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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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すら懐かしい

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すら懐かしいミネストローネクリスマス

という句を作ったが、作った本人が、「すら懐かしい」の出所・意味を知らない。



アメリカの階級社会を一枚の画像でしめすとこうなるというスレからぱくり。

私にわかるのは、左の人物が下層階級を、真ん中が中産階級を、右端の人が上流階級を代表しているようにみえる。
体重でみれば、下層階級が最も肥えている。上流階級はむしろやせ形である。
60歳になっているかもしれないが、なお筋トレを続けてるようにみえる。
中産階級は下層階級により親近感をもっているようである。
上流階級は断ったはずのタバコを持っているのは不可解である。

スレの解釈者は、煙で、中産階級以下とのバリアを作っていると説明している。

上流階級が開いている新聞と読んでいるページについての解釈は私には不可能であるが、
解説者は意味深な解読作業を行っている。

中産階級は薄い、上流階級は濃いサングラスをかけている。
中産階級は野球ファンなのか?
このあたりも私には解説不可能。

詳しくは上のインク文字をクリック。どうぞ。


今日の神戸市北区淡河町の施設周辺
ここへは、月3回ほどやってくる。
今月は2日に来た。今日が2回目。



裏山はヒノキ林である。植林されたものであるがもはや枝切りは行われていない。

ミネストローネで検索。例句なし。
「懐かしい」で検索。例句なし。
「懐かし」ならあるかも。

あった。


昔からこゝはげんげ田懐かしや 山元 秀女

熱燗のさはられぬほど父懐かし 辻田克己

若き日をふと懐かしむ投扇興 八木綾子

亡父の夢覚めて懐かし鉦叩 河津紅子

はじき豆出初めの渋さ懐かしき 青木月斗

夜宮てふこの懐かしき匂ひかな 冨士田英甫

蝿取紙この懐かしき邪魔なもの 江原博子

魂迎素足に土の懐かしき 千代田葛彦

神田祭江戸つ子言葉懐かしき 倉田 健一

明け方の厠の蟲も懐かしき 佐々木六戈 百韻反故 初學

懐かしき遠稲妻や膝の上 高浜虚子


雑魚寝する身の懐かしき霖雨斎み 佐々木六戈

肩に来て人懐かしや赤蜻蛉 夏目漱石(1867-1916)

鳥曇漂着物みな懐かしき 宇多喜代子 象

懐かしみをればはやばや暦古る 手塚美佐

昔より今が懐かし初竈 手塚美佐



懐かしき匂ひと思ふ草いきれ 黒川悦子

夏の朝、伯父は荷車一杯の草を2回ほど庭に運び込み、
庭一面に撒くようにして干していた。
午後にはほし草の匂いが一面に漂っていた。
それは束にされ、牛小屋の上部の空間に運び込まれ、
冬用の牛の餌となった。

そういえば束ねた藁を裁断する器具があった。

伯父の後を継いだ従兄の時代には、牛どころか、鶏さえ、集落には1羽もいない。
Mrs Kのすむ集落でも鶏を飼っているのは、1軒だけではなかろうか?



ヒョウタン

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瓢箪の例句

瓢箪瓢箪らしき形かな 大塚 あつし

瓢箪瓢箪となる妻が畑 山口青邨

瓢箪のできすぎてをり水禍あと 寺田絵津子

瓢箪の大炭取の運ばるる 杉山 喜代子

瓢箪の種白かりし軽かりし 佐藤 亜矢子

瓢箪のそだちさがりのふらりとす 松澤 昭

瓢箪のみなちひさくて捨てられぬ 細川加 賀 『生身魂』

瓢箪の尻に集る雨雫 棚山波朗

瓢箪や大張り小張り赤児の声 中村草田男

ワルツ止み瓢箪光る黴の家 西東三鬼

大風に三尺瓢箪まかり出る 本多やすな

ぶらり瓢箪仰ぐだれもが隙ある顔 名取思郷

ピアノ連弾大小の瓢箪生る 林翔

結局は瓢箪苗を買ひしのみ 高浜虚子

瓢箪にしみさす迄や秋の雨 成美

たれこめて瓢箪生らす亭主かな 阿波野青畝

瓢箪が夜あそび覚えはじめけり 山尾玉藻

女男にて棲むあわれさは共どもに瓢箪に呑み込まるるごとし 阿木津英

たれこめて瓢箪生らす亭主かな 阿波野青畝

瓢箪が夜あそび覚えはじめけり 山尾玉藻

愛されず青瓢箪のくびれかな 大畠新草

瓢箪の出来の話も残暑かな 松本たかし

瓢箪や婆の三人の一人消え 岸田稚魚

歳月は還らざりけり瓢箪の口から種を抜き取っていた 山崎方代 迦葉

瓢箪の窓や人住まざるが如し

世は口切瓢箪空し野人が軒調 枕子 選集「板東太郎」

鉢釦かの岸とはん瓢箪船 才丸 選集「板東太郎」

瓢箪や青葉につなぐ牧の駒 丸露 選集「板東太郎」

この露に瓢箪公事も有りけるや 中村史邦

鉢叩かの岸とはん瓢箪船 椎本才麿

花にやどり瓢箪斎と自らいへり 松尾芭蕉

瓢箪の水の粉ちらす別れかな 内藤丈草




ひょうたん展

↑この作品の前に大勢の人が集まっていた。

愛憎の起伏おだやか残り福

聞かざると聞こえざるの間の朝の霜


ワイフが俳誌を読んでいて、桂信子さんの句の引用が不正確だと言い出した。そんな時は、キーワードを打ち込めば、確認可能と、「俳句検索」を推奨。

老ゆるとも乳房乳房薔薇の戸に 岸本尚毅 舜

陰も乳房もありて海月の漂える 高野ムツオ 蟲の王

西瓜抱き産まざる乳房潰すなよ 鷹羽狩行

浴衣着て海の青さに乳房しまる 墳崎行雄

乳房灼いて漁婦一生の影嘆く 秋元不死男

おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼

雲雀野に古墳乳房のごと並ぶ 宗像夕野火

乳房もて稲押し進む稗抜女 本間 一萍

白亜紀の青空を持ち乳房死ぬ 佐藤鬼房

打楽器が上野にありさみしい乳房 山本奈良夫

えつえつ泣く木のテーブルに生えた乳房 島津 亮

橋から橋へ駈けて乳房をかなします 多賀よし子

虎落笛ひしめくものに乳房あり 岸本マチ子

冬来ると言われて乳房やわらかし 鎌倉佐弓

いちじく熟れ母似の乳房あたたかき 川本洋栄

乳房掠める北から流れてきた鰯 金子兜太

牡丹植う乳房に狂気疑わず 藤原千秋

海胆の海どこへともなく乳房向け 飯島晴子

乳房に嬰ゐて蛙の目借時 柚木紀子

烏貝少女はいつか乳房抱く 上原勝子

メスの音乳房製かるる親子草 森 さち

わが乳房小さくなりし春の服 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

明日は失ふ片乳房なりちちろ憂し(手術の姉を看護る四句) 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

乳房でつながる仔馬にひしと霧流る(那須南ケ丘牧場にて二句) 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

