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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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秋の野

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アカバナユウゲショウのような花、
フウロのような葉、この植物の名前を教えて

色々の角度から撮ったが、どうも写りが悪い。


神戸市北句淡河町
すぐそばに山が迫っている

山の際の草草


センダングサ↑

ヌスビトハギ↑   ハギ↓

フジバカマ↑

オオイヌタデ↓

アキノエノコログサ、 アレチノギク、セイタカアワダチソウ


イタドリ
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ゲンノショウコ

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この花(実際は、もう少し紅色が目立つ。)は現の証拠(ゲンノショウコ)↑
日本(独自の)3薬草の1つ(ドクダミ・センブリと並んで)
ゲンノショウコの解説や画像で確認。間違いない。
すぐ上に田圃があった駐車場の片隅。この部分は比較的日あたりがいい。
ここで私,いくつも新しい植物の名をいくつも知った。
アキノタムラソウもここでみかけた。
いつもながらたま猫さんに御礼。

解説によれば、関東では白い色が目立ち、関西では紅色が目立つそうである。
類縁・類似の草として、ユウゲショウやフウロを挙げるHPもあったので、
私の観察力もまあまあか。


昨夜の夕食。

わざわざ妻がクロスまで変えて撮影、ラインで送っていたので、お付き合いで私も撮影。
鯵以外の食材(ごま、味噌、ごぼうなど)は、米を含めてすべて美作産であるのがうたい文句。

鯵の南蛮漬けは2年ほど前までは、我が家の夕食メニューとして登場したことがなかった。

穂の様子などは、他の植物と同居状態では良く分からないので、
抜きとって地面に置いて撮影しろと猫缶たまさんから忠告されて
それに従った記録。
2日前。(今日は家から一歩も外へ出ずに台風情報眺めていた)

地面に置いたら全然穂が写らないので、
家に持ち帰って白い紙の上に置いてみた。


で、私の見立ては、カゼクサ。合ってますかねえ。

同じ日の、庭の蒟蒻

吟行会の折に、水生植物店も覗いた。
照明の下に手を差し出すと熱を持っている。
そこで店員に聞いてみた。
何故LEDにしないの?
LEDは波長が短いので、適さないんです。
あ、そう。
実は全然分かっていない。

多分、広範囲に照明できないということだろうと思った。熱を持つことが温度管理上いいことなのかどうか?
ともかく目下、販売用の水生植物までは手が回らない。

台風

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900ヘクトパスカルというので、世界的に報じられていたようであるが、
970になっても、980hpaになっても局地的豪雨などに関する警戒情報をNHKは終日流していた。
あきらかに気象台の体制におおきな変化があった。
幸いに我が家のある地域にはおおきな被害はなかったようである。
雨をほとんど降らなかったが、
それでも川に変化があるか観察にでかけた。

庄下川の3川合流地点へ。
3つの川の名前が分かった後では初めてである。


↑家から徒歩1分程度で出会う川。これは東に向い流れているが、撮影地点のすぐ後ろ(東側で90度方向を変えて南向きに流れてゆく。その両側へは足をふみいれることができない。
両岸に建つ家の庭になっているからである。その先どこで再び観察可能なのかまだ確認していない。しかし一番東側の冨松川に合流するはずである。

 水量に大きな変化はない。

↑さらに数分歩いて、北側から流れてくる川を観察する。最近かなり大規模な改修工事が行われた。この川は、橋に、「ひがしとみまつがわ」と記したものがあるので、まちがいなく、3つの川の真中を流れる東富松川である。地区名は富松(とまつ)であるが、川は「とみまつがわ」と呼ぶようである。つい最近知った。これまで誰も教えてくれなかった。
この川幅でも1級河川である。工事主体は国土交通省だったのであろうか?
県が委託されて代行したのであろうか。工事中は、工事主体の名が記載された標示が出ていた筈であるが、その時点では、1級河川であることを知らなかったので、見落とした。
多分、県の土木関係部局の名前であったように思う。
↓これはさらに阪急電車の踏切を越えて数分あるいた地点。
西富松川である。こちらの方がよほど立派な川であるがこちらは普通河川である。

3川合流地点。
3つの川の両岸へ通じる6方向から渡れる橋がかかっている。

左手が西富松川、右手が東富松川。↑

一つ南側の橋から写している。

↑右手から富松川が流れ込んでいる。すこし傾斜がある。

穂が垂れ下っている、穂が長く大きいので、アキノエノコログサだと思う。
最近、水没した気配があるが、昨日、昨夜ではないように思う。


岸の石にも水跡は残っていない。

ミゾソバが咲いていた。近くでは目にしないジュズダマがたくさん生えている。オギも。

砂州になっている部分に鳥の足跡。鴨であろうか?

紅と白の小さな花。ヒルガオ?

↑イノコヅチだと思う。

道はば一杯にトベラの木

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軍配昼顔

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書き始め時間 22:57 (私のPCの表示)

ワイフはヘクソカズラだという。ヘクソカズラ(ヤイトバナ)は今の季節、すでに実になっている。
しかし言われてみれば、ヘクソカズラに似ていなくもない。
今朝になって、猫缶たまさんから「軍配昼顔」であると教わる。

で改めて現場検証へ。

途中

これは蓬でしょうか?立蓬とか秋蓬とかいうのもあるのかどうか?

帰路で見た別の群↓

これは蓬に見えない。別の名を持つ草?↑

、どうもイメージ通りに写らない。

水没していた辺りを探っているうちに溝蕎麦(ミゾソバ)が花盛りであるのを確認。

こんなものも。

うかうかしているうちに水が引いて戻れなくなったのであろう。

覗いて歩いているのは、こんなところ。

川の両端に遊歩道が設えてある。終着点は3川合流地点で、それより上部は、3つの小さな川になるため岸辺に立つことはできない道路になっている土手の上から眺めるのみ。

真っ白な花もある。ピンクの花が主体である。しゃがみこんで観察するかぎり、白花溝蕎麦と赤花溝蕎麦があるのではなく、白く咲いたものが徐々にピンク色を増してゆくのだと思った。
しかしズームを使うと色が飛ぶように思う。
買いかえねばならないと思いながらまだカメラを新調していない。

↑このあたりだと、びっしり、一面、溝蕎麦だけが占めている。

本日午後句会参加。大阪中之島公会堂での句会は4ヶ月ぶりである。

 兼題は「万」だとメール連絡があったので、

水引いて万の溝蕎麦立ちあがる

という句を帰宅してから作り、ワイフに披露。
まるで「ホトトギス」俳句との評。まさにその通り。

でも水没したにしては余り汚れもなく葉が輝いているのと、ジュズダマと溝蕎麦以外は、
水没後遺症から立ち直れていないとの印象を持ったので。

他の3句


花ダチュラ杖つく人は善人か

朝鮮朝顔⇒金正恩さん⇒足首手術⇒40日ぶりに再登場 杖付きで。

虚報ありコヒルガオの咲き乱れ

現の証拠右向け右に従わぬ

 軍配昼顔では作意が見え見えになるので。
虚報は朝日と産経の事件を背景にしている。
サンケイの場合は、日本人が、日本語で、日本の読者向けに書いたコラム記事だが、
虚偽、ねつ造、名誉棄損で訴えられている。

ゲンノショウコは結構行儀の悪い咲き方をしていた。ドクダミやセンブリとは違う。
(ただしセンブリの咲いているのを見たことはないが、私、虚弱児童だったので、
伯母の義母さんが山で摘み干したセンブリを飲まされていたが、結構好きになり、
成人後も薬局で買って飲んでいた。)

時間切れ、その他の画像は明日へ。  23:58

鯉 鴨 鷺

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鷺は余り見ない。鵜はまったく見なかった。
鴨は歓迎されるが、鵜も鷺も行政当局はあんまり歓迎しないであろう。


川べりをあるいているうちにポンプ場のあるところににさしかかった。
このあたりから川の水深は深くなる。といっても1メートル位か?
ポンプ場の存在理由はしらない。しかし聞き覚えのある施設である。

尼崎市の「施設MAP」で「栗山中継ポンプ場」を検索。

「中継ポンプ場は、下水管で集めた汚水を浄化センターに送水したり、降雨量によっては雨水を直接河川などに放流して、浸水を防いだりする施設です。具体的には次のような役割を果たしています。 

高いところから低いところに流れる水の性質を利用して下水を流していますが、下水管が相当の深さになったときに、一旦下水を地表近くまでくみ上げて再び自然に流れさせる「中継ぎ」の役割を担っています。

