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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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花束

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秋草と斜面に吹かれ誕生日 上田五千石

青あらし柱に牛の誕生日 小原啄葉

冬の薔薇たくさん活けて誕生日 合原 泉

牡蛎好きの夫誕生日牡蛎の飯 内田 愛子

すぐ停まる汽車を乗り継ぎ誕生日 太田紫苑

誕生日愚かな者よ日を余し 多賀寿一

誕生日飯食い始む星座の前 金子兜太

誕生日靴の重たさだけがある 佐藤鬼房

誕生日八方の天昏れ早く 三橋鷹女

名を書くと硯洗ひし誕生日 八木三日女

誕生日雨に憑かれて雨がある 藍原弘和

天皇の誕生日なり土鍋して 黒田杏子

春暁をまだ胎内の眠たさに(誕生日に) 野澤節子 『花季』

旭が木瓜に紅贈るごと誕生日 野澤節子 『雪しろ』

誕生日朝寝も一理電話鳴る 河野南畦 『広場』

誕生日この一日の薔薇を買ふ(五月二日) 河野南畦 『風の岬』

青五月叱々々の誕生日 河野南畦 『風の岬』

煙草消す露金剛の誕生日 角川源義 『西行の日』

薄氷や魚も焼かずに誕生日 『定本石橋秀野句文集』

雪が降る真中汽笛鳴る誕生日 飴山實 『おりいぶ』

麦の髭揺らす雀や誕生日 大木あまり 山の夢

湯婆に足そろへのせ誕生日 菖蒲あや

寒蕨他もうす味の誕生日 能村登四郎

誕生日鉄板の冷え踏み鳴らし 佐藤鬼房

独房に林檎と寝たる誕生日 秋元不死男

木犀の銀の十字や誕生日 角川源義

のこる蚊のひとこゑ過ぎし誕生日 秋元不死男

秋草と斜面に吹かれ誕生日 上田五千石

我鬼忌は又我誕生日菓子を食ふ 中村草田男

熟れ頃も冷え頃も誕生日のメロン 大橋敦子

未熟児に誕生日来て鯉幟 大塚とめ子

桜漬ふはりと開く誕生日 安斉君子

旭が木瓜に紅贈るごと誕生日 野沢節子

野に遊びたるだけのこと誕生日 大橋敦子

初蝶や歩みそむ子の誕生日 加藤みさ子

寒すみれ摘まれ来しこと誕生日 後藤夜半

煮凝や死後にも母の誕生日 神蔵 器

稲架を解き海の広がる誕生日 松浦 釉

誕生日祝はれてゐてうそ寒し 片山依子

青芝に夜の雨光り誕生日 佐藤脩一

茄子苗はつきたるらしき誕生日 細見綾子

こでまりが風に弾んで誕生日 池田文子

初蝶に手を振つて児の誕生日 井上美樹

初音もう聞くころ誕生日の微醺 益田 清

柚子の実を豊かにしぼり誕生日 朝日出とも子

田螺鳴く父母亡きわれの誕生日 那須 乙郎

踏み鳴らす虹の音階誕生日 仙田洋子 雲は王冠

寒すみれ摘まれ来しこと誕生日 後藤夜半

姿よき寒鯛母の誕生日 柿沼常子

煮凝や死後にも母の誕生日 神蔵器

独房に林檎と寝たる誕生日 秋元不死男

寝て思ひ出す誕生日夷講 加藤知世子

虫籠に酒吹きたかり誕生日 石川桂郎

零余子飯わが誕生日忘れられ 石田あき子

秋晴を夜までたまひて誕生日 山口波津女

熟れ頃も冷え頃も誕生日のメロン 大橋敦子

茄子苗はつきたるらしき誕生日 細見綾子

苺買ふ子の誕生日忘れねば 安住敦

誕生日午前十時の桐の花 平井照敏

ばら五月わが誕生日その中に 矢田部芙美

我鬼忌は又我誕生日菓子を食ふ 中村草田男

旭が木瓜に紅贈るごと誕生日 野沢節子

藤垂れてわが誕生日むらさきに 山口青邨

青饅や夫婦の夫の誕生日 石川桂郎

薄氷や魚も焼かずに誕生日 石橋秀野

独房に林檎と寝たる誕生日 不死男

菫束ぬ寄りあひ易き花にして 草田男 (妻の誕生日に)

毛糸ふと乳房のぬくみ誕生日 国弘賢治

煮凝や死後にも母の誕生日 神蔵器

踏み鳴らす虹の音階誕生日 仙田洋子

新樹切り倒してみたき誕生日 皆吉司

絆創膏のような皇后誕生日 五島高資

逆さまの椅子がずらりと誕生日 五島高資

独房に林檎と寝たる誕生日 秋元不死男

この句が何度も登場。削除しないで残した。
   不死男も反戦俳句で囚われの身となったようである。

      どくだみの十字に目覚め誕生日 西東三鬼

銃声す枯野の中の誕生日 対馬康子 愛国

木蓮や大地で祝う誕生日 対馬康子 愛国

時雨るるを今日の贅とし誕生日 綾野道江

誕生日来る結氷に日の燃えて 早崎明

寒すみれ摘まれ来しこと誕生日 後藤夜半

稿債と咳まだ残る誕生日 窪田久美

我鬼忌は又我誕生日菓子を食ふ 中村草田男

ビアガーデンに夕日まだある誕生日 内田美紗

茄子曲り胡瓜歪める誕生日 相生垣瓜人

どくだみの十字に目覚め誕生日 西東三鬼

川千鳥翔つ辺光れり誕生日 伊藤京子

七夕過ぎ誕生日過ぎ何待つ日々 吉野義子

誕生日夜は浜木綿の白花火 吉野義子

誕生日の吾れと太しや炭俵 村越化石

野に遊びたるだけのこと誕生日 大橋敦子

熟れ頃も冷え頃も誕生日のメロン 大橋敦子

吾よりも蝉の逸れる誕生日 相生垣瓜人

軽雷やきのふ過ぎゐし誕生日 岸風三樓

忘れ雪忘れずに降り誕生日 西本一都

菠薐草薹立ち妻の誕生日 西本一都

幾春を<古賀メロディ>もかすれつつ老人ホーム誰が誕生日 齊藤史 風翩翻

むかし父の日は無く母の日無く誕生日の食卓は親子丼 齊藤史 風翩翻

古織部に鮎ひきつるる誕生日 塚本邦雄 甘露

燃ゆる頬花よりおこす誕生日 寺山修司(1935-83)

誕生日午前十時の桐の花 平井照敏(1931-)

計131句と出てきたものの最初の100句を丸写し。
ひときわ重複が多いように思う。

妻の誕生日。
12歳児の方は台湾旅行から帰って宿題が溜まっているというので、里帰りならず、6歳児だけを連れて花屋へ。






花束を作ってもらっている間に、二人でカードにメッセージを記入。30分くらいかかるというので、駅前ビルの地階と6階を見学。
地階のシャッター街化と6階の「動物園」を写した。







↑正面は喫茶「青山」であったが、シャッターが降りたままである。
駅前に面した1階と2階にも「青山」があったが、こちらは最近コンビニに変貌した。
駐車場のなく、かつ1階と2階に分かれたコンビニは珍しい。
喫茶青山は駅前が発祥の地故、駅周辺に大きな店舗が4つあった。
駅の北側の青山ビル1階はドコモショップに変わった。

6階









6階の北側半分は市の出張所で、その反対側は100均店が占め、「繁盛」している。
その間の店はすべて閉じられたがシャッターはない店ばかりで、一部は市の外郭団体とおぼしきものが利用。その他は休憩所になっている。

けっこう、若い中学生などが利用している。

花屋へゆく前にディッパーダンヘ
大行列
2階のビルをつなぐ回廊の東の端にあるが、メインの部分が婦人服売り場なのが
買い物ついでのブランチ族に受けているのかも。




行列で、6歳児に1時間待ちだぞと囁く。そうでもなかったが。

いつもは1人か二人しか勤務していないのに、今日は4人体制。
据え置きのカレンダーを見ると今日は3と9の付く日にあたり、
クレープの半額セール日。
一度6歳児もクレープに挑戦したが甘すぎるという評価で、
他の客がみんなクレープを注文しているが興味を示さず、
あいもかわらず、ラムネ、シングル、カップ入り
当方はチョコレート、シングル、コーン。
二人とも保守的である。

