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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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セロリ

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セロリなど空港へ急ぐ初荷なり 岡田 貞峰

緑蔭の昼餉セロリに指濡らす 有働 亨

セロリ噛み青野の椅子に深く沈む 中島秀子

これよりの炎ゆる百日セロリ噛む 節子

荒星の匂ひのセロリ囓りたる 夏井いつき

くちびるにセロリの名残あり薄暮 櫂未知子 蒙古斑

テヱブルに先ぞ涼しきセロリ哉 秀花

夜のセロリ真白噛みしむ独立祭 吉野義子

荒草の一なるセロリ咀みにけり 相生垣瓜人

これよりの炎ゆる百日セロリ噛む 野澤節子

少年にセロリ削る刃与へけり 大石悦子

雨足わたる島までの潮セロリ畑 中拓夫

時鳥ゆふづく町にセロリ買ふ 堀口星眠 火山灰の道

これよりの炎ゆる百日セロリ噛む 野沢節子 未明音

幕末史心弱りのセロリ噛む 赤尾兜子

雪を米て夜のコップにセロリの森 横山白虹

セロリの香春もゆふべは肌寒き 日野草城

胸に抱く青きセロリと新刊書 舘岡幸子

セロリ噛む二十となりて無口の子 高橋悦男

菜の中のセロリは立てて売られけり 蓮田紀枝子

みづみづしセロリを噛めば夏匂ふ 日野草城

春宵やセロリを削る細身の刃 石田波郷


セロリがまだ目新しい野菜であったころ=歳時記に採用されていない頃には無季扱い。石田波郷や日野草城、横山白紅などの句。

住友園芸化学のHPからの引用:



セロリはパセリとともに、セリ科の代表的な野菜のひとつとされています。和名はオランダミツバ。セルリーと呼ばれることもあります。原産地は地中海沿岸地域とされ、中近東からアビシニア、スウエーデン東部などに野生種が分布しています。

 日本へは16世紀に伝わったとされていますが、当時は野菜としての利用は少なかったようです。明治以降に再導入されてから、徐々に野菜として利用されるようになりました。

 セロリの食用にする部位を、一般には「茎」と呼ぶことが多いのですが、植物形態学上は「葉と葉柄」です。うちわを葉に例えると、うちわの部分は「葉身」、柄の部分が「葉柄」になります。セロリのほかに葉柄を食べる野菜は、フキ、サツマイモ、サトイモ(ズイキ)などです。

 セロリは、原種に近いとされるスープセルリーと、各地で改良された品種群などに分類されます。たとえば、軟白栽培がかんたんな黄色種、最近人気の緑色種、緑色種と黄色種の交雑種、中国ではキンサイ(芹菜、スープセロリ)などと呼ばれている東洋在来種(アジア型)があります。さらに、肥大した根を食用とするセルリアック(根セルリー)という変種もあります。



明治以降に日本に(再)挿入されたよう。オランダ船(あるいはポルトガル船:和名は「オランダ三つ葉」であるが、厳密にオランダ産のもの(種)が日本へ入ってきたと考える必要はないと思う。)が日本に運び込んだが普及しなかったよう。明治以降というものの、第2次大戦後でも一般国民にはなじみがなかったと思う。サラダなどが日常の食卓にのぼるようになってから各地で栽培されるようなったと思う。

セロリ生産量は長野県、静岡県、福岡県の順に多いが、
なんといっても半分近くは長野県が占めている。
しかし総生産量は、近年では半減しているようである。
そういえば、我が家もセロリは余り食卓に上らなくなっている気配。

画像は我が家のパセリ。やや寒くなって来てから勢いが復活。

プランター植え2株だけだが、重宝。



ネパール

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いつもの道を歩いていると目新しい国旗を見つけた。
初めて見るが、特徴のある様式なので、ネパール国旗だと分かった。


インド国旗も掛っている。
インド・ネパール料理を出す店が開店したよう。

街角のイタリア国旗梅雨明ける

旧作だが、「梅雨明け」が合っているとは思うが、今でももっといい季語があるような気もしている。
ようやくからっと晴れた青空のもとで見るイタリア国旗はひときわ町を明るくするように思う。

今ではどんな小さな町でもイタリア料理を出す店がある

昭和の香りがぷんぷんするような裏路地でイタリア国旗を見る機会が何度かあった。

駅前周辺にもイタリア料理を出す店は4,5軒ある。


タイ国旗を神戸で見た時は、どこの国のものかわからず、店の名前を見てタイ国旗だと知った。今では大阪や神戸の街中ではタイ国旗も珍しくはない。

中国国旗を掲げた中華料理屋は見たことがない。
客離れを起こす危険性があるかも。
和食料理店の日本国旗もみたことない。
右翼的結社が経営する店と疑われるかも。
そういえば、韓国料理店でも国旗は見ない。
祖国を知らない人が経営しているからかも。

