冬桜
河津桜
富松川の上流、市境を越えたところにある公園
雨あがりの西日がまぶしい。
夕刻5時を回っているが、もうセーターを着ている人はいない。
全部で10本程度。
木は若い。
少し葉が出てきたものもあるが、今が見ごろ。
学校が短縮授業になっているのか、中学生程度の子があちこちで球技に興じている。
樹の枝にのっかている女の子も多い。
_鳥らいそいそ河津桜の原木へ ぱらりとせ
「河津桜」でも1句位は、と思って検索。文字通り1句登場。
「白蓮」では、
_
白蓮や浄土にものを探す風 中村草田男
鬼貫
伊丹城
伊丹城に関するウィキペディアの解説
伊丹城(いたみじょう)は、有岡城、在岡城(ありおかじょう)ともいう兵庫県伊丹市にある日本の城跡。国の史跡に指定されている。
しかし、天正2年11月5日(1574年11月18日)、荒木村重によって攻め落とされ、のちに伊丹氏の伊丹城を大改修し、有岡城に改称した。
荒木村重は後に謀反を起こし、有岡城は織田信長に攻められて落城することになる。
大坂城や江戸城などにもあった惣構えの最古(2005年現在)の遺構が発掘された。城の東側を流れる伊丹川との間は崖になっており、さらにその東側には駄六川と猪名川が流れており、これらの河川が天然の要害となっていた。
伊丹城・有岡城の略史
- 南北朝時代:伊丹氏により築城。伊丹城と称する。
- 天正2年(1574年):荒木村重が城を落として大改修。ついで、有岡城と改称。
- 天正7年(1579年):村重謀反により織田軍に攻められ落城。
- 天正8年(1580年):池田之助が城主になる。
- 天正11年(1583年):之助が美濃に転封されることにより、廃城。
- 明治26年(1891年):鉄道敷設の為、当城東側破壊。
- 昭和50年(1975年):発掘調査開始。
その後史跡公園として整備され、現在に至る。
- 黒田如水は当城内にあった牢内に幽閉されていた時期があった。
- 信長に反旗を翻し城に籠もっていた城主の村重は、家宝の茶壺(銘:兵庫)を背負い、名鼓「立桐筒」を腰に結わえ、少数の家臣と共に尼崎城に移ったという。逃亡という説もあるが、その後有岡城が直ぐに落城しなかったところから、同盟を結んでいた毛利と連絡を図るためとの説がある。残された家臣は堅城を恃みによく戦ったがついには内応により落城する。
- 猪名野神社の紋章は村重を従えていた織田家の家紋(織田木瓜)である。
- 城跡南東には「荒村寺」と言う村重の由来を感じさせる寺があり、伊丹城・有岡城で亡くなった人達の慰霊碑がある。
- 城跡南西には「墨染寺」と言う寺があり、謀反後に処刑された荒木家由来の人々の墓がある。
所在地
- 本丸跡
- 兵庫県伊丹市伊丹2丁目(JR伊丹駅西側。有岡公園内)
- 岸の砦跡(北曲輪の跡)
- 兵庫県伊丹市宮ノ前3-6-1(猪名野神社境内西側)
など。その他市内各地に遺構がある。
以上。
20日に運転免許更新のため、阪神更新センターへ。
行きはJR塚口駅から2駅。下車後徒歩1,2分のところにセンターがある。
到着時刻11時5分。午前の受付は11時まで。
仕方ないので、伊丹郷町をぶらぶらぬけて阪急電車伊丹駅から乗車、一度帰宅。
午後もう一度引き返し、更新手続きは20分以内で完了。
有岡城城周辺をもう一度歩く。
_平地に建つ城は平城。伊丹城は天主台を持つ日本最初の城であったことを上掲のウィキペディアの解説で知る。
その他のことは、有岡城周辺に立っている解説板で学習済み。
というよりそれを読むのも初めてではない。
黒田さんにあやかったものが新たに設置されているのは、今回、
現地を歩いて気付いた。
黒染寺に荒木家ゆかりの人々の墓があるのは、今、ウィキペディアの解説を読んで知った。残ねん、昨日寺を訪れた時には、鬼貫の墓を確認することしか念頭になかった。
小学校(伊丹南小学校)へ通っていた時に、級友に荒木君というのがいた。
城あとの一画のような長屋風のしかしパティオ(コート)が広い家に住んでいた。野菜なんかを栽培していた
のが記憶に残っているが、村重さんの一族の後裔かどうかは知らない。
周囲の風景は当時とまったく変わっているために訪ねた家がどのあたりにあったかも
思い出せない。
↑の画像の撮影時刻は11:07となっている。免許更新センター入り口の「午前の受付終了」
の立札見て数分後にはこの地点に立っている。
この石垣の左手
内堀の跡か?