私は時に、抹茶なども注文。

中に「北海道フレッシュ牛乳」などというメニューがあったが、
6歳児「ほっかいどうフレッシュぎゅうにゅう」と発音。

夜、やっとこさ顔を見せた6歳児のママにその件を話すと
都道府県名だけは日本地図ジグソーパズルをやっているうちに読めるようになっているとのこと。
そういえば3歳か4歳の時にさかんに木製の県型をはめ込む「遊戯」をやっていた。
その折に、どういうわけか自分は鹿児島県生まれだと思いこんで、
「どこで生まれたの?」と聞くと、「鹿児島県」と言っていたのを思い出した。



夜には分解されて


夕刻4人だけのささやかな誕生日パーティ

賀状

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午前3時ころ数十枚をセットして就寝。朝、まだ4枚残っているとの表示。「わ」行を4枚刷り足して宛名印刷完了。
近くのコンビニポストへ投函。
美作あたりには元旦に届かないかも。

数年ぶりに、住所変更や喪中を丁寧に点検。
今年の1月には、10枚くらいが宛先不明で舞い戻ってきたが、その状態は解消されたと思っている。

歳晩の野


農地の転用許可も下り、土地の売買契約が整った段階で、持ち主が逝去。
相続をめぐって裁判沙汰になっているとか。
売買契約は有効なれど、契約相手の名が定まらないので宙に浮いている。


この土地を得れば、かなりの施設拡充の可能性が出てくる。
ただし建設費用はかなりのものになりそう。



この池でヌートリアの家族が巣を作っているのを見かけたが、ここ2年ほどは、
田が耕作放棄地となり、池伝いの畦道に草が茂り踏み越めなくなって
家族が拡張してるのかどうか確認できない。
姿を消したかもしれない。
 
太公望   

太公望冬空写しの池の傍

検索システムでは2句
太公望灯火親しみ仕掛け編む 佐藤功子
漣や太公望に柳揺れ 清水永二郎






多くは枯れているが、場所によってはセイタカアワダチソウがまだ緑と黄色の色を残している。










背後には山が迫っている。




↑この谷川の水が池につながっている。池の唯一の水源である。








初雪かずら

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大晦日の役割
①溝掃除  


②箸袋への名前記入  おおむね10人分 正月3が日来訪予定者と家族
③お屠蘇の漬け込み  まだ開始していない
④年越しソバ用意    すでに食べた。 最近はスーパーで出汁を買うのでらくちんかつうまい。
              蕎麦は乾麺を茹でるだけ。ビニール袋に入った生めんを使っていたが
              柔らかすぎてうまくないのと、出汁が濁るのでやめた。
              蕎麦茹では年中やっている。
              揚げと蒲鉾はワイフが用意してくれる
⑤散髪           今年は孫が傍にくっついていないので無事完了
              8%へ消費税増税後も値段変わらず。3600円。
⑥賀状書き最後の追い込み  今年は昨日投函

⑦テレビ関係      なし。現在時刻8時45分なれど、NHKの7時のニュースを見た段階で 
               私はテレビの傍から離れた。
その他           毎年そういえば、はしご持ってきてワイフの指示により、高い戸棚から
              屠蘇器や銀杯やお椀を取り出す作業もある。
              重箱取り出し作業もあったが、ここ数年はお重は外注。
              それでは足りない数の子、ゴマメ、豆、お膾作りはワイフの専門領域
               
買い物の行き帰りに見た初雪かずら
初雪かずら(さえ)も、今年のつい最近名を知った植物である。







そういえば、↓がオキザリスであることを知ったのが今年最後の収穫かも
 

最寄駅の北改札口を出た道は、かなり猥雑であるが、
金融街でもある。駅の南にもみずほ銀行、りそな銀行の大手とそれ以外の地方銀行が、いくつかあるが、

駅の北側には

三井住友、東京三菱をはじめ三井住友信託、ゆうちょ銀行、尼崎信用金庫、泉州池田
但馬銀行、JAバンクがある。いずれも駐輪場施設を有していない。
よって、いかりスーパーの駐輪場から溢れた自転車を含み道の両側は自転車だらけである。
改札口を出たところにある雑貨スーパーやマック店が並ぶ部分にはかたちだけの歩行者専用通路ラインさえ引かれていない。

駅の南側は駐輪施設が2000台分以上用意されているが、北側は狭い歩道部分にはみ出した自転車にぶつからずに歩行すること困難。

幼児連れや老人は車道を歩かざるを得ないが、
一方通行の車道部分はまた、隣接の伊丹市の市営バスの起点停留場もあり、乗客はこれまた窮屈な場所に長蛇の行列を作らざるを得ない。行列ができる側を歩こうとすれば、車道へはみ出さざるを得ないが、発車間隔が短いので、次々にバスが姿を見せ、人をかき分けるように出てゆく。

雨の日はひときわ危険地帯である。

行政も事情は十分知っているが、手の打ちようがない。
だから多分利用者の方も騒ぎ立てるのを諦めている気配である。

↓大晦日の朝9時半だとその道もさすがにすいている感じはする。



その道を抜けると昔ながらの風景が残っている。↓

 
この地域は、我が家の前あたりまでつづくが、阪急電車が、駅を作ったが乗客がいないというので住宅開発した部分であり、松並木がつづいていた。
その松が残っている、今や唯一の通りである。

(やけくそになった阪急電車が作ったコピーが「いつでも座れる阪急電車」である。
押し込み用、はがし用に学生アルバイトを動員していた阪急電車であるが
沿線が退職者専用住宅化し、社会が高齢化し、人口が減少し、ライバルのJRが
通勤快速列車を走らせ「定期代をチェックしてみませんか」などと触れ回り、
いままた「かなり座れる」ようになった。
通勤時間帯でも人に触れずに乗降できる。
学生アルバイト募集の貼り紙もついぞ見ない。)


そんな道のかたわら の干上がった排水溝を覗きこみ
残念ながらいまだすべての草の名を数え上げる自信はない。


↓これはスイバであろう。


酸葉噛んで故山悉くはるかなる 石塚友二

冬草となりて酸葉ながらへし 耳動子

酸葉噛み酒船石にもたれをり 内田典子

潮先のたぎちそめたる酸葉かな 石田勝彦 秋興

なるほどスイバは冬の草なんだと思う。
取って噛む気にはなれない。


2014年に学んだ草の名を整理しようと思っているが年内間に合わず。

さて書き終えて、お屠蘇など漬けますか。

面掛式

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     謹賀新年


「謹賀新年」  余り使われなくなった。賀状でこの言葉を使っているものは減少傾向。



洗面所やトイレを含め、すべての部屋にカレンダーを吊っている。
私の部屋には一枚物カレンダーと月めくりを、書き込み可能な壁に貼り付けている。
電話をしながらでもチェックできるようにとの配慮であるが、
しばしば記入漏れがあり、迷惑をかけている。

大晦日のもうひとつの課題は、旧カレンダーの取り外し、新カレンダーの表紙面での張り出し
があったが、この作業が元旦にずれ込んだ。
となると表紙面は「鑑賞する」ことなく、はぎとられることになる。

それでは惜しいので記録のため撮影。





富松神社の面掛式が10時から始まると思って出かけたら「10時半頃」となっていた。





富松神社は市の史蹟なのである。
 
 
↑特別に変わった姓はない。中村とか阪本の名が多いが、地域性はない。
強いてあげれば、瀬口とか笹部は、この地域でよく見かける表札である。



私は旧村名では、隣村の住人である。元旦に(旧)村の神社へ行ったことがない。
富松神社を出て、まっすぐ東へ向かえば、広い南北道を二つ超え、阪急電車伊丹線の踏切を越えればわが村の神社がある。

