みなさん、コメントでのご教示御礼。
私もネットで調査。
改めて、マンホール(デザインマンホールという呼称があることも含めて)がブレイクしていることを確認。
沢山の愛好家による各市のマンホール紹介記事も読ませてもらった。
花は、まちがいなく、夾竹桃。
「尼崎のマンホールを調べるために阪神尼崎駅下車。すぐ目の前にデザインマンホールがあった。尼崎は豊かなんだと思った」なんて感想も。
そういえば、ふと思い出して倉敷市内でマンホール探した時には、デザイン入りのものはすぐには見つからなかった。(同市が貧しい町とは思えなかったが)
デザイン入りの蓋が豊かさの指標になるかどうか疑問ではある。今日駅前から自宅までの帰路、マンホールを数えてみようと思ったが、途中で数えるのをやめた。10メートル間隔で設置されている。
中央部に描写されているものも、
螢、トンボ以外の魚は、鯉と目高と見なしたが、フナと泥鰌と認定しているブログにも出会った。
猫缶さん情報では、ベゴニアを描いたものもあるとか。
尼崎市は市の花として夾竹桃を指定。
指定した当時、市内の各地に夾竹桃の茂みがあったのであろう。
しかしその後公害の町尼崎で花粉が喘息の一因とされ(セイダカアワダチソウともども)、この市の花は余り喧伝されず、日陰の身となり、
代わって、市は新たに、(アメリカ)花水木を市の「花木」に、ベゴニアを市の「草花」に指定した。
それ以後新しい道路が整備されると街路樹に花水木を積極的に植えて回ったよう。これはネット情報や市の「公式見解」に頼らない、私の主観が混じった見解であるが、過去のいきさつなどもう少し調べてみようと思っている。
公害では1句のみ。
公害を棚上げにして花粉症 北さとり
市の花では
1句
市の花の苗木をもらふみどりの日 佐野たけ子
市の南部の公園などでは今でも夾竹桃を見る機会が少なくないが、
肥料もあたえられず、あまり剪定もされず(とはいえよく繁茂するので、他の樹木の成長を邪魔しない程度に刈りこまれ)健気に生き延びてきた年長者かその子孫であろう。
あるいは公害に強い木として推奨された経緯があるのかどうか?
6ケ町村合併後の美作市の蓋はどうなんだろう?
↑は合併前の作東町のもの。
夾竹桃
もみじ
吹田といえば、万国博覧会、あとは千里ニュータウンくらいであろうか、関西地区以外でしられているのは。
ちょうど万博開催中の期間を含む前後数年、私は千里ニュータウンに住んでいた。
故あって、(今なら処罰ものだが)、万博のフリー入場証を利用できた。
夕方5時ごろから万博会場へ出かけた。アメリカ館だろうがソ連館だろうがすいすいと
入場できた。でも隈なく訪ねはしなかったように思う。平日は勤務があるので、利用したのは
土曜日、日曜日の夕刻であった。
吹田市には、次女と義母が住んでいる。義母の住んでいる介護付きマンションと次女家族が住んでいる家とは地図の上では近接しているが、道が入り組んでいて今でも私は車でも徒歩でも辿りつく自信がない。
ワイフが、義母や次女と行きつけの店があるというので案内してもらった。
店の回りはもみじがきれいであった。
ワイフが車の助手席から撮ったもの。以下4枚。
和食の店の前に不法駐車して撮影。
果樹園があった。
いつも次女が持参してくれるケーキはこの店のものだそうである。
以下2種の樹は同定できない。
これは上向きに青い実が生っていた。↓
実をしっかり写したつもりだが、うまく写っていない、猫缶さんわかりますか?
これは名前聞いたら、ああー、それそれと言えそうだが、なかなか名前が浮かんでこない。お助け! ↓
マンホールから 手が出て 電球掴んで消ゆ
俳句入門間もなくこの句を見て、感動した。
だから私の句もまったく季語を意識しないものであった。
作者は門田泰彦という人。正確な表記を確認したかったが時間切れ。
カンニングなしにさつきってどうして分かるだろう?
義母は骨折で入院、その後リハビリ病院を経て、近じか、退院予定。
戻って来る部屋に手すり用バーの取り付け工事の立ちあい、部屋の掃除などが本日の用件で、私は運転手役。
丘の上のマンション5階からの風景。
近景: 下り坂を3分あるいたところにスーパーがある。
.遠景:スカイビルやグランフロント大阪のビルが見える。
生駒の山も見える。
鋏
2階のベランダで管理しているカランコエ。4号鉢1株から増えに増え、実のところ
管理放棄状態。しかし枝が長くなってくると、本能的に折り取って(捨てるのではなく)手近な
土に差し込んでいる内にこうなった。
すでに蕾を一杯に持っている。日の差し込む屋内の窓際に置いておくと、2月頃には満開になる。そうなるとますます処分しにくくなる。
キッチンに鋏の常備秋麗
耳鼻科へ行った。12時前に飛び込んだが、日が悪かったのか、まだ10名位が待合室に。
最後は私一人になって診察終えて外へ出ると1時を回っていた。午後の診察は4時からだが
その間にスタッフは食事をするのであろう。
ワイフは留守と分かっていたので、近くのうどん屋で、パックもののきつねうどんを買って還った。出汁と揚げ一枚と刻みネギ、それと7味がセットになっている。消費税込みで302円。
もっと高かったが、すぐ傍にあるマックが100円マックを売り出したためにかなり値下げしていた。今はマックは中国産チキンで打撃を受けかなり客足が遠のいている。
それほど広くもない駅前の通りの半分くらいを占領してマックで食事をする自転車が停められていた。その上、順番待ちの客が店からはみ出して長い行列を作っていたこともある。
家に戻ると、まずは出汁を温める。冷蔵庫にふとネギやかまぼこがあるとそれも加える。
この店の出汁は、今はそれほど感動しないが、ともかくうまい。
だからソバとソーメンの季節でも月に2,3度は食べている。
以上のことは書くつもりはなかった。
出汁を鍋に移すのには鋏を使う。油揚げを取り出すのも鋏を使う。今日は7味の封を切るのも鋏を使った。
