生島神社は、かつて生島と呼ばれていた尼崎市立花地区の上之島・栗山・大西・三反田4か村の惣氏神で、中世には生島荘の氏神であったと考えられています。生島荘は多田源氏の一族源実国が開発した所領で、平安時代の終わり頃、実国の子孫が天皇家に土地を寄進しています。
家からは富松神社が一番近い神社。家からは西北の方向にある。名の通り、富松村の氏神であろう。
生島神社、中世、生島荘の氏神であったらしい。家からは徒歩12,3分。
我が家を含む地域の氏神は、塚口神社のようだが、家からは徒歩20分くらいか?
月1、年12回も散歩ルート上でお目にかからない。2家月に1度位か。
15歳女子との元旦散歩は、庄下川沿いに生島神社方面へ。
すごい人出である。
初詣の列は参道入り口の鳥居を越えて、一般道路へ長くはみ出している。
西側のバス道路を南下して、角を東へ折れると
行列が道路を塞ぎ、南側の道へ続いている。
本殿拝礼は初めから予定にないので、行列の横から鳥居をくぐり、本殿の方向へ。
屋台も境内に何軒か出ている。
参拝を終えてお札などを買う人。営業担当巫女さんも、かなりの数。
保護樹林の伐採で出来た薪もいっぱい。しかし暖かいので、誰も焚火の方へ近づかない。
神社のHPから
4世紀、第16代仁徳天皇の御代に創立。御祭神は、生島神、足島神、天照大神、須佐男神、八幡大神、伊邪那岐、伊邪那美神。御祭神の「生」という意味は、生成、進歩、完成を、「足」という意味は、充実、繁栄、発展を表しします。この大地の御守護と共に大地に生を受けているあらゆるものの生命の完成を御統轄される神様です。
4世紀にはまだ文字情報がない。
ウィキペディア:
仁徳天皇(にんとくてんのう、神功皇后摂政57年 - 仁徳天皇87年1月16日)は、日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年1月3日 - 同87年1月16日)。善政を敷き、大規模な土木事業を行ったと伝わる。 名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)、大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)・大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)・難波天皇(『万葉集』)。
在位期間が87年ということじたい無理があろう。
応神天皇の崩御の後、最も有力と目されていた皇位継承者の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)皇子と互いに皇位を譲り合ったが、皇子の薨去(『日本書紀』は仁徳天皇に皇位を譲るために自殺したと伝える)により即位したという。この間の3年は空位である。
難波に都を定め、人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除し[1]、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったと言う記紀の逸話(民のかまど)に見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号もこれに由来する。
ただ一方で、記紀には好色な天皇として皇后の嫉妬に苛まれる人間臭い一面も描かれている。また、事績の一部が父の応神天皇と重複・類似することから、元来は1人の天皇の事績を2人に分けたという説がある。また逆に、『播磨国風土記』においては、大雀天皇と難波高津宮天皇として書き分けられており、二人の天皇の事跡を一人に合成したとする見方もある。
日本書紀の仁徳の条の冒頭では、五百城入彦皇子(成務天皇の弟)の孫となっているが、この記載は古事記応神の条の冒頭にある記事と矛盾する。すなわち、大雀の母中日売の父が、五百木入日子の子品它真若となっていることである(この場合、大雀は五百木入日子の曾孫となる)。古事記と日本書紀の系図どちらが正しいかは不明である。
なお、『宋書』倭国伝に記される「倭の五王」中の讃(さん)または珍(ちん)に比定する説があるが、確定していない。
西暦398年は戊戌の年であるが、生島神社はそれよりかなり早く創設されている。
その時代、尼崎南部は難波の里と呼ばれていたようである。
4世紀初頭ならば、この辺りはまだ海岸地帯であったはず。付近に弥生遺跡が残っている〔上の島遺跡)
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