯉のぼり 山口博
廃校に集ふ同窓鳥渡る 杉本寛
廃校に束ねし書冊緑立つ 木村蕪城
廃校の母校の桜吹雪かな 山田みづえ(1926-)
カトリック大阪大司教区が創設した英知大学は、特色を生かせず、世界各地にある聖トマス大学の一員として生き残りを図ったが、最低ランクに位置付けられた偏差値大学として
18歳人口激減期の中で定員をはるかに下回る受験生しか集めることが出来ず、さらなる変革に失敗して廃校申請となった。
廃校となった大学のグランドの大半は住宅街に変貌していた。
建物群は尼崎市が買い上げたと聞いている。
一部は街区公園になりそうな感じ。
廃校の近くに若王子遺跡がある。
案内板しかない。
↑埋め立てられた遺跡には太陽光パネルが配置されていた。関電の施設である。
↓案内板のある道を西へ向いて歩くと伊居太神社に出会う。
前方後円墳の後円部に建つ神社で、坂部氏のものと言われているが確証はないようである。
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February 10, 2016, 6:29 am
今津灯台
排水機場
これより少し北側に「酒蔵通り」が東西に走っている。
宮水発祥の地などは少し前に吟行会で歩いたことがある。
そちらの方が、より有名な見学者も多い酒蔵や酒造会社のアンテナショップが多いように思う。
今日訪ねたのは日本盛と大関のアンテナショップ。
酒蔵通り煉瓦館↓
酒器との関係かガラス工房がある
中華街へ行ったら月餅や烏龍茶を買うように、酒蔵へ行ったら奈良漬を買う。今日は酢昆布も買ったがこれは不正解。なぜか他社製品の「獺祭」を盛んに宣伝している。
↓館内レストランのサブメニュー ワイフは抜かりなく注文。
↓三宮で見た風景
日本盛と大関のテリトリーを隔てる3つの川
「津門川」↑つと と読む。我が家の前の道は津門の中道。その道は津門へ通じ、そこを経て
西宮につながる。そこで西国街道と合流し、JR三ノ宮駅南を通り、元町商店街を抜けてゆく。
↓2月8日撮影
さすがに大関のテリトリーは広大。
大関のテリトリーの北側
ここの建物の南側一帯は大関の工場(街)
関壽庵内で酒粕カステラを賞味。
新旧の酒蔵二つ寒造 澤村啓子
酒蔵の大きな影の冬田かな 望月皓二
雪の雷若狭酒蔵ゆるがしぬ 橋本鶏二
拭きこみし酒蔵の階新走 深見けん二
酒蔵の裏涼しくて朝の市 沢木欣一
猫柳酒蔵へ行く橋の下 久保田月鈴子
酒蔵の酒生きてゐて冴返る 中島 木曽子
藤揺らぐ酒蔵奥の車井戸 老川敏彦
酒蔵の酒のうしろのちゝろ虫 飴山實 『次の花』
桐の実の鳴る酒蔵の残りけり 石原八束
燕や酒蔵つづく灘伊丹 正岡子規
冬日差し酒蔵の黒塗りかさね 山崎和枝
酒蔵に人の入りゆく朧かな 豊田八重子
酒蔵の扉にあらたまの火防護符 田中 俊尾
酒蔵に醪つぶやき日脚伸ぶ 吉澤卯一
酒蔵に酒米届く鵙日和 根岸善雄
子燕や酒蔵の梁弓なりに 田中俊尾
寒雀酒蔵を出る糀の香 澄雄
酒蔵や花橘の一在処 里紅(尼ケ崎の今津といふ所)
火薬庫のとなり酒蔵雪ふれり 皆吉司
酒蔵の酒の熟れきし雪ばんば 石田郷子
酒蔵の小窓明りや朝時雨 桐山秀峰
酒蔵の祈祷しにけり今朝の冬 西山泊雲
料亭となりし酒蔵菰円座 山田千代
酒蔵の表も裏も猫の恋 三木多美子
酒蔵や窓の高さの小望月 毛塚静枝
酒蔵の窓あるかぎり雪の降る 茂里正治
百齢を越える酒蔵梅ひらく 手塚美佐
酒蔵につとめ法被の新社員 大島民郎
酒蔵に天窓ひとつ素心臘梅 伊藤敬子
酒蔵は酒醸しつつ春の月 山田弘子
酒蔵に蝿の声きく暑かな 炭 太祇 太祇句選後篇
桐の実の鳴る酒蔵の残りけり 石原八束 白夜の旅人
柚の花や能(よき)酒蔵す塀の内 與謝蕪村酒蔵に並ぶ学校春隣
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February 11, 2016, 6:50 am
持つてみて文旦一つ買ひ残す 海老根筑川
庇より文旦垂るる書斎かな 西村 数
手造りの文旦漬をお茶受けに 司城 容子
文旦を叩いてをれば河馬なりし 澤本三乗
文旦の皮の厚さよ母の恩 早崎 明
文旦に指入れて雨ふるさとに 松田ひろむ
文旦とは顔翳しても大きかり 古沢太穂
文旦撫でて嵐にゆれし日をおもふ 高田蝶衣
文旦の故なくをかし笑ひけり 岡本眸
文旦を割るみんなみに噴火口 奥坂まや
文旦にうるはしき臍ありにけり 片山由美子
文旦や島にとどまり火山灰田打つ 亀井糸游
文旦の翳もあらざること思ふ 八木林之介 青霞集
文旦の故なく可笑し笑ひけり 岡本眸
文旦を割るみんなみに噴火口 奥坂まや
文旦を供へて大和黒仏 斉藤夏風
文旦によいしょよいしょと老師来る 宇佐美魚目
送ってもらった文旦、2個分で
瓶詰
全部で1キロ程度のママレード。