今や鋏は重要な厨房道具なのである。
スパゲッティもよく食べる。乾麺を取り出すために鋏を使うが、トングも今や必需品である。
我が家では日本そばを茹でるにも、鍋物の具を取り分けるにもトングを使っている。
我が家には大小、長短5本位トングがあるはずである。
他にも、20年前には日本の厨房になかったものが、今では必需品になっているものが多数あるはずである。調味料といえるかどうか、「塩胡椒」やポン酢、オリーブオイルなど今やどの家庭にも常備されているが、少し前まではどの家にも常備品とはみなされていなかったばかりか店にも置いていなかったものもある。
1970年代、80年代、私は外国で生活しても水を買う気にはなれなかった。
90年代になると私は(レンターカーを利用できたこともあるが)せっせと4リットル入りのミネラルウォーターを買っていた。
もっとでかいものも売っていたが、そうなると店から車まで運び込むさえ苦痛である。
(冷凍物売場では豚の餌かとおもうほどでかい袋入りのとうもろこし(の粒)なども目にした)。
阪神淡路大震災後は、我が家では、(非常持ち出し袋は姿を消したが)2リットル×6本入りの「六甲の水」のケースが常に1箱以上予備として置かれている。
平成20年代基準の新築家屋では、そういったものを収納するスペースが用意されているのであろうか。コストコでワイン用収納庫が売りだされていた時に、20本用位のものを買いたいと思ったことがあるが、さて家の中の何処に置くのかと考えた挙句、諦めたことがある。
衣類などにも同様の変化が起こっていると思うが、日本(人が住む)家屋の厨房の標準構造は早急に変更しなければならなくなっている。昔の農家の味噌(醤油)蔵に相当するスペースがあれば、梅酒造りも復活するかも。
鋏で検索。この字は登録漢字ではないよう。
「苺」に変ってしまう。
現代俳句協会のデータベースを利用。
ヒロシマにことりと置かる花鋏 | 佐藤凍虹 |
二ン月や拾った鋏のよく切れる | 白井米子 |
余寒なほ母の鋏の鈴の音 | 髙原翠 |
夏空を高枝鋏傷つける | 村田まさる |
左ききの鋏をさがす土佐水木 | 竹﨑あき |
指先に冷たさ集め花鋏 | 奥田昶子 |
春寒や布地にざくり鋏入れ | 巽三千世 |
春立つや水の音する裁ち鋏 | 中村克子 |
木鋏も腕もなまくら松手入 | 鯨井孝一 |
水仙剪る錆びし鋏を花に詫び | 桂信子 |
永き日の出職の鋏いつやみし | 文挾夫佐恵 |
海蟹の鋏をこわす夜の零下 | 和知喜八 |
稲妻に横たわりたる花鋏 | 前川弘明 |
花鋏きのうの蜂にまた出会う | 花谷和子 |
花鋏鳴らし剪りとる猫柳 | 岸本砂郷 |
随所に鋏の類い日曜の午前終り | 林田紀音夫 |
雪渓や洋裁鋏研がれあり | 宮本佳世乃 |
クリスマス
マンホールの男の腕冬に入る | 四方花紅 |
マンホールの蓋まんまるや春の雪 | 田邊香代子 |
マンホール蓋開けたまま冬に入る | 堀本吟 |
月光を呑みこんでゐるマンホール | 三輪初子 |
月明きマンホールより鉄の棒 | 須藤徹 |
俳句検索システムから
阪急百貨店の年末用ショーウィンドー
中国人(香港人にしては垢ぬけしない。台湾人との区別も容易ではないが。)
観光客も撮影していた。もちろん子供連れの若い母親などもどのウィンドーの前にも立っていた。
ウィンドーは全部で7つ。7場面。1場面2枚ずつ。
通路の左手に見えるのがショーウィンドーである。↓
それぞれに、幼児が登って眺めることが出来るように「眺望台」が設えてある。
↓阪急百貨店と阪神百貨店が出会う地下のこの場所は、阪急百貨店の新装以前と変らないが、部分的には改修、増築された部分もある。
淀屋橋の橋の上から、南側を見ている。
新聞報道によると、実が臭いという苦情に対応して、植替時には雄株だけを植えているとか。
淀屋橋駅から京阪電車の特急に乗って、深草駅下車。
・
吉祥草
席題は「赤字」: 句会経営が赤字寸前になっていることが話題になったので。
5句出句
赤字覚悟の大盤振る舞い照もみじ
開放禁止の扉の裏の照紅葉
解散後地震竜巻照紅葉
御三家の名札の配置照紅葉
ポインセチア仕入れ蘇る種苗店
本日特選にいただいた2句。
同一作者のものだった。
ふつつかのついてくるらし着ぶくれる
救急音木の実の競うすべり台
ようやくわが家の塀沿いのポランター置場を整理した。
倒れかかった千日紅の集団でかなり汚くなっていた。
芽が出ているのは花大根(諸葛菜)
ガレージの僅かな隙間。ここも千日紅だらけだった。
ポット植えのものを貰って10日以上経ってようやく植え付け。
ペチュニアを植えていた土故に、ひっ繰り返して土を入れ替えるのに時間がかかった。
このあたりもタイルが見えないほどに各種の鉢物が並んでいたが、押しのけた。
押されて追放されたものの整理はこれから。よって画面以外は推して図るべし状態。
手前に見えるジョロは次女が独身時代に買ってきて自分用の園芸に使っていた。
15年以上経つが立派に用をなす。かなりの高級品であろう。
百均(ダイソー)で多くの園芸用品を入手するが、3年以内に用をなさなくなる。
今日の句会に
大義なき選挙の行方吉祥草
という句が出ていた。実はその前に、この作者のブログを覗いていて、
吉祥草を紹介なさっていたので、作者はその方であると予想できた。
候補者が選挙事務所に吉祥草を飾ったというのなら、
「吉祥」という縁起のいい名前との関係で、「吉祥草」を据える意味も浮かび上がるが、
高倉健みたいな、あれは仁義だったか、言葉使いが(多分)安倍さん同様、気に入らなかった。
選者は、むしろ時事俳句としての側面を良として、点を入れたようである。
その選者も吉祥草はどんな花かしらないのだが、と発言。
作者は、こっそり吉祥草を盆栽仕立てで用意なさっていて、出席者にご披露。
披露が終った後、その吉祥草は、その選者ではなく、私のワイフへプレゼントされた。
名目はなんであったか?