大雨が降って、晴れの日の汚水量の3倍以上の量が流れてくると、大きなゴミなどを取り除いたのち、すばやく海や川に放流し、街を浸水から守っています。」

 なるほどそうかと納得。

我が家の前の道路には、6メートル管が埋設されている。工事の折り、覗きこむと6メートル下には地下水が川のように流れていた。


庄下川を横切る橋は多いが、どの橋の下にも鯉が群れている。
ポンプ場の北側の橋の下はひときわ多かった。
一目、200匹。

何年か前に飛騨古川の町を歩いた時、側溝と言えるような川に
鯉が溢れていたのを思い出した。水深1メートルもない川に、鯉がびっしりと二重3重に重なって泳いでいた。

庄下川をここまで歩いたのは初めてである。すぐ南側に幹線道路が東西に走っている。
国道2号線や43号線の混雑を緩和するために、最近ようやく神戸まで通じたようである。
「山手幹線」と呼んでいる。山手というほどではないが、43号線や湾岸道路や2号線より北側
(山側)を東西に通じているからである。

↓これは庄下川を横断するガス管

.「ポンプ場」では例句は出てこないと思い、「ポンプ」で検索。

ポンプ井戸ひびく一つ家法師蝉 池沢葦於

芽木長屋夜濯ぎに鳴るポンプいくつ 飴山實 『おりいぶ』

誰か早やポンプ使ひし初明り 阿部みどり女 『笹鳴』

ほとばしるポンプの水や蝶生る 金堂豊子

初音聞く灯油のポンプ押しながら 山田節子

出初式手押しポンプも参加して 河村昌子

青田波ポンプ小屋へと寄せにけり 大野信子

時雨るゝや水をゆたかに井戸ポンプ 中村汀女

青葉木菟夜もポンプをこき使う 鷹羽狩行

桜早しポンプ一突き水溢れ 中村汀女

雪をすつぽり開拓の青ポンプ 辻田克巳

ポンプ押しゆるゝふぐりや寒水汲む 川口重美

時雨るるや水をゆたかに井戸ポンプ 中村汀女

日蝕のすぎてもポンプ滴れり 横山白虹

手押ポンプのすこすこと彼岸過ぎ 長谷川久々子



ポンプ押したらふぐりが揺れるは実感であろう。「寒水汲む」が「な~んだ」という感じ。

センダングサ

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センダングサという名を今年初めて知った。
葉が栴檀(の木)の葉に似ているからそう呼ばれるらしい。
栴檀の木は何度も見ているが、咄嗟には葉の様態を思い浮かべることができない。
大阪中之島の公会堂の前に立派な栴檀の木があるのは知っているが
センダングサの名を知った後、数ヶ月淀屋橋へでかける機会がなかった。

1昨日久しぶりに大阪句会に出席。
いそいそと淀屋橋を渡り、生駒山を確認

大阪市役所の南側土佐堀川沿いを歩く。
午後1時前で、昼食から戻る人などの往来が多い。
外国人観光客なども。


栴檀の木 陸橋歩道へはみ出した枝が伐られている。

なんとも微妙である。

どこかで、今普通に栴檀の木と呼んでいるものは、「栴檀は双葉より芳し」と言われる栴檀ではないという記事を読んだようにも思う。

他方、私が路傍で見掛ける「センダングサ」がセンダングサでないのかも知れないなどと
思って、ネットを繰っていると、私よりはるかに植物マニア的な人のブログに出会った。

そこには「最近は、センダングサにお目にかかることができなくなった」と記されている。
センダングサにもいろいろ種類があるようだと気付いたのが昨夜。

栴檀草各種の見分け方を画像で示したHPをプリントして
今日もまた現場検証へ。



筒状花の回りを5枚の黄色い舌状花が囲っている。

これが本家(在来種)のセンダングサである。

↑阪急電車神戸線沿いの側溝。写っている部分は綺麗に草抜きがされている。
市の担当者の仕事ではなく、道路の北側に建っている家の住人に依るものである(と思う)。
緑色の草が残っているが、これはすべてランタナで意図的に残されているようである。



こういう作業が完了していないところ。

茂っているのがセンダングサ。

黄色い5枚の舌状花があるはずのところに10枚近い「単葉」が筒状花を環状に取り巻いている。
いろいろ、私に見分けることができるかどうか自信が持てない見分け方が記されているプリントを取り出してみるに、これは「アメリカセンダングサ」。

名付けの時期によっては「メリケンセンダングサ」と呼ばれたかもしれない。
メリケンではなくアメリカだから、この種が確認されたのは1950年代以降なのであろう。

改めて葉を見るに、まあまあ栴檀の木の葉に似ていないこともない。
しかし私はこの葉を見てすぐに栴檀の葉を連想することはできない。(できなかった)。

要するに、今、普通に路傍に生えているセンダングサはほぼすべて外来種ということを確認。

次には違うセンダングサにお目にかかれることを期待して、川べりへ。

川べりに群生しているセンダングサは、その単葉もない。


↑これらは「コセンダングサ」である。
「コ」が付いていても背丈などは並みかそれ以上であると解説されている。

この他に、舌状花が黄色ではなく白いものもあるらしい。それはコシロノセンダングサ。

解説には在来種(史前帰化植物)を含めて4種類のセンダングサが比較紹介されていた。
そのうち2種のみ本日確認。

以上は改めてプリントを眺めることなく、書き上げることができた。

それほどに本日センダングサの勉強に集中。

しかしセンダングサ属はこれだけで終了しないようである。


川べりの生態は、変化し、タデなどが目立つようになり、やがて溝蕎麦の天下になる。

遊歩道に覆いかぶさる桜。
その先端部分

先端部分にゴミが付着している。
台風18号、19号あるいはそれ以前の増水時には、この高さ(今は水深20㎝位だが、枝先までだと1m以上)まで水位があがったようだ。
鴨はこういう場所に集まって来る。集餌に都合がいいのであろう。

鷺もコシラサギといった感じ

ある部分では、蔓薔薇が蔓延りすぎて伐採されていた。

快晴。初秋

メンテナンス・ホール

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小渕さんは辞職されるよう。

増水後合わぬ帳尻イチビの実

イチビを初めて見た野は目下遺跡調査中で、囲われている。もうそこでイチビにお目にかかることはないだろう。10階建の老人用居住施設が建設されるが、予定表には12月末まで遺跡調査がつづくようである。

 塚口城の東門跡がでてきたという噂を耳に
した。ずいぶん掘り下げているようで、
周囲に残土が摘みあがり、金網の僅かな隙間から発掘現場は見えない。

マンホールはメンテナンスホールと呼び名が変わったとか。

この蓋が今ブレークしているとか。(とりわけ外国人来日リピーターに)

↑西宮市のものは、甲子園球場と酒蔵を(多分夙川土手の)桜の花びらが取り巻いている。

↑吹田市 太陽の塔(万博の)以外は良く分からない。

↑尼崎市のものは庄下川の復活をイメージしているよう。
公害都市返上。

↑大阪市  大阪城・淀屋橋・水中翼船・御堂筋のイチョウ並木
(以後4,5枚まとまれば紹介)

夕刻吹田市のメイシアターでヴァイオリン鑑賞。



復興

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阪神大震災の折に崩壊した地域でのハウジング・センター。この地域、よって築20年の物件は何もない。まったく新しく作り直された町である。記念碑的な物は目下目にしたことがない。
阪急電車「西宮北口」駅南側である。こちら側には改札口さえなかったように思う。
今や北側ではなく、この地域が西宮市の中心部分とも思える。阪急西宮球場跡地の商業施設も賑わっている。


木々も20年経過して大きくなった。
街路樹はユリノキで、
低木には、ローズマリが植えられている。20年近く立っているので大株で
傍を通るといい匂いがする。
いつも2,3葉千切って、鼻へ近づけている。


ハウジングセンターの駐車場の一画で園芸店が店を出していた。

多肉さんは800円である。

ローズマリは多分季語ではない。
ハーブも季語にはならない。
爽やかや朝の食卓ハーブの香 平野和子

バラ園は派手ハーブ園地味なりし 古谷多賀子

ハーブ湯に旅の匂ひの十三夜 影島智子

↑↓築50年の施設である。
↓夕陽に照らされているのは吹田市役所の建物。こちら側はメイシアターという名の文化ホールである。


.