城の東側は、広い駅前道路と、JR伊丹駅の駅舎であり、そのまた東は大きなイオンモールである。たぶん天守閣は道路ないし駅舎を含む区域にあったのであろう。
井戸跡は2か所残ってる。
よって建物は炊事関係あるいは食料貯蔵庫であったかも。
東側(大阪側)の展望できるところからズーム撮影。
手前が伊丹駅駅舎で、その向こうがイオンモール。
イオンの向こうは猪名川である。猪名川の対岸も伊丹市であるが、すぐに
大阪府域に入る。
史跡の場所から西へ向かう道は全面タイル舗道になっている。
↑小西酒造の長寿蔵。その昔、阪急電車神戸線の駅のベンチにはすべて小西酒造の
ロゴが入っていた。「山は富士、酒は白雪」というフレーズは小学生でも知っていた。
父親は一年に数回は大量の白雪の酒粕を持ち帰っていた。私はその匂いが好きではなかった。
小西酒造の向かい側は老松酒造である。
老松の「名物」?は井戸水である。
いつみても行列ができている。
「伊丹」で検索したら、計681句と出てきたが、伊丹公子、伊丹三樹彦、伊丹さち子の句が
ずらずらと出てくる。
伊丹風の一句作らばや今年酒 岡野知十
燕や酒蔵つづく灘伊丹 正岡子規
初雪やならぶ伊丹のかはら葺 朱廸 十 月 月別句集「韻塞」
中春
言葉を変えて言えば、歳時記上の(早)春はまだ冬、しかも厳冬と思っていた。感じていた。
雪国の人には理解不可能であろうが、
関西平野部(京都ではない)では、温かい年だと公孫樹は年末まで葉を落とさない。
新年の季語が1月15日過ぎまで「有効」ならば、冬は新暦の1月下旬から2月いっぱいが実感であった。啓蟄から春分の日くらいまでが早春ならば、今年の場合は先週あたりから中春になっている。
中春風物 家の近くの風景
我が家の庭でも
開花報が南の方から届き始めたが
ご近所では
ソメイヨシノも数日中に花開きそう。
本日句会出席
席題は「だからこそ(の)」
5句 出句
爆買いの客の早口心太
春だからこその喪服を脱ぐまいぞ
喪が明けてだからこその春日傘
殺戮を裁ける国なし春彼岸
TPOで選ぶジャンパー梅三分
「爆買い」、誰が言い出したのか、今では全国紙でも「 」なしで使っている。
中国の「国会」でも問題になっているよう。
爆買い禁止令が出るかも。
あるいは日本の炊飯器の持ち込みは一人一個限りといった制限令が。
「爆買い」は本年の流行語ベストスリーの仲間入りをするであろう。
そして来年はこの現象がなくなっているかも。
ほとんどすべての国が、国内戦においてか、対外戦においてか、
大量虐殺の加害者になっている。虐殺者を英雄扱いした歴史を持っている。
信長も秀吉も家康も・・・。
6句選
差し水のパスタ春雷の一弾指
燕来るべんがら格子の空き家にも
優先席の背中の窪み目借時
会場を出ての春風エスプレッソ
春の雪舞う空からの文という
無菌室のごとき眼鏡屋春の塵
帰省
私も小学生の頃は、休みがあれば、美作へ帰省していた。
神戸三宮駅から蒸気機関車に引っ張られた2等車に乗って煤煙まみれになって
美作江見で下車。列車は満員であった。
17時06分着、同9分発ののぞみ41号の発車案内が一番上になっている時間に
何とか間に合う。阪急電車の梅田行きを1台乗り過ごしたため。
かつおだしのいい匂いがするが立ち寄る暇なし。というより、迎えた後そのままルクア10階ダイニング・コーナーで食事の予定になっている。
のぞみ41号入線。いつもは新大阪終着列車で来るので、列車待ちの人がいないホームで
出迎えるが、本日は博多行きのため待ち客で混雑。
下車の瞬間の画像は、前に他の人が立ちはだかってしまったので、2枚目
母親と背が違わなくなっている。
小学生の間にじ~じを追い抜くはずが、わずかに及ばなかったよう。
JRと新幹線の乗り換え改札口で、6歳児母子と合流。
新設のホームはエスカレーターなどが増えている。
大阪駅3階改札口を出て時空(とき)の広場経由、ルクア10階へ
エスカレーター上から見たときの広場
この広場で催しがない限り、通路としての利用客は少ない。
10階部分の庭園風景。
前方左側が西。逆光になっている。
樹が梅(唐梅)からしだれ桜に代わっている気配。よってまだつぼみ。
5月上旬から3月上旬へ
気温が逆戻りで寒い
長女と次女が見つけた店でば~ばと合流。
珍しく6歳児食欲なく、じ~じはパスタ1人前半とデザートのソフトクリームを2人前。
食後もまた10階、11階の庭園部分へ
大阪駅2階部分の床の「ぬり絵」
二人が寝たところでブログ作成開始。
あす以降30日までの行動日程がカレンダーにぎっしり書き込まれた。
朝のベランダ
花大根と購入後2年目のシクラメン
背後には日干し中の蒲団が写っている
ヒマラヤユキノシタ
家の近くにある女子大の本部棟前の植え込みのグランドカバーは
ヒマラヤ雪の下。今が見ごろである。
名の通りヒマラヤ山脈が原産地である。
日陰でも育つためか家の近くでも数株植えならよく見かける。
とはいえ、ヒマラヤユキノシタでは長すぎて俳句にはそのままは持ち込みにくい
「雪の下」で検索。他の表示もあるかも。
今日みたその他の花
ミモザは、ここの家のものしか今年はまだ見ていない。他にも覗き見できるものはあるが
樹が若く貧弱な枝しか持っていないので、レンズを向ける気が起こらない。
ユキヤナギは、満開のものはまだ少ないが、ここ数日が見ごろであろう。
背後の建物は女子高。寒かったがどの公園にも子供たちがいっぱい。
子供は走り回りママたちは陽だまりで「情報交換」会。(井戸端会議ともいう)
レンギョ
これは花時(見ごろ)が短い。すぐに緑の葉が出てくる。
スイセン
クリサンセサム・ムルチコーレ
冬桜通りでは、「有明」が満開
江戸彼岸はまだ3分だが小彼岸は満開に
.↑寒桜 その向こうが小彼岸
今日のお散歩は食パン二切れ(しか残ってなかった)付き。
寄ってくる寄ってくる。
川岸のソメイヨシノももう数日内
12歳児、もう来年はこのポース付き合ってくれないかも。
USJ
ディズニーランドなんて7音だし。
「ディズニー」これで表記が正しいのかどうか、ともかく検索結果、例句0.
