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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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はこべ

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ハコベ(繁縷)にもいくつか種類があるようだ。

道路わきで見つけた。繁縷であろうが、よく見かけるものよりは、葉も丈も小さく
そのわりに白い花が目立つ、何はこべなんでしょう?コハコベ?
割れていない5弁花。


繁縷の気安く踏まれデモ果てる   旧作

↓これは我が家のポストの上に置いているプランターではびこる
ハコベ。
茎を触るといやにべたべた粘つく。
花大根を植えていたが、繁縷に栄養分を奪われたよう。

花大根(諸葛菜)

↑の画像を見ていて父子草が入り込んでいるのを確認、今朝引っこ抜いた。

今日もたくさん桜を見たが、その画像は明日以降に。さくら以外の草・花

蔓日日草の群落

尼崎市の文化センター(アルカイック・ホール)の庄下川寄り 西側

阪急電車「夙川」駅の北側
ここでは、土手から離れた東側斜面にある枝垂れ桜がお目当てであったが
あまり状態は良くない。
それ以外では、川の西側に建つお家の↓このトキワマンサク。
圧倒的な迫力。もう数日で葉が見えなくなるほどになるはず。

全部で4株。1株は若木。


その付近で真白な梨の花を見た記憶があるが見つからなかった。

白花のすみれ

↑カラスノエンドウ
↓おおきばなかたばみ(オキザリス)
あちらこちらで群落を形成。

シャリンバイの中にもぐりこんでいる。

エニシダ↑

↑阪神電車「尼崎駅」北側広場の植え込み

その中で見つけた。

葉はマツバウンランだが、花がそれより大きく色鮮やか。↑

コマツヨイグサ?がもう咲いている。あるいは別の花?

時間切れ



リキュウバイ

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モデルを雇ったわけではない。
ワイフにNISAを勧誘に来た銀行員を連れて
公園の桜を見に


サクラはまだ鑑賞可能だが、雨上がりだし、寒いので誰もいない。


午後、緑化植物園へ。4月25日が次の園内ガイドと案内が出ている。
行きたいが都合がつくかどうか。


「銀行員」といえば金子兜太の句が有名。
兜太さんは日本銀行の行員であったが、地下室に部屋を与えれれるほどに冷遇された
典型的窓際族を定年まで頑固に勤め上げたようだ。

70歳を超えてから俄然、俳句の世界を越えて有名になられたように思う。
あと4年で100歳である。


銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく 金子兜太

銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく 金子兜太

デルタの草に銀行員沒す終戰日 金子兜太

銀行員等朝より螢光す烏賊のごとく 金子兜太

港に雪ふり銀行員も白く帰る 金子兜太

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく 金子兜太

銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとくに 金子兜太(1919-)

銀行員等朝から蛍光す烏賊のごとく 金子兜太 金子兜太句集

港に雪ふり銀行員も白く帰る 金子兜太 金子兜太句集

銀行員に早春の馬唾充つ歯 金子兜太 少年/生長

銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく 金子兜太

銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとくに 金子兜太




「俳句検索」の検索結果を重複を整理しないで紹介。
12句検出と出たが、実数は3句である。

西門の金網を這っている、ハーデンベルギアが満開状態。


ここで、ハーデンベルギアの名を知ったが、園芸店でも鉢物仕立てで売っている。
家で育てている方も散見できる。公園などでも利用されているが、
ここで名を知るまでは気付かなかった。

巨大なブッシュ仕立てで、京都の北山植物園のトイレ隠しに利用されているのを去年知った。

↓ 利休梅

ちょうど満開であった。施錠される門の外にある緑化植物園の外縁部で咲いていた。


木陰になっているので、遠くからは目につかないが、近寄ると
けっこう艶やかな感じがする。

西宮の広田神社のミツバツツジが見ごろになったと新聞の地方版で報じられていたが
緑化植物園のドウダンツツジ、ヤマツツジ、さらにはヒラドツツジも咲き始めた。

シャクナゲも



万作(満作)

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東京都心では雪が降ったようである。
私も、完全に冬装備に衣替えした。
多くは、すでにクリーニングへ出してしまっている。

これは マンサク  落葉樹であるが、ドライリーフ化した葉を残すものが多いように思う。

たしかに「まんずは咲く」感じ。

↓は、トキワマンサク


↓付近で垣根などで一番良く見かけるのは
ベニバナトキワマンサク

これには矮性種もあるように思う。
「マンサク」の名を知ったのはこのトキワマンサクの矮性のブッシュであった。
その後、万作は春先にまずは咲くから(先ずは咲く=満作)と呼ぶといった解説を読んだ。
たしかに「マンサク」は2月には咲いているが、トキワマンサクは3月初旬でも関西地区では咲いていない。

よって単に「マンサク」と言えば、黄色ないし赤褐色のの花を指し、
3月以降に咲きだして4月に満開となるマンサクは、トキワマンサクと呼ばねばならないことを学んだ。

さらに単に「トキワマンサク」というと、白花を指すようである。
これもあまり気にしていなかった。
赤花には「ベニバナトキワマンサク」という「正式名」があるようである。

↓紅白トキワマンサク  源平マンサクを初めて見た(ように思う)。


7日の山桜・里桜
徒歩15分の公園(緑化植物園)
川は昆陽川


里桜系の八重桜はまだつぼみ状態


寒緋桜は終わっていた。
↓オオシマザクラ

八重桜で検索したら、やたら八重桜という俳号を持つ人の句がでてくる。

山に出て山に入る日や八重桜 成瀬櫻桃子

八重桜ひとひらに散る八重に散る 山田弘子

奈良七重七堂伽藍八重桜 芭 蕉

重たげに風の中なる八重桜 白石 時子

大皿のなまぐさくあり八重桜 波多野爽波 『骰子』

八重桜飲食に昏れ若水忌(夫、若水の忌) 殿村菟絲子 『菟絲』

八重桜思ふところに亡夫置き 殿村菟絲子 『晩緑』

骨還り深夜の如し夕桜(門前老いし八重桜盛りなり) 殿村菟絲子 『旅雁』

門番の退屈な昼八重桜 寺岡捷子

八重桜ちぎつて落す風に逢ふ 山口青邨

満ち足らふことは美し八重桜 富安風生

八重桜地上に画く大伽藍 村上鬼城

おし昇りくる満月の八重桜 林 翔

山に出て山に没る日や八重桜 成瀬桜桃子

日と空といづれか溶くる八重桜 渡辺水巴

夜がくれば夜の冷えおくる八重桜 能村登四郎

健脚の島人に蹤く八重桜 新井みちを

武蔵野はどこもふるさと八重桜 松原地蔵尊

山に出て山に入る日や八重桜 成瀬櫻桃子

八重桜逢ふ魔が刻を歩みけり 柴田白葉女

満ち足らふことは美し八重桜 富安風生

八重桜湯へ行く人の既に潔し 中村草田男

八重桜ちぎつて落す風に逢ふ 山口青邨

奈良七重七堂伽藍八重桜 芭蕉

いにしへは奈良酒で見ん八重桜 重 頭


八重桜水中の水暮れ急ぐ 草津平

八重桜湯へ行く人の既に潔し 中村草田男

八重桜太陽汗を流し居り 佐野青陽人

満ち足らふことは美し八重桜 富安風生

八重桜ちぎつて落す風に逢ふ 山口青邨




ひとひらの雲ゆき散れり八重桜 鷹女

日と空といづれか溶くる八重桜 水巴



鳰流れゆき八重桜流れゆき 岸本尚毅 鶏頭

八重桜日輪すこしあつきかな 山口誓子

翔つための助走の数歩八重桜 対馬康子 愛国

馬入るゝ塀のくづれや八重桜 柳川春葉 ひこはえ


リス跳ねて雨の重さの八重桜 吉野義子

結界の外に佇つわれと八重桜 吉野義子


ヘビいちご

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桜公園 9日朝

赤い蕊が目立ち始めたがまだ葉桜とは言えない

富松川

庄下川河岸 公園よりやはり1日、2日遅れている感じ。
とくにこの2日は寒かったし。



このあたりの桜は芦屋川や夙川に負けないと思う。



庄下川河岸 野の草

湿地を好むマロウだと思う。↑
高性種だからすでに1メートル以上に成っている。

↑ものすごい繁殖力である、つい数日前には気付かなかった。
ベニバナユウゲショウ

なぜか、大株のものは、穂先がのきなみに切られている。菜の花(カラシナ)であるが、種類はわからない。↑
↓花が咲いているもの。

立金花が繁茂していた地点では、立金花は花が小さくなり、代わりにこの小さな黄色の花が
やたら目立つ。
蛇いちごだと思う。


イネ科の植物はカラスムギ。
他には、スイバ、カラスノエンドウ、ハコベが写っている。

1メートル間隔で、赤い新芽が目立つ。
ヤブカラシ。

↑↓ 立金花はつい先日までと違って花が小さくなっている。



ムラサキケマンはよくよく探さないと見つからない。
これからが花のシーズンなのかも。

午後句会参加

3句(1句は「兼題」になっていた。兼題は「夜」。急きょ、1句でっち上げ)

老シスターの立ち居緩慢復活祭

を外して

風呂帰りの人のぶらぶら八重桜
神将の眼光ゆるむ八重桜
人去ってあくびしている夜の桜



神将の眼光届く八重桜
風呂帰りの人の寄りくる八重桜

が元の句であるが、出句時に変更した。


大工道具

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竹中工務店の元の社長宅を改造したという、
竹中大工道具館を訪ねた。

JR新幹線の新神戸駅のすぐ南・東にある。


菜種梅雨大入鋸の面構
この句は面白いと思っていただいた。

句会では、

指でかく鑿二十八画春愁

という句が出ていた。

家に戻ってネットで調べた。鑿という字は確かに28画である。
しかし吟行句としてはどうだろう?