大義なきままであったかも。
ウィキペディアの解説は短い。
キチジョウソウ(吉祥草、学名:Reineckea carnea)はスズラン亜科の常緑多年草。日本国内では関東から九州、また中国の林内に自生し、栽培されることもある。
地下茎が長くのびて広がり、細長い葉が根元から出る。花は秋に咲く。ヤブランにやや似た穂状花序で茎は紫色、花は白い花被が基部で合生し筒状となっている。果実は赤紫色の液果。
家に植えておいて花が咲くと縁起がよいといわれるので、吉祥草の名がある。
きっしょう ではなく、キチジョウと発音するようである。
川沿い
最低賃金
やまもみじであった。この公園にはカエデの木はないと思っていたが、片隅に1本だけあるのを確認。
さくらもみじも見頃である。
この落葉はやがて清掃の対象となるが、この公園の清掃は、周辺住宅地居住者のボランティアではなく、旧の塚口御坊周辺居住者によって行われているようである。(このあたりに旧町居住者の田圃があったことと関係があるだろう)。
清掃している人に話しかけて尋ねたことがある。
違う機会に、違う人に尋ねたが、いずれも老人雇用センターのようなところに登録している旧町居住者であった。まったくのボランティアではないようだ。
先日阪急電車の駅で、「大阪府内の最低賃金838円」と大書した「広告」を見た。
今日、兵庫県の最低賃金を調べてみた。10月1日からそれは776円である。
いかなる業種であろうとこれ以下の時間給で人を雇うことは禁止されている。
ただし除外があって、18歳未満と65歳以上についてはこれ以下で雇うことも許されている。
しかし業種によっては最低賃金はこの水準を大きく上回る。
兵庫県内であれば輸送用機械器具製造業は892円、鉄鋼業は877円である。
コンビニやダイエーのような(間もなくイオンと名を変えるよう)小売業では786円である。
ついでに美作市について言えば、(まだ送られてこないが、市報「みまさか」12月号に掲載される筈である)、719円である。
大阪:838円、兵庫:776円、岡山719円と西へ行くほどかなりの率で下ってゆく。
福岡を除く、九州・沖縄では667円である。
秋の、クローバーの緑も、悪くない。
ケヤキ紅葉
「最低」で検索 1句
鉄の乙女が操る鮃は最低だ 夏石番矢
まあ私も20歳代、30歳代ではこんな句を作っていた。
私が目下、気にしているのは、最低気温が5度になったら、カランコエとベゴニアを屋内へ取り込まねばといったところ。
「賃金」でも1句
あつと云う間に死んだ電気工夫の賃金や生活を誰も知ろうとしない 橋本夢道 無礼なる妻
さすがにこんな長い句を作ったことはない。
念のため、現代俳句協会データベースを検索したが、「最低」でも「賃金」でも例句はなかった。
そして忘れてゆく冬柑の黄の鮮やかに
この句は桂信子さんに褒めてもらったことがある。
すぐ浮かぶ底板教授は幼名で呼ばれ
教授を3音と数えても21音。その上無季。
もっと長い松葉をと20歳の森に暮れ
これは俳句入門間もなく作った句。22歳か23歳頃の句
/
黄葉
ご近所というよりは、我が家からは対面の家の庭の石榴黄葉。
紅葉と書いても黄葉と書いても「もみじ」と読む。
公園に枇杷の木があるのを知らなかったというので、ワイフを案内。ついでに昨日紹介したのを同じ場面を2,3枚。
買いかえようと思っているカメラ、どうしたことか紅葉に関しては、
実物以上に綺麗に撮影できる。
僅かな例句の中に、胃カメラの句が多い。
定期検診の時の胃の検査は、バリウム服用であった。
一度ひっかかって病院へ行ったことがある。
持参した紹介状は、実は他の病院の医師宛になっていた。
私が、紹介された病院を間違ったのである。
しかし女医さんはまあ私が担当しましょうということで、
日を改めて胃カメラ呑む日を決めて出かけた。
胃カメラ呑むと画面を私にも見せてくれる。
検査したのは男性であったが、
綺麗ですよ。もう女医さんの所へ戻る必要ありません、このままお帰りください。
無罪放免だった。
その後バリウム検査はなくなって、血液検査だけでよくなった。
大腸検査にも一度でかけたことがある。
これはやばかった。
女性看護師が、自転車の空気入れみたいなものを持ってきて
先端を肛門に差し込んで空気を入れて大腸を膨らますのである。
医者がもう少し膨らませろと指示すると、
またやってきて同じことを繰り返す。
足踏み空気入れの要領で。
今でも同じことをやっているのかどうか?
コーヒを常飲しているキューバ人には大腸癌患者が少ないという記事を読んで以来、
私はコーヒ党になった。
ワイフも一日1杯は飲むが、毎月2㎏のコーヒを消化している。
旅行の際にも夜に飲むコーヒのために、焙煎豆を持参する。
今では、バイキングであれなんであれ、ホテルでも旅館でも和朝食の後でも
コーヒが飲める。夕食後も同じ。
しかし午後10時ごろのコーヒはなかなか飲めない。
唯一の例外は、美作のポピースプリング。ここでは夜は、
1階のエレベーター前に、ビスケットともどもコーヒメーカーを置いてくれる。
最近、どのコンビニも入り口近くに焙煎コーヒのコーナーを設けている。
まだ利用したことがないが、注意して見ると店によって名称が異なっているようである。
カウウター・コーヒという名称の店のものを見て、新しい普通名詞かと思ったら、
近くのローソンでは違う名称であった。よってカウンター・コーヒは固有名詞のようである。
↑最近はよく見かける草である。名前も知っている筈が、2,3日いろいろ努力しているが思い出せない。このブログでも神戸の花時計がこれを利用している時に、名前ともども紹介した記臆がある。赤色と白色が混じった緑葉の2種がある。
感じは似ているんだが、やっぱり葉の形態がかなり違う。
ブログ、丸3年、欠稿なし。
取り入れた画像10,700以上。
20%に成っていた残り空き容量が83.69%
に変っている。総容量が増えたみたい。
.
三日月
三日月が綺麗であった。
撮りそこなった。
夕刻に見た三日月はすでにかなり西の方へ落ちていたので、この句の意味が分かる。
近くの公園であれ、庄下川沿いであれ、緑化植物園であれ、
そこを愛し、朝夕そこを歩いている人がいる。
私などは、何処へ行っても余所者感覚がある。
市内でみる公木、公樹には、桜の他には、ケヤキ、メタセコイア、沼杉、ナンキンハゼ、カナダカエデ(フー)が多い。
庄下川沿いの小さな公園にはメタセコイアが10本以上植えられている。↑
庄下川沿いで、川の鯉や沿道の紅葉を撮影している人も少なくない。
みんな定年退職者のようにみえる。
アキランサス: いろいろ符牒(秋にらんらん、差し芽で殖やす、など)を付けて、「念入りに」暗誦を繰り返したので、もう忘れない筈。
猫缶たまさんありがと。
