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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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レッドロビン

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暮らし~の のHPより

レットロビンとは、カナメモチ属に分類されている常緑性の高木です。レットロビンは、日本産のカナメモチとオオカナメモチがアメリカで掛け合わされてできた植物です。樹高10mにまで成長し、春になると白くてとてもかわいい花を咲かせてくれます。新芽は赤色をしていてとても美しく、花も新芽も楽しむことができます。

 

私はカナメモチないしレッドロビンを「アカメカシワ」と呼んでいたことがある。

 

ウィキペディア:

アカメガシワ(赤芽槲、赤芽柏、Mallotus japonicus)は、トウダイグサ科アカメガシワ属落葉高木新芽鮮紅色であること、そしてのように大きくなることから命名された説もあるが、柏が生息していない地域では、この木の葉を柏の葉の代用として柏餅を作ったことからアカメガシワと呼ぶようになったとの説もある。古来は熱帯性植物であり、落葉性を身につけることで温帯への進出を果たしたものと見られる。古名は楸(ひさぎ)。

 

この解説よりもそれ以下の文で思い当たることがある。あちらこちらで芽吹く赤芽の

幼木。

日本本州岩手秋田県以南、四国九州のほか、アジアでは台湾中国の南部の山野自生する。日本では二次林に多く、山野、平地、川の土手のほか、空き地などによく生えてくる、典型的なパイオニア植物である。雌雄異株の落葉高木で、樹高は5〜10mに達する。春に出る若葉は、鮮やかな紅色をしており美しく[1]、星状毛が密生する[2]

 

パイオニア植物であるという記述。他の家の庭を整備している庭師に聞いたことある。

アオキという回答だったが、違うと思った。

碑の陰の碑にの花雪白に 加藤知世子
 
の花ここだく散りて侍町 松崎鉄之介
 
想ひ出の石窪に鳥を搗く 中溝 八重子
 
渡り来し小雀はにつき易き 太田鴻村
 
夕月は水色なせりの花 草間時彦
 
掌をあてて散る枝散らぬ枝の花 加倉井秋を
 
ちるや蟇こもりゐる垣の下 村上鬼城
 
七ツ星光る山家や匂ふ 岡田日郎
 
虚空には日の流れをりの花 水野爽径
 
仏陀笑むおぼろにの花振りて 内田秀子
 
の花神秘は人の眼に見えず 三橋鷹女
 
夕凪の木斛にきはまりぬ 渡邊千枝子
 
懸命に装ふがよしの花 本田秋風嶺
 
同じ道とりてもどらぬの花 畑井政蔵
 
夕べまでいつもひとりやの花 星野すま子
 
夕月は水色なせりの花 草間時彦
 
の花こぼるる風の重さだけ 能村登四郎
 
とり出でて花散るに蚊帳を干す 西島麦南
 
医師の来て垣覗く子やの花 富田木歩
 
禽むるる大椿樹下に搗けり 飯田蛇笏
 
つくや蒼蝿の賦に書き漏らし 青木鷺水
 
の花人集まつてゐる暗さ 和田耕三郎
 
夕月は水色なせるの花 草間時彦
 
の木の余技こまごまと花降らす 中尾壽美子
 
の花こぼるる花の重さだけ 能村登四郎
 
暗がりにの木のある夏休み 藤田あけ烏 赤松
 
散りぬ見得の写楽の終焉地 山内遊糸
 
機嫌悪き日や八方にの花 草間時彦
 
躁の雨を手で拭くの花 松岡隆子
 
ちるや蟇こもりゐる垣の下 村上鬼城
 
額咲いてさいて梅雨古きかな 市川東子房
 
暗くなるの木を見つ木歩の忌 下田稔
 
咲くや降るともなしに道濡れて 荒井正隆
 
棒の蠅のうなりや駄菓子店 会津八一
 
咲いて照り放題の川の面 岡本眸
 
着ゆるめての花降る薄日かな 渋谷道
 
マタニティ妹に譲る咲くころ 田川飛旅子
 
眠る山埋め穴に埋め終へし 内田百間
 
木斛かか知らねど朝曇 久保田万太郎 草の丈
 
の花こぼれたければ匂ふなり 後藤比奈夫 花匂ひ
 
水とりや心の闇の流し(もち) 黒柳召波 春泥句集
 
の香やこどもらとすれちがふ 赤城さかえ
 
桐もやゝ皀角も芽をぞふく 加舎白雄
 
目白捕るをコツコツ叩きをり さざなみやつこ
 
 

俳句で黐といえば、クロガネモチやネズミモチではなく、トリモチを作るホンモチを指す。

それを知らずに、私はもっぱらクロガネモチを黐として詠っていた。

 

 

今朝の家の近くの桜

 

 

今朝の近隣公園の桜

 

夜桜

 

一組1家族3人が寂しくい宴

相変わらず寒い。開花時の予報では、神戸(王子動物園)の満開は4月3日、

大阪(大阪城公園)の満開は4月5日であったが、1日2日ずれるかも。

今日の段階で近隣公園ではよく咲いている木で8分他は5分程度。

 

 

 


楽々荘

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亀岡駅前 ↑↓田中源次郎顕彰 

楽々荘(らくらくそう)は京都府亀岡市にある旧田中源太郎邸を使用したホテル1898年(明治31年)頃建築の洋館と七代目小川治兵衛作庭の日本庭園が有名。

 

都鉄道会社(現在の嵯峨野線)の創設者で衆議院議員貴族院議員を務めた田中源太郎が自らの生家を改築したものである。煉瓦造りの洋館は1898年頃に本邸として、書院造りの和館は同年頃に迎賓館として建設。洋館と和館の前に広がる650坪の枯池泉回遊式庭園は七代目小川治兵衛(植治)の作庭で、安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などが亀山城から移設されている。

由緒ありそうな燈籠多数

亀山城から移設した豊臣の紋入り春日燈籠↓

これは「楽々荘お庭の見所」図に記載されている

利用されていない裏木戸横

正面に見えるマンションの名は「亀山城」

幕末をしのぶ洋館秋の草 松永登志
 
若竹の白き洋館さらさらす 高橋孤影
 
霜除や日表の洋館日裏の和館 島村はじめ
 
あぢさゐの下より洋館をのぞく 皆吉司

 

洋館

桜はオオシマザクラ

玄関

宴席は玄関からすぐの部屋であった。

  • 竣工 - 1898年頃
  • 施工期間 - 約5年
  • 構造
    • 洋館 - 煉瓦造一部木造、地上2階建
    • 和館 - 木造、平屋、書院造
  • 所在地 - 京都府亀岡市北町44番地
  • 備考 - 洋館、和館、玄関の3棟が国の登録有形文化財(1997年登録)、庭園は京都府登録文化財(名勝)

トサミズキだと思う

田を守る水木の花もをはりたる 六角文夫
 
千仭の谷や水木の花翼 武居余史
 
水木咲いて中宮門主の恋古りし 渡辺水巴
 
土佐水木良寛堂を燭しけり 松崎鉄之介
 
甃碑に満つ土佐水木 久保田月鈴子
 
鐘一つ撞いて札所の土佐水木 宮川貴子
 
野の川の向う明るき土佐水木 東條未英
 
水木咲く下の暗がり水鳴りて 田山諷子
 
花咲きて水木は枝を平らにす 八木澤高原
 
田仕事のふたりひとりや水木咲く 森田公司
 
水木咲き枝先にすぐ夕蛙 森 澄雄
 
土佐水木仰ぎて星の息と合ふ 古賀まり子
 
かはたれの水木の花のうすなさけ 松本光太郎
 
田仕事のひとりふたりや水木咲く 森田公司
 
着け睫つけたるごとし土佐水木 永川絢子
 
土佐水木仰ぎて星の息と合ふ 古賀まり子
 
土佐水木良寛堂を燭しけり 松崎鉄之介
 
水木咲く乙女聖尼を誓ふ日は 秋月すが子
 
木曾殿にほのと水木の咲きかかり 飴山実
 
庭を掃く水木の花のあかるさに 宮川きしを
 
土佐水木仰ぎて星の息と合ふ 古賀まり子
 
人体も半ばは涙 姫水木 折笠美秋
 
深爪の指でふれしが水木の芽 如月真菜
 
桜桃の幹つたひくる水木霊 長谷川久々子
 
水木咲き枝先にすぐ夕蛙 森澄雄
 
土佐水木仰ぎて星の息と合ふ 古賀まり子
 
伊予水木伊予はやさしき国ならむ 後藤比奈夫 花匂ひ
 
「花水木」の句は省いた。

満開

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花の下何かが足りぬ魔法瓶

 

四郎四郎と呼ぶ桜の実 如月真菜
 
他住、同居の外フランス風に雪降るか 橋本夢道 良妻愚母
 
六の墓へ冬木の桜かな 金子青銅
 
大綿小綿太郎虫の里に飛ぶ 大野林火
 
六月の水の近江に来たりけり 小和子
 
子もも都に住むと若布干す 茨木和生
 
海荒れてこの浜に雁風呂ありそうな 永野
 
の手にどんぐり独楽の良く回はず 森岡 恵女
 
鈴虫やに手枕かしてやり 斎藤 みつ子
 
手花火のに口数多き夫 桐山 ミヨ
 
吊る蚊帳を珍らしと入り来る 林 富佐子
 
洗ひ髪のうなじの早や乙女 小野 武子
 
玖珠の子となりしつれ童話祭 渡辺 彦陽
 
草萌にの一歩の初まりぬ 森山 抱石
 
風に乗るのはしゃぎや潮干狩 嶋川 ミサオ
 
の睦月の空のめでたけれ 瀧村 水峯
 
力強く混血の泣初め 吉川 耕花
 
の買ふ成人の日の宝くじ 河野 ヨネ
 
模型飛行機の肉感野に移し 金内 茜
 
流れついた羊のようながねむる 中原 梓
 
小包みの隅はへの冬帽子 落合よう子
 
花八ツ手総身湯気のがいる 中原 梓
 
の車来て秋耕の老帰る 小林波留
 
わが血引くは背にあり赤とんぼ 中原 梓
 
桜桃花こんなに太きの手足 中原 梓
 
楪葉や玄まで抱く一系図 三好夜叉男
 
福藁を最初に踏みて来たり 能村登四郎
 
二男二女は数へず走馬燈 長谷川双魚 『ひとつとや』
 
わが愛は菓子呉るるだけ裸 田川飛旅子 『使徒の眼』
 
ほほえみを覚えて使ふ花下の 田川飛旅子 『植樹祭』
 
の産湯のさし湯手伝う日の障子 田川飛旅子 『植樹祭』
 
二番目のは女よ冬林檎 小俣由とり
 
木の実独楽造れり等遠くあり 高橋利雄
 
子に読みし絵本をに五月晴 沼尻ふく
 
時計草が泊りに来てをりぬ 山崎ひさを
 
雛仕舞ふに教へてねんごろに 小泉はつゑ
 
年玉をに貰ひて驚けり 相生垣瓜人
 
のやうな巫女に礼して破魔矢受く 和田春雷
 
拝むことに教へる初詣 久保田重之
 
まゆ玉やかたみにを抱き上ぐる 五十嵐八重子
 
背比べのに越されし初鏡 中村寒波
 
百日のが主役の初笑ひ 竹吉章太
 
冬木の芽跡取りが居てがゐて 宮坂秋湖
 
三人のみなをみな七五三 成宮紫水
 
寒四郎秩父をの駆け回る 矢島蓼水
 
職無しは刀立つくり育て 岸田文介
 
芋の秋初ふぐり忘れずに 西島麦南
 
団栗溜めこんで長頭系の 安藤今朝吉
 
を呼ぶ楽しみにとる甲虫 吉田きみ
 
夏蝶やの産着の水洗い 桑山撫子
 
鱚ひらく美濃六の出刃使ひ 歌津紘子
 
のいやいやしてる鯉幟 大村恭子
 
道連れはの喃語と散るさくら 東 智恵子
 
いちどきに三人が初湯かな 静 良夜
 
初笑初泣が家の芯 下村ひろし
 
年玉をに貰ひて驚けり 相生垣瓜人
 
蝉籠の蝉鳴くの忘れもの 金子伊昔紅
 
捕虫網の余勢やら家に満ち 桂樟蹊子
 
色鉛筆虹を見て来しに買ふ 岡田 和子
 
去りし障子の穴の夜の秋 相馬遷子
 
白たんぽぽこの僧になると言ふ 小澤満佐子
 
鼬罠に伝へて死にゆけり 高木公園
 
日本海昏し雪沓のに蹤き 土橋朴人子
 
溝蕎麦の鳥の脚よりなほ繊き 永野
 
紫蘇の実をこぼす光となりにけり 永野
 
とはこれか総身「小さき運動会」 中村草田男
 
天花粉眠たきをうらがへす 大溝白日夢
 
子の命(みこと)の命や招魂祭 宮下翠舟
 
片言のの年賀をうけにけり 林鰌児
 
の顔ひとりふえたるごまめかな 三宅応人
 
三ケ日の玩具につまづきぬ 青木よしを
 
七種や女ぞろひの 梧逸
 
年玉をに貰ひて驚けり 瓜人
 
大綿小綿太郎虫の里に飛ぶ 林火 (白石市斉川)
 