そういえば日本国旗を掲げていた中国の和食店が一斉に中国国旗を店の前に掲げたということをニュースで見たような気がする。

↑こんな店も最近開店。ないし改装オープン。
「立ち食いフレンチ」って?まだ利用したことなし。覗いてい入るがシステムが分からない。

↑念のために2階の店の前まで行ってみたが、スペイン国旗は掲げていなかった。

バングラディッシュ料理店もあったが、今はない。国旗は掲げていなかったと思う。

帰りに家の近くのふぐ料理屋の表に出ているメニューを覗き見。
13800円(税別)がお勧めのフルコースのよう。

今日の冬桜通りの冬桜

↓これはまだ枯れ木状態の江戸彼岸桜

いちばん気に入っていた冬桜は大きな建物(有料介護付きマンション)の前で委縮

冬桜咲きゐる吉備津詣かな 上田土筆坊

水音のそこだけ消えて冬桜 清水衣子

冬桜常陸風土記の空青し 原 和子

冬桜相模の湾を一望に 山本 幸代

冬桜皇女の墓の傍に咲く 小玉真佐子

冬桜見に来て地酒買ひにけり 下山宏子

一瓣を吐ける莟や冬桜 富安風生

風音のいつもどこかに冬桜 高橋千鶴子

咲きそめしかに咲ききれる冬桜 久保ともを

一片を散りもこぼさず冬桜 園 敦恵

舞うほどの花びら持たず冬桜 宇咲冬男

冬桜空の碧さとかかはらず 馬場移公子

冬桜目離さばその枝暮れむ 岡田貞峰

ひそみて淡し翁の魂の冬桜 有働 亨

冬桜干し重ねたる和紙の息 殿村莵絲子

冬桜空の碧さとかかはらず 馬場移公子

仰ぎゐておのれ忘るる冬桜 根岸善雄

うす紙のごとき日をのせ冬桜 行廣すみ女

冬桜一縷の径をのぼりつめ 岡本まち子

異細胞宿るもえにし冬桜 長谷川翠

かげりきてむしろ白湧く冬桜 中村 房子

冬桜波のひかりと光りあひ 正円青灯

うつし世のものとしもなし冬桜 鈴木花蓑

一弁を吐ける莟や冬桜 富安風生

忍ぶこと慣るるは悲し冬桜 湯川雅

冬桜風の研ぎたる空のあり 山田閏子

楚々となほ咲き継ぐ心冬桜 藤浦昭代

疎に咲きて日かげることも冬桜 浅井青陽子

邂逅の一と日なりけり冬桜 桑田青虎

冬桜一ひら解けし夕霧忌 清崎敏郎

つぶやきの息にくもれる冬桜 上田日差子

耳たぶのふくふく育つ冬桜 上田日差子

冬桜三十畳を拭きあげて 夏井いつき

古きよき厠のにほひ冬桜 小川軽舟

うつし世のものとしもなし冬桜 鈴木花蓑

石に寄るたましひあらむ冬桜 磯貝碧蹄館

日は未形色さめざめと冬桜 山田みづえ

散りしくといふことのあり冬桜 行方克巳

日は未形(みぎょう)色さめざめと冬桜 山田みづえ 草譜以後

私の冬桜への感慨を代弁してくれる句はない。

旧作

住宅ローン払い終われば冬桜

ヤブツバキ

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マンションに付設の遊歩道

藪椿が開花。

蹼のあたりに落ちて藪椿 大木あまり 火球

海鳴りを告げる人亡し藪椿 尾崎伊与

みほとけに雪の冷えある藪椿 落合伊津夫

半夏雨青くらがりの藪椿 安部安閑子

藪椿落して風の句読点 湯川雅

密会を誰か見てゐる藪椿 柴田奈美

かくれ住む人こそあはれ藪椿 西李

ひつかかりゐるごとき花藪椿 宮津昭彦

良寛の朝酒によき藪椿 下田稔

日は影を落して過ぎぬ藪椿 櫛原希伊子

藪椿肩のあたりがすつとして 八木林之介 青霞集

藪椿古井戸たまらなくねむし 栗林千津

ひつかかりゐるごとき花藪椿 宮津昭彦

雪ふりの明くる日ぬくし藪椿 之道 俳諧撰集「藤の実」

藪椿門は葎の若葉かな 松尾芭蕉


ユズリハ

ホルトの木

セキレイ↑↓ 庄下川沿いでもよくみかける。
確かに石渡りをしている。

さすがライオンズマンションといった感じ

↑左手は県立塚口病院と付属宿舎 今は無人である。跡地利用の件については何も知らない・

鶺鴒は季語のようである。
庭たたき、石たたき、嫁ぎをへし鳥、嫁ぎまなび鳥、妹背鳥、恋おしえ鳥、河原雀、浜雀、麦蒔鳥などいろいろの異名がある。黄、白、背黒鶺鴒なども別個に詠まれている。


鶺鴒の石乗りかへし湯冷かな 遠藤寛太郎

鶺鴒の罪なき石を叩きをり 保坂リエ

四万十川源流つつつつと黄鶺鴒 篠崎圭介

鶺鴒の庭歩みしが吾も歩む 山口青邨

鶺鴒の一瞬われに岩のこる 佐藤鬼房

鶺鴒や水の流転はとこしなへ 三橋敏雄

鶺鴒の胸触れてゆく雪解渓 永方裕子

鶺鴒のとまりて叩く鬼瓦 坪井 さちお

鶺鴒図にのつて揺れいたりけり こしのゆみこ

鶺鴒や罪なき石を叩きけり 保坂リエ

秘境出て鶺鴒の水糸をよる 古舘曹人

鶺鴒の裸足いたんでゆく海辺 八木原祐計

鶺鴒の二羽となりたる岩の上 清崎敏郎

鶺鴒に洗面の水をそと流す(飛騨平湯) 殿村菟絲子 『繪硝子』

鶺鴒の水底歩く池普請 塩川祐子

菱紅葉鶺鴒おりて水を浴ぶ 木津柳芽

鶺鴒のとどまり難く走りけり 高浜虚子

鶺鴒や水の流転はとこしなへ 三橋敏雄

鶺鴒叩きて渡る石の橋 青木起美子

鶺鴒や水際明りに二三匹 鈴木花蓑

鶺鴒のなぶり出しけり山の雨 一茶

庭の水恋ひて鶺鴒松の内 山口青邨

田の闇に鶺鴒鳴けり初手水 高田蝶衣

鶺鴒のための一石初景色 稲荷島人

鶺鴒がたたいて見たる南瓜かな 一茶

鶺鴒の叩きし岩のへこみかな 河本勝利

鶺鴒のめくら飛びして散る紅葉 北川みよ子

鶺鴒や痛き白さの生丸太 百合山羽公

鶺鴒のひるがへり入る松青し 水原秋櫻子

潦また鶺鴒の黄を点ず 相生垣瓜人

鶺鴒の石あり淵は瀬とひかる 相馬 遷子

渓流の藍にも染まず白鶺鴒 石田あき子

鶺鴒に叩き頃なる石ならぶ 愛須真青

海に出て鶺鴒の色たしかなり 多武保和子

鶺鴒のあとをぞ刷きて波きゆる 伊丹 丈蘭

二階より守る鶺鴒の巣づくりを 馬場移公子

菱紅葉鶺鴒おりて水を浴ぶ 木津柳芽

鶺鴒の瀬に残照の眼鏡橋 広瀬釣仙

鶺鴒の瀬に帰らざる水翳り 矢ケ崎雅雲

鶺鴒の一瞬われに岩のこる 佐藤鬼房

潦また鶺鴒の黄を点ず 相生垣瓜人

鶺鴒や水際明りに二三匹 鈴木花蓑

鶺鴒の吹分れても遠からず 阿波野青畝

鶺鴒のとゞまり難く走りけり 高浜虚子

田の闇に鶺鴒鳴けり初手水 高田蝶衣

よき川のいよよつめたき黄鶺鴒 省二

鶺鴒の消えたる石の濡れはじむ 間石

鶺鴒のあとをぞ刷きて波きゆる 丈蘭

鶺鴒の一瞬われに岩のこる 鬼房

鶺鴒や湖の夜波が上げたる藻 明

鶺鴒の尾が叩きゆく布留の道 春秋

鶺鴒のひかり飛ぶものついばめる 草堂

鶺鴒を忘るともなく見失ふ 立子

鶺鴒の吹分れても遠からず 青畝

潦また鶺鴒の黄を点ず 瓜人

鶺鴒や屋根に石置く筏小屋 小波

鶺鴒のひるがへり入る松青し 秋櫻子

鶺鴒や水際明りに二三匹 花蓑

鶺鴒のなぶり出しけり山の雨 一茶

鶺鴒や潮来教へて岩づたひ 蓼太 (下総浦づたひ)

世の中は鶺鴒の尾のひまもなし 凡兆

鶺鴒の黄の滴れり山清水 堀口星眠

鶺鴒の波につまづき徒渡る 橋田憲明

潦また鶺鴒の黄を点ず 相生垣瓜人

鶺鴒の一瞬われに岩のこる 佐藤鬼房

春を鳴く黄鶺鴒の声黄色 勝村茂美

珈琲館鶺鴒の巣のあるらしき 岡崎筍林

鳴かでたゞ鶺鴒居るや石の上 泉鏡花

鶺鴒を忘るともなく見失ふ 星野立子

鶺鴒の尾を振りきそふ早瀬哉 尾崎紅葉

水痩せぬ鶺鴒走る石の上 佐藤肋骨

峡くれば鶺鴒ひそむ蕗の中 加藤楸邨

鶺鴒や菱取舟の舷に 数藤五城

背黒鶺鴒新樹を過る時しろし 小松崎爽青

鶺鴒の歩き出て来る菊日和 松本たかし

鶺鴒飛ぶ瀬を竹の皮走り 川端茅舎

北上の木をひきけむ黄鶺鴒 山口青邨

鶺鴒に寒の畠は傾きぬ 八木林之介 青霞集

鶺鴒のたはむれにくる早苗取 八木林之介 青霞集

蚊帳の外すでに鶺鴒疾かりけり 久米正雄 返り花

世の中は鶺鴒の尾のひまもなし 凡兆

刈株に鶺鴒下りる冬田哉 寺田寅彦

鶺鴒の尾を振り勢ふ早瀬哉 尾崎紅葉

鶺鴒や若葉たゝきに廂まで 尾崎紅葉

鶺鴒の石踏み来ては若葉哉 尾崎紅葉

鶺鴒のひひななれども尾の上下 三好達治 路上百句

鶺鴒のよけて走りし落椿 三好達治 路上百句

鶺鴒が掠めし水のみだれのみ 中村汀女

妻恋ひの鶺鴒に月雲を割る 原コウ子

鳴かでたゞ鶺鴒居るや石の上 泉鏡花

飛び立つて鶺鴒となる舟溜り 石井とし夫

鶺鴒のつつと水辺に胸映す 深見けん二

鶺鴒の止まれば光る磧石 山田弘子

鶺鴒の礫落しの光かな 山田弘子

谿の空鶺鴒の恋切りむすび 福永耕二

鶺鴒がたゝいて見たる南瓜哉 一茶 ■文政二年己卯(五十七歳)

鶺鴒や水の流転はとこしなヘ 三橋敏雄 畳の上



写真

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机の下の缶からいろいろな画像が出てきた。

下宿していたガイスン邸へ短期宿泊の二人のロシア人(ソ連時代)。
近所が毎夜のごとく、この二人を招待。
ソ連ではこんなテレビはないだろう?こんなものは食えないだろう?
毎回毎回ソ連の民衆の生活苦が話題になり、
応答にうんざりして外出拒否症になった。
一人はアジア系。シベリア地区には蒙古系の民族が今でも住んでいる。
ブリアート人。
だいたいが小柄なので付き合いやすい。

