おやつに、わらび餅が出た。
もちろん、初めて食したわけではない。それどころか、ワイフの好物故に、夏にはしばしば食べる機会がある。
ふとわらび餅って何だ?と思い、
ウィキペディアにお伺いをたてた。
わらびもち(蕨餅)は、デンプンと水、砂糖から作る和菓子。原料としてワラビの根から取れるデンプンであるわらび粉が使われたため、この名がついた。
醍醐天皇が好物としており太夫の位を授けたという言い伝えがあり、そこからわらび餅の異名を岡大夫とも言う。そのいわれが寛永19年(1642年)に書写された大蔵虎明能狂言集(大蔵虎明本)の「岡太夫」に古い言い伝えとして書かれている。 また同時に凶作に見舞われた農家の非常食でもあったという言い伝えもある。
東海道の日坂宿(現在の静岡県掛川市日坂)の名物としても知られており、谷宗牧の東国紀行(天文13-14年、1544年-1545年)には、「年たけて又くふへしと思ひきや蕨もちゐも命成けり」と、かつて食べたことのあるわらび餅を年をとってから再度食べたことについての歌が詠まれている。[1] ただし掛川周辺は鎌倉時代から歌に歌われるほどの葛布の名産地であり、[2][3] 林道春(林羅山)の「丙辰紀行」(元和2年、1616年)にはこの日坂のわらび餅について、「或は葛の粉をまぜて蒸餅とし。豆の粉に塩を加へて旅人にすすむ。人その蕨餅なりとしりて。其葛餅といふことをしらず。」とあり、 天明6年(1786年)頃の「東街便覧図略」にも、「蕨餅とハ言へと実は掛川の葛の粉を以って作れる也」[4]ともある。
奈良県はわらび粉の名産地であり、奈良や近くの京都ではわらび餅の名店が数多く見られる。京都では餡入りの蕨餅が古くから親しまれてきた[5]。 また夏のイメージが強いが和菓子店で売られている本蕨を使った餡入りタイプのわらび餅は保存に向かないため、夏の間は販売されていないことがある。
わらびもちは、一般的にきな粉や黒蜜をかけて食べる。透明で、見た目にも涼しげであるため、夏の菓子として重用される。関西の葛餅によく似た製法で作られる(関東の久寿餅は小麦粉のデンプンを乳酸発酵させて作る)。わらび粉などから抽出されたデンプン、水、砂糖などを加熱しながら透明になるまでかき混ぜ、冷やし固めたものである。
わらび粉はワラビの地下茎を叩きほぐして洗い出し、精製したデンプンであるが、同様の方法でクズの肥大した根から得られるデンプンの葛粉以上に原料の採取や製造に手間がかかり、収率が悪いので、現在では製造者が非常に少なくなっている。全て手作業の場合は10kgのわらび根から70gほどしか、わらび粉は抽出されず、しかも厳冬の時期に根を掘り何度も冷水に濾し、粉にまで精製する手作業に計十数日を要する。
そのため、現在のわらびもちは、わらび粉の代わりにサツマイモやタピオカから取られたデンプン、あるいは葛粉を材料にして製造したものがほとんどであり、本物のわらび粉で作ったわらびもちは希少な高級品となっている。その他のデンプンのものは無色透明で涼しげなものであるが、本来のわらび粉だけのものは茶色がかったものとなる。本蕨を使ったタイプのものは冷蔵庫で冷やすと固くなったり色が変わってしまうため注意が必要である。
しかし、家庭などで製作した場合は、そのまま水につけておかないと表面が固くなり食べにくくなる。さらに味も落ちてしまう。
住宅街では冬の焼き芋屋の移動販売と切り替わる形で軽トラック、軽1BOXによって、スピーカーから流れる呼び込みの口上と共に夏にわらび餅が移動販売される。
関西ではかき氷やアイスクリームとともに軽トラック、リヤカーなどによって移動販売される姿も見かけられる。
さすがに最近は見たことがない。
また福岡の都市部では定位置で鐘を鳴らしてリヤカーで売っていることがある。
移動販売等のわらび餅をのせる船にはモナカを使ってある場合がある。
「わらび餅」で検索
「蕨餅」では、
連休明けが誕生日なので、繰り上げパーテイ。
デザートにわらび餅もあったように思うが和菓子系には手を付けなかった。
5歳児となって西瓜をほうばって
6時過ぎだが、まだ明るい。ビュッフェの窓からの風景。JR大阪駅のホームや、阪急百貨店、観覧車、大丸などが見える。
/