私は取らなかった。


最高点句は

するすると墨壺の糸延びて春

「春」の必然性がもう一つ理解できない故、この句も取らなかった。


鉋屑の句もたくさん出ていた。

うすものの如くにひかれかんなくず
この句はいただいた。


「やわらかい鉋屑」とか「「布の手触り鉋屑」とか「鉋屑ふうわりふわり」とか「絹の手触り」とか
いろいろの表現が提出されていたが、ひらがな表記で「うすものの如き」は色っぽくていいと
思った。男性の句だと面白いと思ったが女性作家の句であった。


2句出句

 寒戻り使い込まれし鑿光る

 挽く斫る節太の指戻り寒

いろいろの作業をする名工のビデオが流されていたが、
いずれも節太の年季の入った(皺の多い)指をお持ちであった。

市報みまさか

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9日の読売新聞

新聞の一面の最上部を見たら「第50000号」とあるでしょうという感じの文章だが
上を見ると


22315号と記されている。
東京本社発行の新聞は5万号になったが、
大阪本社版はその半分にもなっていない。


別に「お詫びと訂正」をやれとは言わぬが、
複数の本社体制をとっている日本独特の事情を
各(事実上の)支社の編集長は絶えず配慮しなければならない。
・・・・



二日ほど前に、「市報みまさか」4月号が届いた。

そのまた数日前に、税務署からこちらが請求した通りの額面を還付金といて振り込んだ連絡を受けた。

遠い地域の市報が毎月届くのは、私が「ふるさと納税」をしたからであり、
還付金はそのことによって生じた源泉徴収税の返還である。

美作市
2月は誕生届が少なかった。 9名
死亡届も多くはなかったが、それでも40名。
転出超過分と合わせて人口減少数は38名
なんとか今年いっぱいは29,000を割り込むことはないと思う。

美作市と同規模の市は172あるそうである。

平成24年度でみると、美作市の財政規模を100億円とすると、103億円の借金を抱えている状態である。

これは健全化の順位では、172市中、125位だそうである。

172位は有名な夕張市。ここの財政事情を克明に観察・調査・分析している人を知っている。
知人の息子さんである。


 ともかくも、市報みまさかを「愛読」するようになってから、
市報あまがさきの方も丁寧に読むようになったが、

市報あまがさきは、みまさかより、
ページ数がはるかに多い、
活字がはるかに小さい、
画像やグラフが少ない、小さい
の三つの理由により、市報みまさかほど熱意をもっては読み切れない。


6日の散歩コース

自宅・・徒歩・・・駅・・・電車・・・・「夙川」駅・・・・駅の北側を散策・・・・
「夙川」駅・・・電車・・・「武庫之荘」駅・・・駅前の桜を見学・・・駅前・・・
市営バス・・・・阪神電車「尼崎」駅・・・庄下川沿いに遡上・・・尾浜1丁目・・・バス
・・・駅・・・徒歩・・・自宅

最大の「発見」は↓



庄下川、歩いている道の対岸であったので、近くにあった橋が施錠されていたので、
傍には立ち寄っていない。

目下尼崎市には二つの県立病院がある。
隣の西宮には県立病院は1つである。数年前にその西宮市が人口数で尼崎市を抜き
兵庫県下では神戸市、姫路市についで第3位になった。

そのことと関係がまったくないわけではないが、

ある日の事情通らしいタクシー運転手との対話

「人口数で尼崎を抜いた西宮への配慮ですかねえ」
「西宮は県立病院は1つですが、別に市立病院があり、総合病院数では
尼崎と同等ですよ」
「今度できる病院はどこにできるんですか」
「産業高校跡地ですよ」(と聞こえた) 実際は産業高校跡地ではなく工業高校跡地。
「塚口病院利用者と尼崎病院利用者、2つの県立病院利用者から等距離にある
ということで選定されたようです」

その後、西宮も県立病院と市立病院を統合して総合医療センターを建設するらしい。
完成しているのかどうかはわからない。

最近の市報あまがさきを覗くと、もちろんもっと建前的な美辞麗句が施されている。
県立尼崎病院の特徴と県立塚口病院の特徴を統合し・・・・
特に塚口病院は重要な診療科で医師不足となっており、
拡張するにも敷地面積が足りず・・・・

今年7月から運用が開始されるらしい。

この日の庄下川紀行によって、庄下川については海とつながる閘門と国道43号線との間の
工業地帯を流れる部分を除いてすべて見つくした(歩きつくした)ことになる。

この部分は工場と工場の間で、一般人が入り込めないところを川が流れている部分が多い。


夙川の阪急電車以北の部分は、桜のすぐ傍を何万もの人が通り、シートを敷き
桜がすっかり弱っている。
そこから道一つ隔てた場所に1本、見事な枝垂れ桜が咲いている(咲いていた)。
その木もかなり弱っている印象を受けた。


夙川の桜





武庫之荘の桜

阪急電車の駅の2階通路から


阪神電車「尼崎」駅北の広場の桜


尼崎城側から阪神電車の軌道の下をくぐる庄下川を見ている。


同じ地点から城跡(下流)をみている

阪神電車の軌道の下のトンネルを抜けて

↑総合文化ホール(アルカイック・ホール)命名権を売っているようで、尼崎信用金庫(あましん)の名が前に来る。

防災センター(消防署本部)↑

↑文化ホールの横に都ホテルがある。アルカイック・ホテルだったが、都ホテルに買収された。
アルカイックホテルは住友系であったようだ。住友生命か住友銀行に就職した(高校・大学の)後輩が一時支配人をしていた。

現在の名は、都ホテル・ニューアルカイック


この部分は人目に付きやすく(阪神電車の車内からでも見える)、
悪臭とあぶくを放ち、公害都市尼崎のシンボル的な場所であり、庄下川のイメージを
代表していた。

東岸部分は、アルカイックホールの西側外苑となっている。
↑「二人のワイン商人」と名づけられたレリーフ。
姉妹都市ドイツのアウグスブルク市で発掘されたローマ時代の遺物のレプリカ。
市制80周年の折(今から19年前)、アウグスブルクから寄贈されたもの。


横断歩道がかなり離れている広い道路を超えないと庄下川の上流には向かえない。


道路を超えると新しい遊歩道がはじまる。
散歩している人に、ここから尾浜までは遠いですかと尋ねる。
行ったことないけど、尾浜に通じてます、という返答。


川沿いに神社。その名も「庄下川之宮」


このあたりで庄下川に流れ込んだ屑を、堰を造って堰き止め、アルカイイクホールや
阪神電車方面に流れていかないように食い止めている気配。
文化庁か環境庁(現在は省)の調査官はこの場所を実見しなかったのであろう。
見ていたらよみがえる川百選には入れてもらえなかったのでは?


さらに上流の尾浜周辺にも、流れが弱まった(標高差がないので)川に勢いをつけるとう理由で
堰が作られているが、そこにもかなりの芥が溜まっている。


本日のブログ公開時j間には、私、ヤマツツジ見ながら、他の人がお酒飲んでるのを横目にしているはず。雨だったら、MRS K 宅に居座っているはず。


花の宴

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4月2日 円山公園 ここ1週間はその時より寒い感じ。
ともかく2日は貴重な晴れ間であった。以来4日を除いて雨ばかり降っている。

留学生や企業研修者などが、初来日の友人・知人を招いているような感じがする。

終りごろちよつと顔だす花の宴 鳥羽田重直

花の宴庇に沿うて灯りけり 阿波野青畝

師の僧は風邪ごもりとや花の宴 野村泊月

花の宴或は剣に躍るかな 内田秋皎

さかなせよ十二神将花の宴 中勘助





11日以降の画像はあす以降に紹介できると思っている。





美作

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この碑と同じ大きさの句碑、歌碑が山道に沿って並んでいる。
↓それが尽きたあたりからの風景

けもの道はあったかもしれないが、この道は1980年代に整備されたものである。
岡というか小山というか、山頂部分を削って造成し、町役場が作られ、関連施設以外に
小さなホテルが建てられた。そのホテルが開業したのは1990年代になってからである。
竹下さんが3000市町村にふるまった1億円のふるさと創生資金が利用された。
平成の大合併によって、町庁舎は美作市の1支所になっている。

上の道はその町役場やホテルへ通じている。
ホテルの名は作東バレンタイン・ホテル。

 現に、この句碑が並んでいる「新道」の下には、「王道」が走っている。
それこそ人力車が2台すれ違うのがやっとの道だったが、いまでは2台の車がすれ違うことができるほどに拡幅されている。
王道の「王」とは後醍醐天皇である。遷幸の道だから、隠岐へ流される時に通った道である。
京から隠岐へ流された最初の高顕がこの天皇というわけではないから、
この道は奈良平安の時代から利用されていたはずである。
礎石だけがわずかに残る廃寺跡も近くにはある。それに応じた地名も残っているはずだ。










曾井川

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美作人は「愛」という言葉が好きなのかどうか。
「愛の小径」にこんな歌が刻まれている。

↓ 曾井川の初恋橋ほどの小さき橋渡れば少女のわれに逢へるや


橋を渡れば・・・、門を潜れば・・・、道を曲がれば・・、トンネル抜ければ・・・
このフレーズは常套的かもしれないが、

なによりいいのは、「曾井川の初恋橋」と歌い始めたところ。

ここには美作人の誇りが見える。

とはいえ、美作市民29000人のうち、曾井川がどこを流れているか
初恋橋などという橋が実在するかどうかを知っている人は1000人もいないかも。
ちなみに2,3の美作人にこの歌を紹介してみたが、曾井川も初恋橋も初めて聞く川名、橋名であったようだ。
(厳密にいえば、この川は勝央町から美作市へ流れているし、初恋橋は勝央町に所在する)

↑曾井川
街川と違って、石とブロックとセメントで固められていない典型的な村川である。

↓の連翹は毎年この時期に紹介している。
過去3年の過去ブログ画像から「初恋橋」を探したが、あまりにも小さく、平凡な
橋なので撮っていないようである。撮ったかもしれないがブログ用にUPしていない。
今利用のPCには元画像は残していない。容量を確保するために、絶えずUSBへ移動して
本体からは削除しているので。


地の人から、今年は辛夷がいま一つの咲きようだったと聞いた。
↑の連翹も時期を逸したのか、咲きようが良くないのかあまりパットしない。

↓の辛夷は昨年愛の村パークで見たもの。
今年も見たが、見る角度が違ったためか、かなり貧弱に見えた。

比較的広い道路の端に車を止めて、急坂を川の方へ降りてゆくと、
川の向こう側へ渡る橋が
かかっている。それが「初恋橋」である。

毎年かたくりの季節にはここを訪れるので、
私にとっては、曾井川も初恋橋もお馴染みである。

今年のかたくりはどうだったのであろう。
盛りを過ぎていた。

水仙の葉に似ているものは、「キツネノカミソリ」だそうである。
まだ花をみたことがない。


一番いい時期は逸したが、かたくりの株数がかなり増えているのを確認。
若干高低差があるので、「高地」物はまだ咲いていた。

イチリンソウは盛り

少女、八十路に成りたれば、

男ならば

生活実感のある歌・句が多い。
↓これは川柳である。美作は川柳の盛んなところである。



作東バレンタインパークもまた「愛」をテーマにしている。

というより、

パークが愛をテーマにしているので、後からできた歌碑もまた「愛の小経」と名づけられたのであろう。

「天使と恋人」

花散れば寄り添う二人の影伸びる  ショウちゃん

美作の霧

日曜日には結婚式が2件あった。11時からと13時からと。


作東バレンタイン・パークについてのウィキペディアの解説

バレンタインパーク作東(バレンタインパークさくとう)は、岡山県美作市にある多目的公園である。

1988年4月6日に、旧作東町フランスのセント・バレンタイン市が姉妹都市提携したことにより名付けられた、「愛」をテーマにした公園である。18年の歳月をかけて1998年に完成した。2007年10月には恋人の聖地に認定されている。

