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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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バジル

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3日から美作へと計画していたが、
3日は雨という予報だったので取りやめた。
5日に戻る予定であった。
今日も雨。
梅雨寒である。

午前中は半袖シャツ一枚だったが、うすら寒いので下着(インナー)を着たが、
それでも寒いので、もう秋まで着ない予定であった長袖を探しだしてきた。

美作行、8,9,10日へ変更したがホテルの予約はまだ。


バジルは本葉4~6枚になった。
例年、前の年に採った種をいい加減に播くがうまく育たない。
結局、1ポットにこれより小さな苗が3,4株植わっているものを100円で買ってきて、
間引かずに、ひと株ずつに分けて1プランターに植えて、夏の間のサラダやパスタに使う。

夏の期間は2か月以上、家にいる限り、昼は、ソーメン、ソバ、パスタの繰り返しである。

先日、外へ出ていると、ご近所さんが寄ってきてバジルを褒めてくれたので、
2,3株そうですか、育ててみませんかと誘ったが、
うちはパスタを食べないので・・・と持ち帰りを断られた。

バジルも幼苗だけでなく成長したものにも虫が付く。

風通しをよくしようと思うと、1プランター3株植えくらいが限界である。

イタリアンパセリは今年初めて育てる。すでにしてやや過植気味である。

↑サポナリアのはず。猫缶さん間違ってませんよね。

竹生島抜いても抜いてもスベリヒユ

状態が始まっている。

「生」を挟み込んで政治色を消しているが、スベリヒユはウリジナルである。

ウリジナルについては、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC

などを引用しようと思ったが、あまりにも長文なのでやめ。

↓これもご近所

ガレージの上にも車に触れない範囲で仕立てておられる。牽引作業が大変だろうと思う。

たくさんジャムが作れそう。

東富松川

数年にわたって工事をしている。東富松川は川岸を歩ける場所はごく限られている。

↑札場の辻跡だと思う。大きな陣屋でも建っていたのではないか?
かなり広い面積が空地空家のまま放置されている。
小さな水路は東富松川へ流れ込む。

東富松川が庄下川に合流する地点。

奥に見える橋の向こう(南)が庄下川

全域が石とセメントで固められ鉄柵で囲われた川である。


ハルシャギク

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眼鏡

左が100円で、右が7万↑


遺失物物語後編

ワイフが留守中にクリーニング屋の御用聞きあり。
冬のスーツやコートをまだ出していなかったので、
大急ぎでポケット検査

最近は腕時計をしない生活をしている。
その腕時計が1つ出てきた。

クリーニング屋に渡したら上着のポケットの破れ目から出た
合鍵を見つけてくれた。

これもないないと思いながらいずれどこかから現れるであろうと思っていたもの。

他にも本が数冊出てこない。1冊は愛読していた植物図鑑。

本日の行動(見聞)報告

札幌大通公園と規模はほぼ同じではないか。


昼食は盛岡冷麺





毎年ここで咲いている。オオキンケイギクは今は販売・栽培が禁止されている。
よってこれはハルシャギクか?

 テレビ塔から南へ伸びる久屋大通 、次々に広場が現れ、何か行事をやっている、
今日見たのは、東北6県屋台村(復興事業協賛行事であろう)
その次は、世界のグルメ ビールとワインの祭典。これも震災救援活動の一環のよう。

なんで6月に収穫祭(10月祭)なんだ?

午後4時間、栄の中日ビルで開催の会合に出席。
昨日の雨で順延になった熱田神宮の花火大会が午後7時半からあるらしいが、
夕刻6時前発の「ひかり」に乗って帰宅。

友人の神父に声掛けようかと思ったが、神父は土曜、日曜が「営業日」だから
遠慮。カトリック神父は週7日ミサをたてなければならないが、10年(20年?)くらい前から
月曜定休になったという話を聞いた。

友人は引退を司教に申し出ているが許されない。

神父・修道女の介護センターが満杯であるというより、
60歳、70歳で定年退職させていたら
ほとんどの教会が無人化してしまうからである。

65歳以上の人口÷全人口=高齢化率

全国平均25.1%

(日本の)カトリック教会内の神父修道者の高齢化率は
75%以上。修道会によってはこの数字が100%である。
しかも後期高齢者(75歳以上)が急激に増加中とか。

「神父」の例句意外に多い

ポインセチア神父に午後の憩あり 藤岡晴丘

裾ひいて神父のまびく貝割菜 伊藤仙女

だれよりも神父が食ひぬ南瓜汁 綾部仁喜

理髪椅子神父をのせて敬老日 朝倉和江

黒衣より掌を出し神父枇杷をもぐ 津田清子

懺悔うけて神父いでゆく日除帽 津田清子

春一番島に神父のおくれ着く 中尾杏子

霜害を神父も嘆きくるるなり 武藤 万瓢

鶏合せ覗き去りたる神父かな 吉川 耕花

帆柱を伐れば神父が一人立つ 高柳重信

海峡やまなこ大きく老神父 下山光子

バスクより来たる神父や今日の秋 水野真由美

東風に髪なぶらせて神父との対話 原裕 『葦牙』

凶年や霧に傘さし神父来る 飴山實 『おりいぶ』

手首より覗く冬襯衣わが神父 草間時彦

夏痩せの神父午後よりシャツ姿 大島民郎

神父カーネーシヨンを持ち散歩 星野立子

海棠や道化ごころは神父にも 鷹羽狩行

葬の渦とはぐれた神父死鼠の発光 赤尾兜子

かまくらの子らに神父の招かるる 沼澤石次

極月や神父と出遭ふエレベーター 実渕真津子

秋燕や神父薪割る痩拓地 宮坂静生

海棠や道化ごころは神父にも 鷹羽狩行

年忘れ神父祖国の歌うたひ 佐々木美津子

草の絮神父の裾をよろこべる 渡邊千枝子

露の栗神父の巨き掌より受く 鷹野 清子

理髪椅子神父をのせて敬老日 朝倉和江

昼顔や神父をおろす島渡舟 坪井かね子

未草神父午睡の刻過ぎて 下村ひろし

神父干す木沓に蜥蜴出てあそぶ 山野邊としを

泣きし子に神父の見せし蝸牛 藤野 力

リラの風握手撒きつつ新神父 矢野 聖峰

浦上や花の莚に神父さま 築城 京

新海苔を灸つてゐたる神父かな 橋本榮治 越在

手首より覗く冬襯衣わが神父 草間時彦

甘藷車押すは大江の神父かも 古場青芒

神父カーネーシヨンを持ち散歩 星野立子

神父の汗どつと惜しげもなし場末 平畑静塔

わが仔猫神父の黒き裾にのる 平畑静塔

継目なき神父のカラー復活祭 加藤かけい

球根植う毛に蔽はれし神父の手 町垣鳴海

春一番島に神父のおくれ着く 中尾杏子

神父ヨゼフ追羽子よけてすぎたまふ 高橋潤

天金こぼす神父の聖書秋夜汽車 齋藤愼爾

愛を説く神父に大き火蛾の翳 上田日差子


神父老い信者われ老いクリスマス 景山筍吉


お会いしたことはないと思うが、この人永い間、
「カトリック新聞」の俳句欄の選者をなさっていた。
今の選者は稲畑広太郎
この人に代わってからものすごい勢いで投句者が増えたようである。
今は廃刊になったが、大阪教区の雑誌「声」にも
俳句欄があったが、一人3句ずつくらいが1ページに掲載されていた。選者が稲畑汀子さんに替わったら、
巻頭作家も1句で、びっしり1ページ4段組みで句が並び始めた。



神父
見えて隠れし館文化祭 藤田湘子

逍遥の神父を濡らす露葎 向井秀

島の子に神説く神父汗涼し 小原菁々子

聖書説き世俗に媚びず炉の神父 小原菁々子

聖夜ミサ祈る神父の息白し 小原菁々子

絵硝子にまどろむ蛾あり神父留守 大島民郎

夏痩の神父午後よりシヤツ姿 大島民郎

波乗に巡回神父けふ来る日 大島民郎

森たどる黒衣の神父ほととぎす 大島民郎

見てゐたる神父加はる毛虫焼 朝倉和江

竹馬へもどる子高し神父より 朝倉和江

降誕祭眼鏡光らせ老神父 伊藤敬子

うすらひへ言葉を与ふ老神父 村越化石

薔薇のアーチの窄き門神父館 上田五千石 田園

三等車神父めざめる谷の雪 沢木欣一 塩田

この国の夏鬱々と神父来る 鈴木六林男 王国

夾竹桃から 湧く風 信じ 神父昼寝 伊丹三樹彦 樹冠

復活祭神父の腰に鍵あまた 有馬朗人 天為

昼寝の後の不可思議の刻神父訪ふ 中村草田男

神父の竿に虹鱒躍り吾妻笑みぬ 中村草田男

ましろなる神父の髯やクリスマス 富安風生




エラブユリ

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口永良部島があって、沖永良部島があって、
エラブユリのエラブは沖永良部島を指すようだ。



