京都の街はすでに祇園祭一色である。
有人改札を利用して、大きなリュックを担いだ長身の若いヨーロッパ人旅行者が、
まだ30℃はある駅前へ出てゆく。
バス路線図を見て病院前を通る系統とその乗り場を確認。
病院前から電話を入れて再入院した友人の奥方とエレベーター前で落ち合うことにした。
月の第2木曜日は神戸句会開催日。
昼前に電車に乗って、周囲を見たらほぼ全員が若い女性で、
そのすべてが携帯の画面を眺めたり、操作している。
で、私も、読書を止めて、でかいスマホを取り出してメールチェック。
朝6時過ぎに名古屋在住の神父から、昨日京都の友人を見舞ったこと、
病状が急速に悪化して意識が無くなりかけていることが書かれていた。
退院の数日前に見舞ったが、それは5月10日頃で、その後、経過観察もあるので、比叡山の中腹の住居から、病院や勤務先に近いマンションへ転居したが、ゆっくり療養した方がいいと思っていたので、声をかけなかった。新居にいたのは10日位で再入院したことは、1ヶ月以上経ってから同じく共通の友人の神父から聞いてはいたが、これほど深刻な事態にまで悪化しているとは思わなかった。
数日前に医師から、逢っておきたい方には連絡をとりなさいと言われたようである。
本人も覚悟したようで「病者の塗油」(昔は終油の秘跡と呼んでいた)を近くに住む神父に依頼。その翌日に友人の神父が見舞いに登場、もう一度塗油を受けたようである。この秘跡は何度受けてもいいことになっている。奥方は知らなかったみたいで、塗油は昨日受けましたといったら何度でもいいんですと言われたそうである。
昨日、神父が来たので、ショウちゃんへの連絡を依頼されたよう。
このブログを始めて1年半。その間にも何回か私と病人と神父で京都探訪をやっている。
前にも書いたが、運転手は友人。その代わり割り勘は少しだけ残る二人の負担を大きくする方式を30年ちかく続けてきた。(でもよく反省するに2人が呑んだ酒代を二人で払っていたに過ぎないかも)。
夕べの高瀬川

欄間掛けの天皇皇后滑り莧
まだ実験中。
友が病む四条木屋町高瀬川
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