 その数年はテラス式の川は流れていた。

パーク内の施設
  • 「天使と恋人達」像 - フランス人画家レイモン・ペイネ原作の像。イタリア大理石を用いて同国カッラーラで彫像され、1989年12月完成。翌年1月に作東町へ移送された。
  • 作東バレンタインプラザ - 当公園の中核施設であり文化交流の拠点。施設内のラウンジにある「いのちの泉」から流れ出る水は途中で増幅されて「愛の泉」に到達する。平成4年度国土交通省・手づくり郷土賞受賞。
  • 美作市作東文化芸術センター
    • 美作市立作東美術館 - レイモン・ペイネの水彩画、油絵、版画など約140点を所蔵。
    • 美作市立作東図書館
  • 美作市役所作東総合支所(旧・作東町役場)
  • 作東タワー - 高さ30メートル。1階部分はトワホールとなっており、2階部分にある展望バルコニーからは旧江見町市街地を望める。さらにその上階部分には12個のベルと1つのスイングベルからなるカリヨンが設置されている。
  • 作東バレンタインホテル - 挙式等が可能なホテル
  • 美作市作東歴史民俗資料館
  • 冒険の森 - アスレチック施設(閉鎖)


ついでに東粟倉の愛の村パークの碑も紹介

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山又山山桜又山桜    阿波野青畝


作東バレンタインパークの桜
4月12日朝

ここの桜は、菌に冒されている。

↑ほとんどすべての樹がこの状態である。



4月11日午後 美作 水道公園



いずれも樹はまだ若い。ようやく美作観光案内に登場するも、まだ観光客を誘引するほどの
ものではない。

公園の駐車場からは湯郷のサッカーの試合がただ見出来る。

↑ただ見用のベンチまで用意されている。
4月19日には、ここで湯郷ベルと日テレベルーサの公式試合が開催される。
グリーンもたちまち毛羽立つであろう。

法輪寺という名の桜↓



愛の村パーク

残念ながら醍醐桜は雨のために出かけるのを断念。



キランソウに関するウィキペディアの解説

キランソウ(金瘡小草、学名Ajuga decumbens)は、シソ科キランソウ属多年草道端などに生える雑草

根生葉が地面に張り付くように広がることから、ジゴクノカマノフタともいう


全体にが多い。は高く伸びず、草全体がロゼット状に地表に張り付いて円盤状の形になる。伸びる茎は斜めに地表をはうが、そこからを出すことがなく、その先端部はやはりロゼット状にを広げ、をつける。シソ科では珍しく、茎の断面が丸い。

葉は、基部のものでは長さ4-6cm、幅1-2cmで、広倒披針形で、先端側が幅広く、基部は次第に狭くなる。また葉の縁には波状の鋸歯がある。表面は深緑でつやがある。

花は3 - 5月に開花し、腋生で、茎の先端近くの葉の基部から生じる。濃紫色唇形花で、上下二つに分かれた上唇はごく小さい。下唇は平らに大きく発達して三裂、特に中央の裂片が長くつきだし、先端は切れたようにまっすぐで、中央が切れ込んだようになって浅く二裂する。


家の近くでは1か所だけでこの花をみることができる。
今回の美作行では数か所でみることができた。


カタクリ公園へ行くために車を止めた道路わき、石垣の下にも咲いていた。

↑撮影者 ワイフ スマホ



サトザクラ

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サトザクラ群に属する桜には以下のようなものがある。

とウィキペディアの解説。但し、注が付いていて、非常に不正確という指摘があるので、改善にご協力くださいとも。

私が見たか、聞いたことある品種に朱色を付けてみた。

  • アサヒヤマ(旭山・朝日山)
  • アズマニシキ(東錦)
  • アマノガワ(天の川)
  • アマヤドリ(雨宿)
  • アヤニシキ(綾錦・松前綾錦)
  • アラカワニオイ(荒川匂)
  • アラシヤマ(嵐山)
  • アラタマ(新珠・松前新珠)
  • アリアケ(有明)


  • イチヨウ(一葉)
  • イツカヤマ(早晩山)
  • イトククリ(糸括)
  • イマジュクザクラ(今宿桜) - シラユキと同種と見られる。
  • イモセ(妹背)
  • イヨクマガイ(伊予熊谷)
  • イワイザクラ(祝桜)
  • ウコン(鬱金) - 淡黄色の花を咲かせる。

  • ウズザクラ(渦桜)
  • ウスズミ(薄墨)
  • エイゲンジ(永源寺・永源寺桜)
  • エド(江戸・江戸桜)
  • オオサワザクラ(大沢桜)
  • オオシバヤマ(大芝山)
  • オオタザクラ(太田桜)
  • オオヂョウチン(大提灯)
  • オオムラザクラ(大村桜)
  • オキナザクラ(翁桜) - シラユキと同種と見られる。
  • オムロアリアケ(御室有明)
  • カリギヌ(狩衣)
  • カンザン(関山・セキヤマ)
    最盛期を過ぎて葉桜になっているが↓

  • キクザクラ(菊桜)
  • キクシダレ(菊枝垂)
  • キナシチゴザクラ(鬼無稚児桜)
  • キブネウズ(貴船雲珠)
  • ギョイコウ(御衣黄) - 花は中輪で淡黄緑色。花弁は10枚前後。中心部に緑色でのち紅変する条線がある。
  • キリン(麒麟)
  • クシマザクラ(玖島桜)
  • クルマドメ(車駐)
  • ケンロクエンキクザクラ(兼六園菊桜)
  • コウエンジシロヤエザクラ(光善寺白八重桜)
  • コウカ(紅華)
  • コウダイジ(高台寺)
  • コガネイウスベニザクラ(小金井薄紅桜)
  • コケシミズ(苔清水)
  • ココノエ(九重)
  • コシオヤマ(小汐山)
  • ゴショザクラ(五所桜)
  • ゴショミクルマガエシ(御所御車返し)
  • コチョウ (胡蝶)
  • ゴテンニオイ(御殿匂)
  • コマツナギ(駒繋)
  • コンゴウザン(金剛山)
  • シオガマ(塩釜)
  • シズカ(静香・松前静香)
  • シバヤマ(芝山)
  • シブヤコンノウザクラ(渋谷金王桜)
  • ショウゲツ(松月)

  • ショウナンデン(小南殿)
  • シラユキ(白雪)
  • シロタエ(白妙)
  • スイショウ(水晶)
  • スザク(朱雀)
  • スマウラフゲンゾウ(須磨浦普賢象)
  • スミゾメ(墨染)
  • スルガダイニオイ(駿河台匂)
  • センダイシダレ(仙台枝垂)
  • センリコウ(千里香)
  • タイハク(太白)
  • ダイミン(大明)
  • タオヤメ(手弱女)
  • タカサゴ(高砂・南殿・奈天・武者桜)
  • タグイアラシ(類嵐)
  • チハラザクラ(千原桜)
  • チョウシュウヒザクラ(長州緋桜)
  • ツクバネ(突羽根・平野突羽根)
  • テマリ(手毬)
  • トウキョウザクラ(東京桜)
  • トラノオ(虎の尾)
  • ナジマザクラ(名島桜)
  • ナデシコザクラ(撫子桜)
  • ニソンインフゲンゾウ(二尊院普賢象)
  • バイゴジジュズカケザクラ(梅護寺数珠掛桜)
  • ハクカサン(白華山)
  • ハクサンオオデマリ(白山大手毬)
  • ハクサンハタザクラ(白山旗桜) - Prunus lannesiana cv. HatazakuraまたはPrunus lannesiana cv. Vexillfera
  • ハナガサ(花笠・松前花笠)
  • バンリコウ(万里香)
  • ヒグラシ(日暮)
  • ヒヨドリザクラ(鵯桜)
  • ヒラノネザメ(平野寝覚)
  • フクザクラ(福桜)
  • フクロクジュ(福禄寿)
  • フゲンゾウ(普賢象・普賢堂)

  • フサザクラ(房桜)
  • フダンザクラ(不断桜)
  • ベニガサ(紅笠・松前紅笠)
  • ベニシグレ(紅時雨・松前紅時雨)
  • ベニユタカ(紅豊・松前紅豊)
  • ベンドノ(弁殿)
  • ホウリンジ(法輪寺)

  • ホクホウ(北鵬)
  • ホタテ(帆立)
  • ボタン(牡丹)

  • マザクラ(真桜・白花真桜)
  • マスヤマ(増山)
  • マツマエ(松前)
  • マツマエアイゼン(松前愛染)
  • マツマエオオシオ(松前大潮)
  • マツマエカザンイン(松前花山院)
  • マツマエハナゾメイ(松前花染衣)
  • マツマエハヤザキ(松前早咲・血脈桜
  • マツマエフウキ(松前富貴)
  • マツマエベニヒゴロモ(松前紅緋衣)
  • マツマエヤエコトブキ(松前八重寿)
  • ミクルマガエシ(御車返し・御車還し・桐ケ谷・キリガヤツ)
  • ミッカビザクラ(三ヶ日桜)
  • ムラサキザクラ(紫桜)
  • メイゲツ(明月)
  • ヤエアケボノ(八重曙)
  • ヤエニオイ(八重匂)
  • ヤエベニトラノオ(八重紅虎の尾)
  • ヤエムラサキザクラ(八重紫桜)
  • ヤダケムラサキ(矢岳紫)
  • ヨウキヒ(楊貴妃)

  • ランラン(蘭蘭) - 上野動物園パンダに因んだ名前
  • リュウウンインベニヤエ(龍雲院紅八重)
  • ワシノオ(鷲の尾)


  • 法輪寺以外は今日の撮影。


    黒々と新入社員八重桜


    花を撮影していると自転車に乗った女性に声をかけられた。
    なんかこの辺であるんでしょうか?
    ???
    今追い抜いてきたんですが、若い人たちが100人くらいこっちへ
    行進してくるんです。

    この女性最近この付近に引っ越してきたばかりで、この現象の意味がわからなかったのであろう。が、私も初めて見る光景である。

    お近くにお住まいですか?

