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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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毛馬の閘門

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毛馬と言えば蕪村。↑は毛馬橋東詰の場所にある公園 その名も蕪村公園

公園のメインの部分は道路の北側

右手に流れる川は大川↓  天神祭の行われる方へながれてゆく

木立は蕪村公園の南端部分

橋の名は毛馬橋

けまばしと表記

毛馬=蕪村といった説明板

公園の東側に神社  淀川神社

無住社ではない。

神社の由緒

当社の創建年代は詳細不詳ですが、旧摂津国東成郡友淵村(現在の毛馬町1丁目)に鎮座。平安朝の初期或いはその以前より友淵の地名が見え、口伝等によれば淀川河口に海賊を取締るための役人が配備され、それらの役人により全国の名だたる十五柱の神々を守護神として祀り、その名も十五神社と呼ばれていました。

 また旧摂津国東成郡毛馬村(現在の毛馬町4丁目)には八幡大神宮が鎮座、十五神社と同年代に奉祀せられたものと思われます。

蕪村も氏子であったことが案内に書かれている

 

氏子には、俳句で有名な与謝蕪村がおられます。生誕地の近くには当時、十五神社・八幡神社の二社が御鎮座し、神社祭礼など幼少の頃より慣れ親しんだと思われ、村人たちの心の拠りどころであり、祭りは何よりの楽しみでありました。こういった環境の中、蕪村の感性が研ぎ澄れたのではないでしょうか。

 蕪村は享保元年(1716年)八代将軍吉宗が将軍に就いた年、摂津国東成郡毛馬村(現在の大阪市都島区毛馬町)に生まれました。生まれた月日は不明で、蕪村は自ら出身地についてはほとんど語らず、例外が『馬堤は毛馬塘也則余が故園也。』の一文である。これは、安永六年(1777年)2月23日付、伏見の柳女(りゅうじょ)と賀瑞(がずい)という門人の母子に宛てた手紙の中で「春風馬堤曲」を自解しながら、自らの故郷のことを語った文言である。

 これに続く手紙の文章は『余、幼童之時、春色清和の日には、必友どちと此堤上にのぼりて遊び候』というものである。時に蕪村62歳。

 

 蕪村と親交が深き大阪の俳人、大江丸がその著『俳諧袋(はいかいぶくろ)』の中で「生国摂津東成郡毛馬村の産」と書いてある。自らの生い立ちを多くの人に知られることはあまり望まなかったようであったが、大川と新淀川の分岐点、ここが蕪村のふるさとであることは間違いない。

 

以上は淀川神社のHPから引用。

蕪村公園(北側)を一周して蕪村句碑を写した

道路側(淀川神社の対面)にある句碑。穂の長い柳 さいきんとんとお目にかからない

柳と蕪村の関係ないし縁は?

すべての句碑に読み札が加えられている

毛馬の閘門へ

↓は閘門へつづく公園脇の柵。右手奥に水門が見える

大川

水門がみえる。奥が閘門

遊覧船

水門脇は花壇

↓は水門 上流側

大部分は荒地状態

キンギョソウ植え込み中

キダチダリア = タラノハダリア=皇帝ダリア

フウセントウワタ↑↓

閘門下のサクラモミジ↑

桜はいろいろな品種が植えられている

大川側から

淀川側(大川との分岐点側)から

 

淀川大堰

川幅300メートル

さすがに景色がひろい

to be continued


蕪村

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蕪村公園の北側部分を1周。

15基くらいの蕪村句碑を写した。(以下引用の文によれば13基)

 

「大阪再発見」というHPの「蕪村公園」の項:

 

この公園は大阪が生んだ江戸時代を代表する文化人である与謝蕪村を顕彰して、蕪村の誕生地である大阪市都島区毛馬町に、2009年(平成19年)4月にオープンしたばかりの真新しい公園である。(ページのタイトルの「史跡」という分類にはそぐわない嫌いがあるが…)
 公園の規模は約1ヘクタールで、市街地の公園としては十分の大きさであるが、与謝蕪村の業績を紹介する写真パネルが、柵に取り付けてあるなど、蕪村を顕彰するというには、その中身がちょっとお粗末すぎると感じた。当然のことながら、予算との兼ね合いもあってのことだろうが、やはり、資料館などが欲しいところだ。数年後、当地を訪れたときには、施設の充実振りに目を瞠るということになっていることを期待したい。
 一方で、今まで大阪に蕪村の句碑が、殆んど見慣れなかったのを、一気に挽回しようととでも、思ったのか、13基も建てられてあり、全体的にはチグハグという感がしないでもない。

訪問日は昨日。

正面柳の木の下、右手のものが句碑

句碑だけ並べると退屈なので、間にそれぞれの句碑の立つ周りの景色を配した。

錦木 よって紅葉とは呼ばないかも。

毛馬の閘門、水門が良く見える。


 ↓全体像

見る角度を調整しないと句の文字は読みにくい


 

 

先に紹介したHPではこの顕彰碑についても説明がある。

これは蕪村の代表作↑↓  

↑については摩耶山で作られたことをブログで紹介したことがある。

 

淀川、大川の分岐点あたりの河川敷の風景

辺りに人家がないのでバーベキューOKのよう。

古い水道施設

ホトケノザ

ヘラオオバコほどではないが、かつての勢いがなくなっている。

この日は13000歩

12月1日今日の花 ガーリックバイン

ノウゼンカヅラ科

にんにくカヅラとも。

日本語版Wikipediaには項目なし

 

 

 

 

 

 

カエデモミジ

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アメーバ ピグライフ ↑12月1日↓

孫が小学生の頃付き合いで開始。主にアメーバ・ピグでもぐらたたきとか、オセロで負けっぱなしであった。

孫は1,2年で飽きてやらなくなったが、私は以後5年以上(孫は今高2)ピグライフでお花植えて楽しんでいた。

12月2日

 

午後10時前

午後10時過ぎ

楓紅葉

市の緑化植物園には10本ほど楓の木があるが今が見ごろ。

関西の紅葉シーズンは近年では12月にずれ込んでいる

イロハモミジ

いろは楓を凌ぐくれなゐ唐楓 藤原たかを
 
夕顔や草書で習ふいろは歌 堀北久子
 
いろは歌匂へと散りぬさくらの忌 すずき波浪
 
いろは伝水温むかなそよぐかな 加藤郁乎
 
いが散りてろが散りいろは紅葉かな 後藤比奈夫 花匂ひ
 
紙衣着ていろは教る御僧哉 高井几董

ナンキンハゼ 幼木

 

イチョウここには古木大木はない。

ニシキギ

1、2年前に植えられたもの↑↓

 

 

国分寺

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摂津国分寺(せっつこくぶんじ)は、大阪市北区にある真言宗国分寺派の寺院。

 

由緒ある寺ゆえにこの地区自体の町名が国分寺町である。

 

寺伝によれは斉明天皇の頃、日本法相宗の祖・道昭孝徳天皇の菩提を弔うために難波長柄豊碕宮の一角に建てた長柄寺を起源とする。天平13年(741年)、聖武天皇国分寺創建の発願により、長柄寺が摂津国の国分寺になったという。後には歴代天皇十四帝の勅願道場となっている。

 

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の戦火にあい全焼。そのまま江戸時代の初期、約百年近くに渡って荒廃してしまう。享保3年(1718年)、中興の祖・快円律師によって復興し、後には関所道中御免の鑑札発行所としての特権を江戸幕府から与えられている。

明治時代となり、廃仏毀釈の混乱で境内が大幅に縮小するも1897年(明治30年)にようやく教昇大僧正が諸堂を営繕して整え聖武天皇尊殿や記念碑を建立している。

しかし、1934年昭和9年)の室戸台風により甚大な被害を受けその修復もままならない1945年(昭和20年)6月15日の第4回大阪大空襲で旧書院門(現山門)を残し、寺宝諸共全て灰燼に帰した。

↑この門以外はすべて往時のものは失われたよう。

 

戦後、またしても境内地を大幅に縮小するも、1947年(昭和22年)には真言宗国分寺派本山となって独立する[2]1965年(昭和40年)には昭和金堂を落慶させている。

国分寺(こくぶんじ)は、741年天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各に建立を命じた寺院であり、国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれる。

正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」。なお、壱岐対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられた。

