毎日のように世界のどこかでテロが発生している。
昨日は、巴里祭当日のニースで。
速報を見て、BBCにテレビ画面を切り替えるとNiceという地名が出ていた。
ニースである。並んで、バスチューユ(綴りを再現できない)dayという文字も。
今日の日本語放送ではフランス革命記念日という字幕が出ていた。
昨日の夕刻、句会の後で最近は「巴里祭」という表現は使わなくなったということが話題になった。
トルコ政府から抗議があった「トルコ風呂」のような事例ではないようだ。
巴里祭で検索したら、昨日公表されたばかりの例句集http://www.haisi.com/saijiki/parisai.htmが登場した。
一覧の表がエクセル表示えあったためかどうか、4万字の制限をこえたためにUPできず、削除した。
ために以下の文との続きが悪いが、そのまま残した。
この例句集が、対象をどのように選んでいるかなどは知らないが、
ホトトギスから船団まで幅広い結社句会で、「巴里祭」は詠われ続けているようである。
放送倫理などには抵触しないのであろう。
ブログ倫理上、下段にあった送信欄でその旨断りを書いて「送信」を押したが機能しなかった。
汝が胸の谷間の汗や巴里祭
1960年代の句である。私が暗唱できるただ一つの巴里祭の句である。作者は楠本憲吉。
季語重なりという人がいるかも。
「巴里祭」が季語として定着する以前の句とみたいし、
私は、汗やハンカチや「花」などは、
他により強い季語がない場合のみ、季語となるものと思っている。
上の一覧に廣太郎の句があるが、
ホトトギスは巴里祭を季語としていないので、
廣太郎の句の季語は「鵜飼」である。
一覧を削除したので、廣太郎の句も消えてしまった。
句は、
巴里祭や鵜飼の余韻持ち寄りて
2011年7月号のホトトギスに掲載のもの。
いつも利用している「俳句検索」は2003年までに公表されたものしか
採録していない。
昨日の句会では、
首のないマネカン華やぐ巴里祭
という句が出ていた。
テロ続く茄子を二株切りもどし
17個目、18個目を収穫後、「茄子 切り戻し」で検索学習後
↑画像に撮った後、さらに切り込んだ。
↑門前へだそうかどうか迷っているオクラ。
玄関の戸口前へ侵出の鉢物。置く場所がない。
日があまり当たらないので、ベゴニアにはいいと思っている。
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巴里祭
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