鹿児島県人会主催行事


永良部百合祭は、やはり6月の第2日曜日開催のようであった。
しかしすでに百合はたくさん用意されていた。

本日の尼崎俳句協会主催の超結社合同句会で
私が選んだ5句

樟若葉カンガルーの尾の固きこと
打水やこれぞ地球の香りなり
新緑や光ばらまく鼓笛隊
何をしに二階に来しか山笑う
母の日は妻の日白いカーネーション



百合の句も出ていた。

誰待てる鉄砲百合の放射砲

極楽と地獄のはざま永良部百合

鉄路

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鉄路と言えば、

つ~んとし~んとず~と枕木つづきの朝

という句を思い出す。わかちがき表記だったし、他にも表記がちがうかもしれないが、
3つのオノマトペを使って、
毎日の早朝出勤といつになったら終わるのか分からない
単調なしかし精神的にも肉体的にもつらい仕事の内容が思い浮かぶ。
無季俳句だが、だれもが冬の朝を連想する。

この句の作者は、今でも近くに住まわれているようだが
学生時代に出会ったまままったく会う機会がない。

私の自宅から近い高校で、文芸部を創設。
そのうちの2人とは、ずいぶん時間がたってからネット句会でご一緒したことがある。


阪急電車神戸線神戸方面行きの先頭車両からの眺め。
右横に宝塚線の鉄橋が見える。
左側に見えるのは国道176号線の淀川大橋である。
この橋の麓の風景は何度もこのブログで紹介している。

この地点では鉄路は北東に向かっている。鉄橋を越えれば十三(じゅうそう)駅である。

十三駅を出ると、神戸線は引き続き北西に向かって走るが、宝塚線と京都線はおおきくねじれるようにして北北東に向きを変える。

宝塚線は宝塚へ、京都線は河原町を目指す。

十三駅までほぼ同じ向きに走っていた電車はこの十三駅を出ると3方向に分かれてゆく。

よって十三駅には東改札口と西改札口がある。

阪急電車の塚口駅西側の踏切を渡りながら、東西を眺めた。

↑西を向いて
↓東(大阪方面)を向いて。踏切は駅舎のすぐ横にある。

東西ほぼ1直線にレールが敷かれている。

私などは、これに慣れているために、
阪急神戸線は東西に走っているものと錯覚してしまう。
始発駅梅田駅から十三駅までは電車は北向きに走っている。
十三駅を過ぎて、京都線はぐっと東北へ向きを変える。
神戸線も北向きを西向きに変えるのは園田駅(塚口駅よりひとつ大阪寄りの駅)を出てからである。
夕方に神戸行きの先頭車両に乗っていると進行方向ななめ左から
夕日が差し込む。

塚口駅には、昼間は、
普通電車が10分に1本停車する。上り、下りで1分の差がある。
ということは10分に1回は確実に2分近く遮断機が下りたままになる。

普通電車以外に、10分に1本特急電車が上下線とも通る。
10分の間に4本の電車が踏切を通過する。
これが朝夕のラッシュ時には
準急・急行、快速急行、通勤特急などが割り込んでくるので、
この踏切は一般車は通れない。2輪車もエンジンを切って手押しで渡らなければならない。



ベゴニア

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少し前に撮った画像である。




なんかやっぱり季節がずれている感じがする。

室の花汗ばむほどの譎詐かな 久米正雄 返り花

室の花駘蕩として患者あり 久米正雄 返り花

室の花余業に画廊開きたる 久米正雄 返り花

やはらかに反れる花びら室の花 清崎敏郎

室の花晩年といふ檻の中 根本喜代子

室の花溢れグラバー園はあり 正木 都

無戸室の跡を標して棉の花 吉田亜司

むらさきのうすむらさきの室の花 久垣 大輔

暴力がしづかに育つ室の花 鈴木伸一

見舞はるる蝟集の蕾室の花 浦野芳南

鍵盤にをどる十指や室の花 大星たかし

虹唇の濡るるがごとく室の花 富安風生

病衣着てただの老人室の花 早川教子

片仮名の名はすぐ忘れ室の花 松本泰志

暗き方は海に雪降る室の花 篠田悌二郎

室の花黒んぼ人形笑ひけり 仙田洋子 橋のあなたに

湯浴する嬰児のこぶし室の花 渡辺白峰

暗き方は海に雪ふる室の花 篠田悌二郎

室の花喪服とは美しきもの 大熊左利

カタコトとスチームが来る室の花 富安風生

厨房に母のためなる室の花 上田日差子

暗き方は海に雪ふる室の花 篠田悌二郎

紅唇の濡るるがごとく室の花 富安風生

室の花胎児に聞かすシューベルト 安養寺美人

ひたすらに虫媒一つ室の花 亀井糸游

祝ぎごとも悲しみごとも室の花 石田勝彦 秋興

室の花日のあたりきし沖の方 永田耕一郎 海絣


室の花は冬の季語。
主に、梅を土蔵の中へ取り込んで、炉を設けて温めたよう。
江戸中期以前にはこの言葉はなかったかも。

あじさい寺

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「あじさい寺」を名乗る寺は一つではないと思う。

ウィキペディアの解説

アジサイ寺(アジサイてら、アジサイじ)は、日本各地に点在する、境内にアジサイの花を多く植えている寺院のことである。


概要

アジサイの咲く梅雨の頃は気温の変化が激しい時期であるため、医療の発達していない時代には多くの病人や病死者が出た。そのために、寺によっては死人に手向ける花とも呼ばれている。

過去に流行病等があった地区の寺に多く植えられていた。医学の発展で流行病による死者が減った後も、アジサイが挿し木などで容易に栽培できること、書画等でその美しさが目を引くことなどにより、日本全国の多くの寺で植えられるようになった。梅雨時の古寺に彩りを添えるため、観光の目玉にもなるところも多くなった。

ショウブの開花時期と重なるため、寺によっては菖蒲も同時に鑑賞することが出来る。アジサイを多く植えている所ではアジサイ祭等と呼ばれる祭りを開催しているところがある。祭りには茶道のお手前や寺の古い書物なども披露する寺があるなど、寺と文化を味わう絶好の機会でもある。

全国に30ヵ寺、岡山県にも2寺あるようだ。

私が覗いたのは、岡山県と兵庫県の県境にある大聖寺。
感想:あじさい寺の名を返上すべきではないか?

鹿害であろうか、寺の辺りに鹿といのししが群生、ツキノワグマもいるので
注意の立札あり。


寺の入り口付近の紫陽花はともかく、
ここからアジサイ園と書かれている辺りからは枯れ株が目立つ。

「紫陽花&寺」で検索。1句だけあった。
「紫陽花&雨」こちらもありふれているので多くはない。

の日はに応える濃紫陽花 倉田しげる

紫陽花のやはらぐ読書かな 橋本 對楠

家腐つ紫陽花百あまり 斎藤道子

紫陽花忌橋下にの舟料理 吉田芙水

紫陽花や青にきまりし秋の 子規

帰省子に紫陽花濃むらさき 水原秋桜子

紫陽花の醸せる暗さよりの 桂信子



8日、9日、10日と美作へ

8日の夜は雨だったがホタル狩りへ
9日もホタル狩り。
画像は明日。

どういうわけかどちらも大谷川だが、
全然別の川だった。


コウホネ

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河骨(コウホネ)ってけったいな名前だ。根の形態から名前が来ているらしい。
漢方薬になると川骨(せんこつ)と呼ぶ。






西粟倉村の道の駅あわくらんどの横を流れる清流

土砂崩れなどあって、時間をかけて護岸工事をしていた。
高速道路鳥取道の建設工事も影響しているかも。
目下鳥取道は佐用から鳥取まで無料である。
そのこともあって最近はよく利用する。