平安時代以前の住所が残っている。
一条二里一坪


その前に摂津国豊嶋(てじま)郷と誌しても、当時は郵便制度がまだなかった。


この一年間で新しく知った草の名の一覧を整理しておこうと思うが、
まだ緒についたばかりである。


庄下川

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庄下川の風景

地下水が湧きだしているのかと思っていた。↑
ある日、朝早く傍を通ると水が止まっている。

その時に、一体これは何と呼ばれている施設なのかという疑問が湧いた。

庄下川に関するHPの中で次の記述を見つけた。

「7.ふるさとの川モデル事業 

○概 要 

庄下川は昭和 63 年に「ふるさとの川モデル河川」に指定され、市民生活に潤いや安らぎをもたらす水辺空間の創造を目的に、環境、街づくり、景観と一体となった整備が行われました。 この区間のうち上流部は、ふるさとの川整備事業に移行しました。

○可動堰 水質向上のため庄下川水門とポンプによって中下流域の水位を下げて流れを創出すると、上流域においても水位が下がることになります。このことは、上流域に見られる魚類にとって生息環境の変化となります。そこで、一定の水深を確保して影響を緩和するため、JR橋梁の上流部に堰高 1m の可動堰が設置されることとなりました。 また、堰で流水を落下させることにより、曝気を促進することになり、水中の溶存酸素が増加し、水質の浄化を促しています。 なお、洪水時(水位上昇時)には自動的に堰が転倒します。
以下の文
○上生嶋橋付近 ちびっこ広場を沿川に設け、そのオープンスペースの中を“せせらぎ”のごとく流れる庄下川と一体の演出を図ることにより、緑と親水の拠点空間を創出しました。 また、修景を兼ねた噴水を設置し、水質の浄化を促しています。

 これは噴水だった。
同じ日、対岸から見ると、10時を過ぎていたので、噴水は復活。
多分10時から日暮れまで活動しているのであろう。


この解説はまだまだ続く。

○ 概要・ 対象となる河川は、河道内に植生は少ない。・ 河道は直線的で、垂直に近いコンクリート護岸が続き、生物の生息環境としては単調で多様性がない。・ 圏域内の河川は、いずれも市街地を流れる都市河川であるが、魚類、底生動物等の水生生物相調査結果では近年魚類の確認種数も増えており、水質は改善傾向にあると言える。

・ 注目種としては、コウライモロコ、ドジョウ、メダカの 3 種の魚類と、ササゴイ、イソシギ、カワセミの 3種の鳥類が確認されている。

・ ミシシッピアカミミガメ、ナガエツルノゲイトウなどの外来種が広い範囲で確認されている。

↑これはコサギで、

これはカルガモらしい。

どじょうも目高も未確認。

○ 風景

・ 下流部は市街地で、垂直なコンクリート護岸等が設置されている。・ 昆陽川合流部付近から富松川合流部付近にかけては、親水護岸が設置されており、水際植生が繁茂している区間も多い。

・ 上流部は住宅地や耕地の間を流れる水路形状となっている。下流部親水護岸 上流部自然環境等説明資料 資料-5 2○ 主な動植

○ 主な動植物

・ 全体に水深は浅く、流れは緩やかで、クサガメ、カルガモ、ギンヤンマなどが生息する。

・ ところどころに分布する深みにはコイが生息する。

 とてもじゃないが、今やところどころではない!鯉だらけの川である。

・ 水際部にヨモギ群落が生育する区間や、低水路一面にオオイヌタデ群落が生育する区間などがある。

 溝蕎麦はその後(この解説が書かれた時より5年以上たって)増えたのであろう。タデは良く見るし、集落を形成しているが、ヨモギやオオイヌタデの群落はまだ見ていない。

○ 確認されている外来種・ 特定外来生物としては両生類のウシガエル、魚類のカダヤシ、ブルーギル、植物のナガエツルノゲイトウの 4 種が確認されている。

・ 要注意外来生物としては、爬虫類のミシシッピアカミミガメ、植物のオオカナダモ、キシュウスズメノヒエ、ヒメムカシヨモギが確認されている。



ネットサーフィンのついでに、「兵庫県尼崎市ってどんなとこ」というスレッドに寄せられたレスを一つ紹介。

「関西人はイメージとして「尼崎=公害・下町・ガラが悪い」と思っていると思います。
だからか、武庫之荘に住んでいる人は絶対に「尼崎」と言わないですねぇ。
私は大阪市内の病院で出産しました。4人部屋でママさん達といろんな話をしていました。
1人が武庫之荘の人で、他のママさん(神奈川と島根出身)達と住んでいる場所の話になった時に
武庫之荘ママが「私は武庫之荘」と言ったけど、町名なんて他県の人に分かるはずもなく、
「武庫之荘って何市?」の質問に「えっと、、私のマンションの向かいは伊丹市」
と訳の分からん返答をしていました(笑)ママさんは「伊丹市なのね」で話が終わったけど
よっぽど「尼崎市」と言いたくないんだなぁと思いました。

別の話で、阪神沿線の下町「杭瀬」に住んでる友人がいます。
この子も凄く嫌がってて「両親は大阪と神戸出身で、父の仕事で尼崎に来ただけ」と言ってました。
両親と本人の意思で中学から別の市の私学に通っていました。
近くに神戸や芦屋や宝塚なんかのイメージがいい街が多いので、本当は人情味溢れるいい街なのに、コンプレックスになるのかも。」

私もあんまり尼崎から来たとか、尼崎に住んでいるとは言わない。美作で地の人と話す時には、神戸からきたという。

東京で話題になると、大阪から来たという。

地域周辺の人と話す時には、塚口から来たという。

遠隔地の人は尼崎は市外局番が06だから、大阪府の町だと思っている。

ネットサーフィンで今一つの疑問解決。

画面、右側(東側)から庄下川に合流する川は冨松川、正面北側から流れ込む川は東冨松川
ちょっと腑に落ちない。

東側から流れ込む川が東富松川で、北側から流れ込む川が富松川とよぶなら分かりやすいのに何故だろうと思っていた。


川源が呼称の元になっている気配がある。

富松川は北部の川源が東富松川より西にあるのである。
よって二つの川はあるところで平面交差しているのである。
その部分も見たことがあるように思う。我が家から徒歩圏内である。
.
昆陽川や伊丹川あるいは上坂部川との関係もようやく今日、各種HPのおかげで了解できることが多かった。

今日紹介した川名が俳句に詠われているとは思えない。

地区の住民しか知らない川だから。

「川」で検索、3300句以上。
最初の100句から
も妹も鮎の 小島 雅夫

寒き日やに落ちこむの水 永井荷風

開きなかったことに育ち 加藤郁乎

日は凍り知らないは曲る 加憲一

道灌の地のもてなしや焚火(埼玉県越生町山吹の里近くに越辺流る) 角源義 『西行の日』

普請の流れを片寄せて 堀之内和子

このの三つ渡るや芦の花 河東碧梧桐

飼ひ飽きてざりがに放つ溝の 初トミ子

すじの水まだ眠る種浸し 房喜三男

なりに巾なりに葦枯るる 榎田きよ子

奥宮へ床段々に貴船 峰山 清

神の旅といふせせらげり 千葉久子

越の野に会ふ三すぢ祓 本多静江

天の出来て更けにけり 花蓑

とほき神隠し夕日の雪解 子郷 (笛吹)

