「でもね、じ~じが待ってるだろうから、顔だけでも見せてあげないと」
ということで最近は、スカイプ、お休みの挨拶と明日の予定を聞くだけ。今日はお友達が家へ遊びに来たようである。
いっしょにお勉強するという名目での(電車乗っての)行き来も結構あるようである。
アキノタムラソウ、どうしてそう呼ぶのか分からないそうである。
田村さんちで初めて見つかったからか、田村という村の「特産」だったからか?
同じように、イチビはどうしてそう呼ぶのか、漢字を当てはめればどう表記するのか、
こう書きだした瞬間では、私は知らない。
まずはイチビの画像。2株だけしかないようなことを書いたが、しっかり足を踏み入れて更地の中を散策したら、たちまち20株以上目に付いた。
「イチビ」と記入して検索をクリック、適当に開いた最初のHPに早速、「漢字不明」とある。
平安時代から江戸時代まで繊維用に栽培されていたというのに、漢字表記が不明とはこれまた不思議。ウィキペディアも漢字表記を示していない。
別名として、キリアサ(桐麻)、
『俳諧歳時記』の夏の項に、「石櫧の花」(いちびのはな)というのが収録されている。
関連語として檪子(いちび)、いちがし、いちひがし、あきさくがしとある。
櫧の字はショ かしが音訓である。檪は、レキ、リャク、くぬぎである。
これは高木で、上の画像のイチビではない。例句もない。
あるHPに次のような解説あり。
別名、ボウマ(ぼう麻)、キリアサ(桐麻)とも呼ばれ、いわゆる麻の一種として用いられ、又皮をはいだ芯は火縄にされることから 「打ち火」 がなまってイチビになったとされる。
アカソやカラムシ、ヤブマオ等いわゆる麻の繊維が衰退した時にこのイチビも栽培される事は無くなったが、アカソやカラムシ、ヤブマオが現在でも野草として繁茂しているのに比べ、イチビはほとんど見られなくなった。
野の花として認知されていないのにもかかわらず、近年、日本各地でイチビが雑草として目立ち始めたのにもれっきとした理由が有るようである。 それは中国経由で入ってきたイチビではなく、近年アメリカ経由で入ってきたイチビが目立つようになった事である。
これによるならイチビは、「いち火」とは書けそうである。
しかしどうして『俳諧歳時記』に記述がないのであろう。
もう一度見なおした。
索引では、「いちび」があって、その後に「いちひ」があるが、さらにその後に「いちび」が並んでいる。私が見落としていた。
その「いちび」には莔麻の字があてられている。
莔麻と書いていちびと読ませている。
ネット上の漢和辞典で引くと、莔は
くせものはこの種袋で、500粒位入っていて、15年あるいは20年生き延びるらしい。種子はそれぞれ14個の分果からなるらしい。
こんなにたくさん生えているのなら、別の更地(火事跡)はいかんと探してみたが、
そこでは見つからなかった。
「イチビ」でも「いちび」でも例句はなかった。「莔麻」は登録漢字ではないので、文字化けする。「麻」で検索。200句でてきたが、この字と一緒になっているものはない。
百日紅と書いて「さるすべり」と読む。日本で呼びならわされた
さるすべりは、中国原産で、江戸時代になって日本に入ってきたらしい。中国名が「百日紅」だったので、漢字表記はそちらを借用したようだ。「猿滑」とも書いた時があったようである。
ともかく日本への導入が元禄以降だと、芭蕉には、百日紅を詠った句はないと言えそうである。導入されてから50年位は、一般家庭に普通にみられる樹木ではなかったはずである。蕪村も一茶も百日紅を知らなかったかも。
いちびの漢字表記についても同じことが言えそうである。
ブログ公開時点では、尾道の「千光寺山荘」で、烏龍茶飲んで懇親会に出席している筈である。
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