ヒャクニチソウ。
細葉のものはジニアと呼ばれているようだ。
美色混合のものを蒔いたので、色の組み合わせは成り行き任せ。
約15種が南北アメリカに分布し、その中心はメキシコにある[3]。カシミール・ゴメス・デ・オルテゴがマドリードのビュート侯爵夫人に送ったのがヨーロッパでの最初の紹介であった[4]。この時には淡紫の一重咲きの花がついた。その後1829年に赤が、1832年に白が開花した。八重咲きはフランスで作り出された。一代交配種が作られたのは1963年にアメリカで作られた品種「ファイアー・クラッカー」が最初。
属の学名はドイツ・ゲッティンゲン大学の医学、植物学教授だったヨハン・ゴットフリート・ジン(Johann Gottfried Xinn、1727 - 1759)に因んだものである[4]。同属植物は20種近くあり、一年草・多年草と亜灌木のものがあるが、日本で作られているものは総て一年草である。
一重咲きでも八重咲きでもない。
細葉は一重が一般的で、町の花壇で群植されているものは、「百日草」と呼ぶ気がしない。
ジニアである。
一番出来のいいのは少し高い塀の上に置いている。じつはプランターの背後が欠落してしまった。
- 雨やみし百日草に蝶多し 武田 操
- 物書いて声錆びつかす百日草 清水衣子
- 中年や百日草に日蔭なく 高橋さえ子
- 会議果ての週末百日草の一枚畑 福富健男
- 水替へるはじめ仏間の百日草 長谷川久々子
- 八十路まだ夢みる日々や百日草 千原満恵
- これよりの百日草の花一つ 松本たかし
- 百日草ごうごう海は鳴るばかり 三橋鷹女
- 百日草百日の花怠らず 遠藤梧逸
- 百日草子供の干衣竿に高く 富安風生
- 百日草がんこにがんこに住んでいる 坪内稔典
- これよりの百日草の花一つ 松本たかし
- 尼寺やすがれそめたる百日草 軽部烏頭子
- 海鳴の冥さに慣れて百日草 ほんだゆき
- 百日草園児の描く絵さまざまに 行廣すみ女
- 坩堝なす落暉を沖に百日草 松本幹雄
- 百日草凡の生活をいとしみつ 根岸善雄
- 百日草在りしごとくに書を重ね 徳田千鶴子
- 毎日の百日草と揚羽かな 三輪一壺
- 百日草百日強し荷車曳き 中山純子
- 病みて日々百日草の盛りかな 村山古郷
- これよりの百日草の花一つ 松本たかし
- 一つ咲き百日草のはじめかな 瀬野直堂
- 蝶歩く百日草の花の上 高野素十
- 百日草子供の干衣竿に高く 富安風生
- ああ今日が百日草の一日目 櫂未知子 蒙古斑以後
- 自得して百日草は愚の如し 遠藤梧逸
- 百日草に魚鱗浴びせて島ぐらし 能村登四郎 枯野の沖
美作の母方の実家で墓参りというと、背の高い百日草の花枝を伐っていた。
1m以上の背になり、かなり分枝していたように思う。
ポット植のものはプランターの空きが出来るまで定植が遅れたのでまだ蕾状態。
すべてニゲラの後釜。
Wikipedia:
「家庭園芸において、タネから作るものとしては、最も強健で作りやすい草花の1つである。」
だから今まで一度も苗を買ったことも、種を蒔いたこともなかった。今年初めての試作品。
銅葉八重咲ベゴニア
- 虹七重八重九頭竜の出初式 吉嶋みな子
- 八重波に向ひて祝詞神迎 金森柑子
- 鰤敷に八重の高浪たゝみ来る 鈴鹿野風呂
- かさねとは八重撫子の名なるべし 曽 良
- 神島は八重の波垣鷹渡る 広 波青
- 菊師いま八重垣姫にかかりきり 松岡美代子
- 高稲架を八重垣に組み出雲かな 山田幸夫
- ビルとビルの隙八重葎魚籃坂 六本和子
- 八重島を雲の湧きつぐ木葉木菟 斎藤梅子
プランターに1株植えして左右に差し芽して活着したものを加えた
土が見えなくなるはずである。