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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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七種

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七種と書けば春ないし新年の季語となる。

七草(ななくさ)は、人日節句1月7日)のに、7種の野草あるいは野菜が入った七草粥)を食べる風習のこと。

元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月1月15日のものは「七種」と書く。この七種も「ななくさ」と読み、一般には7日正月のものを七草と書くなど、現在では元々の意味がわからなくなり、風習だけが形式として残った。これらの事から、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。

数年前まではこれほどどこでも買えるものではなかった。今年あたりスーパーで初売りの頃から山積みであった。

↑は5日に買ったもの。

 

古代より日本では、年初に雪の間から芽を出した草を摘む「若菜摘み」という風習があり、これが七草の原点とされる。また六朝時代の中国の「荊楚歳時記」に「人日」(人を殺さない日)である旧暦1月7日に、「七種菜羹」という7種類の野菜を入れた羹(あつもの、とろみのある汁物)を食べて無病を祈る習慣が記載されており、「四季物語」には「七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや」とある。このことから今日行われている七草粥の風習は、中国の「七種菜羹」が日本において日本文化・日本の植生と習合することで生まれたものと考えられている。

 

日本では古くから七草を食す習慣が行われていたものの、特に古代において「七草」の詳細については記録によって違いが大きい。『延喜式』には餅がゆ望がゆ)という名称で「七種粥」が登場し、かゆに入れていたのは(きび)・(ひえ)・みの・胡麻小豆の七種の穀物で、これとは別に一般官人には、米に小豆を入れただけの「御粥」が振舞われていた。この餅がゆは毎年1月15日に行われ、これを食すれば邪気を払えると考えられていた。なお、餅がゆの由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。

 

その後、旧暦の正月(現在の1月~2月初旬ころ)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また地方によっても異なっていた。現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる(ただし、歌の作者は不詳とされている)。これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりであり、今日における七種類の定義は日本の米作文化が遠因となっている。

江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種がゆを食べる儀礼を行っていた。

 

今年初めて、スズナの意味が分かったような気がする。↑では平仮名表記であるが

形が鈴に似ているから鈴菜であろう。

純白に咲き継ぐダチュラ初日の出

今日のダチュラ。雨に濡れている

最低気温が5度を下回る日がつづくとさすがに枯れてゆく。

新年の榾木に生まる玉茸

あらたまの日が射し込んで隠沼

神戸市北区からの帰路、緊急工事とかで、3車線が1車線に制限され大渋滞

 


エリゲロン

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学名:Erigeron
和名:ペラペラヨメナ、アズマギクなど  その他の名前:ゲンペイコギク(源平小菊)など

科名 / 属名:キク科 / ムカシヨモギ属(エリゲロン属)

近くの、富松川の傍の公共空き地。10坪ほどの使いようのない堰あと。

年々群落は大きくなっている。もちろん今が花期ではないが、咲いている。

かなり以前から気になっていたが、エリゲロンと思う。

エリゲロンは、ハルジオンやヒメジョオンの仲間で200種ほどがあります。主に北アメリカに自生し、日本では、高山植物のアズマギクなど数種があります。種類によって形態や性質は多種多様です。
ガーデニングで利用の多いのは、メキシコからパナマ原産のカルビンスキアヌス種(Erigeron karvinskianus)です。花径2cmくらいの小ギクのような花が長期間咲き続け、栽培も容易です。この種にはペラペラヨメナという和名があり、帰化植物となって野生化していることもあります。‘プロフュージョン’(‘Profusion’)などいくつかの園芸品種があります。
茎が直立する高性タイプでは、北米のスペシオサス種(E. speciosus)など数種の交配により、‘ロサ・ジュエル’(‘Rosa Juwel’)など多数の園芸品種が育成され、ボーダー花壇などで宿根アスターと同様に利用されます。これら高性タイプはアスター属(Aster)のユウゼンギクによく似ていて、大輪多花性で初夏に咲くものが多く、花弁は細長く、デージーのような花形となります。

趣味の園芸では、花期はさまざまとなっている。この時期に咲くものもあるのだろう。

ヒメジョオンと同種となっている。

私はデージーの一種と思っていた。

近隣公園は冬景色

すべてが枯れているわけではない。

ロゼットで冬越しするものは青さを増している

ヨメナかどうか分からない。オオアレチノギクか?

これはヘラオオバコ↑

これはチチコグサ。オッタチチチコグサであろう。

咲いている花は、ヒメジョオン

ヒメジョオンは4月以降のハルジオンにつづいて6月以降に咲くが、そのまま年を越して咲き残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初句会

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神戸三宮駅近く、中央区役所と一対になったビルの3階が句会場

句会場の窓越しの風景。道路は国道2号線

再開発中といった感じである。

出句4句

皆去んで三日の夜のココア煮る

初春のカミツレひっそり賑やかに

人日の鐘の音ひとつ届かぬよう

箱と共に去った人あり初日の出

会場からJR三ノ宮駅、阪急神戸三宮駅方面へ移動するとなるとモノレールの下を通る

いつものことで普段は気にも留めないが、注意するとかなりの構造を持つシステムである

カメラを向けていると一列車が駅に近づいた。

この辺りにバスタができるようで

いたるところ工事中の塀

↑ビルの標示が「阪急」に変わっている。そごうだった。

↓は神戸芸大の学生の制作

 

阪急の西口前の贔屓屋を初めて利用。

破魔矢手に生田の森を出で来たる 千原叡子

 

生田の森へは、↑の道をまっすぐ進んで生田神社の中に入ればたどり着ける。

 

シャクナゲ

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ドウダンツツジはツツジではない。

シャクナゲはツツジである。

石楠花は春の季語だが、躑躅は初夏の季語のように思う。関西地区では。

ドウダンツツジや平戸ツツジは間違いなく春の季語だがミツバツツジは関西では5月初旬までが見ごろなので。

さらに皐月ツツジも5月咲きの感じがする。

尾浜公園にて。シャクナゲの花芽。

石楠花の一花残りて籠堂 村越化石
 
事務の人石楠花の花隠れなる 依光陽子

石楠花は富士の夕の色に咲けり 阿部完市
 
石楠花をねむらせてより月の寺 西本鮎彦
 
石楠花にかくれ二の滝三の滝 宮下翠舟
 
舞良戸は石楠花照りに京の寺 老川敏彦
 
石楠花に谿流音をなせりけり 清崎敏郎
 
石楠花を見る魔の山のふところに 青柳志解樹
 
石楠花は日蔭をよしと盛りなる 高浜年尾
 
空の深ささびし石楠花さきそめぬ 角川源義
 
石楠花の頃は過ぎたり咲き残り 清崎敏郎

シャクナゲの蕾を詠った句はないようである。

シャクナゲの蕾膨らむ

尾浜公園のランドマークのひとつ、フェニックス

フェニックスの実

食料になるかも。

もう一つは(尼崎南部の公園ではフェニックスの植樹が目立つ)池の真ん中のカミカヤツリ

カヤツリグサ(蚊帳吊草、莎草、学名Cyperus microiria[1])は、カヤツリグサ科カヤツリグサ属一年生植物道端田畑にも出現する雑草マスクサ(枡草)ともいう[注釈 1]

近似種が多く、多くの場合にそれらが混同されている。

↑↓のものはカミカヤツリではないと思うが、庄下川沿いに多いものとは違い、多年草で背が1メートル以上になる。

水際植物である。パピルスに近似しているので、カミカヤツリと私が勝手に呼んでいる。

ネット上ではカミカヤツリはパピルスと同義である。

↑花が咲いている。

緑化植物園の温室で見たパピルス  12月27日  以下2枚

パピルスは非耐寒性

尾浜公園では池の2か所で群生している

ネット上から学ぶ限り、シュロカヤツリであろうか。

 

 

 

ベニジウム

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1月の花の少ない時期に目立つ姿を示すので、公共花壇に愛用されている。ここ数年。

365花選より

ベニジウムは、南アフリカ原産のキク科ベニジウム属の秋まき一年草で、ベニジュームとも表記されます。また、濃い黄色の花の中心に、黒褐色の蛇の目模様が入るところから「寒咲き蛇の目菊」とも呼ばれています。

株全体が白っぽい綿毛に覆われていますので、花が咲いていなくても、春の花壇に植わっていればすぐにベニジウムとわかります。

白花もありますが、春らしい黄色の花が好まれるのか、どちらかというと黄色の花をよく見かけます。本来は宿根草ですが、暑さに弱いので秋まき一年草として扱われます。

残り福を求める人出

尼崎戎

↑の場所は名義は公園であるが、この期間は参道になる。

はっきりと韓国国旗を示す屋台は少ない。

トルコ人やインド人もこういった屋台街では珍しくない。

今日一日ではさばききれない量に思える。

残り戎ケバブが売れぬと福男

土曜日なので、子供の姿も多かった。

残り戎の梯子をやろうかと思っていたが時間配分が上手くいかない。

残り福とて駈け込みし人等あり 稲畑汀子
 
残り福なれば残らず貰はんか 鎌田杏化
 
凶くれて残り福とは面白し 細見しゆこう
 
残り福疲れし声をあげて売る 大戸貞子
 
 

2時から4時は

音楽会へ

終ってから庄下川沿いを眺めると餌を投げる人がいてユリカモメの狂騒曲

西日が差し込んでいるのがよく分かる

ゆりかもめ翔ちたる一羽舞ひ戻る 阿部美恵子
 
ゆりかもめ消さうよ膝のラヂカセを 佐藤映二
 
流れつつ夕日の華やゆりかもめ 千代田葛彦
 
ゆりかもめ八百松のあと船着場 橋本冬樹
 
ゆりかもめ光になりにゆく途中 仙田洋子 雲は王冠以後
 
ゆりかもめをらぬ方にも水はあり 山西雅子
 
切尖のするどかりしをゆりかもめ 田中裕明 櫻姫譚
 
ゆりかもめ来しゆめの世の白の来し 山根真矢
 
近々と翔び蛇の目のゆりかもめ 川井玉枝
 
隅田川河口の台場ゆりかもめ 山岡正嗣
 
ゆりかもめ白刃となりて吾に降り来 大石悦子
 
ゆりかもめ翔むと水をしたたらす 佐川広治

遊学の頃はよく見つ都鳥 森田峠 三角屋根
 
物干に女出て来て都鳥 松本たかし
 
都鳥近くに遊ぶ謡ぞめ 深川正一郎
 
川船に別れはありぬ都鳥 深川正一郎
 
都鳥かがやき下りる芥かな 深川正一郎
 
マスクかけ暫く都鳥を見る 深川正一郎
 
都鳥高しや朝の日に向くは 岸風三樓
 
書き捨つる一句都鳥の句なり 山口青邨
 
大正で変りたる世や都鳥 京極杞陽
 
母を亡くし友ここに住み都鳥 深見けん二
 
都鳥父亡き我に高く飛ぶ 深見けん二
 
昔男ありけりわれ等都鳥 富安風生
 
塩にしてもいざ言伝ん都鳥 松尾芭蕉
 
嵯峩寒しいざ先くだれ都鳥 蕪村 冬之部 ■ 泰里が東武に歸を送る
 
いざのぼれ嵯峨の鮎食ひに都鳥 安原貞室
 
都鳥汝も赤きもの欲るや 山口青邨

思ひ出はなほはるかなる都鳥 川口咲子
 
都鳥都を分つ水ひろ~ 阿波野青畝
 
遅れ翔つ一羽だになし都鳥 西村和子 かりそめならず
 
都鳥時折紅蓮見せにけり 日原傳
 
都鳥正座の足をして舞へり 大石雄鬼
 
川幅が空を拡げて都鳥 稲畑廣太郎
 
かよひ路のわが橋いくつ都鳥 黒田杏子

玉江橋より南では

全長40cm。冬鳥として、全国の河、河口、湖沼、海岸に至る水辺に来ます。赤いくちばしと足がきれいな小型のカモメの仲間で、水上に群がる姿は白い花が一面に咲いたようです。在原業平や和泉式部の古歌に登場する都鳥(みやこどり)はこの鳥で、東京都の鳥に指定されています。

護岸工事中である。

いままさに、何をやっているのかよく分からない。

 

ステラ・スコピア

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バコバの名前で憶えていたので、↓の花札を見て、アレ!と思った。

英文のWikipediaは学術的命名史、分類史で、年号、固有名詞付きである。

(日本語の項目はない。これを訳すだけでは日本人読者には受け入れられなと思ったのであろう。

 

Sutera cordata was named Manulea cordata in 1800 by ThunbergBentham renamed it Chaenostoma in 1836, Kuntze changed it to Sutera in 1891 on the grounds of synonymy In 1994 Hilliard considered the two names subgenera of Sutera, but in 2005 Kornhall and Bremer separated the two again, placing S. cordata in Chaenostoma.[1]

