もう30年前になるかも
経済学部のすべて見下ろす泰山木
という句を発表した。好評であった。
「俳諧歳時記」を覗いてみると、泰山木だけでも夏の季語になるようだが、
ふつうは泰山木の花が夏の季語(5月6月)となる。
歳時記無視の時代であったから支持者があったが、同じ系譜の結社ではあるが
いまや旧習派が多くなって、この句には季語がないなどという人もあるだろう。
この句を記憶している理由の一つが、以後結社内では
医学部や文学部、農学部など学部名を持ち出すのが流行ったからである。
西宮市の丘陵地帯に関西学院大学がある。
最寄駅から近いこともあり、学内への立ち入りが自由なこともあり
(大学の多くは郊外の田園地帯に立地しているが、
こういう場所はあぜ道や林道が通っている。それらを含んで広い土地を購入するのだが
その道を通らなければならない住民が少しは残ってしまう。
公道はいまや広い学内道路の一部になり、そこが畦道であったことを記憶する人はいなくなってしまうが、大学としては当初売買契約時の内容を尊重し
夜間も学内通行可能(門を終日開門状態にする)にしている。)
結社の吟行会でよく利用する。
そんな折には、さすがに経済学部は登場しないが、神学部や法学部などを詠った句がじゃんじゃん登場。
さらには、馬術部や茶道部などの学内サークルの案内パンフや練習風景に触発された句が目についた。
ところで上掲句などは今の大学風景としては詠いにくい。
代表が東京にある諸大学である。
本郷の赤門をくぐると、20年以上前なら、三四郎が覗いたであろうようなレンガ建て2階建、3階建ての学舎が、工学部の一学科の表札を付けて残っていた。
早稲田大学は近年急速に高層ビル街へ変貌していった。
泰山木の標準背丈ではもう学舎を見下ろすことはできなくなっている。
受験生を乗せて高速エレベータ
エレベータを降りて、国語だろうが英語だろうが、
正解と思われる記号を一日がかりで塗りつぶしてゆくと合格通知が届く仕組みになっている。
多くの大学は合格者の学内掲示板での発表さえやめてしまっている。
IDとパスワードをインプットすれば合否が分かるようになっている。
今日見た泰山木
その下では桔梗が咲き乱れていた。
そのまた昔、野沢温泉の学生村で夏を過ごしていた時、その家は、夜業で、まだ開花していない桔梗を箱詰めしていた。
翌日には東京の花卉市場へ出荷されたのであろう。
畑を見にゆくと、何本も紐が横に張られて、キキョウがまっすぐ育つように仕組まれていた。
最初に利用した時は、1泊3食が550円だった。
「ユートピア」荘という名の民宿だった。
ゲレンデも所有・経営なさっていたので、
冬場が掻きいれ時だったと思う。
冬場なら10人くらい押しこまれる広い部屋を隣室部分も含めて独占していた。8月も半ばになると、窓から青りんごをむしりとることができた。
西粟倉村の春名さんっちも、親戚の住職さんの紹介で利用したことがある。
今年西粟倉村のアワクランド前の観光地図を見ていると
民宿「春名」の文字を見つけ懐かしかった。
岩倉寺で、春名さんはいまでも民宿やっているの?と聞いたら、
だいぶ前に当主がなくなり民宿はやっていないとのこと。
ここで勉強していたら、毎日先代の住職がやってきて何か差し入れをしてくれた。それから、それが昼過ぎなら夕刻までは碁を打っていた。
1局が20分くらいで終わる。
私の家庭教師のアルバイトが週2回各2時間英語と数学の指導で、
大学1年の時が月3000円、次の年は3500円であった。
泰山木と桔梗は、有馬道沿いの公園のものである。
この道が塚口御坊を抜けて富松の札場の辻を通って富松神社前から
宝塚小浜へ通じていたのだ。
よって秀吉さんも塚口御坊を通ったことがあるのであろう。