瓶はイチゴジャム用だったので、ふたには苺の絵が残っている。
鍋にはまだ残っている。
私はイチゴジャムよりはレモンジャムやリンゴジャムあるいはママレードの方が好きだが、
それでも500グラム詰めのものを食べるとしばらくは食指が動かなくなる。神戸句会出席
繰り返す過ち真冬の水鉄砲
闇中でするもの収賄寒造り
酒蔵に並ぶ学校春隣
鏡拭く沈丁花の香の届く (兼題「鏡」)次回の兼題を提案してくれと頼まれたので「次」を提案。
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February 12, 2016, 5:33 am
冬の池釣り糸一本の重力波
池歪む寒鮒釣りが座り込み
オタフクナンテン
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February 13, 2016, 4:59 am
水仙が水仙をうつあらしかな 矢島渚男
水仙は水仙の恵みうけてゐて咲き重りたり黄なる花房 島田修二
水仙と水仙を挿す白き瓶 中田剛 珠樹
水仙は香をながめけり今朝の雪水仙・雪 千代尼
水仙は名さへつめたう覚えけり水仙 千代尼
中腰に水仙を選る年を取る 中原道夫
賛成の手もなし水仙の葉の擧る 中原道夫
水仙は永遠にこれから飛ぶところ 高野ムツオ 蟲の王
汽罐車を呼び寄せている黄水仙 高野ムツオ 雲雀の血
黄水仙花の盛りの翳もなし 行方克己 知音
水仙の葉の切先に風あそぶ 行方克己 知音
波音の昏れし水仙畑かな 行方克己 無言劇
弾初のおのづと眉目緊りけり 勝又水仙
淡路より着きて初荷の水仙花 谷 迪子
明るさは海よりのもの野水仙 稲畑汀子
海鳴りて水仙ふるへやまざりし 山下美典
風連れて竹生へ渡る水仙売 鈴木鷹夫
沖忘れたる流木に水仙花 服部嵐翠
揺るがざる刻得てゐたり野水仙 島谷征良
水仙や古鏡のごとく花をかかぐ 松本たかし
水仙や青柳町に日の斜め 藤田湘子
水仙の花びら氷りゐたりけり 長谷川 櫂
水仙の夜は荒星のつぶて打ち 岡本 眸
水仙を背負ひて海に降り来たる 細見綾子
水仙へ光まみれの声飛んで 坂巻純子
水仙を活けて湯宿の木の厠 辻田克巳
水仙や束ねし花のそむきあひ 中村汀女
水仙を被ひし雪も古り穢る 篠田悌二郎
佐渡へ航く船透けて見ゆ冬木立 勝又水仙
山風や人の背丈の夏蓬 勝又水仙
三鬼の墓水仙喇叭純黄なり 立岩利夫
黄水仙人の声にも揺れゐたる 村沢夏風
黄水仙瞠きて咲く殉教碑 中山純子
黄水仙茶屋の戸袋風に鳴り 大井雅人
水仙の八重の重みにうつむける 寺前 たね
水仙の蕾のままに活けてあり 甲斐 梶朗
水仙の一茎をもて蕪村の忌 赤羽 岳王
咲き盛る花傾けて黄水仙 足立 玉翠
黄水仙家の中まで水照りてきて 下鉢清子
黄水仙揺れる迅さに病む予感 尾田明子
苞ごもる蕾日に透く黄水仙 加藤耕子
潮うねる紀のみんなみや黄水仙 豊長みのる
黄水仙ひりひり一病ある日常 上原勝子
水仙や寒き都のこゝかしこ 与謝蕪村
水仙の潮の光りを盃に 平井久美子
水仙のひとかたまりの香とおもふ 黒田杏子
水仙花耳遠くなるまで生きました 岡本政雄
水仙をとりまく青は歌ういろ 鎌倉佐弓
猟銃を折るサディズムや水仙に 田川飛旅子 『山法師』
手鞠つく傍に水仙貧血す 田川飛旅子 『外套』
逸民の怯え水辺の黄水仙 齋藤玄 『玄』
心さびしきゆゑに水仙買ふならず 河野南畦 『花と流氷』
水仙や玄海曇る風の垣(志賀海神社) 角川源義 『神々の宴』
引潮の音はねむたし野水仙(越前海岸) 上村占魚 『天上の宴』
水仙を持ちてあるけり都府楼址 飴山實 『辛酉小雪』
祇王寺へ水仙売の消えにけり 大木あまり 火球
野水仙破船を母と見し日あり 大木あまり 火球
尼が買ふ蛸と水仙由比ケ浜 大木あまり 火のいろに
水仙や雀するりと墓日和 大木あまり 山の夢
初雪や水仙の葉のたわむまで 芭 蕉
両隣喇叭水仙咲き揃ふ 熊倉 猷
喇叭水仙希臘の壷に挿し剰り 草間時彦
海女の墓ひとかたまりに黄水仙 石田あき子
黄水仙尚霜除のありにけり 長谷川零余子
俄雪日を泛べたり黄水仙 水原秋桜子
卓上に家庭百科と黄水仙 遠藤梧逸
野水仙海荒るる日は濃く匂ふ 高橋悦男
海鳴りに覚める祖の血や野水仙 鍵和田[のり]子
水仙の枯れゆく花にしたがふ葉 安住 敦
水仙や古鏡の如く花をかかぐ 松本たかし
水仙の葉先までわが意志通す 朝倉和江
抱かねば水仙の揺れやまざるよ 岡本 眸
水替へて四日の水仙活け直す 大森松枝
水仙や表紙とれたる古言海 高浜虚子
野水仙ここに香を溜め香を放ち 稲畑汀子
水仙の一茎に海ひびくなり 落合水尾
水仙は密に挿しても孤なる花 大橋敦子
水仙のうなじ一転するを活く 井沢正江
水仙の束とくや花ふるへつつ 渡辺水巴