吾が乳房潰るるほどに菊抱けり 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

白雨や感じやすくて堅き乳房 田川飛旅子 『花文字』

乳房ゆるるまで海女の浪うてる 柴田白葉女 『夕浪』

乳房の谷に日光籠めて昆布干す 齋藤玄 『玄』

冬木中乳房をさぐる如く行く(修善寺) 角川源義 『秋燕』

注連ながら男の根女の陰春まつり(伊勢國乳房山しあわせの宮三句) 上村占魚 『かのえさる』

病間やうすき乳房の春羽織(腎臓を病む二句) 『定本石橋秀野句文集』

セルを着て乳房窶るゝ科ありや 『定本石橋秀野句文集』

水爆記事山羊の乳房が朝焼けに 飴山實 『おりいぶ』

朝顔に乳房とられて添え乳させ 仁平勝 花盗人

ひなげしや土偶の乳房に指の跡 大木あまり 火球

大花火乳房を打つて終りけり 大木あまり 雲の塔

露寒や乳房ぽちりと犬の胸 秋元不死男

煙草咲くや乳房誇りて佐久の牛 才記翔子

輪島海女乳房に藻屑つけ哀れ 橋本鶏二

這ひよれる子に肌脱ぎの乳房あり 高浜虚子

三伏や山羊の乳房のずっしりと 武田鏑心

手にふれし汗の乳房は冷たかり 野見山朱鳥

浴衣着て少女の乳房高からず 高浜虚子

群青の乳房盛り上げ夏岬 高橋悦男

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂 信子

おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼

観音の乳房はりきり椿餅 萩原麦草

げんげ田に乳房拡げて牛憩ふ 高橋悦男

母子像の乳房に消ゆる春の雪 飯田弘子

海を聴き乳房のやうに死んだ鳩 三橋敏雄

晩年の乳房を見たる大鴉 井沢唯夫

花八手薄き乳房は嘆くべし 楠本憲吉

乳房の張りくる至福冬ひばり 横山千夏

狛犬に乳房が六つ山眠る 仙 とよえ

丸二つ描きて乳房や雪もよひ 折井眞琴

虎落笛ひしめくものに乳房あり 岸本マチ子

乳房掠める北から流れてきた鰯 金子兜太

干柿の手入れ乳房を揉む如く 宮入河童

雁渡し乳房が張るという感じ 坪内稔典

西瓜抱き産まざる乳房潰すなよ 鷹羽狩行

写真の子が乳房吸いだす広島忌 古田 海

菖蒲湯に子のなき乳房沈めけり 高橋秀夫

八人が育ちし乳房汗を拭く 千田とも子

浴衣着て少女の乳房高からず 高濱虚子

ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂 信子

おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼

乳房よりこぼるる仔豚桃の花 松本ゆき江

桃の花乳房に埋まる嬰の目鼻 児玉素朋

働いて乳房冷たし山桜 滝澤眞保子

畑打や春風に乳房ひろげけり 神津美那女

乳房なき胸にともすや愛の羽根 三谷 和子

白桃をいだきし乳房濡れゐたり 仙田洋子 雲は王冠

恋蛍ひとつ乳房の間に入れ 仙田洋子 雲は王冠

乳房鋭し雪稜線に近き夜 仙田洋子 橋のあなたに

つんとせし乳房を抱く月朧 仙田洋子 橋のあなたに

寒木瓜や乳房吸ふ手の紅さし来 田中茗児

カンナ燃ゆ乳房にふせる双手ぐせ 大沼よし子

葡萄掌にうける乳房の重みなり 田辺香代子

子を抱くや林檎と乳房相抗ふ 中村草田男

乳房ある故のさびしさ桃すすり 菖蒲あや

稲架の上に乳房ならびに故郷の山 富安風生

露寒や乳房ぽちりと犬の胸 秋元不死男

乳房にああ満月のおもたさよ 富沢赤黄男

すずらん活け癩一生の乳房抱く 上山茂子

海女若し乳房かくして瓜噛る 中井大夢

青ぶだうきりりと固き乳房欲し 菊池芳女

灯取虫母になほある乳房の形 宮津昭彦

乳房吸う仔鹿せせらぎ吸う母鹿 西東三鬼

海女日焼せし日は乳房忘れゐる 金賀勿来

手にふれし汗の乳房は冷たかり 野見山朱鳥

泳がむとすすむ乳房の浪隠る 山口誓子

夜は重き乳房をもちて水の番 榎本冬一郎

天瓜粉打つて乳房を子に与ふ 吉種千鶴子

おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼

初夏の乳房の筋の青さかな 野村喜舟

犬見せて五六の乳房嫁菜萌ゆ 秋元不死男

接骨木の芽を見仁王の乳房見て 山口青邨

雁風呂に母の乳房の貧しさよ 鷹匠子朗

輪島海女乳房に藻屑つけ哀れ 橋本鶏二

乳房たぷたぷ垂れて蚕飼かな 飯田蛇笏




ショウちゃん

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大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とは、大東亜戦争太平洋戦争)完遂のための大政翼賛の一環として1942年1月から終戦まで実施された国民運動。大東亜戦争(対米英戦争)開戦の日(1941年12月8日)に「宣戦の詔勅」が公布されたことにちなんで、毎月8日に設定された。

1942年1月2日に閣議決定され、同月8日より実施。これに伴い、1939年9月から毎月1日に行われていた興亜奉公日は廃止となった。大詔奉戴日は大東亜戦争中は継続するものとされていた。

大詔奉戴日の趣旨は「皇國ノ隆替ト東亞ノ興廃トヲ決スベキ大東亞戰爭ノ展開ニ伴ヒ國民運動ノ方途亦畫期的ナル一大新展ヲ要請セラルルヲ以テ茲ニ宣戰ノ大詔ヲ渙發アラセラレタル日ヲ擧國戰爭完遂ノ源泉タラシムル日ト定メ曠古ノ大業ヲ翼賛スルニ遺算無カランコトヲ期セシメントス」とされ、興亜奉公日より一層戦時色の強いものとなった。国旗掲揚、君が代吹奏、宮城遥拝、詔勅勅語の奉読などの他、学校では御真影の奉拝や分列行進なども行われた。

興亜奉公日で推奨されていた、児童・生徒の日の丸弁当は引き続き実施されたが、戦争末期になると食糧事情が悪化し、日の丸弁当ですら容易に作ることができなくなっていった。

1942年1月8日生まれで、詔一などという名を持つ人がいれば
間違いなく名付け親は、戦争勝利祈願の思いを新しく生まれた子に托したしたのであろう。大詔の詔は詔勅の詔で、大は偉大の大である。

しかし今だかって詔一という名の人に出会ったことがない。

よってこのブログの筆者ショウちゃんも詔一ではない。


大正生まれの人で正一という人は多い。同様に昭和生まれの人で昭一という人も少なくない。

しかし昭和元年生まれの昭一といういう人には出会ったことがない。
なにせ昭和元年は、12月29日、30日、31日の3日しかない。

便宜上Ⅰ年間の出生数が当時、190万人であったとすれば昭和元年生まれの人は
1万5千人程度しかいない。
しかし産婆さんと妊婦さんの努力で、実際はこの3日間の出生数は、一日当たりの平均出生数よりかなり少なくなるはずである。
3月31日生まれの人が少ないのは別の事情による。

昭和元年生まれの人は徴兵検査を受けていないと思う。
しかし特攻機に乘った人の中には、昭和元年生まれがいたかも。

正一さんや詔一さんの暖房器具は、掘りごたつと↑のもの。

↑のものは大正時代、昭和1ケタ時代、あるいは1945年以前に普及していたのであろうか?

↑わたしはこれも利用した覚えがない。

幼少期、美作ではもっぱら掘りごたつであった。

通し間に行者ごろ寝の掘炬燵 浜朝風子

忠も義もとどのつまりは掘炬燵 仁平勝 東京物語

読みきれぬ本をかかへて掘炬燵 高橋光江

掘炬燵薄ら日なれどとゞきけり 黒田櫻の園

子等遠し二辺を余す掘炬燵 野上 水穂

ひとりでも生きられるけど掘炬燵 櫂未知子 蒙古斑以後

掘炬燵背を丸めてはならぬ場所 岩坂満寿枝

ヒペリカム

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朝、2か月目の歯科検診。思いかけず、次回予約日の設定なし。
医院を出てから尿意。医院に戻るのも気が引けるので、目の前にある駅の構内へ。
そのまま十三駅まで乗車。

駅前の火事跡見学。


↑全焼をまぬがれた部分は営業再開。少し道路面を広げる措置が取られたか、道路にはみ出していた部分を返上したか。
反対側の、阪急電車との間の部分は更地のまま。最低限の道路幅を確保するためには、
もともと一列のカウンター席しかなかった店は、全ての店が営業再開はむつかしいと思う。


ヒペリカム・ヒデコート

ヒペリカム・カリシナム

花図鑑の説明

ヒペリカムの仲間には有名なキンシバイ(H patulum)やビョウヤナギ(H chinense)もあり、種類が多岐にわたりますが、園芸店で通常ピペリカムの名で販売されるものは、常緑で花や斑入り葉を楽しむヒペリカム・カリシナム(H calycinum)とその交雑種のヒペリカム・モゼリアヌム(H×moserianum)、半落葉で主に実を楽しむヒペリカム・アンドロサエマム(H androsaemum)です
以前から切花として親しまれてきたアンドロサエマム(写真上)は、最近実つきがよく実の色の鮮やかな改良品種が出回るようになって注目されています
いずれも花色は黄で、カリシナムはやや大きな花。アンドロサエマムは小さな花です
葉は緑でやや硬め印象。改良種として黄金葉やピンクと白の斑入り葉が出回ります

アンドロサエマムの見所である実は赤やピンクなどがあり、頂部近辺に固まってつけます

ヒペリカムでは例句はないであろう。キンシバイ(金糸梅)でも例句見つけられなかった。
「俳句検索」での未央柳の例句は紹介した記憶あり。

「続俳句検索」を検索。

水辺の未央柳は揺れ易し 清崎敏郎

又きかれ未央柳とまた答へ 星野立子

未央柳こぼれ初めてより頻り 白石時子

しなだるる未央柳の蕊の雨 江藤ひで

未央柳蝶が紛れてしまひけり 水原京子「新山暦俳句歳時記」

胡姫の舞おもはす未央柳かな 富岡桐人「かつらぎ選集」

馬車通しお喋り未央柳の黄 駒志津子

淀川の右岸を通り、JR塚本駅まで歩いて、JR尼崎駅→市バス。歩いたのは7600歩。

河川敷には数えきれないほどの野球グランドが設置。くじ引きか何かで割り当て地を貰い、
ネットなどを準備するのであろう。
↑は上流を見ている。梅田のビル街が見える。
橋は阪急電車の鉄橋。
↓は下流、JRや国道の橋を見ている。



クローバーの残り花。ヘラオオバコ、ヨモギ、かたばみなどが見える。

土手で草抜き(根抜き)をやっている人がいた。一面が藪からしか葛の葉で覆われ(ご本人の弁では蔦)、芝が育たないのでということであった。
通りすぎてかなり進んでも土手に抜き取った根が転がっていたので、敬意を表して撮影。


こういう風景の場合はマンションと呼ばないのかも。11階建て。





駅前

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尼崎市内には、JRの駅が4つある。
阪急電車の駅は3つ。
阪神電車の駅は5つ半。(武庫川駅は武庫川の川の上にホームがあり、東半分が尼崎「市内」で西半分が西宮市内である。阪神電車の武庫川線は武庫川の右岸を走っているのですべての駅は西宮市内である。

