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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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貴布祢神社

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京都の貴船神社も、貴布祢神社と表記することもある。

 

木屋町の川床とは基本的に違う。まさに流れる川の真上に床を敷いたものである。

その床を濡らすほどに増水した場合は利用不可能。

 

京都の貴船神社と尼崎の貴布祢神社の関係は?

 

ウィキペディア(貴船神社のHPの記述は部分的切り取りが難しいので):

 

貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることかららず「きふね」という。

 

水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

 

古来より、晴れを願うときには白馬が、を願うときには黒馬が奉納されたが、実際のに代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。

 

また、縁結びの神としての信仰もあり、小説漫画陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には丑の刻であるかどうかは不明だが貴船神社にに参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる[1]

付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。

 

祭神は、

創建の年代は不詳であるが、社伝では反正天皇の時代の創建としている。社伝によれば、神武天皇である玉依姫命が、黄色に乗って淀川鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小に覆われたものと伝える。「の産まれる根源」が転じて「気生根」になったともいう。

 

 

この由緒の部分 今の私には理解がむつかしい。

 

神武東遷前に、母親の方が先に、それも紀伊や大和ではなく、山城の山奥に来ている。

玉依姫命はそれからまた朝鮮半島に戻って子を産み、その子が南九州にやってきたのか?

 

同じくウィキペディアの「タマヨリヒメ」の解説:

 

記紀風土記などに見える女性の名で、固有名詞ではない[1]。従って、豊玉姫海神)や、賀茂別雷神などとして数多く登場する。

  1. 神霊を宿す女性巫女
    1. 日本書紀第七の一書に、「一に云はく」として高皇産霊神の子の児萬幡姫の子として玉依姫命が見える。ここでいう児萬幡姫は栲幡千千姫命の別名で、天火明命瓊瓊杵尊の母である。
    2. 日本神話で、海の神の娘。ウガヤフキアエズノミコト(鸕鷀草葺不合尊)の妃となり、四子を産んだ。末子は神武天皇(カンヤマトイワレビコノミコト、神日本磐余彦尊)。
    3. 賀茂伝説で、タケツヌミノミコト(建角身命)の娘。丹塗矢(本性は火雷神)と結婚し、ワケイカズチノカミ(別雷神)を産んだ[2]
尼崎 貴布祢神社
 
明後日に夏越祭がある。神灯も屋台の枠組みなども準備完了
阪神高速のさらに南に見える煙突のある地区一帯は旭硝子の工場である。
ウィキペディアの、尼崎貴船神社解説:
 

貴布禰神社(きふねじんじゃ・きぶねじんじゃ)は兵庫県尼崎市西本町六丁目にある神社京都貴船神社を総本宮とする、旧尼崎町の惣氏神。いわゆる尼崎のだんじり祭は同社が有名である。

なお、同名の神社が市内の長洲中通三丁目にも存在する。発祥の地は長洲(ながす)の貴布禰神社とされ、中世の発展と共に分祀されたものと考えられる[1]

 

創建の由縁については、平安遷都の際に運搬船を仕立てた紀氏紀船(きふね)を祀った逸話や、丹生川上神社貴船神社との関連等諸説ある[2]

 
タマヨリヒメは瀬戸内から長洲を経て淀川を遡り、賀茂川、貴船川を経て京都の貴船へ到達したという諸説の一つが由緒に紹介されている:
 
「尼崎に上陸され・・」が引用符でくくられているが、京都の貴船神社の由緒では、そこまで詳しくはない。「淀川・・を(経て)」だから。神武誕生以前には、淀川の河口は長洲よりまだ北であったはず。もちろん尼崎(海士崎)という地区も地名も存在しなかった。
 
 尼崎という地ないし地名が現れるのは12世紀末のよう。
 
 
 
