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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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でか!この盛り上がりは芸術だ   




パティシエに見せたき卵寒明ける


この卵はぽりちゃんのもの。 2月2日掲載

寒卵の例句は多い。俳句検索システムでは160句と表示された。

硝子戸に濤の攻め来る寒卵 鍵和田[ゆう]子

塗碗に割つて重しよ寒卵 石川桂郎

山の湯やすぐ売切れし寒卵 首藤勝二

はれやかに佐渡は近しや寒卵 黒田杏子

寒卵ころがりつつも触れゆけり 堤 白雨

野仏の空昏れいろに寒卵 久行保徳

大つぶの寒卵おく襤褸の上 飯田蛇笏

寒卵かゝらじとする輪島箸 前田普羅

もてなしの地獄に茹でし寒卵 内田 愛子

三輪山の神に供ふる寒卵 吉田 久子

単純がもっとも怖し寒卵 前田典子

眠れぬ夜は犇と総立ち寒卵 堺 信子

寒卵朝の翼の少女かな 上原勝子

はれやかに佐渡は近しや寒卵 黒田杏子

寒卵割り山彦の国を出る 市原光子

寒卵割れば仕ふる人欲しき 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

寒卵わが晩年も母が欲し 野澤節子 『花季』

朝はたれもしづかなこゑに寒卵 野澤節子 『未明音』

腹背に寒ありて先づ寒卵 齋藤玄 『無畔』

庭墟にて赤き瞳のある寒卵 石原八束 『幻生花』

寒卵掌にし没日の神讃ふ 石原八束 『秋風琴』

寒卵男ばかりが立志伝 仁平勝 東京物語

老犬とのつぺらぼうの寒卵 大木あまり 雲の塔

寒卵は尼の静けさ岬暮る 大木あまり 山の夢

大つぶの寒卵おく襤褸の上 飯田蛇笏

朝はたれもしづかなこゑに寒卵 野沢節子

硝子戸に濤の攻め来る寒卵 鍵和田[のり]子

寒卵割る脳天の割れし音 今瀬剛一

寒卵われを生みたるものに母 鷹羽狩行

親ひとり子ふたり三つ寒卵 満田春日

愛をもて割れば珠なす寒卵 山口波津女

寒卵薔薇色させる朝ありぬ 石田波郷

寒卵売る前掛に包み来て 松本 旭

手にとればほのとぬくしや寒卵 高浜虚子

籠青し翳かさねたる寒卵 草間時彦

寒卵二つ置きたり相寄らず 細見稜子

寒卵割りひとり旅ひとりの餉 大橋敦子

寒卵割りて啜るや湖あをし 加藤楸邨

自販機の母より生まれ寒卵 木谷はるか

寒卵今日の予定の何もなし 嶋澤喜八郎

寒卵割る殻よりも大きな黄身 三輪閑蛙

内からも殻割るちから寒卵 多摩 茜

寒卵割れば器に躍り出で 西岡正保

寒卵ころがしてをり人嫌ひ 玉城一香

息災を願う朝餉や寒卵 中井敏子

寒卵煙も見えず雲もなく 知久芳子

寒卵嚥み遥かなる貌をせり 橋本草郎

寒卵二つ置きたり相寄らず 細見綾子

寒卵コツンと母の恙なし 柿内芳子

籠青し翳かさねたる寒卵 草間時彦

自画像のその前にあり寒卵 加藤三七子

大つぶの寒卵おく襤褸の上 飯田蛇笏

貯へて臼の中なり寒卵 山野邊としを

寒卵薔薇色させる朝ありぬ 石田波郷

寒卵一気に杣の喉ぼとけ 平子公一

寒卵見せて病者を微笑ます 白岩 三郎

寒卵割るとき神を信じをり 西川 五郎

寒卵大き梁の下に嚥む 黒田櫻の園

塗椀に割つて重しよ寒卵 石川桂郎

寒卵夕焼にかざす掌 兼巻旦流子

しづかなる暮しとなりぬ寒卵 真鍋完子

寒卵追ひ来て医師の手に一つ 金子伊昔紅

見舞苞解くやころがる寒卵 五十嵐春男

寒卵割る音異にふたりの餉 上柿照代

買はれつゝ夕日のやどる寒卵 池禎章

寒卵二つ置く二つ相寄りぬ 富田与士

寒卵箱にならべて美しや 浅見波泉

寒卵累々と灯を求め合ふ 中村秋農夫

寒卵吸はるるごとく吸ひゐたり 原裕

音楽の中の日陰や寒卵 宮津昭彦

籠青し翳かさねたる寒卵 草間時彦

寒卵わが晩年も母が欲し 野沢節子

朝はたれもしづかなこゑに寒卵 野沢節子

寒卵掌にし没り日の神讃ふ 石原八束

わが生ひ立ちのくらきところに寒卵 小川双々子

れいろうと生み落されて寒卵 川本臥風

寒卵産む鶏孤つ飼はれけり 西島麦南

寒卵コツと割る聖女学院 秋元不死男

寒卵割る一瞬の音なりき 山口波津女

寒卵薔薇色させる朝ありぬ 石田波郷

大つぶの寒卵おく襤褸の上 飯田蛇笏

わが生ひ立ちのくらきところに寒卵 小川双々子

腹背に寒ありて先づ寒卵 斎藤玄

東京は暗し右手に寒卵 藤田湘子

寒卵しづかに雲と雲はなれ 田中裕明

生も死も累々として寒卵 岩岡中正

寒卵すゝり九十の身ごしらへ 大久保橙青

寒卵地球をくらく抱きけり 平井照敏

寒卵わがままがまだ通る家 辻美奈子

転がれぬ形うとみて寒卵 谷口桂子

寒卵割れば殻のすきまからぬるりと落ちぬひかりをひきて 沖ななも

なか空に寒卵あり生死はあり 小川双々子

一匹の影のさしこむ寒卵 櫂未知子 蒙古斑

眼を開けて寒卵産む立派なり 阿部完市

寒卵喉(のんど)生きるを識るときか 河野多希女

寒卵夫を人手にまかせ病む 八牧美喜子

ほの暗き巣に洞然と寒卵 小原菁々子

寒卵割りひとり旅ひとりの餉 大橋敦子

寒卵享くまぶしさに声をあぐ 千代田葛彦

寒卵吸はるるごとく吸ひゐたり 原裕(1930-99)

 寒明けの卵が珍しいかも!77


昭和も遠し寒卵一つの膳

風邪でも引いたら生卵が膳にのった時代があった。
だから旅館の朝食にはかならず生卵が一つでた。
健康な人はそれを溶いて2杯くらいお代りをしていた。
馳走だったのである。
その時代でも私は生卵に弱かった。
しかしそれを食べないと他におかずがなかった。
後は、味噌汁と、海苔が数枚と、沢庵漬け、小さな鰈の焼き物などが
宿屋の定番であった。
(私は割って味噌汁の中へ浮かべていた)

今でもホテルの朝食バイキングの選択肢に地卵を置いているところがある。

これに関連して卵はあらゆる形態で食卓にのぼるという「一般式」をおもいついたことがある。
生卵、半熟以下卵、半熟卵、焼き卵(卵焼きではない)、蒸卵(温泉卵)、燻製卵
さらには半胎卵(半分ひよこになっている卵)
オムレツ、スクランブル、目玉焼き
それを知らない、食したことのない民族、国民からみればぞっとするような食べ方がある。
そのぞっとする食べ方の一つが「生卵」である。
これは日本列島に住む人のみが愛好する食べ方である。
イギリスのスーパーでは、日本人が多く住む地域
(JJタウンなどといわれていた。もう一つのJはユダヤ人)だったので、
卵の生食はやめてくださいという表示が掲げられていた。

借り物1枚の画像ではさびしいので。


わが妻は毎年2月3日の夜には、窓を開けて派手に「鬼は外」をやる。
この習慣は子供が全員成人してからもやむことがない。
旦那が恥じらうのを見ると余計にハッスルする。

あれ、今年はそれがなかったなあと思って
翌日ベランダを覗くと、やっぱりやったらしい。


というわけで、↑の画像は2月4日撮影のもの。

被写体は豆である。


↑↓ 行列しないと買えない特製のグリコポッキー

確か、購入したという報告を受けたが、1本も口に入らなかった。
.
塚口村、富松村、栗山村、明治半ばに立花村という新しい村名のもと合併する地域をめぐって
村の時代の名残を求めてみた。



↑富松川の流れである。住宅密集地の中を流れている。しかしよく見ると水は澄んでいる。
 
途中で川が二手に分かれ、本流らしき方は、立ち入ることができない住宅の裏庭が接しているような方へ流れてゆく(というよりその方向から流れてくる)。自宅から北へ向かうと富松川を遡るかたちになる。
公道沿いの分流の一角。
かつて、この石段を利用して、洗濯物を濯いだのか?野菜を洗ったのか?

 
海抜4.2メートル。この地区では最高地点ではないか?
 
その地点から東側で西側から流れてきた川(名前はないと思う)が、東富松川へ合流している。よって最高地点からは川は西から東へ流れている。合流する川は東富松川である。


北から流れてきた川が東へ屈折し、海抜4.2メートルの標識のある掲示板の後ろを東富松川へ流れてゆく。
よって川は東富松川の支流ということいなる。
富松川の方は、東富松川より東を南北に流れている。
この地点では、
100メートルも離れてはいない。

この地点が、札場の辻だったのであろう。
高札掲示場所であった地点は、私有地のような公有地のようなあいまいな状態である。

川の角に石が置かれているが人工的な加工の跡がある。

そのあたりに↓のような道標が立っていたのであろう。

 
「右 行基中 小濱」と読める。
下に説明板があり、この道標が現在地より東50メートルの地点にあったものである。
180度回転してある、とある。
道から道標の文字がはっきり読めるようにとの配慮からであろう。

たしかにこの地点から右へ行けば尼崎港へ向かうことになる。
左へ向かえば行基さん(昆陽寺)を経て宝塚の川湊小浜へむかうことになる。

この地点を過ぎて西へ向かうと
川の流れが西向きになる。
分水嶺が間にあることになる。



石ころを重ねたような堂が住宅の一部を割って建っている。こういう堂がかなりの数存在している。



道標の向かい側(西側)の流れは、南から流れてきてこの角地で西へ向かって流れ、
20メートルほど西で、そこに建っている真宗大谷派の寺院の塀に沿ってまた南に向きを変える。この流れもまたさらに先で東富松川に合流するはずである。