去りし障子の穴の夜の秋 遷子
 
手毬つく布哇生れの祖母と 保田白帆子
 
母こぼすなき引け目夏氷 谷口桂子
 
人死んで胡眼(さるのこしかけ)余るなり 長谷川草々
 
菊の香や妻と子とと碑のまえに 浅原六朗 紅鱒群
 
我膝に寝入れるや昼の秋 阿部次郎 赤頭巾
 
音もせで寄り来るや秋の縁 阿部次郎 赤頭巾
 
身の秋にと遊ばむ願かな 阿部次郎 赤頭巾
 
夕煙草思ひ居り秋ひとり 阿部次郎 赤頭巾
 
俳諧とと将棋と熱燗と 里見宜愁
 
十一月婚約の祝しけり 濃野愛子
 
鵙天には畳にはらばへる 山口青邨
 
の手をかふとて老の踊かな 樵風
 
たちに囲まれている敗戦日 里見宜愁
 
去りし障子の穴の夜の秋 相馬遷子
 
太郎虫青梅街道を呼び初めぬ 新田豊
 
真つ赤なる太郎虫の鉤の口 滝沢伊代次
 
やふぐりを持ちて菖蒲太刀 相島虚吼


 

 

演奏会

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豊中市曽根駅前

宝塚姉妹の美味しいダイアリー と題するブログから引用

三義塚の由来 

■ 三義塚と魯迅
1932年(昭和7年)2月、西村真琴博士は戦争で傷ついた人々を救援するため、奉仕団の団長として中国を訪れ、活動していました。
上海市を訪れた時、 戦乱で廃墟となった三義里街の一隅に、飢えて飛べなくなった鳩を見つけ介抱しながら日本に連れて帰りました。
鳩は「三義」と名付けられ、はじめは新聞社の鳩舎に入れましたが、他の鳩ともよく馴れたので、とくに仲のよい一羽とともに、豊中市穂積(現在の服部西町)の自宅で家族同様に育てました。 博士は小鳩が生まれたら、日本と中国友好の証しとして上海市に送るつもりでした。講演会のたびに仲のよいこの鳩を伴ない、鳩をとおして両国民の親善を説いたといいます。
3月16日、鳩はイタチに襲われ死んでしまいました。同情した村の人たちが野面石を持ち込み、塚を立て、博士の自宅庭先にある藤の根近くに、そのなきがらを埋めました。
博士は「三義」の絵に『西東国こそ異へ子鳩等は親善あへり一つ巣箱に』の歌を添えて、中国の文学者、魯迅に贈りました。
魯迅は感激し、1933年6月に七言律詩『三義塔に題す』を詠み、この不朽の名詩を博士に贈りました。
三義塚は、博士が1956年1月に72歳で亡くなった後、1981年の春に、博士の旧宅から、豊中市本町8丁目の孫娘の家の庭先に移され、大切に守られてきました。その後、「三義塚」は、1986年10月の豊中市制50周年を記念して、博士のゆかりの深い中央公民館に移され、今日にいたります。



 

豊中市の中央公民館 アクア文化ホールの傍

 

 

ソロ

デュエット 舞台の背景が変化。

ガラス越しに見えるのは実物の庭

↑赤く見えるのは咲き始めたナガミヒナゲシだと思う。

相方は私の(小学校の)後輩だった。

左端が先生で右端がピアノ伴奏者

出演者は3歳から70歳まで多彩。

ば~ばは鎌倉へ。よって花束持って私一人で参加。

受験のためかどうか、孫(4月から小学5年生)より年上の生徒は極端に少ない。

1人は70歳で入学なさったとか。もっとも若い生徒(3歳)との年齢差は70とか。

 

朝一番に公園へ

 

満開を維持。昼・夕の状況は観察できなかったが、気温が高かったので葉がではじめたかも。

朝方は

主幹・主枝には葉は出ていなかった。

日曜日とあって、午後演奏会へ向けて駅へ行く途中、次々とビニール袋を提げた若者グループと擦れ違った。

 

重複等放置

息白く花見小路を鉢たゝき 角川春樹
 
ユーカリの白い花見る年忘れ 瀧井孝作
 
橙の花見えてをり通し土間 木村里風子
 
土手につく花見疲れの片手かな 久保より江
 
木曽節にはじまる木曽の花見唄 緒方 敬
 
松前の城の花見や大火鉢 藤河朝子
 
年寄の一つ年とる花見して 平畑静塔
 
韭の花見てゐて淋し家に入る 佐竹 たか
 
花見にゆく膝の瓶酒しづかなり 島津亮
 
花見バス待ちゐてひとりひとりなる 細見綾子
 
花見弁当いつも円周上駆ける 相原左義長
 
傾城は後の世かけて花見かな 与謝蕪村
 
つぶろさし花見婆さまのけぞつて(り」の転化。原始的な、エロチックな踊りである。) 岸田稚魚 『花盗人』
 
吾子なしや花見酒とて夜半にくむ 角川源義 『冬の虹』
 
コスモスの花見えて駅現はれし 右城暮石
 
花見ればねぢり花とは聞かずとも 中田はな
 
夕おぼろ葉深く樫の花見たり 栗生純夫
 
土手につく花見づかれの片手かな 久保より江
 
何事ぞ花見る人の長刀 去 来
 
つながれて花見の留守の犬眠る 小俣由とり
 
花見舟水やはらかく川下る 松田義朗
 
老いそめて花見るこころひろやかに 飯田蛇笏
 
花見舟とほき巷の風が見ゆ 大野林火
 
年寄の一つ年とる花見して 平畑静塔
 
花見にも行かずもの憂き結び髪 杉田久女
 
漕ぎ乱す大堰の水や花見船 高浜虚子
 
天守まで聞こゆ農夫の花見唄 草間時彦
 
三椏の花見つむれば風のあり 小林ふく子
 
菜畑に花見がほなる雀かな 芭蕉
 
病窓のひとりひとりの花見かな 木本光春
 
浜人ら豪胆に呑む花見酒 今 鴎昇
 
学生は今日で終りといふ花見 阪西敦子
 
町川や真昼真顔の花見船 久保田和子
 
花見バス待ちゐてひとりひとりなる 細見綾子
 
花見えぬ不安泰山木の樹下 朝倉和江
 
地下足袋の一座を占むる花見酒 田中 俊尾
 
大かたは花見の客や島渡舟 行廣すみ女
 
義太夫に花見虱のつきにけり 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
 
沈み木につかまる泡も花見かな 佐々木六戈 百韻反故 わたくし雨
 
芙蓉一花見出でし朝の微風かな 徳永夏川女
 
花見せてゆめのけしきや烏瓜 阿波野青畝
 
独活の花見てゐる齢さびしみぬ 勝又一透
 
芋の花見せて廻つて疲れけり 古川迷水
 
沙羅の花見んと一途に来たりけり 柴田白葉女
 
榛の花見る愉しさをとりもどす 宮下翠舟
 
夕おぼろ葉深く樫の花見たり 栗生純夫
 
土手につく花見づかれの片手かな 久保より江
 
勇ましき花見剣道部旗をたて 福田蓼汀
 
憂きことに耐へて花見の紅を刷く 鈴木千恵子
 
河童達川より上り花見せり 三島晩蝉
 
杉山にただよふ雲や花見唄 草間時彦
 
みな袖を胸にかさねし花見かな 中村草田男
 
けふもまた花見るあはれ重ねつつ 山口青邨
 
菊の花見に来てゐるか石たゝき 可南
 
菜畠に花見顔なる雀かな 芭蕪
 
師や花やわれ鎌倉に来てゐたり 桂郎 (永井東門居邸お花見句会)
 
春の闇この世のほかの花見ゆる 渡邊千枝子
 
春寒の花見小路に宿をとり 町春草
 
今を生く思い切なり花見上ぐ 浅井青陽子
 
一つ杭に繋ぎ合ひけり花見船 長谷川零余子
 
地獄絵の襖開けたる花見かな 福島せいぎ
 
針に糸通して罌粟の花見ゆる 岸本尚毅 鶏頭
 
花見の真つただ中に井戸ありぬ 五島高資
 
サンチヨ・パンサ思ひつつ来て何かかなしサンチヨ・パンサは降る花見上ぐ 成瀬有
 
春の闇この世のほかの花見ゆる 渡邊千枝子
 
花見せてゆめのけしきや烏瓜 阿波野青畝
 
花見つつ耳遠くゐる民部卿 筑紫磐井 野干
 
近江へは花見箪笥を背負ひゆかな 藤田あけ烏 赤松
 
鯛は花見ぬ里もありけふの月 西鶴
 
さもなくば独活の花見て帰られよ 榎本好宏
 
門を出て仙人掌の花見にゆける 高野素十
 
恣まに花見て来てのつかれ哉 篠崎霞山
 
城壁にもたれて花見疲れかな 高浜虚子
 
花見舟四五艘牽ける汽艇かな 水原秋桜子
 
大悲閣下りて又乗る花見舟 高浜年尾
 
けふは花見まじ未来がおそろしき 一茶
 
物くはぬ顔しらじらと花見かな 高田寒水
 
何事ぞ花見る人の長刀 去来
 
一僕とぽくぽくあるく花見かな 季吟
 
世の中は地獄の上の花見哉 一茶
 
荒れる海「わしらに花見はない」と漁夫 西東三鬼
 
二日灸花見る命大事なり 几董
 
春の闇この世のほかの花見ゆる 渡邊千枝子
 
行春や白き花見ゆ垣のひま 蕪村
 
散り方の花見るうつり心哉 五雲
 
児つれて花見にまかり帽子哉 太祇
 
ふらふらと来ては花見の留守居かな 丈草
 
花見んと致せば下に下に哉 一茶
 
傘さして今朝も花見の幾群か 雄山
 
棒突に盃をさす花見哉 太祇
 
牛守の花見に牛の嗅ぎ寄れり 太田土男
 
花見団子五色の白きより食ぶる 猿橋統流子
 
つぶろさし花見婆さまのけぞつて 岸田稚魚
 
遅れゆくことも花見るこころにて 岸田稚魚
 
禅寺を辞す返り花見たるのみ 右城暮石
 
家族連れ田の神さまのお花見に 小原菁々子
 
雨男あめに命中して花見 赤松[ケイ]子
 
年寄の腰や花見の迷子札 小林一茶 (1763-1827)
 
何事ぞ花見る人の長刀 向井去来(1651-1704)
 
骸骨のうへを粧(よそひ)て花見かな 上島鬼貫(おにつら)(1661-1738)

アジュラ

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昨夜かなり雨が降ったようだが、気付かなかった。

公園ではすでに昨夜敷いたらしいシートの水気を除く作業が始まっていた。7時半

新聞紙を敷き詰め水気を吸わせ、それを取り除いて乾いた布で拭くという作業。

ごくろうさま。

ひきつづき満開状態

最近気づいたが、公園の砂場側の花の下の方がシート誘致率が高い。

子供がすべり台やジャングルジムで遊んでいるのを「監視」できるからであろう。

私がこの公園の標準木と定めている側には大シートを広げることが出来る空間があるが

そういったグループから離れた場所がいいという判断もあるかも。

月曜日であるので、大シートはなく、椋鳥が群れている。

朝は良く晴れ気温もやや冷涼気味だったが、9時過ぎには15度。やがて18度まで外気温があがり、車を運転している間に少し冷房(21度)を入れた。

昆陽池の外側、天神川沿いの桜並木も満開。今日は1人運転なので画像は得られず。

10時半開始の会合。年度末決算と新年度(至 令和2年3月31日 と記載されていた)

予算案作成が主要な課題だったが、

企業の社長職を経験、目下会長である監査役に、信憑書類の不足を指摘され、

次回会合を新年度総会までにもう一度開くことになった。

私が11日から2泊3日の予定を抱えていたので、会合は来週の日曜日に設定。

太公望健在 10時

若い桜もほぼ満開

駐車場は田んぼであった場所を買い取り、転用許可を得たもの

この土手は年間を通じて私にとって大切な野草観察地

画像からは分かりにくいがキランソウが地面を這っている。

↑オオイヌフグリじたい大群落を形成することはなくなった。(イヌフグリは絶滅危惧の評価を受けている。庄下川沿いでもイヌフグリを見ることがあるが、それが犬フグリなのか、オオイヌフグリの幼苗ないし咲き始めの姿なのか判断ができないでいる)

