晩夏の路傍↑ スベリヒユとコニシキソウ
百日紅も晩夏の樹花
↑↓こうなるともう分からない。
花が咲いているからわかるという人のご教示を期待。
わたしにはヒメムカシヨモギに見えるが。
シュウメイギク↓
塚口御坊 南町
正玄寺晩夏
apedia の解説 正玄寺:
塚口字辰巳(現塚口本町1丁目)にある、浄土真宗興正寺派の寺院。山号は円融山。『立花志稿』は「興正寺塚口別院由緒」ほかを引いて、1409年(応永16)性曇上人開基とし、本山興正寺の別院と正玄寺が一体となっているが本来は別で、また正玄寺の名称は古来塚口にあった寺名を流用したものとしている。興正寺別院は中世には塚口御坊と呼ばれ、西摂一帯に末寺を有し一向一揆の中心であった。近世中期にもなお西摂53か寺が輪番で同寺を守護することが定められていた。
同じくweb版尼崎市史解説のapediaから「立花志稿」の解説
寺阪五夫編、1940年(昭和15)11月立花村発行。変形菊判、本文298頁。
当時立花村助役であった寺阪五夫が、都市化の進む立花村の歴史を記録すべく、紀元2600年(1940年)を機に企画・執筆したもの。内容は、行政沿革および大字ごとの歴史・社寺・河川水利・名所旧跡・古文書の紹介など。全編にわたって史料に準拠した実証的な記述に努めているのが特徴的。また、豊富に引用されている古文書・古記録類の中には、今日では所在不明もしくは失われたものもあり、史料としても貴重である。
清水町・北町↓岸本さんち。矢野さんっちと同じく、邸宅前に工場がある。菰作り。↑
とある場所で、御坊を後にして、昭和の初めに阪急電車が開発した邸宅街へ
個人住宅にしては珍しく、モルタル壁にいっぱい蔦などを這わせている。
と思ったが、どうやら社長宅と会社が同居しているみたい。