 南から流れてきた川が、西へ向き、南折れして、再び東へ流れ、東富松川に合流するとなるとこの川は回流していることになるがそれはおかしい。
 となると合理的な推論では、↑の左側(南側)のどこか近いところに水源があり、
東富松川へ流れ落ちる川は、川の水源よりは南の地点を西から東へ流れていることになる。

 地図の上では川の流れは道路の下を流れたり、暗渠化されていると点線になってしまい
川の流れを正確につかむことができない。以上の点は今気づいたので、改めて確認する
ことにする。

公開時間せまってきたので、後、今日見たお堂を二つ









ホソバヒイラギナンテン

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柊の句などはいくらでもある。



         雌伏何時までの花こぼす 藤田

 
月読の宮の匂ひけり 高繁泰治郎

宇佐八幡出づるに匂ふ花 松崎鉄之介

野良着に小さき身八つ口 川島千枝

稚児行列の花こぼしゆく 甲斐ゆき子

の花のこぼるる幾夜かな 稲垣晩童

古萩見る匂ふ蔵の窓 福田蓼汀

挿す若狭の水の通ふ井戸 沢木欣一

を挿して寒天小屋閉ざす 野崎ゆり香

挿し夜は国栖舞を習ひをり 石川幸子

をさして堅田のまくらがり 大峯あきら

古りし宿挿すをわすれざり 水原秋櫻子

鬼も蛇も来よと挿さでけり 後藤綾子

の花の富ならず貧ならず 赤羽 岳王

の花一本の香りかな 高野 素十

を挿したる門を開けくれし 本田 洋子

徒食のあかりまた灯す 鳥居おさむ

ささ濁る風ウェディングベル 尾田明子

軟膏たっぷり花の黄昏や 中北綾子

ドイツ髭文字教わりし 林 壮俊

は銀河の砂の花こぼす 大木石子

楽屋口挿してありにけり 中岡毅雄

や罰生誕の刻にあり 斎藤愼爾

を挿して蒲団の中にをり 神尾季羊

の挿せるを取らず水車小屋 森田 峠

父なくてを挿す母の背よ 草間時彦

に春の雪降り一樹の音 野澤節子 『鳳蝶』

父とありし日の短さよ花 野澤節子 『花季』

先生ひとり病ましめて(清瀬) 岸田稚魚 『筍流し』

母がりや花の現はれて 岸田稚魚 『筍流し』

嘆息のびつしり白き咲く 加倉井秋を 『武蔵野抄』

烈風の戸にのさしてあり 『定本石橋秀野句文集』

ひとり居の暗きに慣れてさす 『定本石橋秀野句文集』

の花にかぶせて茶巾干す 阿部みどり女 『笹鳴』

農四代の香を放つ 平田マサ子

の花から白くこぼれ落つ 中村草田男

の花と思へど夕まぐれ 富安風生

朝に残れる雨少し 松崎鉄之介

の花散りをりぬ咲きをりぬ 青柳志解樹

の花や掃かれし土の匂ひ 大野林火

の指さされたる香かな 石田波郷

心ひまあれば花こぼす 高浜虚子

父とありし日の短かさよ花 野沢節子

の花は絲引き落つるもの 伊藤柏翠

母がりや花の現はれて 岸田稚魚

の花のともしき深みどり 松本たかし

を挿したるままに這入りけり 後藤夜半

を挿すひびも古り軒柱 山口青邨

父なくてを挿す母の背よ 草間時彦

凍雪を踏んで挿しにけり 高野素十

に夕日零るる四日かな 福島 勲

を大切に日の匂ひけり 久米 敦

艮(うしとら)に香る小家かな 吉波泡生

思惟きらきらとの花こぼつ 伊丹さち子

の花にはいからさんとやら 松田貞男

の花やおのれに遠くゐて 森 澄雄

の花と思えど夕まぐれ 富安風生

挿す娘は嫁にゆくものか 樋口ただし

を挿して早寝の母なりけり 藤谷令子

を挿すや築地の崩れまで 蝶 夢

狼葬の草原にある冬日かな 島田

に鬼の子のゐる日和かな 中村 剛

大き日がの花染めて落つ 和田祥子

咲き妻にも小さき詩ごゝろ 那須 乙郎

の花の香に闇深みたる 平賀扶人

が咲く秒針のかそけさに 吉本 昴

思惟きらきらとの花こぼつ 伊丹さち子

黙の庭花は香をこぼし 中岡利子

は鳥の声にも花こぼす 松村越子

の花や間遠に機の音 兼久ちわき

の花に落暉のとどまらず 吉岡 宏

を挿す釘父の世が匂ふ 米澤吾亦紅

を挿す手燭かも家めぐり 白岩 三郎

南天の句だっていっぱいある。
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不退寺の実南天また実南天 石田勝彦

南天や黄南天も交りけり 寺田寅彦

掃き初めて白南天のあたりまで 古舘曹人

さしかくる時雨の傘や嵐雪忌 高見南天

南天献蝋の灯が祝ぎ色に 田中水桜

南天十二神将眉あげて 野澤節子

南天ひよどり杉の高さ翔び 和知喜八

南天の花のこぼるるお鷹道 勝又一透

南天の花咲く笠間稲荷かな 大竹朝子

傾きし南天くゝり掃納 馬場 迪子

南天の赤きに憩ひ磴のぼる 大隈 伊津子

南天の実の赤きこと言ふて病む 稗田 富貴子

南天の花のこぼるる庭の日々 若山 良子

南天の花の白さの夕べかな 岡本 尚枝

しぐれたるあとの日が射し実南天 鷲谷七菜子

南天眉間につけて虚空を忌む 夏石番矢

億年のなかの今生実南天 森 澄雄

乳足りて嬰児の小ごゑ実南天 橋本郁子

南天の実に惨たりし日を憶ふ 澤木欣一

南天を食べに来る鵯寝正月 草間時彦

南天の花にとびこむ雨やどり 飴山實 『辛酉小雪』

とやかくの家相を払ふ実南天 能村登四郎

南天鴎外旧居北向きに 松崎鉄之介

事小康葉が多すぎる南天に 中村草田男

南天二段に垂れて真赤かな 富安風生

南天の実に惨たりし日を憶ふ 沢木欣一

南天の実太し鳥の嘴に 高浜虚子

南天の花にかくれて人嫌ひ 鷹羽狩行

南天の花咲く鎖樋のそば 柴田白葉女

南天の花の重さに枝しなる 宇佐美ふく

南天の花の向うの庭木かな 草間時彦

南天実るかたちをして重し 長谷川かな女

南天の花にとびこむ雨やどり 飴山 実

買初は南天の木の長寿箸 中村和子

風が研ぐ葉無き南天試験ばかり 香西照雄

南天の実に惨たりし日を憶ふ 沢木欣一

南天揺れてのっそりポーの猫 上嶋稲子

引越の荷が南天の花こぼす 加藤水虹

南天や米こぼしたる花のはて 也有

剃髪の友に立ちあふ実南天 根岸善雄

南天幼き物を干しつらね 白岩てい子

水神の幣の日晒し実南天 石田阿畏子

起きぬけの水の硬さや実南天 織野 健一

南天阿国のくにの巫女美しき 平井あい子

神南備に日脚移らふ実南天 川合正男

南天に何時までもゐしが夕笹子 武藤木咲

雪に折る南天の葉や配り餅 吉沢蕪洲

南天をこぼさぬ霜の静かさよ 正岡子規

南天結実よき晩年を妻よ得む 細川加賀

南天の実のさわらねど濃くこぼる 岡部弾丸

南天の実に惨たりし日を憶ふ 沢木欣一

南天の早くもつけし実のあまた 中川宋淵

事小康葉が多すぎる南天に 中村草田男

南天紅葉もして真紅なり 鈴木花蓑

南天の実太し鳥の嘴に 高浜虚子

南天の花咲くさかりとも見えず 坂間晴子

南天の花にとびこむ雨やどり 飴山実

目を病みて南天の花いとほしむ 菅沼正子

南天の花の薄日に水見舞 中村汀女

南天おろそかならず母の齢 星野麦丘人

南天実るかたちをして重し 長谷川かな女

水洟やどこも真赤な実南天 爽波

南天鴎外生家北向きに 鉄之介

南天の実に惨たりし日を憶ふ 欣一

式台に野の日衰ふ実南天 蕪城

南天の早くもつけし実のあまた 宋淵

風なくば好き日和なり実南天 房子

丸窓の雪に灯ともる実南天 九郎

南天の実や霙雲野の果に 野舎

南天曙楼は古びけり 茅舎

南天柄まで真紅や自若たり 草田男
         (聚光院の利休自刃の間の内外にて)

あるかなし南天の紅竹垣に 孝作

南天二段に垂れて真赤かな 風生

南天紅葉もして真赤也 花蓑

南天や秋をかまゆる小倉山 其角

日の秋や南天の実の影法師 百桂

南天をこぼさぬ霜の静かさよ 子規

お座敷の中も寒くて実南天 岸本尚毅 鶏頭

鶏吊つて南天の実の大粒に 岸本尚毅 鶏頭

南天の実に惨たりし日を憶ふ 澤木欣一

南天紅葉もして真紅なり 鈴木花蓑

億年のなかの今生実南天 森澄雄

赤き実を垂りて南天提げ帰る 山口誓子

八十路てふ節目重たし実南天 鈴木ふみい

存命の父母を軽んず実南天 正木ゆう子

歳月はいま急流や実南天 北登猛

南天裏木戸より訪う母の家 寺井谷子

南天実るかたちをして重し 長谷川かな女

南天の実をこぼしたる目白かな 正岡子規

南天の人声にさへ花こぼす 長沼三津夫

南天に退きのこる死の暗さ 千代田葛彦

南天の花きたなけれ蜘蛛の囲に 八木林之介 青霞集

億年のなかの今生実南天 森澄雄(1919-)

南天の花のひそかに盛りなり 藤松遊子

南天の実太し鳥の嘴に 高濱虚子

杉は緑南天赤きアーチ哉 寺田寅彦

蘭の鉢に南天の実のこぼれたる 寺田寅彦

柊は「花柊」「柊挿す」で季語になるのかも。
「俳諧歳時記」では「柊(ひひらぎ)売り」(冬 宗教)「ひひらぎ落葉」(夏 植物)「ひひらぎさす」(冬 宗教)「ひひらぎのはな」(秋 冬 植物)で登場する。


南天は「実南天」として利用されている。
「俳諧歳時記」では「南天の花」「南天の実」で収録されている。
「南天の実」は秋と冬両方に登場。 

 
 
柊はいまで庭木としてよく見かけるが、
見かけなくなったのはヒイラギナンテン。
代わってよく見かけるようになったのがホソバヒイラギナンテン。
ところで、ホソバヒイラギナンテンと柳葉ヒイラギナンテンとナリヒラ柊南天
は同じものなのか、はっきりそうだといっているHPにお目にかからない。

私は同じものの別称ではないかと思うようになったがどうであろう?


