秋の野
ゲンノショウコ
日本(独自の)3薬草の1つ(ドクダミ・センブリと並んで)
ゲンノショウコの解説や画像で確認。間違いない。
すぐ上に田圃があった駐車場の片隅。この部分は比較的日あたりがいい。
ここで私,いくつも新しい植物の名をいくつも知った。
アキノタムラソウもここでみかけた。
いつもながらたま猫さんに御礼。
解説によれば、関東では白い色が目立ち、関西では紅色が目立つそうである。
類縁・類似の草として、ユウゲショウやフウロを挙げるHPもあったので、
私の観察力もまあまあか。
昨夜の夕食。
わざわざ妻がクロスまで変えて撮影、ラインで送っていたので、お付き合いで私も撮影。
鯵以外の食材(ごま、味噌、ごぼうなど)は、米を含めてすべて美作産であるのがうたい文句。
鯵の南蛮漬けは2年ほど前までは、我が家の夕食メニューとして登場したことがなかった。
穂の様子などは、他の植物と同居状態では良く分からないので、
抜きとって地面に置いて撮影しろと猫缶たまさんから忠告されて
それに従った記録。
2日前。(今日は家から一歩も外へ出ずに台風情報眺めていた)
地面に置いたら全然穂が写らないので、
家に持ち帰って白い紙の上に置いてみた。
で、私の見立ては、カゼクサ。合ってますかねえ。
同じ日の、庭の蒟蒻
吟行会の折に、水生植物店も覗いた。
照明の下に手を差し出すと熱を持っている。
そこで店員に聞いてみた。
何故LEDにしないの?
LEDは波長が短いので、適さないんです。
あ、そう。
実は全然分かっていない。
多分、広範囲に照明できないということだろうと思った。熱を持つことが温度管理上いいことなのかどうか?
ともかく目下、販売用の水生植物までは手が回らない。
台風
900ヘクトパスカルというので、世界的に報じられていたようであるが、
970になっても、980hpaになっても局地的豪雨などに関する警戒情報をNHKは終日流していた。
あきらかに気象台の体制におおきな変化があった。
幸いに我が家のある地域にはおおきな被害はなかったようである。
雨をほとんど降らなかったが、
それでも川に変化があるか観察にでかけた。
庄下川の3川合流地点へ。
3つの川の名前が分かった後では初めてである。
両岸に建つ家の庭になっているからである。その先どこで再び観察可能なのかまだ確認していない。しかし一番東側の冨松川に合流するはずである。
水量に大きな変化はない。
↑さらに数分歩いて、北側から流れてくる川を観察する。最近かなり大規模な改修工事が行われた。この川は、橋に、「ひがしとみまつがわ」と記したものがあるので、まちがいなく、3つの川の真中を流れる東富松川である。地区名は富松(とまつ)であるが、川は「とみまつがわ」と呼ぶようである。つい最近知った。これまで誰も教えてくれなかった。
この川幅でも1級河川である。工事主体は国土交通省だったのであろうか?
県が委託されて代行したのであろうか。工事中は、工事主体の名が記載された標示が出ていた筈であるが、その時点では、1級河川であることを知らなかったので、見落とした。
多分、県の土木関係部局の名前であったように思う。
↓これはさらに阪急電車の踏切を越えて数分あるいた地点。
西富松川である。こちらの方がよほど立派な川であるがこちらは普通河川である。
3川合流地点。
3つの川の両岸へ通じる6方向から渡れる橋がかかっている。
左手が西富松川、右手が東富松川。↑
一つ南側の橋から写している。
↑右手から富松川が流れ込んでいる。すこし傾斜がある。
穂が垂れ下っている、穂が長く大きいので、アキノエノコログサだと思う。
最近、水没した気配があるが、昨日、昨夜ではないように思う。
岸の石にも水跡は残っていない。
ミゾソバが咲いていた。近くでは目にしないジュズダマがたくさん生えている。オギも。
砂州になっている部分に鳥の足跡。鴨であろうか?
↑イノコヅチだと思う。
道はば一杯にトベラの木
・
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軍配昼顔
書き始め時間 22:57 (私のPCの表示)
ワイフはヘクソカズラだという。ヘクソカズラ(ヤイトバナ)は今の季節、すでに実になっている。
しかし言われてみれば、ヘクソカズラに似ていなくもない。
今朝になって、猫缶たまさんから「軍配昼顔」であると教わる。
で改めて現場検証へ。
途中
帰路で見た別の群↓
これは蓬に見えない。別の名を持つ草?↑
、どうもイメージ通りに写らない。
水没していた辺りを探っているうちに溝蕎麦(ミゾソバ)が花盛りであるのを確認。
こんなものも。
うかうかしているうちに水が引いて戻れなくなったのであろう。
覗いて歩いているのは、こんなところ。
川の両端に遊歩道が設えてある。終着点は3川合流地点で、それより上部は、3つの小さな川になるため岸辺に立つことはできない道路になっている土手の上から眺めるのみ。
真っ白な花もある。ピンクの花が主体である。しゃがみこんで観察するかぎり、白花溝蕎麦と赤花溝蕎麦があるのではなく、白く咲いたものが徐々にピンク色を増してゆくのだと思った。
しかしズームを使うと色が飛ぶように思う。
買いかえねばならないと思いながらまだカメラを新調していない。
↑このあたりだと、びっしり、一面、溝蕎麦だけが占めている。
本日午後句会参加。大阪中之島公会堂での句会は4ヶ月ぶりである。
兼題は「万」だとメール連絡があったので、
水引いて万の溝蕎麦立ちあがる
という句を帰宅してから作り、ワイフに披露。
まるで「ホトトギス」俳句との評。まさにその通り。
でも水没したにしては余り汚れもなく葉が輝いているのと、ジュズダマと溝蕎麦以外は、
水没後遺症から立ち直れていないとの印象を持ったので。
他の3句
花ダチュラ杖つく人は善人か
朝鮮朝顔⇒金正恩さん⇒足首手術⇒40日ぶりに再登場 杖付きで。
虚報ありコヒルガオの咲き乱れ
現の証拠右向け右に従わぬ
軍配昼顔では作意が見え見えになるので。
虚報は朝日と産経の事件を背景にしている。
サンケイの場合は、日本人が、日本語で、日本の読者向けに書いたコラム記事だが、
虚偽、ねつ造、名誉棄損で訴えられている。
ゲンノショウコは結構行儀の悪い咲き方をしていた。ドクダミやセンブリとは違う。
(ただしセンブリの咲いているのを見たことはないが、私、虚弱児童だったので、
伯母の義母さんが山で摘み干したセンブリを飲まされていたが、結構好きになり、
成人後も薬局で買って飲んでいた。)
時間切れ、その他の画像は明日へ。 23:58
・
鯉 鴨 鷺
鷺は余り見ない。鵜はまったく見なかった。
鴨は歓迎されるが、鵜も鷺も行政当局はあんまり歓迎しないであろう。
川べりをあるいているうちにポンプ場のあるところににさしかかった。
このあたりから川の水深は深くなる。といっても1メートル位か?