どの程度の賑わいか確認のため、10時半に富松神社へ戻ってくるつもりで、塚口神社を目指す。



富松神社に比べると人出は控えめ。


神社の片隅で見つけた碑
 
その碑が立っている13坪六合余の地所を神社に寄進したらしい。
 
多くの人は本殿前ではなく、横の家の玄関の中へ入ってゆく。
内陣へはそこを通ってゆくのであろうか。歳旦祭は10時開始か。一団が入ると玄関は閉じられた。





お稲荷さんへの鳥居の寄進者名をみるとすべて岸本一族の夫婦名になっている。
この地区の名家は岸本さんなのだ。
岸本さんと言えば、酒樽の菰を作っている会社も岸本名である。


富松神社も塚口神社も行基さんに関係があるよう。

 
神社の横を流れる川。私の目下の知識では上坂部川のはず。

↑今も栄えている店名もあれば、今は姿を消した懐かしい店名もある。




面掛式
卒寿翁が翁面を取り出し舞う。2年前は急病とかで急きょ中止になった。



「儀式」が始まっても、本殿参拝やおみくじ売りは平常運転である。能舞台など眼中にない人が多い。
 
おかげで人だかりもなく、またこの能舞台は4面が空いているので、さらに4面に面して通行できないところがないので、私だけぐるぐる時計回りにまわってパチパチが自由。
 
 















舞い終わると、翁面を解き、箱へ戻し、宮司がまたそれを受け取りに来る。
翁も退場。
そのあと、謡役が一曲ずつ舞を披露して式は終わる。



本日は翁面を取った後、烏帽子を調整するのにやや手間取った。








この能舞台そのものも山村さんが寄贈なさったと聞いている。


このころになると本殿参拝の列は、能舞台を超えて神社の入り口くらいまでのびている。
列を詰めながら時々横目で能舞台を眺めている人が多かった。







二日

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テロもなく過ぎて三日のバターの香
旧作である。数日間バターを口にしないと、久し振りのバターは殊のほかうまい。

最近では、

元旦の午後コーヒ豆を挽いている

二日午後定番のバター醤油餅

暮れの30日に介護タクシーで来訪の義母を2日午前
介護タクシーでワイフがお送り、

帰宅後、バター餅食べてからもう一人を神戸市北区へお送り。
あらかじめ途中の道のアイスバーンを確認して、
最寄のインターチェンジを降りたところで、スノータイヤ装着車に乗り換えてもらう。

夕刻代わって3人来訪。
6歳児の家族。
自家製のお節持参。
6歳児のパパはお帰りで本日の宿泊はお二人。



↑これは本物の棕櫚である。

カレンダーの1月の画像





昨夜の雪が朝になっても車の上にはこびりついていたが、
6歳児の家では雪だるまがつくれるほどにつもったようである。

独楽

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アカシア通りの新年  まさに冬景色
 
どの木も満身創痍
 





やがて伐採されるであろうが、この道路は私道なのか公道なのかはっきりしない。
舗装されているから公道らしいが、道路の半分くらいを囲って植木鉢などをおいていても
おとがめがないのは私道的である。



イベント広場、あまり人がいない。

独楽の紐独楽を離れて空を切る 住友和子

心棒のつつぱつて独楽ただよえる 宇多喜代子

恍惚と夜更けの独楽は廻るなり 津沢マサ子

木の実独楽触れて弾けて孤にあらず 鈴木 榮子

万緑や木独楽はげしき静を享く 柚木 紀子

子等の瞳に澄む一点の命独楽 栗林千津

若き父初独楽廻しそこねけり 瀬野美和子 『毛馬堤』

無住寺の独楽傷古りし著莪の花 浜田みずき 『石蕗の花』

木の実独楽子離れてふ語夫になし 中山フジ江 『富士南』

打ちに打つ腕白の独楽まだ澄めり 安田杜峰 『蛍草』

木の実独楽ひとり子故に離しけり 影島智子 『田神』

木の実独楽影を正して回りけり 安住敦

夜は音のはげしき川や木の実独楽 桂信子

木の実独楽三人の子に三つ作る 関 成美

木の実独楽兄貴ふたりは征きしまま 下鉢清子

負け独楽を手に眠らせて帰りけり 森川緑衣

独楽まはす間の童心をとゞめおり 吉田恵一

喧嘩独楽地球にすこしかすり傷 萩原陽美

独楽澄めり戦争知らぬ少年に 菅原さだを

新世紀まはる地球で独楽はじく 安井常人

打ち込みし左利きなる喧嘩独楽 松村筺花

独楽の子の口笛うまくなりにけり 関口謙太

独楽の紐子等はゆつくり巻いてゐる 山口誓子

強き独楽もつとも汚れゐたるなり 小西瑞穂

独楽のぶれながら時稼ぎをり 中村節子

仲直りはいつも兄より独楽回す 頓宮れい

独楽澄みてやがて静かにとまりたる 榛葉明彦

独楽二つ相打ちゐしが寄り添へる 黒川友子

ぼんやりと独楽に乗りたる別れかな 渡辺誠一郎

倒れんと独楽のへらへら笑ひ出す 中川指月

木の実独楽老眼鏡を飛び出せる 鈴木鷹夫 風の祭

木の実独楽ころげ第一反抗期 皿井芳子

恙やゝありて廻りし木の実独楽 高垣かず子

負けん気が過ぎて場外木の実独楽 井上 匡

悪童も素直にまじり木の実独楽 関根東鳳

木の実独楽故郷の匂ひして廻る 笹瀬節子

木の実独楽芯さだまりて澄みにけり 畑佐白城子

はじめから山へ傾き木の実独楽 山崎 聰

糸ゆふや里の祭の独楽まわし 陽炎 正岡子規

廻るうち確かな独楽となりゆけり 前田隆子

直前に最も乱れ独楽止まる 花谷清

独楽鳴るや殺気は手より背後より 河野 薫

独楽の胴震ひ手に掬ひけり 和田幸江

新しき独楽に添寝をせしことも あかぎ倦鳥

海の音山に鳴る日の独楽澄める 山根仙花

加賀殿と名付けてよりのあばれ独楽 宮田勝

滅多打ちされたる独楽の立ち直る 松井義和

独楽宙に紐の呪縛をはなれたる 平松三平

独楽の勢ひを手でおさへこむ 大堀柊花

一点を探り当てたる独楽の芯 渡部節郎

まはされて傷の消えたる喧嘩独楽 若井新一

少年の舐めては巻ける独楽の紐 斎藤朗笛

白馬から飛び下りて騎士独楽廻す 脇本星浪

てのひらにまだ負独楽の熱ありき 荻原都美子

独楽の子に糸まだしろき日中かな 島谷征良

独楽回るその危うさを囃されて 船平晩秋

独楽競ふ子がゐて壬生の袋路地 茂里正治

独楽強しまた新しき色を生み 橋本榮治

喧嘩独楽紐に秘訣の脂を塗る 中村たゞし

独楽も遠嶺も肩をあげにけり 大嶽青児

傷にまた傷を重ねて独楽の胴 戸恒東人

喧嘩独楽火花発しておとろふる 加藤憲曠

抛てる独楽雀躍とまはりけり 鈴木貞雄

回転の末期酔ひどれ独楽となる 山下美典

打ちてより口に咥へて独楽の紐 加古宗也

牛小屋の牛に見られて独楽を打つ 大串章

独楽二つながなが回り相触れず 宇多喜代子

独楽は愛しも徐々に彩もどる 小賀野恵

独楽を打つモスク広場の大理石 山田弘子

とある漁港に廻り澄む独楽一つ 友岡子郷

独楽のまだ余力あるひかりかな 福田甲子雄

負け嫌ひなる末の子の独楽を打つ 上野泰

手のくぼに重さうしなひ独楽まはる 篠原梵

おのが影ふりはなさんとあばれ独楽 上村占魚

ふところに勝独楽のあり畦を跳ぶ 神蔵器

独楽の精尽きて松籟ごうごうと 内藤吐天

かしぎつゝ独楽の金輪の摶ちあへる 百合山羽公

独楽は手で拭き息をかけて寝る 加藤楸邨

たとふれば独楽のはぢける如くなり 高浜虚子

少年のこぶしが張れる独楽の紐 長谷川かな女

独楽の子をたしなめ羽子の子をかばふ 富安風生

独楽によき団栗ひろふ賢治の忌 角谷昌子

独楽の子に陸前の海渚なき 富安風生

独楽廻す子に路地裏の川ひかる 中村文彦

白き紐たれて手にあり独楽澄める 佐々木郷盛

独楽のこつんとかなし空を見て 中尾杏子

独楽童子ふところに手をあたためつ 黒川 龍吾

叩きつけられたる独楽のまはりけり 久保田万太郎

倒れては遠逃げすなり木の実独楽 皆吉爽雨

火の独楽を廻して椿瀬を流れ 野見山朱鳥

枯野の中独楽宙とんで掌に戻る 西東三鬼

山の子が独楽をつくるよ冬が来る 橋本多佳子

独楽二つぶつかり離れ落葉中 星野立子

麻痺の児が笑ってくれた木の実独楽 石井樹氷

はじめから山へ傾き木の実独楽 山崎聰

舞ひ澄みて独楽一色になりにけり 上島としえ

勝ち独楽のまだまだ競ふ力あり 冨所冬女

独楽崩れゆくとき森の泉見ゆ 久保田月鈴子

敗け独楽に故郷の日暮れ来てゐたり 山内佗助

おのが影ふりはなさんとあばれ独楽 上村占魚


独楽はなかなか回りません
その間に草の観察
この↓草の名わかりますか?
 