↓裏門
鏡餅岩にのせあり貴船道 五十嵐播水
 
冬苺摘み来貴船の道すがら 新井悠二
 
川浚ひしたる貴船の年用意 土山紫牛
 
水引の鋭きくれなゐを貴船みち 藤本和子
 
目さむれば貴船の芒生けてありぬ 高浜虚子
 
貴船茶屋十日の菊をならべけり 岩崎照子
 
去来忌やふふみそめたる貴船菊 大島民郎
 
水に手をつけて貴船の秋はじめ 山上樹実雄
 
鞍馬より貴船に降りて立葵 庄中健吉
 
鞍馬より貴船へ下る朴の花 大橋越央子
 
落し文拾ひて入る貴船茶屋 西居 浩
 
老鶯や貴船鞍馬の幾つ谷 松根東洋城
 
昏れぎはのぼんぼり灯る貴船川床 加治 勇
 
絵団扇や貴船は今も山の中 波多野爽波
 
貴船茶屋屋根も屏風もみな葭簀 岩崎三栄
 
花楓貴船の神の水ひゞく 土田祈久男
 
春浅き鞍馬街道貴船かな 草間時彦
 
淋しさよ貴船祭の提灯は 波多野爽波 『鋪道の花』
 
新緑や人の少なき貴船村 波多野爽波 『鋪道の花』
 
長雨の皆下向きに貴船菊 寺田順子
 
観音の影のさまなる貴船菊 阿部みどり女
 
菊の香や垣の裾にも貴船菊 水原秋桜子
 
尚のこる峰の桜や貴船村 松尾いはほ
 
初寅の護符をかざして貴船へも 中田余瓶
 
門松を水に打ちたて貴船川 荻野杏子
 
干大根貴船鞍馬に道岐れ 吉田松籟
 
奥宮へ川床段々に貴船川 峰山 清
 
石積みて畑さゝへあり貴船菊 甲賀 山村
 
谷底と見えて青葉の貴船径 北元多加
 
絹うちは措けば貴船の夜の深み 長沼 恒子
 
水占や貴船の神の滴りに 石野冬青
 
火祭の火の粉にこげし貴船菊 恒川ひさを
 
橡の花貴船といへばこぼれけり 後藤夜半
 
木芽漬貴船の禰宜が句をそへて 藤井紫影
 
初寅の護符をかざして貴船へも 中田余瓶
 
初寅や貴船へ下る小提灯 前田青雲
 
冬ざれや貴船の宮の手水鉢 洛山人
 
貴船路は雨もあをしや初河鹿 たつ
 
ほととぎす貴船へ通ふ禰宜ひとり 来山
 
老鶯や貴船鞍馬の幾つ谷 東洋城
 
藤垂れて貴船路の春逡巡と 風生
 
尚のこる峰の桜や貴船村 いはほ
 
猪血垂り貴船奥社のほとりまで 鈴鹿野風呂
 
鞍馬嶺を出でたる月の貴船みち 高浜年尾
 
祭髪してゐる貴船女かな 長谷川素逝
 
エアコンの型が古くて貴船かな 岸本尚毅 舜
 
冬日入る二階に酒や貴船川 小川軽舟
 
山ざくら貴船にひとの漾うて 中田剛 珠樹
 
貴船菊水車に力呼びし雨 大岳水一路
 
老鴬や貴船鞍馬の幾つ谷 松根東洋城
 
ほととぎす貴船へ通ふ禰宜ひとり 来山
 
貴船川遡るにつれて遅桜 田畑比古
 
斧の音杉の貴船の秋天透き 北野民夫
 
女童に餅つかせゐる貴船かな 安東次男 昨
 
貴船川蝶々高くとぶばかり 星野立子
 
暑に耐へる貴船の人ら顔見せず 原コウ子
 
川音に貴船の蝶の透くばかり 奥坂まや
 
まんさくの貴船の奥へ下校の子 山本洋子
 
貴船道日傘たゝめばよきものを 森田峠 三角屋根
 
霧雨や貴船の神子と一咄し 曲翠 俳諧撰集「藤の実」
 
貴船川流るるかぎり納涼せり 阿波野青畝

 

尼崎の祭と言えば、この神社のだんじり祭りである。

「あにあん倶楽部」HPから

尼崎だんじり祭

8月1日(土)2日(日)に、「平成27年度貴布禰神社(きふねじんじゃ)夏季大祭 尼崎だんじり祭り」が開催されます!

「尼のきふねさん」で親しまれる貴布禰神社は、尼崎屈指のお宮です。
かつて尼崎城主のご祈願所を務め、たびたび雨乞いの神事が行われてきた市内唯一の元縣社で、
戦後は工都・尼崎の守護神として信仰されており、約300年続くだんじり祭りは尼崎名物となっています。

各町から8基のだんじりが曳き出されており、
8月1日(土)は太鼓を先頭に地車8台が商店街や氏子地域をパレードし、
その後の「宮入」では「暴れ太皷演技」が披露されます。
2日(日)は、だんじり同士が正面からぶつかり合う「地車山あわせ」。迫力満点のクライマックスを迎えます。

近隣の商店街ではたくさんの露店や夜店が並び、賑やかなお祭りムードでまち全体が盛り上がります!!

 

 

 

ケーブルテレビでは年中その様子を流している。

 

 

 


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