ある時、ガイスン夫人を交えてブドウを食った。
私の皿の上には、皮と種と軸が残る。
ガイスン夫人の皿には、種と軸が、
二人のロジア人の皿には軸だけが残った。

ガイスン邸には3か月下宿。
私が訪れた時の先輩下宿人はオランダ人(♂ レントゲン技師)だった。
それからデンマーク人(♀)
私はかねがねイギリスの風呂(シャワールーム)では脱いだ服をどこに置くのか分からなかった。それに解答をくれたのがデンマーク人だった。
要するに部屋でスッポンポンになってガウンだけで風呂場へ入り、
ガウンをドアのフックに掛けるだけ。

そこで私も早速ガウンを買った記憶がある。

デンマーク人の後にこの二人のロシア人が来た。

そのあとは?覚えていない。
私が出た後、私が利用していた部屋(20畳くらいの部屋だった)には、アマゾン川の中の島一つを所有するという裕福なブラジル人(島の所有者の息子)が入った。

↑はガイスン邸のキッチン。やたら広かった。
キッチン内の隅にこのテーブルがあり、普段はそこで朝晩の食事を摂った。
背後には過去の下宿人が送ってきた絵皿がびっしり飾ってあった。
私も急いでその種の皿の送付を日本へ依頼したが、


珍しい客が来ると(頻繁に客があった)、別にあったディナールームを使った。
親しい友人などである場合は、テラスに面したリビングを利用することがあった。
椅子もテーブルもカーペットも、ガイスン夫人がオークションで買ってきたものであろう。
みな姿形が違った。

オークション会場で競り落としたのはいいが、持ち金が足らず、
ジョンちゃん(私のイギリス名)お金貸してが1,2度あった。

ガイスン邸の庭の一隅を借りて、20日大根を播いた。
これは多分、間引き菜を収穫している姿。
近くに牧場があって、ガイスン夫人が20袋位牛糞を取り寄せてくれた。
この頃以前からサラダドレッシング造りには夢中であった。


その頃作って今でも覚えている句。

末黒野の止まるところ原子炉立つ


イギリスを旅行していると、鉄道沿線沿いに不意に発電所がたいした囲いもなく建っているところがある。


クリスマス

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イブのミサではなく、午前10時のミサへ。
写っているのはスリランカ人司祭。今日は他に、フィリッピン人神父とスペイン人神父が司式。
いまどき、3人によるミサは異例。