水仙や来る日来る日も海荒れて 鈴木真砂女
筆洗の水こぼしけり水仙花 正岡子規
水仙や夜明の初島蒼く臥す 水原秋桜子
海明り障子のうちの水仙花 吉川英治
水仙にかかる埃も五日かな 松本たかし
水仙に初しののめや洛の水 松瀬青々
あかつきの水仙の香の喪正月 野沢節子
弾初のおのづと眉目緊りけり 勝又水仙
水仙にかかる埃も五日かな 松本たかし
野水仙海女の掛小屋閉じしまま 土屋恒代
野水仙暮れなば海も消えるべし 綾野道江
野水仙浜街道の風匂ふ 勝見玲子
水仙に死の薫香を焚きにけり 豊長みのる
水仙に雨まつすぐに降りにけり 布施まさ子
越前の水仙を剪る鎌の音 中丸義一
身をつつしめる水仙の香と思ふ 武宮 至
水仙の剪られて垂らすいのち水 甘田正翠
落人のルーツを尋へば水仙花 東 珠生
水仙の香に諭さるる心地して 松林伊世子
水仙や彫美しき歌碑の文字 坂本杜紀郎
水仙の香のして硝子切られゆく 谷口美紀夫
落人のルーツを尋へば水仙花 東 珠生いつ作られた句か知らないが、
私も、10年以上前に、家系譜作成の途上、
白旗城跡を訪ねた後、我が始祖は赤松村の踊子草
という句を作った。
ある書道家の目に留まり、作品展出品作品に使用されて、
展示後、現物の揮毫作品が家に届けられた。捨ててはいないが、どこに収納されているか記憶にない。かなりの「大作」なので、
小さくたたんだことは覚えている。
例句の「水仙」ないし「野水仙」、「水仙花」は、日本水仙で、各地の水仙郷での中心的な存在である。ウィキペディアの解説:
スイセン属(スイセンぞく、学名: Narcissus)は、ヒガンバナ科(クロンキスト体系ではユリ科)の属のひとつ。この属にはニホンズイセンやラッパスイセンなど色や形の異なる種や品種が多くあるが、この属に含まれるものを総称してスイセンと呼んでいる。
狭義には、学名 Narcissus tazetta や、その変種であるニホンズイセン(Narcissus tazetta var. chinensis)をスイセンということも多い。
多年草で、冬から春にかけて白や黄の花を咲かせるものが多い。草丈は、品種・環境によるが、15 - 50cm程度である。
茎は、黒い外皮に包まれた鱗茎の内部にある。そのため切断しない限り人の目に触れることはない。葉身は、若干厚みがあり扁平で細長く、つや消しのような表面をしている。
葉の間からつぼみをつけた花茎が伸び、伸びきるとつぼみが横向きになり、成熟するとつぼみを覆っていた包を破って花が開く。
典型的なスイセンの花の場合、雌蕊(しずい)は1本、雄蕊(ゆうずい)は6本。6枚に分かれた花びらと、中心に筒状の花びらを持つが、6枚に分かれている花びらのうち、外側3枚は萼(がく)であり、内側3枚のみが花弁である。二つをあわせて花被片(かひへん)と呼ぶ。一方、中心にある筒状の部分は副花冠(ふくかかん)という。花被片・副花冠の形状と花の着き方により、品種を区分する。
福井県の県花であり、淡路島南淡路市の市花である。
越前海岸の水仙は見たことがないが、淡路島の水仙郷には先年
でかけた。
画像は尼崎市の近隣公園近松公園のもの。
尼崎の街中では、ホトケノザはありふれた草であるが、オドリコソウは見たことはなかった。
しかしここ数年、我が家の庭でもヒメオドリコソウはよくみかけるようになった。
床下川の川岸でも、ヒメオドリコソウはよくみかける。
目下テリトリー拡張中といった感じ。見かける頻度は、イヌフグリやツユクサ並みだが、こちらは勢力衰退中。イギリスで語学学校に通い始めたら、週末には、近場の見学会があった。
最初の週末はスイセン見学であった。しかしそういう機会があることをしらずに、他の予定を組んでいたので参加できなかった。イギリスの早春(4月)はスイセンからはじまる。
それより早くクロッカスが咲くが、こちらの方は川岸にありふれた花となりすぎていてわざわざ、何処かに見に行くといったものではなかったようだ。
水仙はラッパスイセンと呼んでいるもので、ニホンスイセンではない。
↑天王寺あたりでも見られる風景だが、尼崎では近松公園と武庫川の
東側の岸辺では普通の風景。ここでは主に将棋だが、囲碁や麻雀の場合もある。
↧
February 14, 2016, 6:19 am
ウィキペディア
バレンタインデー(英: Valentine's Day)、または、聖バレンタインデー(せいバレンタインデー、英: St Valentine's Day[† 1][† 2][1])は、2月14日に祝われ、世界各地で男女または男男、女女愛の誓いの日とされる。もともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日だと、主に西方教会の広がる地域において伝えられていた。