    ええ、上坂部通って潮江ぬけたJR尼崎駅の近くです。
    エー!!エー!!
    ミスタードーナツが好きで買って帰るとこです!!
    エッ!!エッ!!!!

    私も先日阪神電車尼崎駅の北側の庄下川沿いで
    尾浜まで歩くといって怪訝な顔されたが、
    JR尼崎駅近傍から、自転車乗って阪急電車塚口駅前の
    ミスタードーナツまでドーナツ買いに来るとは!

    ついでに一言。

    私、マックだろうが、ドムドムだろうが、バーガーは大好物であるが
    ミスタードーナツのドーナツとケンタッキーのフライドチキンは、
    両方とも柔らかすぎて苦手。



    新人研修であろうか?
    塚口駅を降りて(これは女性から聞いた)私のいる方に向かってくる。
    若者の胸に三菱のマークが入っている。
    住友だと色である程度会社名を推定できるが
    三菱マークにはあまり詳しくない。
    100人を超す人なら
    この辺りでは三菱電機しか考えられない。
    塚口周辺、一時、豪邸が空き家になると
    たちまち三菱の研修所に姿を変えた。
    バブル崩壊後かなり売却され、マンションになったが、
    未だに100人くらいを宿泊させる施設を維持しているのであろう。

    行進する姿を眺めていると、中には軽く会釈する人もいる。
    新人研修?
    と声掛けてみる。
    そうですとの返事。

    スーツケース引っ張って、塚口駅から三菱電機まで
    歩かせるのも研修の一部であろう。
    一般社員がこのルートで出勤しているのであろうか。
    確かに目の前に、阪急電車沿いの三菱電機の領地が見えるが
    JR宝塚線が通っていてまっすぐには到達できない。

    到達できてもそこは「工場街」で、
    三菱電機伊丹製作所の正門はそこからでも徒歩10分くらいかかる。

    女性も10人くらいいた。前へ出てはいけないという配慮からか
    先頭をゆく先輩社員の脚が長いのか、
    荷物が多いせいか、全員最後尾に連なっていた。
     
    勤務地がここにならないことを願っているのかどうか。
    春には八重桜の下を通って通勤できるのを楽しみにしているかどうか。

    いちばん後尾には男性社員数名。若いが先輩社員なのだろう。
    研修資料などもあるのか荷物の量が多い。
    公給の携帯PCも荷物の一部であろう。

    今日見た(姫)イワダレソウ

    ということで美作紀行文は中休み


牡丹

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6歳児と一緒に2週間前(3月末)にイタリアン・パセリの種を播いた。
種まきや挿し芽用には新しい園芸用土を使っていたが、
庭中が用土過剰状態になってきたので、
最近は石灰を撒いただけのものを再利用。
結果的に各種各様のもの芽吹いてきた。
イタリアンパセリは初めてなので、
どれが残すべきものか分からない。
猫缶さんわかりますか?

肝心のパセリは芽吹いていないとか・・。

農業公園
牡丹はこれからである。
白雲閣↓

花王↓




花水木も咲き始めたが、樹が真っ赤になるにはまだ1週間くらいかかりそう。


尼崎市の北部地区は、東から園田地区、塚口地区、武庫地区に3分される。(阪急電車の駅名に対応している)。
塚口地区は立花地区(塚口村は合併により立花村に吸収された)と呼ぶのが一般的である。

阪急電車以南の立花地区には庄下川沿岸という大公園がある。
下流で昆陽川と合流する地点までは両岸の川岸に遊歩道が整備されている。

園田地区の大公園は農業公園、塚口地区は緑化植物園、武庫地区には交通公園と大井戸古墳公園がある。

農業公園は八重桜、菖蒲園、牡丹園が売り、
農業公園は猪名川に接していて、土手を下ればすぐ橋があり、
その橋を渡って東岸に出れば、目の前は、尼崎伊丹西宮共同配水場で、その工事中に出土した田能遺跡(公園)、猪名川河川敷運動公園につながっている。

緑化植物園は、温室と川辺の山桜、

大井戸公園はなんといってもバラ、

武庫公園はサクラ。夏には市内で唯一ホタルが飛ぶ。

農業公園へ通じる道は浄水場(阪神水道企業団)の広大な敷地によって行き止まりになっているので、
車の行き来は少ない。広い道路の両脇に花水木(市の花木)が植えられかなり成長して盛期には見ごたえがある。



農業公園の東側の端から土手に登ると猪名川の流れが見えるとともに
私にとっては、ヘラオオバコを人に頼らず小型の図鑑と照らし合わせて同定できた記念すべき場所である。

猪名川の流れはこれで1級河川かと思うほどか細い。
川幅の10分に1以下の部分しか水が流れていない。

その理由: 1 すぐ上流で猪名川から藻川が分流する。
        2 最大の理由であろうか、阪神水道企業団が大量の水を略奪する

 それを3市で分け合う配水場の建設中に、田能弥生遺跡の発掘につながった。

イタドリ(虎杖)が成長中。


シーボルトの名を冠した植物は多い


など。イタドリもまたシーボルトが日本から持ち帰り欧米に繁茂。
いまでは第1級の駆除対象となっている。

1997年ハムステッド(大自然公園)の随所に、
Japanese knot weed 除去中の看板が立っていて土が掘り起こされていた。
土壌等の改変が禁止されている地域である。
園芸講座のようなところへ出かけて担当者にJapanese weed とはどんなもんだ?
と尋ねたら、待っておれといわれて
その人が持ち帰ったものが、ちょうど上の画像と同じ幼芽であった。

幸い私は、それよりわずか前に、スカンポ状のものではなく、この幼芽がイタドリであることを
美作の従兄から教えてもらっていた。

イギリスでは、その後7年間の試験をやって、シーボルトが持ち帰った長崎産いたどりに
有効な天敵昆虫を熊本から輸入して野に放したようである。

九州大学の研究成果

イタドリは、19世紀にシーボルトにより日本(長崎)からヨーロッパへ持ち込まれました。

当時、イギリスでも観賞用として歓迎されましたが、繁殖力旺盛で野生化し、アスファルトやコンクリートを突き破るなど猛威をふるっています。

イギリスではイタドリの生物的防除資材として日本から植食性昆虫や植物病原性微生物を導入することが検討され、国際生物的防除研究所(CABI,イギリス)と協力して研究を進めてきました。
(共同研究に関する記事が2009年8月16日の朝日新聞朝刊に掲載されました)

その結果、イタドリマダラキジラミはイタドリのみを餌とする(他の植物に害を与えない)ため環境に悪影響を及ぼさないこと、イギリスでも越冬可能であることなどが確認され、イタドリマダラキジラミを日本から導入することが決定されました。


日本も同じようなことをやって大失敗をしている。ハブ退治が好例であるが、
他にもいくつかあるようだ。

ヘラオオバコとワスレナグサ


農業公園の八重桜



昨日三菱電機の新人研修参加ご一行様と出会ったことを報告。
同期の友人で三菱電機に入社した者がいるかどうか「思案」、どうもいないようである。
工学部へ進学した友人の多くは鉄鋼関係が多かった。
前にも紹介したが、高校の1期先輩で、同じテニス部だった人が三菱電機に就職した。
この人も何年かは塚口勤務であったようだ。
一度だけ、朝の出勤時間に、駅前ですれ違ったことがある。
なんとか課長職に就いていた。
当時私が目下指導役になっている句会の指導者は、ず~と三菱電機の衛生課長であった。
そこで、衛生課長に、こういう名の課長がいるかどうか聞いてみた。
衛生課長は公務員の格でいえば、転勤のないノンキャリア組だったので、
そういえば、そういう名の新しい人が着任した位にしかご存じではなかった。


この先輩とは、まったく偶然に1997年にロンドンで再会した。

ベンツを運転していた。家賃を聞くと100万円払っているとのこと。私は14万円払っていた。
さらに12万でスターレットをレンタルしていた。

肩書きを聞くと、欧州三菱電機社長だった。

三菱電機についてはこのブログで他の件についても書いたことがある。

中学1年の時、社会科の自由研究で、友人と二人で、塚口周辺の工場見学をしてその報告を提出した。もちろん秀抜の評価を受けた。

その工場名で覚えているのは、大阪酸素、東洋リノリューム、川上塗料、森永製菓である。
特に森永はまだ公式の見学システムを構築していなかったが
原料のチョコレートが波のようにうねっている傍まで案内してもらった。
東洋リノリュームでは、見学後たくさんの見本をもらった。
阪急電車の駅の停車位置案内の下にはすべて、「川上塗料」の会社名が記されていたこともあり、
以来、塗料会社といえば川上塗料の名を思い浮かべるほど
丁寧な説明を受けた。何を記念に貰ったかは覚えていないが、訪ねた会社はみな好意的であった。

大阪酸素を訪問後、門を出ようとすると若い社員が追いかけてきて
「私はあんたらの先輩や」と挨拶してくれた。私の学校の制服は特徴があるのですぐに識別できたのであろう。

唯一の例外が三菱電機であった。

横柄な門衛の応対で、付近住民も不愉快な思いをすることがあるのではないかと思った。

ところで同じことを繰り返して書いたのは、この会社訪問をともにした友人が行方不明なのである。親は関西ペイントの重役であったように記憶している。名前は増田隆義。

大学卒業後数年で同窓会名簿はいずれも住所不明のままである。

親の住所、ないし大学卒業後まで住んでいたのは、阪急電車伊丹線の「新伊丹」駅まえの
閑静な住宅地であり、私にとっては毎日新伊丹駅を下車して登校する途中にあった。
親は金沢出身だったか、泊めてもらった時、朝食に鼻つき飯を出されて驚いた記憶がある。
まさにご飯に箸をつけようとするとご飯のてっぺんが鼻についてしまうほど、ひや飯が盛り上がっていた。
それが金沢の慣行でなければ福井であったかも。


友人はやや肥満であった。私はやせぽっちであった。このご飯は半分も食べれなかったように
思う。

同じ伊丹南小学校を卒業して、3人受験2人が合格ということで、この友人とは
中学・高校・大学(彼は同志社大学だった)と仲良く付き合った。
園田の競馬場へ一緒に行った。
私は賭けるような金は持っていなかったが、
彼は何レースかで当てていた。
その後阪神競馬場へ俳句の吟行会で行ったことがあるが
競馬場への(日本での)出入りは、園田へ数回行ったきりである。