ポンプ場の存在理由はしらない。しかし聞き覚えのある施設である。
尼崎市の「施設MAP」で「栗山中継ポンプ場」を検索。
「中継ポンプ場は、下水管で集めた汚水を浄化センターに送水したり、降雨量によっては雨水を直接河川などに放流して、浸水を防いだりする施設です。具体的には次のような役割を果たしています。
高いところから低いところに流れる水の性質を利用して下水を流していますが、下水管が相当の深さになったときに、一旦下水を地表近くまでくみ上げて再び自然に流れさせる「中継ぎ」の役割を担っています。
大雨が降って、晴れの日の汚水量の3倍以上の量が流れてくると、大きなゴミなどを取り除いたのち、すばやく海や川に放流し、街を浸水から守っています。」
なるほどそうかと納得。
我が家の前の道路には、6メートル管が埋設されている。工事の折り、覗きこむと6メートル下には地下水が川のように流れていた。
庄下川を横切る橋は多いが、どの橋の下にも鯉が群れている。
ポンプ場の北側の橋の下はひときわ多かった。
一目、200匹。
何年か前に飛騨古川の町を歩いた時、側溝と言えるような川に
鯉が溢れていたのを思い出した。水深1メートルもない川に、鯉がびっしりと二重3重に重なって泳いでいた。
庄下川をここまで歩いたのは初めてである。すぐ南側に幹線道路が東西に走っている。
国道2号線や43号線の混雑を緩和するために、最近ようやく神戸まで通じたようである。
「山手幹線」と呼んでいる。山手というほどではないが、43号線や湾岸道路や2号線より北側
(山側)を東西に通じているからである。
ポンプ押したらふぐりが揺れるは実感であろう。「寒水汲む」が「な~んだ」という感じ。
センダングサ
センダングサという名を今年初めて知った。
葉が栴檀(の木)の葉に似ているからそう呼ばれるらしい。
栴檀の木は何度も見ているが、咄嗟には葉の様態を思い浮かべることができない。
大阪中之島の公会堂の前に立派な栴檀の木があるのは知っているが
センダングサの名を知った後、数ヶ月淀屋橋へでかける機会がなかった。
1昨日久しぶりに大阪句会に出席。
いそいそと淀屋橋を渡り、生駒山を確認
午後1時前で、昼食から戻る人などの往来が多い。
外国人観光客なども。
栴檀の木 陸橋歩道へはみ出した枝が伐られている。
なんとも微妙である。
どこかで、今普通に栴檀の木と呼んでいるものは、「栴檀は双葉より芳し」と言われる栴檀ではないという記事を読んだようにも思う。
他方、私が路傍で見掛ける「センダングサ」がセンダングサでないのかも知れないなどと
思って、ネットを繰っていると、私よりはるかに植物マニア的な人のブログに出会った。
そこには「最近は、センダングサにお目にかかることができなくなった」と記されている。
センダングサにもいろいろ種類があるようだと気付いたのが昨夜。
栴檀草各種の見分け方を画像で示したHPをプリントして
今日もまた現場検証へ。
筒状花の回りを5枚の黄色い舌状花が囲っている。
これが本家(在来種)のセンダングサである。
↑阪急電車神戸線沿いの側溝。写っている部分は綺麗に草抜きがされている。
市の担当者の仕事ではなく、道路の北側に建っている家の住人に依るものである(と思う)。
緑色の草が残っているが、これはすべてランタナで意図的に残されているようである。
こういう作業が完了していないところ。
茂っているのがセンダングサ。
黄色い5枚の舌状花があるはずのところに10枚近い「単葉」が筒状花を環状に取り巻いている。
いろいろ、私に見分けることができるかどうか自信が持てない見分け方が記されているプリントを取り出してみるに、これは「アメリカセンダングサ」。
名付けの時期によっては「メリケンセンダングサ」と呼ばれたかもしれない。
メリケンではなくアメリカだから、この種が確認されたのは1950年代以降なのであろう。
改めて葉を見るに、まあまあ栴檀の木の葉に似ていないこともない。
しかし私はこの葉を見てすぐに栴檀の葉を連想することはできない。(できなかった)。
要するに、今、普通に路傍に生えているセンダングサはほぼすべて外来種ということを確認。
次には違うセンダングサにお目にかかれることを期待して、川べりへ。
川べりに群生しているセンダングサは、その単葉もない。
「コ」が付いていても背丈などは並みかそれ以上であると解説されている。
この他に、舌状花が黄色ではなく白いものもあるらしい。それはコシロノセンダングサ。
解説には在来種(史前帰化植物)を含めて4種類のセンダングサが比較紹介されていた。
そのうち2種のみ本日確認。
以上は改めてプリントを眺めることなく、書き上げることができた。
それほどに本日センダングサの勉強に集中。
しかしセンダングサ属はこれだけで終了しないようである。
川べりの生態は、変化し、タデなどが目立つようになり、やがて溝蕎麦の天下になる。遊歩道に覆いかぶさる桜。
その先端部分
先端部分にゴミが付着している。
台風18号、19号あるいはそれ以前の増水時には、この高さ(今は水深20㎝位だが、枝先までだと1m以上)まで水位があがったようだ。