本日は抹茶とグレープ 

窓外  ビルの間から六甲山が見える。

このあたりだと高層階で西と北の展望ができるところなら六甲山と北摂の山が見える。
西宮より西だと、かつては阪急電車の車内からでも山が見えたが、今は高いビルが線路の北側に建っているとその隙間から一瞬しか山は見えない。

その点では阪神電車の車内からの六甲連山の眺めはいい。

今年は年末年始寒かったのでさすがにブルグマンシアは咲いていないが、
少しは葉が残っている。


.花大根

ポンプ

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花屋さんや温室へ行けば赤い花もいっぱいあるが、
野外には赤い花はあまりない季節である


普段は見向きもしない実でもこの季節にはヒヨなどには貴重な食料となる↑


ゼラニュームでもこの季節に野外で咲いているのは一般的ではない。
 
赤い花と言えば山茶花やカンツバキくらいか。
 
普通の椿は↑のような状態

庄下川経由で駅前へ
そうなるとどうしても通らなければならない橋


東富松川にかかっている。もうふたつ北側の橋では「ひがしとみまつがわ」というルビが振られている。昔の東富松村を貫流していたからであるが、いまでは地名は「ひがしとまつ」と呼んでいる(読んでいる)。
この橋は昭和51年架橋。それより以前にこの地区に引っ越してきて住んでいるが
その前の状態についてはまったく記憶にない。



この橋の名前↓
 

りゅうえんばし はないだろう。「やなぎばたばし」かと思ったら
「やなぎべりばし」だった。以前にも読みを確認しているはずが、とっさには思い出せなかった。


東富松川は完ぺきに石垣とコンクリートに囲まれた川である。













ポンプ井戸ひびく一つ家法師蝉 池沢葦於

芽木長屋夜濯ぎに鳴るポンプいくつ 飴山實 『おりいぶ』

誰か早やポンプ使ひし初明り 阿部みどり女 『笹鳴』

ほとばしるポンプの水や蝶生る 金堂豊子

初音聞く灯油のポンプ押しながら 山田節子

出初式手押しポンプも参加して 河村昌子

青田波ポンプ小屋へと寄せにけり 大野信子

時雨るゝや水をゆたかに井戸ポンプ 中村汀女

青葉木菟夜もポンプをこき使う 鷹羽狩行





↑6歳児は本日ダブル。


桜早しポンプ一突き水溢れ 中村汀女

雪をすつぽり開拓の青ポンプ 辻田克巳

ポンプ押しゆるゝふぐりや寒水汲む 川口重美

 
日蝕のすぎてもポンプ滴れり 横山白虹

手押ポンプのすこすこと彼岸過ぎ 長谷川久々子


バブルガン

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バブルガンとはなかなかの名付け。
こういうものはなべて「に~に」が買ってくれる。




↑公園でみかけた3姉妹。3つ子ではなさそう。

建ち始めると1800㎡が狭く感じる。
鉄骨が塀の高さを越し始めると、傍の道を歩いていても圧迫感がある。
しかしここの10階建についてはまったく反対運動がなかったように思う。
交通量の多い広い南北道に面しているし、
すでに駅前周辺には高層建築を既成事実のごとく立ち並んでいる。






散歩は夕方になり、「に~に」付き。
クレープとカルピスフロートにラムネアイスを浮かべて。わたしはりんご シングル カップ。


このダイエーマークも間もなく消えるよう。


5日より通院再開冬帽子

珈琲の青山と記した青山ビルが見える。
そこの5階にある歯科医院へは7日に予約
今日12時1分前に入って2時前に診察終了した医院のビルも見える。

12時前に入っても待合室は満員なので、
受付だけ済ませて外へ
喫茶青山の駅の南側にあった店はファミリーマートに
中を覗いてみた。





ファミリーマートのコーヒはファミマカフェと呼ぶようである。
まだどの店のものも利用したことがないが出張先などでは便利かも。
私などはカフェテリア方式のホテルの朝食で3杯飲んでも、
出張先へ到着したらやはりもう一杯飲みたくなる。






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八百彦

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 おせち料理は、今年は大丸松阪屋に注文。
名古屋の八百彦本店という店から届いた。
老舗らしい。真面目な内容紹介が同封されていた。


2セット注文したが、今日までで9割がた消費。
ただし「消費期限は1月1日まで」となっている。
ややまじめすぎるような気もする。(丁寧に消費期限までにお召し上がりください、と記されている。「賞味期限までに」という文もある。ひょっとすると賞味期限と消費期限の違いが認識されていないかも。)
3重のお節料理は4人分となっているが、1日では消費しきれない量がある。

真面目な解説の事例。

「煮貝」という料理名にカッコして「あわび殻付き」となっている。殻はアワビだが貝は、「らば貝」となっている。

イセエビも、アフリカミナミイセエビと書かれている。

「角うに」の中身も、「魚卵加工品(カラフトシシャモ卵 数の子、その他)、粒ウニ・・」となっている。

昨年までの数年は和洋中華3段のものを注文していたが、中の「中華」がやや不人気で
変更。

今夜の月


30倍ズームを使うと、月が激しく揺れる。手ぶれ現象がはっきりとする。


↑これくらいでも画面の真中に月を配置するのが難しい。


朝方は雨だったし、6歳児も夕べお帰りで、本日は終日閉じこもり。

私、「田作」という言葉を知らなかった気配である。

ウィキペディアの解説:

田作、または田作り(たづくり、たつくり)は、カタクチイワシの幼魚の乾燥品、およびそれを調理した料理。 別名、ごまめ(鱓、五万米、五真米、古女)。

乾燥させた小魚を乾煎りし、冷ましてから、、、を少量、これを煮詰めた液で絡めてつくる。絡め過ぎると全部くっついて取れなくなる。 ごまめという単語を使ったことわざとして、ごまめの歯ぎしりがある。実力のない者が、無闇にくやしがったりジタバタとすることのたとえである。

おせち料理、特に風の祝い肴三種として欠かせないもののひとつである。

田畑の高級肥料ととしてイワシが使われていた事から豊作を願って食べられた。別名のごまめの語源は「細群」(こまむれ)だが、祝い肴であることから「五万米」「五真米」の文字があてられた。

田作を剥がす力の箸の反り 服部青駕


田作の秤りこぼるる光かな 永井暁江




田作や箸に触れ合ふ海の色 柴田清風居

齢重ねなほ田作のほろ苦き 鷹野映

田作や河童に入歯なかるべし 秋元不死男

田作のこんがらがつて出来上る 今井千鶴子








ヒマラヤサクラ

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十月桜 


2本だけ。1本は建物のすぐ脇に植えられていてあまり見栄えがしない。




満開と言っていい感じ。

広場の端の川のたもとにヒマラヤ桜
こちらも最盛期



伊丹川の土手に植えられている。多くはソメイヨシノ。





気になっていたかたばみ


黄色かたばみでした

蠟梅も咲きだしたし
花追人にとって至福の時がやってきたよう。
 
こぶしも開花準備順調
 

ヒマラヤの青芥子ひらく難波の地 福田甲子雄

ヒマラヤの星の 真下の 夢枕 伊丹三樹彦

ヒマラヤの水で洗うは 童女の髪 岩崎 勇
ヒマラヤのここも麓や水澄める 福井圭児

ヒマラヤを越えなん花弁罌粟散れり 依田明倫

ヒマラヤの山懐の村の春 八木林之介 青霞集

   雲上の朝焼炎立つ歯のヒマラヤ 小檜山繁子

晩年の母へ ぱっちり ヒマラヤ星 伊丹公子

公子さんには何度もアジア旅行を勧められたが
休暇申請などできない時期だった。
岩崎勇も同行したのであろう。
「ヒマラヤ」で検索したらヒマラヤ桜の句は出てこなかったが、
ヒマラヤ杉の句はたくさん出てきた。削除した。