↓の前の同rを隔てた公園の一画

慰霊碑 天六バス爆発の犠牲者を弔うもの

その日私もその近くにいた。

国分寺内にも慰霊堂がある。

天神橋六丁目と国分寺町は境を接している。

句碑

泳ぎ出て淋しくなりぬ雲の峰 雲啼

摂津名所図会

国分寺 国分寺村にあり。正国山金剛院と号す。真言律宗。
 本尊阿弥陀仏 聖徳太子御作、座像、三尺五寸ばかり。
 赤不動尊 弘法大師作。初めは高野山に安置しけるなり。
 敷石地蔵尊 初め玉造鍵屋坂にありしなり。
当寺は国毎の国分寺のその一箇寺にして、本願は聖武帝、開基は行基僧正なり。
荒蕪の後、快円比丘中興して律院となる。国分寺料むかしは一万五千束、その外施料の事、『延喜式』あるは『文徳実録』にも見えたり。また東生郡にも国分寺あり。いづれ一ヶ寺は国分尼寺の跡ならん。後考あるペし。

ウィキペディア:

摂津名所図会(せっつめいしょずえ、『攝津名所圖會』)は、摂津国名所絵画文章で紹介した地誌である。

京都町人・吉野屋為八が計画し、1796年寛政8年)-1798年(寛政10年)に刊行された9巻12冊となる摂津国の通俗地誌であり観光案内書でもあった。

 

編集は俳諧師・秋里籬島(あきさと りとう)が担当し、絵は『名物浪花のながめ』(絵本)や『鳥羽絵欠び留』などを描いていた絵師竹原春朝斎(たけはら しゅんちょうさい)が担当。秋里籬島による名所の由来記、竹原春朝斎による俯瞰図を多用した挿絵が特徴である。この2人は、1780年安永9年)に刊行された京都の案内書『都名所図会』(6巻11冊)を皮切りに、その後、吉野屋為八が企画した多くの「名所図会」を手がけていた。その上、籬島、春朝斎以外にも編者や画家として、たとえば絵師の丹羽桃渓らの参加を求めたので、「名所図会」は見た目が一層にぎやかになった。

秋里籬島、竹原春朝斎が中心となった大坂シリーズには、この『摂津名所図会』以外に、『河内名所図会』『和泉名所図会』『住吉名所図会』があった。なお、歌川広重にも『浪花名所図会』がある。また東都の『江戸名所図会』が刊行されるのは、この『摂津名所図会』刊行の約40年後のことである。

今日の花オキザリス

今の時期オキザリスの名で売られているのはこの花  「モモノカガヤキ」(桃の輝き)

徒歩20分ほどのホームセンターでは

オキザリスの名でもう1種が並んでいた。

こちらはかたばみ特有の葉形をしている。「雅」と名札が付いていた。

どちらも日本で作出されたのであろうか。

OXALIS VULCANICOLA

ちなみにピンクの花の方の学名は oxalis momonokagayakiである。

 

 

残菊

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残菊の横むくは海の風のかたち(安房二句) 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
凄じく女でありぬ黄菊残菊 鳴戸奈菜
 
みちのくの残菊鼓動ばかりなり 高野ムツオ 鳥柱
残菊に跼みて腓返りかな 行方克己 昆虫記
 
残菊やをみなもはこぶ杉丸太 松澤白楊子
 
残菊の黄もほと~に古びたる 松本たかし
 
残菊や五箇山朝の星うかべ 岡澤康司
 
残菊や捨湯げむりの谿を這ふ 加古宗也
 
残菊を括りし縄の荒々し 本宮 鬼首
 
残菊の心を己が心とし 山本 忠壯
 
残菊にきのうの風のまたからむ 宇咲冬男
残菊や一つまはらぬ糸車 原田しずえ
 
残菊のあざやかなるを剪り束ね 黒田杏子
 
残菊をもたげて掃きしところかな 清崎敏郎
 
残菊や組紐店の細格子 柴田白葉女 『朝の木』
 
残菊にしとどの露や序の如く 齋藤玄 『雁道』
 
残菊も最量の雪負はさるる 齋藤玄 『雁道』
 
起こさずば残菊匂はずにすみし 加倉井秋を 『真名井』
 
残菊のとどめし色や素十亡し 上村占魚 『天上の宴』
 
残菊や馬一頭を洗ひあげ 大木あまり 火球
 
残菊のなほはなやかにしぐれけり 日野草城
残菊や旧き家並の佃島 工藤久平
 
残菊の黄もほとほとに古びたる 松本たかし
 
残菊の畑ほとりをあるきけり 村上鬼城
 
立て直す残菊午後は雨となる 高木勝代
 
残菊や弓道場の風乾く 山崎和枝
残菊の色を惜しまず焚かれけり 乙黒幸江
 
残菊の黄もほとほとに古びたる 松本たかし
 
残菊の蜂はしづかに立ち行けり 山城青桐子
 
残菊と一とさかりとも見ゆるかな 清崎敏郎
 
残菊にいづこより来て蝶低き 平松弥栄子
残菊のあたたかければ石に坐す 細見綾子
 
残菊に犬も淋しき顔をする 殿村莵絲子
 
残菊に北山しぐれほしいまゝ 山本い花
 
残菊に佇つ老教授なりしかな 池上柚木夫
 
残菊の袂のごとくひるがへる 中村将晴
 
残菊の淡き香や漂はず 相生垣瓜人
 
残菊のなほはなやかにしぐれけり 日野草城
 
残菊に正しく移り行く日かな 高浜年尾
残菊を忘るるとにはあらねども 富安風生
 
起し甲斐なき残菊も香をとゞめ 五十嵐哲也
 
地にふれてより残菊とよばれけり 岩岡中正
 
残菊を見放すものの中に日も 後藤比奈夫
 
残菊の黄もほと~に古びたる 松本たかし
 
支ふとも縛るとも残菊に紐 藺草慶子
 
残菊の括られて咲く高さかな 藺草慶子
 
残菊を手折ればふいに血の匂ひ 新海あぐり
 
残菊にさす日をわれも浴びにけり 加藤覚範
 
残菊のあたたかければ石に坐す 細見綾子
 
残菊より低く病者等跼み合ふ 石田波郷
 
逢はむとて残菊を焚き訣れけり 小鳥幸男
 
残菊の弁のいづれも欠けてをり 高浜年尾
 
残菊や添竹はねて風のまゝ 高野素十
 
あるだけの残菊挿して留守にせり 半田稜
 
残菊や爛柯に似たる句の一と世 荻野泰成
 
残菊の黄をとぢこめし氷かな 辻桃子
 
残菊の青蕾さはにかなしけれ 山口青邨
 
残菊と枯鉢と並ぶ花壇かな 大釜菰堂
 
残菊や風も峠を登りゆく 猿橋統流子
 
五十年いま残菊も切り惜しむ 及川貞
 
残菊のよき官邸でありしかな 久米正雄 返り花
 
残菊の風避くべくもなかりけり 中村汀女
 
残菊や一管の笛に執着し 長谷川かな女
 
残菊や時めく人に訪はれ 竹下しづの女
 
五十年いま残菊も切り惜しむ 及川貞
 
残菊や寺領あまたの影落し 柿本多映
 
残菊にむらさきさして枯れはじむ 朝倉和江
 
残菊の番りをよべばたまかぎる 伊藤敬子
 
残菊や壜の向うは人知れず 和田悟朗
 
残菊や殉死一才耶蘇名無く 山田弘子
 
歯朶の枯れ残菊の紅子に帰らん 細見綾子 雉子
 
残菊に佇ちて返せる歩なりけり 木下夕爾
 
残菊や昨日迯にし酒の礼 炭 太祇 太祇句選
 
友よ水低く残菊の葉の厚く 永田耕衣 吹毛集
 
残菊や時めく人に訪はれ 竹下しづの女句文集 昭和十四年
 
残菊やふたゝびめぐり逢ひしとき 久保田万太郎 流寓抄
 
残菊に泪濺げり人知れず 久保田万太郎 流寓抄
 
残菊のいのちのうきめつらきかな 久保田万太郎 流寓抄
 
見る時は残菊としもなかりけり 黒柳召波 春泥句集
 
起さずば残菊匂はずにすみし 加倉井秋を
 
ほそぼそと残菊のあり愛しけり 高浜虚子
 
残菊にさめじと契る欝金香 高井几董
 
しぐるヽや残菊白き傘の下 尾崎放哉

木道

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近隣公園の紅葉(今日)