 

趣味の園芸(NHK)-ごく最近会員登録したー

バコパは茎がやわらかく枝垂れて育つので、ハンギングバスケットや寄せ植えの端に植えつけて、鉢の縁から垂らして育てるのに適します。南アフリカに130種ほど自生していることが知られるバコパは、常緑の多年草です。本来はスーテラ(Sutera)属ですが、主に水生植物である近縁のバコパ(Bacopa)属の名前で流通しています。

 

さらに直近では、ステラに名前が変更されたということであろうか。

 

庄下川の一月の花

オオキバナカタバミはまだ目立たない。やはりリュウキンカであろうか。

↑1月10日 目立つ葉色である。蕾も立派。↓

リュウキンカ(立金花、学名:Caltha palustris var. nipponica)は、キンポウゲ科リュウキンカ属多年草

群れ咲き状態ではないが・・・

川渕で、遊歩道を歩く人からは見えにくい

この花、正確にはヒメリュウキンカ(リュウキンカは高山植物、絶滅危惧種である)

 

ヒメリュウキンカはイギリスやヨーロッパ大陸の山地の湿った草原や湖沼畔に生える、小型のキンポウゲの仲間です。リュウキンカの名を冠していますが、リュウキンカ属ではなく、キンポウゲ属の植物です。
夏に地上部がない夏眠性の植物で、地下に塊根がタコ足状に数本あります。秋が深まるころから芽を出し始め、冬の間も少しずつ芽を伸ばして葉を開きます。晩冬から早春には株はすでにロゼット状に広がり、中心に蕾を抱き始めているものもあります。春に次々と咲く黄色の6~8枚の花弁は萼花弁で、キラキラと太陽に輝かせながら開くさまは、あたかも小型のリュウキンカのようです。花が終わると結実し、晩春のころには小さな金平糖のようなタネをつけ、葉は次第に黄変して休眠に入ります。
基本は黄色の一重咲きですが、白花、バイカラー、八重咲きなど個体変異も多く、葉の形や斑入りなど葉の模様にも変化があり、多くの品種が生産され流通しています。非常に丈夫な植物であることも含め、世界中の愛好家に親しまれています。

 

庄下川のリュウキンカは、帰化植物である。どこから広がったのか。かつての東富松川や富松川上流にも群生地がある。

しかし最も数多く繁殖しているのは、↑の花の撮影地周辺である。

この地点は3月以降はムラサキケマン、夏以降はナガエツルノゲイトウ、秋から冬にかけてはミゾソバの繁殖地でもある。

去年はセイヨウカラシナの菜の花も群生開花。中心地にはわずかなズレはあるが、庄下川にかかるX橋から上生島橋までの間は

年間を通して花園である。

 

神戸市北区の施設駐車場からの風景

神戸市北区淡河町の範囲

兵庫県神戸市北区淡河町の地図

その内の神田地区

兵庫県神戸市北区淡河町神田の地図

淡河のPAが見える

駐車施設の片隅にある小屋

その小屋の裏手

施設は1988年に開設。30年以上前

数が増え、これからどんどん大きくなってゆくのか。

施設全容

今日は新春初の定例会合があった。

 

 

 

 

 

クチナシ

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30年近く放置されていた空家が昨年解体され更地になったが、それから半年以上。

買い手がつかぬよう。我が家の近くでは貴重な更地であるが、肝心の野草はほとんど生えない。

66坪。7000万。

キウリグサは群生を嫌うのか。すこしずつ距離を置いてかなりの数がロゼット状に点点と。

奥の塀際、日当りがいい場所にはホトケノザ。

水仙の芽

日当りのいい場所では水仙の花数が増えている↓が、↑ここでは貧相な芽。

↑は緑化植物園

温室前のジャカランダ。花が咲いても可笑しくない程度に成長している。

セイヨウヒイラギ(西洋柊、学名:Ilex aquifolium)は園芸用に栽培されるモチノキ科モチノキ属常緑小高木 。別名、セイヨウヒイラギモチ

ヤハズエンドウ。 意外に我が家の庭には生えない

クルガネモチ

今朝咲きし山梔子の又白きこと 星野立子
 
山梔子の実のつややかに妻の空 庄司圭吾
 
山梔子の賤しからざる旧居かな 清崎敏郎
 
山梔子の褪せどき老いの労りどき 加倉井秋を 『武蔵野抄』
 
山梔子や吹雪とこもる一顆あり 『定本石橋秀野句文集』
 
山梔子の実のみ華やぐ坊の垣 貞弘 衛

クチナシの実↑↓

高木はサザンカ 下の垣根は寒椿であろう。

↓ミツマタ 蕾

インチョウゲ  色づいてきた。

 

冬桜

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ともすれば風に消え入る冬桜 高澤良一 暮津
 
たましいのいくたび撓う冬桜 寺井谷子
 
冬桜湯煙立つる独鈷の湯 詫摩まつ子 『卒寿』
 
越は雪毛の国晴るる冬桜 山田千代 『淡墨』

 

桜通りの冬桜

全景だと花びらが見えない

水音のそこだけ消えて冬桜 清水衣子
 
母癒えて言葉少なや冬桜 岡田日郎
 
月の出に風をさまりぬ冬桜 茂恵一郎
 
今日ありと思ふ余命の冬桜 中村苑子
 
うつし世のものとしもなし冬桜 鈴木花蓑
 
咲くだけの軽さ耀く冬桜 吉居珪子
 
冬桜あとひと日だけ見栄を張る 上原みすず
 
申し子の如くちらほら冬桜 西村美子
 
水音の空へ抜けゆく冬桜 勝又民樹
 
妻逝きてその母も追ふ冬桜 山本富万
 
仰ぎ見る顔へ日こぼす冬桜 林 昌華
 
残されし二人の時間冬桜 佐々木節子
 
おほかたの友は彼の世に冬桜 神谷耕輔
 
観音のふところにゐて冬桜 水野好枝
 
冬桜はらりと重き言葉かな 若泉真樹
 
振り向けば消えてゐさうな冬桜 中島秀子
 
切り立ちし崖を楯とし冬桜 岩田小夜子
 
うす紙のごとき日をのせ冬桜 行廣すみ女

寒緋桜などはまだ蕾も目立たない。

4本あるが、どれも通行人の足をとめることができない。枯れ木、裸木の一部のよう。

冬桜の賑わいを示すには立地が重要なよう。

それでも関山や楊貴妃、フケンゾウなどの八重桜が散ってもまだ花びらを残している。

句会参加

6句出句6句選

漁港にも神功伝説初詣

浮寝鳥脱出費用が足りません

新年の榾木に生る玉茸

綿虫の足に縋って近未来   (席題「未」  まだ席題が未だ発表されていないという声があったので)

プルコギの屋台の増えて初日の出

別間にて足袋脱いで待つ絵踏かな

 

 

 

 

 


ツユクサ

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庄下川上流1月半ばの風景

ツユクサはまだ枯れていない。

引く草がみんな露草なららくちん 高澤良一 暮津
 
野菊殘り露草枯れぬ石の橋 枯草 正岡子規
 
露草の中にたまたま野菊哉 露草 正岡子規
 
露草や露の細道人もなし 露草 正岡子規
 
牛部屋に露草咲きぬ牛の留守 露草 正岡子規
 
露草や野川の鮒のさゝ濁り 露草 正岡子規
 
露草や濃淡絶し今朝の空 中村草田男
 
露草雨すれすれに落ち来たる 高澤良一 暮津
 
露草を引く掌に残る露臭さ 高澤良一 暮津
 
露草のたやすく引けてなんまいだ 高澤良一 暮津
 
露草がひょろりと長けて命日来 高澤良一 暮津
 
露草のもって生まれし審美眼 高澤良一 石鏡
 
露草は藍の匂ひの露こぼす 永方裕子
 
露草の忘れをりたる色に咲く 山尾玉藻
 
露草へ屈めたる身のしめりかな 山尾玉藻
 
露草に朝露にじむ祈りかな 加藤知世子
 
露草のむらがり咲けば人恋し 池上不二子
 
露草の露や半身滴れり 中村 苑子
 
両墓詣り露草の碧路つづり 土田祈久男 『素心』
 
人影にさへ露草は露こぼし 古賀まり子
 
露草の露千万の瞳かな 富安風生
 
露草も露のちからの花ひらく 飯田龍太
 
露草のまはりの暮色后陵 長谷川双魚
 
露草の瑠璃をとばしぬ鎌試し 吉岡禅寺洞
 
露草や飯噴くまでの門歩き 杉田久女
 
立膝の海女の囲める磯焚火 佐藤露草
 
露草の種はいびつや神に謝す 向笠和子
 
外泊のことに美しきや初景色 倉石露草
 
露草の日差せば濡れてゐたりけり 鈴木鷹夫 千年
 
露草や幕末いろの竜馬の碑 宮脇 弘
 
露草の花うたかたの恋の彩 岐志津子
 
露草のホントは白といふ秘密 谷 さやン
 
露草や降服せし日の空の色 佐々木 茂
 
露草のきれいな空気歩きだす 伊関葉子
 
露草や巡る月日を疑はず 上条法子
 
露草の青の極みは空よりも 松原星城
 
露草の花までの折れ曲りかな 中里二庵
 
露草も露のちからの花ひらく 飯田龍太
 
軍配は大きてのひら宮相撲 水野露草
 
いやが上に野菊露草かさなりぬ 野菊 正岡子規
 
蟲鳴くや花露草の晝の露 虫の声 正岡子規
 
晩年といひて久しや風露草 兼谷木実子
 
露草日陰は風のゆるやかに 渡邊千枝子
 
露草を震はせ手折る山の朝 高澤良一 素抱
 
跼み見る露草の露鳴りさうな 高澤良一 ももすずめ
 
露草に古き紺なし鶏二の忌 大岳水一路
 
板仏囲む雨乞踊かな 水野露草
 
橡の実を晒せる象の小川かな 水野露草
 
花雪洞連らね巡らす岸和田城 森本露草
 
露草や温見峠の空濁る 斎藤英樹
 
一叢の露草映すや小矢部川 前田普羅
 
露草のひとむら信濃国分寺 斎藤小夜
 
露草の露ひびきあふ岬の家 柴田白葉女
 
露草の千の瞳をあらふ霧 岡本まち子
 
露草や飯噴くまでの門歩き 杉田久女
 
露草や高原の汽車唯二輌 瀧春一
 
露草も露のちからの花ひらく 飯田龍太
 
露草の刈り取られあり戻り道 高橋よし
 
すこしづつ死ぬ露草の漂ふなか 田中正一
 
露草の負けずぎらひの海の色 貞好弘子
 
鋏濡らしぬ露草を剪りしのみ 檜山たつ子
 
すぐ眠る露草のよき男かな 渡部恵美子
 
はびこりて露草の名のそぐはざる 杉村凡栽
 
露草や小鳥葬りし石ひとつ 井口光雄
 
露草に五情五欲のただよへる 秦夕美
 
露草の咲き寄せてくる机かな 黒田杏子
 
露草に露おもたけれ母娘の朝 折笠美秋
 
露草も露のちからの花ひらく 飯田龍太
 
露草に鱗一枚乗つてをり 今井聖
 
露草に袴を染めよ山の児 菊也
 
露草の露ひかりいづまことかな 石田波郷
 
露草のさかりを消えて夜の雲 闌更
 
軍配は大きてのひら宮相撲 水野露草
 
老僧の箒に悟れ朝露草 乙由「類題発句集」
 
萩咲いて露草咲いて雨となり 百瀬美津
 
露草の露の曼荼羅地に吸はれ 古市絵未
 
鎌の刃は露草の花つけてをり 長谷川櫂 天球
 
人だれも霧に消えゆく風露草 鍵和田[ゆう]子 武蔵野
 
露草の露をいただく土佐硯 黒田杏子 花下草上
 
けさひらきたる仙翁と露草と 黒田杏子 花下草上
 
わが知命露草露にひかり咲き 新明紫明
 
露草の露にひとづまゆび濡らす 前山松花
 
露草も露のちからの花ひらく 飯田龍太

ミゾソバは一気に姿を消した。

花だけでなく葉も枯れ、本拠地とおぼしき場所でわずかに姿をとどめているがあと数日でそれも

姿を消すであろう。

(ヒメ)リュウキンカは花数を増やしてはいない。

↑は例外的  

小さな花を一輪咲かせたばかかりの株が点々とあるのみ

枯れすすきの間から沢山の株が芽吹いている。

ぎしぎしが目立つ  ↑コサギ

オオキバナカタバミ

オオキバナカタバミ(大黄花片喰・大黄花酢漿草、学名:Oxalis pes-caprae)は、カタバミ科カタバミ属多年草[6]南アフリカ原産で、現在では世界各地の温帯帰化植物として定着している。葉に紫褐色の斑点が多数見られることで他のカタバミと識別が可能[5]。春先に鮮やかな黄色の花を多数咲かせる。別名キイロハナカタバミ[3]