かわってそれほどありふれた草でなかったヒメオドリコソウが繁茂

ここだけではなく、庄下川沿いでもヒメオドリコソウは増えている。群落を形成し始めた。

ホトケノザがかわって道端でみかけるものの、群落形成力は衰弱しているように見える。

裏作をやらない田などでは依然大勢力を発揮しているが。

家に戻って車を降りるとすぐにその足で、また公園へ 13時半

人出が多いのを確認するだけでうれしくなる。

天気良好。横浜にいるワイフからは朝から雨という報告。

遊戯施設側からみると

よく見ると標準木は100%の開花ではない。

満開という表現は8分咲きになれ使えると思うが、厳密には標準木は98%咲き

滑り台の上から

介護福祉士の介助を受けて花の下を行く人。

よく見るとご近所に住む「館長さん」名でHPやブログを運営している人。

館長さんを支えるのは整体師さんで、ワイフをよく知っているとのこと。

日中の気温は20度近くまでになったが、夜はまた冷え込んだので、花はもう数日のこるであろう。明後日水曜日に大雨の予報。

アジュラ

(西洋十二単、西洋キランソウ)

ぐんぐんと色が鮮やかに

富松川沿いの空き地

 

咲ききつて十二単の居丈高 行方克己 知音
 
十二単小さき塔なす院の奥 松本澄江
 
汝にやる十二単衣といふ草を 高浜虚子
 
裳裾曳く十二単と言ふからに 柴崎博子
 
日を浴びて十二単衣の草の丈 岡本まち子
 
紫陽花に十二単衣のあるらしく 藤田次恵
 
略襲ねたまへる十二単かな 後藤夜半
 
しんかんと十二単衣の花ありき 井上雪
 
濡場猫十二単を乱したる 阿波野青畝
 
雛罌粟やヒメツルソバも咲いているが、ニゲラの葉も目立つ。
我が家のニゲラの種はここで採取したもの。
 
花は昨年栽培したリナリア↑

蓬川の桜

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朝一ゴミ出し。その後コープの配達日ゆえ注文品を受け取るとすぐに公園へ。

標準木の前にシートが一枚敷かれているだけ。

この日まで花がもつとは事前想定は無理な故であろうか。

いつもは何組ものシートが密集するあたりがやけに広く感じる

花は満開状態を保持

公園の桜にとっては10日ぶりの静かな朝

まだ蕾も残っている

忘れ物。鍵、眼鏡↑ ↓水筒or?

高齢者雇用センターから派遣の清掃人の好意か?徒歩圏内からの花見客なら探し出しやすい。

この袋のうちどれが見物客作成ものか

これはセンター派遣の人の「作品」であるのは確か。

この人に話しかけたことがある。

みなさん後片付けきちんとなさっているようですね。 いや~そうでもない。

今朝も黙々と。

樟の若葉

金木犀の新芽

ヤマモモの花芽?

空が青いと桜が映える

一度家に戻り、また外出

中国街道沿いの小学校は今日が入学式

守衛さんに頼んで覗かせて貰った

創立100年以上に見えたが入学者は意外に少なそう。

この辺りもバス停名は「○○小学校前」が次々にあるが、分校が増え、今や統合が盛ん。

室内での式が終わって記念撮影中のよう

外国人父母も

守衛さんらしき人に尋ねると、2年生は40人、新入生は35人ほど。

ちなみに私の小学校時代の1クラスは60人を超えていたように思う。

小学校の沿革史

昭和28年1月7日
    開校、尼崎市立大庄小学校及び西小学校より分離独立、
    児童数1,092名(1~5年) 21学級
昭和28年2月8日
    開校式挙行、この日を創立記念日とする
昭和29年6月21日
    「国語教育」の研究指定を受ける(市教委)
昭和31年4月1日
    尼崎市立若葉小学校の開校に伴い、校区の一部を分離する(1~3年)
昭和36年7月14日
    養護学級1学級設置
昭和37年7月23日
    プール完成
昭和38年2月2日
    講堂兼体育館完成
昭和38年2月13日
    特殊教育研究発表会(市教委)
昭和38年9月6日
    特別教室(理科・音楽)増築完成
昭和41年6月11日
    鉄筋校舎(特別3、普通3、便所)完成
昭和43年11月21日
    特別教育活動の研究発表会(市教委)
昭和44年5月4日
    鉄筋校舎(普9)完成
昭和45年8月27日
    鉄筋校舎(管理3、普通6)完成
昭和46年3月31日
    プール用便所完成
昭和46年7月30日
    鉄筋校舎(特別2、普通4、管理2、便所、体育倉庫)完成
昭和47年11月18日
    創立20周年記念式を挙行
昭和49年9月1日
    給食室改築、保健室、市職員室改装
昭和53年3月22日
    前庭造園完成
昭和53年11月1日
    築山工事(アスレチック)完成
昭和53年11月9日
    体育研究発表会(市教委)
昭和54年3月20日
    校舎前平板工事、南校庭緑化工事完成
昭和55年3月30日
    前庭築山工事
昭和56年8月8日
    夜間照明、体育館照明工事完了及び点灯式
昭和56年8月26日
    理科、 図工室及び各準備室内装完了
昭和57年3月8日
    運動場防球フェンス、バックネット完成
昭和58年2月8日
    南門拡張工事、小鳥小屋、国旗掲場ポール完成
昭和58年2月13日
    創立30周年記念式典を挙行
昭和58年8月12日
    家庭科室、 床張替え及び内装工事完了、
    体育倉庫屋根塗装及び樋取り替え完了、
    露場設置工事、 図書館のカウンター・書棚の改修工事完了
昭和58年9月20日
    北通用玄関工事完了
昭和58年10月8日
    消火用設備工事完了
昭和60年4月25日
    家庭科室、 児童用机、ガスレンジ設置完了、露場、
    鉄塔(風向計、風力計設置) 完了
昭和61年9月1日
    体育館電気関係工事完了、渡り廊下・便所工事完了
昭和62年10月27日
    学習指導研究推進指定校研究発表会(市教委)
昭和62年12月18日
    学校フェンス化工事完了
平成元年6月14日
    プール改修工事完了
平成2年4月1日
    愛鳥モデル校 県指定(平成2年4月1日~平成7年3月31日)
平成2年11月13日
    体育館改修工事・校舎外装工事完了、
    視聴覚教室・ゆとり教室完成(普通教室から改造)
平成3年1月24日
    ライオンズ教育奨励賞受賞
平成3年9月1日
    生活科教室完成(普通教室から改造)
平成3年11月1日
    1991年(平成3年度)「ソニー教育資金」応募論文優良校受賞
平成4年11月1日
    1992年(平成4年度)「ソニー教育資金」応募論文努力賞受賞
平成5年7月9日
    花だんコンクール入賞
平成5年8月5日
    気象衛星観測室完成
平成5年8月31日
    校舎内装工事完了 (廊下・階段)
平成5年10月21日
    尼崎市教委指定生活科・理科研究発表会
平成6年1月20日
    コンピュータ室完成
平成6年7月12日
    温室及び昆虫館完成
平成6年10月20日
    第27回全国小学校理科研究発表会
平成7年1月17日
    兵庫県南部地震発生、避難所開設、
    4月29日閉鎖、プール損傷、運動場液状化現象で亀裂多数
平成7年10月23日
    開かれた参観日・自然観察
平成7年12月1日-平成8年3月10日
    震災復旧工事(体育館・プール・校舎・運動場)
平成8年4月1日
    愛鳥モデル校 県指定(平成8年4月1日-平成13年3月31日)
平成8年12月20日
    プール改修工事完了
平成9年3月6日
    第14回ひょうご花と緑のコンクール優良賞受賞
平成9年11月1日
    1997年(平成9年度)「ソニー教育資金」応募論文努力賞受賞
平成10年2月10日
    第9回尼崎教育委員会ビデオ作品コンクール部門賞受賞
平成10年2月18日
    第17回兵庫県教育委員会自作視聴覚ライブラリー優良賞受賞
平成10年2月25日
    第15回ひょうご花と緑のコンクールAM神戸賞受賞
平成10年11月1日
    1998年(平成10年度)「ソニー教育資金」応募論文優秀賞受賞
平成11年2月10日
    第16回花と緑のコンクール県知事賞受賞
平成11年6月25日
    第37回教育研究全国大会(福島大会)にて実践発表
平成11年6月29日
    「開かれた参観日」として、授業公開及び自然観察実施
平成12年3月16日
    ひょうたん池から湿地の生き物池までの「せせらぎ」完成
平成12年3月18日
    全日本建築学会「尼崎シンポジウム2000」開催
平成12年3月28日
    第17回ひょうご花と緑のコンクール「朝日新聞社賞」受賞
平成13年3月9日
    第18回ひょうご花と緑のコンクール県知事賞受賞
平成13年6月27日
    開かれた参観日・講演会
平成13年9月1日
    アスレチック改修工事完了
平成13年9月3日
    北正門改修工事完了
平成14年11月2日
    創立50周年記念式典を挙行
平成14年11月8日
    創立50周年記念音楽コンサート
平成15年7月4日
    開かれた参観日・フィールドワーク
平成16年11月13日
    スポーツクラブ21せいとく発足
平成17年2月16日
    本館・便所等外壁整備工事完了
平成18年2月1日
    防犯訓練「あんしん教室」実施
 平成19年6月26日
    開かれた参観日・フィールドワーク
平成21年11月6日
    第19回兵庫県小学校理科授業研究発表大会
平成22年2月4日
    尼崎ライオンズクラブ教育奨励賞受賞
平成22年10月6日
    教育用コンピュータLAN配線工事完了
 平成23年6月3日
    特色ある教育活動推進事業発表会 
平成24年7月11日
    「登下校メール」及び「お知らせメール」導入
平成25年7月10日    給食室整備工事(完了9月10日)
平成26年1月14日             校舎トイレ耐震化工事開始(完了 平成27年 1月15日)

平成27年9月28日    校舎西トイレ整備工事  (完了 平成28年1月10日)

平成29年6月5日      空調設備工事      (完了 平成29年12月15日)

もっと古い歴史がある学校のように見えた。

 

蓬川(よもがわ)の桜

バーベキュ禁止の立札が見当たらない

庄下川との比較では、川の横の緑地帯が広い。公園ではなく「緑地」という呼称

山桜かサトザクラか

川岸の薔薇園

対岸の桜

川幅が広く、水深があるので、両岸の桜が川の中央へなだれ咲くような場面はない。

夕刻5時半にワイフは2泊3日の旅程をこなし帰宅。

長女宅が綺麗に整理整頓されていることに感銘を受け、改めて断捨離の開始を決意したよう。ダンナの協力がないから無理と思う。

一時、「断捨離」という単語が句会でもよく登場したが、いつも利用している「俳句検索」は

2007年で更新が止まっているから例句はないと思う。

現代俳句協会のインターネット句会応募作品

 断捨離やせめて下着の年用意

川柳との境界線上。

中央公園のチューリップ

 

 

 

 

 

ライラック

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また冬が舞い戻ったような寒さ。

満開になった桜が長もちするので、開花以後の低気温は歓迎であったが、

桜が枝折れするほどの雪害となると話は別。

尼崎には雪は降らないが(過去50年で数センチ積もったのは2日ほど)、雨のため

今日の公園は森閑としている。犬の散歩も見かけなかった。

この分だと次の日曜日も花見ができそう。

落花が目立ち始めたが花吹雪というほどではない。

ワイフは横浜で大岡川の夜桜を見に行ったよう。600本の桜の要所要所に、長女の配偶者

の運転する車を停めてもらったらしい。屋台を多数出ていたらしい。「桜祭りはとっくに終わっているが、ぼんぼりの点灯は14日までつづくらしい。

私は椀田公園という直ぐ近くの近隣公園の桜(数えたら30本はあった)を2週間以上撮り続けた。

どちらへカメラのレンズを向けても無人

しゃがまないと花の下に入れないほど下枝が垂れている樹が多い。

もちろん砂場にも球技場にも人の気配なし。桜満開の昼間なのに。

ライラックが盛りを迎えた。

ライラック笑い取ろうと差し出す首

適材の不足すさまじライラック

遠景 ズーム

近景

近景 ズーム

私にも二つの名前ライラック 櫂未知子
 
凱旋門昏く大きくライラック 梅里全子 『祝矢』
 
ライラック海より冷えて来りけり 千葉仁
 
ライラック少女小説いまもなほ 筒井泰子
 
ライラック咲いて調度はもの古りて 大峯あきら
 
ライラック中原淳一展を見に 辻村勅代
 
ライラックあいそ笑ひの冷えとなる 松澤雅世
 
ライラック散るときひびく革命歌 豊田衣沙子
 
五月好き札幌が好きライラック 松尾美子
 
嫁ぎても母とひとつ家ライラック 山田弘子 懐

 