尼崎市内最大の駅はJR尼崎駅である。
それに相応しい様相を呈し始めたのはここ数年のことである。
しかし今や手狭な感じがしないでもない。


駅北側のシンボルは、梅川の像

像は駅の2階の通路の北側出口前にある。
そこから道路をまたぐ通路が、一本は複合商業ビルヘ、一本は、駅前全体がビール工場の跡地地であったことを物語る名の付いたホテルとそれに隣り合った複合ビルへつながっている。

↑JR線に沿った狭い専用通路を通って、12時になると、
JR西日本の関連会社の社員がぞくぞくと昼食会場へ急いでいる。
社員食堂はないようだ。
駅周辺だけで食事のできる店は100店舗位あると思う。

↑何か新しいメディカルセンターができたようである。

ついでに今日の阪急三宮駅駅裏風景


蝋梅

句会出席 神戸句会
残り福フィカス・プミラの実を拾う


レジデンス

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2015年12月28日の画像

「レジデンス」、なんとなく「マンション」という語が高級感がなくなってきたためか、
新築集合住宅にこの名称がよく使われるよう。他にも類似のカタカナ表記はいくつかある。
メゾン、パークハウス、コーポラス、シャトー、ハイツ、コートなど。
コーポラスは、コープと音が似ているので、よほど自信がないと営業効果は期待できない。
「平成長屋」なんて呼称つけたら倒産必至。
「長屋」で「俳句検索」を検索。66句。ただし長屋(せい子)さんの句を間引いたら
以下。


しだり尾の長屋長屋に菖蒲哉 服部嵐雪

大阪の芸人長屋吊忍 斎藤朗笛

芽木長屋夜濯ぎに鳴るポンプいくつ 飴山實 『おりいぶ』

路地裏の長屋に大き長火鉢 山根きぬえ

長屋門くぐりて秋の大藁屋 高野イツ子

憲法記念日裏町長屋見透しに 石川桂郎

長屋門映す代田となりにけり 梅本安則

故郷も隣長屋か虫の声 其角 (柴雫と伊勢を語りて)

天高し橿となりたる長屋王 中杉隆世

鳳仙花空けば又住む門長屋 石島雉子郎

蟻地獄長屋のごとく並びけり 日原傳

長屋や黄に紅に鶏頭花 河東碧梧桐

井戸替の綱曳きに出る長屋哉 星野麦人

早梅や奥で機織長屋門 吏門 古句を観る(柴田宵曲)

兵舎長屋夏草に燈ともし出航真際の船の如し 橋本夢道 無礼なる妻

秋の夜の独身長屋むつましき 一茶 ■享和三年癸亥(四十一歳)

朝霜に摺餌摺るなり歩(かち)長屋 梨月 俳諧撰集「藤の実」

日暮から長屋へやつて砧かな 如元 八 月 月別句集「韻塞」

駅頭に藪を出づ長屋鶏頭燃ゆ 河東碧梧桐

早梅や奥で機織長屋門 吏門

パークに相当する部分にあまり土地を避けない状態であるが(駐車場付き住宅の意味でなければ)新春を迎え、ラストスパートである。

1月3日

1階部分が道路から丸見え状態であるので、覆いがかかっている。

1月9日↓

1月12日↓

1月13日↓

目隠しが取れて(この日にとれたかどうかはわからないが)側溝の整備。オープン形式であったが、道路面として利用可能な形式になった。

1月末完成、3月入居開始の幕がつけくわわった。1月15日
予定より半年遅れたかも。

造園植栽活動も。これで、通行人は樹を楽しめる。1階住人のプラバシーも守られる。
しかし1階のリビングは南向きだが、日は射し込まないかも。

追記:ブログタイトルにレジデンスなどと名付けると、
たちまちブログの横に、レジデンスの広告が入る。
UP後画像を確認すると、紹介しているとレジデンスの広告も画面右端に登場。似たものが二つ登場するが、駅から徒歩4分の方が本日のテーマ。

杭打ちの問題が生じたときには、このマンションの杭打ちは終わっていたが、たぶん問題は抱えていないと思う。岩盤まで10メートルもないはず。なにせ縄文時代には浜辺であった地区である。




西宮北口

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JR尼崎駅のメインの出口は南出口であったが、今や再開発によって北側に移った。
阪急西宮北口駅のメインの出口は震災前まで北側であったが、貧素なものだった。
南出口は阪急西宮球場に向いていたが、道も狭く、北側以上に貧素であった。


↑奥のビルが西宮プララビル。市の図書館や公民館が入居している。

現在は様変わりしている。
様変わりしてもう10年以上たつが、依然として新しい街だとわかる。

↑県立芸術文化ホール
その横のビルの6階が西宮句会の会場。
2階部分でつながっている。

ローズマリーの香が漂う。

出句3句

マメカミツレへ新人歌手の声届く
薺粥男子厨房に入り浸り
薺粥老々介護のその先は





ベゴニア

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我が家の屋内で越冬中のもの。



カランコエ色は冴えないが、咲き揃い始めた。

原産地はマダガスカル島南アフリカ東アフリカソコトラ島。他、インドマレー半島中国などに分布。

草丈15-80cmの低木で、多肉質の葉を持つ多年草短日植物である。花弁は5枚でやや反り返っていて、星の形に開ける。

一般に園芸店などで扱われるのは、ベニベンケイであることが多い。矮性種、高性種、斑入り種、などバラエティーに富んでおり、花色も、白、黄色、ピンク、オレンジ等豊富である。

開花時期は秋から春だが、カランコエは日の長さが短くなると花芽がつきやすくなるので、夜も人工光が当たる環境ではいつまでたっても花が咲かないことがある。この性質を利用して、光が当たる時間を調節すれば一年中花を楽しめる。

いくつかの種は、葉の鋸歯部分に生長点を持っているのが大きな特徴である。葉が脱落するとここから発芽し新しい個体を形成する、栄養繁殖能力に優れている。コダカラベンケイや不死鳥錦などは葉が親株についているうちから盛んに新芽を出す。他の種でも稀に葉から芽を出すことがある。


分類にもよるが、数十種から百数十種が属する。


↑のカランコエは、紅弁慶・カランコエ・ブロスフェルディアナ。

ベゴニアにも各種各様。

私は、紫葉ベゴニア・センパーフローレンスと
木立ベゴニア天の川と思っている。

どちらも例句は少ない。
辺戸岬狼煙の跡の弁慶草 山田春生

すれ違ふ故郷訛り弁慶草 大沢知々夫

弁慶草鋸山を目の前に 丸 千總子

弁慶草沸々の日は立ち上がる 松田ひろむ

妻子とほし弁慶草に夕せまり 鳥居露子

種牛の横振り来る貌弁慶草 池上樵人

雨つよし弁慶草も土に伏し 杉田久女

弁慶草のもみぢふはふはの朝日 金田咲子

がむしゃらの弁慶草も枯にけり 一茶




ここで詠われているベンケイソウは、紅弁慶ではなく、セダムと呼ばれる種だと思う。「カッランコエ」は季語として認定を受けていないようである。

ベゴニア (Begonia) とは、シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベゴニア属、学名Begonia)に属する植物の総称。Begonia の名はフランス人ミシェル・ベゴン(Michel Begon, 1638-1710) の名に由来する。フランスの植物学者シャルル・プリュミエ(Charles Plumier) が1700年に出版された書物の中で6種をベゴニア属として紹介した。Begon はフランス領アンティル諸島の総督(在職1682-1685)であり、プリュミエを当地における植物採集者としてフランス王ルイ14世に推薦した人物だった。