↑ゆりかもめ ↓カルガモ

サクラ

セイヨウカラシナの大株

カラシナ(芥子菜、辛子菜、Brassica junceaMustards)はアブラナ科アブラナ属越年草。「芥」でカラシナを意味し、「芥子」はカラシナの種子の意味。

別名ともされるセイヨウカラシナは、カラシナの原種である野生種が、明治期以降に帰化植物となったもの。

 

 

ハナニラ

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尼崎市のHPより

  • 尼崎市の都市公園は、343箇所200.15ヘクタールあります。
  • 市民一人当たりの公園面積は、約4.28平方メートルです。
  • 市域面積に対する公園の割合は、約3.98パーセントです。
  • 尼崎市内には、子ども広場が226箇所(約12.14ヘクタール)あります。この子ども広場は、都市公園を補完する施設として設置されてきましたが、都市公園の整備等に伴い、見直しの方針を策定しております。
松が本公園
以下の分類上は街区公園である。
 
公園の現況 平成27 年4月1日現在
 種 別  内 容     公 園 名
 街区公園 
主として街区内に居住する者の利用に供することを目的と する公園 
長洲本通ほか 240 公園(別表公園一覧表を参 照) 
 
近隣公園 
主として近隣に居住する者の利用に供すること を目的とする公園 
大物、橘、宮前、中央、浜田川、大庄、浜田、 近松、道意、西向島、芦原、尾浜、北雁替、葭 島、椀田、猪名川河川敷、田能西、尼崎城址、 潮江緑遊 
 
地区公園 
主として徒歩圏域内に居住する者の利用に供す ることを目的とする公園 
今福、蓬川、潮江、塚口北、大井戸、上坂部西、 西武庫 
 
総合公園 
都市住民の休息、観賞、散歩、遊戯、運動等総合的な 利用に供することを目的とする公園 
水明、猪名川、小田南 
 
運動公園
 都市住民の主として運動の用に供する公園
 記念 
 
風致公園 
主として風致を享受することを目的とする公園 
佐璞丘、猪名川風致
 
 都市緑地
 主として都市の自然的環境の保全及び改善並び に都市景観の向上を図るために設けられる緑地 
武庫川河川敷緑地他 39 緑地(別表公園一覧表 を参照) 
 
広場公園 
主として市街地の中心部における休息又は観賞の用に供す ることを目的とする公園 
JR尼崎駅北広場、近松の里北広場、御園広場、 アルカイック広場
 
 緑 道 
災害等における避難路の確保、市街地における 安全性及び 快適性の確保等を図ることを目的とする緑地
 長洲川緑地、常光寺川緑地、常光寺緑地、大門 川緑地、新川緑地、西大物緑地、庄下川緑地
 
 
 
 
健康器具もいくつか
名前が先か、松が先か
松が多い
公園の西側を流れる川は富松川。
少し南側で道路を潜って、私の家から至近の近隣公園の西側の境界を流れて、少し東へ流れた後
ほぼ直角に南へ流れ阪急電車の路床下を潜り、西へ向きを替え、庄下川に合流する。

近くに幼稚園などもあり、午後は見守りの母親たちを含め、結構賑わうが、午前中は、特に平日は

人気がない。

かなり昔からある公園である

プラタナスかスズカケか 古木である。

プラタナス学名Platanus)は、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称。街路樹・庭園樹として広く用いられている。北半球に自生する樹木であるが、種の数は少ない。大抵30–50 mの高さに育つ。P. kerriiを除いてすべてが落葉性であり、殆どが水辺や湿地で見られ、栽培時に旱魃に耐性があることが証明されている。雑種であるモミジバスズカケノキは都市部でも育ちやすいことが証明されている。

 

↓の藤棚も古い

北側の一隅に花壇がある

キンギョソウ、ビオラ、ノースポール

ボランテイアグループの管理 立花地区No.51が登録グループの番号のよう。

周囲では水仙が咲いている

眺めていると違う花もあることに気付いた。

↑スイセン  ↓ハナニラ

花韮や歩いて行けば猫神社 星野麥丘人
 
移り住めば花韮の畦短かすぎる 児玉悦子
 
花韮の白さどきまぎ嘘ばかり 小堤香珠
 
花韮の花賞でらるるそよぎかな 宮津昭彦
 
花韮やしやもじを祀る安産寺 下山宏子
 
花韮や学級花壇画然と 桜間ひろし
 
花韮のはかなきまでに白き日々 中嶋秀子
 
花韮の紫うすき翳りかな 岸 典子
 
眩暈や花韮はもう陰の花 堀井春一郎
 
花韮の風の弾めりヘリポート 毛塚静枝
 
花韮や何の手筈もなけれども 栗林千津

一目ではよく似ているが水仙の花は前を見ているのに、ハナニラの花は俯きがち

花芯の部分の色が違うので、違う花だと思った。

ハナニラ(花韮、学名:Ipheion uniflorum)はネギ亜科ハナニラ属に属する多年草。 イフェイオン、ベツレヘムの星とも呼ばれる。 原産地はアルゼンチン

遠くから見ている限り違いが分からない。私ベトレヘムの星とハナニラが同じものであることを知らなかった。

確かアラブではこれを鳩の糞と呼んでいるはず。原産地がアルゼンチンとは意外。

 

 

日本では、明治時代に園芸植物(観賞用)として導入され、逸出し帰化している[2]

にはニラネギのような匂いがあり[2]、このことからハナニラの名がある。野菜ニラ(学名 Allium tuberosum )は同じ亜科に属するが、別属である。

球根植物であるが、繁殖が旺盛で植えたままでも広がる[2]。鱗茎から10-25cmのニラに似た葉を数枚出し、さらに数本の花茎を出す[2]。開花期はで、花径約3cmの白から淡紫色の6弁の花を花茎の頂上に1つ付ける[2]。地上部が見られるのは開花期を含め春だけである[2]

商店街

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正月三日も過ぎると、コンビニや寿司屋では恵方巻の予約受付が始まり、

今日あたりはバレンタインの広告を目にするようになった。

バレンタインデーが終わった翌日にはひな祭りがそれが終わったら子供の日

それも終れば七夕、お盆で、9月になればお節料理の早期割引予約受付が始まる。

阪急電車十三駅西口を出て句会場までの途次

句会終了後はこの店へ来る。まだ開店前。

1人でこういう店に入ることはないが、塚口駅周辺にも10軒以上あると思う。

南の老舗からやって来たといった看板をよく見る。

1泊か2時間かは知らないが、380円。入り口近くまで行って料金表をみたら1室だけがこの料金らしい。

業務スーパー 確かに安い。でも店舗数が増えて、普通のスーパーに近づいている。

尼崎市にだけでも10店舗くらいあるように思う。ネットで確認したら、尼崎、伊丹、西宮で計10店だった。

尼崎は6店。うち3店舗で買い物をしたことがある。

全国展開しているよう。岡山市に6店舗。美作市は0.津山市に1店。

老舗らしい茶葉販売店

句会場周辺の店

句会場へ通じる赤く塗られた階段

句会場の下はスーパーの倉庫のよう。

スーパーの切り売り南瓜よく売れる 菱田トクエ
 
スーパーの前に陣取り西瓜売る 高間礼子
 
スーパーに盆の市たつニュータウン 川端恵美子
 
水打つてスーパー開店五分前 飯田弘子
 
初売のスーパーのレジ新型に 高橋恭子
 
スーパーの大鏡より苺買ふ 菅原章風
 
炎天を来てスーパーの深海魚 守屋房子
 
スーパーに山積みの水広島忌 並木緑之

コインランドリーも併営

このスーパーの支払い方式は、カウンターで請求料金ペーパーを貰い、機械にそれをかざして

請求金を投入するシステム。なんどもペットボトルをここで買うのでかなり慣れた。110円放り込むと

2円のおつりがでてくる。

 

階段を上がると祠

十三戎のお札を置いている。

向かいの店はメロンパン専門店

句会開始まで時間があると周辺の画像を集めている

大きな高架は国道176号下り線専用十三バイパスである。

句会 出句2句

新年第1回は10日開催だったらしいが、知らなかった。句稿コピーに記載されていたらしいが

確認を怠っていた。

 

箱とともに去った人あり初日の出

漁村にも神功伝説大焚火  (兼題が火と知って俄か改作)

 

句会終了後がんこへ

がんこの風景

今年の恵方は西南西

店舗内から外を見ている

昼だが人通りは多くない

いろいろ店頭販売している

がんこチェーン店は大阪北エリアに20店舗あるよう。

兵庫県には10店舗 尼崎には1店舗のみ。阪神尼崎駅に近いので昨年だけでも5回位立ち寄ったかも。

 

 

 

ピラカンサ

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庄下川沿いを、自宅から阪神尼崎迄歩く機会は年に1、2度あるかないかであるが

今年初めて完歩。片道13000歩。途中で右岸から左岸へ移動したり、

近接の古跡や神社へ立ち寄るので。

地植えのマーガレットが咲いている

庄下川 総合医療センターあたりで、ピラカンサが見事な実をつけているのを何株か確認

カタカナ表記が定着しているので、一茶までの時期には知られていなかった(導入されていなかった)

はず。子規、虚子はどうだろう?山査子では例句が出てこない。

↑↓川面にかかるピラカンサス。トキワザンザシと呼ぶ人は周囲にはいない。

筆まか勢さんの収集

*さんざしの咲きて洋館古りにけり 手塚基子
*さんざしの幹の武骨に花つけし 吉村ひさ志
*さんざしの日をうつ~とすごしけり 染谷杲径
*さんざしの花に岨道夜明けたり 紀野自然生
*さんざしの花に来てゐる鳥の午後 稲畑汀子
*さんざしの赤が誠を責めてをり 後藤比奈夫
*さんざしや貧農の家に生れし身 細山幸子
*さんざしを貪婪の鵯み逃さず 森土秋
さんざしの木の方の雨に真向う 阿部完市
さんざしの花にそばかすあらはれし 青柳志解樹
さんざしや師のあたたかき眸と會ひぬ 石田あき子 見舞籠
パール色の*さんざしの花母古稀に 川崎慶子
一隅に*さんざし咲かす夕明り 東郷清治
友の留守物言ひたげな花*さんざし 杉本寛
壷に挿す*さんざしの花は盗み来し 安住 敦
思ひ凝らせば*さんざしに日の戻りくる 手塚美佐
花*さんざしくちづけかろく髪に来し 小池文子 巴里蕭条
花*さんざし古妻ながら夢はあり 石田あき子 見舞籠
花*さんざし近くて遠き子のこころ 丸山海道
花さんざし斧のこだまの消えてなし 神尾久美子 桐の木
花紅さんざしも母うやまうも 和知喜八 同齢
この山査子は花が詠われているものが多いので、実でないかぎり、ピラカンサス(常盤山査子)とは断定できない。

トキワサンザシで検索すると西アジア原産、明治中期に到来となっているので、子規は知らなかったであろう。

到来したらたちまち東京の住宅街へ進出というこはないので、明治の俳人には無縁なものであったかも。

ピラカンサスは住宅街でも見かけるが、見かける機会は減った。

住宅地の庭では大株になる前に剪定、伐採されるようである。

今日の立ち寄り先は、総合医療センター、尾浜八幡神社、庄下川之宮など。

今日見たゆりかもめ。庄下川の中流以南へも足を踏み入れたので、200羽以上みた。

パンくずを持って行って投げると、岸に近いところでは雀が横取り、川面にかかると遠くにいたゆりかもめが

空中捕捉。なかなか敏捷、貪欲

鶺鴒も寄って来るが争奪戦には加わらない。

無数の雀も待機。

昆陽川(久々知川)との合流地点付近

このあたりからは百合かもめの方が鴨より優勢

JR線を越えると

餌が豊富なのか

尾浜八幡神社

土曜日なので、高校生の3人組(多分尼子騒兵衛ファン)が境内に

↑光明寺の境内から

大絵馬 ここは宮司さんの作品

名月姫の墓石は整備されていた

元は宝篋印塔  ↑は道標

鎌倉末期の制作で名月姫伝説とは合致しないよう。

名月姫物語は平安時代12世紀半ばの話

宝篋印塔は「日本では鎌倉初期頃から制作されたと見られ、中期以後に造立が盛んになった。銭弘俶塔の要素を最も残すのが北村美術館京都市)蔵の旧妙真寺宝篋印塔・一名「鶴ノ塔」である。ただしこの装飾性の強い塔は古塔の中では特異で孤立しており、いまなおその歴史的位置付けは明瞭でない。中国宋代石造宝篋印塔と我が国宝篋印塔の間に大きさや形態に乖離があるため、最近になって図像による伝来、具体的には鎌倉初期に中国宋から請来された五百羅漢図中に見える宝篋印塔様石造物が日本における宝篋印塔の成立に関与したのではないかという説が提示された[2]