青芥子の句もヒマラヤでの句ではないが、
昨年初めて咲いているのを見たので、懐かしく残した。
花博の折の句であろうか、福田さんの句。


 
オリオンに手を出す 曙光ヒマラヤ待ち
            伊丹三樹彦 写俳集











斑入りフッキソウ

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この白い花の名教えて
 


ツカシンモール正面 なかなか立派
ガラス越しに斜行エスカレーターが見える。
開店当時は行列でなかなか乗れなかった。



前花壇 アリッサム
 
 
境界花壇
 
斑入りフッキソウと名札が付いている。しかし、どう見ても木である。しかも
ヒノキに見える。
赤いのはオタフクナンテン。最近ではありふれた「木」である。
その右上はツルマサキ。アメリカツルマサキという札がたっていた。

ネット画像で斑入りフッキソウを検索すると、かなり違う葉のものしか出てこない。






一般住宅でもこれを利用する家が多い




句会参加
3句
書き移すこと数多あり新手帳
アドレスと住所の違い寒椿
五日より通院再開ユニクロ帽



 

 

原油

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原油価格が暴騰していたが、
突然急落を始めた。
1か月ほどの間に半値以下になっている。
ガソリンを月1程度補給せねばならない者にとっては結構なことであるが
国家収入の大半を原油輸出に頼っていた国にとっては大きな痛手である。

その背景は?

ロシアはウクライナ問題を抱え、欧米(日本も一応は参加)の経済制裁を受けている。
農産物の輸入などで代替地を探るも、消費物資の値上がりが国民の家計を圧迫している。
原油をロシアに依存していた国にとっては原油価格の値下がりは都合がいい。
逆に工業製品も農産物も輸出余力がないロシアは、原油輸出が頼みの綱であった。
原油価格の値下がりは外貨獲得力を半減させている。

ロシアから見れば、原油価格の値下がりはアメリカが仕掛けた「制裁」と見える。

しかし最大の原油輸出国はサウジ・アラビアである。
サウジが原油生産量を抑制すれば世界の石油の需給関係は逆転する可能性がある。
サウジが原油供給を縮小しないのは(原油価格の下落を容認しているのは)
アメリカのシェールオイルの開発を牽制するためであるという。

シェールオイルは深海からの採掘のためコストがかかる。
1バレルが60ドル以下では採算が合わない。
シェール・オイルへの投資資金が集まらなくなれば
サウジないしOPECは原油供給を削減するかもしれない。

日本はともかく90%以上の石油を輸入に依存している。
原発が利用できなければ、電力会社は値上げせざるを得ない。
1バレル100ドル超えを常態とし、原発稼働まで時間がかかると想定して
各社は大幅値上げを予告している。

しかしその予告は、原油価格の半値以下への低落という事実が発生したために電力料金値上げの根拠は消滅したことになる。
よって再計算式を設定しなければ値上げは認可されないであろう。

「原油」では例句はないと思ったが念のため検索。やはり0.
「石油」では、

蒲公英の黄の鮓やかに石油基地 大下 健二

沢庵の石油くさき冬至かな 会津八一

穂に出づる石油池の芒かな 会津八一

稲妻や石油浮ぶ池の面 会津八一

初冬や石油で洗ふ絵の具筆 栗林千津

新緑に開発すすむ石油の香 大島民郎

葬送の火の手をあげる石油罐 林田紀音夫

石油罐自然に一つ跳ね瀕死の猫 永田耕衣 悪霊

浪がおしあぐ白南風の石油基地 横山白虹

林田、永田、横山、いずれも、この種の題材で一世を風靡した人たちで、
私が20歳代であった頃、周囲では彼らに対するファンが多かった。
白虹さんとは小さな宴席で同席したことがある。当時でもすでに80歳ではなかったか?
社会派俳人と聞いていたが、気安い感じの人であった。

ウィキペディア

横山 白虹(よこやま はっこう、1889年(明治22年)11月8日 - 1983年(昭和58年)11月18日)は、俳人医師。本名は健夫(たけお)。東京府生。父は評論家の横山健堂九州帝国大学医学部を卒業。俳句は中学時代からはじめ、大学で九大俳句会を設立、また吉岡禅寺洞の「天の川」に投句する。1927年より「天の川」編集長となり、新興俳句運動の推進に努める。1934年小倉市にて横山外科病院を開設。1937年「自鳴鐘」(とけい)を創刊、主宰。同誌は1939年に戦時の用紙統制令によって休刊するが、1948年に「自鳴鐘」(じめいしょう)として復刊した。1952年山口誓子の「天狼」同人。1973年現代俳句協会会長に就任、1983年の死去まで協会の発展に尽くした。ほかにも小倉市議会議長、九州市文化連盟会長などの要職を歴任し多彩な交流があった。

句集に『海堡』(1938年)『空港』(1974年)『旅程』(1980年)など。代表句に「ラガー等のそのかちうたのみじかけれ」「雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり」などがある。また「天の川」の俳人仲間であり患者でもあった芝不器男が夭折した折には遺句集を編んだ(1934年)。

高分子化学者の横山哲夫は長男、俳人の寺井谷子は四女。先妻の美都代(産褥熱で死去)、後妻の房子も俳人であった。

出会ったのは、白虹が現代俳句協会の会長職にあったころである


駅で見なくなったと書いた募集広告


写真等から窺えるのは、ラッシュ時の押し込み、(もっとひどい時は剥ぎ取り)用ではなく、
車椅子利用客が増えたことによると思える。

「時給」の後の840円は、後から貼りたしたものである。
大阪の最低賃金が838円になったので、急きょ変更したのであろうか。

阪急三宮駅前
 
ラーメン屋が軒を連ねている。
と同時に(神戸)ステーキ屋も多い。
とある1軒で昼食。




ともかく

落柿舎

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年末にPCを替えた。最新のものではない。
構内ラン専用で仕事場で使っていたものである。
すでにブラウザがかなり古いバージョンらしい。
ブログを開くと、最新のブラウザへ更新しろと催促する。
更新に移ろうとすると、現在つかているものとは互換性がないと
更新作業へ進ませてくれない。
「エラーがでました」という表示があるものの、それでもPCは使えるので、そのまま使っている。

PCは2008年ころまでの文書が残っている。
2004年ころの画像も。


↑このころは、まさに名刺サイズのカメラを使っていた。IXYとのみ表示されていた。キャノン製かどうかわからない。
今でもオート設定のまま、ズーム機能あるいはフラッシュ機能くらいしか使っていないが、このカメラは
いかなる調整機能も付いていなかった。ただファインダー覗いて(液晶画面もなかった)シャター押して
パソコンにつないで画像を取り出すだけ。

今は亡きM君の車に乗って、主に平日、夕刻から京都の嵯峨野周辺を走り回っていた。
被写体になるのを好まなかったM君を遠景にしたような画像をたくさん撮っていた。
そんな一枚が独立して画像集の中にあった。

まだ人力車案内もなかったころである。
その後学生アルバイトかなにかしらないが、
二人しか乗れないリンタクが京都のみならず
全国的に普及していった。

最近では倉敷市内でも沢山営業しているのを確認。



↑「2004年11月 落柿舎前」と珍しく画像に名前が付いている。



同じころ、多分同じ日。清涼寺↑

これなどはどこの風景か思い出せない。




乳牛の黒き眼バレンタインの日 大峯あきら


牧夫婚約 薄い春陽が乳牛包む 伊丹公子 メキシコ貝


所属の結社誌に、伊丹公子さんの想い出を書けと依頼された。
この句を見ても分かるように、公子は俳人というより詩人であった。

 
2004年当時は、画像はもっぱらA4の画像用用紙に編集して文字情報を加えてプリントアウトしていた。そのための「原稿」がこのPCにはたくさん残っている。現在12歳児の10年前だから2歳当時のものである。しかしそれはプリントアウト用にワード画面に貼り付けたものであるので
それをコピーしてもブログ画面には再現できない。


