彼が車を買った(買ってもらった)ので、
一緒に未熟な運転で処処に出かけた。
多田神社が多かった。
付近のゴルフ場へもぐりこんで、
碁盤と碁石を持ち込み
芝生に座って碁を打った。


母親が死んで遺産分け前を得たので
淡路島の高級旅館に夏1か月くらい滞在した時には
私もしばらく同宿させてもらった。


20畳くらいある部屋で、毎食、若い女性が侍って給仕をしてくれる。
ダンスホールがあるので食後どうぞなどといろいろ
誘ってくれるが
二人は全くその方面に関心なく
碁ばかり打っていた。
後に飽きると海が目の前に見える露天風呂風の部屋風呂にながながと浸かっていた。


船を用意したので釣りでもと誘われ
これには二人とも応じて
たくさん釣った。
その夜からはキスかなにかの揚げ物が山盛り食卓に登場した。
それに懲りて釣りの誘いも断った。

あとから思うに
その旅館の娘さんともう一人の美人がもっぱら部屋係を務めてくれていたようである。

私の父親は、警察官であり、勤務が不規則でもあったので
子供のことについてあまりうるさく言わなかったが
ある日、家族にも知らせていなかった(友達に誘われたので淡路島へ行ってくると行って家を出たのみ)のに、宿泊先を探しだし
警察電話で、「そろそろ帰って来い」と言ってきた。

私が滞在したのは1週間か10日であるが、
これほど豪華な旅館生活は以後経験していない。

3食部屋食で、毎回初めから終わりまで給仕役がそばに控えているなどという
システムは今や日本には存在しないと思う。

残念なのは食に無関心だったので、その時、どんな料理が出たのかまったく覚えていない。
その料理に追加して船いっぱい分の魚の揚げ物の船盛りが出てきた時だけはさすがに驚いていつまでも忘れない。

その後父親が後妻さんを迎え、家が勧める縁談を断ったということまでは聞いていたが
その後突然消息を絶ってしまった。

私は彼のGod Father である。私より後に洗礼を受けたので、私が代父を務めた。

私の家にもよくやってきた。相変わらず碁を打っていた。
糸でつながったウィンナーソーセージが売り出されたころで、
二人ともこれが好きで、彼が家にやってくるときにはかならず大量のウィンナーソーセージを
持参していた。
フライパンで炒めてぱくつくだけなのだが、
かれはひときわお気に入りであった。

母親は別室で和裁の先生などやっていたので
友人が来ても特に何も世話などしなかったが
帰り際にはいつも
私の妹を売り込んでいた。

その後私はカトリック学生運動にのめりこんでいったので
彼との付き合いも間遠になっていたころで
消息不明もかけ落ちでもしたのでろうくらいにしか考えていなかった。

やがてどこかで、ばったり三菱の社長のように会えるのではないかと
思っていたが、只今現在は会いたいという気持ちが非常に
強くなっている。
小学校時代からの友人と言えば彼しかいないし。

実名で紹介するのも、ひょっとしてこのブログがきっかけで
彼の所在に関係する情報が得られるかもしれないと思うので。

ということで美作紀行文はさらに順延



ナガミヒナゲシ

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路傍で、我が家の家の前でも、ナガミヒナゲシが咲き始めた。
野草ではあるが、咎めにくい(引き抜きにくい)風情である。


↑画像は駅前の火事跡で撮影。



ナガミヒナゲシに関するウィキさんの解説。
かなりの専門家が関与している文章と思う。

紅色、もしくは肉色と評されるオレンジ色の花を付ける。花弁は基本的に4枚だが、多少の変動がある。開花時期は4-5月。

高さは栄養状態によって異なるが、15cmくらいから最大60cmぐらいにまで成長する。茎には硬い剛毛が生えている。は細かく切れ込む。果実(芥子坊主)は細長く、和名の長実雛芥子はここから付けられた。果実の中には文字通り芥子粒の大きさの種が入っており(種子一粒の大きさは0.6×0.7mm、重さは0.13mg程である[3])、果実が茎から落ちて種を地面に落とす。茎を切ると黄色い液体が出てくる。と葉からは周辺の植物の生育を強く阻害する成分を含んだ物質が生み出される(アレロパシー)。

このアレオパシーという言葉を覚えてやろうと思っているが、
会話中で利用しようと思ってもなかなか思い出せない。


外来植物の改良FAO方式による雑草化リスクの評価では、特定外来生物に指定されている植物に匹敵するか、これらを上回る高いリスク点数が得られているが、特定外来生物などにはいまだ指定されていない。

特に有用な野菜等の育成を邪魔する段階ではなく、
他の野草との競合の中で、けっこういい風景を提供してくれるので
歓迎されているからかも。

1982年イギリスに滞在中、汽車旅行をよくしたが、
田園地帯ではこのヒナゲシがびっしりと生え、咲いていた。

私の家周辺では、1995年の阪神淡路大地震の後、更地になった場所で
群生し始めたように思う。


 梅雨時に非常に小さな種子を大量に成す。一つの果実には約1600粒の種子が内包されている。一個体は100個の果実を成すこともあるため、多い個体では15万粒の種子を持っている。種子の表面にはおうとつがある。秋に発芽してロゼット状態で越冬する

ナガミヒナゲシは他のヒナゲシと同様、阿片の原料となるアルカロイドを含んでおらず、栽培は規制されていない。

日本における植生と雑草化

日本では帰化植物として自生している。輸入穀物などに紛れて渡来したと推測され、1961年東京都世田谷区で初めて確認された。

ということは、夏目漱石が見た虞美人草は輸入園芸種だったのか?

 ↑このヒナゲシのうち赤い色をしたものを「虞美人草」と言うようである。



以後
群馬県福岡県などにも分布が広がり、2007年には青森県沖縄県を除く日本全国で繁殖が確認されている。発生場所は初期には幹線道路沿いに限られていたが、2011年には農地への繁殖も認められる

アルカリ性土壌を好むと考えられ、コンクリートによってアルカリ化した路傍や植え込みなどに大繁殖しているのがよく見られる。

なるほどそう言われれば、そういうところに群生しているのをよく見かける。

農業環境技術研究所の藤井義晴は道路沿いにできた種子が雨で濡れた車のタイヤに付着することによって運ばれることにより、分布を拡大していると推測している。日本では年度変わり以降の5月ごろに役所や企業の予算が付いて、路肩中央分離帯、空き地などの除草作業が行われるが、この頃には既にほとんどの株が結実を終え枯死しているためなかなか減らない。むしろ除草機の振動により種子を周囲に撒き散らすなどするので、除草の意図とは逆に翌春になると前年より増えていることの方が多い。ナガミヒナゲシの蔓延を防ぐには花が咲く前のロゼット状態の時期に駆除することが肝要である

ひとつの芥子坊主から1000~2000の種子(ケシ粒)をばら撒いてしまうために爆発的な繁殖力を示す場合があり、地場の他の草花を駆逐してしまう可能性がある。そのため、園芸花として楽しむには花が終わり次第摘み取る(摘花)等の種子拡散を防ぐ注意が必要である。

以上引用。

青い部分が「感想文」。ただしインク文字で青い部分は原文のまま。よってクリック参照が可能。


今日は句会出席予定であったが、家を出る前に野暮用発生で、欠席通知。

夕刻6歳児のヴァイオリンの発表会へ

今回はアンサンブル形式で、四重奏の「メイン」?を出場者が担う。

5時開演で、きっかりに、トップ登場は4歳児(年中さん)

この子だけは椅子なしで、立って演奏
2番手からは椅子付き。
2番手は6歳児。2度目の舞台である。

17:04分演奏開始


17:07 独特のポースで弓を上げ、演奏終了。

深々と一礼。ば~ばから花束を受け取り退場。もうひとつ花束が渡されるはずであったが、用意した人が車の中に置き忘れて会場へ来たため1つだけ。

本日の衣装も12歳児からのお下がりだとか。
12歳児はピアノの練習は続けているが、昨年から発表会への出場は辞退。
でもまあ当面は6歳児の衣裳の心配はない。

出場者全員の記念写真

会場の外でじ~じと記念写真
撮影者がワイフ故、ピントが合っていない。
肝心のじ~じがはみ出している。


ピアノは地ヴァイオリン春の空ながる 八牧美喜子

冬が来る袋の中のヴァイオリン 斉藤夏風

定型やヴァイオリンにて野菊打つ 攝津幸彦

麦穂なせる第一ヴァイオリンの遅れ 加藤郁乎

おかめよヴァイオリンもささらほうさらとえんまこおろぎ 橋本夢道 無類の妻








総会

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総会の一人芝居や半夏雨  杉本寛

 

本務を退職したので、数は大幅に減ってはいるが、それでも年数回は、
引き続き所属している組織の
年に一度の大会や総会に出席する機会がある。

3月に開かれた所属俳句結社の大会では開催準備委員長であった。
この方は事務局長役の人物の事務手腕によって
無事に終了。

今日は、神戸市北区の施設の家族会の総会であった。

そして夕刻には、その会の会長を何期も務められた人のお通夜に出席した。

死亡なさったのは14日であったが司法解剖の順番待ちで、葬儀日程が大幅に遅れた。

なぜ司法解剖になったかというと、スーパーの入り口でガラスドアを突き破る事故による死亡だったからである。

司法解剖の結果、幾つもの神経系統、臓器、骨格などに「破損」があり、
直接の原因は特定できなかったとのことである。

我が家の花大根(諸葛菜)は見ごろである。













まっちゃ町

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メリケントキンソウを知った更地(塚口御坊発掘地)の今

センダングサもコマツヨイグサもアメリカオニアザミもまったく姿を消してしまうことはあるまいと期待している。

建築が始まったが、最初に掲示されていたものか疑問である。
掲示物の予定構造物を示した部分が覆われたままであるから。発掘中故、迂回路を設けたという、今では不要な張り紙がうわ張りされたままである。

より家に近い10階建てマンション建設現場↓
覆いが高くなって横の道を歩くのに抵抗感(圧迫感)がでてきた。


昨夜阪急電車池田駅の改札口を出て、
どの駅にも設置されている近郊地図で、目指す番地を探して、その方向へ歩きだしたら

元の同僚が改札口を出るのに気づいた。
10年以上会っていなかったが
ずいぶん老けこんだように見えた。

毎週1回勤め先近傍のテニスコートを借りて、
5,6人のグループでテニスを一緒にやっていた。
その世話係をやってくれていた。

バブル最盛期で、私営コートは次々に地上げ対象になり、
マンションに姿を変えていった頃である。

まっちゃまち へいってきたということである。




まっちゃまち とは?