ただしほとんどが片側1車線の上下対面通行である。


本日神戸句会出席

出句3句

亡き人の笑顔を泛べ濃紫陽花
看取り終え看取られる手に蛍乗る
流木に躓いている蛍狩


「流木」が兼題であったラシイ。10秒で作句。
他の結社のように兼題が誌上に通知されることはない。
先月もこの句会に出席しているので、兼題はその折りに公表された。
だから「流木」が兼題と言われてみればそういえばそうだったと思いだしたが、
兼題や席題はわが結社では昔からなかった。


8日の晩は雨だったが、大谷川へホタルを見に行った。
ホテルからは500メートルも離れていない。
雨だったし、ホタルは20~30匹しか飛んでいなかったので、画像はない。

ただし2,30匹といえど、会えないかもしれないと思っていたので、感動した。
河岸の遊歩道にも舞っている1匹がワイフの手に止まった。
ワイフは老母の看とりの最中であるが、老老介護の典型である。

ワイフが遠出をすると確実に老母が熱を出す。
だから今回の旅行も老母には内緒かもしれない。
旅行中も携帯電話を使って同じ時刻に一日の出来事は聞いているようである。

翌朝「現場」を再訪した。


これは一番良く飛んでいる頃の広告画像のコピーである。



きれいな観察用遊歩道やベンチが整備されていた。
これもMrs Kの旦那さんのやった仕事の一部らしい。
旦那さんは佐用・美作洪水の後、市の初代の危機管理官を務めていたが
その前は、永く土木課長であった。

以前、市の水道公園の貯水槽のことが話題になったとき、
あれは私の仕事だと言っていたが、
要するに台風や洪水後の復旧工事は、
美作市管内ならすべて課長さんの決裁を経ていることになる。



この場所へは初めてである。

9日の夜は、バレンタインホテルから近い、旧の作東町を流れる
同じく大谷川の名の川のほとりへ出かけた。
夕焼けがきれいであった。

今度は雨上がりということもあり、100匹以上を目にすることができた。
夕食のアルコールを控えて車で来るつもりだったが、ホテルの好意で、
二人だけのためにマイクロバスで案内してもらった。

この場所には過去何度も来ている。
20年近く前の豪雨以前には、
川面が光り輝くほどにホタルが舞っていた。

キロロガーデン訪問記は明日に。

キロロガーデン

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最初にこの庭を覗いたのは、20年前である。
Mrs Kはまだ40歳になっていなかったはず。

↑当時この「看板」はまだなかったと思う。
1,2年後に手作りなさったのを見て、その腕前に感心したことがある。
板が厚いので、20年の風雪に耐えてまだ原形を留めている。
配置の仕方や場所は少し変動している。

庭に入りかけたらカエルの歓迎を受けた。私、このカエル(殿様蛙?)を見るのは、20年ぶりあるいはそれ以上である。

この季節は各種の紫陽花とギボウシ(擬宝珠)が目立つ。
5月のクリスマスローズの花盛りは見ていないが、クリスマスローズも沢山植えつけてある。

紫陽花は、額紫陽花と紫陽花、アナベルと柏葉紫陽花位しか区別を知らない。
↑はヤマアジサイか?

ギボウシに至っては全く種類名を知らない。


今回は紫陽花を特集してやろう、ギボウシ各種を紹介しようと思って撮影しているわけではない。
手当たりしだい、気分しだいで画像を得て、PCに入れて眺めながら整理しているにすぎない。

東屋も4月に見た後、プロの手が入り、固定資産税の対象にならない措置をして完成、
後は家具の配置や並べ変え程度の作業が残っている感じ。
こちらの方は「美作の風」で丁寧な紹介があるので
省略。

屋内では手づくりのケーキやゼリーをいただいた。
お茶をお変わりしている頃にT君お帰り。
いよいよ座がにぎやかになる。
4世代が揃う。
T君から見れば、T君の父の世代、父の父(祖父)の世代、父の父の父(曽祖父)の世代
が目の前に座っている。
そのまた父(高祖父)の父(五世の祖)が、私の祖父である。よって私とT君は8親等の間柄ということになる。T君は私から見ると「はとこの子」である。

普通6親等以上になると、同じ電車の横に座っていても、大抵は初めて見る他人である。

       鼻風邪を従兄にうつす茄子の花 塚本邦雄 甘露

   従弟どち月に語るや魂祭 白雄

   灌仏や釈迦と提婆は従弟どし 之道 芭蕉庵小文庫

寺の子に従妹来てゐる三日かな 安部和子

茶の花の垣をめぐらし従妹住む 中西舗土

従妹九ツ蓬でみがく水眼鏡 田中裕明 山信



本日 大津京にて吟行句会

2句出句

若葉風ミシガン号の寄ってくる
パピルスの咲く池ありて大津京

最高点句は

野も山も洗いたてなり梅雨晴間

であった。

初恋橋

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大事な画像の紹介を忘れていた。
Mrs K宅のおしぼり。なかなかの出来栄え。崩すのが惜しくて、しばらく使わなかった。
ホテルの夕食の席についても、美作で、私が支払う程度の料金の場合は、
たいてい紙ナプキンで、しかもかなり小さい。
低料金での提供、省資源、人件費節約の観点からはやむを得ないが、
布のカラーテーブルクロス、綿の熱い(あるいは冷たい)おしぼり、アイロンのあたったナプキン、それに2組以上のナイフとフォークが並ぶとそれだけでかなり豊かな気分になれるのも事実。




4月14日のこのブログで、
「曾井川の初恋橋ほどの小さき橋・・・」の歌を紹介した。その折に「初恋橋」の画像を示せなかった。


橋そのものは古いが、欄干だけ近年新しくなったようである。

裏は初恋/待兼の小糠雨 仁平勝 東京物語

初恋は色水を飲む役どころ 仁平勝 東京物語

初恋は遠し唐黍の葉が赤し 永井龍男

コスモスや初恋の日の風と会ふ 中村真由美


青林檎初恋日記ひらきけり 仙田洋子 雲は王冠

初恋のモールス信号雲の峰 仙田洋子 雲は王冠

初恋や燈籠に寄する顔と顔 太祇

初恋を秘めて女の出代りぬ 岡本綺堂

初恋のモールス信号雲の峰 仙田洋子

鳥たちの初恋女人高野かな 能村登四郎

初恋や燈籠に寄する顔と顔 蕪村

初恋のあとの永生き春満月 池田澄子


初恋もカンブリア紀も遠くなる 林桂(1953-)


初恋は遠し唐黍の葉が赤し 永井龍男

初恋や燈籠によする顔と顔 炭 太祇 太祇句選後篇

茫々と初恋遠し春を待つ 稲畑汀子 汀子第二句集

初声は初恋よりもささやきぬ 富安風生



初恋や燈籠に寄する顔と顔
の句の作者は大祇なのか蕪村なのか?

ともかく「初恋」という言葉は江戸中期にはあったようだ。


橋の上から見る曾井川の流れ。
夜はホタルが飛んでいるように思う。
ただし鹿も群れをなしているかも。

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田んぼの向こうがかたくり群生地であるが、6月9日の時点でこの状態であるから
耕作放棄地かもしれない。
狐の剃刀がどんな状態か確かめたかったが、
草がぼうぼう、雨上がりでもあり、踏み込めなかった。

↑ここまではたどりついた。


キツネノカミソリはまだ葉が残っている。これがすべて消えてから花が咲く。
ヒガンバナ科であるが、葉と花の順序は逆である。
目立つのが、わらびシダ。
ここはかたくり群生地故、山菜採りの人も踏み込みを控えているのであろう。
というよりかなり急斜面である。

わらびについてのウィキペディアの解説:

ワラビ(蕨、学名:Pteridium aquilinum)はシダ植物の1種。コバノイシカグマ科。かつてはイノモトソウ科に分類されていた。草原、谷地、原野などの日当たりのよいところに群生している。酸性土壌を好む。山菜のひとつに数えられている。

から初夏にまだ葉の開いてない若(葉)を採取しスプラウトとして食用にするほか、根茎から取れるデンプンを「ワラビ粉」として利用する。ただし、毒性があるため生のままでは食用にできない。伝統的な調理方法として、熱湯(特に木灰、重曹を含む熱湯)を使ったあく抜きや塩漬けによる無毒化が行われる。

 