「宝塚」で検索 「ファミリーランド」ではなかったが
まあ宝塚がいいとこである。すべて関西在住作家の句である。
USJもディズニーランドも例句なし。
私が今日所用あるとの事前通告により、6歳児は12歳児とUSJへ。
朝5時に起きて出かけたらしい。
夕刻6時に帰宅すると、4か所目の待ち時間が210分だったので、
諦めて帰宅したばかりの連中とほぼ同時であった。
で画像だけ提供を受けた。
空は澄んでいるが寒かったと思う。
他の画像は横向きになっていて、どういうわけか回転させると「鑑賞」は可能だが保存不可能となる。よって転載できない。
この植物の名前、以前誰かに尋ねて教えてもらったような気もするが忘れた。↓
だれかご教示を。
他には、姫踊子草、繁縷が見える。イネ科のものはわからない
これはスイバのはず。ギシギシではないはず。↑
スイバ、立金花、よもぎが見える。
スミレ。この菫は食べられるそうである。
朝桜・夕桜
イギリスから手書きの葉書が届いた。
切手に金額が表示されていないように思う。制度が変わったのであろうか?
「XT500」という数字が読めるが何を意味しているのか不明。
XT500で検索するとYAMAHA XT500 ばかりが項目として現れる。
universalmail United Kingdom という文字も切手に印刷されているので
この文字を入力検索。
どうやら10年以上前に、郵便が民営化され、国際郵便を扱う私企業が誕生したようで、
このシール(切手のいう概念もなくなったかも)を貼れば、全世界どこでも配達されるみたい。
見本の画像には、連合王国各国別のものが表示さrているがイングランドのものは
ビーフイーターが採用されている。しかし届いたはがきに張られているシールの画像は
Metropolitan Police 。
差出人はピーター・ガイスン。
もちろん無名の市井人である。
3ヶ月間ホームステイをして語学学校に通った。ロンドンから鉄道で1時間、バスで2時間ほどの
小さな町のベルスクールという名の「名門校」。
とはいっても未だに、この「Bell」の意味が分かっていない。
創設者の人名なのか、どうか?
ホームステイ先のランドレディの名はヴェラ・ガイスン。ヴァイオレットかなにかの略称かもしれないが、本人もVera と書いていた。
当時はガイスン夫人は同じ町にある私立女学校のロシア語の先生であった。
毎年生徒を連れてロシア旅行へ出かけるとともに、
夏にはロシアからの語学研修生を何人か世話していた。
その息子の名がピーター・ガイスン。
病後リハビリ中のピーターから私はクロケーを習った。家の庭がクロケーができる広さが
あったからである。200坪くらいの広さがあった。
(日本に帰ったら、「ゲートボール」の名で大はやりで驚いた。ゲートボールは基本的には
10人ひと組で遊んでいる。10球(20球?)が必要。クロケーは4球で2人ないし4人で遊ぶゲーム)
隅の畑で私はラディシュを植えて園芸を楽しんだ。
肥料を買ってやるといってガイスン夫人は、近所の牧場から牛糞20リットル入りの袋を
50袋位取り寄せて始末に困ったことも懐かしい思い出。
私がイギリスから帰国後、ピーターは外務省に職を得て日本課で仕事をしていた。その後ロシア担当に、さらに中国課へ移ったようである。
我が家にやってきたころは中国課にいて、中国語の名刺を持っていた。
残念ながらピーターガイスンにどの漢字を当てはめていたかは記憶していない。
毎年クリスマス前後にカードを送ってくれていたが、去年はそれがなかった。
どうしているかと思い、暮れに証券会社が箱入りで送ってきたカレンダーを開封せずに
宛名をピーター・ガイスンに変えて航空便で送った。
その謝礼が届いた。
A short note to say many thanks for the very nice Nihonga callendar - much appreciated.
