火事跡の枯れ草の中に堂々たる新芽が出てきている。
目をこらすといたるところから芽吹いている。
傍らには去年のものがまだ姿をとどめている。
初めてこの鬼薊を見た時には、周辺には同種のものが見当たらなかったので
それなりに感動した。
ネット上で鬼薊を検索。
かなりかわいい。
例句などはそれを詠ったのであろう。芭蕉の時代にも存在していた。
今日改めて「アメリカ鬼薊」で検索してみた。画像だけなら、
私がここ数年見ているものよりは、花の色が薄く、花だけ見ると可憐な感じがしないこともない。
しかしまちがいなく私がアメリカ鬼薊と名付けたものである。
アメリカ原産ではなく、メキシコかもしれないなどと思ったが、1940年代以前なら「唐」、19世紀なら「南蛮〇〇」と呼ぶものを、20世紀になると「メリケン〇〇」と呼び、1950年代以降は「アメリカ〇〇」と呼んでいる習慣に応じてアメリカオニアザミという名を編み出したが、
アメリカオニアザミという名は1960年代からすでに存在していたようだ。
北海道の牧場で確認され、アメリカからの輸入飼料(牧草)に種(胞子)が入り込んでいたのであろうという推測である。その後急速に本土、四国に広まったようである。
しかし原産地はユーラシア大陸ゆえ、ヨーロッパ鬼薊と呼ぶこともあるらしい。
ヨーロッパからアメリカへ移入、さらにアメリカから日本へ渡ってきた「非意図的移入植物」
である。非意図的とは園芸店が輸入したわけではないということである。
スコットランドの国花は鬼薊だが、その鬼薊は、このアメリカ鬼薊であるとのこと。
どちらかというと冷涼な環境を好むらしい・
その昔、デーン人がスコットランドの海岸に夜襲をかけた時、
この鬼薊の群落に迷い込み大声をあげて痛みを訴えたので
守備隊が襲撃に気づき、撃退できたことから、「国花」へ昇格したとか。
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