松屋町
(まつやまち)とは、大阪市中央区町名2005年10月1日現在の人口は967人[1]郵便番号は542-0067。


地理
大阪市中央区南東部、末吉橋東側に位置し、北で松屋町住吉、北東で安堂寺町、東で谷町、南で瓦屋町、西で島之内南船場と隣接する。大規模なマンションの建設が増えた町である。

松屋町問屋街

中央区の農人橋交差点南側から大阪市営地下鉄松屋町駅周辺にかけて、松屋町筋沿いに人形駄菓子花火などの卸問屋街が存在する。

歴史

安堂寺橋通を挟んで松屋町の北に接する松屋町住吉は、上記同様に江戸時代の住吉屋町と具足屋町を合わせた住吉町が1989年(平成元年)に改称したものである。なお、住吉町はもと東区、松屋町はもと南区であった。末吉橋の東詰、東横堀川 - 松屋町筋間に江戸時代から見える町名だが、のちに松屋町表丁に改称され、松屋町筋 - 骨屋町筋間が松屋町裏丁となった。1872年(明治5年)に両町と松屋町表丁の北隣の丹波屋町を合わせて松屋町となった。

松屋町一帯は江戸時代から菓子問屋の集中する町だったが、人形、玩具、紙、文房具などの問屋は明治以降に移転してきたもので、とりわけ御堂筋拡幅の際の移転が多い。


大阪人は「まつやまち」といわずに、「まっちゃまち」という。

聞いて、私もそこがどこかすぐわかった。

私も、元の同僚も大阪人ではない。
同僚は大分の出身である。

しかし彼の方がよほど「大阪人化」している。

なんでこんなとこへ言いながら、私の服装を見て、
お葬式か?知ってる人か?(共通の知人かの意味)


孫のための鯉のぼりを買いに行ってきたとのこと。

今頃買うなってちょっと遅すぎるではないかとからかうと

そおなんや。マンション住まいやからそんなもん要らんいうて買う気はなかったやけど、女房がうるさくいうので、しゃ~なしに行ってきた・・・。

私が池田市満寿美町のカトリック教会へ行くというと、
多少よっぱらっているようで(酒好きで、テニスの後はながながと
各種アルコールを摂取していた。飲酒運転の取り締まりが強化され始めた頃からは彼とのテニスの一杯は付き合っていない。
仲間の送別テニス会などの時には、電車を利用してコートへ出かけた)

そうか、いっぱい一緒にちょっとと思ったけどあかんな~と
いいながら
家路とは反対方向へ歩き出す。
酔い覚ましに付き合うわ
で教会の前まで一緒に歩いた。

駅から一本道で、徒歩10分ほどの距離だった。

午後7時からの通夜の客は多くはなかった。
教会は御受難会の管理であろうか?


今日も終日雨で野草も八重桜も見る機会なし。


葉桜

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ソメイヨシノは平地では葉桜になった。
わずかに花びらを残しているものもある・


野草学習者にとっては復習と「発見」を兼ねた好季節でもある。


カラス麦が繁茂、穂を出し踏み込みにくい場所ができている。
ボランティアによって月1位のペースで草刈りがされる。
ハエや蚊が繁栄していた時代には、あるいは牛などを飼っていた時代には
重要な作業だったと思う。


馬こやしであろうか。

ヘラオオバコはまだ目立たない。今元気なのは、チチコクサ系譜のものである。
タチチチコクサやチチコクサモドキの識別は、目下のところ不可能。

イタリアンパセリの種苗箱

芽が正体を示し始めた。
↑には、

ひと株だけだが、上の方に千日紅が芽吹いている。
他に本葉を出し始めたのは、ホトケノザ、メヒシバ、カタバミ・・

みたところ正体不明のものはない。


どれがbefore でどれがafterか画像取入れ後も分からないくらい。
かなりイタリアンパセリ以外には抜いてつもりでも、まだまだそれ以外のものが残っている。


本命を抜いていないことを90%確信。

「本命」で検索するも例句みつからず。

「葉桜」ならいっぱいある。


瀬の音のして葉桜の山泊り 神原栄二

葉桜や寝釈迦台座を落ちさうな 宮坂静生

葉桜の濃きより出でて桂川 橋場千舟

葉桜の蔭重ねけり立石寺 橋本春燈花

葉桜一樹もて覆ふべし女人堂 吉野義子

葉桜や発つときめたるときの雨 久保田万太郎

葉桜の影ひろがり来深まり来 星野立子

葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原 梵

葉桜や蕎麦屋でたのむ玉子焼 鈴木真砂女

葉桜や女の旅の雨となる 半澤 律

葉桜や毛虫太らす街あかり 篠田悦子

葉桜に爆ぜているのは赤ん坊 大口元通

葉桜の奥で大和がふりむいた 筑網敦子

葉桜の頃の電車は突つ走る 波多野爽波 『湯呑』

葉桜をつくづくいとこはとこかな 長谷川双魚 『ひとつとや』

葉桜や大き喪の空垂れにけり(悼山本健吉先生) 野澤節子 『駿河蘭』

校庭の葉桜となり父兄会 福田清人

葉桜の影ひろがり来深まり来 星野立子

葉桜や吉野の駅の小ざぶとん 中井啓子

葉桜のみちは艇庫に来てをはる 北澤瑞史

葉桜や発つときめたる時の雨 久保田万太郎

ひびきふる雨千本の葉桜に 滝 春一

葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原 梵

葉桜の街見下しに父逝けり 沢木欣一

葉桜や石工ひねもす墓石彫る 大和田亨子

葉桜や同じ祷りに隣り合ふ 中村草田男

葉桜やきのふにかはるくらしむき 鈴木真砂女

葉桜の下にて赤子見せ合うて 橋本美智代

一亭へ葉桜昏くくぐりけり 森高たかし

葉桜や誰もゐぬ日の貸ボート 大森理恵

葉桜に正体みせぬ大使館 横山白虹

葉桜や海を見たるは十五歳 柳澤和子

葉桜や金婚式は彼の国で 郡山とし子

葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原 梵

葉桜や研屋のわざの今もあり 黒木 野雨

葉桜やかつて高等女学校 上村米子

遺児けふは葉桜の影満身に 石田波郷

葉桜やふかぶか沈む鯛生簀 秋光泉児

葉桜やたてがみ白き神の馬 佐藤幸男

葉桜となりて沈思の仏たち 橋本榮治 越在

葉桜や夜は海鳴りの羽摶つごと 進藤一考

葉桜へ厠の暗さ負ひ出づる 柏禎

葉桜を見遣るや清風湧くゆゑに 野沢節子

葉桜の万の囁き夜の椅子 森大暁

葉桜の夕べかならず風さわぐ 桂信子

葉桜の下帰り来て魚に塩 細見綾子

花すくなかりしが葉桜となれり 谷野予志

遺児けふは葉桜の影満身に 石田波郷

葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原梵

葉桜や逢うて手を挙げ白々と 山口青邨

葉桜や忘れし傘を取りに来ず 安住敦

葉桜のかぶさつて来るチューリップ 中村汀女

葉桜や発つときめたるときの雨 久保田万太郎

月なくて葉桜は燈をいつくしむ 昭彦

葉桜にわが噛む音の欹(あばだ)つよ 子郷

葉桜は花終りたる木にあらず 雅人

葉桜や車空なるきつね雨 源義

葉桜のなほこぼすもの風に舞ふ 汀子

葉桜の夕べかならず風さわぐ 信子

葉桜の下帰り来て魚に塩 綾子

葉桜の中の無数の空さわぐ 梵

葉桜やすゞろに過ぐる夜の靴 梅の門

葉桜や沖まで波の限りなく 飛旅子

葉桜や屋根より下りて大鴉 浩山人

葉桜や深夜犬ども睦しく 不死男

遺児けふは葉桜の影満身に 波郷 (九段にて)

葉桜や一宙劃(かぎ)る仏の手 槐太 (奈良博物館にて)

葉桜や逢うて手を挙げ白々と 青邨

葉桜や同じ祷りに隣り合ふ 草田男

葉桜の並木つゞけり曲りても 立子

葉桜の駅に字を書く洋傘の尖 誓子

葉桜や流れ釣なる瀬戸の舟 久女

葉桜や発つときめたるときの雨 万太郎

葉桜に地中の闇の行きわたる 佃悦夫

葉桜となり屈葬の者つつむ 坊城俊樹

葉桜の大柄洩れ日多佳子の忌 堀内薫

葉桜に弓立てかけてありしかな 藺草慶子

葉桜の中の騒ぎは是一羽 依光陽子

葉桜のころの奉納相撲かな 日原傳

葉桜やはるかな水が井戸の底 夏井いつき

葉桜の中に金星あらはれて 岩田由美

葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原梵

葉桜の夕ベかならず風さわぐ 桂信子

葉桜の影ひろがり来深まり来 星野立子

葉桜となる少年の日の履歴 対馬康子 愛国

葉桜や武道館より太鼓鳴る 土井三乙

遺児けふは葉桜の影満身に 石田波郷

パン屋が出来た葉桜の午の風渡る 河東碧梧桐

葉桜の下帰り来て魚に塩 細見綾子

葉桜の風松籟に紛れゐる 手塚美佐

葉桜になりおふせたる堤哉 篠崎霞山

葉桜やすゞろに過ぐる夜の靴 金尾梅の門

葉桜や湖のしめりの陶の椅子 伊藤京子

葉桜一樹もて覆ふべし女人堂 吉野義子

葉桜やまむしを提げし人と行く 小原菁々子

葉桜や藁屋根厚き能舞台 遠藤梧逸

葉桜となりをはるまで見届けぬ 徳永山冬子

葉桜のうへに赤しや塔二重 唯人 古句を観る(柴田宵曲)

葉桜や人に知られぬ昼あそび 永井荷風(1879-1959)

葉桜や家出をおもひ家にゐる 中尾寿美子(1914-89)