カメラの時刻は9時42分。多くはイブのミサに参加しているので、少ない感じであったが
ミサが終わったころにはかなりの人数になっていた。

わが家3人だけのささやかなクリスマス・パーテイ↓

修道女菓子焼く聖母生誕祭 杉田竹軒

12月8日かなあ?
昇天祭は8月15日 開戦の日に生まれ、終戦の日に昇天。

キリストの生誕祭は「聖誕祭」

花舗の燈や聖誕祭の人通る 大野林火

かいば桶輝いてをり聖誕祭 菊池アグネス

昇降機聖誕祭のとつくにびとと 山口誓子

聖誕祭かたゐは門にうづくまる 篠原鳳作

「聖誕祭」は旧季語的存在であろう。今では普通に「クリスマス」、時に「降誕祭」

降誕祭近づく森に木の実の朱 大島民郎

七面鳥の青きゆふぐれ降誕祭 柿本多映

点滴の瓶にリボンや降誕祭 原田青児

青菜つづく地平に基地の降誕祭 飴山實 『おりいぶ』

木と紙のおもちやの家や降誕祭 前原早智子

降誕祭少女の湯浴ひそと長し 石田あき子

降誕祭空港とみに星多し 麻生和子

暖炉焚く夫と降誕祭の朝 仙田洋子 雲は王冠

降誕祭の曙光に染まる砂漠かな 仙田洋子 雲は王冠

回転木馬は降誕祭の星となる 仙田洋子 雲は王冠

ごうごうと風呂沸く降誕祭前夜 石川桂郎

↑前夜? イヴのことであろう。どうかなあ?
降誕祭と言えば、ふつうにはクリスマス・イヴを指しているように
思う。


降誕祭讃へて神を二人称 津田清子

ポストの腹あいて降誕祭の街 大石雄鬼

降誕祭息子に猫背突つかれし 池田澄子

満天に不幸きらめく降誕祭 西東三鬼

鐘鳴る間庭をありくや降誕祭 前田普羅

降誕祭異国の船の沖に見ゆ 冨田みのる

闇のみが無垢のくらさや降誕祭 猿橋統流子

降誕祭一裸燈下に船溜 北野民夫

兄に逢ふ降誕祭の浅き椅子 蓬田紀枝子

降誕祭讃へて神を二人稱 津田清子

岳の星今宵全し降誕祭 古賀まり子

降誕祭海に飛び込む漢たち 佐川広治

降誕祭近づく森に木の実の朱 大島民郎

降誕祭息子に猫背を突つかれし 池田澄子

降誕祭あまたのパセリ捨てられる 池田澄子

降誕祭眼鏡光らせ老神父 伊藤敬子

二児が天使降誕祭を演出す 伊藤敬子

降誕祭終りし綺羅を掃きあつめ 福永耕二

降誕祭町にふる雪わが家にも 安住敦

降誕祭睫毛は母の胸こする 中村草田男

ごうごうと風呂沸く降誕祭前夜 石川桂郎

青菜つづく地平に基地の降誕祭 飴山 實


クリスマスの例句は多い。

水の星水を零さずクリスマス 中原道夫

クリスマス肋除られて打臥すも 石田波郷

黒人の掌の桃色にクリスマス 西東三鬼

クリスマス隠れ耶蘇の碑灯をもらう 八木三日女

へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男

大阪に出て得心すクリスマス 右城暮石

雪国に来て雪をみずクリスマス 久保田万太郎

島人に旧教多しクリスマス 香月 梅邨

やっかいな妹の来るクリスマス 栗島 弘

頸動脈が口開けているクリスマス 夏石番矢

クリスマス六年生の背いくらべ 伊東達夫

定食で生きる男のクリスマス 中嶋いづる

盲導犬使徒の眼持てりクリスマス 田川飛旅子 『使徒の眼』

足ることをほとほと学びクリスマス 田川飛旅子 『山法師』

聖霊はきつと黒色クリスマス 田川飛旅子 『邯鄲』

クリスマス来る港町渦なす灯 柴田白葉女 『月の笛』

クリスマス迄にといふ約束す 加倉井秋を 『午後の窓』

クリスマス気分にいつの間にか吾も 加倉井秋を 『午後の窓』

クリスマス地平に基地の灯が赤し 飴山實 『おりいぶ』

雀らの草撓めゐるクリスマス 大木あまり 火球

湯気のたつ馬に手を置くクリスマス 大木あまり 雲の塔

縛られしハムの糸解くクリスマス 田島蔦子

バーゲンの派手な服買ふクリスマス 大河原一石

犬小屋に扉のなくてクリスマス 土生重次

ナプキンに肉の血の染みクリスマス 長田 等

金銀の紙ほどの幸クリスマス 沢木欣一

へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男

一人来てストーブ焚くやクリスマス 前田普羅

クリスマス二人の吾子のサンタなり 小林好美

点滅は聖樹の言葉クリスマス 山崎みのる

船四方に白波立てりクリスマス 久野幸子

砂糖壺ゆたかに満たしクリスマス 平間真木子

火が熾り赤鍋つつむクリスマス 小松道子

送電線深海をゆくクリスマス 遠山陽子

疵りんご厩舎に届きクリスマス 斎藤節子

裏町の泥かがやけりクリスマス 桂 信子

雪の戸の堅きを押しぬクリスマス 水原秋櫻子

星満ちて地にはこぼれずクリスマス 相馬 遷子

二三段雪のきざはしクリスマス 佐野まもる

ひとの恋の電話とりつぐクリスマス 金子 潮

傷林檎厩舎に届くクリスマス 斎藤節子

山国の星座は低しクリスマス 野口八重子

花文字の異国の絵本クリスマス 石田 克子

黒人のてのひら白しクリスマス 政木 紫野

尻さむし街は勝手にクリスマス 仙田洋子 橋のあなたに

針坊主に針かがやきてクリスマス 桑原月穂

柔かき海の半球クリスマス 三橋敏雄

みちのくに耶蘇の村ありクリスマス 長沢簽一

湯上りの子のまくれなゐクリスマス 赤松[ケイ]子

水のんで心の隅のクリスマス 加藤知世子

三日月のほのかにありしクリスマス 中田冬女

粧ひて胸うすき者よクリスマス 石田波郷

へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男

長崎に雪めづらしやクリスマス 富安風生

死にたい母も生きたい母もクリスマス 中村草田男

黒人の掌の桃色にクリスマス 西東三鬼

嫁してより信やゝうすれクリスマス 吉井莫生

赤き実を見しよりこころクリスマス 岩岡中正

亡き母の部屋も灯してクリスマス 山田閏子

我が持てる包の中もクリスマス 山内山彦

鮨食べに来し父と子のクリスマス 上崎暮潮

虚子像の左右にベル吊りクリスマス 保田白帆子

闇に燭手に~歌ふクリスマス 吉良比呂武

へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男

クリスマス地に来ちゝはゝ舟を漕ぐ 秋元不死男

昏れそめて累卵の白クリスマス 竹腰千恵子

星々にことごとく名やクリスマス 石田郷子

クリスマス海にはあらぬ橇の鈴 鈴木翠塔

湯上りの子のまくれなゐクリスマス 赤松[ケイ]子

クリスマス妻のかなしみいつしか持ち 桂信子

馬小屋の一頭で満ちクリスマス 鷹羽狩行

クリスマスゆき交ひて船相照らす 加藤楸邨

とほき灯のなどか瞬くクリスマス 西村和子 かりそめならず

クリスマス羊の役をもらひたる 西村和子 夏帽子


合唱団左右に揺れてクリスマス 吉原文音

離陸せぬうちに眠れりクリスマス 夏井いつき

回送電車をしばらく降りずクリスマス 大石雄鬼

犬の尾のふさふさとしてクリスマス 石田郷子


クリスマス近し少年はミルク色 対馬康子 愛国

ボサノバのゆつくり更けるクリスマス 筑紫磐井 花鳥諷詠

中国の茶の淹れらるるクリスマス 後藤夜半

塔の上の鐘動き鳴るクリスマス 松本たかし

クリスマス妻子とあれど肋なし 吉田北舟子

クリスマス礼拝つひに雪降らず 上田日差子

貧しけれどもクリスマスの夜父ありぬ 長谷川かな女

神父老い信者われ老いクリスマス 景山筍吉

わらべらに寝ねどき過ぎぬクリスマス 山口誓子

雪の戸の堅きを押しぬクリスマス 水原秋桜子

長崎に雪めづらしやクリスマス 富安風生

クリスマス地に来ちゝはゝ舟を漕ぐ 東京三

東の星の光やクリスマス 日野草城

一人来てストーブ焚くやクリスマス 前田普羅

流されてゆく人なかのクリスマス 大橋俊彦

盲導犬使徒の眼持てりクリスマス 田川飛旅子

物くれる阿蘭陀人やクリスマス 高浜虚子

語部と酌む高千穂のクリスマス 伊和元聖水

クリスマス賢者の言葉子に贈る 近藤一鴻

ケーキ売り尽してよりのクリスマス 毛塚静枝



黒人の掌の桃色にクリスマス 西東三鬼

という句があって、

黒人のてのひら白しクリスマス 政木 紫野

という句がある。
紫野という人を知らないが、三鬼の句をしらなかったのであろう。
白しといえないこともないが、やはりここは「桃色」だろう。


「俳諧歳時記」でも主季語は「クリスマス」になっている。

八人の子供むつまじクリスマス 子規

子規でも「クリスマス」で詠っている。

熊さん

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落語の熊さんの「本名」は熊五郎らしい。
江戸時代の男性庶民名として一般的であったのだろうか。
家系譜作成を手掛けているので、江戸・明治の人名はそこそこ読めるが、
熊雄という人もいることはいるのは確か。しかしやたら多いとも思わない。
美作農民の名としては一般的でないといえる。

わが家のくまさんは人気がない。
現在七歳児の枕として購入したが、使ってもらえなかった。
四歳児当時では大きすぎたかもしれない。
フィギュア・スケートのテレビ放映を見る機会が増えたが、
羽生(将棋棋士ならはぶと読むが、ここでははにゅう)ゆづる君が抱いているのは
ティッシュ入れのようである。


古写真

何処で撮ったものか思い出せない。
着用している服装から見るに、
長旅にでている気配ではない。
せいぜい一泊旅行であろう。

イギリス貴族の館であろうか?

これくらい豪華になると、マールバラ邸(チャーチル生誕地)かも。
ならば日帰り旅行かも。

↑わが家に招いたR.フリン神父である。

同じ修道院に住んでいたブラザーが、かれはすでに聖人だと言っていた。

まだ元気で、六甲から我が家までオートバイに乗ってやってきた。

1980年頃だと思う。

オートバイが引っ掻きしのみ羽蟻の夜 高野ムツオ 鳥柱

母も翼もなし昏倒のオートバイ 高野ムツオ 陽炎の家

愛終りぬオートバイに頭を越され 高野ムツオ 陽炎の家

内臓あらわなり放蕩のオートバイ 高野ムツオ 陽炎の家

晩夏へまず羽毛のようにオートバイ 高野ムツオ 陽炎の家

落花でなく雨中に消えるオートバイ 高野ムツオ 陽炎の家

オートバイ花の幹より曳き出せる 行方克己 知音

裁判やかのオートバイ光り休む 鈴木六林男

金柑の径にオートバイ縮んだり 菊川貞夫

十三夜月をめがけてオートバイ 尾田秀三郎

秋晴の瀧のきはまでオートバイ 藤田湘子

オートバイ荒野の雲雀弾き出す 上田五千石

連絡船より主婦等出ずオートバイ殘し 金子兜太

激論つくし街ゆきオートバイと化す 金子兜太

とびとびの紅葉夜更けのオートバイ 立川京子

蚋飛ぶや浅瀬に洗ふオートバイ 奥山 昌美

オートバイ荒野の雲雀弾き出す 上田五千石

核の日々静かに灼くるオートバイ 徳弘純

秋風や蝿の如くにオートバイ 岸本尚毅 舜

晩涼の星に停めたるオートバイ 藺草慶子

オートバイ内股で締め春満月 正木ゆう子

紅梅に片寄せてあるオートバイ 川崎展宏

オートバイ荒野の雲雀弾き出す 上田五千石

スサノオのため宵闇のオートバイ 高野ムツオ

夏草に分け入り銀のオートバイ 稲葉南海子

オートバイ荒野の雲雀弾き出す 上田五千石(1933-97)


茶の花に押しつけてあるオートバイ 飯島晴子

オートバイ内股で締め春満月 正木ゆう子

大破して死んではおらぬオートバイ 森田智子

秋夜寒オートバイだけが友達なの 栗林千津

夜桜に寄せオートバイまだ熱し 奥坂まや

オートバイ花の幹より曳き出せる 行方克巳

オートバイ荒野の雲雀弾き出す 上田五千石 田園

断水の夜となりオートバイ騒ぐ 鈴木六林男 第三突堤

激論つくし街ゆきオートバイと化す 金子兜太 金子兜太句集

明るい山肌残すため散るオートバイ 赤尾兜子


以上前日投稿  京都泊


紫式部

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朝食後1時間の散歩。
京都御所は広い。蛤御門

蛤御門と通りを隔てたところにあるホテルを出て、1時間以内にここへ戻ってくる。
たいていの方角へは出かけている。

建礼門前を通って、大宮御所の北側を通り、清和院御門の外へ出る。
帰る時に、門の前を過ぎる鶺鴒で出会った。

鶺鴒と横切る砂利道建礼門

↑の標識を見つけ、出かけてみる。

ロールスロイス↑

紫式部もまた藤原一門(北家)である。国司の娘だから、従5位程度の身分であろうか?。母親も藤原一門である。曽祖父は右大臣だから、
父親は東宮の読書役だから4位以上であったかも。