特徴

茎は地下を横に這い、よく伸びる。葉はには枯れ、に新芽が出る。成長すると0.5 - 1m くらいの背丈になる。葉は羽状複葉で、小葉にはつやがなく、全体に黄緑色で、やや硬い。

森林内に出ることは少なく、火事、植林地などの攪乱(かくらん)されて生じた日当たりの良い場所に出現する。山腹の畑地周辺などにもよく出て、大きな集団を作る。

この名は同時にシダ類の代表的な名として流用され、たとえばイヌワラビクマワラビコウヤワラビなどがある。

食用


ワラビは
山菜の中でも灰汁が強く、食べる為には灰汁抜き(アク抜き)が必要である。処理の前にある程度長さを揃えておき、折り口を綺麗に切り揃えておくと良い。家庭によっては切りそろえたものを紐などで1食分くらいに束ねておく。ワラビの上から重曹木灰をふりかけ(揃えた切り口に重曹や木灰を擦り込む方法もある)、沸騰した熱湯をその上からかけ、新聞紙や大き目のポリ袋で落し蓋をして一晩置く。翌日きれいな水で洗いアクを流し、調理する。おひたし漬物味噌汁の実などとして食べる。採集する時は手で根元付近から人差し指を鍵状にして、親指でなぞるように曲げながら引っ張る。折れた所から上は柔らかいが、ある程度長く伸びたものは折った部分から3 - 5センチ程度は皮が硬いので後で切り捨てる。きれいに折れない硬いものは食用に向かない。

ワラビのおひたしについては家庭によって様々な変わり醤油をつけて食べる習慣があり、三杯酢ワサビ醤油、からし醤油、酢醤油、ポン酢の他に、酢味噌やマヨネーズ味噌、醤油マヨネーズなど様々なつけダレがある。また、サラダに混ぜてドレッシングで食べるのも美味しい。

灰汁が防腐剤の代わりとなるため、水をこまめに交換すれば1週間は大丈夫という説もあるが、3日を過ぎると腐りやすくなるので注意。確実に日持ちさせたい場合はチャック付き保存用バッグに練りワサビを溶かした水(充分に濁るくらい。中のバッグにチューブのワサビを絞って3 - 5センチ程度必要)と共に処理したワラビを入れて空気を抜き、冷蔵庫に保管するとワサビの殺菌作用で1週間ほどは持つ。食べやすい大きさに小口切りしておくと、袋から取り出して洗ってそのまま食べられる。

地方によっては、濃い塩湯(熱湯に多めの塩を溶かしたもの)をワラビを敷き詰めたタライに流しこんで、灰汁を抜くという方法もある。また、温泉地では単純アルカリ泉(飲泉が可能なもの)で灰汁を抜く方法もある。こうした場所ではフキなど他の山菜も、山から採って来た長いままで切らずに茹でる光景も珍しくない。

生の物を5センチ程度に切ってかき揚げにするか、1本のままで天ぷらにしても良い。生のまま揚げたものは灰汁抜きしたものより苦味が強いが、ほろ苦い独特の風味があり美味である。後述の中毒の事もあり食べすぎには十分注意。茹でて灰汁抜きしたものは苦味も少なく柔らかいので、1 - 数本を軽く結んで束ねたものに衣をつけて揚げても良い。

塩漬けにする場合は、多めの塩を振りかけながら束ねた生のワラビを漬物樽に敷き詰めてビニールを被せ、蓋と重石をして空気が入らないように密封する。食べる時は取り出したワラビをよく洗い、一晩塩抜きしてから調理する。塩漬けした物は煮付けや卵とじなどの調理にする。そのまま生では食べない。

中毒
などの家畜はワラビを摂取すると中毒症状を示し、また人間でもアク抜きをせずに食べると中毒を起こす(ワラビ中毒)。

ワラビには発癌性のあるプタキロサイドptaquiloside[1]が約0.05-0.06%含まれる[2]。また、調理したものであっても大量に食べると全身が大量出血症状になり、骨髄がしだいに破壊され死に至る。しかし、ワラビ中毒がきのこ中毒のように問題にならないことから判るように、副食として食べている程度ならば害はない。またアク抜き処理をすればプタキロサイドはほとんど分解され、ジェノンという物質になる。

1940年代に牛の慢性血尿症がワラビの多い牧場で発生することが報告され、1960年代に牛にワラビを与えると急性ワラビ中毒症として白血球血小板の減少や出血などの骨髄障害、再生不能性貧血、あるいは血尿症が発生[3]し、その牛の膀胱腫瘍が発見された。これが現在のワラビによる発癌研究の契機となった。


8日はポピースプリングス、9日は作東バレンタインに宿泊。

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部屋のベランダからの風景。2,3,4階どの階、どの部屋からでも風景はあまり変わらない

植林の桧が大きくなって、樹林の下の風景が見えなくなった。

木のてっぺん越しに見下ろすと私が生まれた家(もちろんいまや茅葺ではないが)が見えた。
今の家も昔の家と同じ方角を向いて建っている。
遠景は樹の上に見える。
川を挟んだ東側の集落は今でも見える。

↑見えている集落は「鯰」という。もちろん明治29年までは1集落がひとつの村であった。
見えている川は吉野川。「すさい」(漢字を探すのが面倒)という備前の国の北端、美作の国との南端で名を吉野川から吉井川に変えて、瀬戸内海へ流れ込む。
この地点でしばしば氾濫の歴史がある。


4階、5階はメゾネット形式になっている。
4月は他に部屋がなく、メゾネットに宿泊。
下に応接セット付きのリビングと洗面所がある。
階段を上がるとベッドルームである。

土日に結婚式がある場合の金曜日とか土曜日以外は空き部屋状態である。


ホテルの玄関横でグミが実っている。ワイフの所望で10粒ほど採集。
私はエグミが嫌いで食べないが、
是非にと勧められ、口にした。
うまかった。

9日の夕刻はよく晴れていて、午後7時過ぎでも
ホテルの部屋のベランダから後山の姿を見ることができた。

こんな日の翌朝は霧がすごい。
午前6時~7時頃だと川も鯰の集落も何も見えない。
こんな日に、九州へ帰郷するという女性をホテルから津山駅まで運んだことがある。
美作インターから津山インターまで生きた心地がしなかった。
のろそろ運転ではあるが、10メートル前を走っている車のテールランプが見えない。

10日の朝もそんな状態であった。
8時を過ぎると霧はなくなる。

ホテルの近くの遊歩道であるが草がはびこって踏み込めない。↑

10日の朝、朝食後、ホテルの周りを散歩しながら撮影していると、
給仕役の男性が出てきて、ツーショットのサービス。

この季節はカメラを野や山に向けるとかならず栗の花が視野に入ってくる。

夏霧の漂着物なり眠る子は 高野ムツオ 陽炎の家

夏霧の陰陽石のかくれんぼ 原裕 『青垣』

オパールの青き変身夏霧に 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

夏霧や蝶は追はるる遊びして 殿村菟絲子 『菟絲』

夏霧やしなやかに行く一馬身 楠本憲吉

夏霧や馬のしづかな息青し 吉原文音

夏霧にたつぷり濡れる魚のごと 吉原文音

夏霧や巴里は毎晩舞踏会 皆吉司

夏霧の飛ぶや鶴富姫の家 早瀬紀子

夏霧に暗き両手となりゐたる 櫛原希伊子

夏霧にホツプ畑の蔓見ゆれ 八木林之介 青霞集

夏霧のじはっと鳴れる日本海 ぱらりとせ





大津京

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12日に
大津京へ行った。
「大津京」駅は、JR湖西線の最初の駅である。
東岸が浜大津で、旧琵琶湖ホテルの浜にはミシガン号が寄港する。
旧の琵琶湖ホテルの1室が句会場であった。
イギリス庭園を巡った。

2階の展望デッキからの眺め

↑一番左端に現在の琵琶湖ホテルが望める

ミシガン号


若葉風ミシガン号の寄ってくる



イギリス式庭園




                             ↓パピルス

当日句稿に載っていた句
紫睡蓮モネを探して橋の上
人工池の踏ん張り忘れた水馬


人口池の句は私も選んだ。5点句で高点句。

水辺に茂っているのはパピルスである。

パピルスの咲く池ありて大津京  ショウちゃん

薔薇園の扉は湖にひらかれし
湖の風薔薇園巡り太鼓橋


湖風を掴んで離す夏柳


このホテルは現在琵琶湖大津館という名称になっている。


大津京についてのウィキペディアの解説:抜粋

近江宮(おうみのみや)は、7世紀後半の天智天皇が営んだ宮。近江大津宮(おうみのおおつのみや)、大津宮(おおつのみや)とも呼称される。滋賀県大津市錦織の遺跡が近江大津宮の跡とされている。なお、本来の表記は水海大津宮(おうみのおおつのみや)であったという指摘がある[1]。国の史跡に指定されている。