行秋や近く住みを見ず 柴原保佳

を裏を表に峡の冬 矢島渚男

蝉のも女もすでに亡し 佐藤鬼房

蝉のも女もすでに亡し 佐藤鬼房

も妹も涅槃雪 山本洋子

と呂と冬の山出づる 八木林之介 青霞集

月の見えざるの広島忌 小檜山繁子

一月の野路あればに沿ひ 野見山ひふみ

も妹も涅槃雪 山本洋子

消しゴムや麓の蒸気 攝津幸彦

寒き日やに落込むの水 永井荷風

蝉のも女もすでに亡し 佐藤鬼房 朝の日

は元のならず落葉運べども 石塚友二

つみとがをへながせばも花 立花北枝

最上舟唄雪片を吸ひ込みつ 中原道夫

太郎秋思に皿の乾くなり 中原道夫

掌のなかに握りたる涸(ワジ)露けしや 中原道夫

阿武隈という女体なり喉に霧 高野ムツオ 陽炎の家

夜見の声ともども春の曲る 高野ムツオ 雲雀の血

壜中の蝮の夢や天の 高野ムツオ 雲雀の血

音を消したる暮雪つのりけり 行方克己 昆虫記

どんど火の猛るの面流れをり 行方克己 知音

七草粥の明るさ背にのこり 友岡子郷

見つつゆくななくさの雨の中 岡本 眸

国栖奏の鈴へ振り崖に振る 米田ゆき子

寝正月音そして山の音 戸塚時不知

雪嶺をひた負ひ年賀配達夫 横道秀

鳰どりのに来てゐるふくさ藁 岡井省二

霧の宇治に来てをり若井汲む 上野一孝

向うといふへだたりの初景色 岡本高明

初茜啄木の賢治の 田村了咲

に菜屑あをあを女正月 鍵和田[ゆう]子

芥しづめ元日の流れをり 行方寅次郎

暁は澄み町去年の燈をとどむ 山本古瓢

加茂の流れつづきて今年かな 村山古郷

去年今年闇にかなづる深山 飯田蛇笏

音とある蔵景色年立てり 下田 稔

霜枯の葉裏明るし古墳山 中幸子

朴落葉拾いて朴の木を探す 喜多弥栄

持つてみて文旦一つ買ひ残す 海老根筑

氷見の河港焦がすは鰤の漁火 黒田桜の園

に来て昼をすなどる冬鴎 上田五千石

波郷忌や溝に濡れ羽の千鳥 五十崎朗

身にしみる昔語りや近松忌 老敏彦

ふたつあひ合ふ大事神の留守 百瀬美津

子の臀を掌に受け沈む冬至の湯 田飛旅子

三河路にビニールハウス村なせり 里水章

湯の町の裏大根洗ひをり 森田公司

賀状書く喪中幾葉かへし読み 畑火

炬燵寝も酔のあげくや音す 皆白陀

炭俵ほどきはじめの明り 花谷和子

新海苔や夜は町を埋めて舟 皆吉爽雨

茎漬の水上りたる納屋明り 刀根美都

加茂の日々に涸れゆく酢茎かな 岸 風三楼

てつちりや道頓堀のぬめ灯り 老敏彦

鰭酒や汐入に博多の灯 村田よう子

頭巾着て杜氏に出るも近き村 石星水女

寒泳子行者のごとくに入る 勝部十糸女

浚ひしたる貴船の年用意 土山紫牛

冬浜を一の紺裁ち裂ける 中村草田男

一渓の紺を絞りぬ寒の 稲垣陶石

蛇籠沈めて冬と親しめり 古 淑

とぎ汁のながれて冬の飛鳥 柚木紀子

にかゝりて太し石の橋 高野素十

鹿の出て冬寥とゆきにけり 古舘曹人

に洗ひ場一つ持ちて住む 鶴丸白路

流れ来るもの一つなき冬の 五十嵐播水

冬の寝覚の床を裂き流れ 野見山朱鳥

に鳥たつ木曽の夕ぐれは 桂 信子

涸れしわたる市電の音をたて 小路智壽子

の明るさ石を投げてより 鈴木重美

涸れて石激流の相をなす 野見山朱鳥

岩相の九十九態や涸るる 林 翔

雪原の深創ゑぐり天塩 山崎秋穂

灯を遠み京の筋風花す 庄司圭吾

雪来るか野をくろがねの奔り 相馬遷子

蹄鉄の伊那のこもり音雪催ひ 老敏彦

一本のより三河初しぐれ 宇佐美魚目

冬うらら外湯七つを沿ひに 吉野義子

冬深し藪へ入り込むの砂 大峯あきら

荒むしろ沈み切れずに凍てぬ 岡本 眸

一月の一月の谷の中 飯田龍太

年越しの鐘撞く衆に漁師 中志帆

行年の浅草にありを見て 田飛旅子

城を仰ぎを眺めて冬はじめ 河野友人


PR: お待ちかねのサラリーマン川柳、今年も応募受付スタート

名月姫

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今日の噴水

3つの川が合流して庄下川になる。
そこを基点として庄下川は総延長7500メートルの川である。
同一県内を流れており、総延長も並み以下である。
通常の水量も多いとはいえない。
水力発電にはまったく、灌漑用にもほとんど利用されていない。
それでも1級河川である。(但し2級から格上げになったのは1972年である。)
昭和46年豪雨(1971年)で、川が氾濫し人口密集地におおきな被害を与えたので、
国が関与して大規模な排水設備がもうけられたことと関係していると思う。
目下はそう記した「物証」なしの感想である。

いつかは基点から河口まで歩いてみようと思っている。

今日は、約4キロ、ポンプ場の下流、尾浜地区、JR神戸線の高架下まで歩いた。
そこで高架下を潜る人に、国道2号線まではあとどれくらいあるか尋ねたら、
ぶらぶら歩きなら40分と聞いて、Uターン(ないしIターン)。

「尼崎」という地名の起源は、「尼=漁師」が住む「崎=岬」と呼ばれる沖積地ができたからである。鎌倉時代初期の文献に出てくるそうで、これを根拠に、尼崎と呼ばれた地域に人が住み始めたのは平安末期から鎌倉初期とされている。

尾浜地区などはさしづめその時代には目と鼻の先に海辺が見えたはずである。

JR神戸線の線路に沿って潮江と呼ぶ地区がある。そのあたりに海岸線が走っていた時代もあるようだ。阪神電車の本線(大阪ー神戸)沿いの村々では江戸時代でも磯の香りがしていたであろう。


オオイヌタデの群落の存在確認。
泥鰌や目高の確認
昆陽川と庄下川の合流地点の確認
勾配がない川に流れを作るために設置された堰の確認。

その他もろもろを思い出し、忘れながら歩いた。

合流地点

↑手前が庄下川本流。右上が昆陽川(こやがわ)

灯台のような施設がある。欄干にもたれている近くに住む(あるいはすぐ傍の家に住む?)ご夫婦らしい人に尋ねてみた。あれは灯台ですか?
直ぐ南で働いていたものを移設したもである。

勉強したネットにはそんな事情を記載したものはなかった。

堰はその直ぐ南にあった。ゴミがたまって汚たない。


名月姫

「史蹟」の「史」の字が白ペンキで消されている。史蹟認定が取り消されたのであろうか?↑

とは月明に消ゆるもの 田中裕明 櫻

こぶしを過ぎたるすさびにて 小檜山繁子

あのこの脳薄ければ玉椿 八木三日女

こぶしを過ぎたるすさびにて 小檜山繁子

絵巻物ひろげし如く小松 成瀬正俊

の奉納羽古板古りにけり 稲荷島人

たてかけし傀儡のも影をもつ 丹羽登代

誘ふ神ありて旅立つ咲耶 池谷市江

顔見世や金糸の波の衣裳 林 翔

初時雨街道の石紅し 有馬朗人

大名ばった千の墓つかみをり 稲荷島人

菊師いま八重垣にかかりきり 松岡美代子

ちらと見し清塚やうそ寒き 高橋淡路女

秀次の墓みち著莪も著莪も 粟津松彩子

照手いづこと拾ふ落し文 加藤三七子

薫風や井伊の御の赤鎧 京極杜藻

神の山晴れてくる厩出し 清水芳子

の恋に燃えつき櫨紅葉 林 博子

伊勢と一人の僧と椎の花 三浦 つき子

美しの宮は神鏡餅 石崎 晋象


薬玉のひと皮むくと荒れる 中烏健二


かぐや眠れる竹は伐らでおく 渡辺恭子


すすき遊びの旅の櫛よごる(箱根) 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』

かぐやほど膨れ来し月下香(矢成氏丹精の月下美人に招かる) 殿村菟絲子 『旅雁』

春雨に細目ひらきのこけし 河野南畦 『硝子の船』

菊衣は菊師の為すままに 河野南畦 『湖の森』

漁夫の櫂妻問ひくれば野火遠し(「さねさし相模の小野に燃ゆる火のほなかに立ちて問ひし君はも」弟橘最後の歌と伝ふも、春日焼畑の火に妻問ひせし古代相聞歌なり) 角川源義 『神々の宴』

傀儡凍てて吊らるる楽屋裏 石原八束 『秋風琴』

百合や硝子張り越しそらなみだ 仁平勝 花盗人

人造湖囲む峰より龍田 塙 きく

日暮れては野山相寄る龍田 児玉南草

もみじ葉の一葉をいつき龍田 松瀬青々

龍田森に来給ふ句碑びらき 古賀まり子

海桐赤し鶏海鶏とわたり来て きくちつねこ

かぐや眠れる竹は伐らでおく 渡辺恭子

なでしこの紅一点の露まみれ 柴田白葉女

山清水汲みに木花咲耶 上野澄江

かぐや待つ竹皮を脱ぎきつて 満田春日


はリラの花よりも濃くにほふ 山口青邨


桃の日や深草焼のかぐや 一茶

木の国の影長(かげながひめ)の子守唄 夏石番矢

夢に見よ身長十億光年の影 夏石番矢

佐保と坂東太郎接吻す 田辺花

絵巻物ひろげし如く小松 成瀬正俊

始水平線は空にあり 高木 智

ワインロゼほのかに残り始 斉藤すず子

およびより鬼となりゆく神楽 伊藤孟峰

ひと夜さを咲耶来て霧氷山 松本千鶴子

生盆やわあわあ囲む涎 伊藤希眸

の脱ぎたるあとの菊の嵩 吉田寿子

龍田竹生島には立寄らず 判治遼子

足音のひとつは竜田ならむ 吉田寿子

かぐやかへりし跡の八重葎 椎名書子

花終る木花咲耶の宮 本宮鼎三

の鐘の供養の雨降らす 真砂卓三

桃の日や深草焼のかぐや 一茶

佐保の海を渡りしのちの恋 栗田恭子

佐保の先触れや雨こまやかに 小澤満佐子

佐保の裾にかくるゝ雉子哉 松瀬青々

玉依氷柱の中に在しけり 長屋せい子

街道ほたる袋に雨残り 内山亜川

猿石はの墓守鳥雲に 長谷川史郊

佐保の解きし帯かも虹淡し 橋本榮治 麦生

土間暗く雪沓のみが真新らし 井苔青

著莪の花に墨する朝かな 杉田久女

はリラの花よりも濃くにほふ 山口青邨

釣釜や佐保という萌黄菓子 森田金峰

春寒や竹の中なるかぐや 日野草城

佐保の鈴鳴る水の斑雪山 山上樹実雄

絵巻物ひろげし如し小松 成瀬正とし

神に織初めの神酒たてまつる 金子星零子

の手向の歯朶かうき身宿 乙二

宇治橋の神や茶の花さくや 宗因



ホトトギス

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今日撮った画像は5枚のみ。
車のエンジンをかけて
目的地を設定してナビの画像を見て気付いたこと。

初期画像に、小学校が3つ、高校が2つ、女子大が1つ登場する。1㌔四方位が写っているのであろうか。

↓まだ掘り出していない蒟蒻。くたびれた紐状態。

ついに今年はコダチベゴニアと八重咲きベゴニアを放置したままで、株数は大幅に減少。

そろそろ屋内へ取り込まなければならない。

木立性ダチュラの今年最後の開花。何度咲いたか?4回?5回目?

