尼崎市内にはいくつもの地下道がある。
阪急電車、JR,阪神電車の線路を潜るものだから、南北道が多いが、
直線でないものも多い。
地上に踏切道がない場合だと、毎日ここを朝夕潜らなければならない人も多いが、
昼間は余り人が通らない。
この地下道は、JR尼崎駅の東側500メートルほどのところに設置されている。
長洲線と言う幹線道路がJR線の下を潜って南へ通じているがこのあたりから南は工場地帯である。
かつては平面交差していたのかもしれない。
JR尼崎駅の東側は、1916年に尼崎市が誕生したときは、まだ隣村であった。
小田村。
1917年に制定された尼崎市の市章 と 小田村が尼崎市に編入された後の市章
右側の黒丸が小田村を示している。(左側は同時に編入された大庄村)
↑地下道の南側にはヤンマーが見える。
尼崎のサッカーの聖地であるサッカー場を併設している。
ヤンマーの工場の横が、確かグリコの本社工場である。
北側はクボタ。
どちらも大工場である。
こちらは大学生の時に工場見学をした思い出がある。
オートメーションで製作された耕運機がベルト状をゆっくり前進してくる。
それが木枠に収まると、上から覆い蓋が降ろされる。
待ち構えていた作業員が、口に釘を含んで、ものすごいスピードで、
覆い蓋の4隅に釘を打ち付けてゆく。
今ではその様な作業もすべてロボットがやるのだろう。
松下の電池工場では、同じように2列縦隊で出てくる電池を中学を出たばかりと見える女の子が小さな手で6本ずつ12本を箱詰めにしていた。
その横の作業員が、箱に一枚説明書を入れて箱を封印してゆく。
まさにチャップリンの映画の世界だった。
地下道の両側の壁は、多くの場合付近の学校の生徒の作品が並ぶ。
作品を持ち込むのではなく、直接壁に描いてゆくのである。
小田地区石造品調査報告書に小田村役場(現小田支所)敷地内に設置のものが3点記載されている。
小田支所は、この地下道をくぐって、JR尼崎駅の南出口を目指せばそう遠くない。
まさにその通りである。彼しかそうは詠えない。
JR尼崎駅の北側、東側は遊歩道になっている。報告書には記載されていないが、
この緑地帯の中に小田会が寄贈した作品が設置されている。
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