 














挿す薬師寺見ゆる農具小屋 礒江沙知子

紙を漉く四角に水を掬ひては 愁生

象が曳く鎖の音の寒さかな 愁生

暮るる湖見つめ師走の外にあり 愁生

短冊を吊るより風の萩となる 愁生

雁渡る月下に黝き防砂林 愁生

総会

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総会の一人芝居や半夏雨  杉本寛

 

 

 

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自宅ガレージ(ないし駐車用隙間)でナビをオンにすると、
最も近くにある寺の名が目印のように出てくる。
寺の謂われも何も知らない。
今日初めてその寺の前を徒歩で通った。
直線距離では至近でも、間に阪急神戸線の線路が横断しており、
東西どちらの踏切ないし、高架下をくぐっても、中間地点にあり、
庄下川から少し離れているので、まだ踏み込んだことのない道沿いにあった。


まだネット検索していないが、
↓のような銅像を本堂の正面に建てるのは真宗が多い。
塚口御坊の勢力圏ということであろうが、
周辺には真宗の寺院やあきらかに真宗らしい短い戒名を並べる墓地が多い。
禅宗系や、私の一族のほとんどが眠っている真言宗系では、9文字戒名が一般的なので
2文字戒名、4文字戒名をみるとなにがしか違和感がある。





鐘楼などもごく最近、ひょっとすれば阪神淡路の大震災後に建て替えられたのかも。


寺のHPは見つけることができなかった。よって、寺の創設時等はわからない。
現住職のブログが登場した。
見覚えのある名前。現在市会議員をなさっているよう。
しかし2005年の記事で断絶しているよう。

たしかに我が家でも除夜の鐘の音が届くが、それがこの寺のものかどうかは分からない。
家の西・北の方から聞こえるように思っていた。この寺は家の真南に位置する。

真宗本願寺派神戸別院の所属寺が我が家周辺に10寺ほどあるが、
この寺もその一つである。

この寺のあるあたりを歩くときは、富松川沿いを歩くことが多いが、
この川沿いから一筋北側の道に面して建っていたので、今日まで「出会う」ことがなかった。

すぐ近くには、何度も紹介した




ポンプのある小さな公園や、道の真中に居座るアカシアの大木などがある。




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↓富松川が線路をくぐって南下してゆく地点。


今日の庄下川のコサギ




アオサギもいるが、最近はあまり見ない。



↑庄下川へ合流する直前の富松川
↓3川合流地点。富松川の方角から眺めたもの。
白いしぶきは、西富松川からの流れ。

橋本の名前が高松橋であるが、Web尼崎地域史事典を読んで、この高松がかつてのこの地域の
地名であることを知った。その下流に生島橋があるが、中世、この地域が生島荘(園)であったことに由来する。その生島荘園に発するので、庄下川(荘⇒庄)という呼称が付いたことは紹介済み。
そして高松を含む地域名も生島荘の上手にあったところから生じたようである。
弥生遺跡が残っているが、その標識はみたことがるけれども未だ目にしていない。

あまがさき

D.D.ハウス

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阪急電車梅田駅の神戸線の外側に目立つビルがある。D.D.ハウス。
このD.D.は何の略か分かった。
上の画像に写っているように、「Do night ? Do day!!!」のDo  Do の略のようである。
しかしDo night やDo day の「和訳」が難しい。とりわけ? と!!!のニュアンスの差を含めるとなおやっかい。

「今夜やる?昼でもどうぞ」では尻りすぼみか?

目を移すと、「B’s che」というマークが視界に。
さてこのBは何の略?
まったく何も浮かばない。
見ると窯焼きピザが売り物のよう。
ならばこのche は「ケ」という発音だと思って
看板をよく見ると、「チェ」という発音を要求しているよう。
イタリア語のチェはche ではなくceのはず。

似たような問題含みの看板はないかと思ったら、D.Dハウスの横の店
 
ビアブルグ梅田となっている。
一般的な地図ではどうなっているのか?
ハンブルグとなっているのかハンブルクとなっているのか。

その地点から阪急電車の構内へ入ると
水族館通りになっている。そこを通勤路としている人はほとんど立ち止まらない。





昼灯す苺ハウスに日脚伸ぶ 百井芳枝

ハウス剥ぎフリージアの香を解き放つ 植松深雪

原爆忌介護ハウスで黙祷す 北村恭孝

上の句は、「介護」で検索していた折に出会った句である。

ブリューゲルのビア樽男ビール酌む 高澤良一 燕音

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静脈の一脈冬の水族館 高野ムツオ 鳥柱

美女病みて水族館の鱶に笑む 西東三鬼

水族館に鈍きは海蛇傷つくとも 金子兜太

海桐咲き沖曇りくる水族館 柴田白葉女

あをあをと水族館の春灯 西村和子 夏帽子

二の腕に虹のかかりし水族館 大石雄鬼

国灯す水族館の水灯す 対馬康子 吾亦紅

鯨鳴く水族館を出て小雪 対馬康子 愛国

秋ははて酸素ぶくぶく水族館 櫂未知子 蒙古斑

漆喰に潮噴く酷暑水族館 茨木和生

初日うつる水族館の金魚かな 会津八一

水族館やや寒人の声こもる 深見けん二

なるほどトベラは浜の植物なのだと今更に思う。
これも勉強の成果である。


駅広場

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JR大阪駅のビルにはいくつもの広場がある。
カリオン広場は、阪急電車とJR駅との接続点であるゆえに
ひときわ人通りが多い。
そこの花壇
(カリオンの方にはカメラを向けにくい)



「時空」と書いて「とき」と読ませている。ときの広場。
金時計と銀時計がシンボルである。



4階のときの広場からエスカレータに乗ると11階まで一気に登る。
時刻は平日の昼下がり。風は防いでいるが、「野外で」昼食を取る人の姿はない。
大丸の方へぬけてゆく人もまばら。






近接すれば春を感じるが、全体としては寒々とした風景。

↑銀傘の下が大阪駅のプラットフォームである。
ときの広場は、プラットフォームの真上に覆いかぶさっている。

10階「和(やわらぎ)の広場」
 
この梅の木がシンボル。和風である。隣のビルの空中広場が見える。
 
橋下さんが森を願望する開発予定地。ここが完成すれば大阪梅田貨物駅跡の再開発事業は
完了する。
ミラービルが他のミラービルを映している。ツインビルは新梅田シテイだが、かなり距離がある。目の前の空地が生まれ変わればそこと一体化する。

その広場からエスカレータでつながっている広場「風の広場」 11階
エスカレータに乗っているときに、帽子を飛ばされた。
そのままエスカレーターで上階へ到着、急いで下りエスカレータに乗り換え。
寒そうな外ベンチで昼食を摂っていた人から帽子を受けとる。


寒いベンチに一組座っていたので、カメラは花壇だけへ。


14階に農の広場がある。
 広場、駅、などは句になりやすい。
エスカレータはどうか? 0
自動階段も0
昇降機なら

 
昇降機声なく満ちて夜学果つ 中嶋秀子

昇降機しづかに雷の夜を昇る 西東三鬼

昇降機迅し新入社員乗せ 高木利夫

古書市の黴の香に開く昇降機 深谷雄大

受験子をひとり乗せたる昇降機 横山房子

新社員交へて今朝の昇降機 高澤良一 ももすずめ

色あふれ成人の日の昇降機 斎藤道子

昇降機菊もたらせし友と乗る 石田波郷

昇降機しづかに雷の夜を昇る 西東三鬼

数へ日の奈落へそそぐ昇降機 藤井照子

昇降機うなじの線のこみあへる 篠原鳳作

秋の暮昇降機より配膳車 小林幹彦

昇降機花火の空へ上りゆく 丸山了

昇降機けぶる氷柱のせ来る 藤田宏(澪)

昇降機しづかに雷の夜を昇る 西東三鬼

西東三鬼の句が何度も登場する。
俳句解釈の訓練を受けた特高警察はこの句をもって
三鬼を逮捕した。(特高警察官が有能であったというよりも
密告指導した俳人がいたようである)


昇降機の上昇は、共産主義思想の隆盛を意味する
雷の夜とは戦時体制の日本である。

今はエレベータと呼ぶ。日立か東芝のエレベータなしでは世界の超高層ビルは成り立たないらしい。

静かで、高速で、気圧変化に対応。
この句なら落雷による停電にもすばやく自家発電に切り替えられる
新型エレバータの性能を詠った企業宣伝俳句とも読める。

ただしエレベータではなく昇降機という言葉使いによって
1950年代以前の俳句だと分かる。

私は、自動歩道、自動階段という言葉も使って1句作ったことがある。
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ハーデンベルギア

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近所で時々みかける風景だが、その場合、辺りを見渡すと乗員ないし利用者の制服姿が目に入るものだが、かなり範囲を広げて観察するもまったく人影なし。
そんな場合は不審な感じがする。
 
阪急電車の神戸三宮駅(単に「三宮」駅だったが、最近駅名を変更した(はず)西側の高架下の店先で見かけた。籠だけで作ったバイク。値札をみると10万円超え。

 
パリの裏町風のビル。時々気になる。何の店か。

花屋の店頭
 
ハーデンベルギヤ↑

↓これはなんでしょう?
 