鴨はこういう場所に集まって来る。集餌に都合がいいのであろう。
鷺もコシラサギといった感じある部分では、蔓薔薇が蔓延りすぎて伐採されていた。
快晴。初秋
。
メンテナンス・ホール
小渕さんは辞職されるよう。
増水後合わぬ帳尻イチビの実
イチビを初めて見た野は目下遺跡調査中で、囲われている。もうそこでイチビにお目にかかることはないだろう。10階建の老人用居住施設が建設されるが、予定表には12月末まで遺跡調査がつづくようである。
塚口城の東門跡がでてきたという噂を耳に
した。ずいぶん掘り下げているようで、
周囲に残土が摘みあがり、金網の僅かな隙間から発掘現場は見えない。
マンホールはメンテナンスホールと呼び名が変わったとか。
この蓋が今ブレークしているとか。(とりわけ外国人来日リピーターに)
↑西宮市のものは、甲子園球場と酒蔵を(多分夙川土手の)桜の花びらが取り巻いている。
↑吹田市 太陽の塔(万博の)以外は良く分からない。
↑尼崎市のものは庄下川の復活をイメージしているよう。
公害都市返上。↑大阪市 大阪城・淀屋橋・水中翼船・御堂筋のイチョウ並木
(以後4,5枚まとまれば紹介)
夕刻吹田市のメイシアターでヴァイオリン鑑賞。
復興
阪神大震災の折に崩壊した地域でのハウジング・センター。この地域、よって築20年の物件は何もない。まったく新しく作り直された町である。記念碑的な物は目下目にしたことがない。
阪急電車「西宮北口」駅南側である。こちら側には改札口さえなかったように思う。
今や北側ではなく、この地域が西宮市の中心部分とも思える。阪急西宮球場跡地の商業施設も賑わっている。
街路樹はユリノキで、
低木には、ローズマリが植えられている。20年近く立っているので大株で
傍を通るといい匂いがする。
いつも2,3葉千切って、鼻へ近づけている。
ハウジングセンターの駐車場の一画で園芸店が店を出していた。
多肉さんは800円である。
ローズマリは多分季語ではない。
ハーブも季語にはならない。
↑↓築50年の施設である。
↓夕陽に照らされているのは吹田市役所の建物。こちら側はメイシアターという名の文化ホールである。
一条二里一坪
その前に摂津国豊嶋(てじま)郷と誌しても、当時は郵便制度がまだなかった。
この一年間で新しく知った草の名の一覧を整理しておこうと思うが、
まだ緒についたばかりである。
庄下川
庄下川の風景
ある日、朝早く傍を通ると水が止まっている。
その時に、一体これは何と呼ばれている施設なのかという疑問が湧いた。
庄下川に関するHPの中で次の記述を見つけた。
「7.ふるさとの川モデル事業
○概 要
庄下川は昭和 63 年に「ふるさとの川モデル河川」に指定され、市民生活に潤いや安らぎをもたらす水辺空間の創造を目的に、環境、街づくり、景観と一体となった整備が行われました。 この区間のうち上流部は、ふるさとの川整備事業に移行しました。
○可動堰 水質向上のため庄下川水門とポンプによって中下流域の水位を下げて流れを創出すると、上流域においても水位が下がることになります。このことは、上流域に見られる魚類にとって生息環境の変化となります。そこで、一定の水深を確保して影響を緩和するため、JR橋梁の上流部に堰高 1m の可動堰が設置されることとなりました。 また、堰で流水を落下させることにより、曝気を促進することになり、水中の溶存酸素が増加し、水質の浄化を促しています。 なお、洪水時(水位上昇時)には自動的に堰が転倒します。
以下の文
○上生嶋橋付近 ちびっこ広場を沿川に設け、そのオープンスペースの中を“せせらぎ”のごとく流れる庄下川と一体の演出を図ることにより、緑と親水の拠点空間を創出しました。 また、修景を兼ねた噴水を設置し、水質の浄化を促しています。
これは噴水だった。
この解説はまだまだ続く。
○ 概要・ 対象となる河川は、河道内に植生は少ない。・ 河道は直線的で、垂直に近いコンクリート護岸が続き、生物の生息環境としては単調で多様性がない。・ 圏域内の河川は、いずれも市街地を流れる都市河川であるが、魚類、底生動物等の水生生物相調査結果では近年魚類の確認種数も増えており、水質は改善傾向にあると言える。
・ 注目種としては、コウライモロコ、ドジョウ、メダカの 3 種の魚類と、ササゴイ、イソシギ、カワセミの 3種の鳥類が確認されている。
・ ミシシッピアカミミガメ、ナガエツルノゲイトウなどの外来種が広い範囲で確認されている。
↑これはコサギで、
これはカルガモらしい。
どじょうも目高も未確認。
○ 風景
・ 下流部は市街地で、垂直なコンクリート護岸等が設置されている。・ 昆陽川合流部付近から富松川合流部付近にかけては、親水護岸が設置されており、水際植生が繁茂している区間も多い。
・ 上流部は住宅地や耕地の間を流れる水路形状となっている。下流部親水護岸 上流部自然環境等説明資料 資料-5 2○ 主な動植
○ 主な動植物
・ 全体に水深は浅く、流れは緩やかで、クサガメ、カルガモ、ギンヤンマなどが生息する。
・ ところどころに分布する深みにはコイが生息する。