どうやら送ったカレンダーの画像は、運よく日本画シリーズであったようだ。
実のところ外国のカレンダーは実用性に欠ける。祝日が違うから。
だから画像を楽しむだけである。
目下はエネルギー関係の省に勤務しているようである。1級障害者なので、
フルタイムの仕事を辞めて週3日勤務の仕事に移って近じかまた日本へまた来たいと書いてある。
今でも年に1,2度はスイスやイタリーで休暇を過ごしているようである。スイスには家族が住んでいると書いてあるが、妹一家のことかどうか。
本人も妹もオックスフォード大学の出身である。妹はオックスフォードの同級生と結婚して
私が住み込んでいた家の近くに住んでいた。ホンダの車を買って日本車はいいと自慢していた。
朝の散歩の出発時刻10時過ぎになる。
小学校を卒業したのに12歳児には春休みの宿題がある。
同じ修道会経営の小学校から中学校へ進学するのであるが、
一般入試を受けて中学校へ入ってくる生徒の方が学力が上なので
それに追いつくための事後(事前?)措置のようである。
最後はやはりここ。6歳児はいつもラムネ 私はチョコレート。12歳児はフロートのメニューを見ていたがじ~じに悪いからと言って同じシングル カップのカルピス。
午後はヴァイオリンの稽古日で6歳児は母親の迎えを受ける。
午後
母と娘
同じく母と娘
夕桜
5時前に6歳児舞い戻り。ヴァイオイリン担いで。母は改札口を出ないでお帰り。
6歳児が改札口を一人で出てもバーは反応しない。4月からは小人運賃がいるはずだが。
夕桜の方が例句多い
夜
すでにかなり眠むそう
庭
一分咲き
「二分咲き」「三分咲き」なら先例句があるかも。
新聞紙で洟かんでやる花二分咲 千代田葛彦
梅一分、二分と私は日本人 櫂未知子 貴族
花三分琴の覆ひをはづしけり 船越淑子
心には咲き満つ日あり梅三分 汀子
夜桜の三分は淋し身のほとり 立川華子
初雷や奥の桜の花三分 小澤碧童
花三分朝日まばらにありにけり 吉野義子
花三分吉野もふかき蟻通 能村登四郎 菊塵
などの句を見つけた。
今日の公園は一分咲き程度
でも土曜日故に、茣蓙が敷かれている。
昨日がちらほらだったから、開花は多分26日であろうか?
公園の前の空地(更地)に豪華な家が建った。
川面に伸びる桜枝はなかなか趣がある。
数日以内に満開の姿を披露できるはず。
散歩にでかける寸前に、
じ~じ!パン持って行きたい と言うので、
靴ひもをすでに結んでいたため、奥に声掛けると、
長女が3枚の食パンを運んできてくれた。
Ⅰ昨日は、2枚だったので、6歳児と12歳児に一枚ずつ手渡したが、
今日は、じ~じにも1枚配給あり。
歩きながら、川に着くまで待ちきれなくて、パンを手にした12歳児がパンを齧りだす。
歩きながら食べる食パンが結構うまいのに気づいたらしい。
各自半枚のパンを橋の上から鯉に向かって投げた後、
川べりの道に降りて、鴨にもやりたいと鴨が屯している方向へ歩きながら二人とも結構パンを自分の口へ入れている。
庄下川沿いの桜は、まだちらほらで、公園のに比べると1日遅れている感じ。
ディッパーダンでてからダイエーでたこ焼きの材料購入。
たこはコストコで買った一匹ものの1本が解凍中なので、
買ったものは
烏賊揚げ玉
こんにゃく
ちくわ
など。
それ以外にあす以降のために鯉・鴨用食パン。
イオンになって極めて安価な食パンが出ている(半斤91円)
午後になって6歳児のパパより夕食のご招待便が届く。
梅田の桜橋交差点にある店
外出中のワイフとは梅田の駅前(たいてい成城石井前を利用する)
で待ち合わせ。この時間帯に通勤客とは逆行する形で梅田駅前を
歩くのはあまりないので、珍しい。
店のある桜橋周辺は
あまり画像に撮ったことがないので、
待ち時間を利用して付近をうろうろ
有名店らしく、1時間以上店の外で待った。
店の前に屯しているのは、順番待ちの人。私たちの代表者は49番の札を渡されていた。
↑私は170グラム(注文できる最軽量単位)を注文。私は完食。
マッシュルームと温野菜付き。2種類が選択できる。
名物は↓
巨大オニオンを丸揚げしたもの。
7人がかりで食べきれなかった。
・
ハリーポッター
USJには、6歳児親子と12歳児親子の4人づれででかけた。
私は土産話を横で聞いてただけ。
12歳児に至っては、卒業式の翌日に同級生男女5人くらいだけでディズニーランドへも
出かけている。
私だって、小学校4年生の頃には、一人でバスに乗って、町に出かけ
映画館に一人で入場していた。ゲイリー・クーパーとジョン・ウェインの全盛期であったが
モーリン・オハラなどという女優の名も覚えている。
ジーナ・ロロブリジータ?などという名もかすかに覚えている。
月のお小遣いを定期的に定額もらっていた記憶はない。
お正月(大晦日から)には神戸の板宿へ出かけて
1週間くらい親せきの家に居候していた。
(その間にかなりのお年玉が手に入り、その金額で一年分の映画館入場料はまかなえたと思う。お返しなるものを母親が親戚に配っていた気配はない。)
父親の兄にあたる人がいたが、主に世話になったのは、
父方祖母の兄の娘さんだから、私の大伯母の娘さんだった。
美作の家を十八歳で「追い出された」伯父たちのまとめ役のような位置にあったのかどうか?
ここへ周辺の家から従兄妹たちが集まってくる。
トランプや将棋や花札や百人一首で遊んでいた。
そういえば新開地と呼ばれたところには、母方の伯父も店を持っていた。
以下の画像は三月二六日に撮影
買わなくてもいいらしいが、つい買いたくなるとか。
3300円
百味ビーンズ(every flavours beans)というものはハリーたちが列車の中でたべているものらしい。鼻くそ味というのをいただいた。
1800円
いずれも0が一つ多い感じがする。
中に入っても5時間くらいは行列に加わっているだけである。
10時半にレストランに入って昼食をしたとか。行列が短かっただけで幸運感が得られるらしい。
家から見える一番近い桜
朝から雨。
公園の桜は三分へ。日曜日で茣蓙敷く予定のグループには残念な雨。
花三分でも、ところどころで落花が固まっている
風によるものか?それとも雀によるものか?鵯か椋鳥によるものか?