ネットで、なんとかと属名でも呼ばれているらしいことを知ったが、そちらの方は今はすでに忘れている。
散歩の途上でアキランサスを見つけたらUPしようと思ったが見つからなかった。
ある程度群植しないと映えないので、私植よりは公植対象なのであろう。
楓
ハナダイコン(花大根、学名Hesperis matronalis)は、アブラナ科の植物の一種。シベリアから西アジア・ヨーロッパにかけてが原産地で、欧米では、最も伝統のある園芸植物とされている。オオアラセイトウ
(学名:Orychophragmus violaceus)もハナダイコンと呼ばれるが、別種である。
秋分の頃に、畑に直まきする。覆土は浅くし、1mm位がよい。徐々に間引いて株間が25cmくらいになるようにする。日当たりと排水の良い所ならあまり土質は選ばないが、どちらかと言えば寒地向きの草花である。
解説を読みながら
1.我が家のものは蒔き時期が遅かったかもと思う。
2.移植を勧めていないが、私は間引きが苦手である。カトリック教徒だからというわけでもないが。
普通には大根などの種を播いて、幼菜を移植することはない。種が大量に採れるからでもあろうが、間引菜にもそれなりの価値があるからでもある。あるいは移植労働に見合う価格が期待できないからでもあろう。
直根性ではないので移植不可能植物とは言えない。
ともかく、
↑のような8号大鉢4つと
↓のようなプランター8つに花大根を受け付けた。
ようやく本葉が出てきたところである。
2,3日後には寒波が来るようである。こんな幼葉で持ちこたえられるのかと心配になってウィキペディアをクリックしてみた。
寒地性植物と分かって、一安心。
播く時期を遅らせたのは、遅らせると小株になるという解説を事前に読んでいたからである。あんまりおお株にならないようにしたつもりである。
しかし、同じ鉢(プランター)にさらに数週間遅らせて種を蒔いた。
小さな芽が幾つも出ているが、それが遅まきのものの芽なのか、そうでない野草なのかがなかなか判別できない。
双葉では無理で、本葉がのぞいた段階で、
これはかたばみだ、これは仏の座と判定して抜いている。
おおむね1プランター3株位で一杯になる予定だが、虫害と冷害を考慮して5株位ずつ残している。
ウィキペディアの別稿の紹介。
俳句では「花大根」とは、たくわんにする野菜の大根の種を採るために花を咲かせたものを指していた。
しかし最近では、諸葛菜と呼ばれるものの花を詠んでいる句が多い。混乱が生じている。
オオアラセイトウ (大紫羅欄花、Orychophragmus violaceus) は、アブラナ科オオアラセイトウ属の越年草。別名にショカツサイ(諸葛菜:諸葛孔明が広めたとの伝説から)、ムラサキハナナ(紫花菜)。このため Orychophragmus属はショカツサイ属、ムラサキハナナ属とも呼ばれる。
ハナダイコン(花大根)(カブ)とも呼ばれることがあるが、この名前は花の外観が類似した同科ハナダイコン属の Hesperis matronalis にも与えられているため混乱が見られる(ダイコンが野生化したハマダイコンとも別種)。
原産地は中国で、東部に分布し、東北および華北地区では普通に見られる。ヨーロッパ南部に帰化しているほか、日本では江戸時代に輸入されて栽培されたものが野生化し、全土で見られる。
葉と茎下部の葉は羽状深裂し、基部は心形で、縁に鈍い鋸歯がある。上部の葉は長円形あるいは倒卵形で柄を持つ。基部は耳状で茎を抱き、縁には不揃いの鋸歯がある。花は茎先につく総状花序で、薄紫色の花弁には細い紋様がある。花期の後期では徐々に花弁の色が薄くなり、最終的には白色に近くなる。稀に白花もある。花弁は4枚が十字状に付き、長さは各1-2cm程度、先端に3-mmの爪状の突起を持つ。雄蕊は6本で花糸は白色、葯は黄色である。萼(がく)は細長く、径3mmほどの筒状で花と同じく紫色。果実は先端に細長い突起を持つ長角果をつける。果実は4本の筋を持ち、内部に黒褐色の種子を多数つける。熟すと自然に裂けて開き種子を弾き出す。種子から芽生えたばかりの頃本葉は腎形をし、寒さに当たり花芽が分化するとやがて切れ込みが生じる。
2月頃から成長を始め、3月から5月にかけて開花する。最盛期には50cmくらいまで直立する茎を伸ばす。5月から6月頃に種子が熟し、自然に、散布される。一年草だが繁殖力は強く、花が咲いて種が散布されると、翌年からは定着しやすい。
日本には観賞用および油を採取するため、遅くとも19世紀末には導入され、20世紀中頃から各地に広がった。戦前から戦後にかけて紫金草(シキンソウ)と称して広める活動をした人がいるという。
同属では他に帰化した種はないとされる。農地の拡大や都市化の進行によっていったん衰退したスジグロシロチョウが、20世紀後期になって都市部を中心に個体群を増大させたのは、このチョウの食草として好適なオオアラセイトウの分布拡大の影響が大きいといわれている。
群生して開花する様はなかなか美しいため、庭などで栽培されることも多いが、道端や空き地でも普通によく育つ。若い葉は食べられるため、中国北部では野菜として栽培され、種子からはアブラナと同様に油を採取することもある。
ある集会で記念日としてもらった種は、紫金草と呼ばれたものである。
広めた人は軍医さんで、「南京虐殺」と呼ばれる荒廃した南京を再訪し、平和を祈念するものとして南京近郊で花ざかりであった花の種を持ち帰り、自分の家で栽培し、戦後、種を泥マンジュウに包んで、汽車の窓から放り投げていったそうである。
諸葛菜の名の起こりもある程度は有名なので詳細再掲は省略。
先日、公園にただ一本のカエデとして紹介したもの。
楓はたしかに、公園の南半分の範囲ではこの木、一本だが、公園の北半分のフェンス沿いには何本も植えてある。どれも木が小さく目立たなかったが、今日見るといずれも紅葉している。以上訂正。
猫缶たまさん!たびたび呼びつけて申し訳なし。↓この木はなんですか?
そういえば楠木(樟の木)も沢山実をつけている。
ヘリコプターが上空を。事件か?固定資産調査か?
ブルグマンシア
正月元旦にも咲いている時がある。
ツルマサキ
どんぐり
3株植えと4株植えの、底の深いプランターに貰いもののビオラを植え付け、門前へ配置する作業だけで、1週間後に腰痛再発。
庭の片付けをやっていると、またまたどんぐりの木を発見。
まだ小さいから、去年あたり、庭に捨てたどんぐりが芽吹いたのであろう。
椎の木であろう。
去年の秋に、緑化植物園の「学習会」に参加、どんぐりの大きさや形で、樹種を当てることを学んだが、全然身についていないので、木の名前を特定化することができない。
咳よりもはやく団栗落ちきたる 米澤吾亦紅
ツルマサキは不合格!