公園の外周に全部で7,8株

瀧紅葉七味辛子を振りすぎた

寒い午後故人出はない。それでも公園の外周を何周か速歩で歩く人はいる。

↓は楓ではないが、

落葉も各種

このあたりにはつくしんぼも出るが、夏から秋は踏み込み不可能なほど草が茂る。

家の周辺で、緑化植物園を除けばもう1か所、県立病院跡地の西側のマンション提供地の紅葉

12月4日

煉瓦の遊歩道以外に木道もある

この地点は庄下川にも近い。

木道の乾きし音や木の葉散る 荒井英子
 
木道の続く限りの草紅葉 五十島典子
 
木道の釘のゆるみやななかまど 小玉真佐子
 
木道をくぐる水音沢桔梗 宮田俊子
 
木道の果て十方の若葉風 松本照子
 
寒念仏疾風の如く雑木道 水野晴美
 
木道は男の躰花あやめ 小山咲子
 

今が見ごろであるが、日常的にここを通る人にはありふれた風景なのであろう。

この辺りを歩くのは月に1,2度

木道のからりと乾き閑古鳥 八木マキ子
 
木道の果て夏雲に届きけり 早川暢雪
 
鋲抜けてをどる木道や鳥かぶと 大森三保子
 
木道ゆく秋の七草数へつつ 太田 昌子
 
秋晴や細き木道をゆづり合ひ 墓田まさこ
 
湧水の木道に沿ひて杉菜生ふ 麓 美奈
 
木道の足音蝌蚪をはじき出す 柴田 芳子

 

 

 

 

 

リュウキンカ

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2、3週間前からリュウキンカの新芽が目立ちはだち始めたが、

今では周りの草が枯れていくので、大威張りの状態である。

過去ブログを覗くと12月20日過ぎに一番花を見つけたことを記している年もある。

リュウキンカの花期は5月~7月らしいが、

庄下川沿いの水際の土だまりに咲くのは、リュウキンカではなく(リュウキンカは日本中国原産)、

ヨーロッパ原産の帰化植物であるヒメリュウキンカである。

ヒメリュウキンカの花期は3-5月で5月になると地上部は消えてしまう。

丹念に見て回ったが一番花は12月初旬では見つけることが出来なかった。

その代わりに、リュウキンカより早く葉を茂らせていたオオキバナカタバミ

の一番花を見つけた。

句会参加 2句出句 兼題「天」

天上天下唯我独尊綿虫舞う

下駄履いた記憶持たぬ子開戦日

淀川縁の交差点

交差点の3方に同一建設会社の社屋がある。

そんな街角に辻地蔵

十三公園のイチョウ

古木、大木はない。

散り黄葉

句会は午前開催の為、二次会は昼食会 がんこ本店

 

 

 

 

トリトマ

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トリトマ(Red Hot Poker,学名:Kniphofia)はユリ科シャグマユリ属である。別名はシャグマユリ(赤熊百合)。原産地は南アフリカ共和国エチオピア区である。高さは60cm~1m80cmで花期は6月-10月である。熱帯アフリカには約70種が分布する。標高1000m以上に分布するものが多い。

専門とする人が少ないのか、日本語のウィキペディアの解説は↑に引用したのが全文。

学名のクニフォフィアで呼ばれることもある。

シャグマユリは、漢字表記では赤熊百合である。

花期は6~10月とあるが、12月7日現在まだ萎れたようには見えない。

クリスマス・チアーの名の通り、年末までもつのかも。

透ける洋蘭の呼吸音です植物園はいま 浅沼参三
 
植物園花は二の次ぎの漫画本に夢中 山上清子
 
掃かれざる植物園の落葉かな 西村和子 夏帽子
 
植物園苗木車を通しけり 石田勝彦 秋興
 
植物園に棒立ちの愛まっさおな 八木三日女
 
植物園いつもどこかで落葉降る 品川鈴子

これこそチョウセンアサガオという株を見た。

画面上方に見える建物は、京都北山植物園の北門出入り口。

ウィキペディア

チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔、学名:Datura metel)は、ナス科の植物。園芸用にはダチュラの名で広く流通しているほか、マンダラゲ(曼陀羅華)、キチガイナスビ(気違い茄子)の異名もある。原産地は南アジアであって、「チョウセン」は、後述の通り特定の地域を表すものではなく、朝鮮半島原産という意味は持たない。日本へは、江戸時代1684年)に薬用植物としてもたらされ、現在は本州以南で帰化・野生化したものが見られる。日本に渡来したのはシロバナヨウシュチョウセンアサガオよりも前だが、国内の個体数は少ない傾向にある[1]

多くは実になっている。

家の近辺で見かけるのはシロバナヨウシュチョウセンアサガオが正確な呼称のよう。

北山植物園北門を入った所のパンジーとビオラ

外国人(白人)観光客も寒い中園内を散策している。

ここに出入りするようになって20年以上たつ。

10年近くは毎月一度は覗いていた。ここで覚えた植物も多い。

植物園冬の野草も生き生きと

 

 


楓紅葉

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秋の終わりは何時か?私は関西平野部ではイチョウ黄葉の最後の一枚が散った時が冬の始まりと

「定義」したことがある。そうしたら年末になってもそこここのイチョウの木の黄色い葉が残っていた年があった。

楓紅葉にまだ緑葉が残っていれば「深秋」であろうか。

最近では楓は11月にはまだ紅葉しない年の方が多い。

今日の画像は昨日撮影したもの。京都北山植物園である。

天候が良ければ池映りの紅葉もきれいだが

正岡子規 若楓の句

築山ノ亭荒ニケリ 若 正岡子規
 
寺を見て茶のもてなしや若 若 正岡子規
 
案内の小僧可愛げに 若 正岡子規
 
仮名巧なる写し物 若 正岡子規
 
盤台に鰹生きたり若 若 正岡子規
 
四阿に日の影動く若 若 正岡子規
 
石橋や水平かに若 若 正岡子規
 
軒のともしのうつり哉 若 正岡子規
 
ふらこゝや雨に濡れたる若 若 正岡子規
 
茶屋静かに鹿徘徊す若 若 正岡子規
 
鹿はまだ角芽ぐむ頃や若 若 正岡子規
 
嵐山葉桜はあれと若 若 正岡子規

今では重季として避けられる作句法が多用されている。

ドウダンツツジとの相性もいい。

満天星が受け止め四、五枚柿紅葉 高澤良一 石鏡
 
僧提げし満天星紅葉飛び火せよ 手塚 美佐
 
満天星の花がみな鳴る夢の中 平井照敏
 
我に聞えて満天星の花の鈴 大井戸辿
 
天に星地に満天星の花咲けり 折井紀衣
 
我に聞えて満天星の花の鈴 大井戸辿
 
満天星に隠りし母をいつ見むや 石田波郷
 
雲ひくし満天星に雨よほそく降れ 水原秋櫻子
 
何時か鳴る満天星の鈴星の下 高澤良一 寒暑
 
満天星の花星空を知らぬまま 木村流子
 
満天星の花別荘に蔵書の間 椎野順子
 
満天星は政治嫌いと揺れ出して 佐古澄江
 
秘めやかに更紗満天星紅刷けり 新井世紫
 
満天星の古りて万鈴曼陀羅寺 榊原順子
 
満天星の紅き冬芽や幾多郎碑 佐野和子
 
満天星の花ひとつずつ雨こぼす 松本滋子
 
満天星の花のあかりの門構 春日井喬子
 
生垣をつづる満天星紅葉かな 山田梅屋
 
天に星地に満天星の花咲けり 折井紀衣
 
やまとことばの夫人らと立つて満天星 阿部完市 春日朝歌
 
母百齢を越し満天星の花白し 雨宮抱星
 
満天星紅葉地に硬質の水流れ 若泉真樹
 
受難曲満天星の雨しろがねに 古賀まり子
 
灯ともせば満天星花をこぼしつぐ 金尾梅の門
 
満天星に突抜けてある木曽の空 波多野爽波

いつも利用する「俳句検索」で「楓紅葉」を検索。例句0.