あす以降の気温次第だが、今年の復活祭(4月5日)は、各地で満開の桜が楽しめるであろう。
美作行きは4月11日を予定しているが、八重桜を楽しめるかも。運が良ければ満開の桜にも。
午後雨がやんだので6歳児とおさんぽ
もちろん食パン持って。
富松川、東富松川、西富松川の3つの川が合流して庄下川となる、
3川合流地点にはかなりいびつな形をした橋がかかっている。
3つの川をまたいでいるので、出入り口が8つあり、4つは自転車を降りなくても
通行できるようになっている。
川の欄干から真下の鯉にパンをちぎって投げていると
パン屑目当てに橋上に雀が寄ってくる。
6歳児は鯉にパンを投げても、そのパンに鯉が飛びつくところを視認できない。
ちょっと無理をして橋の下を覗きこむ必要がある。
ところが雀の啄みは間近にみることができる。
途中から6歳児はもっぱら雀に餌を投げ始めた。
すぐに鳩が飛んできてそれを横取りする。
そこへ椋鳥も参加。
さらにおおきな鵯までが参加。
とうとう私も、鴨のために温存しておくべき分もすべて鳥たちに与えることになった。
「ハトに餌をやらないで」という注意書きをよく見かけるが、
6歳児が主人公故、橋上を通行する歩行者も自転車も
それを咎めることはなかった。
スズメやムクドリに餌をやるなという注意書きは読んだことはない。
鵜の姿は見なかった。鵜ほどに大きくなるとパン屑では不満であろう。
カラスも飛んでこなかった。
川岸の桜
昨日買ったパンは5枚切りだったので、まだ3枚残っている。
明日はまた12歳児も引き連れて出かけるであろう。
雨水ポンプ公園 街角の100坪公園である。
徒歩5分以内に小規模公園を、10分以内に中規模公園を、20分以内に大規模公園を
というのが市の目標であるらしい。(正確な表現は忘れたが)
私の家から見ると、徒歩5分以内では、道路沿いの植え込み花壇くらいしか思い当たらないが、徒歩3分のところにいつも紹介している公園がある。たぶん中規模公園の格付けであると思う。災害時避難場所に指定されているからひょっとすると大規模公園かも。
ここには砂場があり、ブランコがあり
滑り台やジャングルジムがあり、グランドゴルフができる広場があり、高い金網で囲まれた球技場があり、なにより30本ほどのシメイヨシノが植えられたグリーンがある。
20分歩くと緑化植物園があり、月1度は園内ガイドツアーが開催されている。
20分以内では、庄下川沿いの小規模・中規模公園を含めて10くらいの公園に出会う。
つい数年前まではこれほど多くの公園が近くにあることを知らなかった。
我が家の桜は完璧に葉桜
葉桜の豊かに例句また多し
葉桜の下で芽吹きを待つものも
↑季重なりか?
水仙を植えていたプランターはいつの間にかニラに変わっている
夜桜
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/4a/fde949017510f922d3a4d8281678fca9.jpg
↑キロロ邸に鯉幟が揚がった。
かつては珍しくもない風景であったかもしれないが、
今や広い広い美作市域でも10本くらいしかみられないかも。
該当軒数が100軒あったとしても
場所がない(マンション生活)
労働力不足などの理由により。
今日の朝桜 といっても12歳児の宿題があるので、出発は10時過ぎになる。
6歳児の方は公文式を数枚やって 2+1= 3+1= などの問題が1枚に10問位
印刷されている。(これは数日前のものだったので、今日あたりはもう少し「進化」しているかもしれない。「に~たすいちは、」と読み方も書かれている)
ヴァイオリンを3分ほど弾いて、後はスマホゲームをやっておとなしく待っている。
公園へ行く途中にポストへ寄り道したら、
いつも紹介しているミモザではない、若いミモザを見つけた。
月曜日ゆえにシートは一枚しか敷かれていない。
ピン留めに花びらを付けてもらった。
市立高校(いちあま)の西門へ通じる通学路↓
そこから西富松川沿いに、合流地点の橋へ
投げたパン切れはすぐに食べられてしまうが、↓画像では投げたパン切れがまだ水面に
浮かんでいる。間近の鯉に死角であったらしく、他の鯉に奪われる寸前をキャッチ(撮影)
水辺へ降りると、12歳児は鳩にストーカーされて逃げまくっていた、
いつもよりかなり多めのパンを持参したがたちまちに無くなってしまう。
岸辺の桜も咲き進んできたが、公園のものよりは1日遅れている。
ふしぎな花を「発見」。桃に見えるが、何だろう?
枯れ木に造花を括りつけたみたいな感じ。
猫缶さん分かる?