秋海棠なら例句多数。

秋海棠まだ降りたらぬ空の色 中野千代

本阿弥のここら野屋敷秋海棠 水谷芳子

うみばれの風あり秋海棠の花 榎本好宏

願かけて秋海棠を惜しみけり 岡田壮三

秋海棠ほろほろ言葉染まるなり 河野多希女

筆洗ふ水を切りたり秋海棠 中西舗土

秋海棠馬籠ははしる水ばかり 谷 迪子

うつむきて秋海棠は雨の花 相馬 真砂子

秋海棠咲きつぎどこからが晩年 蓮田双川

うみばれの風あり秋海棠の花 榎本好宏

櫛拭いて秋海棠の花を見て 藤田湘子

秋海棠ほろほろ言葉染まるなり 河野多希女

二児の父らしくある日の秋海棠 波多野爽波 『一筆』以後

長雨に堪へて咲きけり秋海棠 由良つや子

秋海棠まだ降りたらぬ空の色 中野千代

咽喉口に酸素つめたし秋海棠 石田波郷

声あげて滝の伸びゆく秋海棠 角川春樹

女去つて秋海棠の茎紅し 沢木欣一

秋海棠眉目よく古ぶ佛たち 滝 春一

若き日の妻の写真や秋海棠 大谷恵教

病める手の爪美しや秋海棠 杉田久女

手拭に紅の付きてや秋海棠 支 考

花のなき秋海棠は唯青し 高浜虚子

うなだれて花恋ふ花よ秋海棠 渡辺水巴

秋海棠一本ありて雨を愛す 山口青邨

秋海棠翁の杖に触れにけり 竹内悦子

茶室までひびく山水 秋海棠 土田桂子

秋海棠咲いてをれども見に行けず 長尾 雄

臥して見る秋海棠の木末かな 正岡子規

手拭に紅のつきてや秋海棠 支考

秋海棠熱退く足の裏白し 依田由基人

人去りぬ秋海棠にあめふる日 深江てる子

病める手の爪美くしや秋海棠 杉田久女

秋海棠一本ありて雨を愛す 山口青邨

汝をそこに彳たしめてよし秋海棠 富安風生

美しく乏しき暮し秋海棠 富安風生

梳る秋海棠の日和かな 大野穆堂

臥して見る秋海棠の木末かな 正岡子規

書を愛し秋海棠を愛すかな 山口青邨

秋海棠ぶるぶる犬のふるへをり 岸本尚毅 鶏頭

山の雨ひとつぶのせて秋海棠 佐藤美恵子

咽喉口に酸素つめたし秋海棠 石田波郷

秋海棠なまめけり父睡るまも 栗田九霄子

紅閨や秋海棠に灯のもるゝ 豌豆痩石

古銅にて小壷なるかな秋海棠 阿波野青畝

梳る秋海棠の日和かな 本田穆堂

色つぎや秋海棠の茎の節 阿波野青畝

秋海棠口紅つけし母知らず 田中英子

われになき女きやうだい秋海棠 猿橋統流子

秋海棠雨のシユトラゥス濡れ給へ 桂樟蹊子

秋海棠紅い茎葉のハート形 滝井孝作 浮寝鳥

秋海棠煉瓦畳に咲きみだれ 滝井孝作 浮寝鳥

中庭や小窓に雨の秋海棠 寺田寅彦

秋海棠女の手植おほつかな 尾崎紅葉

地に印す梯子の跡や秋海棠 会津八一

蜂とぶや秋海棠の葉陰より 会津八一

石灰を撒きつけられて秋海棠 会津八一

待避壕埋めて幾年秋海棠 吉屋信子

病める手の爪美くしや秋海棠 杉田久女

秋つひに秋海棠も咲かざりき 北原白秋

子文書のにほひ蒐めし秋海棠 伊藤敬子

秋海棠窓下の蕗の中にまで 瀧井孝作

秋海棠きらめく露をよそにかな 久保田万太郎 流寓抄以後

三回忌秋海棠にはやくもや 久保田万太郎 流寓抄以後

露ふかし秋海棠になかんづく 久保田万太郎 流寓抄以後

秋海棠水引草の露けしや 臼田亞浪 定本亜浪句集

秋海棠西瓜の色に咲きにけり 松尾芭蕉

翠簾(みす)際に秋海棠の袂かな 立花北枝





たこ焼き

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年賀状、8枚くらいは「あたり」だろうとざっと調べたら、ちょうど8枚があたり=切手シートであった。
1等、2等は調べない。時間の無駄だと思っている。

今年になって、焼きそばは1回、お好み焼きも1回。
たこ焼きは今日が2回目。 昼食に焼き肉をたらふく食った息子の所望。(我ら夫婦の昼食はコストコで買って冷凍保存していた残りピザ)

ということは、年365回の夕食のうち40回くらいは上記の焼き物3品のどれかである。ということは10日に1度は焼きそばかお好み焼きかたこ焼きをたべている計算になるが、
夕食だけではさすがにそれほどは食べていないと思う。
昼食を含めれば40回以上食べているのは確実。

食洗器に皿押し並べ小正月

たこ以外に、こんにゃく、ちくわ、ショウガ、ネギのみじん切りを用意。後は、天かす、青のり、鰹節(粉とふりかけ)