亭主に死なれた後、道長の娘中宮藤原彰子に仕える。

帰り花


師走の夜

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26日に泊まったホテル。夜のイルミネーション

画像認識能力・記憶能力が優秀とは言えないので、断定できないが、
ホテル前のイルミネーションは、昨年、1昨年とまったく同じように思う。

ホテルの正面入り口から撮るとなんとかイルミネーションが撮れるが、通りからだと
ほとんど目立たない。通りに面して立つ建物はなべて地味なイルミネーションである。

正確に言えば、京都御所とは建礼門の内側で、清涼殿や紫宸殿が立つ区域を指し、
それを含む蛤御門などで囲われている地域は京都御苑(最有力貴族の邸宅跡地)と呼ぶのであろうが、御苑の西側の南北道は烏丸通りである。

ホテルはこの烏丸通りに沿って立っている。ホテルのテリトリーへ入るとそこが土御門御所の
跡地であるという説明板が立っている。
ホテルの外へ出て南へ行くと、下長者町通という通りである。そこに立っている標識では、
この辺りは水戸藩邸跡であったようである。
夜の宴会の後例年は芸子さんが登場する二次会へ繰り出すのだが、今年はアルコール禁止組が増えて(私もその一人)ごく数人が予算2000円程度の呑み屋へでかけただけ。
私は酔いさまし(まあ中瓶1本程度しか呑んでいないが)に夜の散歩。
長者町通りをはさんで、ホテルの隣は」、護国神社。
和気清麻呂を祀っている。狛犬の代わりにイノシシが本殿を守っている。
よって亥の年には繁盛するよう。

ゆつくりと烏丸通り牡丹雪 角川照子

烏丸の路地の奥まで雪あかり 橋本榮治 麦生

鉾の灯の見ゆるあたりや烏丸 四明

桃浪や酔ひ酔ひ酔ひの烏丸 加藤郁乎


下の2句は「からすまる」と読ませているのであろうか?
調べたら平安時代から、「からすまるがわ」(烏丸川)沿いのからすまる小路と呼ばれていたらしいので、「からすまる」と読むのは誤読とはいえないようだ。

京の長者町(通)を詠った句はないようである。


冬すみれ長者ケ原の高みかな 伊藤通明

藍の花長者屋敷の井戸暗し 大頭美代子

長者ケ原霧の中より草刈女 菅原野火男

栗の花長者の森と人の呼ぶ 高橋 向山

バイパス渡る わらしべ長者の空腹もち 井上真実

刈芦に日がな埋もれて芦長者 田川維勢

三椀の雑煮かゆるや長者ぶり 蕪 村

嚏して山の長者になりきれず 丸山佳子

長者の名の摘籠を負ひ歩く 関戸靖子

城廓のごとく年木を木曾長者 高橋東光

屠蘇酌めり前鬼後鬼の山長者 青畝

屠蘇の酔大福長者となりにけり 紅葉

プール邊に寛ぎ一と日長者たり 吉良比呂武

眞清水の杓の寄附まで山長者 原石鼎

芭蕉忌やみな俳諧の長者顔 前田普羅

柱餅唐貿易の長者かな 田中田士英

つと入の長者が家に落首かな 横山蜃楼

三代の長者滅びて榎実哉 升本翠華

川上の欅長者に春の雷 桑原三郎

袴着や子福長者と吾も祝がれ 小原菁々子

冬ざれや長者が庭のしかすがに 尾崎紅葉

長者の名の摘籠を負ひ歩く 関戸靖子

渋柿や長者と見えて岡の家 夏目漱石 明治三十二年

年忘れ長者独りに餓鬼九人 中村史邦

早稲酒や難波長者の笑ひ聲 井上井月

二の富や一もり長者箕面山 井原西鶴

この句の意味不明(理解できない)


大瓶に菊の長者となりにけり 立花北枝




12月29日

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ワイフの誕生日である。
今年は次女と7歳時だけの参加の参加のささやかなパーティ
よってケーキも次女持参のショートケーキに灯をともすだけになった。


10年ほど、この日は近辺のホテルに、住まいを別にしている子供夫婦や親を招いて
パーティを開催、ぞのまま4部屋か5部屋に分かれて宿泊していた。

それが可能であった条件

1.クリスマス以後、29日宿泊までは、各ホテルとも極端に宿泊客が減るらしく
「投げ売り状態」であった。
2.12月29日という日は大人も子供も外泊しやすい日であった。私などはまだ書き終えていない
賀状を100枚くらい持参してはいたが、緊急招集がかかるような用件がますは起こらない日であった。
3.家事労働から解放されるという意味で、祝われる人に対する最高のプレゼントであった。

しかしすべてのメリットがなくなったのが現状である。

爆買客の急激な増加で、ホテルは投げ売りをする必要がなくなり、
職業の関係で29日が仕事日である者もあり、
受験などのために年末年始も休日ではなくなった子供もでてきた。
最高齢者の参加のためには家事労働以上の世話が必要になる人が出てきた。


突然に(前触れがまったくなかったわけでもないが)PCが破壊。暗い画面にひたすら「再起動」を促す表示が現れるのみ。

しかたなくブログはワイフのPCに依存。それもいじって、ウィンドウズ10を導入したために
使い勝手がわからなくなってしまった。


晦日

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花束を買ったのは、私。

メッセージを書いたのは、7歳児

一つの花瓶に収まる程度にしてくれというので、今年は予算半減。
↓ 横浜から届いた花。届けてきたのは、↑の花束と出所は同じ店。

展示終了後買い求めたもの↓玄関前に配置。朝出して夕に取り入れ。

今朝10時。神戸市北区の田園地帯

↑霜

池を撮っていると川鵜が1羽飛んできて、餌を漁り始めた。

病む母の枕頭晦日蕎麦すゝる 大橋敦子

城昏れて山の灯となる晦日蕎麦 古舘曹人

働きし身のあたゝかく晦日蕎麦 石本みち江

借り貸しのなくてやすけし晦日蕎麦 池田博子

一人居の夕餉とセット晦日そば 岡村喜代子

書斎より呼び出されて晦日蕎麦 遠藤梧逸

大鍋を洗ひ終りて晦日蕎麦 塙 きく

家族皆法被着て売る晦日蕎麦 関口美子

母の世の栃の捏ね鉢晦日蕎麦 西岡千鶴子

口元の母に似てきし晦日蕎麦 岩切恭子

妻とゐて悔すゝるごと晦日蕎麦 猪狩哲郎

流れ来てこの古町に晦日蕎麦 谷尻誠

子に生きる平凡妻と晦日そば 鴨下秀峰

掛取のひとり戻らぬ晦日蕎麦 河前降三

債権者会議の晦日蕎麦となる 南迫亭秋

命ありとてもかくても晦日蕎麦 富安風生

ぬばたまの晦日祓の恐ろしき 高野素十

汁椀にしるしばかりの晦日蕎麦 石塚友二

春や来し年や行きけん小晦日 芭蕉

板山葵(いたわさ)に銚子二本の晦日蕎麦 石原八束(1919-98)

蚊帳つるや晦日の宵の更けまさり 道芝 久保田万太郎

病む母の枕頭晦日蕎麦すする 大橋敦子

榾足して酒飲んでけふ小晦日 佐川広治

ふるさとの女陰に鳥入る小晦日 攝津幸彦

晦日も過ぎ行く嫗が亥子かな 尚白 閏 月 月別句集「韻塞」

晦日の暮にもしろき蓮かな 大坂-由平 元禄百人一句

その富士や五月晦日二里の旅 山口素堂

その前に一本つけよ晦日蕎麦 鷹羽狩行

春や来し年や行きけん小晦日 松尾芭蕉

月代や晦日に近き餅の音 松尾芭蕉

こりこりと何を剥きゐる小晦日 さざなみやつこ

晦日やはや来年に気がうつる 路通

晦日(つごもり)や行燈立て春のくれ 立花北枝

春や越し年や行きけん小晦日 松尾芭蕉

晦日月なし千歳の杉を抱く嵐 松尾芭蕉

板山葵(いたわさ)に銚子二本の晦日蕎麦 石原八束


小晦日を5音で読む場合は、「こつごもり」

午後 ご近所にお住いの郷土史研究会会長さん来訪。
「新作の」の『小田地区の石造物 (1)神社篇』の御恵贈あり。

尼崎市の東南部である小田地区の18の神社の鳥居、狛犬、燈籠、手水鉢などの石造物の
配置図と判明する限りでの設置年や寄贈主、高さ、幅などを調査したもの。

私も道しるべの確認のため、小田地区の神社をめぐり、アトランダムだが燈籠や狛犬の画像を
このブログで紹介しているが、今数えると上記18の神社の内14社を訪問している。