葉桜の奥から母が駆けてくる

夕暮れに帰郷する母花は葉に


1句目は今作句。
2句目は旧作の改作。


4つ葉のクローバーという名のかたばみ

すぐに花が咲くので、元肥を十分にと解説されていた。


わらび

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吉野山産わらび

ごくごくご近所にお住まいの「館長」さんからいただいた。

11日先祖祭の後、キロロ・ガーデンを見学中、
とりわけ高額の固定資産税がかかりそうな豪華なヒノキ柱の東屋を観察中、

屋号「大前」-この家がこの集落に住む一族の「本家」であるーの奥方がーたぶん私より高齢であるーひょいひょいと起伏のある庭を駆け込んで来られ、

一抱えもあるようなアスパラガスをーたぶん大急ぎで切り取り(抜き取り?)届けて下さった。

できたての?アスパラは1週間経ってもまだわずかながら残っている。

そこへわらびが加わって早速にいただいた。


我が家のサクランボ、本年はいたって不作。
ご近所には配れないよう。

さくらんぼ錯亂母子は育ちたる 中原道夫

さくらんぼ紅さして子の嫁ぎけり 村上しゆら

さくらんぼ母に甘えし記憶なく 飯田 波津恵

笑窪とてひとつは淋しさくらんぼ 清水衣子

さくらんぼ右往左往の虚子の句を 阿部みどり女 『石蕗』



朝市の人みな素顔さくらんぼ 工藤眞智子

さくらんぼ並べてありぬ仏頭と 佐藤秋水

さくらんぼ月山の風甘くなる 姉崎 昭

張られたる網に入口さくらんぼ 山本きよ子

寝転んで読む悪女伝さくらんぼ 野村尚子

さくらんぼ碧海流れやまざりき 小檜山繁子

さくらんぼ数へて食べて妻若し 下村ひろし

さくらんぼ採り終へし葉の奥くらし 渡邊千枝子

子との距離近づく思ひさくらんぼ 田中 珠生

さくらんぼ硝子細工に似て少女 山口貞子

さくらんぼ六月生れ讃ふべし 轡田進

さくらんぼ舌に置くとき風まろし 畑耕一

一つ食べ一句考へさくらんぼ 稲畑汀子

さくらんぼ熟れて路傍に俄店 吉良比呂武

さくらんぼ鎧ひて赤き木々並ぶ 吉良比呂武

太陽はいつも一粒さくらんぼ 近藤絹子

さくらんぼ舌に転がる英単語 吉原文音



亡き友の年を追い越すさくらんぼ 対馬康子 吾亦紅

さくらんぼ十年遅刻してきたと 櫂未知子 蒙古斑

恋人はめんどうな人さくらんぼ 畑耕一 蜘蛛うごく

サ行まだ覚束なき子さくらんぼ 谷中淳子

古書市に出会ひて別れさくらんぼ 宮田和子

さくらんぼ一箱買ほか買ふまいか 宇多喜代子



国家よりワタクシ大事さくらんぼ 摂津幸彦

さくらんぼ海峡に潮満ち始む 上野さち子

さくらんぼ踏めば潰れて夏来る 遠藤梧逸

さくらんぼ笑(えみ)で補ふ語学力 橋本美代子(1925-)

国家よりワタクシ大事さくらんぼ 攝津幸彦(1947-96)

さくらんぼ愛別離苦を頒ちたる 宇多喜代子 象

さくらんぼ槲の葉にのせ売居れる 田中冬二 行人

さくらんぼ熟せり晝の汽車が行き 中尾寿美子

さくらんぼ笑で補ふ語学力 橋本美代子

童馬漫語童牛漫語さくらんぼ 加藤三七子

さくらんぼ右往左往の虚子の句を 阿部みどり女

国家よりワタクシ大事さくらんぼ 攝津幸彦

食卓は話題の広場さくらんぼ 山田弘子

さくらんぼ摘まみつつ子が欲しといふ 山田弘子

さくらんぼ鬼が影曳くかくれんぼ 坪内稔典

さくらんぼ悲鳴のやうなアリアかな 辻桃子

さくらんぼ盛れば方々灯りぬ 後藤比奈夫 花びら柚子

大蔵王踏み来し笑いさくらんぼ 中島斌雄

しだれ枝の青さくらんぼ更衣 皆吉爽雨


ブログ開始後 、毎年紹介している父方の従兄からもらった
今では形見となったギボウシ。
世話はしていないのに、今年はひときわ勢いがいい。


家から駅前までは、少しの遠回りを覚悟なら、いくつもの道を選べる。
公民館で本を借りたり、公民館の横にある信用金庫に用がある時などには、
この道を選ぶ。


街路樹に風格があり、歩道が植え込みによって車から守られているので
ブラブラ歩き愛好者にはとっておきの道である。

横のマンションは日生が開発したもの。
もとはここには日生の寮が建っていた。
中に一面だけテニスコートがあった。

私は顔がきかなかったが、近所に住む主婦の紹介で何度か利用させてもらった。

その人が住んでいた家は、長らく駐車場になったままである。



春の野

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画像だけでは後で見て分からなくなるので、
見た植物名を手帳に書いていった。42種になった。

庄下川上流の両岸の遊歩道、石垣、草地でみたもの。






↑これはアメリカフウロであろうか?アメリカフウロにしては花が大きくて奇麗すぎる。
ニホンフウロも一度だけ育てたことがあるが、こんな風に蔓状にはならないし、よく見かける
アメリカフウロも蔓状にはならないと思う。

↑これはお手上げ。分かりません。どなたかご教示を!



メモした順番に

蛇いちご
よもぎ
ベニバナユウゲショウ (あちらこちらで群落を形成)
ススキ
ヤエムグラ
ミゾソバ
カラスノエンドウ
カラシナ
カラス麦
雲南かずら
ハルノノゲシ
ハコベ
スイバ
アメリカフウロ
おおばこ
メヒシバ
ホトケノザ
セリ
むらさきかたばみ
イヌフグリ
ヒメオドリコソウ
ランタナ
ハナニラ
ツルニチニチソウ
おおきばなかたばみ(オキザリス)
かたばみ
赤葉かたばみ
コデマリ
ナガミヒナゲシ
イヌホウヅキ
セダム(マンネングサ)

ウラジロ
ジシバリ
センダングサ
ワスレナグサ
スズメノカタビラ
ナズナ
クローバー
オナモミ
チチコグサ

ヒメジオン
ノースポール


ユウゲショウも咲き始めている↑↓

ノースポール↑

↑オナモミ ネット上の解説では、オナモミは絶滅危惧種で
今見られるのは凶暴な外来種であるとのこと。

↑これはアシではなく、近似種だと思う。カモジグサ系?
カモジグサなら穂がもっと細いかも??

マンネングサ

コデマリ、つるニチニチソウ、オキザリス

↑これは不明

ヒメツルソバ


「蛇穴を出る」は俳句を作る人ならみんなが知っている季語だが、
①7音である。
②最近は見ない風景である。
③蛇じたいが気持ち悪くて句材になりにくい


で零区もあまりない(「例句」、ワードさんよ辞書登録してくれよ)


穴を出る流行に遅れじと 今瀬剛一

けつこうな御世とや穴を出る 一茶



穴を出るを見て居(お)る鴉かな 高浜虚子(1874-1959)

①私もあまり好きではない。
②姿を消すのではないかとあせった

で、画像がややぼけ








大手毬

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アメリカフウロといえば、

葉が独特なので、まずは見間違えなく同定できる。
花はほとんど目立たない。貧相なもので、相当改良しない限り
園芸種にはなれない。
でも葉が好きで栽培する人があっても不思議ではない。
オトメフウロというものもあるようだが、
それを紹介しているブログでは、花はアメリカフウロよりもっと小さいと解説されている。

↑昨日得た画像
↓今日得た画像


昨日見たもの↓は、葉の印象は同じように見えるが、↑のものとの比較では
星形ではない。
なにより花が色をもっていて、かわいい。
猫缶さんがいうように、かなりきれいな花を紹介しているネット画像も存在する。

ウィキペディアが紹介している2007年5月会津市で撮影した画像。
アメリカフウロ

それでも葉の形、花の色は違う。


私が見たものと同じような葉をしたものをアメリカフウロとして紹介しているブログもある。

その画像。


たぶん、種類分けしなければならないものかも。
あるいはたんぽぽみたいに変種が多数発生するのかも。


これは不明と書いた草

猫缶さん、これはイヌガラシではないでしょうか?



もう1件クワガタソウらしきもの。自信ない。

水円さんご管理のスレッドへ、久しぶりに投稿。
クワガタソウであるとのお墨付きをもらいました。



ところで今日の夕刊の園芸欄

昨日私が書きつけたのと同じ野草をスケッチ付きで紹介なさっている。
ハハコグサは、昨日の観察では、私は確認できなかった。
あと2つ、タネヅケバナとキュウリグサは、私、名前は知っていたが、
同定できない草で、よって私の視野に入っていても見過ごす可能性100%

そのうちのキュウリグサ。

これかなあ?
ならば



これもキュウリグサの可能性はありそう。
猫缶さんに指摘していただき、水丸さんにお墨付きもらった後なのだが、
上2枚の画像はキュウリグサでないというご指摘、何方か可能でしょうか?



アリッサム積分すれば大手毬

今日か明日美作方面へ出かけられる方がおられるので
ノースビレッジの大手毬群落鑑賞を
推奨しようと思っていたら出来上がった句↑

大手毬小手毬手毬ほろぶとも 矢島渚男

大手毬抱きたいほどの花滂沱 瀧井孝作

あけぼのや白まさりくる大手毬 永井龍男


歯科ほか二科巡回通院大手毬

コデマリの画像


本日も午前の診察時間終了間際の11時45分に診察券を窓口へ差出し

待合室に居る待機者の数を見て
そのまま医院の外へ出て
名残の八重桜を見学へ


普賢象

太陽はほぼ真上から射しているが、レンズを向けると暗い感じになる。
車道へ出て(車はほとんど通らない、白線の中央分離帯がある2車線道路)
角度を変えて撮影。

冬桜は↓のような感じだが、葉が小さく、薄いのでさわやかな感じ。

いまなお見ごたえあるのは、楊貴妃と松月

楊貴妃

樹は小さいが、楊貴妃だけが5本並んでいる。

たぶん、私に触発されて、スマホのカメラを取り出す人がかならずいる。

松月

背後に冬桜

葉桜の多くは関山(せきやま でも かんざん どちらに読んでもいいみたい)

相変わらず建築物の用途の部分が隠されている。いよいよ怪しい!