周りの黄色い花はマンネングサの一種であろう。

イクタロードはここから始まるのか?いつもは阪急電車の高架沿いを右折するのでこの鳥居はたまにしか目にしない。
観光客用のパンフの記載の中に、一宮から七宮は、生田神社の末社であり、
三宮神社にはこれこれの物が安置されているという記述を発見。
今度神戸に行った時には三宮神社を写して紹介の予定。

街角花壇 フラワーロードの交差点隅

ここでもハーデンベルギアが頑張っている。こんなに普及しているものとは思わなかった。

近所の緑化植物園の西門の金網沿いに、大きな鉢に植えられているのを見て、
事務所で名前を尋ねたら「ハーゲンベルギア」とメモ用紙に書いて渡してくれた。
その後に京都の北山植物園を訪ねたら、中央広場のトイレ隠しに利用されていた。
植栽されて10年は経過しているような大ブッシュである。
花盛りだったからすぐにハーデンベルギアだと分かった。
その時にハーゲンベルギアではなくハーデンベルギアであることを確認した。

三宮駅の西側を元町駅あたりまで巡って、
JR三宮駅の東側にある区役所内の7階へ。句会出席。

立春の閘門脱ける浚渫船
受験生自動歩道に躓いて
昭和も遠し寒卵一つの膳

2句目、自動歩道は動く歩道とすべきとの意見あり。私は自動歩道、自動階段(エスカレータ)
といった旧式の訳語g面白いと思っている。
3句目、「明治も遠くなりにけり」をもじったような昭和は昔という表現はもう食傷気味だと
かねがね批判していた手前、なんとか修正したいと思っているがいい対案が浮かばなかった。

生卵が上等な朝食であった時代があったことを詠いたかったが、成功しているとは思っていない。

1句目は当日最高点句だったので、ご褒美。チョコ。

この日は席に着くや否や、ゴディヴァの小さなチョコが3つ入っている丸い箱が、
句会から私へプレゼント(当日男性の出席者が私一人だったのでーいつもは二人ー)
され、さらに別にモロゾフのボンボンチョコが個人的に手渡され、卓上には全員に
リーフチョコが配給され、これが余ると高点獲得者に分与される。

2日早いバレンタインチョコどっさり持ってご帰還。

句会場へ行く途上でこんなもののあることも初めて知った(気付いた)。

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ロータスプリムストーン

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ツルマンネングサ系のものかと思ったが、ぜんぜん違うらしい。
マンネングサはベンケイソウ科キリリンソウ属で形はさまざま。
これはマメ科ミヤコグサ属のロータスプリムストーン。
なかなか覚えにくくて、手帳に書き写したが、今書き込もうとしたら又、
その手帳を見なくては打ち込めなかった。


そして↑はユーフォルビア・ブルブレア。またまたまた猫缶さんのご教示による。

それが所属するトウダイグサ属についてのウィキペディアの解説

トウダイグサ属(トウダイグサぞく、Euphorbia)はトウダイグサ科に属する一群の植物で、園芸植物などについては学名英語風読みのユーフォルビアで呼ばれることが多い。

代表的な種としては、日本に野生するトウダイグサ灯台草: 形が燭台に似ることから)、タカトウダイノウルシ、観賞用に栽培するポインセチアショウジョウソウハツユキソウハナキリンミドリサンゴ(ミルクブッシュ)などがある。

学名Euphorbiaは、ヌミディアユバ2世に仕えたギリシャ医師エウポルボス (Euphorbos) に由来する[1]。ユバ2世の一人目の妻はマルクス・アントニウスクレオパトラ7世の娘クレオパトラ・セレネである。エウポルブスはサボテンに似たユーホルビア植物が強力な瀉下薬となることを記した[1]。紀元前12年、ユバ2世は、侍医のアントニウス・ムーサ英語版の像を作ったアウグストゥスに応えて、この植物の名前をエウポルブスから名付けた[1]。植物学者のカール・フォン・リンネはエウポルブスを顕彰し、この「Euphorbia」を属名として採用した[2]

ユバ2世自身は、芸術および科学の著名なパトロンであり、いくつかの探検や生物学的研究の後援をしていた。彼はまた著名な作家であり、博物学に関する論文や最もよく売れたアラビアへの旅行案内といったいくつかの専門書や一般向けの学術書を書いている。Euphorbia regisjubae(ユバ王のEuphorbia)は、博物学におけるユバ王の貢献とこの属を表に出した彼の役割を称えて命名された。

 字を拡大したいが、新しい(中古の)PCにも欠陥があって(ブラウザが古い)、
拡大指定をすると文字が飛んでしまう。

ともかくポインセチアもトウダイグサ科のようである。これも姿形が多様でなかなか特定化できない。私ができるのはシソ科くらいである。まあキク科もできるかもしれない。

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ヒメルツソバについてのウィキペディアの解説。

ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)とは、タデ科の植物の1種。学名はPersicaria capitata(シノニムはCephalophilon capitatumPolygonum capitatum) 。別名はカンイタドリポリゴナム。ヒマラヤ原産。

 花はピンク色で、小さい花が球状に集まったのような形をしている。 花期は5月頃から秋にかけてであるが、真夏には花が途絶える。

冬季には降霜すると地上部が枯死するが、地面が凍結しない限り翌年には新芽が成長する。花は小花が球形にまとまっており、内部にはが成熟する。葉にはV字形の斑紋があり、秋には紅葉する。


↑↓ 路傍にふつうに見かけるようになって10年以上経つが、
解説では日本への導入は明治時代だそうである。
数年前からは、ポリゴナムという名で園芸店で売られているが、
わざわざ買おうとは思わない。
ソバの名を持つが、蕎麦の花と似ているからだが、むしろ蕎麦の花に似ているミゾソバの花に似ているから、蔓性だから姫蔓蕎麦という名が
つけられたのでだろう。

私の貧弱な観察記録では、爆発的に街中を占領していたポリゴラムも
ここ数年はテリトリーを狭めているように思う。
背景は、アベリア(ホープレイズ)だと思う。

どんどん根をおろしてゆくので、何株なんて計算不可能。

気温が零下になっても短期間なら枯れ死はしないよう。

年中咲いていると俳句の素材にはなりにくい。

しかし夏の花として歳時記に採用されても不思議ではない。

春の七草の中に「仏の座」があるが、
これは今ではタビラコと呼ばれているものである。
しかし園芸上(わざわざ育てている人はないだろうが)仏の座と呼んでいるのは
シソ科の野草で黄色い花ではなく唇型をした薄紫の花を咲かせる。
俳人はどちらを仏の座として詠んでいるのであろうか?


女童の手がかしこくて仏の座 木村虹雨

児の声の届く辺に摘む仏の座 磯貝ひろし

雲割れて日矢の射しけり仏の座 豊長みのる

夜は海が近づくといふ仏の座 中尾寿美子

七草やけふ一色に仏の座 支 考

雑草と言う草あらず仏の座 宇咲冬男

山裾の日に燦とあり仏の座 工藤弘子

秀つ峰の赤みさしきし仏の座 川端庸子

遠来のもののごとくに仏の座 鷹羽狩行

もう一つ満開の花仏の座 上島清子

打ち晴れて富士孤高なる仏の座 勝又一透

霜の葉をしかとたたみて仏の座 町田勝彦

目の先にあそぶ雀や仏の座 本土みよ治

シソ科のホトケノザも、満開状態で咲いていると
鮮やかでそれなりに豪華である。
しかし七草粥を作るころのタビラコが満開状態で咲いている
のは田園でも見かけない。
でも例句はみなタビラコを詠っているようにも思える。

あいかわらず耳鼻科通いを続けている。
待合室は2月3日まで鬼だらけであったが、2月4日にはすべて片づけられ、代わってお雛様の大量進出。
 
 
夜は海が近づくといふ仏の座 中尾壽美子
遠来のもののごとくに仏の座 鷹羽狩行 六花
七草や何をちなみに仏の座 江戸-路通 元禄百人一句


チョコ

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十月の闇のかけらのチョコレート 高野ムツオ 鳥柱

いつの間にがらりと涼しチョコレート 星野立子

チョコレートとけて元日昏れてゐる 藤木清子

われに一つバレンタインのチョコレート 行方克巳
チョコレート、5音だが、季語ではないので、俳句では扱いにくい。

10月とか、「涼し」などで取り繕っている。
バレンタインを入れれば季語の問題は片付くが、そうするとあと5音しか残らない
ので、行方さんの句みたいな平凡なものになってしまう。

 2月の妻からもらうチョコレート

「にんがつ」と読んで5音にするのが俳句の手口。



初めて見る包装である。

「洒落神戸チョコさんど」 しゃれこうべ とルビが振られている。
贈り主は妻。
同じものが息子にも渡されていた。
それ以外にまだ2箱用意しているらしい。

 
4個入りと書かれているが、5個入っている。
製造者は神戸市東灘区魚崎の「マキイズ」となっている。初めて聞く会社名である。
 

「バレンタイン」の方が例句が多い。
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われに一つバレンタインのチヨコレート 行方克己 知音

待ちあはすバレンタインのティールーム 安藤 雅子

指染めてバレンタインの夜を独り 中野 貴美子

バレンタイン誰彼なしに影加へ 松澤雅世

乳牛の黒き眼バレンタインの峡 大峯あきら

バレンタイン井戸という井戸猥褻な 夜基津吐虫

手話の娘の買ふバレンタインのチヨコレート 今井桂子

バレンタインの日なり灼かれて真赤な鉄 見学 玄

忘れ得ぬバレンタインの日の言葉 堂前悦子

思ひきり朱着てバレンタインの日 岩佐こん

校舎より海見えバレンタインの日 小野さとし

バレンタインの日は老人でありにけり 多田薙石

今だから話せるバレンタインの日 指澤紀子

バレンタイン彼女に適ふ奴はなく 伊規須富夫

声群るる鳥ゐるバレンタインの日 花田由子

ハムの紐ほどきてバレンタインの日 高見岳子

インタホーン時差ありバレンタインの日 三森 南

バレンタインのチヨコ携へて出講す 山田みづえ

バレンタインの日なり遠くで犬が吠え 大江まり江

薔薇抱いてバレンタインといふ日かな 友田美代

バレンタインの日なり山妻ピアノ弾く 景山筍吉

茶粥召すバレンタインの日の聖 橋本榮治 麦生

紅茶熱しバレンタインの日と思う 金堂淑子

いつも何か待ちゐし頃のバレンタイン 西村和子 窓

   湾に舟浮かべバレンタインの日なりけり 佐川広治

   母は母娘は娘のバレンタインの日 山田弘子


青塗りした句のような「バレンタイン」は無理だと思う。
大嶺あきらの句はスイスかどこかのバレンタインという名の町か村か地域を指しているのであろう。

今年は、作東バレンタイン・ホテルでの宿泊は、多分、4月11日か12日になるはず。
まだ予約はしていないが。

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春節祭

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春節祭は来週であるが、前夜祭イベントがあるというので
南京町へ。
人人だが、押し合いへしあいまでにはいたっていない。
けっこう、中国・韓国からの観光客も多い気配。








up時間切れ。
教えてほしい草の名。以下



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メディテラス

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交差点越しにしか見なかった建物に近寄ってみた。
いっぱいフランス語が書かれている。
メディテラスと読める
英語ではテラスは「長屋」と同じ意味である。
たぶん、フランス語から輸入した言葉であろう。
フランス語を解説してくれるブログがあって、教えを請うたこともあるので、
訪ねてみると昨年の秋に閉鎖されていた。