単に紅葉といえば楓紅葉だからであろう。

 

北山植物園の北側東側からは比叡山がまじかに見える

ズーム1

ズーム2

今日は昼からミヤコホテル尼崎内の中華料理店四川で市の俳句協会の役員会兼忘年会

昨夕も梅田DDハウスで二人だけの忘年会

 

 

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年賀状の季節がやって来た。

ワイフに急かされて、苦しい時の神頼みとばかり

富松神社の絵馬を撮りにでかけた。

スポンサーの名が新しい。去年は播州信用金庫、その前は地元の特定郵便局であった。

一応合格点をもらったのでこの画像か↓のものを第1候補に、

今年の漢字を書き加えたのが新しい。

サンシティパレス塚口:

2008年11月に関西4番目(全国の12番目)のサンシティとして兵庫県伊丹市にオープンいたしました。
阪急神戸線「塚口」駅と「武庫之荘」駅の中間地点、大阪や神戸、西宮に近い便利な住宅地。隣りには広々とした笹原公園、向かいには近畿中央病院、徒歩圏内に4軒ものスーパーがあり、また、最寄のバス停まで徒歩1分と、快適・安心の立地です。サンシティ初の館内露天風呂も備えています。HPより

サンシティパレス塚口

この地は三井グランドががあったところ。バブル崩壊後の地価税導入で処分された。

笹原公園の横に位置しているので、外周は良く歩くし、上の画像の部分も覗き見することもあるが確かに豪華な施設である。

確かに伊丹市と尼崎市の境にあるこの施設から一番近い神社は富松神社かもしれない。

1時間に3本くらい、この施設のマイクロバスが阪急塚口駅まで往復しているがその路線上にある神社ではある。

 

緑を十分に配した約36,000m²(11,000坪)という広大な敷地内には、中庭、プール、フィットネスルーム、天然温泉の大浴場など、海外のリゾートホテルをしのぐ多彩なアメニティ空間をご用意しております。

せせらぎのある庭園

入居一時金は最高で1億3千万(居室面積60㎡)、あとは月々16万円を管理費と食費として払えばよいらしい。

富松神社社務所前

拝殿

南天の実も撮れと言われたので何枚か撮影

↑↓は我が家のもの

午前中に撮ったのでやや逆光気味

富松神社のもの

↑は樹齢500年以上の神木の下のもの

若い楓紅葉と南天の実を組み合わせたかったが上手くいかなかった

富松神社の絵馬は例年12月1日に新年のものに置き換えられる。

生島神社へ廻ってみたがここはまだ旧年のものであった

生島神社の木立

拝殿

 

庄下川のみぞそば。次第に花の姿は少なくなっていて↓の風景が見えるのは1箇所だけになった。

歩いているとよく実った柑橘類に出会う。この地は柑橘類に向いているのかも。橘御園が諸所にあった地域である。

レモンと温州ミカン

スダチ

八手の花

姿が見えないが、2鉢目のロベリア苗を4つのプランターに移植=本植え

眼をこらせば幼葉が見える。冬越出来るかどうかあやしい。霜が2日もつづいて降りたらoutだと思う。

ポット植のものもあまり大きくなっていない。本植え用のプランターの用意はこれから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒椿

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わが家のダチュラ。まだ咲いている。

木立ダチュラ=エンジェル・トランペット 朝鮮ダチュラと呼ぶのは聞いたことがない。

多くの花は萎れているがつい最近開花したように見えるものもある。

寒椿

名札がなければ、山茶花と思ってしまう。落花は山茶花と同じ。ボタッとは落ちない。

撮った時には知識がなかったが、葉の縁をみるとギザキザが多い。

寒椿の特徴だとか。

やや高性のものはタチオチツバキと呼び這落椿と区別される。

名札に記載されているように獅子頭という品種である。

巨勢山の椿は知らず寒椿 熊谷恵子
 
一つ咲き妻恋花か寒椿 阿部慧月
 
鵜の墓の昏きに一樹寒椿 松井慶太郎
 
寒椿てふくれなゐの荒々し 竹下陶子
 
古への道のこと問ふ寒椿 道山昭爾
 
陵の火気を断ちたる寒椿 後長耕浦
 
寒椿咲き切れずあるまくれなゐ 島村茂雄
 
天険に一輪赤き寒椿 吉澤卯一
 
寒椿五弁の呪符のほぐれおり 神保弥生
 
かりそめの世をまったうに寒椿 渡辺 光子
 
寒椿見え隠れする特捜部 汎 馨子
 
寒椿畳の艶の深まりし 山崎 篤
 
昭和余年平成後年寒椿 大井恒行
 
齢にも艶といふもの寒椿 後藤比奈夫
 
姿なき者らゆきかふ寒椿 水野真由美
 
寒椿人恋ふて咲く館跡 篠田恵衣子
 
寒椿落ちて崖うつ怒濤音 河本好恵
 
今生の色いつはらず寒椿 飯田龍太
 
寒椿いつも見えゐていつも見ず 神蔵 器
 
寒椿母と降り立つ無人駅 皿井節子
 
寒椿落ちて湖国の揺れにけり 鈴木鷹夫
 
寒椿つひに一日のふところ手 石田波郷
 
汐入りの池あたたかし寒椿 中村汀女
 
父も夫も師もあらぬ世の寒椿 桂 信子
 
夕月やひそかに咲ける寒椿 日野草城
 
岩影に神饌の生簀や寒椿 西村旅翠
 
咲き競い寒椿とも思はれず 諏訪美枝子
 
一湾を見下ろす宿や寒椿 成田久郎
 
観音は素足に在わす寒椿 神谷美和
 
いま蛇笏なし蛇笏あり寒椿 飯野燦雨
 
墨染を着て眼前の寒椿 村上賢一
 
赤もまた孤独なりけり寒椿 和田律子
 
寒椿落ちしばかりの水揺るる 菅井たみよ
 
寒椿あしたにもくるいちだいじ 五十嵐山風
 
寒椿日はかんかんと鳴つてをり 小檜山繁子
 
一度死ぬための生なり寒椿 佐藤火峰
 
花咲いておのれをてらす寒椿 飯田龍太
 
寒椿しあはせひとつ子に賜ひ 望月たかし
 
寒椿つひに一日のふところ手 石田 波郷
 
寒椿月の照る夜は葉に隠る 及川 貞
 
ひと日出でひと日籠りぬ寒椿 石田あき子
 
頑の一重清しき寒椿 徳田千鶴子
 
寒椿弱音吹き消す吾子の声 牧 ひろ子
 
掛絵馬の風に鳴るなり寒椿 佐藤郁子
 
寒椿活くるこの手に二十歳待つ 山岡 季郷
 
暗がりの葉を揺らぎ出て寒椿 佐々木六戈 百韻反故 吾亦紅
 
寒椿月の照る夜は葉に隠る 及川貞
 
寒椿嘘を言ふなら美しく 渡辺八重子
 
花咲いておのれをてらす寒椿 飯田龍太
 
妻の名にはじまる墓誌や寒椿 宮下翠舟
 
白と云ふ艶なる色や寒椿 池上浩山人
 
寒椿落ちたるほかに塵もなし 篠田浩一郎
 
寒椿朝の乙女等かたまりて 沢木欣一
 
寒椿つひに一日の懐手 石田波郷
 
寒椿深く眠れば熱は去る 雅人
 
齢にも艶といふもの寒椿 比奈夫
 
寒椿月の照る夜は葉に隠る 貞
 
寒椿竹の枝打つ音すなり 龍太
 
生きることは一と筋がよし寒椿 平之助
 
物乞の手触れてゆきし寒椿 一雄
 
白と云ふ艶なる色や寒椿 浩山人
 
寒椿朝の乙女等かたまりて 欣一
 
寒椿落ちたるほかに塵もなし 悌二郎
 
寒椿つひに一日の懐手 波郷
 
汐入りの池あたゝかし寒椿 汀女
 
寒椿持てば浅草オペラ湧く 不死男
 
寒椿遠村遠望確かむる 草田男
 
夕月やひそかに咲ける寒椿 草城
 
つくばひの少き水や寒椿 王城
 
仮の世のなぞなぞを解く寒椿 大西泰世
 
寒椿落ちて火の線残りけり 加藤楸邨
 
齢にも艶といふもの寒椿 後藤比奈夫
 
いま蛇笏なし蛇笏あり寒椿 飯野燦雨
 
寒椿置きたる水の動きだす 夏井いつき
 
寒椿視線はづしてわかれけり 谷口桂子
 
ぶあつうて越後の山や寒椿 小川軽舟
 
初めてのまちゆつくりと寒椿 田中裕明 山信
 
寒椿一句は赤し二句黒し 攝津幸彦
 
寒椿ふりむけば子は我を見し 加藤瑠璃子
 
寒椿落ちたるほかに塵もなし 篠田悌二郎
 
寒椿赤し一揆の血が流れ 関口ふさの
 
仮りの世のなぞなぞを解く寒椿 大西泰世
 
齢にも艶といふもの寒椿 後藤比奈夫
 
寒椿女弟子来る夕かな 福田清人 坂鳥(附・生い立ちの記)
 
木歩の碑血の色に咲く寒椿 毛塚静枝
 
蹲に落ちて紅張る寒椿 影島智子
 
寒椿輪袈裟掛ければ一信徒 影島智子
 
ふるさとは風の中なる寒椿 入船亭扇橋
 
生きること一と筋がよし寒椿 五所平之助(1902-81)
 
火はわが胸中にあり寒椿 角川春樹(1942-)
 
日と月のごとく二輪の寒椿 鷹羽狩行(1930-)
 
寒椿つひに一日のふところ手 石田波郷(1913-69)
 
舁き下す柩や落つる寒椿 寺田寅彦
 
雪女郎に恋はありけり寒椿 中勘助
 
真似ごとがまことを凌ぐ寒椿 宇多喜代子 象
 
寒椿一輪生けて人待てり 田中冬二 俳句拾遺
 
藪の中寒椿さき目白なき 田中冬二 俳句拾遺
 
寒椿咲きたる家の日向かな 田中冬二 俳句拾遺
 
海近き道の起伏や寒椿 佐藤春夫 能火野人十七音詩抄
 
父も夫も師もあらぬ世の寒椿 桂信子

優しさを忘れてならじ寒椿

 

↓はタキイが作出したもの。私がタキイのカタログを定期購読していたころに紹介されていた。

 

所属誌の編集会議 4人欠席で6人の会議。

アルファベット利用俳句について書いた。一部紹介。

 

いつの間にSからMへ土筆つむ   十一号

 

この句に出会って、一瞬たじろいだ。つくしんぼに対して、攻撃姿勢から受け身に転じるとは?