↑も持っているが、撮影用に持ち出しただけで最近は使わない。
粉が沈んで、後になるほどたこ焼きが固くなるから。

もっぱら鍋かガラスボウルを用いてその都度溶きながら、注いでいる。

最近は、たこ焼き用の粉を利用して粉と水の比率もおおむね袋裏に書かれているレシピに従っているが、卵や水はやや多めに使っている。


「レシピ」では例句なし
「料理」は多い


料理屑流れ行くあり船料理 高浜虚子

天地はもともと一つ牡蠣料理 高野ムツオ 雲雀の血

料理のつぺい汁もその一つ 伊藤柏翠

舞茸や杉箸ふとき坊料理 桂樟蹊子

ひぐらしのこゑ沁みとほる山料理 辻田克巳

川霧の深きに佐久の鯉料理 大久保幸子

サボテンの花ながめつつ鱶料理 大島民郎

大阪を離るる気なし鱧料理 下村非文

映る灯の浪華と思ふ船料理 嶋田峰生

あはあはとまたぬれぬれと川床料理 野澤節子

若者の脛もてあます川床料理 水原春郎

灯のゆれて酔こもるなり船料理 矢島渚男

美しき緑走れり夏料理 星野立子

大皿を廻し廻して夏料理 星野 椿

川甚に来れば雨やむ夏料理 村山古郷

料理貝の名訊いて忘れけり 星野麥丘人

料理燦たり昏れゆく河口背に 楠本憲吉

大盛に奄美の首夏の豚料理 邊見京子

舟座敷ゆるるもたのし舟料理 大野 茅輪

一卓にナポレオンあり夏料理 池谷 陶魚

月の出の待たるる海や夏料理 古賀 雁来紅

直会に田螺料理や田螺祭 久垣 大輔

一菜は木の芽田楽寺料理 北村 光阿弥

潮騒をつのらす*むつの活料理 市村究一郎

開戦記念日みなさんにはすっぽん料理 増山美島

極道の隣に食べる夏料理 三浦北曲

真中に鮑が坐る夏料理 鈴木真砂女

一品は葉に盛られたる夏料理 橋本白木

夏山や水のいろ香の鯉料理 原裕 『青垣』

妻病ませ根深料理ると鷲掴み 小林康治 『四季貧窮』

帯ちらと葉がくれに去り夏料理 阿部みどり女 『光陰』

男手の料理勤労感謝の日 川村甚七

蒟蒻の捩れし料理運動会 武田忠男

錆鮎の尾の反り返る簗料理 村上辰良

天高しカードで支払ふフランス料理 土橋いさむ

南瓜煮て田舎料理は山盛に 斉藤葉子

いたどりの花活けてあり鮎料理 北川まどか

料理水は夜へと急ぎをり 有働 亨

夕焼けて何もあはれや船料理 中村汀女

くたびれし足なげ出して船料理 星野立子

立ち上る一人に揺れて船料理 高浜年尾

水音を一品にして夏料理 榎本栄子

塩漬けの桜の香る夏料理 秋川ハルミ

箸割れば杉の匂ひや夏料理 福原紫朗

美しき緑走れり夏料理 星野立子

鐘の音や箸待つのみの夏料理 中村草田男

燈の映るものの多くて夏料理 鈴木鷹夫

寂寞と一汁あつし夏料理 前田普羅

帯ちらと葉がくれに去り夏料理 阿部みどり女

大阪を離るる気なし鱧料理 下村非文

スパイスに汗を流してタイ料理 毛利友美

彩りに海のもの添へ川床料理 飯島正人

バイキング料理が付いて蛍狩 土橋いさむ

柚の花やむかししのばん料理の間 芭 蕉

うろこ飛ぶ男料理の桜鯛 中村純代

母と娘で作る和洋の節料理 大塚とめ子

料理のつぺい汁もその一つ 伊藤柏翠

手抜き料理骨抜き俳句年つまる 郡山とし子

柚の花やむかししのばん料理の間 芭蕉

一日を下京にゐる鱧料理 橋本榮治

料理雨存分にふらせけり 林 たかし

象潟や料理何食ふ神祭 曾良

料理果ててそのまま艀置く 原田かほる

板一枚尻に上司と船料理 嶋田麻紀

ひんがしに月色を得つ川床料理 西村和子

食材は夕網のもの夏料理 山田ひろし

鐘の音や箸持つのみの夏料理 中村草田男

大き樹に大き空ある夏料理 浅田青篁

寂莫と一汁あつし夏料理 前田普羅

帯ちらと葉がくれに去り夏料理 阿部みどり女

美しき緑走れり夏料理 星野立子

妻留守の燈火親しき料理本 工藤義夫

新涼の小箱に溜まる料理メモ 斎藤 道子

紫陽花忌橋下に雨の舟料理 吉田芙水

アネモネや留守を預かる料理メモ 麻植 悦子

空也忌の京に宿りぬ湯葉料理 高畠明皎々

毟らるる菊芳しき料理かな 前田普羅

料理水は夜へと急ぎをり 有働亨

いつまでも簾西日の船料理 後藤暮汀

立ち上る一人に揺れて船料理 高浜年尾

夕焼けて何もあはれや船料理 中村汀女

あはあはとまたぬれぬれと川床料理 野沢節子

かりそめに妻が料理す洗鯉 大谷句仏

料理てふ附録読み臥す身かな 国分咲子

教材の牛乳パセリ夏料理 大西ヒロコ

美しき緑走れり夏料理 星野立子

帯ちらと葉がくれに去り夏料理 阿部みどり女

鐘の音や箸待つのみの夏料理 中村草田男

寂寞と一汁あつし夏料理 前田普羅

遅日寧し豆腐料理に腹満たし 大野林火

かもあつうしてや料理の水いり菜 宗因

新蓮の料理もいでて盆らしや 素十

いさゝかな料理出来たり土用干 蕪村

夕焼けて何もあはれや船料理 汀女

象潟や料理何食ふ神祭 曾良

小骨切る父の上手や鱧料理 魚洞

料理して今日もくらしつ桜鯛 重頼

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コウテイダリア



曳のにころがる蜜柑かな 金子 九九

座右の銘を語れ しらいししずみ

年々やに着せたるの面 芭 蕉

万緑やの子はもうの貌 山田麦車

曳の肩にまたたくなりし 原石鼎

曳似たり似たるかな 伊東極浦

曳の寒々と投げ出さる 中谷朔風

曳のを抱いたる日暮かな 尾崎紅葉

を待つのこしかけ朧月 鬼子

月光や・皿・更紗・・更紗 依光陽子

酒やが見おくる雁の腹 龍岡晋

曳のを抱いたる日暮かな 尾崎紅葉

曳のに着せたる春衣哉 幸田露伴 江東集

曳はつゞれ小は錦哉 幸田露伴 江東集

年々やにきせたるの面 芭蕉 芭蕉庵小文庫

をみるにみらるるさむきわれ 富澤赤黄男

を聞く人捨子に秋の風いかに 
を泣く旅人捨子に秋の風いかに 松尾芭蕉

年々やに着せたるの面 松尾芭蕉

引はの小袖を砧哉 松尾芭蕉

引はの小袖をきぬた哉 松尾芭蕉

年々やに着せたるの面 松尾芭蕉

の箱引きずつて銭を乞ふ 岡崎泊葉子

人に似てかなしきを回しけり 西島麦南

廻し去る時雪の戸口かな 原 石鼎

回し松上の雪こぼし去る 三宅一鳴

裏門司の霞に帰るまはし 竹下流彩

曳を見しは葛飾波郷ゐて 加藤楸邨

女舞ひ田彦酌む島の初春 文挾夫佐恵

霜枯の一樹をたのみ見張 角川源義

舟宿のうらに出づ枇杷の花 浜 明史

蜜柑盗みに山がくる雨がくる 秋元不死男

藷掘りをが見に来る岬かな 須原正三

樫の実が落つ石の頭を打つて 西谷芳雄

鼻欠の石よ青蜜柑の木 佐藤鬼房

柿に一渓の冷え集めたる 河野南畦

酒や山姥住みし洞はこれ 小林樹巴

酒や鬼の栖むなる大江山 青木月斗

酒に酔ひては雨の飛騨泊 羽田岳水

酒にさも似し酒を醸しけむ 水原秋櫻子

島のが囃せり鱗雲 富田潮児

屋久が春服の裾ひきやまず 森 孝子

虚子句碑に遊ぶ子や椿の実 野田 武

酒を酌みて庵主の恙なし 谷 繁子

酒や大言壮語衰へず 高橋 向山

高崎山に生まるゝ子枇杷熟るる 草本 美沙

曳に小さき人輪戎橋 山田 静雄

渓谷に蹤き来てと宙 愛す 玉乃井 明

悲劇観せるの親方若過ぎぬか 上野敬一

この位の大きさの緑の翅のあるを 大岡頌司

の手の届くまで母性愛 高田ヨネ子

初しぐれも小蓑をほしげ也 松尾芭蕉

冬晴れの天眞らんまんを撲つ 若森京子

宝くじ買ひしには落花生 吉田素糸

門前に育ちても盆支度 鈴木栄子

雨乞の草鞋をながすケ石川 小原啄葉

横川には多くて冷し瓜 斎藤夏風

の手が檻から伸びて夏休み 鈴木伸一

青水無月うしろ手をに見られて 伊藤淳子

に大きく揺れて手毬花 青柳志解樹

はざくらを子は渦巻きだと思う 夏石番矢

春愁や尻叩かれしはじき 小松崎爽青

青竹を曳き寒の前とほる 向井 秀

に谷の琵琶滝ねむりけり 大島民郎

春の風邪なほ三をきめこんで 河野南畦 『元禄の夢』

茸二斗飲むたより年の豆(石川桂郎氏に) 角川源義 『西行の日』

あかゞりや飯欲り哭けばの顔(自嘲) 『定本石橋秀野句文集』

丈六へが拾ひしあとの栗(阿波大仏) 飴山實 『次の花』

金魚屋の夕急ぎて曳町 阿部みどり女 『光陰』

まだ栄ゆ老舗飴七五三 水原秋桜子

に大きく揺れて手毬花 青柳志解樹

の糞凍てて発電所への道 引間芳春

回し聞けば聞かるる低き唄 中村汀女

人に似てかなしきを回しけり 西島麦南

舞ひの人を見る眼ぞいとけなき 臼田亜浪

竹馬をよけて通るやまはし 高浜虚子

引くときの綱のほそさよ廻し 原 石鼎

も座に侍す講書始かな 安藤橡面坊

裏門司の霞に帰るまはし 竹下流彩

奈良町の生字引なり回し 藤 彩子

空席ののこしかけ初霞 嶋野國夫


越冬頭脳明晰かもしれぬ 細谷定行

落葉して腸寒しの声 北 枝

面つけてになりたる里神楽 加藤高秋

見張りゐる絶壁の冬の月 畑中とほる

動くものみななりし紅葉山 中島まつ枝

酒は月下に醸す慣ひなり 浜崎良彦

直会として酒を賜りぬ 前川菁道

国道をのはしる初嵐 武村幸子


猿の例句多し。
「申」、もうすと詠ませる句は多いが、「さる」と読ませるものはわずかであった。



たこ焼き  15個
私が11個、ワイフ4個 昼食 もちろん昨日の残り。


崖上の猿が人気の薄紅葉

箕面の滝道にて。去年ではなく、1昨年の風景

蕪村

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「蕪村  猿」で検索

この村の人はなり冬木だち 蕪村

淋し身に杖ワすれたり秋の暮 蕪村 秋之部 ■ 丸太夫賛

我がてに我をまねくや秋の暮 蕪村 秋之部 ■ 丸太夫賛

どのゝ夜寒訪ゆく兎かな 蕪村 秋之部 ■ 山家

このむらの人は也冬木だち 蕪村 冬之部 ■ この句は夢想に感ぜし也

弓取に哥とハれけり秋の暮 蕪村 秋之部 ■ 丸太夫賛

凩や何をたよりのおがせ 蕪村遺稿 冬

門を出れば我も行人秋のくれ 蕪村 秋之部 ■ 丸太夫賛

このむらの人は也冬木だち 與謝蕪村

どのの夜寒訪ゆく兎かな 與謝蕪村


猿丸太夫と百人一首の結びつきさえ知らなかったので、ウィキペさんで学習。

猿丸大夫(さるまるのたいふ / さるまるだゆう)とは、三十六歌仙の一人。生没年不明。「猿丸」は名、大夫とは五位以上の官位を得ている者の称。


元明天皇の時代、または元慶年間頃の人物ともいわれ、実在を疑う向きもある。しかし『古今和歌集』の真名序(漢文の序)には六歌仙のひとりである大友黒主について、「大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次(つぎて)なり」と述べていることから、すくなくとも『古今和歌集』が撰ばれた頃には、それ以前の時代の人物として知られていたものと見られる。

「猿丸大夫」という名について六国史等の公的史料に登場しないことから、本名ではないとする考えが古くからある。さらにその出自についても、山背大兄王の子で聖徳太子の孫とされる弓削王とする説、天武天皇の子弓削皇子とする説や道鏡説、また民間伝承では二荒山神社の神職小野氏の祖である「小野猿丸」とする説など諸説ある。

猿丸大夫に関する伝説は日本各地にあり、芦屋市には猿丸大夫の子孫と称する者がおり、にも子孫と称する者がいたという。長野県戸隠には猿丸村というところがあって、猿丸大夫はその村に住んでいたとも、またその村の出身とも伝わっていたとの事である。しかしこれらの伝説伝承が、『古今和歌集』や三十六歌仙の猿丸大夫に結びつくかどうかは不明である。

なお哲学者梅原猛は、著書『水底の歌-柿本人麻呂論』で柿本人麻呂と猿丸大夫は同一人物であるとの仮説を示しているが、これにも有力な根拠は無い。

小倉百人一首』には猿丸大夫の作として、以下の和歌が採られている。


おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき

— 小倉百人一首5

ただしこの歌は、『古今和歌集』では作者は「よみ人しらず」となっている。菅原道真の撰と伝わる『新撰万葉集』にも「奥山丹 黄葉踏別 鳴鹿之 音聆時曾 秋者金敷」の表記で採られているが、これも作者名はない。また三十六歌仙の歌集『三十六人集』には、猿丸大夫の歌集であるという『猿丸集』なるものがあるが、残されているいくつかの系統の伝本を見ても、その内容は全て後人の手による雑纂古歌集であり、『猿丸集』にある歌が猿丸大夫が詠んだものであるかは疑わしいとされる。なお「おくやまに」の歌は『猿丸集』にも入っているが語句に異同があり、

あきやま もみぢふみわけ なくしかの こゑきく時ぞ はかなしき

となっている(御所本三十六人集に拠る)。


キソケイが咲き始めた。
蝋梅なみの春告草である。

 ヒマラヤ原産で明治時代に導入された常緑低木。名前の由来は、花が黄色でソケイ(素馨)に似ることから。枝はよく分枝し、5-7月に枝先に散形花序をだし、2cm程の黄色の漏斗形の花をつける。花冠は先が5裂する。葉は互生し、奇数羽状複葉、1-3対の小葉は2-6cmの長楕円形、先は尖り、縁は全縁。ジャスミンの仲間だが花に強い芳香はない。庭木などで植栽される。


中之島公会堂での句会参加
「男 漢」が兼題

乾布摩擦に拘る漢大くしゃみ (くしゃみ、漢字が出てこない)