660年百済新羅に攻められて亡んだ。倭国(後の日本)にとって百済は同盟国であり、国外にある防波堤でもあったため、当時の倭国の政治指導者である中大兄皇子(後の天智天皇)は、百済復興を強力に支援しようと、朝鮮半島へ出兵した。しかし、663年白村江の戦いにおいて倭・百済連合軍は唐・新羅連合軍に惨敗し、百済復興は失敗に終わった。

百済復興戦争の敗北は、中大兄政権にとって大変な失策であり、国外に大きな脅威を抱えることとなった。そのため、
北部九州から瀬戸内海沿岸にかけて多数の山城や連絡施設を築くとともに、最前線の大宰府には水城という防衛施設を設置して、防備を固めた。


このような状況下で、
667年旧暦3月19日、中大兄皇子は都を近江大津へ移した。その翌年(668年)1月、称制実に7年にわたったが、中大兄皇子は即位して天智天皇となった。日本で最初の律令法典となる近江令(おうみりょう)が制定されたともいわれる。 なお、この遷都の理由はよく判っていないが、国外の脅威に対抗しうる政治体制を新たに構築するため、抵抗勢力の多い飛鳥から遠い大津を選んだとする説が有力である。また、大津を遷都先に選んだ理由については、対外関係上の危機感が強く働いていたと思われる。大津は琵琶湖に面しており、陸上・湖上に東山道北陸道の諸国へ向かう交通路が通じており、西方へも交通の便が良いためとする説がある。日本書紀によるとこの遷都には民衆から大きな不満があり、昼夜を問わず出火があったという

滅亡

671年に天智天皇が没すると、天皇の子の大友皇子(弘文天皇)が近江大津宮で跡を嗣いだとされる[4]。日本書紀によれば、天智天皇より皇位継承するのは大海人皇子とされていたとあり、大海人皇子(後の天武天皇)は672年6月に吉野から東方へ脱出し、美濃国を拠点に軍兵を徴発した上で近江大津宮へ進軍し、同年7月、大友側に決戦を挑んだ。これが壬申の乱である。大友側は敗れ、勝った大海人皇子は皇位継承し天武天皇となり飛鳥に飛鳥浄御原宮を造営したため、近江大津宮は僅か5年余りしか使われなかった。

万葉集には、柿本人麻呂が滅亡後の近江大津宮へ訪れて往事を偲んだ歌「ささなみの 志賀の大曲 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも」が残されている。なお、跡地はその後「古津(古い港の意味)」と呼ばれるようになるが、平安京遷都直後の桓武天皇(天智天皇の曾孫)の794年延暦13年)11月8日ユリウス暦では12月4日))によって大津の呼び名に復された。

近江京と「大津京」

日本書紀には天智天皇の近江の都を「近江京」と表記しているが、平城京平安京のような条坊制が存在したことを示す記載はないほか、特別行政区としての「京域」の存在も確認できない。このことから、近江京とは「おうみのみやこ」の意味であると考えられる。

明治時代喜田貞吉歴史学者)が条坊制の存在を信じて文献史料にはみえない「大津京」という語を用いて以降、歴史地理学考古学の研究者がこの語を用いるようになった。

また、JR西日本湖西線の西大津駅は、地元自治体の請願により2008年3月に「大津京駅」に改称されたが、「大津京」という用語や概念をめぐり更なる誤解や混乱を生む恐れが指摘されている。 



盗人萩

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虎杖にもいくつか種類があるのだろう。
↓これもいたどりである。



あおあおと茂っている。
なんだろう。
いつも見る場所だから、去年のことを思い浮かべる。
盗人萩にまちがいない。  ↑↓

斜面の裾に群生している。その上に咲いている藤袴を見に行こうと思っても
この盗人萩が邪魔する。14日、15日と神戸市北区までを2往復。
楽しみは山の裾野の植生観察。

いくつか私にとっては、新しい草を見つけた場所を丹念に見て回るが
この季節にはみつけることができなかった。

↑草合歓ではなくて合歓の新芽であろう。

ナオクサフジは終わっていた。
そういえば、大津京の大津館の庭園で山藤をみた。

まだ咲いていた。

でかいダリアも一輪だけ


大輪のダリアのどこに触れようか

当日の世話役であった大津句会のリーダーが作者


途中に古池がある。
季節ごとに車を坂道に止めて観察している。
ここでも新発見はなし。



↑↓なにはなくても、こんな風景は大好きだ。


古池や蛙飛びこむ水の音 芭 蕉

古池や蛙飛びこむ水のをと 松尾芭蕉

古池に水草の花さかりなり 正岡子規

古池や藤咲きたれてゐもり浮く 松本たかし

古池や蛙飛びこむ水の音 芭 蕉

古池を触つて居れば眠りけり 永田耕衣

古池に水草の花さかりなり 正岡子規

古池へ下りる道なき杉菜かな 五十崎古郷

古池に鼠の走る氷かな 古白

古池に草履沈みてみぞれかな 蕪村

古池や蓴菜に起る初嵐 保吉

古池や花萍の昼淋し 鳴雪

古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉

古池をうつつに掴む春の暮 齋藤愼爾

古池の小隈あかるき茂かな 角田竹冷

古池に水草の花さかりなり 正岡子規

古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉

古池の藻が蜻蛉うむ昼寝かな 龍岡晋

古池を触つて居れば眠りけり 永田耕衣(1900-97)

古池や蛙飛こむ水の音 芭蕉

古池や乱れてしまえ萩すすき 鳴戸奈菜

古池に待たれて赤い帯しめぬ 鳴戸奈菜

古池やにとんだ蛙で蜘蛛るTELかな 加藤郁乎

古池も食わねば死ぬる秋の暮 永田耕衣 冷位

古池も食わねば死ぬる秋の暮 永田耕衣 冷位

古池を触つて居れば眠りけり 永田耕衣 殺佛

古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉 選集古今句集

古池や蛙飛びこむ水の音 松尾芭蕉

古池に草履沈てみぞれ哉 蕪村 冬之部 ■ 貧居八詠

古池に草履沈ミてみぞれ哉 與謝蕪村


「古池」で検索。32句出てきた。ダブリをそのまま再現。

最後の蕪村の句、実にありそうな風景である。廃棄処分になった草履が沈んでいるのが
はっきり見通せる。生活感覚がある。

古池やにとんだ蛙で蜘蛛るTELかな 加藤郁乎

この句は単なる言葉遊びかなにかわからない。


西宮北インターを出るとすぐに神戸市北区である。藤原台の高層住宅街が見える。
そこから三木へ県道が通っている。道沿いには農家が何軒かは見えるが、
山の中へ入ってゆく脇道はゴルフ場への私道や新しくできた工場などへ通じている。

車を止めて脇道へ入ってみたいが、けっこう交通量が多く、車を止める場所がない。



サポナリア

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バジルはまだ植えつけていない。

しかし摘芯を兼ねてすでにかなり利用。
本植えする鉢をいくつか用意したところ。
プランターではどうもうまくいかないので。

サポナリア、育てるのは初めてで、しかも他で植えつけれれているのをみたことがない
(気付かなかった)ので、どの程度の大きさになるかもわからず、1プラに4~5株ずつ
3プラ用意してみた。