余り大事には世話をしていないが、たしか、「ひと筆」
花の時期は終ったのであろうが、まだ咲いている。
木守柿
歳時記と題するHPからの引用。「俳誌のsalon」という別のHPから作成されているらしい。
木守柿 1 100句 | ||||
作品 | 作者 | 掲載誌 | 掲載年月 | 前書その他 |
木守柿となりてより実の太りけり | 小菅暢子 | 沖 | 199902 | |
木守柿金斗雲で悟空来る | 三神あすか | 船団 | 199903 | |
木守柿富士も筑波も見えざるよ | 桐木榮子 | 船団 | 199903 | |
風の透く秩父の嶺や木守柿 | 穴澤光江 | 花菜風 | 199907 | |
金魚田の真ん中に在る木守柿 | 山尾玉藻 | 火星 | 199910 | |
木守柿飛びきし鳥の過去知らず | 鈴鹿仁 | 京鹿子 | 199912 | |
木守柿牛小屋の牛人を恋ふ | 田中藤穂 | 水瓶座 | 200002 | |
天心の象眼細工木守柿 | 塩見恵介 | 虹の種 | 200005 | |
どの径を行つても着くよ木守柿 | 鬼頭桐葉 | 春蘭 | 200010 | |
落人の裔なる四五戸木守柿 | 小川匠太郎 | 狩 | 200012 | |
素通りのぽつくり寺の木守柿 | 城孝子 | 火星 | 200101 | |
木守柿一つのための深空あり | 清水公治 | 沖 | 200101 | |
裏富士の没り日大きや木守柿 | 皆川盤水 | 春耕 | 200101 | |
よろづ屋に盥の看板木守柿 | 古市枯声 | 春耕 | 200101 | |
木守柿雨の雫のとめどなし | 上谷昌憲 | 沖 | 200101 | |
邂逅の目尻に老いや木守柿 | 中尾杏子 | 沖 | 200101 | |
木守柿夕日に透けて明日を待つ | 畑中シヅエ | ぐろっけ | 200102 | |
嘴の疵痕あらは木守柿 | 中村孝子 | 狩 | 200103 | |
木守柿には広すぎる峡の空 | 川口襄 | 遠嶺 | 200103 | |
見せしめに似て天辺の木守柿 | 細野みさを | 狩 | 200104 | |
遠灘を望む善丁の木守柿 | 辻本みえ子 | 馬醉木 | 200105 | |
せせらぎにほとぼり醒ます木守柿 | 宇都宮滴水 | 京鹿子 | 200111 | |
いつまでも続くリホーム木守柿 | 柴田美佐子 | いろり | 200111 | |
二度と来ぬ今を大事に木守柿 | 桑垣信子 | いろり | 200111 | |
開け閉てのこころ窓にも木守柿 | 暮岸江 | 銀化 | 200111 | |
木守柿火色のごとし見て飽かず | 寺崎美江女 | 春耕 | 200111 | |
木守柿夕日の重さありにけり | 侭田伊都希 | いろり | 200112 | |
藤村の墓から見ゆる木守柿 | 鈴木多枝子 | あを | 200201 | |
記念樹の丈余となりて木守柿 | 藪敏子 | 濱 | 200202 | |
粛々と雨を受けをり木守柿 | 加藤あけみ | 円虹 | 200202 | |
代替はり見送りてをり木守柿 | 遠藤とく | 沖 | 200202 | |
役持ちてよりの気丈や木守柿 | 佐藤みほ | 沖 | 200202 | |
木守柿見上げて父の七回忌 | 大串章 | 百鳥 | 200202 | |
菩提寺に子規の拓本木守柿 | 小野誠一 | 春耕 | 200202 | |
会津路は靄の中なり木守柿 | 平田良子 | 春耕 | 200202 | |
潔き答は出せぬ木守柿 | 堀川夏子 | 銀化 | 200202 | |
何よりも平和が大事木守柿 | 与川やよい | 遠嶺 | 200202 | |
木守柿のごと残されて訃報また | 北村香朗 | 京鹿子 | 200202 | |
木守柿牛つなぐことなくなりし | 品川鈴子 | ぐろっけ | 200211 | |
国宝の漉き師と仰ぐ木守柿 | 朝妻力 | 雲の峰 | 200212 | |
浮雲や赤絵の里の木守柿 | 荒木英雄 | 対岸 | 200212 | |
柿好きの子規に供へむ木守柿 | 遠藤若狭男 | 狩 | 200301 | |
訥弁や大小二つ木守柿 | 菅原健一 | 沖 | 200301 | |
木守柿うすき日差しを留めおけり | 中根栄子 | 遠嶺 | 200302 | |
もの思ふ深さのいろの木守柿 | 坂本京子 | 沖 | 200302 | |
昏れてゆく芭蕉生家の木守柿 | 岡淑子 | 雨月 | 200302 | |
木守柿はや暮れて来し誕生日 | 徳永真弓 | 百鳥 | 200302 | |
木守柿旅のはじめは国境 | 市川英一 | 遠嶺 | 200303 | |
木守柿消防ホース高く干す | 菅原光恵 | 百鳥 | 200303 | |
ふるさとに繋がる空の木守柿 | 村越化石 | 濱 | 200303 | |
木守柿笠置の山を統べにけり | 米澤光子 | 火星 | 200303 | |
何時の間に消え失せたりや木守柿 | 田中敏文 | ぐろっけ | 200303 | |
落柿舎の夕日に透けて木守柿 | 江頭文子 | 雨月 | 200304 | |
木守柿いつの間に消え雀二羽 | 西塚成代 | 六花 | 200305 | |
木守柿即身仏となりて守る | 田中武彦 | 六花 | 200307 | |
つややかな柿衛文庫の木守柿 | 松山律子 | 六花 | 200312 | |
師の忌待ち朱を深めたる木守柿 | 佐藤よしい | 風土 | 200401 | |
いま一里ゆかば隠国木守柿 | 三由規童 | 雨月 | 200401 | |
半分はすでに喰はれて木守柿 | 金子つとむ | 雲の峰 | 200401 | |
木守柿逆光に目をつむりたる | 松井倫子 | 火星 | 200401 | |
木守柿リニアモーターカー通過 | 篠田純子 | あを | 200401 | |
木守柿生き継ぐ自信持ちてをり | 尾堂燁 | 河鹿 | 200402 | |
本陣の跡のがらんと木守柿 | 浅井千代子 | 沖 | 200402 | |
啄まれ半分となる木守柿 | 古賀貞美 | 築港 | 200402 | |
届かざる竿の先みな木守柿 | 内藤三男 | ぐろっけ | 200402 | |
潔し一葉残さず木守柿 | 中島霞 | ぐろっけ | 200402 | |
木守柿大きな月が躍り出て | 石井利子 | 苑 | 200403 | |
山間の夕日短かし木守柿 | 平山勝子 | 河鹿 | 200403 | |
木守柿吾が血をゆづる者もなし | 安西静 | 帆船 | 200403 | |
木守柿おちて俄に冬来る | 平山風鳥 | 河鹿 | 200404 | |
気がかりな向こうの岸の木守柿 | 橘沙希 | 月の雫 | 200404 | |
入日より爛々として木守柿 | 鷹羽狩行 | 狩 | 200406 | 中田恒子句集『木守』序句 |
しづかさや日矢が射止めし木守柿 | 城戸愛子 | 酸漿 | 200406 | |
木守柿落ち村ぢゆうが暗くなる | 鷹羽狩行 | 狩 | 200411 | |
木守柿遠の戦火は炯炯と | 吉弘恭子 | あを | 200412 | |