在銘最古の宝篋印塔は鎌倉市の某ヤグラから出土した宝治二年(1248年)銘の小型のものである(京都国立博物館蔵。川勝政太郎旧蔵)。

↓イモカタバミ  ↑フヨウカタバミ と呼ぶらしい、特徴は葉がクローバ型であること。縞はないが。

庄下川之宮

この宮に触れたブログあり。→ https://ameblo.jp/amatsuhiko/entry-12380225448.html

向いの工場内の祠

この地点が庄下川公園の北の入り口

通路の左右にはあまり幅がないが

桜の頃にはいくつものシートが敷かれる

入口を入ったところに供養用の地蔵堂がある

個人の寄贈寄進建立のよう。この辺りの地主だったのかどうか

この公園内は何度も通っているので今日は右岸へ戻って、阪神尼崎駅方面へ

庄下川と産業道路の交わる前

このあたり昨年10月に市民参加の清掃活動が行われたよう。

http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/935/R1LoveRiver.pdf

昼時になったので、久し振りに讃岐うどん

海鮮玉子とじ

 

若苗

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一月のプランター

さすがに3ヵ日は写す対象が多かったようで、画像なし

4日11枚

よく見るとあおい点点が見える。播種が10月になってしまった(残暑厳しかったので)ロベリア。

ロベリアを4プランターに、門内玄脇の日当りがよくないところにニゲラ4プラ。

14種の種を混ぜた「ワイルド・フラワー」と種袋に書かれたものを2プラ

↑では赤花酢漿草しか同定できない。ノースポールもあるが、袋に入っていたか、こぼれ種か分からない。

14種と書かれているが、14種の名をすべて列挙していない。

 

7日

カタバミ以外にキンセンカが同定できる

↑左下はホトケノザかも。よく分からないので放置

ルピナスらしきもの、ニゲラらしきものが見える。赤い筋が入ったものがあるが、まだ同定できない。

12日

3月に蒔くべく、袋の種は半分以上残っている。

16日

半分以下に間引く必要があるが色の配合が分からない。↑プランターの下にヒメツルソバがはびこっている。

19日(今日)

ロベリアの方はあいかわらず。

キンセンカだけでも過密状態

ロベリアはポットでも管理しているが冴えない。

近隣公園は日曜日なのでけっこう親子連れが出ていた。

倒木ではないが、樹が弱っていたのであろう伐採された。何本も蘖が出ていたが、それは残されている。

イヌムギ

ヌスビトハギ

「苗」だけだと圧倒的に稲苗が詠われている。

床の淀の夫婦のくれし 山内 二三子
 
売りの雨くさぐさのぬれて 小川双々子
 
床のひとつづつ離さるる 上田 操
 
障子のぞけばの世界かな 田中憲二郎
 
はみなたよりなきもの植うる 和田耕三郎
 
の束割る杉のはじけ 今瀬剛一
 
床の中の胡瓜のに花 高野素十
 
よまひ言ならべついでに札も 中原道夫
 
嬰児薄眼一列はその睫毛 高野ムツオ 陽炎の家
 
五六人水明りして藺植う 高野素十
 
稲刈の刈りあらはして藺濃し 石田波郷
 
夏草に杉溺る廃家跡 倉橋羊村
 
余り伊吹の風を溜めてをり 関戸靖子
 
水張りて宮城野のいとけなき 清水基吉
 
青空の静まりかへり茄子の 千葉皓史
 
茄子を揺らして運ぶ鞍馬みち 石田勝彦
 
投げの御田の舞の上をとぶ 高野素十
 
植うと漆光りの田水張る 有馬籌子
 
真清水に日は衰へて杉小 赤尾兜子
 
取りあへず一籠や雹見舞 斎藤俳小星
 
むさし野に住みつく韮の育て 沢木欣一
 
に水やる土の乾きかな 正岡子規
 
りんご売るみちのくの午祭 岩崎眉乃
 
すでに北山杉の容かな 城戸崎丹花
 
をしつゝ富士のやさしけれ 大石暁座
 
札を十あまり挿す夜も白し 八木林之助
 
札の字も消え父も逝きにけり 川口咲子
 
札や雨をいやがる馬の耳 小原俊一
 
大朱欒据ゑてその木のを売る 林 三枝子
 
十郎兵衛屋敷に植ゑて藍の 林俊子
 
札作る柾目のせちに揃ひしを 加倉井秋を
 
肥後床といひ床の大いなり 小原弘幹
 
みづうみの松風ばかり障子 石田勝彦
 
この辺り耳成村や障子 野中丈義
 
赤甘藷は赤き芽に出て障子 邊見京子
 
田あり大和古道そひ濡るる 皆吉爽雨
 
藁をほどく手荒れぬ春の霜 室生犀星
 
の夕べの雨に立直り 中村 千恵子
 
運ぶ力右足左足 土永 竜仙子
 
炭住の庭のの手それぞれに 森山 抱石
 
メロン買ひに町まで小半日 撫養 チカ
 
紅少し引き甲斐甲斐し売女 片岡 けん
 
泊夫藍の売ってをるメノコかな 河野 照代
 
約束の菊を持ち訪ひくれし 柴山 つや子
 
若鮎を鮎と呼び近江かな 上原 はる
 
農協の桑のこと放送す 岡崎 芋村
 
床の土にも生命ある如し 千本木 溟子
 
札の風にひらひらして読めず 三宮 美津子
 
床の藍にもどりし寒さかな 尾上 萩男
 
一束秋冷に抱くは苦しき 汎 馨子
 
束の双つ飛んだる水の空 石田勝彦
 
余り息吹の風を溜めてをり 関戸靖子
 
朝顔の床にノア方舟も 島津 亮
 
朝顔の足音とうす曇る 伊藤淳子
 
売が路をせばめて左門町 奥野桐花
 
山国に行く売のバスに立つ 茨木和生
 
種のよく売るる日と売るる日と 後藤比奈夫
 
眠さうな売りの声樹をくぐり 廣瀬直人
 
廃屋にあらず茄子植ゑてあり 岡田日郎
 
植ゑてみて嵯峨菊の育ちさう 稲畑汀子
 
床にひと日風荒れひと日雨 成瀬櫻桃子
 
床の大き足跡あかねさす 福田甲子雄
 
床やいろ~の仮名氾濫す 森田 峠
 
ビニールをかぶせてこれは煙草 細川加賀 『玉虫』以後
 
売が霞ケ関にゐたりけり 細川加賀 『玉虫』
 
駅前に茄子売りのこぼせし土 田川飛旅子 『花文字』
 
札の誤字がにじみてあどけなし 河野南畦 『硝子の船』
 
雨足のしろがねなせるはこび 飴山實 『次の花』
 
余り平家の墓に供へけり 飴山實 『辛酉小雪』
 
とりの水輪ひかれる雲の加賀 飴山實 『少長集』
 
床や風に解けたる頬かむり 阿部みどり女 『笹鳴』
 
の折れて匂へる秋日かな 大木あまり 火球
 
朝の沖潮けむりして瓜の 大木あまり 雲の塔
 
銀河を父として育つ 橋本鶏二
 
青山河ほのぼのくもり余り 能村登四郎
 
茄子の燈台守にとどきけり 大串 章
 
茄子の少し萎れて無人店 小野寺さわ子
 
色の濃き茎を選びて茄子の 田中こず恵
 
噴きあげる一本の紺茄子の 有馬朗人
 
売れ残る茄子一つ実をつけて 山田節子
 
やたたみてうすきかたみわけ 永田耕一郎
 
さみどりの瓜運ぶ舟も見し 松本たかし
 
茄子に今日は日蔽ひを工夫せり 高浜虚子
 
カンダタのごと瓜のよぢのぼる 高良満智子
 
売の立ちどまりつつ三声ほど 高浜虚子
 
売れ残るを車に積んで去る 福川悠子
 
売の濃き眉ぞ見せ笠のうち 原 石鼎
 
に竹立てありぬ草の中 高浜虚子
 
市に教へ子とその幼な妻 能村登四郎
 
ボランティアの夫の売るみどりの日 山口恵子
 
売によき夕方の来りけり 星野立子
 
ばらの花活けバラの販売所 溝口みさを
 
を植ゑて間遠や桐畑 宮岡計次
 
札に書き添ふ愛の花言葉 高間礼子
 
札がひとりたふるることありて 阿波野青畝
 
札を十あまりさす夜も白し 八木林之助
 
札にややこしき名を書きにけり 細川加賀
 
菊の植ゑたる夜の雨の音 菅沢泰子
 
札を夕のぞきして立てりけり 高浜虚子

 

「一茶 苗」では1句

里の子が犬に付たるさ哉 一茶 ■文化十三年丙子(五十四歳)
 蕪村、芭蕉には苗の句はないよう。

源平小菊が覚えやすい。エリゲロン覚えにくい。

 

 

 

 

オステオスペルマム

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アフリカンデージーとも

1月中旬から花期。熱帯アフリカ原産らしいが、日本の夏季は苦手なよう。

家の前の、その横に並んでいた鉢

↑↓いずれもきれいに育てておられる

サクラソウ  プリムラは多くの品種がある。 今一番よく見かけるのはジュリアン

Wikipedia:

プリムラ・ポリアンサとプリムラ・ジュリエ (P. juriae) との交配種。草野総一作出。1972年(昭和47年)に坂田種苗(現:サカタのタネ)より発売。また、プリムラ・ポリアンサとプリムラ・ジュリアンをあわせてプリムラ・プルホニケンシス・ハイブリッド (P. pruhonicensis hybrids) とすることもある。

↓は近所のお家の塀の上

これもよく管理されている↑↓

花と緑の図鑑:

プリムラ・ポリアンサと、様々なプリムラの原種を交配させてできた園芸品種です。とても小さな姿をしています。ただポリアンサに比べると株は小さくなるものの、花自体はあまり小さくならないので存在感があります。葉は濃緑色で、先端がつまったような感じのヘラ状の形をしています(ポリアンサとして出回るものは葉のつまり方が弱い傾向が強いです)。以前は室内鉢花として販売されていましたが、冬~早春の花壇や寄せ植えによく用いられるようになりました。ポリアンサよりも寒さに強いといわれていますが、どちらにしろ南関東以西では普通に屋外で冬越しします

 

桜草咲いてむかしの暴れ川 松本泰二
 
指組めば指が湿りぬ桜草 鈴木鷹夫
 
桜草たのしげに咲き増えにけり 高田風人子
 
カーテンと玻璃とのあひだ桜草 森田 峠
 
桜草砂場の鮫に子が消えて すずきりつこ
 
夜の部屋に日向の色の桜草 片山由美子
 
花びらにかくるる蕾桜草 倉田紘文
 
囲はれて桜草咲く河川敷 伊阪美袮子
 
咲きみちて庭盛り上る桜草 山口青邨
 
二鉢に競ひて咲けり桜草 手島知韶
 
桜草の鉢またがねばならぬかな 高浜虚子
 
風そよぐ田島ヶ原の桜草 新居さくを
 
引導の声のをさなし桜草 柢 太郎
 
桜草咲かせてあくまで女がいい 斉藤すず子
 
放課後の兎当番桜草 竹川貢代
 
位牌より遺影の親し桜草 塩谷はつ枝
 
桜草さくらより濃く野を染めぬ 沢 聰
 
桜草妻子が日射し惜しみつつ 橋本冬樹
 
子の机借りて文書く桜草 吉田とし子
 
一政の背文字太かり桜草 谷内田和子
 
起立する身の浮上感桜草 高島筍雄
 
まのあたり天降りし蝶や桜草 芝不器男
 
咲きみちて庭盛り上る桜草 青邨
 
桜草灯下に置いて夕餉かな 木歩
 
桜草かならずどれかふるへゐる 歔木
 
桜草の野に東京の遥かかな 風生
 
まのあたり天降りし蝶や桜草 不器男
 
そはそはとしてをりし日の桜草 夜半
 
こどもの眼皆うららかに桜草 龍雨
 
ミシン踏む音に顫へて桜草 西村和子 夏帽子
 
行商の茶の風呂敷や桜草 日原傳
 
まのあたり天降りし蝶や桜草 芝不器男
 
武隈の松みせ申せ遅桜 草壁挙白
 
花摘みの稀に目こぼし桜草 手塚美佐
 
嫁のゐぬ日のさびしさの桜草 勝又一透
 
さらさらと水そゝぎけり桜草 飯島みさ子
 
桜草培ふ画師が娘かな 梅本塵山
 
寿ぎごとに患母涙ぐむ桜草 小原菁々子
 
フラスコの水美しき桜草 遠藤梧逸
 
嫁ぐすぐ妊るあはれ桜草 篠田悌二郎(1899-1986)
 