葭 蘆 葦 芦

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朝桜 11日

近隣公園は雨上がりの朝 静かに落花

晴れているが冷涼

溝沿いに積もる落花

トキワマンサク

これも植えられた場所により時間差あり

庄下川の春

4月6日

こういった桜のトンネルが左岸にも右岸にも何か所かある。

橋の上から眺めるのもいいし、桜の下を歩くのもいい。天気がいいとさすがに人出は増えるが名所のような雑踏はない。

川幅もちょうどいい加減

6日の段階では満開まであと数日という感じだが、一般にはこの状態でも満開と呼ぶ。

上いくしま橋といくしま橋の間の景観が途切れなくていいが、

それより上流でも花は楽しめる

その上、私は石垣の間に咲く花や川岸の草地も大好き

蘆の新芽がぐんぐん伸びている

 

ヨシまたはアシ(葦、芦、蘆、葭、学名Phragmites australis)は、イネ科ヨシ属多年草。河川及び湖沼の水際に背の高い群落を形成する。ヨシを3ないし4のに分ける場合があるが、一般的にはヨシ属に属する唯一の種とみなされている。日本ではセイコノヨシP. karka (Retz.) Trin.)およびツルヨシP. japonica Steud.)を別種とする扱いが主流である。

英語で一般的に リード(reed) と呼ばれるが、湿地に生える背の高い草の総称もリード (植物)英語版)(Reed)と呼ばれる。本種のみを示す場合は、common reed と呼ぶ。

 

木道ゆくの一葉をむしり取り 高澤良一 暮津
 
叢に吹き込む仙石原の風 高澤良一 暮津
 
の間の方寸の水澄みゐたり 高澤良一 暮津
 
祇園には冬の日當たる簾 中原道夫
 
胎内に豊原がそよいでいるわ 豊口陽子
 
毬ひとつ流れてきたるの角 藺草慶子
 
風心より翔つものありて 籏こと
 
水の秋村の阿呆のの笛 小池文子
 
深閑と虚空にの混む真昼 津沢マサ子
 
すこやかな日の師と見たるの枯 佐野美智
 
や叫びたきとき息殺す 鍵和田[ゆう]子
 
湖国また風の国なるを刈る 鍵和田[ゆう]子
 
水の精かかときれいなの花 清水径子
 
生前のかしばらく話さうよ 清水径子
 
葭切の声の彼方の騒ぐ 野辺祥子 『遠野火』
 
にくれなゐ残るはつかかな 高橋睦郎
 
枯れて月の光の折れ易し 波戸岡旭
 
にひと日平らな空と水 桂信子
 
のゆらぎうつりのゆらぎをり 小澤實
 
のたけだけしきも常陸かな 上野燎
 
のひま鳰の浮巣を匿しけり 石川桂郎
 
やはらかくにからまる蝮かな 下村槐太
 
船津屋への芽ぐみをたしかめに 伊藤敬子
 
比良かけて僅かの虹やの角 飴山實
 
原のいづくともなく枯れはじむ 蓬田紀枝子
 
渡良瀬の火の手三里やを焼く 松本 進
 
平にかなの露けき母の文 野見山ひふみ
 
肉声や青原に機械来て 熊谷愛子
 
の向ふに湖が比良があり 中西宗徳
 
湾揺れて枯揺れて艦発たす 加藤憲曠
 
橋に名をとどめ業平枯るる 三木敏子
 
枯れて髄となりゆく風の音 岡本まち子
 
揺りて鳴き交ししは三十三才 佐藤至朗
 
原を撫でて日が落つ泥鰌掘 斎藤道子
 
極限の辞儀しては立つ風の 水野青濤
 
考える五十七億本の 村瀬誠道
 
の影闇よりも濃し流灯会 矢島昭子
 
めつむりて聴く原の秋の声 和泉千花
 
剖や芦の中行く舟一つ 行々子 正岡子規
 
の声の嵐や捨小舟 行々子 正岡子規
 
蛍飛んでぬるつと辺の静寂かな 福富健男
 
揺らす風に雪加の声澄めり 阿比留初見
 
くひな鳴き鉄橋の州をつなぐ 田中七草
 
の芽のつんと焦げ跡擡げたる 高橋昭夫
 
水郷の川波が噛むの角 天野淑子
 
若し亡びゆくもの敷きて立ち 岩本律子
 
沼の彩の角より始まれり 岩崎すゑ子
 
魚なべて遡上のかまへ芽ぐむ 加舎逸子
 
満々たる水に溺れずの角 和田知子
 
引く汐のひかりにの角五寸 代々木千代
 
の芽に流れつきたる藁一筋 今瀬剛一
 
牙の水のつぶやき忘れ潮 佐藤鬼房
 
川波の光の針や末黒 岡本まち子
 
撓め騒ぎ群がり河原鶸 長谷川草洲
 
の芽や鳴子こけしのひと並び 安斎郁子
 
細波の水の明るみの角 滝上正子
 
若し亡びゆくもの敷きて立ち 岩本律子
 
さきたまや片葉のの春愁ひ 小川さく
 
焼きの火焔器持つて現れぬ 上岡三江
 
のひかりを得たる春の雨 北村 岬
 
八十八夜直立のばかり 廣瀬直人
 
義仲忌どの冬もせめぎあふ 中澤康人
 
の風をうしろに初写真 山尾玉藻
 
叢に暮れゆく雨の浮巣かな 鵜飼登美子
 
水鶏鳴くより暮るる湖畔村 根岸 善雄
 
鴨の鳴くもひとしほ赤松忌 細井紫幸
 
の葉にうかぶまぼろし韃靼忌 横山白虹
 
低唱は手向唄かも平忌 山澤冨美子
 
ちり鍋の湯気に顔いれ平忌 村田黒潮
 
目つむりて軍歌と和しぬ平忌 小関寛子
 
今になほ軍歌を捧げ平忌 矢頭峯子
 
平忌コップ酒にて訣れけり 野田肖村
 
真菰舟ながれて消えしの中 中山純子
 
牙に風わたりくる吉備の国 藤田ひろむ
 
原に帰燕あつまる遠江 夏目隆夫
 
九頭竜の青き刈り盆用意 中島真理
 
草分けて附さがす水早し 野崎ゆり香
 
横利根に捨て舟多しの花 川尻喜美子
 
積丹の海荒るる日やを刈る 村上みきお

震災に耐へし芦屋の松涼し 稲畑 汀子
 
嫁ぎても芦屋に住みて冬ぬくし 稲畑汀子
 
鴬のはやも虚と鳴く芦屋かな 攝津幸彦 鹿々集
 
誓子恋ふ芦屋の街の初景色 塩川雄三
 
芦屋らしき暮しの秋薔薇 山田弘子 こぶし坂

 

この冬はめずらしく芦原の整地が行われたので、冬の間日当りが良く、リュウキンカが沢山芽吹いた。まもなく蘆に日照を奪われ姿を消すがリュウキンカのテリトリー拡大力が実感できた年(春)だった。

ムラサキケマン

盛りを越えたかも

数年前までは左岸ではあまり見かけなかったが今年は右岸でもテリトリーを確保したようだ

東川端通りの桜

この通りは①車の排ガスの影響を受ける② 集合住宅の夜の明りがある。

よって川沿いの桜より早く満開になる。この推論が正しいかどうか。

排気筒の片側光る竹の春 大浜接子

 


木瓜

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4月6日 庄下川沿い

木瓜の花期は意外に長いことに気付いた。一本の木でもかなりの期間咲いている

9日同じ木

 

9日の庄下川

満開

人出も多い

ここは人の集まりやすい場所だが、この日は特に

目下美作滞在中

三椏の花

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故郷の意味をネット辞書で調べた。

ふる さと 【故▽ 郷▽・古里・故▽里】

① 生まれ育った土地。故郷(こきよう)。 「 -の山川」 「第二の-」 「 -は遠きにありて思うもの(=室生犀星ノ詩ノ一節)」

② (比喩的に)精神的よりどころ。 「心の-」

③ 古び荒れた里。かつて都や離宮のあったところをいう。古跡古都。 「 -となりにし奈良の都にも/古今 春下」

④ かつて住んだり、訪れたりしたことのある土地古くからなじんでいる里。 「人はいさ心も知らず-は花ぞむかしの香ににほひける/古今 春上」

⑤ 自宅我が家宮仕え先や旅先に対していう。 「おのおの-に心細げなる言伝てすべかめり源氏 明石

 

美作(市)は私にとって、上記の5つの分類では、いずれにも100%適合しない。

私の父と母、そして4人の祖父母にとって美作は①の最も原初的、基本的な意味において

ふるさとである。(父方の曽祖父は(播州)佐用からの入り婿である。母方は曽祖父母・高祖父母さらに数代遡っても美作の生まれ育ちである)

①の「生まれ育った土地のうちの「生まれた土地」という点、

④の「古くから馴染んでいる里」の意味で、美作は私の故郷である。

1995年の震災の後、かなり年上の従兄に「家系譜」の作成を依頼されてからは

毎年数回、多い時には年間10泊以上、美作を訪ねるようになった。

 

今回は佐用JCTから鳥取道にはいり、西粟倉で降り、道の駅「あわくらんど」で昼食。

去年訪ねた時にはなかった装飾

西粟倉村は木工が主産業のよう

木の香りが残っている

建物の裏

清冽な水が流れている

最初に訪ねたのは真言宗の寺。ここの住職と私との関係は、

母方の曽祖父母の娘の一人が私の母の母(祖母)であり、もう一人の娘が木地師の家名として有名で、全国展開し、美作にも拠点を構えた家に嫁いだ。男の子を生んだが、その子が僧職につき、訪れた寺の養子に入り寺を継いだ。そのまた子供が現の住職である。親等を数えると、私とは6親等の関係である。現住職は独身で、姉が寺の庫裏を守っている。

何月何日何時にといった事前連絡なしに各家を訪問する。

この寺は本堂以外に金堂や講堂などいくつか堂宇があるので、呼び鈴ではなく撞鐘で来訪を告げる。

この鐘を撞く前に家人に気付かれないように静かに鐘楼に接近

今回初めてワイフに撮影依頼

↑この時はまだ薄いジャンパーを羽織っているが、この後はさらに冬用ジャンパー(薄手のダウン)に着かえた。

 

次に訪ねたのは、この寺の檀家の一軒、3年前に初めてこの家の庭での句碑披きにワイフの運転手として訪問。ついでに句会にも参加した。

5月の雨の降る日だった。

飛びそうな斎主の合羽青葉谷

エゴの花百を灯して句碑披き

もちろん旧かな表記で投句。出句3句すべて結構点を集めた。

雨の上に5月とは思えぬ寒さであった。

こんな僻地に句碑を建ててもだれも見には来てくれないので、句碑を寺に建立したいと思い

私の6親等の住職に頼んだが、裸祭をやっていても写真・ビデオ撮影拒絶の寺で、句碑等の建立も拒絶されたようで、自家の庭に建立。

今度寺を訪問するときには、我が家にも寄ってくれとワイフが頼まれて3年ぶりの再訪。

句碑建立のあとその周りに植樹。

各木の命名を私も頼まれた。↑にも句碑の右側に名札が立っている。

樹だけでなく石にも名が付いている。すべて命名者が記されている。

私は紅梅に「紅英田」と名付けたら採用された。美作の多くの地域は英田郡(あいだぐん)

にあった。西粟倉でもこの谷あいはまだ桜が咲いていない。

家の背後のもち山に三椏が満開

例年なら1週間前でも盛りを過ぎている。

お寺でも奥の院のあたりには生えているが本堂近くの庫裏からは見えない。

植林された地区の木立数が少ない辺りで「繁殖」している。

東粟倉あたりでも、台風で木がなぎ倒された跡で三椏が大繁殖。

観光資源になっているのかどうかは未確認だが、3月、4月の美作の日当たりのいい山の斜面一面に三椏が咲くと見事である。

西粟倉村を出て美作市に入る手前に休憩所がある。

ここでも三椏を鑑賞できる。

ミツマタ三椏、学名:Edgeworthia chrysantha)は、冬になれば葉を落とす落葉性の低木であり、ジンチョウゲ科ミツマタ属に属する。中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる。3月から4月ごろにかけて、三つ叉(また)に分かれた枝の先に黄色い花を咲かせる。そのため、「ミツマタの花」は日本においては仲春啓蟄3月6日ごろ〕から清明の前日〔4月4日ごろ〕まで)の季語とされている[1]。皮は和紙原料として用いられる[2]

