カタバミ類は一年中花が絶えないが、それぞれ盛期がある。
ハナカタバミは今が盛期か
家の近辺や庄下川沿いでは見られない。
佐璞丘公園の伊丹市側の入り口というか住宅地との境目あたり。
佐璞丘公園は自然林を再生中、発掘も中断中か
猪名寺廃寺跡地でもある。
ウィキペディア:
猪名寺廃寺跡(いなでらはいじあと)は、兵庫県尼崎市猪名寺にある、飛鳥時代から室町時代にかけて存在した仏教寺院遺跡。猪名寺の地名の由来となった寺院跡である。
藻川西岸の洪積台地上、現・佐璞丘公園(さぼくがおかこうえん)[1]に位置する。
昭和33年(1958年)までの発掘調査の結果、東に金堂、西に五重塔、これらを回廊が囲む伽藍配置が法隆寺とほぼ同等の寺院であった。 川原寺式軒瓦など出土した瓦片から、創建時期は飛鳥時代後期の白鳳時代とされる。同様に出土した埴輪類から、寺院建立以前に古墳や住居が存在していた可能性も推定されている。
伽藍は天正6年(1577年)の荒木村重と織田信長の戦乱により焼失し、廃寺になったと推定されている。
同様に古くからあり、宝暦7年(1756年)に廃寺跡一画に再興された法園寺が猪名寺であったとする説もある。
法園寺
↑右側に猪名野神社元宮がある。
永く放置された射た気配
鳥居と本殿のあいだに大きなエノキが生えている
猪名川の西岸から昆陽〔こや〕にかけての高燥な台地一帯を総称して、古くは猪名野といい、いまも伊丹市内の稲野や尼崎市域の猪名寺などにその名が伝えられています。この猪名野は、王朝貴族の世界では、和歌の名所〔などころ〕、いわゆる歌枕の地として有名で、多くの和歌に詠まれてきました。そのいくつかをあげてみましょう。
しなが鳥 ゐなの伏原〔ふしはら〕とびわたる 鴫〔しぎ〕の羽音面白きかな
神楽歌(「拾遺和歌集」巻十)
有馬山 猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
大弐三位〔だいにのさんみ〕(「後拾遺和歌集」巻十二)
しなが鳥 ゐなのふし原風さえて 昆陽の池水こほりしにけり
藤原仲実(「金葉和歌集」巻四)
このうち、大弐三位の歌は「小倉百人一首」にも撰録されており、とくに有名です。これらの和歌において、猪名野は、笹が生いしげる荒野であり、かつ風が吹きすさび、氷が張りつめるなど、荒涼寂寞〔せきばく〕としたイメージを込めて、「猪名の笹原」「猪名の伏原」「猪名の柴原〔ふしはら〕」などと詠まれたのでした。猪名野は、伊丹段丘〔だんきゅう〕と呼ばれる台地上に位置し、未開の荒野が多く存在したので、このように詠まれたのもあながち理由のないことではありません。
けれども、歌枕における猪名野の荒涼寂寞とした情景やイメージは、作歌上の約束ごと(前提)であって、必ずしも実景とイコールではないのです。歌枕の作歌上のもっとも重要な特色のひとつは、実景を直写することではなく、その地名について、これまでに詠まれてきた情景・イメージの表現パターンを固定し、その枠組みのなかで、いかに巧みにアレンジして詠むかという点にありました。したがって、作歌に際して修辞と技巧を凝らせば凝らすほど、ますます実景(現実)から遠ざかり乖離〔かいり〕するという要素も持っていました。
↑
尼崎郷土史研究会 図説尼崎の歴史より
現地で廃寺跡を示す唯一のもの。この礎石しか写すものがない。廃寺跡としては。
- 若菜摘む女に礎石のみの城 有馬朗人
- 北門のころげ礎石や末枯るゝ 野村喜舟
- 礎石やや高きにあれば登りけり 向野楠葉
- 夏草のかげの礎石にたちくらみ 原 裕
- 礎石よりけぶらひ立てる夏の蝶 原 裕
- 塔礎石いまも埋れず花なづな 桂樟蹊子
- 梅探りつゝ天平の礎石まで 徳永 球石
- 小守宮の礎石に雨が降れば出る 富永 花鳥
- 茎立のかこめる礎石あたゝかく 宮野 寸青
- 華鬘草塔の礎石に及びけり 加藤三七子
- 礎石よりけぶらひ立てる夏の蝶 原裕 『青垣』
- 夏草のかげの礎石にたちくらみ(毛越寺) 原裕 『青垣』
- 芭蕉泊つ形見の礎石露けしや(羽黒山南谷) 角川源義 『冬の虹』
- 青野来て礎石の大に安んずる(上総国分寺) 角川源義 『神々の宴』
- 秋草に礎石十二ありみなひかる 加藤楸邨
- 天平の礎石に置ける夏帽子 小島和子
- 礎石たち大地の春の音を聴く 狹川青史
- 影さへも亡び炎天の幾礎石 林 翔
- 天平の礎石かげろふ経楼趾 篠田 幸子
- とびとびの夢の礎石や若菜摘む 加藤三七子
- うららかや礎石に生るる日の柱 上田日差子
- ウェストン碑礎石をめぐる山清水 岡部義男
- 礎石巨きこれに円柱惜春夢 山口青邨
- げんげ田に残りて亘き礎石かな 石井桐陰
- 冥みつつ礎石の数やきりぎりす 岸田稚魚
- 礎石よりたちて鹿なりかげろへる 亀井糸游
- 葭切や礎石に省く石もなし 伊藤敬子
- 寒見舞礎石を伝ふ松の奥 山本洋子
- 旅人も礎石も雪も降り昏るゝ 竹下しづの女句文集 昭和十三年
- 茅(ち)萠え芝青み礎石にかしづける 竹下しづの女句文集 昭和十三年
- 茅に膝し巨き礎石の壁に触る 竹下しづの女句文集 昭和十三年
- 青野来て礎石の大に安んずる 角川源義
今回はJR猪名寺側からではなく、伊丹市側からこの地を訪問
鬱蒼とした自然林の前の空き地のような場所
↑木陰になった部分
松江の花図鑑:
多年草
南アフリカ原産。江戸時代の末以降で鑑賞用に渡来し、四国、九州などの暖地で野生化している。根茎の先にできる紡錘形の塊茎から長さ15cmほどの柄のある、倒心形の3小葉からなる葉を数本だす。葉の裏面はやや白色を帯び、葉柄や花茎に微毛が密生する。葉の間から長い花茎を出し、直径3cmほどの淡紅色の5弁花を10個ほどつける。花期は夏〜秋。(日本帰化植物写真図鑑)
尼崎市内ではまだ金木犀が匂わない(咲かない)。異常事態。