カフェもあれば、ブティックもある。「ホテル」の文字も読めるが、多分そんな風に過去の営業形態が残ったままの姿を再現・模倣しているのであろう。

なんでもオープン形式になっていて、内部は自由に移動できるようである。家に帰ってネット検索したら、この建物(群)は神戸三宮の重要な観光対象になっていた。

もちろん全然そのことを知らなかった。

私と同様、私よりはるかに上級機種を持って、撮影する人が複数いた。



右手奥には、ドンクの細長いビルが見える。
ここにしか店がなかったころには、ここでフランスパンを買ったことが何度かある。
メディテラッセはワールドという会社が建設した建物らしい。
フランスの港町マルセイユの街角がコンセプトである。



何と読むのか分からないが、住所表記までフランス式である。住所というより通りの名を示しているが、boul. は文字通りの「通り」ではない(はず)。






↑「入口」くらいは読める。
フランスでも「sale」というのかどうかは知らない。



入口はいくつかあるが、メインのものの前に赤い実がなった植物があった。
猫缶さんはよく分からないとのこと。
イチイではないかというので、イチイの画像を覗いてみたが、実のかたちが少し違う。
この木の実は下で割れている感じだった。
葉も、見た画像では杉葉のように硬い感じだが、実物は軟かい感じであった。
実がなっている木と、背の高い木は別物である(と思っていたが、今は自信がない)。

この建物がある角の交差点を北へ渡れば、
「神戸事件」のあった三宮神社である。

ということはここは神戸港開港時では、居留地の東端を出たところくらいに位置するのか。













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よりに落つる椿かな 芝不器男

野づかさの多摩のへ斧始 藤田湘子

岩山に裸の光りあふ 佐藤鬼房

枯るゝとものあるを恃むなり 杉山岳陽

武蔵野のもみぢは冬も濃し 高浜年尾

風花や夕枯たゞよはす 森 澄雄

真青な雨のと寝冷の子 神尾季羊

墓四五基黄葉の下にあり 穴井 研石

露霜を置いて楢の葉の葉 小林 たか子

列車今四月の林行く 江藤 都月

眞青な雨のと寝冷えの子 神尾季羊

川狩の肘につきたるの葉 小原啄葉

春雨や切口にほふ楢 向山隆峰

原厳冬の旭を真赤透く 森 澄雄

枯草にほのとの月明かり 広瀬直人

宙に日を十一月の楢 星野麦丘人

の実足裏に触れて露天風呂 宮田俊子

鬼やんまひとり遊べり原 石塚友二

かきくもりけり節分の原 石田波郷

空梅雨の夜月をかけし楢 杉山岳陽

月いでてを照らす西行忌 榎本冬一郎

綿虫のはたしてあそぶみち 石川 桂郎

餅搗くとえらびて置きし焚く 金子伊昔紅

山椒喰は花を垂れそめし 山谷春潮

ほぐれては花かとまぶしの芽 及川 貞

雉子鳴きてしぐれ明るき山 根岸善雄

枯草にほのとの月明り 広瀬直人

葱真白に洗ひあげたる原 柴田白葉女

枯るゝとものあるを恃むなり 杉山岳陽

かきくもりけり節分の原 石田波郷

霜夜経て移り住む家の楢 杉山岳陽

宙に日を十一月の楢 星野麦丘人

鬼やんまひとり遊べり原 石塚友二

むぎとろやの枝のこまやかに 石川桂郎

山椒喰は花を垂れそめし 山谷春潮

熱上る楢栗夕立つ中 石田波郷

春蘭のの丘は伐られけり 和地清

初茜して楢林山 長谷川浪々子

風花や夕枯たゞよはす 澄雄

綿虫のはたしてあそぶみち 桂郎

熱上る楢栗夕立つ中 波郷

真青な雨のと寝冷の子 神尾季羊

月出でてを照らす西行忌 榎本冬一郎

夏果てむ雨の深山のの木 小澤實

鋼びかりよ一月のの葉 柳澤和子

夜の奈落に妻子ねて 森澄雄

鬼やんまひとり遊べり原 石塚友二

雉子鳴きてしぐれ明るき山 根岸善雄

大年の日のいろとどむ山 秋山幹生

腰据ゑてひかる星あり枯れ 宮津昭彦

酒場月ある夜は月に酔ひ 町田しげき

影かさね落葉がぬくし栗・ 櫛原希伊子

枝を交へたる雪催 岸田稚魚

子ら寝しや野分がとらふ栗 千代田葛彦

卒業や丘は斜めに立ち 中村汀女

きさらぎの祭を隔つ山 馬場移公子

若葉の銀色回り道にあり 金子皆子

雪降り積む林や秀野亡し 関戸靖子

身代りに寒月をあげの山 和田悟朗

雛まつりの中に道はあり 山本洋子

腰据ゑてひかる星あり枯れ 宮津昭彦
母を待つ子に枯葉を降らす 加藤秋邨 火の記憶

かたくなには黄葉肯ぜず 竹下しづの女句文集 昭和十一年

つひに黄葉をいそぎそむ 竹下しづの女句文集 昭和十一年

かすみ来ぬ芽の疾きおそき楢 臼田亞浪 定本亜浪句集

鬼やんまひとり遊べり原 石塚友二

芽遅き林に日挟まり 京極杞陽

イチイを詠うのは圧倒的に「花鳥諷詠」派である。


大砲の射程の中に蓄音機 本田博子

枯木の予感どこかで大砲がなつてをる 富沢赤黄男

大砲のどろ~と鳴る木の芽かな 正岡子規

分捕の大砲にちる櫻哉 寺田寅彦

大砲の役にも立たず櫻散る 寺田寅彦

初場所やむかし大砲萬右衛門 久保田万太郎 流寓抄以後


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スイバ

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冬の川岸

枯れ色一色

しかし、2月も中旬になれば、関西、近畿、阪神平野部、ないし海沿いでは緑も多い。


スイバは、今の季節、川岸などを緑に染める貴重な存在である。
スイバと並んで目立つのが、↓ニラのようなイネ科のような大株(よってニラではないと思う)の草。名前は知らない。





↑花穂が残るスイバ、ホウレンソウのようなスイバ、赤色葉のスイバ。
一番手前の株もスイバなのであろうか。
葉の形態が違う。↓ 大根の葉みたいだが、ダイコンよりは幅広い葉。
何でしょうか?



スイバにもいろいろ種類があるのかと思ったが、ヒメスイバ以外にはなさそう。
ぎしぎしが近縁種だが、
スイバをギシギシと呼ぶ地方もあれば、スカンポと呼ぶ地方もあるよう。
スカンポは虎杖(イタドリ)の若芽の呼称とするのが一般的ではあるが。

↑がぎしぎしとも思えないが・・・。


似たような葉っぱを探して庄下川を下っていると、

また別の葉に遭遇 


こちらの方は花が咲いていたので、判別可能。
リュウキンカ(立金花)



 
 
かなり広い範囲で群落をなしている。



花盛りになると見ごたえありそう。

川面では、今日初めてカモメが10羽も群れをなしているのを見た。
昔はこのあたりでも橋の欄干に群れていたそうである。
ほとんど歯のない老人から教えてもらった。
それでも今日の風景は珍しいとのこと。








「鴎で検索、「鷗」や「カモメ」でも例句はあるかもしれない。
「鴎」は無季語として扱われているようである。
『現代俳句歳時記」では「鴎」を冬の季語としている。
「俳諧歳時記」の索引には「かもめ」は登場しない。