子規庵で採種された鶏頭は、4プラ。これは虫もつかず順調

綿は、1プラ4株をベランダに置いて、朝晩虫の管理。
でも・・。

無傷の葉は数えるほど。

ちなみに写っているプランターは百均店で買ったもの。
もう10年になるが意外に丈夫。

「綿」で検索したら、500句以上でてくるが、
綿虫の句が多い。
「綿の花」で検索

塔二つ遠くに見えて綿の花 鈴木 灰山子

綿の花素足に慣れて来し移民 栗原 義人堂

綿の花旱にあへる盛りかな 小沢碧堂

綿の花大地太陽噴上ぐる 上野さち子

綿の花たまたま蘭に似たるかな 山口素堂


サポナリアの例句は調べていない。0であろう。

ニンジンボク

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大阪の中之島の公会堂前

東側(大阪市役所側)の植え込みの中の由緒正しいニンジンボク

↑東入口へ向かう階段


ニンジンボク何本と寄贈者の名を記した銘板が据えられている

↓阪急電車の最寄駅駅前の火事跡のニンジンボク

火事以後の4年で数十本に増えている



火事跡のカリ分がいいのかどうか。由緒正しい大阪都心のニンジンボクに負けない色合いである。


句会出席

4句

零れ落ちるカードあれこれ夏の浜
氷河割った記憶持つかにポリゴナム
亡き人の挙措のあれこれ蛍舞う
散骨へ港の砂の灼けており


「砂」が兼題 句会場で作った。

ポリゴナム(姫蔓蕎麦)がヒマラヤ原産ということを知ったので。
アスファルトを割って繁茂する手法は先祖伝来の技法かも。

散骨式は7月12日である。まだ行っていない。


梅田の街中水族館。
魚の名前と一緒に撮影。






アガパンサス

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季節の花がまた動いた。
アガパンサスが意外に多く目立つ。
他の花でもそうだが、ある季節になると突然存在を誇示する。
そして一年の残りの11か月は、
育てている人以外は忘れてしまう。


リスボアの町では、アガパンサスが街路樹のように植え込まれていた。
それがちょうど満開のころに3泊して、毎日観光バスに乗った。

アガパンサスで例句探すも0。
念のために現代俳句協会のデータベースを覗いてみたが、
季語検索でもキーワード検索でも例句ゼロ。

俳諧歳時記の索引にも登場しない。

今日見た花

花が咲く茗荷。確か藪茗荷。
鎌倉のM君の家の裏庭で咲いていたのを見たのが最初の出会い。
へえ、本当の花が咲く茗荷があるんだ、と思った。
その後しばらくして図鑑で藪茗荷なるものがあることを知った。

ランタナは咲いて実って、また咲いてを繰り返す。
だから季語になりにくい。

でも夏の季語であろう。
栽培・販売禁止にはなっていないが、
「危険」扱いになっている。

いつもの散歩コースでは団扇サボテンの花をみることはない。

花じたいは珍しくはないが、
朝顔やおしろい花は秋の季語になっている。
7月末以降でないと花を見る機会はないが
6月半ばに咲いているを見つけた。
庄下川の川沿い。

朝夕の白粉花も終りかな 山下 尭

手になじむ道具いくつか白粉花 掘之内長一

白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波 『湯呑』

アパートの皆共稼ぎ白粉花 七田千代子

白粉花過去に妻の日ありしかな きくちつねこ

白粉花妻が好みて子も好む 宮津昭彦

白粉花の風のおちつく縄電車 河野南畦

道の端の白粉花に薄埃 船坂ちか子

本郷に残る下宿屋白粉花 瀧 春一

白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波

本郷に残る下宿屋白粉花 瀧 春一

白粉花の夕咲く香なり二日月 遠藤 はつ

白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波

虚空の穴いつみえそめし白粉花 齋藤愼爾

誰が家の白粉花と云ふでなく 依光陽子

白粉花吾子は淋しい子かも知れず 波多野爽波

白粉花妻が好みて子も好む 宮津昭彦

白粉花に咳して漁夫の深まなこ 原田喬

白粉花の闇の匂ひのたちこめし 深見けん二


野草ではないが、付近の家で栽培していると、
無数の種をつけるので、岸辺の花となったのであろう。

白粉花は私の出席する句会でも、8月以降よく登場する。

ルドベキアやインパチエンスは歳時記未登載であろうから例句もないであろう。

↑川沿いの家の庭で大切に育てられているものである。
いずれも名を知ったのは、ここ2年以内である。
サンパラソルは作東バレンタインホテルの中庭で初めて存在を知ったが、
最近は近所でよく見かける。

ニューギニア インパチエンスは私も一度育てたことがあるが、
インパチエンスの上品さがない。


ミゾソバ

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ウィキペディアの解説

ミゾソバ

水辺などで 30~100cm ほどに生長し、根元で枝分かれして勢力を拡げ群生する。匍匐茎に閉鎖花をつけ種子を稔らせる場合もあるとされる[1]。また茎には下向きに刺があり、他の植物等に絡みついて伸びることがある。

葉は互生し、形が牛の額にも見えることからウシノヒタイ(牛の額)と呼ばれることもある。

花期は晩夏から秋にかけてで、茎の先端で枝分かれした先に、直径 4~ 7mm ほどで、根元が白く先端が薄紅色の多数の花を咲かせる。 なお、他のタデ科植物と同様に花弁に見えるものはである。


花季は晩夏から秋となっている。

他の解説では7月-10月となっている。

今は6月であるがミゾソバはけっこう咲いてる。

私の目下の重要な野草観察地点

↑庄下川という、尼崎に住んでいてもその存在を知らない人が多い川の
川渕の遊歩道沿い。

手前に見えるのはススキ。その向こうに赤茶けた草が見えるが、それはスイバ。
3月~5月辺り一面を覆い尽くしていたスイバは影をひそめ、
枯れている。

その奥に見える庄下川最大の(?)芦原。
武庫川や猪名川あるいは淀川のものに比するとおもちゃ箱程度。
花はまだ咲いていないが、背丈は2メートルを超えていて、傍へ寄ると大湿原へ来た気分になれる。


川の流れは、北から南へだが、この辺りから南東へ傾く。
画像の一番奥に橋が見えるが、その辺りで一瞬真東に流れてまた湾曲して南の方へ
方角を修正する。

北から見て、ススキから芦に植生が変化するが、その手前あるいは、芦原(百メートルもない)
の南はまたミゾソば原になる。

ススキが原になっている場所では、早春、立金花が群生する

上の画像より北側。この辺りでミゾソバとススキの勢力圏が区切られる。

花(「他のタデ科植物と同様に花弁に見えるものはである」ウィキェディア)
は目下は白い。ピンクがかってくるのかどうか。すでにして去年以前の記憶が曖昧。

ところどころで他の草も入り込んでいる。犬ほうづきやヤブカラシなど。


センダンの幼木


石垣には、オーシャンブルー
遊歩道を歩いていると地面に紫の花殻が落ちているので、見上げるとこの花に気付く。

ず~と川面周辺を舐めるように見て歩いているので、花殻を見るまでは石垣の花に気付かない。

ランタナ。零れ種からの発芽であろうか。

石垣周りの草にも変化がある。
今目立つのは

↑コニシキソウ。
わが庭では、種苗箱からまずはスベリヒユが発芽するが、河岸では今年まだスベリヒユは
みない。遊歩道の上、石垣の上の道などでは、夏以降、巨大になったスベリヒユをよくみかけるが。

オーシャンブルーという名前の統一は最近だからもちろん歳時記は載っていないだろう。
スベリヒユは登載されていると思う。永田耕衣の句を思い出す。
コニシキソウはないだろう。
芦(原)とススキは枚挙に暇がないはず。

藪枯(やぶからし)では2句


窯潰えてをり藪枯たけてをり 加古宗也

老の手の赦さじと引く藪枯し 永井龍男






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西宮北口

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3か月ほど欠席していた西宮市の公民館で開催の句会に参加。
公民館はビルの6階にあるが、
西宮ガーデンズへ行く回廊と反対側のビルの2階を抜けて到達できる。
雨に日には傘をささずに行けるが、やや遠回りなので、私は途中のビルの中の店に用が
ない限りは利用しない。

出句3句

毀れ窯の肌舐めてゆく藪枯
夏霧へカウベルの音の消えてゆく
梅雨寒や岸田今日子の語り口


カウベルの句は、南ドイツの思い出。
佐用・美作と同じく、早朝は霧が濃い。
各酪農家から牛が5頭、10頭と集められ
一人の人が霧の濃い丘陵の方へ牛を50頭ほど連れてゆく。
すべての牛がカウベルを首に提げている。

その姿はたちまち見えなくなってしまうが、
カウベルの音だけが残る。
やがてその音も聞こえなくなる。

畠の中の道を、少しばかり牛の後を追ったが
霧のために帰る道を失いそうになった。



西宮北口という駅名からも分かるように、阪急電車が開通する頃は
西宮市の端っこという感じであった。

特にこの駅の南改札口というのは存在してはいたが、裏口という感じであった。西宮球場で阪急ブレーブスの試合がある時のみ利用客が溢れたがそのほかの日は閑散としていた。

球場は阪急ブレーブスが解散した後は、競輪場になっていたが
今や阪急西宮ガーデンズというSCになって賑わっている。

駅から回廊伝いに雨の日も濡れずに行ける。

この駅では、神戸線と今津線が平面交差していた。
重大事故はなかったが、震災以後今津線は西宮北口駅で分断され、
今津から乗車して宝塚へ行きたい客は一度、この駅で乗り換えなければならない。