明らかに今年は花期がずれている。

 

かたくりの花

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12日の朝 

宿の駐車場から見た那岐山

部屋の窓から見た風景。ホテルはゴルフ場併営

 

広戸風(ひろとかぜ、ひろどかぜ[1])とは

 

岡山県北東部の津山盆地津山市(旧勝北町)から奈義町付近でみられる北よりの局地風日本三大局地風の一つとされ[2]おろし風の代表例に挙げられる[3]。この呼称は旧勝北町との合併前に存在した広戸村に由来する。

 

日本海からの北よりの風が鳥取県千代川流域のV字谷で収束され、那岐山山系を越えて南麓に吹き降ろすことで発生する。2004年台風23号では奈義町で最大瞬間風速51.8m/sを記録し、山林の大規模な倒木や家屋に大きな被害が出た。台風や発達した低気圧紀伊半島の遥か沖合いを通過する時に、遠く離れた好天の当地で発生することもある。また広戸風の発生時には那岐山に風枕と呼ばれるが観測されることが多く、古くから発生の目安とされている。

この地域の集落では、北側に「戸背(コセまたはコゼ)」と呼ばれる防風林を植えて広戸風に備えている家屋が多数見られる[4]

 

「広戸風」という用語はだいぶ以前から知ってたいた。特に奈義町(ここには父方祖母の出所がある)ではよく耳にした。

上の解説にある2004年の台風23号の影響は大きかった。①その前のシーズンまでは夜間照明の届かない川をびっしりと埋めるように飛んでいた蛍が次の年には全く見られなくなり、まさにブラックホール状態であった。②山々の木々がなぎ倒されて、そのまた次の年には県北のいたるところでミツマタの花が咲き乱れ始めた。

 

岡山の和紙業については何もしらないが、政府の意向で綿をいわれれば綿を、養蚕業が金になると言えばどの村でも蚕を飼い、同じように山間部では三椏栽培が盛んだったのであろう。

 

美作市向原という里で、久し振りに「広戸風」という言葉を耳にした。

この里は私の母方祖母の出所であり、家を継いだ祖母の兄の系譜が続いている。

80歳を超えた二人だけのお家に久方ぶりに訪問。1995年以降では3度目の訪問で

10年ぶりくらいである。グーグルの地図を頼りに今回はあまり迷わずにたどりついた。

家の外の道路に面して作業小屋のような建物があり、今では近在住民の寄り合い場所になっているらしい。

かきもちを焼いてもらった。アンデス芋とカリフラワーを貰い、昨日今日の食卓にのぼった。

几帳面な人か、あるいは近在農家では当たり前なのかいたるところに取っ手を打ち付け農機具がびっしり並んでいる。

私と当主とは6親等。またいとこ。一組の曽祖父母を共有する間柄である。かつては裏山の傾斜地にビニールの大鉢を並べてタキイの樹木を栽培していた。こうして農家は時々の社会状況、経済状況に応じて米作り以外の労働に従事してきた。

 私の住む尼崎の農家も同じであろう。

かつては10人くらい住んでいたのかも。今は右の端の棟は倉庫らしい。

その家を辞して曽井という地区のカタクリ公園へでかけた。

この季節だとカタクリの花は終わってイチリンソウが咲いている頃であるが

今年は例外。ともかく寒い。またいとこの家では薪ストーブを焚いていたが、桜もまだ落花が始まっていない。

連翹も盛り。

このあたりの草地ではギシギシではなくスイバが主流。

曽井川沿い

カタクリ公園見学者の車が見える

尼崎の市街地ではレンギョウの群生は見なくなった。

曽井川にかかる「はつこい橋」

 

桜の向うがかたくり群生地

キツネノカミソリの葉と同居いている

かつてはこのあたりが主たる群生地であったが、今は南側へテリトリーを拡大

この案内板のたつ右側が人が集まる群生地であったが、今や左側の木を伐採して広げた傾斜地の方が株数が多くなっている。案内板では1000株となっているが、今では2000株を越えると思う。

 

 

若者が二人、カタクリ群生の傾斜地を背後にして何かを地面近くで撮影中。

ギフチョウらしい。

ギフチョウ(岐阜蝶・学名 Luehdorfia japonica)は、チョウ目アゲハチョウ科ウスバアゲハ亜科ギフチョウ属に分類されるチョウの一種。日本本州里山に生息するチョウで、成虫はに発生する。近年、里山の放棄、開発などにより個体数の減少が著しい。

コバノミツバツツジに留まるギフチョウ

↑ウィキペディアが載せている画像

若者の話では6ソウいたらしい。

 

岐阜蝶の羽化恍惚と隠れ里 國島十雨

下草の少ない落葉広葉樹林に生息し、成虫は年に1度だけ、3月下旬-6月中旬に発生する。ただし発生時期はその年の残雪の量に左右される。オスはメスよりも1週間ほど早く発生する[7][8]カタクリショウジョウバカマスミレ類サクラ類などの花を訪れ吸蜜する[5][9]

ギフチョウとカタクリの花は相性がよさそう。来年からはここへ来たらギフチョウを見つけたい。

 

1731年の作とされる国立国会図書館所蔵『東莠南畝讖』にはギフチョウ図が掲載されているが、その当時は「錦蝶」と呼ばれていた[12]

 

吉田高憲が1840年前後に『雀巣庵虫譜』でギフチョウを「ダンダラチョウ」として挿絵付きで解説していたことから[13]、伊藤篤太郎は『動物学雑誌 第11号』でこの和名をダンダラチョウとするべきと主張していた[14]

 

和名1883年明治16年)4月24日、名和靖によって岐阜県郡上郡祖師野村(現下呂市金山町祖師野)で採集されたことに由来する[15][16][注釈 2]。名和靖が採取した標本を石川千代松に同定を依頼し、当時の新種であることが確認された[16]

 

1887年(明治20年)ギフチョウの食草を発見したものには懸賞金が与えられることになり、当時14歳だった名和梅吉(名和昆虫研究所2台目所長)がその食草の1種であるウスバサイシン谷汲村で発見し20の懸賞金を名和靖から与えられた[17]

 

1889年(明治22年)4月15日に発行された『動物学雑誌 第1巻 6号』に、明治22年3月中に岐阜県に採取された蝶類目録として「ギフテフ」という名称が掲載され、その後この呼び名が多くの人に知られるようになった[16]

 

1887年横浜市に在住していたイギリス人博物学者のプライヤー(Henry James Stovin Pryer)は、「日本蝶類図譜」で岐阜で採取されていたギフチョウを北海道のヒメギフチョウと同種と発表していたが、イギリスの昆虫学者リーチ(John Henry Leech)の鑑定により1889年(明治22年)に新種のギフチョウ(Luehdorfia japonica Leech)であると訂正された[18]1897年(明治30年)に『昆虫世界』第1巻第1号の巻頭口絵でギフチョウとヒメギフチョウの生態観察のスケッチが学名付きで掲載された[19]

イチリンソウ

イチリンソウ(一輪草、学名Anemone nikoensis Maxim.[1])は、キンポウゲ科イチリンソウ属多年草

根茎は横に這い、多肉質でところどころ紡錘状にふくらむ。匍匐枝をだし、しばしば群生する。

につくは鞘状に広がった柄を持って3枚が輪生する。

 

小葉は3出複葉で、羽状に深く裂ける。花期は4-5月、

 

花茎の高さは20-30cmになり、直径4cmの花弁状の萼片を持つを1個、花茎の先端につける。萼片は白色でふつう5-6枚、裏面は紅色を帯びる場合がある。花弁はない。根出葉は1-2回3出複葉で、小葉は羽状に深く裂ける。

 

花茎の先に花を一輪咲かせることから、イチリンソウ(一輪草)という[2]

一輪草しぶたみは風美し村 大畑善昭
 
いもの神一輪草が群生し 川上季石
 
あけぼのの小楢の山の一輪草 向井 秀
 
一輪草一つといふは潔ぎよし 山崎ひさを
 
うちとけて一輪草の中にゐる 古舘曹人
 
つらぬきし恋の伝説一輪草 三宅 桂
 
太陽に会ふこともなき一輪草 青柳志解樹
 
渓音を連れ去る風や一輪草 菅野てい子
 
一輪草一つといふは潔ぎよし 山崎ひさを
 
一輪草風に吹かれて触れ合へり 田村恵子
 
うちとけて一輪草の中にゐる 古舘曹人
 
一輪草やがて少女は愛に死ぬ 岡本 伸
 
竹林を透く日なだれて一輪草 海老原真琴
 
木の影の漂つてゐる一輪草 小沢比呂子
 
いもの神一輪草が群生し 川上季石
 
手にのせて風も小さく一輪草 きくちつねこ
 
道なき谿一輪草の寂しさよ 加藤知世子

 

 

 

 

枝垂桜

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潮騒や片栗の花うすれゆき 村上しゆら
 
片栗の一つの花の花盛り 高野素十
 
片栗の花ある限り登るなり 八木澤高原
 
片栗の淡むらさきを愁ひとも 本庄百合子
 
ありにけり片栗ばかり揺らす風 武井三重
 
片栗や近江若狭の国境 浜 明史
 
片栗の花のお浸しまたぎ宿 阿部月山子
 
片栗の花に離れて牛繋ぐ 太田土男
 
冷えさびといふ片栗の花あかり 手塚美佐
 
日洽し片栗の葉に花に葉に 石井露月
 
片栗の花に日溜り広くあり 猿 一石
 
片栗の花に沢風来たりけり 河合大拙
 
片栗の群落にゐて妻無色 清水逍径
 
片栗の蕾乙女の祈るごと 鮎澤紀子
 
片栗の群落風を聴く如く 萩 尚子
 
一斉に首垂る片栗ゲルニカ忌 榎本利孝
 
片栗の花うつむきて風生忌 中島八起

(葉はカタクリの葉以外に、イリチリンソウの葉、キツネノカミソリの葉が見える↑)
 
片栗の花うつむいて金曜日 中野路得子
 
片栗の花の身構え憲法読む 高平佳典
 
片栗の花は次郎の病む色か 金子功
 
片栗をかたかごといふ今もいふ 高野素十
 
片栗の花に夕影ひろがりし 倉田紘文
 
過ぎゆくは過ぎゆきて片栗の花 綾部仁喜 寒木
 
ゆれながら片栗は朝ねむる花 矢島渚男 木蘭
 
谷風や片栗の花揺れどほし 長谷川櫂 蓬莱
 
片栗の花を咲かせて山しづか 長谷川櫂 蓬莱
 
片栗の花をかかげて水走る 長谷川櫂 天球
 
片栗の花に夕べの来てをりし 深見けん二 日月
 
片栗の花一面や揺るるなく 深見けん二 日月
 
片栗よ夢の母描くペンとなれ 林昌華
 
片栗の花月斗句碑青畝句碑 塩川雄三
カタクリの花が終わる頃には、勝央町のファーマーズ・マーケット(ノース・ヴィレッジ)の山つつじが花盛りになり、枝垂れ桜は葉桜になる。オオデマリはまだまだ先のようである。
今年はカタクリがまだ盛りなので、ヤマツツジはまだ無理でも枝垂れ桜は楽しめるはずであると思って、ファーマーズ・マーケットへ。
ほぼ予想通り。

ヤマツツジ(山躑躅、学名:Rhododendron kaempferi)はツツジ科ツツジ属の半落葉低木
 
花期は4-6月。枝先の1個の花芽に1-3個のをつける。花柄は長さ3-4mmになり、花冠の筒はやや太く、色は朱色、まれに紅紫色、白色があり、径3-4cmの漏斗形で5中裂する。花冠の上側内面に濃色の斑点があり、内面に短毛が散生する。雄蘂は5本。花柱は長さ3-4cmになり無毛。
ヤマツツジはまだ蕾状態のものが多い。
低山地の疎林内、林縁、日当たりのよい尾根筋、草原などに生育する。日本の野生ツツジの代表種で、日本の野生ツツジでは分布域がもっとも広い。
牧牛の真昼ちらばり山躑躅 石橋辰之助
 