白をもて一つ年とる浮 森澄雄 浮

浮寝していかなる白の冬 森澄雄 浮

汐のよい船脚を瀬戸づれ 河東碧梧桐

(カルメギ)とは韓國の稱風に乗る 中原道夫

揺曳の陰畫ひと断ちに 中原道夫

も雪も闇では楔形文字である 高野ムツオ 陽炎の家

酔眼には燃え殻ほどさみし 高野ムツオ 陽炎の家

妻の憂愁一日百度来て 高野ムツオ 陽炎の家

忘却といふ語の親し 行方克己 無言劇

初場所や来て舞ふ高櫓 新井徳子

松納めはぐれの田に来たり 中 拓夫

春駒のを翔たす鈴の音 皆川盤水

ききとむる寒のこゑ浪にそひ 飯田蛇笏

ちかぢかと目をあはせくる 矢島渚男

玄海の舟出日和や冬 清水基吉

熔接の火走る見よや冬 佐藤鬼房

北欧の船腹垂るる冬 秋元不死男

川に来て昼をすなどる冬 上田五千石

より高きものなし凍漁港 高木公園

白をもて一つ年とる浮 森 澄雄

尾道や手押車の穴子売 沖

ねんごろに会釈しあうて富士講者 沖

水底は卯月明りやの死 中村苑子

荒海や巣立は鳶の色 成田千空

涅槃会のこゑの湖とぶゆり 森 澄雄

港まで追ひ来る鰤大漁 梅島 くにお

春潮に身ををどらせしかな 伊藤 清子

昭和逝くタンカーはを曳いて 児玉悦子

がこわれる沖が見えます未知の駅 浅尾靖弘

はわはわとクレーン休日のは 毛呂 篤

朝はじまる海へ突込むの死 金子兜太

血を売ってとねむる黒人少女 武井清鷹

白壁の街に売らんと鳴かす 山中葛子

海士の家のにしらむ夕べ哉 与謝蕪村

冬霧やキュツキュツとふえる 新間絢子

退場うつくしき女優 斎藤冬海

どこかの光線が顔に 金子兜太

冬支度もとほる村の空 大峯あきら

眼が裂けてをる炎天のかな 石田勝彦

水底は卯月明かりやの死 中村苑子

百合舞へる夜明けや復活祭 古賀まり子

荷役の他は春のと女学生 野澤節子 『雪しろ』

春夕焼海女もも染めつくす 柴田白葉女 『冬泉』

花踏んでの歩く奥淡海 岸田稚魚 『花盗人』

春の暮の波に鳰の乗り(近江) 岸田稚魚 『雪涅槃』

聚ふたのしさ春の潮待ちにも 加倉井秋を 『真名井』

イプセンの像に舞ふ白夜かな 石原八束 『白夜の旅人』

山ぐにのまぶしや夕がすみ 『定本石橋秀野句文集』

注連焚くやは腋をゆるめつつ 大木あまり 火球

白をもて一つ年とる浮 森 澄雄

浮寝していかなる白の冬 森 澄雄

生に家なし死に墓なし 加藤楸邨

妻病みて旅つづくなり冬 水原秋桜子

北欧の船腹垂るる冬 秋元不死男

黒き帽子の上に鳴く 西東三鬼

さへひそめて風の枯葎 中村草田男

冬支度もとほる村の空 大峯あきら

白南風やきりきり落ちゆけり 角川源義

行く船に浮べり寫真の日 杉山葱子

魚島の瀬戸のの数しれず 森川暁水

啼くエリカや折ればこぼるるも 小池文子

翅立てての乗りし春の浪 鈴木花蓑

春服や武家町ふかく来る 大峯あきら

ひとつ舞ひゐて春の風邪心地 安住 敦

魚は氷に上りて白きどり 森 澄雄

日輪を追ひて高舞ふ春 伊藤一子

初漁の魚を高くに投ぐ 旭 昭平

曙や年祝ぎの声より 森 澄雄

手の中にかすか綿虫の息づかひ 今

生に家なし死に墓なし 加藤楸邨

波に打つひかりの楔冬 加藤耕子

木枯に乗りてとなりにけり 草間時彦

喪の十一月河強風に捲かるる 古沢太穂

浜人ら豪胆に呑む花見酒 今

は輪を描き数の子を干す日和 菅原風舟

春服や武家町深く来る 大峯あきら

卒業航海挙手に発つ 西村梛子

翅たてゝの乗りし春の浪 鈴木花蓑

舞ふ夕日の中を二月過ぐ 城 松喜

暁紅の波に影ゆく冬 水原秋櫻子

越後の旅は白づくし 福永耕二

川幅たもち橋を越ゆ 米澤吾亦紅

考へる冬に杭ひとつづつ 橋本榮治

泊船に午後の波飛ぶ冬 秋光泉児

夕暮の水にもどりし百合 藤澤美代

しなやかにはとべり厄日前 有働 亨

衣更へせし今日少女等は 木村 ふく

波に乗るあまたや若布干す 小野 喬樹

茅花の穂千のとなりにけり 西川 織子

ヒヤシンスの眸過ぎゆけり 千代田葛彦

啼くエリカや折ればこぼるるも 小池 文子

潮引きても遠し花の雨 秋光泉児

鰆網絞れば覆ふ群れ 末永てる

卒業航海挙手に立つ 西村梛子

雪晴のシェーンブルンのかな 仙田洋子 雲は王冠

百合ちりぢりに恋きれぎれに 仙田洋子 雲は王冠

銀の鈴鳴らして冬の呼ぶ 仙田洋子 雲は王冠

翁忌の羽音のつよきかな 橋本榮治 越在

考へる冬に杭ひとつづつ 橋本榮治 麦生

木枯や砂の消しゆくの死 橋本榮治 麦生



早春街角

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ご近所

姫紫花菜  アブラナ科 ポルトガル原産

ボランティアグループ管理の街角花壇だが、毎日のようにこの前を通るが
一度として管理している姿をみたことがない。


青山ビル5階テラス

 







駅前 南

 




↑この枯木は季節ごとに大変身する。

冬桜




寒桜はまだ裸木



エレモフィラ・ニベア
 

句会参加

雪催いゴディヴァのチョコを妻が買う
自動歩道でおっとっとうの受験生
秒針の休むことなし梅の花


ドラッグ・ストア

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春浅しドラッグストアの混み具合

心斎橋筋の様相が一変している。
TAX FREE を大書したドラグストアが軒を接している。
和装店までが免税店マークをぶら下げている。

地下鉄「心斎橋」駅を出て大丸へ入り、地上階へ

大丸旗艦店である。天井が由緒を語っている。
 
 
平日の昼下がり。昼ごはんをどこかで食べて帰るつもりで気軽な服装で(というものの、いつもほとんど同じ服装であるが)。
外へ出た瞬間に南北を間違う。南へ、道頓堀の方へ歩いているつもりが、南船場なる標識を見てUターンないしIターン。
 
ワイフの解説では有名店らしい。
蒸気アイマスクが日本で人気爆発?
知らなかった。


マツモトキヨシは心斎橋に何軒店を出しているのか?

「店内有会  」の後の一字が読めない。「話」か?

「中文的店員」中国語が話せる店員がいるという意味だろう。

どこも日本人客など相手にしていない気配。


ハングル文字の案内もあるが、ドラッグストアは圧倒的に中国人を相手に商売をしているようだ。

35%OFFとか10%OFFとかいう看板が多いのに、消費税8%だけの免税では競争に負けるのではないかと心配。
8%プラス8%の意味か?

角の店で、この店の抹茶ポッキーが人気と、抹茶ポッキーを他の客に負けずに
わしづかみして、籠に入れるワイフ。
その籠を持ってレジに並ぶのは私。

「北」の集客力に負けて心斎橋は閑古鳥・・・という話が出回っていた頃から、あまり「南」には来たことがなかった。

 
こんな店もなかったころ。
若い女性(女子学生)を食事に誘ってやってきたのが↓

 
↑不二家。今やあまり見かけないが、学生時代には、神戸の「ことぶき屋」と東京の「不二家」は阪急沿線で2大チェーン店だった。
今や1階はパン屋になっている。
 
 
マカロンが有名な店らしい。
ありきたりのパン(それが好きだから)を集めて
レジに並ぶ。前の客は若者であったが、パンを受けとって去ろうとすると店員が「おつり」といって呼び止める。
そうはいいながら数えるとレジ皿にのっている小銭では不足だったらしく「ワン・モア」という。若者が10円玉一枚を足すと、2円か3円の釣りを渡していた。

たこ焼き買って店の前の椅子に座って食べているアジア人(どうみても
中国・韓国人でない風貌の人も多い)もいるが、
パンかじってあるく観光客(私などもヨーロッパへいけばこの類である)
も結構いるということであろうか。

「ワンモア」で10円玉もう一枚寄越せが通じる世界もあるようだ。

 
↑不二家のメニュー どうみても外国観光客を集めようという意思は感じることができない。日本人の私にとっても、このパスタの価格は極めて微妙な価格である。
どこへ連れていってもらえるのかと思って楽しみにしていたら
不二家だった。
連れていった若い女性から事あるごとに聞かされるセリフである。
今日もまたこのセリフを聞かされた。



さんざん迷って最後にたどりついたのがこの店
糖朝 sweet dynasty  名のとおり四川ではなく香港だった。
一瞬デザートしか注文できないのではと思った。
帰りの乗車駅「なんば」が地下にある高島屋のレストラン街にある。
不二家のパスタよりは若干高いが、まあresonableである。

グリコ周辺




ロンドンピカデリー広場よりもローマのトレビの泉よりも確実に人が多い。
原住民(国内人)があまりいないのもピデリーと似ている。





やたら空港から直行したような大きなキャリーバッグを引っ張っている人が多い。

これまたワイフの解説。:

中は空で、お土産物を詰め込むために持参しているのだと。
ほらあそこに観光バスが違法駐車してるでしょう。
あれは、10分、20分以内に買い物済ませてバスに戻れで、
観光客を降ろした待ちバス。













水掛地蔵

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真昼間にこの場所に来たのは初めてである。
この界隈で会合や宴会があった時には、
睡眼、酔歩で
この辺りを徘徊していて、
偶然この場所に遭遇することは何度かあった。



干飯が匂ふ水掛地蔵かな 橋本鶏二



外国人らしき若者が、水かけて、深深と拝礼して去った後、
私も柄杓の水を2度ばかりぶっかけた。
この寒空に、と、怒ってるかも。

見事な苔である。


真昼間だから多くの店はまだ開店していない。
そんななか、東アジアから来た若い女性が、地図を片手に
探索の足をこのあたりまで伸ばしてきている。


この地区も10年以上前に火事に遭っている。
十三駅前の火事跡はこの地区に倣って再建しようとしているが、借地人の(全員)同意がなかなか得られないようだ。






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肩掛をして足早に法善寺 高木石子

法善寺横町往き来恋の猫 田辺富子

短日の法善寺にて行き違ひ 小畑一天

法善寺月欠けて出るそぞろ寒 吉年虹二

法善寺横丁秋の簾押す 田中裕明 櫻姫譚

福笹の人あとさきに法善寺 茂里正治

人のうしろにしぐれて拝む法善寺 大橋敦子

法善寺横丁をゆく足袋白く 後藤比奈夫 初心













串かつ・どて焼き いずれも例句見つからず



「串」で検索

蒟蒻のを引き抜く花の晝 中原道夫

蒲焼や身を持ち崩す幾ぞ 中原道夫

傀儡師本節の町をゆく 森田 峠

若菜野をうろつく掘たづさへて 後藤綾子

ししやも単身赴任の火に焼かる 山崎千鶴子

簗守の榾火あかりの造り 鈴木敏子

落鮎の抜きてなほ火の匂ひ 黒田杏子

仲秋の太玉を奉る 高野素十

人形よよと泣かせて黴畳 佐野美智

 
田楽のの太さも肥後の国 竜口幸子

の味噌の焦げたる彼岸かな 大嶽青児

 
草の戸の蝮のを干されあり 今井 文野

のぼり潮くだり潮ある火かな 米沢 和子

 
空谷や魚はわれらのに満つ 安井浩司

お火焚のかけがへもなく白し 後藤比奈夫

食べたかずで数へて焼鳥屋 鷹羽狩行

蛤の一辛き空のいろ 飯田龍太

の抜いては刺さる踊る鱒 佐藤文子


 
焼鳥ののあめいろ春の磯 原裕 『青垣』

鮎若し垂直に呑まさるる(富士山麓三句) 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

月にさらす蒟蒻のかぐろしや 角川源義 『冬の虹』

焼のに火のつく半夏生 大木あまり 火のいろに

信濃路や付出しに出る蝗 下山宏子

蛤の一辛き空のいろ 飯田龍太


 
田楽の少し焦げたるの先 山崎ひさを

城ちひさく田楽の長かりし 森田 峠

田楽に野点の娘らももて喰ぶ 富安風生

にさす魚やはらかし寒の暮 桂 信子

髻や卯の札はさむ竹の 松瀬青々

でんがくの干してあり萩の茶屋 加古宗也


 
こま~とにし鰍焼けるかな 野村喜舟


 
章魚乾く裳裾びらきに打たれ 首藤翠波

打つて鮎の命の手にうつる 星野秀則


 