まのあたり天降(あも)りし蝶や桜草 芝不器男(1903-30)
 
桜草の鉢またがねばならぬかな 高濱虚子
 
海見ゆる窓に置きあり桜草 田中冬二 麦ほこり
 
吸呑みの水絞り切る桜草 蓬田紀枝子
 
桜草コツプにふれし匙の音 井上雪
 
桜草ポーチに風の少し出て 行方克巳
 
桜草身のうちも陽のさざなみす 小檜山繁子
 
桜草 棒パン呉れたは 竹中郁 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 花仙人
 
このところいゝことづくめ桜草 久保田万太郎 流寓抄
 
桜草にはかに雪となりにけり 久保田万太郎 流寓抄
 
町に住めば町に住んだ気桜草 久保田万太郎 流寓抄
 
わがまへにわが日記、且、桜草 久保田万太郎 流寓抄
 
雨音に心ゆるべば桜草 中村汀女
 
桜草のせてタイルの罅こまかし 横山白虹
 
そはそはとしてをりし日の桜草 後藤夜半
 
桜草寿貞はそっと死ににけり 平井照敏
 
 

桜草と言ってもニホンサクラソウを詠っているのは僅かで、多くは西洋サクラソウを詠っているように見える。

 

とあるお家の前

二つの鉢にハコベが繁茂

左側の鉢

葉がやや大きく、花は咲いていない↑

右側は花盛り↓

Wikipediaの解説もややこしい。

ハコベ(繁縷、蘩蔞)とは、ナデシコ科ハコベ属Stellaria)の植物。「ハコベ」は一般にはコハコベとミドリハコベを総称していう[1]。単にハコベというときはコハコベのことを指す場合もある。コハコベは越年草

なお、ハコベ類の分類には混乱が指摘されているほか、Stellariamedia (L.) Vill.とS. negZecta Weiheの二種に対応する和名がハコベとミドリハコベとするものとコハコベとミドリハコベとするものがあるなど問題が指摘されている[2]

はこべら」として春の七草のひとつになっている。市販されている七草は一般にコハコベである[2]。コハコベが日本に入ってきたのは明治時代といわれている[3]。2000年にコハコベは帰化植物とする研究者の見解が地方紙に出されるなど生産農家に混乱が広がったが、コハコベが江戸時代以前に生育していた可能性も指摘されている[2]。ミドリハコベはもともと日本に生育していた種とされ[3]、春の七草はミドリハコベとする文献もある[1]

 

私は上の画像中、花が咲いている方をコハコベと思っているが確証はなし。

 

カレンジュラ

キンセンカ(金盞花、学名Calendula officinalis)は、キク科植物。別名はカレンデュラポットマリーゴールド[注釈 1]。 最盛期は3月~6月、朝方に開花する一日花。

画像は、フィエスタ・ギタナであろうか。よく分からない。

 

緑化植物園のサザンカ

かなりの株数が園内各所に植えられている

西口の外のものは何度も紹介

 

 

 

 

ストレリチア

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ストレリチア属は花が極楽鳥に似ていることから極楽鳥花属とも呼ばれています。極楽鳥花と呼ばれる種は主にストレリチア・レギナエ(レギネー)ですが、ストレリチア(極楽鳥花)属には他にも葉身がないストレリチア・ジュンセア、有茎で大型になるストレリチア・ニコライなどがあります。また、レギネーとジュンセアの自然交配種も確認されています.LOVE GREEN のHPから

緑化植物園 温室

嚏一つ極楽坊にこぼしけり 清水利子
 
深閑と南無極楽寺郁子の花 山村政子
 
風のなき日は極楽と牡蛎を割る 浜川 穂仙
 
極楽へ肘膝ついて笑いにゆく 四ッ谷 龍
 
山の日の極楽いろに鴉の子 柴田白葉女 『月の笛』
 
春の雲夕べ極楽いろさしぬ 柴田白葉女 『朝の木』
 
日向ぼこ死後の極楽疑はず 田中政子
 
極楽中心中山寺月冴えし 中島陽華
 
吊し柿貧しき寺の極楽図 渋谷光枝
 
蜩や堂に地獄図極楽図 石田麦水
 
まんさくや極楽寺坂なだらかに 吉田未灰
 
極楽へ風船逃れゆきにけり 正圓青灯
 
黄落やひとの木戸ある極楽寺 桂樟蹊子
 
湯あがりの極楽浄土虫浄土 阿部みどり女
 
極楽が見ゆと蝙蝠乱舞せり 鈴木蒼穹
 
冷し馬極楽づらをならべたり 三村哲田
 
朝寝していま極楽にゐたりけり 片山鶏頭子
 
極楽に行く人送る花野かな 永井荷風
 
極楽とおもふまで雪ふるを見る 中杉隆世
 
先生が極楽といふ花の下 藤崎久を
 
九十五齢とは後生極楽春の風 富安風生
 
水底の極楽冬に入りにけり 清水基吉
 
極楽坊にて住職の毛糸帽 藤田あけ烏 赤松
 
極楽の島つ岩根の初日の出 坪内逍遥 歌・俳集
 
極楽の夢見て覚むる夜長かな 折井愚哉
 
猿酒や部屋に地獄図極楽図 甲斐遊糸
 
極楽も睦続きなる麦埃 桑原三郎
 
生簀鮎地獄極楽うごめける 松村多美
 
どやどやの極楽門に冬夕焼 田中英子
 
荒れ寺の名は極楽よ蛇住めり 宮津昭彦
 
島の御池海女の極楽雲映す 加倉井秋を
 
曼陀羅の地獄極楽しぐれたり 細見綾子(1907-97)
 
蓮の葉に極楽水を裹み来ぬ 尾崎紅葉
 
曼陀羅の地獄極楽しぐれたり 細見綾子
 
路地一つ替へて花咲く極楽寺 古賀まり子
 
春雪や極楽にまた泣く母か 今瀬剛一
 
極楽に行く人送る花野かな 永井荷風
 
極楽へゆきし誰彼牡丹雪 村越化石
 
曼陀羅の地獄極楽しぐれたり 細見綾子 存問
 
おのづから極楽へとる恵方道
 
極楽をでてきてしまう蟇 松澤昭 面白
 
遅桜極楽水と申しけり 芥川龍之介
 
極楽の文学なりし蝶を見る 京極杞陽
 
九十五齢とは後生極楽春の風 富安風生
 
極楽の文学と別河童の忌 阿波野青畝
 
極楽の近道いくつ寒念佛 蕪村 冬之部 ■ 感偶
 
すゞしさや垣のとなりは極楽寺 松岡青蘿
 
極楽にあっと行けりとろゝ汁 桃先
 
根は切れて極楽にあり枯尾ばな枯尾花 千代尼
 
曼陀羅の地獄極楽しぐれたり 細見綾子

今年になってから写した地蔵さん

21日

マンションというよりはアパートの角。過去にも写した気がするがupしたかどうか。

18日

尾浜八幡神社の川沿い南側  これはもう5回位、画像upの記憶 ↓の解説も

庄下川水地蔵と命名されている。

17日

豊受明神となっているから地蔵とは言えないかも。祠か若宮か

しあわせ地蔵となっている。地蔵横丁という名の路次のなごり。通り抜けできるビルの一階

地蔵さんは平成的な顔立ち。こけし風。

16日も2か所で見ているが画像なし

13日

これは初めての出合かも↑↓

11日 尼のえべっさんの近く

阪神必勝祈願地蔵かも。しかし格式は若宮かも

2日 寺町で

↑↓辻地蔵とはいえないが。

1日

 

 

 

 

 


久々知川

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行政上は尼崎市に東富松川は存在しない。

庄下川の上流とみなされているが、

今でも旧の東富松川にかかる橋には、橋名とともに、川をひがしとまつがわと記すものが沢山のこっている。

同様に、久々知川は今では昆陽川の延長線とみなされているようだ。

左側が庄下川の本流。灯台の右側から庄下川へ流れ込む(合流する)川はかつては久々知川と

呼ばれたが今では昆陽川。

ほんの少し上流では尾浜公園の南側を流れている。

尾浜公園の池の水も久々知川へ流れ込む

橋には久々知川という表記が残っている。

両岸は桜並木

水路は狭いが両岸までの幅は結構広い。↑大きな樋門が残っている。

左岸は工業地帯で、小さな鉄鋼関係企業が並ぶ。

メキシコセージ(アメジストセージ) 花期が長い

樋門

上坂部川の合流地点 ここからが久々知川と言える。かなり広い広場になっている。

ただしこんな小屋があるので、普通の人は足を踏み入れない

かつては人が住みこんでいたかも。鉄材が集められている

町中で集めて、近くの工場で買い取ってもらっていたのか

河川法違反だから除去立ち退くように命じる勧告文

永く放置されているというよりかなり新しいものが目立つ

一般家庭から出たらしきもの以外に企業から出たような部品らしきものもある。

 

↑の橋は封鎖されていて通れないが、墓地に繋がっている。

道は広いが車の通りは少ない

尼崎市の他の川辺には無い脱都会的雰囲気が漂う。

水量はこの季節は少ない。昆陽川の水だけ

同病や足蹴もて起つ冬の草 中原道夫
 
裾すこし冬の草ある砂丘かな 大石暁座
 
荷車を曳く冬の草見続けて 斎藤夏風
 
病む三鬼杖にてさぐる冬の草 沢木欣一
 
青といふ色の靭さの冬の草 後藤比奈夫
 
神垣に沿ふて小さき冬の草 関 秀穂
 
口癖は「大人になれば」冬の草 高野万里
 
日に月にまことを尽し冬の草 長谷川双魚 『ひとつとや』
 
くれなゐの巫女の歩めり冬の草 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
秘密なきふたりといへず冬の草 大木あまり 雲の塔
 
くれなゐの巫女の歩めり冬の草 長谷川秋子
 
冬の草眼に見あるけば限りなし 原 石鼎
 
母長寿たれ家裾に冬の草 大野林火
 
母長寿たれ家裾に冬の草 大野林火
 
枕木の井桁に組まれ冬の草 平子公一
 
只今の草の穂絮の覚束な 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺
 
冬の草幻住庵をおとなへば 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
 
冬の草眼に見あるけば限りなし 原石鼎
 
冬の草太根真白に持ちてをり 菅裸馬
 
塚原や日はつれなくも冬の草 馬光 (はせを忌)
 
母長寿たれ家裾に冬の草 林火
 
冬の草眼に見あるけば限りなし 石鼎
 
城壁の罅をつゞりて冬の草 田村木国
 
血を頒けて少し風ある冬の草 廣瀬直人
 
崖までの枕木にして冬の草 中田剛 珠樹
 
母長寿たれ家裾に冬の草 大野林火
 
戦死より情死が赤し冬の草 矢島渚男
 
秘密なきふたりといへず冬の草 大木あまり
 
秘密なきふたりといへず冬の草 大木あまり
 
術後のわれ冬の空地の草でよし 栗林千津
 
冬の草近しものぐさ太郎読む 斉藤夏風
 
荷車を曳く冬の草見つづけて 斉藤夏風
 
身をよする冬の朝日の草のいほ 炭 太祇 太祇句選後篇
 
病む三鬼杖にてさぐる冬の草 沢木欣一 地聲
 
青といふ色の靭さの冬の草 後藤比奈夫 金泥
 
日に月にまことを尽し冬の草 長谷川双魚

山中の川辺のよう

散歩で歩いている人はいない

センダンの実、ナンキンハゼの実

モチの実

川沿いの緑地帯の花壇

この地点で名神高速を潜るが、この辺りは空き地が広くなり公園になっている。

緑化植物園内を流れ、植物園を抜けた昆陽川はJR宝塚線に沿って南下し、高速道路と交わるところで西向きに向きを変える

その地点が久々知川の始まりともいえる。

大きなリサイクルセンターがある。その西側は阪神バス(2年前までの市営バス)のセンター

何度もこの辺りを歩いているので、歩道があることが分かる。

↑JR線 午後の閑散時、快速は塚口が終着駅。通常時、塚口駅は快速通過駅である。

西側に工場がつづくが、ここから川沿いは遊歩道である。終着点は緑化植物園の南側

鵞鳥の列は川沿いがちに冬の旅 寺山修司(1935-83)

花冷や人影もなく遊歩道 中島智椅子

JR塚口駅構内

この辺りは複線と複々線の間 3車線である。駅構内は

5車線くらいありそう。

 

 

 

 

 

武漢

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ぶかんさんちんという言葉が耳に残っている。

ネット事典で一番上の数行をコピーしたつもりが

ながながと、・・・・

大辞林 第三版の解説

ぶかんさんちん【武漢三鎮】

〔「鎮」は都市の意〕 湖北省にある武昌・漢口・漢陽の総称。現在の武漢市に当たる。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

ぶかん‐さんちん【武漢三鎮】

中国の武昌・漢口・漢陽三都市の総称。現在は統合されて武漢市を構成している。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

世界大百科事典内の武漢三鎮の言及

【漢口】より

…中国,湖北省東部の大都市。武昌,漢陽とともに武漢市を形成し,いわゆる武漢三鎮の一つである。漢水が長江(揚子江)に流入する北岸に位置する。…

【漢陽】より

…中国,湖北省東部の重要都市。漢水が長江(揚子江)に流入する南岸にあり,いわゆる武漢三鎮の一つ。現在は武昌,漢口とともに武漢市となっている。…

【武漢】より

…長江(揚子江)と漢江の合流点に位置し,武昌,漢陽,漢口の3都市を合併して成った。古くはこの三つを併せて武漢三鎮と称され,交通の要衝でもあったので群雄必争の地となった。清末張之洞の努力で近代都市の基礎が固められ,新中国成立後,1957年には武漢大鉄橋の完成や,武漢鉄鋼コンビナートの建設により,華中における一大工業基地として発展している。…

※「武漢三鎮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 

 

WHOの成立は、スペイン風邪であろうか?