で最後はいつもの席で
春休み中だし、お昼時で、店はかなり混んでいる
昼食後 6歳児に手伝わせて種まき。
夕食は最後の晩餐ということで和食。
筑前煮とか小松菜と薄揚げの煮物とか小芋の煮っ転がしとか、
12歳児は和食好きらしくご機嫌。
他方、さっさと夕食切り上げて自分用の皿などをまとめて流しへ運んだ6歳児は
黙々とケースを開けて楽器を取り出しお稽古
12歳児の食後を待って、3人で公園へ夜桜見物へ。
ひと組の家族がひっそりとランプを灯して食事中。そこへ「乱入」した2人は、公園を10周するくらい走り回っていた。
どういうわけか防犯パトロール隊が7,8人屯していたが
何周目かに、12歳児が私に寄ってきて、「元気だねえ」と声掛けられたと報告。
ば~ばも駆けつけて
家に戻って、留守番中の12歳児の母親を無理やり連れ出し、もう一度公園へ。
朝桜 昼桜 夜桜
日がさんさん昼桜てふことば欲し 藤岡筑邨
最後の朝飯
乗車する新幹線が新大阪駅13:30発に合わせて10時半帰宅を目指す。
公園のブランコ等を省略してコースを決めたので、
まずはひとりで朝桜へ。8時半より前にすでに一枚シート予約が敷かれている。
今年の桜は咲き始めから満開までの時間が短かった。ちらほらから3日後には見ごろ
になっていた。
昨日・今日・明日が満開かも。
去年はその頃に急激に冷え込み、満開が1週間以上続いたが。
更地だったところに敷地いっぱいに家が建った。そこを曲がって線路沿いに歩き、南へ
渡られる踏切を目指す。
この家の前は
豪華なガレージが家と一体化している。
ガレージの横にさらにもう一台駐車できる。今朝はオペルが止まっていた。
道端のすみれも今が盛りである。
パンは遂に封を切らないまま持参。6枚を投げまくる。
生活排水と工場排水で黒く淀み、あぶくを吹いていた川の浄化に乗り出した何代か前の
市長さんは、今の庄下川を見ることができれば改めて感涙にむせぐであろう。
功績を讃える碑の1柱も欲しいところである。
私自身、こんな川がこんなに近いところにあるのを知ったのはほんの数年前である。
川を逸れて駅前のディッパーダンを目指すも、一筋道を違えると、
次々に祠がみつかり、小規模公園に出会う
10時15分にデイッパーダン到着。予定より10分遅れて帰宅。
この店クレープの売り上げでは日本一らしい。
園芸上の発見:この草はカラシ菜のようである。
花が咲いているのを見つけた
帰宅するとすでに出発用意が整っている。
例によって宅配便用の大きな段ボール箱が玄関先に置かれ、記入済み用紙と千円札が
2枚のっている。
JR尼崎駅の傍で昼食。6歳児と12歳児は海鮮丼セット。ともに完食。
新快速なら2駅目が新大阪駅
新装なった駅の待合室。新大阪駅は待合客用の椅子が少ないことで有名であったが
新装なった部分の多くは土産物屋になっている。12歳児の母はお土産を買い足しにおでかけ。
ここで12歳児の見送りと6歳児の引き取りのために次女が登場。
新大阪始発ではないのぞみ号のため車外から見送り。
このあたりで12歳児は泣き始めるが、後からのメール報告では今回は涙なし。
代わりに6歳児の方が泣き出した。
一人になって私はJR「さくら夙川」へ
まずはトキワマンサク
夙川の桜で、JR駅と阪急の駅との間で最も見事なのが、川にせり出したこの桜
バーベキューと屋台が全面禁止になり、かなり人の行き来が楽になった。
「西宮市生まれ」の桜↑
午後9時 公園の夜桜。
声掛けた二人組の男性の方はアフリカ系の人だった。
他にもうひと組、4,5人づれ。計二組がシートを敷いていた。
.
花の雨
エイプリールフールのこれこそまこと君の婚
桂信子さんが贈ってくれた色紙の句である。
長女が昨日、別れ際に、一緒にお食事でもどうぞと言って妻になにがしか包んで渡してくれたので京都の花でも見ながら食事と思ったがあいにくの「花の雨」。
午後7時過ぎに帰宅の息子が花束を買ってきてくれた。
その花束を卓上に飾って・・
それから食事の準備
この段階ではまだ花束は未登場。
花束の背後には、東京芸大(当時の名称はこれではなかった)1期生である妻の祖父が描いた油絵が見える。食卓の後ろには祖父が曾祖父を描いた絵のコピーが飾ってある。実物が山形県の美術館に展示された時の案内パンフの表紙である。
ささやかな祝賀会といったら、ブログのチェックをしている長女が
怒るかも。花束以外は、すべて長女からの祝賀金で賄われているらしいので。
それにしても息子は物入りである。父親の誕生日祝い、6歳児の卒園祝い、12歳児の卒業祝い、両親の結婚記念日と出費がつづく。
それ以外にも友人の出産祝いの支出もあったとか。
午後雨が止んだのを見計らって公園へ。
さすがに公園は散策する人さえいなかった。
砂場にも、球技場にも、花の下にも、滑り台にも人影なし。
「花の雨」で検索したら、「俳句検索」「続俳句検索」どちらでも100句以上登場。現代俳句協会のデータベースでは
「季語」欄に「花の雨」と記入して検索したら、
たった1句、それも高浜虚子の句が登場。
そんなはずはなかろうと、
「上5(完全一致)」欄に「花の雨」と記入して検索したら
花の雨ガス管に家つながれて | 前川弘明 |
花の雨夢に泣きしは云はざりき | 吉岡好江 |
そうではなかった。
下5(完全一致) 欄で、「花の雨」を記入・検索
おもひ川渡れば叉も花の雨 | 高浜虚子 |
くちびるにひとつぶうるむ花の雨 | 三村武子 |
やまんばのごきげんななめ花の雨 | 中村真知子 |
丹念に仏具をみがく 花の雨 | 佐野二三子 |
倦怠のとぐろを巻いて花の雨 | 下谷修 |