繰り返す過真冬の水鉄砲
  モデルは金さん

摂社末社へ焚火には近寄らず


ユリカモメ

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冬場の河川では普通にみられる風景だということである。

↑ユリカモメ ↓カルガモ 鷺(コサギ)

なかんずく庄下川上流でユリカモメの姿が目立つ。
河口から10キロくらい遡って餌を漁り、夜は海上の流木上などですごすらしい。

京都の鴨川のカモメは、夜は比叡山を越えて琵琶湖上で過ごすとか。


ユリカモメ (百合鴎、学名:Larus ridibundus)は、チドリ目カモメ科カモメ属に分類される鳥類の一種である。

ユーラシア大陸北部やイギリスアイスランドなどで繁殖し、冬は南下しヨーロッパアフリカインド東南アジア渡りをおこない越冬する。北アメリカ東海岸に渡るものもいる。


百合鴎舞へる夜明けや復活祭 古賀まり子

夕暮の水にもどりし百合鴎 藤澤美代

百合鴎ちりぢりに恋きれぎれに 仙田洋子 雲は王冠

喰ふときの翼を立てて百合鴎 依光陽子

水呑んでよろめく鳥は百合鴎 岩田由美

百丈の帯を解きたる百合鴎 古賀まり子

めぐりては水にをさまる百合鴎 石田郷子

百合鴎少年をさし出しにゆく 飯島晴子

放浪の胸ゆたかなる百合鴎 原田喬

百合鴎道中は手を愛しめる 宇多喜代子



全長は約40 cm翼開張は約93 cm[3]。足とくちばしは赤色。夏羽は頭部が黒褐色になる(英名:Black-headed Gull)。冬羽は頭部が白く、目の後ろに黒い斑点があるのが特徴。ズグロカモメと似ているが、ズグロカモメのくちばしは黒色で本種よりずっと短い等の違いで識別できる。

確かに黒い斑点が目立つ。

飛んでいる画像を得たいと思ってシャッターを切るがむつかしい。

入り乱れているので、数はかぞえにくい。5000メートルほどの間に50羽以上はいたように思う。

2週間前に見たリュウキンカの方がよく咲いていた。
厳寒到来で次のつぼみは開かないよう。

お多福南天には、寒さはいい効果を与えているように思う。


昭和の尼崎の画像集が出版されるようである。1500部。一部9,990円。一昔前なら文句なく買っていた。
今は収納場所がない。

↑今や、このブログでしばしば覗いている焼け跡である。

宮型

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「所さん!たいへんですよ」というテロップが見える。
いつも見ている番組ではないが、面白い内容だったので、カメラ持ち出し撮影。
「宮型」霊柩車と呼ぶらしい。

ネットでこの車を1万円で競り落とした人のインタビューから始まっていた(ようだ)。
新車だと4000万するものもあるとか。

日本ではこのタイプは時代遅れになっているらしい。
全国の自治体の1割ではこのタイプの使用を禁じているとか。
新しく焼き場を建設するとなると周辺住民の要求をある程度受けれざるを得ない。
その要求の一つに、毎日、毎日それとわかる分かる車が家の前を通るのは困るというもの。
その結果、宮型車の乗り入れ禁止となる。

ところがこの車、モンゴルでは人気らしい。
その理由が、日本に50人いるモンゴルの相撲取りが、日本では素晴らしい車が走っていると知らせたことによるらしい。

今ではウランバートルだけでなく地方でも「日本製」が輸入されているらしい。


仏教の布教にもいい効果があるという現地の僧侶の発言なども紹介されていた。

日本の葬儀社ではほとんど利用されず、保有する数台の維持管理費に年間400万くらいかかるという国内業者の発言や、
高額でこの車を輸入したモンゴルの業者が、ネットでなら1万円で競り落とせると聞いて、早速調査するといった発言を紹介していた。

植栽と側溝などの整備がつづくマンション

↑馬酔木が蕾をつけている。早速楽しめるかも。

完成まじかのマンションの半分以下の敷地に15階建ての共同住宅建設計画も新しく公示されている。この横の道は一方通行路で、4メートルほどしかない。
しかしここなら駅から徒歩1分である。

冬景色

↑リビングストン・デージーでは例句探す気にならない。

デージーでも例句は少ない。
いまでは家庭園芸でもあまり見かけない。
虚子の句は外国詠だと思う。


デージーは星の雫に息づける 阿部みどり女

踏みてすぐデージーの花起き上る 高浜虚子

デージーや意地悪さうな兎の眼 西村和子 夏帽子





ヒマラヤユキノシタ

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ヒマラヤユキノシタBergenia stracheyi)はユキノシタ科ヒマラヤユキノシタ属の植物で、園芸用に栽培される。

ヒマラヤ山脈周辺(アフガニスタンから中国にかけて)の原産。

常緑多年草で、は長さ10-20cm、幅10cmほどのキャベツに似た形で、らせん状に茎につきロゼットをつくる。桃色のが春に多数、集散花序をなして咲き美しい。耐寒性が高く育てやすい。

ヒマラヤユキノシタ属には10種(および種間雑種)があり、これらもヒマラヤユキノシタの名で栽培される。

ヒマラヤユキノシタ女子大本部前


↑のヒマラヤユキノシタは民家の庭先でみたもの。
家から徒歩10分、直線距離なら500メートルも離れていないところにある女子大は、
普段なら部外者も出入り自由。本部の事務室があると思われる建物の前の植え込みに20株以上植えこまれている。
陽が射し込まない部分であるがよく花をつけている。

日本の「雪ノ下」は、名に恥じるほど、春も遅くにならないと咲かない。

城壁寂び市井の花の雪の下 青木よしを

石庭の根締根締の雪の下 江上 多荻

化粧水肌に冷たし雪の下 甲斐 つる子

揺れ~るさまに映りて雪の下 清崎敏郎

出羽住みや若菜は五尺雪の下 阿部宗一郎

手ふきただ垂れて狭庭や雪の下 原 石鼎

歳月やはびこるものに雪の下 安住敦

雪の下ひらひら咲いて喪にこもる 石井桐陰

水湧いておのづから池雪の下 福村青纓

はびこつて好きな花なり雪の下 高浜虚子

雪の下終りの花もなつかしく 京極杞陽

ひつそりと母が髪結ふ雪の下 坂間晴子

石佛に風が棲みつく雪の下 菅原さだを

雪舟の庭見に来しが雪の下 飛高隆夫

日さかりの花や涼しき雪の下 呑舟

軒風呂も寒からず雪の下咲いて 富田木歩

六月をしづめて咲くや雪の下 東以 芭蕉庵小文庫

日ざかりの花やすずしき雪の下 呑舟 俳諧撰集「有磯海」

↑の句では雪の下は新暦7月の花扱い。

近所にある果樹園
平安の時代、ここが橘御園と呼ばれていた名残のような気がする。

「立花」とか「御園」とか「園田」といった地名の元になっている藤原氏の荘園であるが、1箇所の地名ではなく、あちらこちらに分散してあったので、似たような地名が(近辺の)諸所に残っている。


阪急電車伊丹線の塚口駅から二つ目の踏切の真ん中で。
駅構内へは単線となって入ってゆく。

単線の汽車くるまでの頬被り 阿部子峡

新松子この単線を小諸まで 大井雅人

海よりも濡れて薄明単線駅 松田 進

単線の古びし駅舎布団干す 添野光子

単線車に一瞥くれて蓮根掘 福原紫朗

単線となりてより増す稲架の列 秋川ハルミ

単線に駅を増やして豊の秋 島田芳恵

唐黍のがつしり実る単線区 河本好恵

遠くほど光る単線稲の花 桂 信子

岬への単線をどる花大根 林 翔

単線ゆく花菜の海を浮き沈み 井上純郎

ふるさとは今も単線草の花 原田静子

紅葉渓単線かくもさびしきか 石塚 友二

青大将よぎるや鞍馬単線路 河前隆三

特急といふも単線山桜 大久保白村

単線の大曲りして麦の秋 中森無伴

冬の疎林一と跨ぎで越す単線路 北野民夫

埋墓へ単線を越え道失せる 林田紀音夫

記憶また錆びる単線草に埋もれ 中島斌雄




ネズミモチ

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私の世代なら、ネズミモチという名を聞けば、なるほどと思うが、
13歳児や7歳児では、ネズミモチのどこがネズミに似ているか見当がつかないかも。

立派なネズミモチの木をみた。



ネズミモチ(鼠黐、Ligustrum japonicum)はモクセイ科イボタノキ属樹木和名は、果実ネズミの糞に、モチノキに似ていることから付いた。暖地に自生するとともに、公園などに植えられている。「タマツバキ」の別称も用いられる。

高さ数mになる大型の低木。よく横枝を出して、塊状の樹形になる。茎は灰褐色をしており、その表面に多数の粒状の皮目が出るのが特徴。

葉ははっきりと対生し、長さ4-8cm、楕円形から広卵状楕円形、厚手でのっぺりとしており、表面にはつやがある。葉柄は長さ5-12mm、紫色を帯びることが多い。

花は6月頃に咲く。花序は円錐形で、枝先に出て長さ5-12cm、多数の花をつける。花は経5-6mm、花冠は白で、中程まで四つに割れ、それぞれが反り返る。雄しべはこの花冠の裂け目の内の対面する二つのところから出て、花冠の裂片くらいの長さがまっすぐに突き出る。花序が多数出るため、木全体に真っ白の花の塊が散らばったようになり、遠目にもよく目立つ。また、ハナムグリなどもよく集まる。