一軒先駐車場隅の木守柿 | 芝宮須磨子 | あを | 200412 | |
木守柿残して久し留守の家 | 森山のりこ | あを | 200412 | |
さつきまで空にありたる木守柿 | 戸栗末廣 | 火星 | 200501 | |
木守柿数多残して独り棲む | 池上和子 | 築港 | 200502 | |
照り返す夕日と競ふ木守柿 | 鈴木あき子 | 築港 | 200502 | |
木守柿律儀に照れり御徒士町 | 坂根白風子 | 濱 | 200502 | |
木守柿四個は多い曇り空 | 土肥屯蕪里 | 雲の峰 | 200502 | |
荷揚場の木戸に閂木守柿 | 矢作裕子 | 朝 | 200502 | |
桂郎の地つづきの郷木守柿 | 小島禾汀 | 春燈 | 200502 | |
失くしたるものここにあり木守柿 | 荒川清司 | 遠嶺 | 200502 | |
木守柿眉目あぐれば空大き | 風間史子 | 鴫 | 200502 | |
一切を悟れるごとく木守柿 | 藤井圀彦 | 狩 | 200502 | |
夕焼けのつひの一滴木守柿 | 林玲子 | 沖 | 200503 | |
記念樹の梢に残す木守柿 | 安藤ヒサ子 | 河鹿 | 200503 | |
木守柿鵯のとり合ふ声ひびく | 朱宮史郎 | 六花 | 200504 | |
家訓とて今はおぼろよ木守柿 | 中野英歩 | 八千草 | 200506 | |
忽然と消ゆる杣人木守柿 | 宇都宮滴水 | 京鹿子 | 200512 | |
挟竹とどかぬ枝は木守柿 | 榎本みや | 築港 | 200512 | |
人住まぬ門傾きて木守柿 | 三反田輝夫 | 河鹿 | 200602 | |
木守柿夕日に声を張りにけり | 太田土男 | 百鳥 | 200602 | |
ゆつくりと分かることあり木守柿 | 島元文 | 遠嶺 | 200602 | |
大いなる落暉の中の木守柿 | 川畑はるか | 遠嶺 | 200602 | |
神奈備の山裾暮れて木守柿 | 上谷昌憲 | 沖 | 200602 | |
木守柿空に融けては戻りくる | 宮津昭彦 | 濱 | 200602 | |
筋雲の高く横たふ木守柿 | 長澤健子 | 酸漿 | 200602 | 木守柿 →2 |
毎年毎年この季節の句会になると、木守柿の句は何句か登場する。
だから上掲の表を作成なさった人も、いくつもの俳誌を読める立場にあるのであろうから、
例句を100集めるのにあまり苦労はなかったはずである。
先日の句会にも「木守柿」の句が出ていた。
披講係が当然のごとく「こもりがき」と読んだら、「きもりがき」という訂正が入った。
しかし普通には「こもりがき」と読んでいた。
まちがいなのであろうか?と思って、若干のネット・サーフィン。
広辞苑には「きもりがき」も「こもりがき」も収録されていない。
「木守」(こもり)という言葉が、「枕草子」から採録され、「庭園などの木の番人」と説明されている。
木守柿とはいえないが。↑↘
『俳諧歳時記』には「こもりがき」 も「きもりがき」も採録されていない。
よって、江戸・明治前期あたりには例句がないようである。
・
淀川
突然に?、予想通り寒くなった。厳寒装備の一歩手前の冬装備で、
阪急電車「十三」駅前から出発して、淀川沿いを、阪神電車の「姫島」駅まで歩いた。
阪神電車の「尼崎」駅前から庄下川沿いに尼崎城三の丸、二の丸跡地を歩いた。
全然汗をかかなかった。
飛んで行った帽子を二,三度追いかけた。
ただ1部屋、南側の開口部分に物が置ける場所に、電気こたつ(家族麻雀用卓であった)の台を置き、昨夜冬越しスペースを確保。
↓街路樹の銀杏の葉がすべて散ったら大阪の冬、という定義からすれば、まだ晩秋である。
クローバーは枯れないのか?
↑コマツヨイグサ
↑ホトケノザ
被写体がほとんど見つからない
淀川の河原にはいくつもの野球練習場がある。
河口方面へ移動するにつれ、対岸の梅田のビルの姿がすこしずつ変化する。
これは阿倍野方面であろうがどれがハルカスなのか分からない。
伊丹空港へ着陸するのであろう。もう車輪を出している。
かつて飛行機は、俳句では「飛機」と二音で表記した。修道尼といった言葉も使われた。
今では飛行機、シスターと表記されている。
以下旧尼崎城周辺画像
庄下川南向き
北向き 阪神電車の高架をくぐる庄下川
旧城内方面
↑阪神電車操車場 レンガ作りの建物は、かつては阪神電車の主要社屋であったが今は倉庫として利用されている。
この部分から一駅東側の大物駅前までは阪神電車本線用の操車場
城門ないし城館の礎石であろう。↑
↓この標識のあるあたりに
三の丸館があったらしい。
今は城主を祭る神社がここへ移されている。
国道四三号線をくぐる地下道。
学校のフェンスにかかっていた。初めてみる案内板である。
・
女子大
自宅から徒歩10分圏内には公園は4つしかないが、徒歩20分圏内に拡大すると、20か所位公園がある。
上の画像の公園はひたすらそこを目指して歩けば、10分でたどりつける。
女子大の正門を入って通り抜ければ、大学構内と接して小さな入口が設けられている。
あたかも女子大付属の公園のような感じである。
女子大の正門を入ると有人の守衛室がある。
だから最初は孫2人を同伴で入ってみたが、
構内は近所のおばちゃんやおばあちゃんが買い物かごもって、あるいはバギーを押して
あるいはお弁当もって自由に散策しているのを確認。
特に今年になってからはしばしばお邪魔している。
↑正門通り。「けやき通り」という名前が付いている。欅並木になっている。左手の植え込みの横はテニスコートである。正面つきあたりの部分から向こうが公園である、そこを右手に曲がると大学本部館(と思う)がある。
周りを歩いてみると、この公園を含む一帯はこの女子大領といった感じである。
いたるところに門があって庄下川河岸までいろいろな名前の「寮」になっている。
テニス部で有名な大学ゆえに、テニス部員用の寮もあるような気配である。
正門通りの横は、ず~とテニス・コートが並んでいるが、そこ以外にもテニスコートは学内いたるところに配置されている。
大学よりも阪急電車の駅前に近いところに同じ名前をもった中学・高校がある。
その辺りも駅前とは思えないほど周辺環境がいい。
女子高の運動場。木はメタセコイア。
↓これは徒歩5分以内(私の妹は家から2分位で駆け込んでいた)の県立高校
8月末の成果であるが、年内は掲げておくつもりか?
公園内風景
二日かけて富松川源流目指して歩いたが
その画像は明日以降に。
パピルスみたいな
この植物の名前はなんですか?
富松川
タイトルに「富松川」と記入しようと思っても、「toma」とローマ字しか出てこない。
昨日あたりからこの現象が顕著。
ctrlキーといっしょにいろいろ変換を試みるに駄目。
あきらめて、画像だけ入れて、文章は、別のPCから挿入と思って画像をとりいれ、
何気なく文字を入力するとあら不思議!ローマ字入力が可能になっている。
晩秋の気配が漂っている。
川鵜も時々飛翔するも、うまく画像に撮れない。
コサギに比するとかなり大柄に見える。
↓雀の集団 親類縁者なのか?はぐれ雀などいるのか?