思ふたび昨日遠のく花の雨 | 印南耀子 |
枯山水うるほしゆくや花の雨 | 柘植英二 |
訪う時も訪わるる時も花の雨 | 古川喜代子 |
鎖骨よりのびる首すじ花の雨 | 中田美子 |
高浜虚子の句がここでも登場。
佐野二三子さんの句は、「花の雨」の前が一字空欄(字間明け)になっている。
この作者が青玄の同人であったことを示している。
ついでだから「キーワード」検索欄もあるので、そこに「花の雨」を記入したら
上記以外にもう2句、「余花の雨」の句が追加されて登場。
やまんばのごきげんななめ花の雨 | 中村真知子 |
丹念に仏具をみがく 花の雨 | 佐野二三子 |
余花の雨かの人に会うためほしい | 米沢幸子 |
倦怠のとぐろを巻いて花の雨 | 下谷修 |
思ふたび昨日遠のく花の雨 | 印南耀子 |
枯山水うるほしゆくや花の雨 | 柘植英二 |
締切りに追はるる投句余花の雨 | 井上匡 |
縫いやめて花の雨なる音をきく | 石本志明 |
花の雨ガス管に家つながれて | 前川弘明 |
花の雨夢に泣きしは云はざりき | 吉岡好江 |
花の雨寺域神域おごそかに | 野﨑高子 |
訪う時も訪わるる時も花の雨 | 古川喜代子 |
鎖骨よりのびる首すじ花の雨 | 中田美子 |
枝垂れ桜
TOKK(阪急沿線情報紙)4月1日号(24ページ建て)の特集は
「Sakura Spot] 表紙画像は、夙川駅を出る阪急電車と桜
神戸線エリア、大阪エリア、京都線エリア、宝塚エリアに分けて、スポットを紹介。
桜の季節に訪れたところも多いが、未だ行っていないところも多い。
円山公園枝垂れ桜
収録した画像160枚 久しぶりの数字。
午後4時過ぎ しだれざくらの周りを1周。
ここで一休み。
5時過ぎからもう1周半
「祇園の夜桜」はこれからが本番である。
日没以後にかがり火が焚かれる。
八坂神社の前を降りて行く人、夜桜見物のために上がってくる人、大混雑である。
四条河原町まで人波がつづく。
明日は午後から会合があり、天候もよくないという予報。
明日からは神戸の王子動物園で、夜桜通り抜けが始まる、
・
賀茂川
鴨川、賀茂川、加茂川どの表記も間違いとは言えない。
江戸時代の俳人は「鴨川」表記のようである。
現代地図では、画像で紹介している部分は、鴨川である。
4月2日 加茂川沿い
川の西側から東岸を見ている
川端通りの方から対岸の東菜飯店を見ている
高瀬川
加茂川はウィキペディアによれば、全国で20か所以上で流れている川名ないし地名である。
しかし京都市内を流れる加茂川は、20の中に含まれていない。
改めて「賀茂川」で検索すると、
「京都府内を流れる一級河川・淀川水系鴨川の高野川合流地点より上流部における名称。」となっている。
鴨川の上流部分が賀茂川だそうである。
この解説では、「加茂川」表記は間違いということになる。
グーグルの地図を見ると、確かに四条大橋あたりの部分では、鴨川と表記され、「出町柳」
の部分で、西から加茂川が流れてきて、高野川と合流する。
しかしその付近には、「加茂川荘」を名乗る施設もあるのもまた事実。
他方、高瀬川の方は、グーグルの地図で、鴨川が画面上で5センチ幅になるほどに
拡大しても川名の記入が見当たらない。
高瀬川についてのウィキペディアの解説:
高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である[1]。 開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。 現在は鴨川において京都側と伏見側で分断されており、上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川、新高瀬川と呼ぶ。 京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。
阪急電車の河原町駅で、三条方面出口を出ると、南北どちらに出ても高瀬川沿い西側に出る。
午後6時過ぎ
南側 午後3時過ぎ
どの桜も満開。南側には八重桜(たぶん楊貴妃)が2,3本植えてあるが、
これはまだつぼみ状態。
15年ほど毎月1度会合に出席するために京都へ来ていた。
おおむね午後5時過ぎに開会で、終わってこの場所に戻ってくるのが午後8時過ぎであった。
よって桜の満開時の京都をしらないわけではないが、今回はまさに過不足なくぴったり満開時の京の桜を満喫した。
4月3日は雨
小ぶりになった時間帯にわが町の冬桜通りへ
関山は咲いている。楊貴妃はまだまだ。
↑冬桜 味わい深い風情↓
葉が出ている方が花が引き立つ。
・
高瀬川
正規版
加茂川はウィキペディアによれば、全国で20か所以上で流れている川名ないし地名である。
しかし京都市内を流れる加茂川は、20の中に含まれていない。
改めて「賀茂川」で検索すると、
「京都府内を流れる一級河川・淀川水系鴨川の高野川合流地点より上流部における名称。」となっている。
鴨川の上流部分が賀茂川だそうである。
この解説では、「加茂川」表記は間違いということになる。
グーグルの地図を見ると、確かに四条大橋あたりの部分では、鴨川と表記され、「出町柳」
の部分で、西から加茂川が流れてきて、高野川と合流する。
しかしその付近には、「加茂川荘」を名乗る施設もあるのもまた事実。
他方、高瀬川の方は、グーグルの地図で、鴨川が画面上で5センチ幅になるほどに
拡大しても川名の記入が見当たらない。
高瀬川についてのウィキペディアの解説:
高瀬川(たかせがわ)は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である[1]。 開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。 現在は鴨川において京都側と伏見側で分断されており、上流側を高瀬川、下流側を東高瀬川、新高瀬川と呼ぶ。 京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。
阪急電車の河原町駅で、三条方面出口を出ると、南北どちらに出ても高瀬川沿い西側に出る。
午後6時過ぎ
南側 午後3時過ぎ
どの桜も満開。南側には八重桜(たぶん楊貴妃)が2,3本植えてあるが、
これはまだつぼみ状態。
15年ほど毎月1度会合に出席するために京都へ来ていた。
おおむね午後5時過ぎに開会で、終わってこの場所に戻ってくるのが午後8時過ぎであった。
よって桜の満開時の京都をしらないわけではないが、今回はまさに過不足なくぴったり満開時の京の桜を満喫した。
4月3日は雨
午後、3月12日、13日開催の所属結社の2年に一度の大会開催の反省会をやるというので
急きょ、召集される。とはいえ会場へ使用料を払いに行ったのは私。
終了後、
小ぶりになった時間帯にわが町の冬桜通りへ
関山は咲いている。楊貴妃はまだまだ。
↑冬桜 味わい深い風情↓
葉が出ている方が花が引き立つ。
4月4日 本日もさくらさくらの一日
庄下川沿いの桜を、初めて回遊鑑賞。(往復で歩く岸を変えてみた。岸辺の遊歩道と土手上の
道路をも適当に変更)
驚いた。長年当地に住んでいて、これほど見事な桜が家の近傍に存在していることを知らなかった。ここ数年現在6歳と12歳の孫を連れて、夏、水遊びができるほどきれいになっている
庄下川の存在を確認するとともに、川渕に桜の古木が多いのに気づき、今年は花の盛りにぜひ見に来ようと思っていた。
画像が多数になるので、紹介は明日に。
近くの公園の花見の宴のみ紹介。
これは昼前後。
明日からは葉桜になるかも。
場所取りしている高齢のご婦人に声掛けたら、話しているうちに
私も、私の妻も、私の亡き母までよくご存じの方だった。
線路際に住んでおられて、前の空き地に家が建つというので急いで
購入して野菜畑にしている方らしいが、どうしてもお住まいの在り処が推定できない。
・
ムラサキケマン
猫缶さん これ、ムラサキケマンでしょうか?
さくら以外の植物もいろいろ写したが、
庄下川、満開の桜は、このブログでは初めての紹介。
家から公園までの徒歩2,3分の距離の真ん中あたりに「標高3.9メートル」の表示板がある。
そこを流れているのは富松川。かなり短い距離を大きく屈折しながら、阪急電車神戸線の下をくぐって、庄下川に合流する。
庄下川はうねうねと7キロ位流れて、閘門と排水ポンプを利用して、5メートル高い海面へ流れ出す。むりやり海へ向かう。
7000メートル流れて高低差は3.5メートル。7万分の35 7で割り切れる
1万分の5 5で割って、2000分の1 2キロ進んで勾配は1メートル。
よってもってあちこちに中継ポンプ場が必要となる。
そしてすべての屋上がテニスコートとして貸し出されている気配である。
このポンプ場の周りを桜時に1周するのは初めて。
ぐるりと桜が植えられている。
特に東側は八重桜が植えられている。
ウコンも咲き始めた。そういえば造幣局の通りぬけは9日からである。
この中継ポンプ場の南側は、同時に市立高校の西門へ通じる桜並木と一体化している。
そのまた南側を西から東へ西富松川が流れている。
ポンプ場はその水も管理しているのであろうか。
わが家の北側の6メートル道路の下には、直径6メートルの下水管が埋め込まれている。
それが完成して我が家も浄化装置が不要となった。
たぶん、その下水管は上のポンプ場で管理されているのであろう。中継ポンプ場とあるからには、集まってくる下水管の水位をあげるために
ここで1メートルくらい組み上げられて、(もう少し短いかも、)新たな高位置から流れ始める
下水管へつながってゆくのかどうか?
↑奥の方が西で、突き当りが高校の西門。左が西富松川。3川合流地点まであと500メートルもない。川幅は東富松川、富松川よりはるかに広く、誰が見ても川である。
しかし正式にはこの川は、「川」ではなく人工的水路である。排水路とか捷水路といった用語が用いられているが、西富松川という呼称も通用している。
この地点から西富松川沿いに西へ向かって200メートル歩くと3つの川の合流点、
庄下川の橋に出会う。
このあたりの桜は、芦屋川や夙川に負けない。尼崎市はどの場所で桜祭りを開催しているのか。マスコミも阪急電車広報部も、20年前の基準で桜の名所を紹介しているのではないかと思う。
川岸の遊歩道にシートを敷いて家族で花見。
そうやってもそれほど迷惑がかからないほど。市外からの花見客は皆無であろう。
近傍在住者であっても、敢えて近づこうと思わなかった腐川が見事に甦っている。
↓100メートルほど歩くと、女子大のテリトリーに出会う
庄下川はうねうねと蛇行してゆく。
山手幹線と呼ばれる広い道路を越えて行くと
対岸(東側)に八重桜が見える。その背後には創価学会の立派な建物があるので、
そこが寄付・管理ているのかも。
20本くらいだろぷか。木はまだ若い。
毛虫のシーズンには通りたくないような遊歩道。
だからこそ、その下の川面に鴨や鯉が集まってくる。
久々知川(昆陽川が庄下川と合流する地点)の土手沿いの桜を楽しみにして歩いたが
ここは八重桜が多く、まだ咲きはじめ状態であった。
↑庄下川へ合流する久々知川(昆陽川)
尾浜公園のしだれ桜