烽火山躑躅を以て高まれり 中戸川朝人 尋声
 
「山躑躅」ではなく、「躑躅」では上記外に
ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり 臼田亜浪
 
銅器をがらがら洗う躑躅山 永末恵子
 
躑躅さける夏の木曽山君帰 夏山 正岡子規
 
吾子の瞳に緋躑躅宿るむらさきに 中村草田男
 
鬱の日の沸点にゐて緋の躑躅 石 寒太
 
日の昏れてこの家の躑躅いやあな色 三橋鷹女
 
うつうつと大獄の昼躑躅咲く 飯田蛇笏
 
盛りなる花曼陀羅の躑躅かな 高浜虚子
 
躑躅生けてその陰に干鱈割く女 芭蕉
 
躑躅咲くうしろや闇き石燈籠 桃隣
 
月にぬれ日にさく竿の躑躅かな 菊人
 
隠家にかくれぬ竿の躑躅かな 金波
 
一言で癌と告げられ躑躅燃ゆ 高澤良一 ねずみのこまくら
 
青竹に垣結い替えて躑躅園 山本実世子
 
躑躅野に塩くれて牛放つなり 渡辺立男
 
躑躅真赤にいくさごころの消え残る 小出秋光
 
いつさいは言はず躑躅の炎むらなか 河野多希女
 
躑躅紅し立つにんげんのさびしらに 丸山久雄
 
長き蕊残して躑躅地に落ちぬ 中屋敷晴子
 
烽火山躑躅を以て高まれり 中戸川朝人 尋声
 
躑躅燃え天守の四囲の家低し 宮坂静生 青胡桃
 
躑躅咲く屋敷に闇の濃かりけり 川崎展宏
 
躑躅より地に着いて蜘蛛走り出す 川崎展宏
 
躑躅紅をこぼして子規の句碑 塩川雄三
 
念のために検索した「つつじ」表記の句、意外に多かった。
一羽なる源平つつじつつじ 吉田吼文
 
走りつつ鳴きつつ千鳥餌をさがす 疋田佳子
 
バス曲るたび山つつじつつじ ふけとしこ 鎌の刃
 
けざやかに義母(はは)昏睡の間のつつじ(五月十七日義母新城千代逝去) 高澤良一 暮津
 
つつじを植え込み了へし掌の乾ぶ 高澤良一 暮津
 
偕老の歩幅をゆるせ山つつじ 斎藤 梅子
 
つつじ抱かれゆく子の手のみ見ゆ 岡本眸
 
壺に挿す山つつじ山を思うらし 北原志満子
 
郵便の嵩なせば憂し白つつじ 横山 房子
 
流寓の久し机辺に白つつじ 三浦紀水 『湖その後』

枝垂れ桜

寒いので持ちこたえている

池の周りに⒛数本

この季節以外この辺りには日とはあまりやってこない

写生の対象はしだれさくらではなさそう

枝垂桜垂れて疎水の水にまで 山口誓子
 
大いなる枝垂桜の影の中 山田 静雄
 
頭頂の花芽を待てる枝垂桜かな 原裕 『王城句帖』
 
草いきれ枝垂桜へ抜けにけり 波多野爽波 『一筆』
 
枝垂桜地に触るる枝は舞ふごとし 古賀まり子
 
夜の枝垂桜方里をつめたくす 瀧澤和治
 
まさをなる空より枝垂桜かな 富安風生
 
一本の枝垂桜に墓のかず 飯田龍太
 
枝垂桜風やむときに紅きざす 堀古蝶
 
能舞台閉して枝垂桜かな 小寺冬至
 
枝垂桜の紅の静寂かな 粟津松彩子
 
日がさして影添ふ枝垂桜かな 西村和子 かりそめならず
 
隠れゐて枝垂桜に雀啼く 和田耕三郎
 
人喰らふ枝垂桜と思ふなり 柴田奈美
 
まさをなる空より枝垂桜かな 富安風生
 
枝垂桜ありて直せぬ設計図 毛塚静枝
 
枝垂桜月光は灯に入りゆけぬ 川村紫陽
 
枝垂桜を君が墓標とす 下村梅子
 
見るほどに枝垂桜の老いて艶 深見けん二
 
杉間より流るる枝垂桜かな 沢木欣一 往還
 
見るほどに枝垂桜の老いて艶 深見けん二

枝垂れ桜悪魔の時間すぐそこに

岡山県のファーマーズ・マーケットは北と南にあるが、南もいい場所にある。

さらにドイツの森がある。

いずれも全国的な知名度が高いとは思わないが、よって経営難が心配だが、残したい施設である。

今日15日修理に出す。

 

 

飛花落花

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落花の例句は多数

 

落花追ふ落花追ふわが心いま 山田弘子
 
落花踏み落花掌に受け旅なかば 岡田日郎
 
目の前の落花遥かの落花かな 星野立子
 
落花また落花つなぎて二三片 稲畑汀子 汀子第二句集
 
地の落花 宙の落花と舞いつれて 伊丹三樹彦 花恋句集二部作 夢見沙羅
 
目の前の落花遥かの落花かな 星野立子
 
たてがみの迷宮に入る落花かな 中原道夫
 
詰め込みし旅嚢の窶れ落花飛花 中原道夫
 
スカアトの襞の迷宮飛花落花 中原道夫
 
落花して未だ沖積世である 高野ムツオ 蟲の王
 
耕しつ消えつ村人は落花 高野ムツオ 陽炎の家
 
落花でなく雨中に消えるオートバイ 高野ムツオ 陽炎の家
 
飯桐の千の瓔珞より落花 行方克己 知音
 
沙羅落花大地に梵字こぼすかな 大橋敦子
 
沙羅の花捨身の落花惜しみなし 石田波郷
 
岩の面にはづみて梨の落花かな 石田勝彦
 
中空にとまらんとする落花かな 中村汀女
 
苔清水落花一ひら又一ひら 内田園生
 
てのひらに落花とまらぬ月夜かな 渡辺水巴
 
青谿の深さを落花ためらはず 渡邊千枝子
 
大阪の落花落日モツを焼く 坪内稔典
 
しきりなる落花の中に幹はあり 長谷川素逝
 
虚子忌はや落花の浄土なまぐさし 飯田龍太
 
沙羅落花曙覧の国に来て拾ふ 浦野芳南
 
アカシア落花泥なる大河何泛ぶ 兼近久子
 
落花一片当りて鐘の鳴りにけり 高橋沐石
 
せつせつと山を離るる落花かな 日美清史
 
落花はや流るる幹となりにけり 石田勝彦
 
安良居の落花おちつく黒き土 金子篤子
 
遠き落花見つつ貧乏ゆすりして 細川加賀 『傷痕』
 
風の日のめもとあからむ落花あり 原裕 『新治』
 
青年に落花高とぶ風の坂 原裕 『葦牙』
 
落花よりこまかきものの翔ぶ湖上 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
喪の美し立子汀女を巻く落花(虚子先生御葬儀) 長谷川秋子 『菊凪ぎ』『鳩吹き』『長谷川秋子全句集』
 
身のうちへ落花つもりてゆくばかり 野澤節子 『八朶集』
 
身をながるる落花の影のさくら山 野澤節子 『八朶集』
 
墓見ゆる落花の山へ入りゆけり 野澤節子 『存身』
 
余花落花心に飛花を追ひつづく 殿村菟絲子 『菟絲』
 
或る落花谷へ墜ちゆくいつしんに 田川飛旅子 『花文字』
 
癌の妻落花も踏まず日暮れぬる 齋藤玄 『玄』
 
落花また小堰の遺構目覚めしと(甘楽の城下町二句) 河野南畦 『広場』
 
岩離る藤の落花は渦を呼び 河野南畦 『花と流氷』
 
いま落花急なり今のいま過ぎつつ 岸田稚魚 『花盗人』
 
雀らの上をながるる落花かな 大木あまり 火球
 
旅一夜落花は甍洗ひけり 大木あまり 火のいろに
 
沙羅落花ぬかづくにあらず花拾ふ 橋本多佳子
 
踏むまじき沙羅の落花のひとつふたつ 日野草城
 
沙羅の花捨身の落花惜しみなし 石田波郷
 
浮き草にながあめあがる落花かな 飯田蛇笏
 
邂逅やえごの落花の輪の中に 石田波郷
 
蜘蛛の囲の大破に棕櫚の落花かな 原 石鼎
 
花まつりはてし落花にさまよひぬ 百合山羽公
 
顔振つて落花を払ふ牧の牛 七田千代子
 
ひろげ干す傘にも落花乾きゐし 杉田久女
 
落花舞ひあがり花神の立つごとし 大野林火
 
置き去りの車落花を浴びてをり 戸田冨美子
 
救急車落花をのせて走り去る 三浅馨三
 
おもはざる落花舞ひゆく淵の上 水原秋桜子
 
城を出し落花一片いまもとぶ 山口誓子
 
屋根二つ越えて落花のしきりなる 倍 憲一
 
百幹の落花を受けて埋もれず 寶月壽子
 
鞍置かぬ馬に落花のとめどなく 大内迪子
 
掌にうけて掌のいろとなる落花かな 山部栄子
 
いま落花浴びたし頬の燃ゆるほど 鎌倉佐弓
 
落花一片千鳥ケ淵をうち渡る 山口青邨
 
厨子の前千年の落花くりかへす 水原秋櫻子
 
中空にとまらんとする落花かな 中村汀女
 
流れゆく落花を離れ白き蝶 加藤瑠璃子
 
沙羅の花捨身の落花惜しみなし 石田 波郷
 
安息のほのかに白し沙羅落花 千代田葛彦
 
沙羅落花かぞふ亡き人数ふごと 塚本 久子
 
落花あり即ち沙羅の咲き初めし 千代田葛彦
 
余花落花心に飛花を追ひつづく 殿村莵絲子
 
今の世の落花しきりや古墳群 山岸 治子
 
膝ついて畳拭きゐる落花かな 吉田みち子
 
見えぬ目に仰ぎ満面落花浴ぶ 木村風師
 
奔り出て落花を誘ふ堰の水 小林碧郎
 
風に舞ふ落花十指に吉野山 福島孝子
 
落花舞ふ治承寿永の波の上 原田静子
 
花まつりはてし落花にさまよひぬ 百合山羽公
 
落花はげしシヨパンのしらべ生む指に 仙田洋子 雲は王冠
 
人よりも犬のすなほに落花浴ぶ 橋本榮治 越在
 
山門に落花観音堂に花 橋本榮治 越在
 
落花舞ふ母を眠らせ父眠らせ 橋本榮治 麦生
 
沙羅の花捨身の落花惜しみなし 石田波郷
 
白き手のひそかに裹む柿落花 横山白虹
 
晒井にたかき樗の落花かな 飯田蛇笏
 
朝曇る柘榴の落花掃きにけり 西島麦南
 
落花せで春菊白化黄蝶放つ 香西照雄
 
或る落花谷へ墜ちゆくいつしんに 田川飛旅子
 
空青しなほも落花を含みゐて 天野莫秋子
 
言絶えて落花の白き胸を過ぐ 中島斌雄
 
息とめて赤子は落花浴びてをり 加藤楸邨
 
しきりなる落花の中に幹はあり 長谷川素逝
 
一筋の落花の風の長かりし 松本たかし
 
朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ 水原秋桜子
 
花まつりはてし落花にさまよひぬ 百合山羽公
 
安良居の落花おちつく黒き土 金子篤子
 
めらめらと落花燃えけり大篝 正岡子規
 
春暮るゝ花なき庭の落花かな 池内たけし

11日

↑鳥取県境、西粟倉村あわくらんどの吉野川源流近く川沿い遊歩道

西粟倉、岩倉寺景境内からの眺め。向いの山沿いに高速道路鳥取道が走っている。↑

寺の背後には智頭急行のトンネルが通っている。

↑智頭急行特急停車駅「大原駅」北側の土手

↓駅構内の桜とシバザクラ

↓作州武蔵

12日

↑勝央町ノースビレッジ  ↓ノースビレッジのヤマザクラ

↓川沿いのお家の桜

車を停めて撮影。そのお家の桜越しの山

↓かたくり公園の桜

13日朝

↑作東バレンタイン公園の桜 ↓作東タワー

帰宅後の近隣公園

土曜日だったので人出あり。

落花が舞い始めていたが、まだは葉桜にはなっていない

 

美作は11,12,13日まだ飛花落花ではなかった。

兵庫県内パーキングエリアの桜

 