そういえば、この1週間は外を歩いていると金木犀の香を楽しめた。
一番花後の2番花が一斉に満開になったのであろう。


あちらこちらでホトトギスが満開である。我が家のものも、地植えのものを切って妻が玄関の花瓶に挿していた。

以上の5枚だけ.

ホトギスの例句。
杜鵑草」と書く。
杜鵑だけだと、鳥名となる。
杜鵑」で検索したので、花も鳥も登場。

墓の辺や風あれば揺れ杜鵑草 河野友人

杜鵑花咲く井伊家ゆかりの竜潭寺 磯野充伯

杜鵑花咲く稲荷の磴に海の風 安藤衛門

杜鵑月落ちてより山蒼し 原 天明

乗る駅に降りたる駅に杜鵑花かな 加来 都

ゆく水に触れて色濃し杜鵑草 山口いさを


杜鵑草黙し立てずに五十路過ぐ 安井信朗

飛び石にもたれかかるや杜鵑草 落合よう子

活ける間も花のこぼるる杜鵑草 松沢佐多子

禅寺に青い目集ふ杜鵑草 蕪木啓子

水に映りて斑をふやす杜鵑草 檜 紀代

かすかなる山姥のこゑ杜鵑草 小檜山繁子

杜鵑花咲き茎に埃立ちやすし 長谷川浪々子

杜鵑草森にタールの匂い立つ 関口桂史


紫の斑の賑しや杜鵑草 轡田進

杜鵑花咲き巷に埃立ちやすし 長谷川浪々子

あかつきや地震の後の杜鵑 几董

杜鵑啼くや夜明けの海がなる 白雄

自由党総理来岐の杜鵑鳥 筑紫磐井 婆伽梵

月の前通るも見たし杜鵑 尾崎紅葉

杜鵑啼くや伏屋の受験生 尾崎紅葉

楼成りて杜鵑待つばかり哉 尾崎紅葉

杜鵑あつらへ向の寝覚かな 尾崎紅葉

子もふまず枕もふまず杜鵑 榎本其角

襖除り杜鵑花あかりに圧されけり 阿波野青畝

蒟蒻芋

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昨日は、ブログ書きだしたのが午後11時50分過ぎ。
よって何も書くひまがなかった。

追伸的画像:
花瓶のホトトギス↓

↓地植のホトトギス

↓プランターのホトトギス

カタカナの「ホトトギス」でも数句はあるだろうと思い検索
44句と表示された。


ホトトギス草鴉も鳴かず雀も来ず 阿部みどり女

書肆薄暑明治のホトトギスありし 高田風人子

ホトトギス創刊号紙魚許されず 稲畑廣太郎

流れ星ホトトギス合本七十冊

雪雲にさへ立つ虹のあることを 稲畑汀子 ホトトギス汀子句帖

2~4句目は、俳句雑誌「ホトトギス」がテーマで、5句目以下は、俳誌「ホトトギス」の汀子句帳
に掲載された汀子さんの句を挙げている。1句のみ紹介。以下は割愛。
3句目の作者は広太郎である。他の機会に見たことがある。


いつも利用している「俳句検索システム」は2003年に更新が途切れている。
「続」編もあって、これは2007年が最終更新。
ついでに覗いてみた。
91句表示。ただし3句以外は掲載誌としての「ホトトギス」を指すものであった。


ホトトギス一千号の虚子忌嗚呼 山口青邨

鎌倉やさてホトトギスにあらずんば 攝津幸彦 未刊句集

重ねある古ホトトギス花簑忌 高橋木流子

この3句のホトトギスはすべて俳誌「ホトトギス」である。
1句目の山口青邨の真似をしたわけではないが、私も


平成26年8月豪雨南無  

という句を句会で発表したことがある。

鎌倉という町は親しい友人が生まれ育った町だが、ついぞ訪ねたことはなかった。
京都で勤務していた友は、
私の長女一家が横須賀線の「保土ヶ谷」駅から徒歩数分の所に転居したのを知ると
ついでに新築した鎌倉の家を訪ねろと何度も勧めてくれたが、その機会がなかった。
(留守宅では奥方が、一斉同時ではないが、亭主の親に仕えた家事手伝い人、亭主の母親、奥方は一人子だったので、
自分の母親、果ては亭主の大学時代の恩師、さらには息子が学生結婚であったこともあり孫の世話まで一人でこなされていた。)

孫は転居と共に、幼稚園も転園、卒園式その他で何回か保土ヶ谷駅近くのカトリック系幼稚園を訪問したが、その頃は旧東海道保土ヶ谷宿の名残や記念碑を訪ねていた。

孫が鎌倉に在る小学校に入学してからは俄然鎌倉を歩く機会が増えた。
運動会やバザーなどがあると必ず出かけて、孫の出番が過ぎると
学校を出て学校の外回りを歩いた。
学校のすぐ裏側には源頼朝の墓地がある。
学校の裏門に沿って歩くと、次々に由緒ある寺がある、記念碑がある。
古都の美観を守ろうといった、マンション建設反対幟も。
それがいつも悪役は三菱レジデンスであった。

近くの銀行の社員寮であった更地でマンション建設をやっているのも同じ会社である。

ついに一度だけ友人の車に乗って、鎌倉市内を案内してもらったことがある。卒業した小学校の「表札」は、虚子が揮毫したもであることも教えてもらった。

まさに

 鎌倉やさてホトトギスにあらずんば 攝津幸彦

である。

この句の作者幸彦君のお母さんとは句会を同席したことが何度もある。残念ながらこの君が我が町で活躍を始めた頃には、私は結婚して居を千里ニュータウンに移していたので、親しく交流したことはない。



ブルグマンシア(エンジェルトランペット。キダチチョウセンアサガオ)

春から秋にかけて咲き続ける。季語に指定しようがない。

俳句ではダチュラといえば、木ではなく草である朝鮮朝顔を指す(指していた)。
しかしこの木であるダチュラを俳句でもダチュラとして詠っているケースが増えている。

キダチチョウセンアサガオでは字数が多すぎるので、この木を詠う場合はブルグマンシアと表記しろと言いたいが、あんまり植物学的知識を云々しても始まらないので目下は余りよや花句言わないことにしている。


この木が茂っているために、庭のこの部分を越えて行かなければならない場所には
余り立ち入らない。立入りできない。

蜥蜴や蛙や毛虫が恐いワイフがその奥に踏み込んでホトトギスを切り取ったのには驚いた。

今日は草刈りを兼ねてこの部分へ侵入。
ついでに蒟蒻芋を掘り上げた。

↑季節外れの茗荷を1つ見つけた。

↓梅が咲いていた。帰り花。近づきすぎてぼやけ。

掘り上げるのが遅すぎた感もある。↑新しい芽が出て来ている。このまま日に当てると伸びて来る。急いで新聞紙でくるんだが、
この程度ではダメ。しかし回りの土にみみずが何匹もへばりついているので、一度水洗いしようと思う。蛍光灯の灯がとどく机の下に置いていて
今年は失敗。そのせいか芋は沢山の子芋をつけてはいたが、親芋はそれほど肥え太った感じではない。現状維持といったところ。



駅前の階上広場の隅に大きなコンクリ・コンテナーがいくつか置いてあるが、管理の手が回らないので自然状態で草が茂っている。
なにか新しい草があるようでもあり、

これはミズヒキソウ↑

↑すみれの類だろうか?

なぜかベゴにアが一株。

さっぱりわかない。猫缶さん何か見分けのつくものありますか?

中之島

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平日朝9時20分。御堂筋も一瞬静かになる。
川筋を歩く人もまばら。
だから余計に目立つ。

土佐堀川の歴史でも学んでいるのか?