 

全世界的な公衆衛生や健康に関する最初の国際的機関は、1907年12月に発足した国際公衆衛生事務局である。本部をパリに置いたこの機関は、12カ国が「公衆衛生国際事務局設置に関する千九百七年のローマ協定」[10]に調印することによって発足し、当初はヨーロッパだけを対象としたものだったのが、第一次世界大戦の勃発する1914年までには60カ国が参加するまでになっていた。

 

スペインかぜ: 1918 flu pandemic, Spanish Flu、スペイン語:La pandemia de gripe de 1918、gran pandemia de gripe、gripe española)は、1918年から1919年にかけ全世界的に流行したインフルエンザの通称。アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によるインフルエンザ・パンデミック重度指数(PSI)においては最上位のカテゴリー5に分類される。感染者5億人、死者5,000万~1億人と、爆発的に流行した。

 

 

何方の記述からもスペイン風邪とWHO(の前身)との関連は不明である。

 

世界の市域人口の順位
順位都市名人口 (単位は人)
1重慶中華人民共和国30,220,000
2上海中華人民共和国24,196,800
3北京中華人民共和国21,705,000
4デリーインド16,787,941
5成都中華人民共和国16,074,700
6天津中華人民共和国15,600,000
7広州中華人民共和国14,904,400
8イスタンブールトルコ14,160,467
9深圳中華人民共和国13,026,600
10ダッカバングラデシュ12,797,394
11モスクワロシア12,506,468
12ムンバイインド12,478,447
13カラチパキスタン12,461,423
14テヘランイラン12,223,598
15サンパウロブラジル12,038,174
16ハルビン中華人民共和国10,929,000
17南陽中華人民共和国10,900,000
18武漢中華人民共和国10,892,900
19保定中華人民共和国10,890,000
20石家荘中華人民共和国10,784,600
21周口中華人民共和国10,660,000
22蘇州中華人民共和国10,518,700
23リマペルー10,205,742
24キンシャサコンゴ民主共和国10,125,000
25臨沂中華人民共和国10,110,000
26西安中華人民共和国10,370,000
27徐州中華人民共和国9,766,600
28ソウル大韓民国9,744,888
29カイロエジプト9,656,074
30東京日本国9,644,079

 

市域という概念がむつかしい。

重慶市の市域は北海道の面積に匹敵する。

各引用はWikipediaより。

日本企業160社が進出しているとか。

 通勤圏内都市規模でいえば、東京が世界一。千葉や横浜を含む。

京阪神も世界有数位 14位   武漢は43位

 

ギョリュウバイ

葉はローズマリーに似ている

オーストラリア ローズマリーとも呼ぶ

 

イギリス エコノミスト誌調査

2018年版 世界で最も住みやすい都市ベスト10

1位 ウィーン(オーストリア)

2位 メルボルン(オーストラリア)

3位 大阪(日本)

4位 カルガリー(カナダ)

5位 シドニー(オーストラリア)

6位 バンクーバー(カナダ)

7位 東京(日本)

8位 トロント(カナダ)

9位 コペンハーゲン(デンマーク)

10位 アデレード(オーストラリア)

ドンベヤ

ヤサシイエンゲイ

ドンベヤとは

アフリカ、マダガスカルに200種類以上が分布する常緑性の低木です。花の咲く時期は品種により差がありますが、だいたいが晩秋~春です。花色はピンク、赤、白、紫などがあり小さな花がたくさん集まって直径20cmほどのボール状になり、満開の時は非常にボリュームと存在感を見せてくれます。原産地では庭園樹として利用されることも多いそうです。葉の形は桐の葉に似ており、比較的大きいです。名前はフランスの植物学者ドンベイ(Dombey)にちなみます。

日本ではピンク色の花を咲かせるウォリキー(ウォリッキー 、 ワリチー、ウァリチー)〔D. wallichii〕や白に近い淡いピンク色のバージェッシアエ(ブルゲシアエ)〔burgessiae〕などが出回っています。

画像はウォリッキー

本当に住みやすい街大賞 2018 in 関西 

国内最大手の住宅ローン専門金融機関であるアルヒ株式会社は、
「探す・買う・暮らす」をつなぐ住生活プロデュース企業として、
今まで人々に寄り添ってまいりました。

本当に住みやすい街大賞は、理想ではなく、実際にその地域で“生活する”という
視点から、アルヒのサービスをご利用のお客さまの膨大なデータを元に、本当に住みやすい街を選定することで、
人々の住まい選びの参考になることを目的としたアルヒにしか出来ないランキングになります。

  住環境・交通利便・教育環境・コストパフォーマンス・発展性の5つの基準を設定し、
アルヒの膨大なデータをもとに住宅や不動産の専門家が参画する選定委員会による公平な審査のもと
「本当に住みやすい街」を選定してまいります。

 

一位 JR神戸線  尼崎

二位 地下鉄御堂筋線  本町

三位 JR山陰線  二条

四位 神戸地下鉄 学園都市

五位 阪急伊丹線 伊丹

 

 

駅前マック

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尼崎市内(神社庁登録の)66社は巡ったが、

古墳の上に作られたという伝承が多い。

水堂などはその好例で、後円部に埋葬跡が残されている。

神社訪問の範囲を拡大するつもりはないが、

今日初訪の2社

塚本神社(つかもとじんじゃ)は大阪市淀川区塚本に鎮座する神社

今日は何か行事があったかも。それらしき人が群れを成してお帰りになったあと。

 

西成郡中島村大字塚本村の氏神で、八坂神社と呼ばれた。

  • 延宝5年(1677年)3月の青山大膳の検地で除地とされる。
  • 明治5年(1872年)2月、村社に列す。
  • 明治42年(1909年)6月7日、政令により中津富島神社に合祀される。
  • 昭和36年(1961年)に住民の神社復興の機運が高まる。
  • 昭和37年(1962年)富島神社より分離独立を承諾される。
  • 昭和38年(1963年)7月19日に本殿拝殿が落成。
 
除地:

近世

江戸時代幕府大名より年貢を免除された土地のうち、朱印地・黒印地を除いたものを指す。寺社の境内や、無年貢証文のある田畑・屋敷など特別な由緒のある土地で、従来は検地を受けなかったが、次第に検地のうえ検地帳に除地として登録されるようになった。

町中の神社でも必ずと言ってほど仕事の休み時間に参拝してゆくひとの姿と出会う

神木の2本松。見る角度では交差しているように見える。

↑八坂神社と記すべきであったと思う。

み~散歩~神社仏閣御朱印めぐり」や「みぞかつのぶらり散歩

と題するブログにほぼ同じような画像と共に紹介されている。

インク文字クリックで、当該日のブログへ移動できるはず。

摂社

もう一社は、淀川の土手の上からの画像のみ

こちらの方もWikipediaの解説は簡略

鼻川神社(はなかわじんじゃ)は大阪市西淀川区花川に鎮座する神社。

鼻川(花川)地区に古くから伝わる神社の一つであり、神功皇后が朝鮮半島への遠征の帰りにこの地に立ち寄り、鼻川の地名を命名したとの伝説が残る。そのため、八坂神社系統であるが主祭神として素戔嗚尊だけでなく神功皇后も並列されている。

十三駅を降りて、町中地蔵の画像を集めようと思って

一枚撮ったところで、高齢のご婦人に道を聞かれた。

この辺にコウセイ銀行おまへんやろか。道が変わってしもうて・・・

ここが尼崎市内ならかなり自信をもってあんあいできるが、

東の方をみたら、信用金庫の看板がいっぱい。読み上げていったが違うみたい。

西を見たら木立に隠れて「大阪厚生信用金庫」の縦長の看板がみえた。

あれとちがいまっかァで解決。

で2か所目の辻地蔵のある場所から外れてしまった

 

平成31年 3月大阪市淀川区に十三支店開設

大阪府下26店舗

まっすぐ歩いて十三公園へ

樹が剪定され、草かも刈られている。

 

向い側の北野高校正門前も良く見える

コブシの芽

この辺りで、淀川沿いに姫島まで歩くことに決める。↑コウバン

↑北野高校と小学校との間の道

十三公園の記念碑

このあたりはすでに中津地区(中津村?)であったのか

 

消えた学校、中津第三尋常小学校

中津第三尋常小学校の創立は大正14年3月1日。当初の校舎は現在のハイム北野の西付近にあったらしいです。昭和3年春、校舎を現在の北野高校と新北野第二コーポに分かる地に新築移転。木造二階造りの建築は当時大阪市木造校舎の模範と称せられたとのこと。昭和16年春、成小路国民学校に名を変更され、昭和20年6月空襲のため校舎は全焼、昭和21年4月神津小学校に統合されました。イラストマップの中の北野中学校とは現在の北野高校です。現在の北野高校はここなのですが、敷地形状はかなり変わっています。現在は、ミードの森と北野中学の間を東西に淀川通りができています。イラストにある水路が淀川通りになったわけではないです。中津第三尋常小学校の石碑は十三公園内にあり、向こうに見えるのが、北野高校です。