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。
当時、ローマでは、2月14日は女神・ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれている。キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑されたとされる。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。
しかし異説もあるようである。
日本では、1958年ころから流行した[2]。ただし、その内容は日本独自の発展を遂げたものとなっている。戦前に来日した外国人によって一部行われ、第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられたが、日本社会に定着したのは、1970年代後半であった。「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもこのころであった。なお、バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのではと最初に考案して実践したのは、大田区の製菓会社である[要出典]。
現代日本社会におけるバレンタインデー文化の、起源、普及過程、社会的機能、歴史的意義などについては、民俗学、社会学、宗教学、歴史学(文化史、商業史)の各分野から研究されるべき事項であるが、バレンタインデーに関するまとまった研究は存在しない。
日本では、女性が男性に愛情の告白として、本命チョコを贈る習慣がある。
西欧・米国でも、恋人やお世話になった人にチョコレートを贈ることはあるが、決してチョコレートに限定されているわけではなく、またバレンタインデーに限ったことでもない。女性から男性へ贈るのがほとんどという点と、贈る物の多くがチョコレートに限定されているという点は、日本のバレンタインデーの大きな特徴である。しかし最近では、本命チョコにこだわらず、クッキーやケーキ、マフラーなどを贈る人もいる。また、「恋人までは行かないが、友人として」贈る「義理チョコ」、同性(主に女性)間で贈り合ったりする「友チョコ」、男性が女性に渡す「逆チョコ」、自分で買って食べる「自己チョコ」、男性が男友達に送り合ったりする「強敵(とも)チョコ」というものもみられる。
「日本型バレンタインデー」の特徴を整理すると、以下の3点となる[3]。
- 贈答品にチョコレートが重視される点
- 女性から男性へ一方通行的贈答である点
- (女性の)愛情表明の機会だと認識されている点
このほか、職場における贈答習慣が強い点[† 3]や、キリスト教との直接的関連はほとんど意識されていない点[† 4]も日本型バレンタインデーの特徴である。
起源と紆余曲折[編集]
日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史の起源については、以下のようなものがあるが、判然としていない。
- 神戸モロゾフ製菓(現在のモロゾフ)説
- 東京で発行されていた英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』1936年2月12日付けに同社が広告を掲載したことを重視するものである。「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告であった[† 5]。確認されている最も古い“バレンタインデーにはチョコを”の広告である。
- なお、モロゾフの本店があった最寄り駅の阪神御影駅南側の広場は2013年に「バレンタイン広場」として整備されており、聖バレンタインゆかりの地とされるテルニ市からの「お墨付き」を得ている。
- メリーチョコレートカムパニー & 伊勢丹説
- 同社が1958年2月に伊勢丹新宿本店で「バレンタインセール」というキャンペーンを行ったことを重視する説である。
- 森永製菓説、伊勢丹説
- 1960年より森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」と新聞広告を出し、さらに伊勢丹が1965年にバレンタインデーのフェアを開催し、これがバレンタインデー普及の契機となったとする説がある[4]。
- しかし、「バレンタインデー」の文字がある広告が、1956年の西武百貨店や松屋の新聞広告や、1959年の松坂屋の新聞広告にも掲載されており、デパート業界では伊勢丹が最初というわけではない。
- ソニープラザ説