英語のイニシャルを目にした瞬間は、その読者の常識と常日頃の関心事が読解を左右する。この句の場合は菜食主義(低カロリー食)への転換決意と読むのが「正解」だが、私の瞬間的反応も捨てがたい。

単一文字Sは多様な言葉の略号として利用される。ある辞典によれば、Sないし小文字のsは、単位・数学記号、自然科学、文学・風俗、建築、音楽、スポーツ等の分野で、合わせて六十以上の意味を持っている。「文学・風俗」分野だけでも一五の意味(略語、隠語)で用いられている。

その主なものを抜き書きすれば、

一、文法主語 (subject) をあらわす。

二、昭和の略記。

三、洋服などのサイズで、小さめ(small)。

四、劇場や競技場で特別席(special)、上級席(superior)の略号。

五、将棋の銀将の略語。

六、やくざ用語でスピード(覚醒剤)の隠語。

七、サディズム(サディスト)の略。

八、年代。1950's で一九五〇年代。

掲出句におけるSは三の意味で利用されているが、私は七の意味で読んだということである。三の意味でのSに対する用語はM、Lであるが、七の意味での対義語もMであるので私のような誤読が生じた。

 

他にはGパンのGについても調べたが、「奥深くて」書ききれなかった。紙数制限で3行しか書き込まなかったが、ジーンズやデニムなどの呼称の背景が面白かった。ジーンズがGパンという呼称を持つようになった経緯(初出例など)は定説がないようである。

 

ウキツリボク

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ウキツリボク 松江の花図鑑:

ブラジル原産の半つる性木本。枝は細く軟弱で、他物によりかかって成長し、枝先は垂れる。葉は長三角形~心形で、鋸歯があり、葉柄があり、互生する。葉腋に長い花柄のある花を吊り下げ、下向きに咲かせる。花弁は淡黄色の5弁花で、赤い5稜がある袋状の萼からやや突き出す形で咲く。花からは褐色の雄しべがついた花柱が突き出る。別名チロリアンランプ、アブチロン。 花期は6〜10月。
学名は、Abutilon megapotamicum
アオイ科イチビ属

カヅラではなく木である。チロニアンランプの名で覚えた。アブチロン

花期は10月までとあるが、今でも咲いている。

季語になりにくい。

アメジストセージは秋の花と言える。サルビアと同属のはず。シソ科

大株になりやすいので剪定が必要なよう。

鉢では育てにくい

氷らない限り新年にも咲いているかも。

サルビアの花の盛りのいつとなく 行方克己 昆虫記
 
サルビアの花にあしたのあるでなく 行方克己 知音
 
山の日に燃ゆるサルビア美術館 大津信子
 
サルビアの花紅き日の訃報かな 坂田 玲子
 
庭中にサルビア硝子の馬買いたし 中北綾子
 
サルビアがつなぐ黒人の家と家 有馬朗人
 
サルビアを咲かせ老後の無計画 菖蒲あや
 
サルビアの散つて同床異夢なりし(四誌連合解散) 波多野爽波 『湯呑』
 
サルビアの二時が燃えをり花時計 前橋春菜
 
サルビアを咲かせ老後の無計画 菖蒲あや
 
日陰りしサルビアの赤沈黙す 嶋田摩耶子
 
サルビアの花の衰へ見れば見ゆ 五十嵐播水
 
ちひさく叫ぶサルビアの果つるとき 能城檀
 
サルビアの真赤な殺し文句かな 徳永球石
 
サルビアの真つくれなゐに自負一つ 松本千恵女
 
サルビアの紅に雨降る玻璃戸越し 因藤周一
 
サルビアに染まりし霧の湖へ出づ 武井耕天
 
青春にサルビアの朱ほどの悔い 岩岡中正
 
日陰りしサルビアの赤沈黙す 嶋田摩耶子
 
サルビアの上に懸かれる切子かな 岸本尚毅 鶏頭
 
サルビアの枯れし夜空を花火飛ぶ 岸本尚毅 鶏頭
 
サルビアや船に生きたる日を語り 依光陽子
 
サルビアの緋の一枚の馬券買う 対馬康子 純情
 
サルビアの朱色死病の人と見る 相馬遷子
 
サルビアの咲く猫町に出でにけり 平井照敏(1931-)
 
サルビアの花にあしたのあるでなく 行方克巳
 
サルビアの映ると見しは緋鯉飼ふ 大島民郎
 
サルビアを燃え立たせ居てサガン読む 伊藤敬子
 
サルビアが恥へ傾く金曜日 坪内稔典

セージでは例句見つからず。

アメジスト染まれば恋も終わりかな 筑紫磐井

 

フウセントウワタ

背後は皇帝ダリア

フウセントウワタ[1]とはキョウチクトウ科クロンキスト体系ではガガイモ科)の植物の一種である。

阪急伊丹線塚口ー稲野駅間の踏切横の花壇 このあたりも三菱電機のテリトリー

きれいに整地、剪定されている。

こんなにまとまったローズマリーを初めて見た。

ローズマリー:rosemary :romarin)は、地中海沿岸地方原産で、シソ科に属する常緑性低木。和名マンネンロウの漢字表記は「迷迭香」であるが、これは中国語表記と同一である。生葉もしくは乾燥葉を香辛料、薬(ハーブ)として用いる。花も可食。水蒸気蒸留法で抽出した精油も、薬として利用される。

成長すると高さ1.8メートルに達する常緑灌木。暑く乾燥した気候を好むが、耐寒性も高い。縁が厚くなった細長い葉を付け、こするとマツに似た香りがする。冬から春にかけて青や紫がかった白い花が咲き、観賞用としても人気がある[7]

播種・挿し木のどちらでも繁殖させることができる。土壌はアルカリ性~弱酸性、また根腐れを起こしやすいため水分は与えすぎないほうが望ましい[8]

駅周辺では2軒目のインド・ネパール料理店をみつけた。

 

 

 

 

station

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かながね思っていたこと

ローソンの看板。このstation、強いて日本語に訳すと何となるか。

Weblio英和辞典での訳語

鉄道の)駅、

(バスの)発着所、

(官庁・施設などの)…署、局、所、事業所、

(中央郵便局をもつ都市での)郵便局支局、

(軍などの)基地、駐屯(ちゆうとん)地、根拠地

 

今夕のテレビ報道画面 イギリスの総選挙関係

↑↓などは「投票所」の所である。

ローソン停留所のニュアンスを込めて 「店」「店舗所在地」の意味か?

Wikipediaの「ローソン」の項の中に「沿革」の節があり、

1989年(平成元年)

  • 3月 - 株式会社ローソンジャパンが株式会社サンチェーンを合併し、株式会社ダイエーコンビニエンスシステムズ(D-CVS)に商号変更。同時にロゴマークの文字列が「LAWSON FOOD STORE」から現在の「LAWSON STATION」へと改められる。
という記述がある。
 
そのさいのstation に込められた意味の解説はない。
 
句会参加
出句4句 兼題「嘗」 私が出題した。
 
目で嘗める風船唐綿の紅色を
ネリネなら8050問題解けるかも
8050問題、元の農林省次官の裁判で改めて表面化
ショーウィンドーに映る銀行名(こうめい)クリスマス

瀧紅葉七味辛子を振りすぎた

 

句会終了後の会場

土佐料理の店。初めてではない

6人で飲み食い 一人3000円

同じ階の風景

 

なにせ午後4時前に入店したので人の出入りはま少ない。

解散後半分の人はルミナリエへ

OPA2の9階から8階のロビーが見下ろせる

 

ホウレンソウ

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家の近所にわずかばかり残っている畑で育つ冬野菜が元気

ネギ、ダイコン、ニンジン、レタスなど

↑はニンジン

↓のものがわからない。

サラダ用ホウレンソウ?

