行政上は尼崎市に東富松川は存在しない。
庄下川の上流とみなされているが、
今でも旧の東富松川にかかる橋には、橋名とともに、川をひがしとまつがわと記すものが沢山のこっている。
同様に、久々知川は今では昆陽川の延長線とみなされているようだ。
左側が庄下川の本流。灯台の右側から庄下川へ流れ込む(合流する)川はかつては久々知川と
呼ばれたが今では昆陽川。
ほんの少し上流では尾浜公園の南側を流れている。
尾浜公園の池の水も久々知川へ流れ込む
橋には久々知川という表記が残っている。
両岸は桜並木
水路は狭いが両岸までの幅は結構広い。↑大きな樋門が残っている。
左岸は工業地帯で、小さな鉄鋼関係企業が並ぶ。
メキシコセージ(アメジストセージ) 花期が長い
樋門
上坂部川の合流地点 ここからが久々知川と言える。かなり広い広場になっている。
ただしこんな小屋があるので、普通の人は足を踏み入れない
かつては人が住みこんでいたかも。鉄材が集められている
町中で集めて、近くの工場で買い取ってもらっていたのか
河川法違反だから除去立ち退くように命じる勧告文
永く放置されているというよりかなり新しいものが目立つ
一般家庭から出たらしきもの以外に企業から出たような部品らしきものもある。
↑の橋は封鎖されていて通れないが、墓地に繋がっている。
道は広いが車の通りは少ない
尼崎市の他の川辺には無い脱都会的雰囲気が漂う。
水量はこの季節は少ない。昆陽川の水だけ
- 同病や足蹴もて起つ冬の草 中原道夫
- 裾すこし冬の草ある砂丘かな 大石暁座
- 荷車を曳く冬の草見続けて 斎藤夏風
- 病む三鬼杖にてさぐる冬の草 沢木欣一
- 青といふ色の靭さの冬の草 後藤比奈夫
- 神垣に沿ふて小さき冬の草 関 秀穂
- 口癖は「大人になれば」冬の草 高野万里
- 日に月にまことを尽し冬の草 長谷川双魚 『ひとつとや』
- くれなゐの巫女の歩めり冬の草 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
- 秘密なきふたりといへず冬の草 大木あまり 雲の塔
- くれなゐの巫女の歩めり冬の草 長谷川秋子
- 冬の草眼に見あるけば限りなし 原 石鼎
- 母長寿たれ家裾に冬の草 大野林火
- 母長寿たれ家裾に冬の草 大野林火
- 枕木の井桁に組まれ冬の草 平子公一
- 只今の草の穂絮の覚束な 佐々木六戈 百韻反故 冬の皺
- 冬の草幻住庵をおとなへば 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
- 冬の草眼に見あるけば限りなし 原石鼎
- 冬の草太根真白に持ちてをり 菅裸馬
- 塚原や日はつれなくも冬の草 馬光 (はせを忌)
- 母長寿たれ家裾に冬の草 林火
- 冬の草眼に見あるけば限りなし 石鼎
- 城壁の罅をつゞりて冬の草 田村木国
- 血を頒けて少し風ある冬の草 廣瀬直人
- 崖までの枕木にして冬の草 中田剛 珠樹
- 母長寿たれ家裾に冬の草 大野林火
- 戦死より情死が赤し冬の草 矢島渚男
- 秘密なきふたりといへず冬の草 大木あまり
- 秘密なきふたりといへず冬の草 大木あまり
- 術後のわれ冬の空地の草でよし 栗林千津
- 冬の草近しものぐさ太郎読む 斉藤夏風
- 荷車を曳く冬の草見つづけて 斉藤夏風
- 身をよする冬の朝日の草のいほ 炭 太祇 太祇句選後篇
- 病む三鬼杖にてさぐる冬の草 沢木欣一 地聲
- 青といふ色の靭さの冬の草 後藤比奈夫 金泥
- 日に月にまことを尽し冬の草 長谷川双魚
山中の川辺のよう
散歩で歩いている人はいない
センダンの実、ナンキンハゼの実
モチの実
川沿いの緑地帯の花壇
この地点で名神高速を潜るが、この辺りは空き地が広くなり公園になっている。
緑化植物園内を流れ、植物園を抜けた昆陽川はJR宝塚線に沿って南下し、高速道路と交わるところで西向きに向きを変える
その地点が久々知川の始まりともいえる。
大きなリサイクルセンターがある。その西側は阪神バス(2年前までの市営バス)のセンター
何度もこの辺りを歩いているので、歩道があることが分かる。
↑JR線 午後の閑散時、快速は塚口が終着駅。通常時、塚口駅は快速通過駅である。
西側に工場がつづくが、ここから川沿いは遊歩道である。終着点は緑化植物園の南側
鵞鳥の列は川沿いがちに冬の旅 寺山修司(1935-83)
花冷や人影もなく遊歩道 中島智椅子
JR塚口駅構内
この辺りは複線と複々線の間 3車線である。駅構内は
5車線くらいありそう。