またなにか気付いたことあればお知らせをと言って、自転車の前かごにまだ残っている冊子を
配りに行かれたのであろう。




大晦日

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父祖の地に闇のしづまる大晦日 飯田蛇笏

大晦日御免とばかり早寝せる 石塚友二

黒髪を洗ひて宿の大晦日 飯田 法子

第九今大合唱に大晦日 木村 草女

大晦日もつとも低き星ひかる 加藤憲曠

ギター持ち帰郷バス待つ大晦日 近藤勇夫

大晦日ここに生きとし生けるもの 高浜虚子

社宅みな人声もせず大晦日 大谷恵教

大晦日もつとも低き星ひかる 加藤憲曠

店頭に大鯛を焼く大晦日 松沢満里子

大晦日は昔も今もさむき夜ぞ 大野林火

父祖の地に闇のしづまる大晦日 飯田蛇笏

重ね鳴る寺鐘も京の大晦日 桑原まゆ子

父祖の地に闇のしづまる大晦日 飯田蛇笏

あの枝の光る見にゆく大晦日 如月真菜

父祖の地に闇のしづまる大晦日 飯田蛇笏

家の中を水ながれ過ぐ大晦日 穴井太

廂より縄降りてくる大晦日 中田剛 珠樹以後

底のはうから最後の豆腐大晦日 中田剛 珠樹以後

市人へましぐらに来ぬ大晦日 徳永山冬子

大晦日定めなき世の定め哉 井原西鶴 (1642-1693)

大晦日犬が犬の尾垂れている 清水哲男(1938-)

大晦日こゝに生きとし生けるもの 高浜虚子

酒五合寝てすむものを大晦日 幸田露伴

娘二人来て帰りけり大晦日 永井龍男

大晦日父がつぶやく椅子の上 原田喬

屋根掃いて妻を見下ろす大晦日 辻田克巳

くらやみで妻に遇ひにし大晦日 辻田克巳

足がまた二階へ上る大晦日 辻田克巳

わらづかの点々たりや大晦日 久保田万太郎 流寓抄

燭きつて暁ちかし大晦日 夏目漱石 明治三十年

助番や二十九日の大晦日 ヒコネ-孟什 閏 月 月別句集「韻塞」

月の輪の佗びねに光る大晦日 飯田蛇笏

大晦日蓬髪足袋をはきながら 赤尾兜子

大晦日ねむたくなればねむりけり 日野草城

大晦日定めなき世のさだめ哉 井原西鶴


大晦日の散歩は、近隣公演を経て西・南コース。白菜の買い足しを頼まれたので、
最後は駅前のダイエー地下売り場から西に向かう周回コース。今年のブログで一番よく登場する。近隣公演・梅の木塚跡・庄下川(3川合流地点)・東川端通・女子大前→駅前→自宅。


5キロ強 7181歩。

公園に孫連同輩大晦日


サザンカと南天

曇り葉の明るいミモザ大晦日

↑クロガネモチとクレスト

3川合流地にかかる通称X橋上からみた富松側 落差1m。

↓西富松排水路(西富松川)が西から合流。落差1m弱。

北から合流する東富松川(今は床下川) 落差0
よって西富松川、富松川の勢いに負け漂っている。

↓合流した床下川

ゆりかもめ、カルガモ、鳩、スズメ、鷺、鯉

軽鴨の胸のふくらみ大晦日

X橋の南にかかる高松橋。
その南には東川端橋がかかる。

↑東川端橋から北向きの風景。見える橋は高松橋。
何か所かある桜の花のスポットのひとつである。

見える草はホトケノザ、ヒメオドリコソウ、リュウキンカ、ハコベラ、ツユクサ、イヌタデ↑↓
ススキ、アシ、ツタバウンラン、スイバ、エノコログサ、・・
今年初めて同定できるようになったものはない。

艶持ちて芽吹くものあり大晦日

↑剪定された川端通り。

文化財収蔵庫は10年以上前に阪神電車尼崎駅の南の尼崎城内跡地へ移転済み。

女子大正門

↑こんな施設も増えつつある。

キンセンカは今では珍しい。

↑希少となった風景。多くの家は今日の午後でも玄関前のしめ飾りをしなくなった。
我が家はかつて一度もしたことがない。

面掛け式

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経蔵に影さす枝や初御空 假家由子

初御空富岳まさしく三保にあり 大橋敦子

大山の全容近し初御空 阿波野青畝

いまさらに富士大いなり初御空 酒井絹代

総持寺の鳩来て羽摶つ初御空 殿村菟絲子

鴨とぶやゆたにたゆたに初御空 森 澄雄

初御空どこより何の鈴の音 村沢夏風

初御空水辺に近きさざれ巌 赤尾兜子

鳶の輪のやがて大きく初御空 森重 暁

群鳶の舞なめらかに初御空 富安風生

わが年の雲ひとつなき初御空 飯田弘子

子の髪に昼月重ね初御空 野沢節子

初御空はや飛び習ふ伝書鳩 中村草田男

初御空岬に長き馬の影 石山民谷

渡り来る鶴の空あり初御空 坂口幸江

ファックスにすぐくる返事初御空 田中美沙

駅通りまつすぐに来よ初御空 松田ひろむ

霊峰の明け放たれし初御空 藤田つとむ

わが谺かへらぬ祖谷の初御空 伊沢 健存

一機影雲より生れし初御空 小野 喬樹

レーダーに船影あらず初御空 小林 三郎

美しき背山妹山初御空 柴沼忠三

鐘楼のあたりくらさや初御空 大橋霊山

初御空はや飛び習ふ伝書鳩 中村草田男

初御空どこより何の鈴の音 夏風

初御空念者いろなる玉椿 龍太

真白さのつくばねうけよ初御空 鷹女

初御空はや飛び習ふ伝書鳩 草田男

垣の上の舟の舳や初御空 風生

大那智の滝の上なる初御空 泊月

叡山は京都左京区初御空 佐土井智津子

燈臺の古き國旗や初御空 鈴木洋々子

傷一つ翳一つなき初御空 高浜虚子

大帝の馬車わたりくる初御空 磯貝碧蹄館

未知のもの現れさうな初御空 吉原文音

鳶笛の一管澄める初御空 勝村茂美

群鳶の舞なめらかに初御空 富安風生(1885-1979)

傷一つ翳一つなき初御空

竃火のどろどろ燃えて初御空 原石鼎


摂社末社へ焚火には近寄らず

能舞台の周りを4周。人々は、本殿へ並び、破魔矢に並び、お神籤へ並ぶので、能初め舞台に密着しては見学する余裕がない。
破魔矢用に、3人、神籤には2人の巫女さん対応。

能初めが終わるころには、本殿への拝礼の列は、境内から溢れ、大鳥居の外の通りへ。

鳥居からはみ出す行列初御空


小学校の校庭。富松一寸豆であろう。

何年生の作品か?