とてもじゃないが、今やところどころではない!鯉だらけの川である。
・ 水際部にヨモギ群落が生育する区間や、低水路一面にオオイヌタデ群落が生育する区間などがある。
溝蕎麦はその後(この解説が書かれた時より5年以上たって)増えたのであろう。タデは良く見るし、集落を形成しているが、ヨモギやオオイヌタデの群落はまだ見ていない。
○ 確認されている外来種・ 特定外来生物としては両生類のウシガエル、魚類のカダヤシ、ブルーギル、植物のナガエツルノゲイトウの 4 種が確認されている。
・ 要注意外来生物としては、爬虫類のミシシッピアカミミガメ、植物のオオカナダモ、キシュウスズメノヒエ、ヒメムカシヨモギが確認されている。
ネットサーフィンのついでに、「兵庫県尼崎市ってどんなとこ」というスレッドに寄せられたレスを一つ紹介。
「関西人はイメージとして「尼崎=公害・下町・ガラが悪い」と思っていると思います。
だからか、武庫之荘に住んでいる人は絶対に「尼崎」と言わないですねぇ。
私は大阪市内の病院で出産しました。4人部屋でママさん達といろんな話をしていました。
1人が武庫之荘の人で、他のママさん(神奈川と島根出身)達と住んでいる場所の話になった時に
武庫之荘ママが「私は武庫之荘」と言ったけど、町名なんて他県の人に分かるはずもなく、
「武庫之荘って何市?」の質問に「えっと、、私のマンションの向かいは伊丹市」
と訳の分からん返答をしていました(笑)ママさんは「伊丹市なのね」で話が終わったけど
よっぽど「尼崎市」と言いたくないんだなぁと思いました。
別の話で、阪神沿線の下町「杭瀬」に住んでる友人がいます。
この子も凄く嫌がってて「両親は大阪と神戸出身で、父の仕事で尼崎に来ただけ」と言ってました。
両親と本人の意思で中学から別の市の私学に通っていました。
近くに神戸や芦屋や宝塚なんかのイメージがいい街が多いので、本当は人情味溢れるいい街なのに、コンプレックスになるのかも。」
私もあんまり尼崎から来たとか、尼崎に住んでいるとは言わない。美作で地の人と話す時には、神戸からきたという。
東京で話題になると、大阪から来たという。
地域周辺の人と話す時には、塚口から来たという。
遠隔地の人は尼崎は市外局番が06だから、大阪府の町だと思っている。
ネットサーフィンで今一つの疑問解決。
画面、右側(東側)から庄下川に合流する川は冨松川、正面北側から流れ込む川は東冨松川
ちょっと腑に落ちない。
東側から流れ込む川が東富松川で、北側から流れ込む川が富松川とよぶなら分かりやすいのに何故だろうと思っていた。
川源が呼称の元になっている気配がある。
富松川は北部の川源が東富松川より西にあるのである。
よって二つの川はあるところで平面交差しているのである。
その部分も見たことがあるように思う。我が家から徒歩圏内である。
.
昆陽川や伊丹川あるいは上坂部川との関係もようやく今日、各種HPのおかげで了解できることが多かった。
今日紹介した川名が俳句に詠われているとは思えない。
地区の住民しか知らない川だから。
「川」で検索、3300句以上。
最初の100句から
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名月姫
今日の噴水
3つの川が合流して庄下川になる。
そこを基点として庄下川は総延長7500メートルの川である。
同一県内を流れており、総延長も並み以下である。
通常の水量も多いとはいえない。
水力発電にはまったく、灌漑用にもほとんど利用されていない。
それでも1級河川である。(但し2級から格上げになったのは1972年である。)
昭和46年豪雨(1971年)で、川が氾濫し人口密集地におおきな被害を与えたので、
国が関与して大規模な排水設備がもうけられたことと関係していると思う。
目下はそう記した「物証」なしの感想である。
いつかは基点から河口まで歩いてみようと思っている。
今日は、約4キロ、ポンプ場の下流、尾浜地区、JR神戸線の高架下まで歩いた。
そこで高架下を潜る人に、国道2号線まではあとどれくらいあるか尋ねたら、
ぶらぶら歩きなら40分と聞いて、Uターン(ないしIターン)。
「尼崎」という地名の起源は、「尼=漁師」が住む「崎=岬」と呼ばれる沖積地ができたからである。鎌倉時代初期の文献に出てくるそうで、これを根拠に、尼崎と呼ばれた地域に人が住み始めたのは平安末期から鎌倉初期とされている。
尾浜地区などはさしづめその時代には目と鼻の先に海辺が見えたはずである。
JR神戸線の線路に沿って潮江と呼ぶ地区がある。そのあたりに海岸線が走っていた時代もあるようだ。阪神電車の本線(大阪ー神戸)沿いの村々では江戸時代でも磯の香りがしていたであろう。
オオイヌタデの群落の存在確認。
泥鰌や目高の確認
昆陽川と庄下川の合流地点の確認
勾配がない川に流れを作るために設置された堰の確認。
その他もろもろを思い出し、忘れながら歩いた。
合流地点
灯台のような施設がある。欄干にもたれている近くに住む(あるいはすぐ傍の家に住む?)ご夫婦らしい人に尋ねてみた。あれは灯台ですか?
