実万両無期延期になるかもしれぬ婚
冬桜東京特許許可局に
川への転落を防ぐ白塗りフェンス。市内に多数。
それなくとも貧しい街の景観をさらに痛めている感じではある。
↑背後に最近設置された公園の川端を仕切る黒塗りフェンス。
2年前の市の予算で、「川へ近づくな」の立看が設置され、昨年の予算でフェンスができた。
こちらは景観保護の観点からは、白塗りフェンスよりかなり改善。
立案者に敬意を表したい。(川の名は富松川)
川を過る↑の橋とフェンス。こちらの方には設置以後ペンキ塗り替え予算がまったくついていないようだ。段差もきつい。
↑改修工事が終わった旧東富松川(現在はX橋の北、伊丹市との境までは「庄下川」
本流扱い)
この川を西へ渡ると(旧)富松村。結構人家が多かったように思う。
豪農、旧家然と、屋敷門を備えた家もかなり残っている。
有馬や昆陽寺、中山寺へ向かう街道筋でもあったようである。
かつて昆陽寺の寺域はこの辺りまであったようである。
細い旧街道と思われる道を行くと、左手に富松神社の参道と交差。
このあたりに昆陽寺(こやでら)の第1山門があったように思える地図もある。
やがて平安期に藤原氏の荘園に組み込まれ、春日社も設けられたかも。
室町期の砦城(富松城)跡はすぐ西に残っている。
昆陽寺の山門や春日社などは戦乱で何度も焼けたのであろう。
市南部と違ってこのあたりには、焼夷弾は、流れ弾以上には落ちなかったはず。
神社の大楠。本殿の左右に2本。
本殿に向かって右側の樹は神木扱い。
由緒:兵庫神社案内より
天平年代(729~748)、聖武天皇勅願により僧行基が猪名野笹原を開耕したことにはじまる。その内に23の坊をつくり堂塔を造営され、各所に集落を作り庶民の福祉につくし農耕を指導し民生安定につくした。
神社の聖地は、当時二十三ケ坊の一つで祓い所として素盞嗚尊、薬師仏を祀り厄災除祈願所として諸願成就、祈祷祭祀の中心地であったと伝えられる。
平安時代(794~1185)には、荘園制が確立し、集落は富松庄として藤原摂関家荘園地を守る鎮守の社であった。
その後数度の兵火にて、社殿や堂塔などが焼失。
江戸時代、尼崎藩主松平遠江守公、厄災除祈願所として殺生禁断の地で特別の庇護を受け盛況を誇った。
敗戦後、神社の基盤は壊れ、維持運営は困窮を極めたが、氏神様への信仰はとぎれることなく、昭和41年(1966)には大規模な社殿造営工事を行い、後 舞殿、参集殿、参道等が整備されている。
前にも一度、この神社の摂社、末社を紹介したことがある。
伊勢神宮のHPより: それによると計125社の正宮、摂社、末社の集合体が「神宮」となるらしい。
「摂社・末社」で検索したら、有名大神宮の成立などに関する研究書のPDFが多数登場。
宇佐八幡関係のものを1時間ほど耽読。
どうも本社に対し、摂社は少数、末社はその倍(以上)という関係がありそうだが、
神宮を名乗る神社と並の神社では状況は変わるかも。
摂社は境内に、末社は境外(けいがい)にという所在地も例外がある。
富松神社拝殿(↑では拝殿の奥に本殿が見える。幣殿があるのかどうかは分からない)右わき
↑のような拝殿横の脇殿の呼称も知らない。
富松神社の摂社は、↑の脇殿の横から裏参道沿いに並ぶ。
本殿背後の樹林に関心があるがどこからも覗けない。
樹が混み合っているので超巨木は無いよう。
最初の摂社(拝殿・本殿横にある併設社が末社ということはないだろう)
摂社はある時、ほぼ同時期に(再)整備されたのだろう。すべて同格扱い。
愛宕社とある。背後は粗末なトタン塀で囲まれた樹林。
樹林の中にも建物がある。
今これを書いている時点では、愛宕社に関する知識0。
ウィキペディア
山城・丹波国境の愛宕山(標高924m)山頂に鎮座する。古くより比叡山と共に信仰を集め、神仏習合時代は愛宕権現を祀る白雲寺として知られた。
火伏せ・防火に霊験のある神社として知られ、「火迺要慎」と書かれた愛宕神社の火伏札は京都の多くの家庭の台所や飲食店の厨房や会社の茶室などに貼られている。また、「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参拝すると一生火事に遭わないと言われる。
大宝年間(701-704年)に、修験道の祖とされる役小角と白山の開祖として知られる泰澄によって朝日峰に神廟が建立されたのが創建とされる。
拝殿、本殿の横に火の用心の神を祀るのは意味がありそう。
本殿に琴運び込む菜種御供 椹木啓子
- 拝殿の下に生れゐし子鹿かな 杉田久女
- 拝殿の天井を打つ梶の鞠 村尾 梅風
- 拝殿の弥生の扉開かるゝ 茂上 かの女
- 拝殿に赤いスリッパ神還る 相馬沙緻
- 拝殿に雀もつるる神の留守 酒井英子
- 拝殿の奥煌々と去年今年 栗原澄子
- 拝殿へ足袋穢れなく七五三 佐藤美恵子
- 拝殿にぬかづく巫女や花吹雪 小酒井不木 不木句集
- 拝殿に晝寝無用蝉が鳴いて居る 会津八一
- 灯を集めくらき拝殿一の午 深見けん二
- 拝殿に花吹き込むや鈴の音 夏目漱石 明治三十年
- 灯を集めくらき拝殿一の午 深見けん二
愛宕社の横は、三社が一棟に。三社殿になっている。
左から熊野三山社、皇大神宮社、白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)=菊理媛尊(くくりひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三柱。
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。
熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。
皇大神宮(こうたいじんぐう)
白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。
全国に2,000社以上ある白山神社の総本社である。通称として「白山(しらやま)さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」とも。
↑金毘羅社
天満宮
大峰山行者堂 これも神さん?
池付き 弁財天社
お稲荷さん
↑白梅 ↓紅梅
↑は能・狂言上演時には、楽屋になる。
↓舞殿
沢山引用したら、どれかの文章に禁止タグが入っていたらしく、
少しずつ削除。なかなかupの許可が出ないので、かなりのものを削除。