冬の雲

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冬の雲もなかなか見ごたえがある。
 


 


 



明らかに雪雲も登場
外気温5度くらいあったので雪にはならなかった。
 
センダングサを含んで半分くらいは同定できる。
 

「雲」だけなら例句はいっぱいあるだろう。
「雪雲」もあるだろう。
「冬の雲」もないことはないだろう。

「冬の雲」「冬雲」ではなく、「冬  雲」で検索

句集名や作者名の一部に「冬」か「雲」が登場するもの178句
ダブりもある。178句全部コピーした後で(時間があったので)それらを削除

うらゝの仏たち 中川宋淵


や波郷が詠みし山毛欅峠 牛山一庭人

「山毛欅峠」は何と読むのか知らない。
波郷に有名な句があるようだがそれも知らない。
検索

萬緑を顧みるべし山毛欅峠 石田波郷(1913-69)

が出てきた。

ネット検索したら、「ふなとうげ」と読むよう。
標高720メートル。山形県にある峠のようであるが、
なにか有名な「見物」があるのかどうかまではわからない。


蓼科は被くかも隣 石田波郷
この句は何度も登場


傾山と祖母山と連なり 後藤 緒峰

病む窓の日射しさへぎる 並松 生代女

倒木が沼に落ち込む 斉藤 節

に機音何処かしのび寄る戦火 山岡敬典

コンパスの一肢がおどり刺す 小暮洗葦

バルセ口ナのよごれた旅の髪 小木ひろ子

めくと厚くして遠野郷 岸田稚魚

 
と鳥みることもなき菫 大木あまり 火球

残留孤児の富士額 大木あまり 火のいろに

ざれの梢駈け行く千切れ 手島知韶

に向けてえいえいと貨車を押す 加藤楸邨

の三日月の金つつみ得ず 野沢節子

生後三日の仔牛立つ 飯田龍太

を截るや庭師の大鋏 山田健弘

大空に飛石の如 高浜虚子

晴れて那須野はの湧くところ 渡辺水巴

耕やかたちなき日がの中 相馬遷子

近し時雨のもここよりぞ 蕪 村


 
上に嶺ありにけり芒 田中澄子

 
石狩の逃げたがるの海 大郷石秋

舞ひたはむれて暮れにけり 石原龍人

に錦帯橋のとどきけり 荘所亀子

ビル巨体遠く寄らしめず 細木芒角星

卵黄のごとくに日あり 阿波野青畝

伊吹嶺や風の象に 辻 恵美子

ほんやりと峰より峰の 惟然

 
山羊なども気荒き日なり 百合山羽公

走者また走者田に満ちて 橋本榮治 逆旅

紅葉ふかくゐて暮るるなり 上条筑子

帽や伊吹にさわぐ見つつ 村山古郷

沿ひ行けば夜のうつるの川 山口誓子

たそがれの大動く野かな 中川宋淵

一塊の巌より重し 乃木楚人

父の忌の動くこともなし 津田汀々子

の穴の青空移りゆく 猿橋統流子

の三日月の金つゝみ得ず 野沢節子

野に赭らむ誰の晩年ぞ 堀井春一郎

に向けてえいえいと貨車を押す 加藤楸邨

を山羊に背負はせ誰も来ず 百合山羽公

火の山を動かぬ菜引 村上光子

藁積むや大峰はの中 飯田蛇笏

の大きしじまに歩み入る 古沢太穂

卵黄のごとくに日あり 阿波野青畝

はじめの行方を子がたづね 上田日差子

実のあるカツサンドなり 小川軽舟

や竹のまなかに担ぐ人 小川軽舟

いちまいののあかるさすみれ 伊藤敬子


     雲
割れて朴の芽に日をこぼす 川端茅舎

透かせて洗う試験管 対馬康子 愛国

厚き見合ひの日なりの蝶 諸橋直子

の池にうつりて魚動かざる 寒川鼠骨

に溢るる精気見たりけり 高木喬一

や毎日通る肥車 前田普羅

馬子唄にあそぶ浅間山 岡澤康司

戦艦の如く進みけり 本居三太

淋しはあらはに北の山 漁焉

    冬や磔像のごと特攻碑 八牧美喜子

ちぎれても厚きみちのくは 八牧美喜子

と重なる思ひの長きに入る 村越化石

ひそかにも空満たす鵙の 千代田葛彦

日をつつみ己れ寒むがる 西本一都

を踏まへ帆桁を洗ひをる 石田勝彦 秋興

生後三日の仔牛立つ 飯田龍太(1920-)

明暗に山肌分けし 杉田竹軒

の行方を誰が知りませう 三橋鷹女

の北のあをきをわが恃む 橋本多佳子

この橋を駈けたら逢える 松本恭子

呼びあえる生きて走られず 寺田京子

がつきはなしたる兵士の墓 熊谷愛子

いちごパリにも白き浮くや 鎌倉佐弓

たとへばたとへば砂や帽子 栗林千津

すべすべの師の手吾の手 斉藤夏風

近し送りつぐ風車小屋 斉藤夏風

や父軍艦に朱を掲げ 宇多喜代子

もすでに大鱗立つ日 福永耕二

と重なる思ひの長きに入る 村越化石

をわれは日暮にばかり見る 下村槐太 天涯 下村槐太全句集

だしぬけにわたされしビラ 木下夕爾

一箇半箇となりにけり 永田耕衣 與奪鈔

が翳抱く故郷 乳房さがす 伊丹三樹彦 樹冠

一鱗も欠けざるのいわし 能村登四郎 寒九

どこやらがどこやらが春の 後藤比奈夫 初心

ひそかに藍を刷きにけり 久保田万太郎 流寓抄

地にもの書きつゝいひけらく 久保田万太郎 流寓抄

入日、に、まぶしけれどもざるゝ 久保田万太郎 流寓抄

一箇半箇となりにけり 永田耕衣 奪鈔

東京の上の襤褸のごと 松本たかし

を叱る神あらん日夕磨ぎに 河東碧梧桐

急ぐをたよりに峠越す 野見山朱鳥

妹手拍つ切れて日が射せば 中村草田男

其大を比すべきものに 松瀬青々

の蓋豊岡にかかりをり 京極杞陽

におしつけられし山の線 京極杞陽

ちかし時雨のもこゝよりぞ 蕪村 秋之部 ■ 落東ばせを庵にて

覆ひ来る塚の名残りや 立花北枝

ぼんやりと峯より峯の 広瀬惟然

いそがしや脚もやすめぬ 斯波園女

うきて行くの寒さやの月 斯波園女


わたつみを抱く陸めける 阿波野青畝

は薄くもならず濃くもならず 高浜虚子

晴の井はるかに田鶴まへり 杉田久女


そこで1句
冬の雲湯気出して走者ゆく


パン屋

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冬の雲全身から湯気吐き走者

とでもしないと字足らず感がある。修正。

冬の雲湯気吐き湯気吸い走者ゆく

神戸三宮界隈を歩いていると阪急電車沿いからイクタロードあたりには、ラーメン屋とステーキ屋がやたら目立つが、
JRの三宮駅からそごう百貨店あたりへ行くと、今度は
喫茶店ないしコーヒショップとパン屋がやたら目につく。

パンは好きだから大阪でも神戸でもよく覗く。
ドンクなどは昔から神戸のパン屋として有名であったが
パンは好きでもパン屋の屋号はあまり記憶していない。


今日「南部再生」という奇妙なタイトルの雑誌のVol.49を入手。
年数回発行と書かれているが、2014年はず~とVol.48号しか目に入らなかった。

国道2号線の南を走る43号線沿いは喘息公害訴訟の被害地であるが、その和解金を活用して尼崎南部再生研究室が設立され(現在会員400名)その機関紙のような役割を果たしているようで、私の庄下川めぐりも、北は水源を求めて宝塚市の手前まで歩いているが、南はまだ河口に達していないが、この雑誌の影響もあって市民の森近くまでは歩いている。