 
針まつり玉捧ぐ黄八丈 尼崎たか

年玉の重き柿遅く着く 百合山羽公

を焙りて杣の年用意 太田蓁樹

魚のすがたの寂びや後の月 水原秋櫻子

横たはる梁やさびゆく岩魚 米澤吾亦紅

撫肩に日傘をあづけだんご 平子 公一

焼鳥のが洗つて干してありぬ 山本馬句

にさす魚やはらかし寒の暮 桂信子

さゝるればの蝗は蹴りきそふ 田中まさる

ほそぼそと落鮎に焼かれけり 倉田素商

蒲焼のの焦げめや西鶴忌 龍岡晋

柿や老いてやまざる独語癖 上野可空

胡葱やの手長はつけ焼に 松根東洋城

田楽の竹のとは熱きもの 佐藤一村

田楽のの長きが嬉しけれ 本田あふひ

歓談のかくも田楽食べし 皆吉爽雨

柿をさして銭籠祝ひかな 安斎桜[カイ]子

柿を祝ふは鄙のすさびにて 栗生純夫

年玉の重き柿遅く着く 羽公

柿のほたほたなれや春隣 犀星

魚のすがたの寂びや後の月 秋櫻子

の鮠枯るゝひかりの十三夜 碧雲居

炉火親しさびまさりたるの鮎 麦南

めづらしやしづく尚あるの鮎 蛇笏

時鳥一尺の鮎にあり 子規


 
ふつふつとおでん一八十円 赤羽学


 
を軍配とせる宮相撲 平松三平

落鮎の打たるるに瞠らきぬ 角川照子

の鮠枯るるひかりの十三夜 大谷碧雲居

錆鮎に打ちて野州のをどり 黒田杏子

柿の食はぬ蔕こそめでたけれ 福田井村

柿ふく粉の夫婦の夕まぐれ 瀧井孝作

柿を夫婦の中にほどきけり 安井小洒

山上の祠のあたり火かな 安藤橡面坊

猛者一人夜な夜な出でゝ火かな 吉田笠雨

鹿跳ねて猟矢木に入る火かな 松瀬青々

暁の火吹き散る風雨哉 酒葉月人

田楽のこちらむけ運びくる 後藤夜半

の大は勅使や紀元祭 前川菁道



 
 
 
 

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立金花

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↓ここに咲いていた花をグルッポに投稿。
立金花という花の名を教えてもらった。




投稿した画像は、もちろんこれではないが、↑と同じ場所に今年咲き始めたものを写した。

以来この花を見る機会は、ここ以外ではあまりなかったが、街中を歩いていて鉢栽培のものを
最近はよくみかける。


↑これは今日見た露地物であるが、自生種ではないと思う。

さて、同じような花を新しいマンションの前庭で見かけた。




花は非常によく似ているが、葉のかたちが違う。
これはキンポウゲそのものなのだろうか?

猫缶さんから投稿と同時にコメントあり。
クリセンサム・ムルチコーレとのこと。
画像で確認したところ、間違いないと思う。


キンポウゲは金鳳花と書くようである。

金鳳花揺れ太陽と遊ぶ花 加藤絹子

近道のはずがある日の金鳳花 大塚美智子

畦痩せて靴を支へず金鳳花 小島昌勝

ほがらかに野川流るる金鳳花 黒坂紫陽子

金鳳花群れて垣なき牧夫小屋 松本みどり

だんだんに己かがやき金鳳花 中村汀女


ハツユキカズラもワイヤープランツも最近覚えたばかりの植物であるが、
個人宅の門前で、二つを上手に育てておられるのを見て撮影。
 



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ファッション・ドール

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句会参加
5句
席題 「間」

東風吹いて都心のビルの乱反射
受験子を乗せて高速エレベータ
梅ウィルスへ隙間だらけのロープ張る


特選にとった句

おぼろ夜の噺家の膝迫り出し来
予約席にナプキン立ちて春の宵



干し大根ファッションドールの脚線美






















遺跡

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今年は後世に残るヒットはなかったよう。

 妖怪か ヨー出るヨー出る 妻の愚痴…こまさん
・おつぼねを レジェンドと呼ぶ 給茶室…しゅう
・是非欲しい 家庭内での 自衛権…夢中人
・長生きは オリンピックが 生きがいに…ふくだるま
・ありのまま 食欲のままに 雪だるま…妖怪はいます
・夜通しで ウォッチに並ぶ サンタたち…ノリー
・アナとユキ わたしゃ胃にアナ 医者にユキ…猫介
・休みます LINEの文字は 元気そう すっとぼけ
・人類の 進化の果てか スマ歩行…旧人類
・アナ雪を 歌う妻見て 寒くなり…まっちゃん



この↓標識、問題あり。

現在地が表示されている。
それはまあ許せる。概念図なら「現在地」にこの標識は立っているのは確か。

この標識は「文化財収蔵庫」の所在を指示するものなのか?
現実の文化財収蔵庫は、「上生島橋」を渡って南へ600メートルのところには存在しない。
かつてそこにあったのか?
上生島橋を渡って600メートルの地点にはそれらしき場所は残っていない。

尼崎市の文化財収蔵庫は、最寄駅の阪神電車「尼崎」駅から600メートルくらいのところに
ある。しかしこの標識は、現在の文化財収蔵庫からは数キロ北側の地点に立っている。

この地点から文化財収蔵庫まで歩いて行く気は起こらない。徒歩なら1時間かかるのではないか。

現在地から上生島橋まででさえ600メートルくらい離れた地点にこの標識は立っている。

この標識は、「栗山・庄下川遺跡」の所在を示すものなのか?

尼崎市の現行の案内書には、「栗山・庄下川遺跡」なるものは記載されていない。

縄文時代、あいまいな朱の点線で囲われた地域は、海であったはずである。

尼崎が誇る弥生遺跡は、田能遺跡と武庫庄遺跡である。

前者は大規模な環濠集落が数百年つづいたことを示すものであり、
後者は、大規模な建造物の柱が出土したことで有名であり、
日本の弥生時代の政治・社会構造研究に大いなる刺激を与えたと
教科書的な書物でも言及されている。近畿初の木棺墓の残存、各種の甕棺などの当時の
墓制を示す遺物、近畿でも銅剣を制作したらしい鋳型の発掘など。

標識が示す辺りには、そこが遺跡であることを示すものは何もない。

この標識が立っているところから、西を見れば、庄下川にかかる橋が見えるのは確かだが、
それは「東川端橋」であり、その橋を渡って南へ600メートル歩けば、ようやく「上生島橋」にたどりつく。

少なくとも現在の道路環境では、標識は1.2キロ先の目的地へ到達するための分岐点
には立っていない。

なんとも不思議な標識である。

この辺りを散歩コースとしてさんざ歩いた結果、この標識の無意味さが分かった次第。

それにもかかわらず、私は朱線で囲ったあたりに何か目印的なものが残っていないか
何度も歩いた範囲ではあるが、再度確認。何もないことを確認して、
庄下川と昆陽川の合流地点(上生島橋から南へ2キロくらい)まで歩いてみた。
新しい発見もあった。

2つの川の合流地点から、昆陽川を少し遡ってみた。

画像の上が庄下川で、手前が昆陽川。

しかし
 
広い道路と川が交差する橋には「久々知川」と記入されている。
昆陽川と上坂部川(久々知も上坂部 も古墳時代の古代豪族の名である)が
合流してから庄下川にさらに合流するまでの川には、久々知川という名称が与えれれているようである。

ならば庄下川に合流するのは昆陽川ではなく、久々知川と記すべきだが、
そう記載した説明文に今まで出会わなかった。


土手の桜


もう1カ月もしたら休日にはけっこうシートがならびそうな感じ。
川の左手(北側)
には大きな公園がある。「尾浜公園」。
公園の北には名神高速道路が走っていて尼崎のインターチェンジである。



↑ここが古墳の跡であるような気配がする。
さて古墳時代にここは陸地であったのか?
尾浜という地名だからやや心配。


ネット検索してみたが古墳等には触れていない。

以下の画像は尾浜八幡神社境内と周辺

 

以前にも触れたが「史跡」の「史」の字が消されている。取り消し処分を受けたのか、
詐称を咎められたのか?

近くにある和菓子屋が名月姫というまんじゅうを販売している。

 
↓神社の外、庄下川沿いの土手に
 
ここでも久々知川とは記していない。
 
ろうそくが灯っている。まだ点けてから間がないように思う。

「続 俳句検索」より

遺跡暑し石の小鳥は少年の手に 金子皆子

はつきりと草萌えてゐる遺跡かな 鷲谷七菜子

かはほりの飛んで遺跡に月ありし 今井千鶴子

露霜の浅倉遺跡田鳧翔つ 田中英子 『浪花津』

出土せる遺跡の闇を蟇ありく 中川博秋 『加賀野』

遺跡掘るやんまも作業仲間かな 中山砂光子 『納沙布』

地の果のやうに蓮枯れ遺跡谷 佐藤早苗

高床の遺跡の縁に冬の蝶 原 清

寒月光みなとみらいといふ遺跡 結木桃子

縄文遺跡野を飛びとびの曼珠沙華 佐藤四郎

芒より芒へたどる遺跡みち 今井千鶴子

蜥蜴這ふ遺跡の物見櫓かな 山本麓潮

車前草踏み遺跡ガイドのボランティア 高澤良一 寒暑

夏鴉遺跡の丘に何漁る 高澤良一 寒暑

燕の巣遺跡の土も混ざりをり 石飛明子

三内丸山遺跡石棺冬北斗 浅沼真規子

天平の湖底遺跡の冴え返る 日置ひな子

唐黍の花の咲きゐる遺跡かな 茂上かの女

遺跡掘る麦藁帽のふれ合うて 寺尾美代子

土くさき遺跡の炉辺の白蛾かな 堤高嶺「五嵐十雨」

遺跡てふ風立つ大地もの芽出づ 山崎千枝子

千屈菜はいつから黒燿石遺跡 矢島渚男 延年

懸り凧遺跡の刻はゆるやかに 鍵和田[ゆう]子 飛鳥

ぬけがらの春の昼月遺跡掘る 鍵和田[ゆう]子 浮標

木犀の銀疲れたり遺跡遺居 平井さち子 鷹日和

幻想遺跡 枯草色の家族住む 伊丹公子 パースの秋

発掘の遺跡の芒刈りはじむ 山田弘子 こぶし坂

竹秋の雨また近き遺跡かな 大峯あきら 宇宙塵

蓮枯れて示しのつかぬ遺跡掘り 相原左義長

遺跡にて燃え尽したり曼珠沙華 山口超心鬼

手焙りの火鉢のまはり遺跡なり 杉野一博

遺跡掘る音の中より秋の蛇 清水明子

古代遺跡火を焚きしあと常山虫 守屋直樹

橿鳥の首かしげゐる遺跡掘り 堀口星眠

逃水の先に遺跡の広がりぬ 島崎せつこ


黒耀石遺跡(長野県)、三内丸山遺跡(青森県)、朝倉遺跡(福井県)、湖底遺跡など
私もおとづれたことがあるが思い出す句はない。

埋められた発掘現場仏の座


俳句(歳時記)ではどうも、たびらこを仏の座(春の七草)としているようであるが、
現代作家は、シソ科の植物をほとけのざとして詠っているように思う。
タビラコじたいは今でもありふれた草であるが。

.