直ぐ南で働いていたものを移設したもである。
勉強したネットにはそんな事情を記載したものはなかった。
堰はその直ぐ南にあった。ゴミがたまって汚たない。
名月姫
「史蹟」の「史」の字が白ペンキで消されている。史蹟認定が取り消されたのであろうか?↑
ホトトギス
今日撮った画像は5枚のみ。
車のエンジンをかけて
目的地を設定してナビの画像を見て気付いたこと。
↓まだ掘り出していない蒟蒻。くたびれた紐状態。
ついに今年はコダチベゴニアと八重咲きベゴニアを放置したままで、株数は大幅に減少。
そろそろ屋内へ取り込まなければならない。
木立性ダチュラの今年最後の開花。何度咲いたか?4回?5回目?
そういえば、この1週間は外を歩いていると金木犀の香を楽しめた。
一番花後の2番花が一斉に満開になったのであろう。
あちらこちらでホトトギスが満開である。我が家のものも、地植えのものを切って妻が玄関の花瓶に挿していた。
以上の5枚だけ.
ホトギスの例句。
「杜鵑草」と書く。
杜鵑だけだと、鳥名となる。
「杜鵑」で検索したので、花も鳥も登場。
蒟蒻芋
よって何も書くひまがなかった。
追伸的画像:
花瓶のホトトギス↓
↓プランターのホトトギス
カタカナの「ホトトギス」でも数句はあるだろうと思い検索
44句と表示された。
2~4句目は、俳句雑誌「ホトトギス」がテーマで、5句目以下は、俳誌「ホトトギス」の汀子句帳
に掲載された汀子さんの句を挙げている。1句のみ紹介。以下は割愛。
3句目の作者は広太郎である。他の機会に見たことがある。
いつも利用している「俳句検索システム」は2003年に更新が途切れている。
「続」編もあって、これは2007年が最終更新。
ついでに覗いてみた。
91句表示。ただし3句以外は掲載誌としての「ホトトギス」を指すものであった。
この3句のホトトギスはすべて俳誌「ホトトギス」である。
1句目の山口青邨の真似をしたわけではないが、私も
平成26年8月豪雨南無
という句を句会で発表したことがある。
鎌倉という町は親しい友人が生まれ育った町だが、ついぞ訪ねたことはなかった。
京都で勤務していた友は、
私の長女一家が横須賀線の「保土ヶ谷」駅から徒歩数分の所に転居したのを知ると
ついでに新築した鎌倉の家を訪ねろと何度も勧めてくれたが、その機会がなかった。
(留守宅では奥方が、一斉同時ではないが、亭主の親に仕えた家事手伝い人、亭主の母親、奥方は一人子だったので、
自分の母親、果ては亭主の大学時代の恩師、さらには息子が学生結婚であったこともあり孫の世話まで一人でこなされていた。)
孫は転居と共に、幼稚園も転園、卒園式その他で何回か保土ヶ谷駅近くのカトリック系幼稚園を訪問したが、その頃は旧東海道保土ヶ谷宿の名残や記念碑を訪ねていた。
孫が鎌倉に在る小学校に入学してからは俄然鎌倉を歩く機会が増えた。
運動会やバザーなどがあると必ず出かけて、孫の出番が過ぎると
学校を出て学校の外回りを歩いた。
学校のすぐ裏側には源頼朝の墓地がある。
学校の裏門に沿って歩くと、次々に由緒ある寺がある、記念碑がある。
古都の美観を守ろうといった、マンション建設反対幟も。
それがいつも悪役は三菱レジデンスであった。
近くの銀行の社員寮であった更地でマンション建設をやっているのも同じ会社である。
ついに一度だけ友人の車に乗って、鎌倉市内を案内してもらったことがある。卒業した小学校の「表札」は、虚子が揮毫したもであることも教えてもらった。
まさに
鎌倉やさてホトトギスにあらずんば 攝津幸彦
である。
この句の作者幸彦君のお母さんとは句会を同席したことが何度もある。残念ながらこの君が我が町で活躍を始めた頃には、私は結婚して居を千里ニュータウンに移していたので、親しく交流したことはない。
ブルグマンシア(エンジェルトランペット。キダチチョウセンアサガオ)
春から秋にかけて咲き続ける。季語に指定しようがない。
俳句ではダチュラといえば、木ではなく草である朝鮮朝顔を指す(指していた)。
しかしこの木であるダチュラを俳句でもダチュラとして詠っているケースが増えている。
キダチチョウセンアサガオでは字数が多すぎるので、この木を詠う場合はブルグマンシアと表記しろと言いたいが、あんまり植物学的知識を云々しても始まらないので目下は余りよや花句言わないことにしている。
この木が茂っているために、庭のこの部分を越えて行かなければならない場所には
余り立ち入らない。立入りできない。
蜥蜴や蛙や毛虫が恐いワイフがその奥に踏み込んでホトトギスを切り取ったのには驚いた。
今日は草刈りを兼ねてこの部分へ侵入。
ついでに蒟蒻芋を掘り上げた。
↑季節外れの茗荷を1つ見つけた。
掘り上げるのが遅すぎた感もある。↑新しい芽が出て来ている。このまま日に当てると伸びて来る。急いで新聞紙でくるんだが、
この程度ではダメ。しかし回りの土にみみずが何匹もへばりついているので、一度水洗いしようと思う。蛍光灯の灯がとどく机の下に置いていて
今年は失敗。そのせいか芋は沢山の子芋をつけてはいたが、親芋はそれほど肥え太った感じではない。現状維持といったところ。
駅前の階上広場の隅に大きなコンクリ・コンテナーがいくつか置いてあるが、管理の手が回らないので自然状態で草が茂っている。
なにか新しい草があるようでもあり、
これはミズヒキソウ↑
↑すみれの類だろうか?
