東京宝塚劇場の入場券は、ゲット成功とか。
14番目に並んで、2階席の最奥の席(実質4階席)。もちろんB席。その後ろは立見席とか。
朝さくら 近隣公園
↑夜桜はたいていこの木を写している。街灯の傍にあるので光を得やすいから。
昼さくら 蓬川公園
蓬川公園の中で句碑を見つけた。
ともかく尼崎市は、お隣の伊丹市と比較しても有名俳人がいないせいか、
(伊丹三樹彦は、尼崎での生活が一番長いが、俳号が、生地伊丹市からとられているので
伊丹生まれ、三木育ちで、かつ尼崎市内には句碑がない)
句碑を見る機会が極めて少ない。
「序の舞のまこと静けし」までは読めたがそのあとの漢字が読めない。
二文字の作者名も読めない。
私の義母さんの句集の題名が「序の舞ばかり」なので、「序の舞」で検索したら、
義母さんの句と共に、この句が出て来るのではないかと思ったが、いずれも出現せず。
じょ‐の‐まい〔‐まひ〕【序の舞】
2 歌舞伎下座音楽の一。時代物の貴人の邸の場などで、人物の出入りやせりふの間に用いる静かな鳴り物。大鼓・小鼓・太鼓ではやす。
「序の舞でまこと静けし」で検索したら、
この句を引用するエッセイがPDFで登場。
つ れ づ れ中国ちゅうごく 其之弐拾弐
序の舞の・・・ はらだ おさむ
序の舞の まこと静けし 足袋きしむ (地朗)
尼崎の芭蕉さんともいわれた大叔父のこの句碑は、いまも蓬川公園のたもと にたたずんでいる。百余歳で還らぬ人となってすでに20余年になるが、白寿 の祝宴で見た舞扇の数々が上海のあの店の思い出につながる。
↑がその「序」の部分。
地朗がこの句の作者名。下5は足袋きしむ。
尼崎の芭蕉なんて表現も初めて目にした。
私はこの時点でも、地朗さんの名前は初耳。よって上の姓さえ思いつかない。
はらだおさむさんの大叔父さんらしい。
大叔父とは、祖父(二人いる)の弟。原田地朗さんである可能性はある。
この文章は2009年に書かれている。それから20年遡ると1989年。20余年前の死去だから
1985年前後に、100余歳で地朗さんは亡くなっている。1880年に近い年にお生まれ。
明治10年代にお生まれの人である。
いろいろ検索してみたが全然分からない。俳句検索にもこの作者の句は収められていないよう。
「はらだおさむ」さんは実業の世界で活躍なさった方のようだが、
これも良くわからない。「原田治」さんは有名なイラストレーターらしく最近亡くなられたので情報は多いが、この方ではないよう。
蓬川沿いの公園・緑地には1000本の桜が植えられていて、尼崎随一の桜の名所であるが、
まだ3分~5分咲きで、圧巻の景ではなかった。
介護施設の職員は赤い服を着ている。
尼崎センタープール側から蓬川へ歩き、左右両岸を少し歩いて、阪神出屋敷駅へ抜けた。
↑の標識は一度以上紹介済。
夕桜 夙川公園