女子大の領地は庄下川東岸であったが、ついに西岸にも侵出。体育館のようである。
第5体育館といった印象。第2、第3とは思えない。
↑悪なすびと犬ほうづき
コセンダングサ
↑オーシャンブルー これも元旦に咲いていることがある。
↑芦とスイバ?
↘ 富松川が、一番東側から庄下川へ合流するところを、東側から見たところ。
少し段差がある。
右手前方に、東富松川が合流しているのが見える。
12月1日 ここから富松川を遡り、阪急電車神戸線の下をくぐるところまでを確認。
ほぼ90度カーブしている。手前は西をむいて流れている。これより北では南向きに流れている。西の方から東へ流れ、湾曲して南へ向きを変えることを何回となく繰り返していることを12月3日に確認。
グーグルの地図を拡大してみると流れはしばしば地図上から姿を消す。
広い道路の下を、湾曲して斜め横断したり、道幅の狭いところでは、暗渠下され、歩道の下になったりしている。
一応、鉄橋になっている。阪急電車が上を横切っている。
「鉄橋」の向こうに見える橋は、何度かわたっているいるのに、富松川にかかる橋だと分かったのはこの日が初めて。
この付近、高齢者用住宅が目につく。
デイケアなどの介護施設にいたっては、庄下川沿いのあちらこちらで目にする。
老爺とか翁、婆、媽などは俳句でもしばしば登場。
「高齢者」はどうか?新しい言葉であり、「人権」に配慮した行政用語であろうが、
俳句では扱いにくいかも。
どういうわけかまた日本語入力ができなくなった。以下のローマ字表記より後から、この一文だけ他のPCから入力。
kokode mata shougai hassei
dousite? .
kaifuku sinai
富松川 続
今朝はまた日本語入力が可能になっている!!?
画像や文章を他所からコピー、ペーストした後に変化が生じるので、
今日は画像を取り入れる前に文章をまとめ書き。
↑近くの公園の西側を南下してゆく。
左手からの流れが富松川の本流である。
⇒北側から南下してゆく川の東側には住宅がならぶ。
これらの家はすべて自家用の橋を渡らないと家の門へたどりつけないから、橋がいっぱいかかっている。
右手は尼崎市内であるが、伊丹市営バスが走っている。
阪急電車の塚口駅から伊丹線乗り換えでは却って不便な人たちが利用している。
多分黒字路線だと思う。
今は東富松川(行政上は庄下川)の河底工事のため、西から流れてきた富松川の水のほとんどは、既存の堰を高くして手前にある灌漑用水路へ流して、合流地点にはわずかなこぼれ水しか流れ落ちないようにしている。
北から流れてくる東富松川の水も、合流地点では、東側へ流れる富松川へ誘導して、流れを堰き止めている。
↑右手から富松川が流れて来る。水量はまあまあ。その多くは脇水路へ誘導されている。かつてこの辺りが田圃であった名残であろうか?
画像中央は東富松川下流。ほぼ干上がっている。
画面背後から流れて来る東富松川の水は、左手の富松川へ流れていくように「とうせんぼ」(標準語?児童語?)されている。
富松川の「富松」は尼崎市の地名(旧村名)であるため、伊丹市へ入ると名前が変わるかどうかを確認したかった。
私が富松川と思っている川について、三川合流地点からここに至るまで、どこにも、
これが富松川であるという標示はないのに、伊丹市の領域へ入るとやたら「1級河川富松川」の表示が増える。川名にルビまで振ってあって「とまつがわ」となっている。
東富松川については「ひがしとみまつがわ」というルビが振ってある標示があったので、
富松川も「とまつがわ」ではなく、正式には「とみまつがわ」と読むのか、若干気になっていたが
少なくとも伊丹市では「とまつがわ」と呼んでいることを確認。
先日阪神電車尼崎駅前発の市バスに乗車するとき、バス停標示にも海抜が記されていた。
乗車間際に気付いたので画像はないが、「海抜 -0.7m」と記されていた。
↓の笹原は、いなのささはらの笹原である。
ここまで書いて画像の取り入れ。
このあたりまでは、何度も足を運んでいる。ただこれが単なる排水路ではなく、
1級河川富松川の上流部分であることを確認したのが今回の成果である。
後はまた明日に。
富松川 続続
笹原公園沿いの富松川岸辺にはランタナが繁茂している。
↓の手前で大きく湾曲して、この地点では南に向かって流れている。
南へ、東へ、また南へ、東へを繰り返して
東富松川との合流点へたどりつき、そこからは東富松川よりも東側を流れて
3川合流地点でまた東富松川と合流し、西から武庫川の水を含む流れと合わさって
庄下川本流となる。
川は南向から、上流でまた直角に曲って道路を横切ってゆく。そのあたりからはまったく初めて歩く道沿いである。川下から歩いて遡っているので、北向きから西向きに向きを変えるように見える。
↓下流からみて北向きから西向きへ湾曲地点
明治21年(1888年)4月に市制町村制公布
翌明治22年現在の尼崎市域では、尼崎町 小田村 大庄村 立花村 武庫村 園田村
の1町5村が成立した。
上の図は、その当時の野間村について説明している。
明治22年に立花村が生れる前には、立花地区には大字となる11の村があった。
東富松村(西富松村は武庫村に吸収される。したがって今でも武庫地区に含まれる。
塚口村、水堂村、上の島村、栗山村、大西村、七松村、三反田村、尾浜村、東難波村、西難波村の11ケ村である。
我が家のある場所は、塚口村の西の外れ、東富松村の東の外れで、「野合」という小字名をもっていた地区である。
道幅が極端に狭くなるので、川は蓋をされ、歩道となっているが、流れをみることはできる。
↑ 上方が西向きで、伊丹市と尼崎市の武庫地区(西冨松)とが楔のようにつながっている。
↓そんなところに大庄屋跡と思えるような豪邸がある。
保存家屋である。
ここまでup したら公開時間になってしまった。
。
富松川 続続続
野間、時友、友行、武庫之荘9丁目などの標示が交錯するあたりで、
初めて覗く神社が3社。
↑地の有力家は佐伯さん
↑参道の両脇は住宅街
神社(スサノオ神社となっているが友行神社という標示もある)
境内に松ばやし
↑天明5年は1785年 大飢饉の最中である。人口が東北地方で10万位減少している。田沼さんのせいだとされている。
この神社の前(北側)には道路と平行に山陽新幹線の高架が走っている。
このあたりで、川は枝分かれしていて人家の間や道路の下に姿を消す。
伊丹市のデザインマンホールと尼崎市のそれとが交錯している。
ビニールハウス街
.