マップ北野高校

以上は、「十三のいま昔を歩こう」より。

公園沿いのガザニア

四季咲き宿根草

JR塚本駅の標示が見えるあたりで淀川河川敷へ

明日は初天神

 
鈴の緒がひねもす振られ初天神 品川鈴子
 
天神百のともし火またたけり 芝山喜久子
 
天神学問の絵馬恋の絵馬 結城一雄
 
天神隅田渡りてなほ遠し 高橋淡路女
 
天神裏に十枚ほど枯田 堀 古蝶
 
天神の細道むかごほろと落つ 井桁衣子
 
子ども失せ天神さまの泉かな 飯島晴子
 
春日傘お初天神通り抜け 前内木耳
 
東風吹くと天神様へ申上ぐ 鈴村 寿満
 
末社にも初天神の人等かな 青山 友枝
 
我も又初天神の人となり 工藤 隆子
 
嚏して天神の鈴鳴らしけり 林原和枝
 
願ひ事二つありけり初天神 薦田伸子
 
天神友みな遠くなりしかな 星野麦丘人
 
畑姥も初天神の蜜柑売 大谷句仏
 
天神黒き運河を越えて来ぬ 村山古郷
 
天神晩学の願ねむごろに 草村素子
 
束ねたるまま古書を買ふ初天神 久松久子
 
受験の子あれば心に初天神 轡田 進
 
天神石の牛にもコイン置く 渡辺満千子
 
天神太鼓橋より通りやんせ 百瀬ひろし
 
強風に打ち合ふ絵馬や初天神 沖山政子
 
天神絹の匂ひの女かな 柴崎七重
 
雪風や宵天神の橋長く 青水月斗
 
紅すこし初天神といひて濃く 上村占魚
 
今生に父母なく子なく初天神 菖蒲あや
 
天神裏に十枚ほど枯田 堀古蝶
 
亀戸の湯屋のけむりや初天神 加藤松薫
 
ふるさとの初天神に詣でけり 橋本花風
 
杖ついて初天神へ一長者 三木彦兵衛
 
紅すこし初天神といひて濃く 上村占魚
 
長幼の順に天神さま拝す 橋本花風
 
消えがての日陰の雪や初天神 土方花酔
 
御鏡に振る鈴うつり初天神 中田余瓶
 
子ども失せ天神さまの泉かな 飯島晴子
 
そこそこの梅咲き天神下といふ 行方克巳
 
甘酒がバケツに二拝初天神 辻桃子
 
寒一と日初天神といふ日あり 後藤夜半
 

あうちの実

城址去る栴檀の実の坂下りて 星野立子
 
栴檀の万の実揺るる戦没碑 大立しづ
 
栴檀の実に青空のあるばかり 田上 路子
 
栴檀の実に巡りたる札所かな 浜 秋邨
 
京都御所清所門前栴檀微果実 夏石番矢
 
橋白く栴檀に実の多きところ 中村草田男
 
海鳩の群れて栴檀実生る頃 山口誓子
 
栴檀の実に風聞くや石だたみ 芥川龍之介
 
栴檀のほろ~落る二月かな 正岡子規
 
栴檀の実を碧空に冬休 森田峡生
 
栴檀の実のばらつきのすがすがし 都築せつや
 
栴檀の実がよごしたる石畳 石橋秀野
 
栴檀の実落ちし樹下に寄りて足る 石田波郷
 
栴檀の実を喰いこぼす鴉かな 河東碧梧桐
 
栴檀の実を拾はむと矩を踰ゆ 後藤比奈夫
 
栴檀の大き木蔭や神無月 田中裕明 花間一壺
 
栴檀の大樹見あぐるたびに秋 尾林朝太
 
灰汁桶に栴檀の実のこぼれたる 寺田寅彦
 
揚泥に栴檀の実のこぼれたる 寺田寅彦
 
栴檀の実色つきぬ胡蝶隊 横光利一
 
栴檀の実を拾はむと矩を踰ゆ 後藤比奈夫 花びら柚子
 
 

 

 

枯れこる葦

枯蘆の天をこぼれて蘆すずめ 辻桃子
 
枯蘆中すでに枯蘆退路断つ 橋本多佳子
 
枯蘆の光となるは消えぬため 高野ムツオ 蟲の王
 
枯蘆の沖へ沖へと耳立つる 山田みづえ
 
枯蘆や遊んでをれば日が暮れて 大石悦子
 
枯蘆を落ちゆく夕日刈られけり 小林康治 『存念』
 
枯蘆の中より出でて地を測る 中根美保
 
枯蘆の遠きものより夕焼す 山田みづえ
 
枯蘆の日に~折れて流れけり 闌更
 
古利根や枯蘆に日の留まれる 中村千代子
 
翡翠の枯蘆に来て華やげり 久田山海子
 
枯蘆に鶴のたむろのひそかなる 新田 郊春
 
枯蘆や振りかへりゐて風の音 仙田洋子 橋のあなたに
 
枯蘆の遠きものより夕焼す みづえ
 
枯蘆の茫々と艶雪解川 欣一
 
枯蘆やわれを導く星を見つ 朱鳥
 
枯蘆や揖斐の渡舟のなほ存す 帚木
 
枯蘆にしろがねの猫うづくまる 鶏二
 
枯蘆におよぶわづかの日を愛す 敦
 
この風にこの枯蘆に火かけなば 多佳子
 
枯蘆を瞳につめこんでたちもどる 赤黄男
 
枯蘆やうす雪とぢし水の中 木歩
 
枯蘆やたゞ高き日のとゞまれる 木国
 
枯蘆の穂は獣毛と異ならず 誓子
 
枯蘆の中へ~と道のあり たけし
 
枯蘆やされどひらけし景一つ 万太郎
 
枯蘆や西日あかるき穂のなびき 碧童
 
枯蘆やはた~と立つ何の鳥 寅彦
 
枯蘆を刈りて洲崎の廓かな 子規
 
枯蘆や靡きそろひて相摶たず ゐの吉
 
枯蘆の麁相にあける月夜哉 乙二
 
枯蘆や起て戦ふ一しぐれ 淡々 (探題修羅道)
 
枯蘆やしるべして行く雨の声 暁台
 
枯蘆や名をかき寄る潮頭 東潮 (悼芭蕉)
 
枯蘆や低う鳥たつ水の上 麦水
 
枯蘆や夜々に折れ込む鴨の上 素丸
 
枯蘆に沓や残して池の鴨 乙由
 
枯蘆の墨絵に似たる雀哉 荊花
 
枯蘆を手かゝりにして氷哉 北枝
 
枯蘆に傾城町の夕日哉 百里
 
枯蘆の折レ葉ひとつに入帆哉 一晶(遠浦帰帆)
 
枯蘆や朝日に氷る鮠の顔 惟然
 
枯蘆や難波入江のさゞら波 鬼貫
 
枯蘆に鶴の脛そふ洲崎哉 猶存
 
枯蘆に曇れば水の眠りけり 阿部みどり女
 
枯蘆の支へあひつつ立ちにけり 中杉隆世
 
枯蘆やわれを導く星を見つ 野見山朱鳥
 
枯蘆に曇れば水の眠りけり 阿部みどり女
 
枯蘆やわれを導く星を見つ 野見山朱鳥
 
枯蘆の遠きものより夕焼す 山田みづえ
 
枯蘆やはたはたと立つ何の鳥 寺田寅彦
 
枯蘆に蠣殻捨てし漁村かな 青嵐
 
枯蘆や川を乱りて渡すべく 坂本四方太
 
枯蘆に岸の椿や隅田ほとり 喜谷六花
 
枯蘆の日に日に折れて流れけり 高桑闌更 (らんこう)(1726-1798)
 
枯蘆や網を干したる河の岸 寺田寅彦
 
枯蘆やはた~と立つ何の鳥 寺田寅彦
 
枯蘆や朽ち盡したる澪標 寺田寅彦
 
枯蘆や白き鳥一羽舞ひ下りる 寺田寅彦
 
枯蘆の沖へ沖へと耳立つる 山田みづえ
 
枯蘆の遠きものより夕焼す 山田みづえ
 
この風にこの枯蘆に火かけなば 橋本多佳子
 
風の中枯蘆の中出でたくなし 橋本多佳子
 
枯蘆の大明りとも立ち尽くす 手塚美佐
 
枯蘆に風吹くかつてここに立ちし 奥坂まや
 
枯蘆やぽつぽつと雀飛び出たり 北原白秋
 
枯蘆に晝のちかづく仄かなり 松村蒼石 雪
 
枯蘆の微塵もとめず吹きなびく 松村蒼石 露
 
枯蘆の中とゞまらず夕日落つ 石井とし夫
 
枯蘆の川わかれゆく波紋あり 斉藤夏風
 
枯蘆に庭の紅梅香ぞいどむ 竹下しづの女句文集 昭和二十三年
 
枯蘆やされどひらけし景一つ 久保田万太郎 流寓抄
 
枯蘆の日にかゞやけるゆくてかな 久保田万太郎 流寓抄
 
枯蘆の日に日に折れて流れけり 高桑闌更

 

ナズナの花

薺にもいくつか種類があるよう。
河川敷に球場いくつ花薺

島という地名の多しカイツブリ

春浅し駅前マックの込み合って

阪神電車尼崎駅前のマックでダブルチーズバーガー。初めてキャシュレス支払い。

 

 

 

蠟梅

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先週から蠟梅が咲き始めているのは知っていたが、かっこうの被写体を見つけられないまま1週間。

我が家の道を隔てた園芸好きなお家の庭。塀越し。

ロウバイ(蝋梅、蠟梅、臘梅、唐梅〔カラウメ〕、Chimonanthus praecox)は、クスノキ目ロウバイ科ロウバイ属に属する中国原産の落葉樹である。早生種では12月頃に、晩生種でも2月にかけて半透明でにぶいツヤのある黄色く香り高い花がやや下を向いて咲く[1]。果実は痩果で一見すると種子に見え、花床が発達した壺状の偽果に数個~10個程度見られる。ロウバイ属には他に5種があり、いずれも中国に産する。なお、ウメは寒い時期に開花し、香りが強く、花柄が短く花が枝にまとまってつくといった類似点があるが、バラ目バラ科に属しており系統的には遠縁である。

外出の折には、道を隔てて眺めているが、遠目には満開感はなかった。

近寄ればやはりいい香りがする

蝋梅の安房に身を寄せ去年今年 角川源義 『西行の日』
 
蝋梅や隠るるごとく安房に来し 角川源義 『西行の日』
 
蝋梅の香が勝つてをり初稽古 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺
 
蝋梅の黄を重態と言いぬ 佃悦夫
 
蝋梅や枝疎なる時雨空 芥川龍之介 我鬼句抄

蠟梅では文字化けして「俳句検索」利用できない。

蝋梅で検索した結果は5句のみ。

筆まか勢さんのブログ頼り

山のように出て来る

ほとけ恋ひゐて臘梅の一二りん 鷲谷七菜子 天鼓
バス見えてきて臘梅の下離る 窪田久美
一草庵臘梅の香が日だまりに 池内けい吾
乞ふ臘梅この家夫妻も老いてをり 及川貞
人去りて臘梅の色ひそかなり 藤松遊子
咲きつゞく臘梅にある寒の日々 高木晴子 花 季
日当りてゐる臘梅に人声す 鈴木貞雄
替る替る臘梅に鼻持ってゆきぬ 高澤良一 寒暑
朱印帳ひらく臘梅匂ひけり 芳内喜和子
枳殻のなかも臘梅明りして 高澤良一 さざなみやっこ
歩み来て臘梅はたと眉の上 岸本尚毅 鶏頭
沖のみの晴れて臘梅くらみたる 角川春樹
涸れきつた父よ臘梅から朝日 伊藤 和
生きて会ふ地震一年の臘梅に 五十嵐 櫻
祖師堂まで臘梅いろの雨の径 高澤良一 さざなみやっこ
税や憂し臘梅枝垂れ枝垂るゝに 千葉静代
能楽堂出て臘梅の香に佇てり 加古宗也
臘梅が咲き歳月の流れだす 家里泰寛
臘梅と幾度も答へ淋しき日 阿部みどり女 『石蕗』
臘梅につめたき鳥の貌があり 岸本尚毅 鶏頭
臘梅に中世の闇水の闇 秦夕美
臘梅に声の不思議は鴨のこゑ 森澄雄 鯉素
臘梅に天冥きまで瑠璃きはむ 原柯城
臘梅に夫婦二組佇める 高澤良一 ねずみのこまくら
臘梅に息を濃くしてねむりおつ 渋谷道
臘梅に日の美しき初箒 遠藤梧逸
臘梅に日は密々の寺門脇 高澤良一 鳩信
臘梅に聴く風の音涛の音 青柳志解樹
臘梅に訪へば尼僧も雪安居 長谷川久代
臘梅に雨待ちわぶるこころあり 松村蒼石 雁
臘梅のいろに等しきかと思ふ 岡井省二
臘梅のいろの溶けゆく山日和 板谷芳浄
臘梅のかをりやひとの家につかれ 橋本多佳子
臘梅のこぼれやすきを享けにけり 林登志子
臘梅のこぼれ日障子透きとほす 菅裸馬
臘梅のつばらかに空凍てにけり 石原舟月 山鵲
臘梅のつりがね花に落ちゆく日 高澤良一 ぱらりとせ
臘梅のどこがどう透けゐるのやら 後藤立夫
臘梅のどこより老いてゐたるかな 秋山巳之流
臘梅のめでたきいろに近づきぬ 岡井省二
臘梅の何處か見たいろ爪のいろ 高澤良一 宿好
臘梅の匂ふや金地曼陀羅絵 矢野宗律
臘梅の匂ふ襖を開けて入る 本多 勝彦
臘梅の咲きうつむくを勢ひとす 皆吉爽雨
臘梅の咲くゆゑ淡海いくたびも 森澄雄
臘梅の嫌ふ日向をきらひけり 高澤良一 ねずみのこまくら
臘梅の実におやおやと人の倚る 高澤良一 寒暑
臘梅の影のたしかに了りけり 吉田紫乃
臘梅の花くたくたとなってをり 高澤良一 素抱
臘梅の花にある日のありとのみ 長谷川素逝 暦日
臘梅の花にとどまりかすかな日 長谷川素逝 暦日
臘梅の花のつくせる日なたかな 長谷川素逝 暦日
臘梅の落す雫に香りあり 川上朴史
臘梅の蕾の数が花の数 倉田 紘文
臘梅の角ばる花の分光器 高澤良一 さざなみやっこ
臘梅の鏡に向きて開きけり 後藤恵子
臘梅の雪すぐ熄めど雪見酒 石田あき子 見舞籠
臘梅の香に終焉の庵あり 辻口静夫
臘梅の香の一歩づつありそめし 稲畑汀子
臘梅の香の張り詰めてゐる蕾 水田むつみ
臘梅の香の絶頂の一笛師 吉田紫乃
臘梅の黄の明るさの先に海 水田むつみ
臘梅はひそやかにこそ匂ひ立つ 高木晴子 花 季
臘梅はもつと淋しい花の筈 飯島晴子
臘梅は挫けぬために匂ふ花 伊予田由美子
臘梅へ近づく星を見てゐたり 神山冬崖
臘梅も了りと窶れしこゑにいふ 高澤良一 さざなみやっこ
臘梅やいつか色ます昼の月 有馬朗人 天為
臘梅やかがやきいでし山の雲 瀧春一
臘梅やこの世の塵をはや浮べ 鈴木貞雄
臘梅ややはらかき手を鍵盤に 仙田洋子 雲は王冠
臘梅や不二にも重き空の青 三田逃水
臘梅や人の話の聞こえきて 山西雅子
臘梅や人待つならば死ぬるまで 藺草慶子
臘梅や僧来て宙をかきまはす 平井照敏 天上大風
臘梅や夢に冷たく泣かされし 対馬康子
臘梅や夢の山みな古墳型 渋谷道
臘梅や嫗と呼ばれよき年よ 阿部みどり女
臘梅や捧心の阿嬌欄に*よる 日夏耿之介 婆羅門俳諧
臘梅や日輪雲のなか進み 藤本草四郎
臘梅や時計にとほき炬燵の間 室生とみ子
臘梅や書屋即ち父の城 大橋敦子 手 鞠
臘梅や朴訥として気付かれず 和田悟朗
臘梅や枝まばらなる時雨ぞら 芥川龍之介
臘梅や樅をはなるる風の音 古館曹人
臘梅や死が忍び足でやってくる 楠本憲吉
臘梅や水に入る巌うつくしき 長谷川 櫂
臘梅や痩文字一生つらぬくか 寺田京子
臘梅や繭ごもる灯が山あひに 柴田白葉女 『月の笛』
臘梅や薄雪庭を刷きのこす 水原秋桜子
臘梅や運河を渡る友二の葬 鳥居美智子
臘梅や鉄の臭ひの埋立地 笹本カホル
臘梅や鐘つきたがる子供たち 山西雅子
臘梅や雪うち透かす枝のたけ 芥川龍之介
臘梅をいけて無骨な床柱 京極杞陽
臘梅を剪る蒼天に梯子架け 堀口星眠 営巣期
臘梅を十まで数えまろき鳩 河合多美子
臘梅を無口の花と思ひけり 山田みづえ
臘梅を見上ぐる浄智寺御門前 高澤良一 素抱
臘梅を透けし日差の行方なし 後藤比奈夫 花匂ひ
酒蔵に天窓ひとつ素心臘梅 伊藤敬子
長命は退屈臘梅に目を向けて 阿部みどり女 『石蕗』