筋入りのコクチナシである。↑
栴檀の木橋↓

人影がないのが不思議なほど。難波橋、天神橋

東洋陶磁美術館↑↓

木村長門守重成

豊臣方について23歳で徳川に惨殺された忠臣のようである。
明治になって(徳川の世が終ってから)顕彰されたようである。

その碑の裏、堂島川側の薔薇園。
俳句ではあきそうび(秋薔薇)と呼ぶ。

シャリンバイの実
ツワブキが咲きかけている。

以下は午前の仕事を終えて昼食時の中之島緑地(御堂筋の西側)

日本銀行大阪支店は、明治の大阪郵便局の跡地に建っているようだ。


サルスベリの実

銅像の落葉の部分へ青落葉

大坂の橋の番付け。淀屋橋は前頭である。

天神橋と難波橋が東西の大関である。

とうとうフェスティバルホールを越えて梅田まで歩いた。久しぶりだが、1年に2・3度は歩いている。

レストラン・食堂はどこも混んでいる。何軒かのラーメン屋には行列が出来ていた。
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同窓会

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同窓の大方は欠け床涼み 冨田みのる

廃校に集ふ同窓鳥渡る 杉本寛

同窓を怖る励精蚊帳の秋 久米正雄 返り花

出身大学のhome coming dayに参加。
今や10を越える学部を抱えているが、
そのうちの3学部がある学舎の行事に参加。
他の学舎でどんな行事が行われているのか知りようがない。

阪神淡路大震災以後ながく使用不可能であった講堂で記念講演。

講堂の壁画

記念講演の後は、立食パーティ。
3学部の同期生360人。逝去者50名以上。出身高校もそうだが、大学でも前後の期と比較して突出して逝去率が高い。本日の出席者90名。

パーテイは神戸三宮駅前のホテルにて。このホテル、同窓会の開催を売り物にしているので、
同じ日に他の部屋も同窓会だらけ。

しばらくして、昔の顔を思い出し、挨拶に。

拉致されたが裸で逃げだして生還した老舗菓子メーカーの(確か)3代目の社長のE君、学生時代に芥川賞候補にノミネートされたSE君、
10歳年上で同級生となり、卒業後も7年頑張って司法試験に合格したSA君は、髪もふさふさ、10歳若い同級生よりはるかに元気そうであった。


腰を曲げ杖ついて参加した人もいたが、全然名前も思い出せない。

パーティ終了後、4人だけでさらに2次会。店が神戸そごうの近くだったので、
閉店前にピロシキを3つ買った。かなりの行列だった。

「同窓」で検索すれば、「同窓会」も当然出て来るだろうと思ったが、そうではないので、
改めて「同窓会」で検索。


皹を少し気にして同窓会 矢口由起枝

蜜豆や同窓会の果ててより 和田游眠

同窓会雪焼の顔遅れ来し 根岸善雄

鞦韆の月に散じぬ同窓会 芝不器男

ひよんの笛鳴らす傘寿の同窓会 中山杲

桜餅みな児を忘れ同窓会 吉屋信子




句会

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今月5回目の句会出席。
私にとってはメインの句会である。
現在は家から徒歩5分の距離の公民館で開催。第443回例会である。
第4日曜日の開催ゆえ、12月は開催しにくい。
よって年11回開催である。40年以上前に第1回が開催されている。その頃は違う会場を利用していたが、その時代を知るのは私一人である。

家から公民館へ向かう途次で3枚撮影。

神戸淡路大震災を乗り越えて、風格のある和風2階建の家が建っていた。
お一人でお住まいということで、ひっそりとしていたが
亡くなられて売りに出されたよう。
またまた三菱関係不動産会社名を記した幟がたっていた。
テントは今日設営されたよう。100坪以上。
また何軒かに分けられるのであろう。

そこから1ブロック離れた箇所は、もともとは建築会社所有のテニスコートと資材置き場であった。
資材置き場は、大震災後数軒の家に姿を変えたが、テニスコートの部分は20年間、貸し駐車場であったが、
2年前に閉鎖された。
保育所建設表示が出ていたが、完成したようである・


えらく派手な仕様である。

防犯カメラが2台設置されている。


それからまた北側へ1ブロック行くと、県立高校である。

高校の南側、東側の角を右折すれば公民館が見える。

出句6句

席題は「珍」と「金」

茶菓子に沖縄の「ちんすこう」が配られた。

ウィキペディアの解説:

ちんすこう金楚[1]とは、琉球王朝時代から沖縄県で作られている伝統的な菓子のひとつ。小麦粉砂糖ラードを主原料とした焼き菓子。ビスケットのような食感と、控えめの甘さが特徴である。日本茶コーヒーのお茶請けに限らず、アイスクリームの口休めやトッピングにも用いられている。観光をおもな産業としている沖縄県土産物品として有名であり、箱詰めにされた同商品が土産品店で販売されている。


金楚糕の金はきんであってちんとは読みにくいので、「珍」の字に置き換えられることもあるという解説があったので、

二つの文字を席題に採用。いつもこんな調子である。伝統俳句系のように、季語を席題にすることはまずない。

 弔い終え木犀の2番咲

 席題を季語の一部として利用するのは「違法」ではないが、避けるべしが通則であるが、
苦し紛れ

踏み込めば盗人萩の寄って来る
能弁な池上彰秋夜長
大あくび止めよ氷山が崩壊する
しいルビ付き表札銀木犀
銅製の落葉を隠す青落葉




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田仕舞

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昨日の句会に
田仕舞の鋤ねんごろに洗いおり」という句がでていたが、

汀子歳時記にはこの「田仕舞」という言葉が季語として採録されていないということである。


現代俳句歳時記では、「秋収め」という主季語の傍題として
「田仕舞」「豊年」「出来秋」「凶作」「不作」が並んでいる。
関連語とはいえても、傍題とはいいにくいものもある。
秋収めと田仕舞は同じ趣旨の語といえるだろうが。