果実は長さ8-10mmの棒状に近い楕円形で、はじめ緑、後に表面に粉を吹いて黒く熟する。


ネズミモチ(鼠黐)では例句を見つけることができなかった。

碑の陰の碑にの花雪白に 加藤知世子

の花ここだく散りて侍町 松崎鉄之介

想ひ出の石窪に鳥を搗く 中溝 八重子

渡り来し小雀はにつき易き 太田鴻村

夕月は水色なせりの花 草間時彦

掌をあてて散る枝散らぬ枝の花 加倉井秋を

ちるや蟇こもりゐる垣の下 村上鬼城

七ツ星光る山家や匂ふ 岡田日郎

虚空には日の流れをりの花 水野爽径

仏陀笑むおぼろにの花振りて 内田秀子

の花神秘は人の眼に見えず 三橋鷹女

夕凪の木斛にきはまりぬ 渡邊千枝子

懸命に装ふがよしの花 本田秋風嶺

同じ道とりてもどらぬの花 畑井政蔵

夕べまでいつもひとりやの花 星野すま子

夕月は水色なせりの花 草間時彦

の花こぼるる風の重さだけ 能村登四郎

とり出でて花散るに蚊帳を干す 西島麦南

医師の来て垣覗く子やの花 富田木歩

禽むるる大椿樹下に搗けり 飯田蛇笏

つくや蒼蝿の賦に書き漏らし 青木鷺水

の花人集まつてゐる暗さ 和田耕三郎

夕月は水色なせるの花 草間時彦

の木の余技こまごまと花降らす 中尾壽美子

の花こぼるる花の重さだけ 能村登四郎

暗がりにの木のある夏休み 藤田あけ烏 赤松

若楓囮のの雨ざらし 憂々

散りぬ見得の写楽の終焉地 山内遊糸

機嫌悪き日や八方にの花 草間時彦

躁の雨を手で拭くの花 松岡隆子

ちるや蟇こもりゐる垣の下 村上鬼城

額咲いてさいて梅雨古きかな 市川東子房

暗くなるの木を見つ木歩の忌 下田稔

咲くや降るともなしに道濡れて 荒井正隆

棒の蠅のうなりや駄菓子店 会津八一

咲いて照り放題の川の面 岡本眸

着ゆるめての花降る薄日かな 渋谷道

マタニティ妹に譲る咲くころ 田川飛旅子

眠る山埋め穴に埋め終へし 内田百間

木斛かか知らねど朝曇 久保田万太郎 草の丈

の花こぼれたければ匂ふなり 後藤比奈夫 花匂ひ

水とりや心の闇の流し(もち) 黒柳召波 春泥句集

の香やこどもらとすれちがふ 赤城さかえ

桐もやゝ皀角も芽をぞふく 加舎白雄

目白捕るをコツコツ叩きをり さざなみやつこ


クロガネモチの実は結構めだつが例句なし。
真っ白になる6月の黐の花を詠った句が多い。

この木のある付近で、屋敷跡とみられる更地(になりかけ)があった。

かなり冷え込んだが、まだ雪は降らない。
ヒツジ田は凍っていたが。





初氷

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初優勝の力士の破願初氷

ワイフに披露するとハ音が効いているとか。
私は「初」の2度遣いが気になる。

昨夜ワイフが柄杓に水を汲んでベランダに置いたと聞いて、
私もポリバケに水を汲んで追従。

昼前になっても


副作用は、柄杓はポリ製で100均で買ったもので、かつ数年経過したものゆえ、割れてしまった。ポリバケも100均店で買ったものであるが、こちらは壊れなかった。

↑パセリはまだなんとか。
↓昨日外へ出していた木立ベゴニアを急きょ玄関内へ取り込んだが、間に合わなかったよう。
今朝は

塩田に残る筋目や初氷 谷渡末枝

菊菜摘む指先にふれ初氷 篠原 晶

初氷島のなかとも思はれず 飯島晴子

二上山の雀いろどき初氷 後藤綾子

初氷つついて人の通りゐし 司城 容子

少年の息のかかりし初氷 岸田稚魚 『萩供養』

耳たぶは果実のごとし初氷 大木あまり 火球

初氷夜も青空の衰へず 岡本 眸

初氷尾を大切に尾長跳ぶ 堀口星眠

初氷何こぼしけん石の間 蕪 村

初氷朝日まぶしく夫送る 岳間沢敏子

鴨撃ちの通りしあとの初氷 長谷川かな女

初氷面皮のごとく剥したる 稲垣きくの

妻として来し初氷割りにけり 杉山岳陽

手際よく雨戸繰る子や初氷 菊池志乃

初氷鳩の紅脚よく動く 川村五子

初氷木立よそよそしくありぬ 大久保石漱

初氷何こぼしけん石の間 蕪村

つくばひの柄杓を噛みし初氷 間地みよ子

抜け羽が降りてくるなり初氷 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺

桶底の豆腐真白し初氷 草皆五沼

遅刻教師に八方まぶし初氷 福永耕二

雀らの会話はじまる初氷 平坂万桑

初氷尾を大切に尾長跳ぶ 堀口星眠

けたたまし百舌鳥に目覚しが初氷 荻原井泉水

鴨撃ちの通りしあとの初氷 長谷川かな女

初氷夜も青空の衰へず 岡本眸

初氷回想つねに一破片 本田秋風嶺

人送るための早起き初氷 奥田智久

初氷割りて登校下校かな 稲畑廣太郎

初氷やす女が鼠かじりけり 龍岡晋

一塵を許さざる地の初氷 石田勝彦 秋興

田雀の翔つてあとなし初氷 石田勝彦 秋興

初氷紅き毛絲を織り込めし 久米正雄 返り花

初氷島のなかとも思はれず 飯島晴子

初氷何して過ぎし昨日かな 中村汀女

被死ましし磐余の初氷 後藤綾子

二上山の雀いろどき初氷 後藤綾子

朝暾の垣根に赤し初氷 瀧井孝作

夕やけや唐紅の初氷 一茶 ■文政二年己卯(五十七歳)

初氷尾を大切に尾長跳ぶ 堀口星眠 営巣期

ひそひそと何の満ちくる初氷 鷲谷七菜子 游影

初氷許由此の朝掬(きく)すれば 黒柳召波 春泥句集

又水にもどるもはやし初氷 超雪 選集古今句集

起さるる来翰よ初氷よと 皆吉爽雨

芹焼や裾輪の田井の初氷 松尾芭蕉




まだ手袋もマフラーなしで散歩可能
市立高校内には公道が取り込まれているようで、
東門から西側の正門前の通り抜けが可能。

↓構内を西富松川(排水路)が流れている。
川は校内を抜けると、200メートルほどで3川合流地点で、庄下川に合流する。

北雁替公園 市内に19か所ある近隣公園のひとつ。 市民プールもある。




(北)雁替とは地名なのかどうか?apedia(尼崎地域史事典)で調べたが分からなかった。

厳寒の市営プールに水満々

寒空の中、ベンチ一人占めの人が数人いた。




初句会

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1月はすでに神戸句会、西宮句会、大阪句会に
出席投句しているが、
私にとっては尼崎句会がメイン句会なので、今日が「初句会」である。

かつて句会と言えば、土曜日か、日曜日が開催日であった。土曜日も夕刻ないし夜間開催であった。
夕刻の銀行の支店の裏口から入りみすぼらしい会議室で開催の句会
に出席した記憶がある。会社の労働組合の会議室なども句会会場として利用された。


出席者の多くが「勤労者」であったからである。
だから日曜日にギンコウへ行くと云ったら銀行泥棒と疑われたといったジョークもありえた。
(昭和30年頃までは、国語辞典にも「吟行」という俳句用語が載っていなかった)。

昭和40年代の半ばから、子育ての終わった主婦向けの俳句教室が各地で開催され絵画や音楽関係よりは文学志向が強い女性が、句会に参加しはじめ、あっという間に句会は女性支配の時代になっていった。(現在の結社句会では、尼崎句会以外はすべて女性が主任選者である。)

こういった女性の配偶者たちは休日ごろ寝族が
多かったのであろう。土日の句会行事には出席しづらい。
他方それまで句会出席者の過半を占めていた「窓際族」は退職時期に入り、会社の会議室の利用がむつかしくなっていった。


昭和50年代になると自治体の公民館も改築・新築され、
会場もそこになる場合が増えた。
しかし当初は(一部では今でも)集会室利用希望団体が多く、
開催予定日の1か月、2か月前の決められた日に幹事役が
直接会場へ出向き、抽選会に参加しなければならなくなった。

その場合も、平日、とりわけ平日の午前中の時間帯は無抽選で会場確保ができた。
俳句結社の主宰者もお声かかりが多く、私が師事した伊丹三樹彦などは、ついに午前、午後、夜の3会場を回る日も出てきた。その多くは俳句教室であって、互選を楽しむ句会ではなかった。・・・・



