田中さんから貰った
尼崎郷土史研究会『歩いて訪ねてみちしるべ 尼崎の道標』(2012)
は目下散歩時に(そうでないときも同じだが)持参するカバンの中の常備品である。
目標に近付くと、当該ページを中心に二つ折にして手に持っているので、
すでにぼろぼろ状態。
この冊子に振られている道標番号では⑨を見つけた
「下坂部道標」
狭い街道の姿を残す街角で発見。
そこに道標があると知っていなければ見過ごす石塊。
ほとんどまったく読めない。
その気になれば、正面の「左 尼崎」くらいは判読可能。
立っている位置は昔のままのようだが、方位は90度回転しないと合わないとか。
背面は覗きこむのも困難である。
↑この面には「施主 當村 釈教圓
重兵衛 」
と記されているらしい。釈は真宗の戒名の最初の一字だから、故人を弔って息子が施主になったようである。
デジタル辞書
しゃく【釈】
2 講釈・講談のこと。また、その演者。講釈師。
3
㋐釈迦(しゃか)のこと。また、仏教に帰依したことを表すため僧が名の上につける姓。
㋑真宗で、法名の上につける語。
↑ 「右 中山 有馬
左 尼崎 道」
右側側面、背面一人では撮影不可能
左 神崎 大坂 道文久三年(1863年)発亥 八月
ところでこの道標に到達するまえに、真新しい別の道しるべを「発見」
例の「小田会」のものを思い出す。
しかし側面の字が読みづらい。
その後また別の道標に遭遇。
ガイドブック改定第三版には、以前紹介したものを含め新規に三基追加せねばならない。
やはり小田会の寄贈品である。
「右 久々口」で、その久々口の入口でみたものに続くのであろう。
過日見た道標↓
そして最後に「有馬道」の解説版につながってゆく。↓
しかし六〇周年記念行事で設置した石碑、石版は計4つかどうかは、会へ問い合わせねば分からない。
今日見たその石版と、近松門左衛門墓所を案内する門柱利用道標
そこへ至る前に、まったく知らなかった案内板を見つけた。
みすぼらしいお地蔵さんの背後に豪邸がみえる。
寺の跡地が、この家のご先祖さんの所有になったのか?
しかしこの芝生ではまだクロケーは無理かも。
イギリスの都市郊外では、建物は赤茶煉瓦でいかめしいが
優雅なグリーンを誇る家が普通に並んで立っている。
ともかく尼崎市内でこれほど優美な家をみたのは初めて。
グリーンの反対側には大きな土蔵が残っている。
一部ベンツの車庫になっていた。
下坂部から久々口へ、さらに上坂部へ
↓上坂部を代表する家のひとつ
尼崎市都市美形成建築物
目下和風レストラン
庭をちょっと覗き見
その家の近くに道標。
ガイドブックの表記では、「上坂部・家紋入り道標」
優美な書体、くっきり彫りだされた家紋など文字通り白眉の名品だそうである。
「天保六年三月
建主 大坂 浮田氏
世話人 當村 こばん石 與吉
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家紋(地紙に分銅) すぐあまが崎
左 かん崎 大阪
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
右 小はま 中山 在馬 」
以上が、ガイドブックの三面の解読である。
大坂か大阪か、その部分が欠けているが、ガイドブックは「大阪」と読んだ。
毎月第四日曜日開催の句会、今月は都合で水曜日に変更。
そのせいで、私、昨日が月曜日で、今日が火曜日みたいな錯覚に陥った。
水曜日の句会での私の選
色なき風映しておりぬカーブミラー
白杖の確かな歩み十六夜に
ビーツ届くボルシチ赤くパン白く
頼られているを剥がして草虱
秋霖や土偶瞬き出来ぬまま
告白は全てあの世で松茸山
サンユウカ