汀子歳時記を覗いてみると「豊年」という季語の傍題として、
「出来秋」「豊の秋」を挙げているが、確かに、「田仕舞」は登場しない。

「鍬」で検索。275句と表示。


に擡げたりけり蟻の道 行方克己 昆虫記

雪中に神酒の匂ひや始め 高室呉龍

神々のたたかひし野に始 大峯あきら

はじめ椿を折りてかへりけり 室生犀星

を研ぎすましたる飾かな 村上鬼城

去年の土つけしまま立つてをり 大串 章

秋耕の終りのは土撫づる 能村登四郎

だけで来て秋の土耕せる 後藤比奈夫

黄梅を買ふに買ひ来しが邪魔 辻 桃子

捨ての次第に濡れて春の雨 山口青邨

田打一人洗ふや一人待ち 高野 素十

だこの手に釈奠の笛を吹く 香月 梅邨

王子趾にも一札や初 坂東 紀仙

女手の一畝ばかり始 渋谷 まさゑ

冬の鵙時に石打つ乙女の 飯田龍太

冶の妻青菜漬けると土間わたる 飴山 實

揃ふことなく夫婦暖かし 『定本阿部みどり女句集』

一帆のせりあがりたる始 大木あまり 火球

冬の鵙時に石打つ乙女の 飯田龍太

牛蒡掘る黒土にへばりつく 高浜虚子

音の露けき谷戸へ這入り来し 松本たかし

代田うつやあげをる水煙 高浜虚子

筍の疵ふかきまま煮ゆる 皆吉爽雨

畦を塗るの光をかへしつつ 高浜虚子

朱のリボンに結びて植樹祭 飯島正人

山桜あさくせはしく女の 中村草田男

あたたかく野の靄つつむ忘れ 能村登四郎

雪打つて試しをり農具市 高橋悦男

の柄に蝶ひらひらと農具市 目迫秩父

手に馴染むの柄選ぶ農具市 羽吹利夫

春浅し壁にかけたる二挺 村上鬼城

日を洩らす吉野の雲や始 加藤三七子

始め一と打ちごとの土の色 矢口由起枝

始地下足袋の跡ふんわりと 香西照雄

始め段々畑の老夫婦 三浦音和

始浅間ケ岳に雲かかる 村上鬼城

はじめ椿を折りてかへりけり 室生犀星

大灘に日矢いくたびも始 斎藤梅子

天は晴れ地は湿ふや初 正岡子規

を研ぎすましたる飾かな 村上鬼城

の影鋭くあそぶ土の熱 飯田龍太

これよりの余生いくばく初 三好仙里

雪に挿す榊のみどり始め 古市枯声

嫁を得し跡取りの始めかな 植木緑愁

書に倦みて己にかへる始 高田自然

初め野蒜の匂ひ立ちにけり 小原弘幹

二坪の菜園なれど始 秋山英子

定食の鱈汁てふを食べきれず 酒井一

みずうみに洗ひゐるお講凪 塩見道子

霜柱払ふて起たす忘れ 河本沙美子

の柄のすとんと抜けし大旱 松下章子

置いて虹を知らせに火の見まで 佐藤映二

立てて整える息 遠うぐいす 市橋一男

畦を塗る一ごとに水とばし 森岡花雷

小器用にを扱ひ畦を塗る 平松草太

筑波嶺を見る春耕の立てて 和井田なを

啓蟄や一とごとの地の匂ひ 若菜たけを

風の子が駈けすぎしより始 石川 桂郎

山畑や明日を信じて始 中川康子

入れてじやがいも童子覚ましゆく 西村 梛子

鶯や農をたのしむ遣ひ 瀧 春一

山畑にひとり振る西行忌 長谷川史郊

涅槃図を抜けて一人のを振る 濱本 八郎

畑打の天に触れかくれ里 大東晶子

春耕の憩ひの上衣に掛く 鈴木三四郎

に泥鰌光れり春立つ日 野中ちよこ

牛蒡掘る黒土にへばりつく 高浜虚子

形といふ男振り兜虫 長谷川かな女

一とに野蒜の白き球無数 川島彷徨子

山桜あさくせはしく女の 中村草田男

土深き芽にぞとめ萩根分 皆吉爽雨

麻蒔くや手慣れてかろき木なる 鳥越すみこ

肩ぬぎぬそれより田打高く 阿波野青畝

ほがらかにに砕けて春の土 皿井旭川

ひと見えぬ苗代寒のひとつ 山上樹実雄

始太初の光り身に降りて 大月芳雨

仏立つ畦に火かけて始 冨山青沂

伊豆の田はみかん落ち照りはじめ 皆吉爽雨

初や雪の上なる供物 小野甲子園

手なぞこに乗るほどの富士始 中野詩紅

遠き田の氷まぶしや始 吉岡句城

凍土に酒匂ひけり初 渡部杜羊子

にぎやかに寒がり出でぬ始 山本村家

はじめ椿を折りてかへりけり 室生犀星

蒼海の空に畠あり始め 河野静雲

初めに出てゐるたつた一人かな 阿波野青畝

始浅間ケ岳に雲かゝる 村上鬼城

を研ぎすましたる飾かな 村上鬼城

雷雨あと切れのよく土起す 林火

はるかなる光も畑を打つか 爽雨

落ちひばり一おこす鼻の先 浪化

陽炎や捨てゝ置く畠中 成美

石をパンに変へむ枯野の火花 堀井春一郎

畑打のに応ふる障子あり 緒方句狂

筍の傷土を噛んでをり 清崎敏郎

梳る田打女のふと倒れ 牧野春駒

かたげ行くに稲妻追ひすがり 村松紅花

畑打ののかゞやきばかりかな 皆吉爽雨

引しあとなごやかに春の土 岩木躑躅

とれば焚火の酔のさめにけり 西山泊雲

まつくろな雪雲の浅使ひ 平畑静塔

瀧の水汲み夕暮の始 田中裕明 山信

浸けてひぐらしの声水中まで 大串章

石をパンに変へむ枯野の火花 堀井春一郎

篠の子のただ一に掘られけり 藤田あけ烏 赤松

牛蒡掘る黒土にへばりつく 高浜虚子

音の露けき谷戸へ這入り来し 松本たかし

入れて豆蒔く土をほぐすなり 杉田久女

白馬山麓少年と形と 国沢晴子

城を見てひとり振る丈艸忌 長谷川十四三

雲雀野に振り記憶掘り起こす 徳弘純

肩ぬぎぬそれより田打高く 阿波野青畝

宙にひかる耕しの深からむ 中戸川朝人

遠目には耕しの遅きかな 福永鳴風

流れ来し椿とどむる浸し 太田土男

橙や短くつかふ女 下田稔

一つ手にだこペンだこしぐれけり 影島智子

だこをほぐす東京一の酉 影島智子

天高し半農支ふ女 影島智子

蛇を見しのしばらく大振りに 影島智子

一振りのかがやかす復活祭 影島智子

だこの姑にもありてあたたかや 影島智子

始畝傍さへぎるもののなし 茂里正治

鍛ちたてのむらさきに雪間殖ゆ 荒井正隆

郭公に起きぬけの使ひをり 荒井正隆

茎立や母が遺愛のの錆 猿橋統流子

秋風に老母がゐての音 上野さち子

初買のの柄に書く年月日 上野さち子

を振る霞みて海の見えぬ日も 大串章

浸けてひぐらしの声水中まで 大串章

身につきしわが使ひ寒肥す 亀井糸游

つねのごと暮れてもどりぬ始 亀井糸游

巻向や柿の木の下初す 北野民夫

立てて白露をはかる夜来かな 安東次男 昨

耕しの使ひもすなるのみね 石田勝彦 秋興


神々のたたかひし野に始 大峯あきら(1929-)

先に走る雷気を猶耕す 久米正雄 返り花


芋畑にをかついで現れし 高濱虚子

代田うつやあげをる水煙 高濱虚子

を洗ふ土橋の下や秋の風 寺田寅彦

背戸川や洗ひ居れば夕立す 寺田寅彦

担け行くに懸けたり残る月 尾崎紅葉

亡國の畑に靖節のを打つ 中勘助

はじめ椿を折りてかへりけり 室生犀星 魚眠洞發句集

いつの間に終りてゐしや始 鷲谷七菜子

かるく迎火の土平しけり 飯島晴子

ほどもなく母くるといひ始 山本洋子

貧いさぎよし秋耕の火花 津田清子

と農具の序あり注連打たる 竹下しづの女

日を洩らす吉野の雲や始 加藤三七子

山初雪の柄熱き日の盛り 永井龍男

仕上げ軽く滑らせ畦を塗る 石井とし夫

持つて農学校へ入学す 石井とし夫

ほどもなく母くるといひ始 山本洋子

雁渡る母には杖の如き 今瀬剛一

神々のたたかひし野に始 大峯あきら

ひんがしへ大鳥流れ始 大峯あきら

宙にひかる耕しの深からむ 中戸川朝人

拭くのぬくもりのこる枯穂草 福田甲子雄

土くれにの峰打ち山ざくら 上田五千石 風景

土煙 地平線への一ごと 伊丹三樹彦 写俳集

に春の日和の夫婦山 原裕 新治

だけで来て秋の土耕せる 後藤比奈夫 紅加茂

のちかちかと照り雪解加賀 鷲谷七菜子 花寂び

と農具の序あり注連打たる 竹下しづの女句文集 昭和十八年

に藷いくつもの肌すこしみゆ 篠原梵 雨

や花に忘るる田越の峯 西望 選集「板東太郎」

鱈汁を祝ふ鍛冶祭りかな 河東碧梧桐

田打一人洗ふや一人待ち 高野素十

耕しの昔のを以てせり 高野素十

はじめ椿を折りてかへりけり 室生犀星

の土に春箏をどりのる 皆吉爽雨

山桜あさくせはしく女の 中村草田男

提し人のかくるる青田かな 井上井月

そのかみの貝掘りあてつ始 芝不器男

雁わたるわれ百姓のを振る 山口青邨

子供老に適ひて草削る 富安風生

の柄に蝶ひらひらと農具市 高橋悦男

鋤初(すきぞめ)や大将の門の前 内藤丈草

青雲や馬やすむる昼の嬰粟 内藤丈草



偶然だが、今日、「田終い」と表記した句に出会った。

広辞苑には「田仕舞」も「田終い」も登場しない。

汀子歳時記にないのみならず、『俳諧歳時記』にも登載されていない。

「田仕舞」の例句
2003年版
田仕舞の地蔵に供華や年用意 角川源義

狩の犬夜は田仕舞の火を守りぬ 平賀 扶人

田仕舞や地を這ふ*はたはたもう飛ばず 藤原たかを

田仕舞や早煮昆布のそなへらる 如月真菜

田仕舞の筵敲けば一揆かな 早川翠楓

田仕舞の煙しあはせの煙かな 加藤覚範

田仕舞のしづかな雨に籠りけり 影島智子

田仕舞の入日の雲を焦がしけり 伊藤京子
2007年更新版俳句検索システム


田仕舞のけむり北上川渡る 小飼美智子

田仕舞の空に抜けたる鶏の声 奥井紘子

田仕舞のひとすぢ上げし煙かな 大川きよ女

猟犬を連れ田仕舞の椎葉人 田上さき子

田仕舞の火の手あがれり衣川 内山芳子

田仕舞や阿蘇の盆地に夕日落つ 寺園蓉子

田仕舞の煙一筋宇陀に入る 小路智壽子

田仕舞の田や立山をはるかにし 長沼紫紅

田仕舞の煙ゆたかに輪中村 加吉宗也

田仕舞の煙の上の蟹満寺 大石悦子 群萌


画像は橘 


以下は我が町に僅かに残る畑のかんきつ類


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バター

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中学生になって最初の定期検診で胸に影があると言われた。
要精検の生徒は(中・高)6学年で6,7人、平常授業を抜け出してラッコという渾名の
丸丸肥えたドイツ人神父に引率されて病院へ向った。
出発前に例え発病していても短い期間の療養で回復するから安心しろという訓辞があった。
余計に不安になった。


再診の精密撮影で異常なしだったが、
以来毎年のレントゲン撮影では結果報告が届くまではらはらしていた。

まだ家には冷蔵庫がなかった時代である。
夏になると氷屋が、我が家の前に車を止めて、氷をノコギリでガリガリ音をたてて切り分け、
私の家以外に配っていた。その音を羨ましく聞いていたのを覚えている。

レントゲン撮影の結果に不安になって、母親が中古冷蔵庫を入手。
我が家にも氷が届くようになった。
朝食を洋風に転換した。以来食パンとバターとは長いお付き合いである。