初優勝の力士の破願初氷
冬晴れの茶飲み話は収賄など (席題「茶」)
1・17の市営プールに水満々
疑惑又冬の河原の教え鳥
街角の海抜標示初戎

厳寒前
スペアミント

↑花の盛り
↓厳寒後 枯れ

庭のダチュラ




4温

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野の花の冠正す四温晴れ

↑「花冠を天へ向け」 というフレーズで1句と思ったが、うまくまとまらない。
「菜の花の花冠」では「花」が2度登場するし。

彼もまた李下で冠正したか

またまたA大臣のことを。明日説明責任を果たすということだが・・・。
農業族の圧力を排してTPPに後から参加しながら会議を主導した功績は高く評価したいが。
協定文書にはかならず爆弾が仕掛けられているので、20年くらいしないとそれが本当に世界平和や世界の経済発展に有効であったかどうかは分からない。



↑我が町内の端っこと思っていたが、東富松川を渡る橋の西側であるから、隣の町の東端に位置する一枚だけ残った田んぼ。この時期には例年は苺と富松一寸豆を植えていたが、
今年は完全に自家消費用野菜に専念のよう。
チシャ、エンドウ豆、ホウレンソウ、大根、キャベツなど・・・。
2反600坪はないように思うが。

先日の句会で

三寒の鴉声四温のパトカー音

という句を見つけ入選とした。
「三寒四温」は既成語だが、
「三寒の・・・四音の・・・」
のフレーズは新しいと思った。
三寒で、人は内にこもり、四温で外へ出るという発想で、
自然をカラスで示し、人出をパトカー音で示したのがうまいと思った。


川岸の石の間から生えていたこの植物の名が分からない。
「花図鑑」に投稿するところだが、目下は自分のPCが使えないので、投稿できない。





無念

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無念の気持ちはよくわかる。

やがて歴史教科書が正しく評価してくれるであろう。
と言っても、高校生向け社会科(公民科)教科書でも、2015年のTPP交渉は、世界の貿易自由化の過程の1コマだ~から交渉担当大臣の名前までは紹介できないと思う。

無二の武蔵の無念無念の蝙蝠よ 高柳重信

乾鮭の無念も涙も売られけり こしのゆみこ

薬掘る夢想無念の頭陀袋(吉野) 殿村菟絲子 『菟絲』

目を閉ぢて無念にあれば涼しかり 阿部みどり女 『石蕗』

岩山の岩を無念の日が過ぎる 津沢マサ子

朴落葉無念の声す下屋敷 芳賀雅子

白菖蒲白は無念のいろならむ 斎藤梅子

目を閉ぢて無念にあれば涼しかり みどり女

冬帽子脱ぎて無念の椅子叩く 浅井惇介

朴若葉子規の無念の畳かな 長谷川櫂(1954-)






冬の雨

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珍しく終日雨。

閣僚の素早い辞任冬の雨
チョコねだる子らを遠見の冬の雨
駅前に不動産屋の増え冬の雨


チョコを欲しいとは思わなかったが、なにより進駐軍のジープにちかづくのが怖かった。現在自衛隊の師団本部があるところが進駐軍の基地であった。

当時住んでいた家の前を通って基地へ行く道(正門ではなかったかも)があった。


阪急電車梅田ターミナル、茶屋町出口の外の通路にある、いくつかの水槽、「海底」で動かない魚が何尾かいた。

単に「雨」なら例句は3千句くらい出て来るかも。
(ためしに確認。「俳句検索」で7511句(作家名の中に「雨」を含むもの、ダブリなども含めて)、「続」で正岡子規の多くの句を含み、5315句、現代俳句協会のデータベースで1160句)

「冬の雨』で検索。100句ほど。

冬の雨崎のかたちの中に降る 篠原梵 雨

体育館は巨大な卵冬の雨 高野ムツオ 蟲の王

象牙海岸奴隷海岸冬の雨 高野ムツオ 雲雀の血

永遠の待合室や冬の雨 高野ムツオ 雲雀の血

鏡の中のもう一家族冬の雨 高野ムツオ 鳥柱

わが鼻の高からざれど冬の雨 行方克己 昆虫記

言ひつのる顔に鼻あり冬の雨 行方克己 無言劇

冬の雨越後鍛冶町銹色に 草村素子

聳え立つ燈台冬の雨寄せず 金子麒麟草

思ひ来し湖北の灯なし冬の雨 五十嵐播水

冬の雨山毛欅一幹にいさぎよし 倉橋羊村

武蔵野を横に降るなり冬の雨 夏目漱石

あさましく柚子落ちてあり冬の雨 原 石鼎

戸締まりをすれば静かや冬の雨 高島 みどり

傘鳴らす冬の雨わたしも帰ってゆく 金子弘子

フラミンゴ苺クリーム冬の雨 小堤香珠

冬の雨椅子ひとつ神を喚びてをり 平井照敏

冬の雨わたくしはまだ全裸です 小川双々子

冬の雨こはるるものは毀つべし 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

夫の燈妻の燈いろを頒てる冬の雨 柴田白葉女 『冬泉』

冬の雨夕あかるみて止みにける 細見綾子

欅高し根笹を濡らす冬の雨 渡辺水巴

冬の雨滲みて届く喪のはがき 佐藤のぶ女

煙突の煙棒のごと冬の雨 高浜虚子

捨犬の首輪の跡や冬の雨 松添博子

冬の雨メトロの駅を出でにけり 栃木絵津子

真暗な海を見てゐる冬の雨 塚田正子

口開けて笑う羅漢に冬の雨 宇咲冬男

冬の雨鳥居をくぐると道曲り 新谷ひろし

しづけさの音となりゆく冬の雨 鈴木 元

冬の雨飼ふうろくづの玻璃くもる 木津 柳芽

奴隷小屋ありし大地に冬の雨 仙田洋子 雲は王冠

冬の雨岳寂光に雪降れり 沢木欣一

あさましく柚子落ちてあり冬の雨 原石鼎

冬の雨お神楽あがりゐたりけり 田村木国

伐り株の桑に菌や冬の雨 西山泊雲

煙突の煙棒のごと冬の雨 高浜虚子

冬の雨田の面を青くしたりけり 圭史

両国に古りし下駄屋や冬の雨 一透

冬の雨夕あかるみて止みにける 綾子

降りてきし地階も冬の雨感ず 秩父

冬の雨飼ふうろくづの玻璃くもる 柳芽

冬の雨崎のかたちの中に降る 梵

戸一枚だけの灯もらす冬の雨 午次郎

煤たてて明治のらんぷ冬の雨 仙蓼

水漬きつゝ木賊は青し冬の雨 汀女

末黄ばむ竹屋の竹や冬の雨 宵曲

いつまでも下る千生瓢冬の雨 青邨

冬の雨檜葉垣に見え初めにけり 良太

伐株の桑に菌や冬の雨 泊雲

垣越しの一中節や冬の雨 荷風

明かき方向いて髪結ふ冬の雨 温亭

煙突の煙棒のごと冬の雨 虚子

水音の野中にくれて冬の雨 支朗

冬の雨火箸ともして遊びけり 一茶

冬の雨しぐれのあとを継夜哉 召波

宵やみのすぐれて暗し冬の雨 太祇

宵の間や羽織わするゝ冬の雨 能一

冬の雨柚の木の刺の雫かな 蕪村

荷もなうて柳やかろき冬の雨 亀世

面白し雪にやならん冬の雨 芭蕪

惜みても余りある死や冬の雨 安原葉

われが住む下より棺冬の雨 山口青邨

冬の雨如来の闇に近づきぬ 高須ちゑ

持蓮華を片付けてをる冬の雨 山西雅子

にはとりの鶏冠しづくや冬の雨 石田郷子

永遠の待合室や冬の雨 高野ムツオ

冬の雁楯の雨さへ氷る夜に 喜谷六花

土に帰る藁の匂ひの冬の雨 影島智子

葬列に駅長帽も冬の雨 亀井糸游

われが住む下より棺冬の雨 山口青邨(1892-1988)

俥屋の使いはしりや冬の雨 星野立子

冬の雨パンつけて傘返しけり 室生犀星 犀星発句集

冬の雨ぬれ深むいささかの草々 室生犀星 犀星発句集

藁ぬれて山茶花残る冬の雨 室生犀星 魚眠洞發句集

蘭の香やここはどこの冬の雨 澁谷道

冬の雨嫁がぬひとの眉こゆし 藤木清子

冬の雨看護婦の話きいてゐる 藤木清子

冬の雨まなぢりながく灯に坐る 藤木清子

冬の雨さぶしからめと人の言ふ 細見綾子

冬の雨石を濡らせり情柔はく 松村蒼石 雪

炭切りの跡は掃かれて冬の雨 永井龍男

勉強は一つ机や冬の雨 永井龍男

言ひつのる顔に鼻あり冬の雨 行方克巳

垣越しの一中節や冬の雨 永井荷風

金沢に来て菓子買ふや冬の雨 細見綾子 天然の風

冬の雨さぶしからめと人の言ふ 細見綾子 桃は八重

冬の雨磐梯みせずふりにけり 久保田万太郎 草の丈

霄やみのすぐれてくらし冬の雨 炭 太祇 太祇句選後篇

垣よりに若き小草や冬の雨 炭 太祇 太祇句選

冬の雨火箸をもして遊びけり 一茶 ■文化十三年丙子(五十四歳)

冬の雨嶽寂光に雪降れり 沢木欣一 雪白

たまさかに据風呂焚くや冬の雨 夏目漱石 明治三十二年

紡績の笛が鳴るなり冬の雨 夏目漱石 明治二十九年

武蔵野を横に降る也冬の雨 夏目漱石 明治二十九年

冬の雨しぐれのあとを継ぐ夜かな 黒柳召波 春泥句集

冬の雨なほ母たのむ夢に覚め 中村汀女





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