候補者が4人いるから兵庫第7区の地域である。
また神社。こちらは深い森を持っている。保護緑地帯。
↑たけはや神社。えらい古い神社。
ウィキペディアさまさま
慶雲(けいうん、きょううん)は、日本の元号のひとつで大宝の後、和銅の前。704年から708年までの期間を指す。この時代の天皇は文武天皇、元明天皇。「慶雲」とは夕空に現れ瑞兆とされる雲で、蚊柱のこととも。大宝2年(702年)に死去した持統天皇の葬儀などが済んだ大宝4年(704年)に藤原京において現れ、改元される。大宝年間に律令の編纂や都城の完成など律令国家建設の諸改革を果たし、同年には大宝の遣唐使が帰国。慶雲年間には、遣唐使の報告や実際に律令を施行した上での諸問題を是正する政治改革が行われた(慶雲の改革)。また、平城遷都も立案される。
俳句では、「ひつじだ」と呼ぶ。↑穭田と書く。
木偏だとやぐらだが、この字はIMEを利用しないと出てこない。広辞苑をひいてみたが、なぜ「ひつじ」と呼ぶのか、ひつじの意味はなにかは分からなかった。
例句調べも多分できない。検索システムではこの字を入力すると文字化けする。
農家さんもそう呼ぶのだろうか。
「ひつじ田」で2007年版(俳句検索システム)を検索
迷子になった気はしないが、おおむね南へ、東へと歩をとる。
そう思ってもまったく違う方向に歩いている場合もあるが、冬の西日の所在がはっきりしているので思いのほか早く、我が馴染みの地域へ戻れた。
まだ伊丹市内と思っているのに、「懐かしい」富松の標示。この公園も初めて。
どのあたりで写したか忘れたが、家から近い場所である。
仏教系の幼稚園のあるあたり?
今朝がたグーグルの地図で確認したところでは、
富松川の源流は昆陽地区のあたりで、西富松川の源(武庫川の畔の井ー灌漑用水の取り入れ口)ときびすを接しているように思う。
要するに西冨松川も富松川も2級河川武庫川の伏流水(地下水)を源としている気配。多分東富松川も同じであろう。3つの川は武庫川水系といえそう。
庄下川は武庫川水系3つの川の水を受け入れ、本流となり、1㌔か2㌔下流で昆陽川と合流し
ここで淀川水系の猪名川の水を受け入れ、1級河川の待遇を受けることになる。
その結果として行政上、富松川も東富松川も1級河川の扱いを受ける。しかし国の管理ではなく県の管理下にあるよう。
笹原公園の西側を流れる富松川の川岸に生えていた。(咲いていた)。
主脈が3本あると、シソ科ではないそうな。
葉ジクとか花ホウにはなかなか目がついて行かない。
この草は、マルバヤブマオ 丸葉薮荢麻
もちろんながら、猫缶さんに教えてもらったので、今日は改めてHPで学習後撮影に。
絶滅危惧種だそうである。ランタナは逆に侵略的外来種である。
安倍さんが傍らで沈没している。
犯罪行為かどうかは、選挙公報板から人為的にはがされたかどうかに依存する。
ついでにいつも気になっている交差点名を撮影。
その傍の表示板で知ったが、この辺りの小字名のようである。
一本松、笠松、松の内などの地名もあるよう。
畑では仏の座が豊作。
4つ目の神社 山田神社という名も。
↑阪神淡路大地震から20年が過ぎ去ろうとしている。
山陽新幹線の高架をはさんで、南側に時友神社がある。
近くに寺も
戸数50に満たない村が明治20年ごろまでいっぱいあってどの村も神社を持って、年始や秋祭をやっていたのであろう。
そういえば、父の里も母の里も明治20年までは戸数30ほどの村であった。そしていまも同じ程度の戸数である。戸数は同じでも一軒に住む人の数は1人、2人といった家が増えている。
見事な柊ナンテンの花
こんな立派なのは初めて見た。
なまえがべつにあるのかどうか?
メディウム?
そして富松川
川沿いを歩けなくなったので、大回りしてみると、大きな南北道へ出た。
川は尼崎ー宝塚線(尼宝線)の下を潜ってさらに西へ、北へ向かう。傍流ではなく主流であろう。
向かう先には新しいイオンがあってその先には東西に流れる天神川がある。2キロ位行けば宝塚市に入る。
↓尼宝線(4車線に拡幅工事中)の歩道から
東(下流)を向いて
丸葉ヤブマオ
ヤブマオを見ていて、それがイラクサ科であることを知って、思い出したことがある。
ロンドン郊外ハムステッドの入り口みたいなところに住んでいた折、
当然ながら毎日、ハムステッドの野や森を歩いていた。
この草に似たものが道端に群生している。葉はもう少し小さかった。
なんでも触ってみるのが好きなもんで、その草を触った。
(いまでも野にハーブ類が茂っていると葉をちょん切って嗅いだりしている。)
葉の裏に刺のようなものが密生していて、結構、
あとあとまで痛い。毒草であった。
日本では踊子草に似ている。踊子草の葉は柔らかい。
街中で見るのはヒメオドリコソウで、踊子草はあまり見ない。
ヒメオドリコソウじたい街中ではあまり見なかったが、最近目にする機会が増えているように思う。
そこで散歩している人を捉まえて、その草の名を尋ねた。
もちろん一度では覚えられなくて(聞き取れなくて)何人もの人に同じ質問をした。日本語に直すとイライラ草とでも呼べる名を持っていた。痛みが残るから触るなと忠告してくれる人もいた。
イギリスに住んで最初に覚えたのは、ベルフラワーとブラックバード、次がこの草であった。今では全く名を覚えていない。
その折に、本屋でイングランドの野草といった小さな本を買った。
その本はまだ書棚のどこかにあるはずである。
この立派な花穂を見て、ヒイラギナンテンを検索すると、これまた各種あるようである。
柳葉ヒイラギナンテンについては水丸円さんから習ったが、ホソバヒイラギナンテンという種類もあるが、↑のもの、葉は普通に見るヒイラギナンテンよりは、ヒイラギに近いが、ヒイラギではない。
6日土曜日昼前に阪急電車茨木市駅前
「駅前」で検索したら、一度紹介した句がでてきたので、
「駅頭」で検索
遠くに見える人たちは、警察車両から湧くように降りて来た。
何事ぞ?
京都北山へはかつて月1回のペースで出かけていたが、時には、辻辻にリュック担いだ人相の悪いのがうろうろしている。
人に聞くと、さるやんごとなき方が国際会議場へ、あるいは御所へ来られるからだという。
さて今回は誰ぞと思うと、
こんな派手なユニフォーム着た人も登場。
分かりました。有力な野党議員に対抗すべく、政権政党の大臣が、夕がたには幹事長がやって来ると宣伝ビラを貰うことに。
夕刻 今はどの駅前もこんな風景
↑茨木市駅前
↓塚口駅前
時間切れ!