ここでまで来たら12時を回っている。
すでに門前は「午前中の診察終了」の札へ変わっているはず。
医院へ引き返す。

サポナリアや帝王貝細工などつぎつぎに芽吹いてくる。
ベゴニアの挿し芽ともども、やはり園芸用土を補充せねばならいかと思う。
このさいプランターも形式・色統一のため更新しようかとも。


夜、ワイフに私のタブレット スマホに歩数計を入れてもらう。

屋内でも持ち歩けという暗示らしい。

今開くと、169歩、118メートル 時速3.7㎞、1分54秒と表示されている。
第1世代の携帯電話に内蔵のものより高級になっている。
無料アプリであることを確認の上、追加投入。
/




クワガタソウ

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問題なく、ジュウニヒトエだと思っていた。
ここでもセイヨウキランソウなるものが乱入しているらしい。


セイヨウキランソウの画像集から任意で頂いてきた画像↓

上2枚の画像が十二単で、3枚目の画像のセイヨウキランソウとは明らかに違う
なんて判断能力まったくなし。
見分け方いろいろ記述されているが、私、読解能力目下なし。
↑と同じ場所 25日撮影

富松川が公園の南を巡り、東へ流れ、さらにここでほぼ直角に
南へ曲がる。このあたりで洪水の折、水が溢れたので、護岸工事をした結果あまってしまったごく狭い土地がある。10坪もない。
・・・・


午後に予定があったが、キャンセルして
午前にロイヤルなるホームセンターで園芸用品(土・肥料・プランター)
大量購入。といっても計6000円。
半分の金額はプランター10個の更新代金


車に乗せて緑化植物園の前あたりを通ると大木の桐が見え
花が咲き始めていた。

その桐とは実は無関係なれど、

アリッサム積分すれば大手毬

なる句を解説せよという注文が入り、
書きかけると

桐一葉落ちて天下の秋を知る

を引用したくなり、表記を確認するために
例の「俳句検索」を検索。
「桐一葉」で秋の季語になっているのを確認。

肝心の句は出てこない。

桐一葉下総に水ゆきわたり 黛 執

桐一葉水中の日のゆらめきぬ 豊長みのる

頓首と書き雅兄と書けば桐一葉 高柳重信

桐一葉門川は夕兆しつつ 斎藤梅子



とし~や井桁の上に桐一葉 鈴木花蓑

桐一葉大阪城の石垣に 芦川 巣洲



着替えれば嵩高に落つ桐一葉 平井久美子

桐一葉影よりも音残しけり 鷲谷七菜子

桐一葉遥かの父でありしかな 坂井三輪

桐一葉落ちて天地液状なり 大口元通

指揮棒の真綿ぐるみや桐一葉 波多野爽波 『一筆』以後

桐一葉電柱きはやかに夜空 波多野爽波 『湯呑』

夜の湖の暗きを流れ桐一葉 波多野爽波 『湯呑』

しばらくはこらへてゐしが桐一葉 長谷川双魚 『ひとつとや』

桐一葉雨の洗ひし石の上 藤本朋子

桐一葉ひとつのいのちらしきもの 中島敏之

心にも落つる音して桐一葉 佐々木早月

静かなる午前を了へぬ桐一葉 加藤楸邨

桐一葉空みれば空はるかなり 久保田万太郎

桐一葉うちはの如く拾ひあぐ 赤松子



我宿の淋しさおもへ桐一葉 芭 蕉

桐一葉穴ぶつぶつとあいてをり 菱科光順

傘の柄のあまりに細し桐一葉 篠原俊博

桐一葉大坂城を想ひ出す 村野秋果

別離とは刻かけ癒えむ桐一葉 高橋良子

桐一葉麹の匂う蔵屋敷 下沢とも子

桐一葉馬屋あり馬顔だせり 片岡紫々夫



桐一葉看とり帰りの足に舞ふ 増田 富子

桐一葉源氏ゆかりの薬医門 的場敏子

夜の湖の暗きを流れ桐一葉 波多野爽波





人ごゑにかたちくだけて桐一葉 魚目

夜の湖の暗きを流れ桐一葉 爽波



桐一葉いまだ梢の葉なりけり 静塔

夏痩の骨にひゞくや桐一葉 子規

音すなり筧の口の桐一葉 白雄



桐一葉落ちて黄土に還りけり 稲畑廣太郎

桐一葉谷の静寂を深めけり 稲畑汀子

桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜虚子

年尾の句があれば四代そろい踏みになる。



旅にゐし昨日ははるか桐一葉 上田日差子

非常ベル寺にもありて桐一葉 皆吉司

桐一葉入江かはらず寺はなく 田中裕明 花間一壺

桐一葉月光噎ぶごとくなり 飯田蛇笏

幼児の持つておもたき桐一葉 川崎展宏



月明や落ちてひさしき桐一葉 金尾梅の門

何もかも見ゆる月夜や桐一葉 岸本尚毅

ひびきけり彼の人の持つ桐一葉 小檜山繁子



桐一葉晶子殺すに刃物はいらぬ 高澤晶子

水底の影も流れて桐一葉 小原啄葉



尾を曳きし鐘の音と散る桐一葉 源鬼彦

桐一葉月光むせぶごとくなり 飯田蛇笏

桐一葉猿も夕日を惜しみけり 村山古郷

幼児の持つておもたき桐一葉 川崎展宏

晩節と言ふ語重たし桐一葉 冨田みのる

桐一葉言ひ足らざるに兄逝けり 影島智子

桐一葉遠くのものの見えはじむ 八牧美喜子

桐一葉白痴が牛をひいてゆく 大串章

月明や落ちてひさしき桐一葉 金尾梅の門(1900-80)

三日月の鎌や触れけん桐一葉 高田蝶衣(1886-1930)

桐一葉落ちて心に横たはる 渡辺白泉(1913-69)

桐一葉日当りながら落ちにけり 高浜虚子(1874-1959)

桐一葉日当りながら落ちにけり 高濱虚子

檻房や格子に落る桐一葉 寺田寅彦

西向の解剖室や桐一葉 寺田寅彦

白塗の門番小屋や桐一葉 寺田寅彦

そぎ竹のしのび返しや桐一葉 寺田寅彦

普請場や足場の上に桐一葉 寺田寅彦

檻房の窓に落ちけり桐一葉 寺田寅彦

普請場や竹の矢来に桐一葉 寺田寅彦

線香を干した所へ桐一葉 芥川龍之介 蕩々帖〔その二〕

客人として濡縁の桐一葉 手塚美佐

桐一葉太平洋を真近にす 佐川広治

桐一葉薬の量を増やす日に 朝倉和江

廓跡ありし入江や桐一葉 山本洋子

薬師湯と名のみのこりし桐一葉 山本洋子

桐一葉落ちたり名物男の死 久保田万太郎 流寓抄以後



人去て行灯きえて桐一葉 一茶 ■享和三年癸亥(四十一歳)



桐一葉空みれば空はるかなり 久保田万太郎 流寓抄

着流しでふらりと来たり桐一葉 久保田万太郎 流寓抄

褌の竿を落ちけり桐一葉 黒柳召波 春泥句集

桐一葉われに向つて影投げつ 中村汀女

桐一葉板の間住みに拾ひ来て 中村草田男

地を打つに革の音して桐一葉 松瀬青々

桐一葉あたかも落つる虚子山廬 山口青邨

桐一葉すとんと落ちてこちら向く 中戸川朝人

桐一葉落ちて心に横たはる 渡辺白泉


99句「検出」とあるものから重複を除くと上記のとおり。

ネット上の故事ことわざ辞典の解説

桐一葉

【読み】きりひとは
【意味】桐一葉とは、桐が一葉落ちるのを見て、秋の訪れを知ること。転じて、物事の一端から全体の動きを知ることのたとえ。また、物事の衰退していく前兆を感じることのたとえ。

【桐一葉の解説】

【注釈】青桐は他の木に比べて早く葉が落ちるため、それにより秋の訪れを感じることができる。
「桐の一葉」ともいう。
【出典】
【注意】
【類義】一葉落ちて天下の秋を知る/桐一葉落ちて天下の秋を知る/霜を履みて堅氷至る/瓶中の氷を見て天下の寒きを知る
【対義】
【英語】A straw show which way the wind blows.(一本の麦わらを見れば風向きがわかる)
【用例】「些細な動きも見逃すな、桐一葉だ」


桐一葉ではないが、鉢植えのアリッサムを見て(岡山ファーマーズ・マーケットの)大手毬の群落を思い浮かべた、というのが句意といえば句意。

「積分」なんて俳句になじみにくい言葉を敢えて持ち込むところに
作者の工夫(限界?)がある。


・・
クワガタソウ

猫缶さんの「花弁4枚」を頼りに、クワガタソウの確認へ。午後庄下川沿いへ。

確かに花びらは5枚ではない。4枚に見える。
上の3枚はひっついているような感じ。下1枚は確かに独立している。

群生している場所もある。

房状に咲いているようにみえるものもある。

Ⅰ昨日川辺で見た植物40余種確認と書いたが、
さらに10種位追加できる。

ハハコクサを見つけた。ちっちゃいけど。(明らかにチチコクサではない)

マツバウンラン

もうちょっとましな画像 (これは川岸ではなく線路沿い)↓

ムラサキケマン

ミント

ミントはあちらこちらで群落を形成している。

ヘクソカズラ(ヤイトバナ)

まだ若芽だと、ヘクソカズラとベニバナユウゲショウとミゾソバはよく似ている。

タンポポも書き洩らしている。スミレも(画像省略)

撮影日時が左側に表示されているものは、石垣を覗きこんだりして写したものを回転させているからである。

以上7種だが、他にも、栴檀やネズミモチの若芽も水の触れる川岸で芽吹いている。
それとツメクサ(爪草)が遊歩道の端っこに普通に生えている。

↓これセンダンですよねえ。


以上で10種追加であるが、

他にも名を知りたいものがいくつかある。

花をきれいに咲かせているのは1株だけだったが結構群落を形成している

猫缶さんばかり指名してご迷惑ですが、この花の名を教えて。


れと私、スイバとギシギシの区別がつかない。金褐色の実(花)を付けてスイバよりやや細身の姿をしてスイバと並んでいると分かる(ような気もする)が、今の季節ではやたら大株のスイバと株が小さめのものがあることくらいしか気づかない。

セイタカアワダチソウも40数種の中には書き上げていないので、
目下の私は川辺の植物50種位は見分けがつくようになっている気配。

1年前、2年前に比較すると「驚くべき」進歩である。

↑この花も猫缶さんに教えてもらった記憶あるも忘却。

ツタバウンランの花に似ている。

そういえば、「健忘症」の「健」の字、すこやかに忘れるとはどういうことかとふと気になって、ネットで学習。
「健康」の「健」=健やかで康かというより、「大変」「康か」ということで
「健」はveryのニュアンスで解釈すべしとのこと。

健忘症とはドワスレ症状のことらしい。あるいは即忘症といった方が
意味が分かりやすいかも。

追加:モッコウバラのシーズン


↑これが普通の姿なれど
きれいに刈り込んでおられるのを家の近くで発見↓


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