 

追悼文

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伊丹公子さんが亡くなった。満89歳であった。
現在の所属俳句結社に、伊丹公子さん参加なさっていないが、
主要な同人は、伊丹三樹彦主宰の「青玄」に所属していたこともあり、
何人かで公子さんの追悼文を書くことになった。
私もその一人に指名された。
1000字ほどである。
締切は2月20日であるが、
まだ原稿は書いていない。

いつも利用している「俳句検索」で、「伊丹公子」を検索
186句(ダブりあり)登録されている


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黙つている優しさ 橙の全円は 伊丹公子

メキシコ貝もらう 海賊の眼の少年から 伊丹公子

レースの波ひそひそ 鯨が来そうな日 伊丹 公子

不幸な晩年 犀が近よりまた遠のく 伊丹公子

サラダふた皿 同齢女流書家とです 伊丹公子

雨季も乾き くり出すFAX 緊急事 伊丹公子

とおい母国 旧植民地の絨緞踏む 伊丹公子

日本的な白で 人影すぎる障子 伊丹公子

木馬の脚だけ大正のいろ 屋上園 伊丹公子

剥製屋の昼 もう船が見える時間 伊丹公子

マンボウ棲む沖見え 少年に暗い畳 伊丹公子

黙っている優しさ 橙の全円は 伊丹公子

黄がちの村 端で赤児の手が ひらひら 伊丹公子

鴉と農夫の間隔 ともに黒際立て 伊丹公子

雨意たしか 遠家に女の手が見えて 伊丹公子

辺境の鴉単色 啼かずに翔つ 伊丹公子

貝料理店から見る 廃船の今日の翳り 伊丹公子

用心深い鳥影うごく 夕餉どき 伊丹公子

燻製魚店 昏れだす 入江よりはやく 伊丹公子

朴の木までの同行 伐採の若者と 伊丹公子

幽囚史など知らぬ町びと 貝を売る 伊丹公子

大時計に雨が映つて 田舎の駅 伊丹公子

何の風か湧く 電流あおい地下画廊 伊丹公子

人声のあざやかに立つ 遠流の町 伊丹公子

ピラニアの浮沈の隣り 会談なお 伊丹公子

寒行の張る声零し動く闇 伊丹公子

遠神楽に 干大根の夜の迷路 伊丹公子

雪に睡り 真夜 野兎の来るホテル 伊丹公子

鬼貫の町 木槿から木犀へ 伊丹公子

子育て期の活気 七夕笹に風 伊丹公子

睡蓮の水紋あつめ 如来の膝 伊丹公子

槐の花序みあげるいつの日も長子 伊丹公子

少年に木の紋章の蝉かがやく 伊丹公子

鯉が来たのは川の幻猫柳 伊丹公子

熱い耳潜るプールの底は多彩 伊丹公子

一本の華やぎ 晩年の銀の匙 伊丹公子

永遠は掌に乗るでしようか 花梨の庭 伊丹公子

少年に 木の紋章の蝉 かがやく 伊丹公子

軍港の黄昏水仙と鉄匂う 伊丹公子

思想までレースで編んで 夏至の女 伊丹公子

古代埋蔵の村で 艶もつ山珊瑚 伊丹公子

妻訪い婚の壁へ 影絵のヤクの角 伊丹公子

摩尼車 鎖国解けても 解けなくても 伊丹公子

日本の端で 春の喇叭の 大巻き貝 伊丹公子

柔和に尖る 蓮の蕾と 猫の耳 伊丹公子

海猫が 観にくる 岬の映画館 伊丹公子

廃オルガン鳴りだす 雨意満つ啄木館 伊丹公子

槇山の神の遊びの 秋の虹 伊丹公子

滅び鳥ドードーいそうな 雹降る街 伊丹公子

並木にまぎれた 記憶の末端 天道虫 伊丹公子

エメラルドの 寡黙の昂り 寺院の闇 伊丹公子

氷河遠望 トマトが甘い プロフェッサー 伊丹公子

早春の光の針縫う 榕樹の村 伊丹公子

金魚は魚でしょうか はなびらと思うのに 伊丹公子

鳥占いの老人 沈ませ 喧噪河岸 伊丹公子

世紀末の南洋にいる 卓にガルーパ 伊丹公子

指呼の赤道 いつしか 手紙をながく書かず 伊丹公子

星屑 岩屑 まばたく 氷河ホテルの夜 伊丹公子

栗鼠が捧げ 大森林へ消える神託 伊丹公子

夕焼けて 珊瑚になった エルクの角 伊丹公子

山麓ホテルの 黄金時間 角笛は 伊丹公子

大森林に落した 日本のペンさがす 伊丹公子

アーギライトは 森の昏れいろ 鮭くる街 伊丹公子

天使の喇叭咲く日 バンクーバーの四代母子 伊丹公子

未来永い子といて 大学食堂 混む 伊丹公子

在処秘密の石磨く夏 インディアン 伊丹公子

空へ石階 行方知れずのゴッホの耳 伊丹公子

ノートルダム寺院 どこかで素馨の匂いして 伊丹公子

鈴懸並木の果ての一点 乳母車 伊丹公子

ワインこぼれ 耳濡らされたコリーの昼 伊丹公子

雛罌粟咲く ロワール河畔の赤ん坊泣く 伊丹公子

ひまわり畠の 大きな沈黙 南印度 伊丹公子

天井扇に ふるるふる 守宮と吹かれいる 伊丹公子

あれは軍歌 苺ケーキのうえ駆ける 伊丹公子

鬼貫の町 木槿から木犀へ 伊丹公子

波乗りの底の彼方に 古代魚 伊丹公子

晩年の母へ ぱっちり ヒマラヤ星 伊丹公子

サーファーに 龍形の波 幾度かは 伊丹公子

カンポンの雑貨屋 太陽は 日常いろ 伊丹公子

夜へつながる黒砂 いまは陽に返礼 伊丹公子

複写機から出てくる人生 夏はじまる 伊丹公子

押絵になった時間へ沈む 僧院村 伊丹公子

ドリアン二個 蔵って 月夜を華人死す 伊丹公子

ユーカリに雨降る 無限の思慮のごと 伊丹公子

神にもらった 重たいくちばし ペリカン飛ぶ 伊丹公子

峇峇(ばば)言葉 失せゆく宙に ホテルの燦 伊丹公子

ゆらりと膨れた エミューが歩く パースの秋 伊丹公子

弾き損じたギター 国境へ散り散りに 伊丹公子

五世紀似の女 しゃぽしゃぽ水使う 伊丹公子

グレコの手 ゆれる グレコの家の圧 伊丹公子

コロンボの沙羅 桃色に 海荒れだす 伊丹公子

カルメンの薔薇咲く セビリア 除夜がくる 伊丹公子

宝石店の 無数の鍵穴 野象泛く 伊丹公子

鴨発ちてのち あたらしき 地文学 伊丹公子

シギリヤ・レディーの眼下 翳ろう首斬り岩 伊丹公子

老紅梅 充溢 ずっとモーツァルト 伊丹公子

月へ地へ 溶けつづく 影絵芝居の王 伊丹公子


外国で詠ったものが多いが、同伴したことはない。三樹彦は、60歳を過ぎてから毎年のように外国旅行(最初はヨーロッパ。やがてアジア)を企画、
多くの場合公子さんも同伴、旅行社とタイアップ、結社の仲間が10人くらい同行することが多かったように思う。なんどか誘われたが、
現役勤務中は、休暇申請などできる状況にはなかった。

画像
近所の更地。150坪くらいはあったが、結局2つに割られたようである。



↑22日
↓24日

金網の向こう側で工事が始まる一方、手前はアスファルトが張られた。
買手が見つからず、タイムの駐車場になるのであろうか。
 
近くに新設の保育所があるが、ここを利用したい人では購入不可能だと思う。 
通りの向かい側の家は平成基準である。
でも平成も20年を超すと、平成20年基準とでもいいたくなるような
斬新なデザインの家がつぎつぎに、あちこちで建築中である。








螺旋階に 音楽おこる 春の館 伊丹公子

ヒンドゥーの秘儀灼けつきる 全塔身 伊丹公子

杏の花ざかり 暗喩の沖みえて 伊丹公子









オオキバナカタバミ

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「爆買い」 昨年の暮れまでに流行語大賞の候補に挙がっていなかったとすれば、
本年の有力大賞候補である。
爆弾テロが相次ぐならば、「爆」だって今年の漢字一字の候補かも


「嫌中」「嫌韓」を候補にするのはやや問題があろうし。

今や早春を告げる代表格になっている野の草

葉に紫の(黒と思っていた)斑点があるのが特徴。
黄花片喰では、意味をなさない。
かたばみの花は黄色だから。
黄色いが小さな花だが、
このオキザリス・ペスカプラエの花は大きい。
よってオオキバナカタバミ。
 
 
 
自宅から数軒北側の家に咲いている。
社会党の代議士宅であった。
駅前にその名を取ったビルが今でも存在する。
そのビルで医院を開業されていた時には、何度かお世話になった。
2階のレストランも当時としては洒落た店であった。
やや不名誉な噂が立った死に際であったと聞いている。
もちろん最初は植栽されたのであろうが、
今や家の周りを覆っている。
「満開」時は全体がまっ黄色になる。
道を隔てて、赤花の満作垣を持つ家の赤色と好対照となる。
色鮮やかなオキザリスは、バーシカラーを含めて南アフリカ・ケープ地方原産のものが多い。

私が育てているのは、紫三角葉かたばみ。やや小さな紫葉かたばみもよくみかけるので
「紫三角葉かたばみ」と命名を替えた。私が。


2階の窓側で越冬中のカランコエ2種とベゴニア2種
暖かであったので、ベランダへ出して日光浴。


もう花が散ってしまったものもある。
 
 
 

花大根。これは外へ出したまま。
 
↑1プランターに5株以上。やや過植気味
↓8号大鉢(深鉢)に5株。こちらもせいぜい3株が限界だが
ここまで育つと間引く気がしない。
 

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