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Channel: ショウちゃんのブログ 俳句のある風景
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私道

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火事跡に入り込んで、廃墟の変貌をカメラに収めている。
ただしこの火事跡、出入り口の多くが私道につながっている。
あまり風采の良くないのが、日ごと、草むらの中へ入り込み、何かを写している。
質の悪い地上げ屋が土地価格の値踏みをしていると思われたかもしれない。
昨日、気付いたが、未舗装の私道の入口に「ここは私道です。関係者以外の出入り、通行ご遠慮願います」と表示がでていた。

しかしその一角は、有料自転車置き場になっている。よって門番をおいても関係者の見分けは大変だと思う。


今日は外出時カメラ持参を忘れた。
自転車屋へ行って、パンク修理を依頼。
先代から90年営業しているという自転車屋のご主人と対話。
各種の証書に主人の名前が記載され、昭和四年生まれと書き込まれている。(大正時代の店の写真も飾ってある)。
最初の(この主人宛ての)営業許可書が昭和三〇年に交付されている。
当代も六〇年この地で店を開いておられる。
この付近にはあまり足を踏み入れることはなかったが、
冬桜の観察、更地の観察、さらには、この店の前を通っても市の緑化植物園へ行ける新しい道ができたことで、ここに自転車屋があることを知った。

そこからあまり遠くないところに

豪邸を発見、並ぶ家家もみな同姓である。
尼崎市の知られざる日本一は、酒樽の菰作りである。


妻は一度何かの関係で、ここの工場見学へ訪れたことがあるとか。
撮影してもよいかと尋ねたら、菰の銘柄名だけは写さないでくれとのことであったとか。
伊丹に近い場所ゆえ、伊丹を代表する酒造会社のものは大概あったようである。

菰の材料は、今はどこから入手するのであろうか?

2011年11月のpeachy というニュースサイトから引用。

「鏡開き」で使われる、大きな酒樽。“菰樽(こもだる)”といわれるもので、実は、兵庫県尼崎市の地場産業なんですって! 全国シェア9割だそうです。

杉の酒樽に、菰(藁を織ったもの)を巻き付けたのが“菰樽”。酒の一大産地だった灘・伊丹・伏見など、上方から江戸に向けて大量の酒を大きな酒樽で運ぶ際に、酒樽が壊れるのを防ぐために菰を巻きつけたのが始まりだとか。以来、菰作りは、尼崎の地に脈々と受け継がれる伝統の技になったそうです。

全国でも数軒しかないという菰樽作りを受け継ぐ会社のひとつが、尼崎にある岸本吉二商店

「菰作りの職人は4人、従業員は20名くらい。ほとんどの作業は、ひとつひとつ手仕事で、昔と変わらないやり方で作っています」と、教えてくださったのは、4代目社長の岸本敏裕さん。尼崎に伝わる技と心意気を、今に受け継いでいらっしゃる会社です。現在も製品の2割くらいは、山田錦の藁で作った昔ながらの菰だそう。酒樽を酒米の藁で巻いているというのも、理にかなっていますよねぇ。

ということは、神戸市北区あたりから菰の原料は届くのかも。

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