コマツナではないはず

他には候補すら上げる能力なし。↑右下隅にみえるのはミズナ

2反ほどのこの畑は、年間休みなし。イチゴや富松1寸豆の後は水田になる。

「大根」なら800句以上例句あり。

大根引に大根またいで近づけり 篠原温亭
 
仰山に大根食うべ大根焚 岸田稚魚 『萩供養』
 
大根干し並べ大根橋と呼び 大平喜代子
 
大根もて次の大根を寄せ洗ふ 島本翫雪
 
大根の練馬に住みて大根蒔く 大橋越央子
 
大根大根になる時雨哉 尚白
 
大根大根で道を教へけり 小林一茶 (1763-1827)
 
のびあがりのびあがり大根大根 山頭火
 
大根引くまでの力を温存す 中原道夫
 
大根南無南無日向呆けしたる 中原道夫
 
大根干す匂ひのさはに日のさはに 行方克己 知音
 
大根干す島の生活の音もなし 行方克己 知音
 
大根の器量不器量択られつつ 行方克己 知音
 
大根引ひとりは立つてゐるばかり 行方克己 知音
 
大根引く富士はゐずまひ正しけり 行方克己 知音
 
夜をこめて大根を煮る小正月 細見綾子
 
ふくよかな大根煮がよし三ケ日 五十崎 朗
 
死にたれば人きて大根煮きはじむ 下村槐太
 
燈台につゞく一枚大根畑 有働木母寺
 
大根煮て息子古風に育てけり 石川昌子
 
地震のあと夜の靄ふかむ大根畑 宮津昭彦
 
大根ぬきに行く畑山にある 尾崎放哉
 
窓が開いてをる大根畑昼深し 瀧井孝作
 
流れ行く大根の葉の早さかな 高浜虚子
 
葱畑も大根畑も古戦場 鈴木半風子
 
禅寺の縄を抜けたる大根かな 石飛如翠
 
すつぽりと大根ぬけし湖国かな 橋 石
 
谷住や大根提げて馬屋出づ 村上しゆら
 
大根を葉でふらさげて湖渡る 平畑静塔
 
大根の青首を見て老ゆる日ぞ 木村虹雨
 
ひとときをほろほろ笑ひ大根焚 山上樹実雄
 
鳴滝にまたなき日和大根焚 大橋敦子
 
日だまりは婆が占めをり大根焚 草間時彦
 
大根焚く湯気の甘くて夕雀 宮津昭彦
 
燗番のしぐれてゐるや大根焚 五十嵐播水
 
舌焼いて母ぞ恋しき大根焚 岸田稚魚
 
大根吊る荒縄ゆるび岳おろし 加古宗也
 
大根をつるす木の股娶り唄 木村虹雨
 
大根照るにもあらず岩襖 野澤節子
 
大根を干す廃屋の軒を借り 猿橋統流子
 
一村が懸大根の中にあり 杉村義昭
 
駅柵の干大根も翳りたり 貞弘 衛
 
水分りの社家に日当る干大根 福島 勲
 
蓮如像暗きに祀り掛大根 有働 亨
 
大根広重の濤上りけり 小笠原和男
 
梅林に干大根の痩せてをり 高木晴子
 
大根を洗ふ飛鳥の水引いて 山口一枝
 
湯の町の裏川大根洗ひをり 森田公司
 
争ひて尾張大根乾く日ぞ 中村汀女
 
洗ふ娘にまたも大根車着く 舘野翔鶴
 
大根洗ふ妻籠の宿の車井戸 秋山花笠
 
大根をどこかに干せりどの家も 右城暮石
 
大根百本程を洗ひけり 会津八一
 
気の済むまで大根洗ひ山神講 宮慶一郎
 
大根引くや背に降る熱き火山灰 淵脇 護
 
大根引く瑞巌禅寺目の下に 遠藤梧逸
 
高千穂の大根を引きに猿田彦 角川春樹
 
大根を抜くたび富士と目が遇ひぬ 森岡正作
 
古戦場そこらにありて大根引く 百合山羽公
 
たらたらと日が真赤ぞよ大根引 川端茅舎
 
大根が一番うまし牡丹鍋 右城暮石
 
大根を提げし小角力冬の暮 江藤暁舟
 
大根をきのふ蒔きたる在所かな 大峯あきら
 
大根蒔く短き影をそばに置き 加倉井秋を
 
大根蒔きし土よりかげり信濃口 河野友人
 
猪垣の根まで均らして大根蒔く 宮田正和
 
大根島牡丹根分けの終りけり 吉野川三郎
 
遠くから来てゐる風や大根蒔く 見市六冬
 
大根を蒔く畝づくりとも見ゆる 清崎敏郎
 
鈴鹿嶺の虹を見上ぐる大根蒔き 細見綾子
 
ボタ山の裾に二畝夏大根 久高育子
 
大根肩抜き風林火山の地 松本泰二
 
大根くぐもり育つ風の峡 有働 亨
 
高波のどどと寄せくる春大根 伊佐山春愁
 
繭倉のほとり風呼ぶ花大根 鈴木蚊都夫
 
死のときも越前訛り花大根 熊谷愛子
 
灯台の玻璃はみどりに花大根 伊藤敬子
 
大学の庭の大根花咲けり 沢木欣一
 
大根をかついで母のまえをゆく 坂田 玲子
 
流れゆく大根の葉の早さかな 高浜 虚子
 
山寺の少しの日なた大根干す 久慈 静
 
佐渡ヶ島近くに見えて大根引く 本間 杏童
 
大根焚聴聞の座も湯気にほふ 経谷 一二三
 
大湯気の中に顔あり大根焚 若林 かつ子
 
大根の一荷届きしお講宿 橋本 道子
 
大根も太り亥の子も近づきし 三栖 ひさゑ
 
間引菜のもう大根の葉の形 佐藤 欽子
 
父母の畝美しく大根蒔く 古賀 秀女
 
散らばれる屑大根に秋の霜 鈴木 灰山子
 
チャボ一羽夏大根の向ふゆく 村中 美代
 
大根畝蒔きて莞爾たり 五十嵐 象円
 
出稼ぎの夫より便り花大根 門岡 一笑
 
大根の花美しき御生涯 宿里 菊香
 
波の声春大根の畑に消ゆ 江藤 ひで
 
ブラジルの春大根の大きこと 伊津野 静

裏塀にあたる場所の外側のスペースに飾っておられる

2鉢。正月準備完了の感じ。

違う場所↓

かつての貴重な冬の花  ツワブキ

同じ家の勝手口周辺 今では懐かしい風景。

私、この方面はまったくダメ。カニとシャコの区別がつかない。白花が珍しいので撮影

多分カニサボテン。白いのは咲き初めのよう。

わが家の家の前

地に育っているのは、ヒメツルソバ(ポリゴナム)、ニオイスミレ

 

イギリスの総選挙 ジョンソンさん圧勝。サッチャー以来とか。

それでも北アイルランドと隣国との国境。道路一つで区切られたような場所で、牛乳配達の車から関税徴収できるのであろうか。

しかしここだけ税関なしなら、本国向けのものが素通りすることになる。

 

 

 

 

クリスマス

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ミブナらしい。画像集でも確認。

神戸市北区でクリスマス会に参加

食事会のテーブル

食事会が始まる前に招待客である地元自治会の方が10名くらい来ておられたので

カメラの画像を見せてお伺い。自給農業もあまりなさっていないようで、5人目でミブナの提案在り。

聞いたとたんに納得

ミサの司式はベトナム人司祭であった。

アトラクション

物置小屋の奥の椎茸

湿度不足と判断か

それでも二株「発芽」「発生」

↑を2株と数えると計3株

食卓は原木のまま小鳥来る 鈴木けんじ
 
原木は暗く集まる山夕立 対馬康子 吾亦紅
 
鳥らいそいそ河津桜の原木へ ぱらりとせ

枯れの季節になり、池が見えるようになった。

所属誌次号用(〆切2月末)に「序数詞」について書き始めた。

 

 「助数詞」と聞いて、ああ、あれのことと即座に対応できる人は少ない。同じ音で、「序数詞」という用語もある。

 鴉二羽密談めいて敗戦日  小池万里子 五号

 秋高し六年五組の壁新聞    〃   〃

 鴉二羽の羽は助数詞。六年五組の年は助数詞で、五組の組は序数詞である。一年は十二ヵ月、明治以降の日本では一月から十二月まで順に数えてゆくが、この場合、年、ヵ月は助数詞、月は序数詞である。「組」は常に序数詞として用いられるわけではない。少子化の影響で六年(生)は五組だが、三年生以下は四組になったという場合の組は、助数詞である。