蠟梅 補遺

この春は黒臘梅を見て終る 後藤比奈夫
ひともとの蝋梅の花ばかりかな 岸田稚魚 紅葉山
ほとけ恋ひゐて臘梅の一二りん 鷲谷七菜子 天鼓
ゆふべなかりし臘梅の湖月夜 岡井省二 五劫集
偸生(とうせい)と言ふか臘梅ぐしやり萎ゆ 佐藤鬼房
共に老いる蝋梅も水位より低く 橋閒石 風景
咲き遅れたる臘梅の面映ゆげ 佐藤鬼房
唐梅や粗雑嫌ひを一家言 秋元不死男
枕頭に臘梅庭は雪しろし 水原秋櫻子 餘生
満月といふ臘梅の昼の色 後藤比奈夫
煦々と剪る臘梅一枝水のうへ 岡井省二 鹿野
素心臘梅女人になぞへ齢いくつ 森澄雄
臘梅と湖と机と夜明けたり 岡井省二 五劫集
臘梅と顔にちからを入れていふ 飯島晴子
臘梅になおしばらくは痩せゆくか 橋閒石 虚 『和栲』以後(I)
臘梅になく人々に後遺症 後藤比奈夫
臘梅に声の不思議は鴨のこゑ 森澄雄
臘梅に女主の匂ひけり 後藤比奈夫
臘梅に死者の書の山晴れきらぬ 鷲谷七菜子 一盞
臘梅に白杖の音残るなり 飯島晴子
臘梅に雨待ちわぶるこころあり 松村蒼石 雁
臘梅のいろに等しきかと思ふ 岡井省二 有時
臘梅のめでたきいろに近づきぬ 岡井省二 山色
臘梅の咲きかかりゐて蕾がち 清崎敏郎
臘梅の咲くゆゑ淡海いくたびも 森澄雄
臘梅の差しゐる雪の上の影 阿波野青畝
臘梅の日向を栗鼠の走りけり 亭午 星野麥丘人
臘梅の淡海みづかねいろのとき 岡井省二 有時
臘梅の色香塒の水のうへ 岡井省二 鹿野
臘梅の花にある日のありとのみ 長谷川素逝 暦日
臘梅の花にとどまりかすかな日 長谷川素逝 暦日
臘梅の花のつくせる日なたかな 長谷川素逝 暦日
臘梅の花の黄人の心透く 後藤比奈夫
臘梅の花臘梅の花を透かす 後藤比奈夫
臘梅の花透けてゆく咲きし順 後藤比奈夫
臘梅の落葉生命線透かす 後藤比奈夫
臘梅の薄き日ざしのままに暮れ 鷹羽狩行
臘梅の薄日ともなく透す花 後藤比奈夫
臘梅の蝋といふ字を書き正す 安住敦
臘梅の透けていのちの限りの黄 後藤比奈夫
臘梅の香をためてゐし日向あり 稲畑汀子
臘梅はもつと淋しい花の筈 飯島晴子
臘梅やいつか色ます昼の月 有馬朗人 天為
臘梅やきのふにかはる日の在り処 燕雀 星野麥丘人
臘梅やたましひに色ありとせば 鷲谷七菜子 一盞
臘梅や僧来て宙をかきまはす 平井照敏 天上大風
臘梅や奈良にしあればほとけ雨 藤田湘子 てんてん
臘梅や妻を大事な人と呼び 上田五千石『天路』補遺
臘梅や樅をはなるる風の音 古舘曹人 砂の音
臘梅や死が忍び足でやってくる 楠本憲吉 方壺集
臘梅や母の忌あそぶ日としたり 森澄雄
臘梅や若餅を搗く寺の庭 森澄雄
臘梅や薄雪庭を刷きのこす 水原秋櫻子 古鏡
臘梅をの梅のごとく挿す 後藤比奈夫
臘梅を老梅と書く花屋は駄目 藤田湘子 てんてん
臘梅を見て湖を見て闘鶏よ 岡井省二 猩々
臘梅を透けし日差の行方なし 後藤比奈夫
蝋梅の咲いてゐるなり煤の宿 百合山羽公 春園
蝋梅の安房に身を寄せ去年今年 角川源義
蝋梅の色の覗ける障子かな 岸田稚魚 紅葉山
蝋梅の花の煤けて了りけり 百合山羽公 春園
蝋梅や*そのの長浜うしろでに 角川源義
蝋梅や隠るるごとく安房に来し 角川源義
蝋梅を無口の花と想ひけり 山田みづえ 木語
飼ひ猫が盗みに入る日の盛り 佐藤鬼房
黒臘梅には生れつき茶の心 後藤比奈夫

 

窪田久美は青玄作家だが、すでに青玄作家ではなくなっている。文語的表現であるが、7・7・3の仕立てで

僅かに現代俳句的仕立てになっている。

その少し後に登場する伊藤和も現代俳句作家で、仕立てに工夫がある。

「蠟梅や」で詠むとどうしても後は7・5になってしまう。

緑化植物園の定例行事に参加

毎回参加したいと思いながら他の会合などのため、参加は年に2、3度だが

いつもボランティア・ガイドの熱心な準備と初々しい説明に感心している。

評判を聞きつけてか、年と共に参加者が増えている。今回も40人を越えていたように思う。

ネズミも登場とは、ネズミモチとトウネズミモチの違いの説明が中身。

火焔木

カエンボク(火焔木) 、学名 Spathodea campanulata は、ノウゼンカズラ科に分類される花木。ジャカランダホウオウボクとあわせ世界三大花木と称される。

ノウゼンカヅラに似た雰囲気がある

高木になるようだ。

エリカは低温好きだが、まだ本来の姿ではない。

エリカひっそり寒い八月の岩陰に

花エリカ寒いムアーの岩陰に

ダートムアでの思い出。

緑化植物園の事務棟内の展示

市の皐月同好会の会員の作品。アルミ製品。色は吹き付け。町工場で養った技術を利用とか。

あたらしい芸術分野と思う。

小型の作品を貰った

 

 

 

 

 

ノボロギク

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自家消費用だろうが冬もの野菜好調  ミズナ

ミブナ↓ ↑菜の花か?

ダイコン

蕪も植えられていた。 いずれも家から一番近くにある畑。というより年間休むことなく利用されている田圃。

ノボロギク(野襤褸菊、学名Senecio vulgaris)は、キク科の越年生または一年生の広葉雑草

和名は「野に生えるボロギク」の意で、ボロギクとはサワギクのこと。オキュウクサタイショウクサともいう。

食用にはならないと思う。薬草として利用されたこともあるようであるが、他の毒素により今では利用されていないよう。

は中空で、高さ20から40cmに直立、多数に分枝してを形成する。はうす緑色 - 赤紫色

子葉は長楕円形で、葉先はややとがる。成互生し、不規則に羽状の切れ込みがある。色は濃緑色で厚く、表面にははほとんどない。長さ3 - 5cm、幅1 - 3cm。

開花は通常5 - 8月、温暖な地域では一年中。は1cm程度の頭状花序で、黄色筒状花だけの花をつける。

種子は長い白色冠毛を持ち、風にのって飛散し、繁殖する。

 

新芽の緑が独特の色合い。

みごとなロゼット  アメリカオニアザミ

今日のヒメリュウキンカ

例年より少し遅れているかも。テリトリーは拡大している

枯野の中では目立つ

草地で目立つのは他にはカラシナの株、ぎしぎし

初霜は裏羊蹄の翳に踏む 古舘曹人
 
羊蹄花や仮橋長き干拓地 山田みづえ
 
羊蹄の花にパレード通るなり 大隅 草生
 
羊蹄花や出水の泥にまみれ咲く 佐々赤竹
 
羊蹄花や崖に張りつく海人の家 榎本栄子
 
羊蹄や利根の流れの痩せしとも 大槻久美
 
羊蹄に石摺り上る湖舟かな 杉田久女
  
羊蹄(ぎしぎし)は世に多がほの枯野かな 野澤凡兆

 から

羊蹄や利根の流れの痩せしとも/大槻久美

羊蹄花や出水の泥にまみれ咲く/佐々赤竹

羊蹄花や崖に張りつく海人の家/榎本栄子

ぎしぎしや雀隠れの穂をあげし/吉岡禅寺洞

ぎしぎしの堤に育つマンシヨン棟/藤田芳弘

ぎしぎしの枯れざま海は荒れ模様/高澤良一

ぎしぎしの花のはにかむ信濃かな/青柳照葉

ぎしぎしの錆びを蜻蛉の貰ひけり/高澤良一

ぬきん出てぎしぎし高し小田の畦/高瀬夢生

ぎしぎしの穂の立ち錆びし浅蜊掘り/遠藤梧逸

ぎしぎしに西日の刺さる忌もありぬ/蓬田紀枝子

トロッコ道ぎしぎしばかり鳴りにけり/影島智子

ぎしぎしの花咲きほうけ咲きほうけ/伊谷/詢子

ぎしぎしや困つたことがあれば言ヘ/夏井いつき

麦を追ひぎしぎしなども長けてゆく/相生垣瓜人

↑などはぎしぎしではなくスイバであるように思うが、齧ってみる勇気がないので判断できない。

さすがにミゾソバの姿はなくなった。

道の真ん中のエノキの古木

ここが旧の街道であった名残に思える。

直ぐそばに小さな公園

ポンプ

夏に、孫と一緒にポンプを押して遊んだ。毎年のように。

街道は阪急神戸線の開通後利用価値がなくなったのでは

この先は神戸線の鉄路で、横断できない。

 

 

 

 

 

 

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