パナソニックの大きな文字を見てここにもパナソニックの工場があるとその門前まで写したのに、
サムソンに撃退されて、工場開設数年にして閉鎖となった
あの有名なパナソニック工場であることは帰宅後に気づいたので、画像紹介はせずに再度のチャレンジの機会をうかがっている。そのあたりをみな森にしようとしうのが、この「あまけん」の「野望」である。

Vol49はパン(屋)特集である。
神戸にパン屋は多いとおもったが、Vol.49中の記事によると
神戸には234軒のパン屋が営業しているとか。
尼崎は52軒だそうである。ちなみに一位は神戸、ついで西宮68軒、姫路58軒で尼崎は県下第4位だとか。

ただし、尼崎の市域はかなり狭く50平方キロしかないし、そのすべてが市街地であることもあって、1k㎡あたり、
 1軒のパン屋があるそうである。神戸は0.4軒。
パン屋の密集度では尼崎が県下でダントツの一位だそうであある。

武庫川木村屋のみが兵庫県パン協同組合に加入しているとも。
この木村屋はまちがいなく銀座木村屋の暖簾分けであろう。

西宮や伊丹あるいは御影あたりには酒酵母菌を提供できる酒造会社が多いからアンパン用酵母の調達には困らないという地の利がある。
 
↑阪神パンは尼崎で学校生活をおくった者すべてが知っている給食パン提供業者だそうである。


阪急園田駅と競馬場との間にあるイリエ(入江さん経営のお店)はクリームパンが有名で阪神百貨店でいつも行列ができていたそうである。
今もスッテンテンになった人たちが通る道路沿いで一日3000個のクリームパンを焼いているとか。
エーデルワイスでのシュークリーム作りの修行が背景にあるとか。
エーデルワイスのパン屋が最寄駅の駅前にもあった。
繁盛していたし、ひいきにしていたが、今では小さな店でケーキだけを扱っている。

夕刻に撮影した越冬中のカランコエ




産業文化財

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尼崎城址公園の近く

庄下川↑
立派な高校の前
 





↑碑の横に産業・民俗資料館がある。尼崎文化財収蔵庫の付属施設











.↑阪急電車が開通した時、尼崎市内には塚口駅しかなかった(武庫之荘駅・園田駅はなかった)ことを初めて知った。


「産業」でも1句位はあるだろうと思ったが例句0
「工業」では1句だけ

軍需工業夜天をこがし川涸れたり 岸風三樓

摘発対象であったかどうか。

岸風三楼の句

初寅の雪のきざはし鞍馬寺 岸風三楼

宝恵籠やちらつく雪も宵のほど 岸風三楼

成人の日の躬を縛す紐いくつ 岸風三楼

歌留多とる声や門前過ぐるとき 岸 風三楼

立ちて受くる青年の礼初風呂に 岸 風三楼

いでてゆく船に犬吠え浦の春 岸風三楼

冬の蜂尻を耀らし爆心地 岸風三楼

うつくしき炭火蕪村の忌たりけり 岸 風三楼

牡蠣舟の舳をゆく月の芥かな 岸風三楼

風除をしてどびろくの隠しあり 岸風三楼

加茂川の日々に涸れゆく酢茎かな 岸 風三楼

毛糸編む妻に戦火の遠けれど 岸風三楼

静と書き母の名なりし時雨けり 岸風三楼

寝ても思ふ冬の銀河のかゝれるを 岸 風三楼

寒き夕映え被爆ドームを宙にして 岸 風三楼

松の風落ちては萩の風となる 岸風三楼

神籬を走れる蔦も薄もみぢ 岸風三楼

鮎落ちてとがりそめたる鞍馬かな 岸 風三楼

子供らにねむき呪文や牛祭 岸風三楼

茶道具の一荷も時代祭かな 岸風三楼

いくそたび時雨るゝ萩を刈りにけり 岸 風三楼

古綿を干して山廬の秋深し 岸風三楼

門に待つ母立葵より小さし 岸風三楼

枇杷すゝりをはりし双手宙にせる 岸 風三楼

泰山木一花を朝の日に捧ぐ 岸風三楼

灯取虫家郷に遠く父母あり 岸風三楼

老鶯や天に入りゆく岨の径 岸風三楼

夕されば松籟さむき御祓かな 岸風三楼

還幸の船待つ篝焚き加ふ 岸風三楼

水中花明日あるために美しく 岸風三楼

籐椅子に師あれば簷に富士青し 岸風三楼

武蔵野に多き岐れ路しどみ咲く 岸 風三楼

大いなる月の出でゐし桃の花 岸風三楼

椿咲き日輪海の上わたる 岸風三楼

壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸 風三楼

義士祭の太鼓玩具として打たる 岸 風三楼

大試験巷の音を遠くしぬ 岸風三楼

春来ると湖畔に馬を曳き出だす 岸 風三楼

闇汁の足やはらかく踏まれけり 岸風三楼

北塞ぎ南縁薔薇のひとつ咲き 岸風三楼

菩提子はかなしほとけは美しき 岸 風三楼

茶道具の一荷も時代祭かな 岸風三楼

椋鳥のこぼして椋の実なりける 岸風三楼

処暑の富士雲脱ぎ最高頂見する 岸風三楼

帰省子にトマトの青も門辺なる 岸 風三楼

水着脱ぐ葭簀はをとめらに短かし 岸 風三楼

焼酎や頭の中黒き蟻這へり 岸風三楼

三光鳥かなしき声の遠けれど 岸風三楼

竹伐やいかづち雲の嶺に生る 岸 風三楼

雛罌粟の咲かまく首をかしげたる 岸 風三楼

茶摘けふ終り祭はあしたより 岸 風三楼

孕み鹿よりくることの愛しさよ 岸 風三楼

*たら芽ぐむ真白き雲の光りとび 岸風三楼

雲雀鳴く揚りきりたる高さにて 岸風三楼

水取や衛士の提灯木の間より 岸風三楼

大試験巷の音を遠くしぬ 岸風三楼

冬終る鴉水田に尻つけて 岸風三楼

聖堂の灯や極寒の坂照らす 岸風三楼

初薬師かへりの芹を摘みにけり 岸風三楼

手のひらに古備前愛す切山椒 岸風三楼

煙突と冬三日月の相寄りし 岸 風三楼

焼酎や頭の中黒き蟻這へり 岸 風三楼

*たら芽ぐむ真白き雲の光りとび 岸 風三楼

椿咲き日輪海の上わたる 岸 風三楼

壬生狂言うなづき合うて別れけり 岸 風三楼

ゲートルを巻きしは昔空襲忌 岸 風三楼

不受不施の徒たり寒梅咲きにけり 岸風三楼

凍鶴の啼くとき頸を天にせる 岸風三楼

寒鴉二羽それさへも居ずなりぬ 岸風三楼

うつくしき炭火蕪村の忌たりけり 岸風三楼

牡蠣舟の舳をゆく月の芥かな 岸風三楼

寝ても思ふ冬の銀河のかかれるを 岸風三楼

寒星や地上に逃ぐるところなし 岸風三楼

煙突と冬三日月と相寄りし 岸風三楼

自然薯の全身つひに掘り出さる 岸風三楼

敗荷にひつかかりたる落暉かな 岸風三楼

菩提子はかなしほとけは美しき 岸風三楼

椋鳥のこぼして椋の実なりける 岸風三楼

懸巣鳥なき比叡に天台秘法あり 岸風三楼

茶道具の一荷も時代祭かな 岸風三楼

豊年の雀青空より降りぬ 岸風三楼

栗飯や忘じて遠き母の顔 岸風三楼

月明のいづこか悪事なしをらむ 岸風三楼

仲秋や雲のうへなる雲流れ 岸風三楼

*はまなすや波のうへより濤襲ひ 岸風三楼

巴旦杏掌中にして五十過ぐ 岸風三楼

竹伐やいかづち雲の嶺に生る 岸風三楼

夕闇は加茂にとく濃き御祓かな 岸風三楼

御田植うる白扇胸に乙女さび 岸風三楼

竹夫人欲しや夜の雨通り過ぎ 岸風三楼

焼酎や頭の中黒き蟻這へり 岸風三楼

凧の糸のびるばかりの怖ろしや 岸風三楼

成人の日の躬を緊むる組いくつ 岸風三楼

初薬師かへりの芹を摘みにけり 岸風三楼

初寅の雪のきざはし鞍馬寺 岸風三楼

藪中にあつまる径も恵方かな 岸風三楼

藪いでて又畦をゆく初詣 岸風三楼

佇めばつぶやく醪寒造 岸風三楼

追羽子や川をへだてて嵐山 岸風三楼

歯固や甘えごころに母のもと 岸風三楼

このブログ公開時間には蟹を食っているはず。

浜ダイコン

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これはトベラ(の実)。浜トベラなんてないはず。

 
トベラは潮に強いのである。





これはスイバではない。↓


どうみても大根。
浜ダイコンってありそうな名前と思って検索。
砂地に野生化した大根で、食えないと説明があった。
これはなんでしょう?
花には見覚えがあるが。
浜が付くんでしょうか>