    スカアトの襞の迷宮飛花落花 中原道夫
 

余花落花心に飛花を追ひつづく 殿村菟絲子 『菟絲』
 
余花落花心に飛花を追ひつづく 殿村莵絲子
 
飛花落花手をかざすとも掬ふとも 上田日差子
 
飛花落花乱筆乱文にて候 櫂未知子 蒙古斑
 
混乱し散開しつつ飛花落花 筏奈雅史
 
飛花落花終の別れは手を振らず 波戸岡旭
 
老いゆくは吾のみならず飛花落花 菖蒲あや
 
飛花落花蝶になりたきもののあり 関森勝夫
 
飛花落花御陵を守り村出でず 関森勝夫
 
飛花落花たたら踏み舞ふ古楽面 伊藤京子
 
余花落花心に飛花を追ひつづく 殿村菟絲子

16日の近隣公園

飛花落花最中

13日朝のMrs K宅

暖かい。

私から見て6親等のパパが7親等の子の散髪。

この場合の6親等は、私の祖父が、彼氏にとっては高祖父という関係

12日のイナカフェ

卓上にある以外のチューリップは、12日付け「美作の風」でご鑑賞を。

車ぶつけたのがMrs K宅近くだったので、なにかと助けてもらった。御礼。

そういうわけで今回初めてウラカフェの画像なし。

 

 

八重桜

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数日間、新聞・テレビを見なかったので、造幣局の通り抜け期間の確認を怠り、

ワイフの多忙もあり、今年は天満へ行けなかった。

それに染井吉野の花期が長かったので、八重桜はまだだろうと思っていた節もある。

15日の近隣公園

佇む人影はあれども、シート敷く人はいない

まだ葉桜にはなっていない。

空に近い辺りは未だ満開状態であるが、人々の気分は日常に復し、花見の気分ではないのかも

阪急電は最寄り駅の東側の八重桜通り。

台風(2018年台風21号)の影響で、倒壊、伐採、幹折れ、枝折れ被害大きい。

その上各樹に記されていた品種名札が飛ばされてなくなったものが多いが、5年以上毎年

撮影していたために、おおよその品種名は推定できる。

↑5,6本すべてが伐採された。すでに蘖が生えてきている。手前の樹は名札は飛ばされずに残っている。

普賢象↑↓

関山

 

西側から歩いてくると駅前を通り越して↓の地点までに約30本

線路沿いの500mの道路の片側に30本。今は⒛数本に減っている。

↑松月

冬桜 八重桜とは言えない

↑ウコン

緑化植物園へは、上の標識の立つ地点から南へ500m

↑↓ヤマザクラ

アンテナを牡丹桜の上にわたし 中村汀女
 
傘を打つ牡丹桜の雫かな 杉田久女
 
なにごとも牡丹桜の濃きままに 後藤夜半
 
春もはや牡丹桜の落花踏む 後藤比奈夫 金泥
 
海猫のきこえて牡丹桜かな 京極杞陽

牡丹桜の名で覚えたもの↓

八重桜は、バラ科サクラ属の落葉広葉樹(※1)で、花びらがたくさんある桜の総称です。通常の桜の花びらは5枚なのに対し、八重桜は何枚もの花びらを重ねてつけることが特徴です。

1輪の花に平均10~130枚ほどの花びらがつき、「菊桜」「菊咲き」と呼ばれる種類になると、300枚以上の花びらをつけます。

また、花と同時に葉っぱをつけるものが多いことも、通常の桜との大きな違いです。

品種改良によって生み出されたものが多いことから、山桜と対になる「里桜」とも呼ばれます。また、花の姿が牡丹と似ていることから、「牡丹桜」という別名がつけられました。

↑もっとも一般的な八重桜 尼崎市内では、中在家緑地などで、この樹に「ヤマザクラ」の名札を付けている。

緑化植物園内の八重桜も台風21号でかなり傷んだ。

 

家から緑化植物。園までは1.5キロ位 徒歩15~20分

もっとも痛みの激しいのはオオシマサクラ

オオシマサクラは終わっている

主幹以外の枝は伐られている

昆陽川を挟んで両岸の桜は見事な眺めを呈してたが・・・。

 

16日の近隣公園

下枝の緑が目立ち始めた

草地は花びらで白くなっている

 

つつじ

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ヒラドツツジが花盛りを迎えている。

今日(18日)西宮札場筋

ただしこれは例外的。

同じ西宮の広田神社のミツバツツジが見ごろと地方版が伝えていた。

15日家の近くの公共植栽

16日

15日緑化植物園

↑↓キリシマツツジ

ドウダンツツジ

胞衣塚に日箭あり満天星紅葉して 富田潮児
 
銀閣は寂びて満天星雨気に散らす 渡辺水巴
 
板木いつ鳴るや満天星雨しづく 山本古瓢
 
更沙満天星悪相をもて記憶せり 小檜山繁子
 
満天星や谷崎の墓寂一字 肥田埜勝美
 
いつせいに咲き満天星の千の花 鷹羽狩行
 
やまとことばの夫人らと立って満天星 阿部完市

 
満天星の花や山よく見えて暮れ 大井雅人
 
満天星の花がみな鳴る夢の中 平井照敏
 
満天星の紅葉眼下にケーブルカー 初村迪子
 
満天星の真実赤き女旅 安斉君子
 
満天星の紅葉の上の此日暮る 田村木国
 
満天星の花天蓋に虫の塚 下山宏子
 
灯ともせば満天星花をこぼしつぐ 金尾梅の門
 
満天星に隠りし母をいつ見むや 石田波郷
 
満天星の百花の揺れて相触れず 大塚とめ子
 
満天星に突抜けてある木曽の空 波多野爽波
 
この露地のあかるきは満天星の咲きにける 水原秋桜子
 
満天星の花が高円山に向く 西田美智子
 
灯ともせば満天星花をこぼしつぐ 金尾梅の門
 
漫々と散歩満天星芽を用意 清水清山
 
満天星の花がみな鳴る萼の中 平井照敏
 
満天星に隠りし母をいつ見むや 石田波郷
 
この露地のあかるきは満天星の咲きにける 水原秋櫻子
 
満天星を見てゐてわれにかへりたり 仙田洋子 橋のあなたに
 
満天星の毬のもつとも紅葉濃し 川崎栗堂
 
生垣をつづる満天星紅葉かな 山田梅屋
 
満天星の紅葉の上の此日暮る 田村木国
 
満天星や谷崎の墓寂一字 肥田埜勝美
 
神ありやあり満天星の花あかり 大高芭瑠子
 
灯ともせば満天星花をこぼしつぐ 金尾梅の門
 
満天星に隠りし母をいつ見むや 石田波郷
 
朝森に点き満天星の豆ラムプ 楠本憲吉
 
満天星に隠りし母をいつ見むや 石田波郷
 
雲ひくし満天星に雨よほそく降れ 水原秋桜子
 
満天星の花韻きあふ雨雫 柴田白葉女
 
満天星の花に人事の暮入る 攝津幸彦
 
雉子羽摶けば満天星の花揺るる 福田甲子雄
 
満天星に隠りし母をいつ見むや 石田波郷

まだまんてんぼし状態ではない。

満天星(小惑星)

満天星(どうだんつつじ、6786 Doudantsutsuji)は、小惑星帯に位置する小惑星

1991年2月、栃木県烏山町(現・那須烏山市)の烏山天文台で、伊野田繁浦田武が発見した。

575筆まか勢より 補遺の部

満天星の花 補遺

いつせいに咲き満天星の千の花 鷹羽狩行
どうだんにまじりて咲けるつつじかな 山口青邨
どうだんの紅見て仰ぐ山の雲 飯田龍太
どうだんの花がこぼるる石遅日 山口青邨
どうだんの鈴の落花の石に鳴る 山口青邨
子の声の花満天星や日の出前 齋藤玄 飛雪
揚羽またやすむ満天星若葉かな 岡井省二 明野
春めくとどうだん茜さしにけり 阿波野青畝
朝森に点き満天星の豆ラムプ 楠本憲吉 孤客
海老網を繰るや満天星の下 鈴木真砂女 夏帯
満天星に隠りし母をいつ見むや 石田波郷
満天星の鈴も更紗に染まるとは 後藤比奈夫
触れてみしどうだんの花かたきかな 星野立子
霧の禽満天星に瑠璃を点じけり 水原秋櫻子 玄魚

 

15日緑化植物園のヤマツツジ

中央公園のチューリップ  きょう

今年は花期が長かった

まだそれほど花びらは散っていない

一番先に咲いた黄色もまだもっている

 

 


普賢像桜

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18日は西宮の白鹿酒造の博物館と酒蔵見学

会所部屋の小さな箱膳春の闇

暗い部屋だった。フラッシュ焚いたわけでもないのに、明るく写った。

私の母の実兄と母の姉の夫は二人揃って杜氏アルバイトをやっていた。農閑期に。

現金収入が欲しかったのであろう。

まさかこんな部屋で共同食事をしていたとは思わない。もう少しましな社員食堂があったと思いたい。箱膳の上にはまさに一汁一菜しか載らない。

酒造会社の名は記憶していない。

 

日本の酒文化用語集成より

会所部屋 かいしょべや
蔵人が食事をしたり休んだりする部屋。二十畳敷ほどの大部屋が多く、関東では《広敷》ともいう。●午前五時から七時ごろになると、蔵人の全員がカイショベヤ(会所部屋)に集まって、朝の食事をする。──&『職人ことば辞典』伏見酒会所部屋での夕食〔城鶴酒造蔵〕
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大八車に乗っているのは4斗樽くらいであろうか。

三万石の桶も収めて八重桜

↑普賢像

はねつるべ花の名残の風を汲む

高点を集めていた

レッドロビンの酔眼いよよ酒蔵前

オタフクナンテンを使って同工異曲作品をすでに発表しているので二番煎じだが。

句会場は酒蔵から500m東にある公民館

 

 

 

 

キツネノボタン

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キケマンを初めて見た時は、すぐにキケマンと同定できた。

花の姿や葉の形が余りにもよく知っているムラサキケマンに似ていたので。

昨日句会の後、十三公園を覗いた。

この標識には今回初めて気付いた。

花の公園とは言うものの、立派な花壇があるわけではない。

公園に西から入ってすぐに目に入った

家に帰ってからキツネノボタンを検索すると、葉が牡丹のそれに似ているからボタンの名が付いたとある。

すぐそばにカタバミの群落がある。

同じ黄色の花だがキツネノボタンの方が大きい。

ヘビイチゴの花に似ている。違いをはっきり説明できないが、ヘビイチゴのものは茎がもう少ししっかりしているように思う。

「庄下川の生物相」の中の植物一覧107種の中には、キツネノボタンも含まれているが

庄下川沿岸では存在に気付かなかった。

 

「キツネノボタンとなかまたち・」と題するHP上の画像

「キツネノボタン」の画像検索結果

花弁がやや細く、一枚一枚が離れている。

「キツネノボタン」の画像検索結果

こんな葉を示すブログもある。

キツネノボタンにもいろいろ近似種があるよう。

シマキツネノボタン、ヤマキツネノボタン、トゲミノキツネノボタンなど。

茎に毛のあるものないもの。

この公園は、(中津第3)尋常小学校の跡地らしい

碑文

 

十三のいま昔を歩こう というHPから

 

消えた学校、中津第三尋常小学校

中津第三尋常小学校の創立は大正14年3月1日。当初の校舎は現在のハイム北野の西付近にあったらしいです。昭和3年春、校舎を現在の北野高校と新北野第二コーポに分かる地に新築移転。木造二階造りの建築は当時大阪市木造校舎の模範と称せられたとのこと。昭和16年春、成小路国民学校に名を変更され、昭和20年6月空襲のため校舎は全焼、昭和21年4月神津小学校に統合されました。イラストマップの中の北野中学校とは現在の北野高校です。現在の北野高校はここなのですが、敷地形状はかなり変わっています。現在は、ミードの森と北野中学の間を東西に淀川通りができています。イラストにある水路が淀川通りになったわけではないです。中津第三尋常小学校の石碑は十三公園内にあり、向こうに見えるのが、北野高校です。

マップ北野高校
思い出の十三地図・昭和10年~20年ころ

碑文がある場所から、道路(淀川通り)を隔ててみえるのが現在の北野高校

モダンな姿。

大阪では天王寺高校とならぶ公立進学校である。

2018年、偏差値76 大阪府内1位、大阪府内公立校1位、全国11位。

ちなみに兵庫県では

神戸高校。 こちらの方が少し下かと思ったら、そうでもなかった。

兵庫県内2位 (一位はもちろん灘高であろう)、県内公立校1位、全国7位

ではでは我が出身校は?

