ブログのデザインを変えたら濃い紫の地のため色文字にしないと
字が消えてしまう。デ、また変更。
最寄駅の駅前から市バスに乗車。やたら○○小学校前という停留所がある。
人口急増期に市の辺境地区に多くの学校が新設されたのであろう。
私の出身小学校は、伊丹南小学校。伊丹駅前に伊丹小学校があるが、
児童数は2000人を超えていたと思う。まさにマンモス小学校。
伊丹南小学校は1クラス60人で3クラスだったと思う。???
「琴浦神社前」で下車。
琴浦神社(ことうらじんじゃ)は、兵庫県尼崎市琴浦町にある神社。祭神は嵯峨源氏の祖である源融である。
琴浦の地名は、この神社のある付近だけ小高くなっており、海岸の景色がよそより優れているという意味の異浦とも呼ばれていた。境内には、一等水準点(点名:10699 標高:0.2276m)がある。
琴浦通り(尼崎市道第133号線;旧国道・中国街道)に面し、南に向いて本殿が建てられている。祭神の源融は光源氏のモデルともいわれ、寛平年間(889年 - 898年)に京都六条の河原院(現在の渉成園)という邸宅を造営し、陸奥国塩釜の風景を模して庭園をつくり、この地より、毎日20石の汐水を汲んで運び、塩を焼かせたという伝承に基づいている。
なお、同じ尼崎市内にある潮江の素戔嗚神社も同様の由来を持つ。
また、境内には、毒蛇を防ぐという伝承のある白砂があり、遠くからも戴きに参拝する人があるほどであるという。
ウィキペディアの解説も市の教育委員会の説明も、神社の創設時期についての言及がない。
20石の潮水を毎日尼崎から京都まで運ばせたのであろうか?平安の時代に。1升瓶2000本分、1斗樽200個分、3トン近いものを。荷車に載せて前一人、後2人の男が運ぶとして、一台に300キロ分積み込むとして毎日30人くらいの労働力がいる。途中は船に乗せて淀川を遡るとしても。
この神社いつ創建されたか?献灯台に享和3年の年号が見える。
1803年である。まさかこれが創建年ではないだろう。
神社さんの方の説明では、「『攝陽群談』(1701年)には、「琴浦社武庫郡東新田村にあり。土俗の伝に云、源融公、此塩浜に潮を引き、なづけて琴浦の古跡となると云へり。引くと云いて弾ずるの縁に因る故なり。貞観年中に祀祭之融公の社とし、村民琴浦明神と称す。」とある」 という説明がある。貞観とは9世紀後半(859~875)の年号である。
どうも宮司は不住のようである。
現在の社殿は、昭和47年に完成したようである。土地の売却金3000万円を基金として。ということは現在の3倍くらいの広さがあったのであろう。
尼崎観光交流サイト「あまらぶ」
では、毎月30石(5.4トン)の海水を運ばせて、邸宅の池で海の魚を放ったという説明をしている。
この欄の執筆者は、海水の比重を1として計算している。30×1.8キロは
5.4だから。この文を見つける前に、私は海水の比重を1.2程度で計算。
毎日30石を、他の記述により20石に変更した上で樽じたいの重さを加えてみた。
毎日20石と毎月30石も大きな差ではある。
ここまで来たからには、尼崎市内を流れる蓬川(よもがわ)を覗いてみようとおもった。
そこで街角で見つけた自販機。
80円!
ビールも買える!(もちろんビールは80円ではないが。チュウハイなら110円!)
こんもりした森が見えたので、そこらあたりから蓬川公園が展開していると思って接近。
その道は中国街道
柵にかかっているのは、尼崎市制100周年を祝う小学生作成のポスター↑
なんとここは小学校
森に見えた。尼崎で一番古い小学校は開明小学校と思っていた。
柵越しに「つどいの森」という標示が見える。
設立は明治と思ったが、1953年に大庄小学校(1876年創立)から分離した学校で、その3年後には、さらに若葉小学校というのが校区を分離して設立され、今や元の大庄小学校への統合が提起されているとか。
ここであわててわが母校、伊丹南小学校の設立年を調べた。1945年9月に(敗戦の年に)伊丹小学校から分かれた(当初は伊丹小学校の分校)とのこと。
そういえば、小学校の正門に「国民学校」という「表札」がまだ残っていた。
成徳小学校を通り過ごすと蓬川に遭遇。
蓬川についてもウィキペディアの解説はあるが、簡単。
蓬川(よもがわ)は、兵庫県南東部を流れる河川。二級水系の本流である。
尼崎市内のみを流れる。同じく尼崎市を流れる藻川(もがわ)と字面及び読みが似ているが、藻川は猪名川の分流で、園田地区など市北東部を流れる。
地理
尼崎市中部に発し、大庄地区を南流して大阪湾(尼崎港)に注ぐ。上流部が不明瞭で、かつては大庄地区の浜田付近で海に注いでいたと言われる。現在は難波樋門(西難波町2丁目)から尼崎港までを蓬川と規定しており、樋門より上流部は浜田排水路、または浜田川と呼ぶ。河口付近は阪神工業地帯の一角を成す臨海工業地域。
尼崎市内だけで完結する川である。
両岸に広い緑地帯や公園を有している。
我が家の近くの公園の桜は、いまだ尼崎市の広報誌等で紹介されたことはないが、ここの桜は画像だけでは、何度もお目にかかっている。
北へ向かうと国道2号線
入江橋は大正期に架橋されている。立派な欄干あり。
国道2号線を越えて行くと堰がある。
そこからは川の名が変わる
向きを東に変えて歩くと、税務署の案内標識が目についた。
市役所の西・南の地区を歩いていることを確認。
昨日の続きを書く余裕なし。
いのこづちをたくさん見た。
猪子槌は季語ではないのか?例句なし。
槌だけで検索