何が書かれているのだろうと我慢して読み始めた人は、ここまで読んで、二羽の羽はジョスウシだが六年五組の組はジョスウシではなく、ジョスウシであるなどと書かれると、もう後を読む気を失くしたかもしれないが、日本人は毎日の生活の中でごく普通に助数詞と序数詞を使い分けて使っている。俳人しかり。例をあげてみよう。・・・・・

 

 

 

 

 

 


ランタナ

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県立塚口病院跡地。 北西側から撮影。駐車場になっている部分には病院職員寮があった。

ここも再開発予定地だと思う。

南側にも広い更地が残っている。その部分に尼崎北警察署の仮署屋があった。本署の耐震工事中。

その部分は入札処分されるよう。最低価格13億余で。県立病院だが、土地の所有者は尼崎市であったよう。

旧病院の狭い道路を隔てた西側のマンションの提供地のカエデ。

楓紅葉を除くとさすがに淋しくなっている

ここから庄下川までは500メートルほどある。

オタフクナンテンの植え込み。ここ5年ほどはおおはやり。冬にモミジするので。矮性なので。

この箇所(五合橋線という県道との交差点)ではフィリフェラはないが、この2種の取り合せも流行中。

交差点を渡ってさらに西へ行くと庄下川にぶつかる。栗山のポンプ場の北側、生島橋の南側。

おおきなランタナのブッシュがある。

まだ咲いている。ランタナそのものは川沿いの石垣の間からも多数芽生えている。

見ごたえの花を咲かせるのは新庄下橋以北の左岸ではここだけ。

 

飽くほどの平和おそろし 七変化 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 花仙人

 

この七変化はランタナではなく紫陽花のこと。

 

オオキンケイギク;

日本には1880年代に鑑賞目的で導入された[2]。繁殖力が強く、荒地でも生育できるため、緑化などに利用されてきた。河川敷や道端の一面を美しい黄色の花々で彩る本種は、緑化植物としても観賞植物としても非常に好まれた[5]。しかし、カワラナデシコなどの在来種に悪影響を与える恐れが指摘され、2006年に外来生物法に基づき特定外来生物として栽培・譲渡・販売・輸出入などが原則禁止された[2]。また、日本生態学会により日本の侵略的外来種ワースト100に選定された。河原植生への本種の侵入がよく注目されるが、低木林や高木林など自然度の高い環境にも侵入・定着が可能だといわれており、河川植生の遷移が進行し森林化しても本種は残存し続けるものと考えられる[6]

 

特定外来生物に指定

 

ランタナは

世界の侵略的外来種ワースト100に選定されている。

 

しかし日本での栽培、販売は禁止されていないようである。

川沿い遊歩道の落葉の色が赤から黄色、茶色へ変化。

桜落葉からエノキや欅落葉に変化

生島橋よりも南だがサワグルミ。

桜は散りつくし、裸木になっている。エノキも散るよう。

カンナはまだ葉が青い。 ↓アオアギ

ヤエムグラは活き活き

ムラサキカタバミ

イモカタバミ

オオキバナカタバミ

日曜日は休業ということで、さっちゃんさんに出会った。

夜の散歩が主で、アライグマには2度出合ったとの事。

アメリカフウロ

一時ほど他の場所でも見なくなった。ヘラオオバコと同じ。

気のせいか、イヌホウヅキも勢いがないように思う。

センダングサは今の季節に咲いている貴重な野草

↑はコセンダングサ

草はアシだと思う。

ヒッツキムシが生っている

↑コセンダングサ ↓アメリカセンダングサ「

花托が白のものは庄下川ではみない。花托が黄色のものが修飾語なしのセンダングサである。

↓は典型的なアメリカセンダングサ

どちらも大株になる。

アレチギシギシとヒメリュウキンカ

ヒメリュウキンカは年内に一番花を見ることが出来るはず。

 

 

 

 

オキザリス

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昨日紹介洩れのオキザリス

画像は今日撮影

↑の品種名(商品名)は知らない。 オキザリス・ロバータも黄色い花だが画像で見る限りもう少し色が濃いように思う。

 

オキザリスはカタバミの仲間で800~850種があり、世界に広く分布しています。ロゼット状のものから低木状のもの、地中に球根をもつもの、多肉植物に近いものなど、形状はさまざまです。開花期や生育環境、性質も多様で変化に富んでいます。栽培の難易度も、種によって違いますが、中には初心者でも無理なく扱えるものも多くあります。日本には、ミヤマカタバミ(Oxalis griffithii)など6種が自生するほか、7種ほどの外来種が帰化植物となっています。花は夜間や雨天には閉じていて、日中の日ざしを受けると盃状やロート状に大きく開きます。満開のとき、株を覆うように咲く様子は非常に見ごたえがあり、人目を引きます。葉はクローバーのような3小葉のものが多いのですが、4小葉のもの、5裂や10数裂するものもあります。栽培されるのは主に20種ほどで、四季咲きタイプ、夏期は休眠して秋から冬に開花するタイプ、冬期に休眠して春から夏に咲くタイプに分けられます。  NHK趣味の園芸からの引用。

↑↓モモノカガヤキ

欠点は日がかげると萎むこと。撮影時は日がサンサン。

かたばみ、オキザイスだけで季節を特定できない。

桃の輝きのように12月から1月にかけて咲くものもあれば

花カタバミのように晩秋から早春まで咲くもの。5月が盛りのもの。いろいろ。

だいたいいつも同じ場所のものを撮影している

↑はハナカタバミ オキザリス・ボーウイ

オキザリスだけでは季語にならない。

 
露西亜語の文書く卓のオキザリス 大野雑草子
 
俊寛に消されてゆく船オキザリス 中島衣子
 
母のゐぬ微熱の午後やオキザリス 岡本 伸
 
野に埋る地雷のいくつオキザリス 島 青櫻
 
幸福といふ不幸ありオキザリス 石 寒太
 
そらんじてすぐに忘れるるオキザリス 角谷昌子
 
片思ひならば簡単オキザリス 津高里永子
 
オキザリス雨の茶房に人在らず 中谷朔風
 
須磨寺へ松ある道のオキザリス 大竹孤悠

例句はみな夏の季語として扱っているのであろうか。

身近なところに各種咲いているが、品種の同定はむつかしい。

他のブロッガーも苦労している気配あり。

 

カミヤツデ

いつも紹介しているもの。通りかかる度に撮影している。

京都北山植物園のカミヤツデ↓ 12月7日撮影

わが家の近くのお家の前のものの方がはるかに「大木」

カミヤツデは京都御所の南側、仙頭御所の辺りでも見たことがある。

 

 

 

 

椿事

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30年近く空家で放置されていて、庭中に青桐がはびこっていた、元は鍛冶屋さんの家。

更地になったのは今年の夏で、すでに2度仲介業者が変わって、2件目の不動産屋も撤退したように見える66坪。

駅には徒歩7、8分の距離だが、当初の売り出し価格は1区画33坪で4000万。相続人の希望が高すぎる気はする。

角地ではないので面する道路は一つ。それも車のすれ違いが不可能な4.5メートル幅。

この地の不思議は、他の近辺の更地と違って野草の茂りがみられない。

日当りが極端に悪いとは思えない。水はけが極端に悪いとも思えない。

かつてはアオギリが林にように茂り、セイタカアワダチソウなども目立っていた。

今はホトケノザがめだつ程度。

植えられていた(と思える)水仙の芽が見える。道路沿いの溝端にはキュリグサなどもロゼット状になっている

駅前のビルの4階の集会室での句会

第503回例会

私を含み出席者全員が特選ないし入選とした句が現れた。

出句者と出席者の数に1人の差があるので、この句の作者は不在出句者のもの。

 

目の前のものを探していた寒暮

 

過去502回の記憶では一度も現れなかった。まさに椿事。

 

私も入選にはしたが、特選マーク入れなかった。

描かれている世界は誰でもが数回は経験していることで、新鮮さがない。

5・9・3のリズムに仕立てたのが技。

 

この句会の特徴は、披講省略

各人の選句は句会進行係のもとへ提出、その場で、句稿一覧にの選者名を記入。

よって最後の選者が選句を申告した段階で、集計結果が句会進行係には分かるが

他の出席者には選句結果が分からない。

 

この方法は、披講係、句会進行係が私であった頃に経験した不満に端を発する。

その不満については以前にも書いた。

 