砂地ないし海風が好きらしい。


こんな感じのところ
夕食




丹後半島網野町浜詰、夕日が浦の宿屋

固有名詞「網野」で検索
こんな句がでてきた。
羽衣みたいな干網 野火の匂いがする 伊丹公子


網野町浜詰トベラの実が爆ぜる
夕日ヶ浦の夕日の中の浜大根





夕日ヶ浦

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「〇〇ガ丘」という地名は新しいものが多いそうである。
「〇〇園」「〇〇荘」という地名は圧倒的に大阪・兵庫に遍在しているのに対し
「丘」は全国的に普及している(らしい)

中でも「緑丘」「桜ヶ丘」はそれぞれ全国で100箇所くらいあるようである。

つづいて第3位は「旭ヶ丘」であるが、「朝日ヶ丘」や「あさひヶ丘」などを加えると
100近くになる。

それに対して「夕日ヶ丘」は「夕陽ヶ丘」を加えても9件しかない、調査表がある。

「浦」も多い地名で、特に長崎県の対馬や五島列島あるいは天草島などでは「〇〇浦」なる地名で
溢れている。

それに対し「夕日ヶ浦」なる地名は全国で1箇所しかない。
(以上は公的調査結果ではない。好事家が持ち寄ったデータを覗き見した結果である)。

その夕日ヶ丘の夕日
あまりいい画像は撮れなかった。



旅館(とホテルの境界があいまいになっているが、「純和風」を謳っているので)の部屋の窓からの風景。まさに夕日ヶ浦に直面の宿である。↓
 

 すでに結露現象が始まっているが、翌朝(14日)には窓の桟に水が流れていた。
民宿クラスであるとその湿気が部屋全体、廊下などにも「浸透」している。
蟹の量を選ぶなら民宿、隣室からの遮音やロビーのソファあるいは温泉施設などを重視するなら
ホテル旅館(ホテル形式の旅館)といったところか。

夕日ヶ浦あたりは民宿は目立たない。

浜に出て、一瞬、昨年同じ場所に宿泊しているのに、立つ位置がどこか分からなかった。
かなり西へ歩いて行ってようやく昨年よく歩いた場所との接点を見つけた。
 
 冬の浜ハングル文字を蹴っており


昨年同じ浜で作った句である。
相変わらず浜は、流れ着いた雑多な人工品と船用品と海藻で見苦しい景観であるが、
不思議にハングル文字の瓶・缶は見当たらなかった。

昨年の今頃は未だ「反韓」「嫌韓」ムードは盛り上がっていなかったので、
「蹴って」は反韓行為ではない。為㋹念



ないとすれば夕陽ヶ丘の夕日など
実はこれも旧作 大阪市内での句


まだ元気だった時間帯のマイ・ワイフ


ワイフは今の時間帯はほぼ平常。


14日の朝、浜を覗くとサーファーが10人以上出ていた。
それほど豪快な波が押し寄せているわけではない。
初心者向けかも。

中の一人は防潮堤の内側で(波を避けて)練習中だった。







昨年よく歩いた道




遠い山には雪があるが、この浦は残雪もない。



大合併で京丹後市になったが、ここ久美浜は残雪が多い。
14日早朝にはここへ救急車に同乗してやってきた。
こちらは朝日がきれい。
 

仮説

夕日ヶ丘では朝日は望めない。山陰になっていて。
朝日が丘では東の展望は効くが、西側には山かなにかがあって水平線・地平線に沈む夕日は望めない。

仮説以上に真実性が高いのは、

朝日は「昇る」ので、評判がいい。夕日は「沈む」ので地名選択の対象になりにくい。

急性出血性大腸炎  目下のところの診断予測。

5日の潜伏期間があるので、蟹ではないらしいが、
医者はやはり蟹刺しを原因視しているようとか。



鯵南蛮漬

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15日夕食 アジの南蛮漬け
一人前 アジ4匹
 
鯵の南蛮漬けは1昨年あたりから我が家の夕食メニューに仲間入り。
最初のレシピをコピーして渡したのは私で、
昨年妻に教わりながら鯵の油いためだけはやったことがあったが、
材料の購入からすべてを独力でやったのは初めて。
片栗粉の在りかと赤唐辛子の在りかはふらふら状態の妻に尋ねたが
スライスラーの在りかは尋ねるのをやめて
自分でカッテイング。
ピーマンと人参を加えて彩りを添えたのは
改めてレシピを読んで工夫。
ここに青じその葉があれば最高なれど、
季節柄庭にはなし。

葱を晒して筋切りにしたものを加えてもいいかも。

いつも南蛮漬け用として売っている鯵より少し大きめであるが
読んだレシピは1匹80グラムのものを一人1匹で3人分の出汁レシピだったので
出汁は作りすぎた気配。
結局半分程度しか使わなかった。

頭の頂上から尻尾まで骨ごと一匹食べ終わってから
これは画像に残すべきと思って写したので
上の画像には3匹しか写っていない。

ワイフは入院検査は免れ自宅療養なれど、ほぼ絶食状態。


わずかに粥的なものを啜っている。

今晩は、ワイフの提案で夕方になってからおでんの材料を購入へ。
レシピ読むと一晩寝かせた方がいいということであったが
1時間ほど炊いてすぐに卓上コンロへ。
昨夜は外食だった息子にも好評。

ワイフは大根とちくわと卵半分くらいをお粥と一緒に食べていたよう。
癌の可能性はないという診断でワイフもかなり精神的に楽になったよう。

さて今日はやや遅い賀詞交換会参加

参加費が所属団体からすでに払い込まれているのでやむなく出席

アトラクション

↑左側の人が親分で、5人で座を組んでいろいろな会場へ出かけているとか。
主催団体の宝塚支部の役員さんが元宝塚スターで、その人の紹介で招いたとか。
この人持ち歌もあるよう。ちゃっかり1200円で販売


60分の間に10回くらいお着替え。聞き間違いがなければ「加茂千条」さん 
↑の右の方は英(はなぶさ)マキさん
 
 
あとは紫鳳さん姫野さん誠(まこと)さん

会場のホテルの周辺











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エリカ

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句会参加
出席の一人から、半ば儀礼的に
「奥さまお元気ですか」という挨拶
「いやいやまったく元気なし。寝込んでます・・・」

出句3句

生き抜いて負債溜めこむ雪の嵩
湯気吐いてその湯気吸って走者ゆく
20年目のローズマリーの匂う朝


優先座席表示 老人・障害者・妊婦・幼児連れ、最後のは、
内的障害者を指している(と思う)
 
こんな標識を表示した電車がやってきた。「救援」
初めて見た。電車が途中駅で故障したら、出かけてひっぱて帰るらしい。
駅員に聞いてみた。
白い無地か、「回送」表示にすべきところを間違っているようですと。

エリカといえば、関西では、この花を連想する。
しかし↓もエリカ

地方自治体は命名権を期間限定で販売している。
運動施設や文化施設の維持管理費用ねん出のためである。
↓ 歩道橋まで販売対象になるよう。

 
 
生田川↑布引の滝(上流)方面

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