気になるお家なので、以前にも画像紹介したことがあるが、
久しぶりに通りかかると実をいっぱいつけた蔓に気付いた。
↓こんな花が咲くらしいが、私が見たのは実。
フィカス・プミラは班入りのものが小鉢植えで出回っているようである。
観葉植物であるが、花も実も豪華である。クワ科植物。
この家(社長宅兼本社事務所のよう)に初めて遭遇したとき、
もう一つは私自身が園芸をやっていて、ジャスミン、オーシャンブルー、モッコウバラいずれも成長して道行く人に称賛されるようになると、処分せねばならないと感じ始めるが、その理由は家の壁に枝や葉が沿いはじめるときであるからである。
このお家は、もちろんモルタル壁ではないだろうが、大丈夫なのだろうかと心配。窓も一部その機能に障害が出始めているように思える。
しかし通行人として眺めるには素敵な風景である。
昨日は、久しぶりに芦屋川駅に下車。
下車後徒歩5分の市の文化ホールが目的地であったので、その間の芦屋川沿いの風景。
大阪と神戸をつなぐ(国道2号線 国道43号線、阪神高速湾岸線より山側を通る)第4の道路である、山手幹線は、計画してから全線開通するまでかなりの期間を要した(尼崎市内は早くから幹線道路として利用されていた)が、
この部分、芦屋川の下をくぐるトンネル工事も延引理由のひとつであった。
↓
この前、隣接のルナホールに来たのは、同じく俳句仲間に誘われた、「7人の大統領に仕えた執事」の試写会の折。いい映画であった。ケーブルテレビで何度も再演されている。
↑俳句仲間の作品 50年のお付き合いである。90歳を超え、御主人はひとりで先に介護施設入りをなさった。
20年前、住んでいた家が全壊。その時点で70歳を超えていたため、借家探しに苦労したという話を聞いている。
その後娘さん夫婦が近くに住む芦屋の山手のマンションでの生活を再開。
この日も娘さんが受付などの業務を手伝っておられた。
その娘さんの息子さんの句が、「お~いお茶」に採用されて、
我々もペットボトル1本の寄贈を受けた。
そんな機会が他にも2,3度ある。
(一度は作者の年齢が10歳若く記載されていたので、騒ぎになった)。
ワイフの句が採用された時には、私たちも賞品で貰える掲載ボトル1ケース以外に数ケース買い足した経験がある。
芦屋川駅には大学生の時代に、週2回下車していた。
私の通った中高の後輩の家庭教師として。
上↑に見える芦屋カトリック教会の傍の地下道をくぐって浜芦屋町のテニスコートあたりまで歩いて通った。
大学へ入学するや否や、高校の同級生で、所属クラブ(テニス部)も一緒であった友人に、その年中学に入学したばかりの弟の世話を頼まれた。
この年、同級生150人余の半分くらいが浪人生となった。
現役進学者も多くが東京の大学へ進学したために芦屋の近くで、家庭教師を頼める者が私しかいなかったからかも。
近来稀な不出来な学年という「定評」が学内にあって、国立1期校への進学者が極端に少なく、東大合格者は0だった。
↑芦屋川沿いに「林立」していたこのような和風建築はほとんどすべて姿を消した。
↓のようなものに姿を変えている。この店は一度利用したことがある。
芦屋駅前 ホトトギス3代句碑。4代目のものを彫り加えるかどうか?
この句碑は芦屋市のHPの観光案内も掲載されている。
以下は山村裕という人のHPから
芦屋川ぞいの小さな月若公園付近は、かって近くに俳人・高浜年尾 (高浜虚子の長男)の家もあり、俳人高浜虚子主宰の「ホトトギス」ゆかりの地でもある。 月若公園に芦屋川の春を読んだホトトギスの親子三代句碑がある。

咲きみちてこぼれる花も無かりけり 虚子
六甲の端山(はやま)に遊び春隣 年尾
日に慣れし花の明るさつづきをり 汀子
六甲の端山(はやま)に遊び春隣 年尾
日に慣れし花の明るさつづきをり 汀子

因みに、年尾の娘稲畑汀子も芦屋市の自宅隣に「虚子記念文学館」を開設している。
大阪の忠岡町(日本一小さな町がCF)のHPによれば、3代句碑はここ芦屋以外に、忠岡町、九州の筑紫野市にもあるらしい。
UP後、上掲の3句目、「日」は「目」が正しいと読者から訂正が入った。
大阪の忠岡町(日本一小さな町がCF)のHPによれば、3代句碑はここ芦屋以外に、忠岡町、九州の筑紫野市にもあるらしい。
UP後、上掲の3句目、「日」は「目」が正しいと読者から訂正が入った。