大地震でこの地区は打撃を受けた。
とりわけ神戸線の西宮北口と夙川駅との間の高架が崩壊して
1年近く、代替バスを運行していた。

今駅前は震災前の姿をまったく残していない。
広いターミナルになっている。

半円形にタクシー乗り場とバス停がならび、
中央には歩行者が近づけない緑地が設けられている。

未央柳、ランタナが茂っているがやや手入れ不足である。

バス停の背後には百合の木が植えられ

通りにはすでに古木となったローズマリーがいい香りを放っている。

県立の芸術劇場が作られ
その前は公園になっている。

父の日

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父の日の例句意外に多い。

父の日と言われ父の日かと呟く 有働 亨

父の日と言ふ日がありて暮るるなり 小野 喬樹

父の日といふ日がありて子が訪ひ来 安住敦

父の日や父よりうけし後生楽 行方克己 昆虫記

山深くゐて父の日の暮れにけり 柴崎七重

父の日をベンチに眠る漢かな 中村苑子

父の日の隠さうべしや古日記 秋元不死男

父の日の流れ藻の紅濃かりけり 大嶽青児

父の日の忘れられをり波戻る 田川飛旅子

父の日やピエロさかんに逆立ちす 前田典子

打たせ湯に肩を打たせて父の日よ 堀米秋良

父の日を誰にも言はれず旅にあり 林 翔

父の日の微香性アラビア馬渡世 志波響太郎

父の日のあたりの昏さ田へつづく 長谷川双魚 『ひとつとや』

父の日の忘れられをり波戻る 田川飛旅子 『植樹祭』

父の日や若竹のみな節高に 小林康治 『存念』

老いてなほ働かねばと父の日あり 小林康治 『叢林』

父の日の古びてわが名順三郎 岸田稚魚 『花盗人』

父の日のうしろに馬の匂ひかな 大木あまり 火球

父の日の遠き一樹の青ほむら 大木あまり 火球

父の日や母も画いて似顔展 松沢佐多子

酒さげて子が来る父の日なりけり 森本五郎

父の日や暗くて広き象の背な 下山宏子

父の日の話題は母のことばかり 三宅 桂

父の日の子よりの電話母が待つ 森 啓子


父の日の結納に酌む父二人 塩川祐子

父の日の後姿を妻が言ふ 有働 亨

父の日や灰皿のなき子の新居 満田玲子

父の日や皿をはみだす蟹の脚 畠山譲二



父の日の紙いつぱいに父の顔 土田日露支

父の日の老後たのしむものに画戯 富安風生

ゴリラ不機嫌父の日の父あまた 渡辺鮎太

部屋広く使ひ父の日一人居る 田村一翠

父の日の生きて百まで甲斐の酒 小高沙羅

父の日や脚立の脚に亡父の名 長友砂峰

深く深くプールに潜り父の日よ 林 誠司

今もある回す電球父の日よ 斎藤俊子

父の日のジグソーパズル未完成 小野口正江

父の日の父の背を知る太柱 乙部露光

父の日や生れついての天邪鬼 三宅郷子

父の日や巨船転舵に刻かけて 和気久良子

多羅葉の葉に父の日のメッセージ 高橋一平

父の日や仏の山の忘れ水 森田公司

父の日の焼酎をのむ父憎し 柏木去孔



父の日の夏柑湯など浴びにけり 百合山羽公

男子厨房に入る父の日の独り酒 水原 春郎

父の日の白樺打ちて大雨なり 手島靖一



たびらこも絮となりたる父の日や 千代田葛彦

父の日やわれに鬚ある童画展 三嶋隆英

本当に逝きしと思ふ父の日来て 西川 織子

父の日やいつまで沖にゐるヨット 小野恵美子

父の日の父と画架組む湖平ら 川崎俊子

父の日とラジオ時々言ひをりぬ 白岩 三郎

柄の長きバリカン父の日なりけり 工藤 義夫

鬚剃つてより父の日の顔となる 穐好樹菟男

父の日の生みたて卵賜はりぬ 牛山一庭人

父の日の消印岳の峨々と立つ 杉田久美子

父の日の若き遺影を父と呼ぶ 山田孝子

父の日の明方の地震わたりをり 八木林之助

父の日や夫に父あり故郷あり 小坂京子

父の日の夕雨さむし火を焚かず 伊藤灯人

父の日のおたまじやくしが足を出す 石原透

父の日も旅やわらびを少し摘み 堀口星眠


父の日の父の剛球受けにけり 小原啄葉

父の日のおたまじやくしが足をだす 石原透

父の日のわたし不思議な受精卵 夏木陽子

さしあげて双手さみしき父の日や 北光星

父の日や出て顧りみて森の密度 香西照雄

父の日は哀しからずや穴子鮨 依光陽子

懐妊のこと言ふ父の日の伏し目 辻美奈子

父の鬚わが鬚父の日なりけり 林翔

くすぶれる草へ草載せ父の日よ 長崎玲子

父の日の漱石先生手紙集 高橋可子

父の日の薔薇の委曲を尽くしけり 後藤夜半

空白と同じ父の日雨つづき 日向野花郷

パンの耳すぐ落とされし父の日よ 能村研三

父の日の朝の大空匂ひけり 澤井我来

父の日の父をまじまじ見たりけり 関根通紀

父の日と言ひて虎魚の刺身食ふ 大坪景章

父の日や飯粒を引く山の蟻 太田土男

父の日や古りし遺愛の銀時計 近藤一鴻

秀を雲に入れ父の日の太郎杉 下田稔

贈られしシャツ着ておどけ父の日や 川村紫陽

今生は子なし父の日母の日に 八牧美喜子

父の日や父なる嶽の雲籠り 荒井正隆

父の日の古びてわが名順三郎 岸田稚魚

父の日の若き父とも同車せり 相生垣瓜人


父の日のいつもの店から届く花

セロハンを解かず送信薔薇画像

父の日に古書売ることを頼まれて 

妻留守の父の日判持ち玄関へ

父の日に鯖寿司買って戻る妻

父の日のライン錯綜昼飼時


薔薇もあったが主はひまわり。ルドベキア並みの矮性もの。

 ワイフからは私の口座から落ちるカード払いの夜着。
1週早く。

夜、福知山みやげの甘納豆。リアップよりさらに上等そうな保髪液。

さらに遅く帰宅した息子より、例により、ユニクロ製品。
ジョコヴィッチ用デザインのテニスウェア。赤と青2着。
錦織さん用のものは東京でないと買えないとか。

古書は9400円の「売上」。大半は息子所有のコミック本。
それでも高値で一冊30円である。

いまやスカイプではなくラインである。

父の日のベランダの綿すくすくと

毎日10分は座り込んで、葉の裏を指でなぞっている。
時折1ミリくらいの虫が落ちてゆく。

バジル

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 バジルもまた一般の歳時記(俳諧歳時記 ホトトギス歳時記)には未登載である。
要するに、例え花鳥諷詠を旨としても、俳句では現代生活は詠えないのである。
季語の利用を必須とするかぎり。

「通季」の項を設けている「現代俳句歳時記」もまた、「バジル」には触れていない。
バジルやセロリ、パセリ、キューイ、アボカドなどは今や希少野菜(香辛料)ではなく、
一般に利用されている。