- ソニー創業者の盛田昭夫は、1968年に自社の関連輸入雑貨専門店ソニープラザがチョコレートを贈ることを流行させようと試みたことをもって「日本のバレンタインデーはうちが作った」としている[5]。
- われに一つバレンタインのチヨコレート 行方克己 知音
- 待ちあはすバレンタインのティールーム 安藤 雅子
- 指染めてバレンタインの夜を独り 中野 貴美子
- バレンタイン誰彼なしに影加へ 松澤雅世
- 乳牛の黒き眼バレンタインの峡 大峯あきら
- バレンタイン井戸という井戸猥褻な 夜基津吐虫
- 手話の娘の買ふバレンタインのチヨコレート 今井桂子
- バレンタインの日なり灼かれて真赤な鉄 見学 玄
- 忘れ得ぬバレンタインの日の言葉 堂前悦子
- 思ひきり朱着てバレンタインの日 岩佐こん
- 校舎より海見えバレンタインの日 小野さとし
- バレンタインの日は老人でありにけり 多田薙石
- 今だから話せるバレンタインの日 指澤紀子
- バレンタイン彼女に適ふ奴はなく 伊規須富夫
- 声群るる鳥ゐるバレンタインの日 花田由子
- ハムの紐ほどきてバレンタインの日 高見岳子
- インタホーン時差ありバレンタインの日 三森 南
- バレンタインのチヨコ携へて出講す 山田みづえ
- バレンタインの日なり遠くで犬が吠え 大江まり江
- 薔薇抱いてバレンタインといふ日かな 友田美代
- バレンタインの日なり山妻ピアノ弾く 景山筍吉
- 茶粥召すバレンタインの日の聖 橋本榮治 麦生
- 紅茶熱しバレンタインの日と思う 金堂淑子
- いつも何か待ちゐし頃のバレンタイン 西村和子 窓
- 湾に舟浮かべバレンタインの日なりけり 佐川広治
- 母は母娘は娘のバレンタインの日 山田弘子
金曜日・土曜日・日曜日、3日続けて神戸市北区までを往復。
激しい天候の変化があった。
極めつけは今日。車の外気温表示は22度を示していた。
ダイオキシン問題が言われるようになるまでは、ごみ焼却施設があったがそれは取り払われ、
今では空き缶置き場になっている。私はその建物の裏の風景が好きである。
そこも一気に春の風景である。まもなく白い可憐な花が咲く。
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February 15, 2016, 6:44 am
1月のコーヒ豆注文日は20日であった。
いつものごとく、玄関先に請求額をいれた紙袋を吊るしておいたら、
ワイフが外出間際に玄関を出た時に気付いたが、袋ごと無くなっていた。
外出先から会社(チャンピオン・コーヒ)に電話して後払いにしてもらった。
2月のコーヒ注文を今朝したら、午後在宅確認の上、届けてくれることになった。
その折に今回の請求額は半分で結構という申し出を受けた。
この会社からのコーヒ豆の定期買い付けは30年近く続いている。
個人宅へ月2キログラムのコーヒを届けるのも、近辺に大口定期客(店)が複数あるからであろううが、期待していなかった対応に感心した。
よって会社名を付して紹介。
台所の長型灯が瞬き始めた。
取り付け器具じたいを新しいタイプに交換を頼んで間もなかったので、
積水ハイム中継で灯菅の交換を頼んだ。
すぐに業者が来て2本の灯菅を入れ替えてくれた。
これもどうやら無料交換のようである。
リビングの照明である。我が家は、それが平成初期の流行であったかどうか知らないが、
やたら小さな白熱灯を何球も利用する照明が多い。
2年くらいの年次計画を立ててそれらをLEDに置き換えていった。
↑の照明のLEDへの交換のためには2万円位を支払った。
すると6球の内の1球が1か月もしないうちに切れてしまった。
2年近くたっていたが、台所の照明の交換後、偶然にそのLEDが入っていた空き箱が出てきた。空き箱には消費者相談室の電話番号が記入されていたので、
ワイフがそこへ電話を入れ、4万時間持続すると効能書きに記されているものが、10時間程度で切れるのはおかしいではないかと文句を言った(らしい)。
翌日には新しいLEDが家に送られてきた。
まだ切れた電球を受取人払いで送り返す所作をしていなかったので、
急いで切れたLEDを箱に入れて送り返した。
これも会社名を紹介する価値がありそう。
パナソニックのインドネシア工場産であった。
裸電球春宵文弥節熱す 石川桂郎
レクイエム裸電球ゆれている 紫崎正彦
裸電球吊るして鳥になる話 石黒一憲
電球は巨きなしずく海辺の家 佃 悦夫
おでんつつ突く裸電球ゆらさうか 伊東達夫
裸電球檸檬はるかな街に居る 小原洋一
終戦忌切れ電球を透かし見る 川村三千夫
寝冷して裸電球本堂に 中岡毅雄
青饅や電球徐々に白熱す 波多野爽波 『湯呑』
夜打ち鮎はだか電球ぽつと点け 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