なぜかベゴにアが一株。
さっぱりわかない。猫缶さん何か見分けのつくものありますか?
中之島
川筋を歩く人もまばら。
だから余計に目立つ。
土佐堀川の歴史でも学んでいるのか?
筋入りのコクチナシである。↑
栴檀の木橋↓
人影がないのが不思議なほど。難波橋、天神橋東洋陶磁美術館↑↓
木村長門守重成
豊臣方について23歳で徳川に惨殺された忠臣のようである。
明治になって(徳川の世が終ってから)顕彰されたようである。
その碑の裏、堂島川側の薔薇園。
俳句ではあきそうび(秋薔薇)と呼ぶ。
シャリンバイの実
ツワブキが咲きかけている。
日本銀行大阪支店は、明治の大阪郵便局の跡地に建っているようだ。
サルスベリの実
銅像の落葉の部分へ青落葉
大坂の橋の番付け。淀屋橋は前頭である。
天神橋と難波橋が東西の大関である。
とうとうフェスティバルホールを越えて梅田まで歩いた。久しぶりだが、1年に2・3度は歩いている。
レストラン・食堂はどこも混んでいる。何軒かのラーメン屋には行列が出来ていた。
/
同窓会
出身大学のhome coming dayに参加。
今や10を越える学部を抱えているが、
そのうちの3学部がある学舎の行事に参加。
他の学舎でどんな行事が行われているのか知りようがない。
阪神淡路大震災以後ながく使用不可能であった講堂で記念講演。
記念講演の後は、立食パーティ。
3学部の同期生360人。逝去者50名以上。出身高校もそうだが、大学でも前後の期と比較して突出して逝去率が高い。本日の出席者90名。
パーテイは神戸三宮駅前のホテルにて。このホテル、同窓会の開催を売り物にしているので、
同じ日に他の部屋も同窓会だらけ。
しばらくして、昔の顔を思い出し、挨拶に。
拉致されたが裸で逃げだして生還した老舗菓子メーカーの(確か)3代目の社長のE君、学生時代に芥川賞候補にノミネートされたSE君、
10歳年上で同級生となり、卒業後も7年頑張って司法試験に合格したSA君は、髪もふさふさ、10歳若い同級生よりはるかに元気そうであった。
腰を曲げ杖ついて参加した人もいたが、全然名前も思い出せない。
パーティ終了後、4人だけでさらに2次会。店が神戸そごうの近くだったので、
閉店前にピロシキを3つ買った。かなりの行列だった。
「同窓」で検索すれば、「同窓会」も当然出て来るだろうと思ったが、そうではないので、
改めて「同窓会」で検索。
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句会
今月5回目の句会出席。
私にとってはメインの句会である。
現在は家から徒歩5分の距離の公民館で開催。第443回例会である。
第4日曜日の開催ゆえ、12月は開催しにくい。
よって年11回開催である。40年以上前に第1回が開催されている。その頃は違う会場を利用していたが、その時代を知るのは私一人である。
家から公民館へ向かう途次で3枚撮影。
お一人でお住まいということで、ひっそりとしていたが
亡くなられて売りに出されたよう。
またまた三菱関係不動産会社名を記した幟がたっていた。
テントは今日設営されたよう。100坪以上。
また何軒かに分けられるのであろう。
そこから1ブロック離れた箇所は、もともとは建築会社所有のテニスコートと資材置き場であった。
資材置き場は、大震災後数軒の家に姿を変えたが、テニスコートの部分は20年間、貸し駐車場であったが、
2年前に閉鎖された。
保育所建設表示が出ていたが、完成したようである・
えらく派手な仕様である。
防犯カメラが2台設置されている。
それからまた北側へ1ブロック行くと、県立高校である。
高校の南側、東側の角を右折すれば公民館が見える。
出句6句
席題は「珍」と「金」
茶菓子に沖縄の「ちんすこう」が配られた。
ウィキペディアの解説:
ちんすこう(金楚糕)[1]とは、琉球王朝時代から沖縄県で作られている伝統的な菓子のひとつ。小麦粉、砂糖、ラードを主原料とした焼き菓子。ビスケットのような食感と、控えめの甘さが特徴である。日本茶やコーヒーのお茶請けに限らず、アイスクリームの口休めやトッピングにも用いられている。観光をおもな産業としている沖縄県の土産物品として有名であり、箱詰めにされた同商品が土産品店で販売されている。
金楚糕の金はきんであってちんとは読みにくいので、「珍」の字に置き換えられることもあるという解説があったので、
二つの文字を席題に採用。いつもこんな調子である。伝統俳句系のように、季語を席題にすることはまずない。
弔い終え金木犀の2番咲
席題を季語の一部として利用するのは「違法」ではないが、避けるべしが通則であるが、
苦し紛れ
踏み込めば盗人萩の寄って来る
能弁な池上彰秋夜長
大あくび止めよ氷山が崩壊する
珍しいルビ付き表札銀木犀
銅製の落葉を隠す青落葉
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田仕舞
昨日の句会に
「田仕舞の鋤ねんごろに洗いおり」という句がでていたが、
汀子歳時記にはこの「田仕舞」という言葉が季語として採録されていないということである。
現代俳句歳時記では、「秋収め」という主季語の傍題として
「田仕舞」「豊年」「出来秋」「凶作」「不作」が並んでいる。