かねがね、それぞれの句会には他にない特徴が1つはないと面白くないというのが持論でもある。

今日はくもりがち時に小雨。よってモモノカガヤキは↑↓の状態。

しかし花数がこれほどに増えて来ると閉じている時もきれいだ。

 

句会終了後忘年会。

忘年会最中来年の新年会もやろうということになった。ついでならバレンタイン祭りもひな祭りもと

しばらくは二次会喫茶もなかった句会の変貌ぶり。

忘年会の料理は撮り忘れ。

 

 

 

楓落葉

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富松神社の傍を通ったら紅葉の落葉が綺麗だったので、神社の中へ

中坪の早き暮色や散紅葉 野村多賀子
 
散紅葉果なき如く色重ね 稲畑汀子
 
七滝の一つが見えて散紅葉 新井秋鴨
 
散紅葉実盛の池染めにけり 堀口星眠
 
一椀を拝む夕餉や散紅葉 大庭紫逢
 
散紅葉雪の如くに蹴立て見る 上野 泰
 
湧き水の音遠近に散紅葉 下間ノリ
 
散紅葉ここも掃きゐる二尊院 高浜虚子
 
散紅葉人工芝に落ちつかず 池田博子
 
磐石を刳りて磴とす散紅葉 松本たかし
 
散紅葉子の輪に入りてふと淋し 長谷川かな女
 
夜の塔を風音越ゆる散紅葉 水原秋桜子
 
散紅葉まぶし板彫曼陀羅図 高橋より子
 
菊坂は母の青春散紅葉 村松 堅
 
はじめより掃かでありたる散紅葉 後藤夜半
 
毎日が去る日ばかりや散紅葉 百合山羽公
 
夜の塔を風音越ゆる散紅葉 水原秋桜子
 
尽大地燃ゆるがごとき散紅葉 赤星水竹居
 
流れにははじまつてをり散紅葉 藤崎久を
 
散紅葉水に乗る時迷ひなし 西村和子 かりそめならず
 
柳河の水やはらかし散紅葉 西本一都
 
山住みの裏戸は掃かず散紅葉 馬場移公子
 
金色堂出づや蒔絵の散紅葉 大橋敦子
 
散紅葉とどくを待ちて渕碧し 横山房子
 
どの草も犬の後架ぞ散紅葉 一茶 ■文化十一年甲戊(五十二歳)
 
こやし積夕山畠や散紅葉 一茶 ■享和三年癸亥(四十一歳)
 
なつかしき人散紅葉散黄葉 稲畑汀子 汀子第二句集
 
置ける如吹かれ来し如散紅葉 後藤夜半
 
散紅葉鳥獣絵巻かくれなし 水原秋櫻子

昨夜の雨で色変わりしているものもあったが、雨がやんでから散ったらしいものは色鮮やか

↑の木はまだ紅葉が枝に残り、落葉も新しい↓

「落葉」で検索  1600句以上。

最初の10句

揉み零すごとく落葉落葉かな 行方克己 昆虫記
 
落葉松は直幹落葉しつくして 山口誓子
 
確かな岩壁落葉のときは落葉のなか 金子兜太
 
落葉して落葉は遠き音となる 柴田白葉女 『冬泉』
 
落葉降る落葉被るにはやや早き 小林康治 『存念』
 
余命もてころがる落葉追う落葉 櫛見充男
 
東西南北夏落葉落葉 黒崎治夫
 
落葉焚く落葉の中にゐる蝶も 黒谷忠
 
落葉踏む猟夫の肩にまた落葉 山田麗眺子

91句目~100句までの10句

城山の崖掃きおとす夏落葉 松村蒼石
 
ハンモック揺るる落葉松林かな 首藤会津子
 
秋近や落葉松うかぶ風呂の中 室生犀星
 
水無月の木蔭によれば落葉かな 渡辺水巴
 
落葉松林木の芽起しの雷わたる 山口草堂
 
落葉松に春逝く谺ひびきけり 小林吐秋
 
わが畑柿の落葉のたまるのみ 倉田 素直
 
一幹をめぐりて掃きぬ柿落葉 羽生 大雪
 
餓死供養塔にふれては朴落葉 小川 真砂二
 
ひらひらと落葉に是々も非々もなく 伊東 伸堂

901句目~910句目

落葉焚けり歴史の虚実中 佐野まもる
 
常磐木の落葉ことばを尽しけり 原裕
 
この落葉どこまで行かば神隠し 神崎忠
 
白骨の手足が戦ぐ落葉季 三橋鷹女
 
一枚の落葉となりて昏睡す 野見山朱鳥
 
踏めばある深きところや竹落葉 岩田由美
 
椎の実や落葉の上に落ちし音 阿部みどり女
 
生涯にこの一音を朴落葉 有馬朗人
 
わが歩む落葉の音のあるばかり 杉田久女
 
拾得は焚き寒山は掃く落葉 芥川龍之介

拝殿

991~1000

蹤いてくるその足音も落葉踏む 清崎敏郎
 
あふむいて眺る翌日(あす)の落葉かな 也有
 
街路樹の夜も落葉をいそぐなり 高野素十
 
いちまいの朴の落葉のありしあと 長谷川素逝
 
やや遠き空をながるる朴落葉 橋本鶏二
 
ぼろぼろの朴の落葉や森二月 阿部信
 
見せあひて更に大きな朴落葉 森田峠
 
一しまき庇の落葉さらへけり 野村泊月
 
日向ぼこしてゐる前に落葉舞ひ 高浜年尾
 
炭を切る手元暮れゆく落葉かな 村山たか女

 

鳥居の中↑

 

 

楓紅葉の下

↑ 千両

↑万両

千両を検索 64句 一部

襖絵の墨の薄るる実千両 古田紀一
 
祇王祇女他無縁墓実千両 田中水桜
 
千両を供へ霊泉祀らるる 清崎敏郎
 
源三位墓前眼に沁む黄千両 松本 進
 
いくたび病みいくたび癒えき実千両 石田波郷
 
千両の一粒づつに弥陀の雨 篠原二歩
 
千両の実も万両の実も赤し 稲田 重子
 
千両の実のつかれ見し二月盡 池邊 美保子
 
名は千両といふ明るくて寂しくて 有働 亨
 
半日にして千両の啄まれ 木内彰志
 
山より日ほとばしりきぬ実千両 永田耕一郎
 
流寓の果てのふるさと実千両 高橋沐石
 
御霊屋の萬両の冷え千両に 山口都茂女
 
蔵涼し千両箱の黒びかり 山田紀子
 
婚の荷の届きし部屋の実千両 木村ヤスエ
 
水替へて千両の実をこぼしけり 星野すま子
 
活け了へて千両の揺れとどまりぬ 相馬沙緻
 
枝折戸を閉ざす山荘実千両 五十島典子
 
千両の実をこぼしたる青畳 今井つる女
 
名は千両といふ明るくて寂しくて 有働 亨
 
千両を供へ霊泉祀らるる 清崎敏郎
 
半日にして千両の啄まれ 木内彰志
 
千両猫がとほれば冴ゆるなり 太田鴻村
 
いくたび病みいくたび癒えき実千両 石田波郷
 
千両の紅めでたさや初手水 河野静雲
 
活け終えし松の根締は実千両 山崎道子
 
千両の実をこぼしたる青畳 今井つる女
 
家具買って家具捨てきれず実千両 三苫知夫
 

シクラメン話題は桜見る会で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葦原

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20:27 目下作成中

淀川右岸  十三と南方の間位

川中に葦の小島が、上流に向かって面積は拡大。

撮影地点は淀川区、対岸は北区である。

いつもは↑の撮影地点より下流側を歩くことが多い。見える鉄橋は阪急電車のもの。京都線、宝塚線、神戸線の3本の橋がならぶ。

それに並行して十三大橋

十三大橋を徒歩で渡って梅田側の中津駅方面に歩いたのは一度だけ

指名手配犯がここを渡っていゐる途中で職務質問で逮捕されたニュースが先日あった。

逆に梅田側から十三大橋を渡った記憶はない。

上の碑のよこにある地蔵堂の地蔵さん

 

黄緑色ないし茶色の芽は、タブン、刈り取られた葛の走り根からでてきた「ヒコバエ」

↓は柴島干潟 画像は借り物。干潟再生プロジェクト実証実験中といった掲示がJR京都線の車内から見えていた。

 

 

 

淀川の葦原で有名なのは鵜殿である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「難波がた見じかき蘆のふしのまをあはで此のよをすごしてよとや」
「難波江の蘆のかりねの一夜ゆへ身をつくしてや恋わたるべき」

 

「世の中ようと野に蘆のよしとてもほに出りけりな秋の夕暮れ」

 

「鶯の啼くや鵜殿の河柳」
 
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