元旦の散歩コースは、西・北方面。6300歩。
となると明日は東・北となるか、東・南となるか・・・。未定。



大使

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短日や回顧しみじみ老大使 秋川ハルミ

花まつり印度の大使ひざまづく 川越酔山

大使を題材にする句は少ない。


市報あまがさき新年号より


祖母の陰百年経てば百日紅 高野ムツオ 雲雀の血

山麓の百年の家銀木犀 坪内稔典

百年後は浦島太郎となる写真 柳谷 昌

百年後のいま真白な電車がくる 小川双々子

百年の館とりまく蝉の声 柴田白葉女 『冬泉』

百年の柳伐られし響きあり 阿部みどり女 『石蕗』

百年の木の瘤を見て夏座敷 大木あまり 火球

百年の銀杏落葉の日もすがら 杉山三知子

百年の皺のかんばせ生身魂 稲松錦江

百年の畳み皺ある武者幟 進 峰月

桃咲いて百年先のわれ思ふ 小檜山繁子

北限の梅百年を越えて咲く 石田幸子

百年は生きよみどりご春の月 仙田洋子 雲は王冠以後

百年の一睡をせり山椒魚 倉田俊三

柩へと百年ぶんの月あかり 櫂未知子

蝉の穴のぞき百年後の生家 鳥居真理子

百年の露けさ笹の朱墨にも 藤浦昭代

棺へと百年ぶんの月あかり 櫂未知子

百年は生きよみどりご春の月 仙田洋子

百年は死者にみじかし柿の花 藺草慶子

百年の家古るはやさ囀れり 石嶌岳

睡蓮や百年後にまた逢ひませう 橋本薫

しやぼん吹く百年たてば死ぬる子と 仙田洋子

百年の地軸に座して睡蓮花 宮崎敦子

百年は死者にみじかし柿の花 藺草慶子

落葉籠百年そこにあるごとく 大串章

こんもりと百年があり野ばら咲く 坪内稔典

松ぼつくり百年のちの晴れた日に 有住洋子

蝶の翅押さえつづけて百年経つ 津沢マサ子

百年の戀は覚めてもめをとかな 筑紫磐井 花鳥諷詠

落葉籠百年そこにあるごとく 大串章

百年千年夢見て青き冬景色 寺井谷子

失ふも得しも百年除夜の鐘 甲斐すず江

蜩や百年松のままでゐる 中尾寿美子

孟蘭盆や百年後の今の人 大釜菰堂

百年を思い疲れや棗の実 鳴戸奈菜

碑やこゝに百年露寒し 升本翠華

柩へと百年ぶんの月あかり 櫂未知子

山麓の百年の家銀木犀 坪内稔典

百年の移民史遺品黴びさせず 恩智景子

百年の榧は切られ月おぼろ 内藤良子

百年は生きよみどりご春の月 仙田洋子

信うすく曝す教会百年誌 冨田みのる

百年橋除雪車の来て村つなぐ 田中英子

明治百年献上単の帯は飽かず 及川貞

百年の牡丹さみし瞽女祭 西本一都

時間・空間かたちは無くて身には沁む 人の始終も百年足らず 齊藤史 風翩翻

桃咲いて百年先のわれ思ふ 小檜山繁子

百年の蟻塚にして砂の城 津田清子

蝶の翅押さえつづけて百年経つ 津沢マサ子

蜩や百年松のままでゐる 中尾寿美子

百年千年夢見て青き冬景色 寺井谷子

百年の柳伐られし響きあり 阿部みどり女

桃咲いて百年先のわれ思ふ 小檜山繁子

螢飛ぶいまを百年流れけり 小檜山繁子

出御今二千六百年天高し

この後の一百年や国の春

今の世も月明かに百年

百年の気色を庭の落葉かな 芭蕉翁 十 月 月別句集「韻塞」

紀元二千六百年われ四十になりぬ 日野草城

義母さんを介護タクシーで介護付きマンションへ送り返し、
同伴したワイフの帰りを待って、神戸市北区にある施設へ。

新年の竹の香りの傍に寄る

帰宅して次女一家をお迎え。



2次元座標

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我が家を2次元座標の原点Oとしてxy軸を引くと、
元旦の散策範囲は、第2象限であった。
3日は7歳児同伴で第1象限地帯へ。
原点Oを中心とする同心円はいくつも描けるが、
半径5,6百mの円内であれば、横道、寄り道を入れても往復8000歩内外。
その範囲内での第1象限内の「名所」は、
塚口御坊(旧塚口城城内)、
その南側の沿道(冬桜通り)・
塚口神社、
地区公園 塚口北公園
つかしんグンゼセンター

7歳児は歩きながら家の表札を読むのが趣味。
じ~じこれなんと読むの?
「かねだ」さん
違うよ、チョンチョンがないよ。

暖冬異変。焚火不人気。


北公園(地区公園)
この場所が分からず、初めての折、塚口神社の境内で人に聞いた。
どうも社務所の人だったらしく、社務所の玄関を入って、地図を持ち出し探してくれた。
神社から徒歩5分の地区にあったが
それほどに地元の人でも知らない人がいるほど、目立たない公園である。。
行政上の都合で、地元選出の市会議員を説得するために地区公園に指定されている気配。
議員さんしっかりしてや。


↑ちょっと大きい街区公園、例えば東富松公園よりも狭い。

↓グンゼタウンのカリオン広場。

ジュウガツザクラ

盛りは過ぎてしぼみ始めている。

含羞の十月桜年明ける

暖冬

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「暖冬」では例句など出てこないかと思ったが、

暖冬の淵這ひあがる屍のたぐひ 中原道夫

暖冬の巻かぬ白菜あちこちと 戸田 利枝

暖冬や神を不信の髪かわく 飴山實 『おりいぶ』

暖冬や砂丘をのぼる身の重さ 秋元不死男

暖冬の夜の雲歩く方へ迅し 原田種茅

暖冬の空あをあをと高島屋 岸本尚毅 鶏頭

暖冬や神の歴史の丘暗き 対馬康子 吾亦紅

暖冬はいつも酒場の名のように 対馬康子 純情

暖冬や街にはイエス現われず 対馬康子 愛国

暖冬の花屋のホース水走り 椎橋清翠

暖冬や長子歩ませ次子を抱き 近藤一鴻

世を恋へば暖冬の月顔なせる 村越化石

暖冬や中身詰められ叺立つ 北野民夫

暖冬の伯母の手提の小軽さよ 八木林之介 青霞集

暖冬が慮外なホテル生みつづく 寺井谷子

暖冬の月上げて空菫色 田川飛旅子

新年の公園に新しい標識

国際ソロプチミストとは、

国際ソロプチミストは、4つの連盟(アメリカ連盟、ヨーロッパ連盟、グレートブリテン&アイルランド連盟、サウスウェストパシフィック連盟)で構成され、約130ヶ国に3,000のクラブ、80,000人の会員を有する、女性の世界的な奉仕団体です。

 国際ソロプチミストは、国際親善と理解活動及び友情を通じて
      ・女性の地位向上
      ・高い倫理基準
      ・万人の人権
      ・平等、開発、平和
 を求めて努力することを目的としています。その目的の達成の為に、社会に向けて理解促進、提唱活動を行います。


3000のクラブの一つ、尼崎(支部)が活動を始めたよう。

樟の実

今日の散歩は、公民館とその隣の信用金庫経由。
公民館ではネット予約した句会場の使用料払い込み。
隣の信用金庫では、2年前ロビーで12歳児と7歳児がAKBやりだして
大騒ぎした。ともかく客の少ないロビーで、窓口は一つ。
投資相談などで人が来ると、窓口経由で、担当者がロビーへ出て来るシステムで、同じ信用金庫でもATMに長い列ができる駅前の支店とは大違い。
ロビーにセルフサービスのコーヒメーカーを置いている。

今日はATMコーナー(2台しかないが競合することはまずない)だけしか利用せず。
駅前でアイスクリームとクレープ(私も7歳児もクレープは注文しないが、同伴の「に~に」が注文)、昼過ぎだったので、そのままバーガー店で昼食。