どうも高校入試をやっていない(中高一貫校で、普通科のみで、高校での定員増なし)ので、上のようなかたちの数字が出せないみたい。

「一応」という留保付きで県内4位などと数字を示すものもある。全国40位といった数字もあった。

灘高も確認 兵庫県1位 全国1位 

 

今日は梅田駅前第3ビル19階での会合の後、「華中華」(ハナチュウカと読むのかどうか)という店で2次会。

 

御衣黄

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ウコンかと思ったら「御衣黄」の札が掛かっていた。

19日の十三公園

紅花は閑山

御衣黄は、八重桜通りにはないが、先年、造幣局の通り抜けで、「今年の花」に選定されてので、品種名を覚えていた。

人が寄ってきてこの桜の名はなんですか?と尋ねたので、「御衣黄です。ウコンかと思ってましたが」と知ったかぶり。

この公園には何度も来ているが、この季節に訪れたのは初めて。

桜の品種名が詠われているか検索

さう君は楊貴妃桜なのだから 櫂未知子 蒙古斑
 
風に落つ楊貴妃桜房のまま 杉田久女(1890-1946)
 
むれ落ちて楊貴妃桜尚あせず 杉田久女(1890-1946)
 
蕾まだ固き楊貴妃桜かな 辻桃子
 
 

絵島思ふ小彼岸ざくら紅濃にて 大橋敦子

 

「575筆まか勢」に早咲きの桜という項目があった。

 

緋寒桜見むと急ぎて日暮れけり 邊見京子

咲きそむる緋寒桜の名護の町 磯野多希

恤ぬりし野万朶の緋寒桜かな 桑田青虎

掻き曇り緋寒桜に雪しぐれ 伊東宏晃

緋寒桜ちる沖縄を終の地に 八牧美喜子

梅に来て熱海桜を見て飽かず 青木重行

緋寒桜ほうと見とれて雪国びと 中山純子 沙 羅以後

 

水は日を返して寒緋桜かな 永方裕子

河津桜見し夜の夢の韓紅 林 節子

青空へ紅濃き河津桜かな 掘井より子

一幹の緋寒桜に行脚僧 野中千秋

寒緋桜ひらく真下の猫の神 白澤良子

緋寒桜の暗闇にふれ火傷する 岸本マチ子

沖は雪ぼかしに熱海桜かな 上田五千石 琥珀

朝の日の緋寒桜に闌けにけり 清崎敏郎

 

鳥らいそいそ河津桜の原木へ 高澤良一 ぱらりとせ

ここ河津緋寒桜の田舎咲き 高澤良一 ぱらりとせ

鳥くくと緋寒桜の緋の暮れぬ 高澤良一

寒緋桜うすうすかほり初めにけり 高澤良一

寒緋桜早目が佳しと聞きて来し 高澤良一

寒緋桜明り浴びけり頭(かしら)から 高澤良一

寒緋桜ここに止どむる日差しかな 高澤良一

ただ赭き寒緋桜の中すすむ 高澤良一

河津桜暖雨小止みに小鳥現れ 高澤良一

 

寒緋桜と河津桜がほとんどだが。

 

「桜」だけなら「俳句のsalon」にきわめて多くの例句が収録されている。

 

インク文字クリックでは、「その2」だけで、少なくともパート6まではある。

十三公園の真ん中の八重桜

かなり傾いている。台風の影響か?

 

葉桜 21日近隣公園

今日はイースター。神戸市北区へ出かけたのでミサには参加できず。

新年度総会から戻ってから公園へ。

車修理の為、今日は阪急電車→神戸地下鉄→神戸電鉄→タクシーで

いつもの施設へ。途中、千葉からひっこしたばかりで、岡場駅近くで開催の

吹き矢の大会に参加するご婦人に電車の乗り場を聞かれ、そのまま岡場駅まで

ご一緒。つぎつぎに吹き矢入れを持った乗客あり。

絶好の行楽日和。もう少しシートが敷かれていてもいいと思ったがシートは一枚だけ。

 

さくらんぼ

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4月12日 美作の野

タンポポ

タンポポがいっぱい咲いている。

花の裏側を覗いてみると、意外にも全部、和タンポポであった。

19日大阪淀川区十三の公園

都心でもタンポポ野はあるが、すべて西洋タンポポである。

和タンポポは都会では絶滅危惧種であるが、美作ではそうでもないことを確認。

美作では、Mrs K邸の裏庭を見学しなかったが、そこ以外の野ではヒメツルソバ(ポリゴナム)を見なかった。季節が少し早かったせいかしらないが、ツタバウンランもマツバウンランもみなかった。今回はオドリコソウも見なかった。ヒメオドリコソウの群落形成状況は、都会の野と同じであった。

 というより最近、尼崎周辺ではヒメオドリコソウは増えているように、思う。

スミレ、ヒメオドリコソウ、センダングサのテリトリー拡大の中で、ホトケノザの群落がやや衰退気味。ナズナやナガミヒナゲシやツルニチニチソウは旺盛。

イヌフグリ(オオイヌノフグリ)は美作でも群落形成をやめている。

家の近く、富松川沿いのごく狭い空き地

1株路上にはみだしたオルレア ↑の画面には右上隅や左手奥にポリゴナムの群落が見える。

アジュガ(セイヨウキランソウ)

ポリゴナムとニゲラ(の葉)

この空間を実質管理なさっているお家の方が昨年植えられたクローバー(ストロベリーキャンドル)のこぼれだね。野生化なるかどうかは来年の様子を見てから。

 

ここで採取したニゲラの種で育った我が家の様子

そろそろ咲き始めるよう。↓の花は昨年育てたノースポールのこぼれだね

葉が横に広がらず、縦に伸びた茎の先に蕾が形成されるよう。

おなじくリナリア

さくらんぼ

さくらんぼ錯亂母子は育ちたる 中原道夫
 
さくらんぼ紅さして子の嫁ぎけり 村上しゆら
 
さくらんぼ母に甘えし記憶なく 飯田 波津恵
 
笑窪とてひとつは淋しさくらんぼ 清水衣子
 
さくらんぼ右往左往の虚子の句を 阿部みどり女 『石蕗』
 
朝市の人みな素顔さくらんぼ 工藤眞智子
 
さくらんぼ並べてありぬ仏頭と 佐藤秋水
 
さくらんぼ月山の風甘くなる 姉崎 昭
 
張られたる網に入口さくらんぼ 山本きよ子
 
寝転んで読む悪女伝さくらんぼ 野村尚子
 
さくらんぼ碧海流れやまざりき 小檜山繁子
 
さくらんぼ数へて食べて妻若し 下村ひろし
 
さくらんぼ採り終へし葉の奥くらし 渡邊千枝子
 
子との距離近づく思ひさくらんぼ 田中 珠生
 
さくらんぼ硝子細工に似て少女 山口貞子
 
さくらんぼ六月生れ讃ふべし 轡田進
 
さくらんぼ舌に置くとき風まろし 畑耕一
 
一つ食べ一句考へさくらんぼ 稲畑汀子
 
さくらんぼ熟れて路傍に俄店 吉良比呂武
 
さくらんぼ鎧ひて赤き木々並ぶ 吉良比呂武
 
太陽はいつも一粒さくらんぼ 近藤絹子
 
さくらんぼ舌に転がる英単語 吉原文音
 
国家よりワタクシ大事さくらんぼ 攝津幸彦
 
亡き友の年を追い越すさくらんぼ 対馬康子 吾亦紅
 
さくらんぼ十年遅刻してきたと 櫂未知子 蒙古斑
 
恋人はめんどうな人さくらんぼ 畑耕一 蜘蛛うごく
 
サ行まだ覚束なき子さくらんぼ 谷中淳子
 
古書市に出会ひて別れさくらんぼ 宮田和子
 
さくらんぼ一箱買ほか買ふまいか 宇多喜代子
 
さくらんぼ笑みで補う語学力 橋本美代子
 
さくらんぼ海峡に潮満ち始む 上野さち子
 
さくらんぼ踏めば潰れて夏来る 遠藤梧逸
 
さくらんぼ笑(えみ)で補ふ語学力 橋本美代子(1925-)
 
さくらんぼ愛別離苦を頒ちたる 宇多喜代子 象
 
さくらんぼ槲の葉にのせ売居れる 田中冬二 行人
 
さくらんぼ熟せり晝の汽車が行き 中尾寿美子
 
童馬漫語童牛漫語さくらんぼ 加藤三七子
 
食卓は話題の広場さくらんぼ 山田弘子
 
さくらんぼ摘まみつつ子が欲しといふ 山田弘子
 
さくらんぼ鬼が影曳くかくれんぼ 坪内稔典
 
さくらんぼ悲鳴のやうなアリアかな 辻桃子
 
さくらんぼ盛れば方々灯りぬ 後藤比奈夫 花びら柚子
 
大蔵王踏み来し笑いさくらんぼ 中島斌雄
 
しだれ枝の青さくらんぼ更衣 皆吉爽雨

花時には目白も来る。実が赤くなると、鵯が来る。カラスも来る。

さくらんぼ憎きカラスの生存権

元の二人に花瓶に生けるさくらんぼ

まだ残る木瓜の花

尼崎城

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句会参加。地元の駅前で開催される、私にとっては本拠地句会。

先月の例会での企画で、午前10時半に阪神電車の尼崎駅前に集合して

尼崎城への吟行。いつもは席題を出すが、今回は兼題形式で「城」

吟行参加者8名、句会のみの参加者1名、不在出句者1名。

5句出句、6句選(内2句特選)

 

①毎回席題提出

②5句出句

➂全参加者が特選句を選ぶ

 

この3つが結社内では特別。俳誌「靑玄」以来の同人が主要メンバーであり、

そこでは通常句会は出句3句(吟行会では2句)が一般的であった。

吟行会でも10句出句する結社があるのは最近知った。

私の影響を受けて、兼題を設ける句会などが出て来て、最近では4句出句の句会も

増えてきているが、常時5句は、私の所属してきた結社内句会では今でも例外的である。

 

今では私の所属してきた句会では、清記用紙や予選用紙などは配らない。

すべて全句に通し番号を付した句稿コピーを全員に配布する「コピー句会」である。

をさらに私が進行係を勤める句会では

➃披講の省略

➂と➃はこの句会でしかやっていない。

 

阪神電車尼崎駅にやや早やく着いたので、駅前中央公園撮影

昨日今日の気温上昇で、チューリっプが散り始めている。

コメツブツメクサ(米粒詰草)がはびこり始めている

コメツブツメクサ(米粒詰草、学名Trifolium dubium)はシャジクソウ属1年草道端河原などに生える雑草

和名は、シロツメクサに似ているが全体に小さいことに由来する。コゴメツメクサ(小米詰草)、キバナツメクサ(黄花詰草)ともいう。

往々にしてコメツブウマゴヤシと間違われる。

 

待ち合わせ場所はこの改札口を出た所。

10時半が集合時間で、↑は10:29撮影。

この改札口は「西口改札口」駅ビルの中にあるので、外へ出るためには、北か南へ向かう。

北が北出口、南が南出口と表示されている。こことは別に最近北改札口が向けられた。

「中央改札口」はない。城に向かうには西口改札を出て、南出口へ向かうのである。

そのあたりは、駅に不案内の人を想定して丁寧に説明いたつもりだが、やはり間違って

「城へ行くのですが。」「ならば北出口が近い」と教えられて北改札を出たひとがいた。

尼崎城は駅の東側にあるのは事実だが、北改札を出たのでは、駅の南へ出るルートは結局西口改札口前を経由する必要がある。

西口改札口を出て左側へ折れて出た南口の風景

海抜ー0.7メートルという標高表示。

時計は昭和天皇即位記念のもの

その右手に青いポールが立つ。これは浸水記録表示柱

当時この地点に高層建築はなかった

ジエーン台風当時、私は家の玄関のガラスを支えていた。ガラスが今にも割れそうなほど

膨らんでいたのを記憶してる。

家の前は割合広いしかし未舗装の道であった。道の端には大きな松の木が一列に並んでいた。その松が1本また1本と、次々に根から倒れて行く。松の木の向うは田んぼであった。

その頃、ここ尼崎では市の南半分が水没していたのである。

重要な観光資源の案内板も

国宝はないが重要文化財は多い

城への南側進入路入り口付近に新しい「古いポスト」

ポストの上に鯱が乗っている。

金の鯱ではなく銀の鯱

霧島ツツジ

1階の投影地図

今回も有料階へは進まず。参加者にはお孫さんと来た時に覗くように勧めた。

 

館内へは絶えず訪問客あれど、予想ないし期待を満たしていないかも。

110連休に期待したい。

八重桜席を立つのはまだ早い

小型バスの往還しきり八重桜

二人だけの花瓶に生けるさくらんぼ

店じまいのセールの幟八重桜

木の香漂う復元城の馬肥し

 

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