現代俳句歳時記は、セロリだけは夏の項で採録している。

UPDOWN  俳句          UPDOWN  作者名

これよりの炎ゆる百日セロリ噛む野澤節子
雪を来て夜のコップにセロリの森横山白虹

両句ともセロリを通季(無季語)として扱っている。

バジルの例句はどこでも見つからず。

庭仕事の合間に千切るバジルの葉

私はその昔、酔って夜道を歩いている時は、通りかかりの家の垣根の葉をちぎって嗅ぐ癖が
あった。たいていは貝塚イブキであった。

今でも西宮北口駅を降りて句会場へ行く途中は、
いつも街路樹化しているローズマリーの葉をちぎっている。

地下鉄淀屋橋を降りて中之島公会堂へ行く途中には、
千切れる草がない。

6月になってから播いたバジル

5月末播きのもの

4月に播いてポットに移したまま、定植先が見つからないもの。


コンニャクは、一番大きなものは、植え付け場所が悪く、茗荷の影で逼塞状態。
代わって小球があちらこちらで芽吹いている。

↓吉祥草を植え付けた鉢の隅で

しかしこれらはピンポン玉程度の玉故に、さっそうとしたした姿を見せるまでには3年以上かかるであろう。

サポナリア いいとこ撮り

昨夜は妻の帰宅時間が遅かったせいで、
今夜が正規の父の日ディナーだそう
菰被りキャンティは久しぶり。
しかしこれは飾りで実際に飲んだのは、別のもの。

ギボウシ

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昨年の秋から冬、
なんとかプランターから抜き取ろうと思ったが、
根がプランターのすべての面にこびりついていて
引き離すことができない。
プランターを反対にむけて底を叩いてみたが
びくともしない。

そのまま放置していたら
今年も芽吹いた。
土もなくなって根しかないと思うが
丈夫なものだ。

このかたちでは、花がたくさん咲くわけないので
今冬は、プランター自体を分解する予定。

ギボウシ。5号鉢に植え付けたものを従兄の一人からもらったのは、20年以上前。
鉢を1回りずつ大きくしていって、とうとうプランター植えになった。
プランターに植えかえてからでも10年。

来週の末にその従兄の子が我が家に来るというので、門前に目印として置いた。

その横に観葉植物的にホトトギスを配置。
これは誰にもらったか思い出せない。
先年、比叡山の中腹といっていい住宅団地に住んでいた友人のM君の家を
訪ねたら、裏庭いっぱいに茗荷とホトトギスが蔓延っていた。
夏だったが、地面が乾燥してるためか茗荷の子はまったく見当たらなかった。

そのまた横に、

花盛りのシーズンは終わったけれど、また秋口には咲くであろう。

門の両脇に

紫陽花と

サポナリア

擬宝珠の例句

擬宝珠に程よき日陰独り住む(義父) 高澤良一 暮津

形見とておほかたは古り花擬宝珠 大石悦子

擬宝珠咲く葬儀三日の夕間暮 廣瀬直人

睡き子のかたむきかゝる花擬宝珠 石田いづみ



風吹てぎぼうしの花砕けり 擬宝珠の花 正岡子規

観音の千手全し花擬宝珠 安田政子

去年よりも濃き句の絆花擬宝珠 水下寿代

擬宝珠旧家の庭の奥にかな 五十川せき

擬宝珠たそがれの指やわらかき 戸田富美子

ひき臼のいま飛石や花擬宝珠 野村喜舟

絶壁に擬宝珠咲きむれ岩襖 杉田久女

擬宝珠の花にはじまるお題目 高澤良一 鳩信

擬宝珠の茎をするりと雨滴馳せ 高澤良一 宿好

つくばねや擬宝珠をとぶ牛若子 西鶴

光晴の死の擬宝珠咲くばかりかな 平井照敏

五箇山の姓なき墓擬宝珠咲く 斉藤敬子

擬宝珠眼より暮れゆき石地蔵 川本けいし

閻王の留守なる御堂擬宝珠咲く 井村和子

達磨寺の洗心池の擬宝珠かな 手島南天



擬宝珠に夕べの雨の雫かな 田村秀子

擬宝珠叩きて峡の雨太し 須佐泰子

富士の雨擬宝珠を打つてはじまりぬ 小田亨

草刈も影もさやけし花擬宝珠 藤田湘子「途上」

花売りの擬宝珠ばかり信濃処女 橋本多佳子「信濃」

這入りたる虻のふくるる花擬宝珠 高浜虚子「虚子全集」

擬宝珠の花雨垂れの穴大小 川崎展宏

擬宝珠の如き春日みづうみに 川崎展宏

絵島の地擬宝珠は花を納めたる 井桁白陶


今日はシスター2人の訪問あり。



七夕

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駅前は吹き流しが例年通り配置。
笹はまだ未到着


地区のこども会などは今度の週末に用意して来週初めに「先生」が飾り付けのためにやってくる。


その他の行事




俳諧歳時記では、
「七夕」「七夕竹売」「七夕月」「棚機津女」「七夕の御遊」「七夕の鞠」「棚機姫」「七夕祭」「七夕踊」などすべて秋の季語である。

よってホトトギスでは七夕を新暦7月の行事として詠うことは禁止である。



囲碁は趣味の一つであるのは確かであるが、
ここ数年碁石を触ったことがない。

もっぱらヤフー・モガベーの囲碁をクリックするのみ。

やたら不正が多いソフトであるが
簡単に利用できるので、結構、ファンがいるようだ。

登録すると、最初に持ち点1400ポイントが配分される。
誰かと対局すると、相手の持ち点との関係で、勝ちポイントが加えられる。
負けると何ポイントかが差し引かれる。

1400点で出発して、相手が1390~1410点(正確な区切りは知らないが)だと
勝てば15ポイント加算され、負ければ15ポイント差し引かれる。

100ポイント以上差がある上位者に勝てば20ポイント以上加算され、
相手の方が100ポイント以上上位の場合は、負けても10ポイントしか差し引かれない。

300ポイントも差があれば、上位者として勝っても1ポイントしか増えず、
下位者として負けても1ポイントも差し引かれない。

初級・中級・上級の3クラスがあって、おおむね1500~1800くらいが中級、
それ以上が上級のコーナーに集まるようだ。

私の見当では、1800程度で初段クラス。2000程度で2段か3段だと思う。

私は初段くらいかと思っているが、このソフトで対局する限り、1700を一回越えたことが
あるくらいで1500前後をうろうろしている。

不正手段、ないしこのソフトの欠陥は、
一方が対局開始ボタンを押した後で、
黒番が置き石を10子などに増やすことができること。

また一方が対局終了ボタンを押した後で、
盤面で相手の活きている石を死に石として×を入れることができることである。

あるいは持ち時間が設定されている場合で、残り時間に大差がある場合は
負けている碁をだらだらと打ち続けることができること。
きわどく勝ったかと思っても、残り時間に大差がついていることに気付き、相手が無駄な手を打ち始めたら、「投了」を押さざるを得ない。
残り時間が1分で、相手が5分以上残している場合は
相手がその手を使うべく準備していることに気付く。

相手がいかにもがいても挽回不可能と思っても、ともかくパスをクリックして応対するが、
60回パスするのに60秒以上はかかってしまう。
時間切れ負けになる。


シクラメン村の床屋は会所に 尾崎道草



煤逃げのために会所ありにけり 赤木利子

仇の一手待ちゐる団扇かな 梅本しげ子

敵の勝負決まりし扇かな 柏木冨三

は妾に崩されて聞く千鳥かな 言水

夕立や打さしのを崩しける 成美

に飽ていく度も見る木の芽かな 鴎白

石蕗黄なりは白黒で人遊ぶ 池内友次郎

枝豆に下手も二十六夜待 洗耳

をうちに和尚見えけり枇杷持参 赤木格堂

橘や蚊帳にを打つ老二人 田福

を崩す音かすかなり夏木立 嵐山

涼しさやよきに勝ちて肱枕 雨谷

昼餉後を語り居つ陣凧鳴りて 荻原井泉水

晨に起て主客を打つ柚味噌哉 寺田寅彦

敵や単衣羽織の夕姿 尾崎紅葉

潮ぬるむ淤能呂嶋や夕霞 会津八一

に敗けてちょと上気せたる暑さ哉 会津八一

山寺はの秋里は麦の秋 一茶 ■文政八年乙酉(六十三歳)

連翹の奥やを打つ石の音 夏目漱石 大正三年

連翹の奥やを打つ石の音 夏目漱石 大正三年

空蝉の立ち端も知らず打共 梧胡 俳諧撰集「藤の実」

橘や蚊帳にをうつ老二人 田福 五車反古

菊買ふは又にまけし人やらん 服部嵐雪

連翹の奥やを打つ石の音 夏目漱石

なりせば劫を棄てても生くべきに死ぬる道には手一つも無し 美濃の国の野瀬

葉ざくらや気に成行南良の京 蕪村遺稿 春



のおとにうっとりとなるわか葉哉 成美

洟たれて独りをうつ夜寒かな 與謝蕪村


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