電球は裸がよけれ生たまご 仁平勝 東京物語
少年の電球をかへをる鯊の秋 大木あまり 火球
廻されて電球ともる一葉忌 鷹羽狩行
電球の切れて戸惑ふ秋の蝿 乙武佳子
電球のぬくもり恋ひつつをれば秋めきぬ 角川源義
裸電球空つつ抜けに夜店の灯 田山諷子
佛壇に電球(たま)の買ひ置き花慈姑 宮坂静生
廻されて電球ともる一葉忌 鷹羽狩行
年の市裸電球ひとつ足す 山川雅舟
歳晩の裸電球ぶらさがる 石田美保子
輿の座に電球点るさねかづら 西田美智子
電球のちりちり泣けり鰡の湾 宮坂静生
終戦忌切れ電球を透かし見る 川村三千夫
今もある回す電球父の日よ 斎藤俊子
納涼映画裸電球椰子に吊り 水田光雄
中見ゆる晝の電球寒からう 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
いとゞ飛ぶ電球暗き市場にて 三谷昭
廻されて電球ともる一葉忌 鷹羽狩行
水番の電球に香のありしこと 藤田湘子
電球転がる枯野が家路一教師 齋藤愼爾
うちそとに電球を吊る葭簀かな 藺草慶子
電球が砕けて散りて祭り終ゆ 対馬康子 吾亦紅
電球を買いに行く子の街驟雨 対馬康子 吾亦紅
消えそうな電球だけの芒原 対馬康子 愛国
夕鵙によごれし電球の裡ともる 山口誓子
電球の紐ながく吊る秋蚕かな 藤田あけ烏 赤松
いとゞ飛ぶ電球暗き市場にて 三谷昭
朝が来ており電球に籐椅子に 小宅容義
電球の切れつぱなしの通草かな 石田勝彦 秋興
電球に蛾を閉じこめし五月かな 寺山修司(1935-83)
廻されて電球ともる一葉忌 鷹羽狩行(1930-)
ぽつとりとした電球胡蝶花(しゃが)を活けたな 北原白秋
電球にふれし左腕の吹かるゝや 攝津幸彦
病みし蚕を見る電球を傾けて 今瀬剛一
冬川に冴える電球を撃つは今 赤尾兜子
うすばかげろふタングステンの電球に 京極杞陽
我が庭のつばき。
つぼみはまだたくさんあるが盛は過ぎた。
それにしても葉の虫害がひどい。
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February 16, 2016, 6:59 am
温室へ入ると花と共に、名札を撮影しておく。
メモしたのでは、誤記する可能性があるから。
帰宅後、その名でネット検索する。
名札が誤記である場合が非常に多い。
「メガスケパスマ・エリトロクラミス」が正しいと思う。16ポくらいだと
PC(画面)によっては、「バ」と「パ」の区別がつきにくい。↓メディニラ・スペキオサ(or スペキオーサ)
珊瑚野牡丹という和名があるよう。
実がなっている様子から、ヨウシュヤマゴボウと見間違ったという文が
ブログ紹介されていたが、もっともだと思う。しかし葉の形が違う。
ノボタンは↓
花の形態は異なるが葉のかたちはよく似ている。
ネペンテス・アラタ
NHK 趣味の園芸の解説ウツボカズラは食虫植物の代表的な一種で、ボルネオ、スマトラを中心に熱帯アジア、マダガスカル、セーシェル諸島、ソロモン諸島、ニューカレドニア、オーストラリア北部に90種が自生しています。
よく栽培されているのは、ネペンテス・アラタ(Nepenthes alata)という種類で、捕虫袋の下部がややふくらみ、ヒョウタンウツボカズラとも呼ばれます。捕虫袋は長さ10~15cm、緑色で先端部が赤みを帯びています。アラタは個体差が多く、よく見られるものはその一つとされていますが、最近では交配種ではないかともいわれています。捕虫袋全体が赤紫色の‘レッド・アラタ’(N.‘Red Alata’)は交配種です。
そのほか、捕虫袋に緑色と赤色のものがあるネペンテス・ベントリコサ(N. ventricosa)、捕虫袋が長さ20~30cmで、茎の上部と下部につく捕虫袋の形が異なるネペンテス・マキシマ(N. maxima)、捕虫袋が円筒形で長さ20~30cmの‘ジェントル’(N.‘Gentle’)などがよく出回っています。
瓢箪靱葛の和名があるよう。
いつもこの場所で見ているがこんなに元気がいい状態のものは
初めて。
↓シナヒイラギ
もちろん例句など探す気にはなれないが、
野牡丹ならあるだろう。
- 野牡丹の一輪のみの高く咲く 土井朝子
- 野牡丹の古代紫たぐひなし 五十嵐播水
- ↑いただけないですなあ!客観写生が泣き出しそう。
野牡丹の風にまかせし丈に花 宮津昭彦
- 野牡丹の色まぎれつつ暮れてをり 高浜年尾
- 野牡丹の散りし紫浄土かな 勝又一透
- 日だまりにして野牡丹の一花なほ 畠山譲二
- 野牡丹の一と日の命けさあえか 富安風生
- 野牡丹も一緒にたばね花売女 吉原なみ子
- 野牡丹に如く供華はなし桜坡子忌 大橋敦子
- 野牡丹散華無常とはかく美しき 富安風生
総じて野牡丹は詠いにくそう!!