ところで最近バターが品薄である。
バターを買おうと思ってダイエーの食品売り場へ行くと、
いつもは各種バターが並んでいるコーナーに、
「バター風味のマーガリン」などがずらり並んで、バターの名の付くものがまったくない週があった。

新聞情報では、バター用牛乳が、猛暑や、輸入飼料の高騰などで供給不足らしい。

そうなる前のダイエーでは、我が家で常用の雪印バターが380円(消費税加えると400円突破)であるのに対し、
ブランド名は「北海道バター」だが製造者は森永乳業であるバターが320円位で並んでいた。
味わいに大きな差がないので、私はそれを買っていた。
バターコーナーには、それとは別に「森永バター」のブランドで売られているものもあるが、これは雪印バターよりも高値であった。

ワイフの方も(ハズがうるさいので)バターの値段が気になりだして、「よつ葉バター」が安かったから買っておいたと報告あり。

ちょっと待てよ、と早速現物点検。そのバターは200gではなく150gパックであった。

今日は火曜日、生活協同組合(コープ神戸)の週1回の配達日である。
エンジェルマークはないが、M(morinaga)と頭書した「北海道バター」(森永乳業佐呂間工場製)が3つ含まれていた。購入価格を調べると消費税込みだと400円以上の値である。

私は、再びバターが並び始めたダイエーで、先週、(トップヴァリュの)バターを304円で入手したばかりである。

使用中のバター↓
(バター容器は使用しない。結婚した折、ワイフの家ではバター容器に移して保存していたが、訳を話して、止めさせた)


バター舐めてだんだん遠くなる 日本 高橋由紀夫

親しく交流した俳人である。無季俳句である。
今では少々底が浅い句のように思える。

 キムチ食ってだんだん嫌韓派へ移行

程度の水準。

バターよく伸び煖房の食堂車 稲畑汀子

こちらは暖房で冬の句である。昼食・夕食ではなく朝食と思いたい。

父恋ひの母やバターの焦げ煙 金子 晉
知らない人である。現代俳句作家なのだろう。無季句。
バターを焦がす煙は冬の感じだが、具体的な舞台装置が分からない。

かげろふやバター
の匂ひして唇 小澤實

なかなか小器用な作家。
昔、アメリカ人神父が傍に寄って来ると独特の体臭がした。
バターの匂いかどうか。
外国人は日本人の味噌汁臭が気になったというが、これも
数十年前の話であろう。

私も数十年前にソウル経由でニューヨークへ飛んだことがあるが、
大韓航空機内では搭乗直後は大蒜の匂いに辟易した。
その頃は日本でも朝のラッシュ時に満員電車に乗るとアリナミン臭かったのを覚えている。
春浅きイギリスの語学学校の扉を開けると、ムッとするようなチーズ臭だった。

一番ひどかったのはヴェネチアの本土地区のキャンプ場の朝のトイレ。
洗面所(料理用の水道施設のある部分)では裸姿のイタリア人が、
盛んに脇の下などに(消臭?)スプレーを振りかけていた。

春霖やバター色濃くなつて溶け 如月真菜

バター溶く鉄鍋重し麦の秋 伊藤京子

 チーズならホンジュだが。


冷凍庫保存中のバター

テロもなく過ぎて三日のバターの香  旧作

俳句で「三日」といえば、れっきとした季語で、
一月三日を指す。
結婚してしばらくは(それでも10年位)三が日はおせち料理で過ごし、パンもバターもコーヒもなしで過ごしたことがある。

 数日間バター断食の後のバターはまた格別のものがあった。

美作で定宿のバレンタインホテルは開業後数年して朝食はマーガリンになった。
ポピースプリングも数年前からオリーブオイルになった。私は三度位オリーブオイルをお代わりに行く。(それまではボール型のバターだった。ポピーは、夕食時には、キャラメル型のバターも利用可)


「はらはらする」という言葉を使ったので、二つのことを思い出した。
1.ある時、ある機会に中国人留学生が利用している日本語学習書を覗いたことがある。
  説明はもちろん中国語だが、「はらはら」「どきどき」といった擬音(擬態)表現がずらりと並んでいた。
  白髪三千丈と大げさに表現するところを、日本語ではリフレーンを伴う擬音で表現する場合が多いのに気付いた。
  「どんどん」「ずきずき」「びくびく」「じゃんじゃん」「ばんばん」「ひょいひょい」「くちゃくちゃ」「さらさら」「びしびし」 「がんがん」「がりがり」数えあげるときりがないほど。
  学習書では、それらを利用する用例が記載されていた。

2.間もなく12歳になる孫はほんの数年前まで、一人で留守宅の家の鍵を開けることができなかった。
 孫の帰宅時間に母親が家を留守にせざるを得ない、ただそれだけの理由で、私が応援に駆け付けたことがある。
 孫とは最寄駅の保土ヶ谷駅改札口で待ち合わせることにした。
 孫の携帯にはGPS機能が付いていたので、母親からは娘が予定通りの時間に、鎌倉駅を出発したという連絡が私の携帯電話に入った。
 電車の到着時間に合わせて改札口の外で待っていると、他の客の姿が見えない内に、孫が階段を駆けあがってきた。
 私の姿をみつけた時に実にうれしそうな笑顔を見せた。
 約束した時間にじ~じが来ていなかったらどうしようと「はらはら」「どきどき」して授業が上の空であったということであった。


満開のブルグマンシア







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↑実むらさき
川といっても、土面はまったくない町川である。洪水後の護岸工事を繰り返していると街中の川はすべてこんな様相になる。

それでも水生植物や水際植物(湿気を好む植物が、わずかな土だまりを利用して育っている。
覗きこんで名前を推測するのも趣味の一つである。
丁寧に見てゆくと、それなりに綺麗な花を咲かせていることもある。

セリだと思う。
雨が降ったあとなので、それなりに水量が増えている。


ここは最近護岸工事が終ったところなので、草はまだ生えていない。
いつもは中央部だけに水が流れている。


2反あるかどうか。田仕舞後だが、すでに冬野菜用と思われる畝が設えられている。

いつも庄下川の三川合流地点へ向かい、そこから南下する遊歩道を歩くのだが、
この日は、まっすぐ行けば、市役所へ向かう道を歩いてみる。
↑市立高校の正門へ通じる道である。
途中に一般住宅もあるので、学校専用路ともいえない。
東門を入るとすぐ南門ともいえる門になる。ここはもともとは一般道路だったようで、
通り抜け自由である。南門を出て西に向かえば運動場沿いに、武庫川方面へ向かうことができる。
ふとこのまま歩けば、市役所の支所へ行けることを思いつく。
最寄駅前のビルの中にある出張所でたいていの事務処理はできるが、
市バスの割引乗車証を入手するには、支所まで出向かねばならないことを思いだして

手続きをする気になる。

ふと神社の標識を見つけ、まだ訪ねたことがないので寄り道。


絵馬は間もなく、羊に替えられる。
わざわざ「橘」の標識があるので、近寄って見る。
そういえば支所名は「立花支所」


大阪天王寺にある生国魂社(私はその名を知らなかったが、世間ではそちらの方が有名らしい)より、この生島神社は、由緒があって、大坂のものは分社であると言いたいようである。



支所の入り口で係の窓口を確認。入り口を入って目の前のカウンターがその窓口であった。
用件を告げると、身分証明を求められ、運転免許証を示すと、この用紙に記入しろという。
記入し終って目を上げるとすでに割引証が出来上がっていた。

この証を乗車時に示すと半額の運賃で市バスに乗れる。消費税8%になって、市バスの運賃は200円から210円に値上げになったが、110円で乗れることになった。

立花北小学校があって、支所の南には立花小学校がある。
尼崎には運動場の端に金網があって、二つの小学校や中学校が並んで建っている箇所が他にもあるが、ここもその一つといえる。

明治期までの村境で空地がいっぱいあったのであろう。

ということで、東側(庄下川方面)へ左折出来る道がないまま、山手幹線道路へ到達。

﨔並木が紅葉を始めている。
左手は↓小学校の校庭
塚口寺内町に住んでいた俳句仲間(すでに逝去なさったが)はこの小学校まで通学していたとのこと。家を出ると小学校が見えたというから
一帯は田圃しかなかったのであろう。
昭和30年頃までは、ショウちゃんが住んでいたあたりだけでなく、駅前でも蛍が飛んでいたそうである。


卍御坊のすぐ南側に今もその人の家がある。

昭和17年2月に、尼崎市は立花村・武庫村・大庄村3村を吸収、人口28万となり、当時全国第11位の大都市になったと尼崎市史が記している。(現在の市役所は大庄地区にある)。

 塚口村は明治期に立花村に吸収されたのであろう。
 
東へ向いて予想以上の距離(500メートル?)
を歩くと、例の中継ポンプ場が見えた。

いつも歩く庄下川左岸ではなくポンプ場のある右岸へ回る。

見学はできないよう。

小さな広場の前にバス停があった。時刻表を見ると、3分後にバスが到着する。
急いで小銭入れから110円取り出して、バスに飛び乗った。


以上は28日午後の行動記録。




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