関連語とはいえても、傍題とはいいにくいものもある。
秋収めと田仕舞は同じ趣旨の語といえるだろうが。
汀子歳時記を覗いてみると「豊年」という季語の傍題として、
「出来秋」「豊の秋」を挙げているが、確かに、「田仕舞」は登場しない。
「鍬」で検索。275句と表示。
偶然だが、今日、「田終い」と表記した句に出会った。
広辞苑には「田仕舞」も「田終い」も登場しない。
汀子歳時記にないのみならず、『俳諧歳時記』にも登載されていない。
「田仕舞」の例句
2003年版
画像は橘
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バター
中学生になって最初の定期検診で胸に影があると言われた。
要精検の生徒は(中・高)6学年で6,7人、平常授業を抜け出してラッコという渾名の
丸丸肥えたドイツ人神父に引率されて病院へ向った。
出発前に例え発病していても短い期間の療養で回復するから安心しろという訓辞があった。
余計に不安になった。
再診の精密撮影で異常なしだったが、
以来毎年のレントゲン撮影では結果報告が届くまではらはらしていた。
まだ家には冷蔵庫がなかった時代である。
夏になると氷屋が、我が家の前に車を止めて、氷をノコギリでガリガリ音をたてて切り分け、
私の家以外に配っていた。その音を羨ましく聞いていたのを覚えている。
レントゲン撮影の結果に不安になって、母親が中古冷蔵庫を入手。
我が家にも氷が届くようになった。
朝食を洋風に転換した。以来食パンとバターとは長いお付き合いである。
ところで最近バターが品薄である。
バターを買おうと思ってダイエーの食品売り場へ行くと、
いつもは各種バターが並んでいるコーナーに、
「バター風味のマーガリン」などがずらり並んで、バターの名の付くものがまったくない週があった。
新聞情報では、バター用牛乳が、猛暑や、輸入飼料の高騰などで供給不足らしい。
そうなる前のダイエーでは、我が家で常用の雪印バターが380円(消費税加えると400円突破)であるのに対し、
ブランド名は「北海道バター」だが製造者は森永乳業であるバターが320円位で並んでいた。
味わいに大きな差がないので、私はそれを買っていた。
バターコーナーには、それとは別に「森永バター」のブランドで売られているものもあるが、これは雪印バターよりも高値であった。
ワイフの方も(ハズがうるさいので)バターの値段が気になりだして、「よつ葉バター」が安かったから買っておいたと報告あり。
ちょっと待てよ、と早速現物点検。そのバターは200gではなく150gパックであった。
今日は火曜日、生活協同組合(コープ神戸)の週1回の配達日である。
エンジェルマークはないが、M(morinaga)と頭書した「北海道バター」(森永乳業佐呂間工場製)が3つ含まれていた。購入価格を調べると消費税込みだと400円以上の値である。
私は、再びバターが並び始めたダイエーで、先週、(トップヴァリュの)バターを304円で入手したばかりである。
使用中のバター↓
(バター容器は使用しない。結婚した折、ワイフの家ではバター容器に移して保存していたが、訳を話して、止めさせた)
バター舐めてだんだん遠くなる 日本 高橋由紀夫
親しく交流した俳人である。無季俳句である。
今では少々底が浅い句のように思える。
キムチ食ってだんだん嫌韓派へ移行
程度の水準。
バターよく伸び煖房の食堂車 稲畑汀子
こちらは暖房で冬の句である。昼食・夕食ではなく朝食と思いたい。
父恋ひの母やバターの焦げ煙 金子 晉
知らない人である。現代俳句作家なのだろう。無季句。
バターを焦がす煙は冬の感じだが、具体的な舞台装置が分からない。
かげろふやバターの匂ひして唇 小澤實
なかなか小器用な作家。
昔、アメリカ人神父が傍に寄って来ると独特の体臭がした。
バターの匂いかどうか。
外国人は日本人の味噌汁臭が気になったというが、これも
数十年前の話であろう。
私も数十年前にソウル経由でニューヨークへ飛んだことがあるが、
大韓航空機内では搭乗直後は大蒜の匂いに辟易した。
その頃は日本でも朝のラッシュ時に満員電車に乗るとアリナミン臭かったのを覚えている。
春浅きイギリスの語学学校の扉を開けると、ムッとするようなチーズ臭だった。
一番ひどかったのはヴェネチアの本土地区のキャンプ場の朝のトイレ。
洗面所(料理用の水道施設のある部分)では裸姿のイタリア人が、
盛んに脇の下などに(消臭?)スプレーを振りかけていた。
春霖やバター色濃くなつて溶け 如月真菜
バター溶く鉄鍋重し麦の秋 伊藤京子
チーズならホンジュだが。
冷凍庫保存中のバター
俳句で「三日」といえば、れっきとした季語で、
一月三日を指す。
結婚してしばらくは(それでも10年位)三が日はおせち料理で過ごし、パンもバターもコーヒもなしで過ごしたことがある。
数日間バター断食の後のバターはまた格別のものがあった。
美作で定宿のバレンタインホテルは開業後数年して朝食はマーガリンになった。
ポピースプリングも数年前からオリーブオイルになった。私は三度位オリーブオイルをお代わりに行く。(それまではボール型のバターだった。ポピーは、夕食時には、キャラメル型のバターも利用可)