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February 17, 2016, 6:44 am
ヘレボルス(学名: Helleborus)は、キンポウゲ科クリスマスローズ属[1]に分類される植物の総称。ヘレボラスともいう。「クリスマスローズ」という呼称は、クリスマスのころに開花するヘレボルス・ニゲル (Helleborus niger) だけを指した呼称であるが、日本の園芸市場では、「レンテンローズ」と呼ばれるヘレボルス・オリエンタリス (Helleborus orientalis、ハルザキクリスマスローズ) なども「クリスマスローズ」の名前で出回る。
花の姿
Single
セミダブル
double
spot
バイカラー
フラッシュ
ピコティ
大阪句会出席よく喋るエスカレータ梅日和
検査項目すべて正常大寒波
鏡拭く沈丁花の香の届くころ
鶺鴒飛ぶ何処に起こる次のテロ
(兼題「次」 この句会でも次の兼題は?と問われて「次」
と応えた人がいたみたい)
・
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February 18, 2016, 5:32 am
鶺鴒の個体数は増加していると思う。
10年ほど前から椋鳥が増加していると思うが、ここ数年鶺鴒をよくみかけるようになったと思う。
椋鳥のように群れないので目立たないが、
水辺ではごく日常的な鳥となった。
2月18日(今日)みた鶺鴒。庄下川
動きが激しく、警戒心が強いので、スズメや鳩のように間近でカメラを向けることは出来ない。
2月17日 土佐堀川沿いの中之島で
2月5日 大阪城お堀端
セグロセキレイ(背黒鶺鴒、学名:Motacilla grandis)は、スズメ目セキレイ科セキレイ属に分類される鳥類の一種である。主に水辺に棲む。
体長 20-22cm、翼開長約30cm[2]、体重26-35g。ハクセキレイと同大。
頭から肩、背にかけてが濃い黒色で、腹部が白色で胸部は黒色。ハクセキレイと見分けがつきにくい場合があるが、本種は眼から頬・肩・背にかけて黒い部分がつながるところで判別できる(右写真を参照)。またハクセキレイやキセキレイと同様に尾羽を上下に振る姿が特徴的である。雌雄ほぼ同色だが、雌は背中が雄に比べると灰色みがかっている。幼鳥は頭から背中まで灰色である。ただし、ハクセキレイの様々な亜種に似ている部分白化個体の観察例もあるので [3]、ハクセキレイとの識別には注意を要する。本種の地鳴き、「ジュジュッ、ジュジュッ」に対し、ハクセキレイでは、「チュチュッ、チュチュッ」と聞こえるので、声による識別は可能である。
「俳句検索」より
鶺鴒の石乗りかへし湯冷かな 遠藤寛太郎
鶺鴒の罪なき石を叩きをり 保坂リエ
四万十川源流つつつつと黄鶺鴒 篠崎圭介
鶺鴒の庭歩みしが吾も歩む 山口青邨
鶺鴒の一瞬われに岩のこる 佐藤鬼房
鶺鴒や水の流転はとこしなへ 三橋敏雄
鶺鴒の胸触れてゆく雪解渓 永方裕子
鶺鴒のとまりて叩く鬼瓦 坪井 さちお
黄鶺鴒図にのつて揺れいたりけり こしのゆみこ
秘境出て鶺鴒の水糸をよる 古舘曹人
鶺鴒の裸足いたんでゆく海辺 八木原祐計
鶺鴒の二羽となりたる岩の上 清崎敏郎
鶺鴒に洗面の水をそと流す(飛騨平湯) 殿村菟絲子 『繪硝子』
鶺鴒の水底歩く池普請 塩川祐子
菱紅葉鶺鴒おりて水を浴ぶ 木津柳芽
鶺鴒のとどまり難く走りけり 高浜虚子
鶺鴒や水の流転はとこしなへ 三橋敏雄
黄鶺鴒叩きて渡る石の橋 青木起美子
鶺鴒や水際明りに二三匹 鈴木花蓑
鶺鴒のなぶり出しけり山の雨 一茶
庭の水恋ひて鶺鴒松の内 山口青邨
田の闇に鶺鴒鳴けり初手水 高田蝶衣
鶺鴒のための一石初景色 稲荷島人
鶺鴒の叩きし岩のへこみかな 河本勝利
鶺鴒のめくら飛びして散る紅葉 北川みよ子
鶺鴒や痛き白さの生丸太 百合山羽公
鶺鴒のひるがへり入る松青し 水原秋櫻子
潦また鶺鴒の黄を点ず 相生垣瓜人
鶺鴒の石あり淵は瀬とひかる 相馬 遷子
渓流の藍にも染まず白鶺鴒 石田あき子
鶺鴒に叩き頃なる石ならぶ 愛須真青
海に出て鶺鴒の色たしかなり 多武保和子
鶺鴒のあとをぞ刷きて波きゆる 伊丹 丈蘭
二階より守る鶺鴒の巣づくりを 馬場移公子
菱紅葉鶺鴒おりて水を浴ぶ 木津柳芽
鶺鴒の瀬に残照の眼鏡橋 広瀬釣仙
鶺鴒の瀬に帰らざる水翳り 矢ケ崎雅雲
潦また鶺鴒の黄を点ず 相生垣瓜人
鶺鴒や水際明りに二三匹 鈴木花蓑
鶺鴒の吹分れても遠からず 阿波野青畝
鶺鴒のとゞまり難く走りけり 高浜虚子
田の闇に鶺鴒鳴けり初手水 高田蝶衣
よき川のいよよつめたき黄鶺鴒 省二
鶺鴒の消えたる石の濡れはじむ 間石
鶺鴒のあとをぞ刷きて波きゆる 丈蘭
鶺鴒や湖の夜波が上げたる藻 明
鶺鴒の尾が叩きゆく布留の道 春秋
鶺鴒のひかり飛ぶものついばめる 草堂
鶺鴒を忘るともなく見失ふ 立子
鶺鴒の吹分れても遠からず 青畝
潦また鶺鴒の黄を点ず 瓜人
鶺鴒や屋根に石置く筏小屋 小波
鶺鴒のひるがへり入る松青し 秋櫻子
鶺鴒や水際明りに二三匹 花蓑
鶺鴒のなぶり出しけり山の雨 一茶
鶺鴒や潮来教へて岩づたひ 蓼太 (下総浦づたひ)
世の中は鶺鴒の尾のひまもなし 凡兆
鶺鴒の黄の滴れり山清水 堀口星眠
鶺鴒の波につまづき徒渡る 橋田憲明
潦また鶺鴒の黄を点ず 相生垣瓜人
春を鳴く黄鶺鴒の声黄色 勝村茂美
珈琲館鶺鴒の巣のあるらしき 岡崎筍林
鳴かでたゞ鶺鴒居るや石の上 泉鏡花
鶺鴒を忘るともなく見失ふ 星野立子
鶺鴒の尾を振りきそふ早瀬哉 尾崎紅葉
水痩せぬ鶺鴒走る石の上 佐藤肋骨
峡くれば鶺鴒ひそむ蕗の中 加藤楸邨
鶺鴒や菱取舟の舷に 数藤五城
背黒鶺鴒新樹を過る時しろし 小松崎爽青
鶺鴒の歩き出て来る菊日和 松本たかし
黄鶺鴒飛ぶ瀬を竹の皮走り 川端茅舎
北上の木をひきけむ黄鶺鴒 山口青邨
鶺鴒に寒の畠は傾きぬ 八木林之介 青霞集
鶺鴒のたはむれにくる早苗取 八木林之介 青霞集
蚊帳の外すでに鶺鴒疾かりけり 久米正雄 返り花
世の中は鶺鴒の尾のひまもなし 凡兆
刈株に鶺鴒下りる冬田哉 寺田寅彦
鶺鴒の尾を振り勢ふ早瀬哉 尾崎紅葉
鶺鴒や若葉たゝきに廂まで 尾崎紅葉
鶺鴒の石踏み来ては若葉哉 尾崎紅葉
鶺鴒のひひななれども尾の上下 三好達治 路上百句
鶺鴒のよけて走りし落椿 三好達治 路上百句
鶺鴒が掠めし水のみだれのみ 中村汀女
妻恋ひの鶺鴒に月雲を割る 原コウ子
鳴かでたゞ鶺鴒居るや石の上 泉鏡花
飛び立つて鶺鴒となる舟溜り 石井とし夫
鶺鴒のつつと水辺に胸映す 深見けん二
鶺鴒の止まれば光る磧石 山田弘子
鶺鴒の礫落しの光かな 山田弘子
谿の空鶺鴒の恋切りむすび 福永耕二
われを慕ふ少女あはれや黄鶺鴒
鶺鴒がたゝいて見たる南瓜哉 一茶 ■文政二年己卯(五十七歳)
鶺鴒や水の流転はとこしなヘ 三橋敏雄 畳の上
ヘレボルス・プルプラセンス 花のグラデーション
H・アーグチフォリウス 鋸葉
ニゲル これが本来のクリスマスローズだとか。
クロアチクス
オドルス
リヴィダス
いつも3月になってから何度も見に出かけるミモザ。
たまたま通りかかるとすでに咲き始めていた。
花ミモザ路地の堅さを塗り替える
法王の女友達花ミモザ
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