に~には、11連勤のあと、今日が初めての休み。

越冬中のカランコエが咲き始めた。南向きの3つの部屋の窓辺に分散配置。
3月初めには満開になる。

夜も家は無暖房。
それでも7歳児は半そで姿である。





リュウキンカ

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庄下川の川辺でリュウキンカが咲き始めた。

ウィキペディアの解説では花期は5~7月とある。
暖冬異変でだろうか。ここ数年3月には咲いているが。

枯葦の間から群落を形成して緑色の艶葉が育っている。

↑女子大の温室。ガラス越しに。

街区公園よりさらに「格下」の児童公園は、庄下川沿いにもいくつかあるが、ここは栗山ポンプ場の外縁部。

この地点まで川を下り、駅前を目指す。

アイスクリーム、私は、昨日、抹茶、今日はチョコレート。7歳児は一徹にラムネ。

第3象限のスポットは、庄下川沿いでは、中之島公園、生嶋神社、女子大だが、他にも園芸店が一軒、上之島遺跡などがある。

立金花は歳時記にも登載されているはずだが、「大型俳句検索」には例句なし。
「続」にもなし。現代俳句協会のデータベースにもなし。



群れ鳥

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一月の川の痩せれば群れる鳥




ゴギョウ

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お蔭様でと七草の籠さげきたる 佐藤斗星 『七草の籠』

入口に七草植ゑぬ花屋敷 秋の七草 正岡子規

七草は七ツ異なる風情かな 七草 正岡子規

裏山はだうなってゐる七草摘 高澤良一 石鏡

昭和史閉ず七草粥に白き膜 寺井谷子

七草のあしたの靄の濃かりけり 鷲谷七菜子

七草や身にやすらげる帯の位置 神尾久美子

七草とどけてしばし京の灯に 鈴木 榮子

子の摘める秋七草の茎短か 星野立子

教室や馬穴にあふれ秋七草 秋沢猛

七草嫌ひな花は一つもなし 鈴木真砂女

秋の七草揺るるものより数へたる 鍵和田[ゆう]子

膝までの秋の七草分けすすむ 鷹羽狩行

飛ばしけり七草爪の大なるを 綾部仁喜

湯上りの七草爪をとりて昼 下田実花

悩む心七草粥に溶かしつつ 山鹿晴代

七草を満たせぬままや今朝の粥 大町光夫

七草粥笑いぐすりを少しまぜ 岸本マチ子

七草粥一つ減らして炊きにけり 臼井さと子

七草の粥ふつふつと昭和終ゆ 斎藤節子

噴きこぼる七草粥にみどりの香 佐藤信子

レシピ見て薬膳七草粥を炊く 相河美智子

七草粥命拾ひし夫と喰ぶ 山崎妙子

七草やもうもうけぶる馬の粥 村上鬼城

七草へ薄刃きらりと城の町 大津京子

七草や吹きてはるかな野の香り 広田豊子

七草の一つが青む庭の隅 谷口雅子

七草粥茶碗の一度煮てありし 坪田晴美

七草やゆつくり通る消防車 安澤静尾

七草の家族はやわらかい樹海 小林一村

七草の篭に潮風濃かりけり 鈴木多江子

幌馬車の秋七草に触れゆけり 竹川貢代

歌にして秋の七草指止まる 川崎和美

門外の秋の七草苑に見ず 瀧 春一

子の摘める秋七草の茎短か 星野立子

風呂敷に七草染めて秋の婚 馬渕正子

七くさを見るや千くさの人心 秋の七草 正岡子規

七草に入らぬあはれや男郎花 男郎花 正岡子規

花賣や七草盡きて梅もとき 梅もどき 正岡子規

七草の朝湯あとから利いてくる 高澤良一 寒暑

口突いて出るモーゼ五書七草粥 攝津幸彦 未刊句集

七草やけふ一色に仏の座 支考

七草や何をちなみに仏の座 路通

気がつけば今日七草ぞ寝正月 清水径子

大胡座かいて七草爪を切る 加古宗也

膝の上七草爪の紅こぼす 伊藤瓔子

野のいづこ春の七草母が摘む 福田葉子

巫女ふたり打つ七草のせりなづな 蒲幾美

七草粥今日をかぎりの昭和かな 福川八重子

昭和64年1月7日に詠われた句↑

初めて7草セットを買った。ごぎょう(ハハコグサ)の食用可能な生育状態を初めて確認。

例年、この日に粥を食するが、7草ではなく、1菜か2菜である。
7草を味わい分ける能力はなかった。


第1象限

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ネット上の数学辞典の解説

第1象限

座標平面のx>0、y>0 の部分のことを第1象限という。

[第1象限]


わが家の位置を0点に置き、そこを中心として
半径600mの円を描いて外枠とし、
各象限内(第1~第4象限内)のいずれかをうろうろ巡ると8000歩内外の散歩コースとなる。
このブログの中身の半分ちかくは、
その範囲内で見た、植物(花や木や草)の紹介画像であり、
その地区の歴史である。

本日は、X線上を、第1象限と第4象限にまたがって往復したのみ。


駅前ビルの2階広場に人が集まっていた。

↑の看板を見て、理由は判明。
午後1時前だったので、御本人はあと数分で登場、熱唱を披露なさるのであろうが、所属俳句結社の運営会議も午後1時開始なので、会場の風景を2枚撮ったのみで、
会議の会場へ。
ファンの数は、150人まで。

少し立ち見が出始めた程度。
年間を通じて、歌謡番組はまずは視聴しない。
紅白歌合戦でさえ、ほとんど見ない。
この会場へ年間20人以上の歌手が現れるが、歌手の名はすべて初めて聞く名である。

会議は1時間少々で終わってしまった。

帰りに広場を覗くと、後片付けもほぼ終わっていた。
新人だから、あまり持ち歌がない。
同じようなお披露目会場を一日で数か所巡るため・・。
理由はそんなところか?

いつもはほったらかしの花鉢にパンジーが植えこまれていた。
しかしマメカミツレなども完全には除去されず、パンジーを植えこむ部分だけ隙間を作ったというおざなりな植え込み。見るに見かねた人のサービスだろうか?

カモミールでも例句探しだせず。マメカミツレは探す気も起らない。



虹立つやサルサの歌手のおちよぼ口 仙田洋子 雲は王冠

直立で老歌手唄ふ子供の日 今井きよし


「歌手」の例句もあまりなかった。


マメカミツレ桜落葉を傘として



宵戎

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ご近所の園芸好きなご夫婦の玄関前

このブログは2011年11月に開設。
丸4年経過し、5年目に入っている。

ブログ開始前の2011年1月に初めて今宮戎を吟行会で訪問。
さらに2年後の2013年に、これまた西宮戎の残り戎を吟行会で訪問。

今宮戎に感動して

きんきらきんの屋台が並ぶ初戎

吾も亦倭人の末裔初戎

待ち人を待たせたままの初戎

福笹を振る人の露浴びに寄る

賽銭受けの底の敷布がまだ見える

ドラ叩き念押す浪速の初戎

ウィキペディアの編集合戦初戎

巫女の一人はベトナム娘初戎

ササモテコイに気遅れ気味の美作人

初戎あなたの常識非常識

10句制作。所属誌に公表した。

神戸→川西→尼崎→吹田→尼崎と居は変わっても、
父母に初詣や戎さん詣の習慣がなかったこと、中学生の時に
カトリックの洗礼を受けたことにより、有名神社が周辺に沢山あったが神社信仰とは無縁であった。無縁とはいえ、神社を覗く機会は何度もあった。

小学生のころから中学にかけて、神戸市須磨区の板宿で晦日から新年を迎えることが多かった。祖母の兄の子だから、大伯父の子(娘)の家であった。書店を経営していた。この人には子がなく、父の兄夫婦を養子にしていた。周辺に親族がいて、いとこが多く、カルタ遊びなどをして年末年始を迎えた。

大晦日の夜の12時になると、大伯父の子なる人に連れられて
長田神社へでかけた。それは初詣かどうか分からない。
家(店)を出ると隣近所の店主たちも同じように服装を整えて神社に向かう。そのさい「明けていない」せいもあるが、挨拶は今年一年いろいろお世話になりました。来年もよろしくといったものだった。

もう新年になっているので、「今年」はおかしいではないかと思ったが、
イスラム教徒でも夜の終わりが一日の始まりだし、元旦は朝日が昇るときに始まるという発想も今なら首肯できる。

とにもかくにも、今年初めて、宵えびすを覗いた。
神社はもっとも近い尼崎戎。


中央商店街に入って、神社へは左折の表示がある場所からアプローチ。丁度まえに大鳥居が見える。辺り一帯は屋台で埋め尽くされている。といっても西宮戎の半分以下、今宮戎の3分の一以下であろう。
すでに行列は大鳥居の外へ大きくはみ出していた。夕刻には阪神電車の駅付近まで伸びるのではないだろうか。

帰り道、駅前でたい焼きを買って帰る約束をしたが大行列なのであきらめた。
駅前を通り越してかつての尼崎発電所(現在は阪神電鉄の倉庫)を過ぎたあたりで
↓の看板が気になった。
初めて見るものではないが、何気なくみていたが「うさぎはり」の意味が分からなかった。


検索したら、「南部再生」44号掲載の文に出会った。
そのものずばり、上の画像を紹介なさっている。
ただし私の画像では肝心なうさぎの石造が写っていない。

うさぎはりと言っても、ぴょんぴょん跳ねるかわいい動物のうさぎさん向けの鍼ではない。尼崎市立中央図書館から北東へ約1分ほど歩くと、門柱にうさぎの石像が乗った鍼灸院がある。石像は結構大きいので、前を通ると誰しもが目を向けるだろう。しかも向かって左側の石像は世にも珍しい「招きうさぎ」スタイルだ。かわいい。うさぎはりとは小児向けの鍼ということだが、ここでは大人への施術も行われていたようだ。うさぎの石像は「子どもが嫌がらずに来院できるように」との当時の院長の願いが込められているという。残念ながら今は営業していないが、外からは自由にうさぎの石像を見学できる。


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