「はらはらする」という言葉を使ったので、二つのことを思い出した。
1.ある時、ある機会に中国人留学生が利用している日本語学習書を覗いたことがある。
説明はもちろん中国語だが、「はらはら」「どきどき」といった擬音(擬態)表現がずらりと並んでいた。
白髪三千丈と大げさに表現するところを、日本語ではリフレーンを伴う擬音で表現する場合が多いのに気付いた。
「どんどん」「ずきずき」「びくびく」「じゃんじゃん」「ばんばん」「ひょいひょい」「くちゃくちゃ」「さらさら」「びしびし」 「がんがん」「がりがり」数えあげるときりがないほど。
学習書では、それらを利用する用例が記載されていた。
2.間もなく12歳になる孫はほんの数年前まで、一人で留守宅の家の鍵を開けることができなかった。
孫の帰宅時間に母親が家を留守にせざるを得ない、ただそれだけの理由で、私が応援に駆け付けたことがある。
孫とは最寄駅の保土ヶ谷駅改札口で待ち合わせることにした。
孫の携帯にはGPS機能が付いていたので、母親からは娘が予定通りの時間に、鎌倉駅を出発したという連絡が私の携帯電話に入った。
電車の到着時間に合わせて改札口の外で待っていると、他の客の姿が見えない内に、孫が階段を駆けあがってきた。
私の姿をみつけた時に実にうれしそうな笑顔を見せた。
約束した時間にじ~じが来ていなかったらどうしようと「はらはら」「どきどき」して授業が上の空であったということであった。
満開のブルグマンシア
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芹
↑実むらさき
川といっても、土面はまったくない町川である。洪水後の護岸工事を繰り返していると街中の川はすべてこんな様相になる。
それでも水生植物や水際植物(湿気を好む植物が、わずかな土だまりを利用して育っている。
覗きこんで名前を推測するのも趣味の一つである。
丁寧に見てゆくと、それなりに綺麗な花を咲かせていることもある。
↑セリだと思う。
雨が降ったあとなので、それなりに水量が増えている。
ここは最近護岸工事が終ったところなので、草はまだ生えていない。
いつもは中央部だけに水が流れている。
2反あるかどうか。田仕舞後だが、すでに冬野菜用と思われる畝が設えられている。
いつも庄下川の三川合流地点へ向かい、そこから南下する遊歩道を歩くのだが、
この日は、まっすぐ行けば、市役所へ向かう道を歩いてみる。
↑市立高校の正門へ通じる道である。
途中に一般住宅もあるので、学校専用路ともいえない。
東門を入るとすぐ南門ともいえる門になる。ここはもともとは一般道路だったようで、
通り抜け自由である。南門を出て西に向かえば運動場沿いに、武庫川方面へ向かうことができる。
ふとこのまま歩けば、市役所の支所へ行けることを思いつく。
最寄駅前のビルの中にある出張所でたいていの事務処理はできるが、
市バスの割引乗車証を入手するには、支所まで出向かねばならないことを思いだして
手続きをする気になる。
ふと神社の標識を見つけ、まだ訪ねたことがないので寄り道。
絵馬は間もなく、羊に替えられる。
わざわざ「橘」の標識があるので、近寄って見る。
そういえば支所名は「立花支所」
大阪天王寺にある生国魂社(私はその名を知らなかったが、世間ではそちらの方が有名らしい)より、この生島神社は、由緒があって、大坂のものは分社であると言いたいようである。
支所の入り口で係の窓口を確認。入り口を入って目の前のカウンターがその窓口であった。
用件を告げると、身分証明を求められ、運転免許証を示すと、この用紙に記入しろという。
記入し終って目を上げるとすでに割引証が出来上がっていた。
この証を乗車時に示すと半額の運賃で市バスに乗れる。消費税8%になって、市バスの運賃は200円から210円に値上げになったが、110円で乗れることになった。
立花北小学校があって、支所の南には立花小学校がある。
尼崎には運動場の端に金網があって、二つの小学校や中学校が並んで建っている箇所が他にもあるが、ここもその一つといえる。
明治期までの村境で空地がいっぱいあったのであろう。
ということで、東側(庄下川方面)へ左折出来る道がないまま、山手幹線道路へ到達。
﨔並木が紅葉を始めている。
左手は↓小学校の校庭
塚口寺内町に住んでいた俳句仲間(すでに逝去なさったが)はこの小学校まで通学していたとのこと。家を出ると小学校が見えたというから
一帯は田圃しかなかったのであろう。
昭和30年頃までは、ショウちゃんが住んでいたあたりだけでなく、駅前でも蛍が飛んでいたそうである。
卍御坊のすぐ南側に今もその人の家がある。
↑
昭和17年2月に、尼崎市は立花村・武庫村・大庄村3村を吸収、人口28万となり、当時全国第11位の大都市になったと尼崎市史が記している。(現在の市役所は大庄地区にある)。
塚口村は明治期に立花村に吸収されたのであろう。
東へ向いて予想以上の距離(500メートル?)
を歩くと、例の中継ポンプ場が見えた。
いつも歩く庄下川左岸ではなくポンプ場のある右岸へ回る。
見学はできないよう。
小さな広場の前にバス停があった。時刻表を見ると、3分後にバスが到着する。
急いで小銭入れから110円取り